« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

女性の肌の色の不思議解明

●肌の色の違いで教育法は異なる

 肌の色で教育方法は異なるものなのである。女性は男性とは違った教育を受けて然るべきであるが、女性だからといって女性たちが画一の教育を受けてはならない。同じ女性だからこそ、違う教育法を受けた方がいいのである。、

 まず色白女は2つに分かれる。色白女でデブや太り気味の女の子は、どうしても知能が高くならないのだ。色白のため副交感神経が優位だから思いっきりのんびりで、しかもデブなために体を維持するためにエネルギーを取られるので、頭にエネルギーが回らないのだ。自分の娘がデブなら、勉強には期待しないことだ。家事手伝いをやらしたり、自分の好きなことをやらした方がいいのである。

 色白女でも中肉中背や痩せ気味の女の子は「優等生タイプ」となる。普段はのんびりしているのだが、勉強をやる時には集中してやるので、結構、高得点を取ってくるのである。優等生タイプはきちんと褒めてあげると同時に、褒めた上で欠点を指摘すると、素直に従うという行動を取ってくる。

 地黒女にはスポーツを優先すべしなのである。地黒女は女性であっても運動神経はいいので、好きなスポーツをやらせると、瞬く間に上達して行くという現象が起こるのである。勉強が出来なくても気にしない。地黒女は学歴とは関係なしに、この世で生きて行くしぶとさを持っているのだ。

 地黒女なのに痩せている女の子は要注意だ。いつもは活発に動き回っているのに、すぐに病気をしてくるのだ。蛋白質が不足しているので、定期的豆類や芋や魚や肉を出し、その上で筋肉トレーニングをさせるべきなのである。

●なんでギャルたちは肌を焼く?

 いつもは大人しい女子小学生をプールや海に行って日焼けさせると、夏休みの期間中は活発に動き回るようになるものだ。日焼けしたことで交感神経が優位になり、自宅の中で静かにしているよりも、動き回りたくて仕様がなくなるのだ。

 これと同じことをギャルたちはやっているのだ。ギャルたちはなぜだか肌を焼くのだ。中にはお金を払って日焼けサロンに行ってまで肌を黒くする者もいるのだ。なんでこんなことをするのかといえば、肌を黒くすると交感神経が優位になるから活発に動けるようになるのである。

 ギャルたちは遊びまくりたいのだから、肌が白いというのではダメなのである。肌を黒くした方が積極的に行動できるので、普段の自分ではしないことも平気でやってのけてしまうのである。実際にギャルと付き合ってみると、実はいい子だったというのは良くある話なのだ。

 しかしギャルも結婚を意識すると肌が色白になる。結婚を意識したことで女性ホルモンが大量に分泌されるので、肌が異様に白くなってくるのだ。だからこそ普通の母親なのに、「昔はギャルでした~」という母親たちがいるわけなのである。

 女性なのに日焼けをせざるを得ないスポーツをするのは、実は考え物なのだ。結婚適齢期になっても婚期を逃してしまうことも有り得るのである。女子スポーツ選手が結婚もせずに活躍していたら、結局、そのスポーツの人気は凋落していくものなのである。

●出世スピードの違い

 女性が同時期に就職しても、肌の色の違いで出世スピードに違意が出て来る。まず地黒女は仕事が出来るので、出世スピードが速いのである。単純な仕事であるなら、飲み込みが早いので、いざ仕事をさせるとやたらと巧いのである。

 一方、色白女はあれこれ考えるので、仕事を教えても、結構、飲み込みが遅いのである。そのくせ時間をかければ仕事が出来るようになるので、ジワジワと出世していくことになるのである。色白女なのに出世を焦ると、結果的に出世できなくなってしまうものなのである。

 地黒女は外見とは違って、男性の上司の受けが非常にいいのだ。上の立場から女性社員たちを見ると、誰が有能で誰が無能かがはっきりと解るものなのである。このため早い段階で責任ある部署を任すことができるのである。

 色白女は上司に取り入るのが巧い。頭のいい女性というのは、大方、父親との関係も良好なので、上司が男性の場合、フランクにお喋りをし、仲良くなってしまうのである。どこの会社でもそうだが、才色兼備の女性が出世するのは別として、色白女が出世するのはかなり甘い基準で出世させているものなのである。

 地黒女の欠点としては、女性同士の友情が下手だということだ。地黒女は性格上、女性同士のネチネチした関係が大の苦手なのである。このため、地黒女が足を引っ張られるのは、常に女性同士の揉め事からなのである。

 色白女の欠点としてjは、上司への悪口が盛んだということだ。上司としては自分の部下が悪口を言ってくるのが一番困るのであって、だからこそ出世する機会を与えないのである。大体、上司の悪口を言っている女性に、優秀な人材はいないものだ。

●女性は結婚式で肌が最も白くなる

 女性は肌の色が黒かろうが白かろうが、結婚を意識しだすと肌の色が変わるものだ。明らかに肌が白くなるのだ。この時期、女性ホルモンが人生最大の分泌量を放ってくるので、結婚式の時には最も肌が白くなるのだ。

 女性が結婚前に余りにも多くの恋愛をしてしまうと、いざ結婚しようと思っても、結婚相手を間違えてしまう可能性が高くなるのだ。恋愛というのは人生の中でそう何度も出来るものではないということが解っていないと、自分の結婚を破滅させてしまうことになるのである。

 これから結婚しようとするのに、肌の色に変化がないと、その結婚は前途多難だと思った方がいい。結婚相手を完全に間違えているのである。特に地黒女は結婚によって肌が白くなるので、その変化が起こらないとなれば、その結婚は最初からダメだったということなのである。

 色白女は取り敢えず専業主婦になった方がいい。妊娠出産育児を最優先する生き方の方が自分には最も合っているのである。結婚sても仕事を続けたいのなら、産休や育児休暇をフルに取って、職場復帰を急がないようにすることだ。

 逆に地黒女には専業主婦という選択肢はありえない。無理に専業主婦をやろうとすれば、それこそ精神病を患うことになってしまうのだ。地黒女であるなら、結婚したとしても仕事を続け、とにかく働きまくる人生を送った方がいいのである。

●なんで女社長は色白女ばかり?

 地黒女は出世スピードが速いし、結婚しても仕事をし続けるから、女社長になる確率は地黒女の方が高いのではないかと思ってしまう。しかし実は違うのだ。女社長というのは色白女たちばかりなのである。

 なんで女社長は色白女ばかりなのかといえば、副交感神経が優位な方がアイデアが浮かび易いからなのである。起業する場合、核と成るアイデアが良いか悪いかで全てが決まってしまうので、どれだけ良いアイデアを思いつくかで、その会社の命運が決まってしまうのである。

 もう1つの理由は女性らしい女性の方が部下の使い方が巧いからなのである。女社長になれば、部下には様々な連中がいるということが解るものだ。それを自分の好き嫌いで選別していたら、優秀な部下たちは去っていってしまうのだ。

 それよりも女性らしい態度で、様々な部下たちを巧く受けとめてくれる方が、部下たちとしては遣り易いのだ。地黒女は好き嫌いこそ言わないが、なんでも自分でやろうとしてしまうために、なかなか優秀な部下が育ってこなくなってしまうのである。

 地黒女が全く女社長にならないというのではない。地黒女が女社長になると、徐々に肌が白くなっていくのである。こういう女社長は意外と活動的だ。なんせ元は地黒女だから、地黒女のような行動パターンを取ってくるのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (6) | トラックバック (6)

地黒女はスタミナ勝負!

●地黒女は交感神経が優位

 女性たちは全員が色白女ではない。色白女がいるということは、地黒女もいるということだ。地黒女は色白女とは違う。同じ女性に属したとしても、全く違う生き方が求められるのである。そこを理解していないと、地黒女ゆえに大損の人生を歩んでしまうのである。

 地黒女は交感神経が優位である。何かに興奮したいし、緊張するのも大好きなのである。性格は何事にも積極的で活動的なのである。何か夢中になれば、睡眠時間を削ってでも、そのことだけに集中してしまうという頑張り屋さんなのである。欠点といえば怒りっぽいという所である。

 地黒女は男友達が多い。女性たちの中に混じってネチネチと友情を育むよりも、男性たちに混じって開放的な関係になってしまった方が、人生を楽しむことができるのである。逆にいえば、女性同士の友情を育むのが苦手なので、必ず女性の友達が自分にとって危険になってくるのだ。

 地黒女はフェミニズムには騙されにくい。というか、フェミニズムを理解できるほどの知能を持っていない。地黒女であるなら、男性たちの受けがいいので、わざわざ男社会を指摘して、それを破壊しようとする必要性がないのだ。

 地黒女は骨格が良く、筋肉質である。体重はあっても、筋肉量が多いために、太っては見えないのである。地黒女が痩せてしまうことは要注意である。痩せてしまうと、地黒女が得意とするスタミナがなくなってしまうので、仕事に於いて充分に頑張れなくなるのだ。

 地黒女は大食漢である。それだけ活動しているということだ。肉食が好きなのも地黒女の特徴である。筋肉量を維持するためには肉食が欠かせないのだ。因みに「肉食系女子」などという言葉がはやっているが、肉食系女子が許されるのは地黒女だけなのである。色白女が肉食をしまくれば、自律神経をおかしくしてしまうのである。

●絶対に仕事を優先する生き方をする

 地黒女だって恋愛をするが、その際、スポーツを伴う恋愛にした方がいいのだ。普通の恋愛のように、まずは映画を見て、では話にならないのだ。地黒女が楽しめるのは体を動かしている時なので、恋愛にスポーツを伴わせれば、その恋愛は巧く行くのだ。

 地黒女にはなまじ体力があるために、通常のセックスでは満足しきれない。セックスの巧い男性に巡り合うか、自分がセックスをスポーツだと看做してせっせと取り組むしかないのである。性的欲求不満があると、男を次から次へと変えて、信用を落としてしまうことになるのだ。

 色白女に専業主婦の選択肢はありえても、地黒女に専業主婦の選択肢はありえない。絶対に仕事を優先する生き方をすることだ。当然に結婚には充分なエネルギーを注げないから、実母か姑に面倒を見て貰うか、家政婦を雇うようにすることだ。

 地黒女が専業主婦をやっていれば、自宅で鬱病に罹るという厄介な事態が起こってくる。地黒女は本来外に出回る女なので、自宅の中で家事と育児を延々と繰り返すというのが苦手だし、そもそも無理なのである。

 地黒女は家庭内のストレスを溜め込むと感情的になるので、すぐに離婚を言い出すのだが、すぐさま離婚するのはやめておいた方がいい。地黒女は色白女とは違って、再婚相手が見つかる可能性が低いものなのである。離婚してしまえば、結局、離婚後は独り身で死ぬまで過ごす羽目になってしまうのである。

●元気だけど病気のオンパレード

 見た目では地黒女は元気そのものだけど、実は地黒女こそ病気のオンパレードなのである。交感神経が優位の状態にあるので、体の修理がままならないのだ。また白血球の数も色白女より少ないために、病気に罹れば意外と弱いのである。

 まず地黒女は「吹き出物」に悩まされている女性が非常に多いということだ。これはリンパ腺が巧く機能しておらず、体内に老廃物や毒素が溜まっているということなのである。吹き出物を舐めてかかると、最後にはとんでもないことになってしまうのである。

 それと地黒女には「骨折」が多い。日々活動的に動いているために、骨休みをしている閑がないのである。人間は1日の内、7時間半の骨休みが必要なので、睡眠時間を削ったりすると、骨折という代償を支払うことになるのだ。

 地黒女はタフに見えるが「胃潰瘍」になったり、「胃炎」になったり、「胃癌」になったりする。ただでさえ仕事でストレスの多いことをやっているのに、食事ではビールを飲んだり、脂っこい物を食うために、胃がやられてしまうのである。 

 「潰瘍性大腸炎」や「大腸癌」に罹ったりするのも地黒女の方が多い。この理由は意外と笑えて、仕事が忙しい余りに、便意があっても便所に行かなかったからなのである。便秘ではないのだが、人為的な糞詰まりであるために、大腸が異常になってしまったのである。

 地黒女は「生理不順」「子宮内膜症」「子宮筋腫」「子宮癌」「乳癌」といった女性特有の病気に罹り易い。これも理由は簡単で、生理の際に休まずに動くからなのである。生理では必ず1日は大量に出血する日があるので、その日は休んで月経血をきちんと出しておくべきなのである。月経血を出さないからこそ、その汚い血液が病気を引き起こしてくるのである。

●プライベートではストレスのない生活を心掛ける

 地黒女は10代や20代では健康そうに見えても、30代か40代の或る時期に急激に体調を崩してくる。長期に及んだ交感神経優位の生活のツケが一気に噴出してきてしまうのである。活動的な人生は生涯に亘ってその生き方を貫くことはできないのだ。

①長期休暇を取る

 日々活動的なことをやっているのなら、1年の内、1ヶ月は長期休暇を取って休むことだ。地黒女ならこれだけの長期休暇があるなら海外旅行に行ってしまうものだが、そういうことをするのではなく、1ヶ月間のんびりとすごすようにすることだ。

 一番のお勧めは「温泉」で、湯治をすると同時に、森林浴をし、自律神経が副交感神経にシフトできるようにすべきなのである。朝は熱めのお風呂に入って、夜は温めのお風呂に入ると、自律神経は正常化するようになるのだ。

②女に戻れる時間を確保する

 地黒女は女性らしい女性ではないが、それでも女に戻れる時間を確保しておくことが必要だ。例えば時には和服を着て、女性としての美しさを前面に押し出すようにすることだ。和服はどんなブスにでも似合う服なので、地黒女であったとしてもちゃんと似合うのだ。

③言葉遣いに気をつける

 地黒女は言葉遣いが汚いものだ。しかしそういう汚い言葉を使っていると、常に周囲に対してストレスを与えてしまい、それが自分に対して倍増した形で跳ね返ってくるのだ。だから言葉遣いに気をつけて、ストレスを発生させないような生き方に変えていくべきなのである。

④肉食や飲酒を控えて、時には断食をする

 地黒女である以上、肉食や飲酒はやめられない。それが自分の体に合っているからだ。しかしそんな食生活をしていれば必ず体にガタがくる。だから定期的に断食をして、内臓を休ませてあげるべきなのである。断食をすると肉食や飲酒が過剰にはならなくなるのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (18) | トラックバック (3)

色白女はやっぱりお得!

