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2012年12月

余りにも不思議な処女作

●付き添いが閑だったからこそ

 うちの父親が足の付け根の痛みを訴え出して病院に行ったら、国立がんセンターに回されてしまった。それ以降、両親は一緒に国立がんセンターに行っていたのだが、母親も用事がある時があるので、その時は俺に付き添いの役が回ってくることになるのだ。

 俺は父親が国立がんセンターに行くのは反対していた。なぜなら国立がんセンターに行っても癌が治らないからだ。しかも今回のリンパ腺癌は父親が歩かなかったことにその誘因があるのであって、歩きまくっていれば治る程度のものなのである。

 とはいっても俺の立場上、父親の要請を断ることができないので、仕方なく父親と一緒に国立がんセンターに行くことになった。国立がんセンターは診察を受けるまで1時間以上かかり、診察する前に検査があり、診察しても長々と話すことになる。

 その間、付き添い人は閑なのである。

 考えていることといえば、昼食のことしかないのだ。そのくせ国立がんセンターの食堂の食事は不味い。ランチを食っても不味い。ラーメンを食っても不味い。俺は「食堂で頼むべき物がないならカレーライスを頼め」と言うルールを持っている。カレーライスならどの食堂も美味しいからだ。しかし国立がんセンターの食堂のカレーライスは不味いのだ。

 こうなると国立がんセンターにいる間、読書をするか、空想に耽るしかなくなる。この状況下で小説のアイデアが浮かび、そのアイデアを紙に書きまくっていったのである。しかもその小説に必要な参考文献がいとも簡単に図書館で見つかり、あれよあれよという間に草稿が出来上がってしまったのである。

 小説を書き始めたのは、平成24年2月28日からで、執筆を終了したのは6月30日である。この間、神憑り状態で書いたと言っても過言ではない。今まで小説を書いた経験がないのに、小説の言葉が頭の中に幾らでも浮かんでくるのである。

●推敲は在宅治療の時期とピタリと重なる

 小説の執筆が終了して1ヶ月間ほど冷却期間を置いたのだが、この間の7月に国立がんセンターが父親との約束に反して抗癌剤を使用していることが判明したので、父親は国立がんセンターでの治療を拒否するようになったのである。

 これ以降、在宅治療が始まるのであるが、ということは俺が推敲をやっていた時期にピタリと重なるのだ。推敲は1ヶ月に1回行い、8月から12月の間に5回も推敲をやった。これだけ丹念に推敲したお蔭で小説の出来は格段に良くなったのである。

 俺が推敲をやっている間、父親は俺の助言を殆ど聞かなくなってしまった。このため病状は徐々に悪化していき、最終的には寝たきり状態になってしまうのである。小説の出来が良くなるとは裏腹に、父親の病状は悪くなっていったのである。

 その理由は至って簡単で、父親は家族に命じて何かをやらせるばっかりで、自分で動こうとしないのである。俺自身、推敲をしている最中に父親に呼び出され、どうでもいいような雑用を処理しなければならなかったのである。

 小説の中で最後まで「ここは変えた方がいいかな~」と思う箇所が1つあったのである。気にはなっていたのだが、なかなか変える決断ができなかった。変えなくても別にそれはそれで成立するからだ。しかし5回目の推敲の際、勇気を出して変えることにした。これをやりおえた後、俺は

「この作品はこれで完成だな」

と思うようになった。

●推敲が終わって遠出したくなくなった

 俺は推敲が終わってから、遠出をしたくなくなった。それまでは結構飛び歩いていたのだが、推敲が終わってからなぜだかどこにも行きたくなくなったのである。気づいてみれば早々と帰宅しているし、いつも父親の傍にいたのでる。

 父親が家族全員を集めて遺言を言ったのはその時期なのである。遺言の際、父親から

「お前はこれからどうする?」

と訊かれたので、俺ははっきりと

「作家になる!」

と答えた。もう小説が完成していたから、作家になることにはなんの疑念もなかった。

 父親が遺言をした時、まだま起き上がれたのだが、遺言をしてからは起き上がれなくなり、完全に寝たきり状態になってしまった。電動ベッドのために寝たら自分で起き上がることをしないので、急速に筋肉が萎えていったのである。

 そんな折、父親は

「宝籤が当たった夢を見た」

と言い出したので、俺が宝籤を買いに行く羽目になった。俺自身、宝籤には興味がなかったが、状況が状況だけに真面目になって買いに行ったのである。後で解ったことなのだが、俺が宝籤を買った宝籤売り場は毎年1億円以上の物が当たっている場所なのである。

 父親が自分のすべきことを全てやり終えると、それ以降、血便が出るようになったのである。血便が出るようになってから、喋るのもひと苦労で、父親の言うことをなかなか聞き取ることができなくなってしまった。

●死の一週間前から俺自身、唇や喉の不調を訴える

 父親が死ぬ1週間前から俺は体調不良を訴えるようになった。恐らく父親の放つ死臭が俺の体調を狂わしたのである。最初は唇に異常が発生し、次に喉を痛めてしまった。最初は「風邪かな?」と思ったが、そうではなさそうなのである。

 そして父親が死ぬ3日前には俺が寝込んでしまった。俺は寝込むことなど滅多にないので、俺自身、不思議で仕様がなかった。俺が寝込んでしまったので、いつもなら雑用を命じてくる父親も何も言わなくなってしまった。

 父親が死ぬ2日前に看護師たちがお風呂を作ってくれて、そこで父親を入浴させた。父親は体を洗って貰って非常にご機嫌で、その日は真夜中に起きることなく、朝まで熟睡してくれたのである。いつも真夜中に呼び起こされる者としては、これは非常に有難いことなのである。

 しかし父親が死ぬ前日に血尿を出してしまい、そこで町医者が感染症を防止するために抗生物質を投与したのがいけなかった。突然に体調が悪化してしまい、呆気なく死んでしまったのである。俺は父親が冗談で呼吸を止めていると思ったくらいに急な出来事であったのである。

 父親が死んだ日は全然眠れなかったのだが、それは足の裏が異様に温かくなってしまったからなのである。とてもではないが、寝れる状態ではないのである。この不思議な現象は父親の遺体を葬儀屋に運び込んだ日にも起こり、この時も全然眠ることができなかったのである。

●よりによって誕生日にお葬式

 父親が死んだ翌日は友引で、そのために葬式が延びてしまった。それでどうなったかというと、よりによって俺の誕生日に告別式が行なわれたのである。告別式をやって、火葬場で遺体を焼いて、夜には「ハッピーバースデー・トー・ユー♪」なんて出来るか!?

 しかも誕生日プレゼントは「骨壷」!

 父親の遺灰入りですよ。

 誕生日プレゼントに骨壷を貰ってどうする!? 骨壷を受け取って、

「いい仕事してますね~。古伊万里ですな」

なんて言えないしな。大体、骨壷って、他に使い道がない。幾ら形が丁度いいからって、ペニスケースに使えないし。

 さすがに葬式が終わって誕生日祝いはできなかったので、その翌日に誕生日祝いをやった。俺の人生の中でこれほど盛り上がらなかった誕生日祝いもない。ケーキですら陰膳をし、線香の臭いはするし、時折鐘が鳴るからね。「チーン!」って。

 俺はお通夜の日ですら小説を書いていたのだが、さすがに告別式の日には何も書けなかった。用事が詰まっているということもあるし、書く気力がなかったということもある。松本清張ですら、自分の父親の告別式の時だけは小説を書かなかったらしい。これはそうならざるをえないのである。

 遺族たちにしてみれば、葬式が終わればそれで終わりではない。役所に行って様々な書類を提出しなければなないし、遺産の整理もしなければならない。告別式の当日は何も書けなくても、その翌日になれば新たな小説を完成させるべく、毎日書いていかなければならないのだ。

●死んでから気づいたこと

 父親が死んでから気づいたことがある。

 それは父親が死んでから47日後に、俺は講談社に原稿提出をすることになったのである。ということは、死んだ日を入れると48日。病状悪化を入れると49日なのである。四十九日というのは、死んだ者がこの世に留まれる期間なのである。

 この事実を知った時、

「どひゃ~!」

と叫んでしまった。

 末期に於いて父親の病状はすぐに死ぬほどのものではなかった。はっきりと言ってしまえば、町医者が投与した抗生物質が効き過ぎてしまい、それで発熱し、呼吸困難で死んでしまったのである。遺族にしてみれば、介護をしていたというのに、本当に突如急死してしまったのである。

 なんでまだまだ生きることができた父親が死んでしまったのかというと、それは俺の処女作が完成し、その処女作を自分が死んでもこの世に留まれる範囲内で見届け、それからあの世に行こうとしたからではないか?

 考えてみてれば、小説を書く気はなかった俺が、父親の付き添いで国立がんセンターに行き、閑だからということで小説のアイデアが浮かび、国立がんセンターで治療を受けている間に執筆し、在宅治療をしている間に推敲をしたのである。

 そしてその処女作が完成すると同時に死んでしまったのである。

「う~、なんとも壮絶!」

 これを悪く言えば、父親の命を犠牲しにして処女作を生み出したと言えるかもしない。これを良く言えば、父親が俺だけに残してくれた「文学的な遺産」と言えるかもしれない。

●この世での役目を終えた父

 俺の父親の死は、普通の癌患者たちの死とは違うのである。俺の父親は癌治療のエキスパートなのに癌で死んでしまったのである。しかも息子の俺がリンパ腺癌を治す方法を教えていたのに、リンパ腺癌で死んでしまったのである。

 父親が死んだ後、導師さんが

「お父さんはこの世でも役目を終えられた」

と言ったのだが、まさにその通りで、父親はこの世での役目を終えてしまったからこそ、もっと長生きできたのに死んでしまったのである。会社員としては経理部長として会社を再建させ、私生活で結婚して子供たちを生み育て、老後は癌研究に従事したのである。

 そして最後に「息子の俺を作家にするという役目」を果たしたのである。

 だから寿命が尽きてしまったのである。

 父親の人生は100点満点ではない。会社員としては取締役にまで出世するべきだったし、私生活では息子の意見をもっと聞くべきだったし、癌研究でもサプリメントや癌ワクチンだけで治すのではなく、運動や断食という方法もあることに気づかなったのである。

 それゆえリンパ腺癌を発症してからは、体に激痛が走ったのである。1年にも満たなかったけど、人生の末期に激痛が走ったということは、自分がやるべきことをきちんとやっていないからこそ、そういうことになってしまったのである。

 父親が死んだ当日、うちの姉がバスに乗っている時に父親は幽霊の姿になって目の前に現れ、

「来世は医学博士になる」

と言ったそうなのである。心霊現象ゆえに科学的には立証できないが、うちの姉には霊能力があるので、その意見を信じるしかあるまい。まあ、考えてみれば、来世に於いて医学博士になるために、老後は医学の勉強をしたとも言えるのである。

●運命の処女作

 来年、平成25年は俺の人生に於いて最大のギャンブルを仕掛けなければならない。既に処女作は出来上がっているのである。これをどう出版に漕ぎつけ、ベストセラーに持っていくかのである。これは或る意味、俺の父親に対する「弔い合戦」のようなものなのであって、絶対に負けるわけにはいかないのだ。

 この処女作は俺が人為的に書いた物ではないのである。神憑り常態で書いた物なのである。しかも俺の父親が死んでくれたことで、父親の霊的支援をも受け続けることになるのである。幾らプロの作家たちであっても、これには絶対に太刀打ちできないのである。

 現時点で俺の手持ちの作品は、この「運命の処女作」と、処女作を書く過程で生まれた児童文学の作品が2作品と、現在執筆中の作品で未完成ではあるが既に半分出来上がっている物とがある。運命の処女作をメインと置きつつも、児童文学で売り込むという方法もあるし、未完成の作品を大急ぎで完成させて、予備戦力を用意しなければならないのだ。

 自分で言うのもなんだが、俺が書いた作品は「面白くて為になる作品」である。その作品を書いた自分が読んで笑って涙を流しているという代物なのである。お金を払ってでも読む価値はあると思う。読書家の俺が言うのもなんだが、せめて定価以上の価値はある本を出して欲しいと思うよ。

 俺の「運命の処女作」は飽くまでも家族的な理由で生まれた物だけど、これを俺の家族だけに仕舞っておくのではなく、全国の人々に読んで貰いたい。俺としてはベストセラー間違いなしだと思うし、後世に残る文学作品になっていると思うからである。

 どうやら平成25年は大忙しである。

 皆さん、お楽しみに!

