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2011年7月

不妊治療とお金

●国民健康保険制度の最大の問題点

 俺が癌治療の研究にせっせと従事していた時、日本の医学が発展しないのは国民健康保険制度があるからだということに気付いてしまった。今でこそ癌は不治の病ということになっているが、最先端の医学研究の場ではもう癌を治せることは射程圏内に入ったといっていいのだ。癌は癌遺伝子が癌を発症させて来る以上、その癌遺伝子を薬でロックさせるか、食生活を改善させることで癌遺伝子が作動させないようにすればいいからだ。

 癌を克服する治療技術は恐らくアメリカ合衆国か日本でしか生まれないだろうということは予測できた。

 というのは当時のアメリカ合衆国には国民健康保険制度がなかったので、日進月歩で医学が進んでいたからだ。日本には国民健康保険制度があるが、保険適用外の治療が認められているので、その分野でのみ医学が発達していたのだ。日本の知識人たちが憧れの国として取り上げるスウェーデンなどは確かに国民健康保険制度が整備されているが、そのために医学が全然進歩していなかったのだ。

 これは俺が不妊治療の研究に転じた時も全く同じ現象が起こっていた。俺が不妊治療の研究を遣り始めた頃には不妊治療は保険適用外であったために、不妊症の患者たちは非常に高額な治療費を請求されていたのだ。それで一体どういうことが起こっていたのかというと、日本の不妊治療の技術は大いに発展を遂げ、世界最先端を行っていたのである。

 例えば人工授精自体はイギリスが発祥の地であるのだが、顕微授精は日本生まれの技術なのだ。人工授精自体は大した技術ではないのだが、顕微授精になると高度な技術になり、しかも精子が一個さえあれば妊娠可能になるので、この技術は医学史上画期的であり、精子の量がどうのこうのは最早問題ではなくなったのである。

 ところが民主党政権が誕生してしまい、不妊治療に国民保険が適用されるようになってしまった。それは不妊症の夫婦の経済負担を軽減させることにはなっても、不妊治療はもうこれ以上発展しなくなると思う。なぜなら国民健康保険制度があるために、患者本人が病気しているのに、治療に対して真剣にならないし、医者たちも出鱈目な治療を施して、点数を稼ごうということになってしまうからだ。

●不妊症を克服した女性たちの90%以上は漢方薬を服用

 俺が『不妊症バトルロワイヤル』で記事を書き続けたのは、不妊症の女性たちが真剣になって不妊治療を受けていたからなのである。だから恐らく通常では得ることができない情報を教えたり、不妊治療に深刻にならないように冗談を言って笑わしたり、その激しい言動が日本ブログ村で言論弾圧を受けても遣り続けたのである。

 不妊症の女性たちが不妊治療に対して真剣になっていた証拠に、彼女たちは病院で不妊治療を受けるのではなく、漢方医の所にも行って漢方薬を服用していたのである。不妊症を克服した女性たちのなんと90%がそれをやっていたのだから、俺はこの数値を見た時、女性のしたたかさを見たような気がした。「これでこそ女だ!」と思わず感嘆してしまったのだ。

 不妊症の女性たちの殆どは、病院の不妊治療と漢方医の漢方薬を併用したからこそ、不妊症を克服することができたのである。当然に値段は倍かかることになり、そのお金は不妊症の女性たちの財布から出たことになる。確かにそれで家計は苦しくなるかもしれないが、彼女たちが本当に赤ちゃんを欲しいのなら、その金額を出し惜しみする訳がないのである。

 もしも将来、不妊治療の全てに国民健康保険が適用され、不妊治療の費用が極限まで下がってしまえば、病院での治療と漢方医による治療を組み合わせようという女性たちは少なくなって行く筈だ。国民健康保険が適用されていない頃は、病院での治療費が半端なく高かったのであり、更に漢方医にまで行ったのである。それだけ不妊症の女性たちは真剣であったのである。そうやって真剣になってやったからこそ、不妊症を克服できたともいえるのである。

 国民健康保険制度が導入されて以来、日本人が健康になったというデータは一切存在しない。それどころ日本の病気率が急激に上昇して行き、本当に健康であるという人間など珍しい存在になってしまったのである。なんでこんなことが起こるのか? 理由は簡単で、国民健康保険制度があるために安い費用で病院に行けるために、患者たちの誰もが真剣になって治療を受けるという態度が消滅してしまったからなのである。もしも自分が病気で、その病気を真剣に治したいと思うなら、高額の治療費を出して来る筈なのである。それをしないというのであるならば、病気を治すことなどできないのである。

●厄払いとしての機能

 自分が病気になって高額の治療費を支払うことは、或る意味、厄払いの機能を果たしているのである。

 人間というのは成長して行けば、成長した分、その成長の歪みを溜め込んでしまうものだ。その成長の歪みをいつかどこかで吐き出して行かなければならないのだ。癌患者なら癌が成長の歪みになっているのだから、自分が高額の治療費を支払うことで成長の歪みを取り去って行くのだ。不妊症の女性なら不妊症が成長の歪みとして出て来ている以上、自分が高額の治療費を支払うことで成長の歪みを取って行くしかないのだ。

 高額の治療費を支払うことは、いい意味での厄払いになっていたのである。

 事実、不妊症の女性たちは30代で不妊症を発症して来る。この30代こそ女性にとっては厄年の季節に相当するのだ。女性は数え年で32歳と37歳が厄年になるので、前厄と後厄を入れると、女性の30代では厄年が連発することになるのだ。30代の女性なら成長の歪みを出て来るのは当然であり、厄払いをすることによって、その成長の歪みを取り除いて行くしかないのである。

 女性なら解るだろうが、女性が30代になってしまえば、10代や20代の考えや行動を取ることはできないものだ。女性は30代というこの時期に生き方を変えて行くことになるのである。特に女性はこの時期に結婚やら妊娠出産育児をすることになるので、当然に自分の人生が一変して行くことになるのである。

 不妊症の女性たちが不妊症を克服して赤ちゃんを産んだ時、殆どの女性たちが同じことを言っていたのである。

 それは「夫に感謝します!」という言葉だったのである!

 逆に言えば、不妊症の女性たちは普段夫に感謝していなかったのである。不妊症を発症し、不妊治療を受け、それを克服したことで、初めて自分の心の中から感謝の念が生まれ、それが言葉になって出て来たのである。その変化は大いなる変化と見るべきであり、そうやって自分の生き方を変えて行ったのである。

 俺自身も幼かった頃は、神社などで厄年のことが書かれている看板を見ても、素通りしていた。しかし自分が成長するにつれて、厄年とか厄払いとかいうのは本当に必要であり、人々が必要だったからこそ神社にその役割を求めたのであるというのが解ったのである。「宗教団体は金儲けばかりしている!}とほざく人々は、何も解っていないのである。厄払いをするためには、相当な金額を包んでしまった方がいいのである。お金で厄を処理できるのなら、これほど安いサービスもないのだ。

●人間はいつかどこかで膿を吐き出していかなければならない

 人間は全ての物を得ることはできない。

 人間が手にしていい物はごく僅かなのである。食料品は全世界で大量に生産されるが、自分が食べられる量は本当に限られているのだ。それなのにもしも大食いに走れば、体重が太り出し、確実に病気になってしまうものだ。だから食事をする時は腹八分目を心掛け、たまには断食をした方がいいのである。そうやっていれば死ぬまで美貌と健康を維持で来るようになるのだ。

 ところが人間はお金になるとより多くのお金を掴んでしまうのである。お金というのは多く得ても病気になる訳ではないので、平気で大量に掴んでしまうのである。自分が一生懸命になって働いて高所得にすることは素晴らしいことだし、せっせと貯金して投資して行き、資産を大量に持つことは素晴らしいことだ。

 しかしその代償もあるということも知っておくべきなのである。

 事実、不妊症の女性たちの多くが、所得が普通の女性たちよりも高かったし、資産だって結構持っていたのだ。だからこそ不妊症に罹ったのである。貧乏でその日の食費すら困るような女性が不妊症を発症して来たのではないのだ。衣食住に満たされた女性たちこそが不妊症を発症していたのである。

 だからこそ自分が不妊症を発症して、高額の治療費を支払うことに意味があるのである。そうやって高額の治療費を支払うことで、いい意味で厄払いができたのである。もしも国民健康保険で全ての治療費が賄われたら、その厄払いは先送りになり、いずれ将来、違う場所で災厄が炸裂してくることになるのだ。

 人間にとって災厄は恐ろしいものだ。それなのに生きていれば膿を溜め込んでしまうのだ。だからこそ宗教団体に寄進して成長の歪みを消し去ろうとしたり、慈善活動をすることで災厄が起こらないようにするのである。お金を多く持つからこそ、宗教や慈善というものが大事になって来るのである。

 健康保険というのは、自分が病気になった時、治療費の半額程度持ってくれる程度でいいのである。これなら80対20の法則で95%の効果が出て来るので、治療費を支払えないということなど決して起きないのだ。それを超えてしまえば、自分の厄払いが出来なくなってしまうのだ。治療費が高いから問題ではないのである。治療費が高いからこそ、厄払いが出来るのである。

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なぜ子供たちはアンパンマンが大好きなのか? ~男子中学生ならこの夏、読んでおいて損はない本~

●アンパンマンはA母音が連発する

 アンパンマン。

 日本の子供なら誰もが好きなアニメになっている。これだけ有名なのだから、アンパンマンのアニメだけでなく、アンパンマンの本を見たことがあると思いきや、アンパンマンの本を見たことがない大人たちが圧倒的に多いのである。というのは、アンパンマンのターゲットは2歳から3歳児という非常に狭い客層であり、この年代にアンパンマンの熱狂的なファンるのである。

 童話というのはただ単に子供騙しの本ではないのだ。実は大人向けの本なのである。大人、特に母親が「この本は良い本だ」と判断しない限り、その童話の本を絶対に購入しないからだ。しかも子供の方も子供でありながら出来のいい童話を識別する能力があり、舐めてかかると見捨てられてしまうのだ。

 実を言うと『桃太郎』や『シンデレラ』というのは5歳から6歳がターゲットになっているのだ。この時期は脳の臨界期に当たっているので、この時期に読んだ童話というのは、記憶力のいい子なら大人になっても覚えているのである。ところが子供の脳は4歳で「記憶の消去」が起こるために、それ以前に読んだ童話を思い出すことができないのだ。だからこそ3歳児以下向けの童話は未開拓地であったのだ。『アンパンマン』はその未開拓地を開拓した非常に画期的な本なのである。

 『アンパンマン』の作者である「やなせたかし」が出て来る前に、この分野に挑戦した童話作家はいた筈なのだが、全ての作家が敗退してしまっている。その命運を分けたのは、「題名のネーミングセンス」にあったと言っても過言ではないのである。言葉をまともに喋れない1歳児でも「アンパンマン」だけははっきりと言える。なんでこんなことが起こるのかというと、アンパンマンはA母音が連発する単語だからなのである。

 「パパ」「ママ」など、子供が初めて覚える単語は、全てA母音が連発した単語なのである。子供にとってA母音を含んだ単語が一番言い易いのであって、アンパンマンはなんとA母音が3連発になっているのだ。因みに子供にとってE母音が一番難しく、子供に「エレベーターって言ってみな?」というと、大抵の子供たちが言い間違えてしまうのだ。

 しかもアンパンマンは、最初に「アン」と言い、次に「パン」というので最初の「アン」ガ強調され、その強調した状態で最後に「マン」というので、その響きが口の中に籠るのである。だからこそ子供は「アンパンマン!」ということに快感を覚えてしまうのだ。子供が「アンパンマン!」という度に、子供にとってh1度に3回キスをするような感じなので、乳離れし始めた子供にとってはオッパイ代わりになる非常に出来のいい単語なのである。

●子供向けの童話は絶対に勧善懲悪でなければならない

 童話というものは、5歳児から6歳児、2歳児から3歳児という2つのグループに大きく分かれるのだが、その物語の基本は絶対に「勧善懲悪」でなければならない。この基本を無視すると、子供はその童話に見向きもしなくなる。なんで子供が勧善懲悪が好きなのかといえば、自分が母親から育児をされている中で、いつも母親から「これは正しいこと」「これはやってはならないこと」を教え込まれるので、童話も勧善懲悪じゃないと駄目なのである。

 大人向けの小説なら「善人の苦難」や「悪人の栄え」があっても別に構わない。社会に出ていれば、善人であるかといって必ずしも幸福であるとは限らないからだ。世間で生きて行くためには、正義感だけでは駄目で、悪どい知恵も持たないと、とてもではないが生きて行けないのだ。しかし子供向けの童話なら、善人が絶対に勝たねばならないのだ。なぜなら子供は社会に出て行っていないからだ。

 例えば『桃太郎』はなんで鬼たちが悪いのかイマイチ良く解らない。鬼という設定が既に悪なのであって、だからこそ桃太郎は問答無用で征伐しに行くのである。もっとひどいのは『シンデレラ』の方で、シンデレラの母親や姉たちがシンデレラを苛めるのは、この母親が実の親ではなく、父親の再婚相手なのであって、姉たちもその母親の連れ子だからなのである。母親や姉たちはシンデレラを苛めるのに正当な理由があるからこそやっているのっである。しかし物語の中ではシンデレラが最終的に勝利し、母親や姉たちは勝利できないようにしなければならないのである。

 母親が子供に童話を読み聞かせたり、子供自身に童話を読ませる時は、是非とも童話だからといって馬鹿にしないで、自分でじっくりと読んでみることだ。面白いことに子供が「この童話は面白くない!」と決めつけてしまうような童話は、童話の基本を全く踏まえていないのである。逆に子供が「この童話は面白い!」と言い出す童話は、童話の基本をきちんと踏まえているのである。

 やなせたかしが登場して来るまで2歳児から3歳児向けの童話は空白地帯であったという事実を思い出して欲しい。なんでこんな現象が起こっていたのかというと、日本は第二次世界大戦で敗戦国になり、しかもポツダム宣言にも国際法にも違反する形で昭和憲法が制定されてしまったのだが、この憲法に書かれた戦争放棄を童話作家たちは童話の世界にまで広げて行ったのである。だから誰もまともな童話を書くことができず、空白地帯が出来上がっていたのである。子供は生きていれば喧嘩をするのであって、喧嘩が出て来ないような童話なんて見向きもしないものなのである。

●大人からアンパンマンを見れば

 この『アンパンマン』を大人が見るとどうなるかというと、主人公のアンアンパンよりも、バイキンマンの方が圧倒的に素晴らしいのである。アンパンマンといえば馬鹿の1つの覚えの如く、必殺技の「アンパンチ」でバイキンマンを倒すのだが、倒されるバイキンマンの方は何度倒されても反撃を仕掛けて来るのである。しかも前回よりも優れた武器を使ったり、新たな作戦を取ったりして、性懲りもなくチャレンジしまくるのである。

 でも自分は既に大人なんだから、なぜバイキンマンがアンパンマンに勝てないのかぐらい解る。アンパンマンがこのアニメの主人公だからということではないのだ。バイキンマンがアンパンマンに勝つためには決定的な或る要素が欠けているからこそ、何度やっても勝てないのである。

①誠意がない

 まずバイキンマンには誠意というものが全くない。「百才あって一誠なし」の典型例なのであって、悪行なら幾らでも思いつくのに、善行を何1つ思いつけないのだ。生きているとこういう人物は必ずいるのであって、そういう人物はどうやっても成功しないし、たとえ成功したとしてもその成功を持続させることができず破滅して行くことになるのだ。

②戦略戦術がない

 次に戦略や戦術といったものがないのだ。バイキンマンは機械に頼り過ぎているのだ。というか機械に関しては天才的な発明家であるのだ。しかしその機械を使ってアンパンマンを倒すまでには行かないのだ。なぜなら戦略や戦術がないからなのである。だからこそ何度攻撃しても負けてしまうのである、

 軍事学を使ってアンパンマンを攻撃するとなると、戦闘では圧倒的に強いアンパンマンに直接攻撃を仕掛けることを控え、その代わり、アンパンマンの頭を作るジャムおじさんの工場を空爆し、アンパンマンの頭を作れないようにすべきなのである。これを軍事学では「戦略爆撃」という。

 その後、バイキンマンはアンパンマンとの接近戦を避けながらアンパンマンの頭を破壊できるように遠方から攻撃を仕掛け、アンパンマンのパワーが落ち始めたら接近して行って、アンパンマンの頭を完全に破壊し、ついでにアンパンマンの体をも破壊しなければならないのだ。

③詰めが甘い

 はっきりと言ってしまうとバイキンマンは詰めが甘いのだ。アンパンマンは頭が破壊され死んでしまう生物ではなく、頭が破壊されても体は生き残っているという特殊な生物なのだ。バイキンマンはアンパンマンの頭と体の双方を仕留めないと、この戦いに決着はつかないのだ。「どんなに戦いが優勢に進んでもトドメを刺さない限り、戦いを勝利に終えることができない」という教訓をバイキンマンは負けながらも子供たちに教えているといっても過言ではないのだ。

●作者の自伝

 俺は漫画家が書いた自叙伝は大当たりだと思っている。漫画家はその仕事柄、右脳も左脳も満遍なく使うので、自叙伝を書かせると、実に面白い自叙伝を書いて来るのだ。『アンパンマン』の作者である「やなせたかし」の自叙伝も例外ではないのだ。矢張り面白いのだ。やなせたかし著『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)は一読の甲斐ありの本なのである。この自叙伝は居間の本棚にでも置いておいて、子供がアンパンマンを卒業したら読める環境を作っておくことだ。

人生なんて夢だけど

 この自叙伝を読むと、やなせたかしは講談社文化の中で育ったことが良く解る。講談社は「面白くてためになる」をモットーとしている出版社なので、講談社の本や雑誌はとにかく面白いしためになるのだ。『アンパンマン』も面白いしためになっているのは、子供の頃に講談社文化に親しんだからであろう。

 やなせたかしは54歳で『アンパンマン』の絵本を書き始め、71歳からアンパンマンのアニメ放送がされるという非常に遅咲きの人物なのである。なんでこんな遅咲きになってしまったのかというと、大学で受けた自由主義教育が原因なのである。大学では教授が「勉強ばかりしているな。銀座で遊べ」と教えたもんだから、その通りに遊んでしまったのである。だからこそやなせたかし自身が遅咲きになってしまったのである。あの時期は最も勉強する内容が頭の中に入って来るので、遊びをメインにしてしまうと、その代償は非常に高くつくことになるのだ。

 子供に夢を尋ねると「プロスポーツ選手」や「歌手」や「女優」など全部早咲きのものしか選んで来ない。子供の中で遅咲きの人生に憧れる子はいないものだ。しかし人生というのは早咲きの者たちばかりではなく、遅咲きの人生を歩む者たちも沢山いるのだ。自分が子供の頃に思っていた夢が叶わなかったからといって自暴自棄になる者がいるものだが、それは遅咲きの人物たちをよく見ていないからだといっていい。遅咲きの人生を知るためには、やなせたかしの自叙伝は非常に興味深い1冊であるのだ。

 人間の人生なんてパチンコ玉のようにあっちゃこっちゃ飛んでいくものなのである。自分の人生が自分の思い通りになるのは非常に少なく、それよりも様々な人たちに出会って、自分の人生が思わぬ方向へと発展して行くものなのである。そういう思い通りにならない人生に対して愚痴を言うのではなく、そういう凸凹の人生だからこそ楽しんでしまえばいいのである。そうやって人生を楽しんでいると、いつの間にか成功して行ってしまうのである。

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女子小学生たちの夏休みの必読書 ~荒川静香著『乗り越える力』~

●若い時は必ず自叙伝を読むべし

 若い時は必ず成功者たちの自叙伝を読むべきである。人間がこの世に生きて行くためには、「人生の手本」というものが必要なのであって、成功者を真似てしまうことで自分の人生を成功させてしまえばいいのである。自叙伝を読まず、ゼロから自分の人生を切り開くなどという馬鹿げたことをすべきではないのだ。それは無駄な行為なのであって、そのエネルギーを効果的に使えば人生を簡単に成功させることができるものなのである。

 しかし自叙伝には欠点も存在する。それは自叙伝がその偉人の全生涯の記録になっていることだ。このためにその偉人が若い時に悪戦苦闘していた実態がイマイチ解らなくなってしまうのだ。もしも若者に本当に必要な自叙伝があるとするなら、「偉人の若い時だけの自叙伝」なのである。

 こういう状況下で、やってくれました! 荒川静香姫!!

 若者にとって本当に必要な自叙伝を書き上げてくれたのである。

15歳の寺子屋 乗り越える力

 荒川静香著『15歳の寺子屋 乗り越える力』(講談社)は、様々な自叙伝の中でも非常に出来がいい。幼稚園児の時からフィギュアスケートをやり始め、最終的にはオリンピックで金メダルを取ったので、机上の空論を言って来ないのだ。自分が間違った考えや行動を取れば、確実に負けるというのがスポーツの世界なのである。

 女子小学生の中でフィギュアスケートをやっている子なら、当然の如くにこの本を読むべきであろう。それ以外でも、スポーツをやっている女子小学生ならこの本を読んだ方がいい。スポーツには種目が違っても、アスリートとしての共通なものがあるので、この本を読めばアスリートとして多いに利益をもたらしてくれるのである。

 この自叙伝は金言が鏤められた本であるので、一読して終わりにはしないことだ。何度も何度も読み返すことで、その金言を大いに味わって欲しい。しかもこの本は頁数が少ないので、その内容を暗記してしまうことだ。この本の内容が頭の中に入っていると、その後の人生が好転して行くようになる筈だ。

●切っ掛けは「ひらひら」

①最初が肝心

 何事も最初が肝心である。荒川静香はフィギュアスケートを遣り始めた切っ掛けが非常に良かったからこそ、その後の成功があったのである。幼稚園児だった荒川静香は或る日スケートリンクでひらひらの服を着ている女の子たちを見て、自分もその服を着たいということでフィギュアスケートを遣り始めたのである。

 男の子と女の子とでは脳が違うのである。女の子がスポーツをする場合、そのスポーツで使用される服装がお洒落であるのか否かが非常に重要なことなのである。女の子にとってはお洒落でないスポーツをやろうとしないし、たとえやってもいずれ飽きて行ってしまうことになるのだ。

②負けず嫌いに火をつけろ

 スポーツが上達して行くために大事なことは環境が整うことではないのだ。その子の負けず嫌いに火をつけることなのである。負けず嫌いは必ず驚異的な成長を引き起こすのである。負けて当たり前だと思っているような子が成長して来るなんてことは絶対に有り得ないのだ。試合で負けたのなら、悔しがれ、涙を流せ、怒りまくれ。そうやって感情を爆発させることはスポーツをやるためには必要なのである。

③親の育て方やコーチの教え方の巧さ

 荒川静香の母親である「佐知ママ」は、自分の娘に行き成りフィギュアスケートをやらせたのではないのだ。様々なお稽古事を経験させたのである。その中で荒川静香が最も気に行ったフィギュアスケートだけを選び、そこに集中したのである。これは一見無駄のように見えて、脳には非常にいい影響を与えたのであって、様々なお稽古事を経験させたことで、脳の機能が大いに高まり、その後の成長に繋がったのである。

 荒川静香が小学生の時に受けたコーチは「長久保裕コーチ」といって、生徒たちを殆ど褒めず、叱ってばかりいるようなコーチだった。こういう教え方は非常に悪い教え方なのである。しかし荒川静香は一人っ子で我儘に育って来たので、こうやって自分を叱ってくれる大人が必要だったのである。叱られるからこそ、傲慢にならず、忍耐強くなることができたのである。スポーツの世界では運不運が付き纏うが、コーチとの相性の良さがその後の人生を大いに変えてしまうのである。

●スポーツから離れることの大切さ

 長久保裕コーチとの相性が良かったために、荒川静香はメキメキと頭角を現すようになり、中学1年生の時には全日本ジュニア選手権大会で優勝することになる。中学3年生の時にはシニアの全日本選手権大会でも優勝してしまう。更には高校生の時に長野オリンピックに出場して、13位という惨めな結果ではあったけれども、とにかくオリンピックに出ることができたのである。

 しかし荒川静香は大学進学では大いに失敗してしまうことになる。荒川静香は私立大学の雄「早稲田大学」に進学することになるのだが、この早稲田大学の学生であった時期こそ、荒川静香が低迷しまくった時期なのである。というのは早稲田大学はスポーツ選手のために特別なカリキュラムを用意している訳でもなく、ただ単に普通の講義を施し、レポート提出を迫ったりしていたのである。荒川静香の方はフィギュアスケートの練習のために大いに時間が割かれ、しかも生活苦のためからバイトもしていたので、当然に睡眠時間を削ってしまい、それが大いに成績の低迷として出て来てしまったのである。

 スポーツをやっている女の子が大学に進学する際は、絶対に偏差値の高い大学を選ばないことだ。スポーツに力を入れている大学というのは、大抵が偏差値の低い大学なのである。偏差値が引くからこそ、そのままでは学生が集まらないので、スポーツに力を入れ、最新のスポーツ科学の研究成果を貪欲に導入し、日本一や世界一を取ることで知名度を上げ、学生たちを集めて行くということをしているのである。絶対に大学のブランドや偏差値に騙されてはならないのである。

 荒川静香は大学を間違えてしまったために、大学生の時はオリンピックの出場を逃し、しかもスランプに陥ってしまうのである。そこで荒川静香は何をしたかというと、一旦フィギュアスケートから離れたのである。フィギュアスケートから離れたことで、自分には「アスリートとしての自覚がなかった」ということに気付いたのである。ジュニアを引き摺ったままフィギュアスケートをし続けたためにスランプに陥ってしまったのである。

 自分がやってきたスポーツから離れるからこそ、そのスポーツの面白さが解って来るのである。

 野球選手の自叙伝が面白くない理由はまさにここにこそある。野球のようにステム化されたスポーツだと、そのスポーツを一旦やめるということが起こらない。スランプに陥ってもそのまま野球を遣り続けてしまうものだ。だがそういうことをやっていると、自分の欠点や、野球の本当の面白さに気付けないのである。だから野球選手が書いた自叙伝は詰まらないのである。

 スランプを克服してからの荒川静香は、「諦めたら勿体ない」と思い、真剣になってフィギュアスケートに取り組むようになる。これは一旦フィギャアスケートから離れた者からこそ言える言葉なのであって、逆に言えばこの世には些細なことを諦めてしまう者たちが非常に多いということなのである。この世には競争なんて殆どないことに気付くべきなのである。競争相手の殆どは自滅するような形で去っていくものなのである。

 この変化によって荒川静香の反抗期は終わりを告げ、父親の意見を素直に聞くことができるようになった。実を言うと、世界選手権では父親の勧めによって『トゥーランドット』の曲を使い、そのプログラムでなんと優勝してしまうのである。中学生以降、女の子なら父親に反抗してしまうものだ。その反抗は自分が自立して行くために必要なものであるが、かといっていつまでも反抗していいのではないのだ。親に反抗しつつも、できるだけ早い時に反抗期を終えるべきなのである。父親だからこそ娘のことを誰よりも愛するのであって、父親のアドバイスの中で価値あるものがあるなら素直に聞いた方がいいのである。

 中学生や高校生や大学生が持っている考えは、大抵が間違った考えなのである。それを自分の意見だと思い込むべきではないのだ。間違った考えはどうやっても間違った考えなのである。その間違った考えを自分が成長して行く過程の中で、できる限り早い段階で捨てて行くべきなのである。いつまでも生徒気分や学生気分でいるべきではないのである。大人になるということは、自分の幼稚な考えを全て捨てて行くということなのである。

●スポーツとは自分自身に勝つためにやるのである

 荒川静香は世界選手権を優勝したのを機に、フィギュアスケートを引退しようとしていたのだが、周囲の要請によってオリンピックを目指すことになる。しかし本人はオリンピックに出場する気がなかったので、次の世界選手権では大敗を喫してしまった。この大敗のために「こんなことでやめることはできない!」と思うようになり、本気になってオリンピックを目指すことになるのである。

①限界までやりもせず、できないというな

 荒川静香がオリンピックで優勝するためにやったことは、コーチをニコライ・モロゾフに変えたことなのである。このコーチの下で、自分の限界を打ち破っていったのである。大抵の人たちは自分で自分の限界を定めているだけなのである。限界までやりもせずに、できないといってはならないのである。とにかくやってみる。何度失敗してもいいから、成功するまでやってみるべきなのである。

 自分の限界を突破するような練習は苦しいに決まっている。しかし練習で死ぬほど練習して限界を突破するからこそ、試合に於いて楽しめるプレイができるようになるのである。結局、試合の駆け引きがどうのこうなのではなく、試合本番を楽しめるまでに努力した人が最も強いのである。

②サバイバルを楽しむ

 オリンピックの選手村は非常に不便な場所であるので、多くのスポーツ選手たちがこの不便さのためにリズムを狂わしてしまい、それが敗退に繋がってしまうのである。そこで荒川静香は考え方を変えて、サバイバルを楽しむようにしたのである。だからこそストレスフリーの状態になり、リラックスして試合に臨むことができたのである。

 スポーツをしていれば解ることだが、全ての準備が整わないとやろうとしない選手たちがいるものだ。大概、この手の選手たちは大成しないのだ。スポーツをするのに、自分が満足する状況になることは絶対にないのだ。誰がどうやっても不十分な状態にしかならないので、その不十分な状態でも戦い、勝利して行かなければならないのである。

③結果を思い過ぎてはならない

 頂上決戦になると、結果を意識し過ぎるとなぜだか負けてしまうことになる。試合の際に自分がすべきことを集中できなくなってしまうので、それでミスを犯してしまい、自滅して行くのだ。確かにオリンピックに出場するまでは、夢を持って取り組んできた筈だ。しかしいざ試合になったら結果を考えてはならないのだ。試合に全力を投入すべきなのである。、

 スポーツというのは、相手と競争し、切磋琢磨するということをするものだ。しかしスポーツの本当の醍醐味は「自分自身に勝つ」ということなのである。自分自身が一番の的なのであって、その自分というものを如何に自己制御できるかを競っているにすぎないのである。最も自己統御ができた者が勝利の栄冠を手にすることができるようになるのである。

 荒川静香はこれら3つのことができたからこそ、オリンピックで金メダルを取ることができたのである!