●色白では副交感神経優位になる

 女性として生まれた場合、肌の色はどちらがいいのかといえば、圧倒的に白い肌の方がいい。白い肌の方が見た目にもいいし、洋服になると白い肌であれば沢山選択肢が出来るからだ。「白い肌は七難隠す」と言われるが、まさにそうなのである。

 医学的に言うと、色白女は「副交感神経優位」の状態なのである。副交感神経が優位だからこそ、性格は「のんびり」で「穏やか」なのである。病気に対しては抵抗力があり、病気に罹っても見た目とは違って持久力があるので、そう簡単には死なないのだ。

 副交感神経が優位だと、女性ホルモンがより多く出ているということなのである。このため体つきも女性らしくなっていくし、考え方も女性らしくなっていくのである。色白の女性に限って日焼けを嫌うものだが、あれは外面のことだけを気にしているだけでなく、女性ホルモンの分泌量が減るからこそ、そういうことをしているのである。

 色白女なら、少しポッチャリで丁度いいのだ。女性ホルモンの分泌量が多いので、脂肪量が多くないと体を冷やしてしまうからだ。出来ることなら筋肉トレーニングを行い、筋肉量を増やして行くようにすべきなのである。ただでさえ筋肉量が少ないので、筋肉量を増やせば、冬でも冷え性知らずになるのだ。

 色白女は甘い物が大好きである。ケーキの食べ放題などでは、色白女が屯してくるものだ。ケーキは副交感神経を優位にさせるので、ケーキを食べるとリラックスできるわけなのである。しかしその反面、ケーキは体を冷やすために、健康には良くないのだ。紅茶は体を温める作用があるので、だからケーキに紅茶なのである。

●優しくて家庭向き

 色白女なら「仕事よりも家庭」なのである。仕事をやらせればそこそこできるのだが、なんといっても結婚して子供を妊娠出産し、育児に励んだ方がいいのだ。その方が自分の人生を完全燃焼することができるのである。

 色白女は地黒男と恋をするのが一番良いのだ。色白女は女性ホルモンの分泌量が多いために体を冷やし易いので、地黒男のように男性ホルモンの分泌量が多い男性と結婚すれば長生きすることができるのだ。

 「京女に東男」という諺があるものだが、この諺は非常に理に適ったものなのである。京女は色白で、東男は地黒だから、両者が結婚すると中和して、丁度良く成るのだ。現代でも日本人男性とロシア人女性が結婚すると巧く行くものだが、これも理屈は同じことなのである。

 色白女なら子供は3人以上生んでおいた方がいい。子供が1人や2人では少なすぎるのだ。子供を3人も生めば母性ホルモンが大量に出まくるので、女性ホルモンの弊害を防ぐことができるのである。子供の数が少ないと、冷え性のために苦しみ、その体の冷えのために病気を引き起こしてしまうのである。

 子供を3人も生めば、当然には母親体型になる。それでいいのである、オッパイがでかくなり、腰回りにもしっかりと筋肉なり脂肪がつくようになる。そういう母親体型だからこそ、いつまでも健康でいられるのである。

●気をつけるべきは「欝病」に「更年期障害」

 色白女の典型的な病気が「鬱病」である。女性ホルモンのために体が冷えるので、心まで冷え切ってしまうのである。事実、精神病院に行けば、入院している女性患者は殆どが色白女たちなのである。色白は万能ではないのだ。色白特有の危険性があるのである。

 鬱病は増える一方である。というのは、食事過剰と運動不足を組み合わせると、副交感神経がより優位になりすぎてしまい、それで自律神経を異常にさせ、鬱病を発症させるのである。豊かな時代だからこそ、定期的に断食をし、日々スポーツするべきなのである。

 実を言うとフェミニストたちは色白女たちが圧倒的に多い。色白であるために鬱病傾向にあり、そのためにフェミニズムに洗脳されてしまったのである。フェミニズトたちの意見を聞いていると、まともな意見ではなく、病的な意見であるのも、鬱病状態にある者が意見を言っているからなのである。

 色白女が40代後半に差し掛かると、「更年期障害」を発症し易い。女性ホルモンの分泌量が多いために、加齢によって女性ホルモンの分泌量が減少し始めると、途端に体の不調が起こり始めるのである。更年期障害はその病気を自覚できるまでに時間がかかるので、自分で気づいた頃には結構病状が進行してしまっているのである。

 更年期障害を引き起こさないためには大豆をしっかりと食べておくことだ。大豆には大豆イソフラボンが入っているので、これが女性ホルモンの代用になってくれるのである。それと肉を或る程度は食べておくことだ。筋肉量が多く、健康的に脂肪があると、女性ホルモンの分泌量が減少する時期を、なだらかにすることができるのである。

●メリハリのある生活を心掛ける

 色白女は性格的にのんびりしているものだが、放置しておくと「のんびりしすぎてしまう」という現象が起こってくる。こうなると副交感神経が優位になりすぎてしまい、結婚生活もままならなくなっていき、至る所で問題が発生するようになるのだ。

①規則正しい生活

 こうならないためにも「規則正しい生活」を心掛けるようにすることだ。朝は早く起きて、テキパキと家事や育児をこなすべきなのである。1日の内、主婦としてやるべきことは大方決まっているのだから、それを日々こなしていくべきなのである。

②1日に1回は外出する

 交感神経を優位にさせるためには、なんと言っても外出である。とにかく1日1回は外出することだ。主婦が買い物をしたり、子供と一緒に外に遊びに出るのは、自分の健康のためにも大事なことなのである。

 気をつけるべきは、梅雨の時期や、秋の長雨の時期、雪国では雪に閉ざされる冬季であろう。この時期では外出しなくなるために、1日中家に籠もってしまい、それで副交感神経が優位になりすぎて病気を引き起こしてしまうのである。

③たまには旅行に行く

 色白女は発作的に旅行に行くものだが、これは副交感神経が優位に成りすぎている状態でどうにか交感神経優位にさせるためのものなのである。夫としては妻が普段静かにしているのに、長期休暇になると途端に大胆になって旅行に行くのでビックリしてしまうのである。

 色白女はたまには旅行に行きたいのだから、長期休暇の遥か前から夫婦で話し合って、旅行に行くことを決めておくことだ。こうすると夫婦で無駄な喧嘩がなくなるし、計画があるために前もって充分な準備をすることができ、旅行を大いに楽しむことができるのである。

 色白女だからこそメリハリのある生活を送るようにすることだ。結婚しているというのに、自分のやりたいことを全てやってはならないのである。のんびりするのはいいが、のんびりしすぎれば病気になってしまうのは当然のことなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (19) | トラックバック (14)

文明を生んだシャーマニズム

●古代宗教はシャーマニズム

 文明の誕生を唯物論に基づいて経済力によって解明しようとしてくる輩が絶えない。確かに文明はそれまでとは違う大きな経済力を持つが、だからといって経済力だけでは説明しきれないのだ。経済力というのは文明の産物であって、文明を生み出したものではないのだ。

 古代の人たちは何を最も大事にしていたのか? それは「宗教」なのである。宗教といっても現代のような堅苦しい宗教ではなく、「シャーマニズム」の宗教なのである。巫女が神懸りすることによって、神託を得るという宗教なのである。

 古代文明というのは、巫女が下した神託を実現するために人々は活動するのである。その結果、経済力が発展して行くのであって、経済力は飽くまでも宗教の産物にすぎないのである。唯物論者たちは考える順序が逆なのである。

 現在、シャーマニズムいえば無価値のものと断定されている。宗教というものはキリスト教のように信仰すべきものなのであって、個々の人々の魂の救済を図るべきものであると言われている。こういう先入観があると、古代文明の姿は何も見えなくなってしまうのである。

 古代文明は確かに巨大な建造物を作ったりしたが、それ以上に人間の内面を大事にし、シャーマニズムによって精神世界を豊かにしていたのではないか? そう考えると古代文明の本当の姿が見えてくるのである。

●≪古代の教師≫

 今回紹介するのはこの本!

 グラハム・ハンコック/エハン・デラヴィ共著『人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元」にあった』(徳間書店)

 人間は進化の過程で脳を巨大化させていったのだが、実を言うと今から4万年前まで「人間らしい行動」を取っていなかったのである。脳は大きくなっても、そのままに放置されていたのである。しかし或る日突然に大きな変化が起こる。

 それは人間が異次元の世界を見てしまったからなのである。

 脳が大きくなると、体内から幻覚物質を分泌することができるようになり、自然に幻覚を見ることができるようになるのである。睡眠中に見る「夢」はその代表例なのである。もしも人間が幻覚物質を含んだ物を食べたらどうなるであろうか? 当然に強烈な幻覚を見ることになるのである。

 不思議なことにどの民族であっても、幻覚物質を用いて見る幻覚は殆ど同じなのである。煌びやかな世界の中で蛇がいたり、獣人がいたり、宇宙人がいたりして、自分をありえない世界へとトリップさせてくれるのである。

 グラハム・ハンコックはこの現象を「古代の教師」と呼び、この「古代の教師」によって人間は人間らしい行動を取ることができるようになり、そして文明を創造していくことができたというのである。人間は自分の大きな脳に対応するソフトをかなり後になってから手に入れたというのである。

 考えてみれば古代宗教というのは多くの共通項が有りすぎる。龍蛇を祀ったり、獣人の彫刻があったり、明らかに宇宙人として思えないような人物まで描かれているのである。バカな学者だと「古代に宇宙人がやってきて、人類を使って文明を作った」と言い出すだろうが、実際は古代人の見た幻覚だったとすれば、この謎は全て解けてしまうのである。

●シャーマニズム抑圧の過程

 古代宗教はユダヤ教の登場によって破壊されていくことになる。ユダヤ教が誕生した時期は寒冷期に当たっており、しかも砂漠に進出したために、龍蛇神を祀るようなことをせず、天候神を祀るようになったのである。ユダヤ教が厄介なのは、一神教であるために、異教徒たちに大量虐殺を働いたということなのである。

 その後に出て来たキリスト教はシャーマニズムを一切打ち砕く「信仰」を持ち出し、このためにシャーマニズムは徹底して破壊されていくことになる。信仰は個人で出来るものだし、信仰を幾らやっても幻覚を見るということが起こらないのである。

 仏教でもシャーマニズムは否定された。仏教では煩悩から解脱を行なうために、巫女たちの存在は完全否定され、個人が仏教に帰依して修行を行い、解脱を図るのである。こうなってくると神の存在も不要になってしまうのである。

 仏教が日本に伝来して以来、神道は生き残りをかけて変わっていかざるを得なかった。まず巫女たちを残しはするが、嘗てのように神懸りになることはせず、神職者たちのサポート役に回るようにさせたのである。神道は古代宗教に属するのに、古代宗教としての性格を捨て去らない限り生き残ることはできなかったのである。

 政府というのは、どの体制であっても、神懸りに対して警戒し、時には宗教弾圧や宗教迫害を繰り返した。幻覚物質に関しては麻薬と称して、これも取り締まった。政府にしてみれば、国民が自分の内面にトリップしてしまうことほど危険なものはないのだ。国民が世俗まみれになればなるほど、政府としては国民を簡単な形で統治することができるからだ。

●豊かな社会のスピリチャルブーム

 先進国はどの国家も経済的に豊かだから、人々は幸福な筈である。しかし実際は幸福ではなく、悶々と何かしらの不満を抱えているのである。その不満を解消させるべく出て来てきたのがスピリチャルブームなのであって、このブームはかなり多くの人々を惹き付けているのだ。

 理由は簡単なのである。

 古代が終了して以来、人類は人間の内側を探求することをやめてしまったのであり、だからこそその不満が根強く残っており、その不満を少しでも埋めることができるのなら、すぐにそれに飛びついてしまうのである。

 なんてことはない。「古代宗教の復活」なのである。自分の内面を探求しないからこそ、幾ら豊かになっても満足できないのである。そのくせスピリチャルの本を読むと、解ったような解らないような変な感覚に陥ってしまうものだ。

 なぜなら作者自体、自分の内面にトリップしたことがないからなのである。ヨガのようなことをやって人為的に脳内で幻覚物質を作るか、違法とは知りつつも幻覚物質に手を出すかして、自分の内面を探っていかないと、スピリチャルに対して本当のことをいえないのである。

 ユダヤ=キリスト教に基づいた文明をこのまま推し進めていけば、地球環境が破壊されまくり、いずれ人類は絶滅してしまうものなのである。スピリチャルブームはそういう危機感があるからこそ、そう簡単には消えて行かないのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子供を天使だと思うと、子供の心が解らなくなる ~『ほげちゃん』が教えてくれる子供心~

●子供を天使と看做すのは、子供を良く見ていない証拠

 絵本や児童文学に携わる人たちには、「子供は天使だ」と思い込んでいる人々がいる。子供は天使だから、絵本の中でも児童文学の中でも子供は理想的な言動しかしてこない作品を作ってくる。はっきりと言わして貰うと、そんな作品をクソ詰まらないものなのである。

 確かに子供は天使的要素を持っているが、それを上回る形で「悪魔的要素」を持っているのである。ウンチをお漏らしするわ、泣き叫ぶわ、癇癪を爆発させるわ、家の中の物を壊すわ、とにかくとんでもないことを仕出かしてくるのである。しかもそれが「毎日」なのである。

 子供が天使なら、子供に対して怒っている母親など、この世には1人もいなくなる筈だ。しかし実際には育児で悩んでいる母親たちはゾロゾロいるのである。「子供は天使だ」と宣伝しまくっているからこそ、こういう母親たちが大量発生してしまうのである。

 人間は善事を行なうが、それを上回る悪事をやってのけるのである。だから母親は自分は義人であるとし、性善説で子供を見ることは非常に危険なのである。母親がこういう考えだと、子供に自分の理想を強要し、子供がそれに耐えられなくなったら、子供の方自体が壊れてしまうのだ。

 子供は良事も悪事も平気でやってのける。回数としては悪事の方が断然に多い。しかし子供は善事も悪事も平気でやってのけるからこそ、成長していっているのである。もしも善事だけを行い、悪事を行なわないなら、きちんと成長していくことができなくなってしまうのだ。

●ほげちゃんの怒り爆発

 今回紹介するのはこの本!

