●女優が美人であるのは当たり前
女の子は成長過程で必ず「オママゴト」をするようになる。母親と接する機会が多いので上位自我が入り易く、そのため母親の真似事をするようになるのだ。しかも長じてこのオママゴトが「演劇ごっこ」に発展して、お姫様になったり、召使いになったり、とにかく空想に耽って楽しむのである。
普通、この手の空想は小学生も高学年になれば消滅する。知識が増えてくれば現実を理解できるようになるので、そういう空想に耽るより、現実を知ろうとするようになるのだ。しかしこういう成長ができない女の子たちもいる。この手の女の子たちは或る日突然に次のような文句を言うのだ。
「私、女優になりたい!」
バカな娘ほど、こういうバカげたことを真顔で言うのだ。しかもこういうことを言う娘に限って「可愛い娘」なのである。可愛いゆえに、本人の「努力」と「タイミング」と「運」がありさえすれば、本当になることができてしまうのである。小学生の時に持った夢というのは、現実離れしていればしているほど、成功する確率が高いものなのである。
女優の条件はその女性が「美人」であることである。中にはブスでも女優になれるが、その手の女優には「個性派女優」という別称がある。容姿が個性的というのは、要は「ブス」だということなのである。主役を演ずるような女優が美人であるのは当たり前なのである。
女優になるような女性は普通の美人とは違う。「目が大きい」美人であるのだ。だから小学生の時に「女優になりたい」と言い出して来ることが大事なのである。小学生の時はまだまだ目が大きいから、目の大きさを維持していれば、女優になることができるものなのである。
もう1つは「声が聞き易い声」の持ち主であるということだ。人間には聞き易い声と聞きにくい声とがある。女優志望の女性で、聞き易いの声の持ち主なら、本当に女優になってしまうものなのである。「声優」というのは意外と聞きにくい声の持ち主なのである。
●女優の卵が習うべきもの
女優になるために学ぶことは何もない。この辺りも小学生レベルでは魅力的なのである。女優になるために様々なことを学ばなければならないとするなら、それは面倒臭いものだから嫌がってしまうものなのだ。とは言っても実際に学ぶべきものはあるのだ。
「古典と言われるような小説をきちんと読んでおく」ということだ。このことは想像以上に重要で、小説を読んでいないと女優の仕事は務まらないのだ。小説は人間の想像力を大いに発達させるものなので、とにかく小説を読んでおくことが必要なのである。そういう想像力があると女優の仕事は簡単に出来てしまうものなのである。
漫画は最小限にしておくことだ。漫画はどうやってもレベルの上がらない物なのである。漫画は読み飛ばすことが可能なので、どうしても人々がその内容をきちんと吟味するということをしないのである。それに漫画に嵌ると、大体、家から出なくなってしまうものだ。
女優になるなら「歌」や「踊り」を学んでおいた方がいいのだ。歌や踊りこそ、女優の基本になっているのだ。幼い内に「ピアノ」を習っておけば音感を持てるのだ。女優の仕事では音感のある者が成功し易いのだ。リズムのない者は何をやらしてもダメなものなのである。
合唱団に入って歌が上達すれば、当然に声の通りが良くなる。カラオケとかで歌うのはそれでもいいのだが、歌の基本ができていないために、声に癖がついてしまい、聞き取りにくい声になってしまうのである。早い段階でヴォイストレーニングを受けた方がいいのである。
日本の女優たちの中で演技が巧い女優は必ずといっていいほど「日本舞踊」をやっている。日本舞踊こそ日本人女性が持つ動きを凝縮しているからだ。「バレエ」とか「ダンス」をやっても別に構わないが、それだけでは成功しにくいものなのである
●女優の仕事
いざ女優になったとしても、行き成り女優の仕事がやってくるのではない。子役から這い上がってくるのなら女優の仕事が与えられるが、高卒で女優になった場合、女優の仕事をすぐさま貰えないのだ。女優以外の仕事を延々とこなさなければならないのだ。
まずは「グラビア」である。絵になる女性じゃないと話にならないのだ、このグラビアの仕事を舐めてはならない。男性のファンが付くのはグラビアの仕事をきちんとやったからなのである。いい仕事をしていれば必ず良質のファンが付くので、それで更にいい仕事がやってくるようになるのだ。
女優の明暗を分けるのが「CM」の仕事である。CMには必ずストーリーがあるので、これは女優の仕事なのである。しかもCMの制作には広告代理店が絡んで来るのだ。この広告代理店こそ、最も優秀な人材が揃っている会社なのである。テレビ業界に於いて本当に創造的な人材はCM関連にいるのだ。決してテレビ局ではないのだ。
