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心に染み入る「よろこびの木」

●なんで孤児なの?

 児童文学には或る約束事がある。それは「主人公が孤児である」ということだ、両親が死ぬなり、両親に捨てられて、主人公は行き成り孤児として出発し、物語を展開させていくのである。これを見せられると子供はなんの違和感もなく読み進めていってしまうのだ。

 現実の生活ではそんなこと絶対に有り得ない。子供から両親がいなくなれば、その子供は悲惨な人生を歩むしかない。孤児がそのまま生きれば確実に餓死するし、児童擁護施設に引き取られても、両親を失った悲しみはそう簡単に消え去るものではないのだ。

 ところがその孤児が児童文学の中では大活躍してしまうのだ。これは「虚構」なのであって、主人公を孤児にすることで、読者である子供達に「自立」を促すためのものであるのだ。子供から両親がいなくなれば、自動的に子供は自立していかなければならないのであって、子供達はいずれくる自立のために、絵本を読んで勉強するのである。

 子供というのは、成長過程に於いて必ず「自分は捨て子なのだ」という有り得ない妄想を抱く。それもなぜだか拾われた場所は「橋の下」なのである。これは両親から愛情を受け、自分が親から少しずつ離れていくと、自分は捨てられたのではないかという感情が湧き起こってしまうのである。

 こういう場合、親は「そんなことあるわけないじゃないか!?」といって巧く否定しなければならないのだ。そうやって親への疎外感を破壊していくと、子供は大きくなってからスムーズに自立していくことができるのである。親なのに子供への言葉遣いが拙いと、子供が大きくなっても自立することができなくなってしまうものなのである。

●美しい言葉の大切さ

 今回紹介するのは、スウェーデンの絵本で、孤児のマーリンちゃんが主人公のお話である。

  よろこびの木

アストリッド・リンドグレーン著『よろこびの木』(徳間書店)

 マーリンの両親は胸の病気で死んでしまう。肺の病気ということは「肺結核」ということになる。スウェーデン人は牛肉を沢山食べるので、肺結核は深刻な病だったのである。本来なら里子に出されるのだが、マーリンは肺結核の疑いがあるので、誰も引き取ろうとはしないのである。

 そこでマーリンは「貧しい人たちの家」という老人ホームの原型のような施設へと行くことになる。ここは老人達の中でも貧しい人たちが共同で住む施設で、物乞いをしながら暮らすという場所なのである。それは当然に悲惨な生活なので、マーリンは自分自身を哀れんでしまうのである。

 しかし或る日、牧師がその施設にやってきて、子供達にキリスト教の話をする。マーリンはその牧師の言葉に感化され、菩提樹にナイチンゲールが宿り、そこで囀るという内容の詩を作り、それを何度も言い続けることになる。そうやって詩を唱えていると、菩提樹を植えたくなり、木の実を捜そうとするのだ。

 すると施設の中からインゲン豆が見つかり、マーリンはそれを拾ってジャガイモ畑に植えるのである。老人達は「菩提樹なんて生えてくるわけがない!」「たとえ生えてきても切ってやる!」といい、マーリンをからかうのである。

 だが本当に菩提樹が生えてきて、老人達はその美しさに感動してしまうのである。マーリンはたとえ自分がいなくなっても、この菩提樹の木に宿りたいという。そしてラストではマーリンはいなくなるのである。恐らく肺結核で病死したということなのである。菩提樹にナイチンゲールが止まり囀ると、老人達の中には「マーリンの声だ」という者が出てくるのである。

●男の子と女の子の違い

 この絵本は子供用ではあっても、まず親が読むべき絵本であろう。

 この絵本は男の子と女の子の違いを的確に教えてくれる絵本なのである。現実の話なら、子供が難病に冒された場合、男の子なら「僕は大きくなったら医者になって、この難病を克服する!」とか言い出してくることであろう。

 しかし女の子は違うのである。

 マーリンのように菩提樹を植え、老人達にナイチンゲールの歌声を聞かせてあげることで、その悲惨な状態を脱しようとするのだ。別に貧困や難病を克服しなくたっていいのである。それよりもその悲惨な状態であったも、美しい物に触れた時、人はその悲惨な状態から解放されるも0のなのである。

 東日本大震災でも、福島県のフラガールたちが「復興支援」と称して全国でフラダンスを講演しまくったのだが、男の俺にしてみれば意味不明の行動なのである。そんなことをするより、復旧復興作業に全力を投入した方がいいのではないかと思ってしまうのだ。しかし違うのだ。フラガールたちの活躍があれぼこそ、大震災の被害が深刻にならなくて済んだのである。

