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オウムの悪夢は決して終わらない

●事件の真相なんて誰も解る訳がない

 オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件から16年もの歳月が流れ、オウム関連の主要な裁判は全て終了し、その首謀者たちの殆どに死刑が確定することになった。しかし16年もの長きに亘る裁判は余りにも遅すぎるし、日本の司法制度の欠陥が露呈してしまったといっていいのだ。

 なんで裁判がこんなに長期化するのかといえば、人々が裁判に於いて「事件の真相」を究明しようという要求があるからに他ならない。裁判は紛争を解決する機能を持つだけなのであって、紛争を解決させさえすればそれでいいのであって、事件の真相を究明することなどするべきではないのだ。

 人間は神様ではないのだから、事件の真相なんてどうやったとしても知ることはできない。我々ができることは警察が事件だと思えるものを捜査し、警察によって逮捕された被疑者を検察官が取り調べし、検察官が「これは裁判で争うだけの価値を有する事件だ」というものだけを裁判で争っているにすぎないのだ。

 だから裁判で事件の真相が解明される訳がない。地下鉄サリン事件の被害者たちは確かにその事件で被害に遭ったことは不幸だったかもしれないが、かといって間違った要求を裁判所にしてはならないのだ。近代国家の裁判所はどの国の裁判所であっても、事件の真相を究明する機能など絶対に持ち合わせていないのである。

 では一体どうすればいいのかといえば、裁判とは違う形でオウム真理教や地下鉄サリン事件を調査して行き、それによって今後の教訓を得て行くしかないのだ。裁判が終わればそれで終わりなのではなく、オウム真理教はどのような教団で、どのような教義を持ち、どのような軌跡を辿って地下鉄サリン事件を引き起こしたのか、そういうことを自分たちが理性的になって調べて行くしかないのである。

●麻原彰晃は紛れもなく宗教的天才だった

 まずオウム真理教について絶対に知っておかなければならないのは、麻原彰晃は「宗教的天才」であったということなのである。オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こしたために、この肝腎なことを認めない知識人が殆ど全てなのである。だからこの新興宗教団体の正体をなかなか掴めないのである。

 天才とは今まで誰もやらなかったことを平気でやってのけてしまう人のこという。

 一体、麻原彰晃のどこが宗教的天才なのかといえば、仏教とヨガとを結びつけたということなのである。仏教はインドが発祥なので、仏教とヨガは深く結びついている。しかし日本に伝来してきた仏教は大乗仏教なので、インド的な要素が削ぎ落されてしまい、当然にヨガも削ぎ落されてしまったのだ。日本人にとってヨガというのはヒンズー教のものだという誤った認識を持ち続けているのである。

 麻原彰晃は最初、ヨガ道場として「オウム神仙の会」を開いていたのであって、それが発展してオウム真理教になったのである。ヨガと仏教を結びつけたからこそ、独自の修行システムを作り上げることができたのであって、それは他の仏教団体には全く存在しない非常に希少価値のあるものになったのである。

 オウム真理教の修行システムは当時としては画期的だったし、本格的な修行であったために、だからこそオウム真理教は「出家システム」を採用することになるのである。在家の者ではどうしても修行が本格化しないのであって、出家システムを作り、出家者たちを有することで本格的な修行にさせようとしたのである。

 出家者を出せば、当然に出家者たちの最終目標が必要になるのであって、それで麻原彰晃は或る日突然に「最終解脱宣言」をし、自分が最終解脱することで出家者たちの模範たりえたのである。他の仏教寺院で幾ら修行をしても、そこの住職は解脱していないものだ。だったら最終解脱したと言っている麻原彰晃の下で修行した方が解脱できる確率が高くなるというものなのである。

●新興宗教団体は危険な橋を渡るもの

 もう1つ、日本の知識人たちが見落としているのは、「新興宗教団体はその初期に於いて必ず危険な橋を渡って来る」ということなのである。新興宗教団体は株式会社を起こすように出来上がって来るのではないのだ。教祖が神憑りになったり、教団幹部たちが過激路線を取ったり、信者たちが熱狂状態になったり、人々の宗教心が沸騰することで暴走してくるということなのである。

