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2012年7月

夏休みだから読書をしよう! まずは『少女パレアナ』から

 けろりんさんの依頼で、子供たちのための「夏休み用の本」はないかということで、探してみました。

 今回はその第一弾!

 まずは女子小学生5年生6年生向け。

●『若草物語』の呪い

 人間には運不運があるが、国家にも運不運がある。特に文学では新しいジャンルが確立される時は型破りの若手たちが大量に参入してくるので、その者たちによって新しくも、レベルの高い物を作ってくれればいいのだが、そうでないと悲劇が起こり、その悲劇は長らく起こり続けることになるのだ。

 『若草物語』はアメリカの文学史に於いて「家庭小説」なるジャンルを切り開いてしまった作品なのである。この『若草物語』の著者であルイーザ・オルコットは大学教育を受けていないし、自分の姉に対して恋心を抱き、終生その邪悪な思いは変わらなかったという異常な人物なのである。

 『若草物語』をなんの先入観のない状態で読めば、「この小説は大したことはないな」と解るのだが、なんせこの小説が児童文学の中にあるので、子供たちにはこの小説のレベルの低さが解らないのだ。だからこそアメリカの女性たちで大学に進学する者たちは殆どが『若草物語』を読んでくるのである。このために大学生の時にフェミニズムに洗脳されてしまうという悲劇が起こるのである。

 より深刻なのは女性作家たちの方で、『若草物語』の影響を受けてしまえば、いざ自分が小説を書いても作品のレベルが上がらなくなってしまうのである。だからこそアメリカでは児童文学は充実しているのに、なぜだか文学史に残るような名作がないのである。

 『少女パレアナ』の著者エリナー・ポーターは『若草物語』が出版された1968年に生まれている。時期的にはまだまだ『若草物語』の地位が確立されていない時期なので、『若草物語』の呪いがかかっていない最後の世代なのである。

●『少女パレアナ』の粗筋

 今回お勧めする本はこれ!

 エリナー・ポーター著『少女パレアナ』

  少女パレアナ

 パレアナは両親に死なれて孤児になってしまい、伯母のポリー・ハリントンに引き取られる。ポリーはパレアナの母親が結婚の際に引き起こした事件のために恋人と別れてしまい、その後、結婚せず、両親の遺産を引き継いで、自宅を守っているという生活を送っていた。

 ポリーは宗教上の理由から何事に対しても「義務」に基づいて行動する人物であったが、パレアナの方はこれまた宗教上の理由で「喜び」を基準にして動く子供であったのである。このためにポリー伯母さんはパレアナのために引っ掻き回されることになるのである。

 パレアナはメイドのナンシーを手始めに、自分の亡き父親から教えられた「喜ぶゲーム」なるものを町中の人たちに教えて行く。これによってパレアナは町中の人たちから愛される子供になり、中にはジョン・ペンドルトンのようにパレアナと一緒に暮らしたいと言い出す者まで現れてくるのである。

 そんな時に、パレアナは車に轢かれてしまい、下半身が付随になるという事故に遭ってしまう。この病気をポリー伯母さんの主治医であるウォレン医師は治せず、生涯このままになってしまうということを聞かされ、パレアナはショックを受けてしまう。

 しかしジョン・ペンドルトンの主治医であるチルトン先生はこの病気を治せる方法を知っており、ジミー・ビーンの手柄によってどうにかして診察することができ、これによってパレアナはボストンに行き、本格的な治療を受けることになる。

 それと同時に、このチルトンこそポリー伯母さんの昔の恋人であり、パレアナの診察をしたことで縒りが戻ってしまい、二人は結婚することになるのである。パレアナの「喜ぶゲーム」で最も変身を遂げたのはポリー伯母さん自身であったのである。

●実は『赤毛のアン』のパクリ

 『少女パレアナ』は文章が巧いために、読み始めるとドンドン読み進んでいってしまう。パレアナは才気煥発の少女ではなく、素直で、難しい言葉が解らず、勘違いをしたりする普通の少女なのである。そのくせ生き生きと生きることを望む子供であるために、そのエネルギーが作品全体を突き動かしているといっていいのだ。

 しかし「ちょっと待てよ」と言いたくなる。

 物語構成が『赤毛のアン』に酷似しているのである。それもその筈、『赤毛のアン』は1908年にカナダで出版され、『少女パレアナ』は1913年にアメリカで出版されたものなのである。明らかにエリナー・ポーターは『赤毛のアン』を読み、それをパクった上で『少女パレアナ』を書いてるのだ。

 「そんな証拠どこにある?」と言いたくなるだろうが、実は「パレアナ」といいう名前にこそ証拠があるのだ。

 パレアナは「POLLYANNA」と綴られ、「POLLY」はオウムであり、「ANNE」は『赤毛のアン』の主人公アン・シャーリーのことである。つまり、「パレアナ」は「オウムのように喋るアン」とうことなのである。

 因みにパレアナの苗字である「「ホイッティア」は「お転婆娘」という意味なのである。

 『少女パレアナ』で孤児のパレアナを迎えにいくシーンは、『赤毛のアン』のそれと酷似している。しかも『少女パレアナ』の方が、物語の展開が巧いのである。これは理屈どうのこうのよりも、この2冊を読み比べてみれば解ることなのだ。

 『赤毛のアン』ではマリラとマシューが兄弟姉妹なのに、なぜだから結婚もせずに独身で暮らしているという奇妙な設定がある。これに対して『少女パレアナ』はポリー伯母さんが訳があって独身で暮らしているので、こっちの方が物語の筋が通っているのだ。

●なんで『少女パレアナ』は捨てられるのか?

 文学に於いてパクリというのは決して悪いことではない。多くの作家たちがパクリをやっているのである。エリナー・ポーターは『赤毛のアン』をパクったが、『少女パレアナ』は明らかに独自性があるから許されるし、しかも評価を与えることができるのである。

 しかし女の子たちに『少女パレアナ』を読ますと、中学生になれば捨てられてしまうのである。『赤毛のアン』は大事に持っておくというのに!

 なんでこんな格差が起きてしまうのか?

①パレアナ自身が成長していない

 その最大の理由はパレアナ自身が成長していないということなのである。物語の中でパレアナは事故に遭い、寝たきり状態になってしまうという事態に襲われる。しかしその事故を経験しても、パレアナの性格にはなんら変化がないのである。アン・シャーリーが最初はお喋りの孤児だったのに、物語が展開して行く中で大人の女性として成長していくのとは大違いなのだ。

②親友がいない

 アン・シャーリーにはダイアナという親友がいる。それに対してパレアナは親友がいないのだ。これまた不気味なのである。パレアナの年齢は11歳という設定であるのだが、この時期の女の子は友達同士と喋るのに夢中な時期なのである。しかもパレアナは物語の途中から学校に行き出すのである。それなのに親友がいないのだから、リアリズムがなさすぎるのである。

③起承転結がちゃんと出来ていない

 小説は起承転結を要するのだが、ダメな作家ほど起承転結を均等に四分割してしまう。エリナー・ポーターはこれよりも酷く、起承が長すぎ、「転」が遅すぎるのである。「転」はパレアナが事故に遭う瞬間から始まるのだが、これが23章で起こるのである。しかし全体では32章しかないために、「結」が最終章の32章で、パレアナの手紙を掲載することで物語が唐突に終わってしまうのである。

④イギリスの古典を踏まえていない

 『赤毛のアン』はイギリスの古典をしっかりと踏まえているのに対して、『少女パレアナ』はそれをやっていないのだ。アン・シャーリーは孤児なのに、シェイクスピアなどの古典を良く知っているからこそ面白いのである。パレアナも孤児ではあるが、牧師の父親の下に生まれたために、せいぜい『聖書』の文句を引用する程度のガキなのである。

●宗教心の葛藤が浅すぎる

 より深刻な問題なのが、「宗教の問題」なのである。ポリー伯母さんは宗教上の理由から「義務」を基準に動き、パレアナも宗教上の理由から「喜び」を基準にして動くのである。これが最終的にはポリー叔母さんがパレアナに感化されてしまうのである。

 小説の中では具体的に宗派名をだしていないが、ポリー伯母さんは「ルター派」であり、パレアナは「会衆派」なのである。ルター派はイエスの福音を根本に据えるために原理主義的になるのであって、だからこそポリー伯母さんは義務を最優先し、厳格になり、妥協をしないのである。

 一方、会衆派はカルヴァン派の流れを汲み、イギリス国教会から離脱して誕生という経歴がrあるために教会の独立性を重んじ、聖書の重要性は低下するのである。だからこそパレアナの父親のように聖書に対して勝手気儘な解釈を施し、「喜ぶゲーム」を考え出したりするのえある。

 ルター派と会衆派h同じプロテスタントに属しても、決して相容れない間柄なのである。普通、自分の信仰が他人に揺さぶられた時、キリスト教徒なら聖書を読む筈なのである。ところがポリー伯母さんはそれをしていないのである。ということはポリー伯母さんのルター派としての信仰は嘘偽りだったということになってしまうのだ。

 パレアナにしても小学生とはいえ、自分が事故に遭って「喜ぶゲ-ム」ができなくなるということは、自分が会衆派として正しく信仰していなかったということになってしまう。普通の人たちには解らないが、パレアナの事故は教会の独立性を重んじるだけでは決して救われないということを示したのであり、会衆派の欠点がモロに露呈した事件もであるのだ。

 『少女パレアナ』は宗教心の争いを盛り込んでいるのに、宗教心の葛藤が浅すぎるのだ。『赤毛のアン』が文学を盛り込み、それによって奥深い作品を作ったのに対して、エリナー・ポーター自身の宗教心の浅さが、『少女パレアナ』を浅いものにしてしまったのである。

●子供の視点と大人の視点の違い

 『少女パレアナ』はその作品の完成度とは裏腹に問題点が多すぎるのだが、読めない作品ではないのだ。女子小学生の高学年なら『少女パレアナ』を読んで楽しんでおくことべきであろう。パレアナのような「超ポジティブ人間の凄さ」に触れておけば、自分が今後どんな困難に遭遇しても楽しく生きていけるのだから。

 アメリカの少女向けの児童文学は、『少女パレアナ』以降、『若草物語』の呪いがかかってしまい、作品のレベルを上げることができないという事態が起こってくるのである。早い内にアメリカの児童文学を卒業しておけば、悪書を読まなくて済むようになるのだ。

 母親が娘に本を買い与える時、是非とも自分自身がその本を読んで欲しいものだ。特に『少女パレアナ』は、子供にはパレアナの視点でしか小説を読まないが、自分が大人になってしまえば「大人の視点」から見ることができ、この小説の面白さが解ってくるのである。

 人間は放置しておくとネガティブな人間になってしまうものなのだ。だからこそ結婚して夫婦双方がネガティブにならないようにし、子供を生み育て、その子供の笑い声で家庭内を明るくしていかなければならないのだ。

 小学生の娘に『少女パレアナ』を買い与えても、その娘が中学生になれば『少女パレアナ』を捨て去る時が必ずやってくる。それでいいのである。中学生にもなって超ポジティブ人間なら単なるバカなのである。それは娘が成長したということなのである。

 しかし大人になって、特に自分が母親になった時、この『少女パレアナ』をもう一度読んで欲しい。子供の時には解らなかったことが解るようになるのだ。

 それは自分が母親として成長した証でもあるのだ。

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「安全神話」こそが大嘘なのじゃ!

●東京電力の内部に神話などない

 福島第一原発の事故に対して政府の事故調査委員会の調査結果が発表された。その結果はなんと「東京電力が安全神話に囚われた」というものなのである。「こんな下らん結論を出すために、わざわざ税金を使って調査するな!」と言いたくなる。しかも委員長は「失敗学」の創始者の畑村洋太郎だから余計に怒りが増大するのだ。

 「安全神話」なるものを指摘するのが如何にバカバカしいのかは、東京電力の社員たち全員が安全神話など持っていなかったことを見ればすぐに解る。原子力発電所というのは、科学の理論に基づいて作られ、科学技術の粋を集めて作り上げたものである。だから東京電力の内部に如何なる神話も存在しえないのだ。

 政府の事故調査委員会が「安全神話」を持ち出したということは、政府自体が事故の真相を隠蔽したと断言せざるを得ないのだ。一体どこの先進国に「安全神話に囚われたことが原因であった」と指摘する国家があるというのだ。原発が科学の塊でできる以上、原発の事故の原因だって科学的なものなのである。

 嘗ての日本では「土地神話」なる言葉が盛んに使われた時期があった。なぜ地値があそこまで高騰したのか? それは人々が土地神話に囚われたからではないのだ。政府が農家を保護するために農地法を制定し、このために都市に対して土地が決定的に不足したのである。

 その後、プラザ合意で円高が始まり、それなのに日銀は低金利政策を取り、資金が市場に大量に流れ、その資金がよりによって土地に向かってしまったのである。これが地価高騰の真相なのである。なんてことはない。政府と日銀の失政が地価高騰を生み出し、それを誤魔化すために「国民が土地神話に囚われた」と言い触らしたにすぎないのだ。

●正体は「官僚主義」

 今回の原発事故の原因は、「東京電力の社員たちが官僚主義に洗脳されたこと」、これこそが原因なのである。

 東京電力が法律に基づいて地域独占をやっている企業であることを忘れてはならない。独占企業だからこそ官僚主義に洗脳され易いのである。東京電力が原発事故以降、国民に見せたあの横柄な態度こそ、官僚主義なのである。元を糺せば国会が東京電力に地域独占する許可を与えたからこそ、東京電力が会社として機能しなくなってしまったのである。

 しかも東京電力は独占企業として政府との接触を多く持たねばならなかったのである。余計にその官僚主義の洗脳度が高くなってしまったのである。政府の官僚というのは必ず「事勿れ」を遣り出すので、緊急事態への対策などやろうとはしてこないのである。

 恐ろしいことに東京電力の内部では、「大津波の存在」も「堤防の必要性」も指摘されていたのである。まだ地震学会で貞観大地震が通説となっていない段階で、東京電力は福島は大津波に襲われる可能性があり、だからそれを食い止める堤防も必要だという意見を持っていたのである。

 ところがこの意見が社内で握り潰されてしまうのである。それどころか緊急災害に対して何かしらの準備をするということ自体、握り潰されてしまうのである。会社の上層部にまで官僚主義の洗脳が及んだからこそ、原発事故が起こった時、全ての対応が後手後手に回ったのである。

 アメリカ政府の方は今回の原発事故に対して、「非常用電源を用意していなかった」と正しく指摘した。アメリカ政府は「安全神話」なる言葉を1つも出していないことに注目すべきなのである。非常用電源さえあれば原発事故など起こらなかったからだ。

 もしも東京電力の上層部が大津波の存在と堤防の必要性という意見を採用していれば、いずれ非常用電源を確保することの重要性にも気づけた筈だ。しかし官僚主義に洗脳されたからこそ、会社の経営陣たちはなんの対策も採らなかったのである。

●危機管理は別の組織で行うべし

 東京電力のような大企業になってしまえば、「通常業務」と「危機管理」の仕事を分けなければならない。通常業務は会社の仕事を普通通りやっていい。しかし危機管理は通常業務から離れ、緊急事態に発生するであろうことを全て想定し、その対策を練らねばならないのである。

 その際に絶対に取らねばならぬ措置がある。

①社長直属

 危機管理部門は絶対に社長直属にしなければならないということだ。社長直属でないと危機管理部門は危機管理部門として機能しなくなってしまうのである。危機管理部門は問題があるなら直ちに社長に報告し、社長はすぐさま決断を取るようにしなければならないのだ。

②勤務先に社宅を用意する

 危機管理部門で働く人たちには社宅を用意しなければならない。危機管理部門は緊急事態になった時、すぐさま駆けつけて貰わねばならないのである。それなのに交通渋滞で来られなかったというのでは話にならないのだ。本社ビルのすぐ近くに社宅を設けて、そこに住まわせるべきなのである。

③通常業務から切り離し、通常業務には従事しない

 危機管理部門は通常業務から切り離し、通常業務には従事しない。通常業務をやっていれば、危機管理の仕事などできないからだ。会社の経営陣が「危機管理部門の連中は無駄飯食いだから通常業務もやらせろ」というのでは、危機管理などできないのだ。

④あらゆる事態を想定して、その対策を考える

 危機管理部門はあらゆる事態を想定して、その対策を考えなければならないのだ。東京電力は地震対策に関してはしっかりとできたのである。しかし大津波の対策に関しては何もやっていなかったのである。これではダメなのである。

⑤非常時は独裁

 危機管理部門は緊急事態になれば独裁を実行する機関に早代わりすることになる。社長をトップに据えて、独裁的に処理していくのである。もしも社長がいない場合は、危機管理部門のトップが社長に代わって独裁を行うのである。

●外部の組織との連携

 東京電力が原発という危険な代物を持っている以上、もしも原発事故が起こった場合、自社だけで処理することはできない。必ず必要な外部組織と接触し、連携を作り、それを強化しておかなければならないのである。

