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2012年6月

「ツルピカ卵子」と「女の人生」

●現在の教育制度は男性に対応したもの

 現在の教育制度は男性の体の成長に合わしたものとして作られているのである。人間の肉体的成長は男女共に19歳がピークと言われる。しかし男性の場合、男性ホルモンの影響のためにその後も多少は成長するものなのである。

 それ以上に大きいのは脳の変化で、30歳ぐらいまでは脳の機能が発達していくのである。男性の場合、大体、30歳辺りで精神的に自立できる人たちが出始める頃であろう。女性が19歳の段階で、もう心身共に大人だということから比べると随分と遅い成長をしてくるものなのである。

 大学院を博士課程まで修了すると28歳になってしまう。なんで28歳なのか長らく疑問であったのだが、この28歳という時期は男性のペニスの硬さが弱くなり始める時期だというのである。この情報源は『CanCam』によるものなので、意外と当っているかもしれない。

 このため女性がのこのこと大学に進学したり、更には大学院に進学するのは、女性の心身に対して相当無理をさせているのだ。女性の体の成長から見れば高卒で充分なのであり、働きもせずに大学や大学院に進学すべきではないのである。

 女性たちにとって男性たちがいくような大学や大学院が不要であるからこそ、フェミニズムに洗脳される女性たちが出て来るのである。自分が高卒で社会に出て働けばフェミニズムなんて全部嘘だというのは解るものなのだが、働きもせずにキャンパスの中にいると、簡単に騙されてしまうのである。

●女性にとって最も大事な時期は「19歳」

 女性の体は男性の体よりも早くに成長が始るものだ。だから女の子には初潮が起こる辺りから男性とは隔離して、女の子たちだけを集めて、女の子に解り易い授業をしてしまうべきなのである。そうなれば中学や高校で知的レベルが高くなり、男女共学の学校よりも高い成果を得ることができるようになるのである。

 女性にとって最も大事な時期は「19歳」の時期なのである。この時期に於いて成長はピークに達して、卵子がツルピカ状態になり、最良の卵子を生むことができるのである。19歳を過ぎれば徐々に老化していくのである。だから女性であるなら、19歳までに結婚し、19歳で始めての赤ちゃんを産んでしまうのがベストなのである。

 19歳で出産すれば理想的にまでに健康な赤ちゃんが生まれるし、体力は充分にあるので育児ノイローゼに罹ったりしなくなるのだ。19歳という比較的若い時期に出産を経験してしまえば、不妊症とは生涯無縁になり、不妊治療のために無駄な時間と費用を費やさなくて済むようになるのだ。

 19歳で初めての赤ちゃんを産めば、20代の内に3人の赤ちゃんを産んでしまうことができるのである。そうなれば母親として一人前になることができるのである。結婚する時期が遅くなるからこそ、3人の子供を作るのが遅くなり、それで一人前の母親になるのが遅れるのである。それどころか晩婚になってしまえば、子供を1人生み育てることで精一杯になり、母親として一人前になることができなくなってしまうのである。

 女性が20代ではまだまだ未熟なので、芸能界や水商売といった特殊な世界で働かない限り、そんなに高収入を得ることはできないものだ。それよりも結婚や妊娠出産育児を通じて女性として自立し、母親として一人前になった方が比べ物にならないくらいの高い利益を得てしまうものなのである。

●問題は主婦に対応した教育システムがないこと!

 19歳で結婚し、20代を妊娠出産育児に費やすという生き方は女性としては最善の生き方なのであるが、大卒や大学院卒の女性たちに比べるとあ或る部分に於いて決定的な欠点が存在するのだ。それは一般教養が絶対的に不足してしまうということなのである。それに専門的知識や専門的技術がないということなのである。

 そこで育児をしながら、通信制の大学に通ったり、放送大学を利用して一般教養を身につけていけばいいのだ。女性が30歳を過ぎる頃からオバサン化してしまうのは、一般教養がなく、自分の視点からしか物事を考えないからなのである。こうなってしまうと、パート労働以外の仕事しかなくなってしまうのである。 

 主婦であるなら子供たちがいる以上、大学に行く必要性はないのだ。自宅で毎日1時間でもいいから、コツコツと勉強していけばいいのである。普通なら大学を4年間で卒業してしまうものだが、通信制なら10年かけて卒業してもいいのだ。大体、卒業に急いでいるわけではなく、それよりもじっくりと一般教養を身につけた方がいいのである。

 問題は「主婦専用の大学院」がないということなのである。専門的知識や専門的技術に関しては最低でも2年間みっちりと教育を受けない限り、身につけることはできないものなのである。主婦である以上、20代の大学院生たちと一緒になって勉強する必要性はないのだ。それよりも「主婦専用の大学院」を作り、主婦たちだけを集めて効果的に勉強させた方がいいのである。

 気をつけるべきは、修士論文をしっかりとした物にすることだ。修士論文のレベルが高くないと、その後、修士としては使い物にならなくなるのだ。主婦の場合、どうしても育児のために子供たちに合わすことができても、レベルの高い物を作り出すことができなくなってしまうのだ。だから主婦専用の大学院では真剣になって勉強すべきなのである。

●「人生三毛作」こそ女の人生を完全燃焼することができる!

 一介の専業主婦が家事や育児の合間を縫って勉強し、しかも大学院を卒業して修士を得てしまえば、育児終了後に働きに出た時、相当にレベルの高い仕事につけるようになるのである。普通の大学や大学院に行った人たちとは違い、既に既婚者として妊娠出産育児を経験した上でやっているので、自立の問題はクリアしているし、夜遊びをするようなこともしないであろう。

 こうなれば一流の仕事ができるようになるのだ。

 育児が終了する時期が一体いつになるかは解らないが、女性ホルモンの分泌量の低下が起こる前までに働きに出るようにすることだ。更年期障害が起こってくると、その病気自体も確かに問題だが、体力が落ちてきてしまうことの方がより深刻な問題なのである。体力がある内に働きに出て、その職場に慣れておかないと、年を取りすぎてからでは無理になってしまうのである。

 女性の場合、人生三毛作にならざるを得ない。

①出生から19歳まで

②19歳から40歳まで

③40歳以降

 この三段階がどうしても存在するのである。19歳で結婚してしまわないからこそ、女性たちは自立の問題で悩んでしまい、挙句の果てには自立できなくなるのだ。自立できない女性たちが多いからこそフェミニズムが蔓延してくるという現象が起こるのである。

 女性の卵子は19歳以降老化してくるものであり、33歳以降は不妊症が出て来るし、40代後半になれば子供を生むのが非常に困難になってしまうのである。確かに女性は生理がある以上、いつでも妊娠可能ではある。しかし肝腎の卵子が老化していってしまうのである。

 女性として生まれたのに結婚もせず、赤ちゃんを産まないのは、女性としては大損の人生を歩んでいるものなのである。結婚をしないからこそ、赤ちゃんを産まないから、本当の愛の意味が解らないのである。恋愛至上主義に走って、どんなにトキメクような恋愛をしても、平凡な結婚に勝てないし、赤ちゃんの笑顔にすら勝てないのである。

 男性であるなら大学や大学院に進学して、その後、就職して働いてしまえばいい。そういう生き方は男性の心身の成長に対応しているのである。だからといって女性たちが男性たちの生き方を真似てしまえば、苦しい生き方を強いられるのである。女性である以上、結婚、そして妊娠出産育児のことを考慮して人生設計を立てないと、自分が年を取ってから大いに後悔することになるのである。

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赤ちゃんが泣き叫ぶ恐怖のベビーカー

●母親にとって便利な物は赤ちゃんにとって有害である

 何事も手間隙かけるからこそ面白いものなのである。これは育児に於いても変わらない。母親が赤ちゃんに対して色々なことをしなければならないからこそ、育児が面白くなってくるのである。もしも赤ちゃんが母乳を飲まなければ、もしも赤ちゃんが自分でオムツを交換したのなら、赤ちゃんへの愛情は薄れていくものだ。

 ところが人間というのは怠けるのが大好きなのである。だから母親たちの中にも必ず怠ける連中が出て来る。母親が怠けてしまえば、育児に於いてトラブルが発生するものなのだが、この手の母親たちはそんなことお構いなしなのだ。赤ちゃんが泣き叫んでも、自分が怠けることを優先させるのだ。

 怠け癖のある母親たちは「自分のために」育児が便利になる育児グッズをすぐさま購入する。赤ちゃんのための育児グッズではないから、育児が余計に厄介になることは簡単に想像できる。大体、母親にとって便利な物は赤ちゃんにとって有害なのである。

 例えば紙オムツ。布オムツでやれば確かに面倒臭いものではあるが、布オムツだと赤ちゃんは小便や大便をする度に泣くことになるので、感情が豊かになるし、それにオムツの卒業も早い。しかし紙オムツだと赤ちゃんは小便をしても泣かないので、感情が乏しくなるし、それにオムツの卒業が遅くなるのだ。

 例えば粉ミルク。母乳で育てれば赤ちゃんは健康に育つし、母親自身も子宮癌や乳癌の発症をなくすことができる。それなのにオッバイの形が崩れるのが嫌だとかいって粉ミルクで育ててしまうと、赤ちゃんはアトピー性皮膚炎に罹ったり、便秘をするようになったり、風邪をひき易くなったりするのだ。

●椅子型ベビーカーは基本的に要らない

 女性は赤ちゃんを生むと母親体型に変わっていくことになる。母親体型になることによって骨盤が横に広がり、更なる妊娠や出産をし易くさせるのである。しかしの体型の変化は腰周りに脂肪がつくし、オッパイが大きくなるし、二の腕も太くなるという現象も起こってくる。

 このためこれを嫌がる母親たちが出て来るのだ。

 この手の母親たちがすることといえば、「おんぶ紐」を一切使わないのである。「おんぶ紐」を使うと、赤ちゃんと一緒にいられるだけでなく、赤ちゃんの重みのために自分の体を母親体型に変えていくことを加速することができるのである。だから「おんぶ紐」を使わなければ、母親体型に変化することを遅らせることができるのである。

 「おんぶ紐」を使わない母親たちが好んで使うのは「ベビーカー」である。しかし母親として未熟であるために、ベビーカーの選び方を完全に間違えているのである。どういうベビーカーを購入するのかというと、母親が便利になるようなベビーカーなのである。

 まず寝台型のベビーカーを購入する際、赤ちゃんが外を見ることになるベビーカーを購入することになる。このベビーカーに赤ちゃんを乗せると、赤ちゃんは泣き叫ぶことになる。赤ちゃんにとって母親の顔が見えないのは恐怖そのものなのである。

 これはまさに「恐怖のベビーカー」なのだ。

 このベビーカーを使う母親は、赤ちゃんが「ぐにゃ座り」をできるようになれば椅子型美ベビーカーを購入することになる。このベビーカーに乗せると、赤ちゃんは大泣きし、椅子に座りながらも後方を振り返り、母親の顔を必死になって見ようとするのだ。もしもこの赤ちゃんの行為を母親が無視すれば、肘掛に腕を置き、感情の消えた赤ちゃんになってしまうのである。

●母親の顔が見える寝台型ベビーカー

 赤ちゃんが小さい時はそんなに重くないのだから、「おんぶ紐」を使えばいいのである。「おんぶ紐」を使えば、赤ちゃんの勝手な行動を抑えることができるし、それに母親が安心して動けるのである。これほど育児で重宝するものはないのだ。

 もしもベビーカーが必要なら、母親の顔が見える寝台型ベビーカーを買えばいいのだ。実際にはベビーカーは買い物の際に使用することになるのだから、買い物袋を巧く置ける場所がないと使う価値がないのだ。そういうベビーカーは頑丈な物だから、多少は値が張るものなのである。

 赤ちゃんは母親の顔が見えるからベビーカーに乗っていても安心することができるのである。母親はベビーカーを押しながらも時折赤ちゃんの顔を視て、赤ちゃんを安心させればいいのである。赤ちゃんは母親の顔を見れば感情が豊かになってくるし、大泣きすることなどなくなるのだ。

 寝台型のベビーカーを卒業すれば、次は椅子型ベビーカーではなく、実は「乳母車」であるのだ。しかしこの乳母車は日本の道路事情に於いては非常に使い勝手が悪い。下手をすると歩道を通行できない場合があるのだ。乳母車を使う母親たちが少ないから、歩道自体、乳母車を使えるように整備されないという悪循環が起こるものなのである。

 乳幼児は疲れたらどこでも寝てしまうのである。これは体内の血液が不足したからなのであって、体を横にすることで血液を生産させるのである。だから乳母車を使って乳幼児を育てると、非常に健康な子供に育ってくるのである。それなのに乳母車を使わないからこそ、母親は抱っこせざるを得ず、充分な血液を生産することができなくなってしまうのである。

