●老婆の教えは金言である
若い時は学校で一生懸命勉強するものだし、大学進学を目指してそれこそ必死になって受験勉強に取り組む。大学を出たら出たで、他人がどこの大学を出たのか異様に気になってしまうものだ。学歴社会ではそうやって学歴を意識せざるを得ないのだ。
しかし実際に社会に出て働いてみると、学歴ほど信用できないものない。特にビジネスに於いては「学歴なんか関係ない!」と言いたくなるほどに、学歴は無用の物なのである。要はビジネスに対して才能や技能さえあれば、ビジネスでは簡単に成功していくことができるものなのである。
学校や大学で学んだ「知識」や「技術」といったものは、そう役に立つものではないのだ。それよりも「人生経験」と「知恵」の方が人生において役に立つものなのである。こういうことは人生の先輩たちに聞くべきであって、他人の人生経験や知恵を拝借することで、自分の人生を実り豊かなものにしなければならないのだ。
今回紹介するのはこの本!
ぎんさんの4姉妹著『ぎん言』(小学館)

「ぎんさん」というのは。「きんさんぎんさん」で有名になった「蟹江ぎん」さんのことで、その「ぎんさん」の娘たちが口述筆記した本である。娘といっても全員がもう「お婆ちゃん」であって、「ぎんさん」の教えを守ったからこそ、今まで無事に生きてこられたというのである。
老婆の教えは金言である。ただ単にお婆ちゃんではダメである。結婚して子供たちを生み育て、それでいて長生きしなければならないのだ。そういう老婆の言葉には重みがあるのであって、我々は噛み締めて聞かなければならないのだ。
●三ない運動
まずなんで「ぎんさん」が100歳を超えて生きることができたのかとえば、「三ない運動」をやったからなのである。
「三ない運動」というのは、
「ボケない」
「病まない」
「甘えない」
の三つを言うのである。これは非常に重要な教えで、この運動をやっていないと、本当にボケるし、病気になるし、介護の世話を受けることになるのだ。
老人になると、どうしても体力が落ちてくる。そのために運動しなくなり、血行が悪くなるので、頭の働きが非常に悪くなるのだ。頭の働きが悪く成ると、余計に頭を使わなくなり、それでボケて行ってしまうのである。
老人になったらとにかく歩く! 1日3時間は歩くようにすべきなのである。そして本を読むなりして、とにかく頭を刺激することをやりまくるべきなのである。そういう老人は健康だし、病気にならないし、寝たきり老人になったりしないものなのである。
老人が病気になって病院に行けば、もう医者たちでは治せないものなのである。体のあちこちが傷んでいるのだから、如何なる治療を施しても完治ということはないのだ。だから些細な病気で入院してしまい、そこで様々な治療を施された挙句に、死んでしまうのである。
老人だからといって他人の手を借りるのは非常に危険だ。そういうことをやっていると体力が落ちてしまうのである。自分が余り動きたくないから、他人の手助けが欲しいという気持ちは解らなくもない。しかしそうやって甘えてしまった代償は途方もなく高くつくのだ。
●日暮れ、腹へれ、夜長たれ
ぎんさん曰く「日暮れ、腹へれ、夜長たれ」
これは「日が暮れるまで良く仕事をすれば、腹が減って食事が美味しいし、食欲旺盛になる。そして夜もぐっすりと眠れ、明日への気力を養える」という意味である。実に味わい深い言葉である。これができれば、如何なる者であっても幸せになることができることであろう。
人間が不幸になるのは、真剣になって労働をしないからなのである。遊び呆けるからこそ不幸になるのである。たとえ仕事をしたとしても、文句を言いながら仕事をするからこそ、不幸になるのである。真剣になって労働をしていれば、必ず幸福になるものなのである。
人間は満腹になると病気になり易いが、空腹になると健康になるものなのである。だから労働によって空腹の状態を作り出し、それによって健康を維持しなければならないのだ。大体、グルメをやって長生きをした人はいないものなのである。
人間は睡眠中に体の修復がなされるので、熟睡することは非常に大事なのである。熟睡できれば睡眠中にきちんと修復がなされるので、それで健康になれるのである。もしも不眠症で悩んでいるのなら、日中の働き方を変えた方がいいのである。
断言してもいいが、若い時に遊び呆けて、美食に走り、日々徹夜を繰り返している人は、絶対に早死にするものなのである。人間としてやってはならないことを平気でやっているのだから、その代償は自分の寿命を縮めることで支払うことになるのだ。
●人間は怠け者になってはならない
