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ヘレン・ケラーの美談の裏側

●アメリカ人たちの恐ろしい食事

 どこの民族でも、自分たちの歴史や伝統や習慣に根ざした食べ物を食べる。そうでないとその環境で生き残っていくことができなかったからだ。日本人なら和食だし、中国人なら中華料理だし、そういう民族料理が大事なのである。

 しかしこの世界にはそういう民族料理を持たない国民がいる。それがアメリカ人なのである。アメリカ合衆国というのは主にヨーロッパ大陸からの移民によって作られたから、ヨーロッパ諸国の料理があると思いきや、実はそうではないのである。

 アメリカの料理は肉中心で、野菜が異様にないのである。ヨーロッパ諸国でも肉を食うがそんなに肉を大量に食うものではないのだ。しかも南ヨーロッパは野菜が豊富だし、野菜が取れにくい北ヨーロッパにしてもピクルスを大量に作って野菜をしっかりと補っていたのである。

 その肉食過多野菜不足の食生活に「珈琲」が加わるのである。そこに白砂糖を入れるのである。珈琲は覚醒作用を起こすと同時に、ビタミンやミネラルを奪うのであるが、それが白砂糖によって加速されることになるのだ。

 こういう食生活で暮らしていれば、女性たちが妊娠しても、胎児は栄誉不足の中で育ってしまい、その悪影響はモロに出てしまい、その胎児が赤ちゃんになってもそれは先天的な不利として生涯に亘って残ってしまうのである。

 しかも母親の母乳刃栄養不足から質が非常に悪い。更に母乳育児を拒否し、ミルクでの育児をしようとするのである。こうなれば非常に免疫力の弱い赤ちゃんになってしまうのは当然のことなのである。

 ヘレン・ケラーはアメリカ人だったからこそ生まれた女性だったのである。

●三重苦は嘘だった

 ヘレン・ケラーは赤ちゃんの時は健康であっても、2歳の時に罹った熱病で「盲聾唖」の三重苦を背負うことになる。なぜヘレン・ケラーが三重苦を背負ってしまったかといえば、「母乳の質の悪さ」と「授乳期間の短さ」が最大の原因なのである。ヘレン・ケラーの両親はドイツ系アメリカ人であるために、野菜の摂取量が少なかったし、またミルクで育ててしまったからだ。

 ヘレン・ケラ-は三重苦があったために、我儘に育ってしまった。そこで両親はパーキンス盲学校に家庭教師を養成し、その時にやってきたのが、アン・サリバンなのである。アン・サリバンは子供の頃には弱視で、この当時には手術によって弱視を克服していたという経歴があったのである。

 アン・サリバンは我儘なjヘレン・ケラーに指文字で言葉を教え、ヘレン・ケラーは徐々に言葉を理解していく。例えば「水」なら、水に手を触れさせ、その後、掌に「WATER」と指で字を書くのである。こうやって単語を教え、そして文章にしていくのである。

 しかしこれはどうも嘘らしい。

 実を言うと三重苦は嘘だったのだ。

 ヘレン・ケラーは声に関しては或る程度克服していたのである。ヘレン・ケラーが写った映像を見ても、ヘレン・ケラーは意図的に発生をしていないのである。普通、聾唖者というのは全く話せないのではなく、言葉にはなっていない声を発してくるものなのである。

 ヘレン・ケラーは三重苦を売り物にして全世界で有名になったために、ヘレン・ケラーは人前で話さなかったし、家族たちも沈黙してしまった。しかしヘレン・ケラーが死んだ後、「ヘレン・ケラーはちゃんと話せたよ」と親族の間から秘密が暴露されてしまったのである。

●実は社会主義者だったヘレン・ケラー

 ヘレン・ケラーは単なる身体障害者ではない。南部の銘家の生まれのために、ラドクリフ女子大学に進学しているのだ。これは現在、ハーバード大学に吸収されているので、当時のアメリカ人女性としては最も高度な教育を受けたのである。

