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2012年10月

「天中殺」と「人生の季節」

●自然のリズムを忘れた文明人

 人間だって自然界の中で生きているのだから、当然の自然のリズムを持ち、それを巧く活かして生き続けなければならない。自然のリムムを利用すれば無理することなく成果を得ることができるし、自然のリズムを無視すれば多大な努力を支払ってもなんの成果を得ることはないのだ。

 「天中殺」というのも、自然のリズムの教えなのである。簡単に言ってしまえば、12年の内、2年間は休息の時期で、「その時期は静かにしていろ」ということなのである。だから10年間は一生懸命働いて、2年間は休むというような考えていればいいのである。

 天中殺の中でも1年間は人生が八方塞の時期になるものなのである。ここで強烈な不幸に出くわすのである。「人生の中には必ず落とし穴がある」と言われるが、落とし穴に落ちる時期は天中殺のド真ん中なのである。

 その一方で人生には幸運が巡ってくる時期が必ずある。不幸だらけの人生というものはないのである。就職や結婚といったものを運気のいい時に行なえば、それ以降は順調に進み、あれよあれよと巧く行くようになるものなのである。

 ところが文明人はこの自然のリズムを忘れてしまったのである。だから闇雲に走りまくり、それで不幸になってしまうのである。それゆえ算命術が生み出され、文明人であったとしても自然のリズムを失わないようにしたのである。

●春秋は流し、夏冬は短し

 天中殺を理解するためには、農業を例に取って説明するのが一番解り易い。

①春

 春になれば、山で山菜が取れ、山菜を食べることで冬場に溜まった毒素を除去する。それが終わると田植えをする。だから春というのは自然の恵みを受けながら、秋に向けて収穫が得られるように行動を起こすのである。

②夏

 夏になれば気温が上昇し、台風もやってくる。夏に取れるのは野菜くらいなもので、お米はまだまだ収穫できない。夏は体が良く動くので、この時期を使って重労働をし、現金収入が得られるようにするのである。

③秋

 秋になれば、お米の収穫が出来、野菜も豊富に取れる。山では果物が大量に取れるし、海でも魚が大量に取れる。秋は飽きるまで食うことが許される時期なのである。その一方で春に向けて麦を植え、冬が開けた時に収穫できるようにするのである。

④冬

 冬には自然界からの恵みは一切ない。農民はこの時期「農閑期」なのであって、自宅で読書をしたり、内職をするのである。田圃や畑に種を蒔いても、冬場は芽が出ないのである。ひたすら秋までに収穫した物で食い繋ぐのである。

 季節というものは四等分できるものではないのだ。春は「3月」「4月」「5月「6月」であり、夏は「7月」「8月」「9月」であり、秋は「10月」「11月」「12月」であり、冬は「1月」「2月」であるのだ。春秋は長いが、夏冬は短いのだ。

●運命鑑定から見た結婚の時期

 意外なことかもしれないが、運命鑑定をやっていると、「人生の春」に相当する時期に結婚している夫婦が一番多いのである。付き合い始めてから3年ほどあれば、まず間違えないのだ。結婚は急いではならないし、かといってモタモタしてはならないのだ。

 「人生の春」に結婚すればスロースタートではあっても、周囲から多少の支援を受けることができるし、結婚が順調に進むのである。まず離婚しないし、夫婦に危機があっても巧く乗り切れることができるのである。

 次に多いのが「人生の秋」に相当する時期に結婚している夫婦たちである。この時期は収穫の時期に当たるので、経済的に豊かになっている状況なので、結婚してもスムーズに進むのである。これもまず離婚しない。

 第三番目に多いのが「人生の冬」の時期に結婚する夫婦である。まさに天中殺の時期になぜだか結婚してしまうのだ。この時期には収穫が得られないので、男女が結婚してくっつくことでやり過ごそうということになるのだ。

 天中殺の時期に結婚したからといって必ず離婚することはない。離婚することになるのは天中殺のド真ん中で結婚した場合だけであって、それ以外は「腐れ縁コンビ」になってなんだかんだいいながら、結婚を維持するのである。

 一番少ないのが「人生の夏」に相当する時期に結婚した夫婦で、この時期には収穫物はあっても非常に少ないし、そのくせ動き回る季節なので、どうにも落ち着かないのだ。結婚しても数年で離婚してしまい、そのくせすぐに再婚してしまうのは、この時期に結婚したカップルの特徴なのである。

●腐れ縁コンビ夫婦がすべきこと

 天中殺で結婚した場合、必ずしも離婚するとは限らないのだ。天中殺のド真ん中で結婚した夫婦だけが離婚することになるのである。天中殺でも「腐れ縁コンビ」になれば、なんだかんだいいながらその結婚を維持していくものなのである。

 天中殺のド真ん中で結婚したのなら、とにかく早めに離婚してしまうことだ。この結婚は誰がどうやっても維持できないのだ。早めに離婚してしまえば、再婚するできる可能性が高くなるので、天中殺による損害を最小限に抑えることができるのである。

 腐れ縁コンビの夫婦の場合、自分たちが自然の恩恵を受けることができない状況下で結婚したということなのである。このため何もかも自分たちでやっていかなければならないし、引越しすることで環境を変えるというこもある。

①子供を多く生むこと

 この結婚を維持したいのなら、とにかく子供を多く生むことことだ。子供たちが沢山いれば、子供たちの運気によって、その家族が大いに変わって行くのである。子供が1人や2人しかいないからなこそ、夫婦間に問題が生じてくるのである。

②夫婦共働き

 腐れ縁コンビの夫婦の場合、夫婦共働きが基本となる。何もかも自分たちでやるゆえに、妻だって外に働きに出て行かざるを得ないのだ。その分、収入が多くなるが、子供たちのために普通の夫婦よりは出費が嵩むのである。

③夫婦の距離の取り方を巧くする

 腐れ縁コンビの夫婦は、常にラブラブというわけではない。夫婦双方の運気が落ちた時に結婚したために、「この人がいればどんなピンチが来ても乗り切れるだろう」と思ってしまうのだ。だから普段の生活からして、夫婦は距離を置いているのだ。

④宗教心

 腐れ縁コンビの夫婦は、結婚してから当分の間、つらい時期が続くものなのである。そのため宗教心を持って心を鍛えておかないと、倒れてしまうことになるのだ。宗教書を読んだり、神社仏閣に参拝しに行くということは非常に重要になってくるのだ。

⑤健康法

 腐れ縁コンビの夫婦の場合、自分たち夫婦しか頼るものはないために、とにかく健康には注意しておくことだ。暴飲暴食をやっていれば、あっという間に命を落としてしまうのだ。快食快眠快便を心掛けていれば、健康を維持できるものなのである。

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「愛」より「仕組み」

●愛の危険性を知らない人々

 この世には「愛こそ全て」と言い出す輩は跡を絶えない。口で言っているならまだしも、それを歌や詩、小説やドラマや映画にしてくるから、この間違った考えが益々世に蔓延り、人生経験の少ない若者たちが簡単に洗脳されてしまうのだ。

 愛は理性の産物ではない。愛は感情の産物である。だから一旦「愛こそ全て」と思ってしまったら、延々とそう言い続けることになるのだ。もしも愛を否定する意見に遭遇したら、それこそ感情的になってその意見を否定してくるのだ。

 この世で生きて行くのに愛は大事である。かといって愛は全てではない。生きて行くためには愛以外にも様々な物を必要とする。これこそが愛に対する真実なのである。しかし「愛こそ全て」という考えに洗脳されてしまうと、この真実が全く見えてなくなってしまうのである。

 愛は必ず憎しみを生む。人間は愛を注ぎ込むと、その対象に執着するようになり、その対象が自分の思い通りにならないと、憎しみという感情が湧き始め、そしてその憎しみの感情が大爆発してしまうのである。愛が大きくなればなるほど、その憎しみも大きくなってしまうのである。

 愛のために幸福になっている人々よりも、愛のために不幸になっている人たちのほうが断然に多いのである。愛を使用する時は、愛の危険性を巧く回避しながら使わないとならないのである。愛の危険性を知らない人々は確実に不幸になってしまうのである。

●結婚は仕組みの最たる物

 愛は自分が努力して出してくるものである。逆に言えば自分が努力しなければ愛は出てこなくなってしまうのだ。だから「愛」よりも「仕組み」が大事なのである。仕組みを作ってしまえば、愛は自然に出て来るし、多少問題があってもすぐさま解決できてしまうのである。

 男女の場合、仕組みというのは「結婚」である。結婚は仕組みの最たる物で、結婚するから男女は無理をすることなく、愛し続けることができるのである。結婚は大した努力をしなくても、簡単に幸せに成れる物だということが解っていないと、結婚を巧く活かして行くことができないのだ。

 恋愛至上主義に立脚して恋愛をしまくっても、それはその恋愛に対して仕組みが存在しないために、その恋愛を巧く活かせなくなってしまうのだ。幾ら恋愛で盛り上がっても、愛の仕組み作りに失敗すれば、その恋愛は崩壊してしまうものなのである。

 恋愛にウツツを抜かしていると、あっという間に時間は過ぎ去ってしまい、慌てて婚活をする羽目になるし、たとえ結婚したとしても不妊症に罹るリスクを大いに高めてしまうのである。それどころか結局、結婚する機会それ自体逃してしまったという人たちが出て来るのである。

 「これは運命の出会いなんだ」と思ったら、とっとと結婚してしまうべきなのである。直感でそれを悟ったのなら、本当に運命の出会いである確率が高いからだ。万が一、その結婚が運命の出会いに基づいたものでなかったとしても、年齢が若い内であるなら、すぐさま離婚して、次の結婚をするということも可能になるのだ。

●家族内でのルール作り

 男女が愛し合っているからこそ結婚したわけであるが、だからといって結婚を放置しておいてはならない。家族内でルール作りをして、夫婦双方が無理なく結婚を楽しめるようにしなければならないのだ。結婚したのにルールを作らないのは、結婚を無法状態に置いているようなものなのであって、絶対にすべきことではないのだ。

①家事や育児の分担

 まず家事と育児の分担をどうすべきか、きちんと話し合っておくことだ。家事にしても育児にしても、妻が独裁的にやってしまった方が効率的である。しかしそれは夫が何もしなくていいということではないのだ。妻と雖も夫の手助けが必要なのである。

 理想的な分担は、「妻が夫に手伝って欲しいと言った時は、素直に応じて欲しい」というものであろう。こういう決まり事を作っておけば、妻は必要な時に夫の手助けを借りることができるし、夫は普段何も負担しなくていいので、それで夫婦双方が楽チンでいられることになるのだ。

 絶対にやってはならないのは、夫を「主夫」にしたり、「イクメン」にしてしまうことだ。夫が家事や育児で時間を取られていれば、仕事ができなくなるのは当然であって、それは収入の減少を引き起こしてしまい、結婚生活それ自体やっていけなくなってしまうのだ。

②躾

 家族を平穏無事に過ごしたいのなら、とにかく子供たちに躾をしておくことだ。躾というのは最低限の礼儀作法だ。だから子供たちでもできるものなのである。礼儀作法は相手との衝突を回避するために強力な威力を発揮するものなのである。

 躾の基本は「挨拶」である。朝起きたら「おはよう」と言い、ご飯を食べる時は「頂きます」と言い、食べ終われば「ご馳走様でした」と言い、寝る時は「お休みなさい」と言う。たったこれだけのことをするだけで、家族は和気藹々なムードになるものなのである。

 気をつけるべきは、躾は夫婦が率先してやっていないと、子供たちは何もしなくなるのだ。夫婦同士で挨拶をすべきだし、子供たちが見ていなくてもきちんと挨拶するべきなのである。子供たちにしてみれば、自分の親の躾がなっていないのなら、躾を受け入れることを拒否してくるものなのである。

③教育

 意外なことかもしれないが、教育に関しては夫婦が意外と揉めることになる。高学歴の人は当然に子供にも高学歴になって欲しいし、自分が学校や大学に対して不満を抱いているのなら、理想の教育を求めようとしてくるからだ。

 お稽古事をするのかしないのか、公立に行くか私立に行くか、高卒か大卒か大学院卒か、子供たちが夫婦で幼い内から話し合っておくべきことであろう。夫が一方的に決めたり、妻が一方的に決めたりすれば、夫婦喧嘩の原因になるのだ。

 それと子供たちの学力を上げたいのなら、夫婦それ自体が「勉強する習慣」を持つようにすることだ。自宅で親たちが読書をしていれば、自然と子供たちも読書をし出すようになるのだ。子供たちに「勉強しなさい!」と怒っても、子供たちは勉強をしないものなのである。

④家計

 結婚は収入があるからこそ維持できるのであって、収入が途絶えてしまえば、その結婚は破壊されてしまう。だから夫たる者、とにかく収入を確保することだ。妻たる者は家計簿を持ち、しっかりと家計をコントロールすることだ。夫婦共働きになってしまうと、妻は家計簿をつけなくなり、それで収入は多いのに貧乏になってしまうのだ。

 家計を安全にするためには、なんといっても地道に貯金をすることだ。収入の多寡に拘らず毎月貯金していけば、確実に資産は形成されることになるのだ。資産が多くなればなるほど、その家計は安全になるのだ。

 家計はキツキツにしないことだ。やはり出る物は出るのである。家計に余裕を持たすためには、毎月の繰越金を多くしていくことだ。月収の3倍の金額があれば、日々の生活が異様に豊かになっていくものなのである。非常時には繰越金から資金を出せば、家計はリズムを狂わさなくても済むようになるのだ。

●褒め言葉を多くする

 家族内での会話に関しても、しっかりとルール作りをしておくことだ。家族内の言葉が汚いと、喧嘩の発生する確率が非常に高く成るのだ。そして喧嘩の多い夫婦は離婚する確率も高くなってしまうのである。

 まず夫婦間の会話では、会話する時間を確保するようにすることだ。夫婦だから会話しなくても理解できるだろうとなどと間違った考えを持ってはならないのだ。夫婦だからこそ、結婚生活に関して様々な情報の遣り取りを必要とするのである。

 夫婦の関係をいつまでもラブラブなものにしたいのなら、褒め言葉を多くすることだ。褒め言葉を使う比率が高いと、夫婦の関係は良好になるものなのである。逆に相手の責任を追及するような言い方をしていると、夫婦の関係は険悪なものになってしまうのである。

 親子間の会話では、とにかく母親が子供の話を聞くようにすることだ。子供に一番多く接しているのは母親であって、父親ではないのだ。母親として絶対にやってはいけないのは、自分の意見を一方的に子供に押し付けることになるのである。これをやってしまうと、子供は心を閉ざしてしまい、親の言うことは絶対に聞かなくなるのだ。

 子供は知能が低いのだから、失敗ばかりやらかすものである。しかし子供に「バカ」だの「アホ」だの言ってはならないのだ。バカだのアホだの言われれば、余計に厄介なことを仕出かしてくるものなのである。

 子供に対しては褒め言葉を多くすることだ。些細なことであっても、子供にとっては大変なことがあるものなのである。特に家事手伝いをしてくれたのなら褒めるようにすることだ。こうすれば必ず家事を手伝ってくれるようになるのだ。

●勝手気儘が愛を破壊する

 自由というものは「法の支配」が確立されるからこそ存在できるものなのである。法の支配のない自由は自由ではなく、ただ単に勝手気儘に生きているだけなのである。結婚したのに、夫婦が勝手気儘に生きていれば、その結婚が破綻してしまうのは当然のことなのである。

 勝手気儘に生きることは、その人は理性の使用を否定し、感情だけで生きているということだ。愛もまた感情の産物だから、「愛こそ全て」と思い込んでいる人ほど、勝手気儘に生きようとするのである。しかし勝手気儘に生きれば愛は破壊されてしまうものなのである。

 愛は何か対象があるからこそ放出されるものなのである。だから愛の対象物は固定してくれた方がいいのである。結婚すれば配偶者が固定されるし、子供を生めばその子供に愛を注ぐようになるのだ。固定してしまえば、持続的に愛が出て行くものなのである。

 だから結婚は早めにしてしまった方がいいのだ。早くに結婚してしまえば、それだけ愛の対象が早くに固定されたのだから、愛が大量に出て来るのである。しかも結婚生活できちんとルール作りをしておけば、愛が憎しみに変わる危険性をも防ぐことができるのである。

 もしも婚期が遅れてしまったのなら、今までの自分の間違った生き方を大いに反省し、結婚生活に対してきちんとルール作りを行い、結婚生活を大いに楽しめるようにすることだ。今まで自分は愛の無駄遣いをしてきたと言う事実に気づかない限り、幸せになることはできないものなのである。

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お墓はどうやって建てればいい?

