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シャレにならない友情論

●友情というものは存在しない

 世の中には誰もが存在すると思っていても、実は存在しない物がある。厄介なのはそれが「常識」と化しているために誰も疑おうとしないことだ。もしも勇気を出してそれを疑おうとすれば、猛反発を受けてしまうのである。

 「友情」というものは存在しない。

 友情という物は存在しているように見えて、実は存在しない。存在していない物を人々は大事に尊重しているのである。だからこそ多くの人々は友情で苦しむことになるし、友情のために人生を成功させることができないのだ。

 友情はなくても「恋愛」なら存在する。人間は恋愛をすれば男女共に「恋愛ホルモン」を分泌し、脳はトキメキ、体は若返って行く。なんでこんな現象が起こるのかといえば、妊娠するために心身を変化させ、子孫を残そうとするからなのである。

 しかし友情にはそれに対応したホルモンなど存在しない。だから人は友人を作ってもときめかないし、体だって若返ってこないのである。だから友人だけを作って恋愛をしないのは問題がありすぎるし、友情と恋愛を同じレベルで比べるのも問題がありすぎるのだ。

 極論を言ってしまえば友人などいなくても良いのだ。それよりも結婚相手がいればいいのである。夫婦で仲良くし、せっせと子作りに励んでいると、常に恋愛ホルモンが分泌され続けることになるので、人生を大いに幸せにしていくことができるのである。

●文明以前の記憶

 では友情というのは一体なんなのかということになる。

 友情という物を解明していくためには、文明以前の記憶にまで遡らなければならない。文明以前の人類は、幾つかの家族たちが集まって集落を形成していた。その集落の人口数は平均して150名であって、これを「ダンバー数」と呼ぶ。

 このダンバー数というのは現在でも生きていて、共同体を作る場合、その構成員は150名が限界であるとされている。150名を超えてしまうと、その共同体の理念や法規に反発する人たちが現れて来てしまい、共同体が成り立たなくなってしまうのだ。

 友情というものは。この集落で行なわれていた「集落愛」の変形なのである。集落は生活の基盤であるから、自分の家族以外の者たちであっても仲良くなり、同じ作業をすることによって日々の糧を得たのである。

 友情というのは現代で言うなら「同士愛」と言い換えた方が解り易い。友情を生み出すためには、なんといっても「組織」が必要なのである。現代でも集落でこそ友情が発生し易い。同じ学校の生徒と友情を作ることはできても、他の学校の生徒と友情を作ることはまずないのだ。

 友情は基本的に「男性同士」「女性同士」といった同性間で成立してくる。性別が同じであるなら、同性として同じ作業をする機会があるので、それで友情が成立してくるのである。現代でも男性なら男性同士でバカをやってみたり、女性なら女性同士で買い物に行ってみたりと、そういうことをしないと友情を深めて行くことができないのだ。

 友情は男女の間でも成立する。同じ集落であるなら、恋愛感情が後退してしまい、友情の方が芽生えてしまうのである。このため異性を常に恋愛対象として見る人は、人生で大損をすることになる。男性が女性の美醜に拘り過ぎたり、女性がイケメンの男性に対して感情を揺り動かされていると、本当ならその人を友人にすることができたのに、恋愛感情を持ってしまったために、友人にすることができなくなってしまうのである。

●友人の数は多くしすぎない

 友人の数は絶対に多くしてはならない。ダンバー数というのは個人レベルでもきちんと生きているのだ。通常、人間はダンバー数の倍の人間関係を構築することになる。だから300名だ。しかしその中で本当に友人として機能するのはやはり150名程度なのである。

 「80対20の法則」を使うのなら、150名の友人たちの内、30名ほどが重要な友人になってくる。実際に生活していれば、30名の友人たちこそが自分の人生で重要な友人になっていることに気づくものだ。人間はそんなに数多くの友人を持つことはできないのだ。

 友人たちの中で最も大事なのが「親友」である。親友というのはたった1人しかできない。親友が何人もいると言う人は親友がいないということなのである。親友ができたのなら、その友情を絶対に壊してはならないのだ。親友との友情こそ、友情全体を決定してしまうのである。

