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教育は結果論で判定すべき

●教育の良し悪しは結果を直視せよ

 この世には様々な教育論があるけれども、その教育論は結果で判定すべきなのである。その教育論を実施してみて、良い結果が出たのなら、それは素晴らしい教育論であって、悪い結果が出たのなら、それは悪い教育論であって、二度と使用すべきではないのである。

 人間というのは理想を持ちたがる動物であるために、その教育論が余りにも現実離れして、余りにも空想的なことを言っているのに、その教育論にまんまと騙されてしまうのである。教育論は現実主義に徹するべきであり、現実を直視した上で理想を掲げるのであるならば巧く行くものなのであり、そうでない教育論はどうやっても絶対に巧く行かないのだ。

 戦前の日本の教育は小学校教育に関しては圧倒的に出来のいい結果を残した。政府は欧米列強の威力を目の前にして、教育の充実こそ国家存亡の鍵を握ると悟ったために、小学校教育に関しては重点的に資金を回して、小学校教育を充実させて、文盲率が欧米列強よりも低くなるという現象が起こったくらいなのである。

 そうやって国民の知的レベルが高かったこそ、富国強兵政策が物の見事に成功し、経済成長を続けて国民が豊かになり、日清戦争に於いて清国に勝利し、日露戦争でロシア帝国に勝利したのである。大日本帝国の凄さは江戸時代では当たり前だった飢饉が二度と発生しなくなったということなのである。当時の日本では外国から食料を輸入し、それに頼ったという記録はないから、学力の向上によって、食料生産量が着実に増大して行ったのである。それが飢饉を回避し、人口増大に繋がったのである。

 しかしその反面、高校教育や大学教育に問題があり、西ヨーロッパの学問を鵜呑みにする態度は日本精神を衰弱化させてしまい、欧米に対して劣等感を持ち続けてしまい、そのために学問を効果的に使うことができず、それが大東亜戦争に於ける敗戦の大きな要因になったのである。アメリカの大学生たちが愛国心を剥き出しにして意気揚々と戦争を戦ったのに、日本の学生たちは愛国心が貧弱で、徴兵だから仕方なく戦場に出て来たのである。これでは戦争になっても日本が負けてしまう訳である。

●戦後の日本の教育の欠陥

 戦前は大学教育に問題があっただけであるのだが、戦後はGHQの占領政策によって日本人を骨抜きにさせる教育が整えられたために、小中高全ての教育で問題が発生し続けることになった。戦後の教育で最大の問題点が師範学校を廃止してしまったことなのである。師範学校を廃止したために本物の教員たちを育成することができず、そのために教員を労働者だと思い込む日教組が出現してしまったのである。

 戦後の教育問題は、要は日教組問題なのである。日教組が滅茶苦茶なことをやっているからこそ、日本の教育は荒れ放題なのである。しかし幾ら日教組に問題があるからといって、日教組を廃止しただけでは問題の解決にならないのだ。師範学校が存在しないからこそ、正常な教育能力を持たない教師たちが溢れ返っているのであり、それが日教組の温床となっているのである。師範学校を復活させない限り、この問題を解決することはできないのである。

 戦前は小学校までが義務教育だったが、戦後は中学までが義務教育になった。しかし義務教育を充実させたことで、学校の教員たちが社会主義やフェミニズムに走ってしまったという奇妙な現象が起こったのである。義務教育といっても、それを全て公立学校で行ってしまうと、教員たちは公務員になってしまうので、公務員に対して思想統制をきちんと行っておかないと、社会主義やフェミニズムが公務員たちの間で蔓延して来てしまうのである。

 戦後の教育問題で具体的に現れて来るのが、「愛国心の欠如」である。愛国心を否定するどころか、日本を悪い国だと教え込んでいるために、政治家たちは常に外交で失敗し、経済では外国企業から乗っ取りを食らってしまい、映画界ではアメリカの映画が常に主流を占めてしまうという悲惨な事態になってしまったのである。

 学校教育というのは国民教育なのであって、学校教育を受けさせることで国民としての自覚を持たせ、愛国心を付与するのである。それなのに愛国心を持たず、日本国民であることを恥と思い、地球市民だの人類愛だの唱えていれば、当然に国益は常に破壊され、日本は独立を維持することすら危うくなってしまうのである。

