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2012年11月

エビ好きの子供と魚好きの子供

●子供の好き嫌いは意外と正直

 育児をしている際、子供の好き嫌いには悩まされるものだが、こういう場合、母親の意見を一方的に押し通すことは危険だ。子供が嫌っている食べ物を無理矢理に「食べなさい!」と言ったとしても、子供は余計に食べなくなるからだ。

 子供の好き嫌いで悩む母親は食事を作る前に、或る大事なことを忘れているのだ。それは「空腹」である。子供に沢山の食べ物を与えてしまい、それで子供の好き嫌いが激しくなるということが解っていないのだ。

 まずは美味しい料理を作る努力よりも、腹を空かせる努力をすべきなのである。早寝をさせて、朝のウンチをしっかりとさせる。昼間は外に連れていき、充分に遊ばせる。出来る限り間食をさせない。こういうことをするだけで子供は空腹になるものなのである。

 子供は12歳を過ぎるまでは「炭水化物中心」をするものなのである。だから「穀物」と「果物」をしっかりと与えるべきなのである。その割合は50%にすべきなのである。要はオカズを少なくする。こうすると、子供は好き嫌いをせずにご飯をしっかりと食べるようになるのだ。

 食事の際にご飯をしっかりと食べていないからこそ、お菓子を食べるのである。お菓子こそ炭水化物の塊なのである。お菓子を食べ始めると、途端に好き嫌いが激しくなるのはこのためなのである。育児をしているのなら、お菓子を最小限に抑える努力をすべきなのである。

●エビと魚

 子供たちの食事を見ていると、エビが好きな子供は知能指数が低く、魚が好きな子供は知能指数が高いという傾向がある。エビとかカニとかは、本来、人間が食うべき食べ物ではないのかもしれない。人間は進化の過程で魚は食ったが、エビやカニは食わなかったかもしれないのだ。

 魚がなんで頭に良いのかというと、それは「魚の脂」が脳細胞を構成する物質になるからであって、子供の頃にしっかりと魚を食べていると、当然に脳自体が優秀になるのである。ソフトではなくハードで勝るからこそ、下手に勉強する子供よりも頭が良くなってしまうのである。

 魚といってもなんでもいいわけではなく、基本的には脂の乗った魚だ。サンマやブリやサバやイワシやメザシとか、小魚でありながら、脂の多い魚だ。この手の魚を頻繁に食べると、子供の脳細胞はしっかりと充実してくるのだ。

 魚料理は「焼き魚」が一番美味しいが、大事な脂を落としてしまうという欠点がある。そこで「煮魚」や「魚のフライ」などをやって、魚の脂をしっかりと摂取できるようにすべきなのである。母親が魚料理のバリエーションを多く持っていないと子供は魚を嫌うようになるのだ。

 魚でも、マグロなどは余りお勧めできない。魚が大型化してくると、水銀の問題が発生してくるので、魚を食べることの効能が帳消しになってしまうのである。魚と雖も値段が高くなればなるほど、危険性が増してくるものなのである。

●肉料理のひと工夫

 知能の高い人たちは肉をあんまり食べない。かといって菜食主義ではないのだ。少しは肉を食べるのである。肉の量が多くなってくると、肉の消化吸収のためにエネルギーが取られてしまい、頭が巧く機能しなくなるのだ。

 肉と野菜をセットで食べることは当たり前だ。野菜のビタミンやミネラルと酵素水分で肉の消化吸収を助けてあげるのである。肉ばかり食べていると病気になるのは、肉の消化吸収のためにビタミンやミネラルや酵素水分がなくなってしまい、それで体の至る箇所で病気が発生するのである。

 肉の中で最も美味しい所は内臓なのである。だからまず初めに内臓を食わせるのである。その後、筋肉と脂肪を食わせるのである。このことが解っていないと、肉を食べても効果的に活かせなくなってしまうのである。

 子供に筋肉や脂肪ばかり与えていると、凶暴な子供が誕生することになるのだ。母親がバカの1つ覚えの如くにハンバーグを出していると、子供が凶暴になってくるのは当たり前のことなのである。子供がハンバーグを好きだからといって、それだけを出すべきではないのだ。

 肉を沢山食ったのなら、その翌日は肉を一切食わないようにすることも必要なのである。内蔵は肉の消化吸収のために疲労しているので、内臓を休ませてあげる必要性があるのだ。肉食が毎日続いている子供に限って、いつも疲れきった表情をしているものなのである。

●家族だけで食事をしない

 自分の子供を最も健康な状態で育てるためには、なんといっても家族で食事をすべきなのである。家族で食事をしていれば、そんなに変な食事をしないものなのである。子供は成人するまで食事に関しては素人同然なのであって、絶対に親の監視下に置くべきなのである。

 それと同時に母親は食事に関して多少の努力をすべきなのである。料理の数を増やしていけば、それだけ子供の好き嫌いをなくす食事を作ることができるのである。自分が何も努力せず。一方的に押しつけてしまうからこそ、子供は猛反発してくるのである。

 子供の不満を解消するためには、親戚同士が集まって食事をするようにすべきなのである。1年に1度でもいいから、こういう集まりを持っておくと、いいガス抜きになって、子供が素直になるものなのである。核家族だけになってしまうからこそ、子供は母親の言うことを聞かなくなるのである。

 宗教団体を見ても、優れた宗教団体は必ず信者たちを集めて会食をさせている。こういう場では誰も好き嫌いを言わず、全部食べてしまうものだ。こういうのもガス抜きなのであって、これが欠けてしまうからこそ、人間の精神が狂っていくのである。

 小学生くらいまでなら子供の頭の良し悪しはそんなに差がないかもしれない。しかし中学生になると能力の差がはっきりと出て来るものなのである。子供の頭の良し悪しは学校での教育よりも、家庭での食事の方が重要な要素を占めるものなのである。母親なら絶対にこのことを忘れない方がいい。

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作家と食事

●作家は食事で明暗が分かれる

 作家というものは、食事で明暗が分かれる。なんせ作家は頭脳労働をし続けているのである。それなのに食事を疎かにしていれば、頭の動きが悪くなるのは当然のことだ。作家だからこそ食事に気をつけなければならないのだ。

 作家は収入が高いということで、普通の人たちよりも遥かに有利な立場にある。だったらその有利な立場を利用して、自分に最も相応しい食事を作っていけばいいのだ。脳を正常に機能させるためには、食事に対して充分な出費をしておくべなのである。

 愚かな作家というものは、お金があるばっかりに飲酒にお金を使ってしまい、それで脳の機能が低下し、作品の出来も悪くなってしまうのである。作家という職業に就くなら、「飲酒こそ最悪の敵」と思うことが必要なのである。

 幾ら作家に食事が重要だからといって、グルメに走ると頭は衰えるものだ。飲酒以上にグルメは恐ろしいのだ。大抵、グルメをやり始めた作家はその数年後にもう出来のいい作品を作れなくなってしまっているのだ。

 俺が様々な本を読んでいて、「この作家は凄いな」と思う作家はその殆どが断食の経験者たちなのである。断食こそ脳に最もいいものなのである。しかし断食ばかりをやってはいられない。だから日々の食事を正しい物にしていかなければならないのだ。

●家庭料理

 では作家にとって最もいい食事は何かといえば、それは「家庭料理」だ、妻が夫の健康を考えて、食品の安全性に気を配り、栄養バランスの整った食事を作るから、そういう食事を毎日食べていれば自然と健康になるものなのである。

 それに家庭料理は妻が愛情を込めて作るために、食事の度に妻の愛が食事を通して入ってくるのだ。愛情の籠った文章というのは独身男性では書けないものだ。既婚男性だからこそ書けるものなのである。

 女性作家がなかなか出来のいい作品を書けないのは、家庭料理を軽視するからなのである。仕事が忙しいのは解るが、女性作家が結婚していても、食事を作るのは妻の仕事になってしまうものだ。料理には充分時間を取っておくべきなのである。

 女性作家なら家庭で料理を作り、そのレシピ集を出すくらいの「遊び」が必要なのだ。料理の手順と、その食事に関する随筆でも書いたら、それで文学作品として成立するものなのである。女性作家が男性作家と同じ遣り方で仕事をしていれば、ダメになるのは当たり前なのである。

 家庭料理こそ最も重要だとすると、離婚というのは作家によって最大級のダメージとなる。事実、離婚した作家は離婚してから暫くの間、レベルがダウンするものだし、再婚して復調したとしても、以前の作風とはまるで違う物を書くようになってしまうのだ。

●頭に効く栄養素

 具体的に脳に良い栄養素は以下の栄養素である。

①グルテン

 「グルテン」は脳の疲労を取る物質である。作家業は脳の疲労との格闘なのであって、グルテンを定期的に供給するからこそ脳の疲労を除去できるのである。古代四大文明が起こった場所は全て小麦を食べる習慣があったということを絶対に忘れてはならないのだ。

 だからお米よりも麦がいいのだ。お米を食べる時は麦飯にする。うどんやパンやパスタやマカロニを食べるようにする。味噌汁にも麩を入れるくらいのことが必要になってくるのだ。脳がどうしても疲労しきったのなら、パンを食べまくるのがいいのだ。

②芋類

 芋類は近代文明を大いに発達させた原動力である。南アメリカのジャガイモが西ヨーロッパに齎されることで、近代文明は急速に発展し始めたのである。ジャガイモは日々食うべきなのである。それにサトイモやサツマイモも食べていけば、脳は非常に良く機能するようになるのだ。

③植物油

 植物油は食べ物の中でも最もエネルギー量の多い食べ物なのである。だから良質な植物油を少し多めに摂取しておくべきなのである。「オリーブ油」と「亜麻仁油」は脳にいい植物油なので、この2つの油は絶対に摂取しておくべきなのである。

④肉と魚

 肉や魚を食うと脳は活発に動くものだ。頭脳労働をしているのに菜食主義は絶対に取れない。普段は魚を多く食べ、たまには肉料理を食べるというのが、一番健康にいいのだ。特に年を取ってくると、筋肉量が落ち始めるので、蛋白質を多めに摂取することで、自分の筋肉を維持しなければならないのだ。

⑤果物

 果物の糖分はすぐさま脳のエネルギーになる。果物を毎朝食べておけば、脳は正常に機能するようになるものなのである。果物の摂取量が少なく成ると、途端に偏食が始まってしまうのである。断食をするさいには完全断食をやるのも結構だが、果物だけを食べる「フルーツ断食」の方が脳の健康にいいのである。

●形の見える料理

 食材をどのように調理するのが、脳に最もいい効果を齎すのか、それには1つの明確な基準がある。そtれは「形の見える料理」は脳に良く、「形の見えない料理」は脳に悪いということなのである。この基準を守っていると、その後の人生がまるで違ったものになるのだ。

 形の見える料理というのは、イギリスやドイツや日本で食べているような料理だ。食材の原型がまだ形をとどめているのだ。イギリスの料理は不味いと言われながらも、この国で多くの優れた作家たちが出てきたことを絶対に忘れてはならない。

 ドイツでソーセージとジャガイモがそのまま出て来れば、外国からの観光客は驚くかもしれない。日本で焼き魚がそのままの形で出てくれば、外国からの観光客は驚くかもしれない。しかしそれでいいのである。そういう料理こそ脳にいい食事なのである。

 形の見えない料理というのは、中華料理や韓国料理やインド料理のような料理だ。これらの料理は食べれば美味しいということでは共通している。しかしこういう食材が原型をとどめていない食事を食っていると、頭の動きが悪くなるのだ。

 人間は食材の原型を崩した料理を食べると、「美味しい!」と感じてしまう厄介な動物なのである。美味しい料理は食べるべきではあっても、それは食材が原型をとどめている範囲内にするべきなのである。 