 大方の新興宗教団体が手を出して来るのは、なんといっても「病気治し」だ。病人にとっては医者ですら治せない病気を新興宗教団体に治して貰えば、確実に改宗して、それどころか非常に熱心な信者に早変わりするのである。新興宗教団体がなぜ病気治しを行うのかといえば、原価がゼロだから無一文の教団でも手を出すことができるのである。

 しかし如何なる政府であっても、医者以外の者たちが病気治しをすると必ず宗教弾圧を加えて来るのである。治療というのは膨大な利権の塊なのであって、その利権は既に医者と製薬会社と政治家たちが握っているのであり、新興宗教団体如きに手を出されては困るのである。嘗て天理教も教祖の中山みきが病気治しをしていたからこそ、宗教弾圧を受けたのである。天理教に対する宗教弾圧を知識人たちは天皇制との対立と見ているが、それでは事の真相が何も見えてこず、それどころか間違った方向へと突き進んでしまうものなのである。

 オウム真理教も病気治しをしていたことでは新興宗教団体の王道を歩んでいたのである。麻原彰晃は病気を治せたからこそ、信者たちを惹きつけていったのである。ところが麻原彰晃は病気治しを前面に打ち出さず、修行の方を前面に打ち出してしまったために、問題が多々発生し始めたのである。麻原彰晃としては病気を治すよりも、修行システムの中に信者たちを取り入れた方がより多くお金を儲けると踏んでしまったのである。

 そこで起こったのが殺人事件なのである。実を言うとオウム真理教は坂下堤弁護士を殺害する以前に、既に少なくとも2件の殺人事件を引き起こしているのだ。信者に過酷な修行をさせている中で信者が死んでしまったのだ。これこそオウム真理教が他の新興宗教団体とは違う点で、オウム真理教は早い段階で犯罪に手を染めていたのである。

●事件の引金を引いた江川紹子

 オウム真理教は殺人事件を引き起こした以上、その事件は警察が処理すべきものだったのである。ところが坂下堤弁護士がオウム真理教に噛みつくという非常に危険なことをやったのである。相手は組織なのであって、それに対して個人で立ち向かうというのは正気の沙汰ではないのだ。

 なんで坂下堤弁護士がオウム真理教に噛みついたかといえば、当時、神奈川新聞社の社員だった「江川紹子」から紹介を受け、オウム真理教は臭いということを教えて貰い、それで坂下堤弁護士はオウム真理教に対して反対運動を仕掛けたのである。相手は既に殺人事件を引き起こしている新興宗教団体なのである。それがどんなに危険なものなのか、余りにも理解しなさすぎたのである。

 オウム真理教といえども一弁護士との小競り合いなら、別に拉致して殺害などしなかったであろう。そこに『サンデー毎日』が加わり、特集記事でオウム叩きを遣り始めたのである。更にはTBSでオウム特集を報道しようとしていた情報が伝えられ、これに激怒した麻原彰晃が坂下堤弁護士一家を拉致して殺害してしまったのである。

 どうして素人集団のオウム真理教が拉致殺害という見事な刑事事件を引き起こすことができたのかというと、麻原彰晃は整体師としてヤクザを治したことがあり、ヤクザの指導を受けてこの刑事事件を引き起こしたのである。因みに坂下堤弁護士の自宅に置かれいたプルシャは、オウムの信者が落としたものではなく、ヤクザが故意に置いていったものなのである。

