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狭き門を通り抜けた後に

●若き日の自叙伝

 自分の人生を成功させたいのなら、とにかく他人の書いた自叙伝を読むことだ。自分の人生は限られているのだから、他人が経験した知識や技術を学ぶことで、梃子の原理を効かせ、自分の人生をより優れたものにしなければならないのだ。

 しかし自叙伝は万能ではない。大方の自叙伝は著者が晩年になって書かれるものだが、そうなると若い頃に自分が悪戦苦闘していたことを書かず、まるで最初から成功者だったかのような記述をしてくる場合があるのだ。「晩年に書いた自叙伝は嘘をつく可能性がある」ということなのである。

 若い時には「金銭」jに悩んだり、「性欲」が荒れ狂うことを経験するものだ。貧乏だからこそ動きが全く取れなくなるし、性欲を巧く処理できないからこそ、仕様もない妄想を描いたりしてしまうものだ。それ以上に自分が何も出来ていないことにもがき苦しむものなのである。

 嘘偽りのない自叙伝を書いて貰うためには、若い時に自叙伝を書いて貰わねばならない。こういうことは誰でも出来ることではない。若い時に熱い人生を送り、20代か30代で人生のひと区切りがついた人だけが、この手の自叙伝を書けるのである。

 今回紹介するのはこの本!

 カレン・アームストレング著『狭き門を通って』(柏書房)である。

 俺が今まで様々な自叙伝を読んできたが、この本は一級品の自叙伝である。著者の悪戦苦闘ぶりがきちんと書かれているし、登場人物たちの会話がまるで本人たちが喋っているようなリアルな感覚で書かれているのだ。

 因みにカレン・アームストロングはイギリス人女性である。やっぱりである。この手のレベルの高い自叙伝は絶対にアメリカ人女性では書けないのだ。「知的正直」という倫理をしっかりと持っていないと、人間はレベルの高い自叙伝を書けないものなのである。

●きっかけはいつも偶然

 カレンは第一子長女である。ということは感情的で思い込みの激しい女性だ。第一子長女の場合、父親の性格を濃厚に受けるので、父親との関係がどうかで殆どが決まってしまう。カレンの場合、父親は家族思いの良き父親なので、これで彼女の性格が捻くれていないことが解る。

 カレンはブスで、出っ歯で歯並びの悪い女の子だった、なんの取り柄もない女性で、家事手伝いさえまもとにできない子だった。せいぜ読書が好きな程度で、百科事典を読むような変わった女の子だったのである。

 カレンの下にはリンジーという妹がいて、この妹が姉とは違って目は大きい可愛らしい美少女だったのである。この姉妹は仲が悪く、喧嘩が耐えなかった。しかしこのリンジーが小学生の時にジフテリアに罹ってしまい、高熱を発して、遂には呼吸困難になってしまったのである。

 そこで姉のカレンは妹のために祈りを捧げて、「どうか神様、リンジーを治して下さい。もしもリンジーが元気になったら、私は修道女になることを考えてみますから」と言ってしまう。思わぬ所で種が蒔かれたのである。

 カレンには淫乱なる祖母がいて、結婚しているというのにしょっちゅう不倫を繰り返す厄介な祖母がいたのである。しかもアル中で、ジンを飲むような女性だったのである。ところがこの祖母は若い頃に修道女になりたかったが、家族の反対で思い留まったということを聞かされるのである。

 決定打は15歳の時に友人のスージーがカレンの自宅にやってきて、カレンの従兄弟のアンソニーとキスをしていることを目撃してしまったことなのである。この事件以降、カレンは肉体ではなく精神を発達させようと決意するのである。

 そして16歳の時に父親の会社が倒産してしまい、授業料が払えなくなってしまう。そのせいで級友たちからボイコットされてしまうという事件を経験する。この後に聖書を読み、イエスの「全てを捨てて私に従いなさい!」という言葉に衝撃を受け、修道女になる決意を固めるのである。

