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生きた宗教と死んだ宗教

●生きた宗教と死んだ宗教の判別は非常に簡単!

 宗教には「生きた宗教」と「死んだ宗教」の2種類がある。宗教を全て同じだと思ってはならない。生きた宗教は信者たちに莫大な利益を齎すが、死んだ宗教は信者たちに莫大な損害を引き起こす。宗教に対して善悪を持ち込んでしまうと、宗教の真贋を見極めることができないのだ。宗教には生きているのか死んでいるのか、その基準しかないのだ。

 生きた宗教は必ずお金に対してシビアである。

 それに対して死んだ宗教はお金に意地汚いものなのである。

 生きた宗教は真っ当な宗教活動をやっているから確実にお金を集めることができるし、そのお金の使い方も合理的だ。一方死んだ宗教は真っ当な宗教活動をしていないから、確実にお金に執着し、信者たちからお金を収奪しようとすることばかり考えて来る。教団が提供する宗教サービスに対して、購入金額が上回れば、誰だって「損をした!」と思うものなのである。

 神社では参拝するために入場料を取られることはないが、仏教寺院の中には拝観料を取られる所がある。参拝に対して拝観料を取る宗教団体は死んだ宗教だと看做していい。拝観料などは宝物殿で宝物を見せるなら徴収しても別に構わない。しかし参拝するのにそんなお金を取ってはならないのだ。

 しかし宗教施設を維持管理するためにはお金がかかる。だからこそ神社では賽銭箱を設けてお賽銭を取っているし、仏教寺院でも拝観料を取らない所では神社と同じ形式が取られている。横浜の中華街の関帝廟では拝観料代わりに線香代を請求し、参拝客に対して強制的にお線香を買わして資金を調達しているのだ。実に商魂逞しいのだ。

 大体、宗教に対してどれくらいの資金を出すことが限界なのかは、既にユダヤ教が戒律の中で定めている。それは「10分の1税」というものであって、収入の10%を教団に寄付しなさいというものだ。年収1千万円なら年間100万円の資金を教団に出さなくてはならないのだ。

 神道や仏教の感覚だとユダヤ教の会費は高いと思ってしまうが、大体、これが宗教に対して出す資金の限界点なのである。宗教トラブルを考える時、霊感商法がどうのこうのよりも、信者が年収の10%を超えてまで資金を出すことは「宗教の限界」を超えているのだということが解っていれば、宗教トラブルで本当に問題にすべき問題はどれかということが解って来るのだ。

●結局、宗教団体は「人件費問題」こそが最大の問題なのである

 宗教団体が効果的な活動をするためには、信者たちが集まって「講」のようなものを開いていても意味がない。信者と宗教家に分け、宗教家たちが専業で宗教の仕事をしてくれるからこそ、その宗教団体は発展していくのだ。当然に信者たちはその宗教家たちの生活費を支えなければならなくなるのだ。

 ということは、結局、宗教団体は「人件費問題」こそが最大の問題なのである。宗教家の数が多過ぎたり、高額所得を得ていれば、当然に信者たちに高い過ぎる負担を強いてしまい、信者たちが疲弊してしまい、教団から離脱していくことになるのだ。宗教団体を発展させるためぬは宗教家の数を少なくし、その宗教家たちに対して支払う給料を常識的な範囲内にしておかなければならないのだ。

 神社神道では神職者たちが全国に1万人程度しかいない。それに対して既成仏教の僧侶たちは全国に300万人以上のである。ということは神社の崇敬者たちの経済負担は少ないが、仏教の信者たちの経済負担は非常に大きいということだ。江戸時代までの仏教は出家が守らていたから僧侶に独身を強いたのだが、明治維新以後はどの教団も浄土真宗を見習ってしまい、僧侶が出家せず結婚することになってしまったのだ。余計に重たい負担になってしまったのだ。

