« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

保母さんたちの謎

●女性らしさを思う存分発揮できる仕事

 世の中には女性にしか就職することができない仕事というのが必要だと思う。その女性専用の職業を温存しておけば、女性は確実にその職業で働くことができるので、社会がどのように変化しても働き口はあるということになるのだ。

 そういう女性専用の職業はただ単に働けるのではなく、女性らしさを思う存分発揮できるので、女性として精神的に非常にレベルの高い満足感を得られることになるのだ。これが女性専用ではなくなり、男女とも働ける職業だとそうはいかなくなり、給料は貰えても、精神的に悶々としてしまうようになるのだ。

 幼稚園の保母さんなんかは事実上女性専用の職業だ。男性の保父さんもいるがこれは飽くまでも例外で、どの幼稚園でも女性の保母さんが大多数を占めているのだ。実を言うと、保母さんは現役であろうが、退役した者であろうが、他の職業に就いた女性たちとは明らかに違うものがあるのだ。

 それは「オーラが綺麗!」なのである。

 幼稚園で保母さんとして女性らしさを思う存分発揮できたためか、どの保母さんたちもオーラが綺麗で、他の女性たちと見比べると「これでも同じ女性なのか!?」と思いたくなるような凄さがあるのだ。逆に言えば、殆どの女性たちが働いている職業というのは、女性らしさを発揮できない職業なのであるということなのである。

 しかも保母さんの仕事は意外と激務なので、保母さんの仕事をきちんとこなせばどんな仕事でも応用が利くし、幼稚園で子供たちに慣れているために育児だって他の女性たちよりも巧いのだ。勿論、実際の育児では幼稚園の時とは勝手が違うために失敗することも多々あるが、それでも子供たちの育て方が巧いということでは抜きん出ているのである。

●美人の保母さんは仕事が巧い

 そこで今回は「保母さんたちの謎」をテーマに、俺が保母さんたちの謎を解明する。

 一番目の謎は「幼稚園ではなぜだか美人の保母さんは仕事が巧い」ということなのである。

 これには理由がある。美人の保母さんは美人だから保母さんになれたわけではなく、自分自身、親から可愛がられて育ったし、自分が子供の頃に幼稚園で楽しい思いをしたことがあるからこそ、大きくなってから幼稚園の保母さんになろうとしたわけである。

 一方、幼稚園児たちは自分の親から可愛がられて育っているために、自分と同じ境遇にいるということで、非常に親しみ易さを感じてしまうのだ。このため子供の方が保母さんに手加減するし、保母さんの方も要領がいいので、それらが相乗効果を起こせば、結果は常に良いものしかでないのだ。

 我が子を幼稚園に通わず場合、美人の保母さんがいるならラッキーと思った方がいい。それと同時に自分の子供であっても、幼稚園での感想を鵜呑みにしてはならない。実際の経験に自分の感情がプラスされているので、信用できる感想にはなっていないのだ。

 保母さん以外の仕事では、通常、才色兼備は理想である。美人だからといって仕事ができるとは限らないのだ。それどこかなまじ美人であるために、化粧やファッションなどに時間をかけすぎてしまい、肝心の仕事に充分な時間を回せなかったりする。こうなれば能力が低下していくのは火を見るよりも明らかになってしまう。

 通常のビジネスなら社長秘書が才色兼備の典型例だと思う。大体、どこの企業にいっても社長秘書はなぜだか才色兼備である。それと意外な場所では企業の研究所とかでも才色兼備率が高い。そう考えると幼稚園での才色兼備率は異様に高いものになっているのだ。

●デブの保母さんは子供たちの扱いが巧い

 二番目の謎は「デブの保母さんに限って子供たちの扱いが巧い」ということなのである。

 女性は出産すると或る程度太ることになる。これは安全に母乳を出すために体内に脂肪を溜め込むということがあるし、次の妊娠を安全に行うために腰回りに脂肪をつけて卵巣や子宮を温めるということをするからなのである。このため子供としてみれば、痩せている母親より、太った母親の方がいいのである。

 子供が幼稚園に行く時、保母さんは飽くまでも母親に代わりだから、太っている保母さんに対して安心して突っ込んでいくことができるのである。太っている保母さんも自分の体には充分な脂肪があるために、子供たちが突撃してきて体力的にギブアップしないのである。

 子供が1人や2人なら、それに対応す知識や技術が必要だが、子供たちは10人以上かかってきたのなら、もう知識や技術など関係なく、後は体力勝負になる筈である。こうなってくるとデブの保母さんは断然有利になるのだ。

 「デブ枠」を設けている幼稚園は絶対に信用できる。幼稚園の園長が男性の場合、美人ばかりを揃えてしまうからだ。意図的にデブ枠を設けておかないと、敢えてデブの女性を保母さんとして採用することはないのだ。色んな保母さんたちがいるからこそ如何なる状況にも対応できるのであって、画一化されている幼稚園は或る意味非常に危険なのだ。

 かといって保母さんが全員デブというのは逆の意味で危険だ。保母さんの仕事は意外と頭を使う仕事なので、デブの女性だとそんなに頭の回転が良くないために、子供たちの扱いは巧くても、そちら方面の仕事が良く出来ないのだ。

●保母さんたちはなぜか結婚率100%である

 三番目の謎は「保母さんたちはなぜだか結婚率100%である」ということなのである。

 保母さんは必ず結婚する。「非婚」を唱えて独身を貫き通す保母さんはまずいない。職場で子供たちに接している以上、仕事をし続けていれば、自然と自分も結婚して子供が欲しいなと思うのは当然のことなのである。これは或る意味、女性にとって非常に精神的に素晴らしい職業であるのだ。

 しかし問題がある。

 幼稚園は基本的に「女の園」である。

 一体どこで結婚相手を見つけてくるのか?

 それこそが「謎」である。

 高校の時の同級生とか、短大時代に作った彼氏とかいうならまだ解る。それ以外の男性の場合、一体どこで知り合ったんだ? 折角、保母さんという女性としては断然有利な仕事をしているのに、合コンで彼氏を見つけ、結婚しましたというのでは洒落にならないのだ。

 保母さんだからといって安易に「早く子供欲しいな~」などと考えていると、禄でもない男性と結婚してしまうこともありえるのではないか? 考えてみれば、ダイアナ妃も保母さんをやっていたが、あのロクデナシのチャールズ王太子と結婚して、最終的には離婚、挙句の果てには暗殺されたのだから、保母さんという職業にだってなんらかの危険性がることぐらい理解しておいた方がいい。

 幼稚園を見ていてつくづく言いたくなるのは、「保母さんなんだから黒色や紺色のジャージを穿くな」「幾ら仕事が忙しいとはいえ汚れたエプロンをつけるな」「髪の毛をちゃんとセットしろ」等々なのである。「女の園」ゆえにだれる気持は良く解るが、職場でそういうことをやっていると、いずれ「悪魔のツケ」を支払うことになるのだ。

 保母さんの仕事は世襲性の強い仕事ではないだが、自分の娘が母親の姿を見て「私、将来、保母さんになりたい!」と言い出してくれば母親として大成功なのである。保母さんたちはいずれ結婚していくわけだから、独身時代では一生懸命働いた方が無難というものなのである。その経歴は必ず自分の娘が察知してくるものなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (1) | トラックバック (1)

本を読む時の注意点:「いい加減は失格なのである」

●悪書は避けよ

 豊かで幸せな人生を歩みたければ、悪書を読まぬことである。悪書は「お金の無駄」であり「労力の無駄」であり「時間の無駄」なのである。悪書が自分の人生に対して貢献することは何もないのだ。それどころか損害ばかり与えてくるのである。

 悪書というのは、誤字脱字があるとか、文法が間違っている書物などではない。内容そのものが間違っている書物だ。人々は誤字脱字を見つけることができるのに、なぜだか内容の間違いには気づかないのである。というか、悪書の場合、その内容の酷さが巧みに隠蔽されており、それによって人々は惑わされてしまうのである。

 悪書は必ず「机上の空論」を言ってくる。机上の空論だからこそ、その言辞が巧みだし、物の見事に騙されてしまうのだ。例えば日本の企業ならどの企業でも年功序列を採用している。それなのにその年功序列を否定して実力主義を唱えれば確かに魅力的だ。しかしそれを実際にやることはできないし、やればやったで会社そのものが機能しなくなってしまうのだ。

 悪書は必ず人々の「不満」に巧くつけこむ。読者自体に既に何かしらの不満があるからこそ、その悪書によってその不満が巧みに刺激されてしまうのである。例えば既婚女性向けに書かれた「離婚の勧め」なんてのも、自分が結婚に満足していればきちんと退けることができるのに、自分が結婚に満足していなければ簡単に先導されてしまうものなのである。

 悪書の著者の顔は絶対に不気味である。あなたは大江健三郎の顔を見て格好いいと思うだろうか? あなたは上野千鶴子の顔を見て「まあ、素敵!」と思うだろうか? 絶対に思わない筈だ。人間は三十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきであって、賢そうな顔つきをしていない者が書いた作品などまともに取り合わないことだ。

●これが嘘だとは解りにくい嘘

 問題は、その本人は悪書を書くほど悪い人物ではないのだが、結果的にその本が悪書ゾーンに入ってしまう本だ。この手の本は「これが嘘だとは解りにくい嘘」をついているので、普通の悪書以上により多くの人々が騙されてしまうのである。

 今回はこの「嘘だとは解りにくい嘘」を理解するために、「ひろさちや」が普段から主張している「いい加減の勧め」を取り上げたいと思う。この「ひろさちや」の「いい加減の勧め」はそれこそいい加減に主張しているのではなく、仏教の教義から導き出された立派な考え方なのである。

 仏教は「空」を説くのだが、この「空」の実践バージョンが「いい加減の勧め」なのである。「いい加減」はプラスとマイナスを併せて丁度ゼロになるからこそ、これこそが空に他ならないというのだ。この考えは仏教に慣れ親しんだ人たちなら非常に解り易い意見なのだ。

 しかしこれは≪嘘≫である。

 というか「ひろさちや」は仏教を何も理解していないのである。

 まず日本語で「いい加減」というのは肯定的な言葉としては使われない。必ず否定的な言葉として使われてしまう。漫才の締めのセリフで「いい加減にしろ!」というのがそれで、相手の馬鹿さ加減を否定するために使っているのだ。

 そもそも「空」という教えは。釈迦が唱えたものではないのだ。釈迦はそんな小難しいことを唱えたのではなく、もっと解り易い意見を唱えたのである。しかし釈迦の死後、仏教の教義が発達していくにつれて「空」の教えが出てきたにすぎないのだ。

 空は「ゼロ」のことではないのである。空は「有」と「無」を超越した概念なのであって、プラスとマイナスを掛け合わした時に発生するものではないのだ。空をきちんと理解して頂くためには、その本人が解脱して貰わないと理解不能な概念なのである。

 解脱したことのない「ひろさちや」には「空」のなんたるかは解らないのだ!