 まずはなんといっても「政府」なのである。今回の原発事故が起こったのも、首相が「隠れ共産主義者」の菅直人だったからなのである。大地震発生後、福島第一原発はその対応で大あらわになっていたのに、そこに菅直人首相がやってきたのだ。その後に水素爆発が起こったのである。

 次に「自衛隊」である。今回の大震災でも解るように、自衛隊というのは非常に役立つ組織であるのだ。もしも原発事故の際に自衛隊の協力がなければ、本当に東日本に住む人々全員が避難しなければならないほどの大災害になっていた筈なのである。

 第三に「消防隊」である。原発事故では放射性物質が飛び散るために、輸送が困難になってしまうのである。今回の原発事故ではバッテリーの補給ができなかったという事態が発生してしまったのである。もしも消防隊がトラックを使って輸送してくれたのなら、原発事故は起きなかったかもしれないのだ。

 今回の原発事故で一番無責任な態度を取ったのは、実は「福島県」なのである。福島県は最大の被害者かもしれないが、普段から原発事故を想定し、その対策を取っていなかったからこそ、住民を無闇に避難させ、ただ傍観するという事態に陥ってしまったのである。

●人間は進歩しないが、科学は必ず進歩する

 最悪の事態が起こった時、人間は「これが最悪の事態だ」と思ってしまう。しかし違うのだ。最悪の時には、より最悪のことが起こるものなのである。今回の原発事故でも、菅直人首相がやってこなければ原発事故は起きなかったかもしれないし、その後、菅直人首相が東京電力の経営に介入してこなければ、もっと被害は軽いもので済んだかもしれない。

 ではなんで原発事故がこんな大規模なものになってしまったのかといえば、東京電力の経営陣たちが官僚主義に洗脳され、緊急事態のことを考えなかったからなのである。会社経営者としての能力が大いに欠ける連中が取締役会のメンバーだったからこそ、あんな無様な醜態を曝け出してしまったのである。

 今回、原発事故が起こったからといって、脱原発をするのは非常に馬鹿げている。科学というのは必ず進歩するのだ。日本は今回の原発事故で、大地震や大津波に耐えることのできる原発を作り出して行くことができるようになるのである。世界各国ではどの国もこんな技術を持っていないからこそ、日本の技術は世界の原発市場を確実に制覇することができるのである。

 その一方で、人間は進歩などしないのだ。脱原発を唱えている連中を見れば解るように、人間は寧ろ退化しているのである。特に知性の部分に於いてより退化しているのである。避難住民たちにしても東京電力が損害賠償を支払うといっているのに、その中から自殺者が出てしまうのである。故郷から暫く離れ、住宅もきちんと用意されているというのに、前途を絶望して自殺してしまうのである。

 「自分自身は絶対に正しい」と思い込んでいるからこそ、何も真実が見えてこないのである。東京電力にしても、原発関連の企業にしても、今回の原発事故を教訓にして、より安全性の高い原発を作れるようになるのだ。現在、廃墟と化している福島県東部もちきんと復旧復興がなされ、以前の状態よりも良くなるものなのである。

 近代国家に官僚や官僚制は必要であっても、官僚主義は要らないのである。だからこそ政府は定期的にリストラを行い、不要のj国家公務員を減らして行くべきなのである。政府がそういうことをしないからこそ、官僚主義に伝染する企業が現れ、それによって国民が大損害を被ることになってしまうのである。

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女の会話術と男の交渉術

●男女共々、人間関係を作るのは苦労するもの

 人間が関係する人間の数は300名が限界であると言われている。実際にはそこまで行かず、240名程度が限界になってしまう。大概の人たちは150名の人たちと関係を持つのが標準である。人間の脳は文明以前よりそうなっているのであって、このことに関してはなんら進化していないのだ。

 このため人間は男女共々人間関係で苦労することになる。人間関係の数が150名に達しないと、家族や友達との距離が近くなりすぎ、それで問題を起こしてしまうし、人間関係の数が300名を超えてしまうと脳がパンクしてしまい、家族内の関係が希薄になったり、友人ときちんとした友情を育むことができなくなってしまうからだ。

 だから人間は文明の中で生きるために、人間関係を巧く処理する方法を学ばねばならないのだ。

 しかしこのことに関して男女に於いて性差が存在するのだ。

 人間関係での苦労を解消するために、女は「会話術」を取り上げ、男性は「交渉術」を取り上げてくるのだ。なぜ女性が会話術を重視するのかといえば、女性は会話ができてしまえば、その者ときちんとして人間関係を構築することができ、その後の交渉も巧く行くと考えるからなのである。一方、なぜ男性が交渉術を重視するのかといえば、最初からビジネスマンとして相手と接しているのであって、ビジネス上の人間関係は成立しており、交渉に於いて如何に有利な契約を締結し、利益を最大化させるかに関心が行ってしまうのである。

 それゆえ女性は会話術の本を書いてくるし、男性は交渉術の本を書いてくるのだ。どちらかが良いというわけではなく、男女両方が書いた本を読むようにすべきなのである。片方の異性の本しか読んでないと、片手落ちになってしまい、それで人間関係が改善していかないのである。

 但し条件がある。女性が会話術の本を書くなら、その著者は美人であることが絶対条件なのである。美人が書いた会話術の本ならまず内容は真っ当な物なのである。美人は男性に対して屈折していないのだ。ブスだと男性に対して屈折してしまうので、それで内容が偏向して行くのである。

●会話を成立させるための心構え

 今回紹介するのはこの本。

 美月あきこ著『たった1分でうちとけ、30分以上会話がつづく話し方』(ダイヤモンド社)

  たった1分でうちとけ、30分以上会話がつづく話し方

 美月あきこは日系及び外資系の航空会社で、国際線キャビンアテンダントをやった経歴を持ち、主にファーストクラスのお客様の接客に当たった人物である。普通のスチュワーデスではないので、この時点で会話術を語る資格を持った人物だと解る。

 さすがにファーストクラスを担当するキャビンアテンダントは考え方が違うのであって、彼女がこの時期に或る優れた考えを持てたからこそ、その後の人間関係が良好になっていったのである。優れた考えは優れた職場でしか生まれないものなのだ。

①私は凡人

②みんなリスペクト

③笑ってくれて有難う

④緊張している事を正直に話す

 スチュワーデスになる女性たちはなぜだか「自分は特別な存在だ」と考えている。しかしこの考えほど有害なものはなく、このために多くのお客様から苦情が発生し、中には暴力を振るわれるという事件まで発生してしまったのである。接客業である以上、自分を凡人と考え、他人と対等の立場に立たないと、何をやっても巧くいかないものなのである。

 しかし人間は対等のままでは相手の意見を素直に聞けなくなる。対等だからこそ反論したくなってしまうのである。だからみんなリスペクトすることによって自分を戒め、他人の忠告を素直に聞けるようにしたのである。この本を読めば解るが、この著者の考えには全く無理がないのだ。

 人間関係を構築していくためには相手を笑わすというのが欠かせない。相手が笑ってくれたらもうこっちのものなのであって、それゆえ有難うなのである。笑いに着目しない会話術は机上の空論であるといっていいのだ。

 人間は初対面の相手には緊張するものだ。普通、緊張していることを口に出さないものだが、そうすると緊張が解けるまで長い時間を要してしまう。それよりも自分は緊張しているということを話せば、相手は許してくれ、より早い時間で人間関係を構築していくことができるのである。

●「ちょいアホの法則」と「ちょいインテリの法則」

 人間関係を構築して行くためには、初対面の1分間が勝負である。人間は初対面の相手を敵か味方かにすぐに判別してしまうのである。だから「身嗜み」が大事なのである。著者は美人であり身嗜みもきちんとできるというので、この身嗜みには触れていない。身嗜みは出来て当たり前のものなのである。

 美人で身嗜みがいいなら、初対面の相手に印象が良くなるのは当然のことだ。しかしそれでも人間関係に苦労したのである。ということは美人や身嗜みは人間関係を構築するための絶対条件ではないということだ。

 そこで気づいたのが「ちょいアホの法則」なのである。初対面でちょこっとしたアホな場面を見せたり、嘗ての失敗談を聞かせることで、相手のガードを一気に引き下げ、仲良くなってしまうというものなのである。

 これは実に理に適っており、美人である女性たちは自分の欠点を見せないからこそ、初対面の人と仲良くなれないという事態を引き起こしてしまうのである。自分は美人なのに周囲の人々が敬遠してくるというのであるなら、その女性は「ちょいアホの法則」が全然解っていないといっていいのだ。

 しかし「ちょいアホの法則」は万能ではないのだ。時にはそれと正反対の「ちょいインテリの法則」をも使うべきなのである。相手が自分の欠点を見て油断している状態で、自分が少しは賢い所を見せるのである。

 これは特に男性に対しては非常に有効で、今までバカな女だと思っていた女性が、実は賢いと解った時点で、その女性を大事に扱うようになるのだ。自分の一方的な側面しか見せないからこそ、相手は自分のことを大事にしてくれないのである。

 「ちょいアホの法則」と「ちょいインテリの法則」こそ万能なのである。この両方の法則を使えば、話の内容に幅を持たせることができるので、なんでも話すことができるようになるのだ。こうなればしっかりとした人間関係が構築されていくのである。

●話し方が変わると人生が変わる

 女性は男性よりも言語能力が達者である。それなら会話を使って人間関係が良好になる筈である。しかし現実はまるで逆で、話し方で損をする女性たちが大量に出てくるのだ。会話というものは自然に放置していてはダメだということなのである。会話術を学んで、会話の仕方をしっかりと学んでいかなければならないのだ。

「なぜ友人ができない?」

「なぜ恋愛が巧くいかない?」

「なぜ仕事で出世できない?」

「なぜ夫婦喧嘩を引き起こしてしまう?」

「なぜ親子で喧嘩してしまう?」

「なぜ嫁姑問題で揉めるのか?」

 これら全部、全て会話の仕方に起因しているのである。話し方が下手糞だから、相手を怒らせ敵に回してしまい、自分がどんなに努力しても成功できないようにしてしまっているのである。問題があるのは自分なのであって、そのことに気づかない限り、問題は解決していかないのだ。

 乱暴な話し方をしていれば、性格だって乱暴な性格になっていくものなのである。女性も子供の頃なら、自分が汚い言葉を使えば親から怒られたものだ。しかし自分が大人になってしまえば、自分を叱ってくれる人がいなくなるのだ。だから口の悪い女性はそのままにしてしまい、まさか自分の人生の悲劇が話し方の悪さにあることに気づけないのだ。

 穏やかな話し方をしていれば、性格だって穏やかになっていくものなのである。感性豊かな言葉遣いをしていれば、感性がより豊かになるものなのである。論理的な言葉遣いをすれば思考がより論理的になるものなのである。

 話し方が変わると人生が変わるものなのである。逆に言えば話し方を変えないからこそ人生が変わらないのである。女性がファッション誌を見て自分のファッションを磨くのもいいが、それと同時に会話術の本を読んで自分の会話術を磨くべきなのである。この両者が揃うからこそ、人間関係でのトラブルが激減し、人生が好転して行くことになるのである。

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修道女だからこそ言えること:『置かれた場所で割きなさい』

●置かれた場所で咲く

 宗教家が本を書き、その本が信者たちの間だけで売れるのではなく、教団外にまで売れた場合、その本は「当たり」である可能性が非常に強い.。出版界に於いて「宗教書」というのは売れるジャンルでもあるのだ。

 今回紹介するのは、この本。

 渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)

 置かれた場所で咲きなさい

 この題名は著者の渡辺和子修道女が若くしてノートルダム清心女子大学の学長に就任した時、仕事で悩むことが多かったのだが、その際、或る宣教師から手渡された英語の詩から取ったものなのである。この題名の意味が解れば、この手の本は大体内容が解ることになる。

 その詩というのは、

「神が植えた場所で咲きなさい。

 咲くということは仕方ないと諦めることではありません。

 それは自分が笑顔で幸せに生き、

 周囲の人々をも幸せにすることによって、

 神があなたをここに植えなさったのは間違いなkったと証明することなのです。」

というものであり、真に良い詩であるのだ。この著者はこの詩を、「置かれた場所で自分らしく生きていれば、必ず見守って下さる方がいるという安心感が波立つ心を鎮めてくれる」という意味で捉えて、その後の人生に大いに役に立てたというのである。

 一見、美談に思えるが、「ちょっと待て!」と言いたくなってしまう。英語の詩では「神」が主語であるのに、この本の題名は「自分」が主語になっているのである。彼女の詩の解釈もまず自分があって、その後に神が来るのである。

 この著者はキリスト教徒でありながら、「神中心」で生きてはおらず、「自己中心」で生きているのである。自己中心で生きているのを信仰を使って正当化しているだけなのである。なんでこの間違った信仰が批判されないのかというと、日本のキリスト教徒たちにはこの手の「信仰による自己義認説」に立つ者たちが非常に多いからなのである。

●くれない族からの卒業

 この本を読んでみれば解ることだが、著者の苦悩は信仰によって解決していないのだ。だから著者の身に次から次へと問題が起こってくるのである。特にノートルダム清心女子大学の学長であった時に学生の中から自殺者が出てしまうのが、これは聞き捨て出来ない問題なのである。カトリックでは自殺を厳しく禁止しているので、カトリック系の大学でそれが出たというのは、大学の経営そのものが間違っていたということになるからだ。

 それなのにこの著者の意見には或る程度の説得力がある。それは自分が置かれた場所で自分らしく生きて行くというのは、「くれない族」からの卒業を可能にするからなのである。相手の行動に期待するのではなく、自分が行動するからこそ、人間関係のトラブルが大いに減少していくのである。

 人間関係でのトラブルを激増させるのは、自分が相手に期待するからなのである。「挨拶してくれない」に始まり、「頼んだことをやってくれない」「行き成り用事を持ってくる」とか、他人に頼って生きていれば、悩みの種は尽きないのだ。

 夫婦関係なら、夫は妻に対して「あれをやってくれない」と言い、妻は夫に対して「これをやってくれない」と言い、それで不満を溜め込み、或る日突然に怒りを爆発させてしまうのである。確かに相手の側に落ち度はある。しかしそれ以上に悪いのは、他人に頼って生きている「あなたの方」なのである。

 カトリックは聖書の記述とは違って「信仰義成説」を取るのだが、カトリックの信者たちは「信仰による自己義認説」を取る者たちが非常に多い。「教団の教義」と「信者たちの実態」の乖離は大いなる問題ではあるのだが、カトリックの信者たちは信仰を使って自分の心を平安にしていると思えば、間違った信仰もそれなりに役に立っているということが解るのである。

●修道士や修道女の凄さ

 それにしてもカトリックの修道士や修道女というのは凄いものである。結婚せず、清貧で暮らし、宗教活動に献身してくるのである。修道会にしてみれば人件費など殆どかかっていないに等しいものだから、利潤をそっくりそのまま再投資に回すことができ、それによって修道会が益々発展していくことになるのである。

 この著者が修道女になる切っ掛けを作ったのは、恐らく「2・26事件」で自分の父親が殺されたことであろう。彼女の父親は渡辺錠太郎陸軍中将であり、軍備の充実を図りながら、戦争を回避するという、戦前の帝国陸軍では主流派の武官だったのである。だからこそ教育総監にまで伸し上がっているのだ。

 ところが社会主義に洗脳されてしまった若手の「赤い将校たち」はこれが気に入らず、大日本帝国が戦争することで戦時体制を敷き、それを利用して社会主義へと移行させようとしたのである。それゆえ渡辺錠太郎陸軍中将は狙い撃ちされるかのようにして「2・26事件」で射殺されてしまうのである。

 学校の日本史で「2・26事件」を習った筈だが、この「2・26事件」で父親が殺され、その女性は長じて修道女になり、ノートルダム清心女子大学の学長にまで出世したということまでは書かれていない。歴史は様々な因果を絡みながら動いて行くものだが、授業で「はあ、そうですか~」と気の抜けた覚え方をしていると、大事なことを何も学べなくなってしまうものなのである。

 文部科学省が検定した教科書が恐ろしいのは、渡辺錠太郎陸軍中将は統制派の人物だと書かれていることなのである。統制派の人物に東条英機もいるわけだから、渡辺錠太郎陸軍中将も戦争を推進した人物ではないかと思われてしまうのである。

 当時の帝国陸軍で起こっていた派閥争いは、要は社会主義に洗脳されてしまった赤い将校たちと、社会主義には洗脳されなかった将校たちとの戦いだったのである。だからこそ「2・26事件」で父親を殺された渡辺和子は反共を掲げていたカトリックの信者になり、修道女になるのである。

●人間は我執の激しい動物

 この本には名言が鏤められているのだが、その殆どは自己啓発書から取ったものであり、多少改変した程度のものである。言わば「剽窃」をやっているのである。だからスラスラと読めてしまうし、名言の出所を知らない人たちが読めば感動してしまうのである。

 それ以上に問題なのは、著者自身が深い苦悩を抱いているわけではないということなのである。人間の思考というものはその人が持つ苦悩の深さに比例するものなのである。父親が殺されたという苦悩はあったが、それを上回るような深い苦悩がないからこそ、ズドンとくるような言葉を言えないのである。 

 では、これが悪いことなのか?