 若い時に本当に身につけなければならない能力は、実は「乗り越える力」なのである。乗り越える力は誰しも初めから持っているのではなく、1つ「1つの物事に向き合い、立ちはだかった壁を乗り越えて行くからこそ、身につくものなのである。それの力を身につけば、試合で優勝するだけでなく、日本一となり、世界一となり、そしてどこでも通用する人物になることができるのである。

 この世には「普通」というものは絶対に存在しないのである。中学生や高校生になれば、友達と群れることで普通になろうとする。しかしそんなことをしていれば、自分のその後の人生が悲惨なものになっていくのである。どんなスポーツでもいいから、自分が得意なスポーツに真剣になって取り組んで、一刻も早く抜きん出た人物になるべきなのである。自分がトップに躍り出た時、新世界が見えて来るものなのである。

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熟女と青少年の結婚禁制交際

●女性は早婚ができても、男性は早婚ができない

 前回、女性の早婚について論じたのだが、では男性の早婚はどうなのかということになる。結論からいってしまうと、「男性の早婚は駄目!」なのである。確かに男性も女性と同様に肉体的には19歳でピークを迎える。しかし男性はまだまだ小僧で、男性は30歳になってやっと自立して来るものなのである。19歳で結婚してしまえば、自分の奥さんを幸せにする力を何も持っていないから、貧乏生活の中で自分の妻を苦しめることになるのである。

 俺は「男子たる者、高校を卒業するまで童貞でいるべし」と思っている。10代は性欲が盛んだから早くに童貞を喪失したいという気持ちは解らないでもない。しかしあの10代は非常に重要な時期なのであり、あの時期でしか考えられないこと、あの時期でしかできないことは沢山あるのだ。それなのに安易に童貞を喪失して、大人になったような錯覚に陥ってしまえば、あの「青春の飛躍」が何も起こらなくなってしまうのだ。

 嘗て伊集院光が「童貞喪失の遅かった男性は想像力が豊かである」と発言して物議を醸したことがあるが、事実その通りなのである。童貞喪失が早かった男性は男性ホルモンが充分に脳を刺激しなかったために、常人以上の想像力を持つことができなかったのである。童貞喪失が遅ければそれだけ男性ホルモンが脳を刺激してくれるので、脳が異様に活性化して、有り得ないほどの想像力を持つことになるのである。

 とはいいつつも、激しい性欲のために頭のおかしくなる連中が出て来ることも確かなのである。冷静に見れば、少年犯罪の8割以上は男性たちが引き起こして来るのであって、性欲の嵐のために頭がおかしくなっている青少年たちをそのまま放置しておくのは危険なのである。

 そこで盛りのついた青少年たちに熟女を宛がうのである。少女なら結婚を前提に交際していいが、少年たちは結婚することを禁止した上で交際させなければならない。男性の方には経済力なんてものは何もないのだから、結婚云々言う資格は全くないのである。結婚禁制交際にしてしまえば、双方、結婚が禁止されているだから、逆に燃え上がって来るものなのである。

●熟女と青少年の欲望は一致する

 なんで青少年に宛がうのが熟女なのか?

 女性の場合、女性ホルモンの分泌量が低下し始める40代後半には、「更年期障害」を引き起こして来ることになるのだ。結婚している女性なら、夫婦の性生活があるので更年期障害は起こりにくいのだが、夫婦の性生活がない「未亡人」や「「離婚経験者」や「行かず後家」などは更年期障害が直撃して来ることになるのだ。

 更年期障害を治すためには大豆製品を多めに取って、大豆イソフラボンを女性ホルモン代わりに使って治していく方法と、男性とセックスをしまくって、男性ホルモンを体内に取り込むことで治して行く方法とがある。結婚していないと、ちゃんとしたセックスができなくなるので、それで更年期障害に襲われてしまうことになるのだ。

 一方、青少年の方がこの時期、「性欲過剰」の状態にある。24時間勃起し続けているし、射精しても再び射精できるので、どうにかしてその性欲の捌け口を探さねばならないのだ。勿論、青少年なのだがら、この時期はスポーツをしまくって体を鍛えるべきなのである。それでも性欲がムラムラと来るなら、熟女とセックスをしまくってしまえばいいのである。

 それゆえこの時期の熟女と青少年の欲望は一致するのである。この両者、放置しておくと危険ということでも一緒なのである。結婚にありつけない熟女なら、更年期障害に襲われればまさに「鬼婆」化してくることであろう。青少年なら性欲の捌け口を求めて犯罪に走ってしまうのである。

 この結婚禁制交際は当然にセックスすることに重点を置く。熟女の方はセックスの遣り方を知っているのだから、それをセックスには無知の青少年に教え込んで行けばいいのだ。青少年がセックスに関して無知のまま、若い女性と付き合っても、まともなセックスができないのは解りきったことだ。だからこそ熟女に教えて貰うのである。

 かといってセックスだけの付き会いにさせるのではなく、デートの仕方とか、男女の会話の仕方とか、食事のマナーなどを教えて貰い、青少年を男として一流の男性に仕立て上げることをしていくべきなのである。こういうことも年上の誰かに教えて貰わない限り、絶対に身につけることはできないものなのである。だからこそ教えて貰う必要性があるのだ。

●弊害は「恐怖の熟女マニア症候群」

 しかし、この熟女と青少年の結婚禁制交際には深刻な弊害も出て来る。

①熟女マニア症候群

 その筆頭が熟女マニア症候群だ。熟女マニア症候群というのは、熟女とセックスをやりすぎたために、相手が熟女ないと勃起しなくなるのである。これは男性にとっては本当に深刻な病気で、熟女とセックスしすぎたために脳の回路が熟女にしか反応しなくなってしまったのである。

 こうなると青少年が若い女性と交際しても、まともな交際になることがなくなってしまうのだ。まず幾らデートしても、セックスには誘わないし、セックスしても男性のペニスがインポになってしまうので、セックスが成立しなくなってしまうのだ。何事も遣り過ぎっては危険なのである。

②結婚は絶対にするな!

 結婚禁制交際である以上、幾らこの交際に盛り上がっても、結婚は禁止されることになる。しかし交際が盛り上がり過ぎてしまと、双方が「結婚したい!」と言い出して来るのだ。たとえ結婚したとしても、相手が熟女ゆえに、もう子宝に恵まれる可能性が非常に少ないので、子供を持つことができなくなってしまうのだ。

 しかも熟女と結婚したいと言い出す青少年はマザコンの気があるので、この青少年が自立した時に、熟女への情熱が完全に冷めてしまい、離婚に至ってしまうのだ。嘗て小柳ルミ子が大澄賢也と結婚したが、相手の男性が自立して行った時に、呆気なく離婚してしまったのだ。

③別れる時には奇麗さっぱりと別れることができるか?

 結婚禁制交際というのは結婚が禁止されているからこそ逆に盛り上がるものなのだが、というjことはその交際には必ず終わりがあるということだ。男性が自立して行き、若い女性を見つけて恋に落ちた時、男性は熟女との交際を破棄して若い女性の恋愛を続行させ、結婚へと至って行くのである。

 問題は別れる時に奇麗さっぱりと別れることができるのかということなのである。性欲を巧く発散していないと、別れる際に未練タラタラになってしまい、ズルズルと交際を続けてしまうのである。こういう場合、年上の方は熟女なのだから、もうlこの交際が役目を終えたのなら、勇気を出して終止符を打つべきなのである。涙はその男性と別れた後に流せばいいのである。

●恋愛に関しては真剣であっても、セックスに関しては多少不真面目であれ

 若い内に色んな経験を積んでおくことは良いことなのである。色んなことを経験するからこそ、その良し悪しが自分の経験で以て解るようになるのである。学校で全てのことが教えられるなどと自惚れてはならないのである。自分がこの世で生きて行く上で大事なことは、全て学校の外で教わって行くものなのである。

 若い時に充分な経験を積んだことがない人たちに限って、必ず何かを理想化して来る。例えば「子供は純真である」とか、「青少年は不純異性交遊をしてはならない」とか、有り得ない主張を大真面目になってやってくるのだ。実際に育児や子育てをしてみれば、子供ほど悪い連中はいないものなのである。青少年ならセックスをするのは当たり前だし、セックスをしていなければオナニーをしているものなのである。

 性欲というものは使いようによっては非常に危険なものになるのであって、性欲を余りにも抑え過ぎてしまうと、自分でも有り得ない行動を取ってしまうことになるのだ。普通の真面目青少年なのに、露出狂になったり、痴漢をやったり、強姦をしてみたり、殺人事件を引き起こしてしまったりしてしまうのである。

 自立した男女であるなら放置しておいても別に構わない。しかし自立していない男女を放置してはならないのである。少年少女たちが自立して行くために、大人たちは教えておくべきことをきちんと教えなければならないのである。自由にしていいのは、自立してからのことであって、自立していない男女は大人たちの言うことに従うことで成長して行くべきなのである。

 学問やスポーツに関しては学校で教えられるものだ。しかしセックスのことに関しては学校で教えられないものなのである。大体、セックス自体が秘めたる事だし、学校の教師たちの中で性愛術が達者な人など絶対にいないものだ。こういうことは隠れてやるしかないのである。熟女と青少年が結婚禁制交際するなど、真面目な人たちにとっては破廉恥なことに見えるかもしない。だがこういう不真面目なことを容認しておかないと、そのツケは凶悪犯罪という形で社会全体で支払うことになってしまうのだ。

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お母さんたちの夏休みの課題図書  ~思わず納得!  『オニババ化する女たち』~

●女性の作家が書いた本を読むのは怖いです。

 仕事柄、本を大量に読んでいるのだが、基本的に男性が書いた本を読むようにしているい。女性が書いた本はできる限り除外するようにしている。理由は簡単で、日本はフェミニズムの影響が物凄く強く、女性の著者がフェミニストだったり、フェミニストでなくともフェミヌズムの影響下にあるから、碌でもない本しか書いてこないからなのである。

 読書にはお金もかかるし、労力もかかるし、時間もかかるので、最低でもそれに見合うだけの利益は欲しいのである。できれば自分がその本を読んで「儲けた!」と思えるような本を読みたいのである。しかしイデオロギッシュな本というのは、著者本人が真剣に物事を考えて書いた物ではなく、ただ単にイデオロギーに従って書いて来るために、読めば確実に損をしてしまう本なのである。

 はっきりと言ってしまうと、日本の女性の作家が書いた本を読むのは怖いのである。

 例えば恋愛について書かれてある本をよんでみると、まともな恋愛をしたことが書かれているのではなく、堕落的なセックスをしただけの内容が書いてあり、結婚について書かれてある本を読んでみると、セックスレスやドメスティックバイオレンスや離婚について書かれてあったりするのだ。挙句の果てには「非婚」だの「結婚しません!」などと言い始め、「自分が結婚しないことをわざわざ本に書くな!」と言いたくなるのである。結婚しないなら、勝手にすればいいじゃないか!? それを本にする必要性が一体どこにあるというのか!?

 そんな中で俺は『オニババ化する女たち』という本を見つけてしまった。題名からしてフェミニズム関連の本かと思っていたのだが、実はその逆でフェミズムを批判した内容だった。前書きをちょっこと見てみると、「この著者は普通の大学の出ではないないな」「英語ができる女性だな」とすぐさま解った。

 プロフィールを調べてみると、著者の三砂ちづるは「京都薬科大学卒」で、国際協力事業団で海外で15年間も働いた実績があったのだ。日本だと普通の大学を出てしまうとフェミニズムの影響を受けてしまうし、国内だけ活躍していると知らず知らずの内にフェミニズムの影響を受けてしまうのだ。例えば「男女共同参画社会」がフェミニズム革命を目指したものであるということをすら知らず、文字通りに男女が共同して参画する社会を作ることだと騙されてしまう女性たちが大量に存在しているのだ。

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●出生の秘密

 この本によると、どうして日本の女性たちがフェミニズムに洗脳されたり、フェミニズムに洗脳されたりしてしまうのかというと、それには「出生の秘密」が深く関わっているというのである。こういう女性たちの母親は「楽しいお産」を経験していないのである。病院で悲惨極まりない出産をしてしまったために、育児に喜びを見出すことができなかったのである。

 このためこの手の母親たちは自分の娘に真っ当な女性になるために必要なことを教えるのではなく、そういうことを一切放棄し、「結婚なんかしなくていいから、自由に生きなさない」と教え込み、その通りに育てて上げて行ってしまったのである。だからこそその娘が大人になった時に、女性としてどう生きれば全く解らないし、自立することすらできなくなってしまったのだ。

 こういう異常な育てられ方をした女性がのこのこと大学に進学してくれば、フェミニストの女性学者が「日本の女性が不幸なのは、日本が男社会だから、この間違った社会を変革しなければならない!」と熱心に言われてしまえば、呆気なく洗脳されてしまい、コチコチのフェミニストになってしまうのである。

 フェミニズムに洗脳され、男性にネガティブな感情を持ってしまえば、まともな恋愛なんてできる訳がない。恋愛というものは女性の自立に於いて重要な役割を演じることになるのであるが、その恋愛をまともにできず、ただ単に堕落的なセックスに耽ってしまうからこそ、女性として自立して行くことが不可能になってしまうのである。だからこそ「女性のジ自立!」を年柄年中叫ぶ続けることになるのである。

 まともな恋愛ができない以上、まともな結婚ができる訳がない。結婚したというのに自分の夫を愛することもせず敬うこともしなければ、セックスレスになるのは当然であり、ぶん殴られるのも当然だし、離婚してしまうのも当然なのである。それゆえ「非婚」を唱えて結婚しないというのは、その行為自体は褒められたものではないが、自立できない女性としては賢明な選択なのである。

●女性は子宮を使うからこそ幸せになれる!

 俺がこの本を読んで思わず納得してしまったのは、女性にとって如何に子宮が大切かということをきちんと述べていたことなのである。男の子も女の子も生まれた当初から性差が存在するのであるが、女の子の場合、初潮が始まって生理を仕出すようになると、明らかに男性とは違った成長をして来るようになるのである。自分の娘が初潮を迎えたのなら、赤飯を炊いてきちんと祝ってあげるべきなのである。娘としては「恥ずかしい!」と思うかもしれないけど、そうやって恥を知るからこそ、性に関して破廉恥なことをしなくなるのである。

 10代になれば性欲が出て来るのだから、無闇に禁止したり、逆に欲望のなすがままにセックスをすべきではないのである。自分が本当に好きと思える男性とちゃんとした恋愛をして、セックスで全身を丹念に愛撫してしまい、オルガズムに導いて貰うべきなのである。だからこそ男性たちは10代でセックス情報を盛んに求めるのであって、そういうことを女性たちはしないのである。もしも10代の内にセックスでオルガズムに達していたら、大学で女性学者からフェミニズムを教えられても、それを拒絶できることだろう。自分がちゃんとした恋愛やセックスをすれば、誰が嘘をついているのかくらい簡単に解ってしまうものなのである。

 そして結婚すれば、妊娠し、出産し、育児で授乳するから、結婚していれば常に子宮が使われ続けることになるのである。子宮を盛んに使うからこそ、脳や体が活性化し、女性として幸せな人生を歩めると同時に、女性として高い能力を発揮して行くことができるのである。女性にとって妊娠や出産や育児は想像以上に重要な役割を演じることになるのである。

 俺が女性の作家が書いた本を読んでつくづく思うのは、女性というのは結婚の有無で天と地ほどの差が出て来てしまうということなのである。独身女性が書いた本は内容が希薄なのである。結婚し、子供がいるからこそ、ちゃんとした内容のある本を書くことができるのである。子供も1人じゃ不足で、3人以上必要なのである。3人以上も子供を産み育てということは、その母親は子宮を使い続けたということであり、それによって脳が活性化し、奥深い思考を展開することができるようになったのである。

 アイヌの諺で「子宮を空き屋にしてはならない」というのは、本当に優れた知恵のある言葉だと思う。子宮を空き屋にしてしまえば、女性は性的エネルギーの行き場を失ってしまい、それで心身ともに異常な状態になり、「オニババ」になってしまうのである。女性がきちんと自立し、結婚しなかった代償というのは、非常に高くつくことになるのである。

●早婚の勧め

 この本は問題点を指摘し、その原因を解明するだけではなく、その解決策まで提示していることだ。それは「早婚の勧め」なのである。女性の体は19歳でピークに達するのであって、その時期こそ卵子はピカピカになるのであって、19歳で結婚してしまい、初めての出産を早々にやってしまえばいいのである。

 そして子供を最低でも5人産む。1人3年とすれば15年である。下の子が小学校を卒業する辺りから、その母親は仕事をするようにすればいいのである。肉体労働なら20代で盛んに働けばいいのであるが、頭脳労働に関しては20代や30代で働かず、40歳以降になってから働けばいいのだ。40歳以降になれば知識を大量に持つことができるので、非常に高度な頭脳労働を行うことができるようになるのだ。

 但しこの「早婚の勧め」には問題点が存在する。19歳で結婚するということは、最終学歴が高卒である以上、頭脳労働をこなすだけの学力を持っていないことなのである。そのため「主婦専用の専門学校」や「主婦大学や主婦大学院」というものが必要になってくるのである。主婦である以上、家事や育児をこなさなければならないので、この学校や大学は基本的に通信制で教育し、必要な場合だけ学校や大学に来て貰い、そこで教育を施せばいいのである。

 それと19歳の女性が同い年の男性と結婚すれば、年収が足りないということだ。だから20歳以上年上の男性と結婚させ、充分な収入がある状態で妊娠出産育児をして貰うのである。20歳以上年上なら年収があるだけではなく、性愛術も非常に巧いので、セックスする度にオルガズムに達することができ、性的欲求不満を抱かなくなるのである。しかも男性にとってみれば、自分の奥さんが若いので、他の女性に目移りすることがなくなり、夫婦愛を深めて行くことができるようになるのである。

 「誰かのために生きると、自分の人生は必ず変わる!」

 それはできる限り、早い方がいいのである。女性が30代や40代で結婚するというのは、結婚しないよりは増しであっても、自分が心底愛せる男性を見つけるのが遅すぎたから、自分の人生がなかなか変わらなかったのである。恋愛で盛り上がったのなら、そのままの勢いで結婚に突入してしまえばいいのだ。そうすれば自分の人生が変わるのだから、そこから新たな人生を作り上げて行けばいいのである。自分が結婚せず、うろちょろしていては、自分がどうやっても変わる訳がないのだ。そうこうしている内にいずれ自分が鬼婆になってしまい、もう二度とそこから抜け出せなくなってしまうのである。

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ワーキングプアの原因はパートや内職で働く主婦たちが原因である

●夫の給料と合わせれば、実は豊かな生活を送っている

 社会主義国家ソ連という国家が滅亡したのに、まだまだこの社会主義という妖怪は日本ではしっかりと生きているのだ。

 最近出て来たのが「ワーキンギプア」なる流行語である。マスコミなどはこの用語を科学的に確かめることもなく、じゃんじゃん使いまくる愚行をやりまくっている。冷静に考えれば、これは社会主義用語の「プロレタリアート」の現代バージョンなのだが、戦前のそれが嘘であったように、今回ももた嘘であるのだ。

 デフレ経済になると国民の内部は二極化してしまう。インフレ経済では、「上流階級」「中産階級」「下層階級」の3つに分かれるが、インフレ経済では、その中産階級が潰れ始めるのだ。デフレ経済では企業の潰し合いになってしまうために、高給を貰いながらも、それほど功績を立てない社員たちへ首切りを敢行して行かなければならなくなるのだ。

 その反面、デフレ経済下では物価が異様に下がって来るので、国民の誰もが豊かな暮らしを実現してしまうのだ。戦前も第一次世界大戦が終わってから国民は異様に豊かになっていったし、戦後も冷戦終結後から国民は異様に豊かになっていったのだ。しかしこのデフレ経済の時期こそ、経済の実態を見誤るイデオロギーが出始めるのであって、それが社会主義なのである。

 既婚女性なら絶対にこの社会主義に騙されてはならない。例えば家計が苦しく、妻が働きに出なければならない家庭だと、生活が苦しい余りに、この手のワーキングプアなる言葉にまんまと騙されてしまうのだ。妻がパートや内職をして、どんなにその給料が安くても、夫の給料と合算すれば、相当な金額になるのであって、実は家族が生きていけるだけの生活はできているのである。

 既婚女性たちがなぜ余り高給を得られる仕事をしたくないのかというと、もしも妻が高給を得てしまったら、夫婦の所得を合算するととんでもない金額になってしまい、累進課税式所得税だと思いっきり高額の税金がかかってくるからなのである。重税がかかるからこそ、薄給でも別に構わないのである。既婚女性の所得が低いのは、間違った税制による歪な結果にすぎないのである。

●統計のトリックに騙されるな

 国民の勤労所得の統計を出す時、政府は全ての勤労所得者を一律の統計に出すという馬鹿げたことをやっている。そうなれば国民所得が異様に低くなるのは当たり前なのだ。意図的に安い給料で働く連中がいるということを解っていないからこそ、無意味な統計を取ってしまうのである。

 女性なら結婚後に大きく人生が分かれることになる。だったら、独身女性たちだけの統計を出すべきであり、既婚女性たちだけの統計を出すべきなのである。こういう統計を取っていれば、M字曲線なんか問題にならない筈だ。独身女性たちの間にはM字曲線なんてないし、既婚女性たちの間にだけM字曲線が存在し、しかもその曲線は既婚女性たちにとって必要な曲線であるというがはっきりと解る筈だ。

 それにパートや内職には正規社員とは別個の統計を出すべきなのである。というのは正規社員で働く既婚女性たちはそもそもその会社の仕事に巧く適応し、その会社が必要だからこそ正規社員として雇っているということがある。そのため当然に給料は高くなるのだ。その一方、パートは単純労働だからそもそも給料は低いし、内職は既婚女性の側が薄給でもいいから、自分のやりたい時間に仕事をしたいということを優先した結果なのだ。

 女性たちはその人生の歩みで、所得を大いに変えてしまうのであって、それらを一緒くたにして、平均化することこそが間違っているのだ。平均化してしまえば、女性たちの所得金額は異様に低くなるし、ワーキングプアがいるのではないかと思ってしまう。でも生きていれば解るだろうが、ワーキングプアなんていないのだ。女性が結婚してしまえば、どうにか食っていけるだけの所得は得られるものなのである。

 戦前でも小林多喜二が『蟹工船』を書いて、国民をまんまと騙している。蟹工船というのは今も昔も重労働の仕事なのである。しかし蟹は高値で売れる商品なので、重労働であっても高給が貰えるのであって、だからこそ働き手が幾らでもいたのである。現実を知らずに『蟹工船』を読めば、労働者たちは過酷に扱われて、搾取されていると思ってしまうものだが、現実は全く違うのである。スーパーに行ってなんで蟹がこんなに高値なのかと解っていれば、当然に蟹漁をしている人たちにも高給が支払われているということが解る筈なのだ。

●嘘に騙されるような現実が存在している

 ワークングプアが恐ろしいのは、この嘘に騙されるような現実が存在しているということなのである。

①派遣労働者

 まずは派遣労働者の存在である。派遣労働者は労働者の中でも最低レベルの労働しかできない。労働者としてなんの能力もなく、だからこそ薄給になって当たり前なのである。ビジネスというのは日々自分の能力を上げて行かなければならないし、5年に1度は大掛かりな研修を受けて能力の総点検を行わなければならないものなのだ。派遣労働者はこれをしていないのだから、給料が低く置かれて当然なのである。

 企業も景気がいい時には派遣労働者に対して高給を支払って雇うものであるが、景気が悪くなれば途端に首切りを勧告して来るのである。派遣労働者というのは本来そういうものなのである。それなのに高給を貰っている時期に調子こいてしまい、結婚して、子供を作り、不景気になって解雇され、「家族を養って行けない!」と騒ぎ立てるのである。

 それは人生設計そのものが間違っているのである。

②浮浪者

 もう1つは浮浪者の存在である。インフレ経済の浮浪者とデフレ経済の浮浪者とでは、浮浪者の内実がまるで違っているのである。デフレ経済の浮浪者たちは自ら進んで浮浪者になっているのである。デフレ経済では大した変化が存在する訳ではないので、それにドロップアウトしてきてしまう人間たちが必ず出て来てしまうのである。

 現在の浮浪者たちは貧乏人ではないのである。浮浪者なのになぜだか携帯電話を持っているのである。ブルーシートの家の中に行けば衛星放送を受信してテレビを見ているのである。嘗ての浮浪者たちとは想像もつかない光景が広がっているのである。浮浪者たちには身なりはみすぼらしくても、最早、浮浪者自体がれっきとした職業になっているのだ。

③生活保護

 第三が生活保護世帯の増加である。生活保護というのはインフレ経済であるなら、物価の高騰について行けなくなる人たちが出て来るので、生活保護はそれなりに意味があるが、デフレ経済では物価が下がっている以上、生活保護は意味がないのだ。事実、真面目に働いている人たちの給料より、生活保護の支給金額の方が高くなってしまっているのだ。

 生活保護なる制度はデフレ経済に突入したら廃止すべき制度なのである。その浮いた資金を減税に回せば、それだけ国民の手にお金が行き渡るようになるのだ。政府がデフレ経済になっても、大きな政府を維持し続けるからこそ、国民には手持ちに資金が少なくなり、貧しくなってしまうのである。

●マスコミがワークングプアを取り上げるからといって、本当に最低賃金で働くな

 俺は自分の経験から、「適正賃金」というものはないが、「最低賃金」というものはあると思っている。適正賃金など、自分と雇用者の利害関係でどうやっても決めることはできない。しかし最低賃金は飽くくまでも自分の事情であって、最低賃金では生活するだけで精一杯になってしまうか、生活自体が成り立たなくなってしまうからすぐに解るようになるのだ。

 自分が最低賃金しか貰っていないなら、収入が或る程度の高さになるまで死に物狂いで働くべきなのである。給料に文句を言っているのに、定時になれば退社してしまったり、土日出勤を嫌っているようであるなら、その悲惨な境遇から脱出できないのは当たり前のことなのだ。

 増してや結婚して子供がいるなら、最低賃金で家族を養おうというような考えは絶対にやめるべきなのである。自分1人でも生活が苦しいのに、そこに妻と子供が加われば、家計が破綻するのは時間の問題なのである。マスコミが幾らワーキングプアを取り上げるからといって、自分もそれに便乗してはならないのだ。

 給料が異様に低い人たちは自分の視点でしか物事を見ないからこそ、いつまでも低く置かれてしまうのだ。お客様に奉仕し貢献するという考えが完全に欠如しているのだ。自分がビジネスを通じてお客様を幸せにするという視点に立てば、アイデアなんて幾らでも湧いて来るものだ。そしてそのアイデアを実践して、お客様を喜ばせれば、給料は急上昇して行くものなのである。

 デフレ経済になったら、テレビや新聞は余り見ない方にした方がいい。というのは、マスコミはこの経済の変化についていけず、「明らかな嘘」を言い始めるからだ。それよりも自分がせっせと働き、着実に収入を増やして行った方がいいのだ。デフレ経済では物価が異様に安くなっている以上、所得金額の増加が僅かな物であっても、その効果は非常に大きな物になるのである。

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女子サッカーのプロ化を成功させるためには一体何をすればいいのか?