 坂下堤弁護士拉致殺害事件こそ、オウムの運命を完全に狂わしてしまったのである。

 坂下堤弁護士拉致殺害事件を調べて行くと、確かにオウム真理教は悪いのだが、「言論の自由」を乱用した江川紹子や毎日新聞社やTBSの罪深さも目立つのである。オウム真理教がいきり立っている時に、言論の力でオウム叩きをすれば、オウム真理教が実力行使に出て来ることぐらい予想できた筈なのである。殺人事件を引き起こしている以上、オウム真理教のことは警察が処理すべきものだったのであり、警察が動く前に言論の自由が乱用されたからこそ、坂下堤弁護士が拉致殺害され、それを機にオウム真理教が暴走していくことになったのである。

●戦前の大本教と全く同じ

 実を言うと、マスコミが騒ぎ出し、警察が動くというパターンは、戦前の大本教に対して既に行われているのだ。戦前の宗教界で最も過激な宗教運動を展開したのは大本教であり、戦後出て来た神道系の新興宗教団体は全てこの大本教の影響を受けて出れ来たといっても過言ではないほど、この大本教は非常に魅力的な教団であったのだ。

 大本教が宗教弾圧をうけた時期に注目していただきたい。大本教は教団創設以来、何も政府と衝突しなかったのに、昭和10年になって治安維持法及び不敬罪容疑で逮捕され、大本教の神殿が爆破されるまでの宗教弾圧を受けてしまったのである。金融恐慌で日本経済が逼塞し、大卒の連中に社会主義者が大量に出て来た時期であるのだ。オウム真理教が政府と衝突してしまったのは、バブル経済が崩壊し、社会主義の影響を最も多く受けた団塊の世代が、丁度、マスコミなどで権力を掌握していった時期なのである。

 大本教とオウム真理教を比較するには無理があるし、そもそも大本教に対して失礼であろう。しかし大本教は出口王仁三郎という宗教的天才に率いられたし、オウム真理教もまた麻原彰晃という宗教的天才に率いられたのである。神道と仏教と宗教が違えども、宗教的天才が出現した時、必ず政府と衝突してしまうものなのである。

 昭和憲法は明治憲法とは全く別の憲法でありながら、昭和憲法は明治憲法と全く同じ軌跡を辿っているのである。マスコミが新興宗教叩きをやり、それに反応した警察が動き出し、警察による宗教弾圧が展開されているのである。嘗て出口王仁三郎は「大本を潰せば、国が潰れる」と予言したが、事実、その通りになったのである。

 新興宗教団体は騒がしいといっても信者数は非常に少ないのである。新興宗教団体は無理に無理を重ねて教団の勢力を拡大しているのであり、それに対して全国規模で展開するマスコミが新興宗教叩きをやるべきではないのである。マスコミが新興宗教団体を叩けば、幾らでも埃が出て来るものなのである。しかしその代償の方が比べ物にならないくらいに高いのである。戦前の日本は国家そのものが潰されてしまったし、戦後の日本では地下鉄サリン事件が起こってしまったのである。

●「宗教市場」の絶対的重要性

 では、問題を起こしている新興宗教団体に対して一体マスコミは何をすればいいのであろうか?

 放置しておけばいいのである。

 新興宗教団体の中で刑事事件を発生させている教団には警察が動いて、その刑事事件だけを処理していけばいいのである。霊感商法などの民事事件を発生させている教団には裁判で処理していくと同時に、それこそ消費者庁が「この教団は霊感商法を行っているので危険である」と公示すればいいのである。政府が下手に動き過ぎて、宗教弾圧になるようなことは絶対にすべきではないのである。

 近代以前の国家と、近代国家が決定的に違うのは、国内に「宗教市場」を成立させているか否かなのである。宗教市場があればこそ、どの教団も競争しなければならないし、どの教団も国教になることもできないのである。、宗教市場のために「宗教の自由」が必要なのであって、その逆なのではないのである。

 日本がアジア諸国の中でなぜ一番早く近代化に成功できたかといえば、江戸時代に既に宗教市場が出来上がっていたからなのである。だから江戸幕府が崩壊してしまえば、手品のように近代国家が出来上がってしまったのである。それに対して中国や朝鮮は朱子学を国教としていたので、なかなか近代以前の体制から抜け出すことができず、欧米列強や日本の餌食になってしまったのである。

 戦後の日本で最も成功したといわれる創価学会ですら、信者数1000万人を豪語しているが、実は最大で300万人程度しか動員できないのである。あの創価学会ですらその程度なのである。オウム真理教は信者数が1万人程度で打ち止めになったのであり、あのまま放置しておけば、いずれ静かになった教団であった筈なのである。オウム真理教には出家システムがあったので、その限界が信者数の増大を食い止めてしまうのである。

 明治維新直後からキリスト教が盛んに宣教しているのだが、日本ではなかなかキリスト教徒が増えない。その理由はもしもキリスト教徒たちが増えすぎてしまったら、日本の宗教市場が破壊されてしまうと、国民の大半が漠然と感じているからなのである。神道や仏教を敵視しているキリスト教の勢力が大きくなってしまえば、いずれ神道や仏教に対して宗教弾圧を展開して来るのは予想されうることだからだ。

●古代ローマ帝国はなぜ滅んだか?

 日本国民であるなら、自分の宗教心のことはひとまず置いておいて、宗教市場を守るためにしっかりとした宗教政策を持つべきなのである。それは「神仏を敬うこと」なのである。明治維新直後に廃仏毀釈をやったし、占領中はGHOから神道が宗教弾圧を受けたが、結局、日本国民が選んだのは神道と仏教の併存体制なのである。我々にできることはこの神道と仏教の併存体制を守り続けるしかないのである。個々人の宗教心はそれができてからで充分なのである。

 西ヨーロッパでは昔から「なぜ古代ローマ帝国は滅んだのか?」という問いが存在し続けた。彼等には様々な意見があろうが、古代ローマ帝国となんの接点もない日本人から言わせて頂くと、「古代ローマ人たちが自分たちの宗教を捨て、キリスト教に改宗してしまったから」という的確な答えを出すことができるのである。

 国家にとって宗教の変更は「国家の滅亡」を意味するものなのである。

 キリスト教ではイエスを救世主だと主張しているが、当時のユダヤ人たちから見れば、イエスなどという男は頭のおかしな男性にしか映らなかった筈だ。古代ローマ帝国としては放置しておけば良かったのである。イエスはユダヤ教の神殿の中でユダヤ教徒たちとトラブルを起こした程度なのであって、何も古代ローマ帝国が出るべきではなかったのである。

 それなのにイエスを死刑にしてしまったのである。

 それで一体何が起こったのか? 

 キリスト教の経典を丹念に調べて行くと、歴史的事実としてはマグダラのマリアがイエスの墓に行った時にはイエスの死体がなかったということになるのである。それなのにキリスト教徒たちは福音書を偽造しまくり、「イエスが復活した」という話になってしまうのである。更には神学を発達させて、イエスの死は「贖罪死」なのであって、人類の原罪を償うために死んだのだという有り得ない展開になっていくのである。

 キリスト教は古代ローマ帝国から宗教弾圧を受けたことで教義を発展させていったのであり、これでは古代ローマ帝国がキリスト教を叩けば叩くほど、キリスト教徒たちが強固な教義を持ってしまうことになるのだ。このために古代ローマ帝国はキリスト教徒たちに浸食されて行き、結局、滅亡してしまったのである。

 キリスト教徒たちに宗教弾圧を加えるのなら、最初から信者全員を殺すべきだったのである。イエスがいた時はキリスト教徒は千人も超えなかったであろう。殲滅しようとすれば簡単にできた筈なのである。事実、アメリカ合衆国はブランチ・ダビディアンに対して殲滅措置を取って滅ぼしている。憲法体制にとって危険と見れば信者数が少ない段階で殲滅するしかないのだ。それができないのなら放置するしかないのである。