 親友以外の友人では、せいぜい5名前後の人たちが自分の生活に深くかかわってくる友人たちとなる。この友人たちも親友に準じて大事に扱っていった方がいい。気をつけるべきは裏切りで、この連中に裏切られると、友情で大いに苦しむことになるのだ。

 人間は友人を多く作れないのだ。だから友人と知人とに分け、自分が知っている人たちを全て友人にしてしまわないことだ。そして友人の再編成を定期的に行い、善友を残し、悪友を切り捨てることだ。友情が厄介なのは、たった1人の悪友を残しておくと、その悪友のために悲惨なことが起こってくるということなのである。

●友情が成立するための条件

 友情が成立するためには幾つかの条件がある。本来なら同じ集落に住む者という条件であった筈なのだが、集落が拡大し、都市化した場合、その条件は複雑化していくことになるのだ。その条件を全て揃えないと友情を維持するのは非常に難しいのだ。

①共感

 まずは「共感」である。友情は自分が他人に共感できない限り、絶対に成立しない。感情は理性的な産物ではなく、「感情の産物」なのである。自分自身が「好きな者は好き」「嫌いな者は嫌い」とはっきりと意思表示をしないと、自分が好きではない人を友人にしてしまうことになるのだ。

②教養と専門分野

 友情は感情の産物ではあっても、理性によって補強しなければならない。その際、最も重要になるのが「教養」だ。教養のある者は教養のある者同士で友情を作るものだし、教養のない者は教養のない者同士で友情を作るものだ。

 それと専門分野も大事である。自分に専門分野がないと、友情を維持していくのは難しいのだ。フリーターには友人が少ないのは専門分野がないからなのである。逆に主婦にはママ友という形で友人ができてしまうのは、妊娠出産育児を通じて、専門分野を持ってしまったからなのである。

③行動力と決断力

 友情を温めて行くためには、一緒に行動することが必要になってくる。行動力のない人は友情を維持することができないのだ。また自分が行動するためにはお金が必要になってくるので、友情を維持するためにはお金も必要だということなのである。

 二人で一緒にいれば、何かしらのことを決断しなければならない時がある。その際、優柔不断でいると友人を失ってしまうことになるのだ。例えば一緒にレストランに行った時、毎回あれこれ迷っているようでは、相手の友人にストレスを与えてしまい、或る日突然に喧嘩して、絶交ということになってしまうのだ。

④利益と信用

 友情が成立し、維持していくためには、双方に利益が発生することが必要になってくる。どちらか一方だけが利益を得ているようでは友情を長続きさせることはできないのだ。友人には定期的にお裾分けして、自分に利益がある時に何かしらの物を渡しておくべきなのである。

 友情は信用があるからこそ維持されているものなのである。だから信用がなくなれば友情は消滅する。明らかな背信行為は問題外だが、そういったものではなく悪口でさえ、それが信用にヒビを入れることになるのだ。悪口は出来るだけ控えた方がいいのだ。

⑤礼儀と遵法

 実際の友情では礼儀が物凄く大事である。礼儀を守れない者とは友情を維持することは絶対に不可能だからだ。社会的地位が高くなればなるほど礼儀は厳しく要求されるものだ。だから一度はマナー教室に行って、礼儀をしっかりと学んでおいた方がいいのだ。

 犯罪を起こすような者と友情を維持し続けるのは困難である。例えば麻薬をやっているような人を友人にすることはできない。大概、警察に逮捕されたら、それで縁が切れてしまうものだ。友情を守って行くためには、遵法意識も必要なのである。

●友情の逆説

 友情には逆説が発生する。友情は友情通りには進まないものなのである。友情というのは本来あってなきが如き物である。その扱いには慎重を期さねばならないのだ。ところが友情があって当たり前と思っていると、「友情の逆説」が発生してしまうのである。

①学校でのイジメ

 人間にとって友情が最も大事になる時期は、小中高の時期であろう。それなのに学校ではイジメが起こり、それを苦にして自殺する生徒たちまでもが出てきてしまっているのである。イジメで自殺者が出るような学校は、その他の生徒たちもまともな友情を持っていないといっていいのだ。

 なんでこんなことが起こるのかとうえば、学校の教師が教師になるために必要な教育と訓練を受けていないからなのである。日本はGHQの占領中に師範学校が廃止されたために、教師になるための教育機関が日本には存在していないのである。