●勝利の内幕

 今年の夏に女子サッカーW杯があるなんて全然知らなかったのに、W杯が開催される直前に、とあるスポーツ科学者から「なでしこジャパン」を指導した経緯を教えて貰う機会があったのだ。そのスポーツ科学者は多少問題のある人で、時には優れた学説を唱えるのだが、それと同時に余りにも非科学的な学説を唱えたりすることもあり、それに学者なのにお金にはがめつくて、俺としては素直に評価できない人物なのだ。

 ところがW杯が開催されるとなでしこジャパンはあれよあれよと決勝トーナメントに勝ち上がり、開催国のドイツとの対戦では見事な勝利を収め、準決勝戦の対スウェーデン戦にも簡単に勝利し、そして決勝戦の対アメリカ戦ではPK戦にまで縺れ込んだが、最終的には勝利してしまったのだ。あのスポーツ科学者は、「もしかしたらなでしこジャパンはいい所まで行くかもしれないよ」というメッセージを込めて、俺に自慢話をしていた訳だ。

 そこで俺はどうしてなでしこジャパンが優勝することができたのか調べてみることにした。何か裏で様々な行動をしたからこそ、優勝できたと直感したからだ。一般庶民レベルはこの勝利は「奇蹟」とか「偶然」とかしか思えないのだが、日本サッカー協会の関係者たちからすると、どうもそうではないらしいのだ。

 今回の最大の勝因は、なんと男子サッカーで儲けた資金を女子サッカーに投入したということにあったのだ。日本の女子サッカーはアマチュアの域を過ぎない。そのため資金は圧倒的に不足しているのだ。そこで日本の男子サッカーで儲けた資金を女子サッカーに投入し、女子サッカー選手たちの育成を図り、それで日本の女子サッカー選手たちが急激にレベルアップすることができたのである。

 特に大きかったのが、海外に行ってプロサッカーチームで働く女子サッカー選手に対して、1日1万円の日当を出したことなのである。この日当が貰えれば、単純計算で年間365万円になり、生活費は充分に賄えるし、サッカー関連の経費もこれで支払うことができるようになったのだ。

 この勝利の内幕を知らないと、安藤優子のように「日本の女性たちは凄いでしょ。日本の男性たちは駄目なのに!」ということを言ってしまうようになるのだ。今回の優勝を性差闘争に持ち込むなって! Jリーグが成功し、プロになった男子サッカー選手たちが稼いでくれたからこそ、女子サッカー選手たちに回せる資金を確保することができただけのことなのである。

●女子プロスポーツの魅力

 今後、日本の女子サッカー選手たちが抱える最大の課題は、「女子サッカーのプロリーグを如何にして成功させるか?」ということであろう。今回の優勝で観客動員数を最大化することができるので、試合会場に来てくれた観客たちを楽しませて、熱心なファンとして定着させない限り、この成功は非常に難しいのだ。

 女子プロスポーツの魅力は「新陳代謝の速さ」にあるといっていい。

 サッカーのように激しいスポーツなら、どんなに優秀な選手であっても、30歳前後が引退の潮時である。男性の選手たちのように40歳を過ぎてもやれるというものではないのだ。選手生命が短いという前提を踏まえないと、Jリーグの物真似をしてしまい、女子サッカーの魅力を引き出すことができなくなってしまうのだ。

 選手生命が短いことは、選手本人としては活躍する期間が短いことを意味するのだが、ファンから見ると、より多くの女子サッカー選手たちが活躍できる余地が無数にあるということなのだ。熱心なファンなら、将来有望な若手選手に目をつけ、人気がまだ出ていない時から知り合いになって、その選手を応援して行くということを仕出かすのだ。人気が出ていないから、写真撮影にも気軽に応じてくれたり、サインだって簡単にくれたりするのだ。そういう選手ほど成長して来るものなのであって、ファンとしてはそうやって成長して行く姿を見るのが楽しいのである。

 しかしそのことが解っていないと、人気のある選手が長期間に亘って活躍してしまい、結果的にその女子スポーツそのものを衰退させてしまうことになるのだ。俺は今までの人生の中で女子バレーボールや女子プロレスが衰退している姿を見ている。女子バレーでは大林素子が、女子プロレスでは長与千種が、それぞれ長期政権を張ってしまい、それでそのスポーツ自体が衰退してしまったのだ。

 一方、女子フィギュアスケートに関しては、新陳代謝の速さを巧く使って、より多くの女子選手たちが出て来られるようにしている。フィギュアスケートの場合、大体、20代後半で引退してしまうものだし、オリンピックで金メダルを取れば即引退という暗黙のルールまで存在しているのだ。だからこそ女子フィギュアスケートはより多くの女子選手たちを輩出することで人気を博しているのである。

●女子スポーツ選手は試合で金メダルを取り、結婚でも金メダルを取らな ければならない

 女子のスポーツ選手たちは、男性のスポーツ選手たちのように、そのスポーツを生涯の仕事としなくていい所に、その自由さがあるのである。男性のスポーツ選手ならそのスポーツでお金を稼ぎ、それで妻子を養わねばならないという切実な事情が存在するのだ。しかし女子のスポーツ選手にはそんな要請はないのであって、せいぜい結婚するまでの間、楽しくそのプロスポーツで活躍すればいいと思えるのだ。

 結婚して引退するからこそ、逆にそのスポーツ人生を完全燃焼することができるのである。

 今回のW杯でも優勝と同時に婚約を発表した選手がいたものだが、あれは女性特有の行動であるといっていいだろう。結婚して引退という制約があるからこそ、どんなにきつい練習でも耐えることができ、どんなに白熱した試合でも決して諦めることがないのだ。活躍した選手が結婚引退してくれれば、後輩たちはその穴を埋めるべく抜擢されていくことができるのであって、そうやって選手の新陳代謝が進んで行くのである。、

 女子スポーツ選手は試合で金メダルを取り、結婚でも金メダルを取らな ければならない。男子スポーツ選手のように試合は試合、結婚は結婚と割り切るべきではないのである。もしもその女子スポーツ選手がそのプロスポーツを楽しんでいれば、結婚して子供を産もうとするものなのである。自分の娘にもそのスポーツをやって貰い、親子で一緒になってそのスポーツを興じてみたいと思うものなのである。

 俺は女子スポーツ選手の独身率が高いと、そのスポーツはいずれ衰退すると見ている。事実、女子バレーも女子プロレスも独身率が高まったと同時に、衰退が始まってしまったからだ。女子フィギュアスケートでも気をつけなければならないのは、伊藤みどりが未だに独身であるということだ。女子スポーツ選手が結婚して子供を産まない限り、後継者たちを常に外から持ってこざるを得ず、とはいってもそう簡単に入ってこないし、たとえ入ってきたとしても物になる人物は少ないものなのである。

 元女子スポーツ選手が母親になれば、自分の娘にそのスポーツの面白さを教えたり、試合でどうすれば勝てるのか教えることができるものだ。娘にしても自分の母親が嘗て活躍したことがあるのなら、自分もやってみようと思うようになるのだ。自分の娘にきちんと教えられるからこそ、他の娘さんたちにも教えられることができるのであって、自分が結婚し出産し育児をしないと、その辺りの事情を巧く理解して行くことはできないのだ。

●お角違いの「政府による支援」

 今回のなでしこジャパンの優勝でお角違いといえるのが、「政府による支援」なのである。今回W杯で優勝しても、女子サッカー選手たちには100万円程度の報奨金しか与えられないのに、男子サッカー選手たちがW杯で優勝したら1000万円を超える報奨金が与えられるという規定になており、「これは可哀想ではないか!?」ということになり、政府の出動要請がマスコミから上がって来たのだ。

 しかも政府はこの女子サッカーへの支援に乗り気なのである。東日本大震災の復旧復興資金が足りず、これから増税しようとしている政府がなんで呑気に女子サッカーを支援しなければならないのか? 今、政府がすべきことはそんなことではない筈だ。冗費冗官を思いっきり削減して、その浮いた資金を東日本大震災の復旧復興資金に投入して行くことのなのである。

 政府の支援は麻薬である。覚醒剤であるといった方が解り易いか? 確かに政府の補助金は一時的には効果を発揮するが、結果的にボロボロにしてしまうものなのである。農業がその代表例で、政府の補助金に頼ってしまったからこそ、日本の農業はボロボロになり、先進国の中で最低の自給率になってしまったのである。

 日本の女子サッカーを盛り上げて行きたいと思うのなら、政府の補助金は絶対にお断りすることだ。政府の補助金を拒絶すれば、少ない資金を効果的に使って行かなければならず、そのために女子サッカーの発展が迅速に行われるようになり、それに応じて質の高いコアとなるファンがつくようになるのだ。

 恐らく女子サッカーは今回のW.杯の優勝で一時的にブームになる筈である。問題はこのブームが去った後なのであって、その時に質の高いコアとなるファンがいればなんとかやっていけるようになるのだ。試合の勝ち負けだけに拘るのではなく、試合そのものを楽しむファンが多くなればなるほど、その女子サッカーチームは地元に根付き、資金的にもギブアップしなくなるのだ。

 日本サッカー協会がどのような選択をするか解らないが、政府の補助金に手を出したら、日本の女子サッカーは一時的には繁栄しても、或る日突然に大崩壊が発生し、壊滅して行ってしまうことであろう。女子サッカーのお客様は政府ではないのだ。お客様は地元にしかいないのであって、自分たちのファンが一体誰なのかということを決して忘れないようにすることだ。

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内職は薄給であっても、生活に思いっきり貢献する

●人間関係が苦手なら自宅で内職をすればいい

 既婚女性の中には「育児中は働けない!」と嘆く女性たちがいるものだ。だからこそ政府に保育園を設置するよう要望するという愚挙に出てしまうのだ。もっと自分の頭を使って育児中でも仕事をすることを考えればいいのに、なぜだか最も動きの悪い政府を動かそうと躍起になってしまうのだ。

 育児中で外に出れないのなら、「内職」という手があるのだ。

 内職こそ主婦たちの昔からの仕事であったのだ。育児中はどうしても子供から目を離すことができない。それなら自宅で子供の面倒を見ながら、自分は内職をこなしてしまえば、育児も仕事もでき、更には給料まで貰えるようになるのだ。主婦の立場に立てば、なんで内職がこれほど大事に扱われるかが解る筈だ。

 内職の凄さは自分が自由に勤務時間を組むことができるということだ。人間は他人から勤務時間を設定されて、その時間内で働かなければならないということに多大なストレスを感じてしまうのだ。内職なら自分の生活に合わせて、自由に勤務時間を設定できるので、非常にストレスが少なくなるのである。

 しかも内職は手間暇がかかるが単純作業であることには変わりはない。内職でやっている作業を工場でやれば大掛かりな仕事になってしまうが、主婦が自宅でやる分にはこじんまりとした仕事になり、逆に非常に丁寧な仕事をができるようになるのだ。仕事を丁寧にやっているということは、家事や育児も丁寧にやれるようになるのだ。

 内職というのは教育上非常に効果の高い仕事なのだ。母親が自宅で内職をしていてくれれば、子供は常に母親が仕事をしている姿を見るので、自分も将来仕事をしなければならないと思うものだ。もしも母親が自宅で仕事をせず、テレビを見ているようであるなら、幾ら母親が子供に「勉強しなさい!」と言ってもしないものだ。しかし母親が内職をしているのなら、勉強するにせよ、スポーツをするにせよ、将来、確実にお金になるようなことをし始め、早くから親から自立し、大金を稼ぐようになっていくのだ。

●僅かであっても給料が貰える

 内職で支払われる給料は絶対に高額ではない。恐ろしいほどまでに薄給なのである。普通、この金額を女性たちが見てしまうと、「なんでそんな安い給料で働かなければならないの?」と思ってしまうものだ。こういう疑問を呈する女性たちは、税金のことを何も解っていないのだ。

 もしも妻が内職で高給を稼いでしまうと、夫婦合算で高額所得になってしまうので、そこにごっそりと重税がかかってくるようになるのだ。累進課税式所得税の恐ろしさを何もご存じないのだ。薄給であるなら、夫婦の所得を合算しても所得自体が低いので、重税がかかって来ないのである。

 しかもこの薄給、「80対20の法則」を使うと、家計に劇的な効果をもたらしてくれるのである。夫の収入を生活費に使い、妻の収入を貯金に回せば、生活は潤い、それなのに貯金が猛スピードで貯まって行くことになるのだ。だからこそ内職をしている妻に限って、念願のマイホームを手に入れることができてしまうのである。

 もしも本格的に妻が外に働きに出てしまうと、確かに夫婦の収入は増えるかもしれないが、妻が外に出ているためにどうしても家事や育児が疎かになり、逆に家事や育児で出費が多くなってしまうのだ。しかし内職ならそういうことが起こらないので、家事や育児にかかる経費を抑えながら、貯金を増やして行くことが可能になるのだ。

 内職は「専業主婦ボケ」を起こさないことでも効果を発揮する。専業主婦になってしまうと、自分が働いていないために、お金の有難味を忘れる女性たちが出て来るものなのである。だからこそ夫がヨレヨレのスーツを着ながら、妻は高級ブランド品の豪華な服を着るという馬鹿げたことをやってしまうのだ。でも内職をしているのなら、少なかろうが給料を得ているので、専業主婦ボケが起こらず、それどこか非常に質素倹約に徹して、家計を巧く管理することができるようになるのだ。

●自分だけの時間を持つことができる

 意外なことかもしれいないが、内職をする既婚女性たちはお金が目当てで仕事をしているのではないのだ。多くの主婦たちが言うには、「内職をすると自分だけの時間を持てる」ということなのである。お金ではなく時間に着目している所に、内職をする主婦たちが豊かな生活を送っている理由があるのだ。

 主婦だからこそ自分の時間がなくなる。

 主婦だから家事や育児をこなして行かなければならなくなる。夫が帰宅してくれば、夫の世話に追われる。就寝時には夫と同じベッドで寝る。確かにそれはそれで幸せなのだが、自分の時間が無いといえば無いのだ。普通の主婦ならトイレに入った時だけが自分の時間であろう。家事も育児もエンドレスで続くものなので、どこかで意図的に自分の時間を作って行かなければならなくなるのだ。

 手っ取り早く自分の時間を持つためには、読書やスポーツをすることだろう。ガーデニングという手もある。趣味に手を出してもいいが、最初は自分1人でやっていても、結局はグループでやるようになってしまうものだ。しかも意図的に自分の時間を持とうとすると、お金がかかるということも出て来るのだ。

 しかし内職ならその仕事をやっている時は自分の時間であるのだ。家事や育児を忘れ、妻や母親の立場を忘れ、自分が仕事に打ち込むことで自分だけの時間を手にすることができるのである。これが「有料」なのではなく、逆に「有給」なのであって、お金を貰いながら自分の時間を堪能することができるのである。

 内職をやっている母親の子供たちに優秀な人物が出て来易いのは、母親が「成功の秘密」を知っているからなのである。仕事で成功したいのなら、ランダムに働くのではなく、愚痴を言いながら働くのでもなく、或る一定の時間を捧げ、日々機械的に仕事をこなして行くべきなのである。これができれば確実に仕事ができるようになるので、後は勢いをつけてしまえば、一気に成功して行ってしまうのである。

●「成功の秘訣」は仕事に没頭すること!

 なぜ江戸時代に江戸や大坂や京都が発展してきたのかといえば、これらの都市に住む既婚女性たちは内職を行い、生活を潤して来ただけでなく、子供たちに知らず知らずの内に「仕事の仕方」を教え込んでいたからなのである。昔からこれらの三都市生まれの人たちは利発であり、成功者も多数生み出して来たのである。

 農村は確かに自然が豊かだし、食べ物だった美味しい。しかしそこでの労働はどう考えても仕事の合理化がされていないのだ。朝早くから夫婦で農作業を行うけど、長時間に亘って仕事をしてしまい、夕方になればヘトヘトになっているものなのだ。しかも夜になれば体の疲労を除去するためにお酒を飲み始めるので、飲酒の害が家計を直撃して来るのである。更には村の寄合と称して集まって、そこでもお酒を飲みながら、どうでもいい話を延々とするようになるのである。

 農村では経済が発展しないとか、文化レベルが向上しないとかいう苦情は昔から存在するが、それは田舎の人たちほど、自分だけの時間を持つということをしないからなのである。いつもみんなと群れて話をするのは楽しいかもしれないが、それでは経済も文化も発展して行く訳がないのだ。経済も文化も「孤独の価値」に気付いた時に発展して行くものなのである。

 例えば発明家が発明品を生み出すためには研究室に閉じ籠って研究し続けるしかないのだ。小説家が小説を書き上げて行くためには書斎に閉じ籠って執筆し続けなければならないのだ。しかもそれはランダムに行うのはなく、毎日決まった時間に行い、機械的に仕事をするからこそ、新たな物を生み出して行くことができるのである。

 都会の人たちだって田舎の人たちだって働き者といえば働き者だ。しかし一体何が違うのかといえば、「仕事に没頭しているか否か」なのである。都会の人間でも田舎の人間でも仕事に没頭できない者は大した働きをしないものなのである。仕事を終えて「お酒を飲もう!」などと言っている連中はまともな仕事すらしていないのだ。内職をしている主婦が仕事を終えてお酒を飲む光景なんて見たことがないものだ。それこそが仕事に没頭できた証拠なのである。

 内職を決して馬鹿にしてはならない。人間が功利的になれば内職なんて薄給なのだからしなくなるものだ。だが内職をすることでその家の妻は仕事に没頭することができ、その姿で以て子供たちに「成功の秘訣」を教えて行くことができるのである。経済も文化もその「成功の秘訣」さえあれば、自動的に発展して行くものなのである。

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働けないことでモヤモヤしているのなら、勇気を出して働くべし

●専業主婦は選ばれた既婚女性しかできないと解っていないと悶々としてしまう

 実に既婚女性の70%以上が結婚や出産を機に仕事を辞めてしまう。第一次産業なら結婚退職だの出産退職だのなくても、それ以外の産業になると結婚退職や出産退職が主流になるのである。結婚しても出産しても退職しない既婚女性は相当に優秀な女性なのであって、その既婚女性たちを平凡な既婚女性たちが真似るべきではないのだ。矢張り、結婚や出産を機に、一旦家庭に帰り、育児に専念した方がいいのである。

 M字曲線は女性が25歳から35歳の間にガクンと落ち、底を打つと上昇して来る。既婚女性たちが仕事に復帰して来ると女性の所得金額が元に戻るので、如何に既婚女性たちが優秀のかが解るというものなのだ。しかも既婚女性の中には専業主婦になる女性たちもいるので、本来ならもっと所得金額が高くなっている筈なのである。

 しかしこの時期に悶々としているのが、夫に仕事を復帰することを止められている既婚女性たちなのである。意外なことかもしれないが、既婚女性が仕事に復帰して来るのは生活が苦しいのが主な理由だ。それ以外にはその既婚女性に特有の能力があって、それをどうしても生かして欲しいと懇願されたからなのである。

 当然に生活が苦しくなく、大した能力もない既婚女性は、別に仕事に復帰しなくてもいいのである。通常、自分に妻に仕事に復帰しなくていいというような男性は、自分の妻が仕事に関しては大した能力がないことを重々承知しているものだ。自分自身が仕事で成功し、それなりの稼ぎを得ている以上、自分の妻ゆえに採点が甘くなったとしても、自分の妻の向き不向きの識別くらいできるものなのである。

 ところが、独身時代に仕事を真面目にしてこなかった女性ほど、育児での時間のゆっくりとした流れに焦ってしまうのだ。専業主婦になれるのは主婦として選ばれた女性しかできないということが解っていないのである。別に生活に困っていない以上、働かなくてもいいのであって、育児に専念していればいいのだ。それなのに育児をすべきか、仕事に復帰しようかというのは、実に贅沢な悩みなのである。

●勇気を出して働いてみる

 この手の既婚女性は夫に「働かなくてもいい」と言われても、それを素直に受け止めることができないのだ。こういう場合、夫に反対されても、悶々としているくらいなら働くべきなのである。考え込んでいるだけでは解決策が出て来ないのだ。勇気を出して働くからこそ自分の贅沢な悩みは解決されて行くのである。

 働くことで自分の新たな能力が開花する場合もある。結婚退職中に溜まっていたエネルギーが仕事で爆発することもあるのだ。無職である期間中、体を充分に休ませることができ、その一方で脳だけは仕事のことを考えていたので、仕事をやらしてみると我武者羅に仕事をこなすことができるようになるのだ。

 育児というのはオールマイティーの作業になるので、ビジネスのように何か1つの分野に特化していることに関しては、育児を経験した既婚女性なら簡単にこなすjことができてしまうのである。女性の場合、下手に大学や大学院で勉強するよりも、育児で自分が女性として学ぶべきものを学んでしまった方がいいのである。

 子持ちの既婚女性なら、最早、独身女性のように恋愛や夜遊びで時間を無駄にすることがなくなる。そのため独身時代とは違って、仕事に全力を投入していくことができるようになるのである。だからこそ仕事の集中度が極端に上がり、仕事の生産量を大量に生み出して行くことができるようになるのである。

 しかも既婚女性は時間をエンドレスで使うことはできず、育児のために残業はできないので、限られた時間の中で仕事をするようになるのだ。残業をしたために一時的に仕事の生産量を増やすことはできても、残業のために疲労が溜まり、それ以降生産性が落ちて行くという以前の遣り方とは大違いになるのだ。既婚女性にとって自分の必要性から来る残業の廃止は、自分の仕事のスタイルを根本的に変えてしまうことになるのだ。

●働くことで専業主婦の有難味が解ることもある

 しかい大抵の場合、職場で散々なミスを仕出かし、仕事にギブアップしてしまう既婚女性たちが大量に出て来る。育児中に赤ちゃんモードで自分の子供に接していたために、ビジネスモードで流れる職場のあの忙しい流れにちついて行けなくなってしまうのである。夫は妻がのんびり屋さんだということが解っていたからこそ、妻に仕事はしなくていいと言い続けていたのである。

 専業主婦になってしまうと行動が遅くなるというのは、昔から知られていたことだ。だからこそ庶民の間から専業主婦が出て来るようになると、それに比例して新興宗教団体も活発に活動し始めて来たのである。時間を持て余している専業主婦たちを宗教活動に使えば、教団は勢力を拡大して行けるし、専業主婦の方も教団から仕事を与えられることで専業主婦ボケ」を消滅させることができるようになるのだ。

 実を言いうと、既婚女性たちは職場の人間関係のストレスで完全にギブアップしてしまう。育児に於いては自分が独裁でやってしまうのが最善の選択肢なので、職場のように上司と部下の関係、部下同士の関係があり、しかもお客様との関係がある場所だと、育児に慣れた既婚女性ほど、そのシガラミだらけの関係が嫌になってしまうのである。

 仕事で働き給料を貰ったとしても、如何にビジネスレディーたちは職場の人間関係で消耗しているかが解るようになるものなのである。「仕事をしている人ほど、お金について考える閑がない」と言われるが、仕事で労力が取られ、職場の人間関係で消耗してしまえば、自分の資産をどのように運用して行こうかなどと考えている余力など残っていないものなのである。

 自分が仕事に復帰したのに、仕事にギbヴアップしてしまうと、どんな馬鹿な既婚女性であっても専業主婦の有難味が解るようになるものだ。専業主婦は外に出て仕事をせず、お金を稼ぎ出していなくても、他の様々なことをこなしているので、それによって家族を豊かにしている大切な役割を果たしていることに気付くなのである。

●自分の精神レベルが上がるまで、周りのことはよく見えていないもの

 世の中では自分の精神レベルが低いと、自分が有難い状況にいるのに、その有難味が全然解っていないということは多々起こりうるものだ。専業主婦なのに働けないことで悩むなんてその典型例だと言っていい。自分の精神レベルが低いからこそ、自分の遣りたいことに反対する夫に反発してしまうものだ。

 その夫婦の葛藤の中で妻の精神レベルが上がれば仕事に復帰しても、仕事を巧く遣って行けることだろう。しかし精神レベルが上がらなければ、仕事に復帰しても悲惨な目に遭い、仕事を辞めて行かざるを得なくなるのだ。自分がその一連の失敗を経験したことで、自分の精神レベルを上げることができ、主婦業に真面目に取り組んで行くことができるようになるのである。

 結婚して赤ちゃんが生まれたのなら、もう1人欲しいと思うものだ。そうやって出産を3連発でこなして行けばいいのである。赤ちゃんを3人も産めば母親として一人前になれるから、下手な悩みをしなくなるのである。気をつけるべきは、経済的理由を持ち出して、赤ちゃんを1人しか生まない時なのである。家族構成が3人になったので、「三位一体の結界」が出来上がってしまい、家庭内は落ち着くのだが、妙に活動的になってしまうので、既婚女性として贅沢な悩みを抱えるようになってしまうのである。

 育児中は経済的に苦しくなることは事前に解っていることなのである。だからこそ家計簿をつける。母親は自分のために使うお金を極力抑える。育児には優先的にお金を回し、下手にケチらない。そういことをして乗り切って行くべきなのである。しかし経済的にどうしてもギブアップしてしまう夫婦もいるので、そういう場合は妻が働きに出るべきなのである。しかし夫の稼ぎが充分にあるなら、専業主婦に徹してしまった方がいいのである。

 如何に結婚した女性とはいえ、自分が主婦として精神レベルが上がるまでは、周りが良く見えていないものなのだ。こういう場合に、自分で物事を考えても、頭でっかちになるだけで、効果的な解決策を得ることはできないのだ。だから行動を起こす。それが成功しようが失敗しようが、動くことで解決して行くしかないのだ。そして自分に相応しい結論を得たのなら、その結論がどのようなものであれ、きちんと受け入れることだ。

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特別企画「なでしこジャパンがW]杯で優勝してしまったからこそ、言わなければならないことがある!」

●最大の原動力は「感謝の威力」

 なでしこジャパンが女子サッカーワールドカップで初優勝ですよ!

 本当に快挙です。この優勝は奇蹟だと言っていい。

 おめでとうございます!

 今回の最大の原動力はなんといっても「感謝の力」なのである。「感謝の力」は非常に強いものなのである。監督はこのW杯が始まる前に選手たちに東日本大震災の映像を見せて、この大震災が如何に被害が甚大であったかを選手たちに知らしめたのである。だからこそ選手たちは真剣になったのだ。あの悲惨な映像を見て、ヘラヘラとしている選手がいるなら、最早、その選手は人間ではないといっていい。この辺りの監督のセンスは抜群であったのだ。

 よくプロのスポーツ選手が口では「感謝してます!」と言いながら、まともなプレーをしてこない場合がある。感謝を言葉だけではなく、行動で示すべきなのである。プロのスポーツ選手なら、試合で最高レベルの試合を見せるべきなのである。それなのにボランティア活動に熱心になったり、一般人となんら変わらないことをやってしまっては駄目なのである。

 俺は「プロスポーツ選手ならプロスポ^-ツができることに感謝しろ!」と言いたくなる。東日本大震災で自宅までをも失った被災者たちから見れば、給料を貰いながらスポーツができるというのは、非常に恵まれた環境にあるということなのである。ところがプロスポーツ選手kたちほど、この恵まれた環にあることが理解できないのである。お金を貰えて当たり前と思っているからこそ、碌でもないプレーしかできないのである。

 そうならないためには選手たち自身が「高貴な義務」を持ち、自分が恵まれた状態にあるからこそ、その恵まれた地位を利用をして何をすべきか考え行動させることだ。これは自発的なものだと言っていい。もう1つは監督が選手たちの心を巧く刺激し、選手たち感謝したくなるような状況に追い込むことなのである。他発的ではあるが、こういうことも必要なのである。

 はっきりと言ってしまうと、なでしこジャパンの場合、選手たちは高貴な義務を持っていたとは思えないが、監督は選手たちの心を巧く刺激した遣り方が非常に巧かったのである。監督が被災地の映像を見せてくれたからこそ、選手たちは真剣になり、それが試合で巧く爆発することができたのである。

●身体能力の高さ

 実を言うと、俺は今回の優勝に関してその内実を知ることのできる立場にある。その内幕を言ってしまうと、選手たちに栄養士がついて栄養指導したからこそ、あの高い身体能力を持てたのである。なでしこジャパンは若い選手が多かったので、栄養指導の効果が非常によく効いたのである。大事なことは炭水化物と蛋白質と脂肪のバランスなのであって、このバランスが巧く取れると、あれだけ動きのいい体を作ることができるのである。

 男性の選手の場合、幾ら栄養指導しても飲酒をするので、それで栄養指導が台無しになってしまうのである。女性の選手の場合、飲酒をする確率が低いので、栄養指導が巧く効いたのである。飲酒を余りしていなかったからこそ、試合の最後まで走り切ることができたのである。飲酒をしたツケは必ずピッチの上で出て来てしまうのである。

 もう1つの勝因は、なでしこジャパンに「とあるスポーツ科学者」がついて、日本の女子サッカーの選手たちの身体能力が格段に伸びたのである。日本の女子サッカー選手たちは外国の選手よりも身長は低く、体重は軽いものだ。このためそのまま戦ってしまえば、確実に負けてしまうのである。だからこそ身体能力を上げさせ、身長や体重に劣っていても試合に勝てるようにしたのだ。

 日本の女子サッカー選手たちの身体能力が高かったからこそ、接近戦が可能になったのである。外国の選手に接近して、ボールを奪うプレーを連発しまくることができたのである。外国の選手たちにしてみれば、なんで身長の低い日本の選手にボールが奪われてしまうのか解らなかった筈だ。体の動きさえ良ければ、ボールを奪って行くのは幾らでも可能になるのである。

 今回の優勝は、日本の男子サッカーの選手たちが口癖のようにいう「身長差」は、サッカーの試合では必ずしも重要ではないということだ。事実、世界を見回しても、サッカー選手はそれほど身長が高いものではないのだ。男性なら大体「170㎝台」か「180㎝台」である。190㎝を超えてしまうと、サッカー選手としては動きが鈍ってしまうのだ。サッカー選手としてはそこそこの身長があればいいのであって、後は的確なトレーニングを施すことで身体能力を上げて行けばいいのである。今回のW杯での優勝は、日本の男子サッカー選手たちの言い訳をなでしこジャパンは物見事に粉砕してしまったのである。

●試合では勝ったけど、戦術では負けていた

 しかしW杯の決勝戦では、試合では勝ったけど、戦術では完全に負けていた。アメリカチームは終始一貫して「4-4-2」の陣形を取り続けていたが、日本チームも実は「4-4-2」の陣形であったのだ。両チームも同じ陣形で臨んだからこそ、サッカーに見慣れているドイツ人たちが熱狂していたのである。陣形が同じなら、後はその陣形の使い方の巧い方が勝利することになるからだ。

 但し日本チームは陣形が早い段階で崩れ、4バックだけが陣形として残り、他の6人はポジションを離れ、縦横無尽に動いていた。アメリカチームから見れば日本の陣形は崩壊していたように見えたので、だからこそ正面突破の攻撃を繰り返したのである。あの判断は非常に正しかったのだ。事実、アメリカチームが取った2点は全て正面突破から得た得点であるのである。

 では日本チームは一体何をやっていたのかというと、FWとMFは敵の選手たちをマークしながら敵の攻撃を妨害し、巧みに持ち堪えて敵を疲労させ、敵の隙を突いて自陣右翼から集中砲火を繰り返したのである。普通、サッカーの試合の場合、効き足の関係から、自陣左翼から攻撃を仕掛けて行くのであるが、それが逆になっていたのである。これがアメリカチームのリズムを狂わす原因になったのである。

 しかもこの集中砲火がFWとMFたち6人全員が突っ込んで来るので、試合の主導権はアメリカチームが握りながらも、日本チームが攻撃に転じた場合、まさかの猛攻になったのである。事実、これで日本チームは1点を取ったし、この猛攻が効いたからこそ、アメリカチームは延長戦になって明らかにバテ始め、それこそが延長戦終了間際の澤選手の劇的な得点に繋がり、「2対2」の同点に持ち込むことができたのである。PK戦でもアメリカの選手たちがバテていたからこそ、シュートを外し、逆に日本はシュートを確実に決めて、勝敗を決することができたのである。