 そうではないのだ。

 この本に書かれている言葉は真っ当なものではあっても、俺に言わせれば「偽善」なのである。しかし普通の人たちが偽善を言えば厳しく批判されなければならない。だが修道女が偽善を言ってくれるからこそ、その偽善は役に立つことになるのだ。

 世俗の人間たちというのは欲望まみれなものなのである。その状態を放置していいわけがないのだ。誰かがその欲望熱を冷ましてあげる必要性があるのだ。修道女はこの役をやったからこそ、西ヨーロッパでしっかりと定着したのである。

 考えてみれば、日本に於いてこういう仕事は仏教の僧侶たちの役割だったのである。しかし僧侶たちが戒律を守らなくなったからこそ、世間の人々はその意見を聞かなくなってしまったのである。戒律を守らず、肉食妻帯している僧侶ではこの役目を担うことはできないのである。

 自我への執着を解き放つことに関しては仏教の方がその理論も実践もきちんと整備されているのである。人間は我執の激しい動物であることなど古今東西変わらないのだ。それなのに仏教の僧侶が書いた本が売れず、修道女が書いた本が売れるというのは、それだけ仏教が凋落しているということなのである。

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「死の十字架」について

●突如元気になったら逆に危険

 人間というのは病気になったら、病気で衰弱し、死んでいくことになる。若い時は体力があるからこそ、その病気を跳ね返せることができるのであって、年を取ってくればそうは行かなくなる。病気によって徐々に体力が失われていき、そして死んでしまうのである。

 病気で病院に入院したら、体力が衰弱してしまえば、後は死ぬしかないと思うべきなのである。病人だからこそ「歩く」べきなのであって、病院内を歩き回って、足腰の筋肉が衰えないようにすべきなのである。足が細くなってしまったら、最終的は寝たきり状態になり、散々治療を施された挙句に死んでしまうことになるのだ。

 老年になれば免疫力も低下してくるのだから、治療を受けてすぐに元気になるということはない。しかし病気が進行すると、突如元気になるという現象が起こってくる。これが「死の十字架」なのである。「死の十字架」という現象が起こると、一時的に元気になるが、その後、病状が悪化してすぐに死んでしまうことになるのだ。

 突如元気になるというのは、「病魔が人体の最終防衛ラインを突破した」ということなのである。このため防衛に向けていた体力が解放されてしまい、体温が上昇し、脈拍が増加するために、一時的に元気になってしまうのである。勿論、この元気は「空元気」であり、そんなに長くは続かないのだ。

 病人に向って「頑張れ!」「早く治ってね」とか言うのは、治療にとって有害であるのだ。病人が焦ってしまうと、まだ完治していないのに退院しようとし、それで一時的には元気になるが、しかしそのために体力を使いきってしまい、死んでしまうことになるのだ。これも事実上「死の十字架」と言っていいのだ。

●仕事復帰後発熱

 癌などの深刻な病気を患い、病院で治療を受け、急いで仕事復帰してくるというのは非常に危険なのである。癌で体力を奪われ、治療で体力を奪われているのに、仕事復帰で体力を奪われば、最早、生命を維持できるだけの体力が残らなくなってしまうのである。

 こういう場合、良くあるパターンが、仕事復帰後、風邪をひいたり、体調不良で寝込むなりにして、体が「発熱」してしまい、その発熱が引かないという奇妙な現象が起こってくる。jこの現象が起きると、呆気なく死んでしまうことになる。仕事復帰ができるのだから、見た目はまだまだ健康そうに見えるのだが、早死にしてしまうのである。

 これは自分が引き起こしてしまった「死の十字架」だと言っていい。

 「発病でストレス」「治療でストレス」「仕事復帰でストレス」という、「ストレスのジェットストリームアタック」を受けてしまったのであり、自律神経が完全に参っていたのである。仕事復帰を急がなければ、治った筈なのにである。それなのに仕事復帰を急いだために、自律神経が完全に狂ってしまい、それで治るものも治らなくなってしまったのである。

 時折、癌に罹った有名人が、病院で治療を受け、その後、仕事復帰してきて、ファンの人たちから拍手喝采を浴びるということが報道されたりする。その報道は感動的なものではあっても、そういうことをやった有名人はまたすぐに病気を再発してしまい、帰らぬ人となってしまうのである。

 還暦以降で癌に罹ったのなら、もう今までやっていた仕事は引退した方がいいのである。自分ではまだまだ遣り残したことがあると思っていても、その不完全さが丁度いいのであって、無理に自分の仕事を完成させることはないのだ。仕事を完成させようとするからこそ、無理をしてしまい、寿命を縮めてしまうことになるのである。

●性格が穏かになる

 深刻な病気を患い、入院が長期化しているのに、性格が穏かになるのも危険なのである。人間の性格はそう簡単には変わらないので、性格が変わったら、「これは<死の十字架>だな」と思うべきなのである。事実、その患者はその後死ぬことになる。

 普通、病気になったら人間はもがくものなのである。必死になってこの世に生き残りたいという態度を示すのである。そうやって抵抗を見せるからこそ、自分の体の免疫力も上がり、病気を治していくことができるのである。病気をして性格が穏かになるというのは、良いように見えて、実はバカげたことをやっているのである。

 病人が無闇に「有難う」というのは、「この世でのお別れの言葉を言っているんだな」と思っておいた方がいい。病気に罹って入院するような人物は感謝の言葉が足りないものだ。たとえ「有難う」と言っても、心の籠っていないものであるものなのである。

 それが突如、心の籠った「有難う」を言い出してくるのである。

 癌に罹るような人物は大抵が頑固である。頑固だからこそ癌に罹ったのだが、そうは言っても頑固が治るのは癌が治ってからでいいのだ。癌に罹っている最中に性格が変わる必要性はないのだ。癌治療では様々なトラブルを発生させるのだから、そのトラブルを通じて自分の性格に間違いがあることに気付けばいいのである。

 この世の中には人格の完成を目指そうとして躍起なる宗教やイデオロギーがあるものだ。そういう宗教やイデオロギーは邪悪なものだと断定すべきなのである。人格が完成することなど絶対にないのだ。人格というのは、今あるものでいいのである。もしも自分の人格に問題があるなら、その部分だけ治していけばいいのである。

 この世で生きていれば解ることだが、どんなに善人であっても、死ぬ時は死ぬのである。悪人と罵られようが、生きなければならない時は生き続けるのである。「善か悪か」に囚われすぎてしまえば、自分がまだまだこの世に生きられるのに、自らの手であの世に行ってしまうことになるのだ。

●治療後は養生することに努めること!

 では、「死の十字架」を迎えないようにするためには、一体何をすればいいのかというと、それは「養生」することに努めることなのである。病気をしたのなら、仕事復帰に焦らない。というか病気を機に、その仕事を引退してもいいのである。

 病気が治り、病院から退院したといっても、自宅で体力の回復を行うようにすることだ。入院生活のために相当体力が落ちているし、更に治療のために体力がより低下しているのである。その状態で張り切って何かをするというのは非常に危険なのだ。

 まずは「ウォーキング」をして足腰を鍛えていくことだ。最低でも1時間歩くべきだし、出来ることなら3時間は歩いた方がいいのだ。お勧めは階段上りであって、階段を休み休み上がっていくのである。これをやると足腰にしっかりとした筋肉がつくようになるのだ。

 それから「筋肉トレーニング」をし、より重点的に筋肉をつけていくようにすることだ。筋肉量が増えれば体温も上がるので、体力の回復がスムーズに行くのである。筋肉がついてきたのなら「柔軟体操」をやって体を柔らかくしておくことだ。体が柔らかいと、体内の老廃物や毒素を回収し易くなるのだ。

 退院後、養生をしないと入退院を繰り返すこよになる。入退院を繰り返すというのは、体力を大いに消耗させてしまうのであって、治る筈の病気ですら治らなくなってしまうのである。養生を怠ったツケが入退院の繰り返しを引き起こしてしまい、そして亡くなってしまうのである。

 自分が自分の死期を悟ったのなら、無闇に治療を受けないことだ。生きていれば自分の寿命というものは解るものだ。それなのに無理して治療を受けてしまえば、その僅かな残り時間さえも縮めてしまうのである。病院に入院しなければ、自分の身辺整理はきちんとできるのであって、自分の死を見苦しいものにしないで、あの世に行くことができるのである。

 結局、「死の十字架」が現れるような生き方は間違っていたということなのである。間違った生き方をしているからこそ、死ぬ間際になって後悔してしまうのである。養生することに努めていれば、ちゃんと生き長らえることができたのにである。養生をしないからこそ、無様な目に遭ってしまうのである。

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奇想天外の『ピアノはっぴょうかい』

●女の子だからこそ絵になる

 育児をしてみれば解ることだが、男女は平等に成長してこない。男女の性差を徹底的に見せ付けられることになる。学校では延々と男女平等を教えれてきたが、育児をしてしまえばそれは「完全なる嘘」だというのが解ってしまうのである。

 男の子は成長が遅いし、そのくせすぐに病気に罹る。男の子はまさに「怪獣」で滅茶苦茶なことを平気で仕出かしてくる。だから母親はこういう手のかかる子供にはメロメロになってしまい、育児の楽しさを思う存分味わえることになる。

 一方、女の子は成長が早く、乳児の段階でもう言葉を喋ろうとしているのだ。女の子は外見こそ可愛らしいものだが、女の子はもう大人の考えを持ち始めているのだ。父親はいつも自宅にはいるわけではないので、こういう女の子に接してしまうとバカ親丸出しになってしまうのである。

 絵本の主人公を女の子にした方が断然に絵になる。男の子は怪獣同然だから、この時期特有の凶暴さをきちんと描かないと、説得力を持ちえないのだ。ところが通常、絵本作家たちはそんなことを描かず、理想的な男の子を描いてしまう。だから説得力を持たないのである。

 女の子を主人公にしたのなら、女の子特有の可愛らしさがあるし、その反面、大人なびた所もあるので、絵本作家が大人の視点から見てもきちんと描くことができるのである。まあ、書き易いといえば、書き易いのだ。

●起承転結の巧さ

 今回紹介するのは、

 みやこしあきこ著『ピアノはっぴょうかい』(ブロンズ新社)

  ピアノはっぴょうかい

 主人公の「ももちゃん」が初めてのピアノ発表会に行くというお話である。身長の高さからみると小学校低学年であろうと推定され、幼さはまだまだ残しているのである。その「ももちゃん」が初めてのピアノ発表会ということで緊張しまくっているのである。

 そこに1匹の子ネズミが現れ、「私たちも発表会をしているの」ということで、子ネズミに連れられてネズミたちの発表会を見に行ってしまうのである。その発表会を見ることに夢中になってしまった「ももちゃん」は自分がこれからピアノを演奏しなければならないことなどすっかり忘れて見入ってしまう。

 そしてこれから子ネズミが歌を歌うことになるのだけれども、子ネズミは緊張しまくってしまい、「巧く歌えなかったら、どうしよう」と悩むので、そこで「ももちゃん」が「私が一緒に出てあげるから大丈夫」と励ます。

 その後、「ももちゃん」は舞台に上がってピアノを弾き、子ネズミは歌を歌い始める。すると場面が転換してしまい、「ももちゃん」のピアノ発表会のホールになってしまい、自分の緊張感は消えていたのである。そうやって「ももちゃん」は≪楽しい気持ち≫のままでピアノを演奏し、会場は大きな拍手でいっぱいになったのである。

 この絵本は起承転結がしっかりしているので非常に理解し易い。起承を早めに済ませ、子ネズミが出てくる所から「転」が始まる。「転」の部分が異様に長く、ピアノ発表会のホールに戻るシーンで「結」になる。起承転結の内、「転」lこそがメインになるという文芸理論を忠実に実行しているのだ。

●空想は説得力を生む

 題名が『ピアノはっぴょうかい』と銘打っている以上、本当にピアノ発表会で起こった出来事を記述するのも遣り方の1つだ。しかしこの絵本のように作者の空想を載せるというのも1つの遣り方なのだ。「現実か、空想か?」という選択はその絵本の命運を完全に分けてしまうものなのである。

 ネズミたちが出てくる話が本当に空想話なら、この絵本は駄作だということになる。しかしネズミたちが出てくる話は、実は「ももちゃん」の緊張を解きほぐすためのものなのである。ネズミたちによって緊張することがなくなったからこそ、「ももちゃん」は楽しくピアノを演奏することができたのである。

 空想は説得力を生むのである。逆に言えば説得力ある空想でなければ意味がないのだ。もしもこの空想がなければ、「ももちゃん」は緊張した状態でただピアノを演奏するだけになってしまい、自分が積極的になって楽しく演奏しようとはしなかったのである。

 ピアノの先生が言うように「いつものように弾けばいいからね」というのも1つの言い分ではある。しかしそうやって演奏しても、失敗してしまうものなのである。発表会に出ている生徒たちは緊張しまくっているものなのである。

 大事なことは「楽しい気持ちのまま演奏すること」なのである。そのために空想が必要になってくるのである。空想によって現実を忘れ、本当の自分を取り戻すのである。本当の自分なら楽しくピアノを弾けるのである。

 だからラストで母親が「「ももちゃんの笑顔、凄く良かったな」と言うのは実に重みがある言葉で、母親は「ももちゃん」の演奏を褒めたわけではないのだ。技術的なことを云々言い出すのは、中学生になってからでいいのである。ピアノを楽しい気持ちの状態で弾けることこそ、幼い時には絶対必要なのである。

●絵本作家とピアノ

 この絵本は絵本だからといってバカにしていると、とんでもない目に遭ってしまう。この絵本はピアノに間して大事なことを教えてくれているのだ。より大袈裟に言ってしまえば、「芸術の根幹」を教えてくれているのである。

 「楽しさ」こそ芸術の原動力なのである。

 この大事なことを忘れてしまうと、芸術は悲劇しか引き起こさない。プロのピアニストたちの中には苦しみながら演奏しまくり、その結果、難病奇病に罹る人たちがいるものなのである。学校の音楽の教師だって、「音楽」を「音が苦」に変えてしまい、それで生徒たちに暴力を振るうのである。

 こういうことをやっていては芸術が消滅するのは当たり前のことなのである。

 「みやこしあきこ」は絵本作家なのに芸術に於いて最も大事なことを言えるのは、彼女自身、子供の頃にピアノを習っていたからなのである。子供の頃から絵本作家を目指していなかったために、普通の絵本作家では言えないこともきちんと言えているのである。

 幼い時にピアノを習っていたからこそ、絵本を描いた時に「起承転結」がある絵本を描けるのである。普通の絵本作家たちだと起承転結を無視するということを平気でやってくるのだ。だからこそ絵本として成立していないのである。

 もう1つはピアノをやっていたために、「言葉の巧さ」が素晴らしいのだ。絵本は黙読するのではなく、音読して欲しい。音読してみると、「ももちゃん」の気持ちが伝わってくるし、リズム感の良さに驚いてしまうものだ。

 そして何より作者の「ワクワク感」が伝わってくるのである。自分が楽しいと思うからこそピアノを弾いた人は、大人になって自分が楽しいと思うからこそ絵本を描いてくるのだ。そういう絵本は絶対に楽しい絵本なのである。

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なぜ女性会社員たちよりもキャバクラ嬢の給料は高いのか?

●いい人ほど貧乏人である

 この世で生きていれば解ることだが、いい人ほど貧乏人である。常に自分は正しいと思っているから、自分の考え方や遣り方を変えようとはしない。しかも事もあろうことか、自分が貧乏であることに気づくと、「世の中が間違っている!」と騒ぎ始めるのだ。

 これに対してキャバクラ嬢を始めとする水商売の女性たちは、いい人たちではない。悪人であるとは言わないが、決して世間の人々から褒められるような存在ではないのだ。服装や化粧はケバいものだし、態度にしても水商売特有の柄の悪さを持っているものだ。しかし彼女たちは普通の女性たちよりも遥かに豊かであるのだ。

 なんでこんなヘンテコな現象が起こるのであろうか?