●修道女になる道は険しく

 カレンが入った修道会はそんなに古い歴史のある修道会ではない。1840年に特別な要請の下で創設された修道会で、修道女に簡素な黒服を着せ、ヴィクトリア朝時代の女性を手本にケープとヴェールをつけさせたのである。

 修道会は「三大誓願」である「清貧」「貞潔」「従順」を誓い、修道会の「会則」を守らなければならない。三大誓願は文字で聞く分には心地いいものであるが、実際にこれを実行するとなると、非常に恐ろしい事態が発生してくるのである。しかも会則が時代遅れで理不尽な内容であるために、カレンは葛藤することになるのである。

 修道院での初めての食事の際にチーズが出されたのであるが、カレンはチーズが大の苦手なのである。それにも拘らず、修道女は出された食事を全部食べなければならないという決まりに従って食べる羽目になるのである。だが後でチーズを嘔吐してしまうのである。

 修道院では1週間に1回しかお風呂に入れない。しかも石炭酸石鹸で洗えという。体だけでなく髪の毛までも。下着も1週間に1回しか取り替えない。修道女は肉体的な美を捨てた以上、外見がどうのこうのというのは関係ないのである。

 修道女になるためには、「志願者」の期間を6ヶ月間行い、その後「修練女」に進んで3年間過ごして、やっとのことで「修道女」に昇格するのである。しかし余りの厳しさに、同期で入った者たちが次から次へと脱落していくのである。

●修道会によって自己分裂

 カレンは修道女であるにも拘らず、プライドが高く、知的高慢さがあったのである。だから理不尽な会則に衝突してしまったり、三大誓願に激突してしまったりしたのである。簡単に言ってしまえば、修道j女になることはできたが、修道女になるために自分を捨て切れなかったのである。

 カレンは相変わらず嘔吐を繰り返したいたのであるが、修道院でのストレスが溜まって遂には「卒倒」してしまう。しかし長上の修道女たちは介抱するどころか、「彼女には意志の力がないから」とか「自己放縦だから」とか言われてしまうのである。

 数ヵ月後、カレンは修道院の或る部屋につれていかれて、そこで自分で鞭打ちをするように命じられる。肉体を征服することで、神の御意志に適うようにせよというのである。確かに鞭打ちを遣れば無限の解放感を感じられた。それと同時に何かが間違っているという疑問も生じてきてしまったのである。

 カレンは頭が良かったために、オックスフォード大学で文学を学ぶ学生修道女になったのであるが、文学を勉強していく過程で知性が発達してしまい、修道会のやっていることに段々と容認することができなくなっていく。

 そんな時に、神父から抱きつかれるというセクハラ事件を受けてしまい、殊もあろうことか自分の性欲に火をつけてしまったのである。カレンは神父からの執拗な交際を拒否してしまったために、休養と転地を命じられることになる。カレンはそこでとうとう「発狂」してしまうのである。

 修道会は発狂したカレンをこれ以上置いておくことができず、カレンに対して自発的に修道女をやめるように持って行く。そしてカレンは修道女を辞めることになったのである。修道会の理想は高いものではあったが、カレンは意志の力を過大評価しすぎていたのである。それが「嘔吐」「卒倒」そして「発狂」を引き起こしてしまったのである。

●神の愛は人間への愛を否定する

 この自叙伝は著者のカレンの意見が記されているから、修道会のやっていることは間違っているのではないかと思ってしまう。しかし修道会のやっていることは正しいのである。間違っているのはカレンの方なのである。だからこそ長上の修道女たちはカレンのプライドの高さや知的高慢さを指摘し、それを破壊しろとまで言っているのである。

 修道会というのは3世紀の終わり頃、エジプトのアントニウスが始めたもので、≪精神的な殉教≫を志し、全てを捨てて苦行に明け暮れるという宗教組織なのである。自己否定と霊的成長に自らの生活を捧げ、神のためのみに生きようとしたのである。それゆえ修道女たちは「生きながらの埋葬」を受けるわけなのである。

 神を愛し、神に愛される生き方は、自己愛を否定するし、人間への愛をも否定するのである。カレンが発狂するまでに至ったのは、自己愛を強く持っている者に自己愛を否定させたからなのである。女子修道会で起こっていた問題も、全ては「修道女同士に友情がないことが原因である」ということなのである。

 修道女たちがやっていることは基本的に正しいのである!