ぎんさん曰く「人間は怠け者になってはならない」
ぎんさんがこう警告するのは、近代化によって機械が大量に出てきたために、人々がその機械に頼り、怠け者になってしまったと思ったからなのである。世の中が便利になればなるほど、病気が大量に発生しているのである。
戦前の暮らしを思い出してみれば解ることだが、家事などは全て手作業である。だから主婦たちは働かざる得なかったのであって、そのために筋肉が充分につき、健康でいられたのである。しかし現代のように家事が機械化されてしまうと、主婦たちは働かなくなり、それで病気になってしまうのである。
癌や白血病は日々体を動かしていれば罹る病気ではないのだ。体を動かさないからこそ体内が栄養過剰になってしまい、その異常な状態を解消するために癌細胞が出現してくるのである。癌や白血病に罹ると食欲が落ちるものだが、その時は食わなければいいのである。その時に無理して飯を食うからこそ、余計に症状が悪化するのである。
老人にとって非常に危険な物はテレビである。テレビを見てしまうと、そこから動かなくなってしまうからだ。そうやって体を動かさないと筋力が急速に衰えて行くので、それで呆気なく病気に罹り、死んでしまうのである。
老人になったら、老人でもできる仕事をして、怠け者にならないように努力しなければならないのだ。老後は年金生活で自由気儘に暮らそうだなんで考えていると、退職後数年で死んでしまうことになるのだ。
●結婚したら、どんなことがあっても辛抱しろ
ぎんさん曰く「結婚したら、どんなことがあっても辛抱しろ。上手に立ち回れ」
これは本当に結婚の真実を解き明かしている。夫婦は生まれも育ちも違うのだから、性格が一致することは絶対にないのである。しかし若いとそれが解らないのだ。夫婦だからといって性格の一致を求めてしまうのである。それで夫婦喧嘩が発生するのである。
結婚したら辛抱するに限るのだ。辛抱していれば、相手の良さが解ってきて、その長所を活かそうとするようになるのだ。そうなると結婚は巧く行くようになるのだ。要は相手の短所ばかり見ているからこそ、結婚が巧くいかないのである。
しかし「ぎんさん」は無闇に辛抱を説いてはいのである。「上手に立ち回れ」と付け加えているのである。例えば夫婦喧嘩になったら、そのまま家にいあたら殴り合いの喧嘩になってしまう。だから夫婦喧嘩になったら自宅を出て頭を冷ますとか、一時的に実家に帰るとかすればいいのである。
離婚した人は本当に上手に立ち回らないのである。上手に立ち回れば問題を簡単に解決できるということが全然解っていないのである。そのために油に火を注ぐことを平気でやってしまうのである。夫婦喧嘩は常に夫婦双方に原因があるものなのである。
結婚したら離婚しない方がいいのだ。退路を断ち切るからこそ結婚が巧く行くものなのである。もしも離婚する時は、最早結婚を維持できないような問題が必ず発生してくるので、その時は勇気を出して離婚すればいいのである。既婚者が離婚の選択肢なら常にあると思っていると、結婚を台無しにしてしまうものなのである。
●年寄りの言うことが解ってこそ、嫁として一人前
ぎんさん曰く「姑の言うことも道理に合わんことばかりではない。年寄りの言うことが解ってこそ、嫁として一人前」
「嫁姑の問題」は今も昔も変わらない。女性が結婚すれば常に有り得ることなのである。ぎんさんの時代でもこの問題はあったのである。ぎんさんは自分の母親からこの言葉を言われたからこそ、嫁姑の問題を巧く処理できたのである。
なんで嫁と姑が揉めるのかといえば、嫁と姑では精神レベルが違うからなのである。
嫁は妻としても母親としても新人である。しかし姑の方は妻としても母親としても、もうベテランなのである。この両者が揃えば、話が合うことなどないのだ。幾ら話しても、巧く理解しえないのである。だから嫁と姑が対立してしまうのである。
嫁の立場からしてみれば、姑の意見は間違っているのではないかと思ってしまう。しかし姑は必ずしも道理に適っていないことを言っていないのである。姑の話は良く聞く。無闇に全部を受け入れるのではなく、話の内、半分を聞くくらいの余裕を持つべきなのである。
姑の意見を全く聞かないということでは、嫁として成長していくことができないのである。嫁として成長したいのなら、とにかく姑の言われたことをすべきなのである。そやっていけば、自然と姑の言っていることが良く解るようになるのだ。
本当に年寄りの言っていることが解ってこそ、嫁として一人前なのである。自分の意見ばかり貫いていると、意外と成長しないものなのである。自分が成長したいのなら、年上の人の意見は聞いた方がいいのだ。