 やぎたみこ著『ほげちゃん』(偕成社)

  ほげちゃん

 或る日、「ゆうちゃん」の家にお爺ちゃんから<ぬいぐるみ>が届けられる。そのヘンテコなぬいぐるみにはパパは「ほげちゃん」という名前をつけてしまう。ゆうちゃんはこのぬいぐるみを気に入って、いつも一緒に遊んでいたりした。

 しかし家族3人で出かける時、ゆうちゃんは「ほげちゃん」を連れていこうとするのだが、ママはこのぬいぐるみは汚いからといって、家の中に置いてきてしまう。そうやって家族3人だけでお出かけしてしまったのである。

 「ほげちゃん」はその言動に怒りを爆発させ、家族3人がいない間に家の中を乱暴狼藉してしまう。そして冷蔵庫を開けて、中にある物を引っ張り出していると、飼い猫のムウが飛び掛ってきて、魚を咥えてしまい、その際にケチャップが「ほげちゃん」にかかってしまい、「ほげちゃん」はダウンしてしまう。

 家族3人が帰ってくると、この乱暴狼藉は飼い猫のムウの責任にされてしまい、「ほげちゃん」はママとゆうちゃんに助けられ、洗濯され、天日干しされることになる。「ほげちゃん」は吊るさえれながらも、「きょうは、なんだか たのしかった」と呟き、この物語は終わるのである。

 この絵本は起承転結がしっかりとできているので、物語がスムーズに展開するし、非常に内が奥深い。特にほげちゃんの怒り爆発で起承転結の「転」が冴えるので、物語に立体感が出て来るのである。こういう絵本なら、子供たちは何度でも読み返すのである。

●ほげちゃんの「死と再生」

 この絵本を表面的に読めば、主人公の「ほげちゃん」が虐げられたために怒りを爆発させ、その乱暴狼藉ぶりが楽しいと思ってしまうことだろう。事実、この絵本の書評とかではそういう評価しかされていない。

 そういう見方では浅いとしかいいようがないのだ。

 この絵本は「ほげちゃん」の「死と再生」があるからこそ、奥深い内容になっているのである。まず「ほげちゃん」はゆうちゃんの家族にとって余所者なのである。だからゆうちゃんは一緒に遊んでも結構乱暴に扱うし、パパもママもぞんざいに扱ってくるのである。

 しかし「ほげちゃん」は怒りを爆発させ、その際にケチャップに当たり、動けなくなってしまう。そしてゆうちゃんとママに洗濯され、天日干しされるのである。「ほげちゃん」は一旦死んだのである。だからケチャップなのである。ケチャップは「血」を示しており、ケチャッにかかることは「ほげちゃん」は大量出血して死んだことを意味しているのである。

 そうやって一旦死んでくれたからこそ、「ほげちゃん」自体、心がスッキリとし、kラストシーンではゆうちゃんに抱き抱えられ、その両脇にパパとママが寝ることで、家族の一員になったことを示しているのである。

 余所者は所詮「余所者」なのである。余所者がそのままでは絶対に仲間に入ることができないのだ。余所者自身が死と再生の儀式をして貰わないと、仲間になれないのである。自己中心主義の人が絵本を描くと、絶対にこういう絵本は書いてこない。変わるべきは自分ではなく、相手であって、そういう物語では決して仲間になることはできないのだ。

●怒りを爆発させると、後はスッキリ!

 これは家族の中でも何度も繰り返しているのだ。母親は赤ちゃんに対して赤ちゃんとして対応する。しかし赤ちゃんも大きくなってくると怒りを爆発させ、赤ちゃん自体が変わって行く。赤ちゃんが天使のままでは、絶対に母子の仲を深めて行くことはできないのである。

 子供がきちんと喋れるようになると、この怒りも厄介なことになる。母親に対して口答えしてくるからなのである。当然に母親も怒りを爆発させ、母子で大喧嘩を開始するものだ。だがそうやって双方が怒りが爆発させると、最終的には以前よりも仲が良くなってしまうのである。

 人間は他人と接触すれば、必ずストレスを受けてしまうものなのである。そのストレスは或る程度までなら我慢して行くことができる。ところが或る一線を越えてしまうと。怒りとして爆発し、普段の自分では考えられない行動をとってしまうのである。

 育児や子育てをして行く過程で、どこかで溜まったストレスを発散させる場がないと、子供の人格は歪んで行くものなのである。母親に対して素直で従順な子供だったのに、中学生や高校生になってグレてしまうというのも、ストレスを溜め込みすぎ、自分の人格が歪んでしまったからなのである。

 怒りを爆発させることは悪いことに決まっている。でもその怒りを爆発させることをしないと、人間関係が深まっていかないということもまた事実なのである。この絵本でも「ほげちゃん」が怒りを爆発させたからこそ、ゆうちゃんの家族は「ほげちゃん」を家族の一員として向け入れたのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (5) | トラックバック (2)

なぜ子供の頃の歌や踊りは大事なのか?

●歌い踊ってネクラになる奴はいない

 子供は放置しておくと、歌ったり踊ったりする。これは母親から教育されたからそれらをやるのではなく、生まれる前からプログラムされているからこそ、そうするのである、人間は喋る前に歌う、正しく二足歩行する前に踊るのである。

 乳児は喃語の段階から歌なのである。その後、少し喋れるようになるとこれまた歌なのである。意外なことかもしれないが、単語をはっきり言えるようになるのは結構遅いのである。しかも単語をちゃんと言えるようになっても、その文章はリズム感を持って喋ってくるのである。

 赤ちゃんは寝返りを打つのが既に踊りなのだ。その後、ハイハイをするようになるが、それも踊りなのだ。立っちが出来て、歩けるようになると、これまた踊るようにして歩くのである。ヨチヨチ歩きの乳児が母親に手を連れられて歩くことほど歩きにくいものはないのだ。これでは歩けても、踊りがないからだ。

 幼稚園に行かせれば、お遊戯と称して、この歌と踊りを延々とやりまくるのである。そんだけ本格的に歌と踊りをやれば、当然に汗をかくし、血行は良く成る。当然に歌と踊りで体が活性化し、病気に罹りにくくなり、健康でいられるようになるのだ。

 ところが小学校に行くと、歌と踊りを教える回数が激減する。このため不良の生徒たちが現れ始め、イジメや自殺が発生するようになるのだ。歌い踊ってネクラになる奴はいないのだ。歌と踊りを軽視するからこそ、性格が捻じ曲がった連中が出て来ることになるのだ。

●歌と踊りが脳細胞を増やす

 実を言うと、この歌と踊りは脳のシナプスを増やす効果を持つのだ。このため幼稚園児の時に歌や踊りをするのは非常に良いことなのである。しかも脳の臨界期を過ぎれば、歌や踊りは脳のシナプス数の減少を抑える働きをするのである。

 脳のシナプス数の減少は7歳から16歳までの間なので、この時期にカラオケをさせるとか、盆踊りに参加させたりすると、非常に頭が良くなるのだ。事実、歌の巧い子は学校の成績も良いし、盆踊りが盛んな地域では不良の発生数が少ないものだ。

 歌や踊りはそれだけでなく、脳の細胞自体を増やしてしまうのである。特に海馬を増やすことが解っており、歌や踊りをすると海馬が強化され、記憶力が増すことになるのだ。「うちの子はちょっと頭が悪いので~」とか言うなら、学校の勉強よりも、歌や踊りをさせることだ。海馬を増やせば記憶力が強化されることになるのだ。

 勉強するにも、歌や踊りを取り入れると、効率の良い勉強をすることができる。例えば音読しながら教科書を読むといった方法だ。これだと文字や文章を簡単に覚えることができてしまうのである。子供を自宅ばかりで勉強させるのではなく、時には博物館に行かせると、館内を歩き回るために体を動かさざるを得なくなるので、それで脳が刺激されて、すぐに覚えてしまうのである。

 歌や踊りを勉強に取り入れると、楽しく勉強でき、勉強して新たなことを知ることが更に楽しくなってしまうのである。「勉強を苦しいものだ」と思っている人は、ただ単に勉強の仕方が悪かっただけなのである。机の前に座って勉強すれば、飽きるのは当然のことなのである。

●なぜ父親が育児に参加しすぎるとダメなのか?

 育児をするなら、母親が独裁でやった方がいい。母親は赤ちゃんが生まれると、自然に歌を歌い出すし、踊り出すのだ。それれは誰かに教えられたわけではない。母親は生まれる前からそうプログラムされていたのである。

 まともな育児をしたいのなら、父親の育児参加を最小限に止めておいた方がいい。というのは、父親の育児と母親の育児とでは決定的に違う所がある。それは父親の育児には歌や踊りがないということなのである。

 父親は歌を歌わない。父親は踊りを踊らないのだ。このため父親が育児に参加しすぎると、それは母親にとっては楽なことかもしれないが、子供の成長を犠牲にしてやっているにすぎないのである。子供の脳は出生時から6歳まで猛スピードでシナプスを増やして行くので、この時期の犠牲がどんなに多大な悪影響を与えるかは解る筈だ。

 子供にとって父親が重要なのは言うまでもない。しかし父親を必要とする時期は、必ずタイムラグがあるのである。子供は2歳をすぎると、父親とベタベタしたがるものだ。2歳というのは丁度卒乳の時期なので、母親から離れて、父親の元に行くのである。

 女の子なら3歳辺りに「パパと結婚する~!」とか言い出し、擬似結婚の時期を迎えることになる。男の子なら小学生辺りに「将来、パパがやっている職業に就く!」とか言い出してくるものだ。父親が必要になるのはその時期なのであって、乳児の段階ではないのだ。

●家事や育児に歌と踊りを取り入れる

 もしも家事と育児でヘトヘトになっている既婚女性がいるなら、家事や育児の中に歌と踊りを取り入れることだ。料理をする際も歌と踊りを取り入れて作るようにすることだ。母親が歌い踊っていると、子供たちも真似し始めるので、家庭内が非常に楽しいものになってしまうのだ。

 母親が歌と踊りをやっているということは、その子供たちは母親のいない所でも歌を歌い、踊りを踊るようになるのだ。逆に言うなら、母親が歌や踊りをしないと、子供たちは最小限しかしないので、子供らしさが失われてしまうのである。

 お稽古事をさせるのなら、歌と踊りの両方をできる物の方がいいのだ。しかし考えてみるとそういうのは無いから、効率の悪い学び方をしているということになるのだ。子供にお稽古事をさせても脱落してくるのは、こういう所に原因があるからなのである。

 最近、小学生たちに巻き起こっているのが「ダンスブーム」なのであるが、こういうのも学校で歌や踊りが少ないからこそ、小学生たちがダンスをすることで、その踊りの不足を補っているといっていいのだ。事実、ダンスをやっている小学生たちは、本当に小学生らしい子供たちであるのだ。

 育児に問題があるからといって、政府が介入してきてもダメなのである。教育に問題があるからといって、幾ら教育改革をやってもダメなのである。人々が歌や踊りの大切さを忘れてしまったからこそ、育児でも教育でも問題が起こり続けているのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (23) | トラックバック (1)

愛は短し、家系は長し

●恋愛ホルモンはたった3年間しか分泌されない

 人間は男女共に恋をすればトキメクことになる、なんでこんな現象が起こるのかといえば、恋愛によって恋愛ホルモンが分泌されるからなのである。恋愛ホルモンが分泌されるからこそ、心がウキウキ状態になり、何をやっても楽しくなってしまうのである。

 女性は恋をすると美しくなるというが、それもその筈、この恋愛ホルモンは相手の男性の気を惹くために自分が綺麗になることで妊娠する確率をあげようとするのだ。ちなみに女性が最も美しくなるのは結婚式の時であって、だからこそ女性たちは結婚式に憧れ、大事にするのである。

 ところがこの恋愛ホルモンは3年間しか分泌されない。なぜこんな短い期間だけなのかといえば、それは「妊娠」「出産」「育児」に対応した期間だからなのである。妊娠に10月10日、育児に2年間を費やせば、次は第二子を妊娠すべく新たなサイクルを打ち出さなければならないのである。

 世の中には恋愛至上主義を唱えてくる人たちがいるものだが、この恋愛至上主義は恋愛ホルモンを悪用してるだけなのである。恋愛ホルモンは何も恋愛をするために分泌されるものではないのだ。妊娠や出産や育児のために分泌されるものなのである。

 幸せな結婚をしたいのなら、出会ってから3年以内に結婚してしまった方がいいのだ。3年以上付き合ってしまうと、恋愛ホルモンが切れてしまうので、結婚が巧く行かなくなってしまうものなのである。結婚式を挙げる費用がないからといって躊躇していると、いずれ恋愛ホルモンが分泌されなくなる時期を迎え、それで破局してしまうのである。