●お墓こそ先祖祭祀の根幹である

 家族にとって絶対に避けられないのは、「死」である。誰も死なない家族というものは存在しない。順番から言えば、自分の両親が先に死に、次が自分で、その次が自分の子供ということになる。死を拒絶して不老不死を目指すのではなく、死を前提にして、人々が死んでも家族が生き残れることを考えるべきなので4ある。

 まずは先祖祭祀をしっかりと行なうことだ。先祖祭祀は子孫繁栄に直結する。先祖祭祀を正しく行なえば、子孫は繁栄していくものなのである。繁栄している家族は絶対に先祖祭祀をしっかりとやっているのだ。

 その中でもお墓は先祖祭祀の根幹である。先祖祭祀をしたいのなら、とにかくお墓をきちんと所有することだ。お墓のない先祖祭祀は有り得ない。お墓を持たなければ先祖祭祀自体が成り立たないのである。

 運命学ではお墓を「陰宅」と捉え、住居を「陽宅」と考える。この陰宅と陽宅は繋がっているのであって、陰宅があるからこそ、陽宅も有り得るのだという考えなのである。だから自分たちの家族を幸せにしたいのなら、とにかくお墓に対して充分なエネルギーを注いでおくべきなのである。

 「墓」という漢字は、「死者を土で覆い隠した物」という意味である。死者のためには、死者が体を広げて眠れる土地が必要なのである。死者に対して「安らかにお眠り下さい」と言いながら、その土地すら用意できないのであるなら、その子孫たちに災いが起こってくるのは当然のことなのである。

●お墓の基本形式

①夫婦で一体

 基本的に夫婦は一緒に埋葬した方がいい。この遣り方の方が、子孫の夫婦仲が良く成るのだ。もう1つは経済的理由からだ。夫婦のために2つも墓石がいるというのは、非経済的な行為なのである。これを可能にするためには、夫婦仲が良くなければできないことなので、生前、夫婦仲を良くしておくことだ。

②一族で埋葬

 夫婦を単位にして埋葬するのではなく、一族を単位にして埋葬するという遣り方もある。「何々家之墓」というのがこれに該当する。これだとお墓が1つになるので、経済的といえば経済的ではある。ただ、一族の墓にしては狭いのだ。一族で1つの墓にするなら、沖縄県の「亀甲墓」みたいに大きな墓を作るべきなのである。

③個人墓

 家系を保っていれば、必ず一族から食み出してくる者が必ず出て来る。夭折する者や成らず者は一族の墓に埋葬せず、他の場所にお墓を建て、60年建ったらその墓を壊して合祀してしまうのである。こうすると、その霊が浄化され、今後、一族の中から異常な人物が出来なく成るのだ。

 お墓の基本形式はこの3つしかないのだ。だから忠実になってこの基本形式を守ることだ。これが出来ないと寺院が供養塔を作って、そこで一括して処理するという遣り方になってしまうのである。お墓をどうするかは自分たち家族が決めることであって、寺院が介入してくるということはもう主導権が奪われてしまうということなのである。

 お墓のことを調べる場合、芸能人やスポーツ選手がやっていることは絶対に参考にならない。この手の人たちは特殊な才能を持った人たちなので、どうしても奇抜なことをしてくるのである。それよりも長く続いている家系を参考にした方がいいのだ。

●お墓の作り方

①墳墓

 お墓というのは基本的に土を盛った物なのである。古墳を思い出せば解ることだろう。現在では墓石がお墓になってしまっているが、神道系の新興宗教団体では「墳墓」を復活させている教団が多々ある。これが本来なら基本なのである。

②墓石

 古墳もそうだったように、ただ単に墳墓が存在するのであるなら、誰を埋葬したのか解らなくなる。そこで墓石を建てるようになったのである。現在では墳墓を省略し、墓石がメインになってしまっているが、これは飽くまでも経済的理由なのであって、これを基本だと思ってはならないのだ。

 墓石は「竿石」「上台石」「下台石」の3つからなる。竿石は人体を意味し、上台石は動産を意味し、下台石は不動産を意味する。墓石が1つしかないと、動産も不動産も持てなくなってしまうのだ。また、墓石に何か問題が発生すれば、その箇所によってその被害の場所が特定できるのである。

 墓石の形は一族で統一することだ。この方が家系を長く存続していくことができるのである。墓石がバラバラだと一族で骨肉の争いが生じて、結局、衰退してしまうことになるのだ。長く続く名家は必ずこの原則を守っているのだ。

③囲いをしっかりと作る

 お墓には囲いをしっかりと作ることだ。墓石があっても囲いのない墓所は運気を保てないのだ。子孫が参拝してくることを考えれば、充分な広さを持った墓所にしておくべきなのである。また墓所内に樹木を植えると、家運は衰退してしまうので、絶対にやめておいた方がいい。

●諡号と戒名

 墓石には諡号を刻まなければならない。諡号というのは霊界での名前だと思えばいい。本名を墓石に刻んでしまうと、男系は絶え、子孫は養子を迎える羽目になる。「何々家之墓」にした場合、3代目で養子の可能性が出て来る。

 「諡号」は神道が定める遣り方で作り、諡号の最後に「命」をつけるこtになる。諡号は墓石に縦書きで書く。夫婦の場合、夫が右側で妻が左側である。これが逆になってしまうと、カカァ天下になってしまうのだ。

 戒名というのは飽くまでも「代用品」なのである。戒名は本来、出家した僧侶が貰う名前なのである。それをいつの頃から僧侶たちが悪用し、死者たちに戒名をつけ、戒名料を取るようになったのである。戒名が常に問題視されるのは、戒名は諡号ではないからなのである。

 戒名料というのは本当にビックリする値段で、数百万円もするのである。高くなればもっと高額になっていくのだ。自分の家がどこかの檀家になっている場合、とにかく戒名料のことは調べておくことだ。身内の者が死に、ただでさえ出費が嵩んでいるのに、突如、高額な戒名料が請求されれば、寺院と喧嘩する羽目になってしまうからだ。

 戒名が豪華すぎると逆に子孫が衰退する。「何々院殿」という文字が入っていると、非常に危険なのだ。戒名は平凡な物でいいのである。別に出家して僧侶になったわけではないので、ただ単にあの世で名前が欲しいだけなのである。

●絶対にやってはならないお墓

①本名墓は絶家に繋がる

 本名墓は絶対にやってはならない。子孫は養子なるし、養子を取っても絶家になってしまうということなるのだ。自己主張の強い人物は本名墓を要求してくるので、その者が死んでもその遺言通りにするのではなく、諡号を墓石に刻むようにすればいいのだ。本人の遺言を貫くことで一族が全滅する可能性だってあるのだ。

②三段になっていないお墓

 お墓に対する知識がないと、墓石は3つ必要なんだというのが解らないのだ。そのため墓石を1つにしてしまったり、自然石を用いたり、十字架を立てたりするのだ。こういうことをやれば子孫が貧困や病気で苦しむことになるのである。

③囲いのないお墓

 経済力が充分にないと、墓所に囲いのあるお墓を作ることができなくなってしまう。特に気をつけるべきは初代の場合で、初代なら必ずお金が儲かるのだから、そのお金を自分のために使うのではなく、墓所の購入に充てておくべきなのである。こうしておかねいと、子供たちは遺産相続で遺産を分割してしまい、お墓にかける資金が不足してしまうのである。

④本家と分家が一緒くたのお墓

 本家と分家は必ず分けることだ。本家と分家が一緒の墓所にあると、共倒れという事態が起こってくるのだ。分家は出て行く運命にあるので、いつまでも本家の中に入れてはならないのだ。本家に於いて家督相続した者は、とにかく分家たちを追い出すようにすべきなのである。

⑤お墓を建物で囲う

 お墓を建物で囲うと、絶家に至る。こういうことは通常やらないものだが、浄土宗の宗祖の法然は墓石を建物で囲っているのだ。勿論、法然の血統は途絶えている。名僧だからといって、お墓のことが詳しいわけではなのだ。

⑥生前墓は絶家への道

 生前墓は絶家への道を辿ることになる。お墓というのは自分の子孫が建てる物であって、自分が建てる物ではないのだ。自分がしていいのは、墓所の購入までであって、それ以上のことをやってはならないのだ。

●日本では3代と7代に気をつけろ

 日本の家族で気をつけることは。「3代目」と「7代目」なのである。この時期に家系が絶え易いのだ。大陸諸国では大抵3代目に全盛期を迎える。それなのに日本では3代目が危機になってしまうのである。

 その最大の理由は初代が働きすぎてしまい、家族に対して充分なエネルギーを注がないからであろう。それに追い討ちをかけるのが仏教で、仏教のような家族否定の宗教を奉じていると、どうしても家系が長く続かないという現象が起こってしまうのである。

 初代と2代目はとにかく働きすぎないことだ。自分たちが運気を全部使い切ってしまえば、3代目に運気がなくなるのは当然のことなのである。自分が功績を打ち立て、充分な資産を蓄えたのなら、早めに引退して、3代で家系が絶えないように配慮すべきなのである。

 7代で家系が絶えるのは、墓所が狭くなってしまったからなのである。新たな墓所を作るか、既存のお墓を五輪の塔に合祀し、一旦墓所を整理するしかないのだ。これをやらないからこそ7代目で絶えてしまうのである。

 家系が存続していけば、必ず一族の中から奇人変人が出て来るものなのだ。この手のバカな連中に、自分たちの家門を汚されるようなことがあってはならない。そこで家系図を作って、自分たちのルーツを教え、家族の家運の変化を知ることができるようにするのだ。

 一族が大きくなってくれば、一族の中から「墓守」を出すことがどうしても必要になってくる。墓守に任じても、結局は自腹になってしまう。そこで「氏族会」を作って、そこで墓守を雇えるようにすればいいのだ。こうするとお墓に関するトラブルが格段に減るのである。

●墓のない人生は儚い人生

 これだけは断言しておくが、「墓のない人生は儚い人生なのである」ということなのである。自分のお墓を作って貰えないような人生は無価値の人生なのである。そしてそういう人生を送ってしまうと、子孫たちは家運のなさのために大いに苦しんでしまうことになるのだ。

 現代社会は正常な社会ではないのだ。狂っている社会なのである。だから「散骨葬」や「樹木葬」をやる者たちが出て来たり、挙句の果てには「宇宙葬」までやる者たちが出て来るのだ。こういう場合、儲かるのはその業者たちだけであって、業者はバカな人間たちを相手にするからこそ大儲けすることができるのである。

 葬儀や埋葬はその個人のために行なうだけのものではないのだ。家系を存続させ、子孫を繁栄させるために行なうものなのである。自分の先祖に散骨葬や樹木葬をやったことがないのに、自分だけがそういう埋葬の仕方をやるべきではないのだ。 

 この世の中で儚い人生を送ってしまった者は、自分だけがすることのできる何か偉大な事業をやっていないのである。お金に追われるような人生を送ってしまったからこそ、碌でもない考えを持つようになってしまったのだ。

 専業主婦であっても、主婦ボケしてしまうと、「お墓なんか要らない!」と言い出してくるものだ。家事や育児をしているのだが、ストレスをいっぱいに溜め込んでしまったために、そういう形で夫に反抗しているのである。この手のバカ主婦は育児が終了したのなら働くべきなのである。夫の苦労が解っていないからこそ、自宅の中で暴言を吐いてくるのである。

●お墓無用論には騙されるな

 いつの時代でも「お墓無用論」は出て来るものなのである。「お墓無用論」は何も新しい意見ではないのだ。もう古臭い意見なのである。それを定期的にリニューアルして、世の中を騒がせることになるのだ。

 だから、「お墓無用論」を真面目に受け取るのではなく、「いつの世でも、必ずこの手のバカげた意見は出て来るものだ」と冷静な態度を取るようにすることだ。先祖祭祀は理屈でやるものではなのだ。宗教の産物なのであって、「歴史」「伝統」「習慣」を徹底的に維持するからこそ、正しく機能することができるのである。

 お墓無用論者には必ず或る一定の特徴があるのだ。それはこの論者に「子供がいない」か、「子供がいても全員娘たちである」ということなのである。つまり、その論者の家系は今まさに断絶しようとしているのである。それゆえ「お墓無用論」を唱えているのである。

 もう1つの特徴はその論者が「邪教」を信仰しているということなのである。邪教は必ず先祖祭祀を否定してくる。従って「お墓無用論」になるのだ。しかしお墓を否定した宗教は絶対に存続できないのである。人々は宗教団体が先祖祭祀を手助けしてくれるからこそ、教団にお金を支払っているのである。

 『千の風になって』という歌は歌として聴く分にはいい。だがこの歌に書かれている歌詞をそのまま真実だと受け取ってはならないのだ。我々は先祖の死体を大事に守ることで、先祖祭祀を行い、その霊力を戴いて、この世で繁栄しているのである。もしも先祖祭祀を行なわないのなら、全部自力でやらねばならなくなるのだ。そうなれば自分がどんなに頑張っても貧乏になってしまうのは、当たり前のことなのである。

●子孫にとって葬式と埋葬は大事な作業

 子孫にとって葬式と埋葬は大事な作業なのである。葬式の研究や埋葬の研究は充分にしておくべきなのである。順番から言えば、自分の親が先に死んで行くので、自分の親がいつまでも元気でいてくれることを願いつつも、親が死んだからどうするのか、きちんと用意しておくべきなのである。

 なんの準備もせず、行き成り親が死んでしまうと、葬式も埋葬もドタバタで進んでいってしまうものなのである。そういう葬式や埋葬はどんなに高額な費用がかかっても、納得できないものなのである。その後悔は業者が引き起こしたものではなく、自分が引き起こしたものだと大いに反省すべきなのである。

 こういうことが起こらないように、自分の友人の家で死者が出た場合、その葬式に行き、出来ることなら手伝ってみることだ。葬式の経験値をそうやって積んでおかないと、いざ自分の身内の葬式を巧くこなせないのだ。

 それとお金持ちの友人がいるなら、その家族はどのような埋葬をしたのかを聞いいてみることだ。お金持ちといっても成金ではなく、何代もお金持ちであり続ける家は、絶対といっていいほど、正しい先祖祭祀をやっているのだ。

 瀕すれば鈍するし、豊かになればバカになるものだ。葬式や埋葬は個人の勝手気儘にやらしてはならないのだ。自分たちの一族がしっかりと原理原則を守り、そのルールに忠実になるべきなのである。そういう「鉄の規律」こそが子孫を大いに繁栄させることになるのである。

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自殺はなぜ起こる?

