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2011年10月

夫婦で投資会社を作り、そこで資産運用を行う

●専業化してしまうことこそ、成功の早道

 投資のプロになるためには10年から20年という非常に長い歳月がかかるのだが、本来なら真面目にゆっくりと投資の勉強をし続け、10年から20年という歳月を経た後に投資のプロに成って行けばいい。しかしそんな悠長なことなどやっていられないと思うのなら、裏技を使ってしまえばいい。

 それは「夫婦で投資会社を作ってしまう」といことだ。

 夫婦で投資を行った場合、その投資は兼業というか、自分たちの本業の合間に行うものだ。そのためなかなか真剣になって勉強して来ないので、それで上達するまでに時間がかかりすぎてしまうのである。だったら専業化して、投資を本格的にやってしまえばいいのだ。専業化するからこそ上達が速くなり、10年もかからずに投資のプロになることができるようになるのである。

 投資では三分割投資法を使うことになるのだが、「株式投資」「不動産投資」「債権投資」の全てが巧く行くということはない。必ずどれか得意分野が出て来るものであり、自分たち夫婦の得意分野が解ったのなら、その1つの分野を集中して行うようにすることだ。得意分野を伸ばして行くと、上達が非常に早くなるのだ。

 こういう会社は「投資会社」になるのだが、この投資会社の凄さは夫婦が他に本業を持っていても、投資会社の経営がきちんとできるということだ。というのは投資は1日8時間労働をしなければならないということはなく、寧ろ市場を動きを見ながら、気が向いた時にちょこっと仕事をすればいいだけだからだ。これなら夫婦の本業に迷惑がかからなくなるのだ。

 夫は平日の間は仕事に行くのだから、平日の会社の管理は妻に遣らしてしまい、休日に夫婦で会社の経営について話し合えばいいのだ。妻は平日の空いた時間を有効利用して使うことができるし、休日も遊びに使って無駄にするのではなく、会社経営を行うのだから有意義に使えるというものなのである。

●個人の資産とは別に投資会社を運営できる

 投資家であるならいずれは投資会社を設立しなければならないものなのである。

 というのは個人の投資では必ず限界があるかならのである。今まで述べて来たように、株式投資も不動産投資も最大で20件なのであって、そんなに手広く行うことはできないのだ。債権投資なら金額を増やして行くことができるが、個人が余りにも多くの債権を持ち過ぎることは逆に危険になって来るのだ。

 だから個人で投資を行いつつも、投資会社を作ってそこで投資をするのである。夫婦が投資会社を作るからこそ、個人の限界を突破して行くことができるのである。個人と投資会社の2つで資産運用をしていれば、どちらか1つが赤字になっても、もう1つが黒字になっていれば、コケなくて済むようになるのだ。もしも2つとも黒字になれば相乗効果が働いて個人でやるより大儲けして行くことが可能になるのだ。

 それに投資会社を所有していると、資産運用に於いて「必要経費」を合法的に落として行くことが可能になるのだ。実を言うと個人で資産運用を行うと、その資産運用に関する必要経費は殆どが自弁である。しかし投資会社を作ってしまうと、投資会社の資金を必要経費に回すことができるので、必要経費で財布を傷めるということがなくなるのだ。

 投資会社は資産運用をやっているのだから、帳簿上、黒字にすることはない。赤字にしてしまえばいいのだ。こうすれば税金を鐚1文払わなくて済むようになるので、投資で儲けた分はそっくりそのまま再投資に回すことができるのである。これを個人でやるのははっきり言って無理である。しかし投資会社ならこれができるのである。

 投資会社を作ることによって起こる最大の変化は、資産運用を単なる資産運用として行うのではなく、ビジネスとして行って行くようになるということなのである。資産運用をビジネスと行わず、ただ不労所得を得ようと思ってやっているからこそ、失敗してしまうのである。ビジネスなら歴とした仕事になっているのであって、不労所得ではなく、勤労所得になるものなのである。

●妻が専業主婦であっても会社経営ができる

 自分の妻が結婚後に専業主婦になってしまった場合、子育てが終了するまでは恐らく専業主婦のままであろう。そうなれば夫1人で妻と子供たちの生活費を賄わなければならないという過酷な立場に置かれてしまうのだ。確かに専業主婦なら妻に家事や育児を全て任すことができるので、夫は仕事に全力を投入することができるという利点もある。しかしその代償も結構高いのである。

 そこで投資会社を作ってしまうと、妻が専業主婦であったとしても、家事や育児に専念しながら、資産運用を管理程度のことなら任すことができるようになるのである。資産運用を管理すればいいだけの仕事なので、1日数時間やってくれればいいのである。それなら専業主婦でもできるのである。

 夫婦で投資会社を作るなら、夫が社長で、妻が専務でもいいし、夫が会長で、妻が社長でもいいのだ。とにかく取締役にしてしまうと妻にも所得が発生することになり、妻のお小遣いに関してはそれで賄うことができるようになるのである。妻が専業主婦だと、臍繰りを貯めて、それを自分のお小遣いに使ってしまうので、家計簿をつけてもなんの意味もなくなるのだ。

 妻が専業主婦であったとしても、投資会社の役員という形で仕事をしていれば、「主婦ボケ」がなくなるのだ。夫が外でバリバリと仕事をしている間、妻は家事や育児をこなしていると、いずれ夫婦の会話が噛み合わなくなって来るものなのである。理由は簡単で、夫は仕事をしているために頭脳が冴えわたり、妻の方はそうではないからだ。しかし投資会社の役員をやっていれば、経済に対して敏感になってくるので、主婦ボケがなくなり、夫婦の会話が弾むようになるのだ。

 当然に投資会社の経理は妻が担当することになる。そのため妻は複式簿記をつけるようになるのだ。そうなると妻は複式簿記の威力を知り、家計に於いても複式簿記を導入して来る可能性が非常に高くなって来るのだ。複式簿記を導入すると、自分たち夫婦の所得収入と消費支出、資産収入と資産支出の区別がつくようになるので、それが解れば後は資産の拡大を猛スピードで図って来るようになるのだ。

●会社経営を通じて夫婦仲が良くなる

 専業主婦なら自分の取りまく環境に凄まじい変化が起こっていることに気付くべきであろう。まず家事に関しては電化が相当に進んだので、家事への負担は大いに激減したということだ。育児に関する手間は依然通りなのだが、育児を通じて他の母親たちと会話する機会が激減しているのである。

 そのため妻としては夫が帰宅してくれば、その日あったことをベラベラと話して来るのであるが、夫としては仕事で疲れ切っている以上、妻から何か話しかけられても聞く耳を持たなくなってしまうのだ。しかも夫が帰宅するまでテレビを見ていたら、脳は完全に馬鹿になっているので、夫が仕事で脳をフル稼働させていたというのに、妻が要領を得ない会話をして来るなら、逆に怒り出して来てしまうのだ。

 ところが妻が会社経営をしていると、妻の脳もビジネスモードになるために、夫が疲れて帰って来たのなら、すぐさま自分の話をし出すのではなく、まずは夫の話を聞くということができるようになるのだ。夫も自分の話をすれば、今度は妻の話を聞かざるを得ないので、それで夫婦の会話がスムーズに行くようになるのだ。

 第一次産業に従事している夫婦たちはどれも仲が良いものだ。それは夫婦で同じ仕事をしているからなのである。同じ仕事をしていれば、当然に夫婦双方の脳がビジネスモードになるので、夫婦で話をしても、きちんと通ずるようになるのだ。しかし第二次産業に従事し出すと怪しくなり、第三次産業になるともっと怪しくなる。夫婦で一緒に働くという機会がなくなるために、夫婦の会話が成り立たなくなるという現象が起こって来るのである。

 夫婦の中には夫婦で投資会社を作るなんて面倒だなと思う人たちもいることであろう。しかし投資会社を使って資産運用を行うことができ、しかも夫婦が一緒の仕事をするから、夫婦の会話が弾み、夫婦仲が良くなるのである。お金も儲かるし、お金では買えない物までをも手にすることができるのだから、投資会社を作ることは絶大な利益を齎すことになるものなのである。

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投資のプロになるために必要な時間は1万時間

●何事も1万時間でプロになる

 何事もプロレベルに達するまで最低1万時間を鍛錬を必要とする。プロになるまで覚えなければならない知識や技術は沢山あるので、短期間でその全てを覚えることはできないのだ。じっくりと時間をかけて覚えて行くからこそ、その知識や技術を充分に使いこなせるようになるのだ。

 だからお稽古事など幼い内から始めた方がいいのだ。若いゆえ脳が柔軟な分、そのお稽古事を楽しいと思えるようになれば、次から次へと学んでいくことができ、1万時間を費やせばプロレベルに到達してしまうのである。若い内から頭角を現わして来る若者たちは必ずといっていいほど、その親が早い段階でお稽古事をさせていたのである。

 ところが投資の場合、幼い内から遣り始めるということはまずない。殆どの人たちは投資の仕方を親から教えて貰ったことはないだろうし、どこかのスクールに行って投資の仕方を学んだこともないであろう。だからそのスタートは自分の自由意思で切らねばならず、自分が社会に出たらできるだけ若い内に投資を遣り始めた方がいいのだ。

 結婚したのなら新婚当初から夫婦で話し合って投資を遣り始めてしまうべきなのである。この「新婚当初」というのが非常に大事なのであって、新婚の段階ではどの夫婦も収入が低いのだが、その低所得の段階で遣り始めるからこそ、早いスタートが切れるので、余裕を持って1万時間を費やして行くことができるようになるのだ。

 投資というのは必ず「S字曲線」を描いて成長して行く。最初はなかなか巧く行かず、それでも遣り続けて行くと、突如として成功し始めるのだ。脳というものは、脳が成熟するまでには1万時間というそれだけ膨大な時間を必要とするので、短期間で成功することはできないのだ。それよりも脳はプロレベルになるまで1万時間を必要とするという前提で早いスタートを切ればいいのである。

●1日3時間で10年間

 投資をするなら1日3時間は投資のことに費やした方がいい。1日3時間年中無休で遣り続ければ「10年間」でプロレベルに達するのだ。夫は仕事をし、妻は家事や育児をしながら投資をするというのなら、1日3時間が限界といった所なのだ。長時間を投資に費やせば、他の箇所で時間不足になり、生活する上で様々な支障が出て来ることになるのだ。

 しかし実際の生活では1日1時間半ぐらいしか投資のことに費やせない筈だ。投資の勉強をすれば1時間半で脳味噌がパンパンになってしまうことだろう。だったらその短い時間でいいのだ。1日1時間半を年中無休で行えば「20年」で投資のプロレベルに達することができるようになるのだ。

 この20年間という月日は、マイホームを購入した夫婦なら丁度住宅ローンの支払いが終わる時期なのであり、今まで住宅ローンの支払いが家計を圧迫していたのに、その住宅ローンがなくなったことで投資に回せる資金を十二分に確保することができるようになるのだ。大体、この時期から本格的な投資をするようになるのだ。

 だから一番危険なのは、マイホームの購入と住宅ローン返済に追われてしまい、その間に投資の勉強をしなかったり、投資をしなかったりすることなのである。住宅ローンの支払いが終わってから、いざ投資を遣り始めても、投資の知識も技術もないので、投資が悉く失敗することになってしまうのである。

 それ以上に恐ろしいのが結婚時に既に持ち家があり、マイホームを購入する必要性がないから、投資をするのに資金に余裕があるのに、全然投資を遣ろうとしないことなのである。結婚すれば20年なんて歳月はあっという間に過ぎ去ってしまうので、自分たち夫婦は最初非常に有利な地位から出発したのに、後続の夫婦たちにどんどん追い抜かれて行くことになるのだ。

●まずは天引き貯金から始める

 投資を始めるのは早ければ早いほど良い!

 このことを結婚している者たちは肝に銘じた方がいい。結婚すれば仕事や家事や育児など様々な作業があるのだから、それらをこなしている間にどんどん時間が過ぎ去って行き、気付いてみたら還暦に成ってしまったということになるものなのである。自分たち夫婦が老人になったのに、資産が何もないというのでは、社会に矛盾があるからそうなったのではなく、ただ単にその夫婦になんの計画もなかったからそうなっただけのことなのである。

 では新婚時に一体何をやり始めればいいのかというと、それは「天引き貯金」である。収入の2割を貯金に回してしまい、その貯金を絶対に生活費に回さず、地道に貯金を増加させて行くのである。天引き貯金は地味な遣り方もしれないが、結婚してから3年経ってみれば、相当な金額になるものなのであり、夫婦はその資金を元手に投資して行くことが可能になるのだ。

 主婦であるなら「家計簿」をつけて合理的な消費をするようにしながら、無駄な支出を省いて行くようにすることだ。家計簿をつける際に大事なことは支出すべき資金は予め確保しておくということなのである。必要な物に関しては下手に削ってはならないのだ。その一方で地道に繰越金を増やして行き、生活費の3ヵ月分の繰越金ができれば、家計は安全になるのだ。

 投資をするならとにかく「現金第一主義」に目覚めることだ。地道に貯金を遣り続け、手許に年収の3倍もの資金を持てるようにすることだ。年収の3倍もの貯金があれば、夫が失業したとしても家計はびくともしないのであって、幾らでも解決策を生み出して行くことが可能になるのだ。貯金が豊かだからこそ、豊かな投資ができるのであって、貯金が無いのに、投資を成功させることなど決してできないのだ。

 投資は「三分割投資法」を実践して、「株式投資」「不動産投資」「債権投資」の3つに巧く資金を分散して投資して行くことだ。実際の投資ではこの3分野の内、どれか1つが得意となるので、まずはその得意分野で成功して行くことだ。その後、他の分野にも進出して、自分たち夫婦の資産運用の安全を確保すればいいのだ。

●早すぎる成功は逆に危険である

 夫婦で投資して行く場合、早すぎる成功は逆に危険なのである。投資がそんなに早く成功する訳がないからだ。確かに「ビギナーズラック」というものがあるので、最初から行き成り成功してしまうこともあるが、そういう早すぎる成功をしてしまえば、次にその成功を台無しにしてしまう大失敗をやらかしてしまうのである。

 投資というのは実に様々な知識や技術を学んで行かなければならないので、膨大な時間がかかるものだと覚悟を決めて取り組むようにすることだ。個々人の頭の良し悪しはそんなに関係ないものなのである。それよりも1万時間かけてじっくりと学んでいくことこそが大事ななのであって、下手に近道を探さないことだ。

 主婦の中には株式投資をする余りに「デイトレーダー」になってしまう主婦たちも出て来るものだ。確かにデイトレーダーとして才能があるなら別にやったとしても構わない。しかし一旦デイトレーダーになってしまえば、動かす資金が億単位になってしまうために、もうパートや正社員として働くことが馬鹿馬鹿しくなってできなくなってしまうのだ。しかもデイトレーダーとして投資に失敗した場合、大損害を被ってしまうことになるので、それに気付いた夫は離婚という決断を下して来るものなのである。

 個人が行う株式投資というのは基本的に長期投資なのである。長期投資だからこそ確実に儲けて行くことができるのである。短期投資は機関投資家たちがすべきものであって、彼等は株式投資をビジネスとしてやっているからこそ、そういう手段を取って来るだけのことなのである。もしもデイトレーダーをするなら、夫婦の資産を使って行うのではなく、株式会社を設立して、その会社でやればいいのである。

 お金に目が眩めば「先物取引」に手を出す主婦たちだって出て来るのだ。先物取引はプロの業者がやるものなのであって、素人たちが手を出せる代物ではないのだ。確かに先物取引が巧く行けば一攫千金も夢ではない。しかし一介の主婦が自分の資金を持ち出してすべき投資ではないのである。損害が出るようになったら、半端じゃない大損害を被ってしまうものなのである。

 投資をして行くと、巧い儲け話というものに必ず出会うものだ。だがそういう巧い儲け話というのは、個人レベルでやるものではなく、本来なら業者がすべきものを個人がやっているにすぎないのである。そういう投資は個人ではすべきではないのである。業者がやる投資に手を出しても一時的には儲かるかもしれないが、最終的には大損してしまうものなのである。絶対にプロの業者に対して舐めてかかってはならないのだ。

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出産時に於ける体外離脱

●難産プラス薬物で体外離脱が起こる?

