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2013年5月

「マリちゃんだから許されること」「「マリちゃんだから許されないこと」  ~矢口真里の不倫騒動と離婚騒動で思った事~

●「マリ」の語源

 日本人女性の名前には古代日本語から来た物が多いのだが、「マリ」という名前も古代日本語からの由来である。「マリ」という名前を「真里」「真理」「真利」「麻理」「万理」「茉莉」「茉里」と漢字で表記しようが、マリの語源は全て同じなのである。

 「マリ」の語源は「お椀」ということなのである。古代日本人は「水や酒を入れるお椀」のことを「マリ」と読んだ。この「マリ」は「まる」という動詞が変化したものである。

「まる」

 ↓

「まり」

となるのだ。

「おる」(居る)

 ↓

「おり」(檻)

と名詞化するように、「る」が「り」に変わると名詞になるのだ。

 なぜお椀のことを「マリ」と呼んだかといえば、それは丸かったからであろう。それと同じ流れで、「鞠」が中国から伝来して来ると、これを「まり」と読んだ。鞠は布で作った丸いボールなので、日本語でなら「まり」と呼ばれることになるのである。

 なぜ赤ちゃんに「マリ」と命名するかといえば、それは名付け親が「この子は性格が円満に育って欲しい」と願うからであろう。父親が名付け親なら、その父親は自分の娘をきちんと愛したことだろう。マリという名前を持つ女性の性格がいいのは、名前のこともあるが、父親が良かったということも大きいのだ。

 母親にしても我が娘が「マリちゃん」なら、その名前を言い易いから育て易いのだ。母親は「マリちゃん」と言う度に母性愛が出てしまうので、当然にその娘はその母性愛を受け取り、すくすくと育って行くことになる。言いにくい名前に比べれば、物凄く得をしているのである。

●性格は明るくてオキャン

 マリちゃんの性格は明るてオキャンである。言語能力が達者なので、早くから喋るし、喋り出したらいつまでもベラベラと喋っている。それでいて下らない内容を話すのではなく、それなりに意味のある内容のことを話すのである。無駄なお喋りをしているのとは違うのである。

 マリちゃんは性格が明るいものだから、男女を問わず誰からも好かれる。マリちゃんが女の子同士だけで閉鎖的な空間を作ることはないし、必ず男の子たちの関係も築くものである。逆に言えば、女性だけの閉鎖的空間を築いてしまうと巧く行かないだろう。

 マリちゃんは喋りで結構得をしている。男性たちはマリちゃんからドギツイことを言われても、

「マリちゃんに言われるのなら、仕方ないだろ~」

と思ってしまい、それで笑って済ましてしまうのである。他の女性に同じことを言われたら、

「お前、ふざけんじゃないよ!」

と怒るのにも拘わらずである。

 マリの語源が「お椀」にあるので、飲食店関係で働けば成功し易い。ウェイトレスにしたらテキパキと働くだろうし、経営者になればお洒落なお店にして繁盛することであろう。気をつけるべきは自分がベラベラと喋ってしまい、本業が疎かになってしまうことであろう。

 スポーツでも球技なら、マリちゃんは活躍し易い。なんせ「鞠」が現代では「ボール」になっているだけだから、自分と深い縁があるのである。オキャンな性格ゆえに、幾ら試合に負けても、凹たれない強い精神力を持っているので、いずれチームを勝利に導くことができるのである。

●マリちゃんはヤンママが良く似合う

 マリちゃんはヤンママが良く似合う。マリちゃんの美醜に関係なく、お喋りが巧いのだから、男性たちとの関係もきちんと作れ、早くから彼氏が出来るし、そうやって早くに彼氏ができれば、当然に結婚する時期も早くなるのだ。出来ちゃた結婚をするのもマリちゃんの特徴である。

 マリちゃんは精神レベルが高いわけではない。自分が頭の中で思いついたことをポンポン言うわけだから、育児をするのには都合がいいのである。子供たちも母親が余りにも喋りまくるものだから、それを言い返す日々を繰り返すので、それで喋りが巧くなるのである。

 マリちゃんは本来「母性愛」の強い女性なので、子供が1人や2人などと言わず、子供を沢山作ってしまった方が良いのである。子供が多いと母性愛を注ぐ対象が拡大するので、それで自分の精神が落ち着いて行くのである。子沢山の母親にマリという名前の女性がいるのはこのためなのである。

 マリちゃんは結婚適齢期になると実に良く持てるようになる。男性に対して親身になって話を聞くので、男性の方がこの女性となら結婚しても良いと思ってしまうのである。事実、そう思って結婚してみると、夫婦の会話が絶えることなく、夫婦円満で居続けることができるのである。

 マリちゃんにしてみれば母性愛が強いので、収入の多い男性とでないと、結婚を維持することができないのだ。この結婚を維持するためには充分なお金がないとダメなので、それで収入の多い男性なら結婚は巧く行くが、そうでないと途端に問題を発生させてしまうのである。

●マリちゃんの欠点

 マリちゃんには欠点が存在する。その欠点は結婚してから噴出してくるといっても過言ではない。まずは「不倫」をする可能性が高いということなのである。マリちゃんは母性愛が強いので、子供を多く作っておかないと、平気で不倫するのである。しかもその不倫が発覚しても、自分が悪いことをしたとは思っていないから、余計に厄介なのである。

 不倫をする以上、当然に「離婚」することになる。離婚したとしてもまだ若ければ男性たちから持てるので、それで「再婚」ということになる。マリという名前を持つ女性で「バツ1」だとか、「バツ2」が多いのは、このためなのである。マリちゃんが自分の結婚を幸せにするためには、とにかく早目に子供を産むことなのである。

 マリちゃんは結婚適齢期を過ぎると魅力を失い始める。オバサンに成り易いのもマリちゃんの特徴なのである。昔は喋りが得意で周囲の人たちを笑わせていても、中年になってしまえば同じような喋りをしているのに「小言ババア」になってしまうのである。

 マリちゃんが結婚に失敗してしまうと、水商売の方に流れて行くのも良くある話なのだ。ホステスクラブのホステスとか、スナックのママなどに、マリという名の女性が多いのは、マリの語源が「お椀」にあるからなのである。結婚して勝ち逃げをするということが解っていないと、死ぬまでその世界から抜け出せなくなってしまうものなのである。

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年齢不詳の女性作家たち

●女性作家は2種類に分かれる

 読書をする場合、行き成り前書きから読むようなことをすべきではない。まずは著者の経歴を見るべきなのである。その本が読むに値するかは、著者の経歴を見れば解るものなのである。本の中で著者の経歴が書かれていない本は論外だと言っていい。そういう手抜きの本は読みにくいし、読んだとしても内容のない物だからだ。

 著者の経歴で一番関心のある物は「最終学歴」であろう。大卒か高卒かで本のレベルは殆ど決定するものだし、大卒でもどこの大学を出たかで大体のレベルが解るのである。次に「なんの仕事をしているのか?」であろう。学者なのかビジネスマンなのか、宗教家なのか政治家なのか、そういう情報があると理解し易くなるのだ。

 想像以上に大事なのが、「生年」なのである。人間は生まれた年でかなりの制約を受けてしまうものなのである。戦前と戦後では教育システムが違うから、戦前生まれの人たちの方が断然にいい本を書いて来る。学園紛争をやりまくった団塊の世代は大学時代に勉強していないのだから、いい本を書くことは絶対にない。

 生年で問題となるのが、女性作家たちなのである。なぜだか女性作家たちは、「年齢を公開する女性作家たち」と、「年齢不詳になる女性作家たち」の2種類に分かれるのである。男性作家なら絶対にしないことを、女性作家たちは平気でしてくるのである。

 俺は年齢不詳の女性作家が書いた本はまず読まない。自分の経験則から、その手の女性作家が書いた本にいい本はないということが解っているからだ。たとえ無理矢理に年齢不詳の女性作家が書いた本を読んでも、やはり読後の感想は非常に悪いものなのである。

●年齢を隠すと全てに於いて嘘をつくようになる

 なんで年齢不詳になることがそんなに悪い事なのかと言えば、年齢を隠すということは、全てに於いて嘘をついてくるようになるからだ。政治家が自分の最終学歴を偽ったのなら、それこそ辞職になるほどの大問題になってしまうものだ。それと同じように女性作家が年齢を偽るというのは、作家業を廃業になるほどの大問題であると看做していいのである。

 最終学歴を偽る政治家がなぜ悪いのかといえば、嘘をついたからなのである。自分の最終学歴で嘘をついているということは、政治に関しても嘘をつくことが濃厚だからである。女性作家だって、自分の年齢という大事な情報を出せないというのなら、その本の中の至る所で嘘をつくことが濃厚になってしまうものなのである。

 10代や20代の女性なら、自分の年齢を隠すということはしない筈だ。年齢を隠し出すのは、30歳を過ぎてからなのである。女性の30代というのは、厄年が2回も連発する年代であり、前厄と後厄を合わせれば、合計6年間は厄がらみなのである。それだけ女性の30代は変化に富んだ時期なのである。

 それなのに年齢不詳となる女性作家は、自分の人生のどこかで時間を止めてしまっているのである。だから自分の年齢を公表できないのである。その女性作家は本の中でどのようなことを主張しようとも、自分の年齢に合った成長をしていないということなのである。

 作家に執筆能力があれば本を書けてしまうことだろう。しかし作家には作家特有の職業倫理があるのであって、それは「知的正直」というものなのである。本を書くに当たって嘘を書かない。正直に自分が正しいと思ったことだけを書く。この職業倫理がなければ、幾ら美辞麗句で誤魔化したとしても、その本は無価値なのである。

●自分の年齢を出すことの緊張感

 女性が30歳を過ぎれば、自分の体の老化に気付き始めるものだ。大体、お肌の曲がり角というのは、26歳なのである。26歳というのは第二次女性ホルモン急増期に当たっており、女性の体が結婚できるように大きく変化していくのである。

 女性の26歳から33歳の間は、誰がどう否定しようが、未だに「結婚適齢期」の時期なのである。女性であるならこの時期までに結婚しておくべきなのである。この時期に結婚しておけば、妊娠も出産も育児も楽なのである。しかしこの時期を過ぎてしまうと、不妊症のリスクを高めてしまうし、たとえ赤ちゃんが生まれて自分自身の体力が低下しているので、育児が大変なものになってしまうのである。

 女性が30歳を過ぎてから自分の年齢を公開するというのは、男性が想像するよりも遥かに緊張感がかかるものなのである。もしも女性が30歳を過ぎたのに結婚していなければ、自分が女性としてやるべきことをやっていないのだから、それで自分の年齢を隠し始めるのである。

 たとえ結婚していても、夫婦関係が巧く行かなかったり、子宝に恵まれなかったり、育児が巧く行っていないということであるなら、やはり既婚女性としてやるべきことをきちんとやっていないのだから、それで自分の年齢を隠し始めるのである。

 これが40代、50代となってくれば、更に緊張感が増して来るものなのである。年齢的に「子供の学校をどうするべきか?」「子供の大学進学をどうするべきか?」、そういうことを話し合わねばならない時期に来ている。それなのにその時期に子供がいなかったり、子供がいたとしても不肖の息子や娘なら、まともにその話をすることができなくなってしまうのだ。

●女性と年齢

 女性であるなら、自分の年齢を公表することが絶対に得なのである。自分の年齢を常に出していれば、それだけ自分自身にいい刺激を与えてくれるので、今、自分がすべきことが解り、その仕事に着手すると簡単に処理して行くことができるのである。

 自分の年齢を隠してしまうからこそ、自分の精神が弛緩してしまい、自分のすべき仕事が解らなくなり、遊び呆けてしまうのである。しかも自分がなんらかの仕事に着手しても、自分のすべきことが解っていないので、多大な労苦を投じてしまい、それでその仕事は失敗してしまうし、たとえ成功してもどこか物凄い悲劇を発生させてしまうのである。

 女性は年齢に応じて女性としてやるべきことを全部やっておくべきなのである。女性が親から自立するためには結婚することが絶対に必要なのだから、早くに結婚してしまうべきなのである。そして妊娠出産育児をこなして、自分の体力が充分ある内に、子育てが終了できるようにすべきなのである。

 そして自分の年齢よりも若く美しくいることに努力を惜しまないことだ。女性の体は26歳以降老化がはっきりと目に見えてくるのだから、その老化を遅らせる努力をすることは非常に大事なことなのである。女性が自分の美に対してなんの努力もしなければ、周囲の人たちから「オバサン」と罵られるのは当たり前のことなのである。

 女性は男性よりも言語能力が達者だから、口から幾らでも出任せを言えるものなのである。だから年齢不詳の女性作家が書いた本を読んでいれば、その出鱈目に惑わされて、自分の人生を台無しにしてしまうものなのである。女性作家が書いた本を読む時は、自分の年齢を公表している女性作家の本だけを読むようにするという線引きを引いておくと、読書による生産性が大いに上がることになるものなのである。

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紳士は太腿がお好き

●脹脛の太い女性は妊娠能力が高い

 女性の腰のくびれは19歳で最も美しくなる。19歳が女性の成長のピークなので、この年齢の時は自分の人生の中で最も美しい腰のくびれを見せるのである。この腰のくびれに男性は無意識で反応してしまい、女性に惚れ、女性と付き合い、女性と結婚しようとしてしまうのである。

 若い女性は男性からモテることに焦るものだが、19歳なのに彼氏がいない女性というのは所謂「寸胴」で腰のくびれがないのであろう。多くの若い女性たちがダイエットをやるものだが、それは脇腹の贅肉を取って、腰のくびれを綺麗に見えさせるためにするものなのである。

 しかし女性は19歳を過ぎると、腰のくびれが徐々になくなっていく。これは体の自然な変化だから致し方ないのだ。ではどうやって自分の魅力をアピールしていくのかというと、それは乳房を大きくしていくか、お尻を大きくしていくかなのである。