●人間は自殺することもありえる動物

 人間は「自殺する」ということをする厄介な動物である。他の哺乳動物では自殺などしない。人間は脳が大きくなってしまったために、自殺するという選択を取れる動物へと進化してしまったのである。だからどこの国でも自殺者は出て来るのである。

 動物というものは、生態系の上に行けば行くほど、仲間内で殺し合いを演ずる。例えば「ライオンの子殺し」である。群れに於けるオスの交代に伴って、前のオスの子供たちを殺すのである。人間はもっと残酷で、戦争をすることで、大量の人間たちを殺して行くのである。

 なぜこういうことをするのかとえば、「餌の確保」のためである。人間の場合は食料確保のためであり、富の獲得のためである。食料の生産量に対して人間の数が多すぎれば、不要な人間たちを殺すことで生存可能にさせるのである。他人を殺してでも自分が豊かになりたいからこそ、戦争をやるのである。

 自殺の場合、この殺人願望が自分の方へと向かってしまうのである。要は「この世に於いて生き続けても意味がない」と思うからこそ、自殺という選択肢を取ってくるのである。自殺者が特別な存在なのではなく、人間には誰でも脳内に自殺する回路を持っているものなのである。

 日本の自殺者は年間3万人である。10年間で30万人である。問題は自殺者の数ではない。自殺が問題視されると、必ず自殺者数のことが取り沙汰されるのだが、重要な問題はこれほどまでに自殺者が出ているのに、国民が自殺に対して無関心であるということなのだ。

 もしも凶暴な殺人鬼が現れ、1年間で3万人もの人を殺せば、大問題になることであろう。それなのに自殺者が年間3万人出ても、国民は知らんぷりなのである。自分たちの政治体制や経済や社会に深刻な問題があるかあらこそ、こんなにも自殺者が大量に出て来ているのにも拘らずにである。

●自殺の原因

①借金

 自殺の原因の筆頭はなんといっても「借金」である。借金のために首が回らなくなり、それで自殺してしまうのである。高金利がなぜいけないかとえば、高金利のために借金を巨大化させてしまい、借金返済よりも自殺を選ぶ人たちが出て来るからなのである。

②人間関係

 自殺の原因で2番目に多いのが、「人間関係」である。人間関係が悪化してしまえば、人間は自殺してしまうものなのである。特に学校のような閉鎖空間は要注意で、こういう場所だからこそイジメが発生し、そのために自殺者が出てきてしまうのである。

③偏食短眠便秘

 偏食短眠便秘は自殺を引き起こす危険なものなのである。精白穀物ばかり食べていると、或る突然に脳が真っ白になり、それで自殺してしまうのである。短眠も非常に危険で、睡眠不足が続くと、脳はオーバーヒートしてしまい、それで自殺を選択してしまうのである。便秘をし続ければ、脳内に汚い水が行くことになるので、それで脳がおかしくなり、自殺を引き起こしてしまうのである。

④地位の変動

 人間は保守的な動物だから、「地位の変動」に対しては物凄く弱い。自分の地位が急上昇したり、急降下してしまうと、人間はその変化に耐えることができなくなり、呆気なく自殺してしまうのである。社会の変化が余りにも激しいと、自殺者が大量に出て来るという悲劇的な現象が起こってしまうのである。

⑤ストレスの過剰

 ストレスが過剰にかかったら、それで人は自殺してしまうのである。自律神経は交感神経と副交感神経を交互に行き来しているのに、ストレス過剰のために交感神経にシフトしっ放しになり、それで心身が完全にダメになってしまうのである。

●自殺への対策

 日本政府は自殺問題に対して何も対策を打ってこなかったが、人口減少が起こっている今となっては、政府の不作為は非常に危険なのだ。自殺者の数を減少させれば、少子化に於いても人口減少を食い止めることができるからだ。

①自殺罪の制定

 自殺対策の最も効果的な方法は「自殺罪」を制定することだ。自殺者には自殺罪を適用し、有罪とすると同時に、私有財産を没収してしまうのである。こうすることで保険金目当ての自殺を完全に防止するのである。

 実際、イギリスではこの自殺罪があったために、自殺者の数を大いに減少させたという実績があるのだ。「自殺は殺人と同様に悪いことなんだ」と国民に教え込むためには、自殺罪の制定以外に有効な手段はないのである。

②殺人罪を巧く適用する

 自殺対策に関しては殺人罪を巧く活用するというのも効果的だ。例えばイジメで自殺者が出た場合、そのイジメっ子たちを殺人罪の容疑で逮捕し、その学級の担任も殺人罪の容疑で逮捕してしまえばいいのだ。前者が自殺者をイジメることで自殺に追い込んだわけだし、後者はイジメが発生しているのに放置していたからだ。

③生活再生法

 借金で自殺者が出ないためには、「破産ではなく生活再生」という遣り方で処理すべきなのである。借金のために破産法を適用すると、その後の人生がつらくなるものだ。そこで生活再生法を制定し、負債者の生活を法の管理下に置き、生活レベルを下げると同時に、債権者たちには元本を確保するが、利息の放棄を命じるようにするべきなのである。

④宗教団体の活用

 自殺する者は大抵が無宗教の人間である。人間は宗教団体に所属すると、自殺率が急激に下がるものなのである。そこで宗教団体を活用し、自殺率の減少に繋げるべきなのである。政教分離によって、宗教団体を余りにも政府と切り離しすぎてしまうからこそ、宗教団体を巧く使うことができないのである。

 考えてみれば、仏教は精神病患者たちを受け入れていたという歴史的な事実があるのである。ところが医者たちが精神科を立ち上げ、そこで精神病の治療をすると、逆に自殺者の数が増えてしまったのである。いい加減に精神科は役に立っていないという事実に気づくべきなのである。

⑤自殺に関する教育を施すこと

 子供は小学生の時には自殺などしない。それなのに中学生や高校生に成ると、自殺する者が出て来るのである。思春期は精神的に不安定になるために、どうしても自殺という選択肢を選ぶ者が出て来るのである。

 そこで学校では自殺に関する教育を施しておくべきなのである。自殺というものは決して心の弱い人がやるのではないのだ。人間には自殺してしまうという脳の回路があるのであって、その機能を作動させることなく生きていかなければならないのだ。

●不幸が続く時期は必ずある

 これだけは覚えて欲しいのだが、「人間、生きていれば、不幸が続く時期は必ずある」ということなのである。幸福だらけになるということはないのである。幸福があるからこそ、多少の不幸が発生してしまうのである。

 その頻度は、「1年の内、2ヶ月」であり、「12年の内、2年間」なのである。これが「天中殺」なのである。この時期は休みに徹するべきで、下手に動き回らないようにすべきなのである。動いてはならない時期に動いてしまったからこそ、自殺してしまうのである。

 だから独身というのは危険なのだ。独身である以上、毎日働き続けなければならない。しかしそういうことでは天中殺をモロに直撃してしまうのである。結婚こそ自殺を防止するのに最高の威力を発揮するものなのである。

 かといって結婚すれば万々歳ではないのだ。夫婦が一緒ということは、配偶者が天中殺の時は自分が頑張らなければならなくなるのだ。それなのに配偶者の支援をしないと、逆に天中殺を増幅させるということになってしまうのである。

 如何なる者であっても、10年以上、同じ路線を取ることはできないということなのである。大雑把な目安として、20代は20代なりの生き方、30代は30代なりの生き方、40代は40代なりの生き方をすべきなのである。

 「生涯青春」というのは、その言葉を聞く分にはいいかもしれない。しかしそういう人物は年齢に応じた生き方をしていないのである。だからこそ自分が全く成長していない事実に気づいた時、呆気なく自殺してしまうのである。

 たとえ天中殺で悲劇が起こっても、それは神様から「今までの生き方を変えなさい」と言われているようなものなのである。それゆえ素直になって自分の生き方を変え、新たなステージに突入することができるようにすればいいのである。そういう身替りの速さこそ、自分の生存を保つためには絶対に必要なことなのである。

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主婦と読書

●主婦たちこそ購買層の主力

 出版社にとって「ビジネスマン」「若者」「主婦」というのは、「永遠のターゲット」である。これらの階層にターゲットを絞って出版物を出せば、必ずヒットするものなのである。出版社は無闇に出版物を出しているのではないのだ。

 ビジネスマンたちは仕事をする上で大量の知識と技術を必要とするために、それこそ大量に本を買ってくれるのである。若者たちは勉強しなければならないし、流行に敏感だから、常に勉強関連の本や流行関連の本を必要とするのである。主婦たちは家事や育児をこなすから、家事や育児に関連する物なら幾らでも買うのである。

 ところが本の中で一番なんのジャンルが売れるのかといえば、「料理本」なのである。つまり主婦たちこそが最も本を買っているということだ。主婦たちは日々料理するために、そのネタが尽きないように料理本を買い、夫や子供たちに美味しい料理を食べさせているのである。

 では次に売れるジャンルは何かといえば、「ダイエット本」なのである。これまた主婦たちが大きく関与しているのである。既婚女性は出産すると、体型が母親体型に変わるものだ。しかも育児のために運動量が落ちるので、結構太るのだ。このためにダイエットは欠かせないのだ。

 小説に関しても主婦に買われない限り絶対にベストセラーにならないものなのである。たとえベストセラーになったとしても、主婦たちの支持を得ることのできなかった作家はもう二度とヒットを出せなくなってしまうのである。それほど主婦たちはベストセラーの命運を左右するのである。

●家事や育児で学ぶべきことは沢山ある!

 女性は結婚した当初、家事や育児のことを殆ど知らないものだ。多少は花嫁修業をした女性であったとしても、育児をどうやってすればいいのか知らないものだ。これは人間が進化の過程で生じた欠陥であって、他の哺乳動物たちは育児の仕方を知っているのに、人間だけがそれを知らないのだ。

 だからこそ昔の母親たちは自分の娘に家事手伝いをさせたし、大きくなれば奉公に出し、そこで更に家事を学ばせたのである。家事が出来れば、結婚したとしても家事に関しては苦労しなくなるし、大体、家事が出来れば自然と育児も出来るようになるのだ。

 しかし近代社会では女性たちを奉公に出すということはなくなってしまった。そのために女性たちは家事や育児に関する本を買って、そこで家事や育児を学ぶのである。通常、普通に暮らしていれば、本棚いっぱい分の本は買う羽目になるものなのである。

 断言してもいいが、家事や育児で問題を起こす主婦たちは、本の購入量が少なすぎるのだ。主婦だったら絶対に料理のネタで苦しむものだ。新米ママなら育児のことで苦しむものだ。だったら本を買えばいいのである。その僅かな出費を惜しむからこそ、問題が発生してしまうのである。

 家事や育児が巧く行った主婦はそれだけで終わるのではなく、必ず自分の趣味を持つようになる。編み物だとか、裁縫だとか、歌や踊りとか、如何にも女性らしい趣味を持つのだ。この趣味のために更に本を買うということをしてくるのである。

●主婦ボケの落とし穴

 主婦たちの全員が読書家ではないのだ。主婦たちの中には本全く読まない者たちだっているのだ。主婦ボケが発生すれば自宅の中で傲慢になり、「本を読まなくても生きていける!」という間違った考えを抱いてしまうのだ。

 確かに本を読まなくても主婦業はこなせる。しかし家事の合理化が一向に進まず、いつまで経っても非合理的な作業の繰り返しになってしまうのである。育児にしても、母親の愛情さえあれば子供が育つのではなく、育児に関する知識や技術を知っていれば、子供を健康に且つ優秀に育てることができたかもしれないのだ。

 主婦ボケは読書をしている主婦にだって発生する。主婦なのに下らないジャンルに嵌ってしまうのである。代表例はハレークィーン小説であって、この出版社の本を買うのは殆どが主婦たちであるのだ。主婦たちの妄想を小説にしているからこそ、これに嵌ってしまうと延々と嵌り続けてしまうのである。

 低俗な本を読む主婦たちは必ずといっていいほど、夫婦関係で問題を抱えるものだ。夫婦関係の不満を読書で発散することはしないことだ。夫婦関係で問題が生じているのなら、夫婦で話し合って解決していくべきなのである。

 結婚すれば幸せになれるものである。しかし主婦たちの中には自分が幸せな余りにこの世の不幸を見つめ出す者たちが出て来るのだ、主婦ボケでもこのボケが一番厄介なのである。主婦なのに女性問題や環境問題や消費者運動や反原発運動や平和運動に手を出したりするのだ。

 こういう問題や運動に手を出す主婦は、家庭そっちのけでやってしまうものなのである。しかも幾ら一介の主婦がこの手の問題や運動に手を出しても、大した成果を出すことはできないのである。自分が気付いた頃には夫も子供たちも自分から去っていってしまうものなのである。

●閉経以後の変化

 主婦ボケはごく一部の既婚女性たちに起こるものだろうと甘く見てはならない。如何なる主婦も閉経を迎えるのであって、閉経後、女性は本を読まなくなる傾向が非常に強いのだ。閉経によって女性ホルモンが分泌されなくなり、脳が変化してしまうのである。

 大体、出版社もお婆ちゃん向けに本を出すことはしない。これをやっても当たらないからだ。せいぜい雑誌を出す程度なのである。こうなってしまうと、主婦は過去の記憶を繰り返すばかりで、新たな情報を仕入れることがなくなってしまうのである。

 これに対してお爺ちゃんは良く本を読むのだ。男性の場合、男性ホルモンが分泌され続けるので、脳に変化が起こらないのである。夫は老人になっても成長していっているのに、妻が成長してこなければ、どうしても夫婦の関係がややこしくなるものなのである。

 主婦というのは、閉経前までに或る程度の量の本を読んでおかないと、閉経後は全く本を読まなくなるということを覚えておいた方がいい。たとえ閉経後に本を読めたとしても、その読書量は大いに減少してしまうということも知っておいた方がいい。

 閉経前までは才気煥発の女性であったとしても、閉経後に一気に能力を落としてしまうのは、まさ閉経によって脳に変化が起こってしまったからなのである。だから女性が高齢になっても活躍している人は少ないのだ。

●手足を動かしながら、「読書の習慣」を持つ

 閉経後にも読書をし、しかも活躍している主婦には共通項がある。それは手足を動かしているということだ。家事をやったり、絵を描いたり、ピアノを弾いたりと、手を動かし、しかも買い物や散歩に行って足を動かしているのだ。

 普段から家事の手抜きをし、テレビをボサーッとなって見ていれば、閉経後に読書をしなくなるのは当然のことなのである。主婦が家事の手抜きをし始めるのは非常に危険なのだ。家の中にはテレビというボケを加速させる装置がある以上、家事に対して手抜きはできないものなのである。

 主婦であるなら若い内に「読書の習慣」を持つようにすることだ。普段から読書をしていれば、自然と読書ができるようになるものなのである。こうしておけば閉経によって脳に変化が生じても、読書をし続けることができるのである。

 但し、閉経後は無理して読書をしないことだ。どうしても読書量は落ちるのである。無理をして読書をしていると精神病や脳疾患を引き起こす可能性があるのだ。若い時にやれるような読書は、年を取ってしまえば、もう出来ないのである。

 女性が読書をできる期間というのは限られているものなのである。家事や育児で忙しい時こそ読書をするべきなのである。そうやって読書をしていれば、自然とレベルの高い本を読めるようになるので、本に対して真贋がつくようになるのだ。こうなってしまえば、紛い物の本は切り捨て、有益な本だけを読めばいいようになるのだ。

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老婆の教え

●老婆の教えは金言である

 若い時は学校で一生懸命勉強するものだし、大学進学を目指してそれこそ必死になって受験勉強に取り組む。大学を出たら出たで、他人がどこの大学を出たのか異様に気になってしまうものだ。学歴社会ではそうやって学歴を意識せざるを得ないのだ。

 しかし実際に社会に出て働いてみると、学歴ほど信用できないものない。特にビジネスに於いては「学歴なんか関係ない!」と言いたくなるほどに、学歴は無用の物なのである。要はビジネスに対して才能や技能さえあれば、ビジネスでは簡単に成功していくことができるものなのである。

 学校や大学で学んだ「知識」や「技術」といったものは、そう役に立つものではないのだ。それよりも「人生経験」と「知恵」の方が人生において役に立つものなのである。こういうことは人生の先輩たちに聞くべきであって、他人の人生経験や知恵を拝借することで、自分の人生を実り豊かなものにしなければならないのだ。

 今回紹介するのはこの本!