 俺は女性が妊娠したのなら妊婦生活に充分気を使って安産になるための準備をし、いざ出産の時は確実に安産に持ち込むべきだと思っている。できることなら病院で出産するのではなく、助産院で出産するよう勧告し続けている。母子双方の身の安全を考えたら、医者が男性である病院よりも、助産師が女性である助産院の方が断然いいからだ。

 だから病院で超早期の早産をして未熟児の赤ちゃんを産んでしまったとか、妊婦が難産を悪化させ、出産後に産褥熱で死んでしまったとかいうニュースを聞く度に心を痛めている。「病院で産まなきゃ、そんな悲劇は起こらなかったのに~」と予め解っているからだ。妊婦生活を無為無策で過ごすのではなく、妊婦生活で妊婦としてすべきことは全部やって、出産の時は妊婦中心になって産ませるべきなのである。母子共に健康な形で出産できなければ、医者はその母親に謝罪し、多額の損害賠償金を支払うことをすべきなのである。

 病院での出産を勧めていないために、病院で出産した母親たちから助産院では有り得ない話も聞くことになる。それは「出産時に於ける体外離脱」だ。助産院では安産に持ち込むために、安産では体外離脱は起こらないのだ。ところが病院で難産になってしまい、しかも難産の最中に何かしらの薬物が投与され、脳の機能が掻き乱されると、妊婦たちの中には体外離脱が起こってしまうのだ。

 俺は今、「幽体離脱」ではなく「体外離脱」という言葉を使った。幽体離脱だと肉体から幽体が離脱したことになってしまい、実際に起こったこととは違う言葉になってしまうからだ。霊魂が肉体から離脱してしまう以上、幽体離脱ではなく体外離脱なのである。自分の霊魂が自分の肉体から飛び出してしまったからこそ、実際にそれを経験した妊産婦たちは大いに驚いてしまうのだ。

 経産婦たちにとって非常に厄介なのは、自分が体外離脱を経験したのに、病院の医者たちは「そんなの非科学的だ!」とまともに受け取ってくれないということなのである。医者たちは唯物論的な傾向が非常に強いために、霊魂やら体外離脱やらといったものに関しては白痴と言っていいくらいに無知なのである。だからこそ病院で体外離脱が起こったのに、これに関してきちんと調査するということすらして来ないのだ。

●霊界に突入

 出産時に体外離脱を経験した経産婦たちの意見を集めてみると、圧倒的に多いのが「白く光り輝く世界を見てしまい、そこで自分と宇宙は繋がっているのだということを一瞬にして理解してしまった」という意見なのである。個々の経産婦たちの表現方法には多少の違いがあろうが、大体、この現象が起こったと集約することができるのだ。

 この現象は一体何かというと、霊魂が体外離脱して一気に霊界に突入してしまったのである。普通、霊魂が体外離脱すると、自分が病院で出産しているシーンを宙に浮いた形で見ることになるのだが、妊産婦の場合、状況が状況だし、しかも薬物投与もされて脳に異常が生じているので、一気に霊界に突入してしまったのである。

 そのため霊魂自体が何も準備をしていないために、いざ霊界に突入してしまうと、霊界の光が眩しく見えてしまい、「白く光り輝く世界を見た」と言い出して来るのである。霊界に入ってしまった以上、現実世界にいる自分と、霊界にいる自分とがいるわけで、当然に自分と宇宙は繋がってしまったという経験をして来るのである。

 一時的にせよ霊界に入ってしまった以上、霊界から帰って来ても自分の霊能力は暫くの間「覚醒状態」にあるのであって、普段の自分では絶対言わないことを言い出したり、妙に勘が良くなってしまって、相手の行動を全て見切ってしまうことができるようになるのである。病院であんまり下手なことを言い出すと精神病院送りにされるので気をつけておいた方がいい。実際に出産直後に精神病院に送られていた経産婦もいたので、出産直後に母子が切り離されるとその後の育児が大変になってしまうのだ。医者たちは霊界のことに関しては理解できないんだと最初から諦めておくことだ。

 「霊魂が存在する」とか「霊魂は不滅である」とかいうことは、言葉で言われてもそう簡単に理解できることはない筈だ。しかし自分が実際に体外離脱をし、霊界に行ってしまったのなら、霊魂の存在や霊魂の不滅などは「自明の理」と思えるほど当たり前のことになってしまうし、そうやって自分の身に偉大な変化が起こると、普段の生活では何があっても落ち込まなくなるし、死を恐れることもなくなってしまうのだ。

●守護霊との会話

 霊界への突入以外で起こる現象は、「守護霊と会話をしてしまった」という現象である。基本的に守護霊は自分の家系で死んだご先祖の誰かがつくものである。意識が朦朧とする中で死んだ祖父や祖母が出て来て、その祖父や祖母と何かしらの会話をし、その後に意識を回復するパターンが基本形であろう。

 墓所を持ち、しっかりと墓参りをしている家族で育ったのなら、こういう現象は起こり易い。守護霊がしっかりとついているし、守護霊の霊力も強いので、自分の子孫が危機になると出て来て、その妊産婦を安全な状態へと導いた上で去って行くのだ。事実、守護霊と会話できた経産婦は難産であっても無事出産できたし、出産後も順調な回復ぶりを示すのだ。

 日本人なら守護霊との会話が殆どなのだが、外国に行くと夢の中でイエスやマリアに出会って会話をしたという事例が矢鱈多いことに気付く。「なんでその男性がイエスだって解った?」「なんでその女性がマリアだって解った?」と突っ込みを入れたくなるのであるが、キリスト教国では日本のように墓参りをしないので、守護霊の霊力が弱かったりして、違う霊がついてしまったりするのだ。

 この現象で考えられることは守護霊ではなく指導霊が出て来て、それがイエスやマリアの姿に変えて何かしらの会話をしたであろうということなのである。もう1つ考えられることはキリスト教徒は洗礼の際に洗礼名を貰うために、その洗礼名が新たな霊を呼び込んでしまい、それがイエスやマリアの姿に変えて何かしらの会話をしたであろうということなのである。

 可能性としては洗礼名が新たな霊を招き寄せたという確率が高い。というのは日本だと仏教徒たちが釈迦如来に会ったとか、阿弥陀如来に会ったとか言わないからだ。日本の仏教徒たちは仏教徒と名乗っても戒名を死後に貰うので、こういう現象が起こらないのかもしれない。となると洗礼というのはローマカトリック教会が「秘跡」に設定するほど何かしらの意味があったということなのである。事実、イエスやマリアを見たというのはカトリック教徒たちだけであるので、プロテスタントたちには起こってはいないのだ。プロテスタントでも洗礼をするが、その洗礼は飽くまでも聖書の記述に基づくもので、原始キリスト教会より連綿と伝えられてきたものではないのだ。

●過去世への帰還

 守護霊との会話と同様に数は少ないのであるが、「過去世への帰還」というのも妊産婦たちの中には経験者がいるのである。過去世への帰還というのは自分の霊魂が体外離脱して一気に自分の前世に行ってしまい、その前世での出来事を一瞬にして経験してしまうのである。

 この一瞬というのがミソで、確かに前世に行ったのだが、猛スピードでその経験を追体験してしまったために、自分が前世に行っても、その内容を巧く言葉で言い現わせなくなってしまうのだ。このため「確かに前世に行ったのに、一体何が起こったんだ?」と自分で自問自答してしまうのである。

 どうせこういう場合、覚えていないのだから、過去世に帰還しても、そのことは忘れてしまった方がいい。無理に思い出そうとしても思い出せないし、それに拘っていたら育児が大変になってしまうからだ。この過去世への帰還は実例が少ないし、たとえ実例があったとしてもそれをきちんと記録に残す経産婦もいないので、統計的には物凄く少ないのだ。

 しかし前世で何かしらのことがあり、それため現世に生きる自分に対して何かメッセージがあるとするなら別である。例えば前世では自分の夫と死に別れてしまい、現世ではそういうことが起こらないようにメッセージを伝えて来ているのなら、それを無視する訳には行かないのだ。

 過去世への帰還に何かしらの意味があるなら、出産時でそれが終わってしまうのではなく、その後も睡眠中の夢の中で前世の夢を見ることが度々ある筈だ。こういう場合、枕元にノートとペンを置いておき、夢から覚めたらすぐさま夢の内容を書き出してみることだ。こういうことを繰り返すと、前世での出来事が朧げながら見えて来るので、それでメッセージを受け取ることができるようになるのだ。

●経産婦たちの神秘体験

 普通の夫婦では妻が出産を経験すると「生命の神秘が~」と言い出し、夫は非常に迷惑をするものなのである。妻にとっては自分が新たな命を産み落としたというのはまさに≪生命の神秘≫なのであって、その感動を夫にも解って欲しいのである。しかし夫は男性である以上、出産を経験することはできないのであって、≪生命の神秘≫に関する話は噛み合うことなく、いずれ育児の忙しさの中で掻き消されて行くことになるのである。

 だが、出産時に体外離脱をしてしまった経産婦にとっては、≪生命の神秘≫どころではなく、自分自身がまさに≪神秘体験≫をしてしまったのである。だからこそ神秘体験をすれば人生観が一変してしまうし、その神秘体験の凄さを誰かに解って欲しいのである。この神秘体験で自分が経験したことは自分が他人に言わなければならないほど大事な内容を持つものだからだ。

 ところが医者たちは絶対に神秘体験を否定して来る。ガチガチの唯物論に凝り固まっているので、実際に自分が神秘体験をしたとしても、それを無碍に否定して来るのだ。だからまず医者とは全く話が合わないのだ。かといって夫だって出産を経験していないから≪生命の神秘≫が解らないし、それ以上に≪神秘体験≫をしていないから霊界やら霊魂やら前世やらというのが解らないのだ。

 結論から言ってしまうと、神秘体験をきちんと説明できるのは宗教だけなのである。宗教というのは神秘体験抜きには悟りきれないものなのであって、宗教であるなら本来は説明がつくのだ。しかしそれなのに殆どの宗教団体は神秘体験を説明できないのである。なぜなら宗教家たち自身が神秘体験をしていないからなのである。

 冷静に考えてもみて欲しい。神道であろうが仏教であろうが、激しい修行があり、その修行を受けるのは基本的に男性たちだけだ。なぜ男性たちにそんな苦行を強いるのかといえば、男性は女性と違って出産を体験することができないために、苦行をすることで自分を限界状況に追いこみ、そこで神秘体験をするということをしてくるのである。

 そのため宗教家の中でも修行をきちんとしていなかったり、苦行を否定するような言動を吐いていると、神秘体験ができず、信者たちの中で神秘体験をしたとしても、それをきちんと説明してあげることができなくなってしまうのである。「宗教とは人間らしく生きる教えである」などと間違ったことを言っていると、神秘体験をしてしまった信者たちはその宗教に幻滅して去って行ってしまうのである。宗教に対するそのような定義では宗教が宗教ではなくなり、哲学や道徳になってしまうのである。インチキ宗教家が普通の人たちを騙すことはできても、神秘体験をしてしまった人たちを騙すことはできないものなのである。

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原始細胞とミトコンドリアが織りなす人生

●原始細胞とミトコンドリアの連合が進化を齎した

 「人間は如何に生きるべきか?」。人間であるなら誰でも悩むものだ。或る者は宗教に頼って答えを見つけ出し、或る者は自分の哲学を作り出し、或る者は自分勝手気に気儘に生きて行くことであろう。それぞれ自分なりの選択をしても別に構わないのだが、その選択は正しい答えになっていないのだ。

 人間は「動物」なのである。幾ら高尚なことを言っても、この地球上で生まれ育って来た動物にすぎないのだ。この前提を踏まえて意見を言って来ないと、人間が本当にどう正しく生きて行くかの答えを得ることができないのだ。ではどうすれば正しい答えを導き出せるのかといえば、それは進化の過程を調べてみれば導き出せるのだ。

 まずこの地球上には当初「原始細胞」が生まれた。この原始細胞は光合成を繰り返してエネルギーを得て活動していた。光合成では老廃物として酸素を吐き出すために徐々に大気中の酸素濃度が上がって行き、酸素を嫌う原始細胞にとっては非常に住みにくい環境になってしまったのだ。

 そこにミトコンドリアなる生命体が突然変異で生まれ、酸素を使って活発に活動するということを遣り出したのだ。酸素は生命体を酸化させ死滅させるという危険物質であるにも拘わらず、ミトコンドリアは酸素を使うことで原始細胞のなんと18倍ものエネルギーを作り出せることができ、その行動範囲は飛躍的に広まったのだ。

 更に原始細胞とミトコンドリアという相反するものが融合し、それ以降、様々な動植物を生み出して行くという進化を可能にさせたのである。地球の歴史では、恐竜が大繁栄を遂げたとか、人類が大繁栄を遂げたとかいうのは大して重要な事件ではなく、実は原始細胞にミトコンドリアが入り込んだ事件こそ、地球の歴史を変える最大の事件であったのである。

●乳幼児はなぜ忙しく動き回るのか?

 人間も原始細胞とミトコンドリアの組み合わせで生きているのであって、それがどのように作用するのかが解れば、人間にとって最適の生き方を導き出すことができるのである。簡単に言ってしまえば、人間は生まれた当初は原始細胞のエネルギー発生量の方が優位で、成長と共に徐々にミトコンドリアのエネルギー発生量が優位になって行くのである。胎児は酸素に触れない世界で生きているのだが、出生以降、酸素のある世界に慣れて行き、人間は酸素に慣れ切った所で死ぬことになるのである。

 今まで胎児であった赤ちゃんは原始細胞のエネルギー発生量の方が圧倒的に優位なのである。

 このためエネルギーを大して産み出すことができない。だから2時間おきにオッパイを吸うということを繰り返すのだ。大きくなって正規の食事が始まってもすぐにエネルギーを使い果たしてしまうので、オヤツをせがむようになり、1日5食の日々を過ごすことになるのだ。それだけ食っているのだから活発に体を動かせると思いきや、原始細胞のエネルギー発生量が優位になると瞬発力しか出て来ないので、すぐにダウンしてしまうのだ。

①乳幼児は感情的な生き物だと割り切る

 育児を大変だと思う母親たちは、乳幼児は原始細胞の塊であるということが解っていないからなのである。原始細胞の塊は非常に感情的に生きているのであって、乳幼児は感情的な生き物だと割り切るべきなのである。乳幼児の感情を母親が否定してしまうからこそ、育児が大変になっているだけなのである。

②瞬発力は3分間しか続かない

 乳幼児は原始細胞が優位なために瞬発力はあっても、持続力がないのだ。乳幼児は何をやっても3分間しか続かないので、その時間を巧く見極めることだ。例えば乳幼児が泣き出しても、すぐさまあやすのではなく、少し時間をおいてからあやすようにするのだ。こうすると乳幼児は自分の感情を発散させることができるので、母親に頼るべきことは母親に頼るが、それ以外のことは自分で遣り出すようになるのだ。

③母親も時には感情的になる

 乳幼児が感情的な動物なので、母親も時には感情的にならないと相手に伝わって行かないのだ。乳幼児を叱る時は大袈裟になって叱った方がいいのである。母親が自分の感情を出してくれるからこそ、乳幼児の方もその感情を受け止めることができ、「これはやっていいのだな」「これはやっては駄目なのだな」ということが解るようになるのだ。

④時には冷静になる

 かといっていつも感情的になってばかりはいられない。時には冷静になって、乳幼児を諭すことも必要だ。子供が大きくなってくれば、「そんな悪いことをしているのなら、お父さんに言うわよ」という切り札を持つことも必要だ。子供はこれをやられると大泣きして、母親の言うことに従うので、こういう陰険な方法も子供に非常に有効なのである。

⑤競争させまくる

 原始細胞の塊である乳幼児はとにかく体を動かしたくて堪らないのである。だから乳幼児の体をとにかく動かせまくるようにすることだ。自宅の中ばかりにいないで、外に連れ出して、外で動き回れるようにすればいいのだ。乳幼児はエネルギーを使い切れば眠たくなって寝てしまうので、だからこそベビーカーや乳母車が必要になってくるのだ。

 乳幼児は競争というものが大好きなのである。それゆえ子供をより多く産んで行き、兄弟姉妹同士で競争させるようにすればいいのだ。幼稚園にしてもお遊戯優先の幼稚園に行くのではなく、園児たちを巧く競争させる幼稚園に通わせるべきなのである。下手に仲良くする幼稚園だと子供の能力が伸びてこないのだ。人間の運動神経は6歳までに発達を終えてしまうので、この時期に競争をしていないと、その後、どんなに努力しても大して大成してこないのである。

●小学生にはゲーム感覚で競争をさせろ

 小学生になったら原始細胞の塊ではなくなるが、瞬発力がまだまだ優位で、少しは持久力が芽生えて来る時期なのである。実を言うと小学校はこの事実を踏まえて作られていないために、子供たちの能力を大いに伸ばせていないのが現状なのだ。朝に登校させて、昼過ぎまで学校に居させるというのは、子供にとって苦痛でしかないのだ。

 小学校の授業は午前中だけにすべきであって、午後は下校させ外で遊ばせておけばいいのだ。瞬発力しかない小学生を学校に集めても、朝から勉強すればお昼頃になればもう集中力は切れてしまうのである。もしも授業を午前中だけにするとしたのなら、授業内容を圧縮することが大切さになってくるのであり、相手が小学生と雖も内容の濃い授業をしなければならないのだ。

 小学生たちは学校では遊んでしまい、学習塾では真剣になって勉強するのは、その授業内容の圧縮度の違いを敏感に感じ取って来るからなのである。

 瞬発力の優位な小学生では、 集中力が持つのはせいぜい30分なのである。授業だって30分間にしてしまい、それ以上、授業し続ける必要性はないのだ。大体、 テレビアニメは全て30分なのであり、子供たちは静かにしてテレビアニメを見ているのである。授業時間が長いからこそ、子供たちが騒ぎ出して来るのである。