 子供を育てる時、男女の違いが解っていないと、とんでもない悲惨な事態を招いてしまう。男の子は男の子特有の行動を取ってくるし、女の子は女の子特有の行動を取ってくるのだ。それを親が巧く理解してあげないと、自分の性別をきちんと発展させられてなくなってしまうのである。

 フェミニストたちのように女性差別を撤廃するために戦うというのは、その時点でもう女性として生き方に反しているのである。だからフェミニストたちの意見を幾ら実現させても、フェミニストたちは自分自身が満足できないのである。そんな戦いなどせず、マーリンのように木を植えたり、小鳥の歌声を聞かせてあげようという行動の方が、女性の地位が自然と向上してしまうものなのである。

 女の子も小学生になると汚い言葉を使い出すので、母親は出来る限り美しい言葉を使うようにすることだ。「美しい言葉を美しい思考を生み、美しい思考は美しい行動を生むもの」なのである。マーリンが老人達を感動させることができたのは、まず初めに美しい言葉を言い始めたからなのである。そこから全てが始まったのである。

●キリスト教が殺したもの

 実を言うと、この絵本には宗教的にかなりの問題がある。

 マーリンはキリスト教的には救済されない少女なのである。確かにマーリンは牧師の言葉に感化され、美しい言葉を使い始めるのだが、マーリンがキリスト教を信仰したとは言っていない。牧師の言葉がなんなのかはかかれていないのだが、恐らく「福音」であろう。

 しかし福音に触れたマーリンは信仰に走らず、木や小鳥がいることを願うのである。とするなら、これはスウェーデン人が古代に於いて持っていたアニミズムということになってしまうのである。大体、自分の魂が菩提樹に宿りたいと願うことなど、到底、キリスト教の教義からしてみれば有り得ない願いなのである。

 俺が高校生の頃、北欧神話を読んだことがある。北欧神話なら北欧の人たちの思想や行動をきちんと理解することができる。だがキリスト教を信仰している現在の北欧の人たちから、キリスト教の話を聞かされても、北欧の人たちの思想や行動が見えてこないのである。

 キリスト教は一神教であるために、必ず他の宗教を殺してしまう。そうやって改宗者たちを獲得していくのだが、かといって改宗者が本当にキリスト教徒になったわけではないのだ。改宗者たちは表面上はキリスト教を信仰しているように見せかけても、実は裏で違う宗教を奉じていることも有り得るのだ。

 二流の作家なら、ただ単にキリスト教を肯定したり、逆に否定したりすることだろう。しかし一流の作家ならそんなことをせず、その国民の宗教心の本当の姿に迫るものなのである。アストリッド・リンドグレーンがスウェーデン人だからこの絵本を書けたのであり、アメリカ合衆国のように信仰気違いになっている国では、このような名作は絶対に生まれてこないものなのである。

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コメント

こんにちはタマティーさん。
ご無沙汰しております。お元気ですか?
今回、ご紹介して頂いた本 読みたいと思いました。
親になってから特に、幼くして両親が居ない子供のお話は胸を痛めます。(時代背景もあるでしょうが)
でも、力強くたくましく生きていく様は胸を打たれますよね。
環境によって、子供は強くも弱くもなるのですね。
そして、主人公が男の子と女の子では内容が変わるのですね

ところで、1歳の息子の話ですが最近私にだけ口にチュウを良くしてくるのですが、男の子の育て方として止めた方が良いのでしょうか?
人前ではしないのですが。

宜しくお願い致します。

投稿: ぽんちゃん | 2012年4月14日 (土) 11時45分

 ぽんちゃん、この『よろこびの木』は名作ですよ。

 著者のアストリッド・リンドグレーンさんはスウェーデンを代表する童話作家なので、文章は巧いし、内容もいいですね。
 本当に女の子特有の行動を表現していますよ。

 そのチュウはごく自然な愛情表現ですので、チュウにはチュウで返しましょう。
 男の子は甘えん坊なので、チュウしようとしてくるのは、母親の愛情が巧く伝わっているってことですよ。

投稿: タマティー | 2012年4月14日 (土) 17時22分

ご返答有り難う御座いました
絵本って、想像力を養えますよね
子供がもう少し大きくなったら見せたいです。
今は、三分で1話完結の読み聞かせをしていますが、大人しくは聞いてくれません

チュウの件ですが、私もつい嬉しくてチュウをしてしまうのですが、しても構わなかったのですね。
そのうちに、してくれなくなるのでしょうね

いつも、有り難う御座います。

投稿: ぽんちゃん | 2012年4月14日 (土) 19時19分

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