●結婚後4年目の危機

 結婚したのなら、とにかく3年以内に赤ちゃんを妊娠して出産し、育児に精を出すことだ。結婚したからといって妊娠を急ぐのではなく、新婚生活を楽しみ、その過程で妊娠しrて今度は妊婦生活を楽しみ、そして出産を楽しみ、育児を楽しんで行くようにすることだ。

 夫婦というものは赤ちゃんが生まれれば夫婦だけの時間というものは極端に少なくなるものだ。結婚してから赤ちゃんが生まれてくるまでの短い期間を大切に過ごすべきなのである。統計上、この時期を大事に過ごした夫婦は、その後いつまでも仲のいい夫婦になるのだ。

 結婚して赤ちゃんを産んだのなら、その後も3年周期で妊娠出産育児を繰り返して行くことだ。こうすると恋愛ホルモンが出っ放しになり、非常に満足の行く結婚になるのである。結婚の本当の喜びを味わいたいのなら、少なくとも子供は3人以上必要なのである。

 恋愛ホルモンの分泌期間が3年であるということを決して忘れてはならない。事実、離婚のピークは結婚してから4年目なのである。結婚4年目までに赤ちゃんができなければ離婚する確率は非常に高くなるし、たとえ赤ちゃんがいても結婚4年目までに夫婦仲を強化しておかないと、平気で別れてしまうものなのである。

 離婚すなら早めに離婚してしまった方がいい。恋愛ホルモンは既に分泌されていないのである。そのような相手と今後どうやったとしても盛り上がることはないのだ。早めに離婚してしまえば、人生を遣り直すことができるものなのである。

 「熟年離婚」などというのは、バカな中高年の男女がするものだと思っておいた方がいい。熟年離婚するような夫婦は熟年になってから離婚の危機が生じたのではないのだ。恐らく結婚して4年目になって夫婦愛は冷めてしまったのであり、それを誤魔化しながら生きてきたにすぎないのだ。男女を問わず、50代や60代になって離婚しても、もう人生の遣り直しなど絶対に効かないのだ。

●家系を教えると結婚は壊れにくくなる

 恋愛ホルモン以外に結婚に対して決定的影響を与えるのは「家系」である。子供に家系を教えると、結婚したとしても自分たち夫婦のためだけでjはないというこに気づき、出来る限り離婚を控え、結婚を維持し、幸せなものにしてこうと努力するものなのである。

①まず子供を多く生まねばならない

 家系を継承した夫婦はまず子供を多く作らなければならないと思うようになるなるのだ。跡取りを作らないと家系を維持できないからだ。跡取りになる男子を待望し、出来れば分家用に長男以外の男子をも産み育てる。

 その一方、女の子が生まれたら、きちんとした教育を施すのだ。女の子をきちんと育てないと、ちゃんとした嫁がやってこないからだ。「結婚する時はいいとこのお嬢さんを貰え」と言われるものだが、家系が長く続いている家ほど、女子に対してきちんとした教育がなされているからなのである。

②家系があればこそ経済的に豊かになる

 家系があると経済的に豊かになることができる。家系のある家では必ず「家計のノウハウ」が蓄積されているので、無駄遣いを極力抑え、必要な支出に振り向けていくのである。しかも貯金の習慣が出来ているので、無理なく資産を形成していくことができるのである。

 家系の長い家では、絶対と言っていいほど、親戚同士の交流が活発である。このため育児で必要な物はその殆どを無料で貰えるものなのである。しかも定期的に食事会をするので、その分、食費が浮くのである。定期的に食事会をすると、普段の食事は質素なものになるものなのである。

③「歴史の共有」による幸福感

 家系の長い家だと、必ず先祖の話が出て来るから、一族の歴史を共有することによって、お金では買うことの出来ない幸福感を得ることができるのである。現世というのは誰がどうやっても苦しみはなくならないから、歴史の中に浸ることで現世のことを忘れるのである。

 家系を無視する夫婦ほど、社会問題に真剣になって取り組むものだ。しかし幾ら真剣になって取り組んでも、その夫婦の幸福質量は増えていかないものなのである。寧ろ現実の悲惨さを知りすぎてしまうために、結婚生活それ自体が破綻してしまうことになるのである。

●結婚後10年目の奇跡

 家系を尊重する夫婦は、結婚後10年目にして夫婦愛がレベルアップしてしまうのである。なんせ子供を生み続けたために恋愛ホルモンが出っ放しなのである。しかも経済的には豊かになっている。更には夫婦が歴史を共有している。こういうものが揃うと夫婦が精神的に成長してしまい、夫婦愛が奥深いものになるのである。

 解り易い例を上げると、結婚に対する不満がなくなってしまうのである。不満というのは幾ら指摘しても意味がないのである。不満を数え上げれば幾らだってあるのだ。それよりも自分が結婚を楽しむ。配偶者や子供たちを幸せにしていく。そういう気持ちになってしまうと不満が消えてしまい、生きていることが非常に楽しくなってしまうのである。

 もう1つの理由は、人間というものは10年以上、同じ路線を続けることは出来ないということだ。例えば「結婚しても恋人気分でいようね」と誓い合っても、結婚して10年も経てばそれを維持できなくなるのだ。必ず至る所で問題が発生し、路線の方向転換を迫られるものなのである。夫婦がそれまでの生き方を変えた時に、夫婦の本当の愛の形が出来上がってくるのである。

 家系図を持つ家族は圧倒的に強い。家系図があればこそ、自分たち夫婦が今何をすべきかが解ってくるのである。恋愛も確かに大事である。しかし恋愛後の結婚の方が遥かに大事なのである。それほど大事なものを、恋愛ホルモンのように変動する物質に任しておくことはできないのだ。

 華僑なんてのは世界各国に移住しても、必ず大繁殖している。中華料理という得意技もあるが、それ以上に大きいのは華僑たちは家系を大事にしているということだ。若い者たちに自由恋愛など勧めないのだ。日本でいうような「お見合い」を勧めて、華僑の子弟同士で結婚させてしまうのである。これなら当然に繁殖してくるわけである。

 戦後の日本で離婚が急増したり、結婚しても不妊症に見舞われるようなことが発生するのは、平等イデオロギーに洗脳されて、家系を大事にしなくなったからなのである。人間は絶対に平等にならない。平等を唱えてきた時点で洗脳が始まるものなのである。洗脳が解けてしまえば、結婚を幸せにする方法は必ず見つかるものなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (14) | トラックバック (9)

「戦略爆撃論」と「無制限のテロリズム」

●戦略爆撃論があればこそ東京大空襲も沖縄戦も原爆投下もあった

 日本が日露戦争に勝利した後、日本国民は戦勝に浮かれて、冷静さを欠いてしまった。その最たるものが「韓国併合」であって、韓国の独立を守るために日露戦争を戦ったのに、よりによって韓国を日本に併合してしまったのである。

 当時の韓国は世界最貧国といっても良く、このために日本は莫大な投資を強いられることになったのである。その出所は全部「日本国民の税金」である。しかも投資した所でなんの利益も上がってこないのである。日本は韓国を併合してしまったために貧乏になり、これ以降、国内で社会主義が徐々に蔓延してくることになるのである。

 それに対してアメリカ合衆国は戦争の当事者だったのではないので、冷静さを保つことができた。アメリカ政府は日本との戦争を想定し、「オレンジ計画」なる侵略計画を考え、日本を戦争で滅ぼすことを前提に戦争計画を立てたのである。

 どの国家も隣国との戦争を想定して戦争計画を立てることは許される。しかしこのオレンジ計画が普通の戦争計画と違ったのは、日本の滅亡を目的として作った点なのである。その目的があればこそ、アメリカ軍は攻撃の70%を戦略爆撃に振り向けるという計画を立てたのである。

 この戦争計画に従って、アメリカ軍は「B-17」や「B-29」といった戦略爆撃を行なえる爆撃機の開発に急いだわけだし、普通の爆弾ではなく日本の民家を焼き払うために焼夷弾を作ったわけだし、原子爆弾を秘密裏に開発したのである。

 戦略爆撃論があればこそ、戦争中に東京大空襲は起こったのだし、沖縄戦にしても民間人に機関銃や火炎放射器をぶっ放すということを平気でやったし、原爆投下によって広島と長崎を壊滅させるという出来事が起こったのである。

●実は効果がなかった戦略爆撃論

 日本は原爆投下後にポツダム宣言を受諾して戦争を終結させたために、戦略爆撃には劇的な効果があったのではないかと思われている。日本国内でもそう主張している人たちは沢山いる。しかしそれは戦後に洗脳を受けてしまったからで、実際は違うのである。

 小磯国昭内閣の際にアメリカ軍は硫黄島に侵略し、ここを守っていた日本軍は全滅するという事件が起こったのである。このために小磯国昭内閣は総辞職し、鈴木貫太郎内閣が登場するのである。鈴木貫太郎首相は終戦工作をするために登場してきた首相のである。

 なぜこんなことが起こったのか?

 それは硫黄島が日本の領土だったからなのである。そこがアメリカ軍に占領された以上、終戦工作を急がないと国家の独立を保ち得ないからなのである。それ以前は全部、日本の領土外で戦っていたのであり、日本の領土である硫黄島が占領されたら、最早、無闇に戦争を続行するべきではないのである。

 実は戦略爆撃には効果がなかったというのは、戦後のアメリカ軍の調査でも判明したことなのである。戦略爆撃を受けても、日本軍の戦力は衰えていなかったし、日本国民の士気も衰えていなかったのである。

 戦略爆撃には効果がないと解ったからこそ、アメリカ軍は終戦後、直ちに洗脳を開始するのである。マスコミに対してプレスコードを布いて事実上の検閲を行い、学校では教科書を墨で塗りつけ、日本軍が如何に悪いことをしたかということを教えたのである。

 この洗脳が独立回復後にも生き続けたからこそ、日本国民は歴史の真相がまるで解らなくなってしまったのである。

●戦略爆撃の高い代償

 戦略爆撃は戦後に高い代償を支払うことになる。それは「根深い反アメリカ感情」が生まれてしまうということなのである。日本では戦後、社会主義が蔓延したが、日本共産党であろうと日本社会党であろうと民主党であろうと、反アメリカ感情に根ざしていることには変わりないのだ。

 アメリカ合衆国が覇権を維持するためには、東はイギリスを同盟国にし、西は日本を同盟国としてしまえば、ユーラシア大陸を包囲することができ、簡単に覇権を維持できるのである。しかし日本は同盟国として役に立たないために、韓国にアメリカ軍を配置せざるを得ないのである。嘗ての日本がやった失敗を今はアメリカ合衆国がやっているのである。

 海洋国家であるなら、ユーラシア大陸には深入りしない方がいいのである。深入りした所でなんの利益も発生しないのである。海洋国家であるなら、ユーラシア大陸を封じ込めて、その間に貿易をして、せっせと稼ぐようにしていくべきなのである。大陸国家とは陸戦ではつらくとも、海戦でなら確実に勝てるものなのである。

 アメリカ軍は戦略爆撃には効果がないと解ったのだから、第二次世界大戦後、戦略爆撃論を廃棄すれば良かったのである。しかしそれをやられると、アメリカ空軍の存在価値がなくなるから、戦略爆撃論が生き残ってしまったのである。

 だからこそアメリカ軍は朝鮮戦争でもベトナム戦争でも湾岸戦争でも対イラク戦争でも戦略爆撃を用いたのである。どの戦争でも戦略爆撃には効果がなく、敵の軍隊は悠々と存在していたのである。結局、敵の軍隊を打ち破るためには陸戦を行なわなければならないのであって、戦略爆撃に効果はないのだ。

●無制限のテロリズム

 アメリカ軍というのは世界最大量の核ミサイルを持ち、世界のどこにでもすぐさま50万人以上の兵力を投入できるようになっている。こういう国家は地球上のどこにもないのであって、まさにアメリカ軍は天下無敵なのである。

 しかしこうなるとアメリカ合衆国に敵対する勢力は戦争で戦うことをせず、テロによって戦うことをし始めるのである。戦争は終わりテロリズムの時代が始まったのである。テロは平時のゲリラ戦なのであって、テロリストたちと戦えば戦うほど国力を消耗していくことになるのである。

 まともなテロリストであるなら、ニューヨークで爆弾テロを起こすようなことはしない。アメリカ合衆国の外でアメリカ人を誘拐し殺害するということを執拗に繰り返すのである。アメリカ軍と雖も外国でアメリカ人の1人や2人が殺された程度で、軍隊を動かすことはできないのである。

 もしもアメリカ軍はテロリストたちに怒って軍隊を動かしても、テロに関しては軍隊は不得手なのであって、勢い良く敵地に攻め込んで占領してしまっても、そこでまた執拗にテロが繰り返され、アメリカ軍は釘付けにされてしまうのである。

 こういうことをやっていれば、アメリカ軍は軍隊とはいえない弱い連中を相手にしているために、逆にアメリカ軍自体が弱体化していくことになるのである。アメリカ軍を世界最強の軍隊のままでいさせたいのなら、テロリストたちとは戦うべきではないのである。

●歴史は繰り返す

 近代国家では軍隊がゲリラやテロリストを相手にすると、いずれ国家が滅亡してしまうということになっている。ナポレオン1世が率いたフランス帝国ではスペインでゲリラ戦に遭遇しているし、ナチスドイツはヨーゴスラビアでゲリラ戦に遭遇しているし、ソ連はアフガニスタンでゲリラ戦に遭遇している。これらの国家はどれもその後、滅亡しているのである。

 古代ローマ帝国はゲルマン民族の大移動という大規模なテロ攻撃を受けて、滅亡してしまっている。ローマ軍にしてみれば、ゲルマン人たちの武装は遥かに劣っていたのである。それなのに負けたのはローマ軍であって、勝ったのはゲルマン人たちなのである。

 軍隊は大金を消費するものだ。しかも戦争になれば国力が大いに消耗する。それでも軍隊を持つのは国家の独立を守るためだし、戦争をするなら絶対に勝てる戦争をしなければならないのである。軍隊であるなら、ゲリラやテロリストたちを相手にすべきではないのである。

 しかもアメリカ合衆国の場合、テロリズムの淵源がまさか戦略爆撃論にあるとは気づいていないのだ。日本は戦略爆撃を受けても、戦後、アメリカの同盟国に組み込まれたから、ゲリラ戦もテロ攻撃をしなかったが、その代わりに自民党が反アメリカ勢力と戦いまくったのである。

 剣によって立つ者は剣によって滅びるものだが、アメリカ合衆国も戦略爆撃論があるからこそ自国が滅ぼされてしまうのである。アメリカ人の多くがまさか戦略爆撃論こそがテロリズムを生んでしまったということに気づかないのである。覇権国家というのはなまじパワーがありすぎるから、自国の滅亡原因となるものに気づけないのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (5) | トラックバック (11)

なぜ神の声は聞こえなくなったのか?