 いい人たちというには自己本位で仕事をし、キャバクラ嬢たちはお客様本位で仕事をするからなのである。このためいい人たちはお客様の要求を掴むことができず、貧乏になっていく。一方、キャバクラ嬢たちはお客様の要求を掴むことができ、豊かになっていくのだ。

 キャバクラ嬢たちだってお客様の要求を掴み続けるのはしんどいものだ。だから普通の女性たちよりも喫煙率が高いものだし、中には麻薬にまで手を出す者たちだって出てくる。お客様の要求を掴むのはそれだけストレスを発生させるものなのだ。それに対していい人たちはそれほどの労力を支払ってお客様の溶融を掴む努力をしているのかといえば、それはしていないのだ。

 豊かになりたいのなら、「悪の力」が必要なのである。「悪の力」は「善の力」よりも強いものなのだ。しかも「悪の力」を使い続ければ、我が身を滅ぼすことになるほど危険なものなのである。「悪の力」を外に向けて使うのではなく、自分自身に対して使うべきなのである。「自分は正しいんだ」と思っている自惚れを、「悪の力」を使って撃破するべきなのである。

●労働の質に着目するからこそ

 いい人たちというのは仕事をする際、ただ勤務時間をこなすだけで、「労働の質」に着目してこないのだ。このため8時間労働はきっちりとやる。しかし生産性など上がるわけがないのだ。労働時間に囚われるからこそ、労働の効果が出てこないのである。

 そもそもキャバクラ嬢たちは8時間労働などしていない。通常は19時から午前2時までである。だから「7時間労働」であるのだ。しかも同伴出勤してくれば1時間は遅刻してくる。そうなると「6時間労働」しかしていないのだ。

 キャバクラ嬢たちは労働時間などには着目していないのである。

 着目しているのは「労働の質」なのである。

 人間が1日の間に創造的なことができる時間はせいぜい「3時間」だ。たったそれだけの時間しかないのだ。要はこの創造的な時間を的確に仕事で使っていくか否かなのである。キャバクラ嬢が6時間労働なら、最大でその内の半分が創造的なことをやっている時間なのだ。だからキャバクラ嬢たちの労働の質は高いのである。

 キャバクラ嬢たちに対して生産性の調査をしていないが、もしも実施したのなら、恐らく普通の女性会社員たちの生産性よりも断トツに高い結果が出てくることであろう。それだけ普通の女性会社員たちは一生懸命仕事をしているように見えて、実はダラダラとやっているのである。

 どんな職業であれ、仕事を物にするまで10年の歳月がかかる。ところがキャバクラ嬢たちは質の高い労働をやっているために、この期間が5年に短縮されてしまうのである。5年で一流に達してしまえば、後は大儲けしていくことが可能になるものなのである。

●大儲けしたければ少しは怠けよ

 若い時は精力に満ち溢れているから、働くのであるなら1日8時間労働とはいわず、1日12時間労働をするべきなのである。ともかく仕事漬けの日々を送っていれば仕事の上達も早いのである。若いのに遊び呆けているようでは、40歳を過ぎてから大きな仕事などできるわけがないのだ。

 長時間労働をやり続けていれば、必ず壁にぶち当たるものだ。その時、労働時間を短縮するという発想が出てくるものなのである。キャバクラ嬢たちにしても、最初から短時間労働をしていたのではなく、初期の頃には、昼はバイトをやり、夜はキャバクラの仕事というように、長時間労働をしていたのである。それが或る時期からキャバクラの仕事を1本に切り替えたのである。

 「大儲けしたければ少しは怠けよ」ということなのである。怠けない限り、労働の質は上がってこないのだ。毎日、1日8時間労働をしていては、労働の質の向上など高が知れているものなのだ。人間が創造的なことをできる時間は1日に3時間しかないということを絶対に忘れるべきではないのだ。

 男性会社員なら結婚後に妻を専業主婦にさせ、妻に仕事をさせないようにする。妻が仕事に対して怠けてくれる分、夫は仕事に精を出すようになり、労働の質が上がっていくのである。妻は妻で空いた時間を使って家事や育児に励み、それによって生活の質が向上するのである。

 これが会社の経営者になると、出来る限り出勤してこない。複数の会社を経営して、会社経営をローテンション化してしまうのである。こうなると実際の勤務時間は少ないのに、その生産性は非常に高いものになるのである。だから収入が多くなってくるのである。

●だから男女共同参画社会では男女ともに貧乏になる

 「労働の質」こそが労働に於いて決定打になるということが解ってしまえば、現在、政府が進めている「男女共同参画社会」は確実に失敗するということが解るというものだ。男女共同参画社会では、男女共々働かなければならなくなるのだが、男女全員が働けば、男女ともに全員が貧乏になってしまうのである。

 フェミニズムというのは「女たちの社会主義」なのであるが、このため労働価値説に立脚してしまうのである。社会主義国では労働価値説の間違いが立証されたというのに、まだしつこく労働価値説を取り続けるのである。

 フェミニズトたちが厄介なのは、自分を善人だと思い込み、自分は常に正しいことをやっているのだと思い込んでいることなのである。ではそうやって正しいことをやっている彼女たちが裕福なのかといえばそうではない。みんな貧乏なのである。

 理由はもう解っている。「いい人たちほど貧乏人である」というこの世の道理が、フェミニストたちにも公平に適用されているだけなのである。フェミニストたちはお客様のことを考えないし、労働の質を考えないし、生産性も考えない。これでは裕福になるわけがないのだ。

 社会を弄くってはならないのだ。キャバクラ嬢たちは女性の地位向上などを目指さなかったが、結果的にキャバクラ嬢たちのためにキャバクラ嬢たちは豊かになり、その地位も向上してしまったのである。わざわざ高いお金を支払ってキャバクラに通い、キャバクラ嬢と結婚できたことを喜ぶ男性たちだって出現してきたのである。

 世の中は放置しておけば、「自生的秩序」を作るから、そこで全ての人たちがなんらかの利益を得て、満足できるものなのだ。しかし社会を人工的に作り出せば、人々は利益を得ることができず、結局、その人工的な社会そのものが崩壊してしまうものなのである。

 社会主義者にしてもフェミニストたちにしても、実に様々な屁理屈を考え出してくるものだ。だが彼らや彼女たちの意見を採用しても、決して人々は豊かにならないのだ。いい加減に国民も気づくべきなのである。男女共同参画社会を実施し始めてから、日本国民は以前よりも貧乏になっているということに!

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なぜ顧客管理を行わないのか?

●キャバクラ嬢の明暗を分ける顧客管理

 素人の女性がキャバクラ嬢になった場合、行き成り顧客管理を行う者は絶対にいない。自分の記憶力だけを頼りにして仕事を進めていくという、とんでもないことをしてしまうのだ。しかし記憶力にが限界がある。だからその限界に達した時、能力的にギブアップし、キャバクラ嬢を辞めてしまうことになるのだ。

 キャバクラ嬢が仕事をし続けていくためには顧客管理を行わざるを得ない。自分の記憶力では顧客情報が追いつかなくなった時、顧客管理を始めることになるのだ。それなのに顧客管理の仕方を教えるキャバクラ嬢はいないのだ。これはキャバクラ嬢にとって「成功の秘訣」に属するものなので、そう簡単に教えるわけがないのだ。

 繁盛しているキャバクラは店長が必ず顧客管理表を配る。キャバクラ嬢たちが顧客管理の方法を教え合わないことを知っているからだ。顧客管理がきちんとできてしまうキャバクラ嬢は、キャバクラ嬢として優秀なだけではなく、他の仕事に転じて女社長として成功してしまうだけの力をも持ってしまうのである。

 キャバクラの店長が顧客管理表をくれない場合は、自分が自発的に顧客管理をしなければならない。しかしキャバクラの店長が顧客管理をしていないのに、そのお店のキャバクラ嬢が顧客管理をすることなどできないのだ。

 だからキャバクラ嬢を辞めていく女性たちが跡を絶たないのだ。

 キャバクラ嬢の明暗を分けるのは顧客管理だと思っておいた方がいい。大半のキャバクラ嬢たちはこれをしないのだから、いずれ消えていくのだ。キャバクラ嬢として顧客管理の仕方を知ってしまえば、生き残る確率が一気に高まるのだ。

●まずは名刺

 キャバクラ嬢がお客様から名刺を貰うのは、それこそが顧客管理の始まりなのである。人間は初対面の時こそ記憶力を最大化にさせる。このため初対面で得た情報をその名刺に情報を書き込んでしまうべきなのである。

 さすがに名刺に書き込むのは店内ではできないから、トイレに行って書き込んだり、仕事が終わってから書き込むのである。これをやらないとその日に得た記憶はいずれ忘れていってしまうものなのである。

 お客様からより多くの情報を引き出すためには、会話術が長けていることは勿論のこと、自分の差し出す名刺がセンスのいい物でなければならない。センスのいい名刺だと、お客様はそれに感動してベラバラと自分の情報を喋ってくれるのである。

 キャバクラ嬢の仕事をやっていれば、名刺は大量なものになる。名刺の整理は絶対に欠かせないのだ。名刺の整理を怠ると、お客様に対して再び名刺を頂戴する羽目になるのだ。お客様にしてみれば、名刺を渡したことは覚えているので、余程のことがない限り、そのキャバクラ嬢を大事にしなくなってしまうものなのである。

 名刺のモデルチェンジは絶対に欠かせない。給料が少ない時は簡素な物でもいいが、給料が高くなってくれば、より拘りをいれた方がいいのだ。名刺を渡した時、お客様がビックリするような名刺であるなら、そのお客様はリピート客になってくれる確率が非常に高くなるのである。

●情報収集と情報分析

 通常、キャバクラの店長から渡される顧客管理表はA4の紙である。その用紙にお客様の情報を書き込めば、簡単に顧客管理をすることができるのである。しかし、この用紙を使っていくと、いずれ追っつかなくなる。このやり方は実戦的なものではないのだ。このため多くのキャバクラ嬢が自己流の顧客管理を開始することになるのだ。

 最も古典的なのが「ノート」である。1人1頁を割り当て、来店の度に情報を書き込んでいくのである。このやり方の最大の利点は使い勝手がいいということだ。欠点は字が汚いと、何を書いたのか読めなくなってしまうということだ。

 お洒落に決め込むなら「クリアファイル」を使った顧客管理だ。このやり方だと綺麗に顧客管理をすることができる。しかし欠点としてはこのクリアファイルだと嵩張るのだ。自宅の一角を占めることを前提で始めるべきであろう。

 パソコンによる顧客管理というやり方もある。パソコンなら無制限に情報を取り込んでいくことができる。欠点としてはなんでも入力してしまい、どれが重要な情報か解らなくなってしまうということなのである。それとパソコンは起動させない限り使えないので、それが結構面倒なのである。

 顧客管理は100人を超えた時点で、圧倒的な威力を発揮してくる。普通、キャバクラ嬢が150人以上のお客様に接してしまうと、その時点からお客様の情報の記憶力が低下していく。一応、顔と名前は覚えているのだが、それ以外のことはウル覚えにしかならなくなってしまうのだ。

 しかし顧客管理をしっかりとしておけば、お客様の情報をしっかりと把握できるので、来店したと同時にその記憶が蘇ってくるのだ。情報収集と情報分析がなされているので、突っ込んだ話し合いがすぐにできるようになるのだ。

●仕事が断然に楽になる

 顧客管理というのは当初非常に面倒臭い。このため多くのキャバクラ嬢がやらないのだ。しかも若いから記憶力がいい。それで自分の記憶力に頼ってしまうのである。そここそが落とし穴なのである。記憶力というのはいずれ限界がやってくるものなのである。

 顧客管理をやっていれば、自分がどの客層に受けているのかが解るようになるのだ。年配の男性たちに受けているのなら、年配の男性たちが好きそうな情報を仕入れておけばいいのだ。逆に若い男性たちに受けているのなら、若い男性たちに受けるような情報を仕入れていけばいいのだ。

 ということは、どの客層に対してヒットさせていけばいいのかも解るようになるのだ。例えば自分に対して損害を出しているお客様から手を引き、自分に対して利益を発生させているお客様にサービスを集中するのである。こうすればヒットするのは間違いないのだ。

 顧客管理さえしっかりと出来てしまえば、キャバクラ嬢の仕事など遊び同然になってしまうのである。必要な情報をきちんと得ているからこそ、勤務中は遊びながら仕事をしているのである。そのくせ自宅に帰れば顧客管理だけはしっかりとしているのである。

 キャバクラ嬢の仕事は心のどこかにクールなものを持っていないと、とてもではないがやっていけないものなのである。お酒を飲んで騒いでいるだけでは、いずれ自滅していくものなのである。生き残っていくキャバクラ嬢ほど、自宅でコツコツと顧客管理に励んでいるものなのである。

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なんで同伴出勤が大事なの?

●キャバクラも開店時にはお客様が入らない

 繁盛しているキャバクラと雖も開店時はお客様が入って来ない。人間というのは人々がワイワイガヤガヤしているからそこに加わってくるのであって、それがないとそこに加わってこようとはしなくなるのだ。そこで考え出されたのが「同伴出勤」である。

 同伴出勤自体、キャバクラの発明品ではない。クラブの発明品であるのだ。ホステスが開店前にお客様とデートし、そのお客様を引き連れて出勤してくるのだ。こうなれば開店早々お客様が入ってしまい、お客様のいない時間帯をなくすことができるのである。

 優秀なキャバクラ嬢は同伴出勤にこそ力を入れる。同伴出勤をしてしまい、その時点でポイントがつき、その後の仕事を有利に進めていくことができるからだ。しかも同伴出勤するお客様こそリピート客なのであって、デートを楽しんでいればまた来てくれるようになるのだ。

 逆にダメなキャバクラ嬢ほど同伴出勤の価値が解っていない。そもそも同伴出勤をやろうとしないし、店長から命令された時はお客様に無理にお願いして同伴出勤をして貰うのである。これではキャバクラ嬢として自滅していくのは当たり前のことなのである。

 キャバクラ業界が恐ろしいのは、同伴出勤ができるキャバクラ嬢を引っこ抜くことをやるのである。そこのお店よりも高い基本給を提示して引っこ抜いてしまい、そのjキャバクラ嬢だけでなく、そのキャバクラ嬢についているお客様たちをもゲットしてしまう。だから競争が激化し、より優れたサービスを提供することができるようになるのである。

●遊び慣れている人は早めに切り上げる

 お客様の立場に立った時、キャバクラ嬢と同伴出勤するのは本当に利益になっているのかという問題が発生する。結論から言うと、お客様は利益になるからこそ、自ら進んで同伴出勤して貰えることを願い出るのである。

 同伴出勤の場合、出勤前にデートをすることになる。そのデートの料金はお客様持ちだ。キャバクラ嬢を連れている以上、ジャンクフードで済ますわけには行かない。ちゃんとしたレストランに行くことになる。しかもその後、同伴出勤して、キャバクラの料金まで加算されるのである。

 この同伴出勤というのは結構な値段になるものなのである。

 それなのになんでこんなことをするのか?

 まずキャバクラ嬢とデートするのは面白いということだ。服装が普通の女性たちとは違って、水商売風に垢抜けているのだ。解り易く言うと「ケバイ」のである。しかもキャバクラ嬢は会話術が達者なので、会話していると非常に楽しいのだ。

 キャバクラ嬢に匹敵するような女性を合コンやナンパで調達しようとしても絶対に無理なのである。素人とプロの違いだから、幾ら合コンやナンパを繰り返しても、キャバクラ嬢ほどの面白さを持つ女性には出会えないのだ。だから普通の女性とデートするより高額な料金がかかっても、キャバクラ嬢とデートするのである。

 それと同伴出勤した場合、開店早々に行くことになるので、キャバクラの料金は最も安い状態にあり、しかも他にお客様はいないので充分にそのキャバクラ嬢と会話を楽しむことができるのである。キャバクラの料金システムは夜遅くなればなるほど料金が上がっていくので、これは非常にお買い得なのである。

 遊び慣れている人ほど、ダラダラと遊びはしないのだ。夜遅くまでキャバクラにいたのなら、料金は高くなってしまうし、結果的に夜更かしすることになるので健康を害してしまうのだ。遊び慣れている人は早めに来て、早めに切り上げてしまうのだ。だから資金的にも続くし、体だって壊さないのである。

●同伴出勤をしてくれるお客様の見分け方

 キャバクラ嬢にとってリピート客は、来店の度に必ず指名してくれるお客様と、同伴出勤をするお客様なのである。キャバクラ嬢の営業成績はこのリピート客をどれだけ持っているかにかかっているのだ。リピート客が或る一定数いれば、絶対に潰れなくなるのである。

 リピート客の全てが同伴出勤を望んでいるということではないということなのである。リピート客にはキャバクラの店内だけで会いたいというお客様もいるのである。こういうお客様は基本的に酒好きで、お酒を若い女性と会話しながら飲みたいと思っているのである。

 このお客様に無理矢理に同伴出勤を頼み込めば、そのお客様は応じてくれることだろう。しかし同伴出勤した日以降、そのキャバクラには来なくなってしまうのである。キャバクラ嬢の完全な勘違いが、リピート客を1人なくしてしまったことになるのだ。なんでお客様が来なくなってしまったのか、その理由が解らないと同じことを何度も繰り替えうことになり、リピート客を大いに減らしてしまうことになるのだ。

 同伴出勤に応じてくれるお客様というのは、「キャバクラ嬢とデートするのが好き」というお客様だけなのである。そこを見極めないと、リピート客が増えていかないことになってしまうのだ。この違いを見極めることができるキャバクラ嬢だけがあれよあれよという間に出世していくことになるのである。 

 因みにキャバクラ嬢とデートをするのが好きなお客様はデートするのが得意なのであって、「セックスは下手」なのである。このお客様といい気になってラブホテルに行ってしまうと、セックスでは大して楽しめないし、しかもそのお客様はセックスした後のキャバクラ嬢に対しては関心がなくなってしまい、もう二度とキャバクラに来なくなってしまうのである。

●なぜ一流のキャバクラ嬢たちは同伴出勤を自慢するのか?