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とっても不思議なお葬式

●お葬式は葬儀屋の良し悪しで決まる

 人間は死ねば葬式を挙げなければならない。

 葬式こそ遺族たちに課せられた大事な仕事であるのだ。母親は父親が寝たきりになった時点で葬儀屋探しを始めていた。自宅の近くの葬儀屋は値段が高いだけで、内容は全然ダメなので、自宅近辺にはない葬儀屋を探すことにしたのである。

 自宅からの交通の便と、葬式の内容、そして料金のことを考えると、「ライフケア」という葬儀屋が最適だと解ってきた。ライフケアは福島県と茨城県と千葉県に展開する葬儀屋で、俺自身、この葬儀屋の名前を知らなかった。

 父親が死んだ翌日は友引であったために、父親の葬式は少し送れた。その間、親戚や友人たちに電話をしまくり、父親が死亡したことを知らせた。葬式は会員制ではないので、一体誰が来るのか解らないのだ。

 葬儀屋に父親の亡骸を持っていって貰うと、喪服の準備や、葬儀屋に滞在する際の品々を用意した。いざお通夜の当日になって、葬儀屋の最寄の駅に降りてみると、地図を忘れたことが判明した。あれほど入念にやったのに、この有様である。

 「ライフケア蘇我会堂」は駅から徒歩で1分という絶好のポジションにある。しかも建物がスマートで清潔である。対応に応じてくれた女性職員たちの言葉遣いや礼儀作法も良い。家族が寝泊りする休憩室に入ってみると、手頃な広さで、大きすぎもせず、小さすぎもしないのである。

 ところが、契約の担当者の柄が物凄く悪く、

「ヤクザじゃねぇ~のか?」

と家族全員で陰口を言う始末である。第一印象は物凄く良かったのに、この男性職員のために最悪の印象を持つようになってしまった。葬式のような濃密な時間を過ごす場合、担当者は1人にして欲しい。

●湯灌納棺の儀

 お通夜が始まる前に、「湯灌納棺の儀」というものがある。

 これは遺族だけの秘密儀式であって、遺族以外の者は参加することはできない。俺は祖父が死んだ時にやった湯灌納棺の儀は全く覚えていないのだ。このためこの儀式は何もかもが新鮮に映ってしまった。

 まず父親の遺体が安置されている部屋へと移動した。そこには男性2人、女性1人の納棺師たちがいた。納棺師は仕事柄、男性だけとか女性だけとかでは出来ない。「男性2人と女性1人」の組み合わせが、基本のユニットとなるのだ。これはこの儀式に参加すれば良く解ることになる。

 「湯灌納棺の儀」は秘密儀式なので、あれこれと言うことは出来ないが、父親の遺体をタオルで拭き、死に装束をつけさせて、死に化粧を施し、最後には納棺するというものである。全てが感動の作業で、無駄な行為は1つもないのだ。

 「湯灌納棺の儀」は料金が高いが、その金額を払うだけの価値は絶対にある。こういう秘密儀式がないと、遺族たちは死者との別れをきっちりと行なうことができないからだ。この儀式は死者のために行なうだけではなく、遺族たちのためにも行なうものなのである。

 「湯灌納棺の儀」が終わると、親戚たちがやってきたので、それへの挨拶をしまくることになった。後はもう大忙しなのである。お葬式で遺族たちがゆっくりと過ごせた時間は、「湯灌納棺の儀」だけであったと言っても過言ではないのだ。

●お通夜

 会場が広かったために、この会場を参列者で埋めることができるのかと不安がったが、参列者は続々と現れ、どうにかして座席の全てを埋めることができた。というか座席数だけ参列者がやってきたのは不思議という他ない。

 これだけ大勢の参列者が集まると、参列者の良し悪しが解ってくる。親戚たちの中には焼香での礼儀作法ができない人物すらいるのだから驚かされる。焼香での礼儀作法がきちんと出来ている人は、普段から親切づきあいを大事にしている人物たちだけなのである。

 これが親族以外になるともっとシビアになる。俺が仕事で「この人は本当に仕事ができる!」と思っている人物がいるのだが、この人の礼儀は哀悼の意がしみじみと伝わるような素晴らしいものであった。それに対して親の七光りで億万長者になってしなった人の礼儀は参列者中最も酷いものであった。

 不思議な現象はお通夜の後の食事でも続いた。お寿司やテンプラや煮物を用意したのだが、事前にどうもこれでは少ないと判断し、お寿司を3つほど余計に追加注文したのである。するとこ追加注文のお蔭で食事が充分に足りたのである。

 お通夜の際には、お酒は少なめにした方がいい。自動車で来ている人は飲酒をしないので、どうしても残ってしまうのである。ジュースは子供がいない限り飲まない。一番売れたのはノンアルコールのビールだったというのは、時代の変化を感じさせる。

●お通夜の残り物で朝食

 お通夜の会食では多少残り物が出たのだが、勿体ないということで残り物をお皿に藻って、休憩室へ持ち帰ってしまった。これが翌日の遺族たちの朝食になった。なんとも不思議である。遺族たちが食べるに充分な量だけが残ったのである。

 考えてみれば、葬儀屋に朝食を頼む筈であったのだが、父親の死亡以降のドタバタで注文するのを忘れてしまったのである。もしも朝食にありつけなかったら、告別式は結構ハードなものになったと思う。

 遺族たちは香典で大金を持つことになるのだが、夜間はこれを休憩室の金庫に仕舞い、朝になったらすぐさま銀行に行って入金するのである。葬式は費用が嵩むものなので、香典を紛失してしまっては大変なことになるのだ。

 ライフケア蘇我会堂は近くに銀行が沢山あるので、この点は大助かりだった。葬儀屋だけがあり、銀行が遠いとこれは危険なのである。葬儀屋と銀行はセットで存在してくれないと困るものなのである。出来ることなら、葬儀屋の内部にATMがあって欲しいと思う。

 変な話、葬儀屋で最も大事なのは、防犯システムがきちんと整っていることだと思う。もしも香典泥棒にあったら、そのお客は終生に亘ってその葬儀屋で香典泥棒に遭ったことを言い続ける筈だからだ。事実、俺も銀行で香典の入金が完了した時、ホッとひと息をつけたのである。

●告別式

 告別式での参列者はお通夜の時よりは少なくなる。基本的に親戚であり、特に親しい友人たちだけである。この方がいいかもしれない。告別式では棺桶に花々を入れる儀式があるので、そんなに親しくない人たちには来て欲しくないのだ。

 意外だったのが、育児中の既婚女性たちはお通夜に来ず、告別式の方には来たということである。お通夜のように夜間に長々と家を空けるにはいかないが、告別式のように日中になら長々と家を空けてもいいからだ。

 告別式はお通夜ほどには盛り上がらないので、これをどうにか工夫することは必要だと思う。お通夜と同様に読経をしても、「それは前日やったじゃん」ということになってしまうからだ。せめて故人の経歴を述べたり、故人が好きった歌を歌うとかすれば、もっと盛り上がると思う。

 告別式が終わると、喪主である母親が位牌を持って霊柩車に乗り込み、それ以外の人々はバスに乗り込む。告別式の参列者たちの大半が帰ってくれたので、どうにかしてバス1台で運べる人数になった。これまた不思議である。

 となると告別式だけ出るのは意外と損なのである。葬式では、お通夜のお方に出るべきであって、告別式は親戚とか親しい友人でなければ出る必要性はないのだ。香典は値が張るものなので、せめてお通夜での食事を食べていった方がいいのだ。

●火葬場

 千葉市の火葬場は滅茶苦茶お洒落な火葬場である。火葬場が市営であるとは知らなかった。非常に合理的に設計されているので、何事も順調に進んだ。順調に進んでしまったからこそ、棺桶を焼却炉に入れた時は非常に物寂しかった。

 遺体が灰になるまでの時間は、火葬場で会食である。ここで参列者全員が個室に行って弁当を食べるのだが、不思議だったのは弁当の数で、丁度1個だけ足りなくなってしまった。そこで追加注文したのだが、姉が体調不良になって飯を食えなくなったので、急遽キャンセルした。

 ここの弁当は1個3500円という洒落にならないほどに高い物なのである。そのくせ絶品というほどには美味しくない。通常なら1500円程度のものなのである。2000円分は部屋代の使用料と火葬場の儲けと考えた方が良い。火葬料金自体は安いので、こういうことにならざるを得ないのだ。

 お通夜での出来事があったので、火葬場での会食ではビールを減らし、ジュースをなくしたが、それでもビールが余ったのである。火葬場での会食は昼間に行なわれるので、ビールは要らないのだ。これは非常に良い教訓になった。

 骨壷に遺灰を入れのだが、骨壷と遺灰を合わせると結構な重さになる。これを持つのは長男である俺なので、一旦持たされると、ずーっと持ちっ放しなのである。物が物ゆえに、他人に渡すわけにもいかないのだ。

●動揺していた帰途

 火葬場から帰って来て解散となるのだが、参列者たちが帰ってしまうと、俺は完全に動揺してしまった。父親を亡くしてしまった悲しみが一気に巻き起こってきたのである。しかも骨壷を持っているので、体が適度に疲労してしまったのである。

 ライフケア蘇我会堂から自宅までは、ライフケアの社員の方に送って貰ったのだが、この社員は俺が普段使わない道に行ってしまったために、俺自身、更に動揺してしまい、右折禁止の所を「右に曲がれ」と言うし、一方通行で進入禁止の標識が出ているのに、「直進して下さい」と行ってしまったりした。

 帰宅して父親の骨壷を仮設の祭壇に置くと、

「本当に父親は死んでしまったんだ!」

という悲しみが襲ってきた。母親は号泣しており、余計にこの悲しみを煽り立てた。葬式が終わったからこそ、やっと遺族たちは悲しむことができたのである。

 葬式の際に花輪が沢山出たので、それを自宅に持ち帰った。すると家の中は花の香りでプンプンしてしまい、結構いい気分になれたのである。「遺体と花」はセットになるものだが、花の香りがあればこそ、悲しみが和らぐものなのである。

 遺族たちは自宅に帰ってもそれで終わりではなく、香典を銀行に入金したり、買い物をしたり、家の中を片付けたりと、用事は尽きることがないのだ。そうやって用事があってくれた方が気を紛らわすことができるものなのである。

●終わってみれば有難う

 父親が死んだ後に、「葬式は大変よ~」と母親の友人に言われたのだが、実際に葬式をやってみると大変ではなく、「有難う」なのである。大変と言えば大変かもしれないが、自分の親の葬式は誰だって最大で2回しかないのだ。その内の1回をやったのだから、感動する方が断然に大きいのだ。

 今回の葬式はライフケアでやったのが良かったと思う。それと湯灌納棺の儀の出来が良かったのが、その後の展開をスムーズにさせたと思う。それに親戚たちの助力がったことも大きい。葬式で役に立つのは親戚であって、友人たちではないのだ。

 しかし反省点も多々ある。

①休憩室にお茶はあってもお茶請けがない。

 遺族たちは悲しみの中にやってくるのだから、せめてお茶請けぐらいは用意しておいて欲しい。休憩室に入って高級な和菓子であれば、その後の展開が物凄く楽になるものなのである。

②休憩室のトイレにタオルがない

 休憩室で初めてトイレを使った時、タオルがないので右往左往してしまった。ここのトイレを使った人はどうやって手を拭いているのだろう。これは謎である。

③社員の道案内が全くなっていない

 ライフケア蘇我会堂は駅から1分の所にあるので、お客様から道を訊かれた時、逆に答えることができないのである。このことに関しては参列者たちの多くから苦情があった。

④余ったジュースを持ってくれば良かった

 お通夜の会食の際にジュースが大量に余ったのだが、これを休憩室に持ってくれば良かった。お通夜で動きまくって喋りまくって喉が渇いているのに、そこに空調を利かしたために喉がやられてしまったのである。

⑤お菓子をライフケアに置いてきてしまった

 導師の控え室にお菓子を用意したのだが、そのお菓子を忘れてきてしまった。チョコがあったために、これは実に惜しいのだ。まあ、これはライフケアの社員たちへのプレゼントになってしまった。