●古代人の脳は二分心

 どこの宗教でもそうだが、古代の或る時期までは神々はよく神託を下したものだ。しかし古代の或る意時期を過ぎると神託を下さなくなる。これは謎といえば謎である。神道なら神功皇后は神懸かっているのに、応神天皇の時期にはそういうことをしなくなる。ユダヤ教なら預言者たちがいる時までは預言を受けているが、その後は預言自体が消えてしまうのである。

 これは人間の側に決定的な変化が起こったからと見るのが妥当であろう。その起こった場所は「脳」以外にない。脳が変化したからこそ、神託を受けることができなくなったのである。だから人間の宗教心を云々言っても無駄であるのだ。

 それを解き明かしたのがこの本

 ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙』(紀伊国屋書店)

  神々の沈黙

 そもそも人間の脳には「神」と呼ばれる部分と、「人間」と呼ばれる部分の2つがった。それを「二分心」という。神と呼ばれる部分が命令を下し、その命令に人間と呼ばれる部分が素直に従うのである。これは勿論仮設である。しかしこの仮説を導入すると、文明誕生の謎までもが解けてしまうのである。

 文明以前、人間は小さな集落に住んでいた。当然に人口数が決定的に少ない以上、全員が労働せざるを得ない。そういう社会では文明など誕生できるわけがないのだ。全員が食う事で精一杯だから、他の知的作業を行えないのである。

 ところが集落の中で閑を持て余し易い人間たちがいる。それが女性たちである。特に未婚の女性たちである。もしもその集落の人々が全員労働するようなことをやめて、その未婚の女性たちの中で霊的能力のある者だけを労働から解放し、巫女として生計を立てさせたらどうなるでろうか?

 その巫女は「神の声」を集落の人たちに伝え、それによって集落は団結し、活性化して行く。神の声は利己的な意見ではないからこそ、集落の利益を大量に生み出して行くことができる。そういう集落は当然に戦争に強く、次から次へと他の集落を征服して行く。

 そういうことを繰り返して行く内に、文明が誕生してしまったのではないか?

●「文字の誕生」と「神政政治の終焉」

 古代文明の基本的政治体制は「神政政治」である。国王は国家元首であったとしても、巫女が神から神託を受け取り、その神託を国王が実施するというものなのである。この政治をやったからこそ、古代文明の国家はどこの地域であったとしても、大繁栄を遂げたのである。

 なぜ神政政治が優れていたのかというと、この政治体制では独裁者が誕生できないからだ。まず国王は巫女によって権力が制限される。巫女も国王によって権力が制限される。そして国王も巫女も利己心を最優先にするのではなく、神に従うということでは一致しているのである。

 しかし文明は必ず「文字」というものを生み出す。文字自体、宗教儀式に使われるために生み出されたもので、神の真意を問うための道具である。その文字が宗教性を離れて、統治の道具として使用されると、脳に変化を引き起こすことになる。

 それは文字に対応した脳の部位が発達してしまい、二分心を破壊してしまったのである。人間は文字を持てば、知的意識を持ち始め、神託に頼るより、自分の頭で考えてしまった方がいいのである。こうなると巫女が神の声を下しても、その価値を認めない人たちが大量に出てきてしまうのである。

 だからこそ神政政治は終焉を迎える。政治の世界から巫女は追放されることになる。そうなれば国王に権力が集中し始める。専制君主の登場である。当然に国王はその集中した権力を使って戦争をしまくり、領土を拡大していくことになるのだ。

 国王が必要以上の権力を持てば当然に反発する勢力も出て来るのであって、古代ギリシャでは民主制を生み出し、古代ローマでは共和制を生み出したのである。民主制では国民が団結を欠くから、結果的に滅亡してしまう。しかし共和制は元老院が集団指導体制で政治を進めるので、スッラやカエサルのような独裁者が出て来るまでは機能し続けたのである。

●「宗教の合理化」と「原始への回帰」

 人間の脳が文字によって変化してしまった時、宗教が取るべき選択肢は2つしかない。巫女を温存し、古代宗教の形態を留め置くか、巫女を排除し、文字に対応した新しい人工的な宗教を作り上げるかである。神道は前者を選択したが、このために宗教としての力は大いに減少してしまうことになった。

 一方、ユダヤ教は後者を選択したが、ではどうやって人々を纏めようとしたのかといえば、律法を作り、その律法を遵守させることだ。これなら人々を繋ぎとめておくことができる。しかしその反面、信者数が増えていくことがない。

 その欠点を突いたのがイエスで、異教徒たちにも宣教を開始し、パウロによって律法から信仰へと転換し、信者数を爆発的に増やしていったのである。現在でも宗教といえば信じるか信じないかが問われるのだが、これほどバカらしいものはないのだ。人類の歴史から見れば、何かを信仰すればするほど、本来の宗教から遠ざかってしまうのである。

 宗教に文字を導入すれば、宗教は合理化せざるを得ない。非合理的な要素はどんどん排除されていかなければならないのだ。その最たるものが神学書で、人間の理性で宗教を把握していかなければならなくなるのだ。

 当然にこれは苦しい。浩瀚な神学書を作れば作るほど、宗教のことが解らなくなってしまうからだ。だから「原始への回帰」が起こってくる。キリスト教ではペンテコステ派であって、異言を言うことで、古代宗教の姿を復活させようとしているのである。仏教では曹洞宗や臨済宗であって、座禅を組み、心を無にすることで、古代宗教の姿を復活させようとしているのだ。

●「神懸り」による執筆

 人間が文字を持つことは、進化には繋がらないのだ。人間の脳は本来文字を想定していない。文字は飽くまでも人間が作りし物なのである。だから人間自体が文字を使って勉強すると同時に、古代の人たちが持っていた「人間本来の姿」い回帰しなければならないのである。

 その方法は実に簡単なのである。

 「断食」をすればいいのである。

 何を隠そう、俺自身、肺炎にかかって死にそうになり、その際に偶然に断食をしたために、頭が良くなってしまったのである。その後にブログを作り、記事をビシバシと書くようになっていったのである。断食をする前と後とでは、俺の能力がまるで違うのである。

 しかも俺が記事を書く時は、神懸り状態で執筆している。さすがに前日に下書きをするが、いざ執筆する時は、手が勝手に動き、自分でも「これは凄い!」と思えるような内容を書いてしまうのである。人為的に書けば、こうは巧く行かないものなのである。

 こういうのを「霊能力」といっていいかもしれないのだが、この霊能力があると、「宗教や学問の普遍性」に気づいてしまうのである。宗教も宗教が異なればまるで違う。学問も専門分野が異なればまるで違う。

 しかし霊能力があると、宗教や学問に対して真贋がはっきりとつき、「これは本物の宗教である」「これは偽者の宗教である」「この学説は正しいね」「この学説は間違っている」と喝破することができてしまうのである。

●無宗教は脳の退化

 俺は偶然にもそういう特殊な能力が備わってしまったのだが、そういう能力があればこそ、「無宗教というのは脳の退化ではないのか?」と思ってしまうのだ。霊能力があれば、そんなに勉強しなくても、瞬時に解ってしまうからだ。

 無宗教になるのは他人の勝手かもしれないけど、無宗教の人間がどのような研究をしたとしても、大した発見はできないと思う。霊能力がないばっかりに、無駄な作業を延々としてしまうのである。そして気づいた頃には老人になって、もう何もできなくなってしまうのである。

 確かに文字がなければ文明は機能しない。しかし文字のために人間が本来備わっている大事な能力が消えてしまうこともまた事実なのだ。幾ら自分が博学だからといって傲慢になってはならないのである。どんなに知識を積み重ねても、霊能力には勝てないのである。

 既婚女性であるなら、子供を育てなければならないので、そのために霊能力が作動するものだ。我が子が危険になれば、その危険を事前に察知し、我が子の命を守るのである。そういう能力は努力して身につくものでjはない。或る日突然に目覚めてしまうものなのである。

 霊能力を正しく使いたいのなら、定期的に断食をすることだ。断食をせず霊能力ばかり使っていては、必ず狂っていくものなのである。そして霊能力ばかりに頼らず、理性で処理できることは理性で処理すべきなのである。現代は最早古代のように霊能力だけでは生きてはいけないのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (21) | トラックバック (3)

なぜ若者は死んで行くのか? 『薫は少女』

●なぜ近代的な児童文学はイギリスから生まれてきたのか?

 近代的児童文学はイギリスから生まれた。このことを押さえた上で児童文学を論じないと全くピント外れな物になってしまう。児童文学というのは自分が勝手に創作していいものではないのだ。きちんと児童文学の歴史や伝統を踏まえなければならないのである。

 なぜイギリスで近代的児童文学が生まれたのかというと、イギリスはいち早く「国民国家」を成立させたからなのである。イギリスも嘗ては国王に主権があり、絶対王政の国家だったのである。それがマグナカルタによって王権に制限がかかり、議会が権力を持ち始めることで更に制限がかかり、ピューリタン革命によって王政が廃止されると、逆に君主制の大切さに気づき、名誉革命で立憲君主制へと向かうのである。

 もう1つの要素は「イギリス国教会」の存在であって、イギリスはヘンリー8世の離婚問題からイギリス国内にあるカトリック教会を没収し、イギリス国教会を立ち上げたのである。国教制を布いたために、キリスト教が国民の間に深く浸透するという結果を引き起こしたのである。

 その結果、生まれてきたのが近代的児童文学なのである。

 近代的児童文学は飽くまでもその読者対象が自国の子供たちなのである。国民国家の誕生によって出版市場が成立したのであって、昔の童話のように集落単位で存在するのではなく、全国民が読めるように本に纏めて出版するという形態が取られるようになったのである。

 近代的児童文学は「キリスト教否定」の要素を大いに含んでいるということなのである。イギリスのようにキリスト教が国教になってしまうと、キリスト教に反発してしまうのであって、そのために児童文学の中でキリスト教を否定し、独自の世界を築き上げたのである。

 このため近代的児童文学は「国民共通の財産」であり。「準宗教」と呼べる物なのである。国民共通の財産だからこど、階級を超えて全ての子供たちが感動するわけだし、その感動の仕方が宗教的な熱狂さを持っているのである。

●死の臭いが漂う物語展開

 今回紹介するのはこの本。

 中島信子著『薫は少女』(岩崎書店)

 この本は絶版のため入手困難で、仕方なく図書館から借りてきた。

 まず冒頭は姉の幸子が結婚することになるのだが、死んだ妹の薫への回想から始まる。回想では花嫁になる女性特有の期待と不安が出ているが、その中で独身最後の夜を薫の部屋で寝たことが明らかにされる。

 薫は18歳という短い人生を送ることになるのだが、その中には「死の配線」が至る所に張り巡らされている。まさに死ぬべくして死んでしまった女性なのである。

 まず「出生の秘密」に問題がありすぎるのだ。父親は第一子が女の子だったので、第二子は男の子を欲しがったのである。そのために男の子用の名前だけを用意していたのである。しかし生まれてきたのは女の子だったのである。それなのにこの父親は嬉しがらず、女の子用の名前を作ることもせず、男の子用に作った「薫」という名前をつけてしまうのである。

 まさに「祝福せざる誕生」なのである。

 薫は生まれつき病弱で何度も入退院を繰り返すような子供だったのである。こういう子供にありがちなのは、必要以上に元気になることであって、幼稚園の時には墓をどかし、骸骨を取り出すということまでやってしまうのである。普通、幼稚園児でこういう子供はいないものだ。

 霊感のある母親なら、「この子は絶対に長生きしない」と瞬時に悟ったことであろう。

 夏祭りの時に母親からお金を貰って出かけるのだが、なんと薫はそのお金を乞食に上げてしまうのである。そのくせ自分は姉から物乞いをして食べ物を買うことになるのである。夏祭りなのに乞食に執着するというのも異常といえば異常なのである。

 薫は小学生になると「食いしん坊」になり、自宅の食事では足りず、他所の家に上がってまで食事をするという異常な行動を取るようになる。作者は日本が戦争に負けて食料が乏しかったからと説明するのだが、話を良く聞いてみると、母親は自分の子供たちにお米を食わしていないのである。パンやお好み焼きやジャガイモなどを食べてさせているのである。これでは蛋白質が決定的に不足するので、薫が食いしん坊になるのも当たり前のことなのである。

 薫が中学生になると政治に興味を持ち始めるのだが、薫は博愛主義者として出発し、挙句の果てには社会主義に洗脳されてしまうのである。社会主義者のお決まりのパターンで、自国の歴史を否定し、祖国に対してなんの誇りも持たず、そして「人間なんかみんな、バッカヤロウだ。みんな死んじゃえ!」と言い放ち、人間の存在そのものを否定していくのである。薫が社会主義に洗脳された後、独身を貫くことを告白するのも、当然といえば当然なのである。

 両親は将来のことを考えて薫を中学から女子校に通わしたのであるが、男っぽい薫は高校生になると女性の英語教師に恋をしてしまうのである。勉強もできるし、政治や社会のことにも詳しいのに、薫は精神的に成長していないということが明らかになってしまうのである。

 この物語の中で一番不気味なのが、飼い猫のミイミが老衰のため弱ってきたので、家族全員で安楽死させることを決め、実行してしまうことなのである。俺は「普通、そんなことするかーッ!」と思ってしまったfが、この直後に薫の死が訪れてくるのである。ということは猫の祟りを食らったとも考えられなくもないのだ。

 薫が通っている学校には女子大もあるのだが、薫は男女共学の大学に行きたいと言い出し、進路変更をしてしまうのである。受験勉強では夜中の2時まで勉強し、しかも朝になれば早くに起きて雪掻きをするという無茶なことをやりまくったのである。

 その結果、薫は熱を出してしまい、寝込むことになる。しかし病状は一気に悪化していき、血を吐いてしまう。救急車で病院に行くがもう手遅れ、肺結核に重度の貧血、それに急性肺炎で死んでしまったのである。

●誰が薫を殺したのか?