 若いキャバクラ嬢なら同伴出勤よりもアフターの方に力を入れてしまうものだ。しかし一流のキャバクラ嬢はアフターになど力を入れて来ないのだ。力を入れるべきは同伴出勤であり、同伴出勤を確実にこなしてくるのである。

 一流のキャバクラ嬢が同伴出勤を自慢した時、それは1回や2回ではないのである。「毎回同伴出勤しています」ということなのである。これは凄いことなのである。それだけデートを繰り返しても、お客様はもっと楽しみたいと思ってしまっているのである。

 これは出来るようで出来ないものなのである。一時的に同伴出勤することはできても、毎回同伴出勤し続けることはできないものなのである。しかしその秘訣を訊いてみると、意外なほど簡単な答えが返ってくるのだ。

 曰く「大事なお客様ほど、同伴出勤に回す」とか、

 曰く「同伴出勤の時には絶対に遅刻しない」とか、

 曰く「同伴出勤した後に次回の予約を取ってしまう」とかだ。

 言われてみれば、「あッ、成程ね!」ということばかりなのである。何か特別なことをやっているのではなく、キャバクラ嬢なら当たり前のことをやっているだけなのである。一流のキャバクラ嬢たちほど、同伴出勤の価値が解った上で、当たり前のことをやっているのである。

 これに対してダメなキャバクラ嬢たちはこの当たり前のことをしない。お客様が折角同伴出勤に応じてくれたのに、待ち合わせの時間に遅刻してくるようであるなら、その時点でもうお先真っ暗なのである。自分が自分で絶好のチャンスを破壊しているのである。

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ダメなキャバクラ嬢だからこそ学べる

●成功事例よりも失敗事例の方が勉強になる

 キャバクラ嬢になる女性たちは幼い頃からキャバクラ嬢になることを夢見てなったわけではない筈だ。大方は高い給料に惹かれてキャバクラ嬢になったにすぎない。そのため自分の金銭欲だけを満たしてしまい、それ以外のことが見えなくなってしまうのである。

 「金銭欲こそ諸悪の根源」だと言われるが、金銭欲に惑わされるとお金のことしか考えない最悪のキャバクラ嬢になってしまうものなのである。お金だけを追求していっては、キャバクラ嬢として破滅するのは目に見えているにも拘らずにである。

 キャバクラ嬢になったのなら、とにかく成功しているキャバクラ嬢を真似ることが肝要だ。真似ていれば、いずれ自分もキャバクラ嬢として成功していくことができるからだ、しかしそこには落とし穴がある。自分と成功者とでは精神レベルが違うのである。だから解ったような解らないような状態に陥ってしまうのえである。

 その点、失敗しているキャバクラ嬢と自分とでは精神レベルが同じなので、失敗しているキャバクラ嬢の言っていることは良く解るのである。何事もそうだが、成功事例よりも失敗事例の方が勉強になるのだ。

 キャバクラ嬢として成功していくためには、「~しなければならない」ということをしっかりとやると同時に、「~してはならない」というものをしっかりと守らなければならないのだ。新人であるなら或る程度の失敗はしていっていい。だがキャバクラ嬢として致命的な失敗をしてはならないのだ。

●トイレが汚いキャバクラは確実に潰れる

 繁盛するキャバクラと、潰れてしまうキャバクラとでは一体何が違うのか?

 その一番解り易い差は「便所が綺麗」か「便所が汚い」かなのである。

 キャバクラは接客業をしている以上、トイレはピカピカにすべしなのである。しかも営業中はお客様に飲酒させるのである。アルコールは排尿作用を引き起こすから、普段よりも小便の回数も量も多めに出てくるものなのである。だからお客様は必ず便所に行くことになるのだ。

 その際、便所が綺麗ならば、その店に対する印象を良くして「また来よう!」ということになるのだ。しかし便所が汚ければ印象を悪くしてしまい、無意識の中で「便所くらい綺麗にしとけよ!」と思ってしまい、結局、二度とそのお店を訪れることがなくなってしまうのだ。

 キャバクラの便所掃除はボーイの仕事だ。だがボーイはキャバクラ嬢よりも給料が安い。しかもキャバクラのボーイになろうとする者に優秀な人材などいない。このため非常に高い確率で手抜きをしてくるものなのである。

 キャバクラの店長が優秀であるなら、絶対にボーイたちの手抜きを見逃さない。必ず自分が便所に行って、きちんと便所掃除がなされているかチェックするのである。これを毎日やるからこそ、そのキャバクラは繁盛していくのである。

 キャバクラ嬢として自分が勤めているキャバクラの便所が綺麗か汚いかは気になる所だ。自分の働き以外の場所で、キャバクラの命運が決してしまうのだから。そこで自分が女子便所を使う際は女子便所を汚さない。汚したのなら直ちに清掃することだ。出来れば開店前に男子便所をチェックして、お客様が不快にならない配慮をしておくべきなのである。

●基本ができていないキャバクラ嬢

 キャバクラ嬢としての基本ができていないキャバクラ嬢というのは問題外なのである。しかしこの手の問題外のキャバクラ嬢は大量にいるものなのである。

①会話術が出来ていない

 キャバクラ嬢の絶対条件は会話術なのだが、この会話術を習得していないキャバクラ嬢がいるものなのである。お客様としてjはこんなダメなキャバクラ嬢と出会ったしまったのなら、その際の料金は全て無駄金になってしまい、二度とその店にはこなくなるのだ。

 会話術が解っていないキャバクラ嬢が典型的にやってしまうものが、「話を振る必要性がないのに話を振ってくる」というものなのである。お金を支払っているのはお客様なのであって、お客様が興味のない話を振るというのは、喧嘩を売っているに等しい行為なのである。短気のお客様なら、これをやられるとブチ切れてしまうのである。

②源氏名や名刺がダメ

 キャバクラ嬢にとって「源氏名」はもう1つの自分であって、自分はその新たな人格で以てキャバクラ嬢の仕事を進めていくことになる。それなのに自分と余りにも合わない名称にしたり、呼びにくい名称にしたり、お客様が覚えることが難しい名前にしたりしてしまうのだ。

 源氏名がダメなキャバクラ嬢は名刺もダメである。センスが悪すぎるのだ。キャバクラ嬢が使う名刺は普通のビジネスマンが使う名刺ではない。飽くまでも「遊び」なのだ。遊びの要素がない名刺は、お客様が貰っても、捨てられるに決まっているのだ。

③身嗜みが悪すぎる

 ダメなキャバクラ嬢ほど身嗜みがなっていない。キャバクラ嬢の仕事は常に新しいお客様がやってくるので、言わば初対面を繰り返すことになるのである。それなのに身嗜みが悪ければ、お客様の印象が悪くなるのは当然のことなのである。

④礼儀作法がなっていない

 キャバクラの世界は礼儀に始まり、礼儀に終わる世界なのである。礼儀作法にはやたらとうるさいのだ。それなのに礼儀作法を習得しないキャバクラ嬢は必ず出てくるのである。礼儀作法がなっていないということは、お客様に決定的な不快感を与えるということが解っていないのだ。

⑤ペアを作らない

 キャバクラ嬢の仕事は1人で出来るものではない。或る意味、組織戦で仕事をこなしているのである。このため自分と仲のいいキャバクラ嬢の存在が非常に重要になってくるのだ。それなのに1匹狼の如くに仕事をしてしまうキャバクラ嬢がいるのである。

⑥ポジショニングの甘さ

 実力主義によって動くキャバクラ嬢の世界では、実力のない者がトップに立とうものなら壮絶なイジメが始まる。逆に秩序を乱すキャバクラ嬢がいればトップの指令によって壮絶なイジメが始まるのだ。キャバクラ嬢なのにポジショニングが甘いと、仕事どころではなくなってしまうのである。

●自爆するキャバクラ嬢たち

 キャバクラ嬢の仕事はなんでもありではないのだ。キャバクラ嬢としてすべきことは限られている。キャバクラ嬢として絶対にやってはならないことは絶対にやってはならないのだ。

①お金を使いすぎる人をリピーターにしてしまう

 キャバクラ嬢としてポイントを稼ぐことは大事であるが、お金を使いすぎるお客様は直ちに危険だと察知すべきなのである。毎日キャバクラに来たり、高級レストランで食事をしたり、高額な費用のかかるプレゼントを贈ってきたりしたら、それは正常なお客様ではななく、バカな客なのである。

 バカな客は必ず汚職をする。会社員がそんな大金を持っているわけがないのだ。時折、「キャバクラ嬢に大金を貢がされた」という事件が報道されるものだが、こういうことをやっているキャバクラ嬢だって、それに引き摺られるように自滅していくことになるのだ。

②お客様を選別してしまう

 キャバクラ嬢として絶対にやってはならないことは、お客様を選別することである。お客様はお金を支払っているのに、「仕事ができるお客様」「仕事が出来ないお客様」と選別されてしまったら、堪ったものではないのだ。お客様であるなら、誰であろうと公平に接するべきなのである。

③危険な客を回避しない

 お客様の中には危険なお客も存在する。それが「ヤクザ」だ。ヤクザは非合法のお金を持っているし、その思考や行動は普通の男性では有り得ないほど、男らしいものである。しかし一旦ヤクザに嵌ってしまえば、そこから抜け出せなくなってしまうものなのである。

④ボーイと付き合う

 キャバクラ嬢が店長と付き合うのならまだ解るが、ボーイと付き合うバカが出てくるのだ。ボーイというのはキャバクラの下っ端なのであって、そういう男性と付き合っていること自体、異常すぎるのだ。こういう女性はいずれキャバクラ嬢を辞めてフーゾク嬢になってしまうものなのである。

⑤ホストクラブに嵌る

 キャバクラ嬢の仕事は基本が解っていれば、これほど楽しい仕事はない。しかし基本が解っていないと、この仕事ほど苦痛なものはないのだ。そうなると仕事が終わった後にホストクラブに行き、そこで発散するようになり、そして徹底的に毟り取られることになるのだ。

⑥歌手デビューする

 キャバクラ嬢なのに歌手デビューしたというのは、本当にあった話だ。キャバクラはお客様が主人公なのであって、キャバクラ嬢が主人公ではないのだ。キャバクラ嬢なのに歌手デビューするというのは、完全なる勘違いなのである。

●継続することができないキャバクラ嬢たち

 キャバクラ嬢は長期間働くことになるから、とにかく継続しなければならない。無理に無理を重ねて一時的にトップを取っても意味がないのだ。優秀なキャバクラ嬢たちほど仕事が継続できるさせているが、ダメなキャバクラ嬢ほど仕事を継続することに関心がないのだ。

①体力不足

 キャバクラ嬢の仕事は夜間に行われる。そのため体力の消耗が激しいのだ。キャバクラ嬢なら解ると思うが、仕事が終わって自宅に帰れば、バタンキューであろう。それほど夜間の仕事というのは体力を消耗させるのだ。

 ダメなキャバクラ嬢たちほど、この体力の消耗に対してなんの対策も講じない。家でジッとしているだけだ。優秀なキャバクラ嬢たちは犬好きが多いのだが、犬がいれば日中散歩しなければならなくなるのだ。それで運動不足が解消され、体力が回復していくのである。

②精神病

 夜間に働くことの危険性は自律神経を狂わしてしまい、それで精神病を発症する可能性を高めるということなのである。夜間は本来休むべき時間帯なのであって、その時間に働くというのは心身に大きな負担を与えるのだ。

 しかも避妊のためにピルを飲めば、精神病を発症するリスクを最大限にまで高めてしまう。ピルは体内のビタミンやミネラルを奪うために、常用していれば必ず精神病を発症してしまうのである。ピルの危険性を知っておかないと、いずれ精神病院送りになるのだ。

③情報不足 

 キャバクラでは情報を大量消費していく。男性が読むであろう新聞や雑誌のチェックは欠かせないのだ。情報が不足してしまうと、お客様は或る程度までなら対応してくれるが、或る限度を過ぎると相手にしなくなるのだ。

 キャバクラ嬢なのに本を読まないというのは問題がありすぎる。新聞や雑誌は情報の垂れ流しなので、物事を突っ込んで考えることをしないのだ。自分が好きな本を読むのは勿論のこと、お客様から教えられた本はすぐに読むべきだし、流行の本だってチェックしておくべきなのである。 

④風邪

 キャバクラ嬢の職業病ともいえるのが、「風邪」である。夜間勤務だし、店内の空気は汚いので、当然に風邪に罹り易くなるのだ。風邪を甘く見るな。ゲホゲホされながら接客されては、お客様は堪ったものではないのだ。

 風邪の予防のためにはなんと言っても、「手洗い」と「ウガイ」である。それに朝食時に果物を大量に取るべきなのである。ビタミンCが不足しているからこそ風邪をひくのである。朝食がパンに珈琲なら、確実に風邪をひくことになるのだ。

⑤便秘

 キャバクラ嬢たちにとって職業病の第二弾は「便秘」である。起床時間が遅くなるために、排泄の時間帯はとっくのとうにすぎ、なかなかウンコをすることができなくなるのだ。便秘を繰り返せば、子宮内膜症や子宮筋腫を患い、挙句の果てには子宮癌や乳癌になるのだ。

 キャバクラ嬢たる者、起床したらとにかくウンコをすることだ。朝の排便をしない限り朝食を食ってはならなんのだ。ウンコをしていないのに朝食を食えば、更に便秘が悪化し、とんでもないことになってしまうものなのである。

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キャバクラ嬢の絶対条件は美人であることではない!

●美人コンテストをやっているのではない!

 キャバクラ嬢の多くは「キャバクラ嬢は美人でなければならない」と間違った思い込みをしているのである。キャバクラ嬢の絶対条件を「美貌」だと思い込んでいるからこそ、化粧を丹念にしたり、エステに行ったり、挙句の果てには整形手術まで受けるのである。

 キャバクラは美人コンテストをやっているのではないのだ。どこのキャバクラでも美人だからといって売れっ子になるわけではないのだ。「ミス日本になった女性ほど、使い物にならない」と言われている。実際、芸能界でミス日本が生き残った例はないのだ。

 美貌というのは、キャバクラ嬢にとって絶対条件ではないのだ。美貌は必要条件にしかすぎないのだ。数学で「必要条件」「十分条件」「絶対条件」を習った筈だが、キャバクラ嬢たちはこのことをまともに勉強していなかったからこそ、いざ自分がキャバクラ嬢になって悲惨な目に遭うのだ。

 キャバクラが営業している時間は夜間である。人間は夜間になれば視力が落ちるものなのである。しかもキャバクラの店内は照明を暗くしているのである。更にそこにお酒が入るのである。このような状態ではお客様自体がキャバクラ嬢を冷静に見ることなどできないのだ。

 普通のキャバクラ嬢なら服装はかなり派手だし、化粧は厚めにする。普段の自分では決してしない格好をするのである。なぜか? そうしないとキャバクラの店内では霞んでしまうからなのである。キャバクラ嬢に必要なのは「妖艶さ」であって、世間の人々が思っている「美貌」ではないのだ。

●会話術こそがキャバクラ嬢の絶対条件

 美貌がキャバクラ嬢にとって絶対条件ではないとしたら、ではキャバクラ嬢の絶対条件はなんであるのか?