●人間は貪欲な生き物なのである

 この世に生きていれば「いい加減」なことなどできない。例えば俺がブログで記事を公開すれば、誤字脱字があれば突っ込まれるし、内容に問題があるなら必ず苦情が入ってくる。だから下調べをきちんとしなければならないし、考えるべきことは全部考えなければならないし、書く時は丁寧に書かねばならないのだ。

 はっきりと言わせて頂くが、俺だって少しは無理しているのである。

 「いい加減」という言葉を調べていくと、実は言葉通りの意味では使っていないのである。

 例えば、お風呂に入っている者が

「湯加減は?」

と訊かれたら、

「いい湯加減です。」

と答えたとしよう。

 この場合、この「いい湯加減」は本当にいい湯加減ではないのだ。人間にとっては少し熱めの温度になっているのだ。人間の体にとっていい湯加減というのは「41℃」以下なのである。しかし人間が「いい湯加減」と答えた時は必ず「41℃」以上の温度になっているものなのである。

 人間は「自分に丁度いい」と思うものは、必ず少しプラスになっているものなのである。人間が「いい加減」な所で止めてしまったら自分自身が満足できないのである。だから「いい加減の勧め」を鵜呑みにしてしまったら、とんでもないことになるのだ。

 ビジネスをやれば解ることだが、誰もがいい加減な態度では仕事をしていない。誰だって始業時間までに出社するのはつらいし、1日8時間も拘束されるのは厳しいものだ。しかしそれに耐えるからこそ、きちんとした仕事ができるのだし、お客様に対してそれなりのサービスができるようになるのである。

 結婚して、もしも妻がいい加減な料理を作ってくれば、どんなに温和な男性だって怒ることだろう。夫は外で仕事をしてきたのに、妻が自宅でいい加減な料理を作れば、なんのために仕事をしてきたのか解らなくなってしまし、妻の愛情に対しても疑念を抱かざるをえなくなってしまうのだ。

●少しプラスなら褒められ、少しマイナスなら非難される

 「いい加減の勧め」が嘘だと解ると、その後の人生で大いに有利に働かせることができる。

 要は「少しプラスなら褒められ、少しマイナスなら非難される」ということなのである。「いい加減」にしてはならない。少しは無理をする。余りにも激しく努力するのではなく、相手にとって最適のポイントを目指して少しだけ努力すればいいのである。

 既婚女性の場合、毎日料理を作っても夫や子供たちから褒められないということが起こる。その理由は料理をいい加減に作っているからなのである。こういう時は、料理に対して少しだけプラスすればいいのである。ダシを少しだけ強くしたり、いつもは使わない調味料を使ったりするのである。

 こうすると夫も子供たちも料理を褒めてくれるようになるのだ。

 気をつけるべきは少しのマイナスなのに、激しく非難されてしまうことがあるということだ。何か忙しい用事があるなら、朝の内に料理を作ってしまうとか、作り置きの料理を作っておくべきなのである。夫や子供たちに「何か適当に食べて!」というのは相手に対して激しい不満を抱かせるものなのである。

 自分自身が「いい加減の勧め」は嘘だと解っていると、他人がいい加減なことをやってきたら、その者に対して責任追及を行い、叩き落すことができる。町内会だろうが、PTAだろうが、いい加減なことをやっている人たちは沢山いるので、そのいい加減さを巧みに突っつけば、こちら側が優位に立てるものなのである。

 大体、いい加減な態度で本を出版することなどできないものなのである。せっせと執筆し続けなければならなし、校正や校閲だってしなければならないのである。それなのに本の中で「いい加減の勧め」が書かれているのだから、これほど馬鹿らしいものはないのだ。しかしこの手の嘘に引っかかってしまう人たちが出て来ることもまた事実なのだ。

 本を読む時は鵜呑みにするな。自分の頭で考えながら読むべし。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教育に於ける環境の大切さ

●大人は習慣、子供は環境で決まる

 この世に自己啓発本は沢山あれど、自己啓発本というのは要は「良い習慣を持ちましょう」といっているにすぎないのだ。良い習慣を持てばそれだけ生産性の高い行為を行い続けることができるのだから、自然と成功していくことができるのである。

 大体、飲酒喫煙やパチンコや競輪競馬をやっている人たちはそれらを自分が本当にやりたくてやっているのだろうか? 確かにビールは1杯目が美味しくても、2杯目以降は不味い水としか思えない。喫煙は医学的に百害あって一利なしの毒物なのである。パチンコや競輪競馬は遊びでやるなら別に構わなくても、これらをやる人たちは大抵が中毒になってしまうものだ。

 大人だからこそ自分の習慣は自分の力で作り出さなければならない。悪しき習慣に嵌っていた人が良い習慣に切り替えるためには、「断固たる決断」と「激しい苦痛」が伴う。しかしそれをやってのけてこそ、良い習慣を持つことができ、自分の人生を成功させることができるのである。

 ところがこれを子供に当て嵌めてはならない。子供はそうではないのだ。子供はまだまだ自立していないので、自分の力で良い習慣を作り上げるということができないのだ。大人にできるものでも、子供にとっては不可能というものがあるのである。

 では子供にとって大事なのは何かといえば、それは「環境」なのである。良い環境に身を置いてこそ、その子供は優秀な子供に育っていくし、悪い環境に身を置いてしまえば、その子供が天性の才能を持っていたとしても、禄でもない人間に育っていってしまうのである。

●授業は教師で決まる。学校は校長で決まる。

 教育関連の本は子供の個人レベルの「人格」とか「能力」とかに分解して述べた本が非常に多い。この手の教育関連の本は非常に危険である。大人が読む分には或る程度納得することができるが、いざ実際にやってみるとまるで違った結果が出て来てしまうからだ。

 教育で最も大事なのは実は「環境」なのである!

 その真実を述べた本がこちら!

  教育のプロが語る「できる子ども」は環境で決まる

 北野大著『教育のプロが語る「できる子ども」は環境で決まる』(ダイアモンド社)

 北野大というのは、「ビートたけし」のお兄さんである。一応、大学教授なのだけれども、タレントの方で有名になってしまっているので、本の内容は浅いと思うかもしれない。しかしタレントらしく要領よく会話しているので、現在日本が抱えている教育の問題点が容易に解ることができる。

 公立学校の校長や私立学校の校長、予備校の名物講師や予備校の経営者、教育に携わる人々から公立私立満遍なく聞いている所が物凄くいい。教育に携わっている以上、公立も私立も同じなのであって、言っている内容は基本的に似たようなことを言っているのだ。

 俺がこの本を読んでつくづく思ったのは、

 授業は教師で決まり、学校は校長で決まる!

ということだ。特に萩野文子が予備校での講義を面白くするために必死に努力した話には感動した。それと桐蔭学園の創業者がまだ生きていることにビックリしたし、桐蔭学園の担任団制は大いに参考になる。道理で桐蔭学園の卒業生たちは優秀な連中が多いわけだ。

 この本で惜しいなと思うのが、日教組問題に何も触れていないということだ。なんで日本の学校の教師たちが堕落し、校長が権力を振るえないのかといえば、日教組が余りにも権力を持ちすぎているからなのである。教育問題というのは要は日教組問題なのであって、それ抜きに考えられないのだ。

●子供の学力が伸びる方法

 北野大が教育関係者たちからインタビューして得た結論が次の5つである。この5つを実践すれば、子供の学力は簡単に伸びるのである。この「簡単に」に注目して頂きたい。子供の脳は成長過程にあるので、良い教育の仕方をすれば簡単に子供の学力は伸びるものなのである。

①良い先生と出会う

 教育で最も重要なのは「良い教師に出会う」ことなのである。これは本当につくづくそう思う。俺自身、小学六年生の時に予備校の講師の授業を受けてからグングン成績が上がっていったからだ。良い先生に出会うか否かは運不運があるので、教育には或る程度の偶然性が存在するものなのである。

②褒めて伸ばす

 良い先生というのは必ず「褒めて伸ばす」ということをやる。逆に駄目な先生は「生徒たちを叱り付ける」ということを平気でやる。試験で優秀な成績を取ったのなら、必ず先生が褒めてくれないと、子供は勉強する意欲をなくしてしまうものなのである。

③暗記暗唱の勧め

 良い先生は必ず「暗記暗唱の勧め」を行う。知識人の中には暗記を軽視したり、「詰め込み教育は怪しからん!」と発言したりする人がいるものだが、実際の勉強で暗記暗唱を軽視すればどうやっても成績は上がらないものなのである。

④本物に触れる

 若い内に本物に触れておくというのは非常に大事なことなのである。低俗な書物を読むよりは、古典を読むべきなのである。音楽が好きなら、実際にコンサートに行ってみるべきだし、絵画が好きなら美術館に行ってみるべきなのである。本物に触れていれば偽物が解るものなのである。

⑤家庭の役割

 教育に於いて家庭の役割はその根底をなす。俺が行った私立学校では母子家庭出身の生徒はたった1人しかいなかった。世間では離婚がブームになっていても、私立学校に我が子を通わせる親たちは離婚などせず、夫婦円満なものなのである。

●如何なる時も親は教師に勝る

 日本の教育問題がこれほど深刻になっているのは、実は戦後からなのである。戦前の教育は昭和初期までなら成功していたのである。それが軍部の台頭でおかしくなり、その後、GHQが日本を弱体化させるために教育破壊を行い、その教育破壊が文部科学省と日教組によって維持され続けてきたという悪しき歴史があるのだ。

 そこに悪乗りしてくるのが『朝日新聞』であり、『朝日新聞』が日本の教育に対して否定的な報道をし、それを見た『朝日新聞』の読者たちが反応して、場当たり的な教育改革を施すということを延々と繰り返しているのである。このため教育の現場では大混乱が起こっているのである。

 昭和憲法体制下ではどうやっても学校に素晴らしい教育を期待することはできない。これは教師個人の問題とかではなく、憲法体制の問題であるからだ。だから子供を持つ親たちは学校に対して変な期待を寄せるべきではないのである。

 こういう状況下では「学校に頼るな!」というしかないのである。如何なる時も親は教師に勝るのであり、親がしぶとくしっかりとした教育を施していくようにすべきなのである。如何なることがあっても、我が子を学校教育の犠牲者にしてはならないのだ。

 親が子供に教育しなければならないといっても、せいぜい高校を卒業するまでの18年間だ。実際には小学校を卒業する12年間だ。人生80年の時代なら、その期間は非常に短いものなのである。親として教えるべきことはきっちりと教えておけば、如何に憲法体制が腐敗していても、しっかりとした人間が育ってくるものなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (9) | トラックバック (0)

児童虐待を非難する前に

●人間は育児や子育ての仕方を知らない危険な動物 

 人間は他の動物たちとは明らかに異なる点がある。それは「生まれがらにして育児や子育ての仕方を知らない」ということだ。他の動物たちなら誰に教わったわけでもなく、自分で生んだ子は自分で育てることができる。しかし人間はその当たり前の機能が欠落しているのである。

 それは人間が進化してしまったからなのである。

 そしてその進化は「完成形」ではないのである。まだまだ「進化の過程」にあるのである。

 人間は進化していく中で脳を大きくしてしまった。このため寝たきり状態で生まれてくるのだ。1人歩きができるまでには、なんと1年もの歳月がかかるのである。しかも肉体の成長がピークを迎えるのは、19歳になてからなのである。人間というのは自立していくために途方もない時間がかかる動物なのである。

 もしも母親が1人で子供を生んで育てて行けば、経済的にも精神的にも無理がありすぎる。19年という歳月は余りにも長すぎるからだ。だから先天的に育児や子育ての仕方を知っているという機能を後退させ、家族で子供を組織的に育てて行くという進化の道を辿ったのである。

 だから人類は家族が絶対的価値を有するものなのであり、家族の大切さは人種や民族や国籍を問わず、どこの国でも同じなのである。それゆえ家族制度を絶対に守らなければならないし、家族制度を破壊する勢力の出現を絶対に許してはならないのだ。

 家族の価値を否定し、自分勝手に生きる者が出て来るなら、必ずその人たちは児童虐待を行うことになる。育児や子育ての仕方は他人から教えて貰わないとできないものなので、自己流の育児や子育てではいずれギブアップしてしまい、我が子を虐待し、最終的には殺してしまうのである。

 児童虐待は刑事事件である以上、警察が介入することになるが、警察が介入しても児童虐待は減らない。それどころか余計に増えるものだ。なぜなら政府が家族制度を解体するようなことを平気でやっており、それが国民の中で児童虐待という形で出て来たにすぎないからだ。

●子供に自己肯定感を与えることの大切さ

 育児や子育てで悩んでいるのなら、この本をお勧めする。

  子育てハッピーアドバイス大好き!が伝わるほめ方・叱り方

明橋大二著『子育てハッピーアドバイス 大好き! が伝わるほめ方・叱り方』「1万年堂出版)

 この著者がこの本を通じて言いたいことは、「育児や子育ては子供に自己肯定感を与えることなのである」ということなのである。母親が子供に自己肯定感を与えることができるからこそ、子供は健全にスクスクと成長してくるのである。

 自己肯定感を与えるということは、俺が常々言っているように母性愛を出すということなのである。母性愛というのは「絶対肯定の愛」だから、母性愛を出せば子供に自己肯定感を与えることができるのである。いくら育児や子育てをしても、母性愛を出さなければそれは無意味なのである。

 愚かな母親によくありがちなのが、子供の能力だけを肯定してしまい、子供は母親の要求に応えようと躍起になるが、或る日突然に子供の方がギブアップしてしまうということなのである。学校の勉強だけを評価したり、お稽古事での成績をだけを評価していると、子供は自信を喪失してしまい、一気にヤル気をなくしてしまうのである。

 自己肯定感があるからこそ能力が伸びてくる。その逆は絶対に起こらないものなのである。子供が乳幼児から小学生の間はとにかく母親は母性愛を出して、子供に自己肯定感を持たせるようにすべきなのである。この作業に時間はかかる。なんせ12年間という物凄い長い時間なのである。

 ところが母性愛の凄さは、子供が母親から充分に母性愛を貰えれば、後は人生を踏み外すことがなくなるということなのである。子供の方が自分の意志で自分の進むべき道を歩んでいく。だからこそ母性愛は愛の中で最も偉大なのである。他の愛では小手先のことしかできないからだ。

●では、どうすればいいの?

 ではどうすれば具体的に自己肯定感を与えることができるのかというと、次の8つの方法がある。

①スキンシップ

 まずなんといってもスキンシップ! 母子でじゃれあうということは、母性愛を出していくためには必要な行為なのである。乳児をベビーベッドに寝かせたり、ベビーカーを頻繁に使用していると、このスキンシップの時間が大いに減少してしまい、それで母親は母性愛の量が大いに減少してしまうのである。やはり育児をする時は川の字になって寝たり、「負んぶ」に「抱っこ」を繰り返すべきなのである。

②ご飯を作る。一緒に食べる!