⑥道を間違えた

 ライフケア蘇我会堂からの帰途、道を間違えたのは、その後、数日間に亘って俺を落ち込ませた。俺自身、父親を亡くしたことで完全に動揺しまくっていたのだ。葬儀屋の方々に言っておくけど、遺族に道を訊いてはならないと思う。事前に地図で道を確かめた方が良い。

⑦お葬式で笑いを取れなかった

 俺は葬式が始まる前にブラックユーモアを大量に用意していたのだが、このブラックユーモアを披露しても誰も笑わなかった。俺にとっては、これは非常にきつかった。笑ってくれれば、俺の悲しみも紛れた筈だからだ。

 葬式は本当に「一期一会」だと思う。父親の葬儀は一生に一回しかできないのである。俺の父親は俺が若くして死んでくれなくて本当に良かったと思う。俺もいい年齢になったからこそ、父親の死を冷静に受け止めることができたのだと思う。

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父の死

●歩かなかったツケ

 うちの父親は国会中継が大好きで、父親が自宅にいて、NHKで国会中継が行なわれる時は、必ずといっていいほど見ていたのである。国会中継は半日にかけて行なわれるので、正午以降、外出しないということになってしまう。

 この国会中継好きが悪化したのは、東日本大震災以降である。要は菅直人首相が非常事態であるにも拘らず滅茶苦茶な政策を打ったために被害が拡大したのである。最大の代表例は福島第一原発の事故で、脱原発を行なうために人為的に水素爆発を引き起こさせたのである。だから俺の父親は国会中継を散々見まくっていたわけだ。

 平成24年度の正月には俺の父親は初詣以外、外出しなかった。この年の正月は寒かったということもあるが、俺が毎日外出しているのに、父親だけは自宅でテレビをみまくっていたのである。そこで俺が

「御節料理は高カロリーの料理だから、動かないと太るぞ」

と勧告したのだが、父親はなんだかんだ理由をつけて動かなかったのである。

 そして1月下旬に父親は

「足の付け根が痛い!」

と言い出してきたのである。その痛さは結構痛かったらしく、毎日、

「痛い! 痛い!」

と言ってきたので、母親が病院に連れていったのである。すると

「国立がんセンターを紹介します」

と告げられたのである。

 国立がんセンターで診察を受けると、「リンパ腺癌」であることが判明した。当たり前だ。歩いていないわけだから、リンパ腺に異常が出て来るのは当然なのである。しかも御節料理という高カロリーの食事を食ったのに動かなかったから、体が参ってしまったのである。

●国立がんセンターでの癌治療

 父親は自然療法という形で癌を治す仕事をしていたために、抗癌剤の怖さは充分に承知している。そのため国立がんセンターで治療を受けるに当たって

「抗癌剤の使用は絶対に拒否します」

と最初から釘を打っていたのである。

 そこで担当した医者は抗癌剤の代わりに女性ホルモン剤を使用したのである。どういう理由で女性ホルモン剤を使ったのか解らないのだが、恐らくリンパ液の流れを良くするために行なったのであろう。しかしこの女性ホルモン剤の使用で筋肉が萎えてしまい、5月辺りには歩行が困難になっていたのである。

 追い討ちをかけたのが、その時期に先天的な心臓疾患が発見されてしまったのである。心臓の組織に異常があり、血液が逆流してしまうのである。しかし高齢だし、リンパ腺癌を患っているので、手術は不可能と言われてしまったのである。

 父親は国立がんセンターでの治療に疑問を抱くようになり、7月に入ってから医者を問い質した所、

「実は抗癌剤の成分が入っていた物を使用していた」

と白状したのである。あれほど「抗癌剤を使うな」と言ったのに、医者は抗癌剤を使用していたのである。

 父親はこの医者の不正医療に激怒し、国立がんセンターでの治療をやめるようになってしまった。国立がんセンターの治療は結果的に余計に悪化しただけのことなのである。1月下旬ではちゃんと歩けたのに、7月の段階ではもう歩行が困難になってしまったのである。

●歩けば治ったのに

 俺は自分の父親がリンパ腺癌になった時、その原因はもう完全に解っていた。

要は「歩かなかっただけのこと」なのである。

だから歩けば治るものなのである。俺は両親が国立がんセンターに行くことには反対していたのである。行った所で治りはしないのである。

 そこで俺は父親に

「ともかく歩け。1日1時間はしっかりと散歩しろ。リンパ腺癌なら1日3時間は歩くべきなんだよ」

と言ったのである。

 しかし父親は

「え~ッ! 1日3時間!? そんな歩けるわけがないよ」

と反論し、結局、1日1時間程度の散歩で、しかもその散歩時間は段々短くなり、遂には歩かなくなってしまった。

 俺が父親の行動で腹を立てていたのは、父親がリンパ腺癌であるにも拘らず、朝食を食っていたことなのである。

「癌患者が朝食を食うな!」

「なんでさ~、俺に朝食を食わせないつもりか?」

「癌患者は1日2食で充分なんだよ。それに大体、朝のウンコをしたのか?」

「いや、していない。朝食を食わないとウンコは出ないよ」

「あのだな~。体内に老廃物や毒素が沢山あるからこそリンパ腺が癌細胞に冒されているんだよ」

いつもこんな調子で、まるでコントだよ。

 俺は癌治療の切り札として「断食」を持っている。断食こそ癌を消滅させる優れ物なのである。そこで俺は父親に断食を勧めたのだが、父親は断食を1日やっただけで、すぐにギブアップしてしまった。この断食は意外と効果があって、肝臓や腎臓に転移していた癌細胞が綺麗に消えてしまったのである。

 俺は自分の父親に対して治療を施すことの難しさを知った。とにかく俺の意見を聞かないのだ。聞いたとしてもすぐにやめてしまう。これでは自然療法をやっても効果が出て来るわけがないのだ。血の繋がりがあるからこそ、父親は息子の意見を聞けないのである。

 それと国立がんセンターの治療と自然療法の治療は両立しないということなのである。父親はリンパ腺癌を発症した当時、充分に歩けたのである。その時に国立がんセンターに行かず歩かせまくっていたら、簡単にリンパ腺癌は治っていた筈なのである。

●在宅治療

 7月以降、在宅治療を受けることになった。近くの町医者の治療や、看護師の看護を受けながら治療していくのである。この時期は歩行困難とは雖もまだまだ歩けたので、充分に治る見込みがあったのである。

 しかし父親は体が痛いために歩くことを最優先にしなかったのである。歩行時間が段々と短くなっていったのである。そして遂には歩かなくなってしまったのである。俺はそういう父親に対して

「マンションの中庭にでも行ってきなよ。毎日、自宅で寝ていたら、余計に体に悪い」

と忠告したのだが、これもまた却下なのである。

 町医者の治療も、看護師の看護も、これまた役に立たないのだ。気休め程度のことをするだけで、癌を治そうという気がまるでないのである。そのくせ父親は町医者や看護師の意見は聞くので、俺としてもう何も言わないと怒ってしまった。

 そして父親は寝たきり状態になってしまった。

 寝たきりというのは非常に厄介なもので、確実に便秘になるのである。内蔵は重力があるからこそ正常に機能するのであって、寝たきりになってしまうと内蔵が正常に機能しなくなってしまのである。リンパ腺癌患者が便秘になるほど危険なことはない。癌細胞に餌を与えてしまうようなものだからだ。

 そこでイチジク浣腸が登場!

 このイチジク浣腸は物凄く効いた。本当に一発で便秘が解消したね。しかし便秘が悪化して、腸内に糞詰まりが起こってしまうような厳秘になると、今度は看護師の出番で、肛門に手を突っ込んで、ウンコを掻き出すのである。 

 これは激痛なのだか、やって貰わねばならないものなのである。看護師の看護が本当に役に立ったのは、このウンコの掻き出しぐらいなものだったのである。

●飯が食えなければ食わすな

 秋になると父親は癌患者特有の現象を見せるようになった。飯を食わなくなったのである。癌患者が飯を食っている限り、老廃物や毒素が出てしまうので、癌細胞の餌がなくならないのだ。だから体に備わっている最終防衛装置が働き食欲を落とすのである。

 しかし癌患者は見た目がガリガリである。この状況下で飯を食わなければ死んでしまうと思ってしまう。そこで母親は無理矢理に飯を食わせるようになったのである。俺はこのバカげた行動をやめるよう何度も言ったのだが、母親は

「体がこんなにも痩せ細ってしまったら、治るものも治らなくなってしまうのじゃないの!?」

と言い出し、せっせと飯を食わせ続けたのである。

 俺は母親に用事があって、父親の昼食の世話を頼まれた時、父親には飯を食わせなかった。父親の方も飯を要求してこないからスムーズに行った。ただ時折に水を欲するので、水だけは与えたのである。

 要は日中断食をやったのである。

 それでどうなったか?

 病状が一時的に回復したのである。なんせ癌細胞の餌となるものがなくなったのだが、癌細胞の勢いだって止まってしまうのである。しかし母親が介護をし始めると、また三度の飯を与えてしまうので、病状は悪化していったのである。

 癌治療には断食が最も効果があるというのはなかなか解ってくれないのである。見た目が悲惨だからといって、それはそれでいいのである。癌患者が大量のウンコをし、食欲が回復してくれば、癌だって消えていくものなのである。

●病状悪化

 父親はベッドから起き上がるのも苦労するようになり、電動ベッドを借りることになった。俺はこれに大反対し、

「電動ベッドを使えば完全に寝たきりになる!」

と主張したが、父親は電動ベッドを欲しがったので、自宅に置くことになった。

 父親は電動ベッドで楽チンだったかもしれないが、これ以降、病状は急速に悪化していった。毎日、電動で上半身を上げ、そこで食事になるので、1ヶ月後には歩くことはおろか、立ち上がることも不可能になってしまったのである。

 しかも家族には「介護の恐怖」というのが襲い掛かってきた。なんせ父親は寝たきりである。何か用事があれば家族に申し付けてくるのである。しかもそれを真夜中にもやるので、家族は全員が全員、寝不足になってしまった。

 このツケは大きく出た。体を動かさないということは、それだけエネルギーを使っていないということだから、体は排便の際にウンコだけではなく、「血便」という形で血液まで流してきたのである。その後、小便で「血尿」まで出してきたのである。

 血尿が出た時点で状況は最終局面を迎えてしまった。町医者が診察したが、

「年内を越すことはできないでしょう」

と家族に伝えたのである。一緒に暮らしている者としては、

(それは大袈裟だろ~)

と思っていた。

 町医者は血尿のために感染症を引き起こさないために、抗生物質を投与した。これがいけなかった。父親は抗生物質を投与後、咳と発熱を繰り返すようになり、呼吸することすら困難になってしまったのである。

●そして死亡

 父親は電動ベッドの上で咳き込んでいた程度なので、家族はそれぞれの仕事をしていた。俺は書斎で読書をしていた。そこに母親が血相を変えて飛び込んできて、

「お父さんの様子が物凄く変なの!」

と言ってきたのである。

 そこで父親の元に駆けつけてみると、父親は目を見開き、口をあけた姿で健康そのものに見えるが、呼吸をしていないのである。

「お父さん、呼吸をして!」

体を揺り動かし、胸を叩いたりしたが、呼吸は全くしないのである。

 最初は冗談をやっているのかと思った。しかし呼吸が停止しているということに気づくと、町医者を呼び、事態は急展開を見せた。町医者は来るなり、もう治療をしなかった。

「それでは死亡を確認させて頂きます」

と、死亡確認に入ったのである。

 その後はドタバタと進んでいった。俺は大急ぎで花屋で白い菊の花を買い、お寿司を買った。親戚たちがやってきて最後の別れをしたり、導師が来て枕供養をやったりした。夜遅くになって、やっと買ってきたお寿司にありつけたくらいなのだ。

 父親に死なれた者としては

「早すぎるよ!」

というのが本音だった。俺はこの言葉を死亡した当日には何度も言いまくった。老齢とはいえ、もっと長生きして欲しかったのである。そして本当ならもっと長生きでき筈なのである。