 学校での勉強もスポーツや芸術でも、ゲーム感覚で競争することが大切になってくる。事実、テレビゲームを遣り始めるのは小学生辺りなのであって、テレビゲームで遊ばせるくらいなら、勉強やスポーツや芸術をゲーム化して競争させるべきなのである。試験があれば成績優秀者を紙に張り出したり、運動会では優勝した者に景品を与えたり、優れた芸術作品を作った者には表彰状を与えたりすればいいのだ。

 小学生という大事な時期に充分な競争をしてこないと、人間としての根本的な実力がつかなくなってしまうのだ。小学生たちは競争して実力をつけて行くのであって、それ以外の方法では実力はつかないのだ。勿論、競争すれば落ち零れて来る者たちが出て来る。だから小学校の教師たちは落ち零れた生徒たちに補習を受けさせればいい。補習をしないからこそ、落ち零れの問題が深刻化するのである。

●中学生と高校生とでは全然違う

 人間の成長過程の中で一番厄介な時期が中学生の時期なのである。中学生は瞬発力がまだまだ優位であり、持久力が出始める時期なのである。しかし体自体、この変化について行けず、小学生でなければ高校生でもないという非常に微妙な時期を迎えてしまうのだ。不良の生徒が出て来るのもこの時期であり、勉強好きやスポーツ好きが出て来るのもこの時期であるのだ。

 まず勉強に関しては「短時間の勉強をすべし」ということなのである。1つの科目をじっくりと勉強するのではなく、集中力が切れたら次の科目を勉強するようにし、数多くの科目をこなして行くようにすべきなのである。勉強が終わればさっさと外に出て遊ぶということも、成績を上げて行くために必要なことなのだ。

 読書を真剣に遣り出すのも中学生からであろう。中学生なら「短歌」や「詩」や「短編小説」をどんどん読んで行くべきなのである。瞬発力が優位なために、これらのジャンルの方が理解し易いのだ。中学生なのに長編小説を読むのは頂けないものだ。中学生では長編小説を読んでもきちんと理解できず、読んでいる内に頭の中がポーっとしてしまうようになるのだ。

 スポーツをやるなら瞬発力を活かした運動をすべきなのである。特にやるべきは100m走のインターバルであって、100mを全力疾走で走ったら、その後歩き、そして再びダッシュするということを繰り返すべきなのである。こうすると体力が異様に付き始めるので、どのスポーツをやっても勝ち易くなるのだ。この時期に絶対にやってはならないのがマラソンである。中学生では持久力が出始めた時期なので、この時期にマラソンをやってもそれほど効果は出て来ないのだ。それどころか瞬発力を台無しにしてしまい、体力が逆に低下して行くようになるのだ。

 高校生になると徐々に持久力が出て来るので、この時期になったら瞬発力と持久力の双方を活かしたトレーニングをしていいのだ。しかもこの時期は性ホルモンが大量に分泌されるので、体を徹底的に鍛えまくって筋肉量を増やして行くべきなのである。当然に食事も蛋白質を多く食べさせるべきであって、「肉」「魚」「玉子」「木の実」「豆類」を大量に食べさせていくべきなのである。

 高校生は中学生とは違って持久力も出て来るので、長時間勉強することが可能になり始める。それゆえ質の高い勉強を徹底的にしまくるべきなのである。大学受験のために勉強するのはまさにこの時期なのだ。できることならこの時期に自分で自由研究をしておくべきであって、それを論文という形で発表しておくべきなのである。何か1つの分野を徹底的に研究すると、それが自分の自信になって、その後の学問で大いに役立つことになるのだ。

 高校の3年間は「黄金の3年間」なのである。この黄金の3年間に一体何をやっていたのかを聞けば、その人物について大体のことが解るようになるのだ。

●20代は必殺の12時間労働を繰り返す

 人間は男女ともに19歳が成長のピークなので、これ以降、原始細胞とミトコンドリアが出すエネルギーが拮抗し始め、瞬発力と持久力のバランスが取れ始めるようになるのだ。しかも成長期が終わったので、睡眠時間も短くなり、時には睡眠時間を削ることもできるので、自由に活動できる時間が大量に確保されることになるのだ。

 大学生の時期は勉強を思いっきりできる時期であるのだ。勉強すればするほど頭の中に入って来るので、この時期こそ勉強に費やすべきなのである。俺は大学生の頃、1日8時間から12時間は勉強した。多い時には16時間も勉強したのである。あれは大学生だからこそできたのであって、30歳を過ぎてしまえばもう絶対にできないのだ。

 部活動をやるなら、命懸けでやるべきであろう。瞬発力と持久力の双方を活かせるので、どのスポーツをやったとしても素早く上達してくるのだ。毎年正月に行われる「箱根駅伝」が面白いのは、大学生だからこそ真剣になって練習し、試合では全力を出し切ることができるからなのである。マラソン選手が活躍するのはもっと後のことなのであって、駅伝だから丁度いいのである。

 因みに、日本でプロ野球が振わなくなったのは、高校野球が盛んだからという意外な原因が判明して来るのだ。高校野球で勝つためには野球部員たちに走り込みをさせて持久力をつけさせればいい。しかしそれはその時期にやってはならないトレーニング法なのであって、たとえ高校野球で活躍できたとしても、プロになってから伸びなかったり、故障に悩まされることになるのだ。

 この時期に遊んでしまった学生たちは、絶対にもう二度と後で取り返すことができないのだ。日本の大学生たちが遊んでしまう理由は、大学入試が厳しいことと、大学の教授たちの教え方が非常に下手糞であるという2つの理由を主に挙げることができる。学生たちが遊んでしまうからこそ、日本の大学のレベルは世界的に見て、非常に低いレベルにあるのであって、大学側は真剣になって大学改革を施して欲しいものだ。

 就職すれば必殺の「12時間労働」を繰り返すべきなのである。朝早くから出社して、夜遅く帰ってくればいいのだ。祝祭日は休まない。月に休んでいいのは2日で充分なのである。特に気をつけるべきは「ハッピーマンデー法」で、この法律が出来てから、日本の企業の生産性は急激に低下してしまった。1週間の始めである月曜日を休んでいるのだから、火曜日から働いたとしても、それほど生産性は下がってしまうのである。俺はこの法律が制定された当初からこの法律を無視して、月曜日には必ず仕事をしている。これが生産性を異様に高くしてくれるのだ。

●女性の30代、男性の40代前半は人生の転換期

 成長のピークは男女共々同じであるが、老化は女性の方が早く迎えてしまう。女性は男性よりも成長が早く、初潮も男性の精通よりも早く来るので、逆に老化も早く来てしまうのだ。女性が30代に突入すると、瞬発力が急激に低下して行くことになる。徹夜などすれば、すぐに目の下に隈が出来てしまうし、睡眠時間を充分に確保しないと前日の疲労が取れないということになってしまうのだ。

 女性の30代は結婚し、妊娠出産育児を経験し、家族を形成して行くという大事な時期なのである。この時期こそ人生の転換期なのであって、自分の人生をどんどん変えて行くべきなのである。「非婚」を唱えて結婚もせず仕事をするというのはどう考えても得策ではないのだ。30代を独身で過ごしてしまうと、女性の人生に変化が起こって来なくなり、自分の人生をレベルアップすることができなくなってしまうのだ。

 男性の老化は40代前半に起こるものであり、男性にとっては「天職」を見つけ出す時期であるのだ。極論を言ってしまえば、40歳以下までなら転職を繰り返してもいいし、失業していたっていいのだ。しかし40歳前半までに天職を見つけて、その仕事に全力で精進しないと、男として大成して行くことができなくなってしまうのだ。

 40代前半までに天職を見つけ出さず、お金を得るために仕事をしているような男性は、アッという間に定年を迎えてしまうものなのである。40代前半以降は瞬発力が急激に低下し、持久力が優位になってしまうために、仕事をすれば難なく働けるのである。しかしそれをお金のためにやるのか、何かしらの使命を持ってやるのかでは、時間の経過と共に結果が余りに違い過ぎることになってしまうのである。

 男女は平等ではなく、男女には性差があるということが解っていないと、とんでもない愚論を言い出してしまうことになる。例えば「パラダイスサーティー」とか、「肉食系女子」とか、「女子会」とか、30歳すぎの女性なら取るべきではないことを平気で言ってきたりするのだ。女性は30歳になればパラダイスどころか老化を感じてしまうものなのである。女性が30歳になれば肉を食うのが余り必要にならなくなってくるのだ。女性が30歳になれば女性同士で集うことより、家族を優先する方が楽しいものなのである。

●不妊症が発生するのは女性が社会進出をしてしまったから

 既婚女性たちの間で不妊症に苦しむ者たちが出て来るのも、30代であるのだ。自分の体がミトコンドリア優位になり始めているので、10代や20代のような生き方をしていれば、当然に妊娠できなくなってしまうのだ。不妊治療を受けている女性たちに限って。「不妊治療を頑張ろう!」と言い出して来るものだが、不妊治療を頑張って受けると逆に妊娠できなくなるのだ。頑張っていいのは10代や20代までなのであって、30代以降はもう頑張ってはならないのだ。

①生活を再編成する

 不妊症を克服していくためには、とにかく仕事の量を減らすことだ。仕事の量が多ければ、どうしても仕事にエネルギーを使いきってしまい、妊娠できなくなってしまうのである。女性の社会進出が多くなればなるほど、不妊症が激増して行った歴史的事実を決して忘れるべきではないのだ。

 自宅にしても模様替えなどしてリラックスできるようにすることだ。自宅が自分に緊張を強いるような殺風景な有様になっているからこそ、常に交感神経が優位してしまい、妊娠できないのである。赤ちゃんを欲しいと思うのなら、赤ちゃんが来たくなるような家を作るべきなのである。

②食事を変える

 30代になったらとにかく栄養バランスを考えることだ。逆に言えば20代までなら栄養バランスのことを考えず、自分が好きな物を食っていればいいのだ。しかし30代になると何かが変わり始めるのだ。お菓子の量が減ったり、肉の量が減ったりしてくるのだ。瞬発力に適した食事ではなく、持久力に適した食事に変わり始めるのである。

 果物や野菜を美味しいと感じられるようになるのは、大体が30代からなのである。だから毎朝果物を食べ、野菜をふんだんに使って調理していけばいいのだ。できれば季節には季節に合った食材を使い、体を冷やさないような食事を食べるようにすることだ。普段は質素な食事でも、祝い事があれば豪華な食事にして、食事に対してメリハリをつけるようにすることだ。

③長時間の運動をする

 女性は30代になると長時間労働が苦痛にならなくなる。持久力が優位になって来るので、長時間に亘って働けるようになるのだ。だからこそ「家事」をきちんと行うことだ。料理に掃除に洗濯に、時間をたっぷりとかけて家事をするようにするのだ。長時間に亘って家事をし続けると、体が芯から温まって来るので、妊娠し易い体に変わって行くのである。

 スポーツも若い時にやった激しい運動をするのではなく、「ウォークング」や「軽ジョギング」といった、長時間できるスポーツに切り替えて行くことだ。「ヨガ」や「ダンス」に人気が出て来るのも30代以降の女性たちの特徴なのだ。若い時に「テニス」や「エアロビクス」などの激しい運動をやっていたのなら、そろそろ卒業の時期なのである。

④セックスの時間を長くする

 妊娠をしたいのなら、セックスの時間を長くすることだ。女性が30代になってしまえば、短時間のセックスでは楽しめないし、妊娠できないのだ。瞬発力を使ったセックスは若い時には楽しめても、30代以降ではもう駄目なのである。30代以降は長時間のセックスをするからこそ楽しめるし、妊娠できるのである。

⑤男性には冷水シャワー

 不妊治療をすると夫は積極的ではないものだが、そういう夫を無理矢理に病院に連れて行くのではなく、風呂場で冷水シャワーを浴びせてしまうことだ。こうすると早漏ではなくなるし、質のいい精子が出て来るので、非常に妊娠し易くなってくるのだ。日々暖衣飽食をし、熱いお風呂に浸かっているようでは、ペニスの機能が落ちて行くものなのである。

 因みに地方の神社では裸祭りをしたり、寒中水泳をさせたりするが、そういうことをやっている地方では不妊症の発症率が異様に低い。逆に裸祭りや寒中水泳のない都市部に限って不妊症が異様な高さをマークして来るものなのである。恐らく昔の人々は男性の体を裸にしたり、冷水に晒すことが、ペニスの機能を高めるということを知っていたのであろう。

●生き方を変えるからこそ人生の後半を成功させて行くことができる

 人間は同じスピードで走り続けることはできないのだ。原始細胞とミトコンドリアという全く異質な物を体内に持っているために、この2種類のエネルギー発生量の比率の変化が自分の生きるスピードを変えてしまうのである。より正確に言うなら、成長に応じてギアチェンジしながら生きて行くしかないのである。

 人生が変わる時期に変わる!

 人間は「乳幼児」「小学生」「中学生」「高校生」「20代」と何度もギアチェンジしながら生きて来たのである。そして女性は30代で、男性は40代前半で最も大きな変化を迎えるのである。この時期の変化は家族から離れて行って変化するのではなく、新しく家族を形成し、家族を土台にして、より大きな変化をして行くという非常に大事な時期なのである。、

 人生の前半で考えたことは人生の前半でならそれでも別に構わないが、人生の後半になるとそれでは駄目なのである。若い時の考えは時が来れば捨てた方がいいのである。青春時代というのは誰にとっても輝かしいものであるから、過去に縋る人ほど、もう使い物にならない考え方を捨て切れないのだ。

 人生の前半はさっぱり成功して来ないのに、人生の後半になると成功し出す人たちが出て来るのは、その人たちは生き方を変えたからなのである。捨てるべき物を思いっきり捨てたからこそ、新たな生き方を取ることができるようになったのである。しかも人生の後半では人生の前半のような変化がないために、一度生き方を変えてしまえば、後は成功しっ放しの状態になってしまうのである。

 寿命が80歳だとしても、後40年もの時間があるのである。もしも寿命が100歳なら、後60年もの時間があるのである。暦が一回転するほどの時間があるのに、若い時の生き方ではまともに生き続けることはできないのだ。人生の後半は今までとはまるで違う生き方を求められるのである。

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女性雑誌がマネー特集を組み出すようになると、景気が悪化する

●資産を有する女性たちの友人関係が変わって行く最大の誘因

 資産を有する女性たちの友人関係が変わって行く最大の誘因に「情報の格差」がある。投資をして行けばどうしても情報を大量に獲得して行かなければならないので、投資をしない女性たちと情報の質量に於いて圧倒的な格差が出来てしまうのである。自分が情報を大量に持っているのに、相手が情報を持っていないのなら、話が通じなくなってしまうのである。

 例えば東日本大震災が起きて、日本経済が大打撃を受け、景気が低迷しているという情報がマスコミに流れていても、自分が投資家なら「その後に震災特需が始まって日本経済は上昇に転じる」ということが解っているので、敢えて違う意見を言うことができるのである。増してや国民の大多数が被災者たちの悲惨な生活に同情して増税に同意しているのに、「震災直後の増税は景気を長期間に亘って悪化させる」ということが解っているから、国民の大多数が持つ間違った憐憫の情の危険性を指摘することができるようになるのだ。

①テレビ

 投資が巧く行き出したのなら、テレビなんて殆ど見なくなることであろう。確かに育児や子育てで子供たちと一緒にテレビを見ることになるが、自分が進んでテレビを見るということはもうなくなるのだ。テレビから流れて来る情報は投資では殆ど役に立たないので、投資が巧く行き出すと、反比例するようにテレビの視聴時間が激減して行くのだ。

 しかし自分の友人たちがテレビを見て、未だにアイドルの話題を持ちかけて来るようであるなら、もうその友情を維持できなくなってしまうのだ。投資をやっていれば、民放のテレビ番組を見ても面白くなくなってしまうものだし、増してやアイドルのことを云々言うようなことなどもう絶対になくなるのだ。

②一般紙

 投資を成功させたいのなら、とにかく全国紙を読まないようにし、『日本経済新聞』を読むようにしなければならない。それゆえ全国紙を読んでいるような女性とは段々話が合わなくなってしまうのだ。全国紙を読んで政治を批判しているだけでは1銭も儲かることはないのだ。それよりも経済の動きに敏感になって、今後、日本経済がどのようになるか考える方が、少なくとも新聞の定期購読料以上の儲けを得ることができるようになるのだ。

③女性雑誌

 投資をしている女性なら、女性雑誌を必ず読むことだろう。投資をして生活にゆとりがあるために、女性雑誌から情報を仕入れて、それを自分の生活に投入して行くのだ。当然に女性雑誌を読まない人とは生活レベルに差が出て来てしまい、結局、疎遠になってしまうものなのである。

