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家事労働や育児労働はお金に換算するものではない

●労働価値説に囚われた愚かな計算

 労働価値説というのは、経済学を考える上で「科学モデル」としては通用するものであっても、実際のビジネスではなんの役にも立たない考え方だ。社会主義国は労働価値説を学問の中だけではなく、実際の経済にまで使用したらからこそ経済を崩壊させてしまったのである。ところが社会主義に勝利した自由国家に於いても労働価値説から解放されたという訳ではないのだ。

 例えば「時給」という考え方だ。これこそ労働価値説に基づく考え方なのであるが、これが平然と使用されてしまっているのだ。恐ろしいのは、時給で働けるような労働は単純労働でしかないのに、労働の質が向上し、高額所得者の労働に対しても時給で計ろうとする馬鹿たちが出て来てしまうことだ。生産量というのは労働量が決定的要素となるのではなく、「労働の質」こそが決定的要素になることが全然解っていないのである。

 更に馬鹿の上塗りをするのが、政府が家事労働や育児労働をお金に換算し、既婚女性たちは家事や育児をこなすことによって、これだけの金額を生み出していると計算を発表してくることなのである。この数値を聞けば、既婚女性たちは多いの少ないのと言い出すのだが、この計算そのものが間違ったものなのであるということに気付いていないのだ。

 厄介なのは、人間は労働をすれば富が発生したという体験をしているために、なかなかこの労働価値説の洗脳から抜け出すことができないのだ。しかも労働価値説自体、アダム・スミスに始まり、リーカドによって高められ、カール・マルクスによって完成された学説であるために、これらの経済学の偉人たちを凌駕する頭脳を持たぬ限り、労働価値説を破壊することはできないものなのだ。

 今まで見てみたように、家族の消費と投資があってこそお金が必要になって来るのであって、そのために労働が使用され、所得が生まれて来るのである。言わば消費と投資こそが実体なのであって、所得は影にしか過ぎないのだ。増してや労働はその影を生み出すものにしかすぎないのである。だからこそ消費と投資を整えない限り、絶対に所得は向上していかないのである。

 それと労働価値説を唱えて来た学者たちは全て男性だということにも注目すべきである。父系家族なら男性たちは仕事に出かけるために、どうしても所得に重点を置いてしまい、その所得を生み出す労働に価値を見出して来るものだ。しかし女性ならこんな馬鹿げた考え方はしないものだ。家庭に妻子がいて、その消費と投資を賄って貰うために夫に働きに出て行ってものなのであって、消費や投資の方が圧倒的に価値があるということが解っているものなのである。 

●豊かな消費や積極的な投資を行うための労働

 家事労働や育児労働はお金を発生させるためのものではない。寧ろ逆にお金を使って行く労働なのである。ではお金を使った労働をすることによって一体何をやっているのかといえば、それは「豊かな消費」や「資産を蓄積して行く投資」を行っているのである。これをするからこそ生活は急速に豊かになり、資産が爆発的に増えて行くことになるのだ。

 これをするためには漠然と家事労働や育児労働がなされていてはならない。家事労働や育児労働に「目的合理性」が投入されて、「行動的禁欲」という生活態度を身につけなければならない。家事や育児に目的合理性を持たせるために、ただ単に伝統的な家事や育児をするのではなく、家事や育児に関する書物が多数出版されてそれを購入し、多くの主婦たちが家事や育児の改善を図っているのである。

 当然に仕事をしながら母親をやっている既婚女性よりも、専業主婦の方が圧倒的に高い功績を叩きだすことになる。専業主婦は主婦業に専念するためには、自然と行動的禁欲が身について行き、家事や育児を一生懸命に行うことによって、豊かな生活と資産の蓄積を可能にしてしまうからだ。

 一方、仕事をしている母親たちは家事や育児の費やす時間が決定的に不足するので、その目的合理化は絶対に避けられないのであって、これをきちんと行わないと、収入は増えても生活は一向に豊かにならないという悲惨な事態を招いてしまうのだ。特に気をつけるべきは、生活苦から赤ちゃんを保育園に預けて働きに出るような母親たちであって、そういう母親たちは目先のお金を獲得するのに必死なために、家事や育児の目的合理化というのを全く行わず、所得金額が上がれば生活は豊かになると思い込んでしまうのだ。

 家事や育児というものは、家政婦やベビーシッターを雇っても、妻が行う家事や育児に勝る訳がない。家政婦やベビーシッターたちは本来、妻が行うべき仕事をやっているのだが、その労働は決められたことをすればいいという類の単純労働にすぎないのだ。この家政婦やベビーシッターたちが得る給料が妻の給料だと思い込んではならない。妻の働きなどお金に換算することはできないし、またお金に換算すべきものでもないのだ。