●頑固者が癌に殺される

 俺は嘗て癌治療の仕事に従事していたが、その後、癌治療の仕事からは手を引いた。なぜなら、

「癌は頑固者が罹る病気である」

ということが解ったからなのである。癌患者に俺が意見を言っても聞いてくれないのだ。勿論、聞いてくれた人は癌を治すことができたのだが、意見を聞き入れなかった人は死んでいくのである。

 俺の父親は見ての通り、頑固者である。頑固だからこそ癌に罹り、癌を発症してからも、自分の息子が癌を治す方法を教えているのに、悉く却下してくるのである。そしてあっという間に死んでしまったのである。

 父親は癌を治すのには、サプリメントを使ったり、最終手段としては癌ワクチンを使えばいいという考えだった。しかし今回発症したのはリンパ腺癌である。リンパ腺は体内の老廃物や毒素を回収する器官であって、サプリメントを投入したとしても治らないのだ。況してや癌ワクチンは他の臓器で発生した癌には効いても、リンパ腺癌にだけは効かない物だったのである。

 リンパ腺癌を発症した当時、俺が言ったように歩きまくっていれば、そう簡単に病状が悪化していくことなかったのである。断食をして体内を飢餓状態にしてしまえば、癌細胞の増殖はストップできた筈なのである。

 リンパ腺癌を発症しているのに、歩きはしないし、三度の飯はしっかと食っていれば、癌細胞に餌を与え続けているようなものなのである。しかも国立がんセンターで抗癌剤を拒否したのに、実は抗癌剤を使用されていたという有り得ない事態も起こった。そして最後の段階になって町医者が処方した抗生物質がトドメを刺してしまったのである。

 俺は父親が死んだ日は、本当に悔しくて全然眠ることができなかった。crying

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常温納豆の威力

●納豆パワーは凄い

 家庭で食事を作る時、納豆は欠かせない。納豆それ自体、非常に強力な効果があるので、下手に料理した物を出すより、納豆をそのまま出す方が良いのだ。家庭の主婦としては納豆さえ出せばそれでオカズは完了するので、いい意味での手抜き料理になるのだ。

①血栓を溶かす

 納豆の最大の魅力は血栓を溶かすということなのである。生きていれば血管に脂肪が付着するものなのである。それをそのまま大きくしてしまえば血栓ができてしまい、それが限界を超えると脳疾患を引き起こしてしまうのである。

 納豆に含まれる納豆キナーゼはこの血栓を溶かしてくれるのである。ということは納豆を食べている限り、脳疾患に罹る確率を最小限にまで抑えることができるのである。長寿を実現したいのなら、とにかく納豆を食べるべきなのである。

②骨を強くする

 骨を強くするビタミンDは脂溶性なので、植物油がないと巧く吸収していくことができない。納豆の植物性脂肪がビタミンDを取り込み、それによってビタミンDが吸収できるようにさせるのである。しかも納豆には体内で滞留してくれるので、より長期間に亘ってビタミンDが吸収され続けることになるのだ。

 老人は骨が脆くなり易い。このために骨折や骨粗鬆症を引き起こしたりするのだ。しかし子供も成長期のために体に無理がかかっており、それで骨折することになるのだ。家族に老人や子供がいるなら、とにかく納豆を出すようにすべきなのである。

③知能を高める

 納豆は知能を高める効果をも発揮する。脳は脂肪で出来ているので、植物性脂肪があると脳細胞は死滅することがないのだ。諸屈製脂肪を日々地道に摂取していくことが、脳を健康に保つ最大の秘訣なのである。

 納豆を沢山食べて育った子と、納豆を全く食べなかった子とでは、納豆を沢山食べて育った子の方が断然に知能指数が高くなるのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、脳それ自体を作る食材を食べている以上、知能指数が高くなるのは当然なのである。

●納豆は常温で保存すべし

 殆どの主婦たちは納豆を冷蔵庫で冷やし、食事時になって冷蔵庫から納豆を取り出して食べるということをやっていることであろう。しかしこの遣り方は拙いのである。納豆を冷蔵庫に仕舞ってしまったために、納豆の発酵が進まなくなってしまうのである。

 だから納豆は常温で保存する。常温だと納豆の発酵が進むので、より強力な納豆になるのである。「納豆を外に出しておいて腐らないの?」と疑問を呈する人たちがいるだろが、納豆はそもそも腐っているのである。

 常温納豆はとにかく納豆の臭いが凄いことになる。それだけ発酵が進んだということなのである。しかも発酵が進んだために納豆の味が格段に良くなるのだ。ということは納豆の持つ栄養分の吸収率も高まるのである。

 常温納豆を食べると小便の際に納豆の臭いが本当に凄いことになる。それだけ納豆が利きまくり、血管を綺麗にしてくれたのである。定期的に臭い小便を出しておくことは、自分の健康を維持するためには非常に大事なことなのである。

 常温納豆の話をすると、「それでは納豆をいつまでも常温で保存していいの?」という愚問に接することになる。常温納豆に関しては常識的に考えて欲しい。家族が食べる分だけの納豆を買ってきて、それを常温で保存しておけばいいのだ。

●納豆と玉子と長ネギの組み合わせ

 納豆は単体でも効果があるが、玉子と組み合わせると、その効果は倍増することになる。玉子は完全栄養食品なので、玉子を食べると人間が必要とする栄養分の殆どを吸収することができるようになるのである。

 我が家では納豆と玉子の組み合わせを「ナッタマ」と読んでいる。納豆よりもナッタマを多く食べる理由は、ナッタマだと食器洗いが簡単になるからなのである。納豆だけだと納豆が食器にこびりつくので、洗うのが面倒なのである。

 風邪が流行する季節になったら、長ネギをナッタマに入れるのは欠かせない。長ネギを食べている限り、普通の風邪は必ず予防できるのである。因みに長ネギは細かく刻む方が旨味成分を増して美味しくなるのだ。

 人間は幾らそれが健康な物でも飽きてしまうという厄介な性格を持っている。そこでたまには「シラス」を入れてみたり、「鰹節」を入れてみたりするべきなのである。ちょっことした物を入れるだけで、納豆は劇的に美味しくなるものなのである。

 納豆とご飯を混ぜ合わせてしまえば、それを残す子供はまずいない。自分が混ぜた以上、最後まで食うことになるのだ。子供がご飯を残して困っているようであるなら、納豆を重点的に出していくべきなのである。

●朝食を豪華にしてはならない

 納豆を食事に出す場合、朝食の時であることが殆どであろう。納豆を出せば、オカズはそれで済んでしまうからだ。朝食という物はその程度で充分なのである。人間は朝の段階で炭水化物だけが不足しているので、要はご飯やパンで炭水化物を補給できればいいのである。朝食は脳に良い物だけを食べさせるべきなのである。

 頭を良くしたいのなら、絶対に朝食を豪華にしてはならない。朝食が豪華になればなるほど頭の回転は鈍くなるし、病気だって発症するようになるのだ。ご飯に味噌汁に納豆の組み合わせは質素に見えるが、それでいいのである。それこそが健康に寄与する食事なのである。

 空腹の方が知能は高くなるものなのである。夕食から朝食までの間、人間は断食しているのと同じなのである。だから朝起きて仕事をすれば非常に生産性の高い労働をすることができるのである。朝食と言うのは本来、その朝飯前のひと仕事が終わってから食べる物なのである。

 育児や子育てをしているのなら、朝に子供たちを起こし、朝の排便をさせて、屋内で体操したり、自宅の周辺を散歩させたりするべきのである。そうやって人為的に空腹を作り出し、その上で質素な朝食を食べるようにさせるべきなのである。

 人間の暮らしが豊かになっていくと、必ず朝食が豪華になっていくものなのである。それは非常に危険なのである。自分たち夫婦の収入がどんなに高くなろうとも、朝食は質素にすべきなのである。その意味で納豆は非常に効果があるのである。

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社長令嬢はお大当たり?

●社長令嬢は大当たりの可能性が強い

 社長令嬢が我儘だというのは少女マンガの世界だけに通じるお話である。確かに実際に我儘な社長令嬢はいるものである。しかしそういう女性たちは目立つからこそ人々に注目されるのであって、社長令嬢たちの大半は、実は違うのである。

 統計上、社長ほど教育熱心なのである。子供たちに何かしらのお稽古事をさせているし、学校も公立より私立に行くし、男女を問わず子供を大学に進学させるのは当たり前になっているのだ。東京大学ですら、学生の父親の年収平均が他の大学よりも断然に高い状態になっているのである。

 社長の妻というのは、大抵が良妻賢母である。妻は夫を支えるために「内助の功」を発揮せざるを得ない立場にあるのだ。妻たちはそれを喜んでやっているのであって、そういう母親の姿を見て育った娘たちは誰かに奉仕することが当たり前のようにできるようになるのだ。

 社長令嬢は豊かな家庭で育ってくるので、女の子として充分に満喫できる育ち方をしてくるものなのである。女の子が喜ぶ服は必ず買ってくれるし、オモチャに関しても親がケチることはないのだ。女らしくすることが自然にできるし、そうやって女らしく振舞うことに利益を得ることができてしまうのである。

 このため社長令嬢は普通の女性たちよりも精神レベルが高いし、高学歴だし、フェミニズムには洗脳されにくいのである。

 フェミニストで有名な学者からその年収の話を訊けば、「えッ、それっぽちなの!?」と思ってしまうのだ。自分の父親は年収が1億円超えていれば、フェミニストたちの話がバカらしくて聞けないものなのである。

 だからこそ、社長令嬢は会社員であっても優秀なのである。社長令嬢は起業家で社長になり、経営を成功させる確率が非常に高いのである。ビジネスに於いて社長令嬢は大当たりの可能性が高いのだ。

●女性だからこそ気を利かせ

 今回紹介するのはこの本!

 柴田陽子著『気が利く人の押さえどころ』(WAVE出版)

 気が利く人の押さえどころ

 柴田陽子は社長令嬢で、最初の会社にはコネで就職している。行き成り「社長秘書」である。しかも柴田陽子は最初の仕事で書類のコピーを頼まれ、書類をコピーしたはいいが、この社長の机を見て斜めの物が多かったので、ホチキスを斜めに止めたのである。

 柴田陽子は最初の仕事で既に合格点!

 出来る女はスタートラインが違うのである。

 柴田陽子は3年間社長秘書を務め、その後、様々な重要な仕事に従事し、会社を退職してからは「柴田陽子事務所」を開設している。業種は業務開発コンサルタントなのであって、今までの経験を活かしながら会社を経営しているのだ。

 柴田陽子が社長として合格だろうと思うのは、顔つきが物凄く良いのである。髪型もいいし、服装のセンスもいいし、化粧やアクセサリーも最小限に留めている。女社長になって、「コイツは下品だな」と解るのは、すぐに高級ブランド品の服装を着たり、化粧やアクセが派手になったり、特に髪型がウザイものになる奴なのである。

 気が利くことに関する本を出しているのなら、その本を読む前に、その著者の姿を見た方が早いのだ。気が利く女性なら、外見でミスはしていないものなのである。外見が良いのなら、「この女性は本当に気が利く女性だな」と思って、その後、その著書を手に取っていけばいいのである。

 男性の社長なら会社経営に関しては「経営目標」とか「経営計画」とか「経営理念」を言い出すものだ。しかし女性の社長なら会社経営に関しては必ずと言っていいほど「人間関係」を重視してくるのだ。女社長は人間関係が出来ていれば、なんとか経営していくことができるものなのである。

 実を言うと、人間関係を重視するのは女性ならでは視点なのである。女性脳は人間関係を豊富にしたいと望んでいるのである。だから女性会社員たちはセクハラやパワハラに対して敏感に反応し、撲滅を目指してくるのである。しかしこういう遣り方は絶対に巧くいかない。自分自身に人間関係を巧く行う思考や技術が全くないからなのである。

 女性の場合、ビジネスで別に手柄を立てなくても、人間関係を維持するだけで生き残れるということを知った上で仕事をするべきなのである。人間関係を巧く処理できない女性は、仕事をやらしても巧く処理できないものなのである。

 この本が凄いのは、「これは机上の空論だな」と思うものが何1つない。書かれていることは柴田陽子が実践の中で得た教訓なのである。それゆえ実際に使ってみれば本当に効果がある。この本は一読で済ます本ではなく、何度も何度も読み返し、赤いボールペンで赤線を引いたり、書き込みをしたりして、自分の物としていくようにすべきである。

 この本は女性にとって「仕事のバイブル」である。

●気が利く人は成長する

 気が利く人は成長する。自分が成長したいと思うなら、気の利いた女性になるべきなのである。

①人に好かれる

 気が利くということは、それが自分にとって面倒ではあても、必ず相手から好かれる結果を引き起こすということなのである。人に好かれてしまえば、ビジネスはスムーズに行くものなのである。人に嫌われるからこそ、ビジネスが巧く行かないだけなのである。

②チャンスが貰える

 気が利く人にはチャンスが貰える。当たり前だが人間は自分が好きな者に対してチャンスを与えるものなのである。ビジネスでは誰がチャンスを持ち込んでくるか解らないからこそ、誰に対してでも気を利かしておくべきなのである。

③支援を受けることができる

 普段から気を利かしている人は自分がピンチになっても必ず周囲から支援を受けることができる。絶対に見捨てたりはしないのである。人間には「返報性の法則」というのがあって、他人から良い事をされたのなら、その相手に対しても良い事をしようという気になるものなのである。

 気をつけるべきは、女性というものは女性ホルモンの関係上、33歳を超えた時点で成長しなくなる可能性が出て来るのである。要はこれが「オバサン」なのである。女性の体がそうなっている以上、若い時から気を利かし、他人に対して気を利かすことが当たり前にできるようにしておくべきなのである。

 ビジネスというのはドミノ倒し現象が起こるものなのである。何かの仕事で成功してしまえば、次から次へと成功していき、昔の自分では絶対に考えることのできなかった大きな仕事までやらして貰えるようになるのだ。

●学問よりも常識を学べ!

 大学卒の女性たちは常識に欠けている者が非常に多い。その理由は至って簡単で、大学ではビジネスの常識を教えたりはしないからだ。「大学は常識を学ぶ教育機関ではない」ということを解っていない女性たちが余りにも多すぎるのだ。

 ビジネスの常識は新入社員の時にしか教えてくれない。そのくせ新入社員たちは緊張しまくっているから、これがなかなか頭に入ってこないのである。入社して3年もすれば綺麗サッパリに忘れてしまう奴らが圧倒的大多数を占めるのである。

 だからビジネスの常識を語る本が売られているのである。こういう本は自分にはビジネスの常識が欠けていると気づかない限り購入しないものなのである。解っていない奴は絶対に購入しないものなのである。

 結局、高学歴の女性でビジネスが巧く行かない女性はビジネスの常識がないのである。そこが最大の欠点になっているのである。それなのに自分が成功できないのは、「日本が男社会だからだ!」と有り得ない論理を展開してくるのである。

 こういう状況下ではビジネスの常識を教えてくれる本を購入し、自分でせっせと勉強したした者は簡単に成功していってしまうのである。大学卒の女性たちの殆どはビジネスの常識に欠けているのだから、自分がビジネスの常識を取得してしまえば、圧勝という形で勝利していくことができるのである。

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石原慎太郎と握手してしまいました!

●石原慎太郎の演説は非常に解り易い!

 今回の衆議院議員選挙は民主党が散々悪政を展開し、政権が完全に行き詰まった状態で行なうので、民主党の大敗はほぼ確実視されている。このため新政党が乱立し、民主党の議員たちが失うであろう議席を獲得しようと躍起になっているのだ。

 この中で一番酷いのは「日本未来の党」で、要は小沢一郎が率いる「国民の生活が第一」が選挙で勝てないからこそ設立した政党なのである。これは「候補者ロンドリング」というべき悪質な手口で、もしもこの政党が選挙で勝ってしまえば、また民主党政権がやった悪政が展開されてしまのである。

 新政党の中でも本命なのが、「日本維新の会」である。今回は政権交代を目指すのではなく、第三局を目指しているので、自民党と公明党の連合が勝つ中、どこまで議席数を増やせるかが焦点であるのだ。

 「日本維新の会」の代表は石原慎太郎なのであるが、タマティーはその街頭演説を聞きに行ってきました。

 石原慎太郎の演説は巧い! 演説の内容が理路整然としているので、演説を聞いていて思わず納得してしまった。俺が今までの政治家たちの演説の中で一番解り易い。選挙で勝ちたいのなら、ああいう説得力ある演説をすべきなのである。

 この石原慎太郎、演説が終わるとそのまま車に乗って帰ると思いきや、観客たちの方へ近づいてきて、なんと握手をし始めたのである。それで観客たちが殺到し、俺もチャッカリ入り込んで、なんと石原慎太郎と握手してしまったのだ。

 間近で見るとメチャクチャ格好いい老人である。身長は俺と然して変わらないのに、頭が小さいため身長が大きく見えるのだ。服装もセンスが良かったし、あれは絶対に特注品である。間違っても紳士服の「コナカ」で購入したものではないのであろう。

●底力ある国の低迷

 石原慎太郎のキーワードは「怒り」。

 この男、昔からなぜだか怒っているのだ。自分が子供の頃に日本が大東亜戦争で大敗北を喫し、アメリカ軍の将兵たちの横暴を目の当たりにしたために、まずはその怒りを小説にぶつけて、『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、作家として活躍しまくり、その後、政治家へと転身していったのである。

 石原慎太郎にとって歯痒いのは、日本が現在「底力ある国の低迷」というものを経験してからなのである。日本人個々人には充分力があるのである。しかしそれを国民自身が気づかず、政治が国内の力を結集しないからこそ、日本は延々と低迷を続けているのである。

 日本の政治が腐敗しているとかそういう問題ではなく、日本の政治は政治として機能していないのである。そこを官僚たちが突いて勝手気儘なことをしているのである。この状況を打開するためには強い指導力のある政治家が必要なのであって、実行力のない政治家が政権を取ってしまえば、また低迷を繰り返すことになるのだ。

 日本の学校教育がおかしいのは、要は日教組がいるからなのである。彼らは生徒たちに教育をするのではなく、洗脳をしているのである。なぜ彼らが勝手気儘なことをできるのかといえば、それは政治家が教育に対して指導力を発揮してこないからなのである。

 経済にしても、日本には優秀な企業が沢山存在するのである。しかし朝日新聞とテレビ朝日による反日報道が延々と繰り返されているために、日本国民の多くが経済的にも自信を喪失し、日本の景気はいつまでたっても回復しないのである。

●要は複式簿記を導入せよってこと

 石原慎太郎は遂最近まで東京都知事だったために、行政のことに関しては非常に詳しい。石原慎太郎が東京都知事に就任した時、東京都にはなんと200億円しか資金がなかったのである。石原慎太郎は「とんでもない所に来てしまったな」と嘆いたという。

 そこで公認会計士をやっている友人に「一体どうすればいいのか?」と訊いた所、「複式簿記を導入しなさい」と言われたので、即座に複式簿記の導入を決めたのである。すると東京都知事を辞める頃にはなんと「2兆円」もの余分な資金を確保することができたというのである。

 どこの政治家たちも「行政の無駄遣いをなくせ!」っていうけど、そういうことは複式簿記を導入すれば一発で解消するものなのである。無駄をなくす努力は政治家がするものではないのだ。そういう努力はエンドレスだし、やった所で大した効果は出ないものなのである。

 政治家というのは国家の未来のために投資すべきことを決定することが本来の仕事なのである。

 日本政府だって複式簿記を導入すればいいのである。そうすれば行政の無駄は立ち所に解消して、増税それ自体をする必要性がなくなるのである。現在の日本政府は国民に対して充分重税を課しているのであって、もうこれ以上増税すべきではないのだ。

 政治改革を巡る争いは、要は行政に複式簿記を導入する戦いなのである。これが出来てしまえば、政治改革はなされたと言っていいのだ。自民党だって、民主党だって、公明党だって、社民党だって、共産党だって、複式簿記の導入を唱えていないし、複式簿記を導入しようとする政治勢力には反対しているのである。

 既成政党がダメだからこそ、新政党が出て来ているだけのことなのである。

●国民を守るための憲法改正

 日本が戦後体制を脱却するためには「昭和憲法」の否定は絶対に欠かせない。昭和憲法がある限り、日本は国家として独立できないし、国内には常に大量の社会主義勢力を抱え込むことになるのだ。日本国民がどんに働いても貧乏になってしまうのは、昭和憲法があるからなのである。

 当然に石原慎太郎も憲法改正を主張している。何も戦争をするために憲法を改正するのではない。国民を守るために憲法を改正するのである。昭和憲法によって戦争放棄がなされているからこそ、日本はロシアや韓国に領土を奪われ、北朝鮮には拉致事件を起こされ、中国は着々と海軍力を増強し、日本への侵略を準備しているのである。

 しかし俺に言わせれば、憲法改正は甘い。憲法を改正するということは、昭和憲法の存在を肯定してしまうからだ。昭和憲法に対しては「憲法爆破」あるのみであって、昭和憲法それ自体の無効を宣言し、歴史的に存在しなかったとするべきなのである。

 こうすれば昭和憲法体制下で制定した全ての法律や条約を無効とすることができ、新憲法体制では新たな国づくりを急ピッチで進めることができるようになるのだ。昭和憲法体制下に存在する無数の法律が消滅してしまえば、現在日本が抱えている問題は全て解決するのである。

 今まで多くの政治家たちが憲法改正を主張してきたのに、それを実現することができなかったのは、「昭和憲法はそもそも不正な手続きによって制定されたのであり、法的には無効である」ということが解っていないからなのである。

●一身の独立なくして、一国の独立はならず!

 石原慎太郎がなんであそこまで格好いいのかといえば、それは彼が独立しているからなのである。自分に「独立不羈の精神」があるからこそ、政府やマスコミを敵に回してでも言うべきことは言うし、行動すべきことは行動してくるのである。

 石原慎太郎は演説の最後に福沢諭吉の言葉、「一身の独立なくして、一国の独立はならず」を引用し、「俺の演説の内容を全部忘れてもいいが、これだけは覚えて帰ってくれ」と言ったのである。まさにそうなのである。国民が独立していないらこそ、国家の独立まで怪しくなるのである。

 民主主義に毒された政治家たちは選挙の度に社会保障の充実を訴えてくるものなのである。国民が手厚い社会保障に頼れば、国民の心の中から「独立心」は消えていくものなのである。政府に頼りきった人生がそんなに楽しいかと問い糺したいよ。

 今度の選挙では自民党が勝つであろう。しかしそれは戦後体制の延命措置に過ぎないのだ。今回は民主党が余りにも無様なことをやったからこそ、たまたまラッキーなだけなのである。既得権益を持っている人たちでは日本を根本から再生することは出来ないものなのである。

 「日本維新の会」は出来立てホヤホヤだし、「日本維新の会」に所属する政治家たちはまだまだ未熟である。こういう連中に政権を与えても維新など出来ないものだ。しかし維新の芽は確実に芽生えているのであって、いずれ日本で維新が起こり、昭和憲法体制からの脱却を図ることになるであろう。

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余剰が文化を生み、贅沢が文化を育て、民主主義が文化を破壊する

●余剰があるからこそ文化が生まれる

 文化というものは生産物に余剰があるからこそ生まれてくる。余剰の生産物があれば人々は生活に余裕ができるから、文化を作り出し楽しもうという欲求が出て来るのだ。生産物にそれほどの余剰を生むのは農業しかないのであって、だからこそ農業が開始されると文化が誕生してくるのである。

 余剰の生産物は必ず働かなくていい人たちを生み出す。まず初めに「宗教家たち」だ。天候に生産量が左右される農業では、どうしても宗教が必要なのであって、宗教家たちは天文学を発達させ、暦を整備して行くことになるのだ。

 その次が政治家であり、武官であり、文官たちである。余剰の生産物を持つということは外敵から狙われる危険性を常に持つことになるのだ。だから政府を整え、軍事力を増強し、外敵の侵略を防がなければならないのだ。政府は官僚制を生むので、そこで文字が整備され、文書が爆発的に使用されるようになるのだ。

 庶民レベルの文化が育ってくるのは、宗教や政治がきちんと機能し始めてから、ずっと後のことなのである。嘗ては神に捧げられていた歌や踊りが庶民の娯楽として使用されるようになり、今まで文字は軍事や行政のために使用されていたのに、今度はその文字を使って物語を作ろうではないかということになっていくのである。