 ぎんさんの4姉妹著『ぎん言』(小学館)

  ぎん言ぎんさんが娘4姉妹に遺した名言

 「ぎんさん」というのは。「きんさんぎんさん」で有名になった「蟹江ぎん」さんのことで、その「ぎんさん」の娘たちが口述筆記した本である。娘といっても全員がもう「お婆ちゃん」であって、「ぎんさん」の教えを守ったからこそ、今まで無事に生きてこられたというのである。

 老婆の教えは金言である。ただ単にお婆ちゃんではダメである。結婚して子供たちを生み育て、それでいて長生きしなければならないのだ。そういう老婆の言葉には重みがあるのであって、我々は噛み締めて聞かなければならないのだ。

●三ない運動

 まずなんで「ぎんさん」が100歳を超えて生きることができたのかとえば、「三ない運動」をやったからなのである。

「三ない運動」というのは、

「ボケない」

「病まない」

「甘えない」

の三つを言うのである。これは非常に重要な教えで、この運動をやっていないと、本当にボケるし、病気になるし、介護の世話を受けることになるのだ。

 老人になると、どうしても体力が落ちてくる。そのために運動しなくなり、血行が悪くなるので、頭の働きが非常に悪くなるのだ。頭の働きが悪く成ると、余計に頭を使わなくなり、それでボケて行ってしまうのである。

 老人になったらとにかく歩く! 1日3時間は歩くようにすべきなのである。そして本を読むなりして、とにかく頭を刺激することをやりまくるべきなのである。そういう老人は健康だし、病気にならないし、寝たきり老人になったりしないものなのである。

 老人が病気になって病院に行けば、もう医者たちでは治せないものなのである。体のあちこちが傷んでいるのだから、如何なる治療を施しても完治ということはないのだ。だから些細な病気で入院してしまい、そこで様々な治療を施された挙句に、死んでしまうのである。

 老人だからといって他人の手を借りるのは非常に危険だ。そういうことをやっていると体力が落ちてしまうのである。自分が余り動きたくないから、他人の手助けが欲しいという気持ちは解らなくもない。しかしそうやって甘えてしまった代償は途方もなく高くつくのだ。

●日暮れ、腹へれ、夜長たれ

 ぎんさん曰く「日暮れ、腹へれ、夜長たれ」

 これは「日が暮れるまで良く仕事をすれば、腹が減って食事が美味しいし、食欲旺盛になる。そして夜もぐっすりと眠れ、明日への気力を養える」という意味である。実に味わい深い言葉である。これができれば、如何なる者であっても幸せになることができることであろう。

 人間が不幸になるのは、真剣になって労働をしないからなのである。遊び呆けるからこそ不幸になるのである。たとえ仕事をしたとしても、文句を言いながら仕事をするからこそ、不幸になるのである。真剣になって労働をしていれば、必ず幸福になるものなのである。

 人間は満腹になると病気になり易いが、空腹になると健康になるものなのである。だから労働によって空腹の状態を作り出し、それによって健康を維持しなければならないのだ。大体、グルメをやって長生きをした人はいないものなのである。

 人間は睡眠中に体の修復がなされるので、熟睡することは非常に大事なのである。熟睡できれば睡眠中にきちんと修復がなされるので、それで健康になれるのである。もしも不眠症で悩んでいるのなら、日中の働き方を変えた方がいいのである。

 断言してもいいが、若い時に遊び呆けて、美食に走り、日々徹夜を繰り返している人は、絶対に早死にするものなのである。人間としてやってはならないことを平気でやっているのだから、その代償は自分の寿命を縮めることで支払うことになるのだ。

●人間は怠け者になってはならない

 ぎんさん曰く「人間は怠け者になってはならない」

 ぎんさんがこう警告するのは、近代化によって機械が大量に出てきたために、人々がその機械に頼り、怠け者になってしまったと思ったからなのである。世の中が便利になればなるほど、病気が大量に発生しているのである。

 戦前の暮らしを思い出してみれば解ることだが、家事などは全て手作業である。だから主婦たちは働かざる得なかったのであって、そのために筋肉が充分につき、健康でいられたのである。しかし現代のように家事が機械化されてしまうと、主婦たちは働かなくなり、それで病気になってしまうのである。

 癌や白血病は日々体を動かしていれば罹る病気ではないのだ。体を動かさないからこそ体内が栄養過剰になってしまい、その異常な状態を解消するために癌細胞が出現してくるのである。癌や白血病に罹ると食欲が落ちるものだが、その時は食わなければいいのである。その時に無理して飯を食うからこそ、余計に症状が悪化するのである。

 老人にとって非常に危険な物はテレビである。テレビを見てしまうと、そこから動かなくなってしまうからだ。そうやって体を動かさないと筋力が急速に衰えて行くので、それで呆気なく病気に罹り、死んでしまうのである。

 老人になったら、老人でもできる仕事をして、怠け者にならないように努力しなければならないのだ。老後は年金生活で自由気儘に暮らそうだなんで考えていると、退職後数年で死んでしまうことになるのだ。

●結婚したら、どんなことがあっても辛抱しろ

 ぎんさん曰く「結婚したら、どんなことがあっても辛抱しろ。上手に立ち回れ」

 これは本当に結婚の真実を解き明かしている。夫婦は生まれも育ちも違うのだから、性格が一致することは絶対にないのである。しかし若いとそれが解らないのだ。夫婦だからといって性格の一致を求めてしまうのである。それで夫婦喧嘩が発生するのである。

 結婚したら辛抱するに限るのだ。辛抱していれば、相手の良さが解ってきて、その長所を活かそうとするようになるのだ。そうなると結婚は巧く行くようになるのだ。要は相手の短所ばかり見ているからこそ、結婚が巧くいかないのである。

 しかし「ぎんさん」は無闇に辛抱を説いてはいのである。「上手に立ち回れ」と付け加えているのである。例えば夫婦喧嘩になったら、そのまま家にいあたら殴り合いの喧嘩になってしまう。だから夫婦喧嘩になったら自宅を出て頭を冷ますとか、一時的に実家に帰るとかすればいいのである。

 離婚した人は本当に上手に立ち回らないのである。上手に立ち回れば問題を簡単に解決できるということが全然解っていないのである。そのために油に火を注ぐことを平気でやってしまうのである。夫婦喧嘩は常に夫婦双方に原因があるものなのである。

 結婚したら離婚しない方がいいのだ。退路を断ち切るからこそ結婚が巧く行くものなのである。もしも離婚する時は、最早結婚を維持できないような問題が必ず発生してくるので、その時は勇気を出して離婚すればいいのである。既婚者が離婚の選択肢なら常にあると思っていると、結婚を台無しにしてしまうものなのである。

●年寄りの言うことが解ってこそ、嫁として一人前

 ぎんさん曰く「姑の言うことも道理に合わんことばかりではない。年寄りの言うことが解ってこそ、嫁として一人前」

 「嫁姑の問題」は今も昔も変わらない。女性が結婚すれば常に有り得ることなのである。ぎんさんの時代でもこの問題はあったのである。ぎんさんは自分の母親からこの言葉を言われたからこそ、嫁姑の問題を巧く処理できたのである。

 なんで嫁と姑が揉めるのかといえば、嫁と姑では精神レベルが違うからなのである。

 嫁は妻としても母親としても新人である。しかし姑の方は妻としても母親としても、もうベテランなのである。この両者が揃えば、話が合うことなどないのだ。幾ら話しても、巧く理解しえないのである。だから嫁と姑が対立してしまうのである。

 嫁の立場からしてみれば、姑の意見は間違っているのではないかと思ってしまう。しかし姑は必ずしも道理に適っていないことを言っていないのである。姑の話は良く聞く。無闇に全部を受け入れるのではなく、話の内、半分を聞くくらいの余裕を持つべきなのである。

 姑の意見を全く聞かないということでは、嫁として成長していくことができないのである。嫁として成長したいのなら、とにかく姑の言われたことをすべきなのである。そやっていけば、自然と姑の言っていることが良く解るようになるのだ。

 本当に年寄りの言っていることが解ってこそ、嫁として一人前なのである。自分の意見ばかり貫いていると、意外と成長しないものなのである。自分が成長したいのなら、年上の人の意見は聞いた方がいいのだ。

●夫婦は食って行くための戦友

 ぎんさん曰く「夫婦は食って行くための戦友」

 この言葉は結婚に於いて本当に重い。多くの既婚女性たちは恋愛の延長でしか結婚を見ることができないからこそ、結婚生活を満喫できないのだ。結婚したら生活を供にする以上、夫婦が一生懸命に働き、生活を豊かにしていく。それによって「戦友意識」が芽生えてくるのは当然のことなのである。

 恋愛至上主義に取り付かれて、恋愛を最高価値と看做すのは非常に危険なのだ。結婚では恋愛だけじゃないのだ。「家族を食わして行くことを考えよ」ということなのである。恋愛では飯を食えないが、お金があれば飯を食えるのである。

 特に子供が2人の時に家計はピンチの時期を迎えるのである。「死の結界」が張られるので、これによって家族が結束するが、それと同時に家計は苦しい状態に突入するのである。家計簿を作って家計を統制しないと、とてもではないがこの難局を乗り切れないのだ。

 しかし本当の危険は貧乏の時に発生するものではないのだ。貧乏を脱して経済的に豊かになってしまった時が一番危険なのである。夫婦は戦友意識が薄れて行くので、どうしてもバラバラの行動を取ってしまうのである。

 だからこそ、貧しい時に夫婦の関係をしっかりと確立しておくべきなのである。結婚の命運は初期に決まるのであって、後で決まるものではないのだ。夫婦がどのような関係になるのかは、試行錯誤しながらやっていくしかないのだ。

●何をするにも血の滲むくらいの努力をしないと本物にならない

 ぎんさん曰く「何をするにも血の滲むくらいの努力をしないと本物にならない。ともかく、やると決めたからには、死んだと思ってやれ!」

 自分で始めなければ何事も出来ないものなのである。人々は両親に養育された余りに、他人に何かをやって貰おうと思っているからこそ、不幸になっていくのである。自分が幸せになりたければ、まずは自分が動き出すべきなのである。

 物事を成功させたいのなら、努力が必要なのである。しかも血の滲むような努力が必要なのである。若い時は体力が有り余っているのだから、我武者羅になってやるべきなのである。「我武者羅」こそ、成功を確実な物にさせる秘訣なのである。

 どんな仕事でも一人前になるためには10年の歳月を必要とする。どこかの職業に就職したのなら、腰を据えて、とにかく10年間真面目になって働いてみることだ。10年やり続けていれば、必ず一人前になっているものなのである。

 但し、それには条件がある。「自分が死ぬ気になれない職業はすぐに辞めてしまえ」ということなのである。若い時は就職することもできるが、転職することもでいるのである。いつまでもフリーターではダメだが、転職を繰り返している内に、本当に「天職」を見つけることだって有り得るのだ。

 これは主婦にとっては心に痛い筈だ。育児が終了して再就職した時、生活費の足しにしたいと思ってパートで働いているようなら、大して儲からないし、10年経っても本物にはなれない。男性であろうが、女性であろうが、就職したら死ぬ気で仕事をすべきなのである。そうやって仕事をするからこそ、自分の道が開けてくるのである。

●感謝の気持ちを持って暮らすこと

 ぎんさん曰く「感謝の気持ちを持って暮らすこと。鬼になっても、おんなじ1日」

 人生の成功者たちは必ず「感謝の大切さ」を教えるものだ。逆に言えば人間は放置しておけば感謝をしないのである。感謝をしないからこそ、自分の人生が成功しないのである。何をされても当たり前と思っていては、不幸になるのは当然のことなのである。

 長生きする老人たちは必ず感謝の気持ちを持っている。自分の体が老化によって弱っているのだから、周囲の人々に感謝しないと生きられないという事情もある。しかし実際には性格が穏やかだからこそ、感謝をしてくるのである。

 それに対して、怒りを爆発させながら生きている老人たちがいるものなのである。こういう老人の最後は悲惨なものである。癌にやられて激痛と闘いながら死んでいったり、家族の離反に遭ったりして、誰にも見取られることなく死んで行くのだ。

 「感謝の気持ちを持って生きること。鬼になってもおんなじ1日」というのは、余りにも凄すぎる言葉である。本当にそうなのだ。今日この日を幸せに暮らすか、不幸に暮らすのかは、常に自分の心が決めることなのである。

 「ぎんさん」の「ぎん言」は、「ぎんさん」が言ったから面白いのではないのだ。それを抽出し、「ぎんさん」とは関係なくさせても面白いのだ。言わば道理に適っているということなのである。道理に適った生き方をしたからこそ、長生きできたわけだし、人生を幸福に過ごすことができたのである。

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読書と白痴

●読書をしなければ白痴になる

 読書をしなければ白痴になる。無学文盲の者なら読書をすることができないから、その人生でどんなに頑張っても生活の糧を得ることで精一杯の人生を送ってしまう。だから無学文盲が多い国は文明国に征服されてしまうのである。

 国家の独立を保つためには、政府が教育を振興し、教育制度を整えなければならないのだ。教育費に幾らお金がかかったとしても、国民の識字率がアップしていけば、自然と読書するようになり、その知識を生かして生活をレベルアップしていくことができるのである。

 しかし学校や大学を出た者が、卒業後に必ず読書をするのかといえば、決してそうではないのだ。或る者は「仕事が忙しい」と言い訳をし、或る者は「家事や育児が忙しい」と言い訳をし、それどころか「読書してなんの利益があるんだよ!?」と逆ギレしてくるのである。

 「読書をする時間がない!」と言いながら、なぜにお酒を飲む閑がある? なぜにテレビを見る閑がある? なぜに博打をする閑がある? その時間を読書に使えば、1冊の本が読めてしまうのである。1冊本を読めば、それだげ多くの知識を手にすることができるものなのである。

 読書をしている人から見れば、読書をしている人々の思考と行動は手に取るように解るのである。バカは確実に見切られるものなのである。だから頭の良い人たちに搾取され、バカな人たちは貧乏な生活を強いられるのである。

●読書は白痴を生む

 しかし「読書は白痴を生む」ということを決して忘れてはならない。読書をしたために白痴になった連中は想像以上に多いものなのである。読書には「読書公害」という副産物を生むものなのである。読書をする際にはこの読書公害が起こらないように配慮しながら読書をしなければならないのだ。

 読書というものは、所詮「他人が書いた物をただ読んでいるにすぎない」ものなのである。読書をしたからといって賢くなるわけではないのだ。読書は知識を或る程度増やすことしかしないものなのである。しかもその知識量の増加のために思考能力が低下するということもありえるのである。

 読書はお金と労力と時間を食うものだ。人間はなぜ読書をするのかといえば、それに対して投資した物よりも、遥かに高い利益を得たいがためなのである。それなのに読書のためにボーッとしてしまったら、それこそ投資が全部パーになってしまうのである。

 読書公害にやられている者は本屋や図書館に屯しているものだ。特に大学や学校にはぞろぞろいるものだ。よりによって、その者たちが教壇の上に立っているから余計に厄介なのである。政府が折角教育制度を整えても、その内部で読書公害が拡大再生産されるという悲劇的な現象が起こっているのである。

 世間の人々は身体障害者を見れば哀れむかもしれない。難病奇病に冒されている病人を見れば憐憫の情を発することだろう。しかし五体満足で、そこそこの収入があり、常識的な行動を取れる者が、実は読書公害にやれて脳味噌が腐っているというのに、なんの対策もしないのである。

 だからこそ読書公害で白痴になった者は大量に出て来てしまうのである!

●読書公害を防止する方法

 読書をする際には読書公害が起こることを前提に対策を立てるべきなのである。多読の結果、愚かになることも有り得るのだ。如何なる物事も正しい遣り方でやれば成果が出るものなのであって、読書だって正しい遣り方でやらないと成果が出て来なくなってしまうのである。

①読書をしたら思索をする

 まず読書をしたら思索をすることだ。その著者の意見を鵜呑みにするのではなく、自分で考えるからこそ物になるのである。もしもその本で引っかかる箇所があるなら、自分で調べてみればいいのである。こういう手間隙をやっていれば、レベルの高い著者の本だけを読むようになるし、そういう本を読む度に賢くなっていくのだ。

②反復読書と補完読書

 自分が読書をしていて、「これは面白い本だ!」と思ったのなら、とにかくその本を何度も読み返すことだ。この反復読書こそが、その本への理解度を飛躍的に高めることになるのだ。大抵の人たちは一読して終わりにしてしまうからこそ、読書公害にやられてしまうのである。

 その本を理解するためには、様々な本を読まねばならないものだ。その補完読書を惜しんではならないのだ。補完読書をすると、その本を立体的に理解できるようになるのだ。幾らその本が好きだからといって、その本だけを読むようなことなどしてはならないのだ。

 こういうことをやっていると、自然と悪書を読まなくなるものなのである。自分が賢くなっているので、悪書を読まずとも、「その本は悪書だ」と解るものなのである。悪書を読んでいるからこそ、読書公害の餌食になるのである。

③知行合一

 読書をしたのなら、頭の中で自己完結するようなことなどしてはならない。自分が知っているのなら、それを実践してみて、初めて正しい理解となるのだ。自分が知っているのに、それを実践してこないのなら、そのことを本当に理解したとは言いがたいのだ。

 「知行合一」を基準に書物を判別すれば、嘘偽りがはっきりするものなのである。多くの人々は読書をしすぎた余りに頭でっかちになってしまっただけのことなのである。頭でっかちだからこそ、嘘偽りに簡単に騙されてしまうのである。

●休みを取る

 読書は必ず脳を疲労させるものだ。若い時は元気だから、その疲労にはなかなか気づかない。しかし年を取ってくれば読書による疲労に気づいてしまうものなのである。だからこの疲労対策をしっかりとやっておくべきなのである。

①喫茶と散歩

 読書にはお茶が良く似合う。読書をする際にお茶を読む。読書をし終わってからお茶を飲む。人間はそうやって読書による疲労を取り除くのである。大体、どこの国でも文化が発展し始めるのは、喫茶の習慣が広まってからなのである。

 読書をすれば頭に血が行ってしまうのだから、日々の散歩は絶対に欠かせない。1日1時間散歩するからこそ、血液の循環が良くなり、読書に絶えられる力をつけることができるのである。散歩の習慣を持たぬ者は読書をするべきではないのだ。