 神社神道は宗教家の数が少ない分、布教をしない。というか神社神道は教義というものを立てていない。祭祀に特化した宗教団体であるのだ。その一方、仏教は世界最大の経典数を誇り、僧侶たちも盛んに布教をしてlくる。仏教の信者たちは高い経済負担を強いられる分、僧侶から仏教の教えを説いて貰うことになるのだ。

 「なぜカトリック諸国よりプロテスタン諸国の方が豊かなのか?」という疑問に対して、人件費のことが解っていれば簡単に答えが出て来るのだ。プロテスタンでは聖職者がいないから、信者たちの経済f負担が軽くて済むのだ。その代わり宗教が素人的になってしまい、カトリックで行われているようなプロ的な宗教にはならないのだ。

●既成宗教と新興宗教の違い

 既成宗教と新興宗教は明らかに違う。その宗教が古いか新しいかだけではなく、資金の調達方法がまるで違うのである。既成宗教は寄付金が頼りで、寄付金の占める割合が予算の半分以上を占める。それに対して新興宗教は会費方式で、会費の占める割合が予算の半分以上を占めるのだ。

 既成宗教では寄付金方式だから、信者たちが教団の経営に参加してくることはない。寄付金を出すのか否かは個人の自由だから、教団は信者たちから寄付金を貰っても、後はそれを自由に使えばいいのである。しかし新興宗教団体では会費方式だから、信者たちを経営に参加させ、信者たちの意見を反映させなければならないのだ。

 このため既成宗教団体の組織は旧式なものだが、新興宗教団体の組織は非常に新しいのだ。組織が新しいからこそ、信者たちに対して充分な宗教サービスを展開することができ、布教に打って出て行くことができるのである。信者たちとしてはその教団に高い会費を支払っても、それ以上の利益を得ることができるのである。

 だから新興宗教団体が寄付金に頼り始めたら、必ず問題になる。寄付金に頼ってしまうと、組織が硬直化して行き、信者たちの意見が反映されなくなりはじめるのだ。例えば創価学会では形式上会費を徴収しないのだが、聖教新聞の定期購読が会費になっているのだ。だからこそ創価学会は大躍進したのである。ところが大石寺の建立で寄付金を徴収し始めた頃から創価学会が全国の至る所でトラブルを発生させるようになったのである。

 新興宗教団体が新興宗教団体であることを維持するためには、寄付金に頼ってはならないのである。会費方式を貫かなければならないのである。事実、創価学会では寄付金に頼り始めた時から信者数は増えていないのだ。1970年代以降、信者数は現状維持をし続けているのである。

●会計監査と会計報告

 既成宗教団体であれ、新興宗教団体であれ、会計監査はしっかりとしておかなければならない。専門で会計監査を行う監査役を設けておくべきであり、宗教家たちが不正を働いたのなら、必ずそれを指摘できるようにし、評議会なり総会なり通報できるようなシステムを構築しておかなければならないのだ。

 新興宗教団体であるなら信者たちから会費を徴収している以上、信者たちに会計報告をしなければならない。会計報告は信者たちを集めて口頭で行うべきであり、会計報告を書類にして信者たちに渡すべきなのである。これがないと教団の財政は非常に不明瞭になってしまい、教団の宗教家たちは汚職をしまくることになるのだ。

 宗教は教義が違えども、お金に関しては共通なのである。

 教義に拘ってしまうと宗教の本当の姿が解ってこないのだ。自分が信仰している宗教の教義を絶対視してしまえば、他の宗教の教義は全部駄目ということになる。しかしその判定法が正しいわけがないのだ。大体、神社神道では教義を立てていないのだ。世の中にはそういう宗教もあるのである。

 正しい判定法は「お金」なのである。お金にシビアな教団は必ず成功していくし、お金に汚い教団は必ず問題を起こして来る。お金に着目していれば、宗教の真贋が解って来るものなのである。取り敢えず、その教団は信者たちに会計報告をしているのかということを調べるだけでも、その教団の真の姿が朧げながら解って来るものなのである。