 それは「会話術」なのである。

 会話術こそキャバクラ嬢が絶対に身につけなければならないものなのである。だからキャバクラ嬢になったら、とにかく会話術を習得するべきなのである。キャバクラ嬢の会話術では「機転が利く」会話が求められているのだ。それゆえ若い女性が採用されるのである。女性は若い時なら機転が利くから、その機転の良さを仕事で使うことになるのだ。

 優秀なキャバクラ嬢たちほど情報収集を怠らない。男性たちが読むであろう新聞や雑誌をきちんと読んでいるのだ。『スポーツ紙』は絶対に読んでおくべきだし、『週刊新潮』『週刊文春』『THE21』も絶対に欠かせない。

 どうすればお客様と会話が盛り上がれるようになるかといえは、それは「第一印象で決まる」のである。第一印象こそが会話にとっては大事なのである。そのためキャバクラ嬢たちは化粧や服装に様々な工夫を施すのである。そこを美貌だと勘違いしてしまうと、間違った方向に進んでしまうのである。

 キャバクラ嬢なら会話の切っ掛けを素早く掴まければならない。時間は「3分以内」である。出会ってから3分以内で会話がスムーズに行けば、その後、幾らでも会話ができるようになるのだ。初対面なのにお客様を怒らすキャバクラ嬢はキャバクラ嬢として失格なのである。

 キャバクラ嬢が接客中に自分が喋り通しだったら、とてもではないがどんな女性でも持たない。自分が喋るのではなく、お客様に喋らせるようにする。こうすれば自分が疲労することなく巧く接客することができるのである。相手の話に頷くというのも、会話術に於いては重要なことなのである。

●キャバクラ嬢の三大武器

 キャバクラ嬢の絶対条件が「会話術」だということが解れば、キャバクラ嬢の三大武器も解ってくる。会話術だけで勝とうと思うな。自分の会話術を支援する何かがあるからこそ、自分の会話術の持つエネルギーが何倍にも膨れ上がっていくのである。

①源氏名と名刺

 キャバクラ嬢の性格を決定付けてしまうものは「源氏名」である。不思議と自分にピッタリと合う源氏名があるものなので、その源氏名を見つけ出したキャバクラ嬢は売れっ子になっていくことはまず間違いないのだ。逆に言えば源氏名との相性が悪いと巧く行かないのだ。

 源氏名は名刺に記されることになる。この名刺こそキャバクラ嬢の営業に於いて最大の武器となるのだ。売れっ子のキャバクラ嬢は絶対と言っていいほど、センスのいい名刺を持っているものだ。名刺に拘りを持たないキャバクラ嬢は、その他全部が杜撰になっているものなのである。

②身嗜み

 キャバクラ嬢であるなら服装にお金をかけるのは当たり前だ。服装は幾らっても足りないくらいだからだ。その服装も当然にブランド品ということになる。値段が張る物を購入することになるのだ。しかしブランド品だけを着ていればいいのではないのだ。「身嗜み」こそが大事なのである。

 売れっ子のキャバクラ嬢ほど乱れている格好をしていない。きちんとした格好をしているのである。そして姿勢が良い。女性は背筋を伸ばし、顎を引くだけで、綺麗に見えるものなのである。幾ら高級ブランド品に身を包んでも、身嗜みがなければ失格なのである。

③礼儀作法

 キャバクラに就職したら、挨拶を徹底的に叩き込まれるものだ。キャバクラの仕事は挨拶で始まり、挨拶に終わるほど、挨拶がついて回るのである。キャバクラ嬢として挨拶がきちんと出来さえすれば、キャバクラ嬢として合格したも同然なのである。

 挨拶が出来れば、次に「歩く姿」「椅子に座る姿」「お酒を扱う仕草」「タバコをつける仕草」をきちんと出来るようになるものなのである。これらのものは決まりきったものなので、問答無用で覚えていくべきなのである。これらのことを機械的に処理できるようになると、お客様からの印象は急激に良くなるのだ。

●キャバクラ嬢の集中力

 人間は1日の間で創造的なことができるのは「3時間」程度であると言われている。だからキャバクラ嬢と雖も創造的な接客ができるのは、勤務時間中、たった3時間程度しかないのだ。この厳しい現実が解っていないと、自分が一生懸命に努力しているのに失敗してしまうということを仕出かしてしまうのである。

 キャバクラ嬢の場合、いつも一生懸命に働いている女性より、少しグータラの方がいいのである。グータラということを勘違いしてはいけないのだが、普段は巧く力を抜いておいて、「ヤル時はヤル!」という人物でないと、その実力を巧く生かせないのだ。

 自分が喋りっ放しになるのではなく、お客様に喋らせるのも、一つの巧い遣り方だし、お酒を作る作業で巧く時間を使うというのも有効な手段なのだ。そうやって時間を引いていくと、キャバクラ嬢が本当に活動しなければならない時間は限られてくるものなのである。

 それと勤務時間中に巧く気分転換をすることも必要になってくる。仕事で会話する以上、脳がパンパンになってしまうので、気分転換をしないと脳がパンクしてしまうのである。便所に行って、小便をするだけでなく、深呼吸をすれば、気分転換ができるようになるのだ。

 勤務時間中に気分転換を出来ないキャバクラ嬢ほどタバコを吸ってしまうものだ。しかもタバコの本数が多くなってしまい、確実にヘビースモーカーになってしまう。そういうことをやっていれば風邪を引き易くなるし、後になって深刻な病気を発症させてしまうものなのである。

 長時間労働をすればするほど、サービスの質が落ちてくるものなのである。キャバクラ嬢の仕事自体、長時間労働ではない筈だ。頭脳労働をしている以上、そんなに長く出来ないものなのである。お金が必要だからといって、キャバクラの仕事の前にバイトをしていたりすれば、ギブアップしてしまうのは当然のことなのである。

 「キャバクラ嬢の集中力」に気づいたキャバクラ嬢だけが生き残っていくことができるものなのである。

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どうすれば一流のキャバクラ嬢になれるのか?

●水商売の世界は「貧富の格差」が激しい

 水商売の世界は「貧富の格差」が激しい。日本の通常の産業のように年功序列などが確立されていないために、実力主義が剥き出しになっているからだ。だから実力のあるキャバクラ嬢なら確実に年収一千万円をを超えてくるし、実力のないキャバクラ嬢なら廃業に追い込まれてしまうのである。

 キャバクラ嬢になるのなら、とにかく高額所得を目指すべきである。キャバクラ嬢が高額所得ということは、そのキャバクラ嬢は実力のあるキャバクラ嬢だということになるのだ。キャバクラ嬢が低所得というのでは、「私は実力がありません」と言っているようなものなのだ。

 キャバクラ嬢にとって最大の障害となるのが「バイトでの経験」であろう。水商売以外でのバイトはその殆どが低賃金である。バイトというのはそういうものであって、単純作業ゆえに低賃金なのである。ところがキャバクラ嬢は違うのである。キャバクラ嬢の仕事は単純作業ではないのである。

 キャバクラ嬢の仕事をバイト感覚で行うのは自殺行為である。キャバクラ嬢のやっていることは自営業に分類されて然るべきものだからだ。それゆえ自分を自営業者と位置づけさえすれば、ほぼ勝利は確定したというものなのだ。逆に言えばバイト感覚でやっていればいつまで経っても上達しないのである。

 キャバクラ嬢の世界は、競争相手が多いように見えて、実は競争相手は非常に少ないのだ。誰もがバイトの感覚が抜け切らないのである。キャバクラ嬢の仕事は普通のバイトよりも給料が高い。それで満足してしまうのである。そうやって満足するキャバクラ嬢は、キャバクラ嬢の世界では最低ランクに位置づけられる人々なのである。

●早くに一流に達してしまう

 ではどうすれば高額所得のキャバクラ嬢になることができるのだろうか? 

 それはトップのキャバクラ嬢を真似てしまえばいいのである。真似るのが一番手っ取り早いのである。トップのキャバクラ嬢は勝つべくして勝っているのであり、まずは問答無用で学ぶべきなのである。姿形だけでも真似ていれば、いずれトップのキャバクラ嬢になってしまうものなのである。

 キャバクラでは研修というものがない。キャバクラ嬢たちの自己責任で仕事をさせるという、とんでもないことをしているのである。このため真似るという方法しかないのである。それ以外の方法で上達するというのは無理である。たとえあったとしてもトップを維持できなくなってしまうのだ。

 真似るという行為に付け加えるのが、「キャバクラ関連の情報を収集する」ということなのである。キャバクラの世界は特殊な世界なので、普通に生活していてはキャバクラ関連の情報を得ることができないのだ。『小悪魔アゲハ』がキャバクラ嬢専門誌と化しているので、まずはこれを読んでおくべきであろう。

 キャバクラの世界ではみんな同じであってはならない。様々なキャバクラ嬢たちが存在するからこそ、そのキャバクラはやっていけるのである。だからキャバクラ嬢としての基本を学んだ上で独自路線を貫くことだ。

 自分の性格に合った遣り方で仕事をしないと、長く続けていくことはできないのだ。独自路線は当初必ず文句を言われるものだ。しかし独自路線を貫いていると、いずれお客様たちの方が評価をしてくれて、それでヒットし出すようになるのだ。

●店長の命令に忠実になる

 キャバクラでは店長に権力が集中している。キャバクラが繁盛するかしないかは、店長の力量次第なのである。このためキャバクラ嬢たちは店長に対して忠実であるべきなのである。キャバクラ嬢の仕事に関しては、店長の命令は絶対であるのだ。

 キャバクラ嬢たちは決して知能の高い女性たちがなるものではない。それゆえ店長が夕礼で喋っても、一体何を言っているのか解らない連中が大量に出てきてしまうのである。店長が喋った時はとにかく聞く! 私語は慎む! この最低限のマナーができていないと、どうにもならないのである。

 店長が何を目指しているのかが解れば、自分の仕事も解るようになるものなのである。逆に言えば店長の言っていることが解らないからこそ、自分のすべき仕事が解らなくなってしまうのである。だから店長に対して挨拶をするのは勿論のこと、普段から店長と会話できるようにしておくべきなのである。

 店長への印象が良ければ、後方支援を得ることができる。マネージャーやボーイたちを優先的に配置してくれて、接客時の仕事が非常に楽チンに進むことになるのだ。キャバクラ嬢として、お客様が何か注文したのに、それがすぐさまやってこないというのは、非常に拙いものなのである。

 キャバクラ嬢たちにありがちなのは店長を毛嫌いすることなのであるが、これは絶対にやめた方がいい。店長の印象が悪くなれば、一体何をされるか解らないのだ。自分は頑張って働いているのに、「明日から来なくていいよ」と言われるかもしれないのだ。

●ペアを組む

 キャバクラ嬢は決して1人で仕事をしているわけではない。集団を組み、組織戦で以て仕事をしているのである。どんなに優秀なキャバクラ嬢でも全てのお客様に対応できるわけではないのだ。自分がやっているのはごく僅かでしかないのだ。

 キャバクラ嬢として生き残りたいのなら、自分と仲のいいキャバクラ嬢とペアを組んでしまうことだ。ぺアを組んでしまえば、自分が不得手なお客様を相方に回すことができるし、相方が不得手とするお客様を自分が担当することができるのである。

 売れっ子のキャバクラj嬢が2人でペアを組んでしまえば相乗効果が起こり、圧倒的な人気を得てしまうものなのである。どこのキャバクラでもワントップでやってはいないのだ。せめてツートップでやらないと繁盛しないものなのである。

 女性同士の友情こそ、水商売の世界の鉄則なのである。友情を暖めるために女性2人で食事に行ったりするし、悩み事があれば相談するのである。一旦友情が出来上がれば裏切りは絶対に許されない。友人を裏切ると、最終的に自滅するのは常に裏切った方なのである。

 キャバクラj嬢は男性たち相手に仕事をするために、どうしても勤続疲労が起こってくる。そうなるとレズに関心を示す者が必ず現れてくるのだ。レズビアンには気をつけろ。そういう世界に嵌ってしまえば、キャバクラj嬢として一流になることは決してできなくなるのだ。

●ポジショニング

 キャバクラj嬢たちの世界ではポジショニングが非常に大事なものになってくる。自分がどこのポジションに行くかで生き残りが可能になったり、自滅してしまったりするからだ。ポジショニングに関しては生き残りを最優先で考えるべきなのである。

 まずはトップを狙うという遣り方である。トップというのは一番安全なのである。敵がいないために、下克上さえ阻止すれば常に安泰なのである。しかし実力がないのにトップになってしまえば、必ずイジメに遭う。実力が不十分なら、トップになるのはやめた方がいいのだ。

 次に二番手を狙うという遣り方である。二番手はトップを隠れ蓑にして、自分の身の安全を確保するのである。この際、トップとの関係を良好にしておくことが求められるのである。もしもトップを敵に回してしまえば、呆気なく消えていくことになるのだ。

 第三番目に中堅で頑張るという遣り方である。そこそこの実力があるなら、中堅で頑張っていくことができるのである。中堅の最大の有難味は目立たないことなのである。目立たないからこそ、生き残る確率がアップするのである。

 キャバクラj嬢の世界では下っ端が一番苦しい。仕事はハードだし、失敗する確率も高くなるし、給料も低い。そのまま仕事をし続けても自滅するだけなのである。だから早くに中堅に這い上がらないといけないのだ。

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キャバクラの法則

 このブログにコメントを寄せてくれる「りあさん」が生活のためにキャバクラに勤め出したということで、キャバクラの研究をしてしまいました。

 ただ、お酒を殆ど飲めないタマティーはキャバクラには一度たりと行ったことがありません。

 キャバクラに行ったことがないタマティーだからこそ、普通の人たちでは解らないことをも解ってしまうんです。

 それではスタート!

●キャバクラ嬢自体が知らないキャバクラの実体

 デフレ不況が進行中で、企業の倒産が相次ぐ中、キャバクラだけは繁盛している。それもその筈で、キャバクラ自体、昭和60年に誕生してきた比較的新しい水商売なのであり、まだまだ成長過程にあるのだ。

 キャバクラは「キャバレー」と「クラブ」を掛け合わせた造語である。キャバレーとクラブを融合させている以上、双方の長所を活かして、よりレベルの高いサービスが展開できるのである。しかもキャバクラの経営者は殆どが男性なので、攻撃的に展開を仕掛けれ来るのである。

 ところがキャバクラは誤解されている。一般人たちが誤解するならまだしも、キャバクラ嬢たち自体がキャバクラを誤解しているのだ。曰く「キャバクラは擬似恋愛の場所である」、曰く「キャバクラの最終目的はセックスである」とか、キャバクラ嬢としてやっている本人たちがキャバクラの実体を解っていないのだ。

 もしもキャバクラが擬似恋愛の場であるなら、「出会い喫茶」とかに名称を変えている筈だ。キャバクラの目的がセックスにあるのなら、それこそ性風俗店として活動する筈だ。そうなっていない時点でキャバクラ嬢たちの意見は間違っているのである。

 現在、キャバレーもクラブも衰退の一途を辿っている。それなのにキャバクラは大繁盛しているのである。ということは、キャバクラは消費者たちの需要を巧みに満たしているのであり、その需要は一体なんなのかが解らなければ、キャバクラ嬢としては失格なのである。

●自己重要感増大の法則

 キャバクラには「法則」がある。「キャバクラの法則」があればこそ、それぞれのキャバクラはその「キャバクラの法則」に忠実になりさえすれば繁盛していくことができるのである。キャバクラ嬢ならこの「キャバクラの法則」を終始一貫して理解していないと、生き残っていくことすらできなくなってしまうのだ。

 では「キャバクラの法則」は何かというと、「自己重要感増大の法則」をその筆頭に挙げなければならない。キャバクラ嬢たちは接客術によってお客様の自己重要感を増大させるからこそ、自分の仕事を成功させることができるのである。

 人間は自己重要感という欲望を持っている。人間は苦しいことなど嫌いで、楽しいことが好きなのである。それなのにこの世で生きていれば苦痛を味わうし、生活をするためには自ら進んでその苦痛を受けなければならないのだ。

 キャバクラの主な客は「会社員」であると言われている。会社で扱き使われて働けば大量のストレスを溜め込んでしまうが、それでも会社が終ってキャバクラに行き、キャバクラ嬢たちから自己重要感を高めて貰えば、ストレスが一気になくなるのである。

 キャバクラはこれをきちんとやっているから繁盛しているのである。キャバレーなら踊り子さんたちの芸を披露する場所でしかなかった。クラブなら落ち着いてお酒を飲むということがメインであった。それがキャバクラではキャバクラ嬢自体に重点が置かれたのである。これはまさに画期的であったのである。画期的であればこそ未だにヒットし続けているのである。

 キャバクラ嬢たちが「自己重要感増大の法則」が解っていれば、キャバクラは擬似恋愛をする場所などという間違った考えを持たなくて済むのだ。接客していく中で擬似恋愛が発生したとしても別に構わない。しかしそれは副産物にしかすぎないのだ。枕営業に至ってはキャバクラ嬢がすべきことではないのだ。そういうことはフーゾク嬢たちに任すべきことなのである。

●客層展開の法則

 「キャバクラの法則」の第二法則は「客層展開の法則」である。キャバクラはキャバレーやクラブよりも料金が安い。このためキャバレーやクラブに行かなかった人たちを顧客として獲得することに成功したのである。この客層の広さこそがキャバクラの強さなのである。

 客層を絞れば当然にサービスの質は向上する。しかしそれは顧客数の減少に繋がってしまい、後は細々とやっていくしかないのである。逆に言えば客層を広げれば大々的に展開できるのである。問題はどうやってサービスの質の向上を図るのかということなのである。

 キャバクラ嬢たちはこの件に関してきちんと対策を取っている。「80対20の法則」を使って、普通のお客様を獲得しつつ、その中ならリピート客を作るということを繰り返すのである。リピート客など自分が持っているお客様の20%しか作れないものなのである。

