作家の確率論 塩野七生著『十字軍物語』
第三弾は大人向け
●如何なる作家も打率は3割どまり
作家は自由に作品を作っていると思っていても、「確率論」による拘束から免れない。如何なる作家も打率は3割どまりであり、どんなに頑張ったとしても、出来のいい作品は全体の作品の内、3割までしかないのだ。
例えば或る特定の作家が好きで、その作家の全集を読んだりすれば解るが、全集を読んだ所で面白いと思えるのは最大で3割であり、それ以外の7割は詰まらないものなのである。中には「この作家が本当にこんな駄作を書いたの?」と思えるものすら存在するのだ。
数で勝負している限り、絶対に勝ち目はないのだ。人気のある作家は常に或る一定レベルの作品を作り続けなければならないのであって、当然のことであるが駄作を書いていけば、人気は低下していき、廃業を強いられることになるものなのである。
しかし作品数で勝負するのではなく、時間で勝負し始めると、この確率論は違った様相を見せ始めることになる。「80対20の法則」を使えば、1年の内、執筆に最適な時間はせいぜい「3ヶ月間程度」なのである。だったら、その期間だけ執筆し、それ以外には執筆しなければ、常にレベルの高い作品を作ることができるようになるのだ。
アメリカのように出版市場が巨大であれば、1年に1作品出しても充分に生活できるのである。事実、アメリカで有名な作家は1年に1作品が普通なのである。1年間かけて質の高い作品を作ってしまえば、その作品を確実にロングセラーに持っていくことができるのである。
●塩野七生の凄さ
ところが日本の出版市場は小さいのだ。このため日本の作家は年に長編小説を3本か4本を書かねばならないのである。だからこそ日本の作家は作品数が多くても、その作品の質が低いのである。作品数を無闇に多くしている限り、作品の質は上がらないものなのである。
このことを最初に気づいたのは「三島由紀夫」で、『鏡子の家』を1年間かけて作り、それで1年分の生活費を賄おうとした。しかしこれが巧くいかず、結局、普通の日本の作家たちのように作品数を量産する生活に戻ってしまったのである。
もしも三島由紀夫が1年に1作品の遣り方で成功していたのなら、三島由紀夫の人生は相当に変わった筈だ。1年に1作品、質の高い作品を作り、それで生活費を賄うことができれば、後は気楽に生きてくことができたからだ。それが出来なかったからこそ、良からぬ方向に進んでしまい、最終的には割腹自殺を遂げてしまったのであろう。
だが日本で1年に1作品をやってのけた作家がいる。それが「塩野七生」なのである。塩野七生は『ローマ人の物語』以降、1年に1作品を作るようにし、このために作品の質が一気に上がったのである。しかも質が高いからこそ、確実にロングセラーに持ち込むことができるのである。
今回紹介するのは、塩野七生の『十字軍物語』である。これも1年1作品で書いているので、実に質が高い。十字軍のことを理解したいのなら、この1冊で充分なのである。しかも余計なことが書かれていないので、実に読み易いし、読後の印象が物凄くいいのだ。
●世界史の授業で十字軍を知ったかぶり
西ヨーロッパでもアメリカでも、十字軍のことは物凄く詳しく知っている。それなのに日本では十字軍のことなど名前程度しか知らないのだ。これがキリスト教国と、そうでない国との違いなのだ。十字軍による戦争は撒くまでもキリスト教徒たちが一方的に起こした戦争なので、キリスト教国以外では非常に理解しにくいものなのである。
高校で世界史を取ったのなら、十字軍のことを学ぶであろう。しかし十字軍に関する授業は1回で終わりであろう。その内容を突っ込んで勉強することもない。このため十字軍のことを知っている人たちほど、十字軍の話を知ったかぶりしてしまうのである。
日本人であるなら、絶対に十字軍の話は理解していないのだ。
まずキリスト教のような一神教の場合、異教徒たちを殺すことは正義なのである。この大前提を知っていないと、十字軍の話は珍紛漢紛なのである。だから十字軍の戦争では大量虐殺が付き纏うことになるのである。
それとローマ教皇はそれほど強力な権限を持っていたわけではないということだ。当時のヨーロッパは言わば群雄割拠の状態にあって、ヨーロッパ諸国に大国がなかったからこそ、ローマ教皇の地位が相対的に高くなるという現象が生じたのである。
しかも十字軍の言い出しっぺはローマ教皇ではなく、ビザンティン帝国皇帝なのである。ではなんでビザンティン帝国皇帝が言い出したのかというと、それはセルジュークトルコ帝国が侵略してきたからなのである。
●十字軍は一枚岩ではない
十字軍は一枚岩の軍隊ではないのだ。各国からの寄せ集めの軍隊に過ぎないのである。このため戦争がなかなか巧く行かないのである。つくづく戦争というのは、兵力よりも、組織だった軍事組織の方が大事なのだと言うことが思い知らされる。
この十字軍では各国の国民性がモロに出ている。