 母親がご飯を作るというのは母性愛の表れなのである。そして作ったご飯を一緒になって食べる。乳幼児がいるなら、外食を大いに減らし、加工食品とかもできるだけ食べないようにすることだ。食事をする時はテレビを消して、一緒に食べながら会話できるようにすることだ。

③一緒に遊ぶ

 母子が一緒になって遊ぶことも非常に大事なことなのである。子供の場合、遊ぶことで人間関係を深めていくので、幾ら母親と雖も子供と遊ばないと、それほど母子の間が縮まらないのである。1日30分でもいいから、母子で一緒になって遊べば、子供の不満は大いに減少するものなのである。

④泣いたらヨシヨシをする

 子供はとにかく泣く。しかも高い音域で大音量で泣く。そうやって自分の感情を爆発しているので、もしも子供が泣いている時はヨシヨシをやって慰めてあげるべきなのである。因みにヨシヨシをする際、子供の頭を撫でるのはやめておいた方がいい。これをやると子供の体内の気が滞ってしまい、それで後日病気をするようになるのだ。

⑤子供の気持を汲んで言葉で返す

 子供はまだまだ言語能力が低いので、常に舌足らずである。だから母親の方が積極的に子供の気持を汲み、そして言葉で返すということが必要になってくるのだ。こうやれば子供は自分の気持を解ってくれたと思うし、母子の遣り取りを通じて、豊富な語彙を持つようになるのだ。

⑥子供の話を良く聞く

 子供は母親のことが大好きである。だからベラベラと喋ってくるようになる、その際、子供の話を良く聞くように務めるべきなのである。子供の話を聞かないと、子供が何を考え、何をしているのか解らないものなのである。「今は忙しいから!」と言い訳にして子供の話を聞かないと、大きくなってから恐ろしいことが起こるものなのである。

⑦絵本を読む

 乳幼児の段階で文字が読めないから、とにかく母親が絵本を読み聞かせてあげることだ。この機会が多ければ多いほど、子供は母性愛を貰えたと思うのである。ここで気をつけるべきことは、子供は或る時期から絵本の好き嫌いが明確になり、自分の好きな絵本だけを毎晩読み聞かせて欲しいと願うようになるのだ。この時、母親が「え~また同じヤツ!?」などと言っていると子供は凄くショックするので、要注意なのである。

⑧子供をまるごと褒める

 子供を褒める際は子供をまるごと褒めるようにすべきなのである。例えば子供が学校でいい成績を取ったら、「お前は天才だ!」と大袈裟に言うべきなのである。逆に試験で悪い点数を取っても、「お前はここをきちんと理解しているんだな凄いな!」と褒めてあげるべきなのである。或る意味「ヨイショ」、別の言い方をすれば「親バカ」、こういうものが育児や子育てには絶対に必要なのである。

●なぜ叱ってばかりになってしまうのか?

 こういうことは母性愛があれば当たり前にできることなのに、母親たちの中にはこの当たり前のことができない女性たちが出て来るのだ。その量は想像以上に多いのだ。だから児童虐待が発覚する事件というのは氷山の一角にすぎないのだ。

①自分の母親の育児の仕方を相続してしまうから

 まず考えられるのは自分の母親の育児の仕方を相続してしまうからなのである。その既婚女性の母親の育児が下手糞なら、その下手糞な育児をそっくりそまま継承してしまうものなのである。だから女性は結婚する前に自立していくことが必要なのである。女性は自立しなければ結婚しないし、たとえ結婚してもその結婚が巧く行かないのだ。

②夫婦の関係に問題がある

 夫婦の関係に問題がある場合、母性愛を出すどころの話ではなくなってしまう。育児や子育てをまともに行うためには、なんといっても夫婦の関係を良好にすべきなのである。修復可能なら修復すべきだし、修復不能なら離婚を考えるべきなのである。

③新聞やテレビの悪影響

 育児や子育てをしている時は新聞やテレビは要らないものだ。恐ろしいのは新聞やテレビが育児や子育てに対してネガティブな情報を流し、母親たちがそれに洗脳されてしまうということだ。子供がいるのに、新聞やテレビを見て深刻になっている母親は、母親として非常に危険なので、こういう母親こそ児童虐待を仕出かしてくるのである。

 我が子に対して叱ってばかりいるのなら、それはその子供が悪いわけではないのだ。母親の方に問題があると見ていいのである。母性愛を出していけば、叱る回数は大いに減少し、母子が笑顔である時間の方が長くなるものなのである。そういう家庭環境で育つからこそ、立派な子供が育ってくるのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (2) | トラックバック (0)

もしも難病になったら、絶対にやってはいけないこと!

●死ぬか生きるかの闘病記

 難病に罹ったら闘病記を書くのは患者にとって義務である。

 難病はまだ医学的によく解っていないのだから、医者たちだけが研究するのではなく、患者たちも闘病記を残すことで、その難病の解明に努めるべきなのである。患者たちがこの義務を果たさないと、その難病で死んでいく者たちが跡を絶たないからだ。

 通常、その患者が難病で死ねば、患者本人ではなく、遺族によって闘病記が纏められることになる。患者本人は医者たちの治療を受けつつも、最終的には死ぬことになるので、絶望としかいいようのないものなのであって、その闘病記を読めば読者たちに「憐憫の情」を誘い、涙を流させるものだ。

 逆に難病を克服したのなら、患者本人が闘病記を書くことになる。その患者はいい医者に恵まれたし、自分自身も患者とすべきことをきちんとこなし、更に幸運ともいえることが連発し、本来なら死ぬ筈だったのに、無事生還することができたのである。そういう闘病記は読めば読者たちに「生きる勇気」を与え、大いに感動させるものだ。

 実を言えば、闘病記にはこのたった2種類の物しかない。

 ところが今回、新たな闘病記のジャンルが生まれました。

 名づけて、「オマエ舐めとんのか闘病記ジャンル」!

 その記念すべき第一号がこちら。

  困ってるひと

 大野更紗著『困っているひと』(ポプラ社)

 題名からして闘病記としては「もう駄目だ!」というのが解るし、表紙もダサダサである、ところがこの著者はなんと上智大学の大学院生! 普通、大学院生が難病に罹ったら、すぐに大学院を辞める筈だ。授業料が自分の家計を破壊してしまうからだ。しかしこの著者は大学院生であり続けているのだ。この時点でこの本は既に異常だというのが判明してくる。

 俺自身、闘病記を数多く読んでいるので、闘病記ってのはこんなものだろうというのくらい解っている。ところがこの闘病記は患者自身が「真剣に自分の病気と向き合っていない!」のである。読めば読むほど怒りを覚えた闘病記だったのである。

 因みにこの本は絶対に買うな。読みたければ図書館で借りて読めばいい。「買うだけお金の無駄!」の典型例の本である。

●難病は優秀な医者たちでも治せないってこと

 この著者は或る日突然に皮膚に赤い斑点ができてしまう。そこで直ちに病院に行って診察を受けたが、医者の方もこの病気の名を特定できない。普通ならこれ以降、安静にしているものだが、この著者はなんと海外旅行に出かけてしまい、外国の地に於いてこの病気を悪化させてしまうのである。

 それで帰国後、体が動かなくなってしまい、そして病院に入院することになるのだ。

 難病というのは、癌や白血病のような有名な病気ならすぐに病名を特定できる。しかし難病には有名でないものの方が断然に多いのであって、このためこの著者は病院を盥回しにされ、延々と検査を繰り返され続けることになるのである。

 そしてやっとのことで判明したのがこの病名!

 「皮膚筋炎」

 「筋膜炎脂肪織炎症候群」

 俺自身、こんな病名は知らないのだが、皮膚が炎症を起こしているだけでなく、その皮膚の下に深刻な病が隠されているということぐらいは解る。通常、皮膚病というものは原因不明のものが多い。文明人は服を着る生活をしているために、皮膚の機能が衰えているので、それで皮膚が病気を起こしてしまうのである。

 皮膚病の場合、皮膚に問題があるというよりも、本当の原因は皮膚以外の所にあることの方が多いのだ。

 この闘病記を読めば解ることなのだが、医者たちは散々治療した挙句、この難病を治していない。それどころか医者たちが無闇に治療したために、逆に患者の症状が悪化しているのだ。これは非常に大事なことを教えてくれる。

 難病は優秀な医者たちでも治せないってことなのである。

 難病に罹った患者は医者ならこの難病を治してくれるだろうという甘い考えが抜けないと、逆に医者のために殺されることになるのだ。難病に罹ったらズバリ医者に「あなたはこの病気を治せますか?」と訊くべきであろう。そしてその実績があれば見せて貰うことだ。もしもこの条件をクリアしないのなら、他の医者を捜すなり、民間療法を探すなりすべきなのである。

●社会保障制度に嵌るバカ

 この闘病記でビックリさせられたのが、この著者が「高額医療費助成制度」に頼ったり、「身体障害者認定」まで受け、それらを自分でやっているということなのである。通常、難病になったら金銭のことは自分でやらない。家族任せである。自分が難病で苦しんでいるなら、それどころはではないものなのである。

 難病に罹った場合、高額医療費助成制度に頼ることは非常に危険である。安易に医療費を税金で負担してくれるために、効果のない治療をダラダラと続けてしまい、それで死んでしまう患者たちが多いのだ。勿論、この高額医療費助成制度の適用を受けることで救われた患者もいるだろうが、自分の病気なのに税金を投入すれば、退院後、自分の金銭感覚が狂ってしまうという副産物を生んでしまうものなのである。

 俺がこの著者に対して「お前アホか!?」と言いたくなってしまったのたのが、この著者が身体障害者認定を申請し、晴れて身体障害者になり、障害者年金が交付されたことなのである。俺は様々な闘病記を読んでいるが、身体障害者認定を申請した患者など1人も知らない。それだけこの患者は異常極まりないことをやっているのである。

 この著者は女性であっても大学院生だから頭はいい。このため高額医療費助成制度を受けたり、身体障害者認定を貰ったりする過程で、日本の社会保障制度には様々な問題点があることに気づいてしまい、その問題を解決することに躍起になってしまうのである。呆れて開いた口が塞がらないとはこのことで、自分が政府や地方自治体から無料で自分の治療費や生活費を援助して貰ったのに、なんの感謝もないのである。

 この著者の担当医は入院中、この異常な有様を見続けてきたために、この著者を退院させる時に、この著者の両親に対して、

「社会の制度や福祉の制度や他人を無闇に頼ってはなりません。そういった精神が治療の妨げになります。」

と釘を刺しているのだ。

 ところがこの著者はこの担当医の貴重なアドバイスを否定し、バカにしているのである。患者には見えなくても、医者は見えているのである。難病を克服した患者は社会保障制度に頼らず、自分の病気に真剣に向き合ったからこそ、その難病を克服したのである。だから患者が社会保障制度に頼り、他人に頼っているようでは、治る筈の病気ですら治らなくなってしまうのである。

●離乳食病の恐ろしさ

 この著者が罹った難病は俺にしてみれば絶対に難病ではない。この闘病記を読んでいると、この難病を引き起こした原因が朧げながらに解ったのである。

①乳児期に於けるミルクの飲ませすぎ

 この難病は自己免疫疾患系の病気である。自己免疫疾患系の病気はまず離乳食病が引き起こしたと思うべきなのである。するとこの著者は赤ちゃんの頃に母親からミルクを大量に飲まされた経験があるので、それが大人になってから難病として噴出してきたのである。離乳食病は本当に恐ろしい病気なので、赤ちゃんにミルクを与えると、大人になってから難病として現れてくるのである。

②白砂糖の過剰摂取

 この著者は子供の頃から白砂糖を食べていた形跡があり、しかも海外旅行で東南アジアに行ったという記述が出て来る。東南アジアでは白砂糖をふんだんに使った飲み物を出してきたりするのだが、これは現地の人にはなんの問題がなくても、日本人だと白砂糖のために健康を害してしまうのである。 

 白砂糖は合法的な覚醒剤というべきものであって、脳の機能を狂わせるのだ。しかも白砂糖は体内のビタミンやミネラルを大いに奪うために、体の機能がおかしくなってしまうのである。この著者は難病を東南アジアで悪化させているのであり、白砂糖の餌食になったと考えるべきなのである。

③過剰なストレス

 この著者が送ってきた異常な人生も見逃せない。子供の頃から優等生で、高校は福島県でもトップの県立女子高に通い、しかも合唱部に所属し、朝早くから夜遅くまで部活動に従事したのである。大学は上智大学に進学し、そこでフランス語を専攻するのだが、大学では授業が厳しく、過剰なストレスに晒され続けたのである。