 修道女に自己愛や修道女同士の友情を認めてしまったら、神の愛を実践することはできないのである。修道女たちにはひたすら自己滅却させていき、神の愛を出すための道具と化すのである。そうすれば「生きながらの殉教者」になると同時に、修道会は神の愛の発露として学校や幼稚園や病院を建設し、神の愛を人々に齎そうとするのである。

 しかし修道女がその高みに行くまでには相当な困難を要求するのである。カレンはその過程で発狂したのである。もしも修道女が自己滅却を繰り返していった場合、自分が神と直結するために「なんらかの神秘体験」を経験する筈なのである。ところが長上の修道女たちはそれをしていないのだ。していないからこそ、カレンは目指すべき目標が見えなくなってしまうのである。

 修道女たち自体が神に選ばれなかったとすれば、一般信者たちは幾ら信仰しても神に選ばれることはない。ということは、一般信者が神の愛を実現することはできないのである。飽くまでも自己愛でしかないのだ。カトリックの信者たちは「愛の大切さ」を知っていても、無闇に「神の愛」を唱えないという冷静さを持っているのだ。理想的な修道女にはなれなくても、自己愛を否定することの価値は解っているからだ。

 ところがこれがプロテスタントになると、修道会を廃止してしまったので、ここの部分が全く解らないのである、そこで神の愛を無闇に主張してくる人物たちが出て来るのだ。俺はこの手の連中を「アガペー馬鹿」と読んでいる。神の愛を人間が出すのは非常に難しいのに、自己愛を以てこれを神の愛だと嘘をついているからである。

 日本人がプロテスタンティズムを胡散臭いと思ってしまうのは。日本では仏教が散々「無我」を唱え、修行している僧侶たちを見ているからなのである。無我になることを目指しても、人間は自分自身に執着してしまう厄介な動物なのである。

●修道会の果たした役割

 キリスト教は『聖書』だけの宗教ではないのだ。「キリスト教史」もまた重要な価値を持つのである。キリスト教の歴史の中で重要な役割を演じたのは、イエスとパウロとアントニウスの三者なのである。イエスは福音を説いたし、パウロは教義を確立し、アントニウスは修道会の基礎を築き上げたのである。

 キリスト教の教会は聖職者たちが世俗の人々と接するためにどうしても堕落してしまうのである。カレンの自叙伝の中でも神父が酒を飲み、タバコを吸い、好色である姿が書かれている。神父といっても俗人たちとなんら変わらないのだ。

 しかし修道会になると事態は一変する。三大誓願によって徹底的に俗悪的な要素を削ぎ落としてしまうのである。しかも修道会では勉強にも熱心である。カレンは1j日の勉強時間を「7時間半!」と機械的に答えているが、効果的に勉強しようとすれば、その程度の時間が理想的なのである。

 キリスト教の歴史では、修道会の修道士や修道女たちが常に教会に新風を送り込んできたのである。同じ宗教家であっても、修道会上がりの聖職者たちはレベルが違うのである。公私に亘って鍛え上げられているのだから、何かしらの改革を成し遂げるのは当たり前のことなのである。これがローマカトリック教会の強さの源泉であるのだ。

 それなのにローマカトリック教会はカレンが去った後に女子修道会の改革を行なってしまう。確かに改革の必要性はあった。しかしその改革は間違った改革なのであり、修道女を自由にさせすぎてしまったのだ。これでは女子修道会が宗教的エネルギーを発することができなくなってしまうのだ。