 『薫は少女』は飽くまでも児童文学であり、その内容は虚構だから、薫が死んだことに対して詮索しても意味がないであろう。しかしこの本自体、内容がリアルだし、物語のあちこちに「死の配線」が張り巡らされているので、「なぜ薫は死んでしまったのか?」、その意味を問わなくてはならない。

 まず薫は「利己心の塊」で、「夢がない」のだ。というか薫は本能の赴くまま生きているので、それが周囲の人々を明るくさせるのだが、その反面、薫は「世のため」「人のため」「お国のため」に役立とう気が更々ないのである。このような女性は「神の間引き」に遭うのは当然のことなのである。

 薫にとって不幸だったのは、自分の父親が「無責任な父親」だったということなのである。父親は「正義の塊」なので、決して他人を幸せにすることはないのだ。例えば父親は兵士として支那事変で中国大陸に行ったらしいのだが、帝国陸海軍はこの段階では「志願兵」を主力として戦っていて連戦連勝であり、それなのに父親は「戦争に反対だった」とか、「中国では人を殺していない」と言い逃れをしているのである。

 大東亜戦争は典型的な負け戦だったために、この手の無責任な男性たちが大量に出て来たのだが、自分が戦争犯罪者として追及されたくないために、政治家たちに責任を擦り付けたり、祖国の悪口を言ったりするのである。こういう男性は必ずと言っていいほど道徳がなく、社会主義に走るものなのである。だから薫も父親の影響を受けて社会主義に洗脳されてしまうのである。

 こういう父親ならその妻にも問題がある。薫は肺結核で死ぬことになるのだが、肺結核は蛋白質をしっかりと取っていれば罹りにくいものなのである。そのれなのに母親は蛋白質の少ないパンやジャガイモなどを食わしているのである。

 「母親はきちんと食事の管理をしたのか?」というのはその責任が追及されて然るべきなのである。もしもこの母親が娘たちに和食を食べさせていれば、かなり高い確率で肺結核を防げたからだ。お米と味噌汁と魚の組み合わせなら蛋白質はきちんと摂取できたのである。

 こうなってくると、姉の幸子にも疑いの目を向けざるを得ない。この姉妹は実に変なのである。妹の薫は男の子っぽい女の子で勝気である以上、その矛先は必ず姉に向かうものなのである。しかも姉と妹は3歳の差である。兄弟喧嘩するには丁度いい年齢差なのである。

 それなのになぜだかこの姉妹は兄弟喧嘩をしないのである。

 その疑問の答えは薫が死んだ翌朝になって解るのである。姉の幸子は妹の薫が死んだ事に対して、「私は自分の分身を失ってしまったようでした」と告白するのである。こういう言い方は普通の姉妹なら絶対にしない筈だ。双子の姉妹なら有り得るかもしれないが、3歳も離れている姉妹なら、自分の妹を自分の分身などという感覚を持つことなど絶対にないのだ。

 姉の幸子と妹の薫は別の人間ではなく、実は同一の人物なのである。この本の作者の中島信子の人格を二つに分け、本来の自分を姉の幸子にし、そうではない自分を妹の薫に仕立て上げたのである。

 だから薫は死なねばならなかった。姉の自立のために薫は死なねばならなかった。作者の幼稚な部分を全て託された薫は、姉が大学の卒業試験の最中に発熱して、呆気なく死んでしまうのである。大学を卒業すれば最早自分の幼稚な部分など必要ないから、幼稚な薫は死んで行くのである。

 薫が主人公のために薫の死だけに注目がいってしまうのであるが、実は幸子の「女性の自立」というものがしっかりと組み込まれているのである。

●問題点

 『薫は少女』は中島信子にとって処女作であるというから驚きである。処女作にしては巧いのである。物語構成も文体もしっかりとしているので、読み躓くことがないのだ。この『薫は少女』が行き成りヒットしたのもその理由は理解できる。

 彼女は長野県出身で、東洋大学短期大学卒業である。長野県出身の作家というのは、必ずネチっこい作品を書いてきて、物語の中には絶対に笑いが出て来ないのである。彼女も例外なくネチっこい作品を書き、笑える箇所は1つもない。

 児童文学の作家は四年制の大学を出るより、短大卒の方が断然に有利なのである。四年制の大学卒だとどうしても難しく書いてしまうので、それよりも短大卒の人の方が子供たちに解り易い物を書いてくるのだ。

 強いて問題点をあげるとするなら、物語構成が起承転結になっておらず、「序破急」の三段構成になっているということなのである。日本の児童文学の作家たちの多くは文学史や文芸理論をきちんと学んでいないために、起承転結のある物語を書けないのである。

 「序破急」を取った場合、「破」の部分が長くなる。このため薫の人生が延々と綴られるのである。しかしこれだと間延びしてしまうし、しかも別に物語のその後の展開にはなんにも関係ない話が組み込まれてしまい、読者の方が読み疲れてしまうのである。

 薫が死んでから、姉の幸子が結婚するまでにたっぷりと時間があるのだから、だから薫の話を少し削って、薫の死後の話をもっと書き入れれば良かったのである。こうなると一応「起承転結」の形になるので、物語が奥深くなるのである。

●イデオロギーに基づいて作られた児童文学は必ず消えて行く

 『薫は少女』は小学生の時に読んだ時と、大人になってから読んだ時とはその読後の感想がまるで違ってしまうことだろう。小学生の時なら主人公の薫に対して感情移入してしまうので、薫の生き方になんの疑問を持つことなく、薫の死に対して悲しんでしまうことであろう。

 しかし大人になってこの本を読めば、薫を始め、父親、母親、そして幸子の生き方に疑問を持ってしまうのだ。「幾ら男の子が欲しかったからといって、自分の娘に男の子用に用意した名前をつけるか?」「なんで母親は食事管理をしっかりしないのだろう?」「なんで姉妹で兄弟喧嘩しないのであろう?」と、幾らでも疑問が生じてきてしまうのだ。

 そしてその最たる物が作者は社会主義の基づいて作品を作ったということなのである。社会主義が全盛だった頃はこういう「プロレタリア児童文学」も売れたであろうが、社会主義の失敗が明らかになった冷戦終結後以降に於いて、社会主義に基づいて作られた作品は消え行く運命にあるのだ。

 はっきりといってしまえば、イデオロギーに基づいて作られた児童文学は絶対に児童文学の古典にはならないのだ。児童文学は飽くまでも国民文学なのであって、国家を否定するものではないのだ。しかも児童文学は準宗教というべきものであって、宗教性がなければ子供たちは読み継いでいかないのだ。

 現在、日本の児童文学は衰退の一途を辿っているが、俺に言わせればそれは当たり前のことなのである。社会主義に基づいて児童文学を作っているから、まともな児童文学になりえす、子供たちが離れていってしまうのである。

 そこで登場してきたのがフェミニズム児童文学であって、「強い女の子」を打ち出してきたり、「性同一性障害を持つ子を」出してきたり、挙句の果てには「女性同士の同性愛」を出してくるのである。考えてみれば、『薫は少女』でも薫はこれらの要素を全部持っているのである。つくづく「フェミニズムというのは女たちの社会主義である」ということが解るものだ。

 児童文学を読む時は、自分が子供の時だけ読むのではなく、自分が大人になってからも読むべきなのであるということを忘れないようにしよう。そういう事をやっていれば、子供の時には楽しめた物でも、大人になってからは詰まらないという物も出てくるし、子供の時には気づかなかったが、大人になってから気づく事もあるのである。

 『不思議の国のアリス』も『赤毛のアン』もその吟味に耐えたからこそ、未だに読まれるし、子供が読んでも面白いし、大人が読んでも面白いのだ。『薫は少女』は絶対にその風雪に耐えられる物ではない。しかしそれだからダメではないのだ。本と言うのは良書から教えられることもあるが、消えて行く本からも教えられることもあるのだ。何を掴み取るかは、自分の読解力にかかっているのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (8) | トラックバック (22)

ロンドンオリンピックで考えたスポーツ哲学

●勝ちっ放しはありえない

 アマチュアスポーツとプロスポーツでは、スポーツとして決定的なことが違う。それはアマチュアスポーツでは勝ちっ放しを強いられるということだ。これに対してプロスポーツは負けてもいいから勝ち越せばいいのである。

 極端な話、プロスポーツでは例えば年間100試合をやるのなら、51勝49敗でもいいのである。勝ち越しているので、プロとしてはこれで合格なのである。その上で優勝したいのなら、敵のチームより多くの勝ち星をあげればいいのだ。負けてはならないことなど一度たりとも強いられないのだ。

 ところがアマチュアスポーツでは負けることが許されないのだ。勝ちっ放しが要求されるので、一度でも負けたらもうその時点で終わりなのだ。これがリーグ戦とトーナメント戦の違いであるのだ。アマチュアスポーツでは常に真剣勝負にならざるをえないのである。

 しかしこの世には勝ちっ放しなどというものはありえない。どんなに強い選手だって、時には負けるものなのである。だがそれは許されないのだ。だからみんな無理をしてしまう。それゆえアマチュアスポーツではプロスポーツでは有り得ないような高記録が出てくると同時に、怪我の発生率も極端に高くなるのだ。

 しかもオリンピックは4年に1度しかやってこない。オリンピックで負けてしまえば、次のオリンピックまで4年も待たなければならないのだ。「オリンピックには出ることに意味がある」と思っているような選手ならそれでもいいが、オリンピックでメダルを取りたいと思っている選手はオリンピックに出るに当たって、充分な対策を施しておかねければならないのだ。

●試合の前に運を使うな

 オリンピックに出場するなら、「スポーツの世界で勝ちっ放しはありえないんだ」と肝に銘じることだ。その上で、その有り得ないことをオリンピック選手はやらねばならないのである。ではそのために必要なことは何かといえば、「運を大事にする」ということだ。

 オリンピックでメダルを取るためには実力だけでは取れない。運が必要なのである。このことはメダルを取った選手なら誰でも言うものだ。逆にオリンピックでメダルを取れなかった選手は、「オリンピックには魔物が住んでいる」というものだ。運を軽視するからこそ、本来なら勝てる試合も勝てなくなってしまうのである。

 オリンピック選手は試合前に運を使うべきではないのだ。運を出来る限り温存しておくべきなのである。賭博など一切しないようにすることだ。パチンコや競馬競輪競艇などをやってしまえば運を使ってしまい、大事な試合で運がなくなってしまうのである。

 オリンピック選手がバラエティ-番組に出演するなどというのは以ての外なのである。ロンドン五輪ではその直前に日本テレビで有名なオリンピック選手たちを集めてバラエティー番組を作ったが、このためにこの番組に出演した多くの選手たちが無様な結果に終わってしまったのである。

 特に司会者の明石家さんまに求愛された田中理恵は最も悲惨で、その美貌と美しい演技力があるのに、オリンピックの本番ではミスを連発し、メダルを取るのを逃してしまったのである。オリンピック選手がバラエティー番組に出ても、芸能人たちに運気を吸い取られるだけであって、そのためにオリンピックで有り得ない失敗を犯してしまうことになるのだ。

●五輪だからこそ80%の出力で戦う

 トーナメント戦では勝ち続けなければならないのだが、そのためには絶対に100%の力を出さないようにすることだ。完全燃焼は確実に負けるのである。しかも実力以上のものを出せば怪我をするものなのである。

 オリンピックではその出力を80%に抑えるべきなのである。誰もがオリンピックだから力を出しすぎてしまい、それで自滅して行くのだ。実力の80%で戦えば、常に余力を残した状態にあるので、多少の無理は利くのである。試合をやっていれば、必ず相手が凡ミスをするので、そこを突いて一気に攻め込めば、簡単に勝ててしまうものなのである。

 実力の80%で戦うためには、なんといっても実力そのものを上げていかなくてはならない。だから「練習は試合のように真剣に行い、試合は練習のようにリラックスして行なう」べきなのである。日々の練習で手抜きをしているからこそ、試合で悲惨な目に遭ってしまうのである。

 オリンピックでメダルを取れるほどまでに実力を高めておかないと、いざ試合に出た時には緊張してしまい、普段の自分では絶対に有り得ないミスを犯してしまうものなのである。緊張は大敵なのである。オリンピックに出る以上、緊張するのは解っているだから、その対策は充分にしておくべきなのである。

 オリンピック選手は肉体的トレーニングだけではなく、精神的トレーニングをもやるべきなのである。自分の精神というのは或る程度までなら自分の意思で制御できるものなので、その制御方法を習得してしまい、試合に出た時に緊張するとかいうことは起こらなくなるのだ。