 しかも本人はビルマ問題に手を出してしまい、それで日本に亡命しているビルマ人たちと接触したり、自分自身ビルマに行って調査活動をしているのである。この著者がビルマ問題に手を出している最中に難病を発症させたことは絶対に見逃せない。過剰なストレスのために自分の心身がオーバーヒートしただけなのである。

④異常すぎる考え方

 トドメがこの著者の異常な考え方なのである。彼女は憲法学者の樋口陽一のファンらしく、樋口陽一の意見を鵜呑みしているのである。彼女は自分の頭を使って思考していないのである。だからこそ難病の餌食になってしまうのである。因みに樋口陽一は隠れ共産主義者であり、その著作物を読んでいけば、自分の頭が狂って行くのは当然のことである。

 この闘病記は「笑える闘病記」であるとして、多くの読者たちを笑わせたが、俺には笑えない。寧ろ激しい怒りを覚える。俺は難病で死んでいった患者たちを数多く見ているので、たとえ難病であったとしても、こういうふざけた患者が洒落にならない闘病記を出すに対して殴り殺してやりたいという感情を持ってしまう。

 大野更紗は自分の人生を真剣になって生きていないのだ。浮わっつらいた考えで生きているからこそ、得体の知れない難病に罹ってしまっただけのことなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (4) | トラックバック (0)

失敗しまくるからこそ成功する

●子供には偉人伝を読ませよ

 子供には早い段階で「偉人伝」を読ましてしまうべきなのである。乳幼児の段階なら絵本でも構わない。しかし小学生になって文字を読めるようになれば、下手に児童文学を与えてしまうよりも、偉人伝を与えてしまった方が遥かに効果が高いのである。

 子供は手本があるとすぐに物真似して、自分の物にしてしまうものなのである。子供の物真似能力は親が思っている以上に高いのである。だから幼い内に偉人伝を与えて手本を用意してしまえば、子供はその偉人伝の主人公のような生き方をしてしまうのである。

 親が子供をためを思って勉強させすぎたり、逆に自由放任主義を取って遊ばせてばかりすると、その代償は限りなく高くついてしまうのだ。そういう教育の仕方は子供の物真似能力を巧く活かしていないので、子供に多大な負担をかけるくせに、成長することがなかなかできないという結果になってしまうのである。

 子供は10歳までなら親の言うことを聞くものだ。問題はそれ以降なのであって、子供は親から自立していくために、親の言うことを聞かなくなってしまうのだ。だから子供が反抗期を迎える前までに偉人伝を与えてしまい、親に反抗しても道を間違えないようにさせておくべきなのである。

 未知の分野でも開拓しない限り、必ず先達がいるものなのである。そのため如何なる人物であっても、まずはその先達の考え方や遣り方を真似て、それをそのまま使うか、それを否定して新たな手法を導入したりして、その既存の分野を発展させていくのである。

●偉人伝に潰される若者たち

 ところが偉人伝は万能ではないのだ。

 子供たちの中には偉人伝に潰される者たちまで出て来るのである。

 その理由は「偉人伝の与えすぎ」なのである。沢山の偉人伝を子供に与えすぎてしまったために、子供はその偉人伝でお腹がいっぱいになり、自分から何かやろうという意欲がなくなってしまったのである。子供部屋に偉人伝シリーズが置いてある家は要注意なのである。

 もう1つの理由は「人間が出世していくためにはタイミングがあるのに、偉人伝のためにそれを無視してしまう」ということだ。人間には「早熟型」「順風型」「大器晩成型」の3つがあるのだが、自分に合った出世のスピードが解らないと、出世していくのは難しいのだ。

 日本の科学者たちはアインシュタインを矢鱈と賞賛するのだが、では日本の科学者たちの中でアインシュタインを越えた人物が出たかというとそうではないのだ。多くの科学者たちがアインシュタインを崇拝するために、自分の才能を潰してしまっているのである。

 なぜ大の大人が偉人伝に潰されてしまうのかちというと、自分の好きな偉人を崇拝する余りに、その偉人の本当の姿が見えてこないのだ。例えばアインシュタインは確かに『相対性理論』を発見したかもしれないが、学校の教師からは嫌われ、妻に暴力を振るい、30代にはもう科学者として第一線で活躍することはなくなってしまった哀れな人物なのである。

 如何なる偉人にも光と影の部分があるのである。子供の時は光の部分だけ見ていても別に構わない。しかし大人になっていく過程で偉人の影の部分を知らないと、その偉人を乗り越えていくことができないのである。偉人伝はその偉人を崇拝するために読む物ではないのだ。その偉人を乗り越えていくために読む物なのである。

●偉人伝の裏側

 俺は中学生の頃、松下幸之助の本をよく読んでいたのだが、なぜだか或る時期から松下幸之助の本を読むのをやめてしまった。その理由は確かに正論を言っているのだけれども、彼自身が尋常小学校卒のためにどうしても執筆能力が劣るからなのである。

 世の親たちが子供に「せめて高校だけでも出てくれ」というのは、大人になると良く解る。中卒や高校中退では如何なる者であっても話にならないのだ。家庭の事情で高校に進学できないなら、夜間高校でもいいし、通信制の高校でもいいから、とにかく高校だけは出ておいた方がいいのだ。

 俺が松下幸之助を敬遠し続けた理由にはもう1つ理由がある。それは松下グループの社員たちが松下幸之助を「経営の神様」として崇めていることなのである。俺はどうしても人間を神様扱いすることには拒絶反応を示してしまうので、松下幸之助が如何に凄い人であっても、人々にそういう不敬な感情を抱かせることは反対してしまうのである。

 しかし今回、或る本を読んだら、松下幸之助の偉大さが良く解った。

 それがこの本!

  ほんとうは失敗続きだった「経営の神様」

 中島孝志著『ほんとうは失敗続きだった「経営の神様」』(メトロポリタンプレス)

 松下幸之助は成功し続けたのではないのである。事実は「失敗の連続」だったのである。失敗し続けたからこそ、そこから失敗の教訓を学び取り、それによって失敗を成功に変えていくことができたのである。松下電器は通常のベンチャー企業に成功しまくったのではなく、その正反対のことをやりまくっていたのである。

 松下グループは「昭和恐慌」「大東亜戦争の敗戦」「昭和40年不況」という3つの大きなピンチを迎えているのであるが、その際、松下幸之助は陣頭指揮を取って、そのピンチをチャンスに変えてしまっているのである。普段は病弱で入退院を繰り返す人物であるのだが、いざという時には勇猛さを如何なく発揮していたのである。

 そして松下幸之助は自分の力に頼らず、組織化していくことで松下グループを成長させていったのである。創業者にありがちなのが、自分がこの会社を起こしたと思う余りに、自分の力に頼ってしまうことなのである。そうなるとその会社は組織化などできないから、それでその会社は1代限りになってしまうのである。

●本物の成功哲学は実にシンプル

 松下幸之助は本当に偉人であったと思う。「知恵のある人」といった方がいいかもしれない。彼の言っていることは「正論の中の正論」なのである。だからこそ多くの人々がその意見に賛同し、彼を賞賛するようになってしまったのだろう。

 本物の成功哲学は実にシンプルなものなのである。

①成功するまで続ければ必ず成功する

 松下幸之助の言葉で多くの起業家たちを励ます言葉は「成功するまで続ければ必ず成功する」という言葉であろう。多くの人々は諦めてしまうからこそ、成功することができず、失敗してしまうのである。何事も執念深くやり続けていけば、成功するものなのである。

②周囲が失敗だったと気づく前に撤退する

 何かしらの事業を行う場合、明らかに失敗してしまった時はもう立ち直れないのだ。だから周囲が失敗だと気づく前に撤退すべきなのである。「見切り千両」「損切り万両」という奴だ。これがないと成功した筈なのに、その成功を全て失ってしまうのである。

③失敗を経営の教訓として収めてしまうこと

 失敗した時には本当につらいものだ。そういう時は失敗から学び取り、それを後日、経営の教訓として活かすようにすればいいのである。転んでもタダでは起きないからこそ、巨万の富を掴むことができるのである。失敗して諦めてしまうからこそ、そこでゲームオーバーになってしまうのである。

 この本はまず父親が読むべきであろう。その後、息子に読ませればいい。父親であるならビンビン感じまくる箇所が沢山ある筈だ。子供がこの本を読んでくれたのなら、親子で松下幸之助について語り合えばいいのである。こういう親子の会話は貴重なものなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

癌患者に捧げる本

●対談本はオマケ

 日本の会社経営者たちの愛読書で断トツに多いのが『論語』である。勿論、俺も中学生の頃からこの本に親しんでいる。読んでいて飽きが来ることはない本である。だから中高年の人が「最近の若者はけしからん!」というと、「この人は論語を読んでいないのだな」と思ってしまうのだ。

 なぜなら孔子は若者たちと議論しあうことで、若者達を見事に育てあげていったからだ。

 古代ギリシャも状況は全く同じで、ソクラテスにしろプラトンにしろアリストテレスにしろ、若者達と議論をしながら自分の思索を深めていったのである。古代ギリシャでは「弁証法」なる技術が発達してきたために、中国以上に哲学が盛んになったのである。

 ところが現在では学校でも大学でも教師や教授が一方的に教えてしまう。これでは学問が発達するわけがないのだ。特に大学では常に「最近の学生は数学ができない」「最近の学生は遊び呆けている」「秋入学に変更しよう」とか言っているが、それら以上に問題なのが、教授たち自身が何も学問的発見をしていないということなのである。

 孔子にしろソクラテスにしろ、超優秀な学生達を集めて学校を作ってちたわけではないのである。恐らく古代の落ち毀れたちを集めて学校を作っていたのであり、だからありきたりの議論にならず、相手が思わぬ質問をしてくるから、自分も思わぬ回答をしてしまい、それが後世の人達から見て面白いと評価されただけのことなのである。

 俺自身、対談本が好きなので、対談本を結構読むのだが、或る日、或る人から「対談本はオマケだね」と言われてしまったのである。まさに「ズキリ!」である。事実そうなのである。オマケなのである。その対談本で対談をやっている人を自分が好きでないと、とてもではないか読めないのだ。

●癌は頑固者が罹る病気

 実を言うと、今回紹介する本は貰い物なのである。

 村上和雄と阿部博幸の共著『生きている。それだけで素晴らしい』(PHP)

 うちの父親が九段クリニックの院長「阿部博幸」さんの友人のため、この本を本人から直接に頂いた有難い本なのである。普通、他人から貰った本は読むに値しないものなのだが、今回は違う。この本は非常に素晴らしい内容になっているのだ。

 この本は普通の人たちには不要の本である。癌患者専用の書であるといっても過言ではない。癌患者という連中は「頑固者」が非常に多いのだが、癌治療云々よりも、まずはその頑固さを治さないと話にならないのだ。しかし今まで頑固者として生きてきた者がそう簡単にその頑固さを捨てるわけがないのだ。

 この本の凄さはその頑固さを論理的に破壊していき、その癌患者の思考を柔軟にさせるものなのである。内容は全く難しくない。専門用語に関しては脚注がついているので、それを見ればいい。この本を読んで何にも感動しないなら、もうあの世に行った方がいい。そういう馬鹿者たちには生きている資格はないからだ。

 癌だからといって全ての人たちが死ぬのではないのだ。素直になれなかった人たちだけが死んでいくだけなのである。癌に罹ればどこからともなく何かしらの治療法を教えてくれる人たちが出て来るのである。まずはそれを忠実にやればいいものを、癌患者に限ってそれをやらないのである。

 癌治療の場合、まずは癌患者の頑固さを解きほぐすことから始めなければならないのだが、医者に限ってそんなことはしない。癌患者が頑固者であり続けるなら、癌が余計に悪化していくので、医者としてはいい鴨を手にすることになるからだ。

●心を変えれば末期癌も治る

 癌は伝染病ではないのだ。自分の癌遺伝子がオンになってしまったからこそ、癌細胞が増殖し続けるのである。癌は自分自身が引き起こした病気なのであって、そのことをきちんと理解していないと、癌を治していくことは絶対にできないのである。

 癌治療には1つの治療法で治すという発想を絶対に持つべきではないのだ。必ず物理的治療法と精神的治療法の2つを持つべきなのである。それらの治療法が相乗効果を起こせば、簡単に癌を治していくことができるのである。

 物理的治療法ではとにかく排便をさせまくる。ウンコを大量に出していけば、それだけ体内の老廃物や毒素が少なくなるので、癌細胞の餌となるものが消えていくのである。朝食など絶対に食わしてはならない。午前中は排泄の時間帯と心得、ウンコをしまくるようにすべきなのである。

 精神的治療法はとにかくその癌患者の頑固な思考を破壊していくのである。人間の心は複雑なので、その複雑な心を巧みに操って、生き方を変えさせるようにすべきなのである。この本が言うように、「生き方を変えれば末期癌も治る」ものなのである。