 自分の乳房を大きくするためには豊胸手術を受けるしかない。だがお尻を大きくするためには別に手術など必要はない。足腰を鍛えれば自然と大きくなっていくものだ。勿論、お尻を大きくしてしまうと見た目が悪くなる。それでもお尻の大きい女性は男性たちを惹きつけるものなのである。

 なぜなら「お尻の大きさこそ妊娠力や出産力を左右するから」なのである。しかも脹脛の太さは更に妊娠能力を高めるのである。それゆえお尻が大きく、脹脛の太い女性は、必ず結婚できるし、結婚すれば子供を沢山産んで行くことができるのである。

●お尻が大きく見えるような格好をすべし

 女性の服装というのは年齢に応じて変わっていくものである。女性が10代であるなら、腰を見せびらかす服装をしたとしても別に構わない。脇腹に贅肉なんてないわけだから、腰はそのままでも綺麗に見えるものなのである。しかし女性が20歳をすぎればもうそんな格好は出来ないのだ。

 女性が20歳をすぎれば胸元を強調するような服装を着るか、お尻が大きく見えるような服装を着るべきなのである。胸元を強調すると男性の視線は必ずそこに向かうので、それでもうなんらかの切っ掛けを掴めるのである。しかし巨乳な女性ほど胸を隠したがるという傾向があるものだ。

 その点、お尻の大きな女性はお尻を隠すことなんてできないので、逆に正々堂々とお尻を大きくしていくことができる。お尻を大きく見せるためには、普段ではパンツスーツを穿いて、動き易いような格好にしておくべきなのである。こすうれば仕事の際にも充分に動けるので、足腰に筋肉がつくのだ。

 その代わり、デートではスカートを穿くべきなのである。普段はパンツスーツのためにお尻が引き締まっていたと思っていたのに、いざデートに来られるとスカートを穿いてお尻が大きく見えるので、これで男性はその女性に惹かれてしまうことになるのだ。

 但し、女性が気をつけるべきは「Gパンはダメ!」だということなのである。Gパンを普段から穿いていると、Gパンの形も色も単調であるために、下半身のお洒落がまるでできていなくなってしまうのである。10代の時にGパンを穿いても問題はないが、20歳をすぎればGパンは卒業した方がいいのである。

●美脚は美しくても代償は高くつく

 女性なら太い足よりも美脚の方を美しいものだと思ってしまう。しかし美脚は美しくあっても、その代償は高くつくのだ。人間は本来、足腰にしっかりとした筋肉がついている動物なのである。それなのに脚だけを異様に細くしてしまえば、途端にその悪影響が体のあちこちから出て来るのは当たり前のことなのである。

 美脚というのは「冷え症」になる。脹脛は「第二の心臓」と言われているくらいに重要な部位なのであって、脹脛に筋肉がついていないということは、血液を温めることができず、結果的に体を冷やしてしまうことになるのだ。美脚の女性ほど冷え症に悩まされているものだが、それは当たり前のことなのである。

 美脚の女性は冷え症である以上、風邪をひき易い。低体温だから免疫力が下がっているのである。普通、風邪をひけば、1日寝れば治るものだが、美脚の女性に限って何日間も風邪をひき続けるのだ。厄介なのは、この手の女性から風邪をうつされると、健康な人でも風邪が長引いてしまうのである。彼女の体内で新手のインフルエンザが培養されてしまったのである。

 トドメが不感症や不妊症や不育症といった、女性の性に関する病を引き起こしてしまうということだ。脚が細いために、どうしても子宮が発達してこないのである。健康な子宮を作るためには、足腰にしっかりとした筋肉が必要なのである。

 女性が服装を選ぶ時は、美脚のファッションモデルが着ているような服を買わないことだ。そういう服は美脚の女性だからこそ美しく見えるように出来上がっているものなのである。要は胸かお尻を強調すればいいのであって、そういう服を自分で苦労しながら探し出すべきなのである。

●婚活するより足腰を鍛えよ

 女性が30歳を過ぎても結婚できない場合、「だらしないお尻」を持っていると思っておいた方がいい。30歳にもなれば、お尻はかなり大きくなっていることだろう。しかしそのお尻がだらしない姿をしているからこそ、男性たちは見向きもしないのである。婚活をするより、足腰を鍛えて。お尻を美しくした方がいいのだ。

①足腰を鍛える

 足腰を鍛えるためには、普段からとにかく歩くようにすることだ。自動車をできる限り使わない。エレベーターやエスカレーターを使わず階段を上るとかして、仕事をしている時でも足腰が鍛えられるようにすべきなのである。1日1時 間は散歩していれば、足腰に筋肉は充分つくものなのである。

 週に1回ぐらいは軽ジョギングをするといい。歩いているだけではそんなに多く筋肉はつかないのだ。軽く走ると、足を高く上げざるを得ないので、それで足腰の筋肉を強化していくことができるのである。時間は30分程度で良い。たったこれだけのジョギングで、足が綺麗になっていくのである。

 その上でスクワットをすべきなのである。スクワットをすると太腿にしっかりと筋肉がついて引き締まるので、それだけで美しく見えるものなのである。しかもスクワットのために血流が良くなるので、体温が上昇して、ポジティブなことしか考えなくなってしまうのである。

②お尻を綺麗な形にする

 お尻を綺麗にするためには、「足上げ」をやればいい。四つん這いになって、片方の足だけを伸ばし、それを上へ上げて行くのである。お尻の筋肉量の少ない人だと、これを10回やるだけでもヘトヘトになってしまうのだ。最初の頃は数が少なくてもいい。しかし徐々に回数を増やして行くべきなのである。

 猫背になっている女性は、お尻が垂れているものなのである。猫背のために背筋が弱くなり、それで背筋がお尻を引き上げられなくなってしまうのだ。足上げをやっておくとお尻に筋肉が付きだすので、それで背筋の負担が軽くなり、猫背も治って行くのである。

 30代の女性であっても、足腰が鍛えられ、美しいお尻の持ち主なら、結婚相手に困るようなことなどなくなるものなのである。女性としてこの世に生まれてきたのに、どの男性たちからもプロポーズされないというのは、自分が女として魅力がまるでないということなのである。

「女性の魅力はお尻によって作られる!」

 女性であるなら、この言葉を絶対に忘れないようにすることだ。

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アメリカ合衆国で史上初、プロテスタントの割合が半数を切った

●最早プロテスタントたちの国家でなくなったアメリカ合衆国

 平成24年(2012)にアメリカ合衆国では史上初めて、プロテスタントの割合が過半数を切ってしまったのである。プロテスタントの割合は「48%」に落ち込み、無宗教の割合が上昇し、なんと「20%」にまで達してしまったのである。最早、アメリカ合衆国はプロテスタントたちの国家ではなくなってしまったのである。

 アメリカ合衆国に於いて新興宗教団体はあっても、既成宗教を覆すほどの新興宗教団体はないので、このプロテスタントの凋落で利益を得たのはローマカトリック教会である。新興宗教団体の中ではモルモン教が最も善戦し、どのプロテスタント系宗教団体も信者数を減少させているのに、モルモン教だけは信者数を伸ばしているのである。

 日本のマスコミは宗教に対して無知といっていいほどに宗教に対する知識を持っていないので、この情報がマスコミで報道されることはなかった。しかしこの情報は非常に重要な情報で、アメリカ合衆国の宗教界で劇的な変化が静かに進行し、決して後戻りできない現象が起こっているのである。

 アメリカ合衆国が辺境の国家だったのに発展に次ぐ発展を重ねて覇権国家にまで伸し上がったのは、なんと言ってもプロテスタントたちが大量にいたからなのである。彼等は信仰と労働にしか興味がなく、他の欲望を全て捨て去って教会を豊かにし、自分たちの生活を豊かにしてきたわけである。

 しかしそのアメリカ合衆国の国民自身がそういう生き方に疲れてしまったということなのである。

 モルモン教が善戦するのは、実はこの教団こそ「最もアメリカらしい教団」なのであって、だから古き良きアメリカに憧れて、人々が入会してくるのである。モルモン教は他のプロテスタント系宗教団体のように信仰復興をやっているのではないのだ。モルモン教自体がアメリカ生まれの宗派だから、非常にアメリカ的な生活をし易いのである。

 ローマカトリック教会が善戦するのは、プロテスタン系教団に入るより、古き良きキリスト教に触れることができるからなのである。個々人が改宗してくるだけでなく、アメリカのイギリス国教会の聖職者や信者たちが教会ごと、ローマカトリック教会に移籍するというとんでもない事態すら起こっているのである。

●プロとアマチュアの違い

 プロテスタンティズムでは教義上、聖職者の存在を認めない。万人祭司主義なのであって、教団の指導者や職員たちは飽くまでも信者たちと同じ身分なのである。これに対してカトリックでは教義上、聖職者の存在を認めて、聖職者たちを信者たちから切り離すのである。

 この違いは教団の運命を変えてしまうほどに大きな変化を齎すことになるのだ。要は「プロかアマチュアか?」ということなのである。聖職者がいるということは、その教団は宗教のプロたちを持つことができ、それによって大いに発展していくことができるのである。しかし聖職者がいなければ、その教団がどんなに頑張った所でいつまで経ってもアマチュアなのであり、教団の質を上げて行くことができなくなってしまうのだ。

 我々は学校で、西ヨーロッパで宗教改革が起こり、プロテスタントたちの信者数が増えて行くき、その後、近代化が発生したと教えられるものだ。しかし宗教改革後、ローマカトリック教会は対抗宗教改革に着手し、教団を再編成することでプロテスタントたちに対抗し、ドイツ南部を死守したし、フランスに於いてはプロテスタントたちを駆逐してしまったのである。

 そうなのである! プロテスタントたちというのは、宗教的に物凄く弱い連中なのである。個人的には抵抗することができても、組織的に抵抗して行くことができなかったのである。その最大の理由は教団に専門の宗教家たちがいなかったからなのである。

 宗教改革以降、プロテスタントとカトリックが延々と争ってきたが、これだけははっきりと言えるのではないだろうか? 「プロテスタントたちはいつまで経っても宗教的にはアマチュアだtった」と。その理由は簡単で専業で宗教活動をやる宗教家がいなかったからなのである。

●独身か既婚か

 ローマカトリック教会は聖職者たちに対して独身を強いているのだが、プロテスタントたちが指摘するように『聖書』に聖職者が独身であることを要求する記述はない。しかしローマカトリック教会はこれが教団にとって利益になるからこそ、今に至るまで独身制を採用し続けているし、独身制に対する批判が幾らあっても決して変えようとはしないのである。

 なぜ独身制が良いのかといえば、「経費が非常に安くて済むから」なのである。聖職者は結婚しないのだから、最低限の給料さえあげてしまえばいいのであって、そうすれば教団は人件費を極力下げることができるのである。どの宗教団体も人件費が最も高い割合を占める以上、独身制というのは非常に魅力的なのである。

 独身制は教団に対して必ず「血の活性化」を引き起こすことになる。聖職者が独身である以上、自分には子供がいないのであって、必然的に余所から人材を持ってこなければならず、それは当然に教団の聖職者たちを活性化させることになるのである。だから聖職者たちの質の低下という問題が起こらないのである。

 しかも聖職者たちは信者たちの子弟たちの中から未来の聖職者の卵を取ってこなければならなくなるので、それは当然に聖職者たちと信者たちの結び付きを強固なものにするのである。信者たちにしても自分の息子や娘を聖職者に出すのは非常に都合のいい口減らしだから、これによって信者たちの生活が豊かになってしまうのである。信者たちが豊かになれば、教団の財政だって強化されるのである。

 聖職者が独身だと、どの階級の人たちとも付き合えるのである。しかしプロテスタント系教団のように牧師が結婚してしまうと階級が固定されてしまい、どこの階級とも付き合えるということはなくなってしまうのである。こうなってくると、教団のやっていることがなかなか信者たちに浸透していかなくなってしまうのである。

●聖典編纂権と聖典解釈権

 宗教団体は教義を所有するために、聖典を編纂し、その聖典を信者たちに繰り返し読むようにさせ、そうやって教団の教義を浸透させて行く。聖典も編纂当時が誰でも聖典を読みさえすれば理解できる物なのであり、そんなに難しい物ではないのだ。

 しかし時間が経過してくると、信者たちの言語自体が変化していくから、信者たちの普通の読解力では聖典を読めなくなる日がやってくるのである。そうなると聖典に解釈を施さなければならなくなるのであって、その仕事は当然に教団が行うのである。

 ところがローマカトリック教会は実におかしなことをやっていて、信者たちに聖書を読まさせなかったのである。だからこそ宗教改革が勃発し、それによってキリスト教たちに聖書が普及し、家庭で読まれるようになったのである。しかし宗教改革には最大の矛盾が存在する。

 それは「どのプロテスタント系宗教団体も聖書それ自体を編纂したわけではない」ということなのである。

 こうなってくると、プロテスタント系宗教団体が聖書に対する解釈を決定しても、信者たちだって自分で自由に聖書に対する解釈をしてもいいことになってしまう。そうなればもしも教団の解釈と自分の解釈が違ってしまえば、たったそれだけの理由で脱会してしまったり、下手をすると分派を引き起こしたりするのである。

 この「自己解釈」というのは非常に厄介なものなのである。自己解釈をする人たちというのは、聖書を読み、自分で勝手に解釈を組み立てるので、頭でキリスト教を理解しているのであって、本当に「回心」していない。日本でも自己解釈を行い、キリスト教に関する本を出したりするキリスト教徒がいるものだが、そういう連中の顔を見てみれば不気味な顔つきをしているものなのである。

 イエスにしてもパウロにしても聖書を読んで回心したのではないのである。自分の身に神秘体験が起こったからこそ回心し、そこで自分が根本から変わり、宣教に乗り出していったのである。仏教でも、最澄と空海が密教を巡って大喧嘩したことがあったが、最澄は密教の経典を読むだけで、密教の修行を何もせず、だからこそ空海が怒って絶交してしまったのである。これと同じで聖書を読むだけでは回心など起こるわけがないのである。