 売れっ子のキャバクラ嬢は絶対に第一印象を良くする。第一印象が良ければ自分のお客様になってくれる可能性が一気に高くなってくれるからだ。初対面のお客様であっても、出会ってから最初の3分間の会話が巧くいけば、次回来る時は「指名」を貰うことができるのである。そうやって指名を繰り返して貰えば、いずれリピート客になってくれるのである。無理矢理にリピート客にしているのではないのだ。

 多くのキャバクラ嬢がやってしまう失敗は、自分にとって嫌な客を退けてしまうということだ。これをやっている限り、絶対に上達しない。嫌な客ほど勉強になるのだ。嫌な客の攻略法が解れば、この手のお客様たちを獲得していくことができるのである。

●加速度の法則

 「キャバクラの法則」の第三法則は「加速度の法則」である。キャバクラには加速度がある。このスピード感こそキャバレーやクラブよりも面白い理由なのである。時間というベクトルを入れたからこそ、キャバクラはヒットし続けているのである。

 キャバクラ嬢と雖も10年間の修行が必要である。何事も一流に達するためには10年という歳月が必要になってくるのだ。、しかしキャバクラ嬢たちはそんな長い時間をかけて一流になったりはしない。もっと早くに一流になってくるのだ。

 通常、5年間以内で一流に達しないといけない。5年以内に一流に達しないと、それ以降キャバクラ嬢をやっても一流にはなれないのだ。だから一流のキャバクラ嬢になるためには休日や休暇を極力抑え、仕事をしまくることになるのだ。

 キャバクラ嬢になってから遊び呆けているような女性たちは、まず確実に一流のキャバクラ嬢にはなれない。このためキャバクラがリストラを行うと、真っ先に解雇されてしまうのである。だからこそ「嘗てキャバクラ嬢をやっていました」という女性たちがゾロゾロといるのである。

 これに拍車をかけるのが「基本給の問題」である。女性が初めてキャバクラに勤め出すと、その基本給は最低から始めることになる。その後、手柄を積み重ねながら、その基本給を上げていくのである。ところがそういうキャバクラ嬢は優秀だから、他のキャバクラが高い基本給を提示して引っこ抜くのである。キャバクラの世界というのはこの繰り返しなのである。

 それゆえキャバクラ嬢として一流になるためには、とにかく「スタートダッシュ」をしまくり、着実に実力をつけていくしかないのだ。それと同時に給料に不満を抱えたのなら、お店を変えて給料を高くしていくのである。

 このようなメカニズムがあるからこそ、キャバクラ嬢たちには勢いがつくのだ。勢いがあるからこそ会話をすれば面白いのである。逆に言えば勢いのないキャバクラ嬢は幾ら話をしても詰まらないのだ。キャバクラ嬢は勢いをつけることで自分の実力を何倍にも膨らませているのである。

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原発事故に於ける菅直人首相の国家犯罪

●首相が嘘をついたら、国民は大損害を被るもの

 東日本大震災では震源地から遠く離れた千葉県でも結構大きな被害を出した。千葉県は東北地方とプレートが同じなので、震源地から遠く離れていても、大いに揺れたのである。東京都とはプレートが違うために、震災後のテレビは明らかにトーンが違っていて、余りにも違和感がありすぎたのである。やはり大地震というのは経験した者とそうでない者とでは震災後の感想がまるで違うのである。

 我が家では東日本大震災後の復旧作業がなんと1ヶ月もかかってしまった。それだけ被害は大きかったということなのだ。この復旧作業を大いに邪魔してくれたのが、福島第一原発での事故だったのである。テレビを見ながら作業せざるを得なくなったために、なかなか生産性が上がらなかったのである。

 震災直後に菅直人首相が被災地をヘリコプターで視察するという情報が流れた時、物凄く嫌な予感がした。こういう非常事態では首相官邸で指揮し、命令を下しまくるべきだったからである。そしてよりによって福島第一原発を視察し、彼が帰った後に水素爆発が起こったのである。

 原子力発電所というものは国内で最高レベルの耐震設計がなされている。今回のマグニチュード9の大地震でも原発はきちんと耐えたのである。予想外だったのは大津波だったのであり、これによって冷却装置が破壊されてしまったのである。こんな大津波は誰も予測しえなかったのであり、現地が大混乱に陥るのは当然であり、そこに首相がのこのことやってきたら、作業が大いに遅れるということは解りきったことなのである。

 菅直人首相が悪質だったのは、原発事故直後にメルトダウンをしていたことが解っていたのに、それを公表しなかったことだ。なんと1ヶ月にも亘って国民を騙し続けたのである。俺なんかはニュースを見ながら、「どうもおかしいんではないか!? 数値が合わんぞ!」とか言っていたものだが、最初からメルトダウンの情報を流してくれれば、こういう作業はしなくて良かったのである。

 民主党はつくづく信用できない。民主党から輩出した首相は嘘をつくし、マニフェストは何1つ実行しない「嘘の塊」のようなものだからだ。首相が嘘をつけば、国民が大損害を被るということが解っていないのだ。政治家に於いて「正直」という倫理は絶対に必要不可欠なものなのである。

●反核脱原発の本は嘘ばっかり

 東日本大震災以降、脱原発の本が大量に出版されたが、この手の本は一切信用できない。今回の原発事故は菅直人首相が現地に行かなければ起こらなかったかもしれないものだからだ。だから原発事故に関する本を出すなら、まずは菅直人首相を批判しなければ筋が通らないのだ。

 脱原発の本で驚かされるのは、作者たちの殆どが共産党員か共産主義に洗脳された人たちであるということなのである。しかも経歴を見てみると、原子力に関して一流の学者ではなく、どうも胡散臭い人生を歩んできた連中であるのだ。これではまともな本を書くことなどできるわけがないのだ。

 そもそも反核運動は日本共産党が始めたものなのである。ソ連の命令によって、日本が核武装できないようにした運動に他ならないのだ。反核を掲げる市民団体は日本共産党の支配下にあるか、その影響下にあるのだ。だから反核運動に参加するということは、日本共産党の支持者になるということなのである。

 日本共産党が反核運動から派生させる形で出してきたのが、脱原発運動なのである。脱原発運動というのは、日本から原発をなくすことによって日本を電力不足に陥らせ、日本のの経済を弱体化させることが目的なのである。脱原発運動の目的はここにこそあるのであって、クリーンエネルギーの実現ではないのだ。脱原発運動をやっている人たちの意見に惑わされてはならないのだ。

 今回の原発事故の教訓は、「原発は大津波対策をきちんと行わなければならない」というものなのである。誰も今回の大津波に対抗できる堤防を作った者はいないのだ。巨大な堤防を作り、絶対安全宣言を出していた田老町ですら、大津波はその堤防を越えてやってきて、町を壊滅させたのである。

 だったら「原発に対して大津波を対策をすべし」という結論になる。決して「脱原発」にはならないののだ。脱原発の意見を言ってくる段階で、そういう意見を言ってくる人たちは怪しいのだ。洗脳されている者か狂人かの2つに1つである。まあ、本が書けるのだから、前者であることは間違いないと思う。

●菅直人首相は許されざる国家犯罪をした!

 今回、原発事故に関して唯一正論を述べた本がある。

  脱原発のウソと犯罪

 中川八洋著『脱原発のウソと犯罪』(日新報道)

 この本は余りに凄すぎる。この本を読めば、「日本国民は菅直人首相にまんまと騙された!」ということが解るものなのである。一般の国民は原子力には素人である。だから菅直人首相は国民の無知をついて悪政をやりまくったのである。

 その筆頭が「強制避難は必要なかった!」ということなのである。

 菅直人首相は「年間20ミリシーベルト」を基準にして、福島第一原発から半径20キロメートルを警戒区域に設定し、それ以外にも緊急時避難準備区域や計画的避難区域を設定したのである。このため福島県頭部は「死の街」と化したのである。

 年間20ミリシーベルトで強制避難させるのは狂気の沙汰なのである。この数値自体、なんの科学的根拠を持たないからだ。原発事故の場合、「瞬間被曝」ではなく、「継続被曝」なのである。継続被曝なら、年間250ミリシーベルト以上が危険なのであって、それ以下なら安全なのである。

 だから今回の原発事故ではこんなにも広範囲に亘って住民が強制避難させられる必要はなかったのである。菅直人首相は福島県民の無知に付け込んで、巧妙な国家犯罪を行ったのである。大体、福島第一原発は水素爆発を起こしただけなのであって、そんなに大量の放射性物質が出るわけがないのだ。

 もしも今回の原発事故に於いて政府が警戒区域を設定するとするなら、福島第一原発に隣接する「大熊町」と「双葉町」のごく一部だけがその対象にすべきであった。これはこれらの地域が年間250ミリシーベルト以上汚染されたわけではなく、原発事故が収束するか解らないから、住民たちを強制避難させるためのものなのである。

●健康に寄与する継続被曝

 被曝で危険なのは、「瞬間被曝」なのである。この瞬間被曝は自然界に存在せず、人間が人工的に作り出した被曝だからだ。原子爆弾が炸裂して被曝してしまえば、被爆者が死ぬのは当然のことなのである。 レントゲンも放射線治療も瞬間被曝ということでは危険ではあるが、医学上必要だからこそ使っている物にすぎないのである。

 瞬間被曝はごく僅かな被曝量でも危険だが、継続被曝となると結構高い数値まで安全なのである。その代表例が「玉川温泉」である。玉川温泉はラジウム温泉で、年間の被曝量はなんと「20ミリシーベルト」なのである。笑ってしまうような数値なのだが、政府がここを警戒区域に指定し、住民たちを強制避難させたなどという話は聞いたことがないのだ。

 なんで玉川温泉で被曝するのに、そんな危険な温泉に行くのかといえば、「癌に効く」からなのである。継続被曝した場合、体がその放射線に刺激され、体が活性化して、癌が弱体化していくからなのである。ということは、原発事故で汚染された福島県頭部は、今後、癌の発症率が他の都道府県よりも低くなるという奇妙な現象に襲われる筈だ。

 瞬間被曝と継続被曝を混同してはならない。科学的知識がないと平気でこれをごっちゃにするのだ。反核脱原発本が嘘だらけなのも、原発事故以降のテレビや新聞の報道が信用できないのも、全部、まともな科学的知識を持っていないからなのである。

 因みに、医者たちは患者たちに対してはレントゲンを使うが、自分が病気になった場合は「MRI」を使う。こちらの方が安全だからだ。放射線治療にしても、癌をやっつけるという考えだからこそ危険なのであって、癌細胞を弱体化させるだけの微量の放射線を継続的に使えば、安全な形で癌を破壊することができるのである。

●目的は社会主義経済への移行

 震災発生当時、東京電力の社長「清水正孝」は夫婦で奈良を観光旅行中で、東京の本社に帰るのが非常に遅れた。こういう非常事態では初動操作こそが大事なのであって、この社長のミスが東京電力を後々まで悲劇に追い込むことになる。

 菅直人首相は東京電力が混乱に陥っていると見るや否や、すぐさま東京電力に強硬な意見を言い始め、そして東京電力の本社に政府の連絡事務所を設けて、東京電力の経営にまで介入してきたのである。この菅直人の異常な行動は、後に事故調査委員会で「余計な混乱を招いた」と批判されたものであるが、なんで菅直人首相は東京電力の経営にまで介入してきたのか?

 それは原発事故の収束を遅らせるためであったのである。

 まさかと思うかもしれないが、事実そうなのである。東京電力は菅直人首相が経営に介入してこなければ、もっと早い段階で事故を収束する事が出来たのである。特に原発での水素爆発は1回で止めることができたのである。それなのに菅直人首相が東京電力の経営に介入したために、送電線の設置が大いに遅れ、それで水素爆発が全ての原子炉で起こってしまったのである。

 そして菅直人首相は原発事故を利用して、他の原発の運転を次から次へと中止させ、最終的には日本に存在する原子炉が全て運転を中止するという異常事態になったのである。このため日本は節電モードを取らざるをえなくなり、どこもかしこも節電をしまくるということになったのである。

 菅直人首相は「電力を統制してしまえば、日本経済そのものを統制できる」という、恐るべき所に気付いていた、筋金入りの共産主義者だったのである。菅直人首相が原発事故を利用してやったのは、「社会主義経済の実現」なのであり、そう考えると彼の全ての言動を理解することができるのである。

●損害賠償をしなければならないのは、菅直人と民主党である!

 東京電力は今回の原発事故の損害賠償を払い切れなくなり、政府から公的資金の導入を受けることになり、事実上、国有化されてしまった。国民はマスコミの洗脳によって「東京電力は原発事故を起こしたのだから仕様がないじゃん」と思ってしまうだろうが、実はこの決定には法的な問題がありすぎるのだ。

 まず、民法上、東京電力だけに損害賠償の責任を負わせるのは無理だということなのである。なんでこれほどまでに損害賠償の金額が跳ね上がったのかといえば、それは菅直人首相が広範囲に亘って不要な警戒区域を設置したからなのである。警戒区域を設定したのは東京電力ではないのである。

 科学的に無意味な警戒区域を設定したのは菅直人首相なのだから、菅直人が避難住民たちに対して損賠賠償をすべきなのである。菅直人首相の間違った政策によって避難住民たちは故郷を追われ、仕事もできなくなってしまったのである。

 民主党はその共犯者である。菅直人首相が狂ったとしか思えない行動に出ている以上、それを止めるのが与党の役目なのである。民主党は菅直人首相の行動を阻止するどころか、それを助長するような行動を取ったのだから、民主党にも法的な責任があるのである。

 もしも将来、政権交代が起こったのなら、新政権は直ちに菅直人を逮捕して死刑にすると同時に、民主党員全員を逮捕し投獄すべきなのである。民主党の資産と、民主党員の資産を全て没収し、その資金を避難住民たちに損害賠償金として支払うべきなのである。

●クリーンエネルギーで日本経済の電力を賄うのは絶対に無理

 菅直人首相が「脱原発」を散々主張したために、国民の世論は脱原発へと流れてしまったのが、「ちょっと待て!」と言いたい。原発こそ効率よく大量の電力を発生させるものなのであって、原発を超えるほどの電力を発生させるものは他にないのである。他にないからこそ原発頼りになっているのである。

 クリーンエネルギーではコストが高くつきすぎるし、それにそもそも発電量そのものが少ない。それなのに「エネルギー買取法」などという悪法を作り、クリーンエネルギーを電力会社に高値で買わしているのである。ではその資金は一体どこから出て来るかといえば、原発であり、消費者たちからなのである。

 これではクリーンエネルギーを作っている企業だけが儲かってしまうことになるのだ。電力会社や消費者たちに犠牲を強いながら! 

 菅直人首相は孫正義を首相官邸に呼び寄せたが、このクリーンエネルギー事業は在日韓国人や韓国系日本人たちによる「国家レベルでの詐欺」であると断定した方が解り易いのだ。大体、孫正義の企業グループはクリーンエネルギーに関して大手でもなんでもないのだ。

 外国でクリーンエネルギーが実現されているからといって、日本でもそれが出来ると思うな。西ヨーロッパでは偏西風が常に吹くからこそ、風力発電が可能なのである。それに対して日本では台風問題があるので、そう簡単に風力発電ができないのである。

 太陽光発電にしても日本の空は曇りがちであることを忘れている。年間の日照時間は西ヨーロッパに比べると遥かに少ないのである。日本の空は「曇りがちの空」なのであって、このような状況では効率よく発電することはできないのだ。

 もしも日本がクリーンエネルギーで電力の大半を賄うとしたのなら、宇宙空間に巨大なソーラーパネルを設置し、そこで発生した電力を地上へと飛ばすしかないのだ。現在では『未来少年コナン』に出て来るような夢物語にしかすぎないのだ。クリーンエネルギーの開発はまだまだ遠い先の話なのだ。

●福島の避難住民は菅直人と民主党に対して集団提訴しろ!

 日本国民全体もそうだが、福島県民も原子力に関して余りにも科学的無知でありすぎたのである。そのために菅直人のような悪逆非道の人物に漬け込まれてしまったのである。原子力でエネルギーを賄っている以上、国民一人一人が原子力のことを勉強しておかないと、非常時にはとんでもないことが起こってしまうのである。

 福島県民に科学的知識さえあれば、菅直人首相が警戒区域を設定した時に、「それはおかしい!」「科学的になんの根拠もない!」「警戒区域の設定は不要だ!」と反論できたのである。それなのになんの反論もしないのだから、菅直人首相の言うがままになり、そして強制避難することになり、故郷を追われ、未だに帰ることもできないのである。

 今、避難住民がすべきことは「集団提訴」である。菅直人と民主党に対して集団提訴を行い、警戒区域の設定を無効にさせると同時に、その損害賠償を負わせるべきなのである。避難住民は現在閑なのだから、こういう作業を行うことができるものなのである。

 避難住民に言っておく。テレビや新聞の情報を鵜呑みにするな。日本のマスコミは社会主義者たちが多い世界なのである。だからだからテレビや新聞を見ているだけでは、真相が解らなくなってしまうのである。本を読んで勉強することが大事なのである。

 いずれ民主党は政権を降りることになるのであろう。「国民の生活が第一」とスローガンを掲げながら、「国民の生活を第一に破壊する」ということをやってきた悪質極まりない政党であるからだ。民主党のお蔭で民主主義というものの正体が解ったことであろう。

 国民が民主主義に熱狂する時、必ず悪政は展開されるということに!