●オウムは今後も増殖し続ける

 如何なる憲法体制であっても必ず腐敗して行くのだ。どんなに優れた憲法体制を持ったとしても、必ずそれに適応できない者たちが出て来る。それを宗教団体が吸収して、勢力を拡大しているのである。そういうことをやれるのは宗教団体の中でも新興宗教団体だけであって、その連中が危険な存在に見えて来るのは当然のことなのである。

 オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こした時、なんで大卒や大学院卒の優秀な人たちがオウムに入信してしまったのかと話題になったが、優秀だからこそ彼等や彼女達はオウムに惹きつけられたのである。頭がいいからこそ、この憲法体制の腐敗に気付き、適応することを拒絶したのである。

 なぜなら宗教は大ドンデン返しを引き起こす力を持っているからなのである。

 昭和憲法体制の矛盾はいずれ宗教の力によって大爆発を引き起こす日が必ずや遣って来ることであろう。昭和憲法体制は「信教の自由」を最優先させ、宗教市場を理解できなかったことの致命的なツケをいずれ支払うことになるのである。宗教市場の存在に気付き、新興宗教団体を放置しておけば良かったものを、権力を持つ人たちが新興宗教団体を叩きに走ってしまったからこそ、新興宗教団体の方も教義を過激化させていくのである。

 オウムの信者は今後も増え続けることであろう。地下鉄サリン事件の被害者になった人たちから見ればそれは激怒する行為であろう。しかし社会から完全に落ち零れてしまった連中はオウムのような過激な集団でしか救って貰えないのである。多くの人々は個々人のレベルで物事を見過ぎてしまい、全体という視点が全く抜け落ちているのである。この世というのは様々な因果が絡み合って出来ているものである。

 麻原彰晃には死刑を執行せず、老衰で死なせた方がいい。もしも死刑を執行した場合、オウムの信者たちが何を言い出して来る解らないからだ。事実、キリスト教徒たちはイエスが死刑になったからこそ、「イエスは救世主だった!」と騒ぎだして、その後、古代ローマ帝国を崩壊させていったのである。

 これは刑事事件ではなく、最早、政治事件なのである。オウム真理教を恨むだけではこの事件を解決していくことはできないのである。オウムに恨みをぶつけても、更なる恨みが生まれるだけなのである。オウム真理教の一連の事件は、確かにオウム自身も悪いが、マスコミが言論の自由を乱用し、それに警察が乗ってしまい、それによって宗教市場が破壊されたという事実に気付けないと、この事件を終息させていくことは永遠にできないのである。

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コメント

ありがとうございますタマティーさん☆返信のコメント通り、

時計回りにマッサージをして、運動をさせまくって糠床があったので舐めたところ、ウンチがでました~happy01
娘を誉めまくりましたよ~(笑)

外食続きもあって、母乳の質が低下していたのでしょう。

ありがとうございます♪

投稿: みっち | 2011年11月25日 (金) 09時16分

大変おもしろい考察ありがとうございました。
オームは薬物と映像とそして入りぐちの広い
ヨガを武器にしました。

大本教はずばり「言葉の魔術」を利用したと想います。
だけど2つには共通点があると想います。

それはすべてのカギは「脳を支配する」ということを
知っていた。これは2つにみる共通点だと想います。

脳を自分の人生の味方にまわすか?
それとも脳を自分の的にまわすか?

これだけで人生は決まってしまうのかもしれない
と今回の文章で感じました。


また/次回の記事を楽しみにしています。
ありがとうございました。

投稿: パオー | 2011年11月28日 (月) 06時04分

 バオーさん、コメント有難うございます!happy01

 バオーさんの言うとおり、「脳を支配する」というのは2つの教団の共通点ですね。
 普通、人々は「頭がいい」とか、「頭が悪い」とか言ってしまうのですが、大事なことは「その頭をどう使うか」ですよ。

 宗教もそれをいい方向に使えば自分の人生を幸福なものにできるんだけど、それを間違った方向に使ってしまうと世間と思いっきり衝突してしまいますからね。 

投稿: タマティー天使 | 2011年11月28日 (月) 07時37分

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