●覇権国家は必ず腐敗する

 プロテスタントたちというのは、飽くまでもローマカトリック教会の寄生虫にすぎないのである。プロテスタンティズムは宗教としては不充分であって、カトリックとの緊張関係があればこそ、今まで存在し続けることのできた宗派なのである。

 モルモン教は『モルモン経』という新しい聖典を作っている。モルモン教ではジョセフ・スミスが金版を手に入れたと主張しているが、冷静に考えればジョセフ・スミスが作った物であろう。それでいいのである。新興宗教団体なら新しい聖典を定めるべきなのである。だからこそ独自の教義を打ち立てることができ、信者数を増やして行くことができるのである。

 アメリカ合衆国でカトリックの信者たちが増加しているのは、「先祖返り」なのである。どう考えてもローマカトリック教会の方がキリスト教としては正統派なのである。この現象は19世紀のイギリスでも起こっている。イギリスはイギリス国教会が国教なので、その中でローマカトリック教会の信者数が増えたというのは、イギリス国教会の矛盾が最早信者たちを引きとめることができない所にまで達してしまったからなのである。

 覇権国家というものは必ず腐敗するものだ。覇権国家ゆえに、自分たちは働かなくても、世界中から富を集めれば大繁栄することができる。しかしそんな偽りの繁栄が続けば、確実に人々は腐敗し、堕落し、自分の罪深い生き方を悔いる日がやってくるものなのである。

 覇権国家が繁栄の真っ只中でカトリックの増加という現象が起こると、それは覇権国家として危険信号なのである。覇権国家は世界各地で戦争をせざるを得ないために、国力を大いに消耗してしまうものなのである。しかし覇権国家の戦争は大抵が勝つから、その国力の消耗に国民自身が気付かないものなのである。だが、そうは言っても、国民自身が何かしらの危険を察知し、改宗という形でその危険回避をし出すのである。

 宗教というものは平安を齎すだけなく、革命を齎すものでもあるのだ。宗教は「大ドンデン返し」を引き起こす力を持っているのである。古代ローマ帝国だって、パレスチナの地にいたイエスを逮捕し、死刑にした時、まさかこの宗教が後に帝国全土に広まり、そして古代ローマ帝国を滅亡に追いやってしまったなどと予測することはできなかった筈だ。

 アメリカ合衆国の宗教界が今後どのようになるかは予測できない。しかしこれだけは言える。「過去の宗教が未来に於いて革命を起こすことは絶対にない」と!

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本格的なお勉強は10歳からでいい

●学習塾が成功した最大の理由

 戦前の尋常小学校は4学年までであった。それが戦後は尋常小学校が廃止され、アメリカ式の6学年制になってしまった。この6学年制は人間の成長に全く合っておらず、このために日本は様々な教育問題を抱えることになってしまった。

 人間というのは、10歳までなら親の言うことを聞くように出来ているものなのである。しかし11歳以降はそうではなく、どうしても親に反抗し、親から離れて行こうとするものなのである。今までは家庭に向けていたエネルギーを今度は、家庭の外にある未知なるものへと向けるようになるのだ。

 だから勉強を本格的にするなら11歳からということになる。10歳までは文字を多少学べばいい程度であって、何も本格的に勉強する必要性はないのだ。しかし11歳以降は、どんなに遊び呆けていた子供でも、机に向かって勉強して貰わなければならないのだ。

 戦後、学習塾が大ヒットしたのには理由がある。それは10歳から重点的に勉強させるようにしたことなのである。優れた学習塾は小学4年生からの入塾をやっているものだ。小学4年生の時は勉強に慣れて貰い、小学5年生から本格的に勉強し、小学6年生で受験対策をすれば、見事、希望する私立中学校へと入学できるのである。

 偏差値の高い学校に入学できるような生徒は、子供の頃から勉強しまくっていたと思いきや、実はそうではないのだ。勉強のできる子ほど、小学4年生までは実に良く遊んでいるのだ。遊ぶべき時に遊んでいたからこそ、いざ自分が勉強に興味を持ち出した時に、思いっきり勉強することができるようになったのである。

●10歳までは何をすればいい

 学習塾はどんなに早くでも小学4年生からにすべきだし、出来ることなら小学5年生になってから入塾するのが最善であるのだ。小学6年生から入塾するのは少し遅すぎるのだ。もしも小学4年生以下に何か塾に入らせるのなら、公文のような算盤塾程度のもので充分なのである。

 10歳までに何をすればいいのかといえば、まずは「体力づくり」なのである。子供にはとにかく動き回らせる。出来ることならなんらかのスポーツをさせる。子供の頃にしか運動関係の神経は発達しないので、子供の頃に体を動かさないのは問題が有り過ぎるのだ。

 勉強関連であるなら、文字を学ぶことである。子供の成績の良し悪しは文字への理解度で決まるといっても過言ではないのだ。母親が文字を1つ1つ教えて行くことも大事だが、宗教の経典を読み、それで文章のリズムを教え込むということも大事なのである。文章の流れが悪い文章は悪文であると決まっているものなのである。

 子供は小学生でも低学年なら、「みんなと同じでいたい!」という病に罹るものだ。この時期は物凄く大事で、そうやってみんなと同じでいるからこそ、子供はその欲求に満足し、自立が始まると独自路線を歩むことになるのだ。大人になってから平等を主張する人たちは、子供の頃に特別扱いされてしまったからこそ、この欲求を満たすことができなかったのである。

 子供は人間関係に対して経験値が少ないものだから、友達と一緒に遊んでいれば、必ずトラブルを引き起こすものだ。その際に必要になってくるのは「道徳」なのである。自分がこの世で生きて行くために何をすればいいのか、何をしてはならないのかを親が教え込んでいかなければならないのだ。

 その上で「空想」なのである。子供は平安な家族の中で生きていると、空想をし始め、その空想の中で楽しんでしまうものだ。実はこの空想が大事で、子供の頃に空想をした人ほど、大人になってから大いに伸びて来るのである。逆に言えば、子供の頃に忙しい日々を送ってしまうと、空想することができなくなり、それで大人になってから伸びて来なくなってしまうのである。

●これは家族の中でしかできない

 本来、教育に関して手間のかからないと思われていた小学4年生以下は、実は学校よりも家族の中で教えることが沢山あるのである。より正確に言うなら、これは家族の中でしかできないことなのである。極論を言ってしまえば、小学4年生までなら、学校なんて要らないのである。

 「教育を他人に頼る親は、我が子を優れた人材に育て上げることはできない」

と言われるものだが、これは小学4年生までの教育が学校ではなく親がやらねばならないことだからなのである。だから夫婦共働きよりも、夫だけが働き、妻は専業主婦になってくれた方が、子供は優秀に育つものなのである。父親にしても子供が小学4年生までの時は、早目に仕事を切り上げ、出来るだけ早くに家に帰った方が良いのである。

 上流階級出身の子弟で、大人になってから大いに活躍する人物たちには、男女を問わず1つの特徴がある。それは「親が教育熱心だった」ということなのである。学校の成績だけではなく、家族の中で様々なことを教え、そのための労力や資金や時間を惜しまなかったということなのである。

 もう1つの特徴は「必ずお稽古事をやっている」ということなのである。礼儀作法に関しては幾ら学校で勉強させても、習得できないものなのである。大体、学校の先生たち自体が礼儀知らずなので、生徒たちに教えることなどできないのだ。

 小学1年生になってから小学4年生が終わるまで、たった4年間しかないものなのである。その4年間の中では親は子供に教えるべきことをきちんと教えていくべきなのである。もしも家の中でテレビが付けっ放しなら、親がすべき教育をきちんと行えるわけがないのだ。

●成績が同じなら、品格のいい人を選ぶもの

 現在、学校でやっている教育では、知力とか体力しか伸ばすことができない。徳育というものをやっていないからだ。教師たち自身、師範学校を出ていないので、徳育をどうやって教えて行けばいいか全く解らないのである。だから親が徳育をきちんと行わなければならないのだ。

 親が我が子に徳育を施せば、品格のある人間が育って来るものなのである。そう、品格の大部分は親が与えるものなのである。自分の品格を自分の力でどうにかすることなんてなかなか出来ないものなのだ。自分が子供の頃に受けた親からの教育が大人になってから出て来てしまうのである。

 嘗て坂東真理子の『女性の品格』という本がベストセラーになったことがあったが、この本を読んでも多くの人たちが理解できなかったのは、品格というのは自分が作るものではないのだ。品格は親が作り、子供の頃にもう出来上がってしまうものなのである。

 品格は必ず物を言う。

 就職試験で成績が同じなら、品格のいい学生を選ぶものだからだ。出世に関しても、大して手柄を立てなくても、品格のいい社員は信用できるから、それで出世していってしまうものなのである。世の中には勉強ができても出世出来ない人や、収入の少ない人は大量にいるものだ。それは品格がないからなのである。

 大人になってから解ることだが、学校で学んだことは実際の社会では役に立たないものだ。それよりも子供の頃に親が何を言ったか、何をやったか、ということの方が役に立つものなのである。確かに知識に関しては学校で学んだ方がいいかもしれない。しかし生きて行く上で大事なことは、決して教師の口から教えられることはないと割り切っていた方がいいのである。

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幼児だからこそ歩かせよう!

●脳は歩くからこそ発達する

 人間は二足歩行をし出してから進化し始めたのだが、それは二足歩行ができるようになって「手」を自由に使えるようになり、その刺激で脳が活性化し、脳の容積量を増やして行ったのである。もう1つは二足歩行することで「足」の筋肉を増強し、脹脛が第二の心臓の役割を果たし、それによって脳により多くの血液量を供給できるようになり、それによって脳が活性化し、脳の容積量を増やして行ったのである。

 乳幼児というのは放置しておいても自然と手を使ってくれる。積み木が乳幼児のオモチャの定番なのは、これが最も単純なくせに、最も脳に効果があるオモチャだからだ。問題は歩くことなのである。子供を放置しておけば、家の中なら歩き回ってくれる。しかし母親と一緒に家の外に出ない限り、子供は外で歩き回ってくれないのである。

 このため母親が出不精で、家の外になかなか連れていってくれないと、当然に子供の歩行量は少なくなり、自宅で遊ぶしかなくなる。だから自宅での遊びが多い子供は大して脳を発達させることができなくなるのだ。自宅では手を頻繁に使うが、足を使っていないのである。

 育児をしている母親たちは、とにかく脳は歩くからこそ発達するということを肝に銘じるべきなのである。自分が外に出るのは面倒臭いと思って外出の回数を少なくしてしまうと、それだけ子供は脳を発達させる機会が少なくなってしまうのである。

 とにかく1日1回は外に出る。この原則は雨が降ろうが、雪が降ろうが変えないことだ。せいぜい台風が来た時だけは自宅に籠っていいが、それ以外でなら絶対に家の外に出るようにすることだ。要注意すべきは豪邸に住んでいるような母親で、家の中で事足りてしまうために、家の外に出なくなってしまうのである。

●それは「4㎞」

 では、どれくらい歩けばいいのかというと、それは「4㎞」である。4㎞とは「1里」のことであり、この距離を歩くと人間は丁度疲れを覚えるのである。だから昔は街道には1里ごとに「茶屋」があって、休憩所の役割を果たしていたのである。

 4㎞は大人の足なら40分程度の時間である。しかし子供を連れて歩けばそんなに速くは歩けないのだ。恐ろしいほどに時間がかかるのである。だがそれでいいのである。そうやって時間をかけて歩くからこそ、子供はこの4㎞という距離を歩けるようになるのだ。

 目安としては、

1歳で1㎞

2歳で2㎞

3歳で3㎞

4歳で4㎞

とするべきである。4歳でどうにか4㎞を自由自在に歩けるようになる。人間の脳は5歳から6歳の間に脳の臨界期を迎えることになるので、5歳6歳ではもっと多くの距離を歩いた方がいいのだ。5歳以降、しっかりと歩けるようにするためには、それ以前に地道に歩いていたことが必要になってくるのだ。

 自宅に地図があるなら、自宅を拠点に半径4㎞を円で囲って欲しい。自宅から4㎞先にある場所に遊びに行けばいいのだ。外出の際、遊び場を1つに固定しないことだ。必ず幾つかの遊び場を用意しておくことだ。そうすると子供は飽きることなく歩いてくれるようになるのだ。

 子供は自分の年齢に応じた距離が不足していると、必ず母親を外に連れ出す仕草をし出すものだ。このサインを無視するようなことがあってはならない。このサインを母親が見れば、

「あッ、私は我が子を余り歩かせていないんだな」

と解るからだ。母親がサインを無視し続けると、子供は家の中で大暴れすることになるので、要注意だ。

●「道草」と「抱っこ」と「駄々」

 大人であるなら4㎞の距離を歩くことは簡単にできるが、子供はそうはいかないのだ。この4㎞を歩くのに有り得ないほど時間をかけて歩くのである。まず「道草」である、歩いている内に何かを見つけると、それに夢中になってしまい、歩かなくなってしまうのだ。

 こういう時、母親はこの道草に付き合うしかないのだ。

 続いて多少でも疲れると「抱っこ」を要求してくるのである。子供はまだ二足歩行に慣れていないのだ。このため歩くとすぐに疲れてしまい、母親に抱っこを要求してくるのである。万が一、母親が抱っこしないと大泣きして散歩どころではなくなってしまうのだ。

 こういう時、母親は抱っこするしかないのだ。

 トドメは歩いている内に不機嫌になり、「駄々を捏ねる」というとんでもない悪態をついてくるのだ。食事の栄養バランスが悪いと、この現象は確実に起こる。果物や野菜が足りていないと歩いている内にエネルギーを使いきってしまい、脳への栄養が不足してしまうのである。それで不機嫌になってしまうのである。