●家庭内のことはどう弄っても経費しか存在しない

 家庭内のことはどう弄っても経費しか存在しないものだ。これは良妻賢母の鏡のような女性であっても、グータラ妻でも変わらないのだ。経費しか発生しない労働をお金に換算できる訳がないのだ。家事や育児というのは、男性たちが外に出て働く労働とは明らかに違った労働なのである。

 ビジネスであるなら、経費を引き下げて、商品やサービスを販売して行けば、確実に儲かることになる。これがビジネスの基本であって、このビジネスの基本に忠実であるなら、大抵の仕事は巧く行くものだ。しかし家庭ではそうは行かない。経費は確実にかかって来るのであって、それをそう簡単に引き下げることはできないのだ。

 家族の組織原理には大きく分けて3つある。1つ目は「夫婦が愛し合い、子供たちを養い育てて行く」ということだ。夫婦が愛し合うためには愛だけが必要なのではなく、お金だって必要である。子供たちを養い育てて行くためにも愛だけでなくお金も必要なのである。夫婦愛を維持するためにも、育児をするためにも常にお金はかかり続けるものなのである。

 家族の組織原理の2つ目は「外部環境の変化に対応し、家族の生存を確実なものにさせていく」ということだ。経済環境は常に変動するものだし、政治環境も時として大変動を引き起こす、そういう場合は、昔はこうだったと懐かしむのではなく、迅速に外部環境の変化に対応して行けばいいのである。

 家族の組織原理の3つめは「子孫を繁栄させて、本家相続を行うと同時に、分家を増やして行く」ということだ。人間には繁栄すべく宿命づけられているから、子供を多く産み育て、家督相続者に家督を相続させ、それ以外の息子たちには分家にしてしまい、より多くの家族を増やして行くべきなのである。

 家族の組織原理を行えばどれやってもお金がかかるものだ。だからこそ外に出て労働を行い、所得が発生するのである。多くの夫婦は家族の組織原理の1つ目までは理解することができることだろう。しかし2つ目、3つ目となると、全く解っていないのだ。だから些細な経済環境の変化で生活が行き詰まってしまったり、子供の数を極力減らすという馬鹿げた行動を取ってしまうのである。

●家事や育児の遣り方で生活は幾らでも変わって行くもの

 家事や育児はお金がかかって当然なのである。大事なことはそのお金をどうやって使うかなのである。例えば「外食中心の食生活」と「自炊中心の食生活」のどちらが豊かな生活を実現できるかといえば、自炊中心の食生活の方である。母親が自分で調理すれば、安全な食材を選ぶことができるし、味付けも微妙な調整を行うことができるからだ。

 育児にしても布オムツと紙オムツのどちからがいいかといえば、布オムツの方である。布オムツを使用すれば、面倒ではあっても、布オムツの交換の度に赤ちゃんは母親と接触するので、その度に脳が刺激され、頭が良くなって行くのだ。しかも布オムツの方がオムツの卒業が早いために、母親にとって育児が楽になるものなのである。

 労働価値説に縛られてしまうと、自炊するより外食で食べた方がリッチだと思い込んでしまうし、布オムツのような封建的な物よりも、紙オムツのような近代的な物を使用した方が豊かだ思い込んでしまうのだ。これらは全て思い込みであって、本当に自分たち家族の生活を豊かにしている訳ではないのだ。

 男性の労働に関しては一応、所得金額で序列をつけることができる。必ずしも所得金額の高い仕事は素晴らしい仕事なのではないが、ただ一応の目安として所得金額が高ければ、その仕事は人々に対してより多くの貢献をしたということなのである。一方、所得金額の少ない男性は労働すればお金が貰えると思い込んでいるからこそ、所得金額が低いのである。

 これに対して既婚女性の家事や育児に関する労働はどうやってもお金で序列をつけることはできない。もしも序列をつけるのなら、夫婦の仲が睦まじく、子供たちが沢山いて元気に育ち、家庭内の整理整頓はきちんと成されているということでしか序列をつけることはできないだろう。ただはっきりと言えることは、家事や育児が巧く行っている既婚女性は、家事や育児が目的合理性に貫かれており、資産を確実に貯め込んでいることであろう。

 夫たちの給料が同じような金額であったのに、一方の夫婦は家計が火の車で、もう一方の夫婦は生活が非常に豊かで、資産をしっかり貯め込んでいるという事態が起こって来るものだ。なんでこんなことが起こったのかというと、これは夫の給料は同じであっても、妻の働きが全く違っていたからなのである。既婚女性は妻の働きこそが生活の豊かさを決定的にさせるということをいつ如何なる時も忘れてはならないのだ。

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