 日本チームは新型の戦術を取ったとも言えなくもないが、実際には戦う前から相手チームには勝てないと解っていたからこそ、ああいうトリッキーな戦術を取っただけなのである。寧ろ戦術では負けていたと判断すべきであり、戦術での失敗を選手たちの身体能力で巧くカバーしただけのことなのである。

●勝ちには勝ったけど「まぐれ勝ち」であることを忘れるな

 日本のサッカーでつくづく言いたくなるのは、「サッカーというのは戦術を駆使するスポーツなのであって、それなのに日本では戦術を軽視して、選手の個人的な技能に頼り過ぎている」ということなのである。戦術さえしっかりとこなすことができれば、平均的な選手たちを使ってもW杯で優勝することができてしまうものなのである。

 もしも俺がアメリカチームの監督なら、日本チームの陣形は4バックだけなので、日本チームを自陣に誘い出して、DFたちを前進させ、そこを突いてカウンターアタックを仕掛けれるという作戦を取ることだろう。事実、アメリカチームが取った2点は全てこの戦術を取ったのである。アメリカの選手たちは「日本の陣形は崩壊している」と勘違いしたからこそ、攻めあぐねただけなのである。

 なでしこジャパンの次の夢はロンドン五輪で金メダルを取るということなのであるが、戦術が解っていない以上、このままで金メダルを取る確率は非常に低い。今回のW杯での優勝は「まぐれ勝ち」であると思うべきなのである。アメリカチームはリベンジを臨んで来る筈であって、同じような失敗はもう2度としない筈である。

 そこでなでしこジャパンは一体何をすればいいのかを3つだけ指摘しておく。

①陣形を「3-4-2-1」に変えること

 まず2トップをやめることだ。2トップでは得点になかなか結び付かないのだ。最近のサッカーの試合はMFがサイドを駆け上がり、MFがFWにパスして、FWがちょこんと蹴ることで得点になっているパターンが非常に多いのだ。FWが2人もいては、邪魔なのである。FWは1人でいいのである。それよりもMFを多くして、敵陣に切り込めるチャンスを多くすべきなのである。

 それに4バックをやめることだ。4バックでは最終ラインが突破され易いのだ。だからこそ失点に繋がってしまうのである。日本チームに冷や冷やのシーンが連発したのは、陣形自身に問題があったからなのである。DFとキーパーだけで防御を行うという発想を捨てるべきなのである。

 では一体、日本チームはどのような陣形を取ればいいのかというと、「3-4-2-1」の陣形を取るしかない。この陣形なら、防御になった時は、まずは4人のMFで受け止めて、そこを突破されればMFを2人ほど引き下げ、DFとMFでの5バックに切り替えればいいのである。こうすると2重の防御ラインを持つことができるので、なかなか失点に繋がりにくくなるのだ。

②パスミスをしないようにする

 試合では絶対にパスミスをしないようにすることだ。今回の決勝戦では日本チーム側にパスミスが目立ち、その都度、客席から溜息が漏れたぐらいなのである。試合が白熱している際のパスミスはすぐさま失点に繋がる危険性を持っているものなのである。試合も後半になれば選手の疲労が出て来るので、精度の高いパスなどできなくなるということを考慮して、パスをすべきなのである。

 パスミスとパスカットは全然違う。パスカットは本来ならパスミスではないが、敵の選手がいいプレーをしたために、ボールを奪うことができたのである。試合中にパスミスが起こらないようにするためには、敵陣に切り込む際は、猛スピードで駆けあがり、できる限りパスの回数を少なくすべきなのである。選手たちが大して動かないでパスをしようとするからこそ、逆にパスミスが出て来てしまうのである。

③敵の陣形が崩れていない時にするロングパスは無意味である

 敵の陣形が崩れていないのに、ロングパスをするのは無意味である。陣形が整っているので、ロングパスをしても必ずカットされてしまうのである。しかも双方、蹴鞠のような状態になってしまい、ボールを空中で蹴り合ってしまうのだが、これが時間の無駄になってしまい、選手たちの集中力を落とすことになってしまうのだ。こんなことをやっているからこそ、その後、猛攻を受け、失点してしまうことになるのである。

 陣形を崩した上で、ロングパスをし、速攻を仕掛けるべきなのである。これが得点に繋がることになるのだ。戦術をしっかりと理解していないと、いつロングパスをしていいのかすらも、合理的な判断を下すことができないのだ。戦術が解ってさえいれば、普段は短いパスしかないのに、相手の陣形が崩れたと判断するや否や、ロングパスをし、速攻で得点することができてしまうのである。

 サッカーのW杯の決勝戦なら、前半後半の試合でも決着がつかず、延長戦でも決着がつかず、PK戦で決着をつけるという方が盛り上がるので、今回の決勝戦は非常にいい出来だったのだ。しかし試合には勝ったけど、戦術に於いては負けていたのだ。幾ら優勝したからといって絶対に自惚れないことだ。所詮は「まぐれ勝ち」にしかすぎないのだ。

 なでしこジャパンはロンドン五輪開催時までに戦術をしっかりと習得しておかないと、五輪で金メダルを取るのは非常に難しいのだ。「4-4-2」などという旧式の陣形を一刻も早く捨てて、「3-4-2-1」の陣形に変えるべきなのである。現在の女子サッカー選手たちのように高い身体能力があれば、新たな陣形を短時間で習得することか可能なのである。

 W杯で優勝し、五輪でも優勝するからこそ、≪本物のチャンピオン≫になることができるのである!

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自分が働くことで家庭内がゴタゴタしているのなら、仕事を即刻辞めるべし

●仕事どころではない家庭の状況

 外で働く既婚女性たちの中には、自分が一生懸命になって仕事をしてお金を稼いでいるのに、家の中が滅茶苦茶になっている場合がある。それも深刻な状況になっているのだ。夫が失業、夫が病院に入院するほどの病気を発病、夫が交通事故に遭っても長期間に亘って仕事ができなくなる。子供も病気で寝たきり状態になったり、子供が言語面に於いて明らかに遅れた症状をさせたり、子供がグレてしまったりと、家庭内で荒れ放題に荒れてしまうのだ。

 こういう場合、妻が今後も仕事をし続けてしまうと、この状態が益々悪化して行くことになる。原因は明らかにその妻にあるからだ。その妻が妻としてすべきことをしていない、母親としてすべきことをしていないからこそ、夫や子供たちに悲惨な事態が起こってしまっているのである。

 家庭が悲惨な状況になった場合、妻としては勇気を出して仕事を辞める選択肢を取った方がいいのだ。確かに自分が失業することで収入は減少する。しかし自分が家庭の中に入って家族を立て直して行かない限り、この状況を打開することは絶対にできないのだ。この問題は自分が仕事をしながら解決できる問題ではないのだ。

 家族を犠牲にしてまで働くような既婚女性は、「お金さえあれば幸せになれる」と思っているものだ。確かにお金があれば或る程度は幸せになれる。しかしお金だけで幸せになれる訳ではないのだ。自分の考えが根本的な所で間違っているのであって、この根本的な間違いを治して行かない限り、この悲惨な状況を解決して行くことはできないのだ。

 女性なら30代で厄年が連発する時期なので、30代は自分の生き方が大いに変わっていくことになるのである。30代で自分の人生を変えていくのなら、どんどん変えて行っていいのだ。しかしその変化を30代にしておかないと、40代や50代という時期に自分ではなく、家族の方に問題が噴出して来てしまうことになるのだ。

●家族の形が出来上がっていない

 なんでこんなことになってしまったのか?

①夫婦の愛の形

 まずは夫婦の愛の形が出来上がっていないということだ。夫婦は男女2人しかいないために、夫婦の力関係で大いに変わってしまうのである。夫が亭主関白になったり、逆に妻の尻に敷かれたり、妻が良妻賢母の鏡のような女性になったり、カカア天下になったりするのは、その夫婦が自分たちで最善だと思うのならそれでいいのである。

 妻が結婚しても変わらず、独身の頃のままを貫き通してしまうと、夫婦の愛の形を巧く作って行くことができない。このためにその報復措置として夫に問題が大量に発生して来るという現象が起こって来るのだ。新婚ならどの夫婦も非常に親密になるものだが、あの期間をすっ飛ばしてしまうと、その代償は非常に高くつくことになるのだ。

②家事の仕方 

 第二に家事の仕方が全然身についていないのだ。家事をこなすことに夫や子供たちに余りにも負担をかけてしまい、家事の成果が思うように出て来ないのだ。確かに家事や育児をこなしながら仕事をするのは重労働である。しかしそれでも巧く工夫すればどうにかなるものなのである。その工夫が全く足りないのだ。

③育児の仕方 子育ての仕方

 第三に育児の仕方や子育ての仕方に相当な問題を抱えているということだ。仕事をしている場合、専業主婦のようにフルタイムで子供に接することができない。そのため、1日30分でもいいから、子供と2人きりの時間を意図的に作り出して、真剣に遊べばいいのである。この余裕を持たないからこそ、どこかで子供の方が駄目になってしまうのである。

 育児や子育てで非常に危険なのは、子供に「いい子」ばかりを要求してしまうことなのである。これをやられると子供は母親の言う通りにいい子になるのだが、成長して行く過程でその歪みが或る日突然に大爆発し、手のつけられない反抗を仕出かして来ることになるのである。育児をすれば子供は天使のような姿を見せるが、悪魔のような姿をも見せるので、それをそのまま受け止めてあげればいいのである。それをせず。子供の或る一面だけしか評価してこなかったとすれば、その代償はどこかで支払う羽目になるのである。

●妻こそ家族の大黒柱なのである

 家族というのは、夫が外に打って出ることでお金を稼いで来るものだ。当然に夫が外に出て行っている以上、妻が家庭の中を切り盛りしなければならないのである。そのため夫は家長として君臨しながらも家庭内に於いて大した実権を握るlことはできず、妻こそが家庭内の実権を押さえることになるのである。

 それゆえ妻こそが家族の大黒柱なのである。妻が大黒柱として機能するからこそ、家族も機能し始めることになるのである。もしも妻が大黒柱としての機能を果たさなければ、家族は家族として成り立たないのだ。それが夫や子供たちに大きな歪みを与えてしまい、夫や子供たちが壊れるような形で問題として噴出して来てしまうのである。

 特に家族内の愛は、夫から妻へ、妻から子供たちへという流れを取ることになる。このため妻がその役割を放棄してしまうと、妻から子供に愛が流れないのではなく、夫から子供たちへの愛も流れなくなってしまうのである。幾ら言葉で「愛している」といっても、妻が自分のポジションを放棄してしまえば、愛が流れ行かなくなってしまうのだ。

 愛が流れていないのだから、問題が発生して来る前に前兆現象は起きているのだ。夫婦の会話が噛み合っていないとか、子供が自分の意見を言ってこないとか、普通の主婦なら気付けることをまんまと見逃してしまうことになるのである。本来ならその前兆現象に気付けるのに、仕事をして収入があるために、お金の力を使って押し潰してしまうのである。

 要はお金の力を家庭内で悪用しているのだが、こういう妻に限って、夫はきちんと反論できないし、たとえまともな反論をしても妻は聞く耳を持たないのだ。問題が悪化に悪化してどうにもならなくなった時、妻がやっと改心すると、「夫はあの時、ちゃんと忠告してくれていたのだな」ということが解るようになるのである。

●妻が変われば夫は変わる、母親が変われば子供は変わる

 お金の力で物事を解決しようとする既婚女性に限って、家族内で機能不全に陥るほどの問題が起こっているのに、「夫が悪い!」「子供の方が悪い!」と言って来るものだ。その既婚女性がいう意見を聞けば、それなりの論理が成り立っているのである。でもそれでこの問題が解決するのかというと、絶対に解決しないのである。

 こういう場合、責任追及をし合っても、この問題を永遠に解決できないのである。

 だから妻の方が変わるべきなのである。妻が変わってしまえば、問題が解決されて行き、夫も変わって行くものなのである。自分が変わらずに夫を変えようとするからこそ、夫は変わらないし、問題だって解決して行くこともできないのである。自分がどんなに嫌であっても、現実を直視すべきなのである。

 だから母親の方が変わるべきなのである。母親が変わってしまえば、問題が解決されて行き、子供の方も変わっていくものなのである。自分が変わらずに子供を変えようとすうrからこそ、子供は変わらないし、問題だって解決して行くこともできないのである。年齢的に上なのは常に母親の方なのであって、母親である自分が子供の悲惨な状態を放置すべきではないのだ。

 家族の内部で問題が噴出した時、それが悪いことではないのだ。そうやって問題が噴出してくれないと、家族の誰もが成長して行くことができないのである。今の生き方のままではもうこれ以上成長できないのであって、その問題に直面し、どうにか解決して行くからこそ、夫も妻も子供たちも成長して行くことができるのである。

 妻が仕事を辞めた場合、多少貧乏になるかもしれないが、生活はそれほど苦しくならないのだ。それどころか今まで蓄積していた問題を解決できたことによって、生活が楽しくてしようがなくなるのだ。もしもどうしても働lきたいのなら、今回の問題が一件落着し、暫く経ってからにするべきなのである。

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出世の運不運

●人間は自己中心的な動物だからこそ、出世競争が激化する

 人間は想像以上に自己中心的な動物である。だから放置しておけば競争が始まる。会社でも本来適材適所を行うために社員を抜擢しているのに、抜擢された者同士は出世競争を繰り広げてしまうのだ。労働組合などは労働者の権利を謳いながら、自分たちの権利を自己中心的に追及している邪悪な団体に過ぎないのだ。管理職になればもっとひどく、管理職の出世は最終的に潰し会いにまで悪化してしまうのである。

 古来より、この自己中心主義を破壊することができるのは、「宗教」「法」「人間関係術」しかない。まずは神を崇敬することで謙虚になり、自己中心主義を破壊するのだ。次は法を制定し、人々を公平に扱うことで自己中心主義を破壊するのだ。残りの1つは本人が人間関係術を習得することで自己中心主義を破壊して行くのだ。

①相手の立場に立って考えること

 社内で出世して行くためには、人間関係術を学ばなければならない。まずは相手の立場に立って考えることだ。相手にもそれなりの事情があり、その事情を無視されてしまったら、相手はカンカンになって怒って来るのは当たり前のことなのだ。相手の立場を理解してあげれば、如何なる人でも巧く付き合って行くことは可能になるのである。

②相手の自己重要感を与えること

 人間は常に何かしらの不平不満を抱えているものだから、相手から攻撃を受ければ猛反撃してくる。特に女性が絶対にやってはならないは、男性のプライドを傷つける行為であって、これをやってしまったら男性はその女性を絶対に許すことはないのだ。女性だからこそ言葉を選ぶべきであって、棘のあるような言い方は絶対にすべきではないのである。逆に自分の言語能力を相手の自己重要感を高めることに使ってしまえば、相手は態度をがらりと変えて、友好的な態度になるものなのである。

③双方が利益になるような関係を築き上げること。

 人間関係は自分が一方的に得をするという関係を維持することはできない。双方が利益を得るという関係になるからこそ、人間関係が維持され続けるのである。女性社員が社内で女性の権利ばかり主張していると、最終的に絶対出世できなくなるし、その内、社内に居場所を失ってしまい、辞職せざるをえなくなってしまうのだ。女性である自分だけが利益を得続けたために、少なくとも男性社員全てが敵に回ってしまったのである。

●出世に於ける「杭の法則」

 会社で一緒に仕事をしていれば、一体誰に能力あるのか解るものだ。しかしその後の出世には運不運がつきもので、優秀な能力を持っているのに左遷されてしまったり、大した能力しかないのに出世してしまったり、社員の立場から見れば有り得ない現象が起こるのである。これは出世というものは実力だけでするものではないということだ。運不運が大きく左右して来るものなのである。

 この不可思議な現象を、出世に於ける「杭の法則」で解り易く説明しよう。

①出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない

 まず出る杭は打たれてしまう。能力があるということは、上司からとってみれば非常に危険なことで、将来、自分の敵になるかもしれない可能性を持っているのだ。だから出る杭になるのではなく、出過ぎた杭になってしまうのである。例えば社内で誰もが認める大手柄を立てた時、もう誰も文句を言う奴はいなくなるから、出世の安全が確保されるのである。

②出ない腐るが、出そうな杭は腐らない

 出ない杭は腐ってしまうものだ。仕事には向き不向きというものがあるから、自分が会社に勤めているのに、その会社の仕事がどうも嫌なのなら、幾らやっても無駄なのである。そういう場合はとっとと転職してしまうべきなのである。しかし自分がこの仕事は向いていると思うなら、どんなに下手糞でもいいから、一生懸命にやることだ。出そうな杭は腐らないものなのである。

③近くの杭は抜かれるが、遠い杭は抜かれない

 最終的に社員への人事権を持っているのは、社長である。しかし社長の近くに行けば出世が早くなるという訳でもない。自分に大して能力がないのに、下手に社長に近付いてしまったために左遷されたということもありえるのだ。社長とは距離を置き、そこで着々と能力を向上させて行った方がいいのである。近くの杭は抜かれるが、遠くの杭は抜かれないものなのだ。そうやって実力を蓄えて、社長の情報を充分に収集してから、社長に近付くべきなのである。

 社内で「なんでアイツだけが出世していくんだ!?」と思っても、その人物は「杭の法則」を知っているからこそ、出世して行くのである。出る杭にならずに出過ぎた杭になる。腐った杭にならずに、出そうな杭で有り続ける。社長の近くに行くことを焦るより、社長より離れた場所で着々と実力をつけている。だからこそ出世でこけることなく、常に出世し続けるのである。

●出世スピードは男女では違うもの

 出世スピードは男女平等ではない。出世スピードは男女では違うものだ。女性は結婚するためにどうしても結婚による変動が物凄く大きなものになってしまうのである。自分が彼氏と付き合っていて、それが結婚へと突入して行くのなら、女性は全力で取り組まない限り、結婚なんてできないものだ。そして結婚すれば新婚生活が落ち着くまで、生活に大量のエネルギーを注ぎ込まなければならないのだ。更には妊娠に出産である。そうなってしまうと、どうしても出世スピードは減速せざるを得ないのである。

 しかも女性が総合職から管理職になり、いざ出世が始まる時期は、女性にとって厄年が連発する時期である。女性の30代は厄年が2回あるために、前厄本厄後厄の3つが2回もあるということなので、30代の内、6年間は厄年がらみなのである。女性の30代は生き方の変革期であり、ここで自分の生き方を変えて行かないと、更に出世して行くことはできないのである。

 一方、男性の30代には厄年がないために、猛スピードで出世を開始して来る。しかも結婚したとしても家事や育児は妻任せになるので、家庭そっちのけで仕事をしまくるようになるのだ。当然に男性社員たちが出世していくのは当然のことなのである。男性は40歳前後が厄年になるので、そこが「人生の変革期」であり、そこで大化けするか、没落するか、二者択一の運命が待ち受けているのである。

 もしも女性社員が男女平等に洗脳されてしまえば、30代の女性たちは自爆する形で会社を辞めて行くことになる。男性社員が猛スピードで出世しているのに、なんで女性社員たちは出世できないのかという不満を抱えて、その不満を大爆発させることで辞職して行ってしまうのだ。30代になっても男女平等が間違った教えなのだということが解らないからこそ、自分の人生で最も大事な時期に自爆してしまうのである。

 女性は結婚妊娠出産育児をするようになれば、どうしても仕事に全力を投入することはできない。女性の30代は仕事を後回しに、矢張り家庭を中心にして考えるべきなのである。その時期は別に出世が遅くなっても構わないのだ。出世は育児が落ち着いた40歳を過ぎてからすればいいのであって、育児で大変な時に急ぐべきではないのである。

●出世には運不運が付き物である

 出世には運不運が付き物なのだ。同期が同じ時期に入社したからといって、平等に出世して行く訳がないのだ。入社当初から優秀な社員は猛スピードで出世して行くものだ。入社当初から出来の悪い社員はゆっくりと出世して行くものだ。スタートラインは平等ではないのだ。スタートした時点が既に格差は存在しているのである。

 かといってそのまま順調に出世して行くとは限らないのだ。出世するということは、本人に相当なストレスを与えてしまうことになるから、巧くそのストレスを解消しておかないと、そのストレスが大爆発を起こしてしまうのである。出世したのに部下から総スカンくらってしまったり、出世したのに会社に大損害を与えてしまったり、出世したのに家庭が崩壊してしまったりするのだ。

 果たして出世するのがいいのか、出世できないのか悪いのか、解らないものなのである。ただはっきりと言えることは波乱万丈の人生を送る人は、それなりに成長しているということなのである。逆に平穏無事に生きている人は大して成長していないということなのである。一度でも自分が絶体絶命に危機に陥れば、自分の間違った考え方や遣り方を捨てて、新たな考え方や遣り方を習得して行くものなのである。一見、平和裏に生きることは何も起こらないから良さそうに思えるが、実は自分を変えることができないということでは悲惨な状態に陥っているということなのである。

 会社で出世できた人たちは「自分は運が良かった!」というものだ。実力は確かに必要ではあるけれども、目には見えない「運」というものが、自分の人生に於いて重要な役割を果たして来るのである。だから何があっても「自分は運がいい」と言い続けることだ。「自分は運がいい」と言い続けていれば、本当に運が良くなってしまうのである。

 松下幸之助が未だに日本のビジネスマンたちから尊敬を集めるのは、彼の考え方や遣り方が凄いからではないのだ。松下グループの創始者といえども、所詮は尋常小学校卒の学歴しか持たないから、そんなに奥深い思考などすることはできないのだ。彼が凄いのは子供の頃から「自分は運がいい」と言い張り、歳を取っても「自分は運がいい」と言い張り続けたことなのである。だから本当に運が良くなってしまい、大出世を遂げてしまったのである。

 不思議なことにビジネスレディーの中で「自分は運がいい」と言い張っている女性は殆どいないものだ。「運」の重要性がその歳になっても解っていないのだ。自分の実力がありさえすれば出世できると思い込んでいるからこそ破滅していくのである。何事につけ、「自分は運がいい」と言い張ることだ。そうやって運がいいことをアピールし続けていれば、本当に運が良くなり、有り得ないほどの大出世を遂げてしまうことになるのだ。

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与謝野晶子こそ戦前に於ける最高の女流文学者である!

●正統派の短歌

 何を隠そう、俺は中高生の頃は文学少年だった。中学からは私立学校に行ったのだけれど、学校の授業が詰まらなかったので、文学をばかり読んでいた。俺は中学1年生の時に、国文学の古典を手当たり次第に読んで行くという決意を建てて、外国文学には余り手を出さず、国文学の古典を重点的に読んで行くという方針を取った。

 日本の古代に於いては和歌が盛んであったので、まずは『万葉集』と『古今和歌集』をじっくりと読んでみた。『万葉集』の和歌の方は野趣溢れる物が多く、それに対して『古今和歌集』の和歌は明らかに洗練されていた。それで俺は『古今和歌集』の方に軍配を上げた。覚えておいて欲しいのは、これをやったのは俺が中学生の時なのである。

 しかし、世の中の評価はそうではなく、なぜだか『万葉集』なのである。『古今和歌集』は駄目なのである。

 俺としては「読み比べれば解ることじゃん!」と反論したくなった。確かに『万葉集』は古代日本の文化や風俗を知るには貴重な文献かもしれないけれど、和歌の腕前は断然に『古今和歌集』の方が上回っているのは、読めば解ることなのである。『古今集』は『万葉集』よりも出来がいいことが解らない人たちは和歌に手を出すなと言いたくなってしまった。

 なんでこんなことになってしまったのかというと、明治期に正岡子規が出て来て、『歌よみに与ふる書』を書き上げ、そこで「紀貫之は下手な歌よみにて、古今集は下らぬ集」と罵倒し、『万葉集』が称賛されるようになってしまったのだ。正岡子規は根性が捻じ曲がっており、俳句でも松尾芭蕉を否定し、小林一茶を称賛しているのである。俳句の世界ではなんといっても断トツで松尾芭蕉の俳句が圧倒的に巧いにも拘わらず、正岡子規の手にかかると、ケチョンケチョンに否定されてしまうのである。

 正岡子規は肺結核に冒され、真善美とは程遠い生活をしていたのであり、しかも36歳という若さで死んでいるのである。早死にしたのだから後世への影響が少ないと思いきや、正岡子規の弟子たちの出来が非常に良かったのである。高濱虚子と河東碧梧桐の二大弟子を生み出してしまったために、その後、正岡子規の主張が罷り通るようになってしまったのだ。

 明治以降、万葉調の下手な和歌が流行する中で、正統派の和歌を歌い上げた歌人こそ、「与謝野晶子」だ。与謝野晶子は堺市の菓子商駿河屋鳳家の三女として生まれ、なんと24歳で『みだれ髪』を出版して、その後、終生、歌人として活躍し続けたのである。与謝野晶子の和歌はとにかく巧いし、真善美に貫かれているので、「57577」の短い文章の中で本当に芸術的な詞として輝きを放っているのだ。

●長寿こそ後世に名を残す文学者の絶対条件である

 俺が与謝野晶子に親しみを覚えるのは、実際に生前の与謝野晶子に会った人が知り合いにいて、「この女性が只者ではない」ということを教えてくれたからだ。与謝野晶子は65歳で死ぬことになるのだが、晩年になっても矍鑠としていて、エネルギーに満ち溢れた女性だったそうなのである。

 俺は「文学者が後世に名を残したいと思うなら長寿であるべし」と思っている。長く生きていれば、それだけ執筆活動の時間が長いのだから、より多くの作品を作ることができ、その中から名作が生まれて来るのだ。戦前なら60歳以上、戦後なら70歳以上だろう。夏目漱石は文豪と言われつつも、なんと50歳で死んでいるのである。冷静になって夏目漱石の作品を読んでみると、出来のいい作品は初期の頃だけで、それ以降の作品は精彩を欠いているものなのである。

 樋口一葉に至っては25歳で死んでいるのである。確かに『たけくらべ』や『にごりえ』といった名作はあったとしても、早死では大した作品を残せる訳がないのだ。因みに個人の文学全集が始まるのは樋口一葉からなのであって、樋口一葉の全集はなんとたった1冊だったのである。そんなに少ない量の作品しか書いていないのだ。

 なんで与謝野晶子が長寿で、しかも晩年まで元気であったのかというと、それは与謝野晶子が11人もの赤ちゃんを産んだことに原因があるのだ。11人も赤ちゃんを産んだということは、それだけ夫婦でセックスをしまくった訳だし、子宮の中には胎児が居た時期が非常に長くかったししかも授乳の度に子宮が刺激され続けるので、子宮が大いに活性化してしまい、それで体が健康になってしまい、更には頭まで非常に良くなってしまったのである。

 和歌の世界で、与謝野晶子を超えるような女性歌人が出て来ないのは、少子化と深い関係があると思っている。子供を産む数が少なければ、それだけ子宮を使っていないのだから、どうしてもいい作品を生み出して行くことができないのだ。ましてや独身を貫いてしまうような女性歌人は子宮を使うことが生理の時以外しかないので、それでは頭の機能が上がらす、出来の悪い作品しか作れないものなのである。

●孤軍奮闘! フェミニストたちとの戦い!!