●ゴミ置き場に捨てられるベビーカー

 椅子型のベビーカーは基本的に要らないものなんだということが明確に解るシーンがある。それはゴミ置き場に椅子型ベビーカーが捨てられている時だ。この光景を見た時ほどショックな物はない。その母親は一体どんな気持で自分が使ったベビーカーを捨てたのだろうかと思ってしまうのだ。

 不要な物を買ったからこそ、こういうふうに簡単に捨ててしまうのである。育児をしている時、母親はどうしても外に働きに出ることができなくなる。だったらもっとお金の使い方にはシビアになるべきなのに、こういう無駄遣いを平気でしてしまうのである。

 生活を安易に便利にしてしまうと逆に余計にお金がかかるものなのである。例えばコンビニは便利かもしれないけど、コンビニに行っている限り、お金が大量に出て行くものなのである。嘘だと思うならコンビニを使わない生活をしてみればいいのだ。本当にお金を使わなくなるものなのである。

 育児中はケチに徹するべきなのである。ケチだからこそ、たとえ少ない収入であったとしても、確実に豊かに暮らすことができるのである。ケチであればこそ安物を買わず、品質の高い物を買うことになるのだ。そういう物は値段が張るものだ。日々ケチだからこそ、いざという時に高額の品物を買えるのである。

 品質の高いベビーカーや乳母車を買っていれば、乳幼児が大きくなって不要になっても、他に使い道があるものなのである。買い物籠に使ってもいいし、物入れに使ってもいいのだ。いい物は必ずオマケ付きなものなのである。粗悪品だから全くオマケが付かないのである。

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嬉し恥ずかし「イチジク浣腸」

●朝の排便をせずに朝食を食ったツケ

 俺は「朝ウンコをせざる者、朝食を食べるべからず」という格言の持ち主なのだが、この格言を常に家族の者たちに言っている。勿論、自分が言っている以上、この格言どおり毎朝にウンコをして、それから朝食を取ることになっているのだ。

 しかし我が家に於いて、俺の言うことを聞かない人物が1人だけいる。

 それがうちの「父親」なのだ。

 俺がいつも毎朝家族全員に「ちゃんとウンコした?」と聞いているのに、父親だけが俺の質問に答えないのだ。そこで問い詰めてみると、「朝食を食わない限りウンコは出ないだろ」とのこと。順序が逆なんだよ。朝食を食うからウンコが出なく成るんだよ。

 今まではそういう理不尽なことをやっていてもなんの問題も起こらなかった。しかし今回なんと「便秘」をしたのである。朝食を食ってもウンコが出ず、結局、丸1日ウンコが出なかったのである。このため便秘になった初日から体調不良で、外出など一切せずに、自宅に閉じ籠ってしまったのである。

 それなのに翌朝、便秘しているのになぜだか食卓につき、食事を食べるのである。「なんで便秘をしている者が飯を食うんだ!」と俺が激怒。それに対して父親は「食事を食べない限りウンコは出ない」とこれまたわけの解らないことをいう。

 それでウンコが出ればいい。しかしやっぱりウンコは出ず、便秘は2日目に突入してしまったのである。便秘をしているというのに、昼食も食うし、夕食も食うのだ。しかも体調不良のために外に出ないのだ。これでウンコが出るわけがないのだ。

●1週間糞詰まり

 今回の便秘はなんと1週間も続いたのである。人間、1週間も糞詰まりを起こすとどうなるかというと、体からウンコの臭いがしてくるのである。「ちょっとお父さん、ウンコ臭い!」と、有り得ない発言が家の中で飛び交うことになるのだ。本当にウンコ臭いので、近寄るのも嫌になってしまうほどなのである。

 本人にとってはこの便秘が苦痛らしく、外に出ないどころか、ベッドで殆ど寝たきりになってしまった。「寝たきり」というとなんとも症状が酷いと思ってしまうのだが、要は「食っちゃ寝」の毎日なのである。これでどうにかならない方がおかしいであろう。

 これだけ苦しい思いをしているのだから、「ご飯が喉を通らない」と思いきや、それでも食事の時間になると食卓に来るのだ。「だから食うなって!」と俺が言うと、「親に飯をも食わせないつもりか!?」とこれまた意味不明の発言をしてくるのだ。

 この手のバカには何を言っても無駄なので、もう俺は何も言わなくなった。そうすると父親のお腹が便秘のために膨れ上がってきたのである。うちの父親は俺と同じくお腹は出ていないので、このお腹の膨れ具合は不気味なのである。

 ここまでウンコが溜まると歩行するのも困難になってしまって、ヨタヨタ歩きになってしまい、しかも歩いては休み、歩いては休みを繰り返す羽目になってしまったのである。体内に溜まったウンコのために体が余りにも重たくなってしまったのである。

●イチジク浣腸登場

 が、さすがに便秘が1週間を過ぎると、父親の顔が黄土色になってしまった。黄疸のような症状が出てきたので、「これは拙いのではないか?」ということになってしまった。そこで病院に行くように勧めたのだが、父親はこれを拒否。

 仕方ないので、あの「伝説の兵器」を使うことになった。

 それが「イチジク浣腸」である。

 「イチジク浣腸を使え!」と言ったのは俺だが、こういう場合、母親が買いにいくものであろう。しかしなぜだか母親は俺と一緒に買いにいくことを希望し、俺は仕事で忙しいからと避けていたのだが、結局、一緒に買いにいく羽目になってしまった。

 母親もこの年になってイチジク浣腸を買にいくのは恥ずかしかったらしい。

 だから薬局では「子供用のイチジク浣腸ありませんか?」などと訊いたりしたのだ。イチジク浣腸を使う相手はお爺ちゃんだって! 子供じゃありませんよ。1週間以上糞詰まりしている成人男性、しかも頑固者なのだから、大人用の浣腸の3倍くらい効果のある奴でもいいんだって!

 イチジク浣腸をする姿というのはなんとも情けない、父親は下半身丸出しになって、肛門にイチジク浣腸を差し込むのである。よりによって便所の前の廊下でそれを行うのである。「なんであんな所でやんだよ! 自分の部屋でやれ!」って言ったら、「便意を催したらすぐに便所にいけるでしょ」だって。確かにそうだけどさ~。

 イチジク浣腸は子供用とはいえば、その効果は実に素晴らしい。バナナほどのウンコが3本分も出たのである。それだけ大量のウンコが体内にあったということなのである。ウンコが出てから、顔の色も正常に戻り、お腹も前のように凹んだのである。

●便秘解消で大迷惑

 我が家では「さすがはイチジク浣腸! 一発で便秘解消だよ」と賞賛の声が吹きまくったのだが、ここに感謝していない人物が1人。勿論、うちの父親である。曰く「イチジク浣腸を使わなくても、ウンコは出た筈だ」などとぬかしやがるのだ。あのだな~、便秘で散々困っていたのは、アンタだろうが!

 便秘が解消したのだから、人格が成長したなどということは起こらない。前の如くに、毎朝ウンコをせずに朝食を食うのである。便秘事件で何も学んでいない証拠だ。「ウンコをせずに朝食を食うからこそ便秘になるんじゃん」と言っても聞く耳を持たないのだ。

 イチジク浣腸を使って便秘を解消した際、大量に出たウンコは凄まじいほどに臭かったのだが、そのために便器にその悪臭がこびりついてしまったのだ。そこで「お父さん、便所掃除してよ」と言っても、便所掃除をしないのだ。しかも巡り巡って俺にその便所掃除が回ってきたりするのだ。

 今回の教訓。

 便秘の際には「イチジク浣腸」。それと同時に便秘をしている者の頭に突き刺す何かが必要だよ。便秘をする奴は頭もおかしいんだよ。脳味噌が腐っているからこそ、便秘を引き起こすんだよ。一刻も早くこの手の薬を開発して欲しいよ。

 若い時なら無理をしても多少は融通が利くのである。しかし年を取ってくればそうはいかなくなるのである。だから若い内に正しい週間を身につけるべきなのである。悪い習慣を持っていると、最終的には必ず悲惨な目に遭ってしまうものなのである。

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母親からの呪縛から逃れるからこそ、自立していくことができる

●「核家族」と「少子化」が揃うと、とんでもないことが起こる!

 人間は「群生動物」である。個人だけで生きるようにはなっていないのだ。自分1人で生きて行こうとすれば必ず狂って行く。人間は絶対に結婚すべきであって、家族を形成しなければならないのだ。結婚こそ最低限の幸せを保障するものなのである。

 しかし結婚すれば万々歳ということではないのだ。結婚したのなら嫁姑の問題をクリアしていかなければならないし、子供を3人以上生んでいかなければならないのだ。親戚づきあいを拒否して核家族となり、子供を1人や2人しか生まないと、幸せになる結婚が途端に不幸に陥っていくのである。

 その原因はなんといっても、「妻が一人前の母親に成りきれない」からなのである。

 女性の脳は言語能力が達者である。それなのに核家族という小さな集団にいては本当の能力を発揮できないのだ。女性の体は19歳で成長のピークを迎え、40代後半で女性ホルモン分泌量の低下してくる。その25年以上の期間が妊娠可能期間なのであり、それなのに子供が1人や2人で計算が合わないのだ。

 女性は赤ちゃんを生めばすぐさま母親になることができる。しかし一人目の母親になるためには赤ちゃんを3人ほど生み育てる必要性があるのだ。3人以上生まないと、どうしても肩から力が抜けず、母親として一人前になっていくことができないのである。

 子供が1人や2人しかいない場合、絶対に親子関係で揉めてしまう。もしも高齢のためにこれ以上出産することが無理であるなら、その危険性を踏まえて生きていくしかないのだ。若いのに早々と打ち止めにしてしまうと、家庭内が修羅場と化すこともありえるのである。

●母親からの呪縛

 未熟な母親は必ず娘を呪縛してくる。娘は母親からの呪縛のために、仕事も恋愛も結婚も全てが巧く行かなくなってしまうのだ。母親からの呪縛は精神的なものであるがゆえに、それは目には見えず、自分が自分自身と向き合わない限り、絶対に見破ることができないのだ。

 それを解き明かしてくれたのが、Dr.タツコ・マーティン著『母の呪縛から解放される方法』(大和書房)である。

  母の呪縛から解放される方法

 なんで娘は未熟な母親の餌食になってしまうのか?

 それは女性同士だからなのである。母親は娘が自分と同じ女性脳を持っているがゆえに、非常に話し易いのだ。この点、男の子は体は小さくても男性脳を持つので、母親とは話が合わないのだ。だから母親は娘を狙い撃ちしてくるのである。

 それと母親と娘は接している時間が長いことも理由に挙げることができる。父親は仕事のために家庭にはいないものだ。母親が家庭を切り盛りする以上、娘は母親とよく話すわけだし、母親から命じられたこともするものだ。しかしその普段の行為こそが呪縛を引き起こしてくるのである。

 また男女では責任感が違う。男系家族では息子たちが家督を継承したり、分家を起こさなければならないために、早くから責任感を植えつけられる。それに対して娘たちは最終的に嫁に出て行くために、花嫁修業をきちんと課す母親なら別であるが、そういうことをしない母親だと自由に育ててしまうのだ。この自由が曲者で、自由に育てるがゆえに娘を呪縛してくるのである。

 娘が母親からの呪縛を解いて、自立いていくのが如何に大変かは、女性が結婚する際、披露宴などで両親に対して感謝の言葉を号泣しながら述べることでも良く解る。母親から自立していくというのは激痛が走るものなのである。それは肉体的な痛みではないのだ。精神的な痛みであるのだ。だから号泣するのである。

●問題は作者にあり!

 この本には多少問題点がある。

 Dr.タツコ・マーティンは母親からの呪縛がどのように起こり、その解決法はどうすればいいかが書かれているのだが、これでは対処療法にすぎず、根本から治していくことができないのだ。読んでみれば解ることだが、どのお客様たちも問題を完全には解決していないのである。

 なんでこんなヘンテコな現象が起こってしまうのか?