 生きた宗教は信者たちを搾取しないから、信者たちは必ず子孫を繁栄させてくる。一方、死んだ宗教は信者たちを搾取するから、信者たちは子孫を繁栄してこない。宗教というのはそうやって生存競争を戦っているのであって、信者数の自然増をできる教団が勝ち、信者数の自然減をしてしまう教団が負けて行くものなのである。

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コメント

タマティーさま、はじめまして。

マリアと申します。

縁ありましてて、タマティーさまのブログにたどり着き、興味深く読ませて頂いております。

タマティーさまの人生観・宗教観・女性観など大変参考になります。

これからも一ファンとして、ここを訪ねたいと思っております。


その事で一つ質問があるのですが。

メールアドレス、今回は書いておりませんが、書くべきでしょうか?

昔、嫌な事がありまして、掲示板に書く事に抵抗があるのです。

投稿: マリア | 2012年1月24日 (火) 11時22分

タマティーさま。

先ほどは失礼致しました。

メールアドレスを入れなければ投稿が出来なかったので入れましたら、文章の訂正と新しいアドレスに変えたのにそちらに訂正するのを忘れてしまいました。

申し訳ありません。

投稿: マリア | 2012年1月24日 (火) 11時30分

 マリアさん、コメント有難うございます!happy01

 メールアドレスを書くように定めているのは、嘗て「にほんブログ村」で言論弾圧に遭ってしまい、しかも身の危険を感じるようなコメントを受けたからなんです。

 今はもういいと思うんですけど、念のためにやっています。

 メールアドレスを書いても、別に何も起こならないので、機にしないで下さい。


投稿: タマティー | 2012年1月24日 (火) 19時16分

タマティーさま、お返事ありがとうございます。

そのような事があったのですか。

どこにでも、嫌な事をする人はいるのですね。

アドレスの件、了解致しました。


創価学会の寄付の話、なるほどと思いました。

私は恋人が学会さんで、それで悩む事がありまして。

その関係だけではありませんが、学会の方の知り合いもおります。

私はキリスト教カトリック。

と言いましても、マリア信仰なので、ズレがあるかもしれません(笑)

最近感じるのは、学会の中の温度差です。

若い人たちは、私がカトリックでも気にしないようです。

それより上になったら、気にする方もいるかもしれませんね。

活動する方の中に、学会のやり方に疑問を持つ方もいるみたいで。

恋人は熱心な学会さんですが、強引な行動に意味はないと考えているようです。

着任や財務はしていますが。

まあ今は、迷惑かけない範囲でどうぞ、という感じです。

強引な方はひどく嫌われていますね。

最初に創価学会を作った方は。

今は何を思うのでしょうか?

私も財務は無くすべきだと思います。

金額で信仰ははかれないですし、家庭不和の原因になりかねないですし、無理をしてしまい色々狂う方もいるからです。

たくさん財務をしたら、たくさん幸せに……。

お金で買えるものなのでしょうか?

何か変だと思うのです。

まあキリスト教も戦争したり弾圧したりしていますから、あまり人の事は言えないでしょうけれど……。

すいません(汗)

色々考えたりもしますが、今は彼を信じようかなという所です。


長々と自分語りをしてしまいました。

タマティーさまのブログ、これからも覗きに来ます。

何かあったらまた、長々と書いてしまうかもしれませんが(笑)


それでは、また。

投稿: マリア | 2012年1月24日 (火) 20時19分

タマティー様、過去記事にコメントすみません。
創価学会脱会者ブログにこの記事の紹介をさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?
ブログのURLは下記のとおりです。
https://signifie.wordpress.com

私が創価学会を脱会できた大きなきっかけは、この脱会者のブログです。その後タマティー様のこの記事を読んで自分の判断に間違いないと思うことが出来ました。ここの管理人さん及びコメントされている方たちはよくある口汚く罵るような下品なアンチサイトとは違い素晴らしい方達だと思っています。
紹介させていただけるとありがたいです。よろしくお願いします^_^

投稿: 虹ママ | 2016年1月16日 (土) 02時01分

虹ママさん、宜しいですよ。happy01

投稿: タマティー | 2016年1月16日 (土) 09時33分

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