 こういう時、母親はこの駄々を捏ねるに付き合わなければならないのだ。

 母親が子供と一緒に歩く時の「NGワード」は、

「早く歩きなさい!」

「もう自分で歩きなさい!」

「置いて行くわよ!」

の三つである。この「NGワード」を使う母親は結構多い。だから子供が泣き出したり、結果的の歩行距離が短くなってしまうのである。育児をする時は母親モードでいるべきであって、時間の流れはゆっくりになるようにすべきなのである。

 子供の歩行スピードを上げるためには、家族でハイキングに行くことだ。ハイキングだとどうしても長距離を歩かざるを得ない。こうなると子供は自然と歩行スピードを上げて来るものなのである。日常に非日常という刺激を加えることを絶対に忘れてはならないのだ。

●勉強するようになってからの伸びがまるで違う

 子供の頃にしっかりと歩いていると、勉強するようになってからの伸びがまるで違うのである。脳それ自体の出来が非常に良いので、大した勉強をしなくてもすぐに物事を覚えてしまうのだ。勉強するということは言わばソフトの増強なのである。それに対して歩くということはハードの増強なのである。どっちを優先すべきかといえば、ハードに決まっているのだ。

 このことは江戸時代に既に解っていて、「学問に精進して物になるのは田舎者だけだ」と言われたものだ。田舎者は子供の頃から歩きまくっているので、江戸に出て来て勉強すれば、江戸っ子よりも遥かに出来のいい成績を上げて来たのである。

 現代でも、大金持ちの息子や娘には時折バカな子が育って来るものだ。自宅が豪邸ゆえに、子供の頃に出歩かず、そのために脳の機能が落ちてしまったのである。自宅が狭ければ、毎日外に出歩かなければならないので、だから貧乏人の方が頭の出来は良くなってしまうのである。

 母親としては「我が子の頭は良くなって欲しい」と思うから、乳幼児の段階でなんらかの教育を受けさせようとしてしまうものだ。しかしその考えは間違っているのである。それは今やるべきことではないのだ。大きな脳を持てるように体を鍛えていないと、教育は生きて来ないのである。

 母親として出来ることは、毎日、子供と一緒に外に出かけることなのである。歩くことこそが脳を発達させるのである。そして定期的に家族でハイキングに出掛け、子供を自然の中に入れることで、脳に対して大いに刺激させることなのである、こういうことを地道にやっていると、子供が中学生になってから、グングンと成績が伸びるようになるのだ。

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東日本大震災で報道されなかったこと

●被災地で一番歓迎されたのは、実は「お坊さん」

 東日本大震災で様々なことがマスコミで報道されたが、被災地に関することで全く報道されなかったがことが1つだけあるのだ。それは被災地でお坊さんが行くと大歓迎を受け、被災者たちは熱心に説法を聞いていたということなのである。

 そう、被災地に色々な人たちが出向いたが、一番歓迎されたのは「お坊さん」だった。大震災が起これば、真っ先のボランティアの人たちが現地に行ったし、続いて政治家たちが行ったし、その後、芸能人たちが被災地を訪問したりした。

 しかし被災地に禿頭のお坊さんが来ると、被災者たちは続々と集まって来て、説法を聞くのである。お坊さんが老人なら話す内容は奥深いことだろう。だが20代や30代の僧侶では人生の経験値が足りないなら、大した話をすることができない。ところがそれでも被災者たちはその説法を真面目になって聞いていたのである。

 被災地では僧侶たちに大量の仕事が山積みしていた。なんせ死者は1万数千人に達しているのである。その死者たち全員の葬式をしなければならないのであって、僧侶たちが幾らあっても足りなかったのである。マスコミでは火葬場が不足しているということだけが報道されたが、僧侶たちの活躍は意図的に排除されてしまったのである。

 僧侶による読経こそ、人々を落ち着かせるのであって、絶対に讃美歌ではないのだ。キリスト教国に生まれ育ったのなら讃美歌でもいいだろう。しかし神仏習合の国で讃美歌はないのだ。絶対と言っていいくらいに僧侶による読経であるのだ。

●被災者たちは「心の救い」を求めていた

 なんで被災地ではそんなに僧侶への需要が高まっていたのかというと、被災者たちは「心の救い」を求めていたからなのである。被災者たちは大震災で死なずに助かった人たちのことである。或る意味、ラッキーだったのだが、そういう幸運を感じることなく、心の中は苦しみだらけだったのである。

 被災地では「生き残った者たちの苦しみ」というものが必ず発生する。自分は生き残った筈なのに、それを感謝することなく、「肉親が死んだ」「家が破壊された」「お金がない」「仕事がない」などと、大震災で起こったマイナスの部分だけを数え上げてしまうのである。

 その苦しみは放置しておくと消え去るものではなく、時間の経過と共に大きくなっていくものなのである。だから避難所で昼間だというのに全く動かず、じーっと座っている人たちが大量発生したし、憂鬱になって精神をおかしくしたり、挙句の果てには自殺したりする人たちが出て来てしまったのである。

 避難所に食料が届けられることは、それはそれで有難い。しかし人間は3日間なら何も飲み食いせずとも生きて行けるものなのである。避難所に医者たちがくれば、それはそれで有難い。だが病気というものは重傷でない限り、寝ていれば治るものなのである。

 最後に残った問題は、自分の心がどう仕様もなく混乱しているということなのである。日本人ならこういう時、仏教で言う「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」を聞かされれば心が落ち着くのである。決してキリスト教のように「神を信じれば救われる」ということではないのだ。

●新興宗教団体は迅速に行動を起こしていた

 今回の大震災では新興宗教団体も迅速に行動を起こしていた。前に阪神淡路大震災を経験していたので、それで教団それ自体が非常時に行動できるよう組織改革を行っていたのである。非常時では事前に非常時に対応できる組織が出来ていないと、絶対に動けないものなのである。

 信者数が百万人を超える新興宗教団体はどの教団も評価に値する行動を起こしていた。創価学会、立正佼成会、霊友会など、教団を挙げて大掛かりに動いていたのである。だからこれらの教団の信者であるなら、被災地に送り届けられた公的支援物資とは別に、教団が送り届けて来た宗教的支援物資を受け取ることができたのである。

 新興宗教団体の信者たちは普段から他の一般の人たちとは違う経済的負担を負っているのだが、非常時になれば教団から他の一般の人たちよりも優遇され、早くに立ち直ることができたのである。これは非常に有難いことなのである。

 どの新興宗教団体の宗教指導者も異口同音に「信者組織があると復旧復興は異様に速い」ということを指摘していた。被災地で被災者たちばバラバラに動いていたら、復旧復興作業は遅延に遅延を重ねるものなのである。しかし信者組織があれば日頃機能しているので、非常時でも機能するのである。

 マスコミでは盛んにボランティア組織のことを報道していたが、ボランティアが現地に行っても、地方自治体が統制を取らない限り、ボランティア組織がバラバラに動いてしまい、その方が復旧復興作業の妨げになるものなのである。これは阪神淡路大震災でも起こったのが、今回の東日本大震災でもやはり起こってしまったのである。マスコミのミスリードが復旧復興を大いに遅らせてしまったのである。

●神社が再建されれば復旧復興は一応終了

 東日本大震災では被災地が広範囲に及んでしまったために、その復旧復興は本当にできるのかと危惧されたが、俺は「神社が再建されれば、一応復旧復興は終わりだよ」と速い段階から思い。そう発言していた。なぜなら神社の再建は絶対に後回しにされてしまうからだ。

 神社の再建はそれ自体、緊急性を要しない。そんなことをやるより、他の作業が大量にあるのである。しかしいずれ人々は心の落ち着きを取り戻せば、「神社を再建しよう!」と言い出して来るものなのである。現地には資金など何もない。それでいいのである。大事なことはそういうことを言い出すことなのである。

 実際に神社の再建が始まると、必ず全国各地の神社から支援金が届けられ、それは1つ1つは少額であっても、合計してしまうと大金になるものなのである。大体、神社が再建され出したのは大震災が発生してから2年後のことであった。まあ、2年も経てば一応復旧復興は終了なのである。

 神社本庁は神道系宗教団体に於いて日本最大の組織なのに、やることなすこと非常にゆっくりなのである。巨大だから動きが遅いのである。しかし一旦動き出したら、幾ら時間をかかってもやり遂げる組織でもあるのだ。これがあるからこそ神社の再建がなされるのである。

 日本の集落は必ず神社を中心に形成されている。だから神社がないとどうにもならないのである。そのため神社のない地域ほど復旧復興が遅れてしまったのである。下手をするとその土地を放棄するという決断をしてしまい、人々が去って行ってしまったりしたのである。

●世の中は猥雑なもの

 大震災を経験したからといって、みんな善人になるわけがないのだ。大震災だからこそ、それをチャンスにして「ひと儲け」を企む連中は幾らでも出て来るのである。その欲望を真面目な人たちが見れば嫌悪するものであるが、しかし様々な欲望が渦巻きながら被災地は復旧復興していくのである。

 避難所で被災者たちがまだいるというのは、被災地ではキャバクラが大繁盛していたのである。高速道路の無料化でトラックの運転手がそれを悪用したりしたし、ヤクザたちは公共事業に食い込み、それでボロ儲けをしていたのである。

 マスコミではそういうことを批判的に報道したものだ。だからジャーナリストたちの正義感というのは非常に危険なのである。被災地でお金が循環して行かない限り、経済はどうにも回復してこないのである。善人悪人を問わず、お金を使ってくれることはいいことなのである。

 世の中は猥雑なものなのである。それゆえ世俗の中にどっぷりと浸かってはならないのである。定期的に宗教の力を使って世俗から離れるべきなのである。宗教の力によって自分の心を落ち着かせる。そういうことをし続けなければならないのである。

 マスコミでは無宗教の人たちが多いものだから、意図的に宗教団体の活躍は報道されない。被災地ではお坊さんたちが一番歓迎されたのに、ボランティアの人たちの活躍ばかり報道し、神社の再建が修復の再建の鍵となるのに、崇敬者会によるお祭りの復活を報道してくるのである。

 こういう偏向報道では大震災に関して間違った考えを人々に抱かせてしまうものだ。日本は地震国なのだから、いずれまた大震災は起こるものなのである。そうなった時、必ず宗教団体が大活躍するものなのである。被災地に於いては宗教団体の活躍が重要であると解っていれば、被害を最小限に食い止めることができ、復旧復興も速くなるものなのである。

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エレン・ケイの『恋愛と結婚』 ~結婚否定の恋愛論~ その2

●なぜキリスト教は全世界に広まったか?

 エレン・ケイはルター派が国教であるキリスト教国に生まれ育ったために、キリスト教のことを批判しまくっているのだが、彼女の意見を鵜呑みにすることはできない。キリスト教はヨーロッパ大陸に於いて千数百年以上に亘って独占状態にあったのであり。しかも大航海時代以降、キリスト教は全世界に広まって行ったのである。

 キリスト教の成功は様々な要因があるだろうが、最も女性たちを惹きつけたのは、実は女性たちに「従順」を説いたことなのである。女性たちに従順を強いたからこそ、キリスト教は他の宗教よりも優位に立つことができたのである。嘘かと思うが、これは本当のことなのである。

 神仏習合に慣れた日本人が聖書を読むと、パウロの主張にはビックリさせられるものだ。

「ここまで女性をいたぶるのか!?」と思ってしまうのだ。

 キリスト教の救世主とされるイエスはマグダラのマリアを引き連れて宣教するような男性であったが、ユダヤ教のラビであったパウロは女性嫌いなのであって、女性たちに対して徹底的に差別的な発言を言いまくっているのである。しかもそれが事もあろうことか、新約聖書に採用され、聖典として君臨することになったのである。

 古代宗教というのはどの宗教も大抵は「巫女」がいるのだから、女性たちに従順を説くなどということはできない。古代宗教に於いては男性の宗教家たちよりも女性の宗教家たちの方が形式的には上位にあるのだ。だから一般の男性たちはもしも女性に巫女的な要素があるなら、その能力を持った女性を尊重せざるを得なかったのである。

 ところがキリスト教に先行するユダヤ教では、ユダヤ民族の悲惨な歴史の中から、巫女というものが当初から欠落してしまった。男性の宗教家たちによる宗教へと変形してしまったのである。キリスト教はそれを受けて出て来たのだから、キリスト教の宣教師たちが女性たちに従順を説くのは至極当然なのである。

●国教は宗教を消滅させる

 この従順はキリスト教でもローマカトリック教会やロシア正教では未だに説かれ続けているものだ。このためカトリックやロシア人たちは結婚して家庭を形成すれば、それこそ平安な結婚生活を実現できる。しかしプロテスタントとなると状況が違ってきて、現在では結婚式の際に新婦に従順を誓わせることを削除してしまっているのである。

 なんでこんなことになってしまったのかといえば、女性たちに従順を説いていいのは、世俗の男性たちではなく、飽くまでも男性の宗教家たちであるということなのである。しかしプロテスタンティズムでは宗教家の存在を認めないので、こうなると女性たちに従順を強いることが消滅していってしまうのである。

 だからこそプロテスタンティズムの盛んな国に於いてフェミニズムが登場してくるのである。プロテスタントの女性たちは今まで従順であればこそ、幸せな結婚生活を送っていたのに、それがプロテスタンティズムの論理によって従順を持てなくなったからこそ、結婚よりも恋愛を尊び、たとえ結婚しても確実に不幸になってしまうということになってしまったのである。

 しかもスウェーデン王国はルター派が国教だったために、国教によって全国民にルター派の教義が浸透したと同時に、その反面、時間の経過と共にルター派の教義を全面的に否定する人たちが現れて、宗教そのものが消滅してしまうのである。

 日本では何かの宗教が国教になったことがなかったために、この国教というのがイマイチきちんと理解できないのだ。日本は神仏習合を採用し、神道と仏教による連合で宗教心を形成してきたために、まさか国教が宗教それ自体を破壊してしまうということが解っていないのである。

