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文学のもう1つの側面「悪口文学」

悪口は言ってはならないからこそ

 人間は悪口を言ってはならない。本当に一切悪口を言わないというのではなく、「悪口を言ってはならない」という倫理徳目を持つべきなのである。そういう倫理徳目を持っていれば、悪口を最小限に抑えることができるので、人間関係がスムーズに行くのである。

 ということは、人間は悪口を言いたくなる欲望を持っているということなのである。この欲望を無視してはならない。どこかでこの欲望を巧く吐き出しておかないと、自分の精神が病的になってしまうのである。だから悪口というのは表には出せないが、裏でどうにかして処理するという類のものなのである。

 文学も悪口を巧く処理するものとして使われてきたものなのである。文学を高尚な物だと思い込んではならない。文学はそんな高尚な物ではないのだ。所詮は人間の欲望の産物なのである。古典として残って行く文学作品は必ず悪口を言っているのである。

 例えば藤原道綱の母が書いた『蜻蛉日記』なんてのは夫への不満をぶち明けている物である。「そこまで言うかッ!?」ということを連発しまくっているのである。人間は千年経っても大して変わっていないのである。夫婦関係が巧く行っていない場合、悪口を言って発散するしかないのである。

 紫式部の『紫式部日記』なんてのも、なぜだか紫式部が清少納言の悪口を言ったことだけが取り上げられる。清少納言は藤原定子に、紫式部は藤原彰子に仕えたために、両者はライバル同士にあるのである。女同士の戦いゆえに陰湿になっていくので、外部の者たちは見ていて楽しいのである。

 夏目漱石の『坊ちゃん』では松山市のことをボロクソに言っている。東京から来た主人公にしてみれば、松山市の文化レベルは低く見えてしまうのであって、そこで松山市の悪口を言いたい放題で言っているのである。それがなぜだか受けてしまうのである。

●人間関係の不満は「文学的な悪口」で処理する

 人間は悪趣味を持つという厄介な動物である。例えば或る夫婦が如何に愛し合っているのかという「おのろけ話」を聞くより、夫婦関係の不満を言ってくれる方が楽しいのである。他人が不幸であることによって、自分が優位に立ち、幸福に感じられるからだ。

 人間が激しく持つ不満というのは、大抵が家族とか友人とか仕事関係である。だから作家が家族での不満を打ち明ければ、まずはヒットするのである。次に友人への不満を打ち明ければ更にヒットするのである。トドメは仕事の不満を打ち明けると滅茶苦茶ヒットするのである。

 出来のいい作家というのは、大抵「奥さんの出来もいい」のだ。妻が家庭を切り盛りしてくれるからこそ、作家は自分の仕事に集中できるわけである。だからといって自分の妻を褒め、それを外で公言するようなことなどしてはならないのだ。妻の些細なミスを見つけ出し、それで笑いを取るくらいの工夫が必要なのである。

 作家は作家同士で友人になるわけだから、他の有名な作家と友人になってセレブな交際をしているなんて書こうものなら、その作家の作家生命は一瞬にして終わるのである。そうではなく、有名な作家と仲良くなって、これまた些細なミスを見つけ出し、それを面白可笑しく書けば、読者たちは大喜びするものなのである。

 作家が仕事の出来は出版社の編集者によって左右される。ヒット作が出た時は腕のいい編集者がいたってことである。しかしヒット作ばかり出すのではない。失敗作だって出すことはある。そういう時、編集者のことをボロクソに言うべきなのである。そうすると読者たちは大爆笑して、その作家の作品を買おうとするようになるのだ。

●作家同士の喧嘩

 作家であるなら文学的な悪口を使って自分のライバルを叩き潰すべきなのである。自分にとって危険な作家は潰すに限るのだ。文壇に於いて活躍できる作家の量は限られているのだ。そんなに多く作家たちを必要としないのである。だから作家同士が喧嘩して、作家の数を減少させていけば、自然と生き残った作家たちは非常に楽になるのである。

 数を減らせば質が向上するという現象が起こるものなのである。逆に言えば数を増やせば質が低下してしまうのである。作家たちの数を無闇に増やせば文学のレベルは上がっていかないのである。そこで作家同士の喧嘩が必要なのである。

 通常、作家同士の喧嘩は下剋上である。若手の作家たちが最早ヒット作を出せなくなった老作家たちを殺して行くからこそ、若手の作家たちが活躍できるようになり、それで「新しい小説」が文学界の中で誕生することになるのである。

 作家が同じ世代の作家と喧嘩してしまうと、結局先細りになってしまう。同い年の作家たちというのは、わざわざ喧嘩しなくても、自然と減少していくものなのである。同じ時期に作家デビューしたのに、或る作家は売れ、他の作家は売れないという現象が起こり、自然と作家の数は減って行くものなのである。

 だから怪気炎を吹いている若い作家は要注意なのである。そういう作家は老作家たちを殺せるだけの実力をもう持っているからだ。それゆえ老作家たちはその手の若い作家を潰しにかかるのである。そうなればその若い作家は執拗な反抗をするようになり、それで喧嘩がヒートアップしていくのである。

●文化の伝搬

 文学的悪口も人間ではなく地域を相手にすると大掛かりなものになる。どこかの地方の悪口を言うために、わざわざ1つの小説を拵えなければならなくなるからだ。ということは、その作家は感情的になって悪口を言っているのではなく、理性的になって悪口を言っているということなのである。

 地方の悪口を言っている文学作品が売れてしまうというのは、実に変な現象である。普通、自分の住んでいる所の悪口を言われたのなら怒るものなのである。それなのになぜ文学作品で悪口を言われたのなら、それが許されてしまうのか?

 これには地方が抱える深刻な問題に起因するものなのである。

 地方はそのまま放置しておいても、文化は発展しない。経済力に限界があるために、既存の文化を延々と繰り返して行くことになるだけなのである。しかしそこに地元の悪口を言ってくれる文学作品が登場すると、地元は悪口を言われることで凹み、それによって文化が発展してくる可能性が出て来るのである。

 このため文学作品で悪口を言われると、その地方は必ず発展しているのである。その代表例が松山市であろう。夏目漱石が『坊ちゃん』で松山市の意悪口を言ってくれたお蔭で松山市は文化的に発展し、殊もあろうことか『坊ちゃん』ネタで様々な商品を作り、販売し、それで大儲けしているのである。

 よくテレビ番組で地方の良い所だけを紹介したりする番組があるものだが、そういう番組が放送されても、なかなか観光客は来ないものなのである。それよりも地元の人たちは「ここはダメだ」と思っている所を敢えて放送すると観光客はやってくるようになるのだ。

 「地方を賛美しても地方に観光客は来ない」ということが解っている地方自治体だけが、逆に観光産業を発展させていくことができるようになるものなのである。

●文学的悪口を言わない作家は一流ではない

 作家なら文学的悪口を言うべきなのである。普通の人たちは悪口を言うことを禁止されているからこそ、作家に悪口を言ってくれることを期待して来るのである。普段では言えない悪口でも、文学でなら許されるのだ。その悪口も感情的な悪口ではなく、文学的悪口に昇華させなければならないのだ。

 文学的悪口を言わない作家は一流ではない。一流の作家は必ず文学的悪口を言って来るものなのである。自分がベストセラーを連発したのなら、それは妻の支援があってこそなのだが、妻への悪口をいい、自分に世間の人々の嫉妬が集中しないようにしなければならないのだ。ベストセラー作家が愛妻家を称し、妻を賛美していれば、いずれ世間の人々の嫉妬は自分に集中してくることになるのだ。

 作家の仕事をしていれば、自分にとって気にくわない作家が出て来るものなのである。そういう作家に対しては文学的悪口を駆使して、死に至らしめるべきなのである。そういうことが一般の読者たちにしてみれば面白いのである。作家が作家たちと仲良くしていれば、この手の楽しみが消えてしまい、それで読者たちは本を買わなくなるようになるのだ。

 かといって悪口ばかり言っている作家は一流ではない。大抵、二流だし、より正確に言うなら、三流だろう。何も無制限に悪口を言うことが許されているのではないのだ。飽くまでも文学的悪口だけが許されているのである。作家がお酒を飲んで愚痴悪口を言っているようでは、作家として失格なのである。

 文学には或る程度の毒が必要なのである。このことは作家自身が解っていなければならないし、編集者だって解っていなければならないのだ。作家がまともな作品を書き上げても、そこに毒が入っていない物は売れないのである。編集者が原稿を編集し、毒を抜いてしまえば、そんな物、売れないのである。

 毒舌を吐く作家は大抵が生き残っている。勿論、毒舌を吐かず、品行方正な作家も生き残っている。しかし毒舌を言っている作家の方が売れているものなのである。確かに毒がありすぎるのは困る。かといって無毒では余計に困るのである。或る程度の毒が文学作品を引き立てるものなのである。

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コメント

こんにちは!!

私は一度、作家さんにお会いしたことがあります。

そのかたは、お医者さんから作家に転身。昨年、処女作がドラマ化されました。

端正な顔立ちのおじさまで、お酒に誘われた時はちょっと嬉しかったけれど、同僚の女性数人についてきてもらい、出掛けてみることにしました。

外見は二枚目だけど、甘いお酒を頼んだ私をかわい~とかありがちな事を言ってくる辺り、あまり女性とは遊びなれていない印象を受けました。

会話は、難しい内容の愚痴か、自分の姉の悪口のみ!!
メールでのやり取りの時は、すごく爽やかな印象だったのに~(-o-;)と、ショックを受けつつも、にこやかに相づちをうつ自分…。

私はすっかり引いてしまい、それきり会うのをやめてしまいました~。


でもやっぱ、あの個性の強さが、作品を面白くしているのかなとも思います。


投稿: ころころローラー | 2013年3月 7日 (木) 14時42分

誰だ~ッ! その作家は!?angry
大体、医者はエロいものです。
渡辺淳一さんもエロいし。

ころころローラーさん、ころころしているだけじゃなかったんですね。

投稿: タマティー | 2013年3月 7日 (木) 18時40分

進級しました。

今道後温泉に来ていて、坊っちゃんの間とやらを見学したんですが、漱石氏の写真がかっこよすぎて朝からいいもの拝めました♪

その部屋にあった年表にも「松山は住み心地が悪いと伝える」みたいなことが書いてありました。
ただ、坊っちゃん読んだことないんで何のこっちゃわかんないんですけどね。
これを機に読みます!

投稿: 小学32年生 | 2013年5月12日 (日) 07時16分

小学32年生 さん、本当にこのハンドルネームは笑えるな~。happy01good

夏目漱石の小説で面白いのは、『坊ちゃん』tと『こころ』くらいなものです。
夏目漱石は文豪とか言われているけど、「ノイローゼ文学」とでもいうべき病的な小説ばかり書いています。
作家になる前から胃潰瘍だったし、朝はオートミールしか食べられなかったみたいです。

その土地の悪口を言うのは、実は日本の文学の伝統なんです。
『土佐日記』だって土佐の人たちの悪口を言っているんですよ。
その土地を褒めているようでは、名作にならないんですな。

投稿: タマティー | 2013年5月12日 (日) 16時43分

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