CMで当たり出すと、やっと「ドラマ」の仕事がやってくるようになる。ドラマは最低でも三ヵ月間続くので、ドラマがヒットしてくれれば、次から次へとドラマの仕事が舞い込んで来るようになるのだ。 ドラマこそ、売れる女優と売れない女優の選別がしっかりとなされるのである。
ドラマは無料で見られる物である。それに対して「映画」は有料で見る物である。だから映画の仕事が来た場合には、必ず多目に時間を確保するようにすべきなのである。時間を多くかけると出来のいい物が出来易いからだ。映画は当たればデカイのであって、その女優の地位を決定的にするものなのである。
ドラマで主役を務められるのはせいぜい30代までである。女優と雖も、どうしても小皺が目立つようになるからだ。だから早い段階から舞台をやっておくべきなのである。舞台は女優が長く仕事を続けるためには絶対に必要なのである。
40歳を超えても女優で生き続けていられるのは、全員が全員、必ず舞台をやっている女優たちなのである。ドラマや映画は撮影すればそれで終わりである。しかし舞台は同じ役を延々と遣り続けるので、舞台をやっていれば、自然と女優の仕事の質が上がって行くものなのである。
女優が気をつけるべきは、バラティ番組に出まくっていると、女優の仕事がなくなるということなのである。ドラマや映画の宣伝でバラエティ番組に出なければならないが、バラエティ番組に出過ぎてしまうと、色が付き過ぎてしまい、女優の仕事ができなくなってしまうのである。
●掃除と引越し
女優の仕事は人気稼業だから、自分に人気が出始めると仕事が殺到して来ることになるのだ。このため仕事ばかりしてしまい、自宅のことは何もしていないということになってしまう。そうなると家の中は汚くなっていくのである。そしてそうなると人気が凋落し始めるのだ。
人気のある女優というのは家の中が綺麗なのである。常に掃除をしているのである。仕事が忙しい時は、日中に掃除をするのではなく、仕事から帰ってきてから掃除をするとか、休日を使って掃除をするとか、そういうことをこまめにしていないと、とてもではないが家の中を綺麗にすることができないのだ。
確かに仕事が忙しい時に掃除をするのは面倒である。そういう時には必殺技がある。引越しをすればいいのだ。引越しをすれば、自動的に掃除をせざるを得なくなるのだ。しかも引越しの際に不用品を処分することになるので、それで家の中が非常にシンプルになり、掃除のし易い環境になるのだ。
女優の中には母親に定期的に来て貰ったり、母親と一緒に住んだり、家政婦を雇ったりしている人たちがいる。結局、そうせざるを得なくなるのだ。誰かに家事をやって貰わないと、女優の仕事に支障を来たすようになるのだ。収入が充分あるなら、お金を使って家事をこなして貰えばいいのである。
芸能プロダクションが満を持して仕事を持ってきたのに、その仕事を失敗してしまう女優とか、スキャンダルまみれになってしまう女優とかは、掃除をしていないのだ。家の中が汚いからこそ、「綺麗な人なのになんとく汚らしいな~」と感じてしまい、それが不幸を呼び寄せるのだ。「掃除をしろ! 掃除を!」と言いたくなる。女優であっても掃除の重要性はなんら変わらないのだ。
●なぜ趣味のことを訊かれるのか?
女優がインタビューを受けると、必ず趣味のことを訊かれるものだ。なんで仕事ではなく趣味なのかといえば、「女優業に全力を投入している女優は詰まらないから」なのである。女優業というのは「遊行」というべきものであって、遊びの要素がないと面白くないのだ。
自分は女優だからといって自宅でドラマや映画を見まくっていると、いい作品を作ることができないのだ。女優であるなら自宅で見るドラマや映画には制限を加えた方がいいのである。大事なことは自分が新たなる作品を作ることであって、過去をなぞることではないのだ。
女優の仕事を成功させたいのなら、趣味を持つことで「余裕」を作ることが必要なのである。趣味をやっている時は仕事のことを忘れることができるものだ。そうやって仕事を冷静に見られる機会を作ると、仕事で何をすべきかいいのか解って来るものなのである。
女性であるなら、料理を趣味にしておいた方がいい。料理は万人に共通なので、どんな人が相手でも話を盛り上げることができるからだ。「私は女優だから料理はしません」というのでは話にならないのだ。料理は女性の脳をフル稼働させるので、料理をしていれば精神病に罹ることはまずないのだ。
時間を大量に取られる趣味はやめておいた方がいい。仕事の邪魔になってくるからだ。女優の場合、ゴルフを趣味とする人はいないものだ。ゴルフは時間を大量に食うからだ。乗馬とかも時間を大量に食ってしまう。こうやって趣味を消去していくと、趣味になるものは非常に限られてくるものなのである。
●友情と恋愛と結婚
女性が女優になった場合、どうしても子供の頃の友達とは別れてしまうものだ。女優になる人はその友達の中で自分だけだから、友達関係を維持しても、結局、維持し続けることができなくなってしまうのだ。話がまるで合わなくなる日が必ずやってくるのである。
だから女優の場合、友達を作ることが非常に重要になってくる。女優の仕事で多くの人たちと接するくせに、自分の友達として本当に有意義で有り続ける人はそんなに多くないのだ。女同士の友情が巧く出来ていない女優は、何をやらせても面白くない。女同士の友情がないために、人々の心に伝わってくる何かがないのだ。
女性は女同士の友情が出来ていないと、必ず男に走ってセックスをやりまくってしまう。男性ならセックスすることで人間関係を維持することができるからだ。これが「恋多き女性」の正体である。恋愛をやっているのではないのだ。セックスをやりまくっているだけなのである。
女優の仕事をしていれば、恋愛の話は嫌というほど聞かされるものであるが、「恋愛は一度きり 性愛は幾らでも」と割り切った方がいいのである。20代なら恋愛なんてものは1回あるかないかなのである。寧ろ無い方が多いものなのだ。
大体、女優が本当に恋愛をすれば、必ず「結婚」を考えるようになるものだ。自分が恋愛している以上、その男性と結婚したいと思うようになるのは当然のことなのである。そして女優であったとしても、結婚でその後の人生が大体決まってしまう。これは普通の女性たちとなんら変わらないことなのである。
●本物と宗教心
女優たちの中で、「この女優は本物だ!」と思える女優はそう多くいない。その理由は簡単で、女優になる動機が子供の頃の「女優になりたい!」といったことにあるからだ。女優としての使命感がない限り、その女優がどんな仕事をやっても大した出来にはならないのだ。
芸能と宗教は切っても切れない。芸能自体が宗教から生まれたものであり、生き残っている芸能人は必ず宗教を大事に尊重しているのだ。女優が本物の女優になりたければ、とにかくきちんとした「宗教心」を持つことだ。宗教心があれば、自分の女優としての使命感に気付くものなのである。
時折、有名な女優が新興宗教団体に属していることが報道されるものだが、女優の場合、それは有り得るのである。新興宗教だからこそ、宗教心のリバイバルが起こっており、既成宗教では得られない物を新興宗教では与えてくれるからだ。
どこかの新興宗教団体の信者になってしまえば、女優であっても信者扱いされるものなのである。一見、女優にとっては不利に思えるものでも、「女優ではない素の自分で居られる」という現象が起き、その女優はそれによって大いに満足することができるようになるのだ。
女優であるのは飽くまでも仕事であって、それを四六時中求められたのなら、女優自身がギブアップしてしまうのである。夜遊びをしまくったり、麻薬に走ったり、自殺したりするのは、そういう重圧に耐えられなかったからななのである。
●女優倫理
女優は普通の女性ではない。女優であるなら、普通の女性たちでは決して許されないことをやっていいのである。それは飽くまでも女優の仕事をきちんとしている限りという制限がつくが、女優なのに普通の女性たちと同じ考えであってはならないのである。
女優には「女優倫理」というものが必要なのである。女優として名作を作ることに全力を投入する。女優として名作を作っている限りは、普通の女性たちなら顰蹙を買うことでも許されるのである。女優という職業を世間の常識で高速してはならないのである。
芸能が世間に埋没してしまえば、優れた芸能を生み出すことなどできないのだ。それと同じように女優が普通の女性たちの中に埋没してしまえば、優れた作品を生み出すことはできないのだ。女優が女優倫理を持たない限り、女優は足元から崩されていくものなのである。
女優だからといって仕事で演技をするだけではなく、女優として人生を楽しむようにすべきなのである。女優としての人生を楽しんでいる女優は絶対に強い。しかも見ていて面白い。そういう女優だからこそ、幾らでも名作を作って行くことができるのである。
優れた女優を持てない社会というのは、それはそれで異常な社会なのである。恐らく平等イデオロギーが蔓延し、「みんなが平等になれば幸福になれる」という完全に間違った考えが広まっているのである。みんなが平等になった所で決して幸福にはなりはしない。寧ろそれは不幸を決定づけるものなのである。
女優というのはそもそも「奇人変人」なのである。美人だからなかなかそのことに気付けないだけなのである。女性というのは美人であればあるほど、とんでもない考えを持っているものなのである。そういう奇人変人が生きられる社会というのは「自由な社会」なのであって、優れた女優が多い社会はそれだけ自由の度合いが強いということなのである。
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