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どんなに増税しても社会保障は絶対に破綻する

●知的妄想をする社会主義者たち

 社会主義というのは知的妄想をするイデオロギーである。社会主義は唯物論をその根底に置くのに、常に現実離れした意見を言ってくる超危険なイデオロギーなのである。社会主義者たちの意見を調べていけば「全部嘘」という有り得ない事実が浮かび上がってくるのだ。

 例えば「原始共産制」。そんなものを歴史を調べれば有り得ないものなのである。大体、原始社会では幾つかの家族が集まって集団を作るのである。しかも全員が親戚同士である。そういう状況下では「所有物」ではなく「権力」こそが大事なのである。人間の集団というものは、少人数になればなるほど、そのリーダーは強い権力を持つことになるのである。

 貧富の格差を是正するために、私有財産制度を廃止し、経済の国有化を図るというのも知的妄想にすぎないのだ。人間は経済に於いて絶対に平等にはならない。事実、社会主義国でも共産党員が莫大な富を持ち、一般の人民が貧困の中にあるという状況になってしまったのである。

 資本主義経済で経済が発展していくのは「競争」があるからに他ならない。良質な商品を適正価格で売るからこそ、消費者たちは競って購入し、粗悪品を高値で売っている業者が淘汰されていくのである。だから社会主義国のように競争をなくしてしまえば、途端に経済が悪化していくのである。

 社会主義国家は誕生するや否や必ず国内に於いて大量虐殺を展開し、その後、侵略戦争に転じて他国を侵略しまくり、そして自滅する形で崩壊することになる国家なのである。絶対に永続できない短命の国家なのである。現在経済繁栄をしている中国も必ず崩壊するのである。

 まともな人間なら社会主義を学んではならない。それよりも社会主義という「偉大なる失敗」を学ばなければならない。社会主義者たちの何か1つや2つが間違えているのではないのだ。全部が間違えているのであって、彼らの意見を徹底的に否定していかなければならないのだ。

●社会保障は誰がどうやっても破綻する

 現在、日本の社会主義者たちが必死になって行っているものは、「慈善活動の国有化」である。これを「社会保障の充実」という言葉に言い換えている。「経済の国有化」が失敗した以上。「慈善活動の国有化」も絶対に失敗するのだ。社会保障というのは誰がどうやっても破綻するものなのである。

 社会保障というのは、政府による慈善活動であっても、それは国民の資産を食い潰しながらやっているにすぎないものなのである。だから政府は社会保障を充実すればするほど国民は富を奪われ、確実に貧しくなっていくのである。老人たちは若者たちを搾取し、病人たちは健康な人たちからお金を奪い取るから、若くて健康な人は確実に貧乏を強いられることになるのだ。

 政府が増税を行って国民から税金を集めても、それが国民の福祉のためにそのまま使われるのではないのだ。政治家や官僚たちによる高コスト体質が出来上がってしまうのである。民間の保険会社ならコストを削減することを繰り返すから、顧客に充分な保険金を渡すことができるが、その当たり前のことを政府だと出来なくなってしまうのである。

 政府が社会保障を充実するということは、政府は増税を繰り返すということなのである。国民租税負担率が高くなればなるほど、国民の間に資金が回らなくなる。そのために経済不況が発生し、国民は貧乏になってしまうのである。

 ところが国民が貧乏になって貧富の格差が縮まることは、社会主義者たちによって最大の喜びであるので、社会主義者たちに乗っ取られた政府は景気対策を何もしないのである。このため余計に景気は悪化していくのである。

 こんなにも社会保障というのは酷い結果を齎すのだから、国民は反対の声を上げてもおかしくないのだが、社会保障が充実してしまうと、国民の道徳が破壊されてしまい、国民は何もしなくなるのである。普段から自分が慈善活動をしていないために、道徳に於いて当たり前の「勇気」というものがなくなってしまうのである。

●社会保障の実態は酷いものなのである

 社会主義者たちは「社会保障が充実すればバラ色の未来が待っている」と嘘を宣伝する。社会保障の実態というのは恐ろしいものなのである。社会保障が充実すればするほど、国内は地獄の様相を呈することになるのだ。勿論、その被害者は「国民」なのである。

 例えば癌治療。昔は癌に罹る人など殆どいなかった。しかし現在ではなんと毎年30万人もの人たちが癌で死んでいるのである。なんでこんなにも癌が大量発生してしまったのだろうか? それは健康診断として称して、医者たちが健康な人たちにレントゲン検査をするからなのである。

 小学校、中学校、高校と、12年間に亘ってレントゲン被曝を繰り返してきたのである。そして会社に就職すればまた健康診断を受け、レントゲン被曝をすることになるのである。そのレントゲン被曝が何十年という潜伏期間を経て、癌を発症させるのである。

 しかも健康診断は国民健康保険によって無料なのである。更に癌になって高額な医療費が罹っても、高額医療費助成制度によって格安の値段で癌治療を受けることになるのである。それで癌が治ればまだ話は解る。しかし癌患者たちは医者の癌治療を受けて、最終的には死亡してしまうのである。

 社会保障の実態というのは、毎年30万人が医者たちによって殺されるという非常に恐ろしいものなのである。もしも社会保障がなければ、健康診断をしなくなるから、癌の発症率を下げることができるし、たとえ癌になったとしても、自分が真剣になって治療法を探すことになるから、癌治療での死亡率が急激に下がっていくものなのである。

●社会保障は廃止するに限る

 社会保障というのは廃止するに限るものなのである。幾ら社会保障に問題があるからとって、それを改善したり、増税を繰り返していけば、社会保障はより充実してしまい、国民は確実に殺されるようになるのだ。国民は重税を支払って、政府に殺されるという、非常にバカげたことをやっているのである。

 社会保障を廃止してしまえば、汚職の巣窟である厚生労働省そのものを廃止することができるのである。これによって政府の規模が一気に小さくなるから、国民に対して減税をすることが可能になるし、財政破綻も免れることができるようになるのである。

 国民健康保険や国民年金を民営化すれば、政府が溜め込んでいる資金が市場に流れるので、それで日本の経済が活性化していくのである。しかも万年赤字体質だったものが、競争原理によって黒字へと転換していくことになるものなのである。

 社会保障の充実を唱えてきたのは主に国公立大学の教授たちなのだから、国公立大学も民営化してしまえばいいのである。国公立大学だからこそ、そこは常に税金が補充されるために、社会主義が蔓延してしまうものなのである。国公立大学が民営化されれば、日本の社会主義者の数は激減するものなのである。

 政府が社会保障をしなくなれば、政府本来の仕事、「安全保障」「治安維持」「公共事業」に集中することができるのである。逆に言えば政府が社会保障をやっているからこそ、政府本来の仕事が疎かになってしまい、それで国力が低下していくのである。

●慈善活動は民間人がやるからこそ価値がある

 慈善活動というものは民間人がやるからこそ価値があるのだ。政府が慈善活動をやってもなんの価値もないのである。政府が慈善活動をやればやるほど、国民を貧乏にさせ、乞食にさせ、そして殺していくことになるのでらる。

 我々は政府に慈善活動を期待するのではなく、個々人が自発的に慈善活動を行わなければならないのである。個々人の慈善活動は微々たるものであって、その僅かな行為が実は大きな効果を齎すものなのである。相互扶助が行われるからこそ、国民は確実に豊かになっていくものなのである。

 政府が社会保障の充実に乗り出さないように、子供たちには道徳教育によって慈善活動の大切さを植えつけていかなければならない。社会主義者たちにとって「道徳こそが天敵」なのである。道徳教育を受けずに大学に進学してしまうと、非常に高い確率で社会主義に洗脳されてしまうものなのである。

 実際の慈善活動を大きな役割を果たすのは、ビジネスで成功した人による財団法人の成立である。起業家が事業の成功によって億万長者になり、その資産の何割かを財団法人にすることで、富を還元していくのである。これが繰り返されるからこそ、社会全体が豊かになっていくのである。

 もう1つは宗教団体が成立する慈善活動団体である。これは宗教団体が資金を出すだけでなく、そこで働く役員や職員たちは全員が信者たちなのであって、その活動量が桁違いに違うのである。宗教界が活性化すればするほど、社会主義者たちの勢力を小さくすることができるのである。

 トドメが天皇家が行う恩賜財団法人である。天皇というのは日本で最も高い地位にいるから、慈善活動をするにしても民間人では成しえないものに資金を投資し、慈善活動を展開させるのである。だから昭和憲法のように天皇家の資産が国有化されいる状況下で、こういうことができなくなり、だからこそ政府が社会保障に乗り出してくるのである。

 時の首相が「税と社会保障の一体改革」と称して増税を強行しても、その増税分は国民が確実に貧しくなるために使われるものなのである。時の首相が幾ら政治生命を賭けてやっても、それは必ず国民の不幸という形になってしまうものなのである。

 国民が社会主義に洗脳されているからこそ、首相の嘘が見抜けないのである。医療現場では次から次へと国民が殺されているのである。若者たちが国民年金のために貧乏しているのに、老人たちは国民年金を使って遊び呆けているのである。国家財政は社会保障のために破綻しているのである。社会主義の洗脳が解けてしまえば、なんで日本国がこのような状況になってしまったのか、その理由がちゃんと解るようになるものなのである。

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女性スモーカーは早死にする

●医学に於いて男女は平等ではない

 医学に於いて男女は平等ではない。男女は不平等なのである。例えば大量出血で死ぬのは男性の方が圧倒的に多い。女性には生理があるために、出血に慣れているので、多少出血してもすぐさま回復できるのである。しかし男性には生理がないために少しでも出血してしまうと驚いてしまい、それで死んでしまうのである。

 それゆえ男性たちは道徳として「忍耐」を唱えてくるのである。

 難病に罹った時、生き残り易いのは男性の方だ。男性は筋肉量が多いために、難病で体が衰弱しても、どうにか生き延びることができるのである。女性は筋肉量が少ないために、一旦難病に冒されてしまうと、猛スピードで病状が進んで死んでしまうのである。

 それゆえ俺は女性たちに「筋肉トレーニングをしろ!」と言っているのである。

 女性は男性とは違って、子孫を残していくという大事な使命がある。赤ちゃんを産み育てることができるのは女性たちだけだから、女性の体は妊娠出産育児ができるような体になっているのだ。女性が肥満に成り易いのも、女性の体はより多くの栄養を吸収するからなのである。

 それと同時に女性の体は有害物質も吸収し易いのだ。人間の体は大量の有害物質が体内に入って来た時、それを拒絶する能力を持つのだが、それが微量の場合、人体にはそんなに害はないとして、拒絶反応を示さないという厄介な機能があるのだ。

 このため、微量の有害物質を溜め込んでいった場合、病気を発症すると急激に病状が悪化し易いのだ。特に女性たちが気をつけるべきことは、有害物質がよりによって脂肪に溜め込まれるので、有害物質に人体の破壊が持続的に行われ、そのために死に至ることになるのである。

●女性の喫煙は癌の発症率を3倍以上にする

 だからこそ女性であるなら有害物質の摂取は絶対に避けなければならないのである。

 それなのに自ら進んで有害物質を摂取するバカな人たちが存在する。

 それが「女性喫煙者たち」である。

 タバコというのは「最強の発癌性物質」である。タバコをやめれば癌の発症率を劇的に抑えることができる。タバコを超えるほどの発癌性物質は放射性物質しかないのだ。それほどタバコは危険な代物なのである。原発事故で放射性物質にあれほど大騒ぎするのなら、タバコに関してももっと大騒ぎしていいのである。

 女性の喫煙者は男性の喫煙者に比べて、なんと3倍も癌の発症率を高めてしまう。女性の体は男性の体よりも脂肪が多いために、ニコチンを脂肪の中に取り込んでしまうからなのである。このため女性喫煙者は体臭が異様に臭くなるのだ。

 タバコを1本吸うと、ビタミンCが100㎎ほど破壊される。このため老化が猛スピードで進むし、風邪をひき易くなる。体内のビタミンCが不足すると静脈瘤が出来易くなるので、それで或る日突然に脳疾患で死んでしまうということになるのだ。

 ニコチンが厄介なのは、脳を作り変えてしまうからなのである。ニコチン中毒になると、体内のニコチンが不足すればニコチンを補給せよと脳が命令してくるのである。これが「やめられない、とまらない、ニコチンフィーバー」なのである。だから禁煙に失敗してしまうのである。

 しかも女性の脳は男性の脳よりも小さいために、一旦ニコチン中毒に罹ると、なかなかやめることができなくなってしまうのである。女性喫煙者はヘビースモーカーになり易いが、これは脳が小さいからなのである。特に水商売のようにストレスが多い職業に就いてしまうと、男性顔負けのヘビースモーカーになってしまうのである。

●副流煙にご注意!

 女性の体がニコチンには弱い以上、自分だけが禁煙しても意味がない。もしも自分の夫が喫煙しているのなら、絶対に禁煙に持ち込まねばならないのである。夫が喫煙者だと、妻が肺癌になってしまうのである。夫婦間でも男女の性差がしっかりとあるのだ。

 なぜこんな現象が起こるのかといえば、それは「副流煙」である。通常、タバコを吸う時はフィルターを通して吸うために、喫煙者への害は多少和らいでいるのだ。しかし副流煙だとフィルター抜きでタバコを吸うことになるので、それで喫煙者以上に体を痛めてしまうのである。

 副流煙が危険だからといって、旦那が換気扇の前でタバコを吸ったり、ベランダに出てタバコを吸ったりして、家族の前では吸わないようにしていても、実はその方が逆に危険なのである。ニコチンの量が大いに減少するために、女性の体はその少ない量のニコチンを確実に摂取してしまうことになるのだ。

 結婚したのなら、夫婦双方禁煙するに限る。そうしないと夫婦双方の寿命を縮めてしまうからだ。タバコを吸わない夫婦なら、妻の方が長生きするものだ。しかしタバコを吸う夫婦だと、妻の方が先に死ぬ羽目になるのだ。女性は40代後半で免疫力が落ちるために、そこで癌を発症し、死亡するということになるのだ。

 現在のような長寿社会になってしまうと、男女ともに90歳以上生きないと、仕事も結婚も完全燃焼することができないのだ。仕事に於いて、還暦以前に早死にする者と、90歳以上まで生きる者との仕事の質量を比較すれば、圧倒的に後者の方が優れていることになってしまうのである。

●禁煙外来とハーブティー

 なぜニコチンに弱い女性が喫煙してしまうのかといえば、それは自律神経が交感神経にシフトしすぎているからなのである。喫煙をすると、血管にストレスがかかり、一時的に交感神経にシフトさせてしまうのだが、その後、副交感神経へとシフトさせてしまうのである。

 だから食後の一服とか、仕事の合間に一服とかをするわけである。しかもこれを非常に旨いと感じてしまうのである。

 自律神経を正常にするためには早寝早起きをすることだ。人間は早起きをすれば自律神経が正常になる。早起きすれば早くに眠たくなるから、早寝してしまえばいいのである。夜遅くまで起きているからこそ、自律神経が狂って行くのである。

 それとお風呂に入る習慣を持つことだ。入浴すれば自律神経を副交感神経にシフトさせることができるので、タバコを吸わなくても副交感神経にシフトさせることができるのである。大体、お風呂に入りながら喫煙をする者はいないものだ。

 タバコを吸うくらいなら、「ハーブティー」を飲むようにすることだ。ハーブティーは自律神経を正常にさせる効能を持つので、タバコを吸いたくなったら、ハーブティーを飲めばいいのである。珈琲や緑茶はカフェインが入っているので、それで神経が高ぶってしまうのである。

 しかし女性たちの中には水商売などをやっていて、どうしても喫煙をやめることができない人たちがいる。職業上、喫煙をやめられないのなら、「無闇に動くな」ということをお勧めしたい。喫煙者で長生きしうる人は運動量が物凄く少ないのだ。喫煙して動き回っていると、早死にすることになるので要注意なのだ。

 国際的タバコ会社の重役たちはタバコを吸わない。低「能な人々をCMで洗脳してタバコを吸わせよう!」と躍起になっているものなのである。タバコ会社の重役たちは「タバコは人体にとって危険である」ということを重々承知で売り捌いているのである。

 喫煙するのは飽くまでも自由だが、タバコ会社に洗脳されて、いいカモになっているという事実に一刻も早く気付くべきなのである。タバコだけは人体に対して何も有益なことをしない。有害なことばかりするのである。そういう物にわざわざお金を支払って購入し、自ら進んで吸っていれば、その者の知能は家畜レベルであると断言していいのだ。

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