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2013年2月

残念無念! 講談社から残酷なる「出版拒否宣告」!!

●講談社からの回答:「出版拒否」

 昨日、講談社児童局長から電話があり、その丁寧な言葉遣いと、真摯な対応とは裏腹に、その話の内容は残酷な物であった。

「講談社児童局で審査した結果、<この本を講談社から出すのは甚だ困難>と決定しました」

とのこと。

 <ガビーン!>ですよ。crying

 この児童文学作品は講談社用に作ったもんなんだってば! よりによって講談社から出版拒否に遭うとは! しかも講談社児童局では全員一致でこの児童文学作品を出版することを拒否することを決定したというのだ。みなさん、≪全員一致≫ですよ。全員一致。

 なんで、そこまで反対に遭ってしまったのかというと、

「児童文学なのにシモネタがあるのは拙いだろう~」

とのことなのである。

 やってしまいました。エロ賢い男<タマティー>は相手が女子小学生だとしても容赦はしない。考えてみれば児童文学で笑いのある作品って少ないものだし、況してやシモネタが入っているのはないからね。ここを指摘されて、

「そうか、そここそが今までの児童文学が面白くない所だったんだ~」

と妙に納得してしまった。

 子供たちって、シモネタが大好きなんだってば! どんな子であっても、シモネタを言うと笑うもんなんだよ、そしてそうやってシモネタで笑いを取ってしまうと、子供たちは難しい話を素直に聞くんだよね。行き成り難しい話をしてしまうと、子供たちは絶対に聞きはしないんだ。

 現在、我が家は父親の急死によって経済的にピンチな状態にあるのだが、この児童文学作品を講談社に採用されて売れてしまうことは実に有難い。しかしそうなった場合、<一抹の不安>があったのだ。それは

「そうやって講談社の社員たちが賛成してしまう作品は、逆に児童文学作品としては既存の枠組みから逸脱できない物なのではないか?」

ということなのである。

 講談社から出版拒否に遭うことは確かにつらい。我が家の経済状況は危機的なものだからだ。だが講談社の社員たちから拒否されたということは、この児童文学作品が既存の枠組みを超えた新しい児童文学作品だということが解ってしまったのである。

 俺は女子小学生が夢中になって読んで、心から楽しんでくれるよう、この児童文学作品を書いたのだが、この児童文学作品は今までの児童文学には全くない新しい物だったのだ。だったら尚更のこと、この児童文学作品は何がなんでもこの世に送り出さなければならないのだ。

●俺の作品は売れてしまうからこそ

 俺が本を出せば、売れるというのは既に解っている。俺はこのブログを長らくやってきたのである。『不妊症バトルロワイヤル』『幸せ色の出産ラブストーリー』『満開ブレインパラダイス』『「リッチなオシャレマダム」と「貧乏なグータラ妻』、そして『開運マルモリ面白書評倶楽部』である。

 最初は訪問者数が「3人」しかいなかったのに、今では「30万人」もの訪問者たちがいるのである。しかもなぜだか<子持ちの既婚女性たち>に好かれてしまい、その中でもコメントを寄せて来る人たちは

「その本、買いたい!」

と言ってくれるのである。

 また俺の個人的な女友達、その中でも俺と仲のいい元女優や元ファッションモデル(なぜだか<元>なんですけど~)に俺の児童文学作品の話を言うと、

「タマティーさんが児童文学の本を出すなら、それ読みたい!」

と言ってくれるのである。

 更には俺の父親が急死して生活が困窮しているために、我が家の葬式を手伝ってくれた宗教団体はいたく同情してくれて、

「息子さんが本を出すのなら、みんなでその本を買いましょうよ」

と言ってくれているのである。

 だから俺が本を出せば最低でも10万部は固いのである。この出版不況で10万部も売れば、それだけベストセラーランキングにランクインなのである。それに出版社が宣伝し、勢いがつけば、運さえ良ければ100万部に行ってしまうものなのである。

 俺の場合、作品が売れるのは当たり前なのである。質の高い物を出さなければならないのだ。質の高い物を作らないと、俺の≪信用問題≫に関わって来るのである。他の作家たちとはワケが違うのである。それゆえこの児童文学作品に拘っているのである。これは≪児童文学作品としては第一級の文学作品≫だからだ。

●やはり新人賞を取らないと話にならない

 講談社から出版拒否に遭って、つくづく思ったのは、

「作家たる者、新人賞を取らないと話にならない!」

ということなのである。俺が新人賞を取って作家デビューし、その作品がベストセラーになっていれば、俺が児童文学作品を出せば、たとえその中にシモネタが入っていようが、

「これは画期的な児童文学作品ですよ!」

と絶賛してくれた筈なのである。俺に新人賞がないばっかりにこんなひどい目に遭わなければならないのである。

 講談社で児童局がダメなら文芸局である。俺は現在、処女小説を講談社に送り、それで新人賞を取ろうとしているので、この処女小説で新人賞を取り、作家デビューし、その後、文芸局長にこの児童文学作品の話を持ち込み、文芸局から出版させるという手もあるのだ。

 当面はこの作戦を取る。このため年内の出版は実に怪しくなってしまった。当たり前の話だが、新人賞を取って処女小説が売れない限り、児童文学作品を出さして貰えることはないのだ。処女小説をベストセラーにすれば、文芸局だって動くのである。

 もう1つの方法としては、児童文学で新人賞を取り、その後にこの児童文学作品を出させるという遣り方だ。児童文学の世界でも新人賞は大事なのである。児童文学であっても、作家が新人賞を獲得していないと、出版社から相手にされないのだ。

 俺は今、対芥川賞用作品を制作中なのであるが、これによって児童文学新人賞用作品をも作らなければならなくなってしまった。2つの小説を同時制作の形で進めて行くので大忙しである。だけど、対芥川賞用作品は執筆スピードが物凄く遅いので、児童文学新人賞用作品のように執筆スピードが速い物があると大助かりなのである。

●ベストセラー作品をみすみす他の出版社に渡すわけにはいかない!

 この児童文学作品は必ずベストセラーになる! この作品を作った作者本人がそう直感しているのである。俺も様々な本を読んで来たから、どのような本がベストセラーになるかは解っている。この児童文学作品は充分にその条件を満たしているのである。

 ベストセラーになるからこそ、この児童文学作品をみすみす他の出版社に渡すわけにはいかないのだ。講談社は「面白くて為になる出版物」を出しているからこそ、この児童文学作品を出す資格があるのである。他の出版社ではその資格がないのだ。

 しかし講談社に問題がないとは言えないのだ。近年、講談社の出版物の質が低下し始めているのだ。俺が大学生の頃まで、「この本は面白くて為になる~」と感心できた本は殆どが講談社の物であったのだが、段々と講談社の出版物にそういう物がなくなり始めたのである。

 「この本は面白くて為になるな~」と思ったら、<徳間書店>の本だったり、<PHP>の本だったり、<現代書林>の本だったりするようになったのである。極めつけは<偕成社>であり、上橋菜穂子さんの『守り人シリーズ』はこの出版社から出たのである。あれなんかはまさに講談社から出すべき本なのにである。しかも偕成社は社員数たった四十数名の小さな会社であるのだ。

 講談社は「面白くて為になる出版物」を売ることによって大繁栄を遂げたのであるが、日本の出版業界のレベルが上がってしまい、講談社でなくても「面白くて為になる出版物」が作られるようになってしまったのである。講談社にとっては危機的な状況になりつつあるのだ。

 俺が講談社用に児童文学作品を作ったというのに、それを出版拒否するということも、この「病的な物の現れ」であるのだ。

 とは言っても、俺は講談社が大好きなのである。とにかくこの児童文学作品は講談社から出すべきだと思っている。もしもどうしても講談社でダメなら、偕成社にする。偕成社は小さな出版社と雖も、今村正樹社長が居て、編集局長に別府章子がいるのである。優秀な人材は充分に揃っているのである。しかも『守り人シリーズ」をベストセラーにした実績があるのだ。

 タマティーの悪戦苦闘はまだまだ続く。

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純文学はトホホの巻

●超遅! 執筆スピードの減速

 俺はよりによって講談社から放置プレイを受け、余りにも閑なので暇潰しで芥川賞を取ることを目指し、それだけのために純文学作品を書くことになった。俺は既に処女小説を書き上げているので、純文学も行けるだろうと高を括っていた。しかしエンタメ系文学と純文学はまるで違う物ということが解ったのである。

 俺がエンタメ系文学作品を書く時、その生産量は四百字詰め原稿用紙で「1日6枚」である。これは結構少ないと思うのだが、宮部みゆきですら1日7枚なので、質の高い作品を作るためには、この辺りが業界の相場なのだろうと思う。これ以上書いてしまうと、書けることは書けるが、作品の質が下がってしまうのである。

 ところが純文学作品の場合、その生産量はなんと四百字詰め原稿用紙で「1日3枚」である。頭を純文学モードにしてしまうと、1日に3枚が限界であり、これ以上書こうと思っても書けないのだ。だから1日の執筆時間は30分程度であり、「これでいいんか?」と疑問に思いつつも、そう従わざるを得ないのである。

 俺は当初、この純文学作品を一気呵成に書けば2週間ほどで書き上げることができると予想していた。だが、純文学モードで執筆してしまうと、四百字詰め原稿用紙百枚の短編小説を完成させるまでに単純計算でなんと「33日」もかかってしまうのである。

 たとえ原稿を書き上げたとしても、今度は推敲が待っているのだ。処女小説の場合、原稿執筆に4ヵ月、推敲に7ヵ月間費やしたので、その割合で計算すると純文学作品は執筆に1ヵ月、推敲に2ヵ月かかってしまい、どうにかして今年の夏頃にまでに完成できるだろうと予測されるのである。

●純文学はなんで価値が高いのか?