 しかし現在、与謝野晶子の文学的評価は非常に悪く、与謝野晶子を称賛する女性知識人は殆どいない。与謝野晶子が不当におとしめられた理由はなんといっても、平塚雷鳥との論争で与謝野晶子が圧勝してしまったからなのである。勝ったじゃないんだ、圧勝してしまったのである。

 平塚雷鳥は女性解放のために『青踏』という女性雑誌を出版することになったのだが、その際、与謝野晶子に随筆を書くことを依頼することになった。しかし与謝野晶子は乗り気ではなく、再三止めるように勧告したのだが、平塚雷鳥の熱意に押されて、随筆を書くことを承諾した。

 なんで与謝野晶子が平塚雷鳥の依頼に消極的だったのかというと、与謝野晶子自身、既に『明星』という和歌の専門誌を出していた経験があり、雑誌を出版し続けることは大変だということが解っていたし、しかも平塚雷鳥が雑誌を出版したいと言っているのに、それに見合う大した準備もしていないことに腹を立てていたのだ。案の定、平塚雷鳥が出版した『青踏』は創刊当初から売上が不振で、3年後には経営的に破綻してしまったのである。与謝野晶子の予感は的中したということになる。

 それだけでなく、この『青踏』を発行している最中、与謝野晶子と平塚雷鳥は喧嘩をし始めてしまい、それが論争に発展してしまったのである。解り易く言うなら、隠れ社会主義者の平塚雷鳥は現在のフェミニストたちのように社会で子育てをしようと言って来たのに対して、与謝野晶子は育児をするのは家族であり、実際には母親がするものだと正論をぶつけて来たのである。

 解ると思うが、現在、民主党が子供手当てを政策の目玉に上げたり、「社会で子育てをしよう!」ということは、既に大正年j間に平塚雷鳥が主張していた訳だ。当然に現在の女性知識人の多くは平塚雷鳥の流れに入ってしまうので、平塚雷鳥を完膚なきまでに叩き潰した与謝野晶子なんて評価される訳がないのだ。昔も今も、日本には馬鹿な女性知識人たちが大量にいたのである。

●社会評論家としての与謝野晶子

 俺としては歌人としての与謝野晶子しか知らなかったのだが、与謝野晶子の社会評論家としての側面を教えてくれるのが、中川八洋著『與謝野晶子に学ぶ』(グラフ社)だ。この本は頁数が少ないながらも非常に内容の濃い書物で、「与謝野晶子がこんなに偉大な人物だとは知らなかった!」と俺が感嘆してしまったくらいに与謝野晶子の思想を的確に解説してくれているのだ。

与謝野晶子に学ぶ―幸福になる女性とジェンダーの拒絶

 与謝野晶子はひょんなことから平塚雷鳥と論争してしまったために、その後、歌人としての活躍だけでなく、社会評論家としても第一級の活躍をし、珠玉の随筆を大量に残しているのだ。与謝野晶子の社会評論家としての活動は、中学や高校の教科書からは完全に抹殺されいるのだ。これほど酷いこともないだろう。これでは与謝野晶子をきちんとできない訳だ。

 なんでこんなおかしな現象が起こっているのはもう解っている。フェミニストたちが大学で暗躍し、執拗に与謝野晶子の功績を抹殺し続けているからなのである。

 与謝野晶子と平塚雷鳥の論争では、与謝野晶子が圧勝した。しかしそれで決着がついたのではなく、平塚雷鳥の弟子たちが大量に増殖して行くことで、逆に平塚雷鳥の意見の方が罷り通るという奇妙な現象が起こってしまったのである。現在の民主党の政策なんて、平塚雷鳥の主張とそっくりそのままなのだから、あの世にいる平塚雷鳥はシメシメと思って不気味な笑みを浮かべていることであろう。

 女性であるなら、ボサーッとしていてはならないのである。フェミニストたちは女性解放を唱えながら、女性に大して絶対的な憎悪をぶつけてくるという非常に恐ろしい連中なのである。フェミニストたちの横暴を傍観していると、いずれその魔の手があなたの元にまで及んでくることになるのだ。女性だからこそフェミニズムを破壊して行かなければならないのである。

 俺が国文学の様々な作品を読んで行った結果、戦前に於いて最高の女流文学者は与謝野晶子であり、戦後に於いて最高の女流文学者は塩野七生であるという結論に落ち着いている。両者ともフェミニズムに戦うなり、フェミニズムを拒絶していることでは共通している。女性といえども、邪悪なイデオロギーに洗脳されず、自分でしっかりと物を考えていけば、きちんとした作品を作り上げて行くことができるのである。逆に言えば、多くの女流文学者たちはフェミニズムに洗脳され、自分でしっかりと物を考えていないのであるということなのである。

 結局、どのような時代であろうとも、自分でしっかりと物を考えている女性は、後世に名を残す作品を作り上げて来るものなのである。

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密告は善である

●会社の不祥事は殆どが組織ぐるみである

 会社というものは経営をし続けなければならない。社長が命令を下しまくることで、会社は機能し続けるのである。もしも社長が命令を下さなければ、会社は内部から腐敗して行くし、たとえ社長が命令を下したとしても、その命令が間違っていれば、会社の経営は途端におかしくなってくる。

 一方、社員というのは終身雇用を前提に雇用して貰っているので、会社が腐敗してしまったり、会社の経営がおかしな方向に進んで貰っては非常に困るのである。社員であるなら、絶対に避けて通ることができないことがある。それは会社が不祥事を起こして倒産してしまうということだ。

 会社は組織として行動している以上、その不祥事を社員が勝手にやれる訳がない。必ず組織ぐるみであり、社長が命令を下したものだ。万が一、社長が命令を下さずに不祥事が起こっても、それは社長が的確な命令を下さなかったからこそ、社内が腐敗して行ってしまっただけのことなのである。

 会社の不祥事は以下の3つの原因で起こっている。

①無理な拡大路線

 会社は事業を拡大して行かなければならない。しかし無理な拡大路線は社内に大きなストレスを抱え込んでしまい。それが不祥事を引き起こしてしまうことになるのだ。社長がきちんとした経営計画を立てて、人員や資金や物資に充分な配慮をして事業を進めて行かないと、社内に不祥事が起こって来てしまうようになるのだ。ユッケの食中毒事件はこの典型例であろう。

②現状維持によるジリ貧

 社長が命令を下さないことで起き易い不祥事のパターンが、社長が現状維持に徹して、会社がジリ貧になり、そのために社員が不祥事に手を染めてしまったという遣り方だ。会社というのは毎年売上を増大させてこそ発展して行くことができるので、それなのに会社を発展させないと、社員たちに皺寄せが行き、それで不祥事を起こしてしまうことになるのだ。雪印乳業が起こした事件はこの典型例であろう。

③脱税

 日本では法人に対して過酷な重税が課せられているので、経常利益を出した企業は税金を支払うのが嫌になり、それで脱税を引き起こしてしまうのだ。脱税事件は毎年起こるものなのであるが、勿論、脱税を指示した社長は確かに悪いが、かといって経常利益からごっそりと半分を税金を取られてしまう現在のシステムなら、そのシステムこそが脱税の温床になっているのだ。  

 脱税を防ぐためにはなんといっても法人税の税率を引き下げるべきなのである。法人税を10%にし、所得ではなく収入に税金を課けて、その納税を簡素化させるべきなのである。必要経費を認めるからこそ脱税して来るのであって、所得課税ではなく収入課税に切り替えてしまえば、脱税などできなくなるものなのである。法人税の税率が10%なら、どの経営者だって喜んで税金を支払うものだ。

●密告しないと自分の責任にさせられてしまう場合がある

 もしも自分が勤めている会社が不祥事を起こしている場合、その身の振り方は慎重にならざるを得ない。不祥事を引き起こす会社というのは、その社長は自分で責任を取ろうとせず、社員のせいにして来る可能性が非常に大きいのである。下手をすると、自分に不祥事の責任をなすりつけられてしまい、警察に逮捕されたり、最悪の形で辞職せざるを得なくなるのだ。

 女性社員であっても平社員なら「その不祥事は上から命令されたからやっただけです」と言い返すことができるが、管理職に就いているのならそんなことは言えない。管理職であるなら、逆にその不祥事に積極的に関わった筈であり、「自分は知りませんでした」などという抗弁はもうできないのだ。

 管理職の女性が会社の不祥事を切り抜ける場合、巧く社内を泳ぎ回ってその不祥事には手を染めず、会社の不祥事が発覚して社長が辞任したら、その後の人事異動で巧く返り咲くようにすることだ。社長が交代すれば不祥事に関与した管理職は左遷されるか解雇されるので、巧く行けば大出世が可能になるのだ。

 もう1つの手は会社の不祥事をどこかに密告してしまい、警察の一斉捜索やマスコミの集中砲火を利用して、人為的に社長を辞任に追い込み、その勢いで以て社内の中枢に入り込み、会社の大改革を実行してしまうことだ。会社の不祥事というのは、組織ぐるみで行われている以上、自浄作用が効かないのなら、外の勢力を使って浄化して行くしかないのである。

 密告というのは善である。社内の誰かが密告してくれるからこそ、社内の不祥事が早い段階で暴き出され、社内の膿を出し切って行くことができるようになるのである。その不祥事が大きくなりすぎてしまっては、会社自体が立ち行かなくなり、倒産してしまう可能性も出て来るし、その不祥事の被害も広範囲に及んでしまうのだ。

 例えば東京電力は清水正孝社長の時期に福島第一原発に対して安全装置の取り付けをケチってしまい、それが大震災と大津波の直撃を受け、現地ではどうにもならなくなり、水素爆発が起こるという事態を引き起こし、放射性物質を広範囲に亘って撒き散らすことになったのだ。そのために大量の避難民を出してしまったのであり、その損害賠償のために東京電力は今までの蓄えを全て放出する羽目になってしまったのだ。

●密告先

 では一体どこに密告すればいいのかといえば、まずは「政府」である。但し政府は官僚主義の巣窟でもあるので、充分な証拠を持って行って密告しないと、その密告を受け付けてくれないのだ。政府に密告する際は充分に証拠を押さえてから密告するようにすることだ。

 政府の動きは鈍いものだが、敏感に反応してくれるのが「消費者団体」である。消費者団体は悪徳企業の不祥事には熟知しているので、ここに密告するとすぐさま反応してくれて、機関紙で報道してくれたり、デモ行進をしたりしてくれるのだ。意外なことかもしれないが、会社の不祥事摘発の引鉄を握るのは消費者団体であるのだ。それだけ風通しのいい団体であるのだ。

 政府以上に動きが遅いのは「マスコミ」である。密告先にマスコミを選ぶのは賢明な選択だとはいえない。密告は自分の身に危険が及ぶ以上、その密告をまともに扱ってくれないと、逆に自分が返り打ちに遭ってしまうのだ。例えば尖閣諸島で起こった事件で、海上保安庁の職員がマスコミにそのビデオを送りつけて密告したら、逆にマスコミは密告すべきではなかったとバッシングをし始め、海上保安庁の職員は警察に逮捕され、辞職に追い込まれてしまったのだ。

 なんでマスコミはこんな変なことをするのかといえば、マスコミは企業から広告を受け取ることでその経営が成り立っているからだ。特にテレビが一番ひどく、テレビCMというのは口止め料であると言われているくらいなのである。事実、テレビ局がテレビCMを出している企業の不祥事を暴いたことなど一度もないのだ。

 マスコミを密告先に選ぶのではなく、出版社を密告先に選ぶようにすることだ。出版社ならその密告に応じてくれるものであって、その出版社から出されている雑誌を通じて、会社の不祥事が暴露されることになるのだ。その暴露記事を元に警察が動くというパターンを取ることになるのだ。

●不祥事が発覚したことで会社が正常化される

 密告というのは、それがどんなものであっても、一時的に会社に損害を与えるものである。決して褒められたものではない。しかし会社がそのまま不祥事を続けてしまえば、より多くの損害を支払うことになり、下手をするとその不祥事のために会社が倒産してしまうことだって有り得るのだ。

 誰かが会社の不祥事を密告してくれたことで、その不祥事の息の根を止めることができ、会社が正常化されることになるのだ。密告した本人としては、大出世か相打ちか2つに1つのなのであって、その決断に関しては充分に慎重を機することだ。無闇に正義を振り回せばいいってものでもないのだ。

 確かに自分には夫や子供たちがいるのであって、自分が密告しても返り打ちに遭ってしまった場合、自分が解雇される羽目になる。当然に収入が激減する訳だ。しかし自分が給料欲しさに会社の不祥事に手を染めていいって訳でもないのだ。自分がそんなことをやっていれば、いずれその悪行のツケを支払う羽目になるのだ。

 会社が不祥事を起こしているのなら、巧く左遷して貰って、会社の中枢から離れるというのも1つの手だ。会社の不祥事はいずればれるものなのであって、不祥事がばれた時には会社の中枢にいる人たちは解雇されたり左遷されたりするので、巧く返り咲くことが可能になるのだ。

 最後の手段としては会社に見切りをつけ、会社の不祥事が発覚する前に辞職してしまい、どこかの会社に転職すればいいのだ。会社の幹部たちが逃げ出している時は要注意なのであって、社長の暴走をもう誰も止めることができなくなっている以上、そんな会社にいても未来はないのだ。退職金を貰える内に退職してしまえば、その方が利益は大きいのだ。

 会社が不祥事を起こして倒産してしまってはもう遅いのだ。自分が新たに職を探そうにも、必ず「ああ、あそこの会社に勤めていたのね」と言われてしまい、会社の不祥事の責任を自分が延々と負い続けてしまうことになるのだ。会社の不祥事を知っていた筈なのに、密告することをしなかった女性など、どこの会社に行っても信用されることはないのだ。

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取締役会の議事録こそ経営の実態を教えてくれる

●いっそのこと、取締役会の議事録を読んでしまえ

 会社の経営というのは、99.99%、社長の決断で決まる。社長が的確な決断をタイミング良くするからこそ、その会社は発展して行くのである。もしもその会社の社長が決断をしなかったり、間違った決断をしたり、決断の時期が非常に遅れたりしたのなら、その会社は確実に経営を悪化させて行く。

 管理職として有能無能が決まるのは、社長の命令に従うか従わないかなのである。そして管理職として出世が決まるか決まらないかは、社長の言いたいことがきちんと解っているか否かなのである。なんで有能でしかも手柄を建てている管理職が出世できないかというと、社長の命令を実行することはできても、社長の言っていることをきちんと解っていないからなのである。社長から見れば、こういう社員は「馬鹿社員」でしかないのだ。

 では、社長の言いたことをどうすればきちんと理解することができるのだろうか?

 それは取締役会の議事録を読んでしまえばいいのである。取締役会は基本的に月1回開催されるので、そこで決定したことが会社の方針となって打ち出され、それが全社員にまで命令されて行くことになるのである。それを社長の口から言われるからこそ、一体どれが重要なのかが解らなくなるのであって、取締役会の議事録を読んでしまえば、会社として何をしたいのかがはっきりと解るようになるのだ。

 取締役会の議事録というのは、関係者以外は閲覧してはならないけど、事実上は誰でも閲覧できる物なのである。取締役会の議事録を保管している人に頼めば、恐らく見せてくれるものなのである。だからこっそりと取締役会の議事録を読んでしまえば、社長の言いたいことが解るようになるのだ。

 管理職なら、最初、取締役会の議事録を読んでも珍紛漢紛であろう。しかし取締役会の議事録を読み続けていれば、一体この会社の現状はどうなっており、会社として今後何をしたいのかがはっきりと解るようになるのだ。それが解って来ると、社長や取締役たちの行動も手に取るように解って来るのだ。彼等は部下たちがどう見たとしても、それなりに合理的な行動を取っているのである。

●最初は馬鹿にされていても、その内、認められるようになる

 取締役会の議事録を読んで疑問に思うことがあるなら、まずは取締役に訊いてみること。行き成り社長というのでは拙い。取締役だからこそ良いのである。取締役でもない管理職の女性に取締役会の決定に関して質問されれば、取締役としてすぐさま質問に応じる訳がないのだ。

「お前には関係ないだろ?」

「女のくせに黙ってろ!」

「うるさいんだよ!」

 大体、こういう返事が返ってくるのだ。これは正常な反応なのである。取締役会の決定は社長と取締役たちが知るべきことであって、他の者たちが知らなくてもいいのである。そうでなければ取締役会は取締役会として機能しないのだから。まあ、大抵の女性の管理職たちはここで挫折してしまい、そこで出世が停止することになるのだ。

 しかし自分が仕事で手柄を上げながら、執拗に質問を繰り返して行くと、いずれ取締役の態度が変わって来るのだ。

「お前、良く解ってるんじゃん!」

「その質問はいい質問だ」

「俺もその点には疑問を抱いていたんだよ」

等々、以前の傲慢な態度とは打って変わって紳士的な態度を取るようになるのだ。なんでこんなことが起こるのか? 人間は排他的な動物なのであって、余所者を除去しようとするものなのである。しかしその者が追い返されても、凹たれることなく食いついて行くと、相手の態度が徐々に変わって行き、自分を仲間だと看做してくれるようになるのだ。

 ここで大事なのは、仲間だと看做してくれるまでには、時間がかかるということなのである。

 よくフェミニストたちが上げる「ガラスの天井」というのは、時間をかけずに伸し上がろうとしたからこそ、叩き落されてしまったのことなのである。時間をかけずに伸し上がってくれば、取締役たちは警戒し、その女性の管理職を叩き落としてくる筈である。会社も上層部に成ってくれば、自分が成果を出したからとか、自分には能力があるからということでは、もうそれ以上、出世できないものなのである。

 自分として思考し行動するのではなく、会社としての視点を持ち、会社のために思考し、会社のために行動することが求められて来るのである。自分の出世に焦る人は、自分のことしか考えていないから、どこかで出世が停止してしまうのである。自分が或る程度出世したのなら、自分自身が会社としての視点を持てるよう努力し、しかも時間をかけて取締役たちの仲間に入って行くしかないのである。

●自分が取締役になったつもりで仕事を勧めていると、本当に取締役になってしまう

 女性の管理職の出世が或る日突然にピタリと止まるのは、その女性管理職が自分のことしか考えていなかったり、女性であることに拘り過ぎてしまうからなのである。そういう女性管理職は上から見ていると、「使い物にならなんな」と思ってしまうのである。部下としてコキ使うことはできるけれども、大きな仕事を任すことはできないのである。

 嘗てアメリカの企業も日本の企業もフェミニストたちを積極的に採用していったという前科を持っている。フェミニストたちは男女平等を唱え、ジェンダーフリーになるから、この手の女性たちは使い物になるのではないかと思ってしまったのだ。社長にしろ取締役たちにしろ、性別を超えて、社員たちを公平に扱うからこそ、会社を機能させて行くことができるのであり、フェミニストたちはこの点、有能ではないかと思ってしまったのだ。

 しかし実際に使ってみると、フェミニストたちは女性であることに拘り、しかも男性を憎み、女性に対して憎悪して来るのである。取締役は女性であるから成れるものでもないし、取締役になったのに男性社員たちを憎悪したり、女性社員たちにも憎悪をぶつけられては困るものである。

 男性社員が出世して行くためには自分が男として男らしい行動を取り続けなければならない。女性社員が出世して行くためには自分が女として女らしい行動を取って行かなければならないのだ。しかしそれは男として女として出来て当然のことなのであって、或る段階に来れば、それ以上のことが求められて来るのである。

 自分が女性であるからこそ、女性としてすべきことをきちんとこなし、その上で、会社の視点を持つようにすればいいのである。自分が管理職なのに、取締役として行動していると、いずれ本当に取締役になってしまうものなのである。取締役会に出席している者たちからみれば、「この人物は使い物になる」というのが非常によく見えるものなのである。

●実は取締役会のポストでは必ず1人分くらいは女性のために席が用意してある

 本来なら、会社の男女雇用比率に応じて、管理職の割合も決まって来るし、取締役の割合も決まって来るのだ。しかし取締役になれる女性社員たちは非常に少ないものだ。その理由は簡単なのである。自分が成長して行っていないからなのである。或る日どこかで自分の成長をピタリと止めてしまうようなことを仕出かしてしまったのである。

 男女平等を唱えたり、女性としてすべきことをしなかったり、他の社員に憎悪をぶつけてしまったりと、大方は間違った考えに取りつかれてしまったからこそ、自分が自滅してしまうのである。勿論、出世して行くためには手柄も必要になってくる。だが、管理職として活躍していれば、それなりの手柄は立てられるものなのである。根本的な問題はその女性管理職の頭の中にこそ存在しているのである。

 そういう意味では女性管理職にとってはチャンスなのである。

 現在の日本企業では、女性の取締役の数が大いに不足しているから、自分が思考を切り替えて行けば、自分が取締役に出世して行くことができるものなのである。どんな企業であっても、取締役会には女性専用の席が1つくらいは用意してあるので、その座席が空席なら自分が座ってしまえばいいのである。

 男性たちが多くいる取締役会だからこそ、女性の意見が必要になってくる。男性の取締役たちだけでやってしまうと、間違った決定を下す可能性が高くなってしまうからだ。会社だからこそ、男性たちが得意とする論理的思考能力だけではなく、女性の直感も必要になってくるのだ。

 しかし座席数は少ないので、無闇に他の女性たちを入れないようにすることだ。女性取締役の数は限られているのであって、多くの女性たちを取締役にしてしまうと質が下がってしまい、価値がなくなってしまうのだ。寧ろ取締役会で紅一点になってしまった方が、自分の価値は最大化されるものなのである。

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取締役になりたいのなら、社史を読め!

●誰も読まない社史

 この世には売られることを想定していない本が存在している。

 それが「社史」である。

 社史は本といっても非売品の場合が多く、基本的にはその会社の歴史を記録的に綴ったものだ。社史はベストセラーになるように作られていないし、読んだ所で面白くなるようにも作られていない。そもそも文章が非常に下手糞で、一体こんな悪文、誰が書いたんだと言いたくなる物なのである。

 会社はなんで誰も読まない社史を作っているのか?

 それは会社の情報が時間の経過と共に消えて行ってしまうからなのである。会社が意図的に社史を作り、会社の情報を残して行かない限り、その会社の歴史的な情報は消えてしまい、会社としては非常に危険になってしまうからだ。創業は古いのに、それに見合う歴史的資料を残しておかなければ、そこいらのベンチャー企業となんら変わらなくなってしまうのだ。

 だからこそ会社は大金を投じて社史を作るのである。会社の寿命は30年と言われているので、30年に1度は社史を作った方がいいのだ。区切りがいいからといって100年置きに社史を作っていると、会社の存続自体が怪しくなってしまうのだ。社史を作ることで、これまでの会社経営に終止符を打ち、新たな会社経営のスタイルを模索していかなければならないのである。

 社史は誰も読みはしないのだが、社史は或る人々をターゲットにして本を作っていることは事実なのである。それは「社長」であり、「取締役」たちであり、「管理職」たちであるのだ。社史はこの人たちに何かを伝えたいからこそ、こんな誰も読まない本が作られることになるのだ。

 では社史は何を伝えたいのかといえば、まずは会社の歴史だ。特に創業者がどのような考えでこの会社を作り、その後、会社はどのような軌跡を描いて発展していたのかを知って貰うためだ。第二にどのような経営をすれば成功し、どのような経営をしたら失敗するのかを、具体的事例を持って教えて行くのだ。会社経営は成功しっ放しということは絶対に有り得ないので、失敗を多くし、その失敗をどのように克服して行ったかを教えるのである。

 そして第三が「企業遺伝子」なのである。

●社史には企業遺伝子が書かれてある

 結論から言ってしまうと、社史には「企業遺伝子」が書かれているからこそ、会社は大金を投じて社史を作るのである。自分たちは社史を編纂して、初めて自分たちの会社の企業遺伝子に気付くということも多々あり得るのだ。企業遺伝子が解ればその会社の大きな流れが解るようになり、どのように会社を展開していけば成功できるのかというのが解って来るようになるのだ。

 どの会社も全ての事業をこなすことはできない。自分たちの会社ができることは非常に限られているのだ。会社というのは何かの事業に特化するからこそ、その業界で断トツの商品やサービスを作り出すことができ、大儲けして行くことができるようになるのである。自分たちの会社は一体何をすることが許され、何をすることが許されないかが解れば、会社経営はエネルギーを効果的に使って行くことができるようになるのだ。

 社史を読む時は1ヵ月程度かけて読むようにすることだ。速読では企業遺伝子を見つけ出すことができないのだ。社史を精読するからこそ、企業遺伝子が解るようになり、その読書をする価値を生み出すことができるのだ。社史は会社から借りて来るのもいいし、もしも会社が売ってくれるのなら自腹を切って買ってしまった方がいい。いざという時に自宅で社史を見ることができるので、他の管理職より断然に仕事の出来が良くなってしまうのだ。

 社史が自分の本であるなら、社史に赤線を引いたりすることができるので、どこか重要なのかを一目瞭然で理解することができるのだ。できることならノートを取りながら読むようにし、自分の会社はどの商品では成功し、どの商品では失敗したのかを綴って行けば、何が得意で何が不得手が解るように成って行くのだ。

 社史には参考文献なんてないものだが、社史に関連する参考文献があるなら、全て集めてみることだ。社史だけ読んでいても解らないので、社史と関連する文献があるなら、社史の言っていることが良く解るようになるのだ。例をあげていうのなら、『岩波書店の社史』と山本夏彦著『私の岩波物語』の2つを読めば、岩波書店の歴史を的確に理解することができるのである。岩波書店の社史を読んでいるだけでは、岩波書店の歴史など全く理解することができないのだ。

●社史の編集委員たちは全て出世を遂げている

 社史の驚くべき側面は、社史の編集委員たちは全て出世を遂げているということだ。編集委員たちはその後、取締役になったり、社長にしているのだ。ということは、会社経営者として最も大事なのは、経営者としての知識や技術ではなく、その会社の企業遺伝子が解っているか否かなのであるということなのである。

 経営者としての知識や技術は管理職でも上級になってくれば大体解って来る。問題はその上級管理職をいざ取締役に抜擢しようとする際、企業遺伝子が解っていないと、会社としてはその取締役が使い物にならないということなのだ。企業遺伝子が解っていれば、どんな馬鹿な取締役でも経営者として使い物になるものなのである。

 自分が上級管理職になった時、管理職としての仕事をきちんとこなして来たのなら、その仕事を簡単にこなすことができてしまう筈だ。だからといって仕事で手抜きをするのではなく、多少閑だからこそ、社史を読み、企業遺伝子を掴み取って行くべきなのである。管理職で下級なら、社史を読んでもイマイチ解らないものだ。しかし自分が上級管理職になってしまえば、社史の言っていることが良く解るようになるし、企業遺伝子も掴み易くなって行くのだ。

 このことは、寧ろ政治に置き換えてみれば良く解るのではないだろうか? 政治家として活躍して行くためには、政治学の知識や、政治家としての技術はそれほど必要ではなく、『古事記』や『日本書紀』、『日本政記』や『日本外史』を精読し、日本の国家遺伝子を掴み取った政治家の方が、政治家としては使い物になるということなのである。

 日本の政治が大正デモクラシー以降、失政続きで、碌な人物が首相になって来ないのは、日本の歴史学者たちが「神話は歴史に非ず」という態度を取ってしまい、『古事記』や『日本書紀』を否定したり、歴史学の発達によって「史実とは違う」という理由で『日本政記』や『日本外史』を捨て去ってしまったからなのである。

 そのため政治家になる人たちは大学で政治学者から教育を受けた人たちだけになってしまい、確かにその人たちは政治学に関して知識を持っているのだが、実際に政治を遣らしてみると、大した仕事ができないどころか、いつも失政を展開し、外交でもボロ負けになっているのである。日本の歴史書を読んで日本の国家遺伝子を習得していないために、政治家として全く使い物にならなくなり、その悪政のために国民が大損害を被ってしまうのである。

●大きなビジョンを描く能力があるからこそ、取締役として通用する

 企業遺伝子が解ってしまうと。自分のアイデアが異様な確率でヒットし始めることになる。自分が勤める会社ではどのような商品なら成功し、どのような商品なら失敗するということが解っているので、自分のアイデアが成功する商品を生み出して行くようになるのだ。何も思いつきでアイデアを出しているのではないのだ。社史を読んだからこそ、的確なアイデアを生み出すことができるようになるのだ。

 女性の場合、自分の身の回りのことにしか関心がないので、そのままでは幾ら自分が意見を具申しても採用して貰える確率は非常に低くなってしまうのだ。しかし社史を読むことで、その会社の時間軸が解って来るようになると、この会社が一体何をすべきかが解って来るようになり、その上で意見を具申すると、物凄く通り易くなるのだ。それどこか「あの上級管理職は会社の経営が良く解っているな」と褒められてしまい、取締役へと抜擢されて行くことになるのだ。

 自分の意見が通り易くなったと同時に、社長が一体何を言っているのか良く解るようになるものなのである。社長が命令を下した場合、その命令自体は理解することができる。しかしその命令を下す真意がイマイチ解っていないのだ。ところが社史を理解してしまうと、社長はこういうことを考えて、こういう命令を下して来たのだな、ということが解り、会社への疑問というものが氷解して行き、自分はこの会社の発展のために尽くそうという気持ちに変わって行くことになるのだ。

 女性社員だからということで、女性の立場に立ってしか意見を言わない女性というものは必ず存在するものだ。しかしそういう女性社員はいずれ淘汰されて行くものなのである。なぜならいつも女性としての意見しか言わず、女性の立場を超えた意見が言えなくなってしまうからだ。確かに社内の女性の地位を改善しようとする時は、その女性社員の意見を採用したりすることはある。だがその女性社員に大きな仕事を与えることは決してないのだ。

 大きなビジョンを描く能力があるからこそ、取締役として通用するのだ。そのためにはなんといっても社史を読むことだ。その会社の企業遺伝子を掴み取ってしまえば、自然と大きなビジョンを描くことができるようになるのだ。そうなってしまえば最早、女性だの男性だの関係なくなってしまい、「この人物は大きなビジョンを描ける能力があるから、取締役に抜擢しよう!」となるのだ。

 人間は男なら男としてすべきことをきちんとしなければならないし、女なら女としてすべきことをきちんとしなければならないのだ。しかしそれが出来て終わりなのではなく、それが出来たのなら、性別を超越した何かを掴み取らなければならないのだ。これはフェミニストたちが言うように「ジェンダーフリー」を唱えたからこそできるのではないのだ。寧ろそういうことをやっている限り、掴み取ることはできないだろう。その何かを掴み取りたいのなら、社史を読むべきであり、その中から企業遺伝子を掴み取って行くしかないのだ。

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もしもタマティーが経営コンサルタントになったら

●原作はいいのに

 『もしドラ』

 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら』は原作自体は物凄くいい。というか、この本のアイデアが抜群なのである。主人公を女子高校生に設定ルすること、ドラッガーと高校野球という本来なら有り得ない組み合わせを作ること、本の表紙にアニメキャラを設置すること、もう全てがベストセラーの要素を兼ね備えているのだ。

 この『もしドラ』のアニメバージョンは物凄く良かった。スタッフは丁寧にアニメを作っているというのが解ったし、物語もきちんと成立していた。しかしこのアニメの放送予定日の最中、東日本大震災に見舞われてしまったので人気爆発せず、もう不運としかいいようのない結果になってしまった。

 アニメの出来の良さに反比例するのが映画バージョンの方だ。

 「一体、この主演女優は誰だ?」と思っていたら、AKB48の前田敦子だから、もう完全にミスキャストだよ。前田敦子じゃないんだよね~。映画を作る時は、少なくとも女優志望の女性を採用して欲しいよ、AKBの人気にあやかろうというのがそもそも間違っているんだ。監督がヘトヘトになって「これだ!」という女優を見つけることが、監督の大事な仕事だと俺は思うよ。

 俺はどうも秋元康と相性が悪いようだ。おニャン子くらぶの時も、今回のAKB48も、なんかその女性アイドルたちに魅力を感じることが全くないのだ。ところがこうやって人気が爆発してしまうと、至る所に出て来るので、本当に迷惑なんだ。テレビを見る時は、AKBが出て来たら、チャンネルをすぐさま変えるようにしているよ。

 『もしドラ』の映画バージョンが不発なので、そこで今回、タマティーが面白い物を作ってしまうことを決意した。その名は、

 『もしもタマティーが経営コンサルタントになったら』!