 実際の教育現場では、頻繁にクラス替えをすることがイジメを引き起こす原因になっているのだ。友情というのは所詮「集落愛」なのである。だから学級を固定してしまい、学級変更をしなければ、自然と生徒同士は友情を育んで行くことになるものなのである。

 親であるなら、我が子をイジメから守りたいのなら、スポーツクラブに行かして、スポーツを通じて友情を育むようにすることだ。友情は行動をするからこそ育まれていくのであって、そもそも一緒に勉強して友情を育むことには無理があるものなのである。

②社交家に限って友人がいない

 社交家に限って友人がいないものだ。社交家がいう友人というのは、全部、知人であって、友人ではないのだ。社交家はダンバー数を遥かに超えてしまっている。だから当然に友人が出来なくなってしまうのだ。

 出世をしていけば、どうしても社交をすることが必要になってくる。その際、社交にエネルギーを注ぎすぎてはならないのだ。まずは自分が仕事を一生懸命にやって、仕事で伸し上がって行ってしまった方がいいのである。

 それと友人を作れそうな趣味を持つべきなのである。ビジネスマンなら大抵が「ゴルフ」である。美術や音楽を趣味とすると、これまた得ベルの高い友人たちを持つことができる。下手にパーティーに行っても、なかなか友人は出来ないものなのである。

③友愛を唱える者に限って、友情を破壊してしまう

 日本語では「友情」とは言っても、「友愛」とは言わない。友情は「共感」を絶対条件とするために、「愛」よりも「情」の方が正しく表現していることになるのだ。このため友情という言葉を使わずに、友愛を使う人に対しては用心した方がいいのだ。友愛を唱えながら平気で友情を破壊してしまうことになるのだ。

 例えば民主党は友愛を唱えていたが、相次ぐ失政で民主党支持者たちからも総スカンを食らい、しかも東日本の被災者たちから決定的な憎悪を買ってしまった。更にはアメリカとの関係が悪化し、そこに漬け込んでロシア、韓国、中国が付け込み、民主党政権下の日本は外交的に孤立してしまったのである。

 友情という物は存在しないものなのである。だから友愛を唱えることなど必要ないのだ。それよりも自分が必要とすべき相手と関係を結び、その者に対して用心深く接するからこそ、友情が長く保たれるのである。世界中の人々と仲良くしようとする人は誰とも仲良くできず、それどころか自分自身が大損害を被ってしまうものなのである。

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コメント

お久しぶりです。長野県ではクラス替えがないようですね。
転勤で長野県に一年ぐらいましたが、ヤンキーが徹底的にいないし、小学生たちはお巡りさんにきちんと挨拶をするし、良い子が多そうな感じでした。

投稿: まき | 2012年9月27日 (木) 21時26分

タマティーさんお久しぶりです。
いい事言いますね!さすがです。「愛してる」が間違いだっとおっしゃっていた時と同じ位モヤモヤがスッキリしました。友、親、兄弟、色々優先する人が居ますが、1番は夫婦だと考えるのです。2人が好きという感情が絶えず色々乗り越えて成長し続ける事ができたら良いと思うのです。赤ちゃんが生まれたら確かに子供を優先します。彼らはまだ何も出来ないからです。ですがそれは夫婦が成長するための乗り越える山でしかないと思うのです。ですから、子供が出来ない夫婦はそれはそれで、乗り越える山の中に子育が無いだけで、子供が出来ない事も乗り越えて夫婦が成長し続けられたら良いと思うのです。もしかしたら、子育無しに夫婦が成長し続ける事ができる方が遥かに素晴らしい夫婦像があるのかもしれないと考えるのです。子供が欲しくて出来なくて悩んで、自分の夢を見つけた夫婦や、RHマイナスのO型の奥さんで旦那さんと血液型が合わずに生まれてくる子の血の入替えが必要で二回の出産と直後に子供の死に直面し2人は他の人と結婚すれば子供を持てるが、2人で乗り越えた山はでかく夫婦仲良い姿を見るとまだ三十台前半なのにすごいなっと思います。夫婦仲良い事は当たり前のようでなかなか多くは無い気がします。

投稿: せもたれ | 2012年10月 2日 (火) 00時41分

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