②半月に1回は休む

 毎日読書をしていれば、勤続疲労が溜まってしまう。そこで休みを取らなければならない。どれくらい休みを取ればいいのかは、科学的にもう解っているのである。それは21日の内、1日は休まないとならないのだ。人間の脳は21日周期で動いているために、21日連続して読書をすると、脳が激しく疲労してしまうのである。

 だから1週間7日制で週休2日は多すぎるのである。これでは休みの取りすぎなのだ。1ヶ月30日制に切り替えて、半月に1回休めばいいのである。実際に読書をしていれば、このペースで休むのが最も効果的だということが解るものなのである。

③年に1ヶ月は長期休暇を取る

 人間は1年の内、1ヶ月間は、頭の動きが悪くなるものだ。その時期は無理して読書をしないことだ。長期休暇を取って、のんびりと過ごすべきなのである。折角の長期休暇を観光旅行に費やすべきではないのだ。観光旅行をしている者に限って、普段は余り読書をしないものだ。

●本物の知性は必ず鋭さを持つ

 読書のしすぎで白痴になったか否かは簡単に判別できるものだ。それは読書公害にやられた者は必ず頭の動きが悪くなっているのである。過剰な知識はその者の思考を押し潰し、正しく物事を考えることをできなくさせるのである。

 本物の知性は必ず鋭さを持つ。本物の知性だからこそ、問題点を的確に指摘してくるし、その論理展開は鮮やかで、人々の常識を覆す結論を導き出すのだ。これは一目瞭然であって、見ればその凄さを瞬時に解ってしまうものなのである。

 しかし偽者の知性は鈍磨しているものだ。問題点自体がどうでもいいことだし、論理展開があやふやだし、結論が陳腐なのである。自分の知性が鈍磨しているということは、読書公害にやられているということなのである。

 切れ味の鋭い日本刀だって、使い続ければ刃が毀れるものだし、人を斬っても確実に殺せないという事態が起こってくるものだ。だから定期的に日本刀を砥ぐのである。知性だってこれと同じことであって、定期的に何かをしなければならないものなのである。

 読書公害は深刻な公害なのである。工場が引き起こす産業公害は目に見えるものだから、その対策を打ち出し易い。だが読書公害はなかなか目には見えないものなのだ。だからその対策を打ち出すことができないのである。

 文字さえ知っていれば、誰でも読書をすることができるが、人々は意外にも正しい読書の仕方を知らないのだ。それゆえ読書公害の餌食になり、白痴に成り下がってしまうのである。正しい読書の仕方をしている者と読書公害にやられている者とでは、時間の経過と共に雲泥の差を生み出してしまうものなのである。

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学力低下はなぜ起こる?

●学力低下に具体的なデータはない

 「最近の子供のたちの学力は低下している」、そういうことが毎年マスコミで報道されるものだ。多くの人たちはこの情報を鵜呑みにし、子供たちの学力に対しては常に否定的な言動を繰り返してくる。しかも、イジメや自殺、登校拒否や学級崩壊などのニュースも流れてくるので、「それ見たことか!」と。学力低下のイメージをより強化してしまうのである。

 しかし子供たちの学力低下に関して具体的なデータは存在しないのである。冷静に考えて、毎年学力低下が起こったのなら、日本は先進国の中で最も知的レベルの低い状態になってしまうのだが、ところがそうはなってはいないのだ。ということは、子供たちの学力低下は嘘なのであって、絶対に信じてはいけないものなのである。

 人間は自分よりも年下をバカだと思う傾向にある。そう思わないと安心できないのだ。もしも年下の者が自分よりも優秀なら、それによっては起こるのは「下剋上」なのである。自分の地位が年下の者によって奪われるのだから、これほど危険なことはないのだ。

 学力低下に関して、もう1つ知っておくべき事実は、「学力低下の記事は決まって一般紙から出て来る」ということなのである。学力低下の情報は常に一般紙が出所であって、一般紙による扇動こそが「子供たちの学力は低下している」と思わせてしまうのである。

 なんで一般紙は子供たちの学力低下という嘘の情報を流すのかといえば、それは「文部科学省の利権を増大させるため」であるのだ。子供たちの学力低下が起こっているのなら、それを口実に文部科学省は学校教育を強化する政策を打ち出すことができる。財務省だって、子供たちの学力低下を阻止するためには、或る一定の資金を回さざるをえなくなるのである。

 こうなってくると逆に危険なのである。文部科学省は毎年着実に権力を増大していっているのであって、もしも文部科学省がその権力を間違った方向に使えば日本の学校は壊滅的な損害を被ってしまうことになるのだ。それが実際に起こったのが「ゆとり教育」なのである。文部科学省が「ゆとり教育」政策を実施したら、本当に学力低下が起こってしまったのである。

 ということは、文部科学省による教育政策の失敗が起こらない限り、子供たちの学力というものはそんなに低下するものではないということなのである。子供たちは学校に行っている限り勉強するものなのであって、そうやって勉強していれば自然と学力は上がって行くものなのである。

●教師の質の低下

 子供たちは学力など低下していないのに、大人たちは「最近の子供たちは学力が低下している」と思い込んでいるだけなのである。逆に言えば大人たちが嘗て受けた教育になんらかの不満があるからこそ、学力低下という嘘にまんまと騙されてしまうのである。

 その最大の原因はなんといっても「教育能力の低い教師から授業を受けてしまった」ということなのである。

①教師の能力低下

 日本の学校の教師たちというのは、教師になるためにしっかりとした教育を受けたわけではないのだ。教師になるためには、教育学部に行くか、他の学部なら教職課程を取るかということなのである。つまり教師たちは「学士」なのであって、修士や博士ではないということだ。

②教育実習が実習になっていない

 教師になるためには教育実習を受けなければならない。しかしその教育実習で本当に授業をするのが、2週間か3週間程度なのである。2週間か3週間程度の実習で、教師の仕事が習得できるわけがないのだ。

③教師は世間知らず

 教師たちは大学から学校へ行くのであって、要は世間に出ていないのである。このため教師たちは世間知らずなのである。だからこそ学校の中で常に異常な事件が発生してくるのである。教師の育成システム自体が「純粋劣化」を生み出すようになっているのである。

 学校できちんと勉強した上で卒業した者なら解るだろうが、学校で幾ら勉強しても、人生に於いて重要なことは何も教えられないものだ。そういうことを教えてくれるのは、常に学校の教師以外の人々なのであって、だからこそ学校で勉強した人たちほど、教師に対して不満を抱いてしまうものなのである。

●教科書問題

 親たちは嘗て勉強が出来た人ほど、学校に対して不満を持ってしまうのである。その理由は至って簡単で、本物の教師に出会えなかったからなのである。そして自分が親になり、子供が学校に行き出すと、薄っぺらい教科書を見てしまい、学校教育に対する不満が爆発してしまうのである。

 日本では教科書に対して政府の検閲が行なわれている。検閲を「教科書検定」という言葉に言い換えているが、それが検閲であることにはなんら変わりない。しかもこの検閲は、政府にとっても利権だし、教科書を出版する出版社にも利権であるために、そう簡単に廃止されることはないのだ。

 教科書に対して政府による検閲が行なわれると、教科書の質は下がるものなのである。政府は政府に対して都合の悪いことは書かせないし、出版社は子供たちではなく、政府の方を向いてしまうので、どうしても面白味に欠けた本になってしまうのだ。

 事実、日本の教科書は先進国の中で最も薄っぺらい教科書なのである。しかも国語や社会科の教科書に関しては偏向的な内容が異様に目立つ物になっているのだ。こんな教科書を使っていては、子供たちの学力が上がるわけがないのだ。

 だからこそ向学心を持つ親たちは、子供たちに参考書を買い与えることになる。参考書には検閲がないために、参考書の出来は非常に良くなっているのだ。実際に大学進学のために勉強するなら、教科書ではなく、参考書を中心に勉強することになるであろう。

●部活動の問題

 学校の方としても、子供たちに学力低下など起こっていないことは重々承知なのである。実際に起こっているのは教師の質が上がらないこと、教科書の質が上がらないことなのである。だから教師たちの授業のレベルが上がっていかないのだ。それゆえ子供たちは塾に行き、そこで勉強しているのである。

 通常、子供たちが学校に通ってきているのに、それにも拘らず塾に行っているのなら、学校の教師は落ち込むものだ。自分が教師としてきちんと教育できていないということなのである。しかし教師たちは問題があっても、動けないのだ。

 その最大の理由が「部活動」なのである。

 教師が部活の顧問になれば、確実に8時間労働を超過することになるのだ。朝の8時に出勤してきて、午後の5時や6時に帰るとなれば、教室で問題が起こっていても、何も改善策を打ち出せないのである。そんなエネルギーはもうどこにも残っていないのだ。

 大体、部活動に熱心な教師に限って、授業のレベルは低下するものである。なんせ自分で勉強する閑がないのだから、授業のレベルを上げて行くことなど絶対に不可能なのである。しかも部活動に対して専門で指導するわけでもないので、部活動の成果だって上がってこないのである。

 ところが学校というものは、部活動が盛んな学校の方が教育効果は高いのである。部活動では教科書に縛られないので、生徒たちは自由に活動することができるのである。このためあっという間に成長していってしまうのである。

●「師範学校の復活」と「教科書の自主制作」

 子供たちの学力低下など起こってはいないが、学校は深刻な問題を抱えているのである。しかも学校はその問題解決を先送りし続けているのである。だからこそ親たちの中で優秀な者たちはなんとなく学校の異常さに気づき、それが学校への不満として存在し続けているのである。

①大学卒業後に師範学校へ行く

 学校の深刻な問題を解決するためには、「学士」を教師として採用することをやめることだ。教師志望の者は大学卒業後に師範学校に行き、そこで教育を1年間受け、実習を1年間受け、その後に教師になれるようにすべきなのである。

 このルートだけを確保するのではなく、就労組を教師として採用するルートも持っておくべきなのである。大学卒業後に一旦は会社などに就職して30歳まで働かせ、その後、師範学校で教育を受けて、教師として採用するのである。人文や社会科学に関しては、こちらのルートで来た方が優秀な教師が出て来る確率が高く成るのだ。

②教科書は学校で教師たちが作る

 政府の教科書検定は廃止し、学校で教師たちが教科書を自主制作するようにすべきなのである。教師たちが教科書を作るからこそ、授業で教えるべき内容が非常に良く解るようになるのだ。教科書を自分たちで作らないからこそ、いつまでも授業が下手糞なのである。

③部活動はスポーツクラブに任せる

 学校の教師たちは部活動から手を引くべきなのである。部活動はスポーツクラブに任せるべきなのである。彼らは専門的にスポーツをやっているのであって、当然に教え方が巧いのである。しかも教師たちは部活動の顧問をやめたことで大量の時間を確保でき、その時間を使って授業を向上させることができるのである。

 子供たちには学力低下など起こっていないが、学校教育対する満足度は非常に低いのである。それだけ学校はきちんとした教育サービスをやっていないということなのである。問題を抱えているのは学校の方であって、子供たちではないのだ。

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「マキちゃん」はなんで運がいいのか?

●どこの世界でも活躍する「マキちゃん」

 人間というのは誰1人として同じ人間はいない。遺伝子レベルで人間は全員が全員違うのである。だから個人を尊重し、平等を否定しなければならないのである。平等を唱えれば、必ず個人の尊厳が破壊されてしまうものなのである。

 しかし人間たちの間では「同じ名前」を持つ者たちがいるのだ。同姓同名ではなくても、同名の者たちなら確実に存在するのである。こういう場合、その個人の個性は違っていても、その同じ名によって、その者たちの性格や人生が似通ったものになることがあるのだ。

 例えば「マキちゃん」である。「マキ」という名を持つ女性は芸能界だろうが、政界だろが、財界だろうが、文学界だろうが、スポーツ界だろうが、どこでも活躍しているのである。しかも普通の女性たちよりも遥かに運が良く、必ずといっていいほど、頭角を現してくるのだ。

 「マキちゃん」を平仮名で「まき」と書こうが、片仮名で「マキ」と書こうが、同じなのだ。「マキちゃん」を漢字にすれば「真紀」「麻紀」「真樹」「真希」「麻貴」「牧子」「巻子」にしようが、その意味する所は同じなのだ。

 自分の娘に「マキ」という名をつけた時、その親はマキの意味が解ってつけているのではないのだ。「マキ」という名にはなんとかく価値があると思っているからこそ、自分の娘にマキという名をつけたにすぎないのだ

 では「マキ」という名にはどんな意味が込められているのか?

●「マキ」の語源

 「マキ」の「マ」は古代日本語で「本当の」という意味で、「キ」は「御神木」という意味なのである。だから「マキ」というのは「本当の御神木」という意味なのである。古代日本では木に神を臨在させ、そこで儀式を行なったのである。

 その儀式を行なったのが、巫女たちなのである。古代の巫女は現代の巫女とは違い、巫女たちは神職者たちよりも地位が高いのでる。しかも「本当の御神木」を扱うのは、巫女たちの中でもトップの者がすることなのである。ということは「マキ」という名が意味する所は「巫女たちの中の最高の巫女」ということなのである。

 「マキ」という名は、女性としては最高の運気を持つ名なのである。日本語で付けられる名でこれを超える名は存在しないといっても過言ではないのだ。マキという名を持っているのなら、とにかくその最高の運気を巧く使って行くしかないのだ。

 「マキ」の語源が解ると、マキという名を持つ単語の意味が良く解るようになるのだ。例えば「槙」。槙は御神木として使われたからこそ、まさにそのまま名がついたのである。「牧」は御神木があった所を牧場にしたということなのである。「薪」は木を焚き木用に解体することで、大事な自宅を暖めるということである。「巻」は御神木のような大事な教えが書かれている物ということなのである。

 「マキ」と発音する単語で悪い意味を持つ単語は1つもない。当たり前だ。これは宗教用語なのであって、日本人なら価値のある物にしかその名を与えなかったのである。これを自分の娘の名につけるなら、その娘は普通の娘たちよりも大事だからという意味が込められるのだ。

●「マキちゃん」の性格

①豊かな母性愛を発揮

 マキちゃんの性格はとにかく豊かな母性愛を発揮してくるということだ。だから結婚適齢期には運命の出会いを果たし、あれよあれよとい間に結婚が進んでいってしまうのだ。玉の輿が多いのもマキちゃんの特徴であろう。

②男性的な突進力

 マキちゃんの性格には男性的な突進力というものが隠されている。表面上は穏やかに見えても、仕事をする時はきちんと仕事をするので、女性なのに仕事で大手柄を立てて来ることになるのだ。芸能界とかスポーツ界のように、一発勝負にならざるをえない世界では、マキちゃんは圧倒的な強さを見せ付けることになるのだ。

③男性からも女性からも好かれる

 マキちゃんは男性からも女性からも好かれるという有難い傾向にあるのだ。女性たちからみれば、「包容力」があるので、マキちゃんがいるだけで安心できるのである。男性たちから見れば、「話の解る奴」なのであって、他の女性たちには本音を言えなくても、マキちゃんだけには本音を言えるのである。

 人生、生きていれば解ることだが、人生の内、何度か大勝負を仕掛けなければならないことがある。この時、マキちゃんは異様な強さを発揮してくるのである。要は「運がいい」のだ。普通の女性たちよりも運がいいために、一気に勝利へと傾いてしまうのである。

 もう1つの理由は土壇場になった時、男女を問わず支援してくれる人たちが必ず現れてくるということだ。普通の女性たちなら自分で全て処理してしまおうとするのに、マキちゃんだけはそういうことをしないので、自分が出来ない事に関しては他人の手を素直に借りることができるのである。

●「マキちゃん」の欠点

 マキちゃんには欠点も存在する。その最たる物は、「平凡な幸福とは無縁である」ということなのである。女性にしては運気が強すぎるので、普通の家庭には収まらないのだ。平凡な家庭を築こうとすると離婚してしまうし、仕事が当たってしまうと、その仕事の忙しさのために終生独身になってしまうのである。

 マキちゃんは女性達を敵に回すという危険性もあるのだ。マキちゃんは包容力がある以上、或る程度は太っておいた方がいいのだ。大体、マキちゃんという少し贅肉があったり、小太りだったり、デブを想像してしまう。もしもマキちゃんが痩せてしまうと神経質になってしまい、それで女性達が敵に回るということが起こってくるのだ。