 文学界では純文学作品よりもエンタメ系文学作品の方が売れる。しかし世間の人々はエンタメ系文学作品よりも純文学作品の方が高い価値を有していると見ている。それが一番良く解るのが芥川賞と直木賞の発表の時で、これらの文学賞は同時期に発表されるのに、なぜだか芥川賞の方がクローズアップされるのである。

 その理由は自分が純文学作品を書いてみると非常に良く解った。

 「純文学作品は小説制作に物凄い時間がかかっている」ということなのである。1つの純文学作品を作るためにはエンタメ系文学作品を作る時間の2倍以上はかかっているのである。それだけ大量の時間を費やしてくれば、当然に質の高い作品が出来上がるというものなのである。

 大体、純文学作家たちは作品数が異様に少ないものだ。「そんな少ない作品数で生活が成り立つのかな?」と疑問を持ってしまうくらいに作品数が少ないのだ。それもその筈、質の高い文学作品を作ろうと思えば、数を少なくするしかないのだ。

 この点、エンタメ系文学の作家たちは楽である。作品の質のことなど大して考えず作品を作りまくっているのだ。例えば西村京太郎なんかは1日20枚以上書くことをノルマにしているので、作品数が500作品を超えているのである。確かに数だけは凄いが、しかしその作品を見ると似たような内容ばかりなのだ。

 純文学作家なら作品数を増やす誘惑に駆られることなく、作品数を絞って、質の高い文学作品を作り続けることに拘りを持たねばならないのである。そもそも作品数は少ないのだから、その少ない作品でもって確実にヒットさせていかなければならないのだ。

●純文学作品はなんで売れないのか?

 ところが文学界の現実はそんなに甘いものではない。純文学作品は売れないのだ。本当に売れないのだ。だから純文学作家は全員が貧乏である。貧乏だから小説制作に充分な資金を投入することができず、それで作品の質が上がらないという悪循環を引き起こしてしまうのである。

 出来のいい純文学作品を作りたいのなら、自分が作った純文学作品を確実にヒットさせることなのである。純文学作家が貧乏の状態でいいのは初期だけであって、自分の純文学作品を世に送り出したのなら絶対に裕福にならねばならないのである。そうしないと出来のいい純文学作品を作れないのだ。

 純文学作品が売れないのは経済的理由だけでなく、もう1つある。それは「純文学作品は文章が重たくなるために、物語展開が犠牲になる可能性がある」ということなのである。純文学作家は確かに文章表現が巧みである。しかしその巧みさを前面に押し出してしまうと、物語が全く展開していかないことになってしまうのである。

 読者たちにしてみれば、「言葉が巧妙に鏤められているけど、大した内容ではないじゃん」と思ってしまうのだ。この読者たちの常識的感覚を純文学作家たちは平気で軽視してくるのだ。いや、無視してくるといった方がいい。そのために読者たちが離れて行ってしまうのである。

 読者たちがお金を出して小説を買うのは、そこにちゃんとした物語があるからなのである。どうでもいいような物語であるなら、そんな小説を買うことはお金の無駄遣いの何物でもないのだ。純文学作家たちはこの世間の人々のシビアな感覚をもっと真剣に受け止めた方がいいのだ。

●純文学作品で売れるためにはなんと言っても「涙」が必要

 俺が現在書いている純文学作品は芥川賞を取ることを目的にして書いているが、俺は何もそれ止まりではないのだ。この作品を芥川賞受賞作品にして、その後、この作品をベストセラーにするつもりなのである。考えてみれば芥川賞はあれだけ騒がれて、その肝腎の芥川賞受賞作品が大して売れないということが大問題なのである。

 このことに関して俺には「秘策」がある。

 それは「涙」である。

 涙を流させるような純文学作品を作ってしまえば、この純文学作品をベストセラーにしていくことが可能なのである。俺のエンタメ系文学作品は「笑い」あり「涙あり」なのであるが、俺の純文学作品は「涙オンリー」に絞る。俺の純文学作品を読むと、涙、涙、そして最後には号泣! こうくるとこれが売れるのじゃ。

 しかしこれには問題がある。この純文学作品を書いている俺自身が書きながら泣いてしまうということなのである。感動的な話を書くためには作者本人が感動しなければならず、そうやって感動してしまうと、作者本人だって涙を流してしまうのである。

 歴代の芥川賞受賞作品を読むと、確かに巧いとは思うけど、本当に感動できないのである。況してや涙を流すことなどできないのだ。勿論、歴代の芥川受賞者たちは芥川賞を取ることには拘ったろうが、自分の作品を売ることまで考えていないのだ。それは純文学作品を書いてみると良く解るのだ。

 あらかじめ言っておくけど、俺のこの純文学作品を読む時はティッシュ1箱を用意しておいて下さい。ティッシュの箱が空になるくらい泣けます。泣きっ放しと言った方が正確かもしれない。ラストシーンはまさに号泣です。但し、涙の流し過ぎで干物にならないように。

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只今、講談社より放置プレイ中!

●講談社より音沙汰なし・・・・・・

 父親の49日に講談社より

「あなたの原稿を見てみたい」

と申し出があったのだが、この時は引越しの最中のために

「引越しが終わり次第、原稿を送らせて頂きます」

と言うしかなかった。なんせ原稿は段ボールの中であり。これを探し出すのは至難の業なのである。

 引越しの前に母親が生活必需品すらをも段ボールに詰めてしまい、

「あれ、どこ行った!?」

と何度も大騒ぎしたぐらいなのである。一応、段ボールには何が入っているのか書いてあるのだが、段ボールが山と化している状態では、それを探し出すのが大変なのである。

 引越しが終わり、荷物の片づけが済んだ後で、原稿を封筒に入れ、講談社に送ったのである。それなのに、あれから半月も経つというのに、なんの音沙汰もなしである。只今、講談社より「放置プレイ」を受けている状態である。相手がでかすぎる~。

 児童文学差品の場合、表紙の絵とか、挿絵とかで、話し合わねばならないことが沢山あるというのに、この有様である。児童文学作品は原稿が出来上がってから出版されるまで、普通の文学作品よりも時間がかかるものなのである。だから児童文学作品を優先して早目に出したのである。

 こういう所に、講談社が「大企業病」に罹っている兆候を見出してしまうんだよね。社員たちが失敗しないように、失敗しないようにやっているから、何をやらしても遅くなってしまう。物事というのは失敗しまくるからこそ成功するものなのに、何も失敗せずに成功しようとするからこそ、何も成功することがなくなってしまうんだよね。

●閑なので芥川賞を狙っています

 現在、閑といえば閑である。

 講談社から連絡がない限り動けないのである。

 俺は閑だからといってお酒を飲んだり、パチンコをしたり、キャバクラに行ったりするような男ではない。

 閑なので純文学作品を作っています。

 そして純文学作品を作る以上、当然に≪芥川賞≫を狙っています。

 なんで俺が純文学作品を作ろうとしているのかといえば、それは今年、黒田夏子さんが『abさんご』で芥川賞を受賞したからなのである。黒田夏子さんは75歳という高齢である。作家として、もう残された時間は非常に少ない。なんでこんな老女に芥川賞を受賞させるのか疑問でならないからなのである。