 それはこの著者が結婚はしているが、子供がいないからなのである。別に不妊症に罹っているわけではなさそうなので、結婚しても子供を生まないということは、この作者自身、親から自立していない可能性が非常に高いのである。事実、そうであろう。

 外国で国際結婚した女性の場合、相手の男性の意見を鵜呑みにする傾向がある。自分自身その土地に慣れない限り生活していくことができないので、そういうことをやってしまうのだが、この場合、自分の母国の生活習慣を否定し、バカにするという態度を取ってくる可能性があるのだ。

 こうなるとその女性は確実に傲慢になってくる。このため母国でも人間関係が巧く行かなくなってしまうし、現地に於いても所詮は外国人扱いだから深い人間関係を築くことができなくなってしまうのだ。どっちつかずの宙ぶらりんになってしまうのである。

 但しこの作者に救いがある点はフェミニストではないし、フェミニズムにも汚染されていないということなのである。その理由は文京女子短期大学出身ということで、四年制の大学出身者ではないからなのである。日本のように女性教授たちの大半がフェミニストになっている状況では、短大の方こそ優秀な女性たちが育ってくることになるのだ。

●自立していない女性が自分を愛することも危険性

 この作者の意見で危険だと思うのは、「自分を愛することを勧める」ということなのである。恐らくキリスト教の影響を受けて言っているだけなのだろうが、自立していない女性たちに自分を愛することを説くと、ダメな自分を肯定してしまうということをやってしまうのである。

 結局、「愛」のために自分がそこから抜け出せなくなってしまうのである。

 数学者のゲーテルに「不完全性定理」というものがあるのだが、自分が上位のレベルに行かない限り、今抱えている問題の全てを解決できないのである。母親からの呪縛という問題は自分が自立してしまえば簡単に解決できてしまうのである。だが今は自分が自立していないからこそ母親からの呪縛で苦しんでいるのである。

 そんなダメな自分を愛しても意味がないのである。

 キリスト教から見れば愛は絶対的価値を有するものなのであるが、愛というのは釈迦が喝破したように執着の原因ともなりうるのである。確かに母親からの呪縛で苦しんでいる女性たちは愛の不足で苦しんでいる。だからといって自分で自分を愛すれば、余計に母親からの呪縛を強めてしまうことになるのである。

 母親からの呪縛で苦しむ女性たちはただ単に愛が不足しているのではないのだ。それは「母性愛の不足」なのである。自分の母親が未熟であるために、母親から母性愛をきちんと貰うことができなかったのである。自分が自立していない以上、母性愛は他人から貰うしかないのである。

 問題解決のためには原因を突き止めなければならない。しかし原因を突き止めても、それが新たな執着を引き起こすことを知っておかなければならないのである。こうなると母親からの呪縛に対して、自分がその母親からの呪縛に執着するということになり、余計に厄介なことになってしまうのである。

●許すか憎むか

 自立できない人は必ず誰かを憎んでいる。母親からの呪縛に気付いた女性は必ず自分の母親を憎んでいる。この憎しみの感情は物凄く激しいものなのであって、だからこそ自分を愛することは危険なのである。愛と憎しみは反発するものであるがゆえに、自分を愛してしまえば、母親を憎む自分をも愛してしまうことになるのだ。

 こういう場合、母親を許す以外に憎しみを止めることができない。だからこそこの作者もお客様たちに許すことを勧めている。しかし「ちょっと待てよ」と言いたくなる。もしも母親を許せるような女性なら、そもそも心理カウンセリングなんか受けたりはしない筈だ。状況が深刻だからこそ、心理カウンセリングを受けているのである。

 変に聞こえるかもしれないが、母親を憎むしかないのだ。母親からの呪縛がある以上、母親を憎み、しかも徹底して憎むからこそ、なんとか突破口を見出すことが出来るのである。憎しみはエネルギーの中でも相当強いエネルギーなので、そのエネルギーを使って母親からの呪縛を破壊するのである。

 なぜ成人女性が母親からの呪縛を解き放つことができないのかといえば、自分の心の中に「偽りの上位自我」があるからなのである。この「偽りの上位自我」があればこそ、母親の誘導に引っかかってしまうのである。母親だけが犯罪者ではないのだ。自分も共犯者なのである。

 自分の心の中に「偽りの上位自我」がある限り、自分が幾ら母親を許しても、母親に対して如何なる対処法を使っても、この母親からの呪縛を解くことはできないのである。だからこそ、一見優しそうに見える女性に限って、母親からの呪縛で苦しむことになるのである。

●女性になるための通過儀礼

 如何なる母親であったとしても、完璧な母親などいない。どこの家庭の母親も何かしらの欠点を持っているし、自分の娘を完全に育て上げていくことができないのだ。だからこそ、女性が12歳を過ぎればその女性たちだけを集め、「娘組」に加入させるのである。

 娘組というのは、原則として「花嫁修業の場」である。娘組を出るまでに花嫁になるための力をつけていくのである。しかしそれだけではない。娘組に女性たちしかいない以上、そこで自由に話すことができ、そうやって話していく過程で、自分だけが特別ではないということに気付くのである。

 人間は自分の心の異常に気付くのは難しいが、他人の心の異常なら安易に気付くことができるのである。だからこの娘組jは想像以上に大事で、この娘組に行けば、自然な形で母親からの呪縛に気付き、その呪縛の度合いを緩めることができるのである。

 娘組に入るというのは。女性が自立していくための最初の通過儀礼なのである。

 小学生の時期までなら男女共学でも別に構わない。しかし中学生や高校生の時期ではそれでは困るのである。本来ならこの時期、異性に憧れつつも、異性を排除する時期なので、男女が仲良くしていれば、それは確かに楽しいだろうが、自立していく機会を失ってしまうことになるのだ。

 公立学校に行った女性たちは母親kからの呪縛が解けにくくなる。母親からの呪縛の問題が浮上してきたのは、男女共学の学校増えてからという事実を決して忘れてはならないのだ。男女共学のために女性になるための通過儀礼が破壊されてしまったのである。

●恋愛の大切さ

 娘組は女性同士の友情を育む場所でもある。だから娘組にいれば友人ができ、その内に親友ができることになる。その親友と永遠の友情を作り出すと、或る日突然に初恋がやってくることになるのである。友達と友情を育まずに男性と付き合ってしまうからこそ、恋愛にならないのである。

 恋愛は母親からの呪縛を解くだけのエネルギーを発生させる。冒険旅行をきちんとした男性なら、自分が既に「偽りの上位自我」を破壊しているために、彼女の「偽りの上位自我」をすぐさま見つけ出すことができ、時間をかけて破壊していくことになるのだ。

 だが冒険旅行を終えていない男性なら母親からの呪縛を解くことはできない。その力がないし、その知恵もないのだ。だからずるずるとした関係になってしまい、些細なことで別れてしまうのである。「男性はみんな同じ!」と見ていれば、まともな恋愛をすることなど絶対にできないのだ。

 女性は母親からの呪縛を解かれてしまうと、その男性と結婚することになる。その男性こそが「運命の人」なのであり、まさに自分が生まれる前からその出会いが予定されていたのである。それは実に不思議な縁である。子の不思議な縁があればこそ、結婚生活は非常に楽しくなるのである。

 彼氏が母親からの呪縛を解いてくれないのに、その男性と結婚してしまった場合、その女性は母親からの呪縛で苦しめられることになるのだ。だから結婚後に母親からの呪縛で苦しんでいるのなら、その母親と娘の関係だけでなく、夫婦関係自体にも問題があるということなのである。

●宗教による疑似家族

 宗教団体であるなら、母親と娘の関係に問題が生じないようにし、母親たちだけの組織があるし、娘たちだけの組織がある。それだけでなく、数多くの家族たちが集うことで、異常な親子関係が発生しないように防いでいるのである。

 宗教団体全体が、大きな擬似家族だといっていいのである。これがあればどんな家族であっても、そんなに深刻な問題が発生しないものなのである。たとえ問題が発生したとしても、その問題を教団は解決していってしまうものなのである。

 若者が自立していくために必要なものは「師弟関係」なのである。早い段階で自分の師匠を見つけ出し、その師匠から教えを乞うと同時に、弟子たち同士で切磋琢磨すべきなのである。そういうことをやっていれば、母親からの呪縛など気にしないものだし、その母親からの呪縛も徐々に力を弱めていくのである。

 宗教団体というのはこの手の需要をこちんと満たしてあげるからこそ、存在理由があるのである。女性信者たちが母親からの呪縛で苦しんでいるようであるならば、その教団から女性信者たちが去っていくのは当たり前なのである。往々にして既成宗教団体の方が既得権益の上に胡坐をかき、この仕事をきちんとしてこないものなのである。だから新興宗教団体が発展してくるのである。

 人間というのは人間である限り、「群生動物」であることに変わりはないのだ。まずは結婚して家族を形成し、幾つかの家族たちが集まってより大きな集団を作るのである。現在ではその大きな集団を宗教団体が束ねているのであって、宗教抜きで生きて行こうとすれば、途端に家庭内で問題が発生してしまうものなのである。このことはくれぐれも忘れない方がいい。

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10年以内に東京大震災がやってくる!

●10年後に起こる大震災

 東日本大震災が起こってから関東地方では地震が起こりまくっているのだが、これは東日本大震災のためにプレートが移動したためで、そのために関東地方に歪が溜まっているのである。今は大事に至っていないが、いずれ関東地方で大震災が起こるのは必至なのだ。

 貞観大地震の際もその9年後には関東地方で大地震が起こっているのだ。東北地方で大震災が起こると、10年以内に関東地方でも大震災が起こるというのは。地震学の研究から得られた貴重な情報なのである。大地震はいつか来るものなのではなく、東日本大震災から10年以内に起こるものだと思って、今から行動を起こしておくべきなのである。

 震源地は一体どこになるかといえば、それは神奈川県である。現在、千葉県や茨城県で地震が起こっているし、長野県や山梨県や静岡県でも起こっているのだ。しかし神奈川県を震源とする地震だけはないので、ここみ歪が溜まっていると見るべきなのである。

 もう1つの可能性は東京直下で起こる大地震である。特に東京23区は地盤が軟らかいために、ここを震源とする大地震が起こると、大災害に発展することになる。政府は東京直下で起こ大地震の方を恐れており、それゆに神奈川県を震源とする大地震が起こった時、逆にこっちの方が被害を大きくしてしまうのだ。

 神奈川県を震源とする大地震と、東京都を震源とする大地震では、その被害がまるで違ってくる。東京都は関東大震災以来、大地震に対して準備をしてきた地方自治体なのである。それに対して神奈川県は同じ関東大震災に遭ったにも拘わらず、官公労の力が強いために、それほど真剣になって準備をしてこなったのである。

 人口数は東京の方が多いために、大震災が起こった時は一見、東京の方の被害が大きく見えるかもしれない。しかし人口比率で言うと絶対に神奈川県の方の被害が大きくなるのだ。準備しているかしていなかは、大震災の時は強烈に出て来るものなのである。

●「防災体制の確立」と「避難訓練」

 大震災を目の前にして、個々人が出来ることといえば、なんといっても「耐震設計のある家に住むこと」だ。大震災では家がペシャンコになれば、家族の者たちは全員即死なのである。家屋が倒壊しなければなんとかなるものなのである。

 もしもオンボロな家に住んでいるのなら、引越しを躊躇するな。大地震が来ると解っているのなら、地盤が強く、耐震設計の施されている家を探せば必ず見つかるものだ。今の内に引越しをしておけば、被害を最小限で食い止めることができるのである。

 気をつけるべきは箪笥や本棚である。これは大地震が起こると倒れてくるので、この下敷きになって死亡してしまう危険性があるのだ。だから必ず固定しておく。カラーボックスを使っていると、大地震の時はそれが飛び、凶器と化すので、そういう安直な物は使わないようにすることだ。

 大震災が起これば、一時的にライフラインが止まるので、水と食料の備蓄は絶対に欠かせない。水はポリタンクやペットボトルを効果的に使って、その備蓄を怠らないようにすることだ。食料に関しては普段から保存できる食品を溜め込んでいくべきであって、震災後でも栄養バランスの取れた食事ができるようにすることだ。

 大震災で家が倒壊した時、避難所に避難しなければならないのだが、その際に「非常用リュック」を持っていくことだ。着の身着のままでは絶対に生活に困るのだ。特にタオルは手拭にも使えるし、マフラーにも使えるので、非常に重宝する一品なのである。

 震災後に想像以上に役立つのは「現金」である。現金があれば、必要な物資を購入することができるのだ。震災後は銀行だって機能停止してしまうので、現金を何1つ持たないような生活は送らないことだ。キャッシュレスは便利であっても、それは飽くまでも平時に於いてでなのである。

 避難先の確保は必ずしておくことだ。避難所を知らないというのでは話にならないのだ。実際に家族全員で歩いてみることだ。そういう避難訓練を絶対にやっておくべきだ。できることなら「テント」を持って、避難所に行かなくてもテントを張って暮らすことをすべきなのである。

●戒厳令がないことの悲劇

 「非常時は独裁で乗り切るもの」なのである。大震災が起こったのなら、行政権の長に権力を集中させ、その強力な権限を使って効果的に処理していくのである。これ以外の方法で無理なのであって。独裁が行えなければ被害が拡大してしまうのである。東日本大震災でも、菅直人首相が平時の体制で大震災の処理に当ったために、余計に被災者たちは悲惨な目に遭ってしまったのである。