●性欲を憎悪する宗教

 カレンの自叙伝を読んでいてつくづく思ったのは、「キリスト教は性欲を憎悪する宗教なんだな」ということなのである。教祖のイエスは売春婦のマグダラのマリアを引き連れて宣教していたぐらいだから、性欲に関して厳しいことは余り言わなかった。

 問題はパウロなのであって、パウロは性欲を否定的に扱い、女性たちに対して徹底的な差別と憎悪をぶつけているのである。パウロは福音原理主義者というべきものなのであって、パウロが生きた時代にはこの主義はマイナーな存在で、女性信者たちの考えとは違っていたのであろう。そのため女性たちに対しては非常に厳しいことを言ってくるのだ。

 しかしパウロの主張が教義に採択されてしまい、それに基づいてのローマカトリック教会であり、修道会なのである。修道会は独身制だから、当然に性欲は完全に否定される。しかし性欲は存在するものなのだから、それを無理矢理に否定してしまえば、心身がおかしくなってしまうのは当たり前のことなのだ。事実、カレンの治療に当たった医者は、修道女たちが精神病を発症してくる事実を指摘しているのである。

 「エホバの証人」などはセックスに対して強烈な嫌悪感を持っている主婦たちが入信してしまう宗派であるといっていいのだ。結婚して子供がいるわけだから、セックスは経験済みである。それなのにセックスをきちんと肯定していないからこそ、「エホバの証人」の宗派に引っかかってしまうのである。

 カレンは修道女を辞めてから、社会復帰できるまで、6年もかかったというのである。17歳で修道会入りし、24歳で修道女を辞めているから、6年後というのは30歳である。性欲を意志の力で否定してしまうと、それが元通りになるまで6年もの歳月がかかってしまうのである。

●「神を信じる」ということこそが問題

 修道女たちはなぜ意志の力を過信し、無理矢理に性欲を否定してくるのかといえば、それは「信仰義成説」がローマカトリック教会の教義にあるからなのである。信仰は所詮「自力」なのである。自力救済の考えがあるからこそ、意志の力を過信してしまったのである。

 カレンは敬虔なキリスト教徒であるために、必死になって神を信じようとする。しかし神を信じれば信じるほど疑念が湧いてくるものなのであって、それが自分の心を苦しめてしまうのである。神を信じている限り、自己滅却できないのである。

 ところが信仰というものは、「信仰による自己義認説」を生み出してくる。自分はちゃんと信仰しているのだから、自分は義人であると思い込んでしまうのだ。カレンは長上の修道女たちがこの状態に陥っていると薄々解ったからこそ、彼女たちに対して従順でいられなかったのである。

 カレンは修道女失格だったし、修道会を追い出されたのである。カレンは修道女たちの生き方が如何に不自然なものであるかを解っていたし、修道会の内部に存在する病的な部分も解っていたのである。それゆえ修道女の生活を綴った自叙伝を書けたわけである。

 それなのにカレンは「世俗の中でも修道女として生きて行く」と決意しているのである。カレンは何も解っていないのである。それどころか「修道女をやめた現在の生活の方が修道女の理想に近い」と言ってくる始末なのである。

 信仰は使い方を誤ると非常に危険なのだ。信仰は感情の産物だから、信仰によって間違った事態を引き起こしてしまったのに、それを決して認めようとしないのである。釈迦が正しく指摘したように、信仰をするなら合理的な内容の物に限定しなければならないのだ。

 キリスト教世界に生まれ育った女性なら、「宗教=信仰」という図式から絶対に抜け出せない。信仰をしている限り、絶対に神を見つけることはできないのだ。信仰を以て「狭き門」を通り抜けても、そこには何もないのだ。

 大体、キリスト教の教祖のイエス自体、逮捕されて磔にされてしまい、その際、「我が神、我が神、どうして私を見捨てたのですか?」と嘆いて、息を引き取ったのである。イエスですら神に見捨てられたのに、どうしてもキリスト教徒たちが神に救われるというのか?