 通常、この精神的治療法は医者が担当すべきことではないのだ。宗教家がすべきものなのである。ところが日本の病院は宗教家を排除するので、そのために癌感謝たちは精神的治療法を受けることができず、癌で死んでいってしまうのである。

●長寿であっても人のための役に立たなければ生きている資格はない

 癌患者にとっての最大の問題は「癌を治した後」なのである。

 癌を治しても自分の利益のためだけに生きていくなら、それなら癌で死んだ方が増しだったのである。癌を克服した以上、その後の人生は自分のために生きるのではなく、人のために役立つように生きていくべきなのである。神様によって生かされた命を最後まで活かしきるべきなのである。

 日本は現在、長寿社会に突入しているが、どんなに長寿であっても、人のために役立つことをしていなければ、生きている資格などないのだ。そういう老人たちは長寿といっても、その実は生き恥を晒しているだけなのであって、生きているだけ迷惑な連中なのである。

 如何に自分が健康に気を使おうが、如何なる難病を克服しようが、いずれ人は死ぬのである。生命ある生き物として死を免れることはできないのだ。だから死ぬまでの間に自分がすべきことはきちんと遣り終えておくべきなのである。

 自分の人生を完全燃焼させた者の死というのは非常に安らかなものなのである。本当に眠るように死んでいくのである。しかし自分の人生を完全燃焼できなかった者の死に方というのは非常に苦痛だらけで、見苦しいものなのである。

 ではどうすれば自分の人生を生き切ることができるのかといえば、それは「生きているだけで素晴らしい」ということに気づくべきなのである。その大事なことに気づいてしまえば、自分がやらなければならないことは沢山出て来るものなのである。後はそれをやっていけばいいのだ。そういうことをやっていれば自然と自分の人生を生き切ることができるようになるものなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (21) | トラックバック (0)

新聞を読んでも本を読まぬ人たち

●新聞は情報の垂れ流し

 今まで生きてきてつくづく思うのは「新聞って要らないんじゃないか」ってことなのである。

 はっきりと言わして貰うけど、「新聞中毒」に罹っている人たちに優れた人物はいない。その人からどんなに話を聞いても、表面的なことしかいわず、奥深い思考の産物のような意見を絶対に言ってこないのだ。なぜなら新聞は情報の垂れ流しだから、そこで立ち止まって考えている閑はないからなのである。

 かといって仕事をしている以上、新聞を読まざるを得ない。新聞というのは「必要悪」の存在なのであって、それ以外の何物でもないのである。とはいっても新聞の全部が仕事に必要ではないので、だから新聞は「読む」のではなく、「見る」のである。仕事で成功したいのなら、新聞を1分以内で見終わる習慣をつけるべきなのである。

 もしも女性が結婚して家事や育児に専念しているのなら、その間は新聞を読む必要性は全くないのである。夫が新聞を読んで、妻は広告チラシを見るというのが、大概の夫婦の実態ではないだろうか? 専業主婦が新聞を読み始めたら、或る意味、要注意なのである。

 「コイツ頭おかしいんじゃないの?」と思うのは、朝から新聞を1時間近くかけて隅々まで読む連中なのである。朝の貴重な時間を新聞を読むために費やすなって! その1時間があれば仕事ができるのであって、新聞を読んでいるからまともな仕事ができなくなるのである。

 子育てをする際にも子供に新聞を読ませるのは非常に有害なのである。新聞の情報をすぐに価値を失うものばかりなので、そんな情報を幾ら集めても頭が良くなるわけではないからだ。寧ろ新聞など読まず、教科書なり参考書なりを読んでいた方がいいのである。そちらの知識は残るからだ。

●「情報の圧縮力」こそ本の最大の魅力

 本の醍醐味は「情報の圧縮力」にある。本を書き上げるためには「最短でも1ヶ月」かかるし、「最長だと4年」である。それだけ長い間執筆し続けているからこそ、情報が圧縮され、その本を買う価値が出て来るのだ。勿論、本の中にも下らない物はある。そういう本は情報の圧縮力が弱いだけのことなのである。

 情報を圧縮させるためには、その本人自体が内容の濃い人生を送っていなければならない。そのためサラリーマンが書いた本など面白い物はないが、ベンチャー企業の社長が書いた本なら面白い物が沢山ある。社長であっても、サラリーマン社長は余り面白くない。

 学者たちでは市井の学者、即ち大学教授ではない学者が書いた物が一番良い。大学のために時間が取られないために執筆に充分な時間を投入することができるのである。大学教授なら東大卒の学者に限る。日本の場合、東大を出ないと話にならないのだ。

 女性なら結婚した経験がないと話に成らない。女性にとって結婚は通過儀礼になるので、結婚をしていないということは、女性として自立していないということなのである。尤もこの結婚は必ずしも維持される必要性はなく、子供を生んだのなら離婚しても別に構わないのだ。

 情報を圧縮させるためには書き方が物凄く重要になってくるので、論旨明解に書く技を身に付けないと、質を向上させていくことができない。曖昧な文章を書く人はその人の思考が曖昧だからこそ、そういう書き方をしてくるのであって、「この人の文章は曖昧だな」と思うなら、もう読むのをやめにした方がいいのだ。

●知的生活は所得の多寡に関係なくできる

 世の中には非常にケチな人たちが多くて、読書をすればお金がかかるから、読書をしないという有り得ないことを言い出す人たちが大勢いるのだ。確かに本を買うためにはお金が必要だし、本を読めばそれだけ時間を食う。しかし読書はそういう代償を支払っても、それを遥かに上回る利益を与えてくれるのだ。

 男性ならどんな仕事に就いたとしても、本を読まざるを得ない。読書をしない限り仕事のレベルを上げていくことができない。既婚女性にしても、家事や育児をこなしていくためには本を読まざるを得ないものだ。本を読んでいれば危険を回避することができたのに、読書をしないばっかりに自爆するような形で大損害を被ってしまうのである。

 読書をする時間にしても、夫は仕事の合間を縫って読書をするべきだし、妻は家事や育児の合間を縫って読書をすべきなのである。時間がないわけじゃないのだ。読書をする意志を持たないからこそ、読書をする時間がなくなってしまうのである。

 結婚しても若い時はお金がないものだから、そういう時は図書館で本を借りてくればいいのだ。低所得者なのに遊び呆けず、日々読書しているような人物がいつまでも低所得者であるわけがないのだ。いずれ必ず収入が上昇していくことになるのだ。

 そして所得が増えたのなら、本を借りるのではなく、本を買うように切り替え、書庫なども作って、大量の蔵書を持つようにしていくべきなのである。ということは知的生活をするのに所得の多寡は関係ないのであって、知的生活をしようという決断をした者だけが知的生活を実現することができるのである。

●結果が出た時にはもう追いつかない

 新聞を読むのも、本を読むのも、習慣といえば習慣である。このため一旦その習慣が身についてしまうと、誰でもその習慣を延々と遣り続けるものなのである。新聞を定期購読している者が、「今日は体調が悪いから新聞を読むのをやめよう」とは言わないものだ。新聞が自宅に配達されれば、新聞を読んでしまうものなのである。

 読書にしても、読書の習慣が身についている人は毎日読書をするのである。「今日は読書する気分にならないから読書をするのをやめよう」なんて言わない。読書の習慣が身についてしまった人は毎日読書をするものなのである。

 このため新聞を読む習慣を持った人と、読書をする習慣を持った人とでは、十年後には天と地ほど差が開いてしまうことになるのだ。当然に読書をしている人の方が素晴らしい人生を送っているものなのである。なぜか? それは新聞は情報の垂れ流しで、本は情報を圧縮しているからなのである。その違いが10年後には恐ろしい結果として出て来るのである。

 何事も結果が出た時にはもう遅いのだ。その結果は表面上の格差だけが云々なのではなく、「習慣そのものの違い」だからだ。知的生活を形成するような優れた習慣を持てば、自分が望むような生活をいとも簡単に実現することができてしまうのである。

 優れた習慣も悪い習慣も伝染していくことでは両者全く同じなのだ。結婚すれば解ることだが、夫婦のどちらかが読書をしていれば、いずれその配偶者も読書をするようになるし、その内、子供たちも読書するようになるのだ。逆に夫婦のどちらかが新聞中毒に罹っていれば、いずれその配偶者、も新聞中毒に罹り、子供たちも新聞中毒に罹ってしまうのである。

 だから悪しき習慣を退け、良い習慣を身に付けるようにするべきなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (5) | トラックバック (0)

お勧めできないけど、面白い本:『努力しないで作家になる方法』

●書評はワースト、でも本人の作品としてはベスト作品

 今月号の『本の雑誌』を何気なく読んでいたら、ワースト作品に上げられていたのが鯨統一郎著『努力しないで作家になる方法』(光文社)である。まあ、その本を読まなくても解るが、作家になるためには努力が必要なのであって、努力なしに作家になれるわけがないのである。

 でも、この題名が気になってしまったので、本屋でこの本を買わずに、図書館でこの本を借りてきました。

 努力しないで作家になる方法

 そしたら案の定でした。

 鯨統一郎本人は作家になるために壮絶な努力をしまくっているのである。題名と内容が余りにも違いすぎるのであって、『本の雑誌』がワースト作品に挙げたのも良く解る。これは「文学的な詐欺罪」に当たるものなのであって、公正取引法に抵触する作品なのである。

 しかしこの本は意外と出来がいいのだ。この本を読んだ後に鯨統一郎の本をパラパラと読んだのだが、恐らく鯨統一郎の作品の中でこの本がベスト作品なのである。本人が作家になるrために努力しまくった姿がよく描かれているし、それ以上に、妻「陽子」の内助の功は泣かせるのだ。

 今時、こんな出来のいい妻はいないって!

 さてトラブルの原因となった題名だが、鯨統一郎本人は作家の名作を書き写す作業が「努力」だと思い込んでいるのであって、彼はその努力をしないだけであって、アイデアをノートに書いたり、物語構成を考えまくったり、推敲に力を入れたりと、そういう「努力」はしているのである。

 もしも俺がこの本の編集者なら、題名を変更して、ズバリ

 『極貧アマチュア作家物語』

とすることであろう。この題名なら、題名と内容に乖離がなくなり、読者からの苦情がなくなるのだ。

 これはこういう誤解を招く題名をつけた鯨統一郎本人も悪いが、それを見過ごした編集者も悪いのである。

 しかも表紙が余りにも酷すぎる。表紙には一応、本の話に関連したイラストが描かれているのだが、これでは余りにもインパクトがなさすぎるのだ。題名が酷いと、それに引き摺られて表紙も駄目になってしまうという、最悪のパターンに陥ってるのだ。

●どうやら実話は違うらしい

 この本は鯨統一郎本人が作家になるまでの物語である、だとするなら自叙伝として書けばいいのである。しかし鯨統一郎は自叙伝をすべき物をなぜかフィクションにしてしまうのである。そのため名前も鯨統一郎ではなく、「伊留香総一郎」になっているのだ。

 余りにも異常な書き方をしているので、読了後、本人の過去を調べてみた。

 すると鯨統一郎は作家になる前にコンサルタント業務をしていたらしく、それほど貧乏ではなかったのではないかという疑いが出て来たのだ。鯨統一郎本人は本名も生年月日も公表していないので、詳しいことはよく解らないのだが、ただはっきりと言えることは、この本に書かれていような悲惨な生活は送っていないかもしれないということなのだ。

 そうなると

 「これはちょっと酷すぎるんじゃない?」

 ということになってしまうのだ。

 通常、自叙伝を書く時は、必ずしも事実と一致しなくていいのだ。著者本人の勘違いがあっていいし、脚色があっていいのだ。それなのに自叙伝がなんで小説扱いされないのかといえば、それは飽くまでもノンフィクションだからだ。

 自叙伝とすべき物を小説のようにフィクションにしてしまうのはいかがなものかと思ってしまうのだ。

 日本には「私小説」という特殊なジャンルがあるのだが、これは自分の実体験を元に小説として組み立てているだけのことであって、人生のヒトコマを小説にしただけなのである。もしもそれを人生全体にまで広げてしまったら、「ちょっと待てよ!」と突っ込みを入れたくなるのだ。

 『本の雑誌』は記事を書く人たちもその読者たちも、熱心な読者家たちだから、その辺の分別はしっかりとしているのである。普通の人たちよりも沢山の本を読んできているから、「この本はなんかおかしいぞ」とすぐに識別できるのである。

 この本を読んでみれば解ることだが、この本の出来は良いのである。一流の作家が書くような非常に良い出来なのではなく、そこそこ良いのである。だから「これはおかしいぞ!」と思ってしまうのだ。本来なら優秀作品にノミネートされるべき本なのである。それが一転してワースト本なのである。これは作者の不誠実な人格に起因するものであって、『本の雑誌』は至極最もな判定を下しているのである。

●なんで失敗し続けたのか?