 なんでこんなバカげたことをやっているのかといえば、昭和憲法そのものに重大な欠陥があるからなのである。昭和憲法には軍隊の規定がないし、戒厳令の規定もないのだ。非常時には首相に独裁権力を行使させるという規定もないのだ。

 これだけは覚えておいた方がいいのは、非常時では自衛隊こそ頼りであるということである。自衛隊は戦争をするために準備しているので、大震災が起こっても充分に対応することができるのである。ということは、平時に於いて自衛隊と交流のない地方自治体は非常に危険だということだ。

 自衛隊についで消防隊や消防団が頼りになる。逆に警察は最も頼りにならない。消防隊や消防団は非常時を想定して訓練しているが、警察は非常時を想定していないのである。福島の原発事故でも、自衛隊も消防隊も活躍したのに、警察だけは逃げ出したのは、非常時を考えている組織かそうでないかの差であるのだ。

 震災後に政府の対応を批判したり、警察官の行動に怒ったりするのは、エネルギーの無駄だと思うべきなのである。昭和憲法がある以上、震災後に政府がきちんと対応するということはないし、警察官たちも震災後だからこそ被災者たちを怒らせるような行動を取ってくるのだ。

●大震災だからこそチャンス

 大震災が来るのは解っているのだから、充分に準備をしておけば、大震災が起こってもきちんと対応できるのである。家族には大震災を恐れすぎないようにすることだ。それよりも、「即死を免れれば、生き残れるチャンスは必ずある!」ことを教えておくべきなのである。

 関東地方に大震災が起こった場合、経済は壊滅状態になることは絶対に免れない。その年の経済成長は絶対にマイナス成長になる。しかし震災後に「震災特需」が起こって来て、その一年後には景気が回復してしまうものなのである。

 都市部の被害が大きければ大きいほど、「都市の再開発」は進むことになる。今までのような住宅の不足というのは震災後には一気に解消に向うことであろう。大体、都市の重要な場所に、平屋が建っているということ自体がおかしいのである。

 それと大震災では多数の死者が出るが、その反面、人口減少による人間の質の向上が起こってくる。現在では人口が多すぎるために、劣等な人たちが多すぎるのだ。テレビで低俗な番組ばかりやっているからこそ、国民の質が低下していくのだ。大震災が起これば、こういう低俗な連中は死んで貰い、その後、優秀な人たちが活躍することができるようになるのだ。

 横浜大震災か東京大震災が起これば、「政府の基本政策の転換」が必ず起こる。とにかく「「社会保障の廃止」「男女共同参画社会の廃止」を決定しないと、国家財政が破綻してしまうのである。政府は男女共同参画社会実現のために、もう10兆円以上も使っているのである。それだけの大金を使ってもなんの効果もないのである。

 昭和憲法体制の下で日本は経済発展をしてしまったために、なかなかこの昭和憲法の洗脳が解けないのだ。東日本大震災でなんでこんなに犠牲者が出たのかといえば、それは憲法に欠陥があるからなのである。横浜大震災や東京大震災でも同じ悲劇が繰り返されるのである。憲法による洗脳というのは、本当に恐ろしいものなのである。

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体を縮めるからこそ幸せになれる

●哺乳動物の特性

 哺乳動物はどの動物であったとしても、「妊娠のためには雌が体を縮める」ということでは皆同じである。雌が体を縮めるというのは自分が妊娠したいことを雄に知らせることなのであって、この時になって雄は初めて交尾することになる。

 哺乳動物は常に発情したりはしない。大人になるまで交尾をしないしものだし、大人になっても発情期というものがあるし、雌が交尾することに許可を与えないと交尾をしない。これは「自然界の掟」なのであって、破ることは絶対に許されないのだ。

 しかしこの「自然界の掟」をいとも簡単に破っている動物がいる。それが人間たちなのである。人間は未成年者であってもセックスしてしまうし、年がら年中セックスしてくるし、女性が体を縮めなくてもセックスをしてしまう。人間は「狂った動物」なのであって、この事実を理解していないと、とんでもない間違いを犯してしまうのだ。

 恋愛というのは男女間の闘争なのである。男性は他の男性たちと競争して排除し、たった一人の女性を物にすることで妊娠させるのである。男性が恋愛をしたければ、強くならねばならないのである。一方、女性は他の女性たちと競争することで美しくなり、より強い男性と巡り合うことで妊娠し、優秀な赤ちゃんを生み育てて行くことになるのである。

 男性は強くあらねばならないし、女性は美しくあらねばならないのである。それができるまでは禁欲に徹するべきであって、下手に異性と交際するべきではないのである。たとえ交際しても、女性の生理が終ってから1週間は禁欲し、セックスをしない期間を設けるべきなのである。そして女性はセックスをしたいのなら、男性の前では体を縮めるようにしなければならないのだ。

●体を縮めることの大切さ

 大体、女性は恋愛をしたのなら、彼氏の前では体を縮めるようになる。彼氏が堂々としているのに、その横に体を縮めて、俯いていたりするのだ。初めて恋愛をした男性だと、自分の彼女の奇妙な行動に驚いてしまうものだが、あれは哺乳動物としては当然の行動なのである。

 これが結婚になると更にエスカレートしてくる。結婚式とか披露宴では新婦の方は常に体を縮めっぱなしだ。これは誰に教えられたわけでも、新婦であるなら自然にできるも仕草なのである。結婚式や披露宴の主役は新郎新婦であっても、盛り上げるのは招待客の方であるのだ。

 新婚生活が始まれば、新しい妻は常に夫に傅いてくる。この期間はかなりの期間に及ぶのであって、女性はそうしないと妊娠できないのである。傅くという行動は古臭い行動に見えるが、実は女性ホルモンを効果的に分泌させ、自分の体を妊娠できる体に変えているのである。

 女性というのは赤ちゃんを生まない限り母親になることはできない。結婚したらとにかく早めに赤ちゃんを生まねばならないのだ。結婚した夫婦の90%以上が結婚してから3年以内に赤ちゃんを出産しているのだが、妻は妊娠出産育児を通じて主導権を握っていくのである。

 フェミニストたちにしてみれば、女性が男性の前で体を縮めるのは、「女性差別だ!」と言ってくるだろうが、男女は平等な行動を取らないのである。女性には女性特有の行動があって、女性が男性の前で体を縮めるのは、それなりの理由があってのことなのである。体を縮めるからこそ、家庭内の主導権を握っていくことができるのである。

 これは「女の生きる知恵」なのであって、「女性のしたたかさ」が如実に現れてくる所なのである。

●体を縮めないからこそ悲劇が起こる

 もしも女性が男性の前で体を縮めないと、一体どうなるのであろうか? 「女としての悲劇」が確実に起こることになるのだ。

①出会いがない

 まず男性の前で体を縮める動作を知らない女性は男性との出会いがないものだ。当たり前のことだが、体を縮めないような女性は男性としては妊娠する気がないと無意識で察知してしまい、そのために素通りすることになるのである。

 一番解り易い例がタレントの「光浦靖子」である。体を縮める動作は一切しないし、していない。しかも常に顎が上がり、他人に対して文句を言うような顔つきになってしまっているのである。これでは出会いが起こるわけがないのだ。

②恋愛不全症

 女性が体を縮めないと、恋愛がいつも不全に終ってしまう。男性がセックスしても、全然盛り上がらないのだ。しかも普段の会話でも体を縮めていないから、恋愛中の男女が交わすであろう「愛の囁き」がまるでなくなってしまうのである。こうなると別れるのは必至なのである。

③結婚できない

 女性が結婚適齢期を過ぎても結婚できない場合、その女性たちは絶対といっていいほど、体を縮める動作をしない。体を縮める動作をしないということは、相手の男性に対して「私は妊娠する気がありません」と言っているようなもので、これでは結婚できるわけがないのだ。

④妊娠できない

 結婚後、不妊症に罹る女性たちも体を縮める動作をしない。不妊症に罹ると妻が一人で病院に行くということを仕出かしてしまうのだが、こういう重要な問題なのに夫婦で相談するということをしないのである。当たり前のことであるが、もしも夫婦間で不妊症のことを話し合うのなら、妻の方は絶対に体を縮める筈だ。自分になんらかの落ち度があるからである。しかしそんなことをしないのだから、不妊症が悪化するのは当然のことなのである。

⑤妻が豹変

 結婚前は妻は大人しかったのに、結婚後に妻が豹変して凶暴になったというのなら、それは夫のセックスが下手糞だからなのである。女性は男性に対して体を縮める以上、妊娠したいし、性的な満足感が欲しいのである。妊娠させても、妻に対して性的満足を与えることができなければ、妻は豹変し、凶暴になってくるのは当たり前のことなのである。

●凸凹コンビはなぜ巧く行く?

 結婚による幸せを持続させ、更にその幸せを拡大させていく夫婦は、大概が「凸凹コンビ」である。イケメンの夫に不細工な妻、不細工な夫に美しすぎる妻、こういうアンバランスな夫婦だと、妻は夫の前で体を縮めるようになるのだ。不細工な妻はイケメンの夫に捨てられないように、不細工な夫は美しすぎる妻を大事にするので、妻たちは自然な形で体を縮めることができるようになるのだ。

 夫婦間に身長差があるともっと明確になってくる。

 夫の身長が高く、妻の身長が低いと、妻は普段から身を縮めざるをえなくなる。若い女性は身長の高い男性を好むものであるが、これは人間としては自然な欲求であるのだ。女性は自分より身長の高い男性と付き合い、結婚してしまえば、確実に赤ちゃんを生むことができるjからだ。

 夫の身長が低く、妻の身長が高い「ノミ夫婦」でも、妻は普段から体を縮めざるをえなくなる。身長の高い女性は身長の低い男性を好んでしまったりするが、これは女性としては自然な欲求であるのだ。自分よりも身長の高い男性は少ない以上、確率論的には自分よりも身長の低い男性を探した方がいいのだ。

 では夫婦間の身長が大差ない場合、どうすればいいのかというと、妻は夫よりも3歩下がって歩くようにすることだ。これをやると夫は妻の前を歩き、しかも妻は夫の後ろをついていくという格好になる。この歩き方をすると、妻は自然な形で身を縮めることができるようになるのだ。

 3歩下がれば夫婦間の問題は殆ど起こらなくなるのである。

 女性が体を縮めるという動作は、実は女性にとって気持いい動作であるのだ。だから時折、遊びで体を縮めるゲームでもやってみればいいのだ。これをやると、どの女性であったも楽しくなってしまい、ゲームが終る頃には非常に女らしくなり、美しくなっているものなのである。それだけ女性ホルモンが大量に出たということなのである。

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スポーツの「勝ち方」と「負け方」

●なぜ野球は衰退したのか?

 俺が子供の頃、子供たちで遊ぶ時は、2回に1回が野球だった。それほど野球には人気があったのである。野球をやれば誰もが熱中できるので、子供たちの遊びとしては好都合だったのである。俺たちの世代はテレビゲームが普及する直前の世代だったので、本当にラッキーだったと思う。

 ところが小学五年生になると、テレビのプロ野球報道に関して疑問を持ってしまったのである。どのテレビ局も読売ジャイアンツが勝てばいいという報道の仕方なので、「これはおかしんではないかい?」と思うようになってしまったのである。

 俺自身、アンチジャイアンツではない。その当時被っていた野球帽は読売ジャイアンツの帽子だったのである。東京ドームの前身の後楽園球場にも試合を見に行ったくらいだ。しかし自分の贔屓にしているプロ野球チームが勝ちさえすればいいとうのは、アンフェアな態度と思ってしまい、それ以降、野球熱が冷めてしまい、子供同士で集まっても野球をしなくなってしまった。

 俺は中学高校を私立学校に行ったのだが、その学校は男子校で当然のことながら、女性と付き合おうとすればひと苦労もふた苦労もしなければならない。それなのにうちの学校のサッカー部員たちは女の子たちにモテていたのである。それに比べて野球部員は男同士でつるんでいるのである。

 俺はこの時、直感で「サッカーはいずれ国民的人気を獲得できるのではないか?」と思ってしまった。事実、俺が大学生の時に「Jリーグ」が発足したし、その後もサッカー人気は順調に高まっていった。一方、プロ野球はナベツネ事件に端を発して、人気が凋落していったのである。

 俺が子供の頃に「日本のプロ野球は面白くない」と見破ったが、それを国民が解るまでには20年の歳月が必要だったのである。

●悪いゲームとは?

