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『モモ』って子供が読む本じゃないよね。

●人は本を選ぶ、本もまた人を選ぶ

 俺には前々から気になっていた1冊の本があった。

 はっきりと言えば俺はその本を読みたいと思っていなかったのだが、その本に関して熱狂的なファンがいて、、その本を矢鱈と称賛して来るのだ。問題はその熱狂的なファンというのが、会社経営者でもなければ、ビジネスマンでもなく、人気が低迷しているアーティストとか、まともな論文を一度たりとも書いたこともない学者たちであったりするのだ。「

 どうも食指が伸びなかったのだが、梅雨時とあって、あんまり外に出られない日々が多くなってしまったので、その本をやっと手にいれて読むことになった、梅雨は読書に適した季節ではないのだが、湿気でジメジメした時期だからこそ、自分が好きでもない本を読むことができるのだ。

 その本の名は、

 ミニャエル・エンデ著『モモ』(岩波書店)

モモ (岩波少年文庫(127))

 粗筋は時間貯蓄銀行の灰色の男たちが人々から時間を奪って行ってしまい、仕事に追われる日々にして世界を支配してしまうのであるが、不思議な力を持つ浮浪児のモモが灰色の男たちの秘密を見つけ出してしまい、灰色の男たちから追われる羽目になる。モモは時間を司るマイスターホラの力を借りて、灰色の男たちから逃げるだけでなく、逆に時間貯蓄銀行を破壊してしまい、人々の時間を取り戻すという物語である。

 読んでみるとその物語構成の巧さに引き込まれてしまい、1日で読み終えてしまった。確かに面白いことは面白い。ではなんで俺が食指を動かさなかったといえば、この本は子供に読ませた所で、子供はこの児童文学をきちんと理解することはできないからだ。もしかするとこの本を読ましたら、非常に高い確率で読み間違えをするのではないかと思ってしまうくらいだ。

 この『モモ』はドイツでは1974年にドイツ児童文学賞を受賞している。俺に言わせれば当然である。物語構成がこれだけしっかりとしていれば、児童文学賞を受賞するのは当たり前だからだ。但しこの本が世界的に大評判になったのではなく、ドイツと日本だけで特別に売れているという状態なのだ。

 そこにこの本の謎を解く鍵がありそうだ。

●灰色の男たち

 俺が『モモ』を読んで「巧い!」と思ってしまったのが、この物語の中に出て来る「灰色の男たち」なのである。西ヨーロッパで黒色といえば、神父や牧師を想像させる色なのだ。灰色というのは黒色が薄まった色だから、当然にキリスト教となんらかの関係があるということなのである。

 歴史の大前提と知っておいた方がいいのは、西ヨーロッパの人たちは宗教改革が始まるまで、それほど働かなかったということなのである。ローマカトリック教会は信者たちに信仰することを強調し、労働の肯定などしなかったし、信者たちが労働をして富を得たとしても、それを教会に寄付させ、教会のみを肥え太らしていたのである。

 ところが宗教改革によってルターやカルバンが現れて来ると、信仰義認説を唱え、教会の媒介なしで信仰できるようにさせ、それと同時に労働の肯定を行い、信者たちに労働をするように仕向けた。特にルターは修道院上がりであったために、「祈り且つ働け」の精神がしっかりと身についており、信者たちの間に信仰しながら労働するという習慣が広まっていったのである。宗教改革は修道院から始まったといっていいのだ。

 この労働の肯定が世俗化されたのが「資本主義精神」であるとするのが、マックス・ヴェーヴァーの見解である。だから「灰色の男たち」なのであって、「黒色の男たち」ではないのだ。この著者の色選びのセンスが抜群なのである。宗教なら信仰の対象になろうが、資本主義精神なら信仰の対象にはならないから、人間は宗教抜きで資本主義精神を持ってしまうと、自分自身をも喪失して行ってしまうことになるのだ。

 宗教改革以降、プロテスタントの人たちは労働せざるを得なくなったのだが、その明暗を分けたのが食事量であった。ルターもカルバンも結婚したのだが、ルターは妻子の恵まれ、豊かな食生活を送り、本人は結構太っていた。一方、カルバンは結婚後に妻も子供も早くに死んでしまい、彼自身は非常に質素な食生活を送ることになった。

 宗派の創始者の食生活の影響はその後も深く信者たちに及んで、ルター派の人々は今でも食生活が豊かだし、カルバン派の人たちは今でも食生活は質素なのだ。イギリスの食事が質素になった理由もカルバン派の影響なのであって、イギリス人たちも宗教改革前は豊かな食生活を送っていたのに、それが宗教改革以降、すっかり変わってしまったのである。