 鯨統一郎本人は作家になるまでに相当失敗し続けたらしいのだが、この本を読むとその理由がよく解る。

①個人全集を読んでいない

 鯨統一郎は小説の中でも著名な作家たちの名作を乱読しまくったのであるが、このために自分の好きな作家の本を徹底的に読むということしてないのだ。恐らく小説家になるための王道は「自分が好きな作家の全集を読むこと」だと思う。全集を一度でもいいか読むと、読解力も執筆能力も格段に向上するものなのである。

②時間の使い方が余りにも下手

 鯨統一郎が作家になっていない以前の人生で、つくづく言いたくなるのが、「時間の使い方が余りにも下手」ということなのである。麻雀はするし、スポーツ観戦はするし、とにかく作家になるために全力投球をしていないのだ。これでは成功する筈がないのだ。

③そもそも推理小説作家向きではない

 きついようかもしれないが、そもそも鯨統一郎本人が推理小説家向きではないということなのである。推理小説家というのはどれも論理的思考能力が突出している人たちである。ところが鯨統一郎はそんなに高くないのである。彼の作品はどの作品でもそうだが、主人公の独り善がりになってしまっているのである。

④処女作のレベルの低さ

 小説家というのは大抵が処女作で決まる。処女作のレベルが高くないと話にならないのだ。鯨統一郎は『邪馬台国はどこですか?』でデビューするのだが、この本は奇想天外なアイデアは評価するけど、余りも小説としては酷すぎると言わざるえないのだ。

⑤丁寧に執筆する習慣を持っていない

 鯨統一郎はデビューすると今までの蓄積があったのか、小説を大量生産していくのだが、この大量生産が問題なのである。こういう書き方をする人ってのは、デビューする前に丁寧に執筆する習慣を持たなかった人たちが圧倒的に多いのだ。このためにどの作品もレベルが低くなってしまい、しかもどの作品も似たような物になってしまうのである。

●投稿マニアたちの落とし穴

 俺自身、文芸誌に小説を投稿したりするという経験がないのだが、この本を読んで初めて文芸誌に屯する投稿マニアたちの異常な実態を知ってしまい、それが意外と新鮮な驚きであった。投稿マニアたちは一生懸命になって小説を書いてはいるんだろうけど、投稿マニア特有の落とし穴に嵌ってしまったことに気づいていないのである。

 それは

 「投稿を繰り返すと、執筆の技術だけが向上していき、作家として肝腎な物が抜け落ちてしまう」

ということなのである。

 確かに投稿を繰り返せば、本人が小説を書いているわけだから執筆の技術が上がり、更にはプロの作家から選評を戴ければその問題点を知ることができる。しかしこういうことを繰り返すと、執筆の技術だけが上がり、小説としての面白さが消えてしまうのである。

 技術から名作が生まれるのではなく、名作から技術が生まれるのである。

 優れたプロの小説家というのは、文芸誌に投稿を繰り返して伸し上がってくることなんてしないのである。もしも文芸誌に投稿したら、一発合格なのである。なんでそんな奇妙な現象が起こるのか? それは投稿マニアたちには解らない思わぬ理由が存在するからなのである。

 戦後の文豪といえば「松本清張」と「司馬遼太郎」の2人を挙げることができる。

 松本清張の場合、『週刊朝日』の懸賞小説に応募して一発合格なのである。なんで松本清張は懸賞小説に応募したのか? それは賞金目当てなのである。彼は小説家になろうとしたわけではなかったのである。金銭欲こそが彼を突き動かしたのである。

 司馬遼太郎の場合、友人の勧めで懸賞小説に応募し、たった2晩で書き上げた『ペルシャの幻術師』が行き成り、講談倶楽部賞を受賞してしまったのである。その後、友人たちと同人誌を作り、そこで趣味で小説を書いていたのである。趣味で書いている内に、周囲から「この人の作品は面白いぞ」と評価され、それであれよあれよという内にプロの作家になってしまったのである。

 投稿マニアたちには金銭欲がないのである。趣味で小説を書くということがないのである。ただ単に「当選したい!」という欲望だけが膨れ上がっていってしまうのである。はっきりと言わせて戴くが、そういう人が書いた小説はつまらないものなのである。

 俺としては『努力しないで作家になる方法』は意外と楽しめた。確かに『本の雑誌』が言うように、題名に問題はあるが、そのマイナス点を引いても、出来は良い物だと思う。但し、この本は本屋で買うよりも、図書館で借りることをお勧めする。

 まあ、俺なら鯨統一郎を推理小説家としてではなく、歴史作家とか自己啓発作家とかで使った方がいい本を書くのではないかと思う。 

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (3) | トラックバック (0)

自然療法の凄さ

●大病は人生の転機

 人生、生きていれば様々な病気をするものである。その中でも「大病」になると厄介で、これをどう処理するかで、その後の人生の明暗が分かれてしまう。大病は大病に非ず。大病は人生の転機なのである。そう考えれば大病に遭遇しても、きちんと対処することができるのである。

 俺の場合、30代で襲った「肺炎」こそ、人生の転機になってしまった。この肺炎は恐ろしく、咳が止まらず、寝汗はかきまくり、体重がげっそりと落ちてしまった。結局、半月以上寝込むことになり、肺炎が治まる頃には体重が10キロギラムほど減少していたのである。 

 俺がどうやって肺炎を治したかというと、それは偶然に起こってしまった「断食」によるものなのである。高熱のために食欲が出なかったので、1日1食になることがあった。するとその後、肺炎が治まり、明らかに病気が快方に向かっていることが実感できたのである。

 それどころか肺炎中に断食をしたために、頭が良くなっており、読書をしてもその読解力が以前ものとは比べ物にならないくらい良くなってしまったのである。今こうやって理路整然とした文章を書けるのも断食のお陰なのである。断食を経験しなければ、そんなに頭は良く成らなかったし、いい文章だって書けなかったのだ。

 大病をしてしまうと、「なんで俺だけが」「なんで私だけが」と嘆く人々は大勢いるのだが、そうやって物事をネガティブに考えてしまうからこそ、大病のために自分の命が破壊されてしまうのである。大病にはなんらかの意味があるのであって、大病をする中でその意味を掴み取っていくべきなのである。

●手抜きは心抜き

 俺は色々な本を読んでいるのだが、その著者が大病を経験し、それを克服したのなら、一応信用できる内容の本を書いてくると思っている。特に大病を克服する過程で断食をしたのなら、より信用できると思っている。大病を克服したことで人生の転機となったわけだし、断食をしたことで知能が一気に上昇したからだ。

 今回取り上げる東城百合子も結核を経験し、一時は寝たきり状態になったが、医者の勧めで「玄米菜食」に転換し、それで結核を治してしまったという経歴を持つ。しかも年に数回断食をやっているので、女性でありながら非常に内容の濃い本を書き上げることができたのである。

 東城百合子著『家庭でできる自然療法』(あなたと健康社)

    あなたと健康社家庭で出来る自然療法

 この本は一般の書店に出さず、宣伝もせずにベストセラーになってしまったという脅威の書だ。その理由は簡単で、母親の視点から本を書いており、既婚女性ならすぐさま実践できる内容になているからだ。机上の空論がないために、クチコミで広まっていったのである。

 なんで家庭の中で病人が出て来るのかといえば、それはその家の母親が手抜き料理をしているからなのである。食品添加物がたっぷりと入った加工食品を買い捲り、それで滅茶苦茶な調理をするのである。こういう食事を食っていれば、家族の誰もが病気になるのは当たり前のことなのである。

 手抜きは心抜きなのである。心抜きだから手抜きしてくるのではないのだ。手抜きをするから、いずれ心抜きになってしまうのである。主婦としては忙しいかもしれないが、家事に関して、特に料理に関しては絶対に手抜きなどしてはならないのである。

●医者に頼るな

 子供を育てる時、気をつけるべきは、子供の免疫力の関係上、子供は病気をすると高熱を発するということなのである。子供は大人に比べて免疫力が低いために、子供の体は病原菌に犯された時、体を異常に熱くさせて、白血球の活動を活発にさせ、そうやって病気を乗り切るのである。

 ところが母親にしてみればこの姿は異常事態なので、それで病院に駆け込んでしまうのである。医者は生活するためには金儲けしなければならないから、この手の病人に「寝ていれば自然に治る!」なんて言えない。だから解熱剤を処方し、体温を下げて免疫力を下げ、それで病原菌が活発化できるような状態にするのである。

 そうなれば子供の病気は悪化するから、そこでその病気を治すお薬を投入するのである。このお薬は化学物質の塊なので、確かに強力な効果があるのだが、その反面、副作用も強いのである。そして化学薬品に頼っていると、人間が本来持っている自然治癒力が働かなくなってしまうのである。それで更に新たな病気に罹るようになるのだ。

 育児をしているなら、家庭でできる自然療法を絶対に持っておいた方がいい。この本が凄いのは、ありとあらゆる病気に関して、きちんと治療法を書いているからなのである。まずは自宅で治す。こういうことをしておけば、子供は健康に育っていくものなのである。

 子供を健康に育てたいのなら、医者に頼るな。医者に頼るからこそ、ひ弱に育ってくるのである。病気ばかりする子供に育ってくるのである。医者の治療を受ける時は、主婦が自分でできることは全てやった上で、それから医者の治療を受けるようにするべきなのである。

●自然はシンプル

 俺自身、玄米食をしているので、この本は非常に読み易い。内容が濃いのにすらすらと読めてしまうのだ。玄米食をしている人は無駄なことを書かないので、非常に有難いのだ。白米を食べている人は感情的に物を書いてるし、内容が非常に浅いので、「あっ、この著者は白米をたべいるな」というのがすぐに解ってしまうのである。

 人間が霊長類たる所以は、高い知能を持っているからなのである。高い知能を持っている以上、よく考えて自分の考えを深めていくべきなのである。そういうことをせず、ただ表面上のことばかり見ていると、安易に複雑化してしまい、余計にややこしくなるだけなのである。

 自分がなんらかの病気をし、病院で盥回しにされることを嘆く人々は非常に多い。しかし病院と言うのはそういう所なのであって、基本的には「対処療法」でしかないのだ。根本から治していくということを考えないと、病気は治せないものだし、治したとしても違う病気が発生してくるものなのである。

 自然は複雑にはできていないのだ。自然はシンプルにできているものなのである。複雑にすればするほど醜悪な物になっていくものなのである。自分自身が滅茶苦茶な生活を送っているからこそ病気をするのであって、まずはそこを治していくべきなのである。自分の生活から無駄な物をバサッと切り落とせば、健康になっていくものなのである。

 子供を生んだ以上、子供を健康な体に育て上げ、しっかりとした生活を身につけさせるのは親としての責務なのである。特にそういうことをするためには母親の役割が非常に大きいのだ。こういうことは育った側にしてみれば当たり前のことだから、感謝などされないのだ。しかし自分が結婚して子供を持ってみれば、号泣するほどの感動をし、母親に心から感謝をするようになるものなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (5) | トラックバック (0)

出産だから特別の笑いあり!

●妊娠や出産は面白いものなのに

 男性にはできないけど、女性にしかできないものって「妊娠」と「出産」だろう。

 妊娠や出産は女性にしかできないからこそ、それを大切に扱い、楽しみ、その面白さを若い女性たちに伝えていけばいいのである。しかし現実はそうではなく、「妊娠は大変だ~」「出産は生みの苦しみ」とか言い触らし、妊娠や出産を堪能しようと言う気は更々ないのである。

 その原因は学校で受けた性教育にあるのだ。

 学校の性教育は或る意味異常な教育である。この手の物は本来、公の場所で教えず、隠れて教えるものだ。しかも妊娠を勧めるのではなく避妊を勧め、異性愛の素晴らしさを教えるのではなく、同性愛の素晴らしさを教えているのだから、こういう教育を小学生や中学生という幼い時に受ければ、その後になって異常が出てくるようになるのは当たり前である。

 学校で性教育が行われる世の中だと、学校の成績が良くて、学校の洗脳を解除できる女性か、学校の成績が悪く、学校が洗脳しても洗脳されるだけの知能がなかった頭の悪い女性か、その両極端の女性たちしか妊娠や出産を楽しめないことであろう。

 「非婚」を唱えて結婚を避けてしまったり、結婚したけど妊娠や出産で大きな苦労を背負い込むのは、学校時代に於いてそこそこ勉強できたか、平均的な成績だったら、そこそこ頭の悪かった女性たちであろう。まあ、この手の女性たちの方が数は多いから、どうしても妊娠や出産で大変な目に遭ってしまうのだろう。

 「女性の自立」が叫ばれるのも、学校の洗脳力が強いことに起因しているといっていいのだ。教育というのは子供たちが世の中に出て行くために必要な知識や技術を与え、その本人が持っている能力を引き伸ばすものなのに、その教育を教師たちが悪用すれば世の中がどんどん歪んでくるのは当たり前のことなのだ。

●笑い飛ばせば既に母親

 「妊娠や出産は大変だ~」と思っているあなた!