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作家とスポーツ

●スポーツは無闇にするな

 若い時には充分な体力があっても、その体力は永続するものではない。加齢と共に衰えて行くものなのである。だからスポーツをやって体を鍛え、体力の低下を抑えなければならないのだ。スポーツによって筋肉量を維持するなり、増強させているなら、健康に生きて行くことができるものなのである。

 しかしスポーツは無闇にするな。スポーツは自分がやっている職業で変動して行くものなのである。中高生や大学生の頃には自分の好き勝手にスポーツをすることができても、社会に出ればそうはいかなくなるのだ。

 例えば仕事で肉体労働をやっているのなら、スポーツなんか殆どやらないものだ。私生活では漫画雑誌を読んだり、テレビをみたり、パチンコや競馬競輪競艇などをするものだ。仕事で体を使ったからこそ、私生活では頭を使うことでストレスを発散させているのである。

 逆に仕事で頭脳労働をしている場合、私生活では体を動かさざるを得ない。スポーツをやって体を動かさないと、脳に血液が集中してしまい、仕事に支障を来たすようになるのだ。スポーツの重要性が説かれるようになるのは、頭脳労働者が増えたからなのである。

 頭脳労働をしている場合、どのようなスポーツをやるのが最善なのかは、作家たちに訊けばいい。作家たちは頭脳労働の代表者なので、作家たちのやっていることを見ればお手本になるのだ。物真似するのが成功には一番手っ取り早いのである。

●作家がやっていいスポーツ

①ウォーキング

 作家たちがやっているスポーツでナンバーワンなのがウォーキングなのである。ウォーキングをすれば全身の血流が良くなるので、脳に集中した血液が巧く分散されるのである。しかもウォーキングをやっても疲れないので、無理をすることなくや続けることができるのである。

②軽ジョギング

 軽ジョギングも作家たちが好むものである。ジョギングではない。飽くまでも軽ジョギングなのである。この軽い走りこそ、脳にヤル気を引き起こし、様々なアイデアを齎してくれるのである。30分ほど走れば充分に汗をかくことができるので、この点でも健康に寄与するのだ。

③筋肉トレーニング

 作家の仕事は或る意味「体力勝負」なので、筋肉トレーニングは欠かせない。筋肉量の多い作家は出来のいい作品を作ってくる可能性が高いのだ。筋肉量が低下すると、どうしてもいい作品を作れなくなるものなのである。

④乗馬やサイクリング

 乗馬も作家には相性のいいスポーツなのである。乗馬は全身運動であるために、少し馬に乗っただけでも汗をかいてしまうほどなのである。しかも馬の上にいるとアイデアが浮かび易いのだ。しかし乗馬は都会ではできない。その代わりにサイクリングということになるのだ。

⑤ハイキング

 作家の仕事は酸素量が多いほど巧く仕事ができるものだ。そこでハイキングなのである。ハイキングを趣味とする作家たちが意外と多い。都会から離れ、山々を歩き回っていると、実に爽快だし、心身がリフレッシュするものなのである。

●作家がやってはならないスポーツ

 作家がやっていいスポーツがあるなら、作家がやってはならないスポーツもある。

①ゴルフ

 その筆頭はゴルフである。ゴルフが頭脳労働に良くないのは、ゴルフのために大量の時間を食ってしまうからであろう。嘗て松本清張は「ゴルフをする作家は作家ではない」と断言したが、まさにその通りなのである。ゴルフに手を出した作家は大抵がその後ダメになっていっているのだ。

②野球やサッカーやバスケットボール

 野球やサッカーやバスケットボールといった集団スポーツは頭脳労働には良くない。チームでスポーツをしていると競争原理が作動してしまい、必要以上に運動してしまうからであろう。しかもやれば大量に時間を食うので、頭脳労働には不適格なのである。

③テニス

 テニスと頭脳労働は完全に矛盾するといっても過言ではない。テニスは利き腕ばかり酷使するスポーツなので、遣り続ければ必ず肩や膝の痛みを訴えるようになるのだ。テニス自体、人気があるスポーツなのだが、作家たちを見ているとこれに手を出す人は殆どいないのである。

④釣り

 釣りは遊びでやる分にはいいのだが、これを本格的にやると頭脳労働に支障が出て来る。吉本隆明は釣りをしている最中に事故に遭い、その後、作家活動ができなくなり、死んでしまったという事例があるのだ。作家なのに釣りを趣味とするとするからこそ、そんな悲惨な事故に遭ってしまったのである。

⑤トライアスロン

 トライアスロンは体力の限界に挑戦することでは素晴らしいスポーツなのだが、頭脳労働には不適格なスポーツである。トライアスロンをやれば疲労しきってしまうので、その状態では頭脳労働をすることができなくなってしまうのだ。

●要は「射精」なり

 作家がやっていいスポーツと、作家がやってはいけないスポーツは、何が違うのかといえば、それは「疲労」であろう。頭脳労働ではスポーツでの疲労を最小限に抑えるべきであって、それができたスポーツは頭脳労働に向いているスポーツだということなのである。

 もう1つは「射精」であろう。ゴルフのようにボールをかっ飛ばすスポーツは射精をした時のような爽快感を感じてしまうのであり、そういうことをやっていると、いざ執筆しても頭が巧く作動しなくなってしまうのである。

 考えてみれば、作家がやってはならないスポーツは、全部、スポーツでの感動が激しいスポーツばかりなのである。そういうスポーツはスポーツ自体としては素晴らしいが、作家にとっては最悪のスポーツなのである。

 事実、ゴルフ小説って余り聞いたことがない。たとえ作家がゴルフ小説を作っても決して巧くいかないのだ。作家がゴルフを遣り始めたら、作家人生はもう終わりなのだ。その一方、ウォーキングの効用を説いた本なら幾らでもある。作家は普段からウォーキングをやっているから、この手の本は上手に書けるのである。

 激しいスポーツを見れば誰だって感動する。しかしそれは観戦で終わらしておくことだ。何も自分自身がやる必要性はないのだ。頭脳労働をしているのなら、地味なスポーツではあったとしても、持続できるスポーツをやるようにすることだ。

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自然災害より結婚災害の方が恐ろしい

●自然災害と結婚災害

 自然災害に巻き込まれることは悲惨である。台風で家が押し流されたとか、地震で自宅が倒壊したとか、津波に飲み込まれたとかすれば、自宅はなくなるし、死傷者が出てしまい、その時は呆然とせざるを得ない。

 しかしこの世には自然災害よりも恐ろしい災害があるのだ。それが「結婚災害」である。結婚で失敗してしまったために、家族が崩壊してしまったり、仕事が台無しになってしまったり、社会的信用を全部失うということになってしまうのだ。

 なぜ結婚災害が自然災害よりも恐ろしいのかといえば、結婚災害は家族という「究極の安らぎ」を与える場所を破壊してしまうからだ。自然災害ならそれがどんなに怖くても物理的現象なのであって、家族が生き残っていれば、再建は可能になるのだ。だが結婚災害の場合、そうはならないのだ。

 人間はこの世の中に於いて自分一人で生きて行くことはできないし、自分一人の力で成功することもできない。成功者たちの殆どは結婚しているという事実を重く受け止めるべきなのである。配偶者という最強の協力者がいたからこそ、難なく成功して行くことができたのでる。

 自然科学が発達してくれば、自然災害を予測することは可能になってくる。ところが結婚災害に関しては自然科学が進歩する遥か以前にこれを予測することは可能だったのである。

 要は結婚相手を間違えないこと!

 それさえできれば、結婚災害を完全に防止することができるのである。

●最初の運命の相手との別れ

 大抵の人間は「16歳から19歳」の間に、最初の運命の相手と出会うことになる。基本的にこの時期に初恋をしたという経験の持ち主なら、その相手が誰だが解ることであろう。しかしこの恋愛は高校卒業と同時に結婚するか、大学生の時に交際を開始し、その後めでたくゴールインしない限り、失恋に終わってしまうのである。

 近代社会は高学歴を要求しているのだが、そのために最初の恋愛が犠牲になってしまうのである。この事実は重く受け止めておいた方がいい。というのは、例えば高校卒業と同時に結婚してしまった男女は結婚相手を間違えていないし、妊娠も早くに行なうので、結婚がスムーズに行くのである。

 ところが、最初の運命の相手を逃した男女は、その後、数年間はまず運命の相手が現れないし、堕落的なセックスに耽る危険性も高まるのである。20代の男女の性欲が高揚しているのは、妊娠をしたいがためなのであって、その時期を無駄に過ごしてしまうことになってしまうのだ。

 女性が絶対に忘れてはならないのは、卵子は19歳で最も健康的な卵子になり、それ以降は徐々に劣化していくという事実なのである。しかも女性ホルモンの分泌量は33歳がピークになるのであって、これ以降、不妊症のリスクが高まってくるのである。

 女性が40歳を過ぎて「婚活」をするというのは、非常に愚かなことなのである。自分の人生設計に結婚というものを考慮していなかったために、結婚が晩婚になり、不妊症のリスクを最大化してしまうのである。

 男性が絶対に忘れてならないのは、「若い内は結婚などせず、独身生活を大いに楽しもう」と思うことは非常に危険な生き方だということだ。妻の支援のある既婚男性と、独身男性が戦えば、絶対に既婚男性の方が勝つのだ。相手は2人で戦い、こちらは1人で戦うなら、勝敗は戦う前から解っているものなのである。

●運命の出会いはスムーズに行く

 漫画や小説、ドラマや映画を見すぎてしまうと、恋愛は複雑に展開するものだと思い込んでしまう。しかし実際の恋愛は違うのである。本物の恋愛は非常にスムーズに行くのである。運命の出会いというのは、出会った瞬間からあれよあれよと展開してしまい、気づいた時には結婚しているものなのである。

 恋愛結婚をしたいのなら、まずは自分の両親の恋愛結婚の話を聞いてみることだ。夫婦仲のいい両親なら結婚に至るまでの話が本当に面白いのだ。だが夫婦喧嘩をするような両親だと結婚に至るまでの話が非常に変なのである。

 運命の出会いというのは、出会った瞬間に「私、この人と結婚する!」と直感で解ってしまったり、自分の好みではない相手なのになぜだか惹かれてしまったとか、そういう不可思議な現象が起こるものなのである。

 女性が若い時に宗教に嵌ったりするのは、宗教が霊感を鍛えてくれるからだ。基本的にちゃんとした宗教心のある女性は、そう簡単に結婚相手を間違えないものなのである。自分自身が何か不可思議な力の存在を認めているからこそ、本当に不可思議な現象が起こってくるのである。

 逆に女性が理屈を捏ね始めると結婚不可能になる。大抵、恋愛相談に応じている女性ほど、まともな恋愛をしていないのだ。女性が大学院に行ってしまうと、これまた婚期が遠くなっていくのだ。まともな結婚をしたいのなら、恋愛相談には乗らない。大学院に行っても彼氏を作っておくということは絶対に必要なことなのである。

●お見合いは必要なシステムである

 恋愛至上主義者たちは「お見合い結婚」の絶滅を願っていたのだが、お見合い結婚はなくならなかった。それどころか、恋愛が盛んになればなるほど、お見合い結婚の重要性が増してきたのである。というのはお見合い結婚の方が安全な結婚ができるということなのである。

 恋愛結婚を望む場合、10代の時に既に運命の相手を使い切っているので、大概の男女は後2人しか運命の相手はいないのである。この運命の相手を捕まえることができればそれはそれでいい。しかしこの2人を逃してしまえば、もうどんなことをやっても、恋愛結婚は不可能なのである。

 だからお見合い結婚の登場となるのだ。お見合い結婚はそれが運命の相手ではなくても、結婚できるのである。しかも結婚したことによって自分の運命が変わり、今まで不幸だった人生が一転して幸せになってしまうという現象が起こってくるのである。