 芥川賞は純文学に於いて優秀な新進作家を支援するのが目的なのに。

 『abさんご』ははっきり言って面白くない。これを読んで感動することはできない。誰がなんと言おうとも、俺はこの作品に何か光る物を何も見出せなかった。逆にこういう作品に芥川賞を与えてしまうこと自体、日本文学のレベルダウンを示しているようなものだ。

 物語内容の以前に、日本語で書かれた文学作品は<ひらがな>を多用するると、間延びしてしまい、非常に薄っぺらい内容になってしまうものなのである。だから漢字を多用し、文章を引き締め、内容を濃くして行くのである。ひらがなを多用したいのなら、それこそ絵本とか、そういうジャンルで活躍すべきなのである。

 今回の芥川賞の裏情報を教えておくが、とある文芸評論家がこの作品を絶賛したために、芥川賞選考委員会がそれに引き摺れてしまったという経緯があるのだ。しかも芥川賞決定前に、黒田夏子さんだけがマスコミで報道され、受賞後にはすぐさま『abさんご』が書店に並んだのである。

 <出来レース>じゃないの? これって。

●芥川賞は直木賞よりも重し

 芥川賞選考委員たちに是非とも言っておきたいのが、「芥川賞は直木賞よりも重し」ということなのである。近代日本文学史を見ても、芥川賞受賞作家たちこそが文壇に新風を巻き起こしているのである。直木賞受賞作家では売れる作品を作ることはできるかもしれないが、文学性の高い作品を作ることがなかなか出来ないのである。

 芥川賞と直木賞は平等ではないのだ。芥川賞は直木賞よりも価値の高い文学賞なのである。

 芥川賞受賞作家は純文学作品を作れるのは勿論のこと。エンタメ系文学作品をも作れてしまう。芥川賞受賞作家は文章表現が巧みだから、どちらでも融通が効くのである。しかし直木賞受賞作家はエンタメ系文学作品を作れるが、純文学作品を作ることはできない。どうやったとしても文章表現が追いつかないのである。

 通常、直木賞の受賞対象は30歳以上からである。30歳以上になれば、どうにかまともなエンタメ系文学作品を書けるようになるからだ。より正確に言ってしまえば40代がベストである。40代になればエンタメ系文学で名作を作れるだけの実力が付き始めるのである。

 これは作家個人がどうのこうではないのだ。人間の脳がそうなっているからなのである。

 これに対して芥川賞の受賞対象は基本的に20代である。文学的感性が最も鋭いのは20代だからなのである。次が40代である。40代になれば物語構成がきちんとできるからなのである。10代では早すぎる。10代では文章表現力が追いつかないからだ。30代では中途半端。文学的感性が衰えつつあるのに、物語構成の方が巧くいかないからだ。

 こういうことがあるからこそ、芥川賞は狙って取ることができるが、直木賞は狙って取ることなどできないのだ。

 芥川賞は文学的感性が鋭ければ、取れる物なのである。だから、「俺は昔、芥川賞を取ろうと思っていたんだよ~」という輩が大量に存在するわけである。しかし直木賞を取るためには作家としてそれなりの実績が必要だし、名作を書いたとしても貰えるわけではないのだ。運の要素が非常に強い文学賞なのである。それゆえ「直木賞を狙っていた」なんて人はいないのである。

●まさに一発勝負!

 俺が芥川賞を狙っても成功する確率は低い。純文学は得意ではないからだ。しかしやる価値はあると思う。文学性のない作品が芥川賞を受賞したとなれば、俺が純文学作品を書けば「文学性の高い文学作品はこういうもんなんだよ」と主張することができるからだ。

 まさに一発勝負である。「負けて当たり前」「勝てばラッキー!」という覚悟でやっている。

 そこで歴代の芥川賞受賞作品を読みまくっている。必死こいて読みまくったお蔭で芥川賞のレベルが大体解った。それだけでなく近代日本文学の中で名作と呼ばれる短編小説も読みまくっている。純文学として凄いのは、実はこっちの方なんだよね。

 短編小説ゆえに製作期間は1ヵ月間で充分である。正確に言えば半月で原稿を執筆し、残りの半月で推敲をすれば、どうにか作品は出来上がることになる。製作期間に時間をかけすぎれば、逆に作品の出来は良くならないと思う。短期間で作り上げるからこそ、出来のいい作品が出来上がるというものなのである。

 今回の作品は着々と頭の中で構想が出来上がりつつある。まだ書き出すまでには至っていない。短編小説は「光る物」がなければ絶対に面白くない。構想が出来上がり次第、一気呵成に書かないと、その光る物を生み出せないのだ。

 恐らく3月中は芥川賞狙いの作品の制作に集中します。作品数はたった1つである。通常の純文学志望の作家たちみたいに何十作も作るわけではないのだ。たった1つの作品でギャンブルを仕掛けるのだ。乞う、ご期待。そしてお楽しみに~!

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『みだれ髪』と一汁一菜地獄 

●『みだれ髪』の裏側

 文学を理解しようとする時、作家たちの文学を読んでいるだけでは不充分である。その作家たちがどのような生活を送っているのかも知らないと、その文学作品をきちんと理解することはできないのだ。文芸評論が面白くないのは、作品しか読んで来ないからなのである。

 与謝野晶子は与謝野鉄幹と「激愛」と言ってもいいくらいに凄まじい恋愛をし、その恋愛を『みだれ髪』という歌集によって昇華させた。『みだれ髪』を読む限り、与謝野晶子は与謝野鉄幹にベタ惚れで、要は与謝野鉄幹のセックステクニックにメロメロになってしまったということなのである。

 しかし少なくとも、与謝野鉄幹と与謝野晶子の食事に関する相性はまるで合わないものであった。与謝野鉄幹は僧侶上がりなので、食事は「一汁一菜」である。それに対して与謝野晶子は和菓子屋の娘なので、食事は豪華ではないにしても、オカズは幾つか出る平凡な食事であったのである。

 与謝野晶子は結婚後、実家でやっていたようにオカズを複数出そうとすると、与謝野鉄幹に

「贅沢過ぎる!」

と激怒され、泣く泣くオカズを一品にするしかなかったという。しかもオカズ自体、非常に質素で、お魚を1匹丸ごと出すのではなく、お魚を半分にして2回に亘って食べられるようにするのである。これには与謝野晶子も悲鳴を上げて、

「もう実家に帰りたい!」

と嘆いたという。

 若かりし頃の与謝野鉄幹はイケメンにして頭脳明晰であり、浪漫派の筆頭として名を馳せていたのだが、その原動力はこの一汁一菜にあったのである。少食であればこそ顔が精悍な顔つきになり、頭の回転も良かったのである。与謝野晶子はそれに惚れたのであって、文句を言える立場ではなかったのである。

●結婚後の与謝野夫婦の変化

 ところが与謝野夫婦は結婚後、両者の運命がまるで違ったものになってしまう。

 まず与謝野鉄幹が自然主義の台頭を受けて、失速してしまうのである。その失速もその後二度と回復せず、与謝野鉄幹は歌人として詩人として役に立たなくなってしまうのである。尤も自然主義の台頭は他の作家たちにも及び、幸田露伴ですら作家失業に追い込んだくらいだから、与謝野鉄幹に能力に問題があったということではないのだ。

 問題は与謝野鉄幹が自然主義に対抗できるだけの活躍をできなかったということなのである。与謝野鉄幹は一汁一菜のために変化に対応できるパワーを発揮できなかったのである。幸田露伴は意外と食通で、肉や魚を結構食っていたのである。このため作家としてはダメになっても、学者として活躍するようになり、学者としてきちんと成果を収めているのである。

 一汁一菜は与謝野鉄幹を地獄に追いやったのに対して、与謝野晶子は一汁一菜のために作家として好調になってしまうのである。与謝野晶子は女性ゆえに食事の変化に巧く対応でき、少ない食事だったからこそ、逆に頭が良く回転するようになったのである。

 それが一発で解るのが、与謝野晶子の容貌なのである。与謝野晶子は和菓子屋の娘ゆえに、幼い頃から和菓子を食ってきたために、慢性的なビタミン不足やミネラル不足に悩んでいたのである。若い時の与謝野晶子は「妖怪」と言っていいくらいに容貌怪奇なのである。

 それが一汁一菜のために徐々に健康になっていったのである。十一人も子供を産んだために十数年間に亘って妊娠しまくりの生活を送ってきたということもあるが、この時期に何かしらの病気をしたということがないのだ。というか少食であればこそ性欲が盛んになり、それで妊娠を連発しまくったのである。