 そうやって妊娠や出産をネガティブに考えているなら、

 松本ぷりっつ著『松本ぷりっつの子育てバッチコイ! ぶっとび出産体験編』(竹書房)

を読みなさい!

  松本ぷりっつの子育てバッチコイ!(ぶっとび出産体験編)

 この本は実に笑える。非常に笑える。特に妊娠や出産を経験した既婚女性たちなら笑いの壷に入ってしまうくらいに笑える。只今妊娠中なら、この本を読んで妊娠や出産に対する力を強化することができる優れ物なのだ。今から妊娠しようと思っている女性なら、この本を読んで洗脳を解除すべし

 どうやら出産体験は夫婦を異常な状態へと持っていくらしい。出産の主人公は妻なのだから、妻が異常な行動を取るならまだ解る。それなのに夫までもが異常な行動を取ってくるのである。妻も馬鹿なら夫も馬鹿なので、この馬鹿らしさを思う存分笑って欲しい。

 そして親も馬鹿なら子供たちも馬鹿なのである。人間の脳は5歳から6歳の間に臨界期を迎えるので、とにかく6歳以下の子供は有り得ない行動を取ってくるのだ。これまた笑えるので、他の夫婦の育児の仕方を見て、我が振りを治した方がいい。

 育児で危険なのは、育児を頑張りすぎて、一人で深刻になってしまうことなのである。育児に於いて笑いがないからこそ、育児に力が入りすぎ、それで駄目になっていくのである。だから育児で笑う。笑い飛ばせば既に自分が母親であることに気づけるものなのである。

 人間は成功談も好むけど、それ以上に失敗談も好むので、自分が何か失敗をしてしまったのなら、他人に話すようにすべきなのである。その失敗談を聞いて友人たちは笑ってくれるし、自分もストレスを溜め込まなくなるのだ。育児に於いて理想は大事だけど、理想だけでは現実離れしていくからね。

●育児の中で感動あり

 この本で感動したのは、小児癌の女の子が小児癌のために歩くことが大いに遅れたのに、幼稚園児の時にリレーに出ることになり、そのリレーで優勝してしまうというお話。涙腺が緩くなっている母親だと号泣物なので思いっきり泣いた方がいい。

 わが子を小児癌に罹らせないようにするのは母親としての義務であるといっていい。自分の生活習慣の悪さが我が子を小児癌にしてしまうのである。ただ小児癌は癌の中でも完治率が高いので、治療が巧く行けばこういう感動話が生まれてくるのだ。

 そして最も良かった話はラストの「雲の上のお話」を語る息子のお話。子供はこの世に生まれてくる前の記憶を持っているので、ふとした瞬間にその大事なお話をしてくれるのだ。雲の上では母子が一緒にいたのに、母親が子供と別れて、「ババの所に行った」と息子が言うのは非常にリアル。

 自分の子供から雲の上のお話を聞けるのは、必ずしもではないようである。子供からその話を聞ける母親は心が穏やかな女性が多いと思う。そうやって母親が育児を楽しんでいるからこそ、子供の方も雲の上のお話を話せる状態になるのだと思う。

 育児の中では必ず感動があるものなのである。そういう感動はしておくべきであって、感動したのならわが子のことを大事に扱うようにすることだ。育児をしていも感動がないというのは、非常に問題があると思う。多分、形式的に育児をやってしまい、子供を急かすだけの育児をやってしまったのだろう。

●自分たちの物語を作ることの大切さ

 子供というのは何もかも覚えてるわけではないのだ。恐ろしいほどに忘れていくものなのだ。まず4歳の辺りで記憶の消去が起こり、出生してから今までの記憶を忘れてしまう。その後、小学生のどこかで物心がつくと、これまたそれまでの記憶を殆ど忘れてしまう。

 だから育児の記憶というのは、その夫婦だけが持てる宝物なのである。それゆえ妊娠や出産や育児を通じて自分たちの物語を作ることが大切なのである。この間、テレビを見まくっていたら非常に勿体ないので、絶対にテレビの視聴時間は減少させた方がいい。

 育児を楽しんでいれば幾らでも面白出来事が起こってくるから、それを記録していくべきなのである。この手の記憶は時間の経過と共に色あせていき、そして忘れ去っていってしまうものだ。この記録は子供たちのためにするのではない。自分たちのためにするのだ。

 人生の中で嫌なことがあっても、その記録を見ればニヤニヤすることができるものだから、そうやってストレスを吹き飛ばしていけばいいのだ。そして子供たちが大きくなった時、結婚すべきかしまいか悩んでいるのなら、その記録を見せてあげればいいのだ。恐らく感動で号泣することだろう。

 育児や子育ては長いように見えて、20数年の出来事しかないのだ。その間の半分だけが親子ヘベッタリであり、後の半分は親元にいながら、親から離れていこうとするものなのである。そう考えれば限られた時間の中で育児や子育てを楽しまなければならないってのが解る筈だ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (11) | トラックバック (0)

新シリーズの予告

●第六弾は一体何?

 今までコノブログは

『爆笑タマティー宮殿』

『不妊症バトルロワイヤル』

『幸せ色の出産ラブストーリー』

『満開ブレンパラダイス!』

『「リッチなオシャレマダム」と貧乏なグータラ妻」』

と5つものシリーズをやってきたのです。

 シリーズを続けると結構ファンがつくし、シリーズを変えると多少離れていく人たちもいるけど、それでも新たに加わってくる人たちもいて、初期の頃とは比較できないほどのアクセス数を記録しています。

 俺は首尾一貫して質の高さには拘ってきたので、その質の高さに惹かれてからだろうと思う。俺自身、色々なブログを見てきて、質の高いブログでないと見続けることができなかったからだ。ブログの場合、質の高さは想像以上に大切なのだ。

 それで「第六弾は何?」ということになる。

 今までシリーズといっても、長い長いお話であったわけで、1つ1つの記事がちゃんと前の記事を踏まえて繋がっていたわけだ。しかし次のシリーズではそういう長期連載的な書き方はやめて、気楽に自由気儘に書いていこうと思う。

 というのはシリーズを5回もやって、タマティー本人に勤続疲労が溜まってしまったし、このブログを視ている人たちもその長期連載のテーマに合わなければ視なくなってしまうからだ。このブログも長らくやってきたので、ここで一呼吸置くのもいいかもしれない。

 とはいっても、俺が記事を書く以上、或る一定の質の高さになってしまうので、記事の質を下げるということはしない。ただ長期連載的な書き方はやめて、筆の赴くままに自由に書いていくということなのだ。だから今回は随筆風のブログになると思ってくれればいい。

●今回のメインテーマは「書評」

 今回のメインテーマは「書評」にする。このブログでも度々面白い本に関して書評を出していたりしたのであるが、今回は書評をメインにしてシリーズを展開していこうと思う。書評を通じて、「面白い本」「買わない方がいい本」「駄目な本」を挙げていこうと思う。

 そして今回のシリーズの題名は、

 『開運マルモリ面白書評倶楽部!』

 え! なんで「マルモリ」?

 そう、何を隠そう、タマティーあは芦田愛菜ちゃんのjことが大好きなのです。それでマルモリなる言葉を入れて、縁起を担いで行こうと思う。まあ、あんまり気にしないでね。飽くまでも俺の好みなんだから。書評を行うことには変わらないって1

 一応、既婚女性向けに書評を書く。だから結婚、妊娠や出産や育児、教育、家計などなど、結構、生活に密着した本を紹介していきます。しかしビジネス書も出すし、小説だって出す。必ずしも既婚女性たちだけに書いているわけではないってこと。

 書評に関しては結構シビアに行きます。「これは面白いから買った方がいいよ」というのはズバリ書くし、「この本はイマイチだから買わずに図書館で借りるべし」というのもズバリ書くし、「この本は駄目だから絶対に買うな」というのもズバリ書く。

 そんでたまにタマティーの日常的なネタも書きます。基本的に俺の日常ネタは笑いを取るものなので、その記事を読んで笑ってほしい。深刻に受け止められるとシャレにならないので。うちにはキャラの濃い母親がいるので、どうしても普通の家族とは有り得ない展開になってしまうんです。

●記事の公開頻度を減少させます

 今まで週に6回から5回のペースでやってきたのですが、今回は週に1回から3回のペースに記事の公開頻度を減少させます。俺の書評を読んで本を読む人たちが出て来るから、公開頻度が多いと書評だけを読み、本を読まなくなってしまうからだ。

 今回のシリーズで紹介した本の中に気に入ったのがあれば、ちゃんと本を買って読んで欲しい。本を読めばなんで俺がこの本は面白いよと言った理由がはっきりと解るからだ。書評を読むだけで本を読まないというのは問題がありすぎだと思う。

 俺自身、普段の生活では1日3冊ペースで本を読んでいるので、実を言えば毎日書評を書いたって別に構わないのだ。しかし毎日書評を書いてしまえば、このブログを見ている人たちに脱落者が大勢出てしまうのだ。俺としては記事の公開頻度を減らして、より厳選して本を紹介していこうと思う。

 本を厳選して書評を書くからといって、いい本だけを紹介するとは限らない。イマイチな本や駄目な本も紹介する。いい本ばかり読んでいると、読者の方がだれてきてしまい、なんでこの本がいいのか解らなくなってしまうからだ。やはり時にはイマイチな本や駄目な本を知ることで、「いい本はいい本である」という当たり前の事実に感謝して欲しい。

 今回のシリーズで注意点があるとするなら、「テレビを見る時間を大いに減少させた方がいい」ってことだ。テレビを見るのは時間を大いに食うので、テレビの視聴時間が長ければ、とてもではないが読書なんてできないのだ。読書をするためにはなんといってもテレビを消すことだ。テレビを消せば時間が有り余ることになるので、それで読書する時間を確保できるようになるのだ。

●只今、タマティーは小説を執筆中でございます

 そんでタマティーは空いた時間を使って何をやっているのかといえば、実は只今、小説を執筆中でございます。ブログの記事の公開頻度が週に1回から3回になれば、その空いた時間で小説を執筆するだけの時間ができるっていうことなんです。

 なんで小説を書こうと思ったのか?

 それは自分が読んで「面白いな~」と思える小説が少なくなってしまったから。「だったら自分で小説を書けばいいのではないか?」と思って、日々せっせと小説を書いております。まあ、飽くまでも個人的な遊びなので、自分で小説を書いて、自分がそれを読んで喜ぶということができれば、それで大満足なんです。

 もう1つの理由は、上橋菜穂子さんの小説を読んで、「この程度の小説なら俺でも書ける!」と思ってしまったからなんです。別に上橋菜穂子さんの小説に何か問題があるのではなく、こういう風に「精霊憑かり」になって書くのも有りなんだと解ってしまったからなんです。

 ところが実際に小説を書いてみると、1日のペースが四百字詰め原稿用紙で6枚程度という異様な遅さなので、完成するまで結構時間がかかりそうです。まあ、急いで書くよりも、じっくりと書いていけば、自然とレベルの高い小説ができあがることでしょう。

 もしかしたら自分でその小説を出版して、このブログで書評を出しちゃったりして。自作自演にして自画自賛とはまさにこのことで、それも結構面白かもしれない。そういう有り得ないことも起こるかもしれないのが、このブログの特徴です。

 何はともあれ、次回からは『開運マルモリ面白書評倶楽部!』が始まるので、お楽しみに!