●女性はお金を使う動物

 投資をしている女性であっても、女性雑誌を読む時は普通の女性と同じような感覚で女性雑誌を読むことだろう。それはそれでいい。しかし自分が投資をしている以上、少しは注意して読むべきであろう。というのは女性雑誌の些細な変化が、日本経済に対して何らかの影響を与えて来るからなのである。

 例えば女性雑誌がマネー特集をし始めたら 景気が悪化すると思っておいた方がいい。女性はお金を使う動物なのであって、女性雑誌では女性たちが如何に効果的にお金を使うようにする情報を出しているのであって、マネー特集が組まれること自体が異常なのである。マネー特集が出て来たら「これは危険だぞ!」と思うことだ。

 社会がどのように変わっても、男性がお金を稼ぎ、女性は男性が稼いだお金を使うようになっているのである。だから男性が女性をリードする度合いが強まると経済は発展して行くし、逆に男尊女卑を批判して男女平等の社会を作ろうとすると経済は停滞してしまうのである。日本では政府が「男女共同参画社会」を唱え始めてから、長期間に亘って景気が低迷し、国民の大半が貧窮化した状態になっているのだが、平等イデオロギーに洗脳されてしまうと、自分たちが貧乏になってしまったことが全然解らなくなるのである。

 若奥様向けの雑誌でもせいぜい100万円貯めるテクニックが特集される位で、ではその100万円をどう使うのかいえばマイホームの購入資金になるものなのである。結局、大きなお金を使うために貯金をしているのであって、女性雑誌であるなら投資という考えは出て来ないものなのである。

 女性雑誌を読むとは投資に重点を置いて読むのではなく、消費に重点を置いて読むようにするべきなのである。どうせ女性雑誌を読んでも投資の話は出て来ないのであって、女性雑誌で投資の話が出て来る方が危険なのだ。女性雑誌を読むなら、投資の話は抜きで、消費を楽しむために読めばいいのである。

●既婚女性は金融情報を男性雑誌から仕入れなければならない

 では投資をする女性は一体どこから投資の情報を仕入れるのかというと、それは男性雑誌から仕入れなければならない。通常、既婚女性なら夫が読み終えた男性雑誌を読み、まずは自分が興味のある記事を拾い読みして行くということを遣り出す。男性雑誌は男性脳に適した作りになっているので、最初から行き成り全てを読むようなことはしない方がいいのだ。

 自分の女性脳が男性雑誌に慣れて来たら、自分の好みにあったビジネス雑誌を買って読めばいいのだ。このビジネス雑誌を買うというのが大事なのであって、無料でビジネス雑誌を読んでいるようでは、投資を成功させることはできないのだ。矢張り身銭を切って情報を集めるからこそ、その情報が役立って来るようになるのだ。

 重要なビジネス雑誌は必ず定期購読するようにすることだ。ビジネス雑誌も1年間定期購読してみると、日本経済の動きが非常に良く解るようになるので、その後、日本経済がどのように発展して行くのかが手に取るように解るようになるのだ。だから買ったビジネス雑誌は捨てないで、自宅に保管しておいた方がいいのだ。

 もしも定期購読をしないと、ビジネス雑誌の発売日なのになぜだか売り切れてしまい、手に入れることができなくなってしまったりするのだ。しかもそういう時に限って自分が面白いと思うような特集や記事が載っているので、非常に大損害を被ってしまうのだ。自分が好きと思える雑誌はいつまでも書店で購入していないで、面倒ではあっても出版社にきちんと手続きを取って定期購読をするようにすべきなのである。

 ビジネス雑誌の中には書店では売られていない秘密の雑誌も存在するのだ。そういう雑誌は発行部数が少ないのだが、その雑誌の内容は格段にレベルが高いので、自分の投資に非常に役立つようになるのだ。値段は多少張るかもしれないが、その料金を支払うだけの価値はあるのだ。

●普通の女性たちとは違う行動を取れ

 女性は結婚してしまうと。家事や育児を大量にこなして行かなければならないので、結婚によって人生が充実してしまい、時間があっという間に過ぎ去ってしまうものなのである。そのため他の女性たちと同じ行動を取っていたのでは、ありきたりの人生を送ってしまうだけになるだけなのである。他の女性たちとは違う行動を取るからこそ、通常よりも遥かにいい人生を送ることができるようになるのである。

 確かに女性が普通の女性雑誌を読むだけでなく、ビジネス雑誌を真剣になって読んでいたら、普通の女性たちが喜んでいることでは最早喜べなくなるのだ。女性たちの間で何かしらの流行がはやっても、それを素直に楽しめなくなる自分になってしまうのだ。しかし「流行に遅れてもお金で苦しむよりは増し」と割り切ってしまえば、確実に投資に成功させて行くものなのである。

 結婚であれ、ビジネスであれ、投資であれ、それらに成功している女性たちには或る1つの共通項がある。それは自分にとって最善のライフスタイルを取っているということなのである。そのライフスタイルは独特なものだし、かといってそのライフスタイルの内容を聞くと、非常に面白いと思ってしまうのである。

 逆に普通の女性たちは自分なりのライフスタイルがきちんと確立されていないために、生活も仕事も問題だらけになってしまうのである。周囲の女性たちと同じ行動を取り続けたために、自分にとって最善のライフスタイルを築き上げるという努力をしてこなったのである。だから結婚だろうが、ビジネスだろうが、投資だろうが全て巧く行かなくなってしまったのである。

 自分が自分のライフスタイルを確立していなければ、自分の人生が巧く行かないから、その責任を「社会が悪いんだ」としてしまうのである。自分の人生に社会なんてものは関係ないのである。自分にライフスタイルがきっちりと確立されていれば社会がどのように変化したとしても幸せな人生を歩むことができるようになるものなのである。

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同窓会に行くべきか? それとも行かざるべきか?

●投資家にとって同窓会は危険?

 自分たち夫婦が投資で成功して行く過程で友人関係が変わって行くというのなら、同窓会に行くべきか行かないべきか悩んでおいた方がいい。社会に出る前までの友人関係をバッサリと切り捨てることは「成功者たちの王道」の内の1つだからだ。かといって嘗ての友人たちを潔く切り捨てることもできないというのもまた事実なのだ。

 我が家では両親の双方とも地方出身者なので、故郷から出て行ったということでは2人とも同じだった。しかし父親の方は大学時での仲間たちと毎年同窓会を開き、昔の友情を温めていたのに対し、母親の方は女子高出身者ということもあって同窓会などなかったために、自分の友人関係をガラリと変えてしまったのだ。

 それでどうなったかというと、友人関係で常に揉めていたのは、実は同窓会に出席していた父親の方だったのである。同窓会に出席していなかった母親の方は友人関係で揉めるということはまずなかったのである。性別が違うので男女の性差もあるかもしれないが、同窓会に出たか出なかったという差の方がこの場合は大きいのだ。

 投資家たちの間では同窓会に出ていい思いをしたということは少ないのではないだろうか? 同窓生だからといって全員が投資をしているとは限らないからだ。嫉妬の強い社会では自分が投資をしていることを公言することは非常に危険である。「泥棒!」だの「詐欺師!」だの「労働者を搾取している!」とか言われてしまうからだ。

 それに投資をして行く過程で新しい友人が増えて行くというのに、わざわざ投資になんの役にも立たない昔の友人たちの友情を温めていては、自分で出会わなければならない新しい友人に出会えなくなってしまうのだ。友人関係に変化が起こらならなければ、自分がやっている投資はかなり危険なものに成って行くものなのである。

●同窓会が有害な理由

 なんで同窓会に出ることがそんなに危険なのか?

①そもそもそんなに仲がいい訳ではない

 筆頭の理由としては、同級生だからといってそもそもそんなに仲が良かった訳ではないということなのである。ただ単に学級が一緒だったという理由だけで、その人物たちを生涯の友達とすべきではないのである。自分が生きていれば同窓生よりも親しくなる友人は幾らでも出て来るのだから、無理をして同窓生に拘る必要性はないのである。

 逆に言えば、同窓会というものは同級生と仲が良い学級であったのなら開いても良いということなのである。例えば高校3年間学級変更がなくずっと同じ学級であったために生徒同士の仲が非常に良くなってしまったとか、運動会や学園祭で非常に盛り上がってしまったために感動を共有できる仲になったとか、そういうことがあって初めて同窓会を開く必要性が出て来るものなのである。

②変わっていないことを確認し合うだけ

 同窓会の最大の危険性は、出席者の全員が昔の基準で見てしまうために、「変わってないな~」と言い出してしまうことなのである。出席者の誰もが年月と共に変わっていったのに、全てが盲点になってしまい、相手が変わったことが全然見えていないのだ。これは非常に危険なことなのである。こういうことをやっている人たちは人を見る目が急激に落ちているということなのである。

 同窓会に出ると昔仲良かった人物とはすぐに仲良くなり、話が弾むものだ。相性の良さというのは年月が経っても変わらないということだ。しかし昔仲が悪かった人物とは矢張り話が弾まず、話が途切れてしまうものなのである。相性の悪さというのも年月が経っても変わらないということだ。実を言うと変わっていないのは相性だけなのであって、それ以外の全ては変わって行っているのである。

③成長を止めてしまう

 同窓会に出て何かしらの利益があれば出るべきなのであるが、大方の人たちは同窓会に出てもなんにも利益も掴むことができない。同窓会に出ることで生じる最大の損失は同窓会に出たことで成長を止めてしまうということだろう。なんせ同窓会に出れば「変わっていないな」と言い合うだけなので、同窓会に出れば自分の成長がピタリと止まってしまうのだ。

 自分が親として、ビジネスマンとして、投資家として成長していっているのに、同窓会に出てしまったばかりに成長を止めてしまえば、家族内に問題が発生して来るし、職場でも問題が発生して来るし、投資に関しても問題が発生して来るものなのである。人間は成長するからこそ利益を手にすることができるのであって、成長を止めてしまえば損害しか発生して来ないものなのである。

●行くなら部活のOB会やOG会にすべし

 同窓会というのはその学級で生徒同士の仲が非常に良かった時だけ行えるものなのであって、普通の人たちは行くべきではないのである。同窓会のお知らせが自宅に来て、のこのこと出席しているようであるなら、その僅かな楽しみのために、その後に大損害を至る所に発生させてしまうものなのである。

 自分たち夫婦が投資家として成功して行きたいのなら、もっとドライになって同窓会などに出席せず、自分たちの友人関係をどんどん変えて行くべきなのである。投資をしていれば当然に投資をしている友人たちと仲良くなって行くものなのであって、そういう友人たちこそを大事にすべきなのである。

 かといってそこまでドライになれないというのなら、同窓会を行くのをやめるが、部活のOB会やOG会に行くようにすればいいのだ。部活なら同じ釜の飯を食った間柄なので非常に仲がいいのであり、同窓会のような有害性を持ち合わせていないのである。非常に仲がいい以上、1年に1回の付き合いでも会話に花が咲くものなのである。

 体育会系の部活なら、誰もが若い時にスポーツに打ち込んだために体力があり、部活をしていない生徒たちよりもビジネスで成功する確率が高いものなのである。ビジネスは或る部分に於いて体力勝負という要素があるので、体力のある男女はビジネスに於いて成功して来る可能性が高いのである。

 となれば部活の仲間の内に投資をしている者も出て来るので、投資の話もできるようになるのだ。幾ら高所得だからといって、収入の全てを生活費に回して贅沢な暮らしをしているような者とは、一時的に会話が盛り上がっても、いずれ話のネタが尽きてしまうものなのである。投資をするというのは、その者の所得の多寡に関係なく、地道に勤倹貯蓄を繰り返しているか否かなのである。

●人生には運不運が付き物

 人間は自立していなければ友達に依存してしまうものなのである。だからこそ10代や20代の男女は「俺の友達がさ~」とか「私の友達がね~」とか言い出してくるのである。それが悪化すれば「最近そういう人たちが増えているよ~」「みんなやっているよ~」とか言い出して来るのである。こういう発言をして来る若者につくづく言いたくなる。

 「では、あなたの意見は一体なんなの?」って。

 男性なら冒険旅行に出て自立して行くことができれば、友達がどうのこうの言わなくなるものだ。女性なら恋愛をし結婚して独立してしまえば友達の意見や行動に左右されなくなるものだ。大事なのは自分の考えであり、自分で考えて発言し行動していかないと、自分を取り巻く環境は何1つ変わらないからだ。

 20代は男女共々頑張りどころであり、仕事に全力を投入して行く時期であり、女性の30代は結婚を通じて人生がまるっきり変わって行く時期であり、男性の40代前半は天職が決まる非常に大事な時期なのである。学校や大学を卒業して社会に出た後、自分にとって大事な時期が長らく続くのである。そんな大事な時期に同窓会に出て遊び呆けていては、自分が望むような未来を獲得することはできないのだ。

 人生に運不運は付き物なのである。みんなが同じスタートラインから出発したとしても、或る者は仕事で大成功したり、或る者は貧乏のままであったり、或る者は犯罪者になったり、或る者は警察官や検察官や裁判官になったり、或る者は結婚して幸せな家庭を築いたり、或る者は離婚したり、或る者は非婚を貫いて仕事に生きる者たちも出て来るのである。

 同窓会に出て「みんな同じだ」と思いたい気持ちも解らなくはないが、自分が仕事や結婚で成功し、投資も順調に行っているというのに、仕事が巧く行かず、収入も低く、結婚していない人たちが居たとすれば、もうそういう人物とは話が出来なくなるものなのである。自分だって仕事が巧く行かなかった時期はあったし、収入が低い時もあったし、独身だった時期もあった。だがもうその時期は終わったのであり、自分は次のステージに進んでしまったのである。

 同窓会に出て無理して変わらないことを確かめ合うよりも、人生には運不運が付き物だと悟ってしまった方が余程無難なのである。運の良い者同士で仲良くなり、運気を益々高めて行き、そのいい運気を投資に使って行けばいいのである。運のいい者同士で集まっていれば、幾らでもいいアイデアが浮かんでくるものなのである。そういうアイデアこそ巨万の富を生み出して来るものなのである。

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投資をすると友人関係が変わってしまう

●友人が変わることこそ、人生の変化が起こったということ

 夫婦が地道に貯金をし始めても何も変わらないものだし、その元手を使って投資を遣り始めても何も変わらないものだ。しかし一旦投資が成功し始めると絶対に自分の付き合う友達が変化して行くのである。まさにガラリと自分の友人関係が変わり始めるのである。自分の付き合う友人が変わることこそ、自分の人生に変化が起こったということなのである。

 この世の中は「類は友を呼ぶ」という法則で動いており、自分が投資に関心を持ち始めれば、当然に投資に関心のある人を友達にするようになるのだ。逆に投資をしていない人とは疎遠になって行くものなのである。もしも自分が投資をしているのに友人関係が全く変わらないというのでは、自分が真剣になって投資をしていないということなのだ。

 投資家であるなら、誰でも経験することになるのだが、自分が投資をして行く過程で、貧しい時に仲良かった友人と別れてしまうという辛い経験をしたりする。些細なことが原因で喧嘩してしまい、そのまま仲を修復することができず、喧嘩別れしてしまうのだ。その一方で、自分が投資をして行く過程で、昔の自分なら絶対に付き合うことのないような人間を友人にしてしまい、なぜだから非常に仲が良くなってしまったりするのだ。

 既婚女性なら自分たち夫婦の経済状況が良好になって、より良い住宅に引っ越すことになって、それで自分の付き合う友人がガラリと変わってしまったりする。貧乏アパートで暮らしていれば、どうしても腹立たしい人物とトラブルを起こしてしまうものだが、マイホームに引っ越せばそんなことはなくなり、自分たち夫婦と同じような経済状態にある人々仲良く暮らせるようになるのだ。更に豪邸に引っ越すようになれば、ご近所の人々は当然高所得者揃いとなるのだ。

 金持ちは金持ち同士で仲良くなるものなので、自分たち夫婦が豊かになっていくことで、貧乏な友人が排除されてしまい、お金持ちの友人が増えて行くのだ。これは投資をやっていれば必ず起こる現象なので、絶対にこの変化を食い止めるようなことをしないことだ。自分が善人ぶって、昔の友人たちと無理矢理仲良くしようとすると、逆に投資の方が巧く行かなくなってしまうものなのである。

●友人関係を広げ過ぎない

 自分の人間関係を良好にしたいのなら、友人関係を余り広げ過ぎないことに徹するべきなのである。友人関係を狭めて手堅い友情を構築していれば、新たに出会う友人も出て来るし、喧嘩別れせず綺麗に去って行く友人も出て来るのだ。誰が友人で誰が友人でないかを見極めていないから、とんでもない目に遭ってしまうのである。

①結婚と子供の数

 既婚女性ならこれだけは覚えていた方がいいのは、女性にとって結婚というものは女性の人生を決定的に変化させる事件であるということだ。自分が結婚してしまえば、いずれ独身女性とは話ができなくなるのだ。たとえ結婚したとしても、子供のいない既婚女性とも話が続かなくなるのだ。既婚女性なら結婚すれば当分の間、家事や育児で頭を一杯にしてしまうので、その経験がない女性と一緒にいると「未熟だな」と思ってしまうのだ。