 与謝野晶子が最後の出産をすると、与謝野晶子は明らかに美人になり始めるのである。しかもその時期こそ平塚らいてうと論争したり、『源氏物語』の現代語訳に手を出したりと、普通の女性作家たちでは出来ないような仕事にまで着手しているのである。少食であればこそ、様々な仕事ができたのである。

●明暗を分けた和菓子

 与謝野晶子は一汁一菜に耐えたとしても、彼女自身、実家の風習を与謝野家に取り入れている。この和菓子こそ、与謝野夫婦の明暗を分けてしまったのである。結論から言うと、与謝野鉄幹は和菓子のためにいい仕事ができなくなってしまい、逆に与謝野晶子の方は和菓子のためにいい仕事ができるようになったのである。

 作家という仕事は頭脳労働である。このため脳が激しく疲労することになる。和菓子には砂糖や小豆が使われているので、脳に栄養を与えることになる。しかしその反面、砂糖のために栄養バランスが崩れ、脳の疲労は取れても、脳の機能が低下してしまうということになってしまうのである。

 だからこそ和菓子は抹茶とセットで出されるべきであり、和菓子だけを食ってはならないのである。抹茶とセットであるなら、抹茶のビタミンが和菓子のビタミン不足を補ってくれ、その弊害を最小限に抑えることができるようになるのである。

 与謝野家では与謝野晶子が和菓子を作り、「三時のオヤツ」で家族全員が食べるようになったのである。与謝野晶子は実家が和菓子屋ゆえに和菓子に食い慣れているために、和菓子を食うことで脳の疲労を取り除いたことであろう。和菓子があればこそ、作家として活躍し続けることができたのである。

 しかし与謝野鉄幹は違うのである。

 僧侶だったゆえに和菓子に食い慣れていなかったのである。このため和菓子を食うようになってから頭脳明晰は消えてしまい、感情の起伏の激しい男性になってしまったのである。和菓子のために栄養バランスが崩れ、自分の感情を冷静に保つことができなかったのである。

●徹夜と喫煙が寿命を縮めた

 与謝野晶子にとって結婚当初、一汁一菜は地獄であった筈である。ところがこの一汁一菜のために彼女は健康になってしまい、それで作家として大成していってしまったのである。それなのに与謝野晶子の寿命はそんなに長くない。亨年65歳である。

 これには理由がある。与謝野晶子は「一夜百首会」を開き、徹夜で短歌作りをしたことが度々あったのである。徹夜は体力を激しく消耗するので、徹夜を繰り返していると体が弱ってしまい、それで寿命を縮めてしまうのである。少食のために健康になったからといって、そこに過信があったのである。

 更には喫煙である。与謝野晶子も若い頃には喫煙をしなかったのだが、結婚後に与謝野鉄幹に勧められて喫煙するようになってしまった。しかもかなりのヘビースモーカーだったらしく、夫から「健康のためにタバコの本数を減らせ」と言われるほど、大量にタバコを吸っていたのである。

 タバコは百害あって一利なしの飲み物なのである。喫煙によってビタミンが失われるし、血管を細めてしまうし、体温を下げてしまうのだ。事実、与謝野晶子は脳溢血で倒れているので、まさに喫煙の害が直撃したといっていいのである。

 少食の人たちは大抵が長寿である。多飯食らいの人たちほど早死にしている。食事を大量に食ってしまえば、内臓を疲労させるので、食事過剰は寿命を縮めてしまうものなのである。もしも少食の与謝野晶子が徹夜をせず、喫煙をしなかったら、相当に長生きをした筈なのである。

 それにしても夫婦の食事というのは不思議である。与謝野鉄幹は良かれと思って一汁一菜をやっていたのに、それがために失速し、与謝野晶子は一汁一菜を地獄と思っていたのに、それがために健康になり、子沢山になり、加速していったのである。

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鍋物の締め

●定番はお米

 冬になれば鍋物となるのだが、鍋料理を食べた後に何で締めるのかが問題になる。定番はお米であろう。しかしお米を白米にしてしまうと、折角鍋料理で温まった体が冷えてしまうのである。白米は極陰性の食べ物で、鍋料理とは相性が悪いのだ。

 このため我が家では、鍋料理の後は「玄米と押麦」のオジヤになっている。玄米と押麦だと弱陽性になるので、鍋料理の後の締めとしては不自然がなくなるのだ。これに玉子を必ず入れるのだが、玉子は「繋ぎ」として入れているので、これがあるとないのとでは大違いなのだ。

 俺はこれに生のニンニクを摩り下ろして食べるのが大好きである。ニンニクの刺激がオジヤを最大限美味しくさせてくれるので、これなら幾らでも食べることができるのである。だがニンニクを生で食べるので、翌日になってもニンニク臭はきつく、家族の理解がないと食えない料理なのだ。

 食欲がない時にはオジヤに七味唐辛子をかけたり、豆板醤をかけていたりしていたのだが、これを遣り続けると便秘になったり痔になったりすることになる。唐辛子は極陰性の食べ物ゆえに、体を冷やしてしまうのである。唐辛子は七味唐辛子のように少しかけるのが良いのであって、かけすぎたり、使いすぎてしまうと体に悪影響が出て来るのだ。

 頭を良くしたいのなら、「ゴマ」であろう。ゴマの成分が脳の機能を大いに高めてくれるのである。我が家では擦りゴマ器を家族全員で取り合い、コキコキ回しながらスリゴマを振りかけているのである。こういうことをされると、スリゴマに有難味が出て来るのだ。

●スキヤキの後にはうどん

 鍋物の締めをお米にし続けていると、さすがに飽きが来る。そこで我が家ではうどんを定期的に入れている。うどんはお米よりも重いので、鍋料理を食べた後にうどんを食べると、しっかりとお腹に溜まり、「これで満足!」ということになるのだ。

 特にスキヤキの場合、スキヤキの後はうどんだと我が家では決まっている。スキヤキの濃い汁をうどんが吸ってくれるので、スキヤキの味が苦にならないのだ。お米で美味しいことは美味しいのだが、スキヤキの濃い汁が多少苦になってしまうのである。

 かといって鍋料理の後をうどんばかりにしてしまうと、お米以上に飽きてしまう。うどんはお米よりも単調な味なので、鍋料理という多彩な味を食べた後には不満が残ってしまうのである。このため鍋料理の後には薬味としてネギを入れたりして、味に工夫を凝らしているのだ。

 子供がいる場合、うどんよりも「すいとん」の方がいい。子供はうどんを巧く掴めないのだ。しかしすいとんだと子供でも掴めるので、子供たちは喜んで食べてくれるのである。すいとん作りに子供たちを動員すると、子供たちは適度な空腹を覚えて、残さず食べてくれるのである。

 麦の味は意外と単調なのだということを知っていないと、鍋料理も単調な物に変化して行ってしまうのである。うどんばかり食べるのは絶対にお勧めしない。鍋料理の締めの定番はやはりお米なのである。お米は味が多彩なので、広がりを持たせることができるのである。

●お蕎麦は美味い!

 俺は前々から疑問であったのだが、鍋料理の締めはお米かうどんしかなく、「なんでお蕎麦がないんだろう?」と思っていたのである。そこでたまたま我が家に冷凍のお蕎麦があったので、鍋料理をした後にお蕎麦で締めることにした。

 これが旨いのなんのって!

 お蕎麦がこれほどまでに鍋料理に合うとは知らなかった。お蕎麦は極陽性の食べ物なので、鍋料理のように体を温める料理の後にお蕎麦を食うと非常に美味しく感じられるのである。特に冬季のように気温の低い時期は更に美味しく感じられるのである。

 今までの人生で大損をこいてしまったと思うくらいに、鍋料理の後のお蕎麦は美味しいのだ。なんでこれが普及しなかったのかといえば、鍋料理をお蕎麦で締めるのは冬だからこそ特に美味しく感じるからなのであろう。夏のように暑い時期は白米のように極陰性の食べ物の方が良いわけだ。

 もう1つの理由はお蕎麦が完全栄養食品であるために、お蕎麦を食べてしまうだけで充分になってしまうからなのである。だからこそ外食とかでは鍋料理とお蕎麦のセットがないのであろう。お客様が他の料理を注文してくれなくなってしまうからだ。

 鍋料理の締めをお蕎麦でする場合、お蕎麦を茹で過ぎないことだ。生のお蕎麦を買って来たのなら、それを入れて麺がほぐれる程度で終わりにしていいのだ。決して沸騰するまで待つことはない。お勧めは冷凍のお蕎麦で、塊がほどけた時点で火を止めればいいのだ。