 なんでプロ野球の試合がつまらなく、サッカーの試合が面白くなってしまったのか?

①下手に勝つ

 その理由の筆頭は「下手に勝つ」からなのである。プロ野球だと読売ジャイアンツが勝てばいいだろうとやっているから詰まらないのである。他の球団も読売ジャイアンツに釣られて自分たちの球団が勝ちさえすればいいんだろうとやってしまうから余計に詰まらなくなるのである。

 ただ単に勝てばいいということでは、プロスポーツは面白くならない。勝利することは確かに面白いが、その勝利に持っていく過程が面白くなければならないのである。どこかの強いチームが一方的に勝つというのでは、それは勝って当たり前ではないかと思ってしまうのである。

②下手に負ける

 プロ野球が詰まらないもう1つの要因は「下手に負ける試合が異様に多い」ということなのである。7回辺りで点差が開きすぎてしまうと、観客たちは帰っていくし、選手たちは真剣になってやらない。幾ら負けていても、9回の裏まで真剣に戦ってくれれば面白いものを、翌日の試合のことを考えて体力を温存してしまうのである。

 時折、「高校野球の方がプロ野球よりも面白い」という意見が聞かれるが、高校野球にはこうした「下手に負ける」という試合が少ないからなのである。実際、県大会には悲惨としかいいようのない試合があるだが、全国大会になると確かに面白い試合の方が断然に多くなるのだ。

③下手に引き分ける

 プロ野球からファンを離れさせた要因の1つに「下手に引き分ける」ことをやったからなのである。野球は9回までやると結構時間を食うので、9回が終った時点で試合を終了するべきなのである。それなのに延長戦が行われれば堪ったものではないのだ。

 9回まで戦って引き分けなら、それでいいのである。ところが延長戦をやろうというのだから、引き分けの価値をグ~ンと下げてしまうのである。しかも野球の場合、延長戦を戦っても、そんなに面白い試合にならないのだ。野球は延長戦に不向きなスポーツだということが解っていないのである。

●良いゲームとは?

 これに対してサッカーは「良いゲーム」を多くやっているように思える。だからこそ着実に人気を得て、プロ野球の人気よりも上回ってしまったのである。

①上手に勝つ

 サッカーの試合の場合、「1ー0」で終る試合が非常に多い。サッカーは攻撃に重点を置くのではなく、防御に重点を置き、防戦することで敵陣を崩し、そこから攻撃に転じて得点するスポーツなのである。こういうことをやっていれば、攻守ともに優れていることになるので、当然に試合の出来が一気に高まってくるのである。

②上手に引き分ける

 サッカーの場合、引き分けの価値を高めたと言っていい。普通の試合では90分戦えばそれで終わりなので、双方のチームには勝敗以外に引き分けという選択肢もあるのである。特別の試合では延長戦があり、それでも決まらない時はPK戦になるのだが、サッカーなら延長戦でも盛り上がるし、PK戦なら「運」を楽しむことができる。

③上手に負ける

 試合に勝敗は付き物だが、上手に負けることを多くやっているのもサッカーなのだ。たとえ自分たちが失点していても、選手たち全員が全力で戦ってくれれば、それなりの感動を与えるものなのである。サッカーの試合では点差がそんなに開かないからこそ、選手たちが諦めないのだ。

 惜しい負け方よりも「ボロ負け」の方に価値があるものなのである。日本のサッカー史では「ドーハの悲劇」を絶対に忘れることができないことであろう。あの悲惨な負け方があればこそ、選手たちもファンたちも一体となってワールドカップを目指そうと言うことになったのである。

 試合に勝敗は付き物だが、かといって勝つことだけに拘ることは非常に危険なのだ。試合をやれば負けることがあるのだし、負けた時に上手に負ければたとえ負けたとしても明日に繋がるのだ。それに勝ち負け以外に引き分けがあれば、それを巧く使って試合を盛り上げていくこともできるのである。

●ポジショニングの面白さ

 サッカーが世界的な人気を得るスポーツになっているのは、なんといってもワールドカップが面白いからであろう。野球にもワールドベースボールクラシックというなんとも奇妙な名前の国際トーナメントがあるが、野球ワールドカップにしていない時点で、これでは世界的な人気を得ることができないと解る。

 サッカーのワールドカップがなんで面白いのかといえば、必ずしも優勝しなくていいからなのである。どのチームだって優勝を目指しはするが、必ずしも優勝しなくていいから、どのチームも参加のし甲斐があるのだ。野球なら負けたら終わりだ。ところがサッカーではそうなっていないのである。

 まずは予選リーグ突破だ。これをするだけで価値があるのだ。たとえ予選リーグを突破できなくても、予選リーグで1勝すればめっけもんなんおである。また予選リーグで1勝すらできなくても、得点さえすればそれでも価値はあるのである。

 大体、ワールドカップでは「8強」が最も実力のあるチームであろう。後は僅差にしかすぎないのだ。だから予選リーグを突破して、8強までに伸し上がっていく。その後、優勝できるかどうか運次第なので、しっかりとした実力をつけつつも、決して運を蔑ろにしてはならないのだ。

 サッカーのワールドカップの面白さが解ってくると、サッカー選手とファッションモデルが付き合う理由が良く解ってくる。ファッションモデルたちも職業柄、ポジショニングをやっているので、サッカー選手たちのように、これまた職業柄、ポジショニングをやっている男性たちとは話が合うのである。

●子供にスポーツを教える時

 現在、サッカーに人気があるから、我が子にサッカーをやらせるのが無難であろう。かといって野球は人気が凋落しているとはいえ、まだまだ需要はあるのだ。また他にもスポーツは沢山あるのだから、まだ人気が出ていない内に手を出しておけば、子供が大きくなる頃にはヒットしているかもしれないのだ。

 我が子にスポーツを教える時、親は、特に父親は、次のことを教えておかなければならない。

①とにかくトップを目指す

 我が子にはとにかくトップを目指すようにさせることだ。子供は能力が急成長することもありえるので、トップを目指してやらした方が良いのである。この点は野球方式でやった方がいいのだ。現在は少子化ゆえに、子供の頃にトップに立ってしまえば、その後もトップに立ち続け、日本代表として国際的に活躍することができるようになるのだ。

②上位2割に入っておく

 ところがトップを取るのは難しい。だから上位2割に入っておくことの大切さを教えるべきなのである。上位2割に入っていれば、いつでもトップを狙えるからだ。この点はサッカー方式でやった方がいいのだ。トップに立つことに拘りすぎれば、スポーツの面白さが解らなくなってしまうものなのである。

③上手な負け方を教える

 試合をやれば、勝つこともあるが、負けることもある。我が子が試合に負けて帰ってきた時は、叱るのではなく、その負けた理由を考えさせることだ。親子で話し合っていれば、いずれ上手な負け方ができるようになるのだ。そうなると負けが負けにならなくなり、着実に実力を上げていくことになるのだ。

 野球は子供の頃から野球ばかりやってきた人たちを集めてしまったからこそ、自分たちのやっていることの間違いに気付かなかったのである。サッカーも現在は人気があるが、子供の頃からサッカーばかりやっている人たちを集めてしまえば、いずれサッカーの欠点が露呈し、違うスポーツに取って代わられることになるのだ。

 だから小学生の頃には様々なスポーツにチャレンジさせることだ。中学生から1つのスポーツに絞ってやらせるようにすればいいのだ。どのスポーツも親の戦略が絶対に欠かせないのだ。親にしっかりとした戦略があればこそ、子供はスポーツの世界で活躍していくことができるようになるのである。

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恋愛に関する悲劇の原因は家の中の汚れにあり

●「恋の悩み」の形態は様々だけと、根本は同じ

 若い女性たちに「恋の悩み」を訊けば実に様々なことを言ってくる。「出会いがない」とか、「友達以上の関係にならない」とか、「セックスするとすぐに別れてしまう」とか、「付き合っているけど喧嘩が絶えない」とか、普通の女の子ですらこの有様なのだ。

 これが悪化してくると病気のような症状を呈して、「失恋中毒」とか、「恋人間暴力」とか、「男性恐怖症」とかにもなってくる。ここまで来ると精神科医が担当する領域に入ってしまうのだ。結婚話が順調に進んでいたのに結婚をドタキャンされてショックするというのも、充分に精神病の症状なのである。

 「恋の悩み」の形態は様々だけど根本は同じなのだ。こういう女性たちは掃除をしないのだ。掃除をせず、自宅が汚れているからこそ、マイナスのエネルギーを発生させてしまい、それが恋の悩みを引き起こしているだけなのである。

 人間は恋愛に於いて、男女が同じ行動をするのではない。女性が恋をすると、オシャレをしたり、自宅を掃除したりする。一方、男性はそういうことをせず、寧ろ仕事で手柄を立て、収入を多くしていこうとする。男女の行動は正反対のように見えるが、実は双方必要だからやっているのだ。

 女性は恋愛をして妊娠してしまえば、10ヶ月間は妊娠し、その後、2年以上は育児に付きっ切りとなる。だから相手を間違えてはならないし、子供を生み育てる場所を確保しなければならないのだ。男性は妊娠出産育児に関する費用を負担しなければならないのだ。それゆえ仕事を頑張るのである。

●家の中が汚いと素直さが消える

 女性が自宅を掃除しないと、深刻な問題が発生してくるのである。それは「素直じゃなくなる」のである。素直じゃないからこそ、自分にとって最善の相手を見つけ出すことが出来ないのだ。素直じゃないからこそ、いざ交際を始めても、いつもトラブルを引き起こしてしまうのだ。

 自宅が汚い女性に限って、「誤解が起こるような会話」を平気でして仕舞うのだ。家の中がゴチャゴチャだからこそ、自分の考えが整理できず、それで乱雑なまま会話をしてしまうから、当然に相手の男性は怒り狂うことになってしまうのである。

 掃除をしない女性は勘が悪いものだ。男性にとって女性の勘がいいことは、自分の浮気がバレる危険度が増すのだが、女性の勘が良くないと、恋愛が巧く進んでいないのだ。男性にしてみれば勘の悪い女性に育児など任すことはできないのだ。 「それぐらい、女だから気付けよ!」と言われたら、もうお仕舞いなのである。

 恋愛に於いて絶対に間違えてはんらないのは、相手を間違えないことだ。恋愛は男女間二人で行われる以上、相手の男性さえ間違えなければ巧く行くものなのである。いい男性と出会うためにオシャレをすることは勿論必要だ。しかしそれ以前にしなければならないのは、実は掃除なのである。

 普段から掃除をしていると、まず自分の女友達の中で不要な人たちが消えていくのだ。自分にとって有用な女友達しか残らないし、有益な女友達しかやってこなくなるのだ。この現象が起き始めると、有益な男友達ができるようになり、その内、「これだ!」と思う素敵な男性に巡り合ってしまうのである。

●過去の遺物があると自分の進展の邪魔をする

 掃除というのはただ単に掃いたり拭いたりするのではない。不要な物を捨てるのである。不要な物を捨てない限り、掃除にならないのだ。得に恋愛では「過去の遺物」があると、自分の恋愛を大いに邪魔してくることになるのだ。自分が成長したからこそ、捨てなければならない物があるのだ。

①学生の頃の思い出の品

 女性の体は19歳でピークに達するので、これ以前とこれ以降とでは随分と違うことになってしまうのだ。まともな女性であるなら、高校生の頃に使っていた物を一斉廃棄するものなのである。これを行うからこそ、本格的に自立が始まるといっていいのだ。

 若い女性が良くやるパターンが高校生の頃に使っていた「トレパン」を自宅に於ける普段着として使用してしまうことだ。これは絶対にやめた方がいい。確かに高校生の頃に使っていたトレパンは使い勝手がいいのだが、自宅でこういうことをやっているということは、気分が未だに高校生のままなのである。これでは恋愛でトラブルが発生するのは当たり前なのだ。

②前の彼氏との思い出の品

 女性が失恋をしたのなら、未練がましく前の彼氏との思い出の品を持ち続けることは危険である。如何なる贈り物と雖も、その送り主の念が込められているのであって、それが自分の新たな出会いや新たな恋愛の邪魔をしてくるのだ。

 テレビとかで、女性が前の彼氏から貰った宝石やバッグを質屋に買って貰うシーンが放送されたりすることがあるが、これは女性にとって必要な行為だからこそするのである。これをやらないと、自分の恋愛運が急激に下がっていくものなのである。

③昔の趣味の品

 女性が恋をすれば、趣味が変わるものだ。代表的な例ではジャニーズファンだった女性が恋愛をすると、ジャニーズ熱が冷めてしまい、ジャニーズ関連のグッズを処分してしまうことをやるのだ。アイドルというのは擬似恋愛を提供するものだから、自分が実際に恋愛してしまうと、アイドルを捨て去っていくものなのである。