 この当時のアメリカ合衆国は産業革命によって大発展を遂げていたが、知識人たちは真っ赤で社会主義が蔓延していたのである。ヘレン・ケラーも大学教育を受けた以上、社会主義者になってしまうのである。

 ヘレン・ケラーはアメリカ社会党に入党し、婦人参政権運動や産児制限運動や公民権運動といった幅広く社会主義運動を展開した。ヘレン・ケラーは社会主義の思想に共鳴して何もやらない普通の社会主義者とは違い、本気になって社会主義運動をやっていたのである。

 婦人参政権運動というのは耳には聞こえがいいが、実は婦人たちを政治に参加させることで、労働者にするという運動なのである。当然、専業主婦は目の仇にされるのである。目指すは家族解体なのである。

 産児制限というのは、ドイツ系の人たちが主に唱えるものである。これは「優生学」という学問に基づくものであって、人類の中で白人こそが優秀であり、白人の中でもドイツ人こそが優秀であり、そのために人類の人口をコントロールしようとするものなのである。カール・マルクスがドイツから亡命したとはいえ、彼がドイツ人であったことを忘れてはならないのだ。

 公民権運動はアメリカ合衆国特有の運動で、奴隷制度があったために、黒人たちに公民権がなかったのである。そこで社会主義者たちは黒人たちに公民権を与えることで、社会主義陣営に組み込もうとしたのである。

 ヘレン・ケラーはロシア革命の際には支持を表明している。ソ連は国内では大量虐殺、国外には侵略戦争を展開しまくることになるのであるが、このような邪悪な国家をヘレン・ケラーは支持し続けたのである。

●身体障害者は身体障害者らしい生き方を見つけよ

 ヘレン・ケラーも生身の女性である以上、恋愛だったした筈である。アン・サリバンが疲労のために視力障害を発症させてしまうと、ピーター・ウェイガンという秘書を雇うことになった。その際、エレン・ケラーはこの男性と恋をするようになったのである。

 この事実、ヘレン・ケラーとアン・サリバンの関係が不自然だったことを物語っている。アン・サリバンはヘレン・ケラーを教育したという自負があったために、ヘレン・ケラーを自分の管理下に置いていたのである。だからアン・サリバンが去れば、ヘレン・ケラーは恋愛をすることができるようになったのである。

 両者は婚約までしたのだが、思想的な理由で両親の猛烈な反対に遭い、なんとヘレン・ケラーの母親から銃を突きつけられ、「もう二度と私の娘に近づくな」と脅迫したという。仕方なくこの恋愛は破局に終わってしまうのだが、ヘレン・ケラーはこれ以降、母親に怯えて恋愛ができなくなってしまうのである。 

 ヘレン・ケラーと日本の関係を挙げておくと、ヘレン・ケラーは幼少の頃に『群書類従』の編集者「塙保己一」のことを教えれ、彼を手本に勉強したと言われている。これがためにヘレン・ケラーが有名になると、日本を訪問し、これによって日本ではヘレン・ケラーの大ブームが起こるのである。

 ヘレン・ケラーはなんと87歳まで生きたのである。そのくせ彼女が打ち立て功績は何もないのである。三重苦の持ち主として有名になってしまったために、ただ世界各国を渡り歩くだけの人生を送ってしまったのである。

 ヘレン・ケラーは「奇蹟の人」ではない。彼女には何か1つの仕事を成し遂げたことがないのだ。身体障害者は健常者と違って、自分の行動に大いに制限がかかるものなのである。だから1つの仕事に絞り、それに専念すべきなのである。そうやって仕事をするからこそ、身体障害者であっても何かの功績を打ち立てることができるのである。

 身体障害者は身体障害者らしい生き方を見つけるべきなのである。自分が身体障害者である以上、健常者と比較するのは無意味なのである。寧ろヘレン・ケラーの人生は「身体障害者が世界を駆けずり回っても、なんも変わらない」ということを教えてくれたのである。塙保己一のように身体障害者であっても1つの仕事に専念すれば、必ず功績を打ち立てることができるものなのである。

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