 8時間労働をする場合、ルター派のように食生活が豊かだと圧倒的に不利なのである。人間は物を多く食べ過ぎてしまうと長時間労働に耐えられなくなってしまうのだ。歴史を振り返ってみれば解ることだが、資本主義をラディカルに批判した人々は常にドイツから出て来ている。カール・マルクスがその筆頭だろうが、要はルター派の勢力が強い地域では飯の量が多過ぎたために、長時間労働に耐えることができなかったということなのである。ミヒャエル・エンデもドイツ人だから、やっぱりドイツからへんてこな人物が出て来るのであろう。

●『モモ』の致命的な問題点

①著者の目的は別な所にあった

 『モモ』には小説として致命的な問題点が存在する。それは著者の目的が別な所にあったということだ。普通、この小説を読めば、「時間に追われる現代社会を批判しているのだな」という程度のことしか出て来ない。しかし著者は「利子が利子を産む経済システムを批判することが目的」なのであり、時間貯蓄銀行というのは空想の産物ではなく、現実世界にある銀行のことを指しているのだ。これでは読者はこの本の内容をきちんと理解することはできないであろう。

②書き出しと結末の稚拙さ

 『モモ』はその物語構成がしっかりしているのに、書き出しと結末が非常に疎かなのである。これは小説としては致命的な欠陥だ。小説というのは書き出しが巧く行けばその後の物語展開が巧く行くものだし、結末の印象の良し悪しが読者たちの感想の良し悪しに直結するのである。

 著者自身も結末には問題ありと見ていたらしく、後書きで弁明に近い意見を述べているのだが、だったらそんなことをしないでもうひと捻り加えるべきだったのである。腕のいい編集者がいて、書き出しと結末の部分の修正を指摘していたら、この小説は世界的に大ヒットしたと思う。本当に惜しい事をしたと思う。

③翻訳者の翻訳が巧くない

 そしてこれは毎度お馴染みのことなのだが、翻訳者の翻訳が巧くないのだ。翻訳書は漢字を多用して文章を圧縮して行かない限り、原書の良さが解らなくなってしまうのだ。特にこの『モモ』はドイツ語で書かれた小説であるために、非常に無駄のない文章が連発し、それによって物語の展開がテンポよく進む。それなのに平仮名を多用してしまったために、なんとも間延びした面白みが半減してしまう物になってしまったのだ。

 翻訳者の「大島かおり」が一体どこの大学出身かと思って調べてみたら、やっぱり東京女子大学であった。翻訳者で腕のいいのは全て東京外語大学出身の人たちであると俺は思っているので、東京女子大学のような場違いの大学の出身者が翻訳業に携わって来ると、本来なら面白い本であっても、その面白みが消えてしまう本にしてしまうことになるのだ。

●児童文学は子供向けに書かれたものではなく、実は大人向けに書かれている本なのである

 仕事に忙しい人なら、『モモ』を読めば自虐的に笑ってしまうことだろう。自分自身が時間貯蓄銀行の灰色の男たちと契約を交わしてしまった感覚に襲われるからだ。しかし俺にはそういうことが起こらなかった。というのは、俺は「仕事の仕方」を確立できているし、日々仕事の改善を図っているので、そんなに忙しくないからだ。

 俺は早朝から仕事をし出して午前11時にはもう自分の今日やるべき仕事をすべて終えているのだ。本来ならその後は遊んでもいいのだが、昼間っから遊んでいる訳にも行かないので、更に他の仕事をやりまくっているのだ。しかも午後5時台には基本的に自宅に帰っているので、残業など殆どしないのだ。

 労働することも確かに大事だが、「仕事の仕方」を確立することも大事なのである。俺はこの仕事の仕方を確立するために、その手の本を大量に読んだし、試行錯誤しながら今の仕事の仕方にやっと辿りついたのだ。しかもそれで完璧とは思っておらず、仕事関連の様々の本を読んで改善すべき所は改善し続けているのだ。

 児童文学というのは子供向けに書かれた本だなと思ってはならない。児童文学は実は大人向けに書かれているのである。というのは親がその本を認めてくれない限り、子供にその本を買い与えることはないからだ。だから仕事の仕方が確立できる大人は『モモ』を読んでも自分の子供には読ませようとはしないし、逆に仕事の仕方が確立できていない大人は自分の子供にも読ませようと思うようになるのだ。これこそが『モモ』が爆発的ヒットにならず、一部の熱狂的なファンがいる状態になっている理由なのであろう。

 因みに日本の児童文学の作家たちが駄目なのは、児童文学だからといって本当に子供向けに書いてしまっているからなのである。灰谷健次郎などはその筆頭であり、あれだけ出来の悪い人物が未だに児童文学のドンになっているのだから、日本の児童文学は非常にお粗末であるといっても過言ではないのだ。