●神仏習合プラス儒教

 日本はキリスト教国でないにも拘わらず近代化に成功し、未だに先進国の一角を占めている。内村鑑三が「日本の最大の失敗はキリスト教抜きで近代化したことである」とほざいても、日本のキリスト教徒は1%程度だし、日本人の殆どがキリスト教よりも神仏習合を採用しているのは明白なのである。

 神道では崇敬者たちに「神への崇敬」を絶対条件とする。神を崇敬してさえいれば人間は謙虚になれるものなのであって、謙虚になるからこそ神の聖慮に適う生き方を見つけることができるのである。仏教では信者たちに「仏法への帰依」を説くのであって、三法印を旗印に菩薩行に挺身するのであり、だから行動的禁欲が身につくというわけなのである。

 神道では巫女がいるし、仏教では女人成仏を認めるので、これでは女性たちに従順を説くことはできない。そこで採用されたのが儒教であり、儒教では「修己治人」を教義とするがゆえに、『女大学』では「三従の教え」を説き、幼い時は父親に従い、結婚すれば夫に従い、老いては子に従うとしたのである。

 この『女大学』ほど誤解された書物はない。

 まず『女大学』は江戸時代の中期の享和2年(1716)に刊行されたものであり。江戸時代を通じて読まれたものではないということなのである。もう1つは『女大学』は江戸幕府が武断政治から文治政治へと転換し、平和の繁栄の中で武家の女性たちが堕落してきたからこそ出された本だということなのである。

 儒教というものは女性たちに教育しないのである。本当に男尊女卑なのであって、教育を受けるのは男性たちだけなのである。ところが神仏習合の日本ではそれが解らず、女性たちにも教育するようになってしまったのである。これが後に日本が中国や韓国とはまるで違う道を歩くことになる決定的要因だったのである。

 『女大学』はフェミニストたちが徹底的な批判を受けているが、現在に於いて冷静になってこの本を読んでみれば、まさに「どうすれば女性は幸せな結婚生活を実現できるか?」、そのノウハウが書かれているのである。結局、宗教が違ったとしても、女性は従順になるからこそ、実は家庭内の権力を掌握することができ、それによって家族は安定し、幸福を生み出して行くことが可能になるのである。

●父系家族と結婚倫理

 民族が文明化するというのは、その民族が母系家族制度を捨てて、父系家族制度を採用するということなのである。母系家族は母親を中心に大所帯を築いてしまうので、分家とか教育を重視してこないのである。このため母系家族ではなかなか文化が発達してこないのである。

 しかし父系家族は父親が家長になるがゆえに、息子たちの内、一人だけが家督相続をするのであり、それ以外の息子たちは分家にして外に出さなければならず、当然に教育を重視させざるを得ないのである。父系家族は明らかに拡大再生産を内臓しているのであって。だからこそ女性たちだって父系家族の中に入れば、自分の居場所を見つけ出すことができ、自分の能力を大いに発揮することができるのである。

 それと母系家族と父系家族とでは、結婚倫理の有無に於いて全く異なるのである。母系家族では母親が子供たちを生み育てるだけなので、大した結婚倫理は持たない。しかし父系家族だと、夫には妻子を守る聖なる義務が課せられ、妻には夫に従順にり、子供たちを生み育てていく聖なる義務が課せられるのである。この結婚倫理があればこそ、夫婦は自然と自分のやるべきことをやるようになるのだ。

 ところが結婚倫理というのは誰もが持てるものではないのだ。宗教家の誰かが「この結婚倫理は大事だぞ」と認識し、その後、長期間に亘って宗教家たちによって説き続けなければ、絶対にその夫婦に定着してこないのである。結婚倫理を当たり前と思っていると、夫婦というものは些細な経済的苦境で平気でその結婚倫理を放棄してしまうものだし、夫婦喧嘩程度の揉め事でも結婚倫理を放棄してしまうという現象が続出してしまうのである。

 プロテスタントの人たちにしてみれば、プロテスタンティズムによって結婚の価値が再確認されたと理解する。ルターが修道士をやめて、女性と結婚したというのは、そのこと自体、非常にインパクトを持っていたのであり、プロテスタンティズム的な理想的な結婚が普及していったのである。しかしプロテスタンティズムには結婚倫理を破壊する論理が隠されていたのであって、だからこそプロテスタンティズムには最初から結婚に対して時限爆弾がセットされていたのである。

●恋愛は浅し、結婚は深し

 エレン・ケイは結婚をしなかったから、結婚のことがイマイチ良く解っていないのである。恋愛結婚では全ての恋愛が結婚へと昇華させることができるのではなく、それこそ「運命の出会い」がない限り、幸せな結婚をすることができないのである。自分がどんなに激しい恋愛をしたとしても、その相手が運命の相手でないと、不幸の結婚になってしまうものなのである。

 しかも恋愛結婚では恋愛の延長線上に結婚があるが、結婚すれば恋愛が「夫婦愛」に変わるものなのである。そしてこの夫婦愛というのは恋愛よりも遥かに大きく強いものなのである。生活を共にし、子供たちを生み育てて行く中で、しっかりとした夫婦愛が育まれ、その夫婦愛は恋愛に比べれば比較にならないほどの素晴らしい強力な愛なのである。

 更に結婚は「法の支配」を受け入れ、結婚法による結婚という枠組みがあるからこそ、結婚に於いて法的な秩序が形成され、夫婦が多少の問題を起こしたとしても、そう簡単に別れないのである。恋愛には法の支配がないのだから、言わば無法状態であり、自分が少しでも気に食わないのなら、簡単に別れることができてしまうのである。

 エレン・ケイは恋愛を称賛するが、恋愛というのはそれほど素晴らしいものではないのだ。恋愛で盛り上がっている時はいいかもしれないが、恋愛には必ず終わりがあるのであって、そうやって恋愛を破局にしてしまえば、その恋愛に投入したエネルギーが全部無駄になってしまったということなのである。

 結婚が恋愛よりも勝るのは、特定の相手に全エネルギーを投入していくことができるからなのである。そういう結婚では必ず夫婦が成長していくから。低レベルの問題で悩むことがなるのである。結婚記念日を祝ったり、初参りや七五三や元服をやったりすることは、「儀式による聖化」を生み出すのであり、そういう聖化があればこそ、自分たちの成長を自分の目で確認することができるのである。

 「恋愛は浅し、結婚は深し」なのだ。このことは結婚しないと解らないし、たとえ結婚したとしてもその結婚を成功させないと解らないのだ。結婚は完璧なものではない。いつの世だって、結婚で泣きを見る人々はいるのである。だからといって結婚制度を破壊していいものではないのだ。人類はどのように発展していっても、結婚制度に変わる新しい制度を持てることなど絶対にないのだ。

 我々にできることは先祖たちから継承した結婚制度を大事に大事に保守していくことだけなのである。

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エレン・ケイの『恋愛と結婚』 ~結婚否定の恋愛論~ その1

●平塚雷鳥のバイブル

 現在、戦前に活躍した女流詩人を主人公にした伝奇小説を書いているのだが、そこに平塚雷鳥が脇役として登場してくるのである。そこで平塚雷鳥のことを調べる羽目になり、実際に平塚雷鳥のことを調べてみると驚いた。平塚雷鳥は彼女なりにきちんと考えており、これなら歴史に名を残せる人物であったのだ。

 俺は歴史に名を残した人物の自叙伝を読むのが好きなのだが、平塚雷鳥の自叙伝『原始、女性は太陽であった』は、女性としてはレベルの高い自叙伝ではあると思う。俺は平塚雷鳥の意見を一切受け入れないし、彼女のやったことも評価しない。その俺がこの自叙伝を評価するのである。

 ところがこの平塚雷鳥の自叙伝はなぜだか資料的には評価が低いらしい。彼女が晩年に書いたために、結構、事実と食い違っている所があり、しかも当時の彼女の考えと、本に書かれた彼女の考えは微妙に違っているらしいのだ。だから、平塚雷鳥は有名でも、この本が取り上げられることがないのである。

 俺が平塚雷鳥の自叙伝を読んで気になったのが、平塚雷鳥は自分が恋愛や結婚を突き詰めて考えて行く内に、エレン・ケイの『恋愛と結婚』に辿りつき、以降、この本をバイブルとしたことなのである。俺はエレン・ケイなどという作家を全然知らなかったので、なんでこんな無名の人物に入れあげるのか良く理解できなかった。

 そこでエレン・ケイ著『恋愛と結婚』を読んでみた。これまた驚いた。この本には後にフェミニストたちが主張してくる意見の殆どがここに網羅されていたのである。というか、この本は日本のフェミニストたちに熱心に読まれ続けたらしく、日本のフェミニストたちはこの本に基づいて行動を起こしているのである。

(※ エレン・ケイ著『恋愛と結婚』は、新評論から出ている、小野寺信と小野寺百合子による共訳のが一番良い。この本はフェミニズム関連の書籍なので、他の出版社だと「悪意ある誤訳」がなされる可能性が非常に高い。日本人でスウェーデン語ができる人は非常に限られているのだから、きちんとスウェーデン語ができる人でないと翻訳することは難しい)

●自立なき女性

 俺がエレン・ケイ著『恋愛と結婚』を読んでまず思ったのは、「とにかく読みにくい」ということなのである。彼女は51歳の時にこの本を書いているのだが、その年齢でこのような論旨が明解になっていない文章を書くということは、出来のいい作家ではないかということなのである。

 しかもこの本はルター派の教義や歴史のことが解っていないと理解することができないし、西ヨーロッパの文化やスウェーデンの文化が解っていないと理解できないことなのである。これを日本人が読んだとしても、きちんと理解できる者はごく少数しかいないものだ。況してや大卒程度の学力しかない女性が読めば、この本を読んでも逆に本に読まれてしまうのがオチである。

 はっきりと言ってしまうと、このエレン・ケイは自立していない。自立していないからこそ、「新しい道徳」だの「生の信仰」だの、得体の知れないものを主張してくるのである。そこでエレン・ケイのことを調べてみると、やっぱり彼女は結婚しておらず、親から自立することなく作家として活動した人物であることが解ったのである。

 なぜ平塚雷鳥のようにきちんと物事を考える女性がエレン・ケイに惹かれてしまったのかというと、それにはちゃんとした理由がある。平塚雷鳥とエレン・ケイは育った境遇に似ているのである。似た環境で育ったからこそ、別個の女性なのに惹かれてしまうのである。

 エレン・ケイは大地主で国会議員である父親を持ち、大きくなるとその父親の秘書として働いたことがあるのだ。一方、平塚雷鳥の父親は高級官僚であり、この父親は平塚雷鳥を大いに可愛がって育てたのである。両者とも幼い頃から父親による干渉が多かったために、父親から自立することができなかったのである。

 因みに、平塚雷鳥が創刊した『青鞜』は彼女が自分で出資したのではなく、彼女の母親の出資してできたものなのである。当然に母親は父親からお金を借りたことであろう。俺はこの事実を知ってビックリしてしまった。これでは日本の女性たちが自立できなくなるのは当たり前だからだ。しかも平塚雷鳥は出資金を母親に返した形跡はないのだ。金銭的には無頓着だったのであろう。

●結婚をしない女たちの妄想

 エレン・ケイ著『恋愛と結婚』を一言で言ってしまえば、「結婚しない女の妄想である」ということである。エレン・ケイが結婚していたのなら、こんなバカげた本を書くことはなかったからだ。事実、エレン・ケイは結婚しておらず、彼女の人生の中で最大の恋愛となった文明評論家ウルバン・フォン・フェイリッツェンとの恋愛も、身分上の問題で10年近く付き合ったのに破局しているのである。

 エレン・ケイは結婚できなかったからこそ恋愛を称賛しまくるのだが、彼女がやった恋愛は不発だったからこそ結婚することができなかったのである。エレン・ケイのような理屈っぽい女性では、どんな男性だって結婚するのはお断りである。女性としての優しさがまるでないのである。

 平塚雷鳥も結婚していない。俺が平塚雷鳥の自叙伝を読んで、イマイチ良く解らなかったのは、奥村博との恋愛の話である。この恋愛は恋愛と呼べるような代物ではないのだ。どうも奥村博は男して自立していないみたいだし、平塚雷鳥と奥村博の交際も全く恋が燃え上がっていないのだ。

 平塚雷鳥はエレン・ケイを理想の人物としていが、平塚雷鳥はエレン・ケイとは違い、子供を2人出産することになる。最初の赤ちゃんは避妊に失敗して妊娠してしまったらしく、出産した時にはこの赤ちゃんを里子に出そうとしたくらいなのである。

 平塚雷鳥は子供を2人も産んだというのに、奥村博とは結婚していない。自分が戸主になって新しい戸籍を作っているのである。ということは、平塚雷鳥は日本の社会を封建的だと罵るが、その封建的な社会で、フェミニズムの女性たちが母系家族を作ることは可能だということなのである。

 恋愛や結婚を巡る議論で気をつけなければならないのは、フェミニストたちは「恋愛や結婚を散々に論じて結婚をしない」ということを平気でやってくるということなのである。恋愛や結婚は女性の自立と深く関わり合っているので、女性が親から自立して来ない限り、絶対にまともな恋愛や幸せな結婚をすることができないのである。

●「結婚廃止」こそ究極の目標

 エレン・ケイの最終目標は「結婚の廃止」である。彼女はスウェーデン王国の結婚法の廃止を目指して女性解放運動をやっていたのである。『恋愛と結婚』には「自由離婚」や「新結婚法」などという章があるので、彼女の意見は矛盾するという批判さえるが、そうではなく、これは結婚の廃止の過渡的な措置であるのである。

 エレン・ケイが結婚の廃止を唱えているのは、カール・マルクスが『共産党宣言』で結婚の廃止を唱えているからなのである。そう、エレン・ケイは「共産主義者」なのであって、彼女の登場によってスウェーデンの女性解放運動は大きく左旋回してしまったのである。

 『青鞜』も初期は女流文学雑誌として出発したのに、エレン・ケイの『恋愛と結婚』を掲載したことを皮切りに「婦人問題」に手を出してしまい、そして共産主義化していくのである。しかし平塚雷鳥はより一層思考を突き詰めてしまい、「無政府主義」へと辿りついてしまうのである。

 平塚雷鳥は無政府主義者なのである。この事実は学校では教えてくれない。巧妙に隠されているのである。平塚雷鳥は無政府状態になれば女性解放が実現できると妄想するのだが、そんなことは絶対に有り得ない。政府が消滅すれば、万人による万人の闘争になってしまい、恐らく男性よりも体力の劣る女性たちは略奪や強姦や虐殺の格好の餌食になってしまうのである。

 女性の場合、エレン・ケイ著『恋愛と結婚』をきちんと読みこなせる女性はまずいないものだ。結婚が廃止されてしまえば、女性たちは恋愛を結婚へと昇華することができす、その結果、この地上を「愛のホームレス」として彷徨い続けることになるのである。これが『青鞜』で主張していた「新しい女」なのである。

 なんてことはない。新しい女とは「性的奴隷」に他ならないのだ!