 日本のメダリストたちの中には「不動心」という言葉を座右の銘にしてる人たちが多い。オリンピックでは心がブレるものなのである。逆に言えば心がブレなければそれで勝利が確実になるのである。オリンピックに出れるからといって、浮わっつらいた態度でいれば負けるのは当然のことなのである。

●スポーツ以外の大事なものに力を入れる

 自分がスポーツの分野で勝ちっ放しにするためには、スポーツ以外の分野では負けておくことだ。メダルを取り、怪我をしたくなければ、スポーツ以外の大事なものに力を入れるべきなのである。これは遠回りに見えるかもしれないが、これこそが最も近道なのである。

①宗教

 オリンピック選手にとって宗教は殊の外、大事である。宗教心があれば、運が増強されるし、自己統御もできるようになるので、試合でj確実に勝てるようになるのだ。時折、宗教熱心なのに負けてしまう選手も出てくるが、それは宗教熱心な余りに神のために戦うのではなく、自分のために戦うようになってしまうからなのである。

②愛国心

 オリンピックの歴史で解ることは、開催国のメダル獲得数が多くなることと、愛国心の強い国家のメダル獲得数が多くなるということだ。日本では柔道が強いものだが、優秀選手を輩出する柔道場には必ず「日の丸」が掲揚されているのである。

③慈善活動

 慈善活動は地味な活動ではあるが、自分のマイナスの運気を清算するには劇的な効果を発揮する。オリンピック選手だからこそ、スポーツを通じて慈善活動を行なうべきなのである。日本のサッカー選手たちはこのスポーツを使った慈善活動をやり続けたからこそ、強くなっていったのである。 

 今回、三宅宏美はウェイトリフティングで銀メダルを獲得したが、その直後に、「父親の実家がある宮城県に行ってボランティア活動をしたい」と初発言したが、こういう心掛けがあるからこそ銀メダルを取れたのである。父親が銅メダルで、娘が銀メダル。となれば孫は金メダルになっていくものなのである。

④家族

 オリンピックに出るような人は子供の頃からそのスポーツをやっていた筈だ。当然に親がその資金を出したのである。だから親孝行をするのは当たり前のことなのである。親孝行というのは想像以上に強いパワーを出すものなのである。

 オリンピック選手が結婚しているのなら、その妻子の支援なくして絶対にそのスポーツを遣り続けることはできない。だから妻をきちんと愛し、良き父親として振舞うべきなのである。結婚しているだけで、最早、自分1人の力で戦っているのではなくなるのだ。

⑤支援してくれた人たちに感謝

 スポーツを遣り続けるためには、とにかくお金がかかるものだ。そのお金を出してくれた人たちに感謝をするべきなのである。メダリストたちは全員がこのことに関しては感謝の言葉をきちんと述べている。逆に言えば、きちんと感謝できたからこそ、メダルを取れたということなのである。

 今回のロンドンオリンピックでは反省すべき点は非常に多い。しかもスポーツの根幹に関わるような所に問題点を発生させているのだ。日本のマスコミは五輪開始前にはいつも調子いいことばかり言うが、実際の結果は常に悲惨なのである。もういい加減に、日本のマスコミこそがメダル獲得に対して妨害しているということに気づいて欲しいものだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (6)

節約こそ豊かな生活を実現する

●慶応大学は大学ではない

 俺は大学生の頃、様々な学術書を読んだが、慶応大学の教授が書いた学術書だけは読んだことがなかった。法学部の学生だったので、法学関連の学術書で重要と思われる物は全部読んでいたので、なぜ慶応大学の教授が書いた本だけがないのか不思議に思っていた。

 大学を卒業してから、法学に囚われず様々な分野の学術書を読むようになったが、そこで解ったのは慶応大学の教授が書いた学術書は非常にレベルが低いということなのである。「この本、下らなぇ~な」と思って著者の経歴を見たら、やっぱり慶応大卒で慶応大学教授なのである。

 なんでこんなことになってしまったのかというと、それは慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉に原因がある。福沢諭吉は緒方洪庵の「適塾」を真似て慶応義塾を作るのだが、その後、イギリスのパブリックスクールを手本にして大学を作ったのである。

 この時点で、福沢諭吉は大いなる勘違いをしているのだ。

 パブリックスクールは日本でいうなら中学や高校に相当するものなのであって、大学に相当するものではないのだ。このため慶應義塾大学は形式上「大学」なのに、実質的には「大学としては機能しな」いという、とんでもない事態が発生してしまったのである。

 しかもイギリスのパブリックスクールの教師たちは全員が「予備役将校」なのであって、学校に於いて軍事教練を行なうのである。学校で将校を養成して、有事の際には軍隊に志願して、戦争に参加するようにしているのである。そうやって生徒たちに「高貴なる義務」を教え込み、果たそうとしているのである。

 それなのに慶應義塾大学ではパブリックスクールの軍事的要素を抜いてしまっているのである。だから慶応大学の卒業生たちは有事の際になんの役にも立たないのである。福島の原発事故の際、東京電力の社長だった清水正孝は慶応大学出身だったのであるが、なんで彼が無責任極まりない態度を取ったのかといえば、慶応大学で軍事訓練を受けて「高貴なる義務」を持たなかったからなのである。

●金持ちが考えることは皆同じ

 慶応大学はどんなに頑張っても、中高レベルの教育しか行なえない大学モドキであり、その卒業生たちは無責任極まりない態度を取る悪質な大学なのである。ところがこの慶応f義塾大学は金持ちの子弟たちが多く通う大学のである。

 このため、慶応大学出身者が書いた本にはまともな本がないのだが、お金に関することだけは傾聴に値することを或る程度言っているのだ。お金持ちたちが考えることは皆同じなのである。「節約こそ王道」であるのだ。

 そこで今回紹介する本はこれ!

 林望著『節約の王道』(日本経済新聞出版社)

 節約の王道

 林望というのは慶応大学の大学院卒である。学問的には優れた成果はないが、『イギリスはおいしい』という随筆集で日本エッセイストクラブ賞を取ったことがある。

 お金の遣い方にはその人の価値観が現れるものだ。その際、たった2つのパターンしかない。それは「見栄を張って無駄遣いをする」か、「しっかりと≪自分の軸≫を持って、適切な生活を賄って行くか」、たったそれしかないのだ。

 人間というのは見栄を張らないだけで、逆に豊かに暮らしていけるものなのである。例えば豪華な結婚式や、地価の高い場所に住むことや、高級車やブランド品、葬式の際の戒名など、そうやって見栄を張るからこそ、お金が逃げて行くのである。

 今から結婚しようとする男女は大抵お金など持っていないものだ。だったら質素に結婚式を挙げればいいのである。自分たちで手作りの結婚式を挙げれば、費用は数十万円で済むことであろう。それなのに高級ホテルで結婚式を挙げるからこそ、その費用は一気に10倍に膨れ上がり、数百万円もすることになってしまうのである。

 結婚した時点で見栄を張っていれば、その後の結婚生活も見栄を張りっ放しだ。分不相応の高級な衣服を着たり、グルメに走ったり、若いのに高級住宅に住んだりすることになるのだ。当然に家計は火の車であり、働けば働くほど貧乏になっていくのである。

●節約すると生活は豊かになる

 節約というのは貧乏だからやるのではないのだ。貧乏人であろうが金持ちであろうがやるべきなのである。節約はお金持ちになれる王道なのである。だから貧乏人が節約をすればお金持ちになっていくし、お金持ちが節約すれば更に大金持ちになっていくのである。

 節約の凄さは節約をすればするほど生活が豊かになってしまうということなのである。

 例えば食事に関して節約をすれば、その食事は食材を使い切る食事にならざるをえない。そういう料理は絶対にグルメではない。健康食そのものである、ということはそのような食事を食べていれば病気にはならないということなのである。

 衣服に関して節約するとなると、紳士服などは特注品を買った方が得なのである。特注品で作った服はまず壊れないので、一生使えるのである。一方、普段着に関してはノンブランドでも構わないのである。常に高価な服を着ることほど無駄なものはないのだ。

 夫婦にとって住宅は人生最大の買い物になる。だから建築士に任せてしまわないで、自分たちで考え抜くべきなのである。そうやって考え抜いた住宅は住み易いものだし、自分たちが引っ越した時には高く転売することができるようになるのである。

 節約をする者にとって虚礼ほどバカらしいものはない。飲み会を頻繁に行なっていたら、貧乏に成るのは当たり前なのだ。それに飲み会に参加した所で仲良くなるものでもないのだ。だからその手の虚礼はバッサリと切り捨てるべきなのである。そうなると正しい交際ができるようになるのである。

●節約の要諦

 この本は慶応大学出身者が書いた本であるために、全ての意見に納得することはできない。中には「この意見おかしいぞ」というものが多々ある。しかしそうであったとしても、節約に関して参考になるものは多いのだ。

 節約の要諦というのは、「自分の生活を直視せよ」ということなのである。自分の生活を直視できれば、生活の無駄を削ぎ落とし、必要なものに集中的にお金を使うことができるようになるのだ。価値ある物にお金を出せば、そのお金は「生き金」になるので、収入が増えて行くことになるのだ。

 そういった意味で教育こそ最大の投資であるのだ。良い教育を施すためには子供の数を増やし、子供たち同士で切磋琢磨させることだ。子供が1人jだと、子供の能力はどうしても伸びてこないものなのである。

 お稽古事をやらせるなら、一点集中して、月謝を惜しまないようにすることだ。お稽古事を複数やらせても、子供の能力は伸びてこないのだ。お稽古事を1つに絞るからこそ、その道で精進していくことができるのである。

 学校教育に関しては親がしっかりとした方針を決めるべきなのである。公立と私立とではまるで違うし、学校ごとに校風が違うものだ。偏差値だけを見て自分の子供が行く学校を決めてはならないのだ。自分の子供とその学校の相性が悪ければ、学力が伸びないのは当たり前なのである。

 通常、普通の会社員たちの生涯年収は数億円と言われている。どんなバカでもこの程度のお金を稼ぎ出すものなのである。実に教育とは効率のいい投資なのである。だからよりレベルの高い教育を受けさせてしまえば、数十億、数百億、数千億という巨額のお金を稼ぎ出すようになるのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (2) | トラックバック (7)

作家の確率論 塩野七生著『十字軍物語』

第三弾は大人向け

●如何なる作家も打率は3割どまり

 作家は自由に作品を作っていると思っていても、「確率論」による拘束から免れない。如何なる作家も打率は3割どまりであり、どんなに頑張ったとしても、出来のいい作品は全体の作品の内、3割までしかないのだ。

 例えば或る特定の作家が好きで、その作家の全集を読んだりすれば解るが、全集を読んだ所で面白いと思えるのは最大で3割であり、それ以外の7割は詰まらないものなのである。中には「この作家が本当にこんな駄作を書いたの?」と思えるものすら存在するのだ。

 数で勝負している限り、絶対に勝ち目はないのだ。人気のある作家は常に或る一定レベルの作品を作り続けなければならないのであって、当然のことであるが駄作を書いていけば、人気は低下していき、廃業を強いられることになるものなのである。

 しかし作品数で勝負するのではなく、時間で勝負し始めると、この確率論は違った様相を見せ始めることになる。「80対20の法則」を使えば、1年の内、執筆に最適な時間はせいぜい「3ヶ月間程度」なのである。だったら、その期間だけ執筆し、それ以外には執筆しなければ、常にレベルの高い作品を作ることができるようになるのだ。

 アメリカのように出版市場が巨大であれば、1年に1作品出しても充分に生活できるのである。事実、アメリカで有名な作家は1年に1作品が普通なのである。1年間かけて質の高い作品を作ってしまえば、その作品を確実にロングセラーに持っていくことができるのである。

●塩野七生の凄さ

 ところが日本の出版市場は小さいのだ。このため日本の作家は年に長編小説を3本か4本を書かねばならないのである。だからこそ日本の作家は作品数が多くても、その作品の質が低いのである。作品数を無闇に多くしている限り、作品の質は上がらないものなのである。

 このことを最初に気づいたのは「三島由紀夫」で、『鏡子の家』を1年間かけて作り、それで1年分の生活費を賄おうとした。しかしこれが巧くいかず、結局、普通の日本の作家たちのように作品数を量産する生活に戻ってしまったのである。

 もしも三島由紀夫が1年に1作品の遣り方で成功していたのなら、三島由紀夫の人生は相当に変わった筈だ。1年に1作品、質の高い作品を作り、それで生活費を賄うことができれば、後は気楽に生きてくことができたからだ。それが出来なかったからこそ、良からぬ方向に進んでしまい、最終的には割腹自殺を遂げてしまったのであろう。

 だが日本で1年に1作品をやってのけた作家がいる。それが「塩野七生」なのである。塩野七生は『ローマ人の物語』以降、1年に1作品を作るようにし、このために作品の質が一気に上がったのである。しかも質が高いからこそ、確実にロングセラーに持ち込むことができるのである。

 今回紹介するのは、塩野七生の『十字軍物語』である。これも1年1作品で書いているので、実に質が高い。十字軍のことを理解したいのなら、この1冊で充分なのである。しかも余計なことが書かれていないので、実に読み易いし、読後の印象が物凄くいいのだ。

  十字軍物語(1)

●世界史の授業で十字軍を知ったかぶり

 西ヨーロッパでもアメリカでも、十字軍のことは物凄く詳しく知っている。それなのに日本では十字軍のことなど名前程度しか知らないのだ。これがキリスト教国と、そうでない国との違いなのだ。十字軍による戦争は撒くまでもキリスト教徒たちが一方的に起こした戦争なので、キリスト教国以外では非常に理解しにくいものなのである。

 高校で世界史を取ったのなら、十字軍のことを学ぶであろう。しかし十字軍に関する授業は1回で終わりであろう。その内容を突っ込んで勉強することもない。このため十字軍のことを知っている人たちほど、十字軍の話を知ったかぶりしてしまうのである。