 マキちゃんは男性達を敵に回すという危険性もあるのだ。マキちゃんは男性たちに認めらているからといって調子をこいていると、「なんだあの野郎は!?」ということになってしまい、どんなに仕事で頑張っても評価されないということになってしまうのである。

 マキちゃんには人生を成功させている者たちもいるが、人生を失敗させてしまっている者たちも沢山いるのである。自分の名が女性としては最高レベルの名であるということが解っていないために、普通の女性たちと同じ行動を取ってしまい、それで人生を破滅させてしまうのである。

 マキちゃんは基本的に巫女なのである。巫女はベラベラとは喋らないものだ。大事なことだけを言い、それ以外は沈黙するものだ。自分は運がいいからといって傲慢になっていると、自分が何かをすればするほど、敵が増えて行くという現象が起こってしまうのである。

●マキちゃんは子供を沢山生んで、更に仕事をする

 マキちゃんは結婚で全てが決まるのである。マキちゃんに相応しい男性はそう多くはないのだ。非常に限られているのである。だから独身時代には仕事をしまくり、自分が仕事で成功することによって、高額所得者である男性と出会えるようにすべきなのである。

 マキちゃんの運命は、「夫の能力で運命の殆どが決まる」といっても過言ではないのだ。普通の男性ではダメなのである。一番良いのは会社経営者であろう。大体、マキちゃんは社長夫人という肩書きが最も良く似合っているのだ。

 結婚したのなら、夫に全部を要求するな。夫を支える方に回るべきなのである。そして子供を沢山生み、自分の強すぎる運気を落ち着いたものにすべきなのである。結婚したのに子供が1人や2人では、結婚が破滅するのは目に見えているのである。

 子沢山でありながらも、何か仕事をした方がいいのだ。マキちゃんであるなら、それが可能なのである。もしも家事や育児で問題があるなら、家政婦を雇えばいいのだ。仕事をすることで自分の強すぎる運気を発散しておかないと、危険なことになるものなのである。

 マキちゃんは普通の女性たちと同じ歩調で歩いていては自分の人生が巧くいかなくなってしまうものなのである。自分は特別な女性なのである。自分の父親が自分のことを非常に大事だと思って「マキ」という名をつけてくれたのである。その寵愛を終生絶対に忘れるべきではないのだ。

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ダメな本ほど、使いようによっては役に立つ

●ダメな本にはそれなりの使い道がある

 読書をし続けていれば、ダメな本に出会うものだ。ダメな本を読めば「あ~、損をした!」と嘆いてしまうものだ。確かに本を買うためにお金を出し、本を読むために労力と時間を注ぎ込んでダメな本を掴まされたのなら、そういう怒りが沸々と湧き上がってくるのだ。

 しかしダメな本にはそれなりの使い道があるのだ。ダメな本だからといって全部がダメではないのだ。ダメな本を巧く使わないからこそ、自分の知的生活が充実してこないのである。良書を読めば利益が大きいが、良書ばかり読んでいては、ダメな本は一体何がダメなのかということが解らなくなってしまうのだ。

 まず「ダメな本だからこそ、やってはいけないことを学べる」ということなのである。良書というのは読み易いし、読めばその内容の奥深さに驚くものだ。ダメな本というのは読みにくいし、読めばその内容が非常に浅いのだ。

 ダメな本は結論がおかしい。その結論では問題の解決策にはならないのだ。結論がおかしいということは論理構成もおかしいということだ。論理学を勉強していないと、平気でこの間違った記述をしてしまうのだ。

 ダメな本は作者自体が怪しい。聞いたこともないような大学の出身だったり、一流大学出身であっても、その大学のレベルなら絶対に書かないような物を書いてくるのだ。「今までお前は何をやっていたんだ?」ということになるのだ。

●ジャーナリストが書いた本

 俺がダメな本の筆頭に挙げるのは、ジャーナリストが書いた本である。特に新聞記者の書いた本である。新聞は情報の垂れ流しにならざるを得ないので、そういう業界で働いていた人が書いた本は確実にダメな本になってしまうのである。

 ジャーナリストが書いた本は、読み易いように見えて、実は読みにくい。ジャーナリストとして不特定多数の人たちを相手にする書き方をしていたために、本のように読者が限定されている物ではその書き方ではダメなのである。

 ジャーナリストが書いた本の最大の特徴は「内容がない」ということだ。ただ単に情報の寄せ集めになっているので、自分で調べて、自分で考え抜いた物ではないのだ。だから情報量はあるのに、内容がないのである。

 ジャーナリストが書いた本に対して、「これはダメな本なんだ」と答えを見つけることができると、自分の知的生活のレベルが急上昇していくものだ。ジャーナリストが書いた本はダメな本の典型例なので、これを切り捨てれば、価値ある本は一体どれなのか自然と解るようになるのだ。

 知的生活に於いては、新聞とかテレビといった物が天敵となるものなのである。世俗のどうでもいいような情報に付き合っていたら、読書をする時間がなくなってしまうのは当然のことなのである。だから新聞やテレビを最小限にし、読書ができる時間を確保すべきなのである。

●学者が書いた本

 ダメな本の二番手に位置するのは、意外なことかもしれないが、学者が書いた本である。学者というのは下手糞な講義をしても、粗悪な本を書いても、「この下手糞!」「詰まんない本を書くな!」とは言われないのである。学者が大学に於いて持つ特権によって、その身分が守られているのである。このため学者が書いた本にはダメな本という物が多々あることになってしまうのだ。

 俺は「東大出身の学者だけが良い本を書く」と断定している。「東京大学の学者」ではなく、「東京大学出身の学者」である。東大は毎年3千人程度の学生を入学させるのだが、この学生たちは同年代の中で最も頭のいい連中なのである。その連中が学者になって本を書けば、高い確率で出来のいい本を書いてくるのだ。

 もう1つは防衛大学校の教官たちである。日本の大学では軍事学はここでしか教えていないので、防衛大学校の教官が書いた本は本当に貴重なのだ。軍事学を学んでいない人が政治学や行政学や経済学を論じても無意味なのだ。国家は軍隊があってこそ独立できるのであって、近代国家の知識人たちにとって軍事学は必修の学問なのである。

 宗教系の大学の学者たちも当たりが多い。「国学院」や「上智大学」といった大学では、日々宗教のことを真面目に研究しているので、そこの学者に本を書かせると、「なるほど!」と言ってしまうほど、普通の人たちとは違う意見を言ってくるのだ。

 これら以外の大学では、どうしても程度が落ちてしまうのである。私学の雄の早稲田大学ですら、レベルは低いものなのである。大学がしっかりとした教育理念を持つとか、学者たちに対する審査を厳しくしないと、どうしても学者のレベルが上がってこないのである。

 因みに学者の書いた本で、「どうも言っていることが解らない」と思うなら、自分の頭の悪さを嘆くのではなく、その本がダメな本であると断定してしまった方がいい。その著者自体がきちんと自分の考えを纏めず、ダラダラと本を書いただけのことなのである。

●社会主義者やフェミニストたちは自分の意見を言っていない

 近代国家には「学問の自由」があるが、この「学問の自由」が正常に作動するためには、「人々がイデオロギーによって洗脳されなければ」という条件がつく。近代国家の学問がおかしくなっていったのは、社会主義やフェミニズムといった洗脳力の非常に強いイデオロギーが出て来たからなのである。

 社会主義やフェミニズムは自分が30歳を過ぎて、一人前の大人として充分な人生経験と知恵を持ってから、そのイデオロギーを信奉するのではない。大概は大学生の時に、社会主義やフェミニズム二洗脳されている教授から洗脳されてしまうのである。

 洗脳は新たな洗脳を呼ぶのである。

 俺は社会主義者やフェミニストたちが書いた本を読まないようにしている。なぜならこれは自分の意見ではないからだ。イデオロギーの意見だから、幾ら読んでも納得できないのだ。自分たちのイデオロギーを正当化するために屁理屈を捏ねているだけなのである。

 社会主義者やフェミニストたちは平等を唱えて、「貧富の格差」や「男女の性差」を指摘してくるのだが、それはただ単に現実を認識できないだけのことなのである。この世は不平等なのである。「貧富の格差」や「男女の性差」があるのは当たり前なのである。

 この世で平等を実現することなど絶対に出来ない。しかし公平を実現することならできるのである。お金持ちであろうが貧乏人であろうが公平に扱う。男性だろうが女性だろうが公平に扱う。人間は公平に扱われれば、満足するものなのである。平等を唱えるからこそ、おかしなイデオロギーを人工的に作り出さなければならなくなっているだけのことなのである。

●最低限のレベルの到達してこない人

 本というのは或る一定のレベルに到達してこないと、どうにもならない物なのである。最低限のレベルに到達してこないのなら、それはダメな本であるのだ。出版界の厳しいルールが解っていないと、ダメな本を平気で出してしまうことになるのだ。

①漢字の使用量が少ない作家

 日本語は「漢字」「平仮名」「片仮名」を使うのだが、漢字を多く使っていかないと、どうしても情報量が少なくなってしまうのだ。だから漢字の使用量が少ない作家は、ダメな本を書きまくっていると推定していいのだ。

 読書をし続ければ解ることだが、平仮名や片仮名が多い本はいずれ読まなくなる。「漢字で纏めれば圧縮できるじゃん」と思ってしまうのだ。日本語の場合、漢字をどのように使うかで、その本のレベルが大体決まってしまうという恐ろしいルールが存在しているのだ。

②独身女性は要注意

 女性作家の内、独身女性は要注意である。自立していない可能性が高いからだ。独身の時に本を書いても、自分が結婚した後のことを考えておくべきなのである。自分が結婚した後に赤面するような内容の本は書くべきではないのだ。

 女性は結婚すると大いに変わるものなのである。しかも妊娠して出産すれば、それこそ「生命の神秘」に出会うことであろう。だからその女性作家は結婚しているのか、子供はいるのかということは、読者たちにとって非常に重要な情報になるのだ。結婚して子供がいる女性作家なら、まずちゃんとした内容の本を書いてくるものなのである。

③妻に先立たれた男性作家

 男性作家の場合、結婚しているのか否かは問うことはないが、既婚の男性作家が妻に先立たれてしまった場合、問題が発生することになる。まずこうなってしまうと、その男性作家のレベルが一気に落ちてしまうのである。

 男性作家の場合、妻の支援があってこそ、著述をしていくことができるのである。だから自分の妻が先に死んでしまうということは、自分を支援してくれる者がいなくなってしまうということであり、それによって作家生命に終止符が打たれてしまうのである。

 人間の寿命は長いようにみえて、実は短いものだ。出来ることなら良書ばかりを読んで、質の高い人生にしてしまいたいものだ。しかし読書をしていればダメな本にも出会うものだ。そういう時はそのダメな本から。「なんでこの本はダメなのか?」を考えるべきなのである。それをやることが、自分の知的生活を底上げすることになるのである。

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キリスト教の教祖「イエス」は、実は仏教徒だった!?

●人工宗教は時間の経過と共に捻じ曲がって行くもの

 宗教というのは文明誕生以前から存在し、文明誕生に於いて最大の成果を上げたものである。だから人間というのは宗教を作れない。人間に出来ることは古代から伝えられてきた宗教をひたすら守ることなのであって、それを後世の子孫に伝えていかなければならないのだ。

 しかし人間たちの中にはこの「崇高なる義務」を果たせない連中が出て来る。文明の基盤である宗教を保守するのではなく、自分の悩みを解決することを優先し、自分の苦悩を解決することのできる教えを宗教であるとしてしまったのである。

 この宗教の激変を最初に引き起こしたのが仏教の教祖である「釈迦」である。釈迦は今までのバラモン教の教えを否定し、自分の考えを最優先してしまったのである。確かに釈迦は「煩悩からの解脱」という素晴らしい教えを説いたが、バラモン教の歴史を継承しないという、とんでもない間違いを引き起こしたのである。

 釈迦の教えがそんなに素晴らしいのなら、釈迦の教えを純粋に守るべきなのである。なぜなら釈迦の言っていることが全てだからだ。しかし仏教は時間の経過と共に捻じ曲がって行く。原始仏教から小乗仏教へ、そして大乗仏教へと、後世の僧侶たちによって釈迦の教えとは似ても似つかない物になってしまったのである。

 この仏教の異常な姿を厳しく批判したのが「富永仲基」である。富永仲基は『出定後後』に於いて「加上説」を展開し、仏教の教義の殆どは後世の僧侶たちが捏造したという事実を論証したのである。彼の学説は江戸時代に於いては奇抜な物であったが、現代の仏教学では彼の学説こそが通説なのである。

●原罪は人類史上最大の冤罪

 仏教ですらこの有様なのである。仏教と同じく人工宗教に属するキリスト教やイスラム教だって、これと似たような現象が起こる筈なのである。人工宗教は必ず後世の宗教家たちによって教義が捻じ曲がって行くものなのである。

 キリスト教が仏教と大いに異なる点は、教祖が早死にしてしまったということなのである。釈迦のように80歳まで生きれば自分の思想を深めることができたが、イエスは30代半ばで刑死しており、自分の思想を深めることができなかったのである。

 イエスの教えは山上の垂訓やイエスの言行などで知ることができるが、かといってそれらは断片的な物なのであって、論理体系が出来上がっている物ではないのだ。キリスト教の信者ならイエスの言葉に感動するものだが、宗教を成立させるためにはそれだけではダメなのである。「神学」というものがどうしても必要になってくるのだ。

 イエスの欠点を補ったのがパウロなのである。パウロはイブがヤハウェの禁令に反して知恵の実を食ったことを「原罪」と言い、ヤハウェは一人子のイエスに贖罪死させた考え、イエスの死は人類の罪を赦す新しい契約の保証であるとしたのである。

 イエスは刑死後、3日目に復活したのであり、この復活を信じる者たちこそがキリスト教徒なのである。

 キリスト教徒はイエスの教えを奉じているわけではないのだ。パウロの教えを奉じているのである。キリストj教は「パウロ主義」に立脚するものなのであって、イエス主義に立脚するものではないのだ。イエスの教えは別にどうでもいいものなのである。

 そもそも原罪というのは実に異常極まりない教えなのだ。「人類史上最大の冤罪」とも言うべきもので、イブが犯した罪を以て、それを全人類の罪されては堪ったものではないのだ。罪は個人が背負うべきで、その罪を他人に擦りつけてはならないのだ。

●イエスは本当にユダヤ教徒だったのか?

 パウロは「律法から信仰へ」と大きく舵を切るのだが、これはイエス自身、ユダヤ教の律法を忠実に遵守するということがなかったからこそ出て来た考え方なのである。ここで大きな疑問が生じる。それは「イエスは本当にユダヤ教徒だったのか?」ということなのである。

 ユダヤ教徒にしてjは余りにも不自然な点が多すぎるのである。まずイエスは割礼をしていない。30代の男性だというのに結婚をしていない。律法を重視していない。挙句の果てにはユダヤ教の神殿で乱暴狼藉を働いているのだ。

 極めつけは「マグダラのマリア」の存在で、この女性は売春婦であったとユダヤ教徒たちは伝えているのである。ユダヤ教はイスラエルの地に広まって行く過程で地母神系の宗教と戦った経歴から、売春婦を激しく嫌う宗教なのである。それなのにイエスは売春婦を連れて宣教活動をしているのである。

 イエスがユダヤ教徒ではなく、外国人と考えるわけにもいかない。イエスはベツレヘムで誕生したと明記されているし、ユダヤ教のラビたちとユダヤ教に関して論争しているので、ユダヤ教を知らない外国人ではないのだ。

 キリスト教徒たちのように「イエスを救世主である」と考えてしまえば、イエスの本当の姿は解らなくなってしまうのだ。「イエスが救世主である」ということを一旦棚上げし、生身のイエスを調べていけば、イエスの本当の姿が見えてくるのだ。

●キリスト教は仏教のパクリ?

 今回紹介する本はこの本!