②基本的な考え方

 「基本的な考え方」も重要になってくる。若い時は愚かなものだからフェミニズムに洗脳されたりするのは別に構わない。しかし自分が投資に成功し始めるような年代になって、フェミニズムに洗脳されているような女性と話が通じる訳がないのだ。こっちは夫婦が協力して家族を作り、投資を行っているのに、相手が「女性の自立!」「男女共同参画社会の実現!」と唱えて来たら、「あんたバカ?」と言い返したくなってしまうからだ。

③お金の使い方

 お金の使い方も友人を選別する大事な基準になってくる。金持ちというものは℃の金持ちもケチなものなのである。無駄金を一切使わないものなのだ。金持ちになる一番の近道は、お金を沢山儲けながら、そのお金を殆ど使わなければいいからだ。このためケチの大切さが解っていない友人とは縁が切れてしまうものなのである。

 例えば所得はそこそこあるのに、その分、派手な生活をしている友人とか、友人と食事に行って割り勘に応じず、奢って貰うことを要求する友人とか、身分相応の服を着ないで、安物の服を着たり、逆に高級すぎる服を着たりする友人とか、そういう友人たちとはどんなに仲良くしようとしても、最終的には別れてしまうものなのである。

④礼儀作法

 貧乏人なら厳しく問われず、お金持ちになると厳しく問われるものに「礼儀作法」がある。挨拶をきちんとする。食事の際はマナーを守って食事をする。感謝すべきことがあったのなら、すぐさま礼状を書いて出す。そういうことをしておかないと、きちんとした友情を維持できなくなってしまうのだ。当然だが、礼儀作法を守らない友人を排除して行かなければならなくなるのだ。

⑤友人同士でお金の貸し借りをしない

 お金持ちというのは、お金の価値が解っている人たちである。だから友人同士でお金の貸し借りをしないのだ。友人同士でお金の貸し借りをすると、いずれ友情が破壊されてしまうということを知っているからだ。だから俺が常々言うように現金第一主義に徹して、多少のお金は必ず手許に残しておくべきなのである。お金を貸さないのは友情がないからそういうことをするのではなく、友情があるからこそお金を貸さないのである。

●親友との友情を絶対に断ち切るな

 投資をして行く過程で友人関係が変わって行くものだが、その変化を健全なものにしたければ、親友との友情を絶対に断ち切らないことだ。親友がいればこそ、新たな友人を見つけることができるし、不要になった友人を除去して行くことができるようになるのだ。親友こそが友人関係の機軸になっている以上、これがあれば友人関係の変化をスムーズに行かすことができるようになるのだ。

 通常、親友というのは10代に1人、20代に1人、結婚してからもう1人できるものだ。親友というのは恋愛と同じようなもので、人生の中で3人できるか否かという位に数が少ないものなのである。10代の親友は恐らく高校生の時にできるものだし、20代の親友は恐らく職場の同僚であろうし、結婚してからの親友は御近所さんであろう。

 結婚後に親友ができたのなら、その親友は数多い友人の中でも特別扱いし、絶対に壊さないようにすることだ。できれば互いに家計簿の付け方とか、投資の情報を交換したりして、互いに裕福になって行くようにすべきなのだ。というのは自分と親友との間で余りにも貧富の格差が激しくなって来ると、幾ら親友とはいえその友情を維持できなくなって来てしまうからだ。

 既婚女性の中には自分よりも遥かにお金持ちの女性を憧れにしてしまい、その女性を自分の親友だと勘違いして来る女性が出て来るものだ。断言しておくが、この友情は絶対に長続きしない。自分が背伸びをして付き合っているために、自分の疲労がピークに達した時点でその友人との友情が破壊されてしまうのである。

 高校生の時に親友を作らず、いつもグループで行動していたような女性は、多分、親友との友情がどのようなものなのか理解することができないので、下手に親友を作らない方がいいのだ。親友ができなかった分、グループで友人を作って行くことに長けているので、そちらの方を優先した方がいいのだ。

●人間が友人にできる数は300名以下

 実を言うと、人間の友人に対する許容量は自分が思っている以上に少ないのだ。人間が友人にできる数は300名以下であって、それ以上の友人を作れないのだ。しかも殆どの人たちは300名に達せず、240名で頭打ちになるのだ。要は300名以上友人を作っても、その友人たちは「顔見知り」程度でしかないのだ。

 如何なる人でも最大240名の人たちとしか友人関係を保てないのであって、その友人たちが一体誰なのか把握しておくべきなのである。大概、この分析で使用されるアイテムが「年賀状」なのである。自分に年賀状を出してくれた人こそ、まずは友人と確定なのである。そのため1年の内、1度も会っていないのに年賀状を出すことをしないようにすることだ。年賀状を出す人を毎年見直すようにすることだ。

 最大240名の友人の内、自分の生活や投資に関わって来る友人たちは最大で48名程度なのである。その友人たちは親友の次に大事な友人たちなので、この友人たちを大切に扱って行くことだ。友人関係の変化はこの友人たちの中で顕著に起こって来るから、新たな友人が入ってくれば、押し出される友人たちも出て来るのである。

 若い時は友人の数の多さを自慢してしまうものだが、その癖が結婚しても抜けきっていない女性は要注意することだ。この手の女性は自分にとってどの友人が大事で、どの友人が大事でないかの区別が全然ついていないのだ。友人の数が多いことは絶対に自慢にならない。友人関係を広げてしまったために、逆に仲のいい友人ができないという逆説が生じてしまうからだ。

 一方、若い時から友人が少なかった女性は友人の数の少なさに引け目を感じないことだ。友人の数が少なかったということは、自分が大事に思う友人を大切に扱って来たということだからだ。家計が良好になり、投資が成功し始めると友人の数も増えて来るので、自分が気付いた時には人並みの友人の数を持っていることになるのだ。

 「貧富の格差」の解消を目指す意見を言って来る人たちは、貧富の格差が友人関係に多大な変化を齎すことを知らず知らずの内に知っているのであろう。しかし貧富の格差があればこそ、人々は自分が最適と思える友人たちと出会って行くことができるのである。もしも貧富の格差がなければ、自分が不愉快と思う友人と渋々付き合って行かなければならなくなるのである。人間が作れる友人など最大で240名なのだから、貧富の格差を解消することを目指すのではなく、自由にさせておけばいいのである。そうすれば誰もが最善の友人関係を築いて行くことができるようになるのである。

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資産運用に関しては「投資の師匠」の意見に従うべし

●投資をしていれば、必ず「投資の師匠」が現れて来る

 投資をしているのになぜだか巧く行かない。投資の勉強をしているのになんだか良く解らない。自分がきちんと計画を立てて投資をしたのに、その投資が裏目に出て大失敗してしまった。こういう投資の失敗者たちに共通するのは「投資の師匠」がいないということなのである。「投資の師匠」がいないからこそ、投資のことをきちんと理解できないのだ。

 投資で成功したいのなら、とにかく「投資の師匠」を見つけ出すことだ。投資をしていれば必ず「投資の師匠」が現れて来るものなのだ。「投資の師匠」が出て来たのなら、その「投資の師匠」から投資のことを教わり、それを自分がきちんと理解した上で投資に使用し、投資に成功して行けばいいのだ。

 なんで「投資の師匠」がそんなに強力な効果を発揮するのかというと、人間には自分より優れた人物の物真似をしたがる本能を持っているので、巧く物真似してしまうと自分が大して努力せずに成功して行くことができるのである。投資をやるのに、自分がゼロから投資をしようとするからこそ、投資に失敗してしまうのである。物真似という本能を巧く使っていないから、全てを我流で押し通してしまうからだ。

 成功している投資家の中には「投資の師匠」がいなくても成功してしまった人がいるものだ。そういう人は自分の親が「投資の師匠」の役割を果たしてしまった場合が圧倒的に多いのだ。たとえ自分の親でなくても、自分の親戚の中で投資の仕方を教えてくれる者がいて、他の人たちよも圧倒的に有利な状態で投資を勧めることができたのである。

 投資の世界には必ず伝説的な人物がいるものだ。株式投資であれ、不動産投資であれ、債権投資であれ、大成功を収めて優雅な生活を送っている者が必ずいるのだ。そういう人と直接に出会わなくても、その人を自分の手本とし、その人がやった投資の仕方を真似て行けばいいのである。伝説的な人物を真似て貧乏になるということは有り得ないのだ。巧く行けば大成功だし、きちんとやっていれば必ず成功するものなのである。

●弟子の準備が整うと師匠が現れる

 では、どうして投資に失敗している人に「投資の師匠」が現れないのかというと、それはその人が「投資の師匠」に出会う段階に来ていないからだ。「弟子の準備が整うと師匠が現れる」という格言どおりに、弟子としての自分に投資に関してなんの準備も出来ていなければ、「投資の師匠」が現れて来る訳がないのだ。

 例えば株式投資をしているにに、『会社四季報』すら持っていないとか、たとえ持っていたとしても読み込んだことがないとすれば、そんな者が株式投資をやっても成功する訳がないのだ。というか真剣に株式投資をやろうという意欲が全く見えないので、これでは「投資の師匠」が現れて来ることはないのだ。

 投資をするなら最低限やらねばならないことがある。それくらいは自分でやっておくべきなのである。自分で調べてやるのもいいし、先輩の投資家に話を聞いてやってしまうのもいい。とにかく最低限のことをやっていないのに、「投資の師匠」に出会おうなんて虫のいいことを考えるべきではないのだ。

 断言しておくが、「投資の師匠」に出会うまでには多少の出費がかかるものなのである。必須のアイテムを買わざるを得ないし、中には投資に失敗することで手痛い損害を被ってしまった人もいるのである。そうやって高い勉強料を支払うからこそ、「投資の師匠」に出会うことができるのである。

 世の中には捻くれた者たちがいて、「それなら最初から≪投資の師匠≫に出会ってしまえば無駄な出費をしなくて済んだのに」と言い出す奴等がいるものなのだ。その出費は決して無駄な出費ではないのだ。自分が出費をしたからこそ、自分のレベルが上がったのであり、そうやって初めて「投資の師匠」に出会うことができるようになったのである。

●自分の実力に応じた問題にしか出会わない

 投資をして行くと必ず何かしらの問題に出くわすものだ。その問題がどんなに困難な物であったとしても、人間は自分の実力に応じた問題にしか出会わないということなのだ。簡単に言ってしまえば、その問題は解決可能なのであって、ただ今の自分ではその問題をどうやって解決して行けばいいのか解らないだけなのである。

 だからこそ、そういう時は「投資の師匠」に相談を持ちかけて、解決するアイデアを貰えばいいのだ。その解決するアイデアを聞いてしまえば、「あッ、そういうことか!」と自分の頭の中で何かが閃いて解決策を打ち出すことができるようになるのだ。そしてその解決策を実施すると難なく解決して行くことができるようになるのである。

 もしもこの時、自分が「投資の師匠」に相談せず、自分でウダウダと考え込んだとしても、すぐには解決策が浮かばないものだし、たとえ解決策が浮かんだとしても巧く行かないのだ。自分のレベルが低いために実力はあるのにその実力を巧く使いこなすことができないのである。

 自分が抱え込んでいた問題を解決するとレベルアップし、今までより遥かに強い実力を発揮できるようになるのだ。そうなれば今まで難しいと思えていたことで簡単に成し遂げることができてしまい、投資が次から次へと成功して行くのだ。そしてそうやって成功し続けると、再び問題が現れて来て、それを解決し、レベルアップするということを繰り返すのだ。

 投資で成功したいのなら、「投資の師匠」がアドバイスを素直に聞き入れるべきなのである。誰に対しても素直になる必要性はないのだ。「投資の師匠」が然るべきアドバイスをくれているのなら、素直になって聞き入れるべきなのである。素直になってしまえば、そのアドバイスによって解決策を生み出して行くことが可能になるのだ。

●プロの専門家たちを雇う

 投資をしていれば「投資の師匠」だけでなく、様々なプロの専門家たちが必要になってくる。なんでも「投資の師匠」に相談を持ちかけるのではなく、些細な問題に関してはプロの専門家たちの意見を取り入れるようにすべきなのである。プロの専門家たちの意見を聞けば、合理的な判断ができるようになるものなのである。

①ファイナンシャルプランナー

 投資の初期に出会うのがファイナンシャルプランナーであろう。ファイナンシャルプランナーは自分たち夫婦の家計を診断してくれる人だと思えばいい。大方の夫婦は消費支出が多過ぎる生活を送っているので、まずはその過剰な消費支出を食い止めなければならないのだ。

②証券マン

 株式投資をするなら証券マンと仲良くなっておいた方がいい。専業で証券業務をやっているので、マスコミには流れて来ない情報を教えてくれたりするのだ。中には顧客を騙す証券マンもいるので、無闇に信用しないことだ。証券マンの重要性に気付くと、果たしてネットで株式投資をするのが本当に安上がりになるか大いに疑問なのである。

③不動産鑑定士

 不動産投資で必要になってくるのが不動産鑑定士だ。不動産投資で中古物件を買うとなると、どうしても騙し合いの要素が強くなってきてしまうのだ。中古物件を買うなら不動産鑑定士に鑑定して貰い、本当に安全な中古物件なのか調べて貰うしかないのだ。腕のいい不動産鑑定士がいると不動産投資の投資効率が比較にならないほど高まるのだ。

④銀行員

 債権投資をするなら銀行員と仲良く成ることだ。銀行員と仲良くしていれば、儲かる債権投資を教えてくれるのだ。もっともその債権投資はその銀行自体が儲かるようになっているのだけれども。銀行員と仲良くなりたいのなら、銀行の口座に最低でも1000万円は貯金しておき、その銀行の株券を買って株主になってしまえばいいのだ。こうすれば銀行員は必ず丁重に扱って来るようになるのだ。

⑤税理士

 トドメは税理士である。幾ら投資で儲けても税金でごっそりと持って行かれては再投資するのが非常に困難になってしまうのだ。優秀な税理士というのは節税の方法を教えてくれる税理士ではないのだ。納税コントロールの仕方を教えてくれる税理士こそが優秀な税理士なのであって、自分が納めなければならない税金を最低限に抑えることができてしまえば、その浮いた資金を再投資に回すことができるようになり、更に資産を増やして行くことが可能になるのだ。

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人生の明暗がくっきりと分かれる「ヨウコ」さん

●ヨウコさんは明らかに頭のいい女性

 人間には不思議な御縁というものがあるのであって、人生の中で生きて行く過程で同じ名前の人となぜだか出会ってしまうということがある。うちの父親の場合、「ヨウコ」という名の女性になぜだか縁があり、父親の話を聞いていると、必ずどこかで「ヨウコ」さんに出会うのである。

 俺自身には「「ヨウコ」さんとはそういう御縁がないのだが、運命鑑定を遣っていると、この「ヨウコ」さんだけは女性たちの中で別格なのである。何がどう違うのかというと、「ヨウコ」という名前を持つ女性は、女性にしては明らかに頭が良すぎるのである。しかも独特の雰囲気を持っているので、出会った瞬間に「この女性の名はヨウコだな」とすぐさま解ってしまうのである。

 「ヨウコ」といっても、名前にする時は「洋子」「陽子」「容子」「庸子」「葉子」「蓉子」「曜子」瑶子「要子」「耀子」「遥子」等々があるのだが、これらの中でも「洋子」と「陽子」の2人に関しては更にその「ヨウコ」の名が持つ力が強まるのだ。その女性の名に洋子や陽子という名がついていると、その女性の人生の明暗がくっきりと分かれてしまうのである。

 洋子や陽子という名を持つ女性は、女性にしては非常に頭がいいのに、なぜ当たりハズレが大きいのかというと、その頭の良さは本来「秘書」や「経理部長」向きの頭の良さであって、社長の下でサポート役に徹する際に使用される頭の良さだからだ。学者であるなら自分から何か独創的な物を発明して来るのではなく、学説史をきちんと取り纏めるようなことで使用される頭の良さなのである。

 当然に洋子や陽子の名前を持つ女性は早い段階から出世して来る。会社に就職して、その会社の社長や人事部長の目に留まれば、その頭の良さに着目されて、重要な部署に抜擢されることであろう。学問の世界に進んでも、頭がいい訳だから、20代後半には優れた学術論文を書くことができ、競争相手たちより一歩先に抜きん出ることはできることでろう。

●なのに結婚の結果がまるで違う

 洋子や陽子の名を持つ女性が自分の人生の明暗を完全に分けてしまうのが、「結婚」に於いてなのである。通常、女性がそれほどまでに頭がいいと、その女性とくっつく男性が馬鹿だと相場が決まっている。人間は陰陽バランスを取るので、女性の頭が良ければ、頭の悪い男性と巡り会うことでバランスを取ろうとするのだ。ところが頭の悪い男性というものは、なかなか出世して行くことができないから、結婚した途端に不幸の連続になってしまうのである。