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スーパー銭湯で汗を流しまくりの巻

●ゴールデンウィークの悪夢

 「ゴールデンウィーク廃止論者」の俺は、ゴールデンウィーク中、せっせと働いていた。現在、新たな長編小説を執筆中で、一日の内、少なくとも3時間は原稿執筆に充てているのである。この原稿執筆が終われば、遊ぶのである。そうやって遊ぶからこそ遊びが充実するのであって、ただ単に遊んでいても遊びは充実しないのだ。

 そんな最中、我が家にうちの姉がやってきた。

 俺の姉は結婚をドタキャンされて以降、過食症になり、見る見る内にデブになってしまった。そのデブも「健康的なデブ」なのではなく、マツコデラックスのような「病的なデブ」なのである。その病的なデブがよりによって連休中に我が家にやってくるのだ。なぜだか、この予定だけはドタキャンしなかったのだ。

 我が家は現在、経済的にピンチになっており、狭い家に住んでいる。以前のように広い家ではないのだ。以前ならきちんと寝床を用意してあげることができたのに、今はもう狭くて他人を泊める余裕はないのである。だから、「いずれ引っ越すから、それまでは来るな」と言っていたのに、奴は来やがったのだ。

 連休中の最中、病的なデブはやってきたのだが、以前よりも更に太ったのである。余りの体重の重さのせいか、「足が痛い」の、「足が浮腫む」の、苦情を言いまくりなのである。「それはお前がデブだからだろ」とは口が裂けても言えないのだ。根本的解決策を回避して、相手の意見に合わせなければならないというのも滑稽である。

 健康なデブというのは、子供の頃からデブだから、体自体、デブ仕様にできている。しかし病的なデブというのは、本当はスマートな体型なのに、堕落した生活のために肥満になっているのである。だから体のあちこちに支障が生じて来るのである。

●少食対過食

 父親が死んでから、我が家の食事には決定的な改革が施されていた。それは朝食を廃止したのである。我が家は朝食をしっかりと食べる方で、俺は前々からこの食事スタイルを批判してきた。しかも父親がリンパ腺癌で死んだので、「朝食は体に悪い」ということがやっと家族全員に解ってくれたのである。

 このため、改革が施された我が家の食事は

朝、リンゴ人参ジュース

昼、軽食

夜、好きな物を沢山食べる

というものになったのである。

 朝はリンゴ人参ジュースだけと、食休みする必要性がなくなり、ジュースを飲んだ後、すぐに仕事に取り掛かることができるのである。しかし正午過ぎまで充分に持つので、12時30分まで仕事をしっ放しに状態になるのだ。仕事の生産性は格段に上がったのは言うまでもない。

 そこに過食症になっている病的なデブがやってきたのである。病的なデブの食事は推定「1日5食」である。3度の正規の食事に、午前中と午後の2回に亘ってオヤツを食うのである。このオヤツがオヤツではなく、もう正規の食事となんら変わらないほど食べるのである。

 我が家では俺が5年以上念願だった食事スタイルが確立された以上、1日5食の食事を出すわけがない。姉であろうが、「1日1食半+ジュース」の食事スタイルを守って貰わなければならないのだ。「嫌なら帰れ」ということなのである。

 姉は初っ端から朝食をしっかりと食っていたが、それはそれでいい。別に文句を言うものではない。朝食を食べたければ自分で作ればいいことだ。我が家では朝食など出て来ない。但し昼食と夕食は出されるので、これはこれで満足していたようである。

 しかし姉の滞在中、冷蔵庫の中の食べ物が消えるという事件が多発した。

「タッパに入ったご飯知らない?」

「残っていたマッシュポテトは?」

「あのお菓子どこに行った?」

 俺は四六時中家にいるわけではないので、姉は俺が外出中にしっかりと食事を取っていたわけだ。それだけ間食をしているというのに、昼食や夕食では男の俺が食べるくらいの量を食べるのだから、アイツの胃袋はどうなっているのかと疑いたくなる。

 挙句の果てにはコンビニで「コーラ」を買って来て飲んだのである。コーラは我が家では絶対に許されない「毒物指定飲料」なのである。サリンとかVXガスとかと同レベルの物なのである。1日5食も食べて、その上でコーラまで飲んでいれば、病的なデブになるのは当たり前なのである。

●スーパー銭湯で汗を流す

 姉が体の不調を訴えているので、俺は

「要は≪水毒≫なんだよ。体内に不要な水分が溜まっているんだよ。スーパー銭湯に行って汗を流せば体内の過剰な水分が出て行くから、それで病気は治る筈だよ」

と提案し、連休の最後の日に家族全員でスーパー銭湯に行くことになった。

 俺はスーパー銭湯での効果的な入浴法を開発していた。まずお風呂に入って体を温める。次にサウナに行って汗を流す。汗が多少出て来たら外に出てシャワーを浴びる。そしてこのサイクルを何度も繰り返すのである。これをやると汗が大量に出まくることになるのである。

 湯船に入り続けていれば湯当たりしてしまうものだし、サウナに入り続けていれば疲労してしまうものだ。湯船でもサウナでも長時間入り続ける必要性はないのだ。要は汗を出すために入っているのである。だから汗が出易いような入り方をすればいいのである。

 俺自身、この特殊な入浴法で体重がなんと3㎏も減少したのである。スーパー銭湯に行く前は体が重たかったのに、入浴後は体が軽くて仕様がないのだ。しかも入浴後は頭の回転が良くなり、その夜、分厚い学術書を2冊も読んでしまったのである。

 姉にもこの入浴法を教えていたので、姉もスーパー銭湯で実践してみたらしい。すると入浴後の姉は一周り小さくなったのである。しかも性格的にしおらしくなり、病的な部分が消え去ったのである。姉本人も

「足の痛みがなくなった」

「浮腫みが取れた」

とか感動の嵐だったのである。

 そこでは俺はこう言った。

「スーパー銭湯に何度も行けば、デブ解消間違いなしだよ!」

●しかし帰った後

 姉が帰った後、我が家の食事は途端に質素な物に戻った。姉が来たからこそ連日に亘って豪華な食事を出していたのであって、それをアイツはバクバクと食べていたのである。姉は

「いつもこんなに沢山食べているの~!」

と驚いていたが、俺は

「お前が来たからこそだよ」

と言ってやった。姉とはいえ、もう年齢的にお客様になってしまっていることに気付いていないのだ。

 と言っても豪華にしたのは夕食だけであって、朝食は出さないし、昼食は軽食なのだ。朝はリンゴ人参ジュースを徹底して貫いた。逆に言えば、朝食が出て来ないからこそ、以前よりも夕食にエネルギーを注げ、より豪華にすることができたのである。

 ところが、姉は帰った後、「実家にいた時、食べ物を食べてはいけないことがストレスになり、自宅に帰ってから好き勝手に食っているらしい」との情報が齎されたのである。折角痩せたのに、また肥満街道驀進中である。だから痩せないんだよ!

 「少食にすれば健康になれる」というのはどうも解りにくいものだ。殆どの人たちは「沢山食事を取れば健康になれる」と考えてしまうものだ。肥満になっていいことなんてないものだ。特に女性の場合、デブになると着る服がなくなるという厳しい現実に直面し、お洒落すらできなくなってしまうのである。

 それにしても病的なデブになった姉を見ると、つくづく「女性は絶対に結婚しなければならない」と思う。結婚していれば過食症に罹らず、病的なデブにはならなかった筈だからだ。女性が結婚できるか否かは本当に不思議な縁だから、常に≪謙虚≫にしていなければならないよ。傲慢な女性には「運命の出会い」が訪れないものなんだよ。

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銅鐸の謎 ~古代の鉄と神々~

●宗教抜きの考古学は絶対に有り得ない

 学校で日本史を学んだ時、幾ら勉強しても日本史のことが良く解らないものだ。それもその筈、学校で教える日本史は宗教抜きで学問を組み立てているのであって、そんなインチキな学問では生徒たちが幾ら勉強しても日本史を理解できるわけがないのだ。

 日本の歴史学がおかしな方向へと舵を切ってしまったのは、戦前の津田左右吉が出て来てからである。この男が記紀を否定するという滅茶苦茶な学説を展開し、よりによって戦後になるとこの男の学説を東京大学の歴史学者たちが採用して、現在の出鱈目な学問になってしまったのである。

 歴史学がこの有様だから、考古学はもっと酷い。日本の考古学者たちは基本的に唯物論に立脚し、宗教そのものを全く理解していないのである。そのため土器や青銅器が地中から出て来ても、それが一体何に使用されたのか、全然説明できないのである。

 日本の歴史というのは神道が首尾一貫して貫いている。そこに仏教が伝来してきて「神仏習合」というものを取ったし、江戸時代になれば儒教が御用学問になって幕藩体制のイデオロギーとなったのである。日本史を理解したいのなら、まずは「神道」「仏教」「儒教」の勉強をすべきなのである。

 これらの宗教が解れば日本史を理解することができる。考古学のように古代日本に限定されているものなら、神道が解れば考古学上の発掘物を簡単に理解できるものなのである。逆に言えば日本の考古学などは神道家以外の者が手を出してはならないものなのである。

●古代は「鉄」を巡る争い

 今回紹介する本はこの本!

 真弓常忠著『古代の鉄と神々』(学生社)

 神道に関しては大いなる誤解がある。「神道は太陽信仰の宗教である」という滅茶苦茶な誤解をしているのである。神道は太陽信仰の宗教などではない。そんな祭祀をしている神社は日本全国どこを探してもないのだ。神社は「祭神」を祀っており、崇敬者たちが神社に参拝することで、その祭神から御加護を頂こうというものなのである。

 古代で「カネ」といえば「鉄」のことである。鉄があれば農耕ができるし、戦争だってできる。鉄を多く持った方が勝ちなのである。だから古代に於いて鉄器を普及させた氏族の始祖、または何かしらの英雄や巫女を神社に祀っているのである。

 古代日本に於いて日本で大繁栄した部族は「出雲神族」である。出雲神族は「倭鍛冶」を発明して、日本全国へと広がって行ったのである。日本は至る所に鉄はあるのだが、銅が存在しない。そこで出雲神族たちは中国に塩を輸出することで、銅を得ていたのである。漢王朝は製塩産業の国有化を図っていたので、塩の密輸をやっていたということなのである。

 天孫族は元々は殷人であるが、殷王朝滅亡に朝鮮半島に逃れ、朝鮮半島をゆっくりと南下して、日本列島にやってきたのである。天孫族は出雲神族の後継者争いに巧く割り込み、国譲りをさせるということでこの国を乗っ取ってしまったのである。

 しかし天孫族も内部分裂を引き起こし、近畿地方に逃れた神武天皇が近畿地方で新たな国を作った。大和朝廷は辺境の地にあったのだが、辺境ゆえに繁栄してしまい、崇神天皇の時に日本を再統一することができたのである。しかも神功皇后の時に朝鮮半島に進出し、新しい技術を日本に導入して、より繁栄することができたのである。

●銅鐸は褐鉄鉱のこと

 世界史では青銅器から鉄器へと発展したと考えるのが常識である。しかしそれは鉄という物を理解していない者たちが考えた妄想にすぎないのだ。これは鉄の熔融点が「1525℃」で銅熔融点が「1100℃」だからだ。当然にそれだけ高い温度を実現するためには、火力の発達が欠かせない。だから鉄は銅より後にならないと人類は道具に使えなかったというのだ。

 しかし鉄というのは「700℃~800℃」に熱してしまえば、「可鍛鉄」にすることが出来、これを熱しては叩き、熱しては叩きを繰り返すと、鉄器にすることができるのである。しかもこの「700℃~800℃」は弥生式土器を作る温度なのであって、当然に弥生式土器を作っていた人たちは鉄器だって作っていたのである。

 日本の場合、鉄というのは大量にあった。川や海岸で黒い砂がある所は、砂鉄が大量に存在しているのである。それを取って来て熔鉱炉で鍛造すれば鉄器が出来上がってしまうのである。恐らくこの原始的な製鉄を普及させたのは、出雲神族の「須佐之男命」である。

 第二段階が褐鉄鉱を使った製鉄で、葦が生える時に地面に褐鉄鉱という固まりを作るのだが、この褐鉄鉱を集めて熔鉱炉で製鉄すると、より純度の高い鉄ゆえに、更に上質の鉄器を作ることができたのである。これを普及させたのが「大国主命」なのである。銅鐸というのはこの褐鉄鉱に感謝する目的で埋めた物なのである。

   

 しかし大和朝廷が朝鮮半島に進出すると、朝鮮半島から「韓鍛冶」という新型の技術が入って来る。これは藤代で砂鉄を濾すもので、より純度の高い砂鉄を得ることができ、これを熔鉱炉で鍛造すれば、より強度の高い鉄器ができるのである。大和朝廷は倭鍛冶に拘らず、韓鍛冶に切り替えたからこそ、繁栄し続けたのである。

●「神祇官による統制」と「修験道の誕生」

 大和朝廷は朝鮮半島の支配を巡って争いを続けるのだが、その内、朝鮮半島に出兵しても利益にならないことが解り始め、それで雄略天皇が中国に朝貢しなくなる。そして日本で内乱が発生し、応神朝が滅んで、越の国から継体天皇が出て来るのである。

 その間隙を突いて蘇我氏が権力を握ってしまい、天皇抜きで勝手に隋と外交交渉をしてしまう。それをひっくり返したのが天智天皇であり、蘇我氏を滅ぼし、権力を回復させた。しかしその天智天皇も白村江の戦いで隋に負けてしまい、天武天皇は壬申の乱で天智天皇の体制をひっくり返してしまう。

 天武天皇は律令制度を整えていくと同時に、神道に対して宗教改革に乗り出すことになる。まず神道の最高神を須佐之男命から天照大御神へと切り替えて、より天皇家に有利な状態にさせた。そして神社に階級制度を導入し、神社を神祇官の統制を受けるようにしたのである。

 こうなると神道の中からはみ出して来る者が出て来るものなのであって、それが「修験道」なのである。修験道こそ古代の産鉄民のやっていたことを宗教化したものなのであって、修験道の誕生によって古代の神道を仏教の影響を受けつつも、きちんと後世に残したのである。

 銅鐸にしても絶滅したわけではない。銅鐸は「鈴」に変わっただけなのである。神社でお守りを買えば鈴がついたお守りを手にすることができるが、あの鈴こそ古代の銅鐸の名残りなのである。宗教といういものは、そうやって古代の記憶を残して行くものなのである。

               

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高齢出産とストレスフリー

●いつから高齢出産?

 出産は35歳から高齢出産になる。これが医学的に統計学的に解っていて、女性は35歳を超えると、出産のリスクが高まるのである。卵子が劣化し始めるので、ダウン症の子供を産む可能性が出て来るし、出産時に何かしらの感染症に赤ちゃんが罹ってしまったり、母親自体、出産で命を落とすことも有り得るのだ。

 女性の卵子は19歳で最善となる。だからその前後の10代前半から20代に於いて妊娠能力や出産能力が高まるのである。女性の場合、自分の人生設計に必ず結婚を入れるべきであり、結婚抜きで自分の人生を組み立てるようなことなどしてはならないのだ。

 仕事というものはいつでもできるが、結婚、それに続く妊娠や出産というのはいつでもできるものではないのだ。年齢制限がかかってくるのであり、早目に結婚して赤ちゃんを産んでしまった方がいいのだ。育児を終了してから働きに出ることだってできるのである。

 理論上、女性は生理がある限り妊娠できる。しかし実際には30歳をすぎれば不妊症というものが出て来るのである。そして35歳を過ぎると高齢出産となってしまうのである。だから35歳以上の不妊症の女性たちは、不妊症と高齢出産で二重のストレスを受けてしまい、益々妊娠しずらくなるのである。

 赤ちゃんを希望する既婚女性にとって、「45歳」という年齢は重要な意味を持つ。というのは、45歳以降、女性ホルモンの分泌量の低下が始まり、所謂「更年期障害」を起こして来るからだ。これが発生してしまうと妊娠は非常にしずらくなる。

 50歳以上の女性がする出産を医学的には「超高齢出産」という。50歳をお超えても妊娠できるし、出産できるのである。では何が普通の不妊症の女性たちと違うのかといえば、それは更年期障害が起こらなかったということなのである。女性ホルモンの分泌量が減少するにしても、それがなだらかだったからこそ、50歳を超えても出産できてしまったのである。

●小説家だから巧いのは当たり前

 今回紹介するのはこの本!

 45歳、もう生んでもいいかしら?

 久美沙織著『45歳、もう生んでもいいかしら?』(メディアファクトリー)

 久美沙織というのは『丘の家のミッキ―』の作者である。大ヒットしたので、女性なら中学生や高校生の時に読んだ人もいるかもしれない。少女ノベルなので、大人になったら読まなくなる本ではある。因みに、うちの姉の本棚にはこの本のシリーズが全巻揃っていました。

 この『45歳、もう生んでもいいかしら?』というの本は実に巧い。作者が小説家なんだから、文章が巧いのは当たり前なのかもしれない。女性作家が出産する際には是非とも自分の出産のことを本に書いて欲しいものだ。出産というものが女性にとって如何に大事なのかということを理解させてくれることだろう。

 久美沙織が結婚したのは31歳の時で、妊娠が発覚したのは45歳の時である。不妊症歴、14年間という実に非常に長い経歴の持ち主なのである。なんでこんなにも不妊症歴が長くなってしまったのかというと、それは「職業病としての不妊」という現象があったからなのである。

 女性作家たちというのはなぜだか妊娠しないのである。小説を書くというのは凄まじい競争なのであって、小説が書けなければ失業だし、小説を書いても売れなければ失業なのである。そういう過酷な競争をやっていると、自然と妊娠するということがなくなってしまうのである。

 確かにこの本を読んで女性作家たちを見回してみると、本当にそうなのである。だから女性作家たちが書いた小説は詰まらないのである。女性としてやるべきことをやらずに仕事ばかりしているから、いざ小説を書いてもその欠点が露呈してしまうものなのである。

●結婚十四年目の自然妊娠

 久美沙織が夫と結婚に至るまでの話が俺にはイマイチ良く解らない。この恋愛は恋愛と呼べるものではないことだけは確かなのである。夫なる男性は21歳で、久美沙織は29歳の時に出会い、その後、結婚している。この「不発の恋愛」が長い長い不妊症生活の幕開けとなる。

 結婚後は「軽井沢」に引っ越すのだが、これがまた妊娠には悪いのである。軽井沢に住む人たちというのはなぜだか妊娠しないのである。軽井沢のような静かな自然環境のある所で夫婦二人っきりで過ごそうという考えの持ち主ばかりなのである。

 久美沙織も夫婦の仲が良すぎるほどに良いのだ。しかし一見この幸せそうな夫婦に限って、実は妊娠確率が思いっきり下がるのである。これは不妊症の夫婦の典型的な特徴で、夫婦仲がいいからこそ、体の方が相手の男性の赤ちゃんを産もうとは思わなくなってしまうのだ。

 久美沙織にはゲイの友達がいるのだが、これも不妊率高めてしまう要因になるのだ。ゲイの男性たちは物理的に子供を産まない。子供を産まないゆえにぶっ飛んだ生活をしてしまうものなのだが、そういう男性たちと友達になってしまうこと自体、その女性は足が地についている生き方をしていないということなのである。

 久美沙織も40歳になるとさすが不妊症のために「鬱状態」に陥ってしまう。この本では少ししか触れられていないので俺が補完しておくと、この40代前半の久美沙織はとにかく酷い姿になっていた、頭が爆発するようなパーマをかけ、肌荒れは凄まじいし、どう考えても醜悪な女性だった。しかも言動がきつくて、彼女に会って気分を害した人は多数いたのである。

 あれは「鬱」だったわけですね。

 45歳になって、仲良しの漫画家<藤臣柊子>と熊本県の阿蘇に旅行したのだが、これが女二人ゆえに思いっきり楽しんでしまった。その後になんと自然妊娠という形で妊娠してしまったのである。この旅行は不妊症には非常に効果があったと思う。不妊症の膠着状態と鬱が重なれば妊娠などできないものだ。しかし旅行することでその不快な状態を快にしてしまったので、それで一気に妊娠能力が高まってしまったのである。

●冷や冷やの妊娠生活

 久美沙織は45歳になって初めて妊娠したので、妊娠や出産を知っている人がこの本を読むと、彼女は冷や冷やの妊娠生活を送っていたことが解る。無事に出産できたのはただ運が良かっただけのことであって、いつ流産してもおかしくはなかったのだ。

 妊娠すると睡魔が襲ってきて、何時間でも寝てしまうものだが、作家である久美沙織は仕事のために東京に上京せざるを得なくなり、その帰りの新刊っ線で睡魔で寝過ごしてしまうという失態をやらかしてしまう。これは笑い話なのだが、妊婦がこんなことをやっていれば早期流産してしまうものなのである。

 高齢出産ゆえにダウン症の赤ちゃんが生まれて来る可能性があるのだが、久美沙織は夫と相談の結果、遂に羊水検査はせずという決断を下した。これは正しい決断だった。出産できるチャンスはこれがラストチャンスかもしれないのである。胎児がダウン症だと解ってしまったら、その判断のために大いに苦しみ、一生の後悔をする選択をしてしまったかもしれないのだ。

 久美沙織は妊娠中に思いっきり「便秘」をしてしまった。便秘をすれば綺麗な羊水を供給できないので流産する可能性が高まるのだ。この便秘は食事制限からきたものだから、ややこしいのだ。妊娠中毒症に罹るリスクを高めても、やはり妊娠中はしっかりとご飯を多めに食べて、快便にしてしまった方がいいのである。

 出産は破水から始まったので、結構危なかったのである。「おしるし」が来る前に破水したというのは、妊娠中に便秘や運動不足が多々あったということなのである。事実、久美沙織は妊娠中でも仕事をしていたので、明らかに運動不足だったのである。

●秘訣は「ストレスフリー」

 久美沙織は安産だとはいえないが、無事に赤ちゃんを産んだ。名前は「咲耶」(さくや)であり、なんと「木乃花咲耶姫命」から取ったものなのである。こういう所に自分の宗教心が現れるものだ。だからこそ出産時のお守りとかも効果があったわけなのである。

 久美沙織は結婚十四年目にしての自然妊娠だったわけなのだが、その成功の秘訣は「ストレスフリー」にこそあったと思う。彼女は不妊治療を受けなかったので、不妊治療で発生する大量のストレスがなかったのである。彼女の性格からして病院で不妊治療を受けていたら、逆に妊娠しなかった可能性が高いのである。

 それと同時に女性作家として過去に仕事できちんと成果を出したことも大きい。女性が仕事をした場合、仕事できちんとした成果を出さずに結婚してしまうと、仕事に対する未練があって、それで妊娠しなくなってしまうこともあるからだ。これは不妊症の女性たちには結構多いことなのである。

 妊娠中に医者から「仕事を八割にして、八割の速度で行うように」と指導されたのも良い結果に繋がったのである。女性作家の場合、とにかく全力で仕事をしてしまうものだ。それが体に物凄く悪いのである。自律神経が交感神経にシフトしっ放しになるので、それで流産してしまうのである。

 この夫婦の夫婦愛も良い結果に結びついたのだろう。この夫は妻の出産時には37歳になっていたのである。妻をリードするような力強い男性ではないが、妻に対して何かとサービスをする気の効いた男性ではある。こういう男性だからこそ妊娠が遅れたともいえるのだが、こういう男性だからこそ妻が高齢出産でもきちんと産めたのである。

●子供がいるといないとでは大違い!

 この本を読んで行くと、最初は「そうやってどうでもいいことを考えているからこそ妊娠できないんだよ」と突っ込みをいれてしまいたくなるのだが、その内、妊娠できない彼女に同情し、悪戦苦闘はあったとしても、無事に出産できると思わず感動してしまったりするのだ。

 圧巻は久美沙織が妊娠と出産によって大きく変わっていったということがラストシーンでは良く解るということなのである。久美沙織は赤ちゃんを産むまで感謝というものがまるでないのである。ただ単にエゴイストであり、常に自分の利益にならないことしかしないのだ。

 それが赤ちゃんを産むと思いっきり変わってしまうのである。久美沙織が感謝するようになるのである。不妊症の克服のためには何よりも「感謝」が大事なのである。感謝できないからこそ、自分が不妊症という病気に襲われてしまっただけのことなのである。

 子供の存在は女性を根本から変える。結婚は選択することが許されるものではなく、女性なら結婚しなければならないのである。女性が結婚しなくても良いのは、出家するとかいう場合だけなのである。出家しないのなら、女性は須らく結婚して赤ちゃんを産むべきなのである。

 女性は赤ちゃんを産まないと心から感謝できないものなのである。女性が新たな生命を生み出すということは、それを経験した者には凄まじい感激が訪れてくるものなのである。そういう感激があればこそ、他人にきちんと感謝できるようになるのである。

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赤ちゃんが授かる「子宝地図」

●恋愛はエネルギーを消耗するもの

 恋愛に於いてデート代は男性持ちでなければならないのだそうである。太古の昔、男性たちは狩猟で獲物を取って来て、それを女性たちに分け与えたのである。この記憶が未だに残っていて、男性は仕事でお金を稼いできて、そのお金を使って女性とデートをし、結婚しようとし出すのである。これ以外の方法でやると、男性パワーが弱ってしまうのである。

 しかしこの遣り方を続けると、男性の方が「金欠」になる。大体、政府によって男女平等が推し進められて、男女の賃金格差はなくなってしまったのである。それなのに男性がいざ女性とデートしようとすれば、そのデート代は男性持ちなので、これではデートを繰り返す度に男性が貧乏になっていってしまうのである。

 しかも自分のビジネスを成功させるためには、かなりの資金を自己投資として投入しなければならない。女性と恋愛するためにお金を消費していたら、その肝腎の自己投資ができなくなってしまうのである。だから会社員が成功したいと思うなら、とにかく早目に結婚することなのである。結婚して身を固めてしまえば、女性のために無駄なお金を使わなくて済むようになり、それで自己投資に資金を振り向けることができるようになるのだ。

 恋愛はエネルギーを生み出すものだが、恋愛はエネルギーを消耗させるものだということにも気付いていないといけない。恋愛で全てのエネルギーを使いきってしまえば、いざ自分が結婚しても、この結婚を幸せにするだけのエネルギーがもう残っていない場合もあるのである。

 特に恋愛で盛り上がり過ぎてしまうと、結婚してから「結婚後のビジョンが見えていない」という悲劇的な現象に襲われてしまう。この「未来のビジョン」は実に重要で、夫が妻に対して未来ビジョンを示さない限り、妻の方は全く動かなくなってしまうのだ。

 これだと「結婚生活」ではなく「同棲」になってしまう。一応、妻は家事をやってくれる。それに対して夫はなんの不満も抱かない。しかしこの同棲状態は代償が大きく、「不妊症」という事態を発生させ、どうやっても子供が授からなくなってしまうのである。

 「夫婦仲はいい。しかし妻はいつまで経っても妊娠しない」

という奇妙な現象が起こって来るのである。

●子宝地図は夫のためにある!