●夫婦は食って行くための戦友
ぎんさん曰く「夫婦は食って行くための戦友」
この言葉は結婚に於いて本当に重い。多くの既婚女性たちは恋愛の延長でしか結婚を見ることができないからこそ、結婚生活を満喫できないのだ。結婚したら生活を供にする以上、夫婦が一生懸命に働き、生活を豊かにしていく。それによって「戦友意識」が芽生えてくるのは当然のことなのである。
恋愛至上主義に取り付かれて、恋愛を最高価値と看做すのは非常に危険なのだ。結婚では恋愛だけじゃないのだ。「家族を食わして行くことを考えよ」ということなのである。恋愛では飯を食えないが、お金があれば飯を食えるのである。
特に子供が2人の時に家計はピンチの時期を迎えるのである。「死の結界」が張られるので、これによって家族が結束するが、それと同時に家計は苦しい状態に突入するのである。家計簿を作って家計を統制しないと、とてもではないがこの難局を乗り切れないのだ。
しかし本当の危険は貧乏の時に発生するものではないのだ。貧乏を脱して経済的に豊かになってしまった時が一番危険なのである。夫婦は戦友意識が薄れて行くので、どうしてもバラバラの行動を取ってしまうのである。
だからこそ、貧しい時に夫婦の関係をしっかりと確立しておくべきなのである。結婚の命運は初期に決まるのであって、後で決まるものではないのだ。夫婦がどのような関係になるのかは、試行錯誤しながらやっていくしかないのだ。
●何をするにも血の滲むくらいの努力をしないと本物にならない
ぎんさん曰く「何をするにも血の滲むくらいの努力をしないと本物にならない。ともかく、やると決めたからには、死んだと思ってやれ!」
自分で始めなければ何事も出来ないものなのである。人々は両親に養育された余りに、他人に何かをやって貰おうと思っているからこそ、不幸になっていくのである。自分が幸せになりたければ、まずは自分が動き出すべきなのである。
物事を成功させたいのなら、努力が必要なのである。しかも血の滲むような努力が必要なのである。若い時は体力が有り余っているのだから、我武者羅になってやるべきなのである。「我武者羅」こそ、成功を確実な物にさせる秘訣なのである。
どんな仕事でも一人前になるためには10年の歳月を必要とする。どこかの職業に就職したのなら、腰を据えて、とにかく10年間真面目になって働いてみることだ。10年やり続けていれば、必ず一人前になっているものなのである。
但し、それには条件がある。「自分が死ぬ気になれない職業はすぐに辞めてしまえ」ということなのである。若い時は就職することもできるが、転職することもでいるのである。いつまでもフリーターではダメだが、転職を繰り返している内に、本当に「天職」を見つけることだって有り得るのだ。
これは主婦にとっては心に痛い筈だ。育児が終了して再就職した時、生活費の足しにしたいと思ってパートで働いているようなら、大して儲からないし、10年経っても本物にはなれない。男性であろうが、女性であろうが、就職したら死ぬ気で仕事をすべきなのである。そうやって仕事をするからこそ、自分の道が開けてくるのである。
●感謝の気持ちを持って暮らすこと
ぎんさん曰く「感謝の気持ちを持って暮らすこと。鬼になっても、おんなじ1日」
人生の成功者たちは必ず「感謝の大切さ」を教えるものだ。逆に言えば人間は放置しておけば感謝をしないのである。感謝をしないからこそ、自分の人生が成功しないのである。何をされても当たり前と思っていては、不幸になるのは当然のことなのである。
長生きする老人たちは必ず感謝の気持ちを持っている。自分の体が老化によって弱っているのだから、周囲の人々に感謝しないと生きられないという事情もある。しかし実際には性格が穏やかだからこそ、感謝をしてくるのである。
それに対して、怒りを爆発させながら生きている老人たちがいるものなのである。こういう老人の最後は悲惨なものである。癌にやられて激痛と闘いながら死んでいったり、家族の離反に遭ったりして、誰にも見取られることなく死んで行くのだ。
「感謝の気持ちを持って生きること。鬼になってもおんなじ1日」というのは、余りにも凄すぎる言葉である。本当にそうなのだ。今日この日を幸せに暮らすか、不幸に暮らすのかは、常に自分の心が決めることなのである。
「ぎんさん」の「ぎん言」は、「ぎんさん」が言ったから面白いのではないのだ。それを抽出し、「ぎんさん」とは関係なくさせても面白いのだ。言わば道理に適っているということなのである。道理に適った生き方をしたからこそ、長生きできたわけだし、人生を幸福に過ごすことができたのである。
最近のコメント