 しかも「洋子」は12画であって大恋愛の末、結婚すれば幸福が予定されている人生を歩むようになっており、「陽子」は15画であって、結婚して子供を沢山産み育てることで人生を幸せに満ちたものにするようになっているのだ。どちらとも家庭向きの名前なのであって、結婚せず非婚を貫いて仕事をし続けるようにはなっていないのだ。

 では、洋子や陽子という名前を持つ女性たちの内、幸せな結婚をした女性たちはどのようにして、いい男性と巡り会ったのかというと、それは自分自身が両親からお嬢様として育てられ、独身時代はお嬢様として振る舞ったのである。そうやってお嬢様タイプを前面に押し出したことで、頭の悪い男性ではなく、上昇志向の強い男性と巡り会うことができ、それによって自分の結婚を幸せなものにすることができたのである。

 要は子供の頃の育てられ方が大事なのであって、お嬢様タイプの女の子である以上、両親がお嬢様として育ててしまい、その後、大きくなってもお嬢様として振る舞い、お高く止まり続けることが大事なのである。そういう女性なら、ちゃんとした恋愛ができ、結婚も幸せなものにすることができ、自分自身は良妻賢母として家庭をしっかり守る者になるのである。

 ところが両親からお嬢様として育てられないと、自分自身がお嬢様として振る舞えないために、大きくなると碌でもない男性たちとしか出会えなくなってしまい、それなのに無理矢理に結婚してしまうと、その結婚生活は悲惨で、最終的には離婚してしまうことになるのだ。本来なら良妻賢母として能力を発揮できるのに、離婚してしまってはその能力を全く活かせないので、常に悶々として不幸続きの人生になってしまうのである。

●母親の期待をいい意味で裏切ることの大切さ

 姓名判断では洋子と陽子とではまるで違うことになるのだが、俺は「この洋子と陽子は同じものなのではないか?」と思うようになった。というのは「洋子」の場合、その両親は「大洋のように伸び伸びと育って欲しい」という思いを込めて名付けた筈だ。一方、「陽子」の場合、その両親は「太陽のように光り輝いて欲しい」という思い込めて名付けた筈だ。名前は違っても「タイヨウ」繋がりでは同じなのだ。

 こういう名前をつける母親に限って非常に狭い世界で人生を送っているものなのである。自分自身が不自由で窮屈だからこそ、自分の人生とはまるで違った生き方を自分の娘に託して来るのである。しかし母親自身は社会で活躍していないから、どうすれば広い世界で活躍できるのかという「知恵」を与えることができないのだ。更には洋子や陽子という名は本来「家庭向きの名」なのであって、母親の願望通りに生きてしまうと、自分の運命に反する生き方になってしまうのである。

 だからもしも洋子や陽子という名を持つ女性が母親の期待に沿うような生き方をしてしまうと、確かに母親の期待に応えることはできるが、逆に母親から自立することができなくなるのだ。小宮山洋子などは東大総長の娘さんでありながら、2度の離婚をし、フェミニストの中でも原理主義的な思想の持ち主なのだが、矢張り母親の期待に応えた生き方をしてしまったからこそ、自分自身が母親から自立することができなくなってしまったのだ。母親から自立できないからこそ、フェミニストになっているのである。

 自分が母親から洋子や陽子の名を名付けられたのなら、人生の或る時期に於いて、母親の期待をいい意味で裏切り、母親から自立して行くしかないのである。基本的には頭のいい女性なので、仕事では成功することができるだろうから、早目に自宅を出て1人暮らしを開始し、母親の介入をできるだけ阻止すべきなのである。

 人間はどんなに伸び伸びと育って行ったとしても、人生のどこかで壁にぶち当たり、そこで葛藤し、何かを捨て去って行くからこそ成長して行くことができるのである。子供の頃は天真爛漫でも、思春期になれば友達と喧嘩別れをしてしまったり、恋人と失恋をしてしまったりして、自分が照らし出していい場所は非常に限られているものだということを知るのである。母親がどんなに大洋のように伸び伸びと育って欲しいと思おうが、太陽のように光り輝いて欲しいと思おうが、それはいずれ破綻してしまうものなのである。

●如何に自分の運命に合った生き方をするかが大事!

 洋子や陽子という名前を調べて行くと、本当に明暗がくっきりと分かれているのだ。

①洋子編

 洋子の成功例として「南田洋子」さんを挙げておこう。南田洋子さんは若い頃は美人女優で、結婚後も女優としてだけなくタレントしても活躍し、最終的には女優として人生を全うしたのである。晩年はボケてしまい、それを夫の長門裕之さんが本にして公表して問題を起こしたが、あれは長門裕之さんの説明不足が混乱の原因であって、介護問題が深刻化する時代に敢えて自分の妻がボケて介護を要することになったことを綴って世に公表し、この介護問題が家族にとっては深刻な問題であるということを言いたかったのであろう。

 洋子の失敗例として「永田洋子」を挙げておこう。大学生の時に共産主義同盟マルクス・レーニン主義派の学生組織の社学同ML派に参加し、大学卒業後は左翼組織を転々としながら日本共産党の党員となり、最終的には連合赤軍中央委員会副委員長にまで登り詰め、山岳ベース事件では同志12名の殺害を指示しているのだ。警察に逮捕され、裁判では死刑判決を受けた。その後、脳腫瘍を患い、晩年は会話ができなくなり、肺炎で死亡した。

②陽子編

 陽子の成功例では「野際陽子」さんを挙げておこう。野際陽子さんも矢張り若い時は美人であったのであり。学生時代にはミス立教に選ばれ、大学卒業後はNHKのアナウンサーになり、その後、女優に転職。現在ではお婆ちゃん役をやらせればピカイチであろう。女優さんの意見の中で、泉ピン子さんと野際陽子さんの意見だけは聞くに値する意見を言って来るのだ。

 陽子の失敗例では「田嶋陽子」を挙げておこう。田嶋陽子は自叙伝を書いているので、是非とも一度読んで欲しい。別に買わなくてもいいから、図書館で借りればいい。俺が人様の自叙伝を読んで吐き気を催したのは、この田嶋陽子の自叙伝だけである。陽子の名を持つ女性が、両親から愛されず、まともな恋愛もできず、結婚も拒否してしまうと、碌でもない人生を歩むのかを教えてくれる本であるのだ。

 矢張り、洋子や陽子の名を持つ女性は、子供の頃はお嬢様として育てられ、若い内から出世して行くことが大事なのである。若くして出世していけるだけの美貌と知性を持っているのである。最大の問題は結婚をどう巧く持ち込むかなのであって、結婚後は良妻賢母になってしまい、子供たちを産み育てて行くことに喜びを見出せば、後は幸せな人生を歩んでしまうものなのである。

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「無限の可能性」より「たった1つの決断」

●無限の可能性があるからこそ、自分が本当にしたいことができない

 「君たちには無限の可能性があるんだ!」

 これは学校の先生たちの常套句で、小学生相手に散々言いまくり、そのくせその小学生たちは全員が中学に進学するという馬鹿げたことをやっている。もしも本当に無限の可能性があるなら、中学校に行かず、他の道を進む子供たちが出て来ていいものだが、そんな生徒はまずいないのだ。

 しかし、この言葉はまだ批判能力が備わっていない小学生の時に教え込まれてしまうために、その後の人生で多大な悪影響が出て来るのだ。そもそも人間が出来ることなんて、子供であろうが大人であろうが限られている。それなのにあっちゃこっちゃに手を出してしまうからこそ、自分の人生を成功させることができなくなるのだ。

 「無限の可能性があると思い込んでいるからこそ、自分が本当にしたいことができない」という逆説が作動してしまうのである。

 選択肢が多少多いことは自分に利益になるが、選択肢が多過ぎるのは逆に損害を発生させるものなのである。選択肢が多いからこそ消耗してしまい、一体自分が何をすべきかが解らなくなってしまうのだ。そのため小中高大学と、自分が真剣になって打ち込めるものを何1つ持つことができず、結局、大人になってから「自分探し」の旅に出るということをしてしまうのである。

 「人間には無限の可能性がある」と思い込んでいるのなら、なんでそれを教えた学校の先生たちは学校の先生をしているのかと自問自答するべきなのである。本当に無限の可能性があるなら、学校の先生なんかになるわけがないのだ。もっと所得が高くなる他の職業に就くべきなのである。

 人間というのは、自分の人生の道を切り開いて進むものなのであって、自分がその道を突き進んでしまえば、他の可能性は全部消えることになるのである。例えば学校に行って勉強するなら、学校に行かずして遊び呆けることはできない。何かを選んだのなら、他の可能性は全部捨て去ることになるのであって、その選んだものの中から僅かな選択肢を選ぶことになるのである。

●人生はたった1つの決断で大変革を引き起こすものなのである

 自分の人生を幸福にしたいのなら、無限の可能性もよりも、たった1つの決断を大事にすべきなのである。人生はたった1つの決断で大変革を引き起こすものなのである。その決断は自分がすべき時にすべきであって、絶対にタイミングを外してはならないのだ。では、その決断を一体いつどこですればいいかなんて、実際に生きていれば解るものなのである。

 例えば「結婚」である。ちゃんとした恋愛をして盛り上がってくれば、結婚へと至るものだ。女性の人生はプロ―ズをされて、そのプロポーズを受け入れた時にガラリと変わって行くものなのである。もしも自分の結婚に一抹の不安を抱えるのなら、そのプロポーズは拒否すべきなのである。多くの既婚女性はその出会いが運命の出会いだと思えたからこそ、結婚に踏み切ることができたのである。

 結婚をしてしまえば、後は自動的に幸せになるように人生を歩んで行くことができるのである。統計では結婚3年以内に90%以上の夫婦が妊娠し出産しているので、新婚生活を楽しむと同時に、とっとと妊娠してしまい、赤ちゃんを産んでしまった方がいいのだ。赤ちゃんを産んでしまえば、両親にも、友人にも、親友にも、彼氏にも、夫にも注いだことのない母性愛に目覚めるものなのであって、その母性愛が自分の心の中から溢れ出てくれば、これまた人生が変わって行ってしまうのである。

 女性の幸福の80%近くは結婚によって決まると言っていい。そのくせ女性たちはこの結婚を大事にしないのだ。独身女性なら「結婚以外でも幸福になれるものがあるのではないか?」と思ってしまうのだ。確かに多少なら幸福になれるものは存在する。しかし結婚ほど莫大な幸福を齎すものは世界のどこを探しても存在しないのである。

 だから結婚できたのなら、自分が結婚できたことを大事に扱うべきなのである。例えば新婚当時の写真を銀製のプレートに入れて、それを居間にでも置いておくべきなのである。毎年、結婚記念日が来たのなら、夫婦で祝うべきなのである。夫婦の生活に何があっても、自分の子供たちには自分が結婚で幸せになれたことを教え続けるべきなのである。そうやって結婚を大事に扱うからこそ、結婚は益々幸せになっていくのである。

●母親が子供の成長を見ながら決断してしまうことの大切さ

 人間を幸福にするのは、「無限の可能性よりも、たった1つの決断である」とするのは、育児や子育てにおいても同じである。人間の脳は5歳から6歳の間に脳の臨界期を迎えるし、人間の運動神経は6歳にまで出来上がるものだ。子供が習い事をするなら、この時期までにすべきであって、この時期を過ぎてはもう手遅れになってしまうのである。

 例えばピアノやヴァイオリンなどは3歳から始めるものだ。脳の臨界期の遥か前から始めるからこそ、脳の臨界期に突入する頃には多くの基本的な曲を弾けるようになり、それができてしまうと次から次へとできるようになってしまうのだ。子供が自発的に楽器を習いたいとは言い出さないものだ。それは親が決めたからこそ、子供はそれに従ったまでなのである。

 体操選手を目指すのなら、やはり3歳からであろう。幼児の体は柔らかいので、この柔らかい時期に丹念に柔軟を施しておくからこそ、体操競技ができる体になるのである。柔軟を施せば子供なんてものは大泣きするものだ。しかしそれを無視して、しっかりと柔軟を施しておくからこそ、将来、体操選手になっても怪我をすることがなくなるのである。

 フィギャアスケーターの荒川静香は幼稚園児の時、スケートリンクでひらひらと舞うフィギャアスケーターを見て、それでフィギュアスケートに興味を持つようになったのだ。その際、母親が無理矢理にフィギュアスケートをやらせたのではなく、母親が子供に選択肢を与えながら決断しているのだ。こうすれば子供は母親に反抗することなく、自分で決断したと思い込み、責任を持ってやるようになるのだ。

 育児に於いて幼稚園に頼るようなことだけは絶対にしない方がいいのだ。優れた教育をやっている幼稚園ならそれなり評価できるが、多くの幼稚園では子供たちを遊ばせるだけなので、子供たちの能力を想像以上に開花させて行くことができないのだ。子供の脳が急激に成長して来るのは6歳までなのであり、その時期に母親が何かしらのことを決断してしまうからこそ、子供には新たなる道が開けて来ることになるのだ。

●中学生以降は本人の決断に任し、きちんとその責任を取らさせるべきなのである

 母親が子供に自立を強要し、早くから子供に自立させるような育て方は絶対にやってはならない育て方なのである。子供は思春期が始まるまでは親に従属するものなのであって、自立なんかして来ないのだ。特に男の子は甘えん坊なのであって、小学生になっても母親に甘えて来るものなのである。

 だから子供に自立など強要せず、母親の責任で以て子供の人生を決めてしまうべきなのである。幼稚園児を過ぎても、小学生までなら母親が決断してしまっていいのである。習い事をさせる場合、子供は飽きっぽいので、些細なことを辞めてしまおうとするのだ。そうならないように母親が巧くサポートして、子供が飽きないような工夫をすべきなのである。

 例えば羽生善治の母親は自分の息子が将棋に興味を持っていると見るや否や将棋教室に入れてしまったのだ。そこでメキメキと上達してきた息子にプロの棋士になるよう勧めて、息子をプロ棋士にしてしまったのである。あの天才棋士ですら、自分の実力云々よりも母親の決断の方が遥かに重要であったのだ。

 本人の決断に任していいのは、中学生になってからなのである。中学生になれば、もう母親の意見を聞かなくなるので、そういう時には下手に口を出さず、相手の決断に任せればいいのだ。そしてそれで失敗したのならきちんと自分で責任を取らせ、逆にそれで成功したのなら、きちんと褒めてあげるべきなのである。

 子供の人生を潰す母親たちの共通項は、子供が中学生以降になってから口を出して来るものなのである。子供がそろそろ本格的な反抗期を迎えるというのに、母親が子供に口を出して来るからこそ、子供は余計に母親に反発してしまい、それがとんでもない事態にまで悪化して行くのである。

 たった1つの決断の重要性が解っていない者は、幾ら自分が幸福になったとしても、自らの手でその幸福を破壊してしまうものなのだ。自分が子供の頃に「無限の可能性がある!」と間違ったことを教えられたために、他の可能性を得るために、折角手に入れた幸福を自らの手で破壊してしまうのである。「学校では絶対に人生に於いて本当に大事なことはなんなのかを教えてくれない」ということが解っていないからこそ、悲惨な悲劇を招いてしまうのである。

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紙幣が紙屑になる前に金塊を備蓄しておくべし

●紙幣とは一体何?

 紙幣とは一体なんなんであろうか?