 お見合い結婚した人は結構お見合いをしているのである。充分に相手を選んでいるのだ。しかも結婚を前提に交際するわけだから、結婚相手を間違える確率が非常に低くなる。恋愛ではどうしても感情が先走るので、結婚相手を冷静に見るということができないのである。

 女性が30代になって、恋愛が巧く行かなかったり、恋愛話が1つもないなら、お見合いをしてしまった方がいいのである。30歳を越えると時間の進むスピードが速くなるので、チンタラと過ごしていると、気づいた時にはもう40歳になってしまっているものなのである。40歳から結婚をどうしようか考えても、もう遅いものなのである。

●結婚の物理的側面と精神的側面

①食事

 結婚を幸せにするためには、なんといっても手料理が一番効果的なのである。料理の巧い女性を妻にするなら、その結婚は大方成功することだろう。逆に言えば料理の下手な女性を妻にするなら、その結婚は失敗する可能性が高くなるのだ。

②家計

 結婚すれば、とにかく夫はしっかりと稼いでくるべきなのである。夫の稼ぎはなくなれば、結婚というものは途端に巧く行かなくなるものだ。妻が働きに出ても、絶対にその収入を家計の収入のメインにしてはならないのだ。

 妻が最優先ですべきことは、家計の管理なのである。家計簿をつけて収支を統制すれば、どんな収入金額であろうとも、きちんと対処できるのである。もしも家計簿をつけないのなら、せめて預金通帳を使って巧く家計の管理を行うべきなのである。

③子供

 結婚を成功させるためにはなんといっても子供が必要になってくる。子供を3人以上生めば、その結婚は安定するのである。子供が1人や2人だと、数が少ないから、どうしても結婚が安定してくれないのである。

 子供のいない結婚は結婚ではない。「同棲」である。その夫婦がどんなに愛し合ったとしても、その夫は妻を妊娠させるほど愛してはいなかったということであり、その妻も夫の子供を妊娠したくなるほど愛していなかったということなのである。

④会話とセックス

 夫婦の関係を維持するためには会話が欠かせない。日々夫婦で会話をしておかないと、どうしても意思疎通が悪くなり、それで離婚することになってしまうのである。夫が出張で出掛ける時は、外出先から電話するくらいの配慮が必要なのである。

 夫婦の関係を維持するためには、セックスも欠かせない。気をつけるべきは、妻が出産した後、一時的に性欲が低下するので、それでセックスを拒否してしまうことなのである。これをやってしまうと、当然に夫は他の女性を相手に性欲の処理を行なうことになり、夫婦で大騒動に発展してしまうのである。

⑤宗教

 結婚してもいつも幸せにしたいのなら、しっかりとした宗教心を持つようにすることだ。日本は宗教混淆の国なので、「神道」「仏教」「儒教」の三つの宗教を収めることは絶対に必要になってくる。これらの宗教が解れば、日本人の思考や行動パターンは大体解ってくるのだ。

 夫が「自分は無宗教だ」と唱えていると、逆に妻や子供立ちは狂信的な宗教に走ってしまうものなのである。宗教に対する免疫力がないために、宗教に対して余りにも無防備になってしまうのである。仕事ばかりしていないで、宗教のために時間を割くことは絶対に必要なのである。

●離婚はお早めに

 どんなに恋愛が盛り上がって結婚したとしても、その結婚が成功するとは限らない。失敗することだってありえる。結婚して一緒に住んでみて、初めて相手の嫌な部分を見てしまい、それが到底受け入れられないことだってあるのだ。

 結婚の失敗はすぐに解るものなのである。結婚してから数十年してから解るものではないのだ。通常は結婚して3年以内だし、それこそ新婚旅行の後に離婚を決意することもあるのだ。大事なことは、この結婚が失敗だったと思ったら、早めに離婚することなのである。

 失敗している結婚をそのまま維持しようとすれば、夫婦喧嘩になり、そして暴力沙汰になるものなのである。DVシェルターに駆け込むのも結構だが、なんでそういう事態になる前に離婚しなかったのかということなのである。

 早めに離婚しておけば、その後、再婚して新たな人生を歩むことができるものなのである。離婚が遅くなればなるほど、自分の選択肢は限られてくるものなのである。女性が45歳を過ぎれば妊娠の可能性は極端に低くなってしまうことを絶対に忘れるべきではないのだ。

 やめておくべきは「熟年離婚」なのである。熟年離婚するような夫婦には子供たちがいるのだから、「今更離婚するな」ということなのである。本人たちの勝手気儘な行動が、子供達の人生に悪影響を及ぼすことになるのだ。

●成功の光と影

 男女というものは、結婚して地道に努力していれば、その結婚を成功させることができるものなのである。しかしそれで万々歳ではないのだ。成功したからこそ、その分、影が濃くなってしまい、それが結婚に不幸を齎すことになるのだ。

 既婚男性であるなら、仕事が成功してから、絶対に妻を取り替えるな。仕事が成功し、収入が高くなってくると、それに連れられて若い女性たちが群がってくるものだ。自分の妻は年老いているのに、若い女性は肌がピチピチだから、そっちの方を好んでしまうのだ。

 しかし糟糠の妻を凌駕できる若い女性は絶対にいない。これだけは断言できる。妻の内助の功があればこそ、自分は成功できたのであって、その妻を離婚で失ってしまえば、自分の仕事がおかしくなっていくのは当たり前のことなのである。

 既婚女性の場合、子育て終了後の空虚感には充分配慮しておくことだ。既婚女性にとって育児や子育ては面白かった筈である。しかし子供たちが成長し、親から離れていけば、母親は取り残されてしまうのである。

 心の中にポッカリと穴が空けば、その穴を埋めるために、異常な行動を散るようになるのだ。ここでも成功したからこそ悲劇に見舞われてしまうのである。何かしらの趣味を持つとか、孫の世話を買って出るとかしないと、その心の穴は埋まっていかないものなのである。

●人生経験と知恵がなければ何も見えない

 この世の中で立派な人物は全員が全員、結婚しているということを絶対に忘れてはならない。夫婦で切磋琢磨し、協力し合ったからこそ、結婚も仕事も巧く行ったのである。独身生活を長く続けていれば、自分を成長させることは出来ないものなのである。

 人間の人生の中で必ず自分が変革する時期がある。結婚はその最たるものだ。自分が変革する時に変革しておかないと、結局、その後どうやっても変革できなくなってしまうのである。自分が変革できることはそう何度もあるのではないのだ。

 結婚したのに、その結婚を離婚に終わらせてしまう人たちは、最初の段階で相手を間違えたのである。もう1つ言うなら、「忍耐力」が足らなかったのである。結婚という大事なことをするのに、相手を間違えたり、忍耐力が足りなければ、その後、何をやってもおかしなことをやってしまうのである。

 人生経験と知恵がないと、何も見えないのだ。結婚の表面的なことを幾ら論じても無意味なのである。人間は誰かを愛することはできる。しかし「愛の循環」を作り出すためには、結婚は絶対に必要不可欠なのである。

 もしも結婚災害に遭ってしまったのなら、早めに収束させるべきなのである。これほど恐ろしいものはないのだ。労力も資金も時間も大量に食って行くものなのである。結婚災害で人生をロスしていれば、あっという間に後続の者たちに追い抜かれていくものなのである。

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読書へのスイッチ

●読書に対する決定打

 子供が本好きになってくれるのは嬉しいことだが、そうやって子供が本好きになっても、学校の勉強や部活動に追われて読書をしなくなってしまったり、悪友ができて読書をしなくなったり、反抗期になって読書をしなくなったりと、とにかくなぜだか読書をするのをやめてしまう子供たちが出て来るのだ。

 こういう子供たちは少ないのではなく、実は多いのだ。こういう子供になってしまうと本を読むといっても漫画ばかりになってしまい、知能を高めて行くことができなくなってしまうのである。子供の漫画好きを嘆いても仕様がないのだ。読書に対して何かが足りなかったのである。

 読書に於いては「読書に対する決定打」が必要になってくるのだ。それこそが「読書へのスイッチ」なのである。読書へのスイッチが入ってしまえば、後は猛スピードで本を読んで行くようになるのだ。それは外見から見てもすぐに解るようになるのだ。

 読書と雖も労力や資金や時間を投入していることを絶対に忘れてはならない。読書をした以上、それに投入したエネルギーの何百倍何千倍もの利益を得るようにしなければならないのだ。そういう功利主義的な態度がないと、ただ単に読書をしまくり、それで人生を終えてしまうのである。

 起業家とか、学者とか、作家とかでも、必ず「読書のスイッチ」が入っている。自分が若い時に何か衝撃的な本に出会い、その後、本を読みまくるようになり、遂には出世してしまったというのである。逆に言えば「読書へのスイッチ」が入らなかった人は、どんなに有名になっても何か偉大な功績を打ち立てることがないのだ。

●自分の心にフィットする本は非常に少ない

 この際に絶対に忘れてならないことは、子供にとって読書のスイッチが入るような本は非常に少ないということだ。子供が学術書に反応することはまずないであろう。子供である以上、児童文学書が基本だし、中学生になれば小説や随筆といった物になるはずだ。理科系科目が好きな子供なら、科学書になる程度なのだ。

 読書へのスイッチが入るためには、或る程度の本を読んでおくことが必要である。行き成り自分の運命を決定するような本に出会えるわけがないのだ。子供の頃から読書に親しんでいるからこそ、読書に対する決定打の本に出会えるのである。

 もう1つ言えることは、読書へのスイッチを入れてくれた本は必ず所有していなければならないということだ。つまり「本を買う習慣」がないと、出来ないということなのである。このため自分の両親が裕福であるなら、読書へのスイッチが入り易いということだ。

 そして読書へのスイッチが入った場合、とにかくその本を無我夢中で読まなければならないのだ。一読して終わりなのではなく、何度も何度も繰り返して読む。そういうことをするからこそ、「読書へのスイッチ」が入りっ放しになり、それ以降、難なく読書しまくることができるようになるのだ。

 本の中には有名人たちの読書へのスイッチが入った本を紹介している物があるので、それを読んでみて、気に入った本があったら読んでみることだ。この手の本で紹介されている本は読書へのスイッチが入り易い本なのである。

●子供は「読書へのスイッチ」が入らないと読書をしないもの

 母親としては子供が遊び呆けていることに対してストレスを感じてしまうものだ。しかし親の目からすれば、どんな子供も遊んでいるようにしか見えないものなのである。子供に遊びが必要なんだということをまず認めることだ。

 子供が読書をしないのは、文字が解っていないからなのである。だから自宅での勉強は居間でやらせ、特に漢字の書き取りには目を光らせることだ。漢字の書き取りが出来ない子供は読書をしないものなのである。

 子供に読書をさせたければ、家事手伝いをやらせることだ。家事手伝いで体を動かしていると、閑な時間は本を読みたくなるものなのである。家事手伝いをせず、勉強ばかりさせていると、子供は閑な時間に漫画を読むようになってしまうのだ。

 学校で気をつけるべきことは読書感想文である。自由に本を選ばしてくれるのならいいが、通常は課題図書があって、その本を読まなければならないのだ。しかし課題図書はどれも詰まらない本ばかりなのである。勉強ができる子ほど、課題図書を真剣になって読んでしまうものだが、そのために読書嫌いになってしまうのだ。

 読書に関してはとにかく学校に頼らないようにすることだ。自宅で両親が「読書をする習慣」を持っていれば、自然と子供も読書するようになるのだ。そうやって読書をしていけば、いずれ「読書へのスイッチ」が入るものなのである。

●乱読はただ単に雑学になるだけ

 子供たちの中には「読書へのスイッチ」が入らなかったのに読書をしまくる子供が出て来る。ただ単に活字中毒になっているだけであって、なんの一貫性もないのだ。「読書へのスイッチ」が入った場合、必ず何かしらの好き嫌いがあって、自分の好きな本しか読まないものなのである。