 こうなってくると専門で文化活動に励む人たちが必要になってくるのであって、そうなるとその文化人たちが文化を生み出すことで収入を得られるようになるのだ。そしてこうした方が他に仕事をしながら文化活動をするよりも質の高い文化を作り出して行くことが可能になるのだ。

●お金持ちが贅沢をするからこそ文化が育つ

 実際の文化の創造の現場では、誰かが贅沢をしてくれるからこそ新たな文化が生まれてくるのである。

 宗教団体が繁栄して行くと必ず金余り現象が起きるので、宗教施設を豪華にしていくことになる。教典を編纂し、神学研究を振興し始めることになるのだ。この宗教団体の贅沢こそが、文化創造の起爆剤になるのである。

 政府が繁栄したのなら、減税をし、政府の規模を縮小しなければならない。これができると富が民間の方に還元され、新たな文化が生まれてくるのである。大きな政府を志向した国家では新たな文化が生まれず、逆に文化を破壊してしまうのである。

 ビジネスマンたちが事業に成功してお金持ちになったのなら、贅沢をして貰わなければならない。お金持ちたちが贅沢をするからこそ、新たな文化が育て来るのである。富のある所には必ず文化が生まれてくるものなである。

 「質素倹約という倫理」と「贅沢という倫理」は矛盾する。しかし本当の金持ちたちほど、実際の生活はシンプルな物なのである。成金ほど、実際の生活は派手であり、醜悪な物なのである。お金持ちだからこそ、無駄な物を削ぎ落とし、合理的な生活を営もうとするのである。

 お金持ちが贅沢をすることによって文化を生み出すと、その文化が長い年月をかけて下の方に降りていき、それによって普通の人たちでも文化を享受することができるようになるのである。文化の流れが下から上に行くことはまずない。必ず上から下へなのである。

●みんなが参加してくると文化はぶっ壊れる

 ところが文化というものはみんなが参加してくるとぶっ壊れてしまうものなのである。文化は全ての人たちを相手にしているのではないのだ。常にごく少数の人たちを相手にしているのである。だからみなが文化の中に入ってくることを制限し続けなければならないのだ。

 通常、文化活動にはお金がかかるから、お金を持っている人たちしか文化活動には参加できない。しかし「民主主義」を唱えて、「それは差別だ!」と騒ぎ始めると、途端にその制限は撤廃され、普通の人々によって文化が破壊されてしまうのである。

 古代ギリシャはまさに民主主義のために文化を滅ぼしてしまったのである。勘違いしてはならないのは、ソクラテスもプラトンもアリストテレスも民主主義を否定する見解を持っていたことでは皆同じだったということなのである。

 近代になっても、フランス革命が起こるとフランス王l国の文化は一瞬の内に破壊されてしまったのである。覇権国家として民主主義を世界に向かって喧伝するアメリカ合衆国も大した文化など持っていないものなのである。北朝鮮にしても国名が「朝鮮民主主義人民共和国」と銘打っていながら、文化など全く存在しないのである。

 日本だって、戦前は大正デモクラシーをやり、戦後が戦後民主主義をやったが、これまた大した文化を生み出すことができなかったのである。民主主義では新たな文化を生み出せないのに、人々は未だに民主主義は絶対に正しいと思っているのである。

●文化は常に貴族主義的な物

 文化というものは常に貴族主義的精神を有している物なのである。貴族主義的精神があれば、文化は幾らでも生まれてくるものなのである。文化というものは、そもそも宗教家や政治家たちによって作り出されてきたということを絶対に忘れてはならないのだ。

 だから文化人たちが庶民の俗悪なる流行に抵抗し、真正なる文化を維持して、その文化を母体にして新たな文化を生み出していけば、その文化こそが生き残って行くことができるのである。文化人がテレビや新聞で活躍しているようでは、とてもではないが文化人たりえないのである。

 近代国家は国民国家である。国民国家では文化は国民文化にならざるをえない。だからといって文化人たちが全ての人たちをターゲットにしていては、新たな文化など作れないのである。文化のターゲットは常にごく少数なのである。

 イギリスが近代以降も文化を生み出し続けたのは、きっちりと身分制度を維持し続けたからなのである。勿論、近代以降では貴族の血統だけに頼ることはできない。だからお金持ちや文化人たちに爵位を与えて、それによって貴族に迎え入れたのである。

 戦前の日本がダメになっていったのは、政府がそういうふうに貴族制度を変えていかなかったからなのである。戦後の日本はもっとダメになり、昭和憲法によって貴族制度を廃止してしまったから、文化人たちから貴族主義的精神が失われてしまったのである。そうなってしまっては、新たな文化など作り出せることができないのだ。

●税金を安くするからこそ、様々な文化が生まれてくる

 日本国民は人間を平等にしたからといって、人間が文化的生活を営めることはないということに、いい加減に気付くべきなのである。「身分の格差」「貧富の格差」があってこそ、文化は生み出され、その文化が国民の中に浸透して行き、結局、国民全員が文化の恩恵を受けるのである。

 社会主義者たちは余剰を目の仇にし、累進課税式所得税や相続税によって「貧富の格差」を解消しようとしたが、それでは政府が大きく成るだけ、国民は益々貧しくなってしまうのである。国民が貧しければ文化を生み出せないし、文化的生活も営めないのだ。

 税金を安くするからこそ、新たな文化が生まれてくるのである。様々な文化があるということは、それだけ大きな経済力を持っているということなのである。そして様々な文化があると、新たな技術が開発され、それによって経済が発展していくのである。

 文化のない人物を絶対に政治家にしてはならない。文化のない政治家は必ず重税を課して来るものなのである。そうやって政府に資金が行ってしまえば、国民は貧しくなり、新たな文化を生み出すことも、既存の文化をも維持することができなくなってしまうのである。

 日本国民はいつ如何なる時も、「余剰が文化を生み、贅沢が文化を育て、民主主義が文化を破壊する」ということを肝に銘じておくことだ。このことが解っていないと、必ず自国の文化が政治家たちによって破壊されてしまうことになるのだ。

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創造者階級の役割

●資本家が富を生み出すのではない

 人間はこの世で生きて行くためには経済活動をしなければならない。経済というのはそれほど重要な物なのに、経済学となると途端に嘘が始まる。なぜなら経済学者たちは実際にビジネスマンとして経済活動をしたことがないのに、経済を研究してくるからなのである。

 経済学に於ける最大の嘘は、「資本家が富を生み出している」ということなのである。これは全くの誤解である。資本家というのは資本を提供する変わりに配当を受け取るだけであって、経済の現場では富を生み出す主体にはなっていないのだ。

 では「個々の労働者たちの労働が富を生み出している」のかというと、これまたそうではないのだ。労働者たちがどんなに労働をしたとしても、生活の糧を得るための労働にしかならず、大した富を生み出していないのだ。

 経済学者たちは経済に対して完全なる誤解をしているのだが、このために資本家の力を強制的に抑え、労働者たちの権利を守れば豊かになれるだろうと錯覚したのである。それゆえ「貧富の格差」の解消を主張したし、その延長線上で「男女の性差」の解消をも主張したのである。

 それでどうなったか?

 資本家も労働者たちも全員が貧乏になったのである。男性も女性も全員が貧乏になったのである。国内で格差の解消に熱中して経済力を低下させ、そのために後進の外国に追い抜かれてしまうという情けない事態に陥ってしまったのである。

●実は創造者階級こそ新たな富を生み出す

 富という物は一体誰が生み出しているのか?

 それは「創造者」たちである。既存の物を作るのではなく、未知なる物を作るからこそ富が生まれてくるのである。既存の富だけで人々を食わそうとしたら、その富だけでは人口を養えなくなるものなのである。

 作家たちや、発明家たち、企業の技術者たち、大学の研究者たち、そして起業家たち。即ち頭脳労働者たちこそが新たな富を生み出す勢力なのである。全員が働いた所で大した富は生み出されないのだ。ごく一部の創造的な能力を持つ者たちだけが新たな富を生み出すことができるのである。

 創造者階級は如何なる国家でも国民の内、20%程度しかいない。実を言えば非常に貴重な人たちなのである。逆に言えば国民の80%は新たな富を生み出さず、生活の糧を得るのに精一杯になってしまう人たちなのである。

 創造者階級を大いに活かすためには、累進課税式所得税を廃止し、収入税を導入し、税率を一律10%にするべきなのである。創造による富の獲得を最大限にしてあげるのである。こうすれば創造者たちは喜び勇んで働き、新たなる富を次から次へと生み出して行くことができるようになるのだ。

 創造者たちによる新たな富が生み出されれば、巨大な資本を所有することができるので、今度はその巨大な資本を使って新たな富を作り出すシステムを作っていけばいいのである。具体的には起業家が企業グループを作ったり、財閥を作って行くことになるのだが、そういう企業集団が出来れば出来るほど、経済力は増強されていくのである。

●被創造者階級であっても損はない

 創造者たちといのは、国内に20%しかいないのだから、残りの80%は創造などせず、既存の商品やサービスを作るだけになってしまうのである。そういう物はどんなに巧く売ったとしても大して儲からないものなのである。

 創造者たちの創造を守るためには、被創造者たちの嫉妬を抑えなければならないのだ。被創造者たちが創造者たちに嫉妬をし始めれば、あの手この手を使って創造者たちの創造行為を邪魔してくるものなのである。そうやって邪魔されれば創造できなくなり、結果的に国民全体が貧乏になってしまうのである。

 経済というのは「協業と分業」で成り立っているのである。自分に創造能力がないのなら、創造能力ある人に創造を任せればいいのである。自分はお金を出して「創造物の享受」をすればいいのであって、何も自分が無理して創造することはないのである。

 自給自足ほどバカらしい行為はないのである。人間は文明以前ならみんな自給自足をしていたから、脳のどこかに自給自足に憧れる機能が残っている。しかし自給自足を本当に実践してはならないのだ。そんなことをやれば確実に貧乏になってしまうものなのである。

 自宅の中で見回してみればいい。自分が作った物など殆どない筈だ。自由経済に於いては別に自分が生活物資を作らなくても、お金を出しさえすればそれを調達できるものなのである。お金を巧く使うべきなのである。嫉妬をするより、お金を出した方が遥かに幸福な人生を遅れるものなのである。

●人件費が高い方が創造はなされる

 創造者たちは後進国よりも先進国の方が断然に活躍し易い。後進国では日々生活を維持することに追われてしまい、創造するどころの話ではなくなってしまうからだ。その点、先進国では社会自体が豊かなために、創造行為に集中することができるのである。

 歴史的に見ても創造者たちは先進国の中から大量に出てきているのだ。

 例えば「蒸気機関」というのはイギリスで生まれた。当時のイギリスは人件費が高騰していたために、蒸気機関が発明されるや否や、アッという間にイギリス全土に広まり、イギリスの富を大いに拡大したのである。 

 「飛行機」はアメリカ合衆国で生まれた。当時のアメリカ合衆国はこれまた人件費が高騰しており、鉄道を使って移動するより、飛行機を使って移動する方が安上がりだからこそ、瞬く間に飛行機が大量生産されるようになったのである。

 日本だって高度経済成長が終わって以来、人件費の高騰が起こったが、それによって様々な発明品が生まれてきているのである。国内の人件費が高いからといって、外国に工場を移すのも結構である。しかし日本国内に於いて着実に発明品が生まれていることを知っておかないと、新たな富を生み出すことはできないのだ。

 先進国は創造していかないと、経済は発展していかないものなのである。そして先進国の内部で発生した発明品は、産業革命のように政治や経済、そして世界史をも変えてしまうことだって起こりえるのである。環境問題が幾ら深刻だからといって後進国ばかり見ていては、その偉大なる変革を起こせないのである。

●「安全保障の確立」と『政治の安定」

 創造者たちが新たな富を創造して行くためには、なんといっても安全保障が確立されていなければならない。国家が独立を保てないと、創造はできないのである。だから国防を強化し、もしも戦争になったら絶対に勝てるようにしておかなければならないのだ。

 自国の領土が敵国に侵略されているようでは、創造者たちは安心して新たな富を生み出すことはできないのだ。祖国を守る気概のない政治家たちは必ず引き摺り下ろし、政界から追放しなければならないのだ。

 安全保障を確実に確立させ続けるためには、政治の安定は絶対に欠かせない。昭和憲法体制のように首相が頻繁に交代するようでは、政治の安定を作り出すことができないのだ。議院内閣制は政治の安定には寄与しないのであって、首相は国民が直接選ぶ方が政治の安定を齎すものなのである。

 「政治の貧困」は「経済の貧困」を生み出すものなのである。国民が政府に税金を収めている以上、政府はそれに見合うことをするべきなのである。もしもそれができないというのなら、憲法それ自体に重大な欠陥があるということなのである。

 日本はロシア、中国、北朝鮮、韓国と、4つの敵国に囲まれているのである。このような状況下で平和主義も友愛も無意味なのである。敵国に銃口を付き付けない限り自国の平和を維持することができないという危険な地域に日本の領土は存在しているのである。

 日本の円が強くなり、人件費がこれまで以上に高くなれば、必ず新たな発明がなされ、新たな産業革命が起こってくることになるのである。その新たな産業革命の成果を充分に利用できる政府を作らない限り、日本国民は新たな富を享受することができなくなってしまうのだ。

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毎年恒例! 第三回超マイナー流行語大賞!!

●我が家だけの流行語

 遂にやってきました! 毎年恒例の「超マイナー流行語大賞」! 超マイナー流行語大賞とは、我が家だけにはやった流行語の中から大賞を与えるというものである。みんなが知らないのは当たり前。我が家だけで流行しているんだから。

 この超マイナー流行語大賞の選考委員は俺だけである。従って選考委員長も俺である。俺が全責任を負い、その責任の表れとして独裁を行なうのである。選考の結果がどうであれ、絶対に文句を言わせない。

 因みに今年の流行語大賞はスギちゃんの

 「ワイルドだろぉ~」

である。一体何がワイルドだか解らないけど。とにかくこの詰まらない言葉が流行語大賞を取ったのである。流行語大賞の最大の問題は世間の人々が本当に使った流行語ではなく、テレビで頻繁に使用された言葉を流行語大賞にしてしまうことなのである。

 これに対して「ギャルたちの流行語の金賞」は、

 「テヘペロ」

なのである。こっちの方が断然にいい。実際に使ったギャルたちが確実に存在するからだ。テヘペロというのは、「テヘ」とい照れ隠しと、「ペロ」という舌を出す言葉を組み合わせた言葉で、要は自分の失敗を隠蔽するために使用する言葉なのである。

※実用例

 自分が何か失敗してしまい、その直後に

「やっちゃった~! テヘペロ」

と言って、自分の失敗を誤魔化すのである。

 これで本当に自分の失敗を誤魔化せるのかは未知数であるが、とにかくギャルたちの間ではこれで済んでいるのだ。実に甘ちゃんな連中である。もっと世間の厳しさを知って、真剣になって生きて欲しいものだ。

 これらの流行語大賞や流行語金賞を踏まえた上で、超マイナー流行語大賞スタート!

●超マイナー流行語大賞ベスト10!

第10位

  「チンペロ」

 チンペロとは「チンチンペロペロ」の略である。チンチンを持ってペロペロすれば、それがチンペロである。別名「フェラチヨ」。しかし厳密に言うと、フェラチヨのようにチンチンを口の中に入れるというより、チンチンを舌でペロペロするので、微妙に違うのだ。

※実用例

 女性が何か失敗してしまい、その直後に

「やっちゃた~! チンペロ」

と言って、お詫びのために男性のズボンを脱がして、チンチンをペロペロと舐めるのである。

 このチンペロを使用すると、その男女の間にどんな問題がろうとも、大抵のことは解決すると思う。女性たちが悲惨な目に遭うのは、このチンペロを使用してこないからだと思う。チンペロは女性にとって強力な武器なのである。

第9位

 「クリペロ」

 クリペロとは「クリトリスペロペロ」のことである。クリトリスをペロペロすれば、それがクリペロである。今までは「クンニ」という言葉があったが、このクリペロはクリトリスをペロペロすることで確実にオルガズムに達せさせるので、かなり違うのである。

※実用例

 男性が何か失敗してしまい、その直後に

「やっちゃった~! クリペロ

と言って、お詫びのために女性のパンティーを脱がしてクリトリスをペロペロと舐めるのである。

 このクリペロを使用すると、その男女の間にどんな問題がろうとも、大抵のことは解決すると思う。男性たちが女性の扱いでトラブルを起こすのは、要はこのクリペロを使用していないからだと思う。男性たる者、女性のクリトリスを舐めたら、確実にオルガズムに行かせる気概を持たなければならない。

※使用上の注意

 女性はお風呂に入る前に陰部を舐められることを非常に嫌がるので、クリペロはお風呂に入ってからにすることだ。女性たちの中には陰部が非常に臭い女性がいるので、そういう女性が自分の彼女なり妻なりするなら、とにかく便通を良くさせることだ。悪臭ただよう陰部だと、クリペロを使用するのが非常に困難になるのだ。

第8位

 「ワイルド骨折」 

 ワイルド骨折とは「ワイルドに骨折する」ということである。通常の場合、ワイルド骨折をしない。テレビ番組に出演しないと、このワイルド骨折は起こらないのだ。因みに「複雑骨折」というのは、複雑に骨折するということではなく、骨折によって骨が外に飛び出る骨折の形態をいうのだ。

 スギちゃんはテレビ朝日の番組収録中に骨折をして暫く休業したのであるが、このスギちゃんがワイルドだったのは骨折だけだったということである。芸能人に骨折させるような危険な番組を作るテレビ局もテレビ局だが、それに出る芸能人も芸能人なのである。

第7位

 「受賞後即消滅」

 受賞後即消滅というのは、「流行語大賞を受賞したお笑い芸人はその後すぐに人気がなくなり、消えていく」という意味である。流行語大賞は人気の産物ゆえに、本人に実力がないとその人気を維持できないのである。断言してもいいが、スギちゃんは絶対に消えていく。

第6位

 「脱原発バカウィルス」

 脱原発バカウィルスとは、「福島第一原発の事故を受け、脱原発を唱えるようになったバカたちのこと」である。今回の東日本大震災では、原発は地震に対して強いことを証明したのである。東京電力は非常用電源を確保しなかったからこそ、大惨事に悪化してしまっただけのことなのである。 

 韓国は原発強国を目指し、中国は世界最大量の原発を保有することを表明しているのである。このような状況下で日本が脱原発を勧めれば、日本の原発の技術が全部韓国や中国に流出するということなのである。もしもこうなってしまえば、日本の安全保障は重大な危機に直面することになるのである。

第5位

 「自爆選挙」

 自爆選挙とは、「与党が政権中に散々悪政を繰り返し、完全に行き詰まった状態で選挙し、選挙に大敗するだけでなく、その後、政党そのものが崩壊するということ」である。民主党がやった日本政治史上、最も愚かな選挙のことを指す。

 民主主義はまともな政治思想ではないのだ。民主主義が衆愚政治なのである。庶民というのは政治教育も政治訓練も受けていないがために、平気で滅茶苦茶な政治を展開し、国家の独立を危険に晒してしまうのである。近代国家は庶民たちに政治参加させるが、絶対に民主主義だけは認めてはならないのだ。

第4位

 「氷河ドラマ」

 氷河ドマラとは、「視聴率が史上最低の数値を記録してしまったドラマのこと」である。その代表例が今年の大河ドラマ「平清盛」である。俺は大河ドラマのファンなので、ここまで詰まらない作品を作って貰うと、絶句するしかなくなってしまうのだ。

 この「平清盛」の何が問題かといえば、脚本家が日本の歴史に対して全くの無知であるということなのである。この脚本家は平清盛に「武士の世を作る」と言わせているのだが、平清盛には「武士の世を作る」という考えはなかったのである。

 もしも武士の世を作るというのなら、平清盛は貴族たちの所領を奪い、それを実行した武士たちに安堵状を出す筈なのである。要は土地所有権を巡る争いなのである。しかし平清盛はそういうことをせず、官位を上ることしか考えていないのだから、武士の世を作る気は更々ないのである。

第3位

 「鼻水女」

 鼻水女とは、「いつも風邪をひき、鼻水を垂らしている女のこと」である。今年、俺は知的障害者たちのいる施設でボランティア活動をすることになったのだが、そこにいる女職員がまさにこの「鼻水女」なのである。

 この鼻水女はインフルエンザの予防接種を受け、そのために風邪をひき、その風邪を治すために風邪薬を飲むのである。このため、単なる風邪ではなく、通常では存在しないインフルエンザを体内で発生させるのである。

 俺はこの鼻水女から感染し、四回も風邪をひいてしまった。しかもその内の一回は丸一日寝込むほどの重症だったのである。本当に迷惑な女なのだが、なぜだか休まず出勤してくるのである。自分が風邪をひいているのなら、他人に風邪を感染させてしまうというのが解っていないらしい。

第2位

 「やれやれ」

 「やれやれ」とは、「知的障害者の<のんちゃん>が作業を終わった後に発する言葉で、本当にやれやれという意味」なのである。女性ゆえに高音だし、腹から声を出すので、室内に響き渡るのである。普通の職場では絶対に言わないので、この言葉を聞くと笑ってしまうのだ。

 この「やりやれ」は結構使い道がある。雑務をこなして疲れた時に、この「やれやれ」を使うと、本当にやれやれで、疲労が吹き飛んでしまうのである。考えてみれば、知的障害者の労働は結構ハードなのだが、この「やれやれ」を発する「のんちゃん」だけはあんまり疲労していないように思える。

第1位

 「ツルマンの命は一夜限り」

 「ツルマンの命は一夜限り」とは、「マン毛を剃ってツルマンにしても、そのツルマンは一夜限りの命しかない」ということである。りあさんがツルマンにしているということで、ツルマンの記事を出そうか思ったけど、俺の信用が失墜するかもしれないと思ったので、その記事を公開するのはやめました。

 これをより文学的に言うと、 

「花の一生は短く、ツルマンの命はもっと短い」

ということなのである。

 ツルマンは気持ちいいけど、毛が生えてくると痛いんですよ。特に男性にとっては。マン毛を剃ったら、オリーブ油を塗って滑りを良くすることも必要なのである。ツルマンは一夜の命しかないために、大事に大事に使っていこう。

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若さは失い易く、取り戻し難し。

●若者の勘違い

 若者は如何なる者であれ勘違いをしているものだ。それは「今の状態が永遠に続くと思い込んでいる」ことなのである。若い時なら元気だし、肌もピチピチだし、シワやシミだってないことだろう。しかしそれは若い時だけなのであって、年を取ってくればそうではなくなるのだ。

 若者だからこそ「若さ」を大切にしなければならないのだ。若さを大切にしていれば、若い内にしかできないことに集中していくことができるからだ。若いのに遊び呆けることは若さを無駄遣いしているといっていいのだ。

 「若さは失い易く、取り戻し難し」なのである。若い時は長距離を駆け抜けても大して疲労しなかったのに、年を取れば短距離を駆け抜けるだけでも疲労困憊してしまうのである。若い時にはこの人生の厳しい真実が解らない。だからそういう若者たちは精進してこないのである。

 若さを効果的に使うためには、とにかく勉強したりスポーツしたりして心身を鍛え、早くに就職して出世していくことを心掛けるべきなのである。若い時は少し勉強するだけでも記憶できてしまうものなのである。若い時なら過酷なトレーニングでも耐えることができるのだ。若い人は重労働や長時間労働をやりまくることができるのである。

 若い時は金欠に苦しむものであるが、お金のことはそれほど拘らなくていいのだ。如何に貧乏であっても、仕事が成功さえすれば金欠は解消されるものなのである。それよりも若さを効果的に使うことこそ考えるべきなのである。

●26歳でお肌の曲がり角、40歳で人生のターニングポイント

 男女ともに19歳で成長のピークを迎えてしまう。女性の場合、その後、26歳でお肌の曲がり角を迎えてしまうのだ。若さを満喫できるのは、たった7年間だけなのである。花の命はやっぱり短いのである。女性は誰であったとしても、26歳をすぎれば老化を体感してしまうのである。

 一方、男性の老化は緩やかである。それでも40歳で人生のターニングポイントを迎えてしまう。40歳前後で、その男性の人生の命運が決まってしまうことだろう。この辺りの年齢になれば、どうしても体力が落ちてくるので、もう無理はできないのだ。