●教育の抜本的改革は政体の変革なくして不可能である

 現在の日本の教育界は様々な問題を抱えているものだ。しかしその教育問題を小手先だけで改革して行っても無駄なのである。政府が教育改革をやればやるほど教育の現場が酷くなって行くという現象が起こり続けるのである。教育の抜本的改革は政体の変革なくして不可能であって、昭和憲法を無効にし、日本国民が新たな憲法を制定すれば、現在の教育問題は全て吹き飛んでいくのである。

 「師範学校の復活」にしても、「法の下の平等」がその復活を拒むのである。大体、人間は「法の下に自由」ではあっても、法の下に平等である訳がないのだが、もしも学校教員になる人々に無料で師範学校に通わせるのなら、それは法の下の平等に違反してしまうことになるのだ。だから現在の憲法では師範学校の復活という発想が全く出て来ないのである。

 国民が自由に自分の意見を持つのは構わないが、公務員が自由に自分の意見を持っては困るのである。国民国家はそれ自体がイデオロギー国家であり、公務員は国民全員に奉仕する存在ではあるけれども、社会主義のように労働者階級の利益を代弁する訳でもなく、フェミニズムのように女性の利益だけを代弁する訳でもないのだ。もしも国民国家の公務員なのに、労働者だけの味方をしたり、女性だけの味方をすれば、途端に国家が狂って行ってしまうのである。

 国民に愛国心を付与させようとしても、昭和憲法がある限り、これは不可能なのである。愛国心を持ては、外国の侵略を受けたのなら、自分たちの国家を守るために武器を持って立ちあがり、戦争で撃退しなければならなくなるのだが、そういう考えを教えるだけで憲法の戦争放棄の条項に違反してしまうことになるのだ。、

 今まで様々な知識人たちが教育改革を論じて来た。しかしそれらの教育改革案が全て巧く行かないのは、憲法を改正しなければ教育問題を解決することはできないという考えを持たなかったからなのである。我々日本国民が抱えている教育問題は昭和憲法こそが引き起こしているのであって、それを見抜けないのなら、全てはまやかしにすぎないのだ。

●「基礎を与えてあげることの大切さ」と「エリート育成の絶対的重要性」

 世の中には学校にあれこれ注文をつける人々がいるものだが、学校は全ての注文に答えることはできないのだ。家庭科教育をやってくれと頼んだり、性教育をやってくれと頼んだり、金銭教育をやってくれと頼んだりしても、それらは本来、学校が教育すべきことではないのだ。

 学校は全てのことを教育したりするのではなく、国民教育を行っているのだ。子供たちに日本国民としての自覚を持たせ、愛国心を付与させるために教育を行っているのである。子供たちが学校教育を受けることで、日本国民としての自覚を持ち、愛国心を発揮してくるならば、日本国は発展に次ぐ発展を重ね、国民は非常に豊かになって行くものなのである。

 学校教育は高度な理想を実現するために教育を施しているのではないのだ。学校がやっているのは基礎を与えていることなのであって、生徒たちに基礎的な能力をしっかりと与えておけば、後は自分の力で伸し上がって行くことができるのである。基礎的な能力がきちんと与えられないからこそ、生徒たちは暴れ出してしまうのである。

 その一方でエリート育成も非常に重要なのである。生徒たちの中で優秀な生徒は非常に限られているからこそ、その優秀な者たちを選抜して、エリートコースに乗せ、そこでエリートとして特別な教育を受けさせ、国家の中で重要な地位に付けさせるということをも学校は遣らねばならないのである。

 基礎教育とエリート教育は矛盾するものだ。しかし学校教育はその矛盾したものを持ち続けなければならないのである。平等教育をやったら学校教育は絶対に失敗するが、かといって大学を目指して受験戦争ばかりやらせれば学校教育は失敗してしまうのである。学校教育に携わる者たちは学校教育にはこの矛盾があることおを了解していなければ、学校教育の目的を果たすことができないのである。

 但し、どんなに優れた学校教育を施そうとしても、生徒たちは教師たちの思い通りには育って来ないのだ。必ず教師たちの考えを凌駕することをやってくるものなのである。教師の思い通りに育ったら、その生徒たちは救いようのない凡人なのである。優秀な生徒であればあるほど、教師たちの頭を踏み台にして乗り越えて行くものなのである。そういう生徒を生み出すことができれば、その教師のやった教育は成功したとえるものなのである。

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