 「読書へのスイッチ」が入った子供も乱読することはあるが、「読書へのスイッチ」が入らなかった子供は乱読しかしない。乱読は読書の成果が低下するものなのであって、乱読はただ単に雑学になってしまうだけなのである。

 雑学は精神病に罹る率が非常に高いものなのである。乱読をしている子供は中学生や高校生の時に精神病を発症し、精神病院に行く羽目になってしまうのである。人間はなんでも読書していいものではないのだ。

 大人たちの中には乱読をしたために「博学無知」になってしまった人たちが非常に多いのだ。「あれも知っている」「これも知っている」「しかし肝腎な事は何も知らない」のだ。自分が読書に対して何か集中的にやってこなかったからこそ、こういうバカげたことになってしまうのである。

 我が子がこういうことにならないためには、子供に対して「自分の夢は何?」と訊いておくことだ。自分に夢があればそれに向かって読書をし出すようになるので、乱読を最小限に抑えることができるものなのである。

●読書は初恋の如し

 読書というのは初恋のようなものなのである。恋愛に於いて初めての恋にいい思い出があれば、その後の恋愛も巧く行くものだ。しかし初恋がダメなものだったら、それ以降の恋愛もダメになってしまうものなのである。

 読書だってそれと同じで、子供の頃に何か決定的となる本に出会えたからこそ、いい読書をすることができるようになるのだ。子供の時に読書をしたとしても、決定的な何かが起こらなければ、その後、自分がどんなに努力しても絶対に巧くいかないものなのである。

 自分に読書へのスイッチを入れてくれた本は子供の頃には無我夢中になれても、自分が成長していけば忘れて行くものだ。それだけ自分が成長したということなのである。いつまでも昔の本に拘ってはいられないのだ。

 自分が大人になった時に、自分に読書へのスイッチを入れてくれた本を読むと、あの時の甘酸っぱい記憶が蘇ってくるものなのである。しかしあの時に感じていた感動はもう味わえないのである。だから読書というのは「ナマモノ」なのである。

 今の自分の年齢や能力で経験できることをきちんとしておかないと、その後になってから経験しようとしても無理なのである。自分の脳がそれを許してくれないのだ。結局、チャンスは一度きりなのであって、そのワンチャンスを活かした者だけが栄光への架け橋を渡ることになるのだ。

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常識と非常識

●常識は大事だけど、それだけでは物足りない

 この世で生きて行くためには常識というものが大事である。常識を知らないと恥を掻かされることになるのだ。「一時の恥が一生の大恥」になることだってありえるのだ。常識というものは無闇に否定してはならない。人間は保守的な動物であるから常識は常に尊重すべきものなのである。

 しかし常識だけでは生きていけないのだ。「常識こそ創造を阻む」ものなのである。創造というのは非常識から生まれてくるものなのである。今までみんなが考え付かなかった物を考え出すからこそ、創造はなされるのである。

 人間は二足歩行するようにできている。それなのに馬に飛び乗ったバカがいたのである。騎馬や馬車が交通手段だった時に鉄道を考え出したバカがいたのである。単なるバカは困り者だが、何かを創造してくるバカは文明の発展に大いに貢献するものなのである。

 「常識の危険性」を市っておかないと、常識のために文明の発展が阻まれることになる。例えばキャタピラーを発明したのも、レーダーを発明したのも、テレビを発明したのも日本人なのである。それなのに日本の大学ではこの手の研究が否定されてしまい、アメリカ合衆国やイギリスにその発明を模倣されてしまったのである。

 常識は大事だけど、常識だけでは物足りないのだ。常識を成立させるためには、常識とは正反対の非常識をも存在しなければならないのである。非常識だらけの人間はお断りだが、常識だらけの人間もまたお断りなのである。

●読書は非常識を知るため

 読書は常識を知るために行なうものではないのだ。非常識を知るために行なうものなのである。読書をすることによって、今まで自分が知らなかった知識を知ったり、新たな技術を知ったりするのである。そういう非常識の供給があればこそ、自分の人生は発展していくのである。

 人間が自分の経験だけに頼っていたら、非常識が出て来るチャンスは非常に少なくなってしまうのだ。普段の生活は常識の繰り返しなのである。もしも経験値が高くなれば非常識ができるというのなら、ベテラン勢はみんな非常識なことをやってくるものだ。しかし事実はまるっきり逆で、ベテランの人たちほど常識的になってしまい、非常識を毛嫌いすることになるのだ。

 成長している人はみんな読書をしている。自分の経験だけ頼っていたら常識まみれになるから、読書をすることで非常識を注入するのである。ということは学歴よりも読書歴の方が遥かに大事だということなのである。読書歴の長い人ほど、多くの非常識を注入してきた人なのである。

 人間は誰もが別個の遺伝子を持っているのである。自分と同じ遺伝子を持つ者はこの世には誰一人としていないのである。だったら自分が本当に望む人生を送るべきであって、そのためには在り来たりな常識を否定してしまった方がいいのだ。

 自分を「常識人」として善人ぶるよりも、「非常識な変人」として位置づけた方が、人生は遥かに幸せなものになるのである。誰もが変わった遺伝子を持っているのだから、自分だって変わった人生を送った方が断然にお得なのだ。

●「知識は力なり」「技術は武器なり」

 人生を生きてくために必要な知識と技術を家族や学校で全部教えてくれるわけがないのだ。人生を楽しいもののするためには大量の知識と技術を必要とするものなのである。だから読書をして、家族や学校では教えてくれなかった知識や技術を習得していかなければならないのだ。

 こうなってうると「知識は力なり」「技術は武器なり」ということが言えてしまうのである。知識量が多いほど、強い力を持つことになるし、優秀な技術を持っていれば確実に成果を出して行くことができるのである。

 例えばビジネスでは「手帳」の重要性が必ず言われるものだ。手帳の中でも「能率手帳」を使えば、まさに仕事を能率的に進めて行くことができるのである。たった1冊の手帳かもしれないが、その成果は凄まじいものがあるものなのである。

 結婚生活は一方の主婦が「料理レシピ集」を持ち、もう一方の主婦はそれを持っていないとしたら、料理レシピ集を持っていた主婦の家族の方が断然に豊かな生活を送ることができてしまうのである。たった料理レシピ集かもしれないが、その効果は非常に大きいのだ。

 ビジネスだろうが結婚だろうが、「この人は立派な人だな」と思う人たちはみんな読書をしている人たちなのである。読書をして新たな知識や新たな技術を導入しているからこそ、益々成長していってしまうのである。

●非常識だからこそ成功する

 どんな産業でも新しいビジネスを起こしてくる者たちは「若者」「奇人変人」「余所者」である。これら3者に共通することは、「非常識をやり易い」ということなのである。若者だから非常識。奇人変人だから非常識。余所者だから非常識なのである。

 ビジネスで常識的なことをやっていたら大して儲からないものなのである。非常識をやってくるからこそ儲かることができるのである。お客様たちも新しい商品を望んでいるのである。今までの商品よりも良い物があるなら、その商品を購入するものなのである。

 結婚でもこの手の三者こそが結婚を大成功にしてしまうことは変わりない。若者だからこそどうでもいい相手を運命の相手だと思い込み結婚してしまうのである。奇人変人だからこそ独身生活を捨ててまで結婚してしまうのである。外国人などという余所者を配偶者に迎えるからこそ、逆に結婚が巧く行ってしまうのである。

 結婚を常識に基づいて行なうほど危険なものはない。男性だったら美人な女性を嫁に迎えることほど危険なことはないのだ。妻は賢い女性の方がいいのであって、美醜は大して関係ないのだ。女性だったらイケメンの男性を夫にしてしまうことは物凄く危険なのだ。大体、男性の世界ではイケメンほど出世できないものなのである。

 非常識だからこそ成功するのである。常識はその成功を維持するために使うものなのである。それなのに人間の脳はそんなに非常識なことを思いつくようにはなっていないのだ。放置しておけば常識しか考えなくなってしまうのである。だから読書なのである。読書をすることで脳を刺激し、非常識な知識や技術を注入していくべきなのである。

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宇多田ヒカルの悲劇

●人間活動って、一体何?

 宇多田ヒカルは2010年にアーティスト活動を中止し、「人間活動」を行なうとワケの解らない宣言をすることになった。マネージャーなしでは生活できなくなってしまったために、マネージャーなしでも生きていけるようにと考えてのことであった。

 ファンの人たちにとっては理解不能の発言なのだが、これは芸能人の宿命ともいえる問題で、芸能人になれば本当に全てのことをマネージャーが管理してしまうのである。そうなると、マネージャーなしでは生きていけなくなってしまうのだ。

 マネージャーが何もかも処理してくれるという生活は一見便利なものである。しかしそういう生活では全く人間として成長できないのである。事実、芸能人で有名な方には、余りにも幼稚な発言をする人たちが大勢いるが、これこそマネージャーが生活の全てを処理してしまったことの結果なのである。

 人間というのは、自分の意見が全て通ってしまう時こそ最も危険なのである。自分の生活の異常さに気付いた宇多田ヒカルは立派であったのであり、何もかも自分の都合のいいように進んでしまった環境を自らの手で破壊したのである。

 それにしても「人間活動って何?」と訊きたくなるが、資産として著作権があるために、その資産収入で充分に生活することができるのである。バラエティーのタレントのように所得だけ掻き集めて、資産を作っていないと、こういうことはできないのである。

●天中殺のド真ん中でデビューしてしまった!

 しかし宇多田ヒカルの経歴を調べてみると、とんでもないことが解ってくる。なんと天中殺のド真ん中で宇多田ヒカルはデビューしていたのである。天中殺でもド真ん中の場合、何をやってもダメであり、絶対に根付くことはないのだ。

 それにしてもなんでデビューが巧く行ったのか?

 その理由は簡単で、自分の意志を殺したからなのである。当初、宇多田ヒカルはアメリカでのデビューが決まっていたのだが、それを日本のレコード会社の強い要望で日本でビューに切り替えたのである。これが天中殺のド真ん中でも巧く行った理由なのである。

 もしも天中殺のド真ん中なのに、自分の意見を押し通していたら、どんなに素晴らしい曲を作っても売れないのだ。だから自分の意見をなんでも通してしまうような、我の強い人は、平時に於いては強気で巧く行っても、天中殺になると想像を絶するような悲劇に見舞われることになるのだ。

 そして2010年に活動休止宣言である。この年もまさに天中殺のド真ん中なのである。宇多田ヒカルは12年間走り続け、漸くこれではダメだと気付いたのである。だから判断としては非常に立派だったのである。あのまま進んでいれば、自分の命だって落としかねないことになってしまったかもしれないのだ。

 天中殺のド真ん中で何か事業を始めた場合、たとえそれがどんなに巧くいっても、それをやり続けてはならないのだ。とにかく事業が或る程度成功を収めたのなら、潔く捨ててしまい、その事業をやめることが必要なのえある。

●なんで爆発的に売れたのか?