 日本人であるなら、絶対に十字軍の話は理解していないのだ。

 まずキリスト教のような一神教の場合、異教徒たちを殺すことは正義なのである。この大前提を知っていないと、十字軍の話は珍紛漢紛なのである。だから十字軍の戦争では大量虐殺が付き纏うことになるのである。

 それとローマ教皇はそれほど強力な権限を持っていたわけではないということだ。当時のヨーロッパは言わば群雄割拠の状態にあって、ヨーロッパ諸国に大国がなかったからこそ、ローマ教皇の地位が相対的に高くなるという現象が生じたのである。

 しかも十字軍の言い出しっぺはローマ教皇ではなく、ビザンティン帝国皇帝なのである。ではなんでビザンティン帝国皇帝が言い出したのかというと、それはセルジュークトルコ帝国が侵略してきたからなのである。

●十字軍は一枚岩ではない

 十字軍は一枚岩の軍隊ではないのだ。各国からの寄せ集めの軍隊に過ぎないのである。このため戦争がなかなか巧く行かないのである。つくづく戦争というのは、兵力よりも、組織だった軍事組織の方が大事なのだと言うことが思い知らされる。

 この十字軍では各国の国民性がモロに出ている。

 まずイギリス人の戦争の巧さである。イギリス人が参加した十字軍では常にイギリス人が活躍し、勝利に導いているのだ。戦争するために事前にきちんと準備をし、兵站を確実に確保し、いざ戦闘が始まれば勇気を発揮するのだ。

 これに対してフランス人は戦争が下手糞で、勝てる筈の戦いですら勝利を逃すことが度々なのである。しかもフランス人は運がないのだ。フランス軍は十字軍の中心的役割を占めていたのに、なぜだか足を引っ張っているようにしか見えないのだ。

 ドイツ人は近代以降のドイツ人と違って、実行不足が非常に目立つのである。これは神聖ローマ帝国が選帝侯の集まりで出来ていたためで、イギリスやフランスほどには君主の権力が強くなかったからなのである。

 十字軍が実際に中東に行ってみると、イスラム教徒たちの激しい抵抗に会い、戦争ではどうにか勝利を収めても、結局は共存共栄を望むようになる。戦争では損害が激しいのであって、それよりも貿易をした方が儲かるのである。

 しかし共存共栄は信仰によって打ち破られる。イスラム側に奴隷王朝が成立すると、イスラム教への信仰が強いために、キリスト教徒を全て追い出すという方向に転換するのである。これによってキリスト教徒たちは中東から追い出されることになるのである。

●ローマカトリック教会の没落

 世界史の授業では、十字軍の失敗によって教皇権力の失墜が起こったと教えられる。これが大嘘なのである。十字軍が失敗に終わっても、ローマ教皇の権力はビクともしなかったのである。一神教の世界では戦争に負けようが勝とうが、そんなことは大して関係ないのである。

 ローマ教皇の権力が失墜するのは、ローマ教皇によって神聖ローマ帝国を弱くさせすぎたからなのである。ローマ教皇の権力が強かったのは、ヨーロッパに覇者がいなかったからなのである。それなのにローマ教皇は神聖ローマ帝国を弱体化させてしまい、それによってフランス王国の権力が増大し、フランス国王によってローマ教皇が捕らえられるのである。

 その瞬間からローマ教皇の権力は失墜していくのである。

 イギリスでは十字軍の最中にマグナカルタが制定され、「法の支配」が確立され始めるのである。しかも議会に於いて下院の基礎が出来たり、ウェールズを併合したりと、着々と国力を増強していったのである。

 だからイギリスとフランスが二大強国として登場し始めるのだ。その結果、何が起こったのかといえば、百年戦争であって、イギリスとフランスがなんと115年間に亘って戦争を繰り広げることになるのだ。

 その間隙を突いて、貿易の利権に入り込めなかったスペインやポルトガルが大西洋に進出し、大航海時代に突入するのである。その連中が戦国時代の日本にやってくるのだから、日本と十字軍は無縁ではないのだ。地球は繋がっているのである。

●十字軍の歴史は繰り返す

 十字軍の歴史は歴史の中だけに存在するのではないのだ。十字軍の歴史は必ず繰り返すのである。キリスト教が存在する限り、イスラム教を敵視するのは変わりないのであって、キリスト教とイスラム教の戦いは延々と続くのである。

 まず近代になって西ヨーロッパ諸国はオスマントルコ帝国を滅亡させている。これに対してイスラム教徒たちはイスラム国家を各地に独立させている。これらの国家はどれもイスラム教の影響が以前よりも遥かに強い国家なのである。

 しかも中東にユダヤ教徒たちが入植してきて、イスラエルを建国したので、それで中東戦争が何度も勃発するのである。中東はいつも戦火の臭いがするが、ユダヤ教徒たちが中東から去っていかない限り、この戦いは絶対に収束しないのだ。

 更にはアメリカはアラブの石油利権で莫大な富を生み出しているので、アラブ諸国が不穏な動きをすればすぐに戦争に持ち込むのである。それが湾岸戦争であり、対イラク戦争なのである。よりによって日本はアメリカの同盟国として戦費を負担する羽目になってしまったのである。

 こうしてみて来ると、十字軍の歴史を知っていないと、国際情勢すらも理解できないのである。高校の世界史の授業が如何に低レベルかが解ることであろう。だから『十字軍物語』でも読んで、しっかりと自分で勉強しないといけないのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (2) | トラックバック (0)

10代だけにしか解らないこと、出来ないこと。 タクロウの『胸懐』

第二弾は中学生と高校生向け

●人間の原点は常に家族!

 音楽家の書いた本は当たりが非常に多い。歌を歌うなり、楽器を演奏すると、脳が巧く刺激されるので、言語能力が高まるのである。逆に言えば音楽家なのに「価値のある会話」をできない人は音楽家としても最低レベルにある人なのである。

 今回紹介する本はこれ

 RAKURO著『胸懐』(幻冬舎)

  胸懐

 音楽家でもクラシックに進む人は、家庭が裕福で、子供の頃から英才教育を受けて音楽家になっていくものだ。しかしロックに進む人は裕福ではないし、普通の教育を受けて、或る時期までは平凡な人というのが多いのだ。それが或る日、ロックに目覚めるのである。

 タクロウも普通の男の子で、ただ少し違っていたのは、彼の家が母子家庭であったということなのである。彼が3歳の時に父親が交通事故で亡くなってしまい、それ以降、タクロウの家族は貧乏の中で過ごすことになる。電気やガスや水道が止めれたというくらいだから、余程貧乏したのである。

 タクロウが一番嫌だったのは、保育園に行って母親が迎えにくる時間が格段に遅かったことなのである。いつも独りぼっちで最後まで残り、一番最後に帰る羽目になるのだ。このため夜に大泣きしたり、朝に腹痛を起こしていたりして、母親を困らせていたのである。

 母親としても子供を2人も女手1つで育てなければならないので大変だったのだろうけど、歌を歌って憂さを晴らしていたのである。それをタクロウが見ていて、音楽がなくても人は生きていけるが、音楽は人を幸せにする力を持っていることに気づくのである。

●才能と技能

 人間の能力には「才能」と「技能」の2種類がある。才能は天性の物で、生まれつき備わっている能力なのである。それに対して技能は後天的な物なのであって、人為的に身につけて行く能力なのである。

 技能であるなら教育を受ければ身につけることができる。しかし才能は教育を不要とするのである。或る日、突然に開花するのである。タクロウも中学生の或る日に突然に作詞の能力に目覚め、それをノートに書き綴って行くことを繰り返すようになるのである。

 その者に才能があるかどうかは、かなり後になって気づくものではない。早くに気づくものなのである。脳の構造からいえば、16歳以前で判明してしまうものなのである。だからこの世に生まれてから、16歳になるまでの時間は非常に大事なのである。

 音楽家の場合、子供の頃から音楽教育を受けても、ただ単に歌唱したり演奏したりするだけで終わってしまう人と、それだけではなく作詞作曲ができて新たな歌を生み出せる人とに分かれる。これが才能と技能との違いなのである。

 音楽家になるならまずは物真似から始めなければならない。それが一番上達を早くするのだ。しかし物真似は大事だけど、物真似だけでは自分の才能を発揮することができなくなる場合もあるということなのである。タクロウは英才教育を受けていなかったからこそ、自分の才能が潰されるということがなかったのである。

●「友情の大切さ」と「友情による疎外」

 ロックバンドは1人ではできない。必ず何人かのメンバーたちを必要とするのだ。その際に重要になってくるのが「友情の大切さ」なのである。ロックバンドの場合、絶対といっていいほど、ロック好きの友達が集まってバンドを作ることになる。

 GLAYの場合も例外ではなく、タクロウを中心に、テル、ヒトシの3人で結成することになる。その1年後にヒサシが入ることになる。全部、タクロウ絡みの友人たちなのである。演奏で呼吸が合うためには、仲が良くないと絶対にできないものなのである。

 しかし高校を卒業すると、ヒトシが脱退してしまう。ヒサシは家族で東京に引越ししてしまう。しかもテルが早々と東京に就職を決めてしまい、函館を去ることになる。タクロウもそれを追いかけるように上京することになるのである。ロックバンドをやった者なら誰もが経験する最初の試練だ。

 GLAYは活動療育を広げるためには上京したのではなく、高校卒業ということで無理矢理に東京に移転したのである。当然に東京の人たちはGLAYを知らないのだから、ライブをやってもお客が入らない。お客が入らないから貧乏になるという悪循環を繰り返すのだ。

 GLAYはバンドとして致命的な問題を抱えており、タクロウとテルとヒサシの3人の友情が固すぎ、外から新たなメンバーが入って行くことができないということだ。このため新たなメンバーを迎えても、すぐに脱退してしまうということを繰り返すのである。だから音楽性が発展していかなかったのである。

 だが函館出身のジロウが入ると、ジロウは巧くGLAYに溶け込み、GLAYの音楽性をも変えて行くことになる。GLAYのファッションが出来上がったのもこの時期であり、ジロウは有名なタイブハウスに出れるように交渉したり、レコード会社にデモテープを送ったりとGLAYをメジャーデビューさせるべく、大活躍することになるのである。

●チャンスは1度きり

 ジロウの活動が功を奏したのだか、XのヨシキがGLAYを知ることになったのである。ヨシキはエクスタシーレコードというインディーズレーベルを持ってたので、GLAYを自分のレコード会社からデビューさせようとしたのである。

 ヨシキはわざわざGLAYのライブに足を運び、ライブの後にタクロウに声をかけ、「もし時間があったら、うちの事務所まで来ないか?」と言う。そしてデビューの話がトントン拍子で進むのである。ちなみにこの当時、GLAYは観客動員数が150名程度の小さなアマチュアバンドだったのである、

 つくづくこの世では、チャンスは一度きりなのであるということが解る。チャンスはそう何度も巡ってこないのである。ジロウを新たなメンバーに加えてGLAYに変化が起こり、ジロウの活躍によってヨシキがGLAYを知ることになり、そしてデビューしてしまったのである。

 GLAYはロックバンドブームの最後の時期に出て来たバンドなのである。この後、ロックバンドブームが去り、ロックバンドの大量死が発生するのである。もしもあのままアマチュアバンドとして続けていたら、GLAYだって貧乏のためにギブアップしてしまったのである。

 GLAYはチャンスを掴んで巧くデビューした。だからといって売れまくったわけではないのだ。ヒット曲に恵まれなかったのである、しかもロックバンドブームは去りつつあるのだ。しかしデビュー3年目にしてやっとヒット曲を出せたのである。これもあの時にデビューしていたからこそできたことなのである。

●タクロウの思想の問題点

 タクロウはGLAYといロックバンドを率いるアーティストであって、哲学者ではない。自分の思考を突き詰めてまで考えたことはないのだ。しかしそれでも人間である以上、何かしらの思想を持つものなのである。

 タクロウは子供の頃に「永遠なんてない」ということを悟ってしまう。切っ掛けは母親が自分といつまでも一緒に寝てくれないからだった。母子家庭ゆえの愛情不足がタクロウに永遠というものは人間が作り上げたフィクションであると思い込ませてしまったのである。

 少しでも宗教のことを知ってる人なら、「この思想は仏教だな」ということが解ることであろう。物事に執着するからこそ煩悩が生じるのであって、全ての物は変化していくと思えば不幸はなくなるのである。

 タクロウはデビューしてからアイスランドで撮影を行い、その荒涼たる景色を見て、「生きて行くことは、愛することであり、愛されることである」という人生の真理を悟ってしまうのである。この思想は言わずと知れたきりスト教に基づくものである。

 しかしタクロウの意見を鵜呑みにしてはならな、タクロウはこの時期、タクロウを支えてくれた恋人と別れた時期なのである。しかもこの女性がいたからこそタクロウは名曲を書けたのに、タクロウの方から振ってしまうのである。

 つくづく愛を人生の真理に置く人は、「恋人を愛し切れなかった」という経歴を持つ連中だということが非常に良く解る。恋愛に於いて愛は必要だけど、それだけではない筈だ。お金も必要だし、厳しさも必要だし、幸福感というのも必要なのである。

 GLAYが日本で爆発的にヒットしたのは、タクロウの思想が仏教をベースにキリスト教を加味したものだったからかもしれない。しかしそういう思想は無理があるのであり、いずれは破綻してしまうものなのである。仏教の教義からすれば、愛は執着の1つなのである。キリスト教の教義からすれば、永遠は存在するものなのである。

 タクロウの著書『胸懐』はその中には素晴らしい言葉も多数書かれてある。しかし思想的には問題点が多すぎるのだ。それをどう読み解いていくかは、本人の読解力次第なのである。鵜呑みにするようではダメなのである。自分がしっかりと考えて読まねばならないのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2

販売元:メガハウス
発売日:2010/08/25

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »