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母親が10代の子供を育てるということ

●「人間の成長」と「10代の反抗期」

 育児で悩む母親たちは多いものだが、子供が乳幼児の段階でしっかりと「育児の仕方」を身につけておかないと、子供が10歳を過ぎた辺りからとんでもないことになってしまう。子供は10歳までなら母親の言うことを聞くものなのであって、母親自身が母親として学ぶべき所はきちんと学んでおいた方がいいのである。

 戦前は10歳まで尋常小学校に行き、それ以降の年齢になると上級の学校に進学した。この教育システムの方が子供の成長に合っているのだ。しかし戦後の教育システムはなぜだか子供を12歳まで小学校にいさせてしまう。だからこそ小学生たちが学校で問題を起こすようになってしまうのである。

 人間は19歳で肉体の成長のピークを迎える。その内の前半は親が育てるべき時期であり、後半は親以外の者たちが育てなければならないのである。人間は群生動物なのであって、家族だけで完結する動物ではないのである。だから、家族を否定する思想は論外だが、家族だけに頼る思想も間違っているのである。

 子供は10歳までなら母親の言うことを良く聞くが、11歳辺りから母親の言うことを聞かなくなる。そして中学生にでもなれば母親に反抗するようになる。これは成長が正常な形で行われているということなのである。寧ろ反抗しない子供の方がおかしいのだ。

 それゆえ母親が我が子に何か教えたいことがあるなら、10歳までの内に教え込んでしまうことだ。10歳までなら素直に聞くからだ。そして子供の反抗期が始まれば、子供を突き離し、親の力で子供の生き方を変えるというような間違った考えを持つことはやめることだ。反抗期が始まれば、母親に出来ることはもう大してないのである。

●「甘え」と「自立」は延々と繰り返す

 今回紹介する本はこの本!

 明橋大二著『10代からの子育てハッピーアドバイス』(1万年堂出版)

 10代からの子育てハッピーアドバイス

 この作者の本は実に良いのだが、結論から言うとこの本は少し問題点がある。この本を鵜呑みにするのではなく、この本を読みながら自分で考えながら読んで欲しい。10代の子供たちをきちんと育てるのは心療内科の医師のアドバイスだけで出来るものではないのだ。

 子供は10歳までは「従属期」であり、親に従属して甘えまくる。甘えることで母性愛や父性愛を大量に貰い、様々な知識や技術を親から獲得していくのである。10歳以下の子供は決して自立しない。また、自立させてはならないものなのである。

 母親が充分に愛情を持って育てていけば、いずれ子供は「自分でやる!」と言い出し、まずは服を着ることを自分で遣り出し、家事を手伝ったりするようになるのだ。この「自分でやる!」というのは自立ではない。「自治」である。自分で出来ることは子供と雖も自分でやりたくなるものなのである。

 子供が自立を開始するのは10歳を過ぎてからである。自立し始めるのは男女平等ではなく、絶対に女の子の方が早い。男の子の方は遅いものだ。自立できる子供というのは、自分が10歳までにきちんと親に甘えることができた子だけなのである。

 「親に甘えるからこそ自立できるのである!」

 この因果関係を絶対に忘れてはならないのだ。

 20歳を過ぎて「女性の自立」を叫ぶ女性たちは、自分が幼い段階に於いて自分の母親から自立することを強要され続けてきたのである。だから20歳を過ぎても母親から自立できず、よりによって社会に対して自立を叫ぶようになるのだ。

 20歳を過ぎて「恋愛中毒」になったり、やたらと「愛」を叫ぶ女性たちは、自分が子供の頃に親から充分に愛されなかったのである。だから自分が大人になったのに自分の心の中では愛が不足しているゆえに愛に執着するようになるのだ。

●自己評価の低さは精神を狂わすもの

 母親が子供を育てる時、どうすれば子供をちゃんと愛することができるのか悩んでしまうものだ。それもその筈、愛というのは「好き」という感情がない限り、絶対に出て来ないからだ。だから我が子に向かって「お母さんは好きだよ」という言葉を連発しておいた方がいい。「好き」と言えれば、自然と母性愛は出て来るものだからだ。

 しかも子供の方も成長してくれば、「ママは僕のこと好き」「ママは私のこと好き」とか、母親の愛情を確認する作業をやってくるので、その際は「好きだよ」と言えばいいのである。こうすると母子の間で愛が巧く循環し、愛の質量が自然と増大していくのである。

 しかしこれが親子間で出来ていないと、子供は自己評価を低くしてしまい、「自分は価値のない人間ではないか?」と思い込んでしまうのである。この自己評価の低さはいずれ精神病となって出て来るものなのである。10代の子たちの精神病がなかなか治らないのは、その原因が親子関係にあるからなのである。

 親子間の愛の循環を巧く行うためには、なんといっても「快食」「快眠」「快便」を心掛けることだ。母親なのに母親らしいことをしない女性はジャンクフードを食っているからこそ、そうなるのである。就寝時間も出来る限り早くすることだ。夜更かししていると脳が疲労してしまうものなのである。便秘をすれば脳に汚い水分が行き、それで脳が機能しなくなってしまうのである。

 子供の自己評価を高めて行くためには、「家系図」を見せるのが効果的である。人間は誰しも自分のルーツを知りたいのであって、家系図を作って、「この人は何をやった」と教えていけば、自分だって立派な人間になろうと決意してくるものなのである。

 トドメは「宗教心」である。親が自宅で宗教書を読んでいたり、神社仏閣などに参拝していれば、子供だってそれを真似してくるようになるのだ。宗教心があれば自分の心がブレないものだし、神社仏閣に行くことが家族のいいガス抜きになり、どうでもいいような不満を抱かなくなるのだ。宗教がおかしくなるのは「信仰気違い」になることなのであって、信仰を殊更に要求する宗教は絶対に信用しないことだ。

●イジメはなぜ深刻な問題になるのか?

 親子関係が健全になっていれば学校に於いてイジメなど発生したりはしない。しかし親子関係が巧く行っていない親子は必ずいるのであって、だからこそ学校でイジメが発生して来るのである。学校でイジメをなくそうなどと間違ったことを妄想してはならない。学校でイジメが起こるのは必然であるのだ。

 イジメっ子というのは必ず真剣になってイジメを行っている。遊びでイジメなど行っていないのだ。自分が自分の親からちゃんと愛情を貰えることが出来なかったために、それが怒りとなって爆発し、イジメられっ子を執拗にイジメまくるのである。

「イジメは必ずエスカレートする!」

 だから学校の教師がイジメを放置すれば、イジメられっ子は自殺するまでに追いやられるし、時に殺人事件だって起こったりする。イジメというのは本来、刑事事件で処理すべきものであって、学校の教師では解決できない問題なのである。警察官たちが学校に介入しないと解決できないのである。

 小学校の場合、担任が教室に常駐すればいい。担任が職員室に行ってしまうからこそイジメを見逃してしまうのである。よく「イジメを把握できなかった」と言い訳をするものだが、それが学校の教師たちが普段から間違ったことをやっているからなのである。

 中学校や高校の場合、担任制を採用するのではなく、担任団を作るべきなのである。中学生や高校生みたいに複雑な年頃では、1人の担任が全ての生徒たちを把握するのは不可能なのである。そこで担任団にしてしまえば、様々な教師たちによって生徒たちの意見を組み取ることができ、それによってイジメが起こらなくなるのだ。

●登校拒否は健全な反応

 子供が登校拒否を起こした場合、それは病気なのではなく、健全な反応なのである。まず親子関係が拙い状態にあり、学校でも担任や生徒たちの間でもトラブルを抱えているのである。このまま学校に行き続ければどうにかなってしまうからこそ、登校拒否をするのである。

 我が子を登校拒否にしてしまう母親というのは、大抵が子供に対して干渉が多過ぎるのだ。母親がいつも「ああして欲しい」「こうして欲しい」と言っているからこそ、子供の方がヤル気をなくしてしまうのである。いつまでも我が子を子供扱いしているからこそ、子供がダメになってしまうのである。

 登校拒否が出て来るような学校というのは、学校が学校として機能していないということなのである。登校拒否というのはイジメよりも深刻な問題なのであって。学校がきちんと教育サービスを提供できていないからこそ、折角、学校に入学したのに、学校に来なくなってしまう生徒たちが出て来るのである。

 大体、新設して間もない学校に登校拒否の生徒など絶対に出て来ない。登校拒否が出て来る学校は設立してから何十年と経っている学校であって、学校自体がリストラをして、組織の機能を高めていないので、教育能力が思いっきり低下し、それを不満に思う生徒たちが登校を拒否してくるのである。