 『もしドラ』を思いっきりパクって、タマティーが経営コンサルタントになって、赤字企業を思う存分立て直すという物語である。それでは始まり始まり~。

●従業員の半分を解雇する

 赤字経営で苦しむA社。

 このA社の社長がタマティーに会社再建を依頼して来た。そこでタマティーはA社を訪れ、A社の社長に会社再建のアイデアをバンバン与えることになった。「まずは従業員の半分を解雇せよ。赤字企業なんだから従業員を半分解雇すれば、その人件費が浮き、少なくとも運転資金は確保できるようになるのだ。」と。

 なんで従業員の半分なのか?

 「80対20の法則」を使えば、下位50%の従業員たちの生産量はたった5%しかないのだ。その会社の生産量の95%は上位50%の従業員たちによって生産されれているのである。だから下位50%の従業員を解雇しても別に問題はないのだ。それどころか解雇したことで会社の経営は刷新され、人件費が激減し、赤字経営を解消することができるようになるのである。

 しかし上位50%の従業員たちだけを集めても、いずれ「80対20の法則」が作動して、再び下位50%の者たちが無能化して行くので、そこで新規に若い従業員を採用して、会社の人材の活性化を図るようにするのだ。こうすれば従業員の質が高くなり、その質の高さによって若手たちも優秀になって行くのだ。

 より突っ込んで経営再建を行うのら、顧客に対しても「80対20の法則」を使って再編成して行く。顧客を半分に分割し、利益率の低い顧客を切り捨て、利益率の高い顧客だけを残し、その方面のサービスを急激に向上させる。顧客の上位50%が会社に対して95%の利益をもたらすので、その顧客たちこそが大事なのであって、他の顧客たちは大事ではないのだ。

 A社がこの経営再建策を実施すると、あ~ら不思議、たった3年で経営を再建してしまい、黒字に転じてしまったのだ。しかも以前より遥かに高い経常利益を叩き出し、会社の経営は非常に安定化するようになった。社内は和気藹藹で従業員たちはみんな笑顔で取り組み、顧客たちもA社からサービスを受けると笑顔になってしまうのだ。

●実はアメリカの企業はこれをやっている

 さすがにこんな経営再建策、日本では乱暴すぎるものであろう。日本でやれば当然に猛反発を食らうことになる。しかしこの経営再建策は経営コンサルタント業としては理論上最高の物であるのだ。どんな赤字会社であっても、この経営再建策を実施すれば経営を立て直すことができてしまうのだ。

 実を言うと、これほどまでに完璧な形ではないが、アメリカではこれを縮小した形でこの理論を実施しているのだ。アメリカ企業は赤字に転落してしまうと、ばっさりと従業員を解雇し、顧客の整理にも着手することになる。当然に労働組合は猛反発するし、既存の顧客たちだって「なんだあの会社は!」と言って来るようになる。

 だがこれによって会社の経営は再建され、無能な従業員たちを追い払うことができると同時に、優秀な従業員たちだけを残すことができ、しかも費用のかかる顧客を切り捨てることができると同時に、逆に自分たちの会社に利益をもたらしてくれる顧客だけを相手にすることができるようになるのだ。

 だからアメリカは経済が強いのだ。経営再建策を採用した会社は当然に経営が再建されることになる。解雇された失業者たちが大量に存在するので、新しい企業が勃興してくる余地が幾らでもあり、ベンチャー企業が失業者を吸収して行くことになるのだ。日本のように赤字企業がのうのうと存続し続け、ベンチャー企業が出にくいということがないために、常に経済は繁栄して行くことになるのだ。

 その分、弊害も大量にあって、企業が長期的戦略を取れなくなり、短期的戦略しか取れなくなってしまう。当然に製造業に関してはアメリカ企業よりも日本企業の方が強い訳だ。逆に金融業のように短期的に結果を出さなければ圧倒的に強く、アメリカに対抗できる国家は1つも存在しないのだ。失業者が多いということは社会問題も深刻化になり、ホームレスが大量にいたり、麻薬が蔓延したりすることもある。しかしその影の部分だけを見るとアメリカ経済の強さを全く理解できなくなってしまうのだ。

●なぜ日本ではできないのか?

 日本だってアメリカ経済のように強くなりたければ、タマティー流の経営再建策をさようすればいいのではないかと思ってしまう。しかし日本とアメリカとでは歴史も文化も経済も違うので、そのまま採用することはできないのだ。日本の事情をきちんと理解してから経営再建策を考えないと、日本では通用しないのだ。

①貿易立国

 日本は天然資源が少ないので、外国から天然資源を輸入し、それを加工して輸出し、お金を設けるという遣り方を取らざるをえない。このために技術を日々向上させなばならず、それゆえ従業員を大量に解雇するということは非常に危険なのだ。それよりも従業員を終身雇用で採用してしまい、高度な技術を持つ職人に育て上げる必要性があるのだ。

②会社組織が違う

 日本の企業は会社組織がそもそも違う。従業員を総合職と一般職に分け、総合職を管理職に育て上げて行き、その中から社長を生み出して行くシステムなのである。アメリカの会社のように外から社長を持って来るシステムにはなっていないのだ。そのため従業員を大量に解雇してしまうと、次期社長候補がいなくなってしまうという弊害が出て来るのだ。

③労働法

 留めが労働法である。労働法が非常に厳しく、企業が従業員を解雇するのに様々な制限を加えているのだ。確かに嘗て労働法は労働者の地位を改善するには効果があった。しかし現在では時代遅れという条項も大量に含まれているので、このために企業が解雇できず、無能な従業員を大量に抱え込んでしまうのだ。

 気をつけるべきは、製造業では従業員を余り解雇しない方がいいのだが、それ以外の産業では解雇はした方がいいのである。特に金融業では無能な社員を解雇するのは当然なのであって、無能な社員を抱え込んでいたら、金融業は発展して行かなくなってしまうのである。労働法は製造業を前提に法律を作っているので、金融業には不適合になってしまうのだ。

●合法的にやるなら企業分割

 勿論、日本企業といえども、従業員を合法的に解雇し、労働組合が猛反発して来ないように解雇して行けばいいのだ。例えば無能な従業員を子会社に出向させてしまい、子会社に無能な従業員を押しつけてしまうのだ。当然に子会社はこの無能な従業員を押しつけられるために経営はそれほど振るわなくなってしまうのだ。 

 一時期、成果主義を採用する会社が多く出て来たのも、無能な従業員を解雇するために戦術なのである。当然に無能な従業員は成果を出すことなんてできないのだから、給料が下がってしまい、自発的に辞めるように仕向けるのだ。成果主義というのはこれをするために採用したのであって、本当に従業員の成果を競わせるものではないのだ。

 会社が企業分割を行い、無能な従業員たちを新設の会社に入れてしまい、既存の会社には優秀な従業員たちを残すというのも、事実上の経営再建策なのである。これをやると当然に既存の会社の経営は再建されてしまい、しかも新設の会社では以前なら士気の低かった従業員たちも自分で仕事をしなければならなくなるので、生産性が上昇して来るようになるのだ。

 もう1つ、どの企業も実はタマティー流の経営再建策を既婚女性限定で採用していたのだ。というのは女性の従業員たちは結婚を機に辞める者たちが続出し、結婚後に辞めなくても妊娠や出産を機に辞めてしまうので、優秀な既婚女性たちだけが会社に残ることになるのだ。

 だからこそ会社に雇用され続けている既婚女性たちの能力は非常に高いのである。一方、独身女性の方はこの選別がなされていないので、意外と能力は低いのである。日本企業が強かったのは、既婚女性に対しては選別を行っていたからなのである。しかし女性たちの結婚率が低くなってくるとこの選別ができなくなるので、日本企業は経営を悪化させ続けることになってしまったのである。

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「終身雇用」と「年功序列」と「男女雇用比率不均衡」の三位一体は絶対に変わらない

●日本企業が圧倒的な攻撃力と防御力を持つ理由

 日本経済は産業資本主義に関しては大成功したのである。成功したからこそ、戦前には日本のお手本として挙げられていたドイツやフランスやイギリスを追い抜いてしまったのである。アメリカは現在覇権国家なのでさすがに追い抜くことはできないが、それでも良質の工業製品を世界中に販売することで日本の繁栄は維持されているのである。

 日本企業がなんでそこまで強くなれたかというと、それは製造業に属する日本企業の多くが、「終身雇用」「年功序列」「男女雇用比率不均衡」の三位一体を取り続けたからなのである。戦前の日本企業がこの三位一体を採用していた訳ではないのだ。日本だって戦前は西ヨーロッパ式の資本主義でやっていたのだ。しかし西ヨーロッパ式の遣り方では労働争議が激化してしまうからこそ、戦後の大混乱を利用して、日本独自の資本主義へと移行していったのである。

 日本企業はこの三位一体を使って大成功を収めた以上、この三位一体を捨て去る訳がない。日本企業がすべきことは、この三位一体を保守し続けることなのであって、そう簡単に廃棄する訳がないのだ。勿論、この三位一体に関して問題点がないとは言い切れない。しかしだからと言ってその問題点を重視する余りにこの三位一体を放棄したら、日本企業の圧倒的な攻撃力も防御力も失われてしまい、他国に追い抜かれてしまうことになるのだ。

 事実、日本のマスコミがバブル経済辺りから、「終身雇用」や「年功序列」や男女効用比率不均衡」の批判する報道や論評をし始めるようになってから、会社経営者たちの中からもこの三位一体に対する批判を公然とするようになったり、政府に至っては男女共同参画社会と称して、日本企業の組織に手を突っ込むようなことを平気でするようになったのだ。

 それでどうなったか?

 バブル景気は破裂し、日本はその後ズ~ッとデフレ不況のままである。日本国民の所得は20年近くに亘って上昇していないし、自殺者は増え続けているのである。挙句の果てには中国に追い抜かれてしまい、日本は世界第三位のGDPを有する国家になってしまったのだ。憲法に於いて軍備を持つことが禁止されている日本に於いては、この状況は非常に危機的な状態なのである。

●それは同時に生産性の低下という代償を支払うことになる

 終身雇用や年功序列をマスコミが批判するけど、雇用されるビジネスマンたちにとっては、このシステムが必要だからこそ維持され続けているのである。大学を卒業してどこかの企業に就職して行く場合、その企業が終身雇用をしてくれるのなら、今後、解雇されることもないし、転職する必要性もないのだ。しかも年齢に応じて給料が上がって行くから、結婚することも可能になるし、マイホームだって買うことが可能になるのだ。もしもこのシステムがなければ、結婚だってできないし、マイホームを買うほどの給料だって貰えないということなのである。

 男女雇用比率が不均衡になっても、それは男女双方に問題はないのである。男性優位になるのは製造業だけなので、逆にサービス業は圧倒的に女性が優位なのだ。製造業にのこのこと就職してきた女性が、自分が出世できないことを騒ぎ立ててそれを大問題にしてしまうが、だったら他の業界に就職すればいいのである。男女雇用比率の不均衡を問題視する方が異常なのである。

 マスコミや政府の反応とは別に、製造業の経営者たちはこの三位一体が違う所で問題を起こしているのを重々承知している。それは「生産性の低下」だ。この三位一体を導入して真っ先に問題として出て来たものは、残業が当たり前のように行われてしまい、それによって長時間労働になり、その長時間数で生産量を割れば、当然に生産性が異様に低い結果になってしまったのだ。

 日本企業としては生産性の低さが問題になっていると解っているからこそ、政府が男女共同参画社会を推進すると、或る部分までは同調するという得体の知れないことをやっているのだ。というのは女性の労働環境を改善すると、それに付随する形で残業の削減が行われてしまい、結果的に女性社員にも男性社員にもいい結果をもたらすことになるからだ。

 しかし政府が本当にすべきことは男女共同参画社会の推進ではないのである。減税なのである。政府が減税さえしてくれれば、社員たちにより多くの賃金を支払うことができるのである。社員に高給を支払いたくても、重税でごっそりと税金を持って行かれれば、企業だってそれを実行することができないのだ。

●原則を維持しつつ、例外を認めて行く

 製造業であるなら、この三位一体を放棄する訳がない。この三位一体を放棄した瞬間に日本の製造業は完全に破滅して行くことになるからだ。隣国に韓国や中国といった製造業が主力になっている国家が存在する以上、日本の製造業の破滅は、国家の破滅になってしまうものでもあるのだ。

①インターン制の導入

 日本企業がこの三位一体を維持して行くためには、或る程度の補強は絶対に必要になる。例えば大卒者をすぐさま雇用してしまうのではなく、大学4年時に就職活動をして内定を出したのなら、その後、インターンとして1年間働いて貰い、優秀な学生だけを選抜し、インターンを遣っている最中に仕事の基本を覚えて貰うようにするのだ。

 幾ら終身雇用だからといって、今までのように全ての新入社員を定年まで雇用し続けることはもうできないのだ。終身雇用していいのは優秀な人材だけなのであって、その人材を選抜し、入社する前に教育して育て上げてしまえば、当然にその新入社員は終身雇用に値する優れた労働をしてくれるようになるのだ。

②成果主義的要素を加味する

 日本企業の年功序列では年齢に応じて或る程度の功績を立て、能力を向上させて行くなら出世させるのであるが、今までのように能力主義に重点を置くのではなく、成果主義をも加味して行くというのは充分に予想される。というのは30代か40代で何かしら成果を出し続けない限り、上級管理職として全く使い物にならなくなってしまうからだ。なんもミスもしなかったから出世できたというのでは、無能な人間が出世して行くだけになってしまうのである。

 成果主義を加味するということは、それだけアメリカ企業の遣り方にシフトして行くのであるが、そうなると出世競争に負けた連中を如何に処理して行くかが問題になって来るのだ。現在、成果主義は無能な中高年の社員を首切りにする理由として使われているのであるが、年齢が40歳を過ぎてからではもう再就職先だって厳しいものになってしまうのだ。

③派遣社員の採用と解雇

 もう1つは派遣社員の枠を大きく取り、これによって終身雇用する社員を少なくしてしまうのだ。派遣社員は終身雇用の恩恵も年功序列の恩恵も預かることはできないので、企業としては低賃金で働かせることができ、企業の財務を一気に改善して行くことができるようになるのだ。しかも会社の経営が苦しくなれば、派遣社員を解雇してしまえばいいので、不況を巧く乗り切ることができるようになるのだ。

 しかしこのことは日給取りと月給取りの差別を撤廃して繁栄を築いた遣り方を事実上放棄することになる。派遣切りが深刻な問題になってしまうのは、戦前の労働争議と同じなのであって、派遣社員になるような人たちは高い知識や高い技術を持っていないので、単純労働にしか使えないから、企業の経営が苦しくなればすぐさま解雇されてしまうのだ。この事実を知れば、如何に終身雇用や年功序列が社員たちの知識や技術を向上させたかが解ることであろう。

④既婚女性たちへの自宅勤務の整備

 男性が優位になっている企業であっても、或る程度までなら女性社員の枠を増やして行く改善策は取って行くことになるのであろう。男性が如何に多い企業でも最大30%までなら女性社員を増やすことができるからだ。しかも女性社員が多くなれば、男性社員たちは活気づくことになるので、女性を登用して行くことは会社全体としていい結果をもたらすことになるのである。

 恐らく今後問題になって来るのは、既婚女性をどうやって雇用し続けるかということであろう。既婚女性の内、半分近くは平均以上の能力がある女性たちなので、これを結婚退職させていては企業にとって非常に損失になっているのだ。妊娠中や育児中は自宅勤務を認めて、自宅できる仕事を既婚女性に回してしまい、自宅で仕事をこなせるようにして行くことは必要なことなのである。

●外国と比較するより、独自路線を歩むことの大切さ

 よく日本の知識人たちは「欧米ではこうなっている。それに対して日本は遅れている」という論法を行って来るものであるが、産業資本主義に関しては日本の断然進んでいるのである。西ヨーロッパは最早嘗ての輝きを失っているし、アメリカ合衆国は国内の産業が衰退しても、覇権国家として世界各地から資本を受け入れているからこそ繁栄しているだけなのである。

 俺は自宅で海外の製品を使う際、「この商品はいい商品だな~」と思うのは、圧倒的に西ヨーロッパ製の物が多い。例えば服に関してはイタリア製の物が最もファッションセンスが優れているし、バッグや香水ではフランス製の物が一番優れているし、肉を切る包丁に関しては矢張りドイツ製の物が一番良いのだ。なんでこんな現象が起こるのかといえば、これらの国家では最早量産品の商品で勝つことができず、高級品を作ることで生き残ることを選んでいるからなのである。

 一方、イギリスやアメリカは覇権国家を経験しているから、そんな悠長なことをしない。不況になればバッサリと社員を解雇してしまい、雇用し続けている社員に対して安月給で済ましているのである。それになのに社長や取締役たちはj数十億円や数百億円もの報酬を受け取っているのである。これでは優れた商品を作り出せる訳がないのだ。

 明らかにアングロサクソンたちは異常な資本主義を遣り続けているのである。勿論、日本がこの資本主義に対抗して行くためには、金融業を中心としてアメリカ式の遣り方を採用しなければならない。だからといって製造業にまでアメリカ式の遣り方を押しつけられては堪ったものではないのだ。

 西ヨーロッパがなぜ近代化以降発展できたのかといえば、自分たちが最善だと思うことを遣り続けたからだ。日本だって近代化以降、自分たちが最善と思うことを遣り続けたからこそ繁栄し続けたのである。アメリカ合衆国が覇権国家として繁栄しているからといって、羨望すべきではないのである。あれは覇権国家だからこそできるのであって、それよりも日本は日本独自の路線を歩み続けた方が、国民を豊かにして行くことができるようになるのである。

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タマティークラブ 6月号 『安産になりたければ、水天宮に参拝すべし!』

●只今、独特の占いに嵌っております!

 タマティーは妊娠やら出産やら育児やら、はたまたお金のことに関して意見を言ったりしているのですが、実は専門としているのは「運命学」なんです。運命学といっても、理論的な説明がつかないものには手を出さず、必ず理論的な説明がつくものだけに手を出しています。例えば「姓名判断」だとか「算命術」とかです。筮竹やタロットのような物は理論的説明がつかないので、それがどのような効果を発揮しようとも採用しないんです。

 そのため俺の運命鑑定は的中率が高いし、それをきちんと説明できるので、結構、重宝がられる訳です。それに何より運命鑑定をやっている本人が納得のいく運命鑑定をやっているので、ストレスが全く溜らないんです。占い師とかで確かにその占いは当たるんだけど、肝腎の本人が病気になってしまったりするのは、矢張りその占い自体に無理があり、運命鑑定をする度にストレスを溜め込んでいるからなんだと思う。

 だがしかし、最近、東京に住む億万長者の方から或る占いを教えて貰い、日々せっせと自宅でそれが本当に効果があるのか確かめている最中なんです。その独特の占いは「的中率80%」の驚異的な高さを誇るので、筮竹やタロットのようには馬鹿にはできないんです。その癖、やっていることは筮竹やタロットよりも簡単なので、余計に俺を悩ませるんです。その億万長者の方は、この占いをビジネスで使って億万長者に伸し上がって来たので、決して馬鹿にはできないんです。

 俺としてはまだまだ下手糞なので的中率はそんなに高くはないのだけれど、確かに実際にやってみると、この占いは驚異的な威力を発揮します。俺が長年に亘って悩んでいたことを占ってみると、それが巧く解決できてしまったので、自ら「この占いは本当に凄い占いだ!」と感心してしまっているんです。

 この占いを使って、「日本で安産に最強の効果を持つ神社はどこですか?」と占ってみることにした。占いの結果は

 「水天宮」であると出た。

 水天宮って一体どこの神社? 横浜生まれのタマティーにとっては全く知らない神社が出て来てしまったのだ。

●水天宮の由来

 水点宮とは半蔵門線の水天宮前駅の駅前にある神社のことだ。この神社は駅前にあるので行けばすぐ解るが、駅名がつくほどの神社でありながら、神社としては意外に小さい。もともとは久留米藩有馬家の屋敷神として祀られていたものを、第9代藩主有馬頼徳の時に、三田にあった有馬藩の屋敷に分霊され、以来、庶民たちの崇敬を集めて、明治になってから現在の地に移ったとのことである。

 祭神は「天御中主大神」「安徳天皇」「建礼門院」「二位の尼」である。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、建礼門院に仕えていた女官、「按察使局伊勢」が九州の千歳川の鷺野ヶ腹に逃れてきた。その後、按察使局伊勢はこの地に祠を建て、平家一門の霊を慰め、里人に請われて加持祈祷を行っている内に霊験あらたかになり、徐々に崇敬する人々が多くなり、それで尼御前神社となり、そして水天宮へと発展して行ったのである。、

 神道の教義から言うと、この神社は「怨霊鎮魂」の神社となる。神道では神道家たちを生まれながらにして「神の子」と看做すので、当然に「永遠の命」を持つことになる。そのため、もしも神道家が怨みを抱いて死んでしまうと、その霊魂は怨霊となって祟りをなし、現在生きている人々に不幸をもたらすことになるのだ。しかし現世に生きる人々はその怨霊に対して鎮魂を行い、霊を慰めてしまうと、その怨霊は「御霊」に変わって、逆に人々の幸福を授ける霊魂になるのである。

 ではなんでこれらの祭神が安産の神となったかというと、「安徳天皇」「建礼門院」「二位の尼」が三点セットで祀られているからであろう。「建礼門院」は安徳天皇の母君、「二位の尼」は安徳天皇の祖母であるので、実は母系家族的要素が非常に強い祀られ方をしているからなのである。さすがは古代に於いて邪馬台国があった九州ならではことなのである。

 もう1つの理由はこの三者全員が入水することで死んでしまったということであろう。不幸な死に方をしたからこそ、現在生きている我々は幸福に生きなければならないという逆説が生まれて来るのだ。それに出産は母子ともに死の危険性が伴うので、死を覚悟することでその危険性を回避しようとするのである。

●安産するからいい霊気が集まって来る

 実際にこの水天宮に行ってみると、想像を遥かに超えて、大量の参拝客で賑わっている。基本的に夫婦や家族連れで来ている人たちが多く、これが戌の日になれば大行列を組むことになるのだ。江戸時代から庶民の間で人気を博していたと言われるが、それが現在にも続いているのだ。

 嘗て結婚式場には悪霊が溜まり易いという記事を書いたことがあるが、妊娠や出産関連の神社は逆にいい霊気が集まって来る場所になる。出産というのは女性が経験する中で最も感動的な出来事なので、出産を安産で行うことができた女性たちは非常に強烈な霊気を発揮してしまい、その霊気が神社に集まって来ることになるのだ。

 勿論、妊娠や出産で失敗する人たちも出て来る。しかしわざわざ安産祈願に神社にまで参拝して来る妊婦たちは、そもそも体力があるってことだし、妊娠や出産に対して他の妊婦たちよりも気を使っているからこそ、安産に至ってしまう確率が非常に高くなるのだ。もしも安産祈願したのに、それでも妊娠や出産に失敗したとしても、こういう妊婦たちは自分に何かしらの落ち度があったと思ってくれるので、結婚式場の時のように悪霊になった祟るということはしないのである。

 そのため安産関連の神社は一旦成功し始めると、次から次へと人気を博し続けることになる。当然に初めて妊娠した女性は、安産で出産した女性たちにあやかろうとする訳だから、続々と参拝して来ることになる。そして自分が安産で出産したら、「あその神社は霊験あらたかだよ」と言い出し始めるので、それでクチコミで広がり、より多くの妊婦たちを惹きつけることになるのだ。

 俺としてはこの水天宮なる神社は知らなかったので、この水天宮が東京都でこれほど人気を博している神社だとは全然知らなかった。神社というのは正月三箇日を除けば、気楽に参拝できてしまうものだが、まさか戌の日になる度に大行列になる神社があったというのは、非常に驚きなのである。

●安産になったら必ずお礼参りをするべし

 妊婦であるなら妊婦としてやるべきことはやるべきだが、自分の力ではどうにもならないことだってある。だからこそ神社に参拝して安産祈願で安心感を得るのである。こういうことを馬鹿にしていると、自分で何もかもやろうとするようになってしまい、出産時に有り得ないような悲惨な事態を迎えてしまうのである。

 それと妊婦が参拝するために歩くし並ぶし、結構重労働なので、参拝するだけで体力がつくことになるのだ。夫婦で参拝すれば、恐らく1日がかりの作業になるので、帰宅すれば心地よい疲労が発生するので、その日は熟睡できることであろう。妊婦が熟睡してくれれば、胎児は健康に育って来るので、当然に安産になる確率が上がって行くことになるのだ。

 トドメは神社で腹帯を貰うことで、これこそが妊婦にとっての通過儀礼になるということだ。初めての妊娠なら絶対に腹帯をつけて「自分は妊婦になったのだ」という自覚を持つようにした方がいい。実際の妊婦生活では、腹帯よりも妊婦専用の腹巻やデカパンの方が役に立つのだが、儀式は儀式として尊重しておいた方がいい。古代の人々はこうやって安産を祈願していたのだよと、自分が腹帯をつけることで伝統を引き継ぐことになるので、自分の命が古代から連綿と受け継がれていたことを理解できるようになるのだ。

 もしも水天宮に参拝して安産になったのなら、必ず赤ちゃんを連れてお礼参りをすることだ。出産が成功した女性たちが参拝してくれるからこそ、今から出産しようとしている妊婦たちに自分の幸福をお裾分けすることができるのである。自分が安産で出産して、後は知らんぷりでは、必ず不幸が襲いかかって来るものなのである。

 本当に世の中は意外や意外なのである。まさか水天宮が日本最強の安産の神社だとは知らんかったし、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後に、女官が平家一門の霊を慰めてたことで安産の神社が生まれることになったし、俺は半蔵門線には乗ったことがないので水天宮前駅という駅があることも知らんかった。世界は狭いように見えて、本当に奥深い!

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人口ゼロ成長なのに日本政府は間違った政策を取り続けている

●政府は今後も成長拡大路線を取り続けたいだけ

 日本は明治維新以来、人口成長をし続けた。3千万人でスタートした近代日本は、常に人口を成長させ続け、1980年代には1億2千万に達した。その後は、初めて人口成長が鈍磨し、人口はゼロ成長に転じ、1億2千万人台で人口は維持され続けているのだ。政府は出生率がどうのこうの言って来るのだが、この人口数の増減こそが大事なのであって、出生率というのはそれほど大事ではないのだ。

 人口成長が200年以上続いて来たために、日本では人口ゼロ成長の時代を知る者が誰1人としていなくなってしまった。そのため人口成長が止まったのに、日本政府は今まで取って来た成長拡大路線をそのまま取り続けてしまい、それで政治は悉く失政になってしまったのだ。自民党はバブル経済崩壊以降、10年以上迷走し続けたし、民主党は自民党以上に悪政を展開することになってしまったのだ。

 特に民主党は自民党政治を批判することしか頭にないので、人口ゼロ成長がどのようなものなのか全く解っていないのだ。

①増税

 菅直人首相は消費税を10%に増税することを決断したのだが、人口がゼロ成長になっている段階で増税というのは絶対にやってはならないことなのだ。人口が増えていないということは、GDPもそれほど増えて来ないということなので、増税すればそれだけ国民への税負担が非常に重たくなってしまうのだ。人口が成長している時代なら増税しても国民が豊かになることもあるが、人口ゼロ成長では増税すると確実に国民が貧しくなって行くのだ。

②子供手当て

 民主党が政策の目玉として掲げているのは「子供手当て」なのだが、この子供手当てもやってはならない政策なのである。というのは人口ゼロ成長ではどの夫婦も子供を多く産んで来ないので、政府が子供手当てを出して、人為的により多くの子供を産んで貰おうという政策は非常に危険なのだ。少子化は必然なのであって、政治の力で少子化を克服するのではなく、少子化に対応した政府を作るべきなのである。

③移民の容認

 民主党の党員たちの頭は狂っているんじゃないかと思ってしまうのが、移民の容認である。現在起こっているのは人口ゼロ成長であって、人口減少ではないのだ。人口は今後一定として経済を再編成して行けばいいのだ。それなのに海外から移民を受け入れてしまえば、経済の再編成が進まず、国民が逆に低賃金になってしまい、益々貧乏になってしまうのだ。それどころか移民より貧困に晒されるので、犯罪の温床になり、日本の治安は確実に悪化してしまうのであり、その犠牲者になるのは純血の日本人たちなのである。

●江戸幕府の大失敗

 自民党も民主党も人口ゼロ成長に対応した政治に切り替えるということに大失敗しているのだが、実を言うと江戸幕府も大失敗を仕出かしてしまったのだ。江戸時代では幕府創設から元禄バブルまで人口は拡大し続けるのであるが、徳川吉宗の頃になると人口はゼロ成長に転じ、それ以降、人口は増えなかったのである。

 それで徳川吉宗は「享保の改革」を実施し、今まで四公六民の年貢を五公五民とする増税を行ったのだ。しかも収穫量の変動に関わりなく一定の年貢を納めるという「定免制」を導入して、より増税を強化したのである。まさに現在の民党政権がやっていることをやったのである。

 それで一体どうなったか?