 ホルガー・ケルステン著『イエス復活と東方への旅』(たま出版)である。

  イエス復活と東方への旅

 この本はキリスト教徒たちにとって余りにも衝撃的で、「イエスは仏教徒であった」と論証したものなのである。「そんなこと、絶対にありえね~」ではなく、これは事実なのである。というか、殆どの人たちは宗教史に対して余りにも無知すぎるのである。

 キリスト教が誕生する前、インドでは大乗仏教が起こり、僧侶たちがインドを飛び出し、全世界に向かって布教しまくっていた時期だったのである。大乗仏教が東方に伝播していったことは仏教史で知っている筈だ。しかし大乗仏教は西方にも伝播していったのである。

 実はイスラエルに大乗仏教の僧侶たちが来ていたのである。それが「東方の三博士」なのである。イエスは誕生の瞬間から仏教に接触していたのである。ということはイエスの両親のヨセフとマリアも仏教徒だったということになるのだ。

 イエスは青年時代にエッセネ派に関わることになるのだが、このエッセネ派こそユダヤ人たちの仏教系宗教団体だったのである。だからこそエッセネ派の人たちで宗教施設に住む人たちは結婚せず、独身でいるのである。結婚を重視するユダヤ教から行き成り出家という考えは出て来ないものなのである。

 イエスは行き成りキリスト教を宣教し始めたのではないのだ。エッセネ派の僧侶として宣教し始めたのであり、エッセネ派の支援があればこそ、あれほどまでに勢力を拡大することができたのである。新興宗教団体がエルサレムに入城するというのは無理がありすぎるが、既にエッセネ派が本拠を持ち、一部隊であるイエスの集団がエルサレムに入城するとなれば、それは有り得る話になってくるのだ。

●イエスは磔刑にされても死んでいなかった

 イエスは宣教を開始してもエッセネ派の一員だったと解るのが、イエスが処刑されて3日後に復活したことなのである。キリスト教系の宗教団体なら、どこの教団でもイエスは磔刑で死んだとされている。しかしそれは違うのだ。福音書を良く読んで行くと、イエスは明らかに誰かに助けられて生き返ったのである。

 イエスは復活した際、単独で復活したのではないのである。他に2人の男たちがいたのである。この男たちは12使徒ではない以上、エッセネ派の人物であと推定されるのである。彼らがイエスに蘇生処置を施し、それでイエスは生き返ることができたのである。

 ということは、イエスは仮死状態にあったということなのである。それが解る記述が、イエスが磔刑を受けて息を引き取る前に、イエスはなぜだかワインを飲んでいるのだ。このワインの中にアヘンを入れておけば、イエスは仮死状態になることができたのである。

 イエスは復活したとしても、そのままイエスラエルの地にいては拙い。だから弟子たちはイエスをイスラエルの地から逃し、「イエスは昇天した」と言い触らしたのである。事実、イエスはその後も生きていたという伝承が各地に残っているのである。

 パウロはダマスコでイエスに会っていたのである。だから目から鱗が落ちるような衝撃を受けたのである。パウロがイエスに出会ったのは、イエスが死んだとされる2年後のことなのである。そんなに遠い日ではなかったのである。

 イエスはパウロを西方に派遣し、自らはローマ帝国を脱出して東方に向かったのである。イエスがメソポタミアやペルシャやインドを渡り歩いたことは、これらの国々の文献に残っているのである。そしてイエスはインドのカシミールで死んだのである。当地にはイエスの墓間でもが存在しているのである。

●マホメットは知っていた?

 キリスト教はどの宗派であってもパウロ主義に立脚するために、イエスは復活した後に昇天したことになっている。しかし実際のイエスは昇天とされた時期よりも遥かに長く生き延びているのである。マホメットはイエスが生きていたことを知っていたからこそ、『コーラン』でキリスト教の教義を否定したのである。

 イスラム教をただ単にイスラム教と見るのは大きな間違いを引き起こす。イスラム教はキリスト教のトマス派である。トマスはイエスと一緒に東方に行ったのであるが、このトマスこそイエスの教えを最も深く理解した弟子なのである。

 アラビア半島ではキリスト教のトマス派が主流を占めており、そこにマホメットが現れてイスラム教を打ち出してきたために、マホメットはいとも簡単に改宗させることができたのである。マホメットが最終預言者だからそういう偉業が出来たと思い込んでいると、イスラム教の本当の姿が見えなくなってしまうのだ。

 イスラム教は自分たちがキリスト教から独立して行くために、イスラム教がキリスト教のトマス派である事実を消し去ってしまったのである。だからキリスト教とイスラム教の関係が解らなくなってしまうのである。

 イスラム教徒たちがキリスト教たちに幾ら侵略を受けてもイスラム教を棄教しない理由は良く解る。キリスト教の教義を捻じ曲げているのではキリスト教徒たちであって、イスラム教徒こそイエスの教えを正しく継承していると考えるからなのである。

●大乗仏教の勃興期の姿が解る

 当たり前のことだが、イエスは仏教徒であったとしても、イエスの教えは釈迦の教えとは違う。法華経の教えとも違うのである。日本人は大乗仏教の最高教典である法華経に慣れてしまっているために、大乗仏教の初期の姿がイマイチ解らないのだ。

 小乗仏教で出家した僧侶たちが寺院で暮らし、戒律を守りながら宗教活動を行い、解脱することを目指すものだ。一般信者たちは僧侶たちを支えるだけ存在なのであって、僧侶が一般信者たちを教化していくということはないのだ。

 この小乗仏教の姿を批判したのが初期の大乗仏教の僧侶たちなのであって、寺院を出て積極的に布教し始めたのである。しかも身1つで布教していくために、僧侶たちは世界の各地へと布教していくことができたのである。

 その際、仏教の教義も捻じ曲がることになる。イエスの言動を調べていくと、この世に於いては人々の霊魂は穢れた状態にあり、それを洗礼と聖油と呪文で真の信仰に目覚め、神と人間が直結できるようにするということなのである。

 その手助けをするのが出家した僧侶たちなのである。僧侶が神と人間の中に立つわけではないが、出家した僧侶というのは絶対に必要なのである。ローマカトリック教会は聖職者を定めているが、プロトスタンティズムは聖職者の存在を認めない。聖書至上主義に走ることが、必ずしもイエスの教えに忠実になることではないということが良く解る。

●我はイエスが仏教徒であることを恥とせず!

 新約聖書の中には「我は福音を恥とせず」という言葉があるが、イエスが仏教徒であると解った今、「我はイエスが仏教徒であることを恥とせず」と言いたい。イエスが仏教徒であると解れば、イエスの本当の教えが解るからなのである。

 イエスが仏教徒であるという事実は、キリスト教徒たちの殆どが認めないであろう。しかしそれではイエスの教えを理解していないということになるのだ。現在のキリスト教はパウロ主義に立脚しているのであって、イエスの教えに立脚しているのではないのだ。

 パウロ主義の放棄はイエスの教えの本当の価値が解ると同時に、パウロ主義に立脚する全てのキリスト教の宗派は潰れて行くことであろう。それでいいのである。偽者のキリスト教を幾ら信仰しても、決して救われることはないのだ。

 宗教に於ける歴史的事実は、「釈迦の教えは地球上の全域に広がっていた」ということなのである。それほど釈迦の教えは素晴らしかったのである。宗教の教祖というのは人々の想像を絶する「天才」なのであって、凡人の視点で考えるからこそ、釈迦の凄さが解らないのである。

 ところが仏教はその後、教義が捻じ曲がっていったし、キリスト教も教義が捻じ曲がっていたのである。これこそ人工宗教について回る宿命なのである。宗教というものは人工的に作り出すことができないのである。その真実を全人類が解るまで、「宗教の誤謬」は存在し続けるのである。

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子供は風邪をひくたびに強くなる!

●赤ちゃんの病気は新米ママにはビックリ!

 どの女性たちも「育児の仕方」を知ってから結婚するのではないのだ。育児の仕方など全く知らずに結婚していくのである。人間は他の哺乳類とは違って、育児の仕方を教えられない限り解らないという厄介な動物なのである。

 出産時にトラブルがなければ、赤ちゃんは健康に育って行くものだ。当初は寝たきり状態なので、授乳して、ウンチして、寝て、オッパイが欲しくなれば泣き出すということを繰り返すものだ。赤ちゃんは元気といえば元気なのである。

 しかし寝返りができるようになってから、赤ちゃんは元気かと思いきや、突然にダウンしてしまったりするのだ。しかも体温は一気に40度にまでに達して、新米ママはその姿にオロオロしてしまうのである。大の大人なら、こんなことは絶対にありえないからだ。

 しかし赤ちゃんがそのような状態になったからといって、行き成り病院に駆け込むのは危険なのである。というか、医者ですらも処置の仕様がないのだ。赤ちゃんはそういうものなのであって、赤ちゃんに対して何も知らないからこそ、すぐに病院に駆け込んでしまうのである。

 赤ちゃんは自分で抗体を作り出せない。母親の母乳を通して抗体を貰い、生後6ヵ月後に抗体を全身に張り巡らせることに成功し、生後2年を過ぎるまで母親の抗体に頼りっ放しなのだ。だから赤ちゃんは抗体が半分近く体に入り始めた生後3ヶ月後当たりから、突然の発熱をしたりすることもあるのである。それは深刻な病気ではなく、抗体が巧く機能している証拠なのである。

●「発熱」「鼻水」「咳」「嘔吐」「下痢」の5連発

 今回お勧めするのはこれらの本!

 吉崎達郎・明橋大二著『子育てハッピーアドバイス 知っててよかった小児科の巻』(1万年堂出版)

  子育てハッピーアドバイス 知っててよかった小児科の巻

 吉崎達郎・明橋大二著『子育てハッピーアドバイス もっと知りたい小児科の巻2』(1万年堂出版)

   子育てハッピーアドバイス もっと知りたい小児科の巻2

 赤ちゃんは病気になれば、「発熱」「鼻水」「咳」「嘔吐」「下痢」の5連発を繰り出してくることになる。これらのことは正常に免疫力が作動しているということなのである。逆に言えばこれらの反応が出ている限り、赤ちゃんは深刻な状態には陥らないのである。

 赤ちゃんの発熱は凄い。発熱したら一気に40度に達してしまう。これは赤ちゃんの白血球が少ないために、思いっきり発熱させて、効率良く白血球を使用していくためなのである。赤ちゃんが発熱しているからといって解熱剤を与えてしまえば、赤ちゃんは病原菌に蝕まれてしまうのでる。

 赤ちゃんの鼻水も凄い。とにかく鼻水を出したら、有り得ない量の鼻水を出してくる。赤ちゃんは体内の水分が豊富なために、大量に鼻水を出すことが可能なのである。赤ちゃんが鼻水を出しているのなら、拭いてあげればいいだけのことなのである。

 赤ちゃんは咳は実に大袈裟である。それは赤ちゃんの体が小さいために、咳をしようものなら全身を使って咳をするのである。こういう咳の仕方は大人ではしない。もしもこういう咳をしたら重病である。だが赤ちゃんは重病ではなくても、大袈裟な咳をしてくるものなのである。

 新米ママは赤ちゃんが嘔吐した姿を見れば驚いてしまう。新米ママの方は嘔吐などしないからだ。赤ちゃんは食道が未発達なために、平気で嘔吐してくるのだ。しかも風邪にでも罹れば、すぐさま嘔吐し、消化吸収にエネルギーを回さず、病気回復のためにエネルギーを集中させるのである。

 新米ママにとってはいつもオムツを替えているために、赤ちゃんの下痢にはビックリしてしまう。赤ちゃんの内臓は生後2年を過ぎるまで完成した状態にはならないのである。このため赤ちゃんは些細なことでも下痢をしてくるのである。

●水を飲ませて、寝かしておけば、自然と治る

 赤ちゃんの病気は基本的に「風邪」なのである。赤ちゃんは免疫力が弱いために、大人よりも風邪に罹り易いのだ。しかも風邪をひいたのなら、その症状が一気に悪化したように見える。それは赤ちゃんとしては当たり前の現象なのである。

 赤ちゃんが病気になったらすぐさま病院に行くのではなく、まずは水を飲ませておくことだ。母乳でも別に構わない。赤ちゃんは免疫力を作動させるために水を大量に使うので、水分補給をしっかりしていないと脱水症状を起こしてしまうのだ。だから水を与えればいいのである。

 そして寝かすことだ。免疫力は睡眠時に最も機能するのである。それゆえ赤ちゃんを眠らしておけばいいのだ。眠っている内に治ってしまうものなのだ。殆どの場合、翌日になれば病気が治っているというパターンなのである。

 赤ちゃんは病気に罹り、それを克服すると、以前よりも遥かに健康になる。病気によって免疫力が増強されたからなのである。逆に言えば病気を何1つしない方が危険なのだ。免疫力が増強されていないために、或る日突然に深刻な病気に罹り、それで呆気なく死んでしまうことになるのだ。

 育児をしている時、様々なルートを持っておくことだ。実母や義母、ママ友や育児経験者、その上での医者なのである。医者しか頼る人がいないからこそ、病院に行きっ放しになり、赤ちゃんは薬害のために逆に体が弱ってしまうのである。

●病院に行くのでjはなく、掃除と母乳と排便をしっかりとせよ

 赤ちゃんが頻繁に病気を起こす家は決まっているものだ。家の中が汚いのだ。掃除をしていないからこそ、赤ちゃんは病気に罹ってしまい、母親はその看病に追われて、より一層掃除をしなくなるという悪循環を繰り返しているのだ。

 赤ちゃんがいる場合、朝起きたらすぐさま掃除を開始することだ。家の中の埃が夜間の間に床に落ちていったので、家族の者たちが動き出す前に床を掃除してしまえば、大方の埃は取れるものなのである。一方、絨毯とか畳の掃除は朝食後である。

 それと母乳の強化である。ご飯と味噌汁をしっかりと取り、野菜や豆類や魚をきちんと摂取しておくべきなのである。母乳を作るためには葉酸が大量に必要になってくるので、野菜や豆類を多く取らないと、いい母乳は出て来ないのだ。

 授乳中は水道水をそのまま飲むようなことをしてはならない。水道水には塩素が混入されているので、葉酸が破壊されてしまうのである。浄水器を設置して、水道水を浄化する必要性があるのだ。因みに言っておくが、塩素をきちんと除去できる浄水器は結構値段が張るものなのである。

 母親たるもの、とにかく日々の排便をしっかりと行なっておくことだ。人間は大腸から水分を取り出し、それを腎臓で濾過して、全身に供給するのである。このため便秘であるのなら、汚い水分が循環してしまうので、それで母乳の質が落ち、赤ちゃんは病気を発症してしまうのである。

●新米ママの責任ではない

 赤ちゃんが病気をした時、新米ママなら自分に何か落ち度があって、それで我が子がこんなことになってしまったのではないかと、自責の念に駆られるものだ。しかし新米ママの責任ではないのだ。赤ちゃんはそういうものなのである。

 強いていうなら、赤ちゃんに対して余りにも無知でありすぎたのである。赤ちゃんに対して愛情があれば、育児ができるものではないのだ。赤ちゃんに対する知識をしっかりと持つということが、絶対に必要なのである。

 赤ちゃんが病気を起こす度に病院に行っていたら出費が嵩むものだし、それに病院に時間を大量に食われてしまうものなのだ。赤ちゃんに対して充分な知識があれば、赤ちゃんが病気になれば、水分を与えて寝かしておけばいいのである。その作業は無料だし、赤ちゃんが寝ている間、母親は自由時間であるのだ。

 赤ちゃんが病院に行って治療を受けても、健康になるものではないのだ。下手に医者に頼ってしまったために免疫力が上がらないし、薬のために体内のビタミンやミネラルが奪われ、余計に貧弱な赤ちゃんになってしまうのである。

 育児をしているのなら、赤ちゃんを信頼して、赤ちゃんの自己治癒力を使って病気を治して行くべきなのである。その自己治癒力は母親の母乳から来ている以上、母親自身が食生活をしっかりとしておかなければならないのである。自己治癒力で対応しきれなくなった時に、初めて病院に行くべきであって、それ以外では病院に行くべきではないのだ。こういう育て方の方が赤ちゃんは健康に育つものなのである。

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タウンミーティングはなぜ旨く行かないのか?