 紙幣というのは「商品」なのである。この冷厳なる事実が解らない限り、経済のことが何も解らなくなる。紙幣というのはそもそもモンゴル帝国に於いて「金塊や銀塊に対する保証書」として発行されたものなのである。モンゴル軍はユーラシア大陸のあちこちを侵略したために、その占領地の治安が悪化し、嘗てのように商人たちが金塊や銀塊を持ち歩くことができなくなってしまったのだ。そこで金塊や銀塊を預けて、その保証書を持って歩くことで安全を確保したのである。

 モンゴル帝国がやった業績は非常に特筆のある業績で、モンゴル帝国が出現してきたからこそ初めて「世界史」という概念が生まれたのである。世界史というのは、要はアジアとヨーロッパを結びつけると誕生するものなのであって、人類はモンゴル帝国の出現以降、世界を意識しながら国家戦略を進めて行くという時代に突入して行くのである。

 日本の歴史学者たちは未だに西ヨーロッパ中心主義に囚われているので、世界史というものがまるで解っていないのである。確かに西ヨーロッパは近代以降急速に発展したが、如何なる国家もモンゴル帝国がやったような業績を打ち建てたりはしていないのである。事実、西ヨーロッパ諸国がアジアの中心部へと進むと、最終的に植民地を全て喪失するという事態に陥ってしまったのだ。

 歴史学者たちよりも遥かに酷いのが経済学者たちである。西ヨーロッパで発達してきた経済学を鵜呑みにし、自分の頭で経済を考えるということを全くしていないのだ。紙幣に関することでも、紙幣が持つ交換機能だけに着目し、紙幣が商品なのだということが全く解っていないのだ。

 日本の場合、紙幣は財務省造幣局が印刷し、日本銀行が売り出している商品なのである。日本銀行というのは政府の機関なのではなく、飽くまでも株式会社なのである。政府が全株式の51%を所有し、統制を利かしてはいるが、日本銀行がかなりの独自性を持っていることには変わりはないのだ。

●信用通貨制度の最大の欠点

 紙幣というのは、その来歴を考えれば、金本位制か銀本制を採用せなばらず、その紙幣を銀行に持っていけば、金塊や銀塊と交換してくれるようでなければならないのだ。しかし経済が発達して来てしまうと、金塊や銀塊ではとてもではないが紙幣の発行量が足らず、信用通貨制度を採用して、金塊や銀塊の備蓄とは関係なく、紙幣を発行できるようにしてしまったのだ。

 戦前の日本がなぜあれほど貧しかったのかといえば、金本位制や銀本位制に拘りすぎ、国民の経済力に見合うだけの紙幣を発行しなかったからなのである。だからこそ国民の多くは貨幣を持つことはできても、紙幣を持つことができない連中が溢れ出て来てしまったのである。これでは経済が発展して行く訳がないのだ。経済を発展させるためには、国民の全てに紙幣を持たせ、それを使って貰うようにさせなければならないのである。

 しかし信用通貨制度には最大の欠点がある。それは担保すべきものが「信用」だけしかないということなのだ。もしもその国家から信用がなくなってしまえば、紙幣は一瞬にして紙屑になってしまうのである。その国家が自国の紙幣に信用を持たずためには。軍備を増強して、他国から侵略されないようにしなければならない。第二次世界大戦以降では、核兵器が切り札になるので、核武装しない限り、その自国の紙幣の信用を最終的に担保することができないのだ。

 それと信用通貨制度を採用していても、金塊や銀塊の備蓄を地道に行って行くべきであって、政府や日本銀行は自分の金庫の中に大量の金塊や銀塊を備蓄しなければならないのである。万が一、日本の信用通貨制度が崩壊しても、金塊や銀塊の備蓄量分の紙幣だけは確保することができるのである。

 ところが日本は昭和憲法の戦争放棄の規定によって、軍隊を持つこと自体が憲法違反だし、増してや核武装なんてすることができないのだ。更には経済大国であるにも拘わらず金塊や銀塊の備蓄を怠っており、日本の信用通貨制度の信用度は非常に怪しいものがあるのである。日本の安全保障が脅かされたり、経済力が低下し始めると、紙幣も急速に暴落するかもしれない危険性を常に持ってしまっているのである。

●金塊を備蓄しておく

 投資家たちにとって債権投資の最後のトドメは金塊を購入することなのである。債権投資なのに金塊を購入するなど話がおかしいではないかと思うが、紙幣は金塊に対する保証書である以上、金塊を購入して備蓄しておき、非常事態に備えるのが投資家の最後の仕事なのだ。

 金塊を購入して、金価格が高騰した時に金塊を売り払い、その差額を儲けるというものではないのだ。確かに金価格が高騰しているのなら金塊を売って儲けたとしても構わない。しかし投資家なのに金塊を何1つ持っていないというのでは、非常に考えが甘いのだ。非常事態のことを何も考えていないのだ。

 この点、中国人やインド人たちは自国の政府が潰れ、国内に内戦が発生したりした経験を数多く積んでいるので、ビジネスが成功し少しでも豊かになってくると必ず金塊を購入するのだ。現在、金価格が高騰しているが、これは中国人やインド人が金塊を大量に購入し、それで金価格が高騰してしまったからなのである。

 自分の妻に黄金のネックレスやブレスレットを贈ったりするのも、金塊の備蓄の一種なのである。自分の奥さんに喜ばれながら黄金の備蓄ができるので、何も金の延べ棒を持つだけが金塊の備蓄ではないのだ。金塊などは自宅に持っていても仕様がないので、銀行の貸金庫に預けてしまえばいいのだ。銀行の貸金庫は銀行の大事な仕事なのであって、貸金庫を持てばその銀行の上客に成って行くものなのである。

 では銀塊も備蓄した方がいいのではないかと考えてしまうものだ。銀塊はそれほど値段が高いものではないのだ。銀塊よりはプラチナの方が高いくらいなのだ。かといってプラチナを備蓄しても意味がないのだ。飽くまでも備蓄すべきは金塊であり、金塊を超える物質はこの世には存在しないのである。

●ドルが紙屑になる日

 債権投資の一環として「通貨取引」を行ったとしても別に構わない。その方面に才能のある人は通貨取引で大儲けを狙ってもいいだろう。しかし幾ら通貨取引をしたとしても、金塊を備蓄しない限り、債権投資の最後の詰めができないのだ。紙幣というのは常に紙屑になる危険性を持っているものなのである。

 実を言うと、現在、紙幣が紙屑になる確率が最も高いのは、なんとアメリカ合衆国のドル紙幣なのである。確かにアメリカ合衆国のドル紙幣は基軸通貨として世界のどこでも使用することができる便利な紙幣である。しかしアメリカ合衆国の覇権が終われば、確実にドルが紙屑になるのだ。

 アメリカ合衆国の方も自国の覇権が衰退していることに気付き、最早ドル紙幣だけ維持するのは無理と解っており、「ドル」に代わって「アメロ」を導入しようと計画し、アメリカ合衆国とカナダとメキシコの紙幣を統合して「アメロ」を流通させようとしているのだ。しかもその際、外国人が持つドルをアメロに交換する場合、交換制限を設けて、その過剰なドルを紙屑にしてしまおうという碌でもない遣り方を実施しようとしているのだ。

 ドル紙幣を持っているのなら、そのドル紙幣で早目に金塊を買っておき、自分の銀行の貸金庫に入れておいた方がいいだろう。というのはアメリカ合衆国も金塊の流出がドル紙幣の暴落の引金になるということを重々承知しており、いずれ金塊の輸出に関して制限をかけてくるかもしれないからだ。

 かといって感違いしてはならないのが、金塊の重要性を説く余りに、どこかの国が金本位制に復帰するのではないかという考えを持ってしまうことだ。投資の世界では時折この手のどう仕様もない話が流れて来るのだが、如何なる国家であっても金本位制には絶対に復帰しない。自国の経済力に見合うだけの大量の金塊を持てる訳がないからだ。

 如何なる国家も信用通貨制度を採用しなければならず、しかしその信用通貨制度は信用がなくなってしまえば紙幣が紙屑になる危険性を常に持っているのだ。増してや覇権国家の通貨が基軸通貨になる以上、その覇権国家が滅亡して行く時には世界レベルで基軸通貨が紙屑になってしまうのである。だからこそ中国人やインド人のように紙幣を信用せず、金塊を持つという遣り方は非常に利口な遣り方なのである。

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国民が国債を買う時、その政府の財政状況は危険な状態にある

●国民が納めた税金の半分は銀行に行くもの

 「税金の無駄遣いをやめろ!」と政治に関心のある人なら常々口にしてくるのだが、あなたは一度でも政府の財政収支を見たことがあるのだろうか? 国民が納めた税金の半分は銀行に行っているものなのである。税金はその全てが国民のために使われることはないのである。これは税金の無駄遣いどころの話ではないのだ。

 人間は小額の無駄遣いに気付いても、巨額の無駄遣いには全然気付かないものなのである。

 政府の支出の内、4分の1は国債の償還のために使用され、4分の1は国債の利息の支払いのために使用されるのだ。政府というのは国民に納めて貰った税金の内、半分だけを使用できる立場にあるだけなのである。だから政府が資金不足だからといって増税したとしても、結局はその増税額の半分は銀行に行ってしまうのである。政府のあるべき姿は「小さな政府」なのであって、減税をして財政の規模を小さくすればするほど、国民は自分のお金を自分のために使えるのである。

 なんで政府はこれほどまでに銀行に浸食されてしまったのかというと、戦争や経済政策や社会保障政策のために多額の資金を必要としたために、銀行からお金を借りてしまい、その借金体質が常習化してしまったのである。戦争は国家の独立を維持するためには仕方のないことであるが、それ以外の経済政策や社会保障政策は本来的には政府の仕事ではないのであって、政府がやるべきではない仕事に手を出すからこそ借金体質になってしまったのである。

 もう1つは政府が銀行から資金を調達することで銀行を育成し、その銀行が企業に資金を貸し出すことで産業を発展させて行くという役割を果たすのである。資本主義といっても、「産業資本」と「金融資本」は別個の動きをするものなのであり、産業資本と金融資本の双方が巧く発展して行かないと、経済も健全に発展して行かなくなってしまうのである。

 もしもあなたが投資家なら、マスコミとか盛んに言われている「税金の無駄遣いをやめろ!」という声に絶対に同調しないことだ。マスコミは政府の縦割り行政や豪華な公務員宿舎などを指摘して政府の無駄遣いを証明して行くのだが、本当の無駄遣いは全く別の所にあるからだ。政府の財政収支を見れば、政府の収入の内、半分は借金のために無駄遣いされているのである。だから政府が借金の返済しきらない限り、政府の無駄遣いは永遠になくならないのだ。

●国債が危険になると国民が買う羽目になる

 国債は本来、銀行が買う物なのである。国債が魅力的なのはインフレ時に於いてなのである。インフレ時では国債の利率が高く設定されるために銀行は国債を買って、高い利息を貰うものなのである。当然に銀行は大儲けすることができるのであり、銀行はそれを預金者たちに高い利息で還元するのである。

 ところがデフレ時になると国債は魅力的な商品ではなくなる。利率が低いために国債を買ってもそんなに儲からないのだ。そこで銀行は国債を一旦買い取るが、それを転売することでお金を稼ぎ出すようになるのだ。行先は当然に国民なのであって、国民としてもデフレ時の低金利時代では国債の利率が低くても、資金を遊ばしておくよりは儲かるのである。

 国民が国債を大量に買う時はその国債の信用度が急速に低下しているということなのである。

 考えてもみて欲しい。政府が上り調子にある時は必ず軍備増強に走り、戦争に勝利することで領土を拡大して行くものだ。戦争に勝つ以上、当然に銀行は国債を買って、その高い利息を獲得して行くものなのである。逆に政府が戦争をせず平和ばかり維持していると、その国家は発展していかないから、銀行としてもその国債を買うということはしなくなり、国債を国民に売り払うようになるのだ。

 だから投資家が債権投資として国債を買うのは、最早、その国債の信用度が落ち始めているということなのである。債権投資で最も安全なのは「定額貯金」なのであって、その銀行が潰れない限り、定額貯金は守られ続けるのだ。しかし国債は定額貯金よりは危険なのであって、「政府は潰れっこない」などと思っていると想像を絶する悲惨な目に遭ってしまうことになるのだ。

 日本国民は近代以降、国債に関しては一度だけ悲惨な目に遭っている。それが「戦時国債」である。大東亜戦争に勝利するために国民が戦時国債を導入したのだが、日本は戦争に大敗北を喫してしまい、戦時国債は紙屑と化してしまったのだ。国債を買う時、政府は絶対に潰れないなどと思っていると、本当に悲惨な目に遭ってしまうものなのである。政府だって間違った政策を取れば潰れるものなのである。国債を買う以上、政府の実力を冷静に見つめて、如何なることがあっても戦争には勝って貰わねばならないのである。

●国債が外国の銀行に買われると、国民は加速度的に貧乏になっていく

 デフレ時では国債の利率が低いために国民としては仕方なく国債を買う程度であろう。国債よりも魅力的な投資先があれば、そちらの方に資金を投入して行く筈だ。こうなると政府は国内で国債を捌けなくなり、国債を外国に売り出すようになるのだ。これこそ政府にとっては非常に危険な選択なのである。

 というのは国債が外国の銀行に買われると、国債の利息はその外国の銀行が手にしてしまい、国民は加速度的に貧乏になって行くのである。国債が国内で買われている時は、政府が幾ら借金していたとしてもその国債の利息は国内の銀行や国民へと行くので別に構わないのだ。しかし国債が外国で売り出されると、国内に於いて経済循環が起こらないために、事実上、国民の税金が外国の銀行に行ってしまうという事態が起こって来るのである。

 近代日本では日露戦争で国債を大量に発行し、これをアメリカや西ヨーロッパの銀行に買って貰った。このために日本は資金を大量に調達することができ、ロシア帝国を打ち破ることができたのだが、日露戦争後は急速に貧乏になっていったのだ。なんせ国債の利息はアメリカや西ヨーロッパの銀行に行く以降、豊かになるのはそれらの外国の銀行だけであって、国民は国債の償還が終わるまで貧乏をし続けたのである。

 日露戦争後に日本では社会主義者の勢力が急速に台頭して来るのであるが、あれは国債が外国の銀行に買われたために、日本国内では経済循環が縮小してしまい、それで大量の貧乏人たちを生み出してしまったからなのである。貧乏人たちが大量にいたからこそ、社会主義が急速に蔓延していったのである。

 日本は第一次世界大戦で戦勝国に列して、日露戦争時の国債を完済し、黒字に転じたのである。日本は本来ならこれ以降繁栄して行く筈であったのだが、大正デモクラシーの時期と重なってしまい、大正デモクラシーを支持した政治家たちは滅茶苦茶な政治を展開して、最終的には軍部に政権を譲り渡してしまったのである。大正期の日本国民は折角のチャンスを民主主義で狂ってしまったために活かせなかったのだ。

●政府がリストラをしない限り、政府の債務不履行が発生する

 投資家としては国債を買うか悩むものであるが、外国の銀行に国債を買われるより遥かに増しなのである。国債という危険な商品を外国人に売ってはならないのだ。国債は国内で売り払うべきであって、国民の中でお金がある者のなら、利率が低くても国債を買っておくべきなのである。

 しかし国債を買うと同時に、政府に対して小さな政府を要求しなければならない。デフレ時では戦争が起こらないので、政府は規模を縮小して、国民の租税負担を軽減して行くべきなのである。政府がリストラをしていないのに増税することは非常に危険なのであって、それでは政府に資金が集中してしまい、国民は貧乏することになってしまうのだ。

①とにかく複式簿記を導入する

 まずなんといっても政府は複式簿記を導入すべきであろう。複式簿記を導入すれば政府の財政状況を正確に把握できるようになるので、財政危機から簡単に脱出することができるようになるのである。石原慎太郎都知事は東京都に複式簿記を導入したのであり、東京都に出来て日本政府にできない訳がないのだ。

②国会議員の数を減らす

 次に国会議員の数を減らすべきであろう。国家公務員の首切りを断行する以上、まずは政治家自身からして行かなければならないのだ。衆議院議員は定数を300名にし、参議院議員の定数は92名にし、46都道府県から2名の男女を出して貰えばいいのだ。人口に応じた議員は衆議院議員だけでいいのであり、参議院議員は人口とは切り離し、都道府県の代表者を入れればいのである。

③国家公務員の数を半減させる

 国家公務員に関してはその数を半減してしまうことだ。80対20の法則を使えば、国家公務員の内、50%の人々の生産量は全体の5%しかないので、その者たちの首を切れば、政府の生産性は飛躍的に高くなり、財政状況は急速に好転して行くことになるのだ。 官僚は放置しておくと必ず官僚主義に走るものなのであり、官僚主義に陥った官僚たちの首を切らない限り、官僚主義を駆逐できないものなのである。

④不要な資産を売却する

 政府には不要な資産が山ほどあるのであって、不要な資産は国民に売却するべきなのである。不要な資産を売れば、それによって大量の資金を獲得できるのである。しかも国民がその不要な資産を買い取って有効的に利用して行けば収入を多くすることができるようになるので、それによって税収もアップして来るものなのである。

⑤テレビ局や新聞社に情報使用料を支払って貰う

 テレビ局や新聞社は今まで無料で政府の情報を得て来たのであるが、テレビ局や新聞社に情報使用料を支払って貰い、政府側の情報公開負担を軽減させるべきなのである。記者会見1つ取ってみても、政治家や官僚は貴重な時間を取られるのであり、その分の費用はそれによって利益を得るテレビ局や新聞社に負担して貰わねばならないのである。こうすれば増税せずに政府の収入を増やすことができるのである。

 国債の所有者たちは物を言う投資家で有り続けなければならない。政府の無為無策を承認してはならないし、増してやデフレ時に増税するような悪政を決して認めてはならないのだ。デフレ時に於いて政府がすべきことは政府の規模を縮小させることであって、これ以外の政策を実施すれば国家の独立自体が危険になって行くのだ。

 国民が国債を買っている限り、その国債の信用度は別に関係ないのだ。しかし外国の銀行に国債を買われてしまうと、外国の信用格付け会社が意図的に日本の国債の信用度を落として、政府が債務不履行を起こす可能性が出て来るのである。だから国民に資金があるなら国債の利率が低くても買うべきなのである。しかし国民に資金がなくなれば、国債の信用度は急激に落ちて行くということも決して忘れてはならないのだ。

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債権投資は資産を保持するためには絶対に必要

●インフレとデフレでは債権の価値が全然違う

 投資の中でインフレとデフレで最も価値が変わって来るのが債権投資なのである。

 インフレ時では金利が高いために、貯金を勧めて、債権を持つ方が有利だったのだ。高金利であるなら債権を持つ意味があるからだ。債権を持つ方も債権自体を資産としたり、土地を買うための担保にしたり、老後のことを考えて債権投資をしていたのである。インフレ時であるなら債権投資には非常に価値があったのである。

 ところがデフレ時になると金利が下落して行くので、債権を持つことに価値を見出せなくなるのだ。このためデフレ時に債権投資の有意義を解く人など殆ど現れて来ないのだ。しかしデフレは物価が下落して行き、その一方、お金の価値が高まる時期なのである。確かに金利は恐ろしいほどまでに低い。だが債権として資金を確保しておけば、物価は下落していき、お金の価値は高まるので、自然と裕福になって行くものなのである。

 本当の儲け話というのは、常に経済現象の裏側にあるのだ。

 例えばインフレ時では確かに金利が高かったかもしれないが、物価の方も高騰して行ったので、この時期に借金をして土地を買ってしまった方が資産形成としては利口な遣り方だったのである。物価高騰の煽りを受けて地価も高騰して行くので、高い金利の借金をしたとしても、充分に返済できるものだったのである。

 デフレ時でも確かに金利が低く、債権を持つことに価値を見出せないが、物価が下落して行く以上、お金を使わずに債権として持っておいた方が圧倒的に有利なのである。確かに金利は低いために利子は殆どつかない。しかし債権を持たなければ、いつまで経っても資産が増えて行かない現象に見舞われてしまうことになるのである。

 デフレ時では物価が下落する以上、少ない資金でもより多くの物を買えることに気付くべきなのである。だから質素な生活を維持して、生活費が余りかからないようにすべきなのである。その余ったお金を貯金に回して、せっせと債権を大きくして行くべきなのである。この時期は金利が低いので、積極的に債権投資をする者たちがいないので、自分だけが債権投資をして行けば、一人勝ちという現象が起こって来るものなのである。

●三位一体の結界の意図的な欠け

 実際の資産運用では「株式投資」「不動産投資」「債権投資」の3つを行うことになり、この3者は「三位一体の結界」を発生させるために、この三位一体の結界の影響を受けて、どの投資も独特の動きをして来ることになるのだ。三位一体の結界があると、3つの投資の内、必ず1つはマイナスになるものなのである。

 恐らく殆どの投資家なら債権投資がマイナスになる筈だ。資産運用で巧く資産を倍増して行こうと思えば、株式投資と不動産投資には力を入れるが、債権投資には力を入れないものだ。投資家にとってみれば、債権投資というマイナスがあるからこそ、株式投資や不動産投資がプラスに転ずるのである。

 ところがインフレ時では違っていたのである。インフレ時では債権投資と不動産投資が得意な者が多く、株式投資は不得手な者が多かったのである。どうやら債権投資と株式投資は反発するらしく、債権投資の巧い者は株式投資が苦手で、株式投資が得意な者は債権投資が苦手なのだ。事実、インフレ時に出された債権投資の本を読んでみれば、その著者は債権投資を勧めていても、株式投資を勧めていないのだ。

 3つのものが三位一体の結界を作り出した時、全てがプラスに転ずることはないのだ。例えば日本の統治機構も三権分立を採用して、「立法権」「行政権」「司法権」の3つに分かれるが、この内、活発なのは立法権と行政権だけであって、司法権の動きは常にイマイチなのだ。しかし法学者たちが「これでは駄目だ!」と言い始めて、憲法に違反する裁判員制度を導入して司法権を活性化しようとしたら、一体どうなったか? 行政権を担当する内閣が殆ど機能しなくなってしまったのである。大体、裁判員制度の導入を決めた自民党自体が政権を手放すことになってしまったくらいなのだ。

 資産運用をして行けば、これと全く同じことが起こるのだ。自分はどの分野の投資が得意で、一体どの分野の投資が不得手なのか、明確に見定めておくことだ。株式投資と不動産投資が得意で、債権投資が不得手なら、無理に債権投資の改善を図ることはないのだ。ただ債権投資は少しだけしておけばいいのであって、この債権投資を無理にプラスに転じようさせる考えなど決してもつべきではないのだ。

●債権が資金を吸引していく

 資産運用をしている投資家なら、「金利の低い債権投資をするのは勿体ない!」と思い、その資金を株式投資や不動産投資に回そうとしてしまうものだ。それは非常に危険な行為だと思っておいた方がいい。債権投資というマイナスがなくなってしまえば、株式投資も不動産投資も非常に危険になり、一時的には巧く行っても、いずれ株式投資か不動産投資のどちらかで大赤字を発生させることになるのだ。

 債権投資は無駄に思えるかもしれないが、債権投資という無駄があるお蔭で、株式投資も不動産投資も巧く行くようになるのである。債権投資でマイナスを出しているからこそ、株式投資や不動産投資で積極的に大儲けして行こうということになるのだ。債権投資は一見無駄に見えるかもしれないが、全体から見れば非常に大きな役割を果たしているのである。

 しかも債権を持っていると、その債権の金利はごく僅かであったとしても、その債権自体が新たな資金を吸引して行くことになるのだ。お金というのはバラバラにしてしまうとすぐさま消えて行ってしまうものだが、お金を纏めておいておくと吸引力が働き、自分に必要な資金を簡単に獲得して行くことができるようになるのだ。このため株式投資や不動産投資をしていても、必要な資金に困るという現象が一切なくなり、必要な資金に関しては簡単に獲得することができてしまうようになるのだ。

 投資家として成功したいのなら、ここに気付けるか否かが運命の分かれ道なのだ。投資家の中には株式投資や不動産投資が一見巧く行っているのに、必要な資金が不足して文句タラタラの人物たちが大量にいるものなのである。なんで投資で巧く行っている筈なのに、必要な資金すらないのかというと、債権投資を全くしていないからなのである。債権がないからこそ、必要な資金を集めることができないという現象が起こって来てしまうのである。

 投資のために必要な資金がないということは、安全な株式投資ができず、危険な株券ばかり購入するようになり、不動産投資でも粗悪な物件をより多く購入してしまい、賃借人たちからトラブルが大量に出て来るようになるのだ。儲けを最優先させると、必ずこの奇妙な現象を起こって来てしまうので、一刻も早く資産を守るために投資をしているのだということに気付くべきなのである。

●結局、手持ちの貯金がなくなった時に切り崩して資産を守る

 投資をするなら、現金第一主義に徹して、とにかく手持ちの資金を或る一定量確保しておくべきなのである。債権投資というのは現金第一主義の延長線上にあるものなのであって、手持ちの資金が充分なら債権投資を行って、現金を安全な形で債権に変えておくべきなのである。

 債権は緊急時に必要になってくるのだ。もしも緊急事態が起こり、手持ちの貯金を投入しても追い付かない時は、債権を切り崩して資産を守るべきなのである。緊急事態が起こったというのに、債権がなければ手持ちの資金が尽きた時にその者の資産は大損害を被ってしまうものなのである。

 この緊急事態の話をすると、大方の投資家たちは馬鹿にして来るものだ。しかし投資をしていれば何度かは緊急事態に遭遇してしまうものなのである。その時、緊急事態に備える対策を事前に打っておかないと、緊急事態に直面した時に何もできずに資産が大打撃を受けてしまうのだ。中にはどうにもならなくなって自殺する者まで出て来るのである。

 ではどうすれば株式投資や不動産投資の後に債権投資を行うことができるようになるのかといえば、それは仕事が忙しくて投資をしている閑がなくなり、収入から税金と生活費を支払ったら丸丸お金が残ってしまったという時が人生の中で歯必ずある筈だ。仕事にひと段落がついたら、その資金をそっくりそのまま債権投資に回してしまい、債権を持つようにすればいいのである。

 人間は一生懸命になって生きるべきだが、いつも猛スピードで走ってはならないのだ。走るべき時には走るべきではあっても、時には休んで冷静になって自分を見つめることが大事なのである。自分が冷静になれれば、債権投資の重要性に気付き、債権投資をして行くものなのである。この世はいつだって「お金持ちは益々お金持ちに成り、貧乏人は益々貧乏人に成って行く」ものなのであり、誰がなんといおうが債権投資をしっかりと行っている者が裕福になって行くのは当たり前のことなのである。

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債権投資の鉄則

●投資家たちの最大の弱点

 資産運用というのは債権投資に始まり、債権投資で終わる。そう断言しても過言ではないほど債券投資は最重要な分野なのである。なんせ如何なる者たちもまずはせっせと銀行に貯金を貯め込んで行き、その貯金を使って株式投資や不動産投資をするのである。銀行に貯金するということは、銀行に対して債権を持つということなのである。

 ところが成功している投資家ほど債権投資を馬鹿にしてくる。これが非常に危険なのである。確かに株式投資や不動産投資を遣り始めれば、どんどん資金を必要とすることになるので、銀行に貯金して資金を遊ばせているよりは、その資金を株式投資や不動産投資に投入して行った方がいい。しかしそれが命取りになるのであって、もしも株式投資や不動産投資で失敗したら、自分の資産全てを失ってしまうことになるのだ。

 資産運用というのは、貯金の重要性に気付き、株式投資や不動産投資をし、最後に債権投資に対してきちんと手を打つからこそ、本当の成功を手に入れることができるのである。株式投資で成功したとか、不動産投資で成功したとかいうのでは、まだまだなのである。投資の世界には未熟な成功をしたがためにベラベラと自慢話をして来る奴等がいるから要注意だ。

 投資家ならまずは債権投資から始まるのだ。初期に於いて地道に行われ続けた貯金こそがもう債権投資なのである。そしてその貯金を使って株式投資や不動産投資をし続けても地道に貯金し続け、株式投資や不動産投資をより積極的に行って行くのだ。投資家にとっては株式投資で成功し、不動産投資で成功し、最後の詰めの一手こそが債権投資になるのである。この最後の詰めの一手を打たないと、自分の資産の安全を保障することはできないのだ。

 だから株式投資や不動産投資で成功しても決して浮かれないことなのである。債券投資の重要性に気付いて来ない限り、自分の投資に於ける成功はまだまだ危険状態にあるものなのである。債権投資の重要性に気づけた者だけが、自分の投資を本当に成功させ、自分の資産の安全保障を確立することができるのである。

●基本的に資産の目減りをなくすために行う

 債券投資の鉄則その1は、債権投資は基本的に資産の目減りをなくすために行うものなのである。

 なぜ債権投資という形で資金を纏める必要性があるのかというと、お金というのはバラバラに於いておくとすぐさま消えて行ってしまうという性質を持つからだ。例えば1万円札を持っていればそれをいつまでも保持し続けるのに、1万円札を細かいお金に崩してしまうと、アッという間になくなってしまうものだが、あれと同じことが債権投資のレベルでも起こるのである。

 資産の目減りをなくすためには、なんといっても長期投資をしなければならないのである。だから「定期預金」であったり、「国債」であったり、危険度は多少高くなるが「社債」であるのだ。債権投資を積極的に行って、金利の高い物に手を出しても別に構わないが、金利が高くなってるとその分だけその債権投資は危険であると知らせてくれているものなのである。

 インフレ時では金利が高くなるが、デフレ時では金利が低くなるために、定期預金をしているのは無駄ではないかと思ってしまいがちだ。しかしデフレ時代は物価が下落し、お金の価値が高まる時代なのであって、定期預金を持っていれば、自然と自分の資産価値が上がって行ってしまうのである。

 実際問題として、定期預金が満期に来た時、自動的に更新させてしまうのが殆どであろう。それでいいのである。定期預金は切り崩してはならないのである。もう銀行に預けっ放しでいいのである。定期預金があれば銀行の方も上客として扱ってくれるので、銀行預金の残高が多くなってくれば、その内、銀行から儲け話を貰えるようになるのだ。

 これだけは覚えておいた方がいいのは、債権投資では大儲けを狙うことができないということなのである。確かに大儲けができる債権投資は存在する。しかしその債権投資は非常に危険度が高いのであって、債権投資先の会社が倒産してしまったり、金融詐欺にあったりしてしまうのだ。

 その点、銀行から齎される儲け話はそんなに儲からないのだが、安全な形で少しは高い金利で投資することができる代物なのである。債権投資のプロたちから見れば、なんて悠長なことを言っているのだというかもしれないが、債権投資は資産の目減りをなくすために行う以上、債権そのものがダメージを受ける危険な投資など絶対にできないものなのである。

●債権投資で得た利益は再投資に投入する

 債券投資の鉄則その2は、債権投資で得た利益は再投資に回さなければならないということなのである。

 株式投資や不動産投資なら最大で利益の20%以内なら自分の御褒美として使っていい。しかし債権投資ではそれをやってはならないのだ。なぜなら債権投資は株式投資や不動産投資のようにせっせと自分が努力して稼ぎ出したものではなく、ただ単に銀行に預けていただけのことであり、その利益を発生させるのになんの苦労もしていないからなのである。

 だから債権投資で利益を得たのなら、そっくりそのまま元本に組み入れてしまい、時間の経過と共に債権を大きくして行かなければならないのである。こうなると「複利の法則」が働き、債権はいつの間にか巨大な物に成って行くのだ。この複利の法則こそが、債権投資の最大の武器なのである。

 自分の債権が何年で倍になるかを知りたければ、「72」という数字を金利で割ればいいのだ。例えば年利3%の債権なら、72÷3=24であり、24年後には債権の金額が倍になっているということなのである。こうなると金利が高い方がいいに決まっているのだが、金利が高くなればその債権自体が危険になってくるという危険性が付き纏うのだ。

 ではどうすればいいのかというと、天引き貯金を地道に行い続けるべきなのである。債権の金額が小さい物ならそれが倍になっても大して喜べないものだ。例えば100万円が倍の200万円になっても、別になんとも思わないものだ。しかし100億円が倍の200億円になれば、誰であっても驚いてしまうものだ。だから金利を高くして債権の金額を倍にするのを狙うのではなく、元本それ自体を大きくすることを狙って行くべきなのである。

 債権という物は、債権が或る一定の大きさになると、債権は急速に大きくなって行くものなのである。解り易い例を挙げると、1000万円の債権なら3000万円まで増やして行くことができる。3000万円の債権なら5000万円まで増やして行くことができる。しかし5000万円の債権なら一気に1億円まで増やして行くことができるのだ。この「1:3;5の法則」を巧く使うからこそ、債権投資を成功させて行くことができるようになるのである。

●保険として債権投資を行う

 債券投資の鉄則その3は、債権投資は保険として債権投資を行うべきということなのである。

 債権投資では個人がどうやっても大儲けを狙うことができない。債権投資で大儲けを狙える物は全て金融業者たちが押さえているものなのである。個人で債権投資をするのに、そんなに美味い話は転がっていないものなのである。どこからともなく儲け話がやってきたのなら、その儲け話を絶対に拒絶し、自分の大事な資金を貸し出すようなことをすべきではないのだ。儲け話を持ちかけて来るなら、その本人がやればいいのである。本人がやらないのに誰かに儲け話を持って来ること自体、その儲け話自体がおかしいのだ。

 株式投資には証券会社があり、不動産投資には不動産業者があっても、個人で活躍できる余地は十二分にあり、大手の会社だからこそ見過ごしてしまう分野を突いて行けば、少ない資金でも充分に大儲けを狙うことができるのである。しかし債権投資ではそれができないのだ。債権投資では銀行にへばりついて大儲けを狙うことなく、地道に債権投資をし続けるしかないのだ。

 とするなら、債権投資で最も大事なのは決して潰れない銀行に資金を預けるということなのである。当たり前のことだが銀行が倒産してしまえば、自分の債権は一瞬にしてパーになってしまうのである。資金に余裕があるなら、自分が銀行口座を開いている銀行の株券を買ってしまった方がいいのである。そうやって自分の資金を預けている銀行を盛り上げて行くことで、自分の債権を安全な物にして行くべきなのである。

 債権投資は一旦資金を貸し出してしまえば、後は殆ど頭を使わないので、株式投資や不動産投資に専念できるようになるのである。もしも債権投資を行わず、株式投資や不動産投資だけをやってしまうと、人はその投資の中で完璧を目指そうとして、無理な投資をしてしまい、それで投資に大失敗してしまうことになるのだ。

 債権投資という意図的に不完全な物を作るからこそ、株式投資も不動産投資も完璧を目指さなくなるのである。「そんな馬鹿な!」と思うかもしれないが、人間は完璧な物を求める欲望があるので、債権投資をせずに株式投資や不動産投資をしてしまうと、いつの間にか完璧を目指してしまい、それで株式投資も不動産投資も駄目にさせてしまうのである。

 債権投資をするということは、投資家にとって安心感を生み出し、余裕を作り出して行くものなのである。1億円の定期預金がある者と定期預金が全くない者とでは、株式投資や不動産投資をしても、必ず1億円の定期預金がある者が成功し、定期預金が全くない者は最終的に失敗してしまうものなのである。儲けることばかり考えていないので、この恐ろしい事実に一刻も早く気付くべきなのである。

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