 農村は困窮化して行き、百姓一揆が多発するようになったのだ。しかも享保の大飢饉が起こり、全国で多数の餓死者を出すようになってしまったのだ。享保の改革というのは要は失敗したのに、それなのに学校の日本史の授業ではなんだか成功したように書かれているから、国民はその悪政の恐ろしさが解っていないのである。

 その後に続く「寛政の改革」も「天保の改革」も皆同じで、増税を行うことで幕府の財政を立て直すことだけを考え、そして大失敗に至るとういうことを繰り返してしまったのである。人口ゼロ成長下では増税は禁じ手なのであり、政府がすべきことは減税しかないのである。

 なんでこんなことになってしまったのかというと、儒教には政府の規模が人口の変動に応じて変動するという思想がなかったからなのである。人口ゼロ成長では人口が増えていない以上、増税は不可能なのであり、減税することで政府の規模を小さくして行き、国民を豊かにして行くという政策こそが、最善の政策となるのである。

●減税をして政府を小さくして行く

 民主主義は儒教以上に人口の増減こそが政治を変化させるということに解っていない。人々の思考には必ず時間差というものがあるために、人口成長の時期に生きていた人たちが政治家になってしまうと、人口ゼロ成長になったのに、人口成長の時期にとった政策をそのまま採用してしまうのである。菅直人首相が増税に躍起になっているのも、高度経済成長期ではそれが成功した経験があるからなのである。しかし人口ゼロ成長下ではその政策こそが大失敗に終わってしまうものなのである。

 人口ゼロ成長に突入した日本政府がすべきことは、国民租税負担率を10%にまで低下させるということだ。当然に税収は激減するので、政府の規模を小さくし、国家公務員を大いに削減していかなければならないのだ。国会議員も人員整理の対象なのであって、例えば衆議院議員なんて300名もいれば十分であり、他の議員たちを解雇していくべきなのである。

①所得税の廃止

 日本政府がすべきことはまず所得税を廃止することだ。所得税は納税が非常に複雑な手続きを経るので、所得税を廃止し、収入税を導入することで納税の簡素化を図るべきなのである。収入税の税率を10%にしてしまえば、誰もが進んで納税するようになり、脱税する人たちが激減することになるのだ。

②相続税の廃止

 それに続いて相続税を廃止することだ。人口ゼロ成長では当然に少子化になるので、的確に遺産が子供たちに相続されることで、国民の富の分割を防ぐべきなのである。国民が資産を持っていれば、政府に社会保障を充実してくれなどと言わなくなるので、政府を小さくして行くことができ、減税を加速させることができるのである。

③法人税の税率を10%に減税する

 法人税も所得に課税する方式を改め、収入に課税する方式にし、その税率を10%にしてしまうことだ。人口ゼロ成長では企業の国際競争力が問題になってくるので、企業にお金を持たせることが海外の企業との競争に打ち勝つ最善の政策なのだ。政府が国民に重税を課し、それを補助金として分配するようなことをやっていると、日本企業は全滅するという自体も有り得るのだ。

④二重税制の導入

 こうやって減税を推し進めて行くと、「金持ち優遇だ!」と言い出す連中が必ず出て来るので、そういう意見を封じるために二重税制を導入することだ。貧富の格差の是正を唱える人たちには累進課税を課し、確実に貧乏にさせるようにするのだ。最高税率を50%にしてしまえば、貧乏人に転落することになるので、貧富の格差を是正しようなどという意見が出回らなくなるのだ。

●人口ゼロ成長の黄金時代があればこそ、体制崩壊後の大発展が可能になる

 政府は人口ゼロ成長を恐れ、なんとか人口が増大に転じてくれるようにしている。それが間違った政策なのである。なんで政府が人口ゼロ成長を恐れるのかといえば、人口ゼロ成長になってしまえば、政府の規模を小さくし、国家公務員を削減していかなければならないからだ。自分たちが失業してしまうからこそ、人口ゼロ成長に恐れを抱いてしまうのである。

 人口は増大しっ放しということはない。必ず人口の成長が停止する時代が遣って来るのだ。その時代は実は「黄金時代」なのである。人口が増加しないために、国民の個人レベルの所得が増加して行き、国民は非常に豊かになって行くのである。国民が豊かであればこそ、文化が花開き、様々な文物が生み出されて行くことになるのだ。

 江戸時代でも後期になると、国学や蘭学が大いに発展し、文学も浮世絵も隆盛を極めるようになるのだ。現在の日本も今後は学問や文学や芸術が大いに発展して来る筈なのであって、政府が増税という馬鹿げた政策を取らなければ、世界の中で最も高い文化を放って来るようになり、それによって日本が益々豊かになって行くことになるのだ。

 人口ゼロ成長下では、政府が増税することで財政再建に着手すると、その10年後以内に破滅が始まり、天変地異が乱発して来ることになるのだ。政府に資金が集中し、国民に資金がなくなってしまうので、本来なら天変地異を防げたのに、国民たちは個人レベルで何も行動できなかったために、天変地異を止めることができず、大量の死者を出してしまうようになるのだ。享保の大飢饉も天明の大飢饉も天保の大飢饉も全て原因は幕府の増税が引き起こしたものなのである。

 日本は江戸時代後期に人口ゼロ成長を経験してくれたからこそ、明治維新以降の大発展が可能になったのである。江戸時代後期に国民の個人レベルの所得が上昇し、国民が学問に充分な資金を投資できるようになったからこそ、西ヨーロッパで発達した科学を理解し、導入して行けるだけの力を持つことができたのである。

 そういった意味で、国民は減税を要求し、国家公務員を大いに削減し、政府の規模を小さくして行くしかないのである。人口ゼロ成長に突入したのに、増税することで社会保障を充実するという考えは、それこそ国民自体を完璧までに貧乏にし、日本の未来を完全に破壊することになるのである。

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人口がゼロ成長になれば、成熟濃縮ビジネスが大当たりする

●人口がゼロ成長になっても別に困ることはない

 日本の人口はここ数十年の間、1億2千万人台になり、人口のゼロ成長が続いているのであるが、政府はこれを問題視し、どうにかして人口を増大させようと躍起になっている。政府は子供手当てを出そうとしたり、高校の無償化を行ったり、とにかく人口が増えればそれで万々歳だと思っているのだ。

 しかし現実は人口のゼロ成長を続けているのであり、実はこの人口のゼロ成長の方が国民を豊かにすることになるのだ。

①人口がゼロ成長でも個人の所得は上昇する

 まず人口が増えなければ、個人の所得は上昇するということだ。人口が増えてしまうからこそ、富の増大部分が人口増加に消化されてしまい、個人の生活がなかなか豊かにならないのだ。戦前の人口の急成長や戦後の団塊の世代を観てみれば、人口が増加し過ぎてしまうと、逆に個人レベルでは貧しくなってしまうのだ。だから人口がゼロ成長になれば、確かに国家レベルの経済力はそれほど上がって行かないが、個人レベルでは非常に豊かになって行くのである。

②成熟すれば「マス」ではなく「細分化」の現象が起こる

 人口のゼロ成長によって市場が成熟すれば、「マス」をターゲットにしたビジネスは衰退し、細分化の現象が起こって来る。だからこそ人口がゼロ成長になると、テレビの視聴率が落ち始め、読売新聞は1千万部を割り込んでしまい、政府の国民健康保険や国民年金が財政破綻を引き起こしてしまうのだ。その一方でオタク文化のような小さなターゲットを対象としてビジネスは大当たりして来ることになるのだ。

③人口が増えなければ人間の質は上昇する

 人口が増えなければ、人間の質は向上する。他人と競争することを必要性がないから、その分、自分のためにエネルギーを注ぐことができるのである。今までのように人口拡大路線を続けていけば、競争にエネルギーを取られて、人間の質が上がらなくなってしまうのだ。人間の質が低いということは、商品の質の低いということなのだ。

 例えば、日本で買われる高級ブランドはフランスやイタリアの物が多く、日本やアメリカやロシアや中国の物ではないのだ。なんでこんなことが起こるのかといえば、フランスやイタリアは既に人口ゼロ成長に突入しているから、人間の質が高くなっているのである。人間の質が高いからこそ高級品を作ることができるのであり、その高級品を日本に持って来ると確実に売れるのだ。

 しかも、今までのようにアメリカ型の大量生産大量消費を続けて行けば、地球環境そのものが破壊され、人類は生存できなくなってしまう危険性が出て来るのだ。地球環境を守るために締結された京都議定書にアメリカ合衆国が反対した姿を見ても、最早、アメリカンスタイルは人類の生存にとって敵でしかないのだ。

●少子化だからこそ育児や子育てや教育に大金をかけるようになる

 人口がゼロ成長になるといことは、少子化が起こるということなのであるが、これも別に困ることはない。実際に既婚女性なら解ると思うが、少子化になって困ったことなどない筈だ。寧ろ少子化になってくれたからこそ、育児環境が充実したと思うことだろう。今まで100人の子供たちが使っていた場所を、20人の子供たちで使えば、広々として使え、子供たちは自由に伸び伸びと成長して行くことができるようになるのだ。

①ベビー服とベビーカー

 育児の中で一番大きな変化がベビー服であろう。俺が赤ちゃんの時はベビー服なんて「ノンブランド」の物ばかりだった。そのため質が非常に悪く、赤ちゃんが大きくなればベビー服は雑巾に回したものなのである。しかし今ではベビー服はブランド品が当たり前であり、中には高級ブランドのベビー服まであるのだ。

 更にはベビーカ―も昔とは大違いだ。昔のベビーカーはプラスチック製のチャチなベビーカーだったが、今ではステンレス製の頑丈なベビーカーになっているのだ。このベビーカーなら母親が走りながらベビーカーを押すことができるし、荷物も大量に搭載できるので、非常に育児が便利になったのである。

②お稽古事

 子供が10人以上いればお稽古事に通わすのは経済的に無理だが、子供が少なければ如何なる両親でも子供にお稽古事に通わすことができる。そのため子供のための学習塾やスポーツクラブや芸術教室は大繁盛している。子供の時にそうやって質の高い教育を受けることができれば、当然にその子供は非常に高い能力を持つことができるのである。

③私立学校への進学熱

 これだけ子供の教育に対してお金を使うということは、教育レベルの低い公立学校に通わせず、私立学校に通わせることになる。だからこそ公立学校が定員割れを引き起こすほど生徒数が減少しているのに、私立学校では定員を確実に満たしているのだ。教育費は当然にかかるかもしれないが、少子化では両親ができるだけいい教育を与えたいと思うようになるので、こういう現象が起きて来るのだ。

●生活の二極化

 人口がゼロ成長になっているということは、その経済はデフレに突入しているということだ。デフレというのは物価が非常に安くなるので、少ない所得であっても格安の商品を買うことで豊かな生活を送ることができるようになるのだ。物価が安いために生活レベルが確実に上昇するために、国民は底辺から豊かになって行くことになるのだ。

 だからこそ嘗ては社会主義勢力が非常に強かったのに、デフレになってしまえば、社会主義勢力が急激に後退して行ったのである。事実、日本社会党は党員数を激減させ、党名まで変更することを余儀なくされている。マスコミの報道でも北朝鮮の工作船が不審船と表現されていたのに、今でははっきりと工作船と表現するようになったのだ。

 デフレによって国民が豊かになって行くと、普通の生活では満足できず、高級品を買う人たちが出て来ることになる。デフレ不況と言われる中で、高級マンションが買われたり、高級自動車が売れるのは、デフレだからこそ大金を使ってより豊かな生活を実現しようとする人たちが出て来るのだ。

 お金持ちたちが高級品を買ってくれるからこそ、新たなライフスタイルを作り出してくれるのである。新しい生活ほど試行錯誤なのであるが、お金持ちたちはお金があるからこそそういう無駄をやり遂げることができ、それをお金持ち以外の人たちに提示し、それが一般庶民たちに普及して行くことになるのだ。

 しかしデフレのためにこういう形で国民が豊かになって行けば、政府としては面白くない。インフレ時代では政府が国民に対して政策を打ったからこそ国民が豊かになって行ったのであり、ところがデフレ時代では一転して政府の政策を不要とするのである。それゆえ政府はインフレ時代でやった政策をデフレ時代でも押し通そうとするのだ。だがそれをやれば国民は政治のために貧しくなってしまうのである。

●長寿による知的レベルの向上

 人口がゼロ成長になっているということは、長寿化現象が起こるということだ。戦国時代までは寿命は50歳程度なのだ。それが江戸時代には還暦を祝えるようになり、現代では男性は70代、女性は80代で死ぬのが当たり前になっているのだ。この長寿化がどのような現象を引き起こすかといえば、それは国民の知的レベルの向上である。

 人間の肉体労働のピークは19歳なのであるが、人間の頭脳労働のピークは70代なのである。その老人がボケない限り、高い能力を維持し続けることができるのである。人間の脳は体の成長が止まっても成長し続けるのであり、長寿であるということはそれだけ長い時間を使って脳を成長させて行くことができ、それは当然に知的レベルの向上をもたらすことができるようになるのだ。

 だからこそ長寿化現象が起こる国家では高品質の書物が売られるようになり、雑誌の質も急激に上昇して行くことになるのだ。江戸時代には人口のゼロ成長になった後期になって『南総里見八犬伝』や『日本外史』などの名作が発行されているのであって、人口が成長していた江戸時代前期には『奥の細道』のような「軽み」のある文学しか生み出せなかったのである。

 現在、日本の出版界は出版不況と言われているが、それは書籍や雑誌の質が低すぎるからこそ、そういう不況に見舞われているのである。質の高い書籍や雑誌を販売するようになれば、確実に出版界は活況を呈するようになるのだ。そうなれば日本から最先端の学問や芸術が生み出されるようになるのだ。

 嘗て西ヨーロッパでルネッサンスが起こり、科学が発展して行ったのも、西ヨーロッパではペストの大流行のために人口減少が起こり、そのために国民の所得が急上昇し、それによって知的レベルが上がり、その土台があったからこそルネッサンスが起こり、科学が発展して行ったのである。

 日本では今後、嘗て西ヨーロッパで起こったルネッサンスのようなものが起こり、それによって科学が大発展を遂げることになるのだ。科学者たちは科学的発見を引き起こし、それが企業によって商品化され、それを国民が消費して行く。その循環が起これば生活レベルも文化レベルも急激に上昇して行き、巨万の富をもたらすようになるのだ。日本を待ち受けている未来はバラ色の未来なのであって、絶対に将来を不安がることはないのだ。

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日本経済は一体何に苦しんでいるのか?

●人口ゼロ成長の衝撃

 日本経済は長らく長期デフレに突入し、日本企業の多くが赤字に転落してしまっている。日本企業は男女の雇用比率を平等にすることに苦しんでいるのではなく、もっと別のことで苦しんでいるのである。日本経済は戦後復興や高度経済成長で大成功したために富の蓄積がまだまだあるから、裕福な家庭で育った人たちほど日本経済の本当の苦しみが見えて来ないのである。だからこそピント外れの意見を言ってしまうのである。

 実は、日本経済は人口ゼロ成長になったことで苦しんでいるのである。日本の人口は1億2千万人でピタリと止まっている。そのため今までは成長拡大路線を取って来たのに、今度はその成長拡大路線を捨てて、成熟濃縮路線を取らなければならなくなったのだ。言葉では簡単に聞こえてしまうものであるが、要はこの人口ゼロ成長に対応した新たな企業が出て来て、それが人口ゼロ成長に対応しきれない企業を叩き潰して行くということなのである。

①食料生産量を超えた人口増加

 日本国内では7千5百万人分程度の食料しか自給できない。日本列島は島国であっても、山岳地帯が多いので、農業に適した土地が非常に少ないのだ。第二次世界大戦での敗戦で樺太や千島列島を失った代償は非常に高くついているのだ。それゆえ残りの4千5百万人の食料は海外から輸入せざるを得ないのである。日本経済が好調なら海外から食料を調達できるだけの資金はあっても、日本経済が低迷していれば、食料の調達のために国民の生活が貧しくなってしまう危険性も出て来てしまうのだ。

②憲法体制の限界収容能力

 日本は戦後国民の手で憲法を作ることをしなかったために、当然に日本国民に適合しない憲法を持ってしまっている。昭和憲法体制の限界収容能力が恐らく1億2千万人程度なのであろう。とういのは昭和憲法には「法の下の平等」があるために、憲法を鵜呑みにする人たちは貧富の格差や男女の性差を常に問題にして来るので、そのために国内では常に階級闘争や性差闘争の火種を抱え続けてしまうことになるのだ。

 因みに昭和憲法を作ったアメリカ合衆国には憲法の中に「法の下の平等」という文言はない。「法の下の平等」こそ国民同士が互いに憎しみ合い、殺し合う結果になると見抜いてしまったので、独立宣言では平等を唱えているのに、憲法では平等を消し去るという離れ業をやってのけたのである。だからこそアメリカ合衆国は強いのであって、現在、覇権を維持しているのである。

③長期間に亘る重税による勤続疲労

 日本は戦争でアメリカ軍から絨毯爆撃を受けたり、原爆を投下されたり、沖縄では地上戦が展開されてしまったために、都市が壊滅的な打撃を受けてしまった。そのために戦後復興の資金が必要になったのであり、それを累進課税式所得税や相続税、高率の法人税で国民から資金を調達したのである。確かにその資金で戦後復興はなされたが、その長期間に亘る重税で国民は勤続疲労を起こしてしまい、これ以上、人口を増やすだけの意欲を失ってしまったのである。

●本来なら人口がゼロ成長になる筈なのに 

 日本は本来なら人口ゼロ成長を迎える筈なのであるが、人口減少の兆しが見え始め、非常に危険な状態になっている。人口ゼロ成長なら現在の地位を確保できるのだが、人口減少になると日本は現在の地位を保てず、転落して行くことになってしまうからだ。事実、日本はGDPで世界2位から世界3位に転落してしまい、日本がODAを出して助けている中国に追い抜かれてしまったのである。「こんな馬鹿なことってあるか!?」と思うくらい、馬鹿げた現象が起こってしまったのである。

①フェミニストたちによる人為的な人口減少

 なんでこんなことが起こってしまったのかというと、フェミニストたちによる人為的な人口減少が引き起こされたからなのである。フェミニストたちは非常に不思議な人々で、「非婚」を唱えて自分が独身を貫きたいのなら自分でそれを実践すればいいのに、フェミニストたちはなぜだか独身を他の女性たちにも強要して来るのである。そのために結婚率が異様に下がってしまい、そえが出生率の低下に拍車をかけてしまったのだ。

②男女雇用機会均等法による会社組織の硬直化

 もう1つは男女効用機会均等法による会社組織の硬直化である。本来なら男性社員たちが出世して行くルートに女性社員たちが紛れ込んでしまったために、男性社員たちは妻子を養うだけの給料を得られなくなってしまったのだ。事実、女性の未婚率が高いのではなく、男性の未婚率が異様に高くなってしまったのである。男女雇用機会均等法の悪影響がこんな所にまで出て、日本の人口を減らしてしまったのである。

③女性たちが現在の憲法体制に希望を見出せない

 そしてより深刻なのが日本の女性たちが現在の憲法体制に希望を見出せないということであろう。現在の憲法体制下では、国会の腐敗が当たり前になっているし、いつも無能な政治家が首相になってしまう。議会制民主主義や議院内閣制が日本には適合しなかったのであり、これを抜本的に変えて行かない限り、腐敗は延々と続いてしまうことになるのだ。

 昭和憲法は日本国民の手によって作り出された訳ではないのだ。この国に生まれ育ってつくづく感じるのは、憲法というのはたとえそれがどんなものであっても、国民の手によって作り、維持して行かなければならないということだ。現在の憲法は日本がアメリカ合衆国の占領中に作られたので、憲法に洗脳されてしまった人たちが大勢出て来てしまったのである。憲法改正を訴えたら、「憲法改悪だ!」「反動勢力!」「封建的だ!」と罵られてしまうのは、異常としかいいようがないのだ。

 子供を産むか産まないかは、男女が共に決めるのではなく、女性が決断するものである。女性たちが日本に住んでいて、日本の未来に希望を見出せないのなら、子供を産まないという決断をするのは、その決断は間違ったものではないのだ。そういう女性たちを非難しても無意味なのである。それよりも憲法を改正して、日本の女性たちに日本の未来に希望を見出せるようにすべきなのである。

●産業資本主義による成功が逆に企業を拘束させる

 日本経済は明治維新以降、政府の「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」路線が大当たりし、産業資本主義に関しては成功に次ぐ成功を重ねたのである。しかも戦後の混乱期に日本企業は「会社の革命」を行い、社内の身分差別を取っ払ってしまったために、日本の企業組織が欧米の企業組織に対して勝って当然になってしまったのである。だからこそ日本は産業資本主義に関しては大繁栄を遂げてしまったのである。

 しかしその成功体験があるからこそ、日本経済は産業資本主義の成功から抜け出せないのだ。日本がこれ以上豊かになって行くためには、産業資本主義以外の産業も発展して行かなければならず、海外から資源を輸入し、それを加工して海外に輸出するという遣り方だけでは最早限界なのである。日本国内の市場を拡大して、消費者たちが国産の物を消費して行かなければならないのだ。

 それを行うためには、銀行による業界の再編成が必要になるのだが、ところが日本の銀行は政府の保護政策によって金融資本主義が未発達になってしまい、そんな芸当ができる能力を失ってしまったのである。確かに産業資本主義の発達のためには政府による護送船団方式は正しかったのだが、そのツケは金融資本主義が必要になった時に、肝腎の銀行を弱体化させてしまったという結果になってしまったのだ。

 日本の企業の多くは危機意識を持ち、なんとかしなければならないということは解っている。だが、一体どうすればいいのか解らないのだ。だからこそ政府が男女雇用機会均等を定めてしまえば、それが悪法だと解らずに、女性の雇用比率を上げることに躍起になってしまったのだ。でもそれでどうなったかといえば、会社組織を硬直化してしまい、以前のような非常に高い経常利益を叩き出すということは完全に不可能になってしまったのだ。

 はっきりと言ってしまえば、今後、日本経済を変えて行くのはベンチャー企業たちであるのだ。ベンチャー企業たちは既成概念に囚われないために自由な発想をして来るので、停滞した日本経済に嵐を巻き起こして、少しずつ日本経済を変えて行くことになるのだ。政府が経済に手を出すからこそベンチャー企業が多く現れて来ないのであって、政府が経済から手を引けばベンチャー企業は幾らでも登場して来ることになるのである。

●情報資本主義の再活性化と頭脳資本主義の胎動

 日本経済が低迷している間に、なんと「IT革命」が起こってしまい、情報資本主義が再活性化するということが起こってしまった。情報資本主義は何度か活性化しており、最初は郵便、次に新聞、その次に雑誌、その次にテレビとラジオ、そしてパソコンとインターネットの登場で再活性化したのだ。

 パソコンとインターネットは完全に企業を変えたと言っていいだろう。パソコンを導入してしまえば、今まで大きすぎた管理部門を縮小させることができ、その管理部門で働いていた人々を製造部門に回すことができるようになるからだ。しかもインターネットを使えば日本全国や世界中でビジネスを展開できるようになるので、企業にとってビッグチャンスを得たことになったのだ。

 しかも今回の情報資本主義の再活性化がそれまでの再活性化と違うのは、日本に於いて「頭脳資本主義」の胎動が聞こえて来たということなのである。頭脳資本主義というのは「頭脳資本」を中心に展開する産業のことで、シンクタンクを思い浮かべればいいだろう。この頭脳資本こそが今後、日本の経済を変えて行くことになるのだ。

 頭脳資本は資金があればいいということではないのだ。優秀な頭脳を持った人々が集めることができない限り、意味がないのだ。頭脳資本の会社の中で優秀な頭脳を持った人々が遊びながら仕事し、そこから思わぬアイデアが生まれて、それが経済に対して変化を引き起こし、莫大な富をもたらすことになるのだ。

 例えば男女が結婚し、どのようにすれば豊かな生活を営むことができ、どのようにすれば資産を蓄積し運用して行くかができるのか、そのノウハウを作ってしまえば、どんな夫婦でもでもそのノウハウを買って採用すれば、簡単に億万長者に成って行くことができるのだ。確かに富を生み出すためには労働は必要である。しかしその労働を効果的に使うノウハウがなければ、いつまで経っても貧乏になってしまうものなのである。

 なんで日本で情報資本主義が再活性化したのかといえば、政府が規制緩和をしてくれたからなのである。なんで日本で頭脳資本主義が胎動して来たのかといえば、政府が一切手出ししなかったからなのである。経済というのは政府が経済に手出ししなければ、ビジネスマンやビジネスレディーたちは自分達自身で最善の方策を取って来るので、結果的に経済が繁栄して行ってしまうのである。

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経済の変化に対して、マスコミは常に嘘をつき続けるもの

●情報が集まっている場所ほど、大きな変化が見えていない

 言論というのは、「言論の自由」を認めれば、正しい意見が出回るものではないのだ。言論の自由があるからこそ、政府による言論弾圧はなくなるが、その反面、人々による嘘が展開されることになるのだ。しかも人間が厄介なのは、小さな嘘には気付くくせに、大きな嘘にはまんまと騙されてしまうということなのである。

 例えばフェミニストたちの常套句である「日本は男社会だから~」というのも大嘘なのである。日本の家族制度は表面的には父系家族なのであるが、実質的には母系家族の要素が非常に強いために、男だけで社会を構成したり、支配したりして行くことができないのである。フェミニストたちが日本社会を男社会と看做してしまうのは、自分自身が父親から自立できていないだけのことであって、自分が自立できていないからこそ、間違った物の見方をしてしまうのである。

 言論の自由を人々が行使して行くに当たって、絶対に必要となるのが「知的正直さ」という倫理なのである。自分が冷静沈着になって、知的に正直になることで、現実を直視すると同時に、嘘を含まない言論を言うからこそ、その言論の自由は正常に機能し、正しい結論を得ることができるようになるのだ。もしも言論の自由はあっても、人々に知的正直さがなければ、嘘が大量に出回ることになるのだ。

 若い人たちは自分自身に情報量が少ないから、マスコミの意見を気にしてしまうものだ。しかしマスコミは確かに大量の情報があっても、そこには嘘の情報も大量に紛れ込んでいるので、マスコミの情報を鵜呑みにしていては、まんまとマスコミに騙されてしまうことになるのだ。

 特に経済に関しては、経済の変化は常にミクロから起こるものなのであって、マクロ的になってしまうとその変化が見えないのだ。情報が多く集まっている所だからこそ、逆に大きな変化が見えて来ないのだ。マスコミの情報だけを鵜呑みしていると、経済の新しい動きが全く解らなくなってしまうのだ。

 新しい物は常に端っこから生まれる。中央から生まれて来る訳ではないのだ。だから新聞やテレビやラジオに頼るのではなく、雑誌や書籍やネットで調べてみたり、自分が現地に赴いて調査したりしてみるべきなのである。そうやって自分が自分の力で情報を収集していると、経済の変化がはっきりと解るようになるのだ。

●マスコミは学歴差別が最も激しい業界

 マスコミに関してこれだけは知っておいた方がいいのは、マスコミの世界は学歴差別が非常に激しい業界なのだ、ということだ。ジャーナリストには全て大卒の学歴が要求され、中卒や高卒の人たちが活躍できる世界ではないのだ。未だ嘗て高卒の女性がアナウンサーとして活躍できた試しはないのだ。マスコミ各社は非常に異常な組織形態を持っているのである。

 しかもNHKは東大、日テレは早稲田大学、フジテレビは慶応大学と感じで、学閥が激しく食い込んでおり、とてもではないが、普通の日本企業が持っているような組織の柔軟性を持っていないのだ。学歴差別に学閥差別が加わっているのだから、組織は完全に硬直しているといっていいのだ。

 普通の日本企業なら、高卒として一般職で入社しても、能力がありさえすれば途中から総合職に変わることができるし、取締役まで出世できるのだ。しかしマスコミにはそういう現象が一度たりとして起こっていないのだ。学歴の有るか無いかで出世が決まってしまうし、取締役まで出世できるのは一流大学出身の男性だけとなれば、一流大学卒以外の人たちはヤル気を失ってしまうことであろう。

 マスコミが流した情報の中で最も愚かしい情報は、日本企業から終身雇用制が消えたという情報だ。一体、どの日本企業が終身雇用制を捨てたというのか? 会社を経営してみれば解ることだが、終身雇用制を採用せずして、まともに会社を経営することなんてできないのだ。

 しかもマスコミ各社それ自体が終身雇用制を採用し続けているのである。自分たちの会社が終身雇用制を採用しているのに、なんで日本の企業から終身雇用制が消えたというのか? 確かにこのデフレ不況のために日本の企業は中高年の社員を解雇した。しかしその社員たちは大して能力のない人たちなのであって、自分がその給料に対して充分に見合う功績を打ち建てなかったからこそ、解雇されただけのことなのである。終身雇用制は未だ顕在なのである。

●経済変動が起こるからこそ、嘘が出回る

 我々が経済の前提として知っておかなければならないのは、日本は近代化して以降、一度たりとも大飢饉が発生していないということだ。なんでそんなことが可能になったのかというと産業革命を引き起こすことにより、巨大な経済力を手にすることができたからなのである。国内で食料が不足していたとしても、お金を出して外国から食料を輸入してしまえば、国内で大飢饉が起こることはなくなってしまうのである。

 そうやって人口を多く養えるようになれば、間引きをしなくて済むようになったのであり、それは当然に労働者の増大を生むことになるのだ。労働者が多くなれば、様々な産業に労働者を配置させて行くことが可能になるから、更に生産量が飛躍的に増大し、益々豊かになって行ったのである。

 それゆえ社会主義のように労働者の過酷な条件だけに注目して、資本家たちが労働者たちを搾取しているなんて意見は大嘘だし、 フェミニズムのように働く女性たちの冷遇状態だけに注目して、男性たちが女性たちを支配しているなどというのは妄想にしか過ぎないのである。

 最も重要な動きは「人口変動」なのであって、人口が増えて行ったからこそ、経済が活性化し、男性も女性も様々な分野で働くことが可能になったのである。ではなんで労働者の賃金が安かったり、ビジネスレディーが出世できないのかといえば、それは学校や大学で充分な教育を受けていないからなのである。要は、学校や大学が産業革命に対応できていなかっただけのことなのである。

 「新札を発行すると偽札が出回る」と同じ論理で、資本主義経済の中でも大嘘が出回ってしまっているのである。自分に充分な知識があれば、社会主義もフェミニズムも大嘘だと解るのだが、自分がきちんと勉強していないとまんまと騙されてしまい、しかもこれらのイデオロギーは洗脳力が非常に強いものだから、一旦洗脳されるとそう簡単にその洗脳を解除することができないのである。

●正論は嫌われる、でも正論は正しい意見

 俺は仕事柄、1日3冊のペースで本を読んでおり、多い時は1日10冊は本を読んでいる。そのためそれだけ多くの本を読んでいれば、誰が嘘を言い、誰がまともなことを言っているかぐらい解るようになるものなのである。特に経済の関する本は「嘘が多過ぎる!」と言いたくなるほど嘘が多いのだ。

 俺が経済に関する本を読んでいて、正論を言っていたのは「長谷川慶太郎」「日下公人」「海老原嗣男」の3名ぐらいだ。この3人はエコノミストや作家として活動していて、学者としては活動していないのだ。こういうことだから、当然に学者たちの意見は嘘が多くなってしまうのだ。

 女性が経済に関して書いた本で、この人の意見は正論だなと思えるのは「臼井由妃」しかいない。他の女性たちの本はかなり高い割合でフェミニズムに洗脳されているか汚染されているので、話にならないのだ。女性が大学に進学するというのは、フェミニズムに洗脳されたり汚染されたりするリスクを持っているものなのである。臼井由妃は頭が悪くて大学に進学できなかったのだが、それが彼女に物凄くいい結果を与えてくれたのである。

 正論は嫌われる。でも正論は正しい意見なのだ。例えば既婚女性の内、結婚退職せず、妊娠後も出産後も雇用され続ける女性の割合は20数%程度しかない。その既婚女性たちはビジネスレディーとして優秀だからこそ会社側が雇用し続けたのである、しかしこの事実を突きつけられてしまうと、フェミニストたちの意見など全て吹き飛んでしまうし、政府が推し進めている男女共同参画社会だって実現不可能になってしまうのだ。

 「80対20の法則」が解っていれば、既婚女性の内、ビジネスレディーとして優秀なのは20数%しかいないというのは理解できるものなのである。それなのに法律で無理矢理それ以上の多くの既婚女性たちを雇用するように仕向けても、企業は経常利益が悪化するし、雇用される既婚女性たちだって自分の能力が低いのだから働くことに苦痛を感じるようになるのである。

 ではどうすればいいのか?

 結婚や妊娠や出産を機に退職した既婚女性たちが育児終了後再就職する際、ビジネスに関して再教育を受けさせ、退職前よりも高い能力を持たせるようにすればいいのである。この手の既婚女性たちは雇用され続けた既婚女性より能力が劣るが、独身女性たちより高い能力を持つので、再教育を受けさせれば高い能力を発揮して来る可能性を持っているのだ。

 現実を直視することができれば、それに見合う解決策をきちんと用意することができるのである。

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ビジネスに成功した既婚女性たちはなぜ本音を言えないのか?

●家族の支援があってこその成功

 女性の学者たちは女性の社会進出に対して必ず嘘を言って来る。

 例えばフェミニストの上野千鶴子は「女性が社会に進出して行くためには、女性でもなく男性化するのでもなく、宇宙人のように性別不明になればいい」と言っている。

 結婚後も出産後も働き続けている既婚女性たちなら、この手の意見に対して「馬鹿じゃないの?」と言い返すことができることであろう。自分は実際に女性を捨てて働いている訳ではないし、女性としての人生も充分に満喫して生きているからだ。しかし上野千鶴子はなんと東京大学大学院教授なのであり、日本のフェミニストたちの親玉として君臨しているのである。だからこそ女性の学者たちは間違った意見をそのまま信じてしまい、平気で嘘をつきまくることになるのだ。

 ビジネスで成功した既婚女性たちは家族の支援があったからこそ成功したのである。特に夫の理解と協力がなければ働き続けることができなかったし、自分が全てをこなすのではなく、夫が巧い具合に自分を支援してくれたからこそ、家事も育児も仕事も全て巧く行くようにすることができたのである。

 既婚女性が結婚後も働き続けるために、フェミニストたちが言うように政府の支援なんて必要なのである。幾ら政府が支援した所で、家庭内の細々したことを解決して行くことができる訳がないのだ。家庭というのは政府の力が入ってこなければこないほど、家庭は充実して行くのであって、既婚女性が結婚後も働くというのに政府の支援を求めていては、逆に家庭が崩壊してしまい、仕事どころではなくなってしまうのだ。

 結婚すればとにかく夫婦で話し合う時間をたっぷりと持つことだ。夫というものは赤ちゃんが生まれて来ると、養育費を稼ごうと必死になって働き出すのだ。育児休暇ならそれでも別に構わないが、時短勤務になれば少しは手伝って貰う必要性が出て来るし、時短勤務が終わり正常の勤務になれば、夫のサポートなしではとてもではないが仕事などできないのだ。

 どの夫婦も夫婦の力関係が違っているので、どのようにすれば最善なのか決まりきった答えはないのだ。その答えは夫婦が何度も話し合い、試行錯誤しながら見つけ出していかなければならないのだ。どんなに話し合って決めたものでも、夫に負担がかかりすぎたり、逆に妻に負担がかかりすぎたりしているのなら、すぐさまその決定を覆してしまい、他の方法を模索して行くしかないのだ。そういうことを地道にやっているから、自分たち夫婦にとって最善のスタイルを見つけ出すことができるようになるのである。

●保育園での罪の意識

 働く既婚女性たちには自分が仕事をし続けて行く上で、どうしても背負わなければならない罪が存在している。

 それは自分が仕事をするために、自分の子供を保育園に預け入れた時に、自分の子供に大泣きされてしまったということだ。子供としてはまだまだ母親と一緒にいたい時期なので、それなのに保育園に預け入れてしまえば、子供が大泣きするのは当たり前なのだ。しかし子供がいては仕事ができないから、已むに已まれず保育園に預けているのである。

 この罪は1つの罪として存在するのではない。子供を保育園に預け入れてしまったために、働く既婚女性たちは専業主婦に比べて家事や育児に於いては絶対に劣るようになってしまうのだ。自分がどんなにビジネスで成功したとしても、自分は専業主婦に対して劣等感を抱いてしまうことになるのだ。

 保育園に預け入れても、順調に育ってくればそれでいい。しかし保育園に預け入れても、子供は事故を起こしたりするし、その度に母親は職場から保育園に駆けつけなければならないのだ。更には子供は母親がいないために不機嫌になり、母親とまともに会話してくれなくれば、母親として心が痛まない訳がないのだ。

 もしも将来、子供が中高生になって不良になったら、それは確実に自分の責任として受け止めることであろう。子供が母性愛を大量に欲している時期に、自分は仕事をしていたのだから、子供が母親を殴ったり蹴ったりしても、まともに抵抗することもできなくなってしまうのだ。

 子供というものは生後3歳までは母親の元を離れないものなのである。できることなら3歳を過ぎてから働き出せばいいのである。しかし現代社会では子供が3歳を過ぎていないのに働きに出て来るので、その皺寄せは確実に子供の方に及ぶのであって、その罪を母親の方が背負わなければならないのである。

●女性だから成功したのではない。女性である自分が遣るべきことを遣ったからこそ成功したのである。

 働く既婚女性たちは女性だからという理由で成功していったのではないのだ。女性である自分が遣るべきことを遣ったからこそ成功して行ったのである。女性が結婚すれば結婚それ自体がドタバタ劇であり、結婚を整えて行く期間ではどうしても仕事に対して重点を置くことはできない。育児がひと段落するまで仕事は片手間で処理して行くというのが当然の選択肢になる。

 しかしその減速した期間というのは無駄なのではなく、減速したからこそ夫婦の愛の形を築き上げることができたし、家事や育児をこなしながら仕事ができるように生活を変えて行ったのである。これらのことをやっても給料が上がる訳ではないのだ。それどころかこの期間は給料が据え置きか下がるものなのである。だがそうやって自分自身が後退しないと、新たな生活を築き上げることは不可能になってしまうのである。

 こういうことは既婚男性の方にはないものだ。既婚男性なら結婚すれば妻に家事や育児を任し、自分が仕事に全力を投入して来るものだ。既婚女性だからこそこの生活の変化が必要になって来るのである。既婚女性は女性を捨て去ったからこそ成功したのではないのだ。女性らしさを思う存分に生かしたからこそ成功できたのである。

 「減速できたからこそ加速できる」というのは、フェミニストたちは解らないらしい。というかやったことがないのであろう。だからこそ「ジェンダーフリー」を唱えて来て、女性が変化しなくても生きて行けられるようにして来るのである。自分が変化しないというのは、成長しないということなのだから、だからこそいつまで経っても自立できないし、まともな仕事もできないし、まともに結婚することもできないのである。

 我々人間には「ジェンダーフリーの大嘘」に騙されてしまう危険性を常に持っているのだ。というのは、本当にいい物は男女の性別に関係なく、いい物だと認めることができるから、ジェンダーフリーと聞けば、「それはいいんじゃないの?」と思ってしまうのだ。嘗て与謝野晶子ですら、平塚雷鳥の意見に騙されてしまったぐらいなのだから。しかしそれはジェンダーフリーをやったから実現できたのではないのだ。男性なら男らしさを追求したからこそ、女性なら女らしさを追求したからこそできたのである。

●お金は人を豊かにするが、お金があれば必ず人が幸せになれるものではない。

 実を言うと、既婚女性の内、20数%の既婚女性たちだけが結婚後も出産後も雇用され続けるという統計が出ているのだ。ということは既婚女性の内、70%以上の女性たちは結婚を機に退職するか、出産後に退職しているのだ。矢張り女性は自分が結婚なり出産してしまえば、一旦仕事を辞めることで、新たな結婚生活を築き上げようとして来るのである。

 俺はこの数値を道理に適った数値だと認めている。というのは、「80対20の法則」を使えば、既婚女性の内、仕事に関して優秀なのは「20%程度」でしかないからだ。従って、結婚後も出産後も雇用され続けた既婚女性たちはビジネスレディーとしては優秀だったからこそ、会社が辞めさせなかったのである。

 「80対20の法則」を退職した既婚女性たちに当て嵌めてみると、既婚女性の内、20数%の既婚女性たちだけが家事も育児も巧くこなすことができる女性たちなのである。こういう女性は大方専業主婦を選んでくるので、政府がどんなに男女共同参画社会を推進したとしても、専業主婦は確実に20数%は存在することになるのだ。

 だからこそ既婚女性の内、約50%の女性たちが仕事も巧くできなければ、家事も育児も巧くできないというグータラ妻候補の連中なのである。この手の既婚女性たちこそが、政府に保育園の設置を要求したり、子供手当てを要求して来るのだ。自分が結婚によって生き方を変えず、政府に頼っているからこそ、家事も育児も仕事もまとにこなすことができないということが全然解っていないのだ。

 ビジネスに成功した既婚女性ほど、お金を追い求めたりしないものだ。確かにお金は人を豊かにするが、お金があれば必ず人が幸せになれる訳ではないからだ。仕事をしていれば、お金があるのに不幸になっていった人たちを大勢見ることになるものなのである。ではビジネスで成功した既婚女性はどうやって仕事をしているのかといえば、それは学びを得られる仕事をしているのである、人は学んでいる限り成長して行くので、自分が成長しさえすれば能力も収入もそれに比例してついて来ることになるのだ。

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「成長ホルモンの低下」と「不妊症の発症」

●成長ホルモンは30歳以降低下して行く

 俺が『不妊症バトルロワイヤル』を執筆していた頃、不妊治療を行っている医者たちは「精子に問題あり」「卵子に問題あり」と主張していた。ところが俺が不妊症を調べて行く内に、不妊症の夫婦は夫婦ともどもきちんと精子と卵子を出しているのが解ったのだ。ではなんで不妊症を起こすのかというと、受精卵が子宮に着床しない、たとえ着床してたとしてもすぐに流産してしまうという奇妙な現象が起こっていたのだ。

 だからこそ俺が不妊症の女性たちにそのことを告げたら、大問題になったし、大ヒットしてしまったのだ。

 ではなんでこんな奇妙な現象が起こるのか?

 今回はその原因を「成長ホルモン」に限って説明することにする。

①加齢

 筆頭の原因は「加齢」である。年齢が上がって行くことによって成長ホルモンの出が悪くなり、それで受精卵が子宮に着床しなく成り始めるのだ。たとえ子宮に着床できたとしても、成長ホルモンが充分にないためにきちんと成長させて行くことができないのだ。事実、不妊症は20代後半が徐々に出始めて来る。成長ホルモンの減少し始める時期と、ピタリと一致しているのだ。特に30歳以降は低下して行くので、不妊治療は年齢が上がれば上がるほど深刻になって行くのだ。

②食事パターン

 年齢以上に成長ホルモンの分泌を歪めるのは、異常な食事パターンだ。人間は本来「朝餉」と「夕餉」しか食うことができない。「朝餉」とは午前11時頃に食べ出す食事で、「夕餉」とはまさに夕方に食べる食事だ。人間は夕食を食べてから、せめて3時間は開けておかないと、きちんと消化が進まず、成長ホルモンの出が悪くなってしまうのだ。

 不妊症の女性たちで非常に気になったのは、その食事量の多さであり、特に夕食の量が多いことである。そんなに大量に夕食を食べていたら内臓は消化に手間取り、成長ホルモンを分泌することができなくなってしまうのだ。だからこそ不妊症の女性たちに小太りの女性たちが非常に多かったのだ。

③夜更かし

 成長ホルモンの分泌を乱すの夜更かしというものもある。人間の体は午後10時から午前2時の間に成長ホルモンが大量に分泌されるので、午後10時までには就寝してしまった方がいいのだ。それなのに不妊症の夫婦たちは午後11時に就寝するのが当たり前だし、午前0時を過ぎても起きていたりするのだ。これでは成長ホルモンの出が悪いから、不妊症を発症してしまうことになるのだ。

●土日だけ夕食を断食

 俺が不妊症の治療で一番強く勧めたのが「断食」である。要は食事量が多いからこそ不妊症を引き起こしているのであって、断食をして食事量を減らしてしまえば不妊症を克服して行くことが可能になるのだ。そこで俺は日中断食を勧め、朝食と夕食を食べてもいいが、その間の飲食は一切禁止するという断食法を不妊症の夫婦に行わせたのだ。

 日中断食なら昼食を抜かした分、確実に空腹になるので、たとえ夕食で少し多目に食べたとして成長ホルモンの分泌はきちんと行われるのだ。しかもこの断食法は夫婦の生活にフィットしており、朝食と夕食で夫婦は顔を合わせるが、昼食は別に夫婦一緒でなくてもいいので、これなら誰でもできるという訳だ。

 しかしこれでは不十分であるということは、俺は既に解っていた。要は不妊症の夫婦が夕食を大量に食べ、しかも食べる時間帯が遅いことにこそ問題があるからだ。そこで仕事のない土日には夕食を断食する断食法を勧めたのだ。夕食さえ抜いてしまえば、内臓を休ませることができるので、成長ホルモンの分泌量を多くさせることができるのである。

 土日はそれこそ古代の昔に戻って、朝食を抜いて、昼食を午前11時頃から食べ始めるようにすることだ。昼食であるなら食事を大量に食べても別に構わない。1口30回以上噛んで飲み込むような食べ方をするなら、それこそ満腹になるまで食べてもいいのだ。その代わり夕食は抜きであって、もしも夕方頃にお腹が空いたのならリンゴ人参ジュースだけにし、固形物は一切口にしてはならないのだ。

 こうすれば食事終了から就寝まで3時間以上空くのは確実なのであって、それどころか午後1時に食い終わったとして、午後10時に就寝した場合、9時間も時間が経過しているので、内臓は消化を充分に終え、吸収も大いに進み、そのエネルギーが成長ホルモンの分泌に回されて、目出度く成長ホルモンが分泌され、子宮が正常に動くようになるのだ。

●スポーツとセックス

 断食をしながらより多くの成長ホルモンを分泌したいのなら、スポーツをしまくることだ。スポーツをすることで筋肉が刺激され、成長ホルモンを大量に分泌させることができるのである。一番のお勧めは「水泳」である。水泳は全身運動になるし、もっともカロリーの消費量が多いので、不妊症の克服には最もお勧めなのだ。

 次にお勧めなのが「ウォーキング」であり、「軽ジョギング」だ。とにかく歩くことだ。1日の歩行量が足りないからこそ、体が正常に機能しないのである。日中はできる限り自動車に乗らず、歩くことに心掛けるべきだし、軽ジョギングをするなら、ゆっくりとしたペースで走り、30分以上走り続ければそれでいい。

 それから筋肉トレーニングだ。筋肉トレーニングは軽いトレーニングにするのではなく、重いトレーニングにすることだ。腕立て伏せや腹筋や背筋を自分がヘトヘトニなるまで遣ってしまうと、成長ホルモンが大量に分泌されるようになるのだ。それだけ過酷な筋肉トレーニングをするれば、筋肉がしっかりとつくので、不妊症だけでなく、冷え症までもが吹き飛んでしまうのだ。

 セックスはスポーツ同様に重要になってくる。セックスも全身運動と言えば全身運動だからだ。特に土日に夕食を断食したのなら、夜の時間はたっぷりと存在することになるので、セックスの時間も大量に確保されることになるのだ。夕食を作らず、食べず、後片付けをせず、というのが、こんなに時間を有り余らせることになるのかと驚くぐらいなのである。

 夫婦でセックスをする際は、愛撫の時間を大量に設けることだ。最低でも30分は確保すべきだし、できることなら1時間半も愛撫しまくっていい。とにかく愛撫だけでオルガズムに達するようにすることだ。女性の体というのは愛撫で3回以上行かせると、挿入後は非常に行き易くなるので、夫はせっせと愛撫をしまくり、行かせまくった方がいいのだ。

 ペニスを挿入したのなら夫が射精するのに重点を置くのではなく、妻がオルガズムに行くことに重点を置くべきなのである。女性の体は男性の体と違って何度もオルガズムに達することができるので、とにかく妻の性的欲求を完全に満たしてあげるべきなのである。いつもセックスが下手糞で妻が性的欲求不満を抱えているからこそ、妻は不妊症を発症して来てしまうのだ。

 俺の経験則では、挿入後のプレイで20回オルガズムに行かせたら、どんな女性であったえも満足することができる。オルガズムに慣れていない女性なら、3回行かした程度でギブアップしてしまうものなのである。女性が一体どの程度の性的欲求を持っているかは解らないが、そんなに多くないことだけは確かなのだ。

●午後10時までには就寝する

 午後10時から午前2時まで成長ホルモンが分泌されるので、午後10時までには就寝してしまうことだ。午後10時までに就寝すると、熟睡できるし、しかも睡眠中に疲労が非常によく取れるようになるのだ。午前5時までは修復の時間帯なので、早寝をしてしまえば、確実に体の修復が進み、それは当然に受精卵の成長も順調に進むことになるのだ。

 いつも夜更かししているような夫婦は、そんな早い時間帯に眠れないよ~と言い出すかもしれないが、そういうのなら日中にスポーツをしまくり、体をヘトヘトにさせておくべきなのである。頭ばっかり使って体を動かさないからこそ、頭が冴えてしまい、適正な時間帯に眠れないのだ。

 早寝をすれば当然に早起きになる。朝になって目が覚めたのなら、とっとと起きてしまうことだ。朝の内に太陽光を浴びると、体内時計が正常化し、早寝早起きを当たり前のように行うことができるようになり、しかも成長ホルモンの分泌まで正常化するので、当然に受精卵は順調に育って行くことになるのだ。

 人間の心身は午前中の方が集中力が高いので、仕事があるなら午前中の内に済ましてしまうことだ。朝早くから仕事をすれば、仕事が猛スピードで進むし、しかも仕事の生産量が非常に多くなるのだ。夫婦ともども自分がすべき仕事をきちんと成し遂げていないと、仕事に対して心残りが生じてしまい、それで妊娠へと踏み切れなくなってしまうのだ。

 人間の体というものは、文明がどんなに進歩しても、古代の頃と殆ど変っていないのだ。古代では昼食と夕食の2食だったし、朝は早くから起きて仕事に精を出し、夜になれば早くに寝てしまったのだ。現代でも古代の人たちがしていたような生活リズムで暮らせば、確実に健康になれるものなのである。勿論、現代では古代人がやっていたような生活をそのまま再現できないことも知っている。だから「断食」なのである。定期的に断食をすることで内臓を休ませてあげて、体を正常な状態に戻してあげるのである。断食をするからこそ、不妊症だって克服できてしまうのである。

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なぜ女性の学者たちは嘘をつき続けるのか?

●社会科学は嘘をつくことが可能な学問

 今まで見て来たように男女雇用機会均等法こそが女性たちの出世を阻み、給料を大いに引き下げているのである。確かにこの法律のために一時的に女性の総合職への進出は増えたかもしれないが、そのために企業は経済活動の自由を奪われ、逆に業績を悪化させてしまったのである。

 経済は放置しておくに限るのだ。政府が経済に手出ししなければしないほど、企業は活発に動いて経常利益を上昇させて行くことができ、その余力でもって更に多くの女性たちを雇用して行くことができるのである。しかも経済が活性化すれば、ベンチャー企業が続々と現れて来るのだから、既存の企業とは違う雇用を行い始め、これまた女性たちを雇用し、抜擢して行くことになるのだ。

 政府は男女雇用機会均等法など制定せず、企業に自由な経済活動を認めた方が、女性たちはより多く社会に進出できたし、企業の業績もアップして、より多くの税収を得られた筈であり、財政破綻を引き起こすほどの財政赤字に苦しむことなんてなかったのである。政府が経済に手出ししたために、日本経済は長期間に亘って低迷し、国民は貧しくなるわ、政府の財政も先進国の中で最悪の財政赤字を抱えるまでになってしまったのである。

 なんで政府はこんな馬鹿げた法律を制定したのか?

 その理由は簡単なのである。

 女性の学者たちが嘘をつき続けたからなのである。

 学者として最も重要な倫理というのは「知的正直」にあるといっていい。とにかく嘘をつかず。真摯になって研究し、その研究成果を論旨明解の文章で書いて行く。学者たちがこういうことをしてくれないと学問が発展して行く訳がないのだ。女性の学者たちは知的正直を持つことなく、「女性たちは社会的弱者である」という嘘の前提を持ち込み、そのためには社会を改造していかなければならないということを仕出かしているだけなのである。だからこそ真実が見えないのだ。だからこそ嘘をつきまくるのだ。

 自然科学なら嘘の学説を言えば、それを実験で確かめ、その嘘を明らかにすることができる。しかし社会科学は自然科学と違って、実験ができない。大体、社会科学者が社会的実験をやろうとした時点で、その学説は嘘だなと解るものなのである。だから社会科学は自然科学のように科学とは言い切れない学問なのだ。仮説を組み立て、実験で証明して行くという「科学の基本」ができていなければ、幾らでも嘘をつくことは可能になってしまうのである。

●学者としての怨念

 女性の学者たちが全てそうだとは言わないが、女性が大学教員になる道を選んだ時、それが女性として本当に幸せかどうか非常に怪しいものなのだ。というのは、「学問は労多くして、収入は少なし」という世界なので、自分が生涯かけて研究に打ち込んだとしても、億万長者になれる確率は非常に低いものだし、大半の学者たちは貧乏暮しを強いられるものなのである。

 女性として大学教員になるような女性たちは学生の頃は成績が優秀だった筈だ。しかし同級生の他の女性たちは自分よりも遥かに成績が低いのに、企業に就職したばっかりに、もしもその企業で出世していけば、学者である自分よりも遥かに高い高所得を得ることができるのだ。

 しかも女性には自分が高所得者にならなくても、結婚を使った「玉の輿」という必殺技があるので、高所得の男性と巡り会い、巧く結婚に持ち込んでしまえば、その女性が大学生の頃に如何に馬鹿であっても結婚によって高所得の生活を実現できてしまうものなのである。自分が学者になってしまったがために、婚期を大いに遅らせてしまったり、下手をすると結婚できなかったりすれば、その怨念は凄まじいものになってしまうのである。

 女性の学者が高所得者ではないというのは、自然科学でなら別に問題はないが、社会科学であるなら、それは深刻な問題になってしまうのだ。というのは、経済は或る一定の収入を得ない限り、絶対に正確に観ることができない。今の日本でなら年収3000万円以上の年収がない限り、生活が豊かにならないので、その年収に達しない限り、経済に対して間違った意見を持ってしまうようになるのだ。

 社会科学の研究をするなら、所得収入で3千万円以上、資産として3億円以上あるようにすべきなのである。これだけの所得と資産を持っておけば、経済のことが段々と解って来るようになるのだ。しかし女性の学者たちでこれだけの所得と資産を持っている人は非常に少ないものだ。だから平気で嘘をつくことを仕出かしてしまうのである。

●大学の組織が旧式である

 日本の企業は戦後、「従業員の総社員化」という「会社の革命」を行って、会社組織を革命的に作り変えてしまった。日給取りと月給取りの差別を廃止し、全て社員として雇用するようになったのだ。そのために発生したのが「総合職」という職種なのであって、入社して時点で幹部候補生として育てて行き、その中から優秀な者たちを管理職として抜擢して行くようにしたのだ。

 ところが大学では戦後になっても大学組織の革命など起こらず、大学では教員と職員の身分差別が未だに撤廃されていないのだ。例えば大学教員は研究や教育に関しては特化しているから高い能力を持っているが、大学経営に関しては無能といっていいくらいにその方面の能力は持っていないものだ。

 だったら大学の職員たちを大学の経営幹部として育成しながら抜擢して行き、経営幹部として優秀な者を大学総長にしてしまえばいいのである。このルートで出世して来た者は、大学の経営を実に良く解っているので、大学の経営を巧く運営して行くことが可能なのである。今のように大学教員が大学総長になるというシステムは最早「旧式」なのであって、だからこそ大学の経営は赤字続きで、私立大学に於いては憲法違反の私学助成を受け取らないと倒産してしまうような非常に危険な経営をやっているのである。

 大学は学生たちが授業料を支払うことによって成り立っているのだから、学生たちの意見はできる限り採用して行くべきなのである。例えば大学総長は学生たちの選挙で決めたっていいのだ。評議会が大学の経営幹部の中から大学総長として能力がある者を選び出しておけば、学生たちの選挙結果がどのようなものなのであれ、大学総長として優れた能力を持つ者が就任できるのである。

 ところが大学教員たちは学生たちに価値を見出さず、未だに差別し続けているのである。その象徴が大学の学食では学生が食べるスペースと大学教員が食べるスペースが別々になっているということなのである。日本の企業では社員食堂で身分差別を行うことを廃止したのに、大学では未だに身分差別が残り続けているのだ。だから学生たちの声が大学の経営に反映されないのである。

●結婚していなければ、既婚女性たちの気持ちなど解る訳がない

 女性の学者たちの中で非常におかしなことを言っているのは、常に独身女性たちなのである。女性が学者になったとしても、矢張り女性として結婚が通過儀礼になっているのであって、女性であるなら結婚しなければ、自立して行くことなどできないのである。女性が学者になったからといって、結婚することが免除される訳ではないのだ。

 自分自身が結婚して子供を産み育てないと、既婚女性たちの行動パターンを正確に理解することができない。既婚女性が家事や育児をこなしながら、更には会社に行って仕事をこなすというのは、確かに大変といえば大変なのである。しかしそれができる既婚女性たちは難なくやっているのだ。

 なぜなら、そういう既婚女性たちは夫の理解と協力があればこそ、結婚していても働くことができるのであって、家事や育児や仕事に追われる日々は非常に充実した生活になっているのである。女性の学者たちは「女性の社会進出!」ということしか考えていないからこそ、この事実が見えて来ないのであって、既婚女性が社会進出し続けるためには、夫の理解と協力が不可欠なのである。実は女性の社会の進出を支えていたのは、男性たちであったのである。

 現在深刻な問題になっている「待機児童」の問題にしても、自分が実際に育児をしてみれば、意外な事実が解って来るものだ。それは能力ある既婚女性たちは簡単に保育園が見つかってしまうのに、保育園がなかなか見つからないと言っている既婚女性たちは仕事に於いて大した能力がある訳ではないのだ。

 待機児童の問題をクローズアップしてしまえば、「日本は女性が育児をする環境が整っていない」と言って来る女性の学者たちも出て来るのである。実際にこの手の女性の学者たちは「非婚」を唱えて結婚を拒否し、「「避妊と唱えて」妊娠や出産まで拒否して来るのである。

 「馬鹿かお前は!」と俺は言いたくなる。

 育児をする環境なんて永遠に整うことはないのだ!

 妊娠や出産や育児の環境が整っているからするものではないのである。どの女性たちだって妊娠する方法は知っているが、そこから先のことは知らないものなのである。運命の相手と巡り会ってしまえば、後先構わず勢いで突き進んで行くものなのであって、気付いた頃には赤ちゃんが生まれているものなのである。

 駄目な人間というのは男女を問うことなく、準備が全て整ってから何かをし出そうとするものなのである。そんな準備が全て整うということはないのである。そうやって勇気のない人生を歩んでいるからこそ、人生の至る所で躓き、女性として自立することもできなければ、学者として後世に残るような偉大な発見もすることがないのだ。

 男性たちの足を引っ張ることで、女性たちの地位を上げることはできないのだ。女性の地位アを上げたいのなら、政府は社会に手出しすることをやめ、社会を放置しておくべきなのである。そうやって社会が自由になってしまえば、女性たちは自助努力の大切さに気付くから、後は自分が望む未来に向かって走り出して行くものなのである。そうやって自分が真摯になって生きていれば、利己的な態度は消えて行き、他人に感謝することの大切さに気付くものなのである。

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