 女性が30歳を過ぎてもジャニーズに嵌っているなんて、自分の恋愛を永久的に不可能にさせてしまうものだ。しかし実際にはこの手の女性たちは結構いるのだ。女性が結婚適齢期を過ぎてしまえば、結婚すること自体が困難になってしまうし、いざ結婚したとしても不妊症に罹ってしまうリスクを高めてしまうものなのである。

●号泣しながらの掃除

 「恋の悩み」を抱える女性に話を聞くと、大抵が「相手の男性が悪い!」ということになってしまう。自分に何かしらの落ち度があるということが全然解っていないのである。男女二人が恋愛をして、一方的に誰かが悪いということは絶対に有り得ないのだ。

 だからこの手のバカ女たちには掃除をさせるべきなのである。掃除をすれば、最初はただ単に掃除だけをすることになる。しかし掃除をし続けていくと、「自分にも落ち度があった」ことに初めて気付くのである。そうなるともう号泣であり、号泣しながら掃除をすることになるのだ。

 掃除というのは「家の中の塵」を払うだけではなく、「心の中の塵」をも払ってしまうのである。だからこそ掃除は効果が大きいのだ。掃除をすることで自分と向き合い、自分の心の中の穢れを捨て去ることで、ひと皮剥けることになるのである。

 もしも掃除をすることだけが素晴らしいのなら、清掃業者の人たちがモテモテになっている筈だ。しかしそんなことはない。専門的に掃除することはできても、自分と向き合って自分の心まで掃除をしているわけではないからなのである。

 「恋の悩み」を抱えているのなら、掃除をしよう! 特に風呂場の掃除は効果的だ。風呂場の床がヌルヌルしていない? 風呂場の壁にはカビが生えていない? 風呂場の排水口に髪の毛が溜まっていない? そんな汚い所で入浴をしていたんだよ。

 恋愛には重要な時期というものがあるのだ。交際をすればいずれ盛り上がる時が来るものだ。その盛り上がる時にきちんと盛り上がっておかないと、恋愛の醍醐味が解らなくなってしまうのだ。恋愛の醍醐味が解らないからこそ、低レベルの出会いと別れを繰り返してしまうことになるのだ。掃除をしていないからこそ、そういう無駄な行為を繰り返してしまうのである。

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恋愛と掃除の意外な関係

●恋バナはしても恋愛はなし

 女性の話の中で恋愛に関する話ほど信用できないものはない。「恋愛の話」を<恋バナ>といらしいのだが、若い女性たちに良く話を聞き、問い詰めていくと、「私、恋バナを良くするんですけど、実際に恋愛をしたことがないんですよね~」とイケシャーシャー言ったりするのだ。

 恋バナの大半は、要は「自分は誰それが好き」「誰々ちゃんはあの男性に夢中」という程度の話なのである。恋愛ではなく、「好き嫌い」のレベルのお話なのだ。そんで、本当に恋愛をし出すと、自分が誰かと付き合っていることだけは伝え、その内容は言わなくなるのである。

 まあ、恋愛ってそんなもんでしょう。

 恋愛が巧く行く女性たちは或る種の共通項がある。それは「恋愛することを焦らない」ということだ。高校生や大学生の時なら部活や勉強に打ち込んで、恋愛以外のことに重点を置くのだ。そうやって恋愛とは無縁の生活を送っていると、或る日突然に恋愛をしてしまい、しかもその恋愛が巧く行ってしまうのである。

 しかし部活や勉強に熱中せず、恋愛に夢中になってしまい、男性にラブレターを出したり、合コンに参加してみたり、夜のクラブなどに行っていると。男性たちとは出会えるが、結局、どうやっても恋愛にならないし、たとえ出来たとしても恋愛は巧く行かなくなってしまうのだ。

 恋愛を過大評価することは非常に危険なのだ。若い時は恋愛だけをしているものではない。恋愛以外にも様々なことをしなければならない。だからそれらのことをやりまくっていくべきなのである。そうやって青春時代を充実させていけば、恋愛など付属物のような形で簡単に発生してくるものなのである。

●なぜ掃除なのか?

 もしもいい恋愛をしたと思うなら、「掃除」をしろ! 掃除こそ女性の恋愛運を高める最も効果的な行為なのである。掃除がきちんと出来ている女性は恋愛に焦らないし、時が来ればちゃんとした恋愛をしている。逆に掃除をしない女性は恋愛に焦ってしまい、ダメな恋愛をしてしまうものなのである。

①素直になれる

 なんで掃除が恋愛に最も効果的なのかというと、それは掃除をすると「素直」になれるからなのである。素直だからこそ、いい出会いを見つけることができし、しかも確実に物にすることができるのである。自分が自分自身に対して素直じゃないと、間違った相手を掴んでしまうのである。

②綺麗になれる

 掃除が出来る女性はとにかく「綺麗」である。女性は男性よりも多くの物を持たなければならないので、家の中がゴチャゴチャしてきてしまうのである。そうなると自分の美しさはそれに反比例するかの如く落ちていくことになるのだ。

③爽快感のある会話

 家の中が片付いている女性は会話が巧い。しかも「爽快感」があるのだ。このため男性としてはそういう女性と話をしたくなり、会話が続くことになるのだ。家の中が汚い女性はまず会話が続かない。しかも会話をすれば面白くないし、挙句の果てには男性を怒らせてしまうのである。

④気高さ

 恋愛を持続するために必要な物は「気高さ」なのである。その女性に気品があるからこそ、男性はその女性を大切にしようと思うのである。当たり前のことだが気高さは掃除からしか生まれない。掃除をしていないと、気高さではなく、傲慢になるだけなのである。

⑤勘が良くなる

 恋愛をしていれば、何度かピンチになるものだ。その際に必要になってくるのが、「勘の良さ」なのである。ではどうすれば勘を良くすることができるのかといえば、それは掃除しかない。掃除をするからこそ勘が良くなり、恋愛のピンチを救うことになるのだ。勘がないからこそ、些細なピンチで呆気なく崩壊してしまうのである。

●女性は恋をすると「しおらしく」なる

 掃除をする際、どこに重点を置くべきかというと、それは「自分の部屋」である。とにかく毎日掃除をする。不要品は捨てるようにする。整理整頓を心掛ける。こういうことをし続けるべきなのである。自分の部屋が綺麗だと、自分も落ち着けるので、充分にエネルギーを回復できるのである。

 恋愛運の中で絶対に忘れてはならないのが「トイレ掃除」だ。女性には生理がある以上、男性以上にトイレを汚すことになる。使用済みの生理用品をトイレの中に置いておくような真似は絶対にしないことだ。便器にしても定期的に掃除をしていれば、そんなに臭わなくなるものなのである。

 女性は頻繁に洗面所を使うことになる。だから当然に洗面所は汚れる。洗面所は対人関係に関する運が出る場所なので、ここが綺麗だと恋愛は順調に進むし、ここが汚いと恋愛はすぐに破綻してしまう。洗面所には物をゴチャゴチャ置かないようにすることだ。

 この三箇所をきちんと掃除できている女性はいい出会いに巡り合えるものだし、その恋愛も充分に盛り上げていくことができる。そして或る日突然に「しおらしく」なるのだ。この変化が出て来ると結婚する時期も近いなということになるのだ。

 逆に言うなら、恋愛のことをペチャクチャ喋っている女性たちは、恋愛しても盛り上がらず、「しおらしくなる」という変化が我が身に起こってこないのである。そういう女性は恋愛以前に様々な問題を抱えすぎているのだ。だからこそ掃除をやれ。掃除をやらないからこそ、得体の知れない方向に突き進んでしまうのである。

●掃除でレベルアップ

 女性が我が身を美しくするために、洋服や化粧品やアクセやバッグを買ったり、エステに行ったりすることは別に構わない。女性ならそういうことをしたいからだ。しかし掃除をしていない女性がそういうことをやっても無駄なのである。

 大体、掃除は女性にとっていい運動になるので、掃除をするだけで体が引き締まり、いい体型になってくるものなのである。しかも掃除をすれば清々しいから、顔が非常にいい顔になってくるのである。しかも掃除は無料で行えるので、これほど効果の高い美容は他にないのである。

 化粧をしても、エステをしても、所詮それらのことは表面的なことでしかないのである。表面的だからこそ、いつか化けの皮が剥がされるのである。しかも有料だし、値が張るものだ。掃除が持つ美容効果と比べてみれば、大したことはないのである。

 シンデレラストーリーは掃除から始まるのだ。決して化粧から始まるのではない。況してや美容整形から始まるものではないのだ。恋愛と掃除は全然関係ないと思ってしまうが、実はあるのだ。恋愛の命運を分けてしまうような大きな意味がそこにはあるのだ。

 結婚適齢期が過ぎてしまった女性は「婚活」をするのも結構だけど、いい男性をみつけたいのなら、まずは掃除をしろ。掃除をすることで自分自身のレベルアップを図っておけば、無理することなく、然るべき男性が現れてくるものなのである。

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実力ある処女作『たいふうがくる』

●「あきこ」という名前の謎

 女性たちの中で「あきこ」という名前を持つ女性には或る1つの共通項がある。それは「芸術的才能が優れている」ことだ。芸術的才能があるために、芸術の分野で突っ走れば成功してしまうというラッキーな女性なのである。女性の芸術家で「あきこ」と名がついているのなら、まずは当りと見て間違いはない。

 「あきこ」という名前をどのような漢字にするかでも運命が変わるが、「明子」とした場合、運命のアップダウンが激しくなる。幸運な時は本当に幸運なのだが、その後に必ず不運がやってくるのだ。フィギュアスケーターの鈴木明子が活躍していながらも、一時、精神病に罹ってしまったのは、「明子」の名が持つ力がなせる業だったのである。

 「あきこ」を「暁子」とした場合、スタートダッシュ型で、人生の内、10代や20代で運勢のピークが来てしまう。このため30歳までに頭角を現しておかないと、その後の人生がどうにもならなくなってしまうのである。30歳以降は保守的になって、下手に自分の人生を変えたりしない方がいいのである。変えたとしても絶対に巧く行かないのだ。

 絵本画家の「宮越暁子」は「みやこしあきこ」の作家名で活躍している。この作家名は非常に良く、宮越暁子では30歳以降の運勢が余り良くならないために、「あきこ」と平仮名にしてしまった方がいいのだ。また絵本画家であるために、硬い感じのする漢字よりも平仮名の方が絵本の場合は良いのである。

 宮越暁子は姓名判断の本を読んで作家名を命名したわけではないだろうが、こういうように自発的に何か思う所があって改名するのは大当たりする可能性が高くなるのだ。幾ら姓名判断上、運勢がいいからといって、読みにくい名前では成功しないものなのである。

●実力ある処女作

 「みやこしあきこ」は武蔵野美術大学を卒業している。この学歴は大いに丸で、武蔵野美術大学はアーティストとして優秀な卒業生たちが非常に多い大学なのである。美術教育は技術教育なので、一旦トップに立ってしまうと、そう簡単にその優位は揺らぐことがないのだ。

 「みやこしあきこ」は21歳より「ニッサン童話と絵本のグランプリ」に投稿しており、佳作3回、優秀賞2回で、6回目の投稿で見事グランプリを獲得したのである。ということは全ての投稿で入賞したという驚異的な実力を持ち主なのである。

 グランプリを取ったのが処女作『たいふうがくる』(BL出版)である。

  たいふうがくる

 この絵本が凄いのは、起承転結がしっかりと出来ているということなのである。絵本の中には起承転結すら出来ていない粗悪な作品が多いので、こういうふうにきちんとした物語構成があることは大いに評価できる。絵本は頁数が少ないゆえにプロット作りをちゃんと行っていないと、お話が頁数に収まらなくなってしまうのである。

 アングルの変化が実に面白い。高いアングルの物もあれば、低いアングルの物もあり、アングルが巧く動いていくれるので、絵本が活き活きしてくるのだ。猫が時折登場してくるので、猫の姿が絵に変化を与えるというのも巧い演出なのである。

 人物描写が見事で、子供らしい動き、大人らしい動きが、バッチリと描かれているのだ。それに小道具の1つに至るまで細部がきちんと描かれているのだ。しかも最後の頁で水色を使うというのはなんとも心憎い演出である。

 もう1つ褒めておきたいのが、文章が巧いということである。美術系の大学出身者は文章に関して本格的な教育や訓練を受けていないので、文章が余り巧くないという欠点が存在する。しかし大学で文章の教育や訓練を受けていないからこそ、自分らしい文体で書けることもありうる。今回は後者の方が出た事例であろう。