 神というのは信じたりする存在ではないのである。神への信仰こそが宗教の本当の姿を見えなくさせているのである。それなのに信仰は感情に激しく訴え、自己満足を引き起こしてしまうから、非常に厄介なのである。敬虔な姿で信仰をしていても、実は頭が狂っていたという人たちは、この地球上に大量に存在しているものなのである。

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コメント

子供の健康を考えて、おやつの時間に合わせて一度、お姑さんと居る時に作ってみませんか?と提案したいと思います。あとちょっと無理なお悩みなのですが、息子と私親子の相性は良いか気になっていて、息子の運命鑑定もし無理でなければして頂けないかと思っています。
無理な様でしたら、残念ですが諦めます(>_<)どうでしょうか?

投稿: 静 | 2012年9月30日 (日) 09時10分

タマティーさん、こんにちは♪
今回のお話も興味深く拝読させていただきました(^-^)

投稿: おだんご | 2012年9月30日 (日) 14時30分

静さん、しつけ~。
それは気にするなって!

仕方ないですな~。
裸踊りをした上で、静さんと旦那さんの名前と生年月日と結婚した日時、それに子供たちの名前と生年月日を送って下さい。

投稿: タマティー | 2012年10月 1日 (月) 07時21分

静さん、そんなに簡単にクリアするなら、もっとハードルを上げましょうか?
陰毛を剃り落として「ツルマン」になるってのはどう?
今までにはない、新鮮な感覚を味あえますよ。

それとはそうと、運命に関しては大体のことは解りました。
しかし念のために以下の質問に答えて下さい。

①名前の読み方
 多分合っていると思うのですが、独特の読み方をする場合もありますので。

②旦那さんとはいつ、どうやって付き合った?

③静さんの両親や兄弟姉妹との関係

④セックスは好き? 毎回オルガズムに行ける?

⑤今までの男性経験の数

投稿: タマティー | 2012年10月 1日 (月) 18時12分

静さん、遅いーッ!
ツルマンになるために遅れたと思いきや、ツルマンになる勇気がないだと?
仕方ないな~。

それでは運命鑑定行きますね。E:happy01]

静さんが思っていたように、息子さんとの相性は悪いです。
息子さんは静さんが天中殺の時に生まれています。
しかしこれには深~い理由があるんです。

静さんと旦那さんの相性は物凄くいいです。
最高といっても過言ではないくらいなんです。
だが、もしも息子さんを妊娠しなければ、別れてしまった可能性が高かったんです。
それで息子さんはこの両者を引き止めるべく雲の上から降りてきて、静さんのお腹の中に入ったと思います。

静さんは「シンデレラガール」になる可能性を秘めた女性で、運が良ければ「玉の輿」になるよう定められています。
たとえその男性が貧乏であっても、その男性と結婚したた後に瞬く間に億万長者になってしまうということもあるんです。

それで旦那さんの運命を調べてみると、確かに財運はあって、生涯に亘ってお金に困らない人生を歩むことになっています。
しかも自営業だから、経費と税金を支払ってしまえば、丸々儲けになるので、その事業がヒットすれば収入は凄まじいほど大きくなる筈です。

それなのになんで天中殺の時期に結婚してしまったのかが問題なんです。
考えられるのは、静さんの前の彼氏が「生き霊」になって、霊障が発生したか、旦那さんの方が女の邪念を受けて、交際が変な方向に行ってしまったか、恐らくそういう普通には考えられないことが起こり、それで天中殺の結婚になってしまったんでしょう。

天中殺といっても天中殺のド真ん中ではないために、必ず離婚するということはありません。
但し、夫婦の性生活でかなりの問題が発生します。
はっきりと言ってしまうと、旦那さんは女を口説くのは巧いけど、セックスに関しては下手です。そういう運命星に生まれついているんです。
それに対して静さんはセックスは得意で、恋する男性が射当てであるなら幾らでも高度なセックスができます。