 宇多田ヒカルが爆発的に売れた理由は、彼女が「寅卯天中殺」だからなのである。宇多田ヒカルは1983年1月19日に生まれなのであるが、寅卯天中殺はスタートダッシュで人生を成功させる力を持っているから、早めに成功してしまった方がいいのだ。

 寅卯天中殺では父親の支援が絶対に欠かせない。父親の支援を受けることで、早くに立身出世していくことができるからなのである。宇多田ヒカルの場合、彼女の父親はまさに全面的に支援してくれたので、これまた合格なのである。

 宇多田ヒカルの本名は「宇多田光」。アーティストとしては「宇多田ヒカル」。アメリカ合衆国では「Hikaru Utada」となる。この三つの名前があればこそ、彼女はアーティストとして成功することができたのである。

 「光」は1字名なので、短期決戦向きである。しかも光は6画なので、人々を吸引し、それでいて突如幸運を手にすることができる。しかしその代償としてファッションセンスがイマイチということになってしまうのだ。

 「ヒカル」は3字名で、複雑な表現が可能になってくる。しかもヒカルは6画なので、本名の光と同じ効果が出て来るのだ。「Hikaru」は6字名でより複雑な表現が可能で 画数としては14画なので、芸術性の高い画数となる。

●宇多田ヒカルの才能を潰した深田恭子

 寅卯天中殺は若い内に仕事をしまくり、莫大な資産を築き上げ、その資産を持って結婚し、子供を多く生み育てていくということをする宿命を負う。若い時はエネギッシュな寅卯天中殺も、家族という安らぎの場所を得た時に静かになるものなのである。

 それなのに宇多田ヒカルはやってはならないミスを犯した。

 それは売れている時に深田恭子と仲良くなってしまい、それで家族を作り、そこに落ち着くということをしなかったのである。事実、宇多田ヒカルが深田恭子と仲良くなり始めてから、CDの売り上げが落ち始めたのである。

 よりによって深田恭子は宇多田ヒカルと相性がいいのだ。深田恭子は名が14画なので、6画の宇多田ヒカルとは仲良くなってしまうのである。相性がいいからといって仲良くなってはならないのだ。自分が売れている時に、自分の足を引っ張るような人と絶対に仲良くすべきではないのである。

 女性が愚かなのは、「女の敵は女なのだ」ということが解っていないことなのである。女性は同性の女性を友人するものだ。しかし自分と同性だから友人にすると同時、同性である女性だからこそ敵に廻ってくるのでる。

 男性なら子供の頃から男の子同士で喧嘩して育ってくるため、同性である男性に対しては、どんなに仲良くなっても警戒心をとくことはない。そういう態度でいるからこそ、裏切りを最小限に抑えることができるのである。

●アーティストは廃業、結婚で人生を変えるしかない

 今後、宇多田ヒカルがどうするかは解らないが、無難な選択肢としてはアーティストは廃業した方がいい。天中殺のド真ん中でデビューしている以上、このまま続けても絶対に巧く行かないのだ。それよりも綺麗さっぱりと辞めてしまった方がいいのだ。

 別にアーティストでなくても、プロデューサーとして音楽活動に携わることはできるのである。寧ろ裏方に廻った方が、より多くの作詞作曲ができるものなのである。アーティストとしてマスコミに登場するのは、結構面倒なものなのである。

 もう1つは結婚であろう。寅卯天中殺は絶対に結婚しなければならない宿命にあるのであって、結婚して子供を多く作ると、その子供たちからパワーを沢山貰え、幸福な人生を送ることができるのである。結婚なしで幸福を探そうとしても、自分の満足できる幸福を得ることはできないのだ。

 但し、宇多田ヒカルには結婚に関して問題があって、手相が男性に持てまくりの手相になっているのだ。モテてしまうために、なかなか1人の男性と結婚するというわけにはいかないのだ。そこをどう乗り越えていくかであろう。

 アーティストとしてデビューできるかは、それこそ運であろう。ワンチャンスを掴んだ者だけがデビューすることができるのである。しかしその時期が良いとは限らない。宇多田ヒカルのような国民的人気を得たアーティトですら、天中殺のド真ん中でデビューすることも有り得るのである。

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主婦たちの傲慢とその犠牲者たち

●有り得ない場所での事故

 昨日、自転車で遠出する用事があり、せっせとペダルを漕いで進んでいた。すると大きな通りに出ると、前方には老人が自転車に乗って、チンタラと進んでいた。俺自身、急いではいたが、別に緊急の用事ではないために、その老人の後ろにつけてゆっくりと進むようにした。

 俺はその老人の真後ろにはつかなかった。老人は急ブレーキをかけることがあるので、真後ろにつけていると衝突してしまう可能性があるからだ。そこでその老人の左斜め後ろにつけて、その老人の自転車の速度と同じスピードで進んでいたのである。

 しかし俺の右斜め後ろにいた主婦はそれが耐え切れなくなり、俺と老人を追い抜き、殊もあろう事かその老人の前を横切って、左側にあった道路へと抜けようとしたのである。俺自身、

(これは危ない!)

と思ったが、案の定、その主婦の自転車の後部座席のチャイルドシードが老人の自転車の前輪に接触し、老人は思わず。

ドテーン!

と転倒してしまった。

 老人が倒れ込んだ先には自動車の侵入を阻止するポールがあったので、もしもそのポールに頭をぶつけてしまったら、大事故に発展してしまったのである。幸い、その老人は足を打撲した程度なので、大怪我には至らなかったのだ。

●譲り合いの心を持とうよ

 事故の直後、俺もその主婦も自転車を止めて、その倒れた老人に駆け寄ったのだが、地面に倒れているその老人が発した第一声は、

「それはないでしょう?」

なのである。

 本当にそうなのだ。そこは大きな歩道だから、そういう追い抜き方はするべきではないのである。確かに老人が低速で進んでいたが、左側の道路に行きたいのなら、俺の後ろについて、それで行けば良かったのである。

 しかしその主婦は、

「急いでいたもんで」

と言い訳をしてきたのである。急いでいたからといって、危険運転をする必要性はないのである。逆に急ぐ余りに事故を起こしてしまえば、余計に時間を食われてしまうのだ。俺自身、用事があって急いでいたが、それでもゆっくりと安全運転を心掛けてしたのである。

「譲り合いの心を持とうよ」

 その老人がこの言葉を言ったから、俺はドキリとした。というのは、今回の事故はその主婦が≪譲り合いの心≫を持っていれば、絶対に起こることのない事故だったからだ。その主婦が自転車を漕ぎながら、数秒間待っていれば、老人と俺は先に進んだのであり。無理に追い越して。しかも老人の前を横切って左側の道路に行くこともなかったのである。

 しかしその主婦は老人の言っていることが解らないのか、

「大丈夫ですか?」

そればっかり言って、一向に謝らないのだ。老人はその主婦に倫理的批難を与えているのである。それなのに何も解っていないようなのだ。怪我がどうのこうのではなく、一歩間違えれば大事故になっていたといのうが全く解っていないのである。

●法的責任

 仕方ないので、その老人は、

「もしものことがあるので、お名前と電話番号を教えて下さい」

と法的責任を追及することになってしった。会話が噛み合わない以上、法律によって処理するしかなくなってしまったのである。その主婦は名前と電話番号をすぐに教え、その老人はそれをメモして、一件落着した。

 事故に遭遇しておいた方がいい。というのは、この老人のやったことは理想的までに巧い処理だったからだ。まずは加害者に倫理的批難を与え、それでも応じないなら法的適任の追及ということになるのである。事故に遭ったからといって慌てふためいてはならないのである。

 実を言うと、自転車には保険がついている。最高金額はそれほど高くないのだが、事故に遭遇した場合、この保険を適用すれば、きちんと損害賠償に貢献させることができるのである。だからお金のことは余り気にしなくてもいいのだ。

 それよりも「誠意」なのである。俺は加害者でも被害者でもない第三者の立場にいたから良く解るが、あの主婦は誠意が全然なかったのである。だからこそ老人は法的責任を追及するという態度に変えてしまったのである。

 恐らく今回の被害は「打撲」程度なのである。そんなに怒るほどのものではないのだ。しかしあの主婦には誠意がないばっかりに、老人の方が怒ってしまったのである。俺も2人の遣り取りをみて、

(この主婦はイカンな~)

と思っていたぐらいなのである。

●家の中の小さな独裁者

 なんであの主婦があんな態度を取ったのか、俺には良く解る。

 それは自宅の中で「小さな独裁者」として君臨しているからなのである。謝るのは夫や子供たちの方ではあっても、妻の方ではないのだ。だからこそ、いざ自分が家の外で事故を引き起こした場合、相手を怒らせるような言動を平気で取ってしまうのである。

 謙虚になるということは殊の外、重要なのである。自分が謙虚でいれば、自宅の中でも小さな独裁者にならず、幸せに暮らせる主婦に成っていた筈だ。そういう主婦なら家の外でも事故を起こさないし、たとえ事故を起こしても加害者を怒らせるような言動は取らないものだ。

 本当に譲り合いの心は必要なのである。幾ら忙しいからといっても、なりふり構わずやっていたら、余計に時間を食うものなのである。何かを譲る時、多少の時間のロスにはなりはするが、そのために時間を大いに節約できるのである。

 それにこの世にはあの老人のように、もう昔のようには体力も運動神経もない人たちがいるものなのである。体力が充分にあり、運動神経も良い人たちが老人たちに対して譲らなければ、老人たちは犠牲者になってしまうものなのである。

 それと同時に法的整備というものも必要なのである。倫理的批難を加えても、それが解らない人たちがいるのだから、そういう時は法律で処理していかなければならないのだ。法的整備が整わないために、被害者が泣き寝入りすることがあってはならないのである。

 俺は良く「立場の互換性」ということを言う。自分の立場と相手の立場を入れ替えてみて、それは良いのであるなら、その関係を推し進めてもいいし、それがダメなら、その関係を改善しなければならないのだ。

 この世の中では誰かの意見が一方的に通るようなことがあってはならないのである。今回の事故のように、主婦が傲慢になってしまえば、そのために犠牲者が出てしまうのである。自分の利益だけを追求するのではなく、相手の立場ことをも考えるということをやっていないと、この世の中で生きて行くことは窮屈になってしまうものなのである。

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「学問のススメ」より「読書の勧め」

●人間の差は家庭環境と教育によって出る

 人間は生まれた時点で大した差はない。どの赤ちゃんも寝たきりだし、立つことはできないし、言葉を発することもできない。それなのに数十年後は最早埋めることの出来ない格差を生じさせてしまうのである。

 何が人間の能力をそこまで変えさせてしまうのかといえば、それは「家庭環境」である。家族を守ろうとする気概を持つ父親と、心優しい母親がいれば、その両親の下に生まれた子供は元気にスクスクと育って行くものだ。

 もう一つは「教育」である。お稽古事をやった子供はその分野に於いては能力を持つものだ。学校に行った子供は読み書きができるし、学問もできるようになる。塾や予備校に行った子供は学校に行っている子供たちよりも高い学力を持つものである。

 国家の独立を守るためには、家族制度を絶対に守り続けなければならないし、教育制度を整えていかなければならない。家族が崩壊しているのに、国家の独立を保とうというのは無理な注文なのである。学校が崩壊しているのに、経済発展をなそうというのも無理な注文なのである。

 人間にとって遺伝子は重要であっても、出世以後の環境で大きく能力を変えてしまう動物であるということを再確認すべきなのである。優れた環境を持てた国家は大いに発展していくし、粗悪な環境しか持てなかった国家は衰退し、破滅して行くだけなのである。

●読書をしている人だけが成長し続ける

 ところが人間というものは本来「怠け者」なのである。自分が怠けようするために何かを悪用し出すものなのである。家庭環境が大事だからちって、門地家柄を誇り、自分の家よりも地位や収入の低い家の出身の者たちを見下そうとするのだ。教育が大事だからといって、学閥意識を振り翳し、自分が卒業した大学以外の者たちを排斥しようとするのだ。

 そもそも偏差値の高い私立学校や私立大学は入学金や授業料も高いから、結局、その学校や大学に行けるのは裕福な家の子弟ということになってしまう。「学問のススメ」を唱えることは結構だが、お金がないために、その学校や大学から門前払いを食らってしまう優秀な若者たちが大勢いることもまた事実なのである。

 平和な社会というのは、若者たちにとって決して望ましい社会ではないのだ。社会が安定していけばいくほど「貧富の格差」は固定していくし、学校や大学が整備され、「学問のススメ」が唱えられるほど、「学歴差別」が強烈なものになってしまうのである。