 子供は馬鹿じゃないのだ。子供は純真であろうと思って子供向けの本を作れば、子供騙しの本しか作れなくなってしまうのだ。そういう本は子供たちだって面白くないし、読みたいという意欲すら湧いて来ないものだ。育児や子育てをしていれば、子供たちは子供たちなりに考え、いい事もすれば悪い事もするのだ。子供が純真などと思うのは、如何に子供たちと真剣に向き合っていなかったという証拠にすぎないのだ。

 こういう状況下では『モモ』というのは、逆説的に児童文学とは何かを教えてくれる貴重な本であるのだ。

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コメント

昔、エンデのモモを読んだときは、時間は大切にとか急がないでゆっくりとしないといけないんだと思いました。貨幣のことなんてぜんぜん考えませんでしたね。子どもではそこまで無理です。大人でさえもエンデのメッセージを正確にとらえられないでしょう。さすがタマティーさまです。
エンデは貨幣のことを(今の銀行のあり方)を痛烈に批判していて、利子のつかない、ましてやだんだん減価していく「腐る金」を提唱しています。
「金融のしくみは全部ロスチャイルドがつくった。」五次元文庫を読んでみていただけないでしょうか。これをタマティーさまがどのように解釈するのか、とても興味深いです。

投稿: ゆきねこ | 2011年6月26日 (日) 10時43分

 ゆきねこさんが読んでも、やはりそういう解釈しかできないですよね。
 あの本を絶賛する人たちの読解力を疑いますよ。
 エンデが本当に言いたいことを、あの本を読むだけでは理解できないですからね。
 本は著者が書き終えたら1人歩きしてしまうから、著者は自分が言いたいことを論旨明解に書かないといけませんよ。

 ゆきねこさん、その本はもう読んでしまいました。
 というか、その本は専業主婦が読む本ではないでしょう?(笑)
 もっと専業主婦らしい本を読みなさい。

 まあ、日本銀行が紙幣を発行するというのがそもそもおかしい訳ですよ。
 政府が独占して紙幣を発行して、その造幣局ならぬ「日本紙幣発行委員会」の委員長を国民の選挙で選ぶようにすればいいんです。
 国民の誰もが紙幣を使っているのだから、その紙幣を発行している機関の長が国民の選挙なくして決まって仕舞うというのは、非常に問題がありますよ。

 ただ、将来的には紙幣というものは消えるんじゃないかな?
 お金って要は人間の能力や信用を数値化したものだから、それを巧く表示できるシステムを作れば、紙幣なんか消滅してしまうことでしょう。
 紙幣が消滅してしまうと、世界中の銀行は全て倒産してしまうので、そう簡単には認められないでしょう。
 時間貯蓄銀行の消滅どころの騒ぎではないですよ。
 でも、紙幣が消滅する時は一瞬にして消滅してしまうことでしょう。

投稿: タマティー | 2011年6月26日 (日) 17時25分

金融の仕組みはすべてロスチャイルドが作ったって、専業主婦が読む本じゃないよね?
ですか(笑)
コメントありがとうございました。実は私もお金というものはなくなってしまうのではないかと思っていたんです。
婦人の友社を設立した羽仁もと子の主婦用の本もちゃんと読んでいますよ~。
今日は高幡不動のアジサイと護摩修行に行ってきました。お不動さまは黒い肌で牙が出ていて目がぎろっと睨んでる恐ろしいお姿ですが、私は好きです。
自宅近くに近藤勇の生家があって、道場のある日野までいつも歩いて通ったのかと思うと昔の人はすごかったと思いました。

投稿: ゆきねこ | 2011年6月26日 (日) 21時56分

本の解釈というのは各読者にゆだねられることであると思います。筆者さまの意見を否定する訳ではありませんが、ミヒャエルの本当に言いたかった事をうけとることができなくても楽しむことが出来ればそれでよいと思います。私の小学校では劇でモモをやったくらいですから子供が読むに値する本であると存じます。

投稿: まりあ | 2015年7月 1日 (水) 19時51分

まりあさんのような心優しい女性がいると、実にやりづらい。crying

児童文学の中には、子供の読解力では理解できない物があるだけでなく、大人であっても普通の読解力程度では理解できない物があります。
だから児童文学は子供が勝手に読んでいい物ではなく、大人がチェックしないといけないんです。

因みに、俺は『モモ』を読むなとは言っていません。
『モモ」のような本は子供には勧めるべきではないし、もしも子供が『モモ』を読んでしまったら、
「あの本は、実はこれこれこういう本だよ」
と親が説明できるくらいの読解力は持っておけと言っているんです。

本を読んで楽しむ事は確かに大事な事です。
だからと言って楽しければ全てが許される訳じゃない。
男の子にポルノ小説を読ませれば大いに楽しんでくれるだろうが、子供がポルノ小説を読めば有害に成るのは当然の事で、子供だからこそ読んでは成らない本と、推奨できない本があるべきなんです。


happy01

投稿: タマティー | 2015年7月 2日 (木) 06時19分

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