セックスのことで夫婦が揉めないためには、とにかく定期的にセックスをし、セックスをした際にはオルガズムに行くことですよ。
挿入プレイでは行けなくても、愛撫で行くことだって出来るもんなんですよ。

それと子供を多く生んで行くこと
静さんは子供の数が多ければ、運気が増強されるという運命星です。
しかも子供の数が多くなれば、旦那さんの仕事がレベルアップしていき、収入が高く成って行く筈です。
子供の数が今のままだと、今は良くても、将来、熟年離婚とかするようになって、寂しい人生を送ってしまうようになると思います。

投稿: タマティー | 2012年10月 4日 (木) 07時04分

タマティ様、勇気がなくツルマンになる事が出来なかったのに、、一方的に要望だけ聞いて頂いてしまってすみませんm(_ _)m
夫と相性は凄く良いんですね(^^)
シンデレラガールになれるかもしれないなんて、ビックリしました!
気になっていた長男とショックですが、、相性悪かったんですね(-.-;)
夫も息子も娘も大好きなのでこれからも大事にしていきたいのですが、息子はどんな性格と思って良いですか?
理解をして頑張っていきたいです。

あと長男の食生活の事をお聞きしたいのですが、長男は豆腐大好きで毎日食べるのですが、同じ食べ物を毎日食べるのは問題でしょうか?

投稿: 静 | 2012年10月 4日 (木) 09時24分

静さん、息子さんにはルールを守らすように育てることです。

例えば食事の際に、「頂きます」「ご馳走様」と言うことを教える。
食事は神様からの贈り物であって、それを感謝して頂き、味わって食べなければ成らない。
母親の方もそのルールをしっかりと守り、息子には模範を見せることです。

それと「長幼の序」を絶対に崩さないようにすることです。
家の中では父親が一番偉く、二番目に母親がいて、その下に息子がいて、更にその下に娘がいるというようにすることです。
この「長幼の序」が崩れてしまうと、息子さんは非常に厄介な反抗をしまくることになります。

文字が読めるようになったら、『論語』でも読ましておくことですよ。
「男子たるもの、如何にいくべきか?」という疑問を持つ子供なので、人生を論じた書を読まないと、頭の中がグチャグチャになってしまうんですよ。


豆腐が好きなのは健康な証拠です。
多分、頭を使っているので、大豆を大量に欲しがっているんだと思います。
子供には、お菓子やジュース以外なら、偏食を認めてもいいんですよ。

投稿: タマティー | 2012年10月 5日 (金) 07時14分

偏食が心配でしたが、長男が頭を使っている証拠だったんですね、親として嬉しいです!
長男は、動き回るのも大好きで、優しいと思いますが、ただ、何度も怒られている事でまた怒られると分かっているのに自分の意思を通そうとして、駄目な事は駄目と私が怒るのですが、結局夫に叩かれておしまい。という事がよくあります。叩くのは良くないといいますよね?この子が産まれた事が凄く幸せで可愛くて本当は叩かれているのも見ていて辛いです。叩かれている事が長男の成長に悪影響を及ぼさないか心配です。長男の事をちゃんと考えると、どんな運命を背負って産まれたのかな?と思うのですが、子供の運命を教えては頂けないですよね?

投稿: 静 | 2012年10月 5日 (金) 23時35分

静さん、長男の運命鑑定以前に、叱り方が下手糞なんじゃ!

母親が怒鳴っているようでは、子供は言うことを聞きませんよ。
何か子供に言う時は、母親が中腰の姿勢になって、子供と同じ目線になり、まずは相手の意見を聞いてみることですよ。
その上で、何をやってはならないか諭せばいいんですよ。

「ハッピーアドバイスシリーズ」は子供の叱り方の物もあるので、一度は読んだ方がいいです。

投稿: タマティー | 2012年10月 6日 (土) 07時51分

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