 だから若者たちは読書をするべきなのである。読書をしている人たちだけが成長し続けるので、門地家柄や学歴に安住している者たちを易々と追い抜いて行くことができるのである。「身分の格差」や「貧富の格差」は必ず存在するのだから、その格差を解消するのではなく、その格差があっても伸し上がっていけるようにすればいいのである。

 遊ぶ時間を削り落として、毎日読書しているような若者が、いつまでも無名で有り続けるわけがないのだ。読書をすれば日々着実に成長していくから、その者の実力が充分に付き次第、驚異的な出世を成し遂げてくるものなのである。

●人生に於いて役立つ読書

 人間の寿命は最大で120年であり、労働できる期間は大体20歳から70歳の50年間だけだ。20歳以下ではアルバイト程度のことしかできないし、70歳以降では体力が落ちてしまう。だから自分に残された時間はそんなに多くはないのだ。それゆえ効果的な読書をして、確実に実力をつけていくべきなのである。

①伝記

 若者が絶対に読まねばならない物は「伝記」である。伝記を読むことによって、英雄豪傑の生き様を学び、自分がどう生きていけばいいのかを考えるべきなのである。成功者たちは早くから自分の夢を持ち、それに向かって努力し続けたからこそ成功したのである。

 10代や20代は迷いの季節なのである。その期間に人生に於いて迷っていては、時間の無駄なのである。それよりも自分が手本とすべき人物の物真似をしてしまい、真似ることで急成長を可能にさせるべきなのである。

②専門分野

 自分が仕事で成功するということは、自分が専門分野を持って、その専門分野で成功するということなのである。だから自分の専門分野を見つけ、その専門分野に関する重要な書物は全部読んでおくようにすべきなのである。

 どんな専門分野であれ、大量に本を読み進めていけば、如何に高名な学者であっても間違ったことを言っていることに気付くものだ。そうやって専門分野を研究して行くと、自分の「核」となるものができあがり、その核が出来てしまえば、その専門分野でトップに躍り出ることができるようになるのだ。

一般教養

 読書はすべきものであっても、偏った読書は体に非常に悪い。一般教養をしっかりと学び、バランスの取れた読書をするように心掛けることだ。一般教養のない人は偏屈になり、人格的に問題が発生するようになるのだ。

 文学を読むことは非常に重要なことである。人間は理性を持っていても、理性どおりには動かないのであって、小説や詩歌や俳句に触れることで、人間としての感受性を大いに高めておくべきなのである。

 人間は歴史を積み重ねることによって存在しているので、歴史を学ぶことは大いに役に立つのだ。歴史さえ学んでおけば、人間の行動は大方予想できるようになるのだ。歴史を学ばない者は自分の経験に頼るようになるので、そういう者がいれな簡単に潰すことができるようになるのだ。

 芸術に親しむことは人生を豊かにすることに直結する。音楽や絵画や演劇に触れていれば、自分の人生が高級化していくものなのである。芸術を拒否していては、自分の人生が低俗になっていくだけなのである。

●行動を起こすからこそ人生に変化が起きる

 読書を効果的に生かすためには、読書をした後で行動を起こすことだ。自分が読書によって何かを知ったのに、それを成すことがなければ知らないと同じことなのである。「とにかくやってみよう!」という、腰の軽さこそ必要なのである。

 自分が読書によって何か新しい知識を得た時、それを知っている者はごく僅かなのである。だから自分が行動を起こしてしまえば、競争相手など殆どいない状態になり、簡単に自分の夢を実現して行くことができるようになるのだ。

 行動を起こせば自分の人生に変化が起こり、確実に成功していけるものなのである。読書のしすぎで頭でっかちになり、行動を何1つ起こそうとしないのなら、自分の人生がダメになっていくのは当然のことなのである。

 読書のしすぎで頭が便秘状態になるということも充分に有り得ることなのである。だから「日記」をつけたり、本を「要約」してみたり、自分で「論文」を書いたりして、自分の頭の中にある知識を吐き出すようにすべきなのである。

 良く読書し、良く行動をする者は、良く書く者でもあるのだ。それだけ自分が日々考えているから、その考えを発表せずにはいられないのだ。そうやって創造しまくっているからこそ、自分自身は豊かになっていくし、社会だってそれに釣られて豊かになっていくのである。

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読書の蜜月

●読書に最も熱くなれた時期

 子供がする読書と、大人がする読書は、決定的に或ることが違う。それは子供たちの読書では「読書の蜜月」が起こる可能性が高いということなのである。大人にはこの「読書の蜜月」が起こらないのである。

 「読書の蜜月」は読書に最も熱くなれた時期なのである。子供は識字量も少ないし、読解力も低いのだから。読書に熱くなれるのは大人の方ではないかと思ってしまう。大人は文字を沢山知っているし、読解力だって高いのである。

 この謎を解き明かすのは、実は「シナプス」なのである。人間の脳は6歳の段階でシナプスの量が最大化し、その後、減少しいき、16歳辺りでその減少が止まるのである。「読書の蜜月」は16歳以下の少年少女にしか起こらないものなのである。

 親としてはこの「読書の蜜月」をどう起こすかなのである。というのは、この「読書の蜜月」が起こってくれれば、子供は自発的に本を読むようになり、それに比例して学校の成績も良くなってしまうからだ。親があれこれ指図せずとも勉強をやってくれるので、思春期になった時、親への反抗を少なくし、それでいて簡単に自立できてしまうようになるのだ。

 しかしこれを実現するためには、自宅に本が必要なのである。親自体が本を大量に読んでいなければならないし、子供にだって或る一定量の本を買い与えなければならないのだ。本のない家では絶対に「読書の蜜月」が起こらないのである。

●保育園児と幼稚園児

 人間の脳は出生直後からシナプスの量を増加させていき、5歳から6歳の時に脳は臨界の時期を迎える。このため保育園児や幼稚園児の時に「読書の蜜月」が起こることになるのだ。母親としては「まさかそんな早い時期に?」と思ってしまうが、子供の脳は母親の理解を超えた動きをするのだ。

 幼児に「読書の蜜月」を引き起こすためには、その保育園や幼稚園が園児たちを遊ばせるだけではなく、文字を教え、読書をする習慣を持たせなければならないのだ。幼児は自分で読書をすることができるようになると、それこそ猛スピードで大量の絵本を読んで行くようになるのだ。

 幼児の段階で「読書の蜜月」が起こった場合、読解力は急激に上がるようになるのだ。そのため面白い本は面白いと認定してくるし、詰まらない本は詰まらないと断定してくるのだ。早くに読書が出来た子は、それだけ大量に本を読んでいるのだから、読解力が想像以上のものになるのだ。

 幼児の段階で「読書の蜜月」が起こってしまった人は、10代後半や20代前半で頭角を現してくることになる。基本的に早熟型なので、スタートダッシュで勝負を仕掛けるべきなのである。大学生の時に小説を書いて、行き成り作家デビューするような人は、幼児の段階で「読書の蜜月」が起こっていないとできないものなのである。

 欠点としては、思考パターンが基本的に幼児レベルであるということなのである。余りにも複雑な議論はお嫌いなのである。それよりも自分が本を読んでみて面白いのかそうでないのかを優先してしまうのである。それと早熟ゆえに早くに老化してしまうという欠点もある。

●小学生

 現在の教育制度では文字を習い出すのは小学生からなので、小学生も文字を知ってしまえば、「読書の蜜月」を起こす可能性が出て来る。小学生には絵本ではなく、児童文学が大量に用意されているので、幾らでも質の高い読書ができるようになるのだ。

 小学生が「読書の蜜月」を起こすためには、親が学校の勉強に拘り過ぎない方がいいのだ。学校での勉強はどうしても受動的になってしまうので、無理矢理勉強させて成績が良くなってしまった子ほど、読書に熱くなるということがなくなってしまうのだ。

 「読書の蜜月」は文字さえ解れば、成績に関係なく起こるものなのである。母親としては子供から「本が欲しい!」と言われれば買ってあげればそれでいいのである。大事なことは自宅に本があるということなのである。

 小学生の段階で「読書の蜜月」が起こった場合、20代後半から30代で頭角を現してくる。作家たちの中では一番多いパターンなのである。作家になりたいのなら、小学1年生の段階から、とにかく本を読むことが大事なのである。

 欠点としては、児童文学に嵌り過ぎるということなのである。児童文学にはそれほどレベルが高い本は余りないのだ。それなのに児童文学だからといって、それを評価してしまうのである。意外や意外、この手の人たちが進めてくる本にはハズレが多いという傾向があるのだ。

●中学生

 中学生は自立が起こり始める時期なので、この時期に「読書の蜜月」が起こり易い。小学六年生と中学一年生とではまるで違う。親がビックリするほど急成長するするのも中学生の特徴なのである。中学生なら児童文学を素通りし、大人の本も読めてしまうのである。

 中学生に「読書の蜜月」を引き起こすためには、その子が通う中学校が大事なのである。公立の中学校のように教師たちがダラダラと授業をやっていると、どうしても勉強する意欲が出て来ないのだ。小学生の時とは打って変わって、学校での勉強も頑張るから、読書にも熱くなれるのである。

 中学生の時に「読書の蜜月」が起こった場合、スロースタートではあったとしても、かなりレベルの高い読解力を持つことができるようになる。中学生になるまでに人生経験を積んでいるので、おかしな意見には絶対に耳を貸さないのだ。

 「読書の蜜月」が中学生の時に起こったのなら、40代以降が勝負の時期になる筈だ。若くして勝負しようとは思わないことだ。自分の考えがしっかりと固まるまでは出世を控えるという配慮も必要なのである。

 欠点としては絵本や児童文学を読んでいないということなのである。絵本や児童文学の不足をその後どうにかして埋めていかないと、人格的に歪んでしまうことになるのだ。また出世するのが遅いために、屈折する可能性があるのだ。

●『星の王子様』にどう反応する?

 「読書の蜜月」が一体どこで起こったのか判別できる本がある。それが『星の王子様』なのである。この本は世界に於いて『聖書』『資本論』に次いで売れまくった驚異的なベストセラーの本なのである。これら3冊に共通するのは、普通の人たちが読んだ所できちんと理解できないということなのである。

 まず幼児の段階で「読書の蜜月」が起こった人に『星の王子様』を読ませると、絶対に拒絶反応を示してくるのだ。自分の心がこの本を拒絶してしまうのである。読解力が充分にあるために、この本の異常さを見破ってしまうのである。

 ところが小学生の段階で「読書の蜜月」が起こった人に『星の王子様』を読ませると、涙を流すほど感動してしまうのである。『星の王子様』を良く読めば、大した内容は何もないのに、なぜだか感動してしまうのである。

 そして中学生の段階で「読書の蜜月」が起こった人に『星の王子様』を読ませると、なんの反応もないのだ。読解力が大人用になっているし、児童文学を殆ど読んでいないので、どうしても『星の王子様』を理解できないのである。

 このことは読解力に対して重要なことを教えてくれる。それは「人間は読書の蜜月がどの時点で起こったかで読解力が歪んでしまう」ということなのである。学校で国語の教師たちが読解力を殊更に強調するのは間違っているのだ。

 『星の王子様』がなぜこんなことになってしまうのかといえば、この本は第二次世界大戦前夜に枢軸国側を批判した本だからなのである。そのことを普通に読んだ所で理解することなど絶対にできないのだ。この本を児童文学だと思って読んでしまうからこそ、完全に騙されてしまうのである。

●16歳以降では遅すぎる

 「読書の蜜月」は万能ではない。いつ起こったかで必ず欠点が存在してくるのである。その欠点を充分に承知しておくことだ。「読書の蜜月」が起こったのに自分の欠点が解っていないと、『星の王子様』みたいにまんまと騙されてしまうこともありえるのである。

 しかし「読書の蜜月」は起こった方が絶対に良い。というのは16歳以降では「読書の蜜月」が起こらないのだ。人間の脳がそうなっているのである。「読書の蜜月」を経験しなかった代償は非常に大きい。読書に対して熱くなれた経験がないために、読解力が非常に低いままになってしまうのである。

 学校の勉強を中心にしてしまったり、塾やお稽古事ばかりさせると、「読書の蜜月」が起こらなくなる。読書をするためには「時間」が必要なのである。子供なのに時間がキツキツのスケジュールでは「読書の蜜月」を起こしようがないのである。

 「読書の蜜月」が起こらなかった人が大人になってからどんなに本を読んでも、それは時間の無駄なのである。暇潰しで読んでいるにすぎないのだ。この手の人たちに本の感想を聞いても、やはり的確には答えてこないものなのである。

 少年少女が単独で「読書の蜜月」を起こすのには絶対に無理がある。とにかく親が読書の習慣を持ち、自宅に或る一定量の蔵書が必要なのである。そういう家庭環境の中で育った子供だけが「読書の蜜月」を引き起こし、その後の人生を大いに豊かな物にしていくのである。

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子供たちを本好きにさせるためには?

●絵本を買って、読み聞かせる

 母親としては自分の子供たちが健康に育つだけでなく、優秀に育って欲しいと思う筈だ。だったら子供を本好きにさせてしまうことだ。本好きにさせてしまえば、自分で自主的に読書をしていくので、知識量が爆発的に増えて行くのである。

 子供を本好きにさせるtめには、とにかく乳児の頃から絵本を読み聞かせることだ。乳児は母親が絵本を読んでいる時は静かにしているものだし、母親が絵本を読むことで自分のためだけの時間を確保でき、それが母性愛の蓄積になるのだ。

 絵本は買うようにすることだ。絵本を買ってしまった方が絵本に対して真贋をつけることができるようになるのだ。絵本を読むのは母親なのである。母親が絵本を読んでみて詰まらないと思うのは、乳児だって詰まらないのだ。

 絵本は子供騙しだと思うのではなく、母親であっても楽しめるような質の高い絵本を買うようにすることだ。母親がその絵本に夢中になれるほど楽しい絵本であるなら、その楽しさが子供にも伝わり、益々絵本が好きになるのだ。

 幼児になってくれば、就寝時に絵本を読み聞かせることで、寝かしつけるという貴重なアイテムになる。子供たちの中には夜になっても寝ない子が出て来るので、そうやって夜更かしする子供はよく風邪をひくし、身長も伸びないのだ。子供を健康に育てるためには、早寝は絶対に欠かせないのだ。

●本屋や図書館に連れて行く

 子供を本屋に連れて行くことも大事なことだ。母親は本を選んでしまうのではなく、子供が自主的に本を選べるようにするのだ。母親が一方的にやっていれば、子供だってストレスを溜め込んでしまい、それで本を読まなくなってしまうのである。

 子供に本を買い与える時は、本は1冊に限定するようにすることだ。沢山購入しても、子供の場合、きちんと読まないのだ。子供に1冊だけ本を買い与えると、子供は真剣になって本を読むようになるものなのである。

 とは言いつつも、子供の本代も結構かかるので、図書館を効果的に利用することだ。図書館は無料で本を借りることができるので、この公共サービスを利用すると、読書量が一気に増えるものなのである。

 また図書館では子供たち向けに「お話会」を開催している所もあるので、そのお話会に参加させると、子供たちは必ずその図書館で本を借りるようになるのだ。大人なら図書館で本を借りるのは当たり前であっても、子供の方はそうではないのだ。

 定期的に本を購入し、図書館で本を借りていれば、自分の子供は頭の良い子を友人にしようとするようになるのだ。こうなると子供同士で会話が弾み、益々本好きになり、様々な本を読み出すようになるのだ。

●親自身が読書をする

 敢えて言っておくが、子供は親の真似をするものなのだ。だから親が読書をしていれば、子供は自然と読書をするようになるのだ。逆に親が読書をしていないのなら、子供だって自然と読書をすることはなくなるのだ。

 父親としては幾ら仕事で疲れているからといって、お酒を飲みながらテレビを見ていれば、子供たちだって遊び呆けてしまうものなのだ。禁酒しテレビを見なければ、一晩に1冊は本を読めてしまうものなのである。

 母親にしても幾ら家事や育児が忙しいからといって、家事や育児に追われているようなら、子供たちだって読書をしなくなるのだ。家事や育児で忙しいからこそ、その合間を縫って読書をすべきなのである。

 両親が読書をし、その本を本棚に仕舞っておけば、子供たちが大きくなってくるち、こっそりとその本を読むようになるのだ。こうなると子供たちは行き成り親レベルの本を読むようになり、一気に知的レベルを高くすることができるのである。

 こうなってくると、親の蔵書量が子供の頭の良し悪しを決めてしまうということになるのだ。それゆえ学校では大して勉強していないし、塾や予備校に通ってもいないのに、矢鱈と成績のいい子が出て来るのである。そういう子供は必ずと言っていいほど、自宅に大量の本がある子供なのである。

●本代はお小遣いとは別個にする

 親としては子供にお小遣いを与えても、そのお金を本代に当てず、漫画を購入してしまうことを嘆くものだ。小遣いの使い方は子供の自由に任すべきであって、漫画を買ったことに対して、いちいち文句をつけるべきはないのだ。

 それよりも本代はお小遣いとは別個にさせてしまうことだ。家事手伝いをするなら、そのご褒美として本を与えてしまえば、家事手伝いをやってくれるし、読書をするようになって、一挙両得となるのである。

 特に中高生になると、どうしても親への反抗をし出すものだ。その際、書籍の購入に関して親が権限を持っていれば、子供は変な反抗をしてこなくなるのだ。子供なのに大量のお小遣いを与えてしまうからこそ、反抗が厄介なものになってしまうのだ。

 中高生の時にはブレることも有り得るのだ。子供が変な本を読んでいれば、その悪書の影響をモロに受けてしまい、悪事に走ってしまうものなのである。例えば大人が自殺マニュアル書を読んでもなんにも起こらないが、子供がそれを読んでしまうと、本当に自殺してしまうことになるのだ。

 人間は19歳で成長のピークを迎える以上、19歳になるまではまだまだ子供なのである。その一線だけは絶対に引いておいた方がいい。我が子がおかしくなってしまうのは、親が子供のことを「小さな大人」だと思っているからなのである。

●学校では読書嫌いにさせても、読書好きにはさせないもの

 愚かな親は「子供を本好きにさせるのは学校の仕事だ」と思い込んでいるものだ。学校は勉強する所であっても、本好きにさせる場所ではないのだ。それどころか学校で授業を受けたために、読書嫌いになってしまう子供たちの方が圧倒的に多いのである。

 なぜこんなことになってしまうのかというと、国語の教科書が余りにも酷すぎるからだ。政府の検閲を受けているので、どうしても面白いお話を載せてこないのだ。子供の場合、その話が面白いからこそ夢中になるのであって、面白くなければ見向きもしないものなのである。

 もう1つは教師の授業の仕方が下手糞だからなのである。昭和憲法体制下の教師たちは、教師として専門の教育を受けた人々ではないのだ。日本は占領中に師範学校を潰されたのであり、その後遺症が未だに続いているのである。

 それにそもそも学校の先生自体が読書家ではないということもある。教師として生徒たちに物を教えようとすれば、それこそ読書家にならなければならないのだが、学校では様々な雑用があるために、結局、教師に限って読書量が少ないのだ。

 親であるなら、自分の子供が本好きにさせるのは、「親としての責務」だと思っておいた方がいい。出世していくためには絶対に読書家であることが必要不可欠なのである。スポーツや芸能の世界ならそうではないかもしれないが、それ以外の職業であるなら、どんな職業であったとしても、読書することは必要なのである。

 だから子供を本好きにさせてしまえば、その子供はそんなに無理をすることなく簡単に出世していくことができてしまうことになるのだ。

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Superflyに惚れました!

●加齢に応じて聴ける曲がなくなる!

 若い時には音楽を散々聴きまくるものだが、30歳を過ぎると聴ける曲が少なくなってくる。歌詞の言葉が気に食わなくなったり、楽曲がダサイと思ってしまったり、挙句の果てには歌っている本人に魅力を感じなくなってしまったりするのだ。

 年下には解らなくても、年上には良く解るものなのである。年上ということは、それだけ人生経験や知恵を豊富に持っているから、紛い物に騙されにくくなるのだ。嘘偽りの音楽を拒否し、本物の音楽を要求するようになるのだ。

 俺の音楽人生の中で最も驚いたことは、俺がその年に全く聴いていない音楽がレコード大賞を受賞したことなのである。しかもその受賞後にその曲を聴いても、「なんでこんなヘボイ曲がレコード大賞を取るわけ!?」と思ってしまったぐらいなのだ。

 音楽業界の人たちは「音楽不況」だとか言う前に、大人の男女たちが聴ける本物の音楽を作って欲しい。今の音楽は10代や20代向けに作られすぎていると思う。もっと音楽のレベルを上げない限り、音楽不況は止まらないのだ。

 音楽と言うのは、「こういう曲ならヒットするだろう」と思う曲は逆に売れないのだ。自分自身が納得でき、もうこれ以上弄くれない所まで弄くった時、そういう音楽は自分自身が心から楽しめるから、その楽しさが人々に伝わり、ヒットしていくのである。

●天中殺明けに「Superfly」を結成

 そんな俺が久々に「このアーティストは本物だ!」とお墨付きを与えたのが、「Superfly」である。「Superfly」が作る歌詞も楽曲も物凄くいい。はっきり言って惚れました。本当に音楽をちゃんと作っているのが良く解る女性なのである。

  Superflyの画像(プリ画像)

 「Superfly」というのは越智志帆のソロユニットである。越智志帆は1984年2月25日、愛媛県生まれである。中学生の時はクラスでコーラスをし、人前で歌う喜びに目覚める。そのため歌唱力の基本がしっかりと作られているのだ。最初からバンド活動をやってしまうと、あそこまで歌が巧くならないのだ。

 越智志帆が憧れの人としたのはジャニス・ジョップリン! 俺は「古い!」と思ってしまったくらいだ。彼女が長髪にしていた頃はまさにジャニス・ジョップリンの格好を真似ているのだ。若い時は碌でもない人間に憧れるものだが、彼女もそうだったのである。

 大学は松山大学で、「フィンガ^ー5」なるコピーバンドを結成し、その翌年に「Superfly」を結成しているのだ。「Superfly」を結成したのは天中殺明けであって、非常にタイミングのいい時期に結成したのだ。だからこそあれよあれよいう間に「Superfly」が発展していってしまったのである。

 その後、他のメンバーがバックバンドに後退して、越智志帆がソロとしてバンドを率いる形態になった。これが良かったと思う。バンドをやる場合、全員が前に出てしまうのではなく、人気が出そうな人物を前に出し、楽曲の制作が得意な者は後退した方がいいのだ。

●「Superfly」と越智志帆との関係

 ソロユニットというのはおかしな言葉なのである。ユニットというのは誰かとコンビを組むということだから、ソロでユニットというのは本来矛盾しているのである。しかしソロユニットだからこそ、「Superfly」は成功したのである。

 越智志帆は午未天中殺である。午未天中殺は「伝達」の役目を負い、歌を歌って人々に何かを伝えるのは、彼女の運命星からして非常にあっているのだ。お金が欲しくて歌手になったわけではなく、人前で歌う喜びに目覚めたからこそ歌手になったのである。

 「Superfly」は14画で、「芸術性の高さ」を意味する所になる。このため芸術性の高い音楽を作っている限りは、この「Superfly」はヒットし続けることになるのだ。下手に売れ筋に手を出したりすると、バンドは解散ということになってしまうのだ。

 越智志帆と「Superfly」は両者が連合した形になってしまい、伝達と芸術が融合し、大きなエネルギーを発生させてしまうのである。「Superfly」は越智志帆一人でやっているのだから、越智志帆名義でやってもいいのだ。しかしそれだとそんなにエネルギーは発生してこないのだ。

 気をつけるべきは、「Superfly」を結成してから来年(平成25年)で10年目になるので、一旦休止するなり、「Superfly」をモデルチェンジする必要性が出て来るのである。今までのように突っ走ってしまうと、泥沼に嵌り込む危険性があるのだ。

 「Superfly」は作詞作曲が非常に良い! 歌詞はちゃんと言葉を巧く選んでいるし、しかも言葉が巧く乗る楽曲なのである。既に名曲だといって物が『愛をこめて花束を』『Force』『輝く月のように』の三極はあるのだ。「Superfly」が今後やるべきことは、自分たちのブランドを維持することなのである。

●実はチビ

 実を言うと越智志帆はチビである。越智志穂の身長は153cmで、非常に小さいのだ。チビなくせして、テレビ画面では体が大きく見えるのだ。これは非常にお得なのである。チビの女性がテレビ画面でもチビに見えてしまうと、途端に説得力をなくしてしまうものなのである。

 なぜだか歌が巧い女性は全員がチビである。長身の女性はどうも歌が巧くない。身長の高低によって声帯に変化が出るのだろうか? 長身の女性はどうも低音になる傾向があり、音域が非常に狭まってしまうのである。

 もう1つ、越智志帆はチビだけではなく、寸胴である。巧く服装で誤魔化しているが、明らかに寸胴である。この寸胴というのも歌手には理想的な体型で、寸胴だからこそ良く声が出るようになるのだ。アイドルの歌を聞いても名曲だと思えないのは、アイドルたちはスタイルがいいからなのである。

 年齢的に結婚適齢期に時期なので、彼女の体型は変わって行く筈である。女性はこの時期、脂肪がしっかりとつくようになるのだが、多少見苦しくても、下手に脂肪を落とさないことだ。痩せてしまうと、どうしても歌唱力が低下してしまうのである。

 越智志帆は午未天中殺なので、恋愛には事欠かない人物ではあろうが、ちゃんとした恋愛をして女を磨いて行くことだ。人気があるからといって乱れたことをやっていれば、あっという間にファンたちは去っていってしまうものなのである。

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日本が参考にしていい国、してはならない国

●国際比較は慎重に

 国際社会の中で国家が生き延びて行くためには、とにかく国際比較をし、自国が何に関して優位であり、何が欠点であるのかを把握することは非常に大事なことなのである。国家が優位性を保ち、欠点を知っているのなら、必ず国家の独立を守ることができるからだ。

 嘗て日本は江戸時代に鎖国をやってしまい、その間に西ヨーロッパでは帝国主義で国家が大いに潤い、産業や科学が猛スピードで発展してしまい、江戸幕府はアメリカ合衆国に脅迫されて開国し、しかも不平等条約を締結したため、日本の富は流出し、日本国民は極端に貧乏になってしまったのである。

 しかし国際比較を無闇にやってはならない。国際比較をしすぎたために自国の優位性が崩れてしまうことも有り得るのだ。そうなってしまえば、我が国は外国と猛烈な競争をしなければならなくなり、その競争のために国力を大いに消耗してしまうのだ。

 この地球上には日本と同じ国は1つも存在していない。国民性が違う。国土が違う。歴史が違うのである。如何なる国家にも長短があるのであって、それを比較した所で無意味なのだ。大事なことは国家の独立を保つために国際比較をしているのであって、国際比較のために国際比較をやっているのではないのだ。

 日本の学者たちは国際的に見てレベルの低い人たちである。政府から散々大量の研究費を貰っているのに、世界に通用する学術論文を書いてこないという奇妙な連中なのである。このため、この手の三流学者たちが国際比較をすると、「日本は欧米諸国に比べて遅れている!」と言いまくるようになるのだ。

 普通なら、三流学者の言っている意見など却下されるものなのであるが、日本のマスコミはこれまたレベルの低い連中なので、この意見を鵜呑みにしてしまい、三流学者たちの意見を扇動的に報じてしまうのである。

 だから国家の独立を脅かすような危険な国際比較が罷り通るのである。

●スウェーデンは絶対に参考にできない!

 戦後の日本が社会保障の面で常に手本としてきたのが、「スウェーデン」である。日本の学者たちはスウェーデンがやった社会保障制度を紹介しまくり、このために日本で社会保障が導入され、そして破綻してしまったのである。

 スウェーデンは絶対に参考にできない国なのである。

 スウェーデンは人口が8百万人しかいない小さな国家なのである。日本は1億2千万人もの人口を抱える大国なのである。人口数が2桁違ったら、もう絶対に参考には出来ないのである。スウェーデンは小国だからこそ、社会保障制度が巧く機能しているのである。

 「共済」のように小さなグループでやるものに関してはそんなに問題は起こらないものだ。しかし「保険」のように全国規模のものになってしまうと、途端に問題が生じ始めるのと同じことだ。国際比較で外すことができないのは、「人口数」なのである。

 しかもスウェーデンは基本的に「バイキングの国」なのである。他国に殺戮と略奪をしまくることによって富を稼いできた国家なのである。その上、スウェーデンは歴史的役割を終えた国なのであって、もう国際社会ではノーベル賞を与えることぐらいしか存在価値のない国家なのである。

 スウェーデンがなぜ社会保障制度を導入できたかといえば、第二次世界大戦時は中立国を保ち、戦争で大儲けしたからなのである。日本は戦争で大敗し、戦時中は無差別爆撃と原爆投下を受け、国土が荒廃してしまったのである。富の蓄積のない国が社会保障制度を導入しても、失敗するのは当たり雨なのである。

 日本人男性がスウェーデン人女性と結婚しても、普通の国際結婚とはまるで違うのである。民度が物凄く低いのだ。どの外国人女性も民族料理があり、それなりに美味しいのだが、スウェーデンにはそれがないのだ。民度が低いからこそ、社会保障制度によって政府に生活を見て貰おうという考えを持ってしまうのである。

 イケヤの家具にしても、日本の家には合わないものなのである。家具が大きすぎるので、家具のためにスペースを取られてしまうのだ。それに日本の湿気を想定していないので、家具の傷みが早いのである。家具にしてもこれだ。社会保障制度はそれ以上の酷さなのである。

●アメリカ合衆国、中国、韓国に共通するもの

 アメリカ合衆国は現在「覇権国家」であり、日本はそのアメリカ合衆国と同盟を結び、安全保障を確立させている。日本は核武装をしていない以上、アメリカ軍が持つ核爆弾の影響力を使うしかないのだ。ロシアも中国も北朝鮮も核爆弾を持っている以上、日本単独では対抗することができないのだ。

 しかし日本はアメリカ合衆国を参考にしてはならない。確かにアメリカ合衆国は戦争に於いても経済力に於いても卓越しているが、歴史は浅いし、立憲君主制の国家ではないし、文化レベルは想像以上に低い国なのである。

 アメリカ合衆国には「アメリカ合衆国こそナンバーワン!」という考えが根底にあるのだが、日本にはこういう「夜郎自大」の発想はないのである。日本がアメリカ合衆国の物真似をすれば、誰がどうやっても国家を滅亡に追いやってしまうのである。

 例えば道州制である。日本は「市町村」「都道府県」「国」と三段階で統治がなされているのであって、そこに道州制が入り込む余地は全くないのだ。アメリカ合衆国が連邦制で成功したからといって、その連邦制を日本に導入しても絶対に巧くいかないのだ。

 日本がなぜアメリカ合衆国に警戒するのかといえば、日本は中国の「中華至上主義」に散々悩まされ続けてきたからなのである。中国と国交を結ぶ場合、朝貢する以外に方法がなかったのである。これでは東アジアの国際情勢は常に緊張感を持ってしまい、少しでも変化があればすぐに戦争になってしまったのである。

 日本は雄略天皇の時に朝貢を廃止したが、このために応神朝は滅んでしまっている。菅原道真は遣唐使を廃止したが、そのために太宰府に左遷され、その地で客死している。とろこが『万葉集』では雄略天皇の和歌を日本最古の和歌と看做し、菅原道真は天満宮に祀られるようになったのである。庶民レベルでは誰が日本の独立を守ったのかきちんと理解しているのである。

 日本が韓国と揉めてしまうのは、韓国が中国の中華至上主義に追随し、「事大主義」を取るからなのである。韓国は中国と日本に挟まれた場所にあるのに、常に中国の味方になってしまうからこそ、東アジアの国際情勢が不安定になり、それで戦争が発生してしまうのである。

●日本は西ヨーロッパ諸国を参考にすべし

 日本が参考にしていいのは、基本的に西ヨーロッパ諸国なのである。これらの国々は人口数が近いし、歴史の長さも大体同じだ。それに日本が近代化していく際には西ヨーロッパ諸国を手本にしたからこそ成功したという成功例もあるのだ。

①イギリス

 イギリスは立憲君主制の国なので、日本としては大いに学ぶべき所があるのだ。日本人もイギリス人も歴史を尊重するし、礼儀作法にもうるさい。双方、島国だから考えることは似たようなものになるのだ。イギリスとの関係を深めるためにも、イギリス人女性たちを輸入して、国際結婚を大いに展開すべきなのである。

②フランス

 フランスは芸術に於いて圧倒的な強さを持つ。しかも都市計画がきちんとなされているので、都市が非常に綺麗だし、住み易いのだ。しかし政治ではフランス革命というバカなことをやったので、絶対に学ぶことはできないのだ。

③ドイツ

 ドイツ人は勤勉勤労であるが、これに関しては日本人と共通項がある。しかもドイツ語はヨーロッパ言語の中で最も優れた言語であって、学問が非常に発達しているのだ。特にキリスト教の神学はドイツ語なしでは理解できないものなのである。

④イタリア

 政治のだらしなさでは日本もイタリアも同じである。イタリア人が政治で失敗したことは、日本でも将来起こり易いということだ。イタリア料理は大いに学ぶべきものであり。素材を生かして作るのは、和食とイタリア料理くらいなのである。

⑤スイス

 スイスは国防に関して大いに学ぶべき所がある。なんせフランスやドイツヤイタリアといった強国に囲まれながらも、独立を保ってきたという実績があるのだ。国防が充実しているからこそ金融業も発達してくるのである。ユダヤ教徒たちが日本の銀行にお金を預けてくれるくらい、銀行制度や銀行サービスを充実すべきなのである。

●日本に合わない国の物を取り入れても弊害だけが発生するだけ

 日本に合わない国の物を取り入れても弊害が発生するだけなのである。日本の近代史を見ても解るが、日本は西ヨーロッパ諸国の物を導入した時は巧く行っているのだが、それ以外の国の物を取り入れた時は失敗しているのだ。

 日本はスウェーデンの社会保障を真似て、その結果、財政破綻を引き起こしたのである。日本政府の借金は現在、先進国の中でワーストなのであって、日本発の大恐慌を引き起こす危険性があるのである。

 最近、日本のフェミニストたちが女性の社会進出で手本にし始めたのは、アイスランドなのである。アイスランドは世界で最も女性の社会進出が進んだ国なのであるが、これまた「バイキングの国」なのである。日本はバイキングの国とは合わないんだって!

 アイスランドの人口はどれくらいだが、ご存知だろか? たった26万人なのである。26万人しかいない国家なら、女性たちがどんどん働きに出て行かない限りやっていけないって! 人口数が少なすぎる小国だからこそ、女性たちは大量に社会進出をしているのである。

 日本はスウェーデンの物を取り入れて大失敗してしまったという実例があるのだ。それなのにアイスランドの物を取り入れればまた大失敗ししてしまうことになるのだ。国際比較というのは自国の優位性を把握するために行なうものなのであって、無闇に外国の物真似をすれば国益を大いに損ない、自国を滅亡へと追いやってしまうものなのである。

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