●ダイエットするなら春雨

 鍋料理は夕食時に食べるので、お米にしろうどんにしろお蕎麦にしろ、それを食べすぎれば当然に太ることになる。まあ、お蕎麦では太りにくいが、お米やうどんでは太る可能性が充分にある。鍋料理で勢いづいているために、鍋料理の締めも大量に食べてしまうからだ。

 肥満とかで悩んでいるのなら、鍋料理の締めに「春雨」を使うのをお勧めする。春雨は幾ら食っても太らないので、大量に食っても肥満にはならないのだ。それどころか春雨が鍋料理の汁を吸ってくれて、非常に美味しくなるのである。

 「どうもうちは食べ過ぎているな」と思うのなら、うどんと春雨を組み合わしたりすればいいであろう。春雨を食べればしっかりとお腹に溜まるので、うどんを食べすぎるということがなくなるのだ。そのくせ春雨の味がうどんの味を強化してくれるのである。

 鍋料理の場合、穀物がメインとなるのではなく、やはり鍋料理自体がメインになるのである。それなのに鍋料理の締めが多いということは問題がありすぎるのだ。要は鍋料理の具が少ないということなのである。なぜ鍋料理の締めにうどんが危険なのかといえば、味が単調ゆえにいずれこちらの方がメインになってしまうからなのである。

 肥満になるような人は料理の味にバリエーションを持たせず、大量に食ってしまうからこそ太るのである。料理に少しの工夫をすれば、そんなに大量に食わないものなのである。鍋料理の締めだからこそ、少しの工夫を施しておくべきなのである。

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温泉に行こう!

●温泉と銭湯

 日本人と温泉は切っても切り離せない。日本人が日本列島を北上して行くに当たって、温泉で体を温めないと、とてもではないがやっていけないからだ。日本人であるなら温泉に入れば健康になる。大体、温泉が発達している地域では、病人の発生率が極端に低いものなのである。

 この温泉を都会でも味わいたいと思って始めたのが「湯屋」であり、室町時代辺りから急速に広まって行った。湯屋というのは「サウナ」のことであり、蒸気で室内を暖め、それで汗を流すのである。戦場で汗を流さざるをえない戦国武将たちは特にこれを好み、戦争が終わると湯屋で汗を流したのである。

 これが江戸時代になると「銭湯」になった。銭湯というのは大浴場のあるお店であり、江戸の「銭亀」という場所で発祥したからこそ、銭湯という名称が広まって行ったのである。銭湯では二階が男性客のみ入れる休息所になっており、そこで男性たちは男同士の社交を楽しんでいたのである。

 バブル経済の時に普及したのが「健康ランド」である。逆にデフレ不況下で普及したのが「スーパー銭湯」である。どちらとも様々なお風呂を用意し、銭湯では満足のできなかったお客たちを獲得したのである。大体、この手の物は二十年から三十年周期でブームが起こっているのだ。

 浴場というビジネスは好況だろうが不況だろうが強いビジネスである。お風呂に入って汗を流したいという欲望は常にあるので、サービスの整った浴場なら、必ず行くものなのである。マスコミで銭湯の衰退ばかりを報道するのは間違っているのである。

●体温上昇と発汗

 入浴するのがなぜ健康にいいのかといえば、それは入浴によって「体温上昇」を引き起こしてくれるからなのである。日本は結構寒いのである。だから入浴することで体を温め、寒い中でも動けるようにするのである。それゆえ入浴しなければ当然に体の動きは鈍くなるのだ。

 東南アジアの人々が日本に来ると、「なんで日本人は熱いお風呂に入るんだ?」と疑問を呈して来るが、東南アジアは気温が高いのである。わざわざ入浴して体を温める必要性はないのである。しかし日本は気温が低い以上、入浴して体を温める必要性があるのである。

 体温上昇すれば「発汗」することになる。この発汗もまた健康にいいのである。日本人はお米を食べる民族なので、水分過剰になる危険性を潜在的に持っているのだ。水分過剰になれば食事過剰になり、食事過剰になれば血液汚染が始まり、それで病気を発症させてしまうのである。

 健康を維持するためには、とにかく水分過剰の状態を解消させることが大事である。尿意を感じたら小便をしたり、スポーツして汗を流したりすることが必要なのである。だがこれだけではとてもでは間に合わないからこそ、入浴して発汗し、それで水分過剰を解消させるのである。

 出来ることならサウナに入って、汗が出き切る所まで汗を流した方がいいのだ。やりすぎは危険だが、汗が出なくなった時点で水分過剰は完全に解消されたとみていい。その後、水風呂に入って体を引き締めれば、風邪すらひかない健康な体になるのだ。

●自律神経の正常化

 人間は田舎で暮らしていれば、自律神経がそう狂うことはない。しかし都会に住んでいると自律神経が狂ってしまうのだ。仕事をしている人たちは交感神経にシフトし過ぎてしまうし、仕事をしていない人たちは副交感神経にシフトしすぎてしまうのである。自律神経はどちらにシフトし過ぎても病気を発症させてしまうのである。

 40℃以下のお風呂に入ると自律神経が副交感神経にシフトするようになる。だから仕事で疲労しきったビジネスマンたちは入浴して、自律神経を正常化させるのである。そして自律神経が正常化すると、適度に疲労するので、だからお風呂に入ったら寝るのである。

 銭湯が廃れて行った理由はまさにここにこそあるのだ。銭湯のお風呂は熱すぎるので、大体、42℃とか43℃とかである。こうなってしまうと、自律神経が交感神経にシフトしてしまい、とてもではないが自律神経が正常化しないのである。しかも入浴後に寝れる場所がないのだから、これではビジネスマンたちの要望に応えることができないのである。

 健康ランドでもスーパー銭湯でも、お風呂の温度は40℃か39℃である。副交感神経が優位になるように設定されているのだ。だからこそ湯疲れせず、長々と入っていることができるのである。しかも入浴後に寝れる場所があるので、これなら自律神経が正常化することになるのだ。

 専業主婦は普段の生活からして副交感神経にシフトし易いので、サウナに入って交感神経を高め、その後、水風呂に入り、それを何度も繰り返せば、自律神経は正常化することになる。夫から「主婦ボケ」を指摘されているのなら、自分の自律神経は相当狂っていると見ていいのだ。

●精神的な安らぎ

 入浴は精神的な安らぎをも齎してくれる。人間は普段の生活では服を着ているし、世間的には貴賎貧富老若男女の区別があるのだから、どうしても他人と距離を置いてしまうのだ。勿論、そうやって距離を置いて生きるからこそ、人々は誰もが幸せに生きることができるのである。

 しかしその反面、そういう生き方は自分に無用なストレスを発生させてしまうのである。人間は本来「群生動物」なのであって、人々と群れて生きるからこそ、ストレスを最小限にして生きて行くことができるのである。社会を成り立たせるのに差別は必要なのに、動物としての自分はその差別を嫌ってしまうのである。

 だから裸になって入浴し、裸の付き合いをすることが必要なのである。裸になれば如何なる差別も吹き飛んでしまうので、ストレスは最小限になり、群生動物としての本能を巧く満たすことができるのである。逆に言えば裸の付き合いをしない人は、どういうことをやったとしても精神的な安らぎを得ることができないのだ。

 現在ではどの浴場も「男湯」「女湯」と区別されてしまっているのだが、本来なら「男女混浴」が一番いいのである。男女が裸になって入浴すると、これほど楽しいことはないのだ。だからこそ、男女で裸の付き合いをしてしまえば、精神病に罹るような人たちを根絶させてしまうことができてしまうものなのである。

 ところが日本で男女混浴の温泉があっても、そこに入っている女性たちはなぜだかお婆ちゃんたちしかいないのである。男女の区別をしすぎたことが、こういう所で出て来ているのである。お婆ちゃんたちだけが健康になり、若い女性たちが病気になっているというのは、どう考えても異常なことなのである。

●性欲の昂進

 入浴は性欲を正常化させる。通常は性欲が昂進することになるのだ。男性なら入浴後に休息を取れば、大抵の男性たちは勃起することになる。ストレスが解放されたので、性欲が戻ってきたのである。女性たちも入浴後に休息したのなら、性感帯が敏感になるものだ。ストレスが解消されたので、性欲が正常になったのである。

 夫婦で入浴したのなら、その後は夫婦でセックスをするというのが自然の流れなのである。不妊症で苦しんでいる夫婦なら、温泉で体を温めておけば、妊娠する確率が高まるというものなのである。ストレスフリーの状態だからこそ、セックスを思う存分楽しめるのである。

 温泉宿というのはまさにそういう場所なのである。下手に海外に新婚旅行に行くよりも、湯治場に1週間くらい逗留した方がいいのである。1週間に亘って入浴とセックスを繰り返せば、大概の夫婦はセックスを満喫できるし、妊娠してしまうものなのである。

 女性が気をつけるべきは、女性の体は33歳をピークに女性ホルモンの分泌量が徐々に減少していくということだ。このため自分の体から美しさが失われていってしまうのである。だから定期的にセックスをしておかないと、どうやったとしても自分の容貌が衰えていってしまうのである。

 男性にしても40歳をすぎれば性欲が低下してくるのだから、入浴せずに生活していると、セックスをする気すら起こらなくなってしまうものなのである。そういうことをやっていれば、仕事三昧を繰り返し、気付いた時には定年退職を迎えてしまうのである。

 浴場というのは子供たちを除けば、若い男女は余りいないものだ。それよりもオジサン、オバサン、お爺ちゃん、お婆ちゃんの方が圧倒的に多いものだ。それは年齢の上がった男女に浴場が必要だからこそ、そういう現象になっているのである。

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引越しで開運しまくり

●我が家の引越し

 我が家は引越しすることになった。引越しと言っても同じ市内での引越しなのである。本来なら東京に引越す筈だったのだが、父親の急死のためにそうは行かなくなってしまったのである。このため俺は最初から全然乗り気ではなかった。なんせいずれ数年以内にはまた引越すことになることが解っているからだ。

 しかも処女小説の最終チェックが長引き、何度やっても誤字脱字を発見してしまうのだ。その度に印刷し直すということを延々と繰り返すのである。処女小説の最終チェックが完成したのは引越す一週間前であった。そこから大急ぎで引越しの準備に取り掛かったのである。

 更には「引越しの手伝いをする」と言ってやってきたうちの姉が「卒倒しそうだから」という理由で帰宅してくれたので、何も邪魔されることがなくなったのだ。過食症になってしまったデブは引越しの際には邪魔にしかならないということを証明してくれたようなものだ。

 今回の引越しで最大の難問は「蔵書」である。なんせその蔵書の量たるや半端な物ではない。そこで蔵書を全部持って行くのではなく、引越しを通じて半減させる方針を打ち立てた。蔵書の半分をブックオフに売るなり、廃棄処分にしたのである。

 蔵書を箱詰めする作業がとにかく時間を食った。なんせ本の選別をしながら箱詰めにしていくのである。箱詰めが終われば、それを違う部屋に運び出さなければならないので、結構重労働になってしまうのである。ブックオフに売る本は箱詰めにして廊下に置いたので、非常に動きにくい。宅急便が来てその箱を持って行って貰うと、いよいよ引越しの作業が本格化することになった。

●最強のトキメキ理論

 今回の引越しで最も役に立ったのが近藤麻理恵の『人生がときめく片づけの魔法』である。この本は平時では制限しながら使わないと危険な本である。しかし今回は引越しということでこの本の理論をそのまま実行することにしたのである。

 彼女が提唱する≪トキメキ理論≫は本当に強力なのである。

 まずは「服」。ときめかない服はビシバシ捨てて行った。中には俺が高校生の時にバイトをし、その初めての給料で買ったセーターもあったのだ。思い出の品ではあっても、もうときめくことがないし、ここ十年以上着ていないのだ。だったら捨てるに限るのである。

 恐ろしいことになっていたのは、机の中である。机は上の部分しか使っていないので、引出しの中は全然使っていないのだ。そこで今回、選別しまくったのである。するとその殆どがゴミになってしまい、机の中は一気に片付いてしまった。

 このトキメキ理論を実施して行くと、自宅はゴミの山になっていたというのが良く解ったのである。「勿体ない!」からといって物を溜め込んでしまっても、その物を使うことはないのである。ただ自宅が物の保管庫になっていただけのことであり、その分、自分の自由を奪っていたのである。

 俺をショックさせたのは、自分の書斎にあった2つの机を動かすと、その谷間には埃が溜まっていたのだが、その埃が砂状と化していたことなのである。掃除をしても机を動かしてまで掃除をしないので、ここに埃が溜まりまくり、それが砂状と化していたのである。

 自宅は綺麗に見えても、実は汚れまくっていたのである。

●凄腕のアーク引越センター

 引越し業者には三社ほど呼び出し、見積もりを行って貰った。電話をしたらすぐさまやってきたのが「アーク引越センター」である。行動が速いだけでなく、見積もりをやってくれた社員の方が物凄く親切にして丁寧にやってくれたのである。しかも季節的に空いている時期なので、少し値引きにも応じてくれたのである。

 もうこの段階で本決めであった。

 他の引越し業者はやってくるのが遅かったし、見積もりでの行動もとろかったし、料金も高かった。中には俺の蔵書を見て、「これが癌ですね~」と言いやがった業者もあったくらいなのである。「癌はお前じゃ!」。そう言われて、お前の所の会社に引越しを頼む訳がないじゃないか!?

 ビジネスでも第一印象は大事だよ。

 つくづくそう思った。

 実を言うと、アーク引越センターは母親の友人が引越した際に使っており、「あそこの引越し屋は物凄くいいよ~」と言われていたのである。母親としては最初からこの会社を重要視していたのである。俺の方も第一印象で「この会社ならいいんじゃいの?」と思っていたのである。

 引越し当日、アーク引越センターは15分ほど遅刻してきやがった。我が家ではまだ引越しの準備が終わっておらず、引越し屋が来てから「この品物はどうすればいいのか?」と訊こうと思っていたのである。それなのに遅刻してきたら、家族全員がカンカンに怒ってしまった。

 しかしアーク引越センターのリーダー格の男性の対応が実に見事で、家族全員の怒りも自然と和らいで行った。なんせテキパキと行動し、迅速に命令を下して行くのである。家の中の荷物は短時間で運び出されてしまったのである。余りの手際の良さに「仕事が速くて、見ているだけで気持ちいいよ!」と感動してしまったくらいなのである。

 とは言ってもアーク引越センターは引越し業界の中ではまだまだトップ3には入っていない企業である。至る所に問題点があったのである。

 まずは段ボールが不足したので注文すると、かなり遅れて段ボールを届けてきただけでなく、リサイクル品を寄越して来やがったのである。引越しの際には段ボールに部屋名や品物名を書くので、リサイクル品では困るのである。

 リサイクルをするなら、リサイクル可能な段ボールを作って、それを出して欲しいよ。

 それと引越しが終わった後に段ボールの回収に来ると言っていたので、翌日、段ボールが大量に発生したので取りに来て貰おうとすると、「段ボールの回収は一週間後です」と言われてしまった。「どないせ~っ!」ていうんじゃ! 仕方ないので、資源ゴミとして捨ててしまった。 

●新居は防災機能搭載且つ整理整頓

 今回の引越しは全然乗り気ではなかったのだが、引っ越しが終わってみると、自宅の防災は格段に強化された。なんせ東日本大震災で損傷していた本棚を廃棄し、残った本棚には転倒防止の器具を取りつけたので、これで大震災がやってきても安全ということになったのである。

 しかも不用品は全部捨てまくったので、自宅が非常にシンプルになったのである。今まで不用品を溜め込んでいたからこそ、自宅が狭かっただけのことで、不用品を捨ててしまえば、自宅を効果的に使用して行くことができるものなのである。

 不用品を捨てて、必要の品を整理整頓すると、仕事が本当に捗るのである。前は必要な物を使いたくても、「あれどこ行った?」とか探しまくっていたのに、今ではもうそんなことが起きないのだ。探し物で時間を取られないということはそれだけ仕事の時間を増やせるということなのである。

 前の家では不眠症に何度か悩まされていた。それもその筈、俺の寝室に余計な物が沢山あったからなのである。それが今回の引越しで廃棄処分しまくったので、引越しして新居に移ってみると、不眠症が嘘のように消えてしまったのである。

 それと引越しでの疲労もあるのだろうが、家族全員が痩せたのである。悪く捉えればやつれたとも言えるが、不用品を捨てまくったので、家族全員が身軽になったのである。それが肉体から贅肉を取り去り、引き締まった体にさせたのである。

●引越しすると開運現象が起こるワケ

 引越しすると開運現象が起こるものだが、実際に引越しをやってみるとその理由が良く解る。要は掃除を究極の形でやってしまうからなのである。引越しで掃除をするだけでなく、不用品を捨てまくるので、掃除が完璧なまでになされるのである。

 普通の掃除だけではダメなのである。下手に掃除をするより引越しした方が良いのである。引越しをすれば、自宅がどんなに汚いのか良く解ることになるものなのである。自宅にはときめかない物が大量に存在しているのである。それでは自分の運気が上昇していくわけがないのだ。

 今回、引越しの作業中に講談社から「原稿を見てみたい」という連絡があったのである。あれもトキメキ理論を実施して、物を捨てまくったからこそ起こった現象なのである。物を溜め込んでいてはイカンのである。自分が持っていいのは必要な物だけなのである。

 何か偉大な事業を成し遂げた成功者たちというのは、大抵、人生の内に何度か引越しをしている。生まれ故郷から一度たりとも離れないで何か偉大なことをやったという人はいないものだ。引越しの効用を巧く使ったか否かで、その後の命運がガラリと変わってしまうのである。

 人間、いつでも引越せるように身軽にしておいた方がいい。下手に商品を買わないことだ。自分が本当に必要な物をだけを買うことだ。そして不用品はどんどん捨てていくことだ。こういうことをやっていれば、自然と自分の人生は巧く行くようになるものなのである。

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49日と心霊現象

●講談社に拒絶されたので

 俺の児童文学作品を講談社から出そうと交渉したのだが、何かの手違いで交渉が決裂してしまった。やっていることは持ち込み原稿となんら変わらないので、俺も余りいい気ではないのだ。講談社の女性社員の方が言うように「何らかの新人賞に投稿して下さい」ということの方が正論なのである。

 しかし現在、我が家の家計は危機的な状況にある。父親の治療のためにかなりの金額を使ったし、父親が作った借金のこともあるし、父親の会社は一旦解散した方が良さそうなので、悠長に新人賞を取って作家デビューするわけにはいかないのだ。父親が死んだのに遺産がないというのは結構つらいものなのである。

 そこで児童文学作品を先行する形で出版したかったのだが、講談社に断られてしまったために「偕成社」を出版先に選んだ。福音館書店やポプラ社も候補に挙がっていたのだが、なぜだか俺の心がトキメかなかったのである。

 偕成社は「今村正樹」という男性が社長になっており、編集局長は別府章子という女性である。しかも四十数名の小さな会社である。俺は偕成社が上橋菜穂子さんの『守り人シリーズ」を出したので、てっきり大きな出版社と思っていたのだが、実はそうではなかったのだ。

 これはこの会社の情報を見て手応えを感じた。

「この会社ならベストセラーを出すのは充分に可能だ!」

 俺はそう直感したのである。そこで偕成社の今村正樹社長宛てに手紙を書き、文書は完成させた。偕成社は会社が小さいので、彼らに全部任してしまうのではなく、俺がどうすればこの本をベストセラーにできるのかというプログラムまで用意していたのである。

 ところが俺がいざ偕成社に手紙を出そうとした矢先に、突如、俺の姉がやってきたのである。

●病的デブ登場

 ここで俺の姉のことを知らない人たちのために説明しておこう。

 うちの姉は中学一年生の頃からタバコを吸っているので、非常に臭いのである。喫煙のために口臭が臭いのは勿論のこと、体臭までもが臭い。しかもお風呂には滅多に入らないか、ワキガになっているのだ。

 「口臭」「体臭」「ワキガ」の三つが組合させると、毒ガスレベルの悪臭を放つのである。ヘレン・ケラーは盲聾唖者という三重苦だったのだが、うちの姉は「悪臭の三重苦」である。どっちが悲惨かと言えばうちの姉の方なのだ。

 このうちの姉は結婚が決まっていたのに、結婚をドタキャンされるという事件が起こってしまったのだ。当たり前だ。「お前の臭さに原因がる!」と俺は思っていたのだが、うちの姉はこの破談がショックで病院の禁煙外来に行き、なんと禁煙に成功してしまったのである。

 禁煙してくれると、口臭はなくなり、体臭も臭くなくなり、ワキガも消えてしまったのである。今まで鼻を摘ままない限り近づけなかったのに、それがなくなったのである。禁煙するだけで劇的に変わってしまったのである。

 だが一難去ってまた一難。

 今度は「過食症」に罹りやがった。自宅ではとにかく食っているらしい。そのため我が家にやってきた時は病的なデブになっていやがった。マツコデラックスのような醜悪なデブになってしまったのである。「太るんなら美しく太れよ」と言いたくなったが、姉の前では「デブ」という言葉は禁句である。

 デブには健康的なデブと病的なデブがいると思う。健康的なデブは太っているかもしれないが、結構動きまくるのである。しかも心は意外と優しい。俺は健康的なデブな女性なら好きではある。逆に病的なデブはとにかく動かない。そのくせ喋りまくる。本当に邪魔なのである。

●引越しはもう大変!

 この状況下で偕成社と交渉を開始するのは非常に危険である。俺自身、病的デブになってしまった姉のために正常な判断ができなくなってしまうからだ。この児童文学作品は絶対にベストセラーにしたいので、失敗は決して許されないのだ。

 そもそもなんでうちの姉が我が家にやってきたのかといえば、それは「引越し」の手伝いをするためである。今、住んでいる所は父親が気に入っていた所であったので、父親が死んでしまえばもうここに住む理由はなくなってしまったのだ。

 今回の引越しで最も大変なのが、「蔵書」である。この蔵書を全部持っていくわけにはいかないのだ。本棚の中には東日本大震災で損傷した物があるので、今回の引越しを気にその本棚は捨てることにしたのである。そこで蔵書を半減させることにした。

 調べてみると、ブックオフには「宅本便」なるサービスがあり、本を宅急便で送り、それを買い取ってくれるというのだ。早速ブックオフに注文してこのサービスを利用したが、売った本はなんとダンボール箱で17箱に達した。売り物にならない本は資源ゴミとして捨てた。ゴミ捨て場が満杯になるほどに本を捨てたのである。

 蔵書以外は、近藤麻理恵の「トキメキ理論」をそのまま採用した。時めかないものは「全捨て」である。このトキメキ理論を使うと、引越しの作業は猛スピードで進んだ。時めかない物本当に要らない物なのである。

 まあ、恐らく察しはつくと思うが、家族が引越しの準備で大忙しの中、うちの姉は何もやらないのだ。食っちゃ寝を繰り返しているのだ。このため姉の寝ている部屋の引越しの準備ができないし、引越しの準備の作業をしていると話しかけているので、非常に生産性の悪い状態になってしまったのである。

「私、引越し当日まで居ようかな?」

と姉が言うと、家族全員が

「必要ない!」

と一斉に反論したぐらいなのである。

●処女作の提出

 しかも俺は引越しの準備だけをやっていたのではないのである。処女作を完成させて、講談社に出すべく最終チェックをやっていたのである。もう原稿は印刷されているのだが、印刷された物を読むと誤字脱字が見つかるのである。その度に印刷をし直さなければならないのだ。

 この処女作はまさに「運命の処女作」である。俺は作家志望で小説を書きたいから小説を書いたのではなく、父親の看病をしている際になぜだか小説を書きたくなり、神憑り状態で書いた物なのである。この小説が出来上がると同時に父親は死んでいるので、絶対に負けるわけにはいかないのだ。

 俺がこの処女作の最後の最終チェックに入ろうとした時、うちの姉が

「スキヤキを食べようよ!」

と言い出した。

 スキヤキというのはうちの父親の好物だった物なのである。因みに我が家は関東地方に住んでいるので、肉といえば豚肉のことなので、牛肉は滅多なことでは食わないのだ。牛肉を使う料理はなんであれ豪華な料理と目されてしまうのである。

 俺は

「こんな忙しい時にスキヤキなんか食うべきではない」

と反論したのだが、冷蔵庫にはスキヤキの具材となるものが揃っているし、近くのスーパーで牛肉が半額になるというセールがあったので、仕方なくスキヤキを食べることにした。

 問題はスキヤキを食った時なのである。うちの姉はなんと俺の倍以上スキヤキを食いやがった。

「お前、食いすぎだろ~」

と俺が嗜めると、

「もしかしたら、私にお父さんの霊が乗り移っているんじゃないの? お父さんスキヤキ好きだったからさ~」

と冗談を言っていたくらいなのである。

 まあ、スキヤキを食ったお蔭でパワーが出たので、最後の最終チェックも無事に終わった。この原稿に千枚通しで穴を開け、綴り紐を通し、それを結べば出来上がりである。この原稿を持って郵便局に行き、簡易書留で出した。

 原稿は分厚い物であってので、

 値段はなんと「880円」!

 値段の高さに郵便局員の方が驚いていたくらいだ。

 この処女作に関しては千%の自信がある。この処女作は新人賞受賞レベルには充分に達しているし、第一級の文学作品としても成立している。しかも笑えるし泣けるので、これを出版すればベストセラーになる確率が高いのだ。

 ところが俺が処女作を出した後、うちの姉は発熱し、下痢をし、翌朝になると嘔吐してしまった。

「卒倒するかもしれないから、私、帰るわ」

といってやっとのことで帰っていったのである。

 俺はこの現象を不審に思い、

「姉の体にお父さんの霊が乗り移っていたんじゃないの? だって俺が処女作を投函した直後に異変がおこったんだよ。お父さんは俺の行動を見に来たんじゃないのかな?」

と母親に告げたら、母親は

「まさかね~」

と述べて、取り合わなかった。

●49日の奇蹟

 病的デブの姉がいなくなれば、引越しの準備は猛スピードで進んだ。なんせ邪魔者がいないんだから、邪魔されることがないのだ。そのくせ俺自身、もう1つ小説を執筆しているので、午前中は小説を執筆し、午後は引越しの準備というようにした。

 そんな引越しの準備が佳境になった時、朝の九時過ぎに電話がかかってきたのである。母親がその電話を取ったのだが、俺はシャワーを浴びようと全裸になっていた。俺が風呂場に入ろうとした瞬間、母親がやってきて

「講談社からよ」

と告げてきたのである。

 受話器を取ってみると、相手はなんと講談社の児童局長なのである。

 もうビックリ!

 用件は「その児童文学作品を見させて欲しい」とのこと。

 そこで俺は

「引越しが終わったら、すぐさま送ります」

と即答してしまった。

 電話が終わると、

「ヨッシャー!」

と自分に叫んでしまった。それと同時に、

「これはお父さんの仕業だろ――ッ!」

と母親に叫んでしまった。

 なんせこの日は父親の49日なのである。死者の霊がこの世に留まっていられるのは、死後49日間なので、うちの父親は霊力を使って何か仕出かしたのである。余りにもタイミングが良すぎるのだ。「これは心霊現象だ」って、やられた方には解るのだ。

 大体、俺は講談社で児童文学作品を出すのを諦め、偕成社でいくことを決めていたのである。それなのにそこにうちの姉がやってきて妨害し、処女作を提出すれば去っていき、そして49日に講談社から俺の児童文学作品を見たいと連絡があったのである。

 これを心霊現象と言わずしてなんと言うのか?

 父親は遺産を残さずして死んでしまったが、どうやらこの児童文学作品を遺産の代用品にするみたいである。

「お父さん、言っておきますけど、この児童文学作品を書いたのは、俺ですよ! 父親なら遺産をちゃんと残ーーッ!」 

 俺はこの世から消えつつある父親の霊に対してそう叫んだ。

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結婚後の鬱病

●結婚は大量のエネルギーを消費するもの

 結婚は男女の恋愛が高まり、最早、双方が独身でいられなくなったからこそするものなのである。だから結婚は独身では味わえない幸福を手にすることができる。要は次元が違うからだ。精神ステージが一つ上に行ったということなのである。

 しかし結婚は大量にエネルギーを食うものなのである。それゆえ結婚式の披露宴でも新婚生活でも豪華な食事を食うことになるのである。結婚後に「幸せ太り」が起こるものだが、これはこれでいいのである。

 結婚自体、当面の間は夫婦が二人で全てをやっていかなければならないし、妻の方は妊娠出産育児で心身を消耗するし、夫は夫で妻子を養うために仕事に全力を投入してくることになる。エネルギーは幾らあっても足りないくらいなのだ。

 ところが結婚後の食事が粗末だったり、肥満を気にしてダイエットをやってしまうと、途端に脳に異常が来てしまうのだ。食事が悪いために精神病を発症してしまうのである。核家族の場合、夫婦のどちらかが精神病を発症すれば家族自体が機能しなくなってしまうのである。

 妻の場合、33歳で女性ホルモンの分泌量がピークに達するので、それ以降、どうしても心のバランスを崩し易くなってしまうのである。既婚女性が精神病院に通っている数というのは、結構な数なのである。それだけ食事を軽視している女性たちが多いということなのである。

●蛋白質をしっかりと食べる

 既婚女性が鬱病になった場合、普段の食事で蛋白質が決定的に不足していること自体が原因なのである。本当に蛋白質を取っていないのだ。そのくせ甘い物が好きだから、典型的炭水化物優位の食生活をしているのである。

①木の実

 鬱病を治したいのなら、とにかく木の実を食べることだ。鬱病に罹る既婚女性は木の実を全くと言っていいほど食べないのだ。人間は果実食動物である以上、木の実を食べるのは基本中の基本なのである。

②豆類

 次に豆類を多く食べるようにすることだ。女性は生理があるためにどうしても蛋白質を消費しすぎてしまうのだ。だから豆料理を食べて生理を穏やかなものにするのである。

③玉子

 夫が頭脳労働をしている場合、玉子は絶対に欠かせない。1日1個は必ず食べるようにすべきなのである。玉子は完全栄養食品なので、幾ら食べても健康である。夫が欝的になったら、玉子を10個ぐらい使って玉子料理を作り、それを食べさせることだ。

④魚

 魚は知能を高める効果があるので、魚料理をしっかりと食べていると、家族内の会話がスムーズになる。最近、夫婦喧嘩が多いと思ったら、大量の刺身を夫婦で食うようにすることだ。これをやると夫婦が非常に穏やかになるのである。

⑤肉

 鬱病になるような既婚女性は肉の食い方を知らないのだ。肉というのは大量に食うべきものなのである。焼肉とかステーキとかバーベキュ-のようにとにかく肉を食べる時は大量に食べるものだ。その代わり普段は肉を余り食べないのである。

 結婚して蛋白質をしっかりと摂取していないと心が捻くれて離婚してしまうものなのである。離婚した女性たちの食生活を見てみれば、やはり普段の食生活で蛋白質をしっかりと取るということをしていないのである。

●心身を休ませる

 蛋白質をしっかりと摂取した後は必ず睡眠をきっちりと取ることだ。体は睡眠中に修復するので、睡眠時間が短いと脳の機能が修復されないのだ。早寝早起きというのは結婚を維持するためには絶対に欠かせないことなのである。

 月に1度は何もしない日を作ることだ。これは夫婦が一緒にやらないとどうにもならない。事前に「この日は家族の定休日!」と決めて、家族全員が何もしないようにするのだ。夫は仕事から解放され、妻は家事から解放されるからこそ、心身が休まるのである。

 心身を休ませるもう1つの方法は温泉に行くことだ。それも一泊二日のような短期間ではなく、一週間ぐらい行くべきなのである。一週間も温泉地で休んでいれば、どんな疲労だって吹き飛んでしまうものなのである。

 精神病に罹ったら、テレビや新聞を見ることはやめた方がいい。情報が次から次へとやってくるので、心身が休まらないのだ。精神病を悪化させる人たちというのは本当にテレビや新聞が大好きなのである。

 精神病に罹っても、しっかりと休んでいれば、簡単に治っていくものなのである。その期間は3ヶ月と見ておくべきだろう。脳の傷が修復されるためには、それくらいの期間がかかるものなのである。この期間を取らずに焦ってしまうからこそ、余計に精神病が悪化していくのである。

●生活の合理化

 人間ができることは限られているのである。自分が全てのことをやろうとすれば、心身がダメになってしまうのは当たり前のことなのである。だから「無駄なことはしない」ということを徹底的に貫くことだ。自分が本当にしたいことだけに集中すべきなのである。

 既婚男性の場合、仕事を抱え込みすぎると、必ず精神病になってしまう。或る時期が来たのなら、部下に仕事を委託していき、自分はより重要な仕事だけをするようすべきなのである。既婚女性の場合、家事を全部こなすのではなく、子供たちに家事を手伝わせ、自分は重要と思われることだけをすべきなのである。

 無駄なことをしないようにするためには、とにかく「家の中の不要品は捨てる」ことだ。家の中が物で溢れ返っているようでは、生活自体がエネルギーを浪費してしまい、心身がダメになってしまうのである。結婚したら独身時代の物の大半を捨てていくようにすべきなのである。

 トドメが「人間関係の整理」である。結婚すれば独身の友人たちとは距離ができ、結婚している人たちと仲良くなっていくものだ。そういう変化を自然な形で行なっていくべきなのである。誰とでも仲良くしようとするからこそ、自分が本当にダメになってしまうのである。

 結婚をしたのなら生活を合理化せざるをえない。合理化するからこそ、少ない収入であっても充分に豊かで幸せな暮らしを実現できるのである。だから非合理的な生活を営んでいれば、家族内で精神病患者が出て来ることは当然のことなのである。

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