●鉛筆画の魅力

 鉛筆画は本当に実力がないで出来ないプロの画家たちは鉛筆画だけはやらないのだ。鉛筆画は絵の具で誤魔化すということができないのだ。鉛筆画は西洋画の水墨画バージョンと思えばいいのであって、基本的に「黒色」と「白色」しかないので、その表現力が大いに制限されることになるのだ。

 美術系の大学に行く人たちは勉強ができた人たちではない。非常に不真面目なのだ。このため大学でデッサンを学んだ筈なのに、きちんと学んでこないのである。というかデッサンを適当にこなしてしまい、デッサンをきちんと遣り終えずに次のステップに進んでしまうのである。

 日本の画家がなぜ世界的に活躍できないかというと、jこのデッサンをきちんとやらないからなのである。デッサンの出来が悪いからこそ、その後の作業が盛り上がらず、出来の悪い絵になってしまうのである。西洋画の完成品を見るのもいいが、デッサン集でも買って来て勉強するくらいのことをした方がいいのである。

 因みに宮崎駿は『風の谷のナウシカ』をなぜだが鉛筆画で描いている。漫画なのになぜ普通の漫画家がするように描かなかったのかは疑問だが、鉛筆画にしたために、絵が非常に優しくなり、物語の展開に大きな影響を与えているのである。

 宮崎駿ですらこうなのである。デッサンの能力が高い人物だからこそ、質の高いアニメ映画を作ることができ、それを外国に持ち出せば必ず売れるのである。画家だろうが、漫画家だろうが、アニメーターであろうが、世界で一流の人物になりたいのなら、デッサンをきちんと学んでいくべきなのである。

●「目」に問題があり

 「みやこしあきこ」の絵に問題点があるとするなら、「目」なのである。目が生きていないのだ。目の描き方に問題があればこそ、行き成りグランプリを獲得するということがなかったのであろう。絵本の場合、子供は必ず真っ先に目を見るので、目の描き方が下手だと絵本として問題がありすぎるのだ。

 なんで目の描き方が下手なのかというと、恐らく「近眼」なのであろう。近眼だから他人の目が良く見えず、このため自分が絵を書く時は目を点としてしか現せないのだろうと思う。近眼というのは作風に大きな影響を与えるものなのである。

 特に主人公の男の子が食事中の際に台風が気になって仕様がないのだが、その感情を巧く描けていないのだ。目が点だからこそ、その感情が出てこないのである。ここで男の子の感情を巧く描けていれば、その後の展開が随分と違った筈なのである。

 この点、絵本画家の林明子はきちんと目を描いたのである。林明子が描いた絵本を見せると、子供たちはすぐ乗ってくるのだが、「みやこしあきこ」の絵本だとそうはいかないのだ。芸術品として眺めてしまう危険性が出て来るのである。

 とは言いつつも、鉛筆画の絵本でここまでレベルが高いのは他にはないので、「みやこしあきこ」は長らくこのジャンルでトップに君臨し続けると思う。だからこそ目の問題が惜しいのである。自分が結婚して子供を生めば、こういう絵は書かないものなのだが、いずれ彼女が結婚して子供を生めば作風も変化してくることであろう。

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恵まれた人たちほど恐ろしい

●30歳自立説

 人間は寝たきり状態で生まれてくる。肉体的成長のピークは19歳である。精神的に大人になれるのは30歳だと見ていい。民法上の成人が20歳以上であるために、これを鵜呑みにする人たちが跡を絶えないのだ。男女とも20代ではどうやっても自立できないのだ。

 20代の若者が自立できないという事実を知りたければ大学に行ってみればいい。大学生たちはマナーを守ることができないし、授業中、黙って人の話を聞くことができない。何か自分の意見を言ってみろといっても、碌なことを言わない。自立できていないから、間違った考えや間違った行動を平気で取ってしまうのである。

 若者の意見は下手に聞くべきではない。大人達が若者達の意見を聞き入れてしまうと、若者達は大人達から学ぶべきことを学べなくなってしまうし、その後に於いて自立していくことができなくなってしまうからだ。人間、若い時は然るべき人物に従い、その者から学んでいくべきであって、勝手気儘な行動を取るべきではないのである。

 若い時に師匠を持たなかった人はその後の人生が悲惨になってしまう。例えば「セクハラ」を騒ぎ立てる女性は男女間の会話の仕方が下手ということであろう。会話上での切り替えしが全然できていないのである。「パワハラ」を騒ぎ立てる女性も、上司への対応が下手ということであろう。大体、上司に楯突く部下など、絶対に使い物にならないものなのである。

 人間は群生動物である。群れて暮らす生き物なのである。だからまずは家族の中で人間関係を学び、次に組織の中で人間関係を学んでいかなければならないのだ。それなのに何事も自分中心で考えてしまえば、どうやったって巧く行くわけがないのだ。

●恵まれすぎることは危険なのである

 女性たちの中で「女性の自立」を唱えたり、「セクハラ」や「パワハラ」などを唱えているのなら、自分は今まで恵まれすぎた環境で育ちすぎたと思うべきなのである。恵まれすぎた環境に育ってきたからこそ、師匠を得ることができず、女性にとって大事なことを教えて貰うことができなかったのである。

 恵まれすぎていることは逆に危険なのである。自己規定がなくなってしまうのである。例えば貧乏な家庭で育てば、「私の家は貧乏だからさ~」と事あるごとに言って自己規定することができる。こういう自己規定をしている人が贅沢三昧をするということはありえない筈だ。

 しかし恵まれた過ぎた環境で育てば自己規定する必要性がないから、我儘し放題になってしまうのである。大体、女性が大学に進学してくるということは、裕福な家庭で育ったということであろう。そういう女性たちほど危険なのである。女性がこの世で生きていくために大事なことを教えてくれる師匠を見つけ出し、その者から教えを乞うということをしないのである。

 そもそも大学教授というのは人生訓を垂れたりはしない。大学教授は学問的には優れた人物ではあるかもしれないが、人間的には優れた人物ではないのだ。だから立派な女性になりたいのなら、大学教授以外の者で、人格的に優れているから教えを乞わなければならないのだ。

 自己啓発書を読んでいてつくづく思うのは、優れた自己啓発書は絶対に大学教授が書いたものではないということだ。ベンチャー企業を起こした起業家だとか、何かしらの分野で大手柄を立てたりした人が書いた本の方が出来はいいのである。

●子供ができないという苦しみ、子供を失った悲しみ

 女性の場合、自立できなかった人は結婚しないし、自立できた女性は結婚するものであろう。しかし結婚すればそれで終わりではないのだ。自立すれば今度は独立しなければならないのだ。子供たちを生んで新たな家族を作らないと、どうしても独立できないのである。

 だからこそ不妊症に罹れば大いに苦しむことになるのだ。子供ができないという苦しみだけでなく、子供ができなければ親から独立できないという苦しみが加わってくるからだ。不妊症では不妊症それ自体よりも、不妊症ストレスの方が厄介なものなのである。

 子供ができたのであるならば、今度は子供が病気で死んだり、交通事故で死んだりする可能性も出て来る。実際に子供が死んでしまえば、子供が死んだ悲しみだけでなく、自分の家族が崩れていく悲しみも加わってくるのだ。それゆえ子供が死んだことを慰められても、その悲しみがなかなか癒えないのである。

 一見、子供ができない夫婦と、子供が死んでしまった夫婦とではなんの繋がりもないと思ってしまう。しかし大有りなのだ。自分たちが恵まれすぎた環境にいたことを察知できず、それを修正しなかったのである。修正しなかったからこそ、結婚後に不幸が炸裂してきたのである。

 人間は不幸のドン底に叩き落されれば、これが不幸なんだと理解できる。しかし恵まれすぎた状態に置かれると、その危険性が解らないという厄介な動物なのである。だからこそこの世を生き抜いていく知恵が必要なのである。知恵があればその危険を事前に察知することができるものなのである。

●恵まれすぎないようにする秘策

 人間は生きているだけでラッキーなのだ。その幸運を充分に噛み締めなければならないのだ。だからといって人生に幸福だけがやってくるのではないのだ。不幸だってやってくる。幸福をより多くし、不幸を出来る限り少なくしていくためには、恵まれすぎないように生きていくべきなのである。

①神を畏れること

 神を畏れることこそ、自分が恵まれすぎないようにする最大の秘策なのだ。自分を中心に置くのではなく、神様を中心に置いてしまえば、自分は恵まれすぎず、不幸を抑えながら、より多くの幸福を獲得していくことが可能になるのだ。

②墓参りと家系図

 次に墓参りだ。墓参りに行くことご先祖様たちに感謝の意を捧げ、自分たち家族を守って貰うようにするのだ。この霊的守護をバカにしてはならない。不幸というものは幸福が起こっている真っ最中に起こってくるものなのである。

 もう1つは家系図である。家系図を書くと自分たちの家系のリズムが解るので、今、自分たち夫婦が何をなすべきかが解るようになるのだ。それと家系図を子供たちに教えると、結婚することが義務となり、絶対に子孫を絶やすことがなくなるのだ。家系図は不妊症の防止には凄まじいほどまでに威力があるものなのである。

③天引き貯金

 収入というのは、多かろうが少なかろうが、絶対に文句が出て来る。だから収入の全てを使ってしまうのではなく、収入の2割を貯金するべきなのである。貯金すれば残りのお金で生活しなければならないので、合理的に消費していくことが可能になるのだ。しかも確実に貯金ができるので、気付いた頃にはしっかりとした資産を持つことができるようになるのだ。

④断食と冷水浴

 普段の生活で心がけたいのは「断食」である。人間は基本的に「1日1食」の動物である。それが文明誕生以後になると「1日2食」になり、それが現代では「1日3食」になっている。明らかに食べ過ぎているのである。そんなことをやっているからこそ病気になるし、頭が狂うし、体だってだるいのである。

 そこで断食をするのである。何も食わない完全断食ではなく、フルーツだけを食べる断食をすればいいのである。これを最低でも月に1回はやった方がいいのだ。断食をすると体を洗いたくなるので、その時は冷水浴をすればいい。体が引き締まるので、心身が爽快になるのだ。

⑤慈善活動

 この世の中にはどうしても恵まれない人たちが出て来る。その者たちに慈善活動を行い、不幸から脱出できるようにしてあげるのである。慈善活動は飽くまでも自分の幸福のお裾分けなのであって、やりすぎてはならない。慈善活動のために自分が不幸になっては意味がないのだ。

 恵まれすぎた状態を抑えるためのお秘策は物凄く宗教的なものばかりなのである。宗教から離れてしまうからこそ、この大事なことが見えてこないのだ。世俗に存在する解決策など、所詮は場当たり的なものなのである。人生を根本から変えていくためには、やはり宗教が絶対に必要なのである。

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親であるなら絶対に読むべし! 『教育を救う保守の哲学』

●教育とは「知育」「体育」「徳育」である

 教育とは「知育」「体育」「徳育」の三つが揃ってこそ正常に機能する。順序としては体育であり、知育であり、徳育だ。体育によって体を鍛え、知育によって充分に知識量を持ち、徳育によって精神を鍛え上げなければならないのだ。

 教育に於いて「スポーツバカ」を作ってはならない。「頭でっかち」を作ってはならない。「繁文縟礼の堅物」を育ててはならない。何か1つの教育を施せばいいというものではないのだ。大事なことはバランスなのであって、バランスを欠いてはならないのだ。

 学校教育に於いてその命運を決めるのは教師たちなのである。「教育の基本」が解っており、質の高い教育を施せるのなら、その者の教育によって幾らでも優秀な人材が育って来るのである。そういう本物の教育者は吉田松陰のように自然発生的に出て来ることもありえるが、近代国家に於いては「師範学校」を備えることで人為的に真っ当な教師を育て上げ、全国の学校に配置していかなければならないのだ。

 しかし日本は大東亜戦争の敗北後、アメリカ合衆国によってこの師範学校が潰されてしまったのである。だからこそ昭和憲法体制下の学校の教師たちというのは、全部「偽物」なのである。教師として本格的な教育も訓練も受けていない人たちが教師として活動しているのである。

 確かに大学には教育学部なるものが存在するが、教育学というのは本来ありえない学問なのである。教育というのは手段であって、学問を教えるために存在するものなのである。それなのに教育学として独立してしまえば、良からぬ方向に突き進んでしまうのは当然のことなのである。

●「赤い教師たち」による教育破壊

 昭和憲法体制下の日本では教育現場に社会主義者やフェミニストたちが深く浸透したことを絶対に忘れてはならない。社会主義もフェミニズムも人々を洗脳しない限り成立しえないイデオロギーなのである。だから大人達を洗脳するたけでなく、子供達をも洗脳しようとする。

 この社会主義者たちやフェミニストたちが如何に酷い教育をやっているのかを暴露するのがこの本である。

  教育を救う保守の哲学

 中川八洋・渡部昇一著『教育を救う保守の哲学』(徳間書店) 

 こういう本物の本を出した徳間書店は凄い! 天晴れ!!