 だから男女平等をやってはならないのだ。男女平等をやってしまったら、女性はどう立ち回ったとしても不幸にしかならないのだ。女性に求められているのはスタートダッシュなのである。女性は早くに老化すると解っていれば、スタートダッシュで出世していけば、幾らでも幸福が掴めるものなのである。

 大体、女性は19歳になれば自立している。しかし男性はそうではなく、30歳になってやっと自立してくるものなのである。男性の自立は女性の自立よりも遅いのである。だから女性が男性と一緒に歩いていたら、自立することが不可能になってしまうのである。

 女性の10代後半から20代前半は熱く濃密な時期になるものなのである。女性の体がそうなっている以上、普通にやっていればそうなるのだ。女性なのにこの時期をチンタラやっていては、その後、どうやったとしてもどうにもならないものなのである。

 男性たちは女性たちが先行するのを羨ましいと思いつつも、焦ることはないのだ。男性が自立するまでには時間がかかるので、男性たちだけでつるんでいればいいのである。無闇に女遊びをするからこそ、男として一人前になれないのである。

●若い時にしかできないことは若い内にやっておくこと

 若い内に絶対にやっておくべきことは、「恋愛」である。恋愛は若い時にやってしまえば、充分に楽しめるものなのである。若い時にきちんとした恋愛をやっていないからこそ、その後、結婚できなかったり、老いらくの恋などバカげたことをやってしまうのである。

 大抵の男女なら、高校生の時か、大学生の時に初恋をするものだ。その初恋は本当に大事にやった方がいいのだ。初恋が巧く行った人は、次の恋愛も巧くいくものなのだ。若いからといって性欲に負けて、セックスに先走ってしまうと、とんでもない相手とやってしまい、しかもその後の人生でまともな恋愛ができなくなってしまうのである。

 若い時にやっておいた方がいいものに、「結婚」がある。若い内に結婚してしまえば、すぐに妊娠できるし、健康な赤ちゃんを産むことができるのである。女性は年を取れば身体障害者を生む確率が高くなってくるし、下手をすれば不妊症に罹ったりもしてしまうのだ。

 晩婚はバカな女がするのなのである。結婚のことを考えずに人生を歩んできたからこそ、自分が中年女性になって大慌てで結婚する羽目になるのだ。女性が45歳をすぎれば、妊娠する確率が急激に下がってしまう事実を知っていれば、そういう生き方は絶対にしない筈だ。

 男性が若い時にやっておいた方がいいものに、「兵役」がある。兵役こそ男性を一人前の男にしてくれるかあrだ。しかも兵役をこなすことで戦争の仕方が解るし、いざ戦争になれば祖国の独立を守るために、大いに役に立つのだ。

 若い時に軍事学を学んでいれば、政治でも使えるし、経済でも使えるし、宗教にも使えるのだ。軍事学こそ最も使い勝手のいい学問なのである。多くの男性たちは軍事学を学ばないからこそ、仕事をやたしても大成してこないのである。

●仕事には年齢に応じた物がある

 若さは加齢と共に失われていく以上、仕事には年齢に応じた物があるということを踏まえて仕事すべきなのである。例えば肉体労働は若者たちがすべき仕事なのである。若い時は工事現場で働くぐらいのことをしておいた方がいいのだ。

 逆に頭脳労働は年を取った者の方が有利だ。特に40代や50代と脂の乗った時期に頭脳労働で成功していけば、それこそ巨万の富を掴むことができるのである。だから若い時は肉体労働に従事し、或る時期が来たら頭脳労働に切り替えることが必要なのである。

 但し世の中には若い時にしかできない頭脳労働もあるのだ。例えば「科学的発明」などは、20代か30代で行なわれるものだ。老人が科学的発明をしてくるということはまずない。それゆえ科学者たちにはスタートダッシュが求められるのだ。

 一方、人文や社会科学は若い時に偉大な研究はできない。多くの知識を知っていないとどうにもならないので、どうして年を取ってから本格的な研究をなしていくことになるのだ。20代で飛び出してくことは不可能なジャンルなのである。

 経営などに関しては年長者の方が断然に有利である。いつまでも自分が現場にいるのではなく、若手が育ってきたら、その現場を若手たちに任せ、自分が経営の方に回るという決断もそれはそれで大事なことなのである。

●転職や引退の大切さ

 幾ら生活の糧を得るとはいえ、1つの仕事を延々と続けることは考えものなのである。体力は時間と共に低下していくのである。それを考えれば若い時には難なく出来た仕事でも、年を取ってくれば出来なくなる仕事も出てくるのだ。

 自分が体力的にもう無理だなと思うなら、さっさと転職してしまった方がいいのだ。無理にその仕事をやっていれば、過労死の餌食になってしまうものなのである。特に深夜の労働は若い時は可能でも、年を取ればもう無理なのである。

 自分が充分に年を取り、もう自分がすべき仕事は全部終わったと思ったのなら、引退してしまった方がいいのである。自分が功績を打ち立て、晩節を汚す前に去ってしまった方がいいのである。自分が白髪になり、杖をついているのに、それでも仕事をし続ければ、確実に老害を引き起こしてしまうものなのである。

 余生を楽しむというのは非常に大事なことなのだ。仕事から解放され、後は自分の好きなことをやっていれば、老後を充分に楽しめるものなのだ。若者たちだって老人たちが身を引いてくれれば、活躍の場が出てきて、出世していくことができるのである。

 ところがマスコミでは若者の転職を否定したり、老人たちの生涯現役を賞賛することが跡を絶たない。そういう無責任な言動が如何に我が国を貧しくさせているのかいい加減に気付くべきなのである。貧しい人は貧しい考えしか持てないものなのだ。

 人間、自分が年を取ったら老熟し、若者たちに知恵の言葉を言えるようにならねばならないのだ。生きて行く上で本当に大事な意見ほど、マスコミによって掻き消されてしまうものなのである。「若さは失い易く、取り戻し難し」というのは、人生の中でこれほど貴重な教えは他にはないのである。

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作家の評価は早い段階で決まる

●作家の命運は処女作で決まる

 作家の命運は処女作で決まる。その作家の長所も短所も全て処女作に出ているのだ。作家というのはその処女作を土台に次から次へと作品を作っているにすぎないのだ。だから作家の能力を判定する時は処女作を分析すればいい。

 これは出版業界に於いて当たり前すぎるほどの事実なのである。作家にとって処女作の出来がその後の人生を左右するからこそ、文芸誌では新人賞を設けて、その出来の良さを競っているのである。処女作の出来のいい作家は確実にブレイクしていくことになるのだ。

 しかしこういうと、必ず反論が出て来る。過去の有名な作家たちの名前を挙げて、「この程度の処女作なのに、その後こんな凄い名作を書けるなど誰が予想しえただろうか?」と。この反論は一見正しいように見える。だが完全に間違っているのだ。その作家の文体や作風は処女作に於いて既に出ているのに、その後の名作と比較してしまう余りに、それが見えなくなってしまうのだ。

 プロの作家ともなれば、何十冊何百冊と本を書いてくることになる。そのためその作家の著書の全部を読むのは困難なのである。もしも気に入った作家がいるなら、まずはその作家の処女作を読むようにすることだ。処女作は必ずその作家のプロフィールに載っているので、簡単に見つけることができるのである。

 なぜそんなにまで処女作が重要なのかといえば、その作家が今まで生きてきた中で、自分が散々蓄積してきた知識や技術が、処女作に現れてくるからなのである。それ以降は作家としての努力しながらの制作になってしまうので、それほど良い物ではないのである。やはり処女作が断然に良いのである。

●作家デビュー後10年以内にホームラン

 処女作だけが良いのなら、それは単なる一発屋だ。処女作の後にヒット作を作っていかないと、消えてしまうものなのである。小説の場合、新人賞を貰ってから直木賞や芥川賞を受賞するまでの間が一番厳しい時期なのである。

 大体、作家デビュー後10年以内にホームランを打たないと絶対にきつい。出版社だってそんな売れない作家をいつまでも支援し続けるわけがないのだ。ベストセラーを出せないのなら、早めに切り捨てるということはやるものなのである。

 作家の場合、勝つことを考えるより、負けない方法を考えた方が無難なのである。どうすれば生き残れるのかを考えれば、意外と簡単にその方法が見つかるものなのである。自分が今現在置かれた立場を知らず傲慢になっているからこそ、何も見えなくなってしまうのである。

 処女作がヒットしているのなら、「処女作のシリーズ化」という選択肢を取ることができる。誰もがその作品の続きを見たいのであって、その要望に応えれば、確実に売れるし、自分自身は作家として行き残っていくことができるのである。

 処女作がそこそこの当たり具合なら、処女作をヴァージョンアップして、処女作の延長戦のような物を出せばいいのである。これをやると、「この作者は腕を上げたな」と思われ、好印象を抱かれるのである。人間は成長している人を応援したいのであって、自分が成長すれば基本的には応援してくれるのである。

 自分の処女作が納得いかない場合、処女作とは全く違った作風の作品を作り、新たなジャンルに進出するという手もあるのだ。処女作の出来が良くない者はこの選択肢こそ有難い。スタート時点での不利を他のジャンルに進出することでカバーするのである。

●トップレベルに達したら、打つ手は幾らでもある

 作家たちを見ていてつくづく思うのは、若い内に、正確に言えば作家デビューして10年以内にホームランを打っている作家の本は非常に面白いということなのである。逆にホームランを打てなかった作家の作品は詰まらないのだ。

 ホームランを打った作家は必ずその分野で第一人者になるので、当然に自分が得意とする分野では最も詳しくなるのである。しかもベストセラーを出したことで経済的に大いに余裕が出来、大量に資料を収集することが可能になるのだ。

 こうなると、売れていない作家たちとは圧倒的な差がつき、最早何をやってもその差を埋めることができなくなってしまうのである。何事も第一人者の意見を聞くべきであって、その意見を聞いてしまえば、それ以下の者たちの意見など、どうでもいいものなのである。

 地位の高い方が圧倒的に有利なのである。トップレベルに達したら打つ手は幾らも存在するのである。だから自分がビシバシと打っていけば、その内のどれかがまたヒットして、更なる幸運を呼び寄せることになるのだ。

 文壇のトップレベルにいる売れっ子作家が、なんであんなに驚異的な仕事を成し遂げて来るのかといえば、上に行けば行くほど打つ手は沢山あるからなのである。だからこそ早めにトップレベルに伸し上がるべきであって、若い時に遊んで時間を無駄にするようなことをしていてはならないのだ。

●人間に対して誤解している者は本に対しても誤解する

 人間が道徳的になれば、「敬老の精神」を持つことであろう。老人たちは加齢によって心身が弱っているので、若者たちは労わってあげなければならないのだ。しかしそのような敬老の精神を本の世界にまで持ち込むのは非常に危険なのだ。

 作家の内、優れた作家は必ず若い時に有名になっているのだ。作家が還暦を過ぎてから有名になるということはまずないのだ。優秀な作家は早ければ20代で頭角を現してくるし、どんなに遅くとも40代までには世間に自分の名が知られる存在になる。50歳をすぎて有名になることすらないのだ。

 若い時には60代や70代や80代の作家が活躍しているのを見て、作家として優れた作品を書くためには老人にならなければならないのだと勘違いしてしまうものだ。還暦を過ぎても活躍している作家は、若い時から有名だったからこそ、今でも活躍しているだけのことなのである。

 だから若い時にボヤボヤしているのは非常に危険なのである。若ければまだまだ遊びたい盛りである。しかしそんな時期であっても、早くに自分の作品の執筆に着手し、ヒット作を出せるように努力すべきなのである。

 若い時の差は大差ではない。若手の作家の著作数を比較しても、その量は殆ど同じだ。しかし一方が努力し、もう一方が遊んでいれば、努力している方が着実に差を広げていき、気づいた頃にはもうその差が埋まらないほどに大きくなってしまうのである。

 後世に名が残る作家は、処女作の出来がいいし、作家デビュー後にホームランを打ち、その後もヒット作を地道に打ち続けるのである。そういう作家は老人になっても活躍してくるものなのである。だからといって勘違いしてはならないのだ。老人になってから大成したのではない。もう最初からスタートラインも、その軌跡も、他の作家たちは完全に違っていたのである。

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