タウンミーティングは失敗だらけ

 いつの頃からか、日本の政治家たちは「タウンミーティング」なるものを開催するようになった。言葉から見て解るように、これは外国から輸入した物であり、しかも未だに日本語化されていない以上、日本に定着したとはいえないのだ。

 ということは、タウンミーティングをやっても余り効果はないということだ。

 事実、自民党政権はタウンミーティングを遣り始めてから国民の支持を失い始め、遂には与党から転落してしまったのである。自民党は日米同盟を堅持して日本の独立を守り、戦後復興を成し遂げ、国民の生活を飛躍的に豊かにした功績があったのに、タウンミーティングをやってしまったために、今までの支持者たちを失ってしまったのである。

 自民党政権を倒して与党になった民主党も、自民党の政策を悉く否定しながらタウンミーティングだけはしっかりと継承してしまった。このためタウンミーティングを開く度に国民の支持を失い始め、最終的には国民から総スカンを食ってしまったのである。

 タウンミーティングは失敗だらけなのである。与党にとっては国民に政策を説明しようと思ってタウンミーティングを開いているのに、タウンミーティングを開いても国民には理解されないし、それどころか今まで自分たちを支持してくれていた人たちまで失ってしまうのである。

 そもそも政治家がタウンミーティングを開くこと自体がおかしいのである。これだけマスメディアが発達した時代なjのである。本来ならマスメディアを使って、より多くの国民に対して政策の説明を行なうべきなのである。タウンミーティングにように数百人程度の人たちを相手に政策を説明するからこそ、国民は不信の目を抱いてしまうのである。

●プロテスタンティズムの産物

 タウンミーティングはアメリカ生まれの物である。しかもこのタウンミーティングの誕生には宗教が深く関わっているのであり、アメリカの宗教の歴史を知っていないと、絶対にきちんと理解できないのだ。無宗教を標榜する政治家なら、タウンミーティングは絶対に理解できないと言っていいのだ。

 ローマカトリック教会は信者たちに聖化を齎す儀式として「秘蹟」を定め、「洗礼」「堅信」「告解」「聖体」「婚姻」「叙階」「塗油」の7つを定めた。これに対してプロテスタンティズムは聖書至上主義に立脚して「洗礼」と「聖餐」だけを秘蹟として認めたのである。

 プロテスタンティズムの歴史では洗礼に関して幼児洗礼を認めるのか認めないかの議論が起こったために、洗礼こそ重要な問題ではないのかと錯覚してしまう。実は違うのである。プロテスタントたちにしてみれば、聖餐こそが大事なのである。

 プロテスタンティズムはどの宗派であったとしても、回心によって自己中心から神中心にシフトできた者のみが洗礼を受けることができ、教会できちんと宗教教育を受けた上で聖餐式に参加できるのである。聖餐式に参加できる者のみが本当の教会員なのであって、投票権を与えられて教会の運営に参加できるのである。 

 しかもアメリカの政治では教会堂に政治家が赴いてタウンミーティングを開催するのであって、そのタウンミーティングに参加できるのは、聖餐式に参加することの出来る本当の教会員たちだけなのである。いわばタウンミーティングは「聖餐式の変形」なのである。

 日本に生まれ育った者であるなら、絶対にアメリカのタウンミーティングを理解することができない。日本の宗教団体では政治家がその宗教団体に赴いて演説することはあっても、そこでタウンミーティングが開催されることはないからだ。日本では「宗教は宗教」「政治は政治」と、きちんと日本式の政教分離がなされているからなのである。

●日本では「講」なのである!

 日本ではプロテスタントたちがどんなに多く見積もっても50万人を超えることはないから、「聖餐式の重要性」を言われては解らないし、「宗教施設内で開催されるタウンミーティング」だって解りはしないのだ。

 プロテスタンティズムでは聖餐式が最も大事なのであるが、日本では「講」こそが最も大事な物なのである。「講」こそが鎌倉仏教の原動力だったのである。「講」への理解なくして鎌倉仏教を理解することは絶対に出来ないのだ。

 鎌倉仏教は僧侶たちが今までのように貴族たちを相手にするのではなく、武士や庶民たちを相手にした宗教運動なのである。その際に、最大の問題となったのが「宗教運動の資金をどう調達するか?」ということなのである。

 この問題に対して早々と解決策を打ち出したのが日蓮なのである。日蓮は信者たちに少人数の講を作らせ、そこで宗教運動を展開させると同時に、そこから資金や食料を送らせたのである。日蓮の感謝状が多く残っているのは、このためなのである。日蓮宗では早々と資金調達の問題をクリアしたからこそ、教団創設当初からエネルギッシュに活動することができたのである。

 一方、浄土真宗ではこの講の重要性が解らず、一時期、滅亡寸前にまで行ったのである。そこに登場したのが蓮如であり、日蓮宗の遣り方を真似て講を採用したのである。しかも日蓮宗よりも遥かに大人数の講にしたのである。

 だからこそ一向一揆が可能になったのである。庶民たちが一向一揆をやるためには、ただ本願寺が命令を下すだけでは出来ないのだ。必ず庶民たちを扇動する僧侶が必要なのであり、僧侶立ちは講に於いて演説をぶちかまし、庶民たちを扇動していったのである。

 現在の日蓮宗も浄土真宗も既成仏教として、嘗ての宗教的熱狂がなくなってしまったが、昔は凄かったのである。この講を再発見したのが新興宗教団体なのであって、神道系仏教系を問わず、発展していった教団は必ず講を採用したのである。

●寄合に寄席に立会演説会

 この講の雰囲気が未だに残っているものに「寄合」がある。村とかで行なわれる寄合こそ、日蓮宗が採用した講なのである。少人数ではあるが、みんなが車座になって話し合い、みんなが納得した形で結論を出すのである。勿論、多数決はないし、民主主義とは全く無縁である。

 もう1つが落語の「寄席」である。この寄席は浄土真宗が変形させた講に近いものなのである。寄席では落語家が一方的に喋るが、浄土真宗の講でも僧侶が一方的に喋っていたのである。浄土真宗の僧侶たちも信者たちも意見が一方的なのは、講自体が一方的に話すようになっているからなのである。

 明治維新以降、英語の「スピーチ」を福沢諭吉が「演説」という翻訳後を与えると、この演説が一大ブームになったのである。なんせ講で行なわれていた喋りに、「演説」という言葉が与えられたために、誰もが「あ~、そうか!」ということになったのである。

 国会開設要求運動でも、国会開設後でも、「立会演説会」というのはどこも満員盛況だったのである。この熱気を理解しないと、近代日本の大躍進は絶対に理解できないのだ。講談社の創始者「野間清治」は演説が余りに面白いということで『雄弁』なる雑誌を刊行し、それが大ヒットしたぐらいなのである。

 昭和憲法下の日本では、立会演説会が余りにも盛り上がってしまったので、選挙中の立会演説会は法律によって禁止されれいる。このため選挙中は散々街頭演説を聞かされることになるのだ。街頭演説は演説の質を低下させるものなのである。聴衆が不特定多数の者たちだし、お金を支払っていないので、どうしても演説のレベルが上がらないのである。

 なんで街頭演説がそれほどまでに重要視されるのかといえば、レーニンが街頭演説を行なってロシア革命を引き起こしたからなのである。日本で社会主義革命を引き起こすべく、街頭演説を活発化させているのである。ここにも社会主義の亡霊がいるのである。

●選挙運動は地味と派手の組み合わせ

 日本の宗教史が解っていれば、絶対にタウンミーティングは行なわないものだ。なぜならそれを支える伝統が日本にはないからなのである。日本には「講」というものがあるのであって、この「講」を巧く活用していかないと、まともな政治運動などできないのである。

 政治家であるなら、地道に挨拶回りを繰り返していくしかないのだ。まずは寄合に参加して、少人数相手の支持者たちと突っ込んだ話し合いをしなければならないのである。これは時間を大いに食うものだ。しかしこれをやらないと支持を得ることはできないのだ。

 もう1つは立会演説会に出席し、派手に演説を行なうことなのである。選挙中の立会演説会は法律で禁止されているために、選挙期間中以外に立会演説会を開き、そこで熱弁を振るうべきなのである。演説が下手であるなら、政治家としては絶対に務まらないのだ。

 日本の政治家たちは与野党を問わず「官僚政治の打破」を唱えているが、官僚たちは「タウンミーティング」なる言葉は使っていない。官僚たちは「説明会」という言葉を使っているのだ。これなら日本では巧くいくのだ。

 官僚たちの方が余程しっかりとしている。大体、外来語は信用できないものなのである。「選挙公約」といえばいいものを、民主党は「マニフェスト」なる言葉に置き換えてしまった。それでどうなったか? 民主党はマニフェスト違反をやりまくったのである。政治家として、まともな政治をやりたいのなら、言葉に対して慎重になるべきなのである。

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涙の意味

●男女の不思議

 男性が女性と恋をした時、その恋のトキメキとは裏腹に、女性の特有の不可解な実態に気づくことになるものだ。女性の体は男性の体より柔らかいに始まり、男性よりも飯は少ない、それなのに便秘をしているとかなどだ。

 そして最も不可解なのが「女性はやたらと涙を流す」ということだ。男性は殆ど涙を流さないので、女性が涙を流す姿を見れば驚きオロオロしてしまうことになるのだ。恋愛している最中にこの謎をといておかないと、結婚すれば更に女性は涙を流してくるものなのである。

 男性と女性は決して同じ生き物ではない。性別が男女を思いっきり変えてしまうのである。恋愛にしろ、結婚にしろ、男女に潜む「男女の性差」を巧く利用して、高エネルギーを発するようにすべきなのである。この高エネルギーは他では得ることができないからこそ、恋愛も結婚も楽しいわけなのである。

 女性が涙を流しまくるのには、ちゃんとした「涙の意味」があるのである。なんの機能もないのに、涙を流してくることはないのだ。女性たちは必要だからこそ涙を流しているのである。それに対して男性たちは必要ないからこそ涙を流さないのである。

 女性の方にしても、涙を流しまくり、その姿を男性が見て困惑しているようなら、それはそれで問題なのだ。男性の方にしても涙を流さず、女性が自分1人で涙を流すことに不満を抱かしてしまっては、それはそれで問題なのである。

●涙のメカニズム

①ストレスの解消

 そもそも女性はなんで涙を流すのか? それはストレス解消を行なうためなのである。涙を流すことでストレスが限界点を超えないようにするのである。もしも全く涙を流さなければ、ストレスが限界点を超えてしまい、精神が異常になってしまうのである。事実、精神病患者はなかなか泣かないのである。

 女性が涙を流した後にスッキリするのは、涙を流すことでストレスが解消されたからなのである。女性は男性よりも遥かに感情量が多いので、ストレスを溜め込み易いのだ。だからストレスでいっぱいになってしまったら涙を流すことで、ストレスを発散させるのである。

②副腎皮質ホルモン 

 涙を流すと、副腎皮質ホルモンが分泌される。これによって免疫力が高まるのである。涙を流さなければならないという状態は人間にとって危険な状態なのである。だから副腎皮質ホルモンを分泌して、免疫力を高めるのである。

 女性は涙を流すからこそ、免疫力が高くなるという現象が起こってくるのである。このためどこの国でも女性の平均寿命は男性よりも7歳くらい高くなっているのだ。女性なのに涙を流さないと、寿命が短くなってしまうのだ。

③コーチゾール

 涙を流すとコーチゾールが分泌される。これは人体に緊張を齎す物質である。だからこそ涙を流すと、なぜだか心身がシャキッとしてしまうのである。涙を流した後に労働をすれば、普段よりも遥かに高い生産性を叩き出すことができるようになるのだ。

 泣くことは健康に寄与しても、泣き続けることは心身に対して非常に悪い。コーチゾールが分泌され続けるので、自律神経が常に交感神経にシフトしっ放しになるのだ。それゆえ、いつもメソメソしている女性は不幸の連続だし、早死にしてしまうのである。

●なぜ女性に涙は付き物なのか?

 女性の人生はまさに涙が付き物だといっても過言ではないのだ。女性は涙を流しながら生きて行くし、涙を流すことで成長していく。

①恋愛

 女性が恋愛をしたのなら、必ず涙を流す筈だ。本物の恋愛は絶対に女性に涙を流させるのである。逆に言えば、彼氏と付き合っても涙を流さない女性は、幾らその男性と付き合ったとしても、その付き合いは絶対に恋愛ではないのだ。

②結婚

 女性が結婚する際には必ず涙を流す。プロポーズされたら涙を流すし、結婚式を挙げれば涙を流すのだ。涙を伴わない恋愛結婚は絶対に存在しない。その結婚は破局が目に見えているのだ。だからプロポーズをされたら、嘘でもいいから泣けということなのである。プロポーズを平然と受け止めてしまう女性は、自ら不幸の人生を歩むと宣言しているようなものなのだ。

③出産

 女性は出産すれば、出産の感動で涙を流す。生まれてきた赤ちゃんは薄紫色で半漁人みたいな姿をしているのに、「私、天使を生んじゃった!」と勝手に思い込み、感動してしまうのである。この感動は絶対にすべきものなのであって、出産時に下手に客観的になるべきではないのだ。

④育児

 女性は母性ホルモンの分泌によって涙腺が緩むことになる。このため育児中は涙脆くなるのだ。子供のちょっとした行動を見ては泣くし、絵本を読むだけで泣くし、夫婦で会話していても泣くのである。育児は様々なストレスを発生させるので、涙を流せば流すほど、ストレスは解消されていくのだ。

 育児ストレスを溜め込んでいるなら、とにかく泣け! 泣けば育児ストレスは発散してしまうものなのである。泣かないからこそ育児ストレスでダメになってしまうのである。母親が泣いていれば、逆に子供はキョトンとしてしまうものなのである。

●泣く子は良く育つ

①新しい環境に適応するため

 赤ちゃんはこの世に誕生すると、泣き始める。これは胎内の環境と、出産後の環境が余りにも違ってしまったために、驚いて泣いているのである。事実、出産を薄暗い部屋で行なうと、赤ちゃんは泣かないのだ。

 赤ちゃんは泣いた方がいいのだ。泣くということは、新しい環境に適応するために必要なことなのである。余り泣かない赤ちゃんはその後に問題が出て来るものなのである。赤ちゃんだって涙を流すことでストレスを発散させているのである。

②免疫力

 赤ちゃんが泣くことは、自分の免疫力を高めているということなのである。特に0歳児から1歳児での泣きはアレルギー疾患を防止するために絶対に必要なことなのである。自分の赤ちゃんに泣きが足りないなと思ったら、冷水をぶっかけることだ。これで大泣きするので、逆に赤ちゃんは健康になるのだ。

③生きて行くために緊張感を持つ

 赤ちゃんは泣くことで緊張感を保つのである。赤ちゃんが泣き終わると、妙にシャキッとしているが、これこそ赤ちゃんにとっては必要なことなのである。緊張感がないと自律神経が巧く作動しなくなるので、それで心身が狂っていってしまうのである。

④10歳を過ぎると、男女共にそう簡単に泣かなくなる

 子供の時には散々泣いたくせに、10歳をすぎると男女共にそう簡単に泣かなくなる。これは自立の開始の合図で、これ以降、徐々に親と距離を取り始めるようになるのだ。だから子供が弱虫でも余り心配しないことだ。子供は大きくなれば、泣かなくなるものなのである。

●なぜ男性は泣かないのか?

 女も子供も涙を流すのに、男性は涙を流さない。それにはちゃんとした理由が存在するのである。「涙は仕事の邪魔をする」ということなのである。男性は涙を流さないからこそ、仕事に集中することができ、仕事で成果を築くことができるのである。

 なんでこうなってしまったのかというと、文明誕生以前にまで話は遡る。男性たちは狩猟こそがメインの仕事なのであるが、狩猟の時には感情を消し、理性的にならざるを得ないのである。涙を流すような男性では狩猟の仕事が務まらなかったのである。

 これは現代にも言えて、すぐ泣く男性には重要な仕事を任すことはできないのである。涙を流している男性は芸能人ぐらいなもので、ビジネスマンなら絶対に涙を流さないのだ。特に指導者になるような人物は絶対に涙を流すことはできないのだ。

 男性は涙を流さないからこそ、男性には「修行」が必要となってくるのだ。宗教界に於いて「修行」を考え出している人たちは全て男性なのである。「修行をしないと、男は一人前になることができない」と解っているからこそ、修行を考え出し、修行をやりまくるようになるのだ。

 修行の効果は涙を流す効果とほぼ同じなのである。修行をやった当初はストレスを抱え込むが、修行をやり終えた後はストレスが解消してしまうのである。修行をすれば副腎皮質ホルモンもコーチゾールも分泌されるので、免疫力は強くなるし、緊張させることもできるのである。

 女性は涙を流すことで美しくなっていくが、男性は修行をすることで格好良くなっていくのだ。一人前の男性は顔つきがしっかりとしているものだ。これは修行によって鍛えたからこそ、そうなったのである。それほど男性にとって修行は大事なのである。

 カップルや夫婦で泣く泣かないで揉めるくらいなら、その男性たちにとにかく修行を受けさせることなのだ。一人前の男性がいれば、女性は安心して涙を流すことができるのである。修行のない恋愛や結婚は、幾ら本人たちが努力しても、巧く行かないものなのである。

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