まずイギリス人の戦争の巧さである。イギリス人が参加した十字軍では常にイギリス人が活躍し、勝利に導いているのだ。戦争するために事前にきちんと準備をし、兵站を確実に確保し、いざ戦闘が始まれば勇気を発揮するのだ。
これに対してフランス人は戦争が下手糞で、勝てる筈の戦いですら勝利を逃すことが度々なのである。しかもフランス人は運がないのだ。フランス軍は十字軍の中心的役割を占めていたのに、なぜだか足を引っ張っているようにしか見えないのだ。
ドイツ人は近代以降のドイツ人と違って、実行不足が非常に目立つのである。これは神聖ローマ帝国が選帝侯の集まりで出来ていたためで、イギリスやフランスほどには君主の権力が強くなかったからなのである。
十字軍が実際に中東に行ってみると、イスラム教徒たちの激しい抵抗に会い、戦争ではどうにか勝利を収めても、結局は共存共栄を望むようになる。戦争では損害が激しいのであって、それよりも貿易をした方が儲かるのである。
しかし共存共栄は信仰によって打ち破られる。イスラム側に奴隷王朝が成立すると、イスラム教への信仰が強いために、キリスト教徒を全て追い出すという方向に転換するのである。これによってキリスト教徒たちは中東から追い出されることになるのである。
●ローマカトリック教会の没落
世界史の授業では、十字軍の失敗によって教皇権力の失墜が起こったと教えられる。これが大嘘なのである。十字軍が失敗に終わっても、ローマ教皇の権力はビクともしなかったのである。一神教の世界では戦争に負けようが勝とうが、そんなことは大して関係ないのである。
ローマ教皇の権力が失墜するのは、ローマ教皇によって神聖ローマ帝国を弱くさせすぎたからなのである。ローマ教皇の権力が強かったのは、ヨーロッパに覇者がいなかったからなのである。それなのにローマ教皇は神聖ローマ帝国を弱体化させてしまい、それによってフランス王国の権力が増大し、フランス国王によってローマ教皇が捕らえられるのである。
その瞬間からローマ教皇の権力は失墜していくのである。
イギリスでは十字軍の最中にマグナカルタが制定され、「法の支配」が確立され始めるのである。しかも議会に於いて下院の基礎が出来たり、ウェールズを併合したりと、着々と国力を増強していったのである。
だからイギリスとフランスが二大強国として登場し始めるのだ。その結果、何が起こったのかといえば、百年戦争であって、イギリスとフランスがなんと115年間に亘って戦争を繰り広げることになるのだ。
その間隙を突いて、貿易の利権に入り込めなかったスペインやポルトガルが大西洋に進出し、大航海時代に突入するのである。その連中が戦国時代の日本にやってくるのだから、日本と十字軍は無縁ではないのだ。地球は繋がっているのである。
●十字軍の歴史は繰り返す
十字軍の歴史は歴史の中だけに存在するのではないのだ。十字軍の歴史は必ず繰り返すのである。キリスト教が存在する限り、イスラム教を敵視するのは変わりないのであって、キリスト教とイスラム教の戦いは延々と続くのである。
まず近代になって西ヨーロッパ諸国はオスマントルコ帝国を滅亡させている。これに対してイスラム教徒たちはイスラム国家を各地に独立させている。これらの国家はどれもイスラム教の影響が以前よりも遥かに強い国家なのである。
しかも中東にユダヤ教徒たちが入植してきて、イスラエルを建国したので、それで中東戦争が何度も勃発するのである。中東はいつも戦火の臭いがするが、ユダヤ教徒たちが中東から去っていかない限り、この戦いは絶対に収束しないのだ。
更にはアメリカはアラブの石油利権で莫大な富を生み出しているので、アラブ諸国が不穏な動きをすればすぐに戦争に持ち込むのである。それが湾岸戦争であり、対イラク戦争なのである。よりによって日本はアメリカの同盟国として戦費を負担する羽目になってしまったのである。
こうしてみて来ると、十字軍の歴史を知っていないと、国際情勢すらも理解できないのである。高校の世界史の授業が如何に低レベルかが解ることであろう。だから『十字軍物語』でも読んで、しっかりと自分で勉強しないといけないのである。
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コメント
こちらのブログを、食い入るように時間が見ています。
全ての項目において、納得し、実感し、感銘を受けました。
個人的に相談をしたいのですが、お忙しいですよね。。
可能であれば、メール頂けます様お願い致します。
投稿: あれっくす | 2012年8月 4日 (土) 09時44分
あれっくすさん、有難うございます!
自分で言うのもなんですが、内容は濃いです。
相談事があるなら、ここにコメントして欲しいんでが・・・。
一応、如何なる人に対しても公平に接しているので、誰か1人だけを特別扱いすることはできないんです。
投稿: タマティー | 2012年8月 4日 (土) 18時26分