自己決定権のパラドックス 育児編
●自分が決定するより子供に選択させる
育児に於いて「自己決定権のパラドックス」を知っているか否かで育児の結果が大いに変わることになる。母親だからといって何もかもやってしまうと、逆に母親の地位は低下していくのだ。ただ漠然と育児をするのではなく、母親の地位を優位にさせる努力をしながら育児をする方がより大事なのである。
乳幼児はちっちゃいからといって決して甘く見てはならない。乳幼児は育って来るとなんでも自分でやりたがるのだ。碌な言葉を喋れないくせに、「自分でする~!」と言い始めるので、こういう時は無理に母親がしてしまわないことだ。子供が自分でしたいと言い出したのなら、子供に任せて行けばいいのである。
まず最大級に揉めるのが「洋服」である。乳幼児にも洋服には好みがあるので、洋服を着させる時は2つの服を用意して、子供に選択権を与えることだ。こうすると子供は自分で洋服を選べたと満足でき、母親に対してストレスを溜め込まなくなるのだ。また洋服を着る際も、子供にやらしてしまい、子供が洋服をきちんと着れないのなら、影ながら手助けして、子供には自分の力で着れたと思い込ませることだ。
大人であろうが子供であろうが楽しみなのは「食事」なのであって、いつも母親が献立を考えて、それを作るというようなことはしないことだ。子供が何かしら手柄を立てた時、御褒美で好きな料理を作ってあげるということも時には必要なのである。それに自分が料理を作るのに悩んでいるなら、それを子供に聞いて選ばさせることも必要なのである。こうやってガス抜きをしていると、子供は好き嫌いをしなくなるものなのである。
母親がいつも家事や育児をこなしていると、子供の方もだれて来てしまうものだ。そこで定期的に旅行に出かけ、母親が家事や育児をしなくなることもあると子供に思わせて大いに刺激を与えるべきなのである。旅行に行けば子供自身、自分でやることが多くなるので、子供として成長できるし、母親の方も息抜きができるのである。
●子供のレールを敷いてあげることの大切さ
母親が育児に於いて決定すべきことは、実は非常に少ない。特に夫婦で育児をしながらも、重要な決定は母親がするのが殆どである。下手に夫に育児に参加させるよりも、妻が育児に於いて重要な決定をしてしまった方がいいのである。母親だからこそ子供と接する機会が多く、子供の事情に通じているからなのである。
①お稽古事
まずお稽古事の決定は母親がした方がいい。育児をしていれば子供の適性がなんとなく解って来るからだ。子供の脳は5歳から6歳の間に脳の臨界期を迎えるので、その時期以前にお稽古事を始めさせるのが大事なのだ。お稽古事を最初から1つに絞り込んでしまうのもいいし、複数のお稽古事を習わして、その後1つのお稽古事を選択させるのもいい。危険なのは余りにも沢山のお稽古事をさせてしまい、1つのお稽古事を真剣になってやらないことであろう。
②幼稚園や学校の選択
幼稚園や学校の選択も母親の決定に負うものが多い。有名な幼稚園にお受験させるのか、それとも普通の幼稚園に行かすのかは、大体、母親が決めることであろう。しかし幼稚園はどこも似たようなものなので、幼稚園の教育内容が特別に優れているという訳ではないことも知っておくべきであろう。教育内容が優れているのは「ヨコミネ式」の幼稚園だけなので、後は似たり寄ったりなのである。
小学校にしても、国立の小学校に行かせるか、公立の小学校に行かせるか、私立の小学校に行かせるか、それを決めるのは母親であろう。母親たちが公立の小学校を選ばず、他の小学校を選ぶのは、日教組によって日本の教育が腐敗しているからなのである。因みに国立の小学校に進学させると、大学進学率が最も高くなっている。矢張り教育熱心な母親なら、国立の小学校を選んでくるのであろう。
③雑誌や書籍の購入
雑誌や書籍の購入に関しても母親の決定で行われるものだ。特に小学生の頃に「学習誌」を買うか買わないかで、その後の勉強好きに大きな影響を与えるものだ。戦前の日本で優秀な人材が続出したのは、講談社が発行していた『少年倶楽部』があったからということを決して忘れてはならない。学校では教えてくれないことを、子供たちは少年向け雑誌を読むことで教わっていたのである。これが大きくなってから、物凄い威力を発揮して来るのである。
母親が日頃から読書をしていないと、子供に書籍を買い与えるという行動は取らないものだ。子供の脳を考えると、小学生の高学年辺りまでに自発的に本を読む習慣を持たせない限り、その後に於いて読書の習慣を持てなくなってしまう傾向があるのだ。子供は小学生高学年で大きく変わるので、その変化が起こる遥か前から書籍を買い与えて行き、読書に慣らしておくことが必要なのである。
●子供は不測の事態を引き起こす常習犯
育児をしていれば、子供は幾らでも不測の事態を引き起こしてくれる。というか不測の事態を引き起こす常習犯が子供なのである。子供が不測の事態を引き起こした時、それに対して激怒するのではなく、母親の方が冷や冷やしながらも楽しむということが大事なのだ。こうやって大らかに構えていると、母親の育児力が急速に上昇していくことになるのだ。
①病気
まずは「病気」である。子供というのは免疫力の関係上、病気になる確率が非常に高い。子供が病気になったらすぐさま病院に連れて行くのではなく、とにかく寝かせて様子を見ることだ。寝ていれば治るものが殆どなので、下手に病院に連れて行かないことだ。それと食生活が悪いと子供は病気してくるので、病気がどうのこうのより、食生活を改善して、病気に罹りにくい体に変えてあげることだ。
②事故
次に「事故」である。子供が事故に遭遇するのは、子供には悪気がないから余計に厄介なのだ。子供には自由に遊べるスペースで遊ばせると同時に、自動車などは危険なのであって、子供にとっては些細な事故でも死亡事故に繋がることを教えることだ。水難事故にしても、そういうニュースが流れた時には「水で事故を起こすと死ぬからね」と常に言い続けることだ。
③学校でのトラブル
学校というのは平均的な能力を持った子供たちを対象に作られているので、学校が想定する以上の能力を持ってしまった子供や、平均的な能力より遥かに劣る子供は、どうしても学校の枠内に入ることができず、学校とトラブルを起こしてしまうことになる。こういう場合、子供を学校に合わせるのではなく、学校以外で能力を発揮できる機会を与えてあげることだ。
子供が不測の事態を引き起こした時、母親としてできることは不測の事態を乗り切ることを楽しむことであり、常に笑顔でいることなのである。母親がこのような態度で居られると子供は安心してしまい、悪質な行動を取って来なくなるのだ。間違っても後でネチネチと言って、子供をシュンとさせるようなことなどしないことだ。そういうことをやっていると後日悲惨な目に遭ってしまうのだ。
●子供が素直なのは10歳までと割り切る
子供が親に対して素直なのは「10歳」までである。母親として子供に対して決定しまくっていいのは、その時期までなのである。小学校5年生や6年生になると、明らかに変わり始め、母親の知らない領域を多く持ち始め、徐々に自立を開始して来るものなのである。子供が自立を開始した時に、母親が子供に対して介入すれば、凄まじい反抗を仕掛けて来るのは当然のことなのである。
実を言うと中学生の時期こそが最も厄介なのである。もう子供ではないし、かといって高校生ほどしっかりとはしていない。それなのにこの時期こそ急成長が始まるので、中学生の心は大いに揺らぎ続けることになるのだ。中学生の時期を効果的に過ごすためには、必ず部活動に入れて、勉強ばかりするような子にはさせないことだ。中学校の部活が駄目ならスポーツクラブに入れて、とにかく体を鍛えまくるようにさせるべきなのである。
高校生の3年間は如何なる者にとっても「黄金の3年間」であろう。この時期は高校生自身の意思でどのように過ごすかを決定できるので、まずは高校生自身の意思を尊重しておくことだ。たとえその決定が母親の意思に反していても、子供の決定がどう変化していくか解らないのだ。その決定が当たった時は大ブレイクしてしまうことも有り得るのだ。
育児や子育てをしていれば、実に様々なことが起こって来るであろう。しかし「自己決定権のパラドックス」から言わせて頂くと、
「如何なる悲劇も後日必ず人生の肥やしになる!」
と言うことができる。悲劇が起こっている最中は悲惨だろうが、それが過ぎ去ってしまえば、自分の実力が相当に向上しているものなのである。如何なる悲劇であっても、そこから逃げ出しては駄目なのである。真正面からぶつかって行った方がその悲劇は短時間で終わるものなのである。
それと同時に
「下手に自分で決定しすぎないことが大きな幸運を獲得させる!」
とも言うことができる。あれこれと決定しまくっていると育児も子育ても失敗してしまう。神経質になって育児をしている母親も、教育ママになりすぎている母親も、母親の権限を乱用しているからこそ、子供は母親が望む正反対の結果を引き起こして来るのである。そうではなく、母親としてできることは非常に少ないということに気付くべきなのである。母親としてすべき決定をきちんとこなしておけば、子供は母親が期待する以上の結果を出して来るものなのである。
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