今回紹介するのはこの本!

  「子宝地図」で赤ちゃんを授かる!新版[馬場乾竹]

馬場乾竹著『新版「子宝地図」で赤ちゃんを授かる』(ごま書房新社)

 この本自体は不妊症の女性向けに書かれているのだが、実際には「夫にこそ必要な本」である。この子宝地図を作った場合、誰に一番効果が出て来るのかといえば、それは夫なのである。妻の方は既に子供を欲しがっているのだ。それなのに夫の方にはその子供がいる光景が見えていないからこそ、妻は妊娠してこないのである。

 不妊症の女性は赤ちゃんを授かることに焦るのではなく、まず自分たち夫婦が同棲状態になっていることに気付き、そこから脱出することを急ぐべきなのである。子供のいない状態で夫婦が安定してしまっているからこそ、幾ら不妊治療を受けても赤ちゃんが出来ないのである。

 不妊治療の過程で、「夫の精子に問題がある」「妻の卵子に問題がある」とか言い始めたら、不妊症など治るわけがないのだ。それよりも自分たち夫婦が結婚したのに、これから自分たち夫婦がどうして行きたいのかが見えないからこそ、いつまで経っても妊娠できないのだということに気付くべきなのである。

 子宝地図を作る仕事は夫の仕事である。勿論、妻も手伝うことだろう。しかし夫が子宝地図を作るからこそ、夫は未来のビジョンがはっきりと見えるようになり、それで妻の心身が劇的に変化し、めでたく妊娠することができるようになるのである。

 子宝地図は夫婦が共同作業で作るから、子宝地図を作れば、結局、夫婦愛が強まるものなのである。そういう共同作業がその夫婦にはなかったということなのである。夫は仕事をする、妻は家事をこなす、というバラバラの状態だからこそ、夫婦なのに何1つ共同作業をしないということになってしまうのである。

●恐怖のストレススパイラル

 不妊症の女性はとにかく緊張状態にある。自分が結婚したというのに妊娠できないことで、既に高いストレスを受けているのである。その状態で不妊治療を受けるわけだから、そこで医者から何気ない発言を受け、それで更にストレスを溜め込んでしまうのである。挙句の果てには不妊治療に失敗し、それでまた新たなストレスを発生させ、鬱状態に陥ってしまうのである。

 これが「ストレススパイラル」なのである。

 ストレススパイラルを一旦発生させると、そのストレス量たるや半端なものではない。これによって自律神経は交感神経にシフトしっ放しになり、それで妊娠しないのである。たとえ折角妊娠できても流産ということになってしまうのである。

 よく、「不妊治療をやめたら妊娠できてしまった」と言われるものだが、これは不妊治療をやめることでストレススパイラルから抜け出し、自律神経が正常な状態になったために妊娠できてしまったのである。不妊治療では不妊症女性の緊張を解きほぐすことが最も大事なものなのである。

 では、なぜ不妊症の女性たちがこんなにもストレススパイラルに陥ってしまうのかというと、それは恐らく「出生の秘密」にその原因があると思う。不妊症の女性たちは赤ちゃんの時に病院で出生したために、妊娠や出産することに恐怖感を抱いているのである。その恐怖感はもう潜在意識の中にだけしかないので、本人は自覚できないのである。

 如何なる哺乳動物も出生直後、母親の傍から離れない。母親の傍にいることが最も安全だと思っているからだ。しかし人間だけが病院で出産してしまうと、母親から切り離され、隔離された状態に置かれるのである。この行為こそが赤ちゃんに心の傷を負わせてしまうのである。

 産科病院というのが、キリスト教系の宗教団体がキリスト教の宣教の一環として日本に持ち込んできたということを絶対に忘れてはならないのだ。人間を赤ちゃんの時に心の傷を負わせてしまえば、その者が大きくなった時にキリスト教の宣教を受ければ、呆気なく改宗してしまうのである。愛のある状態で産まれてこなかったからこそ、愛を説く宗教に痺れてしまうのである。

●不思議な現象が起こるわけ

 不妊治療では「体よりも心」の方が大事なのである。自分の心が赤ちゃんを授かる状態になっていないからこそ、いつまで経っても妊娠しないのである。女性なのに理性優位の状態であってはならないのだ。女性だからこそもっと心を柔和にして、少なくとも自分の夫を受け止めることができるようにしなければならないのである。

 この子宝地図を作れば、必ず「引き寄せ現象」が起こり、不妊症を克服し、赤ちゃんを授かるためにすべきことが次から次へと起こって来るのだ。赤ちゃんのいる夫婦という未来のビジョンが見えているために、無駄なことを一切しなくなり、必要なことだけをするようになるから、大した努力をしなくても妊娠できてしまうのである。

 不妊症の女性が妊娠できないのは、「不思議な現象を認めない」からなのである。妊娠というのは実に不思議な現象なのである。昔の人たちは「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」と謙虚に受け止めていたのである。しかし現代の女性たちは科学を知ってしまったために、「精子と卵子が結合するから妊娠する」という、なんの夢もないようなことを言い出してしまうのである。

 結婚自体、どう考えても不思議なことなのである。なんで幼馴染でもない相手と結婚してしまったのか、ちゃんとした説明はつかないものだ。それと同じように妊娠だってどう考えても不思議なことなのである。子宝地図を自宅の居間に掲げておけば、必ずその不思議なことが起こるものなのである。

 人間は放置しておくとマイナスなことしか考えない動物なのである。だから不妊症の女性たちを放置しておくと、いつまで経っても妊娠しないのである。何かの道具を使って、そのマイナス思考を断ち切らなければならないのだ。それが「子宝地図」なのである。

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女性原理と女性パワー

●女性の原型は「巫女」

 何事も根本を忘れればおかしくなるものだ。女性たちが現代の女性というものに拘り、女性の根本を忘れてしまえば、おかしな人生を歩んでしまうのは当然のことだ。自由社会では自由に生きることができると同時に、勝手気儘に堕落した人生を送ることもできるので要注意なのである。

 「女」という漢字は、「両手をしなやかに重ね、跪く」というのが語源である。これは「巫女」を指す言葉ではないかと言われている。何に対して跪いているのかといえば、それは神しかないのであろう。女性の原型は巫女なのであって、これを忘れない限り、女性の人生は間違うことはないのである。

 これに対して「男」という漢字は、「耕地で生産する働き手」というのが語源である。男性は「農民」ということなのであって、働いて稼いでくるからこそ価値があるのである。逆に言えば働かなかったり、働いても生活を維持できるだけの収入がなければ、途端に価値を失ってしまうのだ。

 女性も生活を豊かにするためには働かなくてはならない。しかし働く余りに、男性と同じことをやっていたのなら、途端に女性としての生き方ができなくなってしまうのである。働く女性にこそ女性として不満が多いのは、働く女性たちが無理な生き方をしているからなのである。

 女性は巫女として生きるからこそ、女性原理が作動し、女性パワーが大量に放出されることになるのである。男性のように働けば男性原理が作動し、男性パワーが放出されるのとは違うのである。実際に自分が巫女としての要素を持っていないと、どうしても人生が巧く行かなくなってしまうのである。

●なぜ女性パワーが不足する?

 働く女性たちの中には、「自分は仕事をしているが、何か満たされない」と感じている女性は多いものだ。要は女性パワーが不足しているのである。女性が男性のように働けば、自分もお金を稼ぐことができると思いきや、それでは何も満足できなくなってしまうのである。

 子供の頃から「男女平等洗脳」を受けてしまえば、女性たちは自分の絶対的な不幸に気付けないものだ。不幸が起こっているのだから、その不幸があるということは解っている。しかしそれをなぜだか放置してしまうのである。その不幸を解消しようとすると、自分の洗脳が解けてしまうために、脳が急ブレーキをかけてきてしまうのである。

 女性原理とか女性パワーとかを知らずに、ただ男性たちの中に混じって働いていると、「中和」という現象が起こってしまい、女性パワーそのものがなくなってしまうのだ。よく男性たちに混じってテキパキと仕事をしている女性に限って、結婚できなくなってしまったりするのは、女性パワーがなくなっているからなのである。

 結婚したとしても、この中和現象が起こる。夫婦の仲が良すぎる余りに、いつも一緒にいると中和してしまい、夫は男性パワーがなくなり、妻は女性パワーがなくなってしまうのである。夫婦仲が良すぎる夫婦に限って不妊症になってしまうのは、この中和現象が起こっているからなのである。 

 女性パワーが不足した状態で女性たちつるむと、今度は「陰陰滅滅」という現象が起こって来る。全員が女性パワーを不足させている状態なので、女性同士で凝り固まってしまい、そこから抜け出せなくなってしまうのである。女性だからといって女性たちと仲良くし過ぎるのは問題が有り過ぎるものなのである。

●女性パワーをつける方法

 女性パワーをつけるためにはなんといっても、女性原理に目覚めることだ。職業として巫女の仕事をしていなくても、巫女がするであろう何かをしていないと、どうしても女として満足行く生き方が出来なくなってしまうものなのである。

①祈り

 まずは「祈り」であろう。女性は神様に何かを祈ると、心が落ち着く筈だ。そして自分の心の中からエネルギーが湧き起こって来ることに気付くものだ。自分のために祈るのもいいが、他人のために祈ることも必要である。結婚すれば常に夫や子供たちのために祈らなければならなくなるので、それで結婚すると女性は幸せになれるというわけなのである。

②自己修養

 祈りは最大の効果を発揮するが、祈っているだけではダメである。自己修養というものが必要なのであって、自分の精神レベルを高めてくれる本を読んだりするべきなのである。心というものは放置しておくと汚れるものなのであって、だから定期的に心のお掃除をしなければならないのである。

③両親

 女性というものは両親から離れない限り、自立できない。そして自立は両親に感謝できるようになってから起こるものである。女性にとって結婚が必要なのは、結婚しない限り自立できないからだ。しかし結婚したからといって自立できるわけではなく、両親に感謝できるようにならないと自立できないのだ。

④女同士による切磋琢磨

 女性パワーを高めて行くためには、女同士による切磋琢磨が必要になってくる。大体、女性のファッションというものは、他の女性とファッションを争うからこそ、向上していくものなのである。男性の目を意識し過ぎている女性に限ってダサイ格好をしているのは、女性パワーが不足しているからなのである。

 結婚して赤ちゃんを産めば、自然とママ友ができるので、このママ友と育児に関して情報を交換をしておかないと、育児が大変なことになってしまうのである。母親たちがママ友のこと悩んでしまうのも、ママ友が育児をしていく上で必要だからなのである。

⑤男による感化

 女性パワーは男性によっても引き出されることがある。女性が男性に恋をすれば女性パワーが湧き起こって来るものだ。恋をしていなかったら何もしなかった筈なのに、恋をしてしまったからこそ、勇猛果敢な行動を取ってしまい、自分の人生が変わってしまうのである。

 女性が結婚して注意すべきことは、生活に埋没してしまう余りに、中和現象が起こってしまうということだ。既婚女性であっても女性パワーを出して行くためには、結婚記念日を大事にするとか、何か祝い事があれば大いに祝って、夫婦愛に刺激を与えて行くようにするべきなのである。

●神様に波長を合わせる生き方

 女性たちには自分が女性だから、女性として様々な意見があるだろうと思う。しかしどのような意見を言ったとしても、神様に波長の合っていない生き方は無意味なものなのである。ただ単に自分の意見というだけでは、女性としての意見ではあっても、間違った意見であるのだ。

 神様は男女を「公平」に扱ったとしても、男女が「平等」に生きることなど望んでいないものだ。神様が男女平等を望むのなら、性別など設けなかった筈だからだ。男性は男性としてやるべきことをやる。女性は女性としてやるべきこおをやる。そういうことをするからこそ、世界が発展していくものなのである。

 仕事が忙しいからといって、遊びが忙しいからといって、宗教の時間を持たないと、女性パワーが消滅してしまうものなのである。女性パワーがなければ、友情も恋愛も結婚も巧く行かないものなのである。時間に追われるような日々では、幸せを得ることなど出来ないものなのである。

 この世で生きて行くためには男女を問わず「自己統御」と「自己審査」というものが必要なのである。自分ですべきことは自分でする。特に心という揺れ動くものに対してはきちんと自分が統制を利かすべきなのである。自分の感情の赴くまま行動しているからこそ、失敗しまくり、不幸だらけになるのである。

 自分が何か事を始める時、「これは神様の聖慮に適うだろうか?」と審査すべきなのである。物事というのは「私心」があると巧くいかないものだ。自己審査せず事業を始めると、至る所からトラブルが発生し出すので、その対応に追われ続けている内に、結局、時間切れになってしまうのである。

 女性が他の女性の意見を聞く時、「その女性は祈りを捧げているだろうか?」「自己修養をしているだろうか?」両親との関係はどうだろうか?」「女友達にはまともな人たちがいるだろうか?」「彼氏や夫はどういう人であろうか?」、そういうことを確かめてみた方がいい。これらの条件を全部クリアしていれば、その女性の意見は聞くに値する意見を言っていることだろう。

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