 社会主義者たちの最大の特徴は「嘘をつくこと!」である。フェミニストたちの最大の特徴も「嘘をつくrこと!」である。彼らや彼女たちは革命のためなら邪悪な手段を使っても構わないと考えている連中であり、奴らは嘘に嘘を積み重ねてくることになるのだ。

 このため普通の人たちではこの嘘の塊を見破ることができないのだ。

 社会主義に洗脳された教師も、フェミニズムに洗脳された教師も、まずは道徳を破壊してくる。道徳は如何なる国家の道徳でも必ず「正直」という美徳を伴うがゆえに、子供たちが正直の美徳を持っていたら、必ず社会主義やフェミニズムの嘘を指摘してくることになるからだ。

 だから戦後の日本では道徳の授業が消えた。それどこか教師たちが率先して道徳を破壊することを奨励したのである。それゆえ校内暴力、不登校、イジメ、そして学級崩壊と、学校それ自体が地獄と化したのである。これらの問題を1つ1つ対処しても無駄だ。道徳がないからこそ起こっている問題であって、道徳破壊を行っている教師たちを全員解雇しない限り、絶対に学校は再生しないのだ。

 道徳を否定する教育は教育ではない。教育の中で徳育ほど難しいものはない。知育のように試験を受けさせ、点数を競わせることなどできないからだ。日本国民が建国以来積み重ねてきた道徳をしっかりと教える。恐らく学校にいる時はそれほど効果はなくても、学校を卒業すると凄まじい威力を発揮してくるのが道徳の凄さなのである。

●少子化の原因は性教育にあり!

 昭和憲法体制下の日本では道徳の時間を廃止して何が導入されたかというと、それは「性教育」なのである。性教育をまともに考えること勿れ。この本を読むと性教育というのは子供たちの人格を破壊し、社会主義革命に至らせるためお洗脳ということが解るのである。

 性教育は子供たちに正しい性の知識を持たせるものではないのだ。性教育によってまともな性倫理を破壊し、子供たちの性欲を暴走させ、結婚をできなくさせ、子供を生めないようにさせ、家族を作れないようにするためのものなのである。

 さすがは家族の解体を目論む社会主義者たちである。

 性教育が学校で行われるようになると、まず同性愛者たちが大量に発生してきて、その後、「非婚」を唱える女性たちが出てきて、妊娠や出産を拒否する女性たちまで出てきた。なんてことはない。子供の頃に学校で洗脳されてしまったために、大人になってからまともなセックスも結婚も妊娠もできなくなってしまっただけのことなのである。

 最近、「シングルマザー」をマスコミは賞賛しているが、これも社会主義革命のために戦術で、女性たちを結婚させずに子供を生ませれば、その子供は家族の中で育ったわけではないので、簡単に社会主義者に洗脳できるからなのである。

 確かに社会主義やフェミニズムに洗脳されず、それらの狂ったイデオロギーと戦う人は必ずといっていいほど、両親の元で育っている。母子家庭で育った場合、どうしても父親がいないために子供の精神力が伸びていかないのである。母子家庭の母親は自分の子供が社会主義やフェミニズムに洗脳されないように注意して貰いたいものだ。

●教育思想ほど有害なものはない

 教育に於いて教育思想ほど有害なものはない。教育は手段であって、思想を持ってはならないものなのである。教育が思想を持って独自の行動を開始すれば、幾ら一生懸命にやっても、最悪の結果しか出てこないものなのである。

①個性教育

 「個性教育」と言うのはインチキの塊である。教育というのは或る程度「画一的」である、例えば国語教育を受ける際、「平仮名」「片仮名」「漢字」といった三種類の文字を問答無用で学んで貰わねばならない。しかも一流の文学作品を延々と読みまくって貰わねばならない。その後に於いてやっと自分の個性が出て来るものなのである。

 だから画一的な教育を廃止して、個性教育をやっても、個性など育ってこないのである。

②人権教育

 「人権教育」と言うのはインチの極みである。そもそも人権などないのである。「国民権」のみが存在するものなのである。なぜなら近代国家は国民国家で、国民に対して国民権を与え、国民の生命・自由・財産を保障し、自由に幸福の追求ができるようにさせるのである。

 だから人権教育をやっても、確実に自分がぶっ壊れ、国家までもが崩壊してしまうことになるのだ。

③平和教育

 「平和教育」はスターリンの命令によってできたものである。ソ連は世界各国に侵略するためには、まずその敵国にシンパを作り、その者たちに平和教育を行わせ、軍事力を低下させるのである。その後、ソ連は強力な軍隊を以て侵略してくるのである。

 因みにこの侵略を社会主義者たちは「解放」と呼ぶのである。

 教育思想の根源を探り当てると必ず『エミール』に辿り着く。この本は悪書中の悪書で、そのくせ洗脳力が非常に強い書物なのである。ジャン・ジャック・ルソ-は自分の五人の子供を全て捨て児にしてしまったという狂気の人なのである。そういう狂った人が書いた教育論など、まともに読めるわけがないのだ。社会仕儀者にしてもフェミニストたちにしても、悲惨なまでに知性が低いものたちなのである。

 だからこそ道徳が大事なのである。道徳があれば嘘を見破ることができるものなのである。社会主義者にしてもフェミニストにしても分厚い本を書いてくるものだが、嘘は嘘なのである。自分に道徳がないからこそ、平気で嘘をつき、そういう邪悪な本を世の中に出回らしてしまうのである。

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涙ボロボロの『陽だまりの彼女』

●恋愛小説の落とし穴

 恋愛小説には小説の中でベストセラーになり易いジャンルである。作家が恋愛小説を書けば当って当然なのである。しかし恋愛小説には恋愛小説特有の落とし穴が存在する。それは恋愛小説の中で書かれている恋愛が恋愛ではなくセックスになってしまうことがあるということなのである。

 恋愛だけは経験した者でなければ解らない。誰かを好きになるということと、或る日突然に「恋の魂」がズドンッと宿ってきて、たった1人の異性と恋愛するのは、全くの別物だからだ。恋愛ではセックスを伴うが、それがメインではない。メインとなっているものは「恋の魂」なのである。

 恋愛小説と銘打ちながらポルノ小説になってしまうということをやるのは女性作家たちに非常に多い。本人がきちんとした恋愛をせず、自分の欲求不満を小説にぶつけているだけなので、恋愛ではなくセックスが中心になってしまうのである。

 日本の文学史を見てみると、女性作家たちが大量の恋愛小説を書いているにも拘わらず、恋愛小説に関しては男性作家が書くとベストセラーになっているという驚愕の事実が浮かび上がってくるのだ。村上春樹の『ノルウェイの森』や片山恭一の『世界の中心で、愛を叫ぶ』などである。恋愛小説というのは恋愛だけがメインテーマになるのではなく、実は「愛と死」こそがメインテーマになるのである。

 なんで男女間でこんな性差が生じてしまうのかといえば、「恋愛は量よりも質」なのであって、それを経験できたか否かで全てが決まってしまうのである。

 女性たちの中で本物の恋愛をした人は結婚して家族を築くことに全力を注ぐものだ。ところがまともな恋愛ができなかった女性ほど、恋多き女として生きてしまうものだ。恋愛の質を高める努力をするのではなく、セックスの数をこなすという方向に走ってしまうのである。

 この点、男性なら若い時に本物の恋愛をすれば結婚することになるが、男性は女性のように家庭を築くことに全力を注いだりしないので、結婚後に自分の過去の恋愛を元に恋愛小説を書き上げてしまい、それをヒットさせていくことが可能に成るのだ。

●ベタな恋愛小説にして奇想天外の恋愛

 俺が東日本大震災で被災した時、復旧復興作業のために6ヶ月間も休むことなく働いたのだが、その間、日中は仕事をしていても、夜間は読書をしまくるようになってしまった。大震災で被災したからこそ文学が欲しくなったのである。

 俺と同じようなことをやっていた人たちは被災者たちの中には結構いて、被災者たちの間でブームになったのが、越谷オサムの『陽だまりの彼女』(新潮社)なのである。この恋愛小説はベタな恋愛小説にして奇想天外の恋愛なので、被災者たちを大いに満足させてくれたのである。

  陽だまりの彼女

 主人公の「浩介」は社会人になってから或る時、中学校の同級生の女の子と再会する。その女の子は「真緒」というのだが、中学生の時は学校有数のバカで、漢字を碌に書けないほどのバカだったのであり、しかもイジメられっ子だったのだが、十年ぶりに再会してみると、物の見事な美女に変身していたのである。

 浩介は仕事を通じて再開した真緒とその内に交際をし始め、そして結婚することになる。ところが結婚後、真緒の秘密がどんどん明らかになっていき、しかも真緒の体がどんどん弱っていく。そして真緒は自分が死ぬ前に或る日に浩介の前から姿を消してしまうのである。

 浩介にとってみれば妻が失踪したことになるのだが、恐ろしいのは真緒が失踪すると真緒がこの世に存在していた事実までが消え去ってしまったのである。そこで浩介が調べてみると、真緒は自分が中学生の時に拾った捨て猫の「ロシアン」だったということに気付くのである。

●「謎解き」と「幻想」

 この恋愛小説の何が凄いのかというと、奇想天外の恋愛でありながら、ちゃんと「純愛」が貫かれているということなのである。それをバックアップするのが真緒の養父母たちへの真緒への愛情なのである。浩介と真緒の恋愛と、真緒と養父母の親子の愛情がクロスすることによって、単なる恋愛小説ではない感動を発生させるのである。

 この小説を読んで涙がボロボロと出たという火とは多いのではないだろうか?

 普通の恋愛小説なら恋愛が突き進んで行ってしまうものだ。それなのにこの小説には「謎解き」の要素が加わってくるのである。当たり前のことだが、恋愛をすれば相手の秘密を少しずつ知っていくことになるのだが、このリアリズムがきちんと装備されているのである。

 それと同時に「幻想」も織り込まれているのである。真緒を生身の女としてしまった場合、この小説に巧くトリップできなくなってしまう。トリップできなかった人は「妻がいなくなってしまった浩介は可哀想!」と言い出すだろうが、真緒は所詮「猫」なのであり、しかも真緒がこの世に存在した事実も消えてしまっているのである。

 俺はこの越谷オサムが大好きでイチオシの作家である。しかし問題点も少しあって、彼の書く小説では「文章が重い」のである。重い文章のためにスラスラと読んでいくことができないのだ。それと「章分けの稚拙さ」である。1つの章が長いし、せめて章に名前をつけて欲しいよ。

 越谷オサムの小説には問題点もあるのだが、それでも今回の小説は「純愛」といい。「親子の愛情」といい、「謎解き」といい、「幻想」といい、普通の恋愛小説では絶対に味わえない感動を齎してくれるのである。或る意味、「お見事!」と評価するしかないのだ。

●スタジオジブリによる映画化を望む

 俺がこの小説を読み終って思ったのは、「映画化して欲しい!」ってことなのである。インターネットで調べてみると、この小説を映画化して欲しいという声は非常に多かった。それもそうだろうと思う。映画にしたらより面白くなるからだ。

 しかし実写版の映画ではこの小説の面白さを表現するのは無理であろう。日本の映画業界は国際的にレベルが低いので、真面目に作ってもチープな映画になってしまう可能性がある。大体、真緒の役をきちんとこなせる女優はいないのである。

 俺だったらこの小説はスタジオジブリに持っていくね。スタジオジブリには猫好きのスタッフが多いので、猫の魅力が前面に出て来る小説なら巧くアニメ化できるだろうと思う。映画化の際には原作を多少変えてもいいような気がする。その方が映画は面白くなることだろう。

 この世の中には猫が好きな人たちが結構いるので、映画に猫を出すと売れる可能性があるのである。ただ実写版では難しいのだ。猫の気紛れさを巧く映像に収めることができないものなのである。だからアニメなのである。アニメならそれができるのである。

 スタジオジブリも宮崎駿監督がもう老齢のためにヒット作を作れないという現実を直視して欲しいものだ。新手の監督が出て来て、質の高い作品をヒットさせないと、幾らスタジオジブリとはいえ潰れてしまうものなのである。宮崎駿監督のように原作まで作ってしまう手法はもうやめた方がいいのだ。それよりも出来のいい原作を頂戴して、それを映画化すればいいのである。そうすればヒット作が出て来るものなのである。

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