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本を読む時の注意点:「いい加減は失格なのである」

●悪書は避けよ

 豊かで幸せな人生を歩みたければ、悪書を読まぬことである。悪書は「お金の無駄」であり「労力の無駄」であり「時間の無駄」なのである。悪書が自分の人生に対して貢献することは何もないのだ。それどころか損害ばかり与えてくるのである。

 悪書というのは、誤字脱字があるとか、文法が間違っている書物などではない。内容そのものが間違っている書物だ。人々は誤字脱字を見つけることができるのに、なぜだか内容の間違いには気づかないのである。というか、悪書の場合、その内容の酷さが巧みに隠蔽されており、それによって人々は惑わされてしまうのである。

 悪書は必ず「机上の空論」を言ってくる。机上の空論だからこそ、その言辞が巧みだし、物の見事に騙されてしまうのだ。例えば日本の企業ならどの企業でも年功序列を採用している。それなのにその年功序列を否定して実力主義を唱えれば確かに魅力的だ。しかしそれを実際にやることはできないし、やればやったで会社そのものが機能しなくなってしまうのだ。

 悪書は必ず人々の「不満」に巧くつけこむ。読者自体に既に何かしらの不満があるからこそ、その悪書によってその不満が巧みに刺激されてしまうのである。例えば既婚女性向けに書かれた「離婚の勧め」なんてのも、自分が結婚に満足していればきちんと退けることができるのに、自分が結婚に満足していなければ簡単に先導されてしまうものなのである。

 悪書の著者の顔は絶対に不気味である。あなたは大江健三郎の顔を見て格好いいと思うだろうか? あなたは上野千鶴子の顔を見て「まあ、素敵!」と思うだろうか? 絶対に思わない筈だ。人間は三十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきであって、賢そうな顔つきをしていない者が書いた作品などまともに取り合わないことだ。

●これが嘘だとは解りにくい嘘

 問題は、その本人は悪書を書くほど悪い人物ではないのだが、結果的にその本が悪書ゾーンに入ってしまう本だ。この手の本は「これが嘘だとは解りにくい嘘」をついているので、普通の悪書以上により多くの人々が騙されてしまうのである。

 今回はこの「嘘だとは解りにくい嘘」を理解するために、「ひろさちや」が普段から主張している「いい加減の勧め」を取り上げたいと思う。この「ひろさちや」の「いい加減の勧め」はそれこそいい加減に主張しているのではなく、仏教の教義から導き出された立派な考え方なのである。

 仏教は「空」を説くのだが、この「空」の実践バージョンが「いい加減の勧め」なのである。「いい加減」はプラスとマイナスを併せて丁度ゼロになるからこそ、これこそが空に他ならないというのだ。この考えは仏教に慣れ親しんだ人たちなら非常に解り易い意見なのだ。

 しかしこれは≪嘘≫である。

 というか「ひろさちや」は仏教を何も理解していないのである。

 まず日本語で「いい加減」というのは肯定的な言葉としては使われない。必ず否定的な言葉として使われてしまう。漫才の締めのセリフで「いい加減にしろ!」というのがそれで、相手の馬鹿さ加減を否定するために使っているのだ。

 そもそも「空」という教えは。釈迦が唱えたものではないのだ。釈迦はそんな小難しいことを唱えたのではなく、もっと解り易い意見を唱えたのである。しかし釈迦の死後、仏教の教義が発達していくにつれて「空」の教えが出てきたにすぎないのだ。

 空は「ゼロ」のことではないのである。空は「有」と「無」を超越した概念なのであって、プラスとマイナスを掛け合わした時に発生するものではないのだ。空をきちんと理解して頂くためには、その本人が解脱して貰わないと理解不能な概念なのである。

 解脱したことのない「ひろさちや」には「空」のなんたるかは解らないのだ!

●人間は貪欲な生き物なのである

 この世に生きていれば「いい加減」なことなどできない。例えば俺がブログで記事を公開すれば、誤字脱字があれば突っ込まれるし、内容に問題があるなら必ず苦情が入ってくる。だから下調べをきちんとしなければならないし、考えるべきことは全部考えなければならないし、書く時は丁寧に書かねばならないのだ。

 はっきりと言わせて頂くが、俺だって少しは無理しているのである。

 「いい加減」という言葉を調べていくと、実は言葉通りの意味では使っていないのである。

 例えば、お風呂に入っている者が

「湯加減は?」

と訊かれたら、

「いい湯加減です。」

と答えたとしよう。

 この場合、この「いい湯加減」は本当にいい湯加減ではないのだ。人間にとっては少し熱めの温度になっているのだ。人間の体にとっていい湯加減というのは「41℃」以下なのである。しかし人間が「いい湯加減」と答えた時は必ず「41℃」以上の温度になっているものなのである。

 人間は「自分に丁度いい」と思うものは、必ず少しプラスになっているものなのである。人間が「いい加減」な所で止めてしまったら自分自身が満足できないのである。だから「いい加減の勧め」を鵜呑みにしてしまったら、とんでもないことになるのだ。

 ビジネスをやれば解ることだが、誰もがいい加減な態度では仕事をしていない。誰だって始業時間までに出社するのはつらいし、1日8時間も拘束されるのは厳しいものだ。しかしそれに耐えるからこそ、きちんとした仕事ができるのだし、お客様に対してそれなりのサービスができるようになるのである。

 結婚して、もしも妻がいい加減な料理を作ってくれば、どんなに温和な男性だって怒ることだろう。夫は外で仕事をしてきたのに、妻が自宅でいい加減な料理を作れば、なんのために仕事をしてきたのか解らなくなってしまし、妻の愛情に対しても疑念を抱かざるをえなくなってしまうのだ。

●少しプラスなら褒められ、少しマイナスなら非難される

 「いい加減の勧め」が嘘だと解ると、その後の人生で大いに有利に働かせることができる。

 要は「少しプラスなら褒められ、少しマイナスなら非難される」ということなのである。「いい加減」にしてはならない。少しは無理をする。余りにも激しく努力するのではなく、相手にとって最適のポイントを目指して少しだけ努力すればいいのである。

 既婚女性の場合、毎日料理を作っても夫や子供たちから褒められないということが起こる。その理由は料理をいい加減に作っているからなのである。こういう時は、料理に対して少しだけプラスすればいいのである。ダシを少しだけ強くしたり、いつもは使わない調味料を使ったりするのである。

 こうすると夫も子供たちも料理を褒めてくれるようになるのだ。

 気をつけるべきは少しのマイナスなのに、激しく非難されてしまうことがあるということだ。何か忙しい用事があるなら、朝の内に料理を作ってしまうとか、作り置きの料理を作っておくべきなのである。夫や子供たちに「何か適当に食べて!」というのは相手に対して激しい不満を抱かせるものなのである。

 自分自身が「いい加減の勧め」は嘘だと解っていると、他人がいい加減なことをやってきたら、その者に対して責任追及を行い、叩き落すことができる。町内会だろうが、PTAだろうが、いい加減なことをやっている人たちは沢山いるので、そのいい加減さを巧みに突っつけば、こちら側が優位に立てるものなのである。

 大体、いい加減な態度で本を出版することなどできないものなのである。せっせと執筆し続けなければならなし、校正や校閲だってしなければならないのである。それなのに本の中で「いい加減の勧め」が書かれているのだから、これほど馬鹿らしいものはないのだ。しかしこの手の嘘に引っかかってしまう人たちが出て来ることもまた事実なのだ。

 本を読む時は鵜呑みにするな。自分の頭で考えながら読むべし。

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