 登校拒否が出て来ると、大抵その次は「学級崩壊」が出て来る。そしてその学校そのものが潰れてしまっている。組織というものは必ず劣化していくものなのであって、定期的にリストラを実施して組織を再編成しないと、組織が組織として機能しなくなってしまうのである。

●学校を信用してはならない

 我が子をちゃんと育てたいのなら、「学校不信」に徹することだ。学校など一切信用しない。一見、ネガティブな意見に見えるが、学校を信用しないからこそ、逆にちゃんとした教育をやっている学校が見えてくるのである。そして我が子をその学校に行かせればいいのである。

 学校の教師たちは10代の若者たちへの対応を教えられていない。日本は占領中に師範学校を潰されてしまったために、要は教育に関して素人の人が教壇の上に立っているのである。敗戦の後遺症は未だに続いているのであって、そのことを絶対に忘れてはならないのだ。

 そもそも我が子の教育を学校に任してしまうことこそが問題なのである。小学生までの教育なら、母親でもできることなのである。だったら自宅で我が子を相手に教育すればいいのである。夕食後、子供たちを居間に集めて勉強させ、質問があれば答えればいいのである。

 しかし中学や高校になってくるとさすがに母親では教えられなくなる。だからj経済的に豊かな親なら我が子を私立学校に通わせるのである。私立学校といってもそんなにいいものではないのだが、公立学校よりはマシであることだけは事実である。

 我が子を私立学校に通わせるだけの経済力がなければ、出来るだけ偏差値の高い公立学校に行かせようとするものだ。当たり前のことだが、公立学校で偏差値の低い学校はもう学校としては成立していないほど悲惨なことになっているのである。タダほど恐ろしいものはないのだ。

●お稽古事や学習塾の大切さ

 大人になってから、「この人は礼儀正しい人だな」と思われる人には或る共通項がある。それはその人が子供の頃に何かしらのお稽古事をやっていたということなのである。お稽古事をする際、礼儀作法をしっかりと叩き込まれて、その上でお稽古事を受けていたのである。

 ということは、学校で礼儀作法は教えていないということなのである。何かを学ぶ場合、礼儀作法というものは非常に重要なのである。その礼儀作法を学んでしまえば、後に教えられる内容は簡単に理解できてしまうものなのである。大体、学校でも挨拶ができなくなると、もう教育どころではなくなってしまうものだ。

 若い時は沢山の教師から何かを習うよりも、一人の師匠について物を教えて貰った方がいい。師匠につくと何事も上達が速いのである。ピアノなんかはその典型例で、小学生の時は一人の師匠につくものだ。そうすると小学校を卒業する頃には難しい曲でも平気で弾けてしまうものなのである。それ以降なら様々な教師についても良いのである。

 母親であるなら、学校で学問を教えてくれるだろうと間違った考えを持ってはならない。学校は様々なことに手を出しているので、学問を教えるのが物凄く下手になっているのだ。だからお金を出して学習塾に通わせる親たちが多いのである。

 学習塾は学問を教えることに特化しているので、学習塾の授業は学校の授業よりも解り易いのである。なんで学習塾に行くと成績が上がるのかといえば、学習塾の講師の能力が非常に高いからなのである。何事も特化すれば非常に高い技術を持つことができるものなのである。

●若衆宿を復活すべし

 10代というのは厄介な時期なのである。親から離れて自立していく時期だから、本来なら親元で育てるべきではないのである。中高生の時期は親元から引き離し、寮生活をさせてしまえば、自然と自立でき、親に反抗するエネルギーを学問やスポーツに投入でき、高い能力を持つことができるようになるのだ。

 イギリスが強かったのも、エリートの子弟たちには学校に行くことだけを求めたのではなく、学生寮で生活させることをも求めたからこそ、そこで若者たちが切磋琢磨し、優秀な人材へと成長していったのである。寮生活こそ若者を鍛えるものなのである。

 日本でも昔は「若衆宿」というのが、そこに若者たちが集い、若者たちを巧く成長させていたのである。10代の若者は親が育てるものではないのだ。若者同士が集まって、勝手に成長していくものなのである。親や教師たちが若者を改造できると思っている限り、教育問題は延々と続くものなのである。

 10代の若者が10代の内に絶対に学んでおかなければならないことは「友情」である。自分と同い年の子と仲良くなり、その者と友情を育んで行く。友情があればこそ、自分がおかしな方向に走らず、自分がやりたい仕事に就くことができるようになるのだ。

 10代の若者を学校だけで育てようとしている限り、若者たちは高い能力を持つことはできないのである。寧ろダメになっていくものなのである。学校の教師たちが教育問題に幾ら取り組んでも解決できなかった理由はまさにここにこそあるのだ。学校以外での居場所こそ、10代の若者たちには必要なのである。

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コメント

一年ほど前、主人の病気のことでコメントさせていただきましたまりりんと申します。

昨年はタマティー様、お父様は御愁傷様でございました。ご冥福をお祈りいたします。

お陰様で主人は透析を離脱できるまでよくなったのですが、寒さとともに体調が悪化し、また透析をするようになってしまいました。かなりへこんでいましたが、体調は上向きになってきましたので、お灸などの自然療法を続けて回復を待ちたいと思います。

さて、今回コメントさせていただきましたのは、もうすぐ三歳になる息子の習い事についてです。
現在リトミックと体操に通ってまして、親子参加で遊びの延長のようなもので、楽しく通っています。

三年保育の幼稚園を考えていまして、最近同年代の子とたくさん遊んで、なおかつスムーズに幼稚園に行けるよう、幼児教室にいった方がいいか悩んでいます。

近所に遊び中心のミニ幼稚園のような幼児教室がありまして、もう30年くらい続いているようで、友人も通わせているところがあります。

雰囲気は良さそうでかなり気になっていますが、息子は時間の短い児童センターの母子分離の遊び場でもはじめ泣きますし、午後までの母子分離の幼児教室なんて大丈夫なのか不安です。また、他の習い事もやめがたくて、疲れてしまわないかも心配です。ただ、最近同年代のこがかなり気になるようですし、いきなり幼稚園もかわいそうかしらと思うと、そういう場を与えてあげた方が本人のためなのか、悶々としています。

主人は一人目で子供同士で関わる機会が少ないし、マイペースな子だから入れたらというのですが、お金もかかりますし、本人が私と離れて本当に大丈夫なのか、もうすぐ三歳だから慣れれば大丈夫なのか分からず…、

私自身人付き合いが得意ではないので、小さい頃から集団で遊ばせていろんな体験もさせた方がいいかもと思ったり、幼稚園までは親子のんびりしたほうがいいのか、悩みはつきません。かなり体力もついてきたので、今までと同じ過ごし方ではダメな気もしますし…

体験にはいきましたが私が一緒でしたので、実際にはどうかわかりません。4月だけ午前のならし保育ですので入るなら4月がいいですよと言われています。
今までね習い事もメンバーや曜日が変わるので本人がどう思うかも心配で。


タマティー様はどう思われますか?
長文になり、申し訳ありません。

投稿: まりりん | 2013年3月24日 (日) 01時08分

まりりんさん、旦那さんに足のグッパをやらしてみて下さい。
これで結構血流が良くなって、腎臓の負担が減ります。

悩んでいるなら変化しない方がいいですよ。
男の子は3歳になると、母親から離れたくなくなうrものですよ。
しかもすぐ泣くので。
母性愛を以て接しないと、とんでもない子になってしまいます。

抜本的な解決策としては、妊娠することですよ。
子供の数が少ないから、どうでもいいことにあれこれ悩んでしまうんですよ。

投稿: タマティー | 2013年3月24日 (日) 07時15分

早速お返事ありがとうございます。

そうですね、一番の悩みは主人は腎臓を悪くしたおかげで、二人目が欲しいのに、からだがきかないことですね。

主人の体調がよくなく、なかなか家族揃っても出掛けられないのでいろいろ子供のことでも思い悩んでしまいました。

グッパー早速試してみます。
それとむくみがひどくて辛かったときは、足つぼが役に立ちました。

息子も他の子の遊びに興味があり、習い事や児童センターの先生の手遊びや歌は大好きです。母を身近に感じつつ、世界を広げてあげられるようしばらく様子を見て、焦らずにどうするか決めたいと思います。


投稿: まりりん | 2013年3月24日 (日) 11時59分

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