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (20) | トラックバック (0)

エンディング

●恋愛至上主義からの脱却

 若い時はどうしても恋愛に痺れてしまう。

 男女ともに恋愛に対しては未経験だから、恋愛をすれば凄まじい恋愛エネルギーが出て来ることに驚き、恋に夢中になってしまうことだろう。しかし恋愛というものは、結局、自分が巡り合うべく人と巡り合わない限り、どうしようもないという事実に気づく筈だ。

 その気づきは早ければ早いほど良い。というのは、恋愛によって誰かと付き合い、そして別れるということを繰り返すのは、冷静になって考えてみれば明らかに無駄だからだ。恋愛をするためにはそれなりのエネルギーと時間が必要なのであって、もしも恋愛をせず、何か自分がしたいことにそのエネルギーと時間を投入していれば必ず成功させることができたからだ。

 結婚がなんで素晴らしいのかといえば、それは結婚によって「恋愛至上主義からの脱却」ができるからなのである。確かに恋愛結婚によって結婚したとしても、結婚してしまえば恋愛が至上価値なのではなく、結婚が至上価値になるし、そして何より子供たちを生み育てて行くことに感動を覚えるからだ。

 殆どのお金持ちたちに共通するのは、「結婚こそが人生のターニングポイントになった」ということなのである。まず結婚相手を間違えていない。結婚する時期も間違えてない。運命学的に見れば合格点を貰える結婚をしているのだ。

 大事なのは「結婚」であって、「お金」ではないのだ。

 運命の相手と巡り合うことは万々歳ではないのだ。結婚した後に失業してしまったり、大病を患ってしまったり、親が死んでしまったりする不幸に見舞われたりする。しかし「夫婦の愛の形」がしっかり出来上がってくると、最早後退はなくなり、前進に次ぐ前進をしていくことになるのである。

●愛は違えどもお金は共通

 夫婦には様々な愛の形が存在する。夫唱婦随に始まり、その逆の婦唱夫随もあり、亭主関白があれば、カカァ天下もある。ノ^ーマルプレイを充分に堪能する夫婦もいれば、アブノーマルプレイでしか盛り上がれない夫婦もいる。夫婦は男女2人しかいないから、その力関係で実に様々な関係を作り出してしまうのだ。

 しかしお金はどの夫婦にとって共通なのである。どの夫婦も同じ通貨を使って経済生活を営んでいるのだ。「うちらはラブラブだから、他の夫婦たちとは違う通貨を使っている」ということは有り得ないのだ。≪愛は違えども、お金は共通≫という事実にまずは気づくべきなのである。

 豊かな生活を送りたいのなら、「お金に対してドライになるべし」なのである。お金に対して客観的になれば幾らでも解決作を生み出していくことができるのである。お金に対して感情を絡ませるからこそ、その貧乏が厄介なことになってしまうのである。

 自分達夫婦が貧乏だからといって、他の裕福な人たちと比較しても無意味なのだ。他人と比較しているからこそ貧乏から抜け出せないのであって、そうやって他人と競争する生き方を一刻も早くやめるべきなのである。競争することをやめたら、自由に楽しく生きられるものなのである。

 貧乏ということは、その収入では生活がやっていけないということだ。だったら解決策はたった2つしかない。もっと働いて収入を増やすか、支出を削減するしかないのだ。お金に対してドライになればきちんと解決策を見つけ出すことができるものなのである。

●政府に頼るから貧乏になる

 実際の結婚では、余程の晩婚でない限り、夫の収入は低いものだし、しかも赤ちゃんが生まれてくれば様々な出費が出て行くことになる。しかも夫婦2人子供2人の時に「死の結界」が張られることになるから、この時期は経済的に最も苦しい時期を迎えるのである。

 だからこそ結婚して子供が3人生まれるまで我武者羅で突っ走った方がいいのである。結婚したのにチンタラと進めていると、子供ができず不妊症に罹ってしまったり、子供のために余計な出費が出たり、夫や妻が病気や事故に遭遇したりしてしまうのだ。

 結婚しても子供が1人や2人だとどうしても生活が苦しいから、そこで政府の支援に頼ってしまう者たちが出て来るのだ。断言してもいいが、政府の支援に頼って豊かになった夫婦は1組も存在しないのである。政府は確かに子供手当てを出してくれたりするのが、ではその財源をどこから調達するのかといえばそれは国民の財布からなのである。

 面白いことに、「独立不羈の精神」を持っていれば、如何なる夫婦でも自然と豊かになっていくのである。政府の支援を頼らないのだから、結婚当初は確かに貧しい。しかし政府に頼らないからこそ、夫婦が創意工夫をしまくることができ、結果的に豊かになっていってしまうのである。

 世界を見回しても、ユダヤ人とか華僑とか、政府に頼らないで生きてきた民族は確実に豊かになっている。その理由は非常に簡単で、政府に頼ることができなかったために、自然と独立していく気概に溢れ、創意工夫をしまくり、そうやって生きていればいつの間にかお金持ちになっていただけのことなのである。

●陰陽バランスの法則

 人間の人生は当たりっぱなしということは絶対にない。如何なる夫婦だって結婚が幸せだらけってこともないのだ。幸福がくれば、不幸もやってくるし、そうやって「陰陽バランス」を取りながら前進しているといってのだ。だから不幸ばかり見つめて大騒ぎすべきではないのだ。

 貧乏な場合、確かに金欠ではあっても、金欠であるがゆえに夫婦は結束し、子供たちは親孝行になるものだ。逆に裕福になってしまうと、お金が余りすぎるがために、「女神の警告」が発せられてくるから、そこで宗教活動や慈善活動に打ち込んだりしなければならないのだ。

 そう考えれば貧乏な時ほどチャンスなのである。貧乏な時に自分たち夫婦がすべきことをきちんとしておくからこそ、貧乏から脱出でき、裕福な暮らしを実現できるのである。何事も「得やすい物は失い易い」のだ。それと同時に「得がたい物は失いにくい」のだ。

 はっきりと言ってしまえばお金なんて道具にすぎない。大事なことはその道具を使ってどのような未来を築くかなのであって、その道具を集めることではないのだ。夫婦に夢があるからこそ、その夢の実現のためにお金が必要なだけなのである。

 そして最も大事なことは、夫婦の夢はお金では買えないということなのである!

 だからこそ、夫婦で話し合う時間が必要なのだ。そして夫婦が常識の枠内に収まっては駄目なのである。夫婦だからこそ法螺を吹いて貰わねば困るのである。今の自分たちには無理かもしれないと思うことでも、それを真面目になって遣り始めると実現してしまうこともあ有り得るのである。世の中は不思議なことで満ちているものなのであり、常識で割り切ってはならないものなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (23) | トラックバック (0)

良妻賢母の凄さ

●母性愛をきちんと出せるからこそ、良妻賢母になる

 生きていれば解ることだが、母性愛をきちんと出せる既婚女性が良妻賢母なのであろう。良妻賢母は努力してなれるものなのではなく、母性愛を巧く出していけば、それに伴う知識や技術を自然と習得することができ、いずれ良妻賢母になってしまうのである。

 間違ってはならないのは、良妻賢母というのは、夫にとって都合のいい妻、子供たちにとって優しい母親とかいうものではないのである。

 良い妻は本当に良いものなのである。一番解り易い例が料理であろう。母性愛が出て来るなら、食材選びをきちんとするし、味付けも巧くなっていく。トドメは愛情を込めて料理を作ってくるのだ。このためこの手の既婚女性が作る料理は非常に美味しいのである。的確に味のストライクゾーンに入っていて、味に奥行きがあるのだ。

 しかし母性愛の少ない女性だと、子供たちの健康のことを考えて食材選びをすることなどしないし、味付けも滅茶苦茶で、増してや愛情を込めて料理を作らないのだ。このため栄養的にも偏ったものになるし、味付けは濃すぎたり薄すぎたり、それにどんなに食べても美味しいとは感じられないのである。

 育児や子育てをしていれば、愛情も確かに必要だが、それ以上に「知恵」というものが必要になってくるのだ。例えば子供が熱を出したら、すぐさま病院に行かせず、生姜湯でも飲まして寝かしておくとか、そういう賢さがないと育児なんてまともに出来ないのだ。子供が熱を出す度に病院に連れて行けば、子供は薬のために体力が落ちるし、医療費のために家計だって破壊してしまうのである。

 母親としての知恵だけを学んでも意味がない。その知恵は母性愛を出せるものなら自然と身についていくものだからだ。最初は育児に失敗しまくってもいいのである。しかしそうやって経験値を積んでいけば、自分の母性愛に伴う知恵を身に付けることができるのである。

●結婚は協業と分業

 結婚すれば、夫婦で協業と分業ができるようになり、それで夫は仕事に成功していき、妻は家事や育児に成功していくのである。夫は妻に家庭を任すことができるからこそ、夫は仕事に全力を注ぐことができる。当たり前のことだが、全力で仕事をやっている奴がいつまでも薄給でいるわけがないのだ。

 結婚の理想形はどう考えても妻が専業主婦であるパターンなのであり、兼業主婦は次善の策でしかないのだ。だから夫婦共働きの場合、家事の分担を巧く行い、できることなら家政婦を雇える身分になるべきなのである。家事の問題など家政婦を雇えば簡単に解決できるものなのである。

 主夫とかイクメンとかはその男性が自分の意思で選択するのなら、それは決して悪いことではない。しかしそういうことは、男子たるもののすることではないのだ。男性なら仕事に全力を投入して己の仕事を成功させ、それによって高い報酬を得られるようにし、そのお金で妻子を養うべきなのである。

 自分の妻が良妻賢母であるなら、非常に高い確率でその夫は仕事を成功させることができるであろう。なんせ夫は家事や育児にかける時間を最小限にすることができるので、その他の時間は全て仕事に回すことができるのである。仕事に成功して当然といえば当然であるのだ。

 意外なことかもしれないが、良妻賢母のような既婚女性は仕事をさせてみても巧く行くのである。家事や育児はオールマイティーの作業だから、それができれば仕事も巧くこなしてくるのである。だからこそ専業主婦であった既婚女性が行き成り女社長になって成功してくる事例が跡を絶たないのだ。

●妻たる者、絶体絶命の時に逃げ出すな

 極論を言ってしまえば、既婚女性が家事や育児などできなくてもいいのである。家事は家政婦を雇えば済むことだし、育児はベビーシッターを雇えば済むことなのだ。勿論、そういうことをやれば問題が発生してくるが、家事や育児ができることだけが良妻賢母の絶対条件ではないのだ。

 では良妻賢母の絶対条件とは何かといえば、それは夫婦にとって絶体絶命の時期に逃げ出さないことなのである。結婚していれば必ず最悪と思える時期がやってくる。その最悪の時期に於いて逃げ出さないからこそ、妻として信用できるのである、最悪の時期を夫婦が協力して凌げば、その最悪の時期を脱することができるのである。

 これは既婚女性たちに離婚をするなといっているのではない。結婚したにも拘わらず、結婚相手を間違えたと思うなら離婚したっていいのだ。しかしその離婚が許されるのはせいぜい1度か2度までなのであって、それ以上多くなれば、「この女性は信用ならない」ということになってしまうのである。

 だから無闇に母性愛を出すことは危険なのだ。母性愛はその対象者を絶対肯定してしまうために、もしも自分が母性愛を出してしまったら、いつまでも絶対肯定し続けてしまうのである。自分が生んだ子ならいつまでも絶対肯定していい。しかし自分の夫がもしも駄目だと気づいたら、いつまでも絶対肯定するべきではないのである。

 それゆえ結婚する時には絶対に相手を間違えてはならないのである。双方の両親の承諾を得ることは勿論のこと、占い師に占って貰ったりすべきなのである。双方の両親は人生経験が豊富だから、おかしな人物なら必ず排除するだろうし、占いに関しても非理性的な所から駄目なものは駄目だと判定してくれるものなのである。

●「過程の大切さ」と「結果による判別」

 若い時は親に反抗し、社会に反逆していくものだから、良妻賢母と聞けばそれを破壊しようとしてしまう。良妻賢母を否定しようと思えば、幾らでもその理屈を生み出すことができるであろう。しかし良妻賢母を破壊するからこそ貧乏になってしまうのである。

 結婚は想像以上に保守的なものなのである。「新しい家庭」というものは往々にしてぶっ壊れるものだ。人間はどんなに長くても100年程度しか生きられない。それなのに家族というものは、恐らく人類が誕生した瞬間から存在し続けてきたのであり、今現在生きている我々がすべきことは、その家族を受け継ぎ、守り、そして自分の子供たちに継承させていくことだけなのである。

 結婚した当初なら、どんなに優秀な女性であっても、「妻に良いも悪いもないんじゃない?」「育児をするには愛があれば充分よ!」と思ってしまうものだ。だったら、その自分の考えを結婚で実施してみればいい、いずれ夫は烈火の如く怒り出して壮絶な夫婦喧嘩になるし、子供たちは母親のやることなすことに対して泣き叫ぶし、家族中が病気のオンパレードになるものなのである。

 如何なる母親たちも第一子を出産した時には、最高の感動をした筈だし、何よりその瞬間から母親になってしまったのである。それなのになんでグータラ妻になる奴らが出て来るのかといえば、それは過程を疎かにしてしまったからなのである。母親として様々なものを学んでいかなければならないのに、それをすっ飛ばしてしまうからこそ、グータラ妻になってしまったのである。

 かといって過程を幾ら大事にしたからといって、夫が仕事に成功し、豊かな生活を築けなければ、自分がどんなに努力しても評価されないのだ。妻が良妻賢母でもその家庭が貧しいのなら、何かが間違っているということなのである。

 「過程の大切さ」と「結果による判別」は切っても切り離せない関係にあるのだ。過程を疎かにしている者は必ずどこかで躓くことになるのだ。結果を求めない生き方はゴールに辿り着けないということなのである。結婚している以上、自分だけが良妻賢母になっても駄目だということなのである。自分の夫もそれに見合うだけの立派な人物になって貰わねばならないのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »