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与謝野晶子こそ戦前に於ける最高の女流文学者である!

●正統派の短歌

 何を隠そう、俺は中高生の頃は文学少年だった。中学からは私立学校に行ったのだけれど、学校の授業が詰まらなかったので、文学をばかり読んでいた。俺は中学1年生の時に、国文学の古典を手当たり次第に読んで行くという決意を建てて、外国文学には余り手を出さず、国文学の古典を重点的に読んで行くという方針を取った。

 日本の古代に於いては和歌が盛んであったので、まずは『万葉集』と『古今和歌集』をじっくりと読んでみた。『万葉集』の和歌の方は野趣溢れる物が多く、それに対して『古今和歌集』の和歌は明らかに洗練されていた。それで俺は『古今和歌集』の方に軍配を上げた。覚えておいて欲しいのは、これをやったのは俺が中学生の時なのである。

 しかし、世の中の評価はそうではなく、なぜだか『万葉集』なのである。『古今和歌集』は駄目なのである。

 俺としては「読み比べれば解ることじゃん!」と反論したくなった。確かに『万葉集』は古代日本の文化や風俗を知るには貴重な文献かもしれないけれど、和歌の腕前は断然に『古今和歌集』の方が上回っているのは、読めば解ることなのである。『古今集』は『万葉集』よりも出来がいいことが解らない人たちは和歌に手を出すなと言いたくなってしまった。

 なんでこんなことになってしまったのかというと、明治期に正岡子規が出て来て、『歌よみに与ふる書』を書き上げ、そこで「紀貫之は下手な歌よみにて、古今集は下らぬ集」と罵倒し、『万葉集』が称賛されるようになってしまったのだ。正岡子規は根性が捻じ曲がっており、俳句でも松尾芭蕉を否定し、小林一茶を称賛しているのである。俳句の世界ではなんといっても断トツで松尾芭蕉の俳句が圧倒的に巧いにも拘わらず、正岡子規の手にかかると、ケチョンケチョンに否定されてしまうのである。

 正岡子規は肺結核に冒され、真善美とは程遠い生活をしていたのであり、しかも36歳という若さで死んでいるのである。早死にしたのだから後世への影響が少ないと思いきや、正岡子規の弟子たちの出来が非常に良かったのである。高濱虚子と河東碧梧桐の二大弟子を生み出してしまったために、その後、正岡子規の主張が罷り通るようになってしまったのだ。

 明治以降、万葉調の下手な和歌が流行する中で、正統派の和歌を歌い上げた歌人こそ、「与謝野晶子」だ。与謝野晶子は堺市の菓子商駿河屋鳳家の三女として生まれ、なんと24歳で『みだれ髪』を出版して、その後、終生、歌人として活躍し続けたのである。与謝野晶子の和歌はとにかく巧いし、真善美に貫かれているので、「57577」の短い文章の中で本当に芸術的な詞として輝きを放っているのだ。

●長寿こそ後世に名を残す文学者の絶対条件である

 俺が与謝野晶子に親しみを覚えるのは、実際に生前の与謝野晶子に会った人が知り合いにいて、「この女性が只者ではない」ということを教えてくれたからだ。与謝野晶子は65歳で死ぬことになるのだが、晩年になっても矍鑠としていて、エネルギーに満ち溢れた女性だったそうなのである。

 俺は「文学者が後世に名を残したいと思うなら長寿であるべし」と思っている。長く生きていれば、それだけ執筆活動の時間が長いのだから、より多くの作品を作ることができ、その中から名作が生まれて来るのだ。戦前なら60歳以上、戦後なら70歳以上だろう。夏目漱石は文豪と言われつつも、なんと50歳で死んでいるのである。冷静になって夏目漱石の作品を読んでみると、出来のいい作品は初期の頃だけで、それ以降の作品は精彩を欠いているものなのである。

 樋口一葉に至っては25歳で死んでいるのである。確かに『たけくらべ』や『にごりえ』といった名作はあったとしても、早死では大した作品を残せる訳がないのだ。因みに個人の文学全集が始まるのは樋口一葉からなのであって、樋口一葉の全集はなんとたった1冊だったのである。そんなに少ない量の作品しか書いていないのだ。

 なんで与謝野晶子が長寿で、しかも晩年まで元気であったのかというと、それは与謝野晶子が11人もの赤ちゃんを産んだことに原因があるのだ。11人も赤ちゃんを産んだということは、それだけ夫婦でセックスをしまくった訳だし、子宮の中には胎児が居た時期が非常に長くかったししかも授乳の度に子宮が刺激され続けるので、子宮が大いに活性化してしまい、それで体が健康になってしまい、更には頭まで非常に良くなってしまったのである。

 和歌の世界で、与謝野晶子を超えるような女性歌人が出て来ないのは、少子化と深い関係があると思っている。子供を産む数が少なければ、それだけ子宮を使っていないのだから、どうしてもいい作品を生み出して行くことができないのだ。ましてや独身を貫いてしまうような女性歌人は子宮を使うことが生理の時以外しかないので、それでは頭の機能が上がらす、出来の悪い作品しか作れないものなのである。

●孤軍奮闘! フェミニストたちとの戦い!!

 しかし現在、与謝野晶子の文学的評価は非常に悪く、与謝野晶子を称賛する女性知識人は殆どいない。与謝野晶子が不当におとしめられた理由はなんといっても、平塚雷鳥との論争で与謝野晶子が圧勝してしまったからなのである。勝ったじゃないんだ、圧勝してしまったのである。

 平塚雷鳥は女性解放のために『青踏』という女性雑誌を出版することになったのだが、その際、与謝野晶子に随筆を書くことを依頼することになった。しかし与謝野晶子は乗り気ではなく、再三止めるように勧告したのだが、平塚雷鳥の熱意に押されて、随筆を書くことを承諾した。

 なんで与謝野晶子が平塚雷鳥の依頼に消極的だったのかというと、与謝野晶子自身、既に『明星』という和歌の専門誌を出していた経験があり、雑誌を出版し続けることは大変だということが解っていたし、しかも平塚雷鳥が雑誌を出版したいと言っているのに、それに見合う大した準備もしていないことに腹を立てていたのだ。案の定、平塚雷鳥が出版した『青踏』は創刊当初から売上が不振で、3年後には経営的に破綻してしまったのである。与謝野晶子の予感は的中したということになる。

 それだけでなく、この『青踏』を発行している最中、与謝野晶子と平塚雷鳥は喧嘩をし始めてしまい、それが論争に発展してしまったのである。解り易く言うなら、隠れ社会主義者の平塚雷鳥は現在のフェミニストたちのように社会で子育てをしようと言って来たのに対して、与謝野晶子は育児をするのは家族であり、実際には母親がするものだと正論をぶつけて来たのである。

 解ると思うが、現在、民主党が子供手当てを政策の目玉に上げたり、「社会で子育てをしよう!」ということは、既に大正年j間に平塚雷鳥が主張していた訳だ。当然に現在の女性知識人の多くは平塚雷鳥の流れに入ってしまうので、平塚雷鳥を完膚なきまでに叩き潰した与謝野晶子なんて評価される訳がないのだ。昔も今も、日本には馬鹿な女性知識人たちが大量にいたのである。

●社会評論家としての与謝野晶子

 俺としては歌人としての与謝野晶子しか知らなかったのだが、与謝野晶子の社会評論家としての側面を教えてくれるのが、中川八洋著『與謝野晶子に学ぶ』(グラフ社)だ。この本は頁数が少ないながらも非常に内容の濃い書物で、「与謝野晶子がこんなに偉大な人物だとは知らなかった!」と俺が感嘆してしまったくらいに与謝野晶子の思想を的確に解説してくれているのだ。

与謝野晶子に学ぶ―幸福になる女性とジェンダーの拒絶

 与謝野晶子はひょんなことから平塚雷鳥と論争してしまったために、その後、歌人としての活躍だけでなく、社会評論家としても第一級の活躍をし、珠玉の随筆を大量に残しているのだ。与謝野晶子の社会評論家としての活動は、中学や高校の教科書からは完全に抹殺されいるのだ。これほど酷いこともないだろう。これでは与謝野晶子をきちんとできない訳だ。

 なんでこんなおかしな現象が起こっているのはもう解っている。フェミニストたちが大学で暗躍し、執拗に与謝野晶子の功績を抹殺し続けているからなのである。

 与謝野晶子と平塚雷鳥の論争では、与謝野晶子が圧勝した。しかしそれで決着がついたのではなく、平塚雷鳥の弟子たちが大量に増殖して行くことで、逆に平塚雷鳥の意見の方が罷り通るという奇妙な現象が起こってしまったのである。現在の民主党の政策なんて、平塚雷鳥の主張とそっくりそのままなのだから、あの世にいる平塚雷鳥はシメシメと思って不気味な笑みを浮かべていることであろう。

 女性であるなら、ボサーッとしていてはならないのである。フェミニストたちは女性解放を唱えながら、女性に大して絶対的な憎悪をぶつけてくるという非常に恐ろしい連中なのである。フェミニストたちの横暴を傍観していると、いずれその魔の手があなたの元にまで及んでくることになるのだ。女性だからこそフェミニズムを破壊して行かなければならないのである。

 俺が国文学の様々な作品を読んで行った結果、戦前に於いて最高の女流文学者は与謝野晶子であり、戦後に於いて最高の女流文学者は塩野七生であるという結論に落ち着いている。両者ともフェミニズムに戦うなり、フェミニズムを拒絶していることでは共通している。女性といえども、邪悪なイデオロギーに洗脳されず、自分でしっかりと物を考えていけば、きちんとした作品を作り上げて行くことができるのである。逆に言えば、多くの女流文学者たちはフェミニズムに洗脳され、自分でしっかりと物を考えていないのであるということなのである。

 結局、どのような時代であろうとも、自分でしっかりと物を考えている女性は、後世に名を残す作品を作り上げて来るものなのである。

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