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エレン・ケイの『恋愛と結婚』 ~結婚否定の恋愛論~ その1

●平塚雷鳥のバイブル

 現在、戦前に活躍した女流詩人を主人公にした伝奇小説を書いているのだが、そこに平塚雷鳥が脇役として登場してくるのである。そこで平塚雷鳥のことを調べる羽目になり、実際に平塚雷鳥のことを調べてみると驚いた。平塚雷鳥は彼女なりにきちんと考えており、これなら歴史に名を残せる人物であったのだ。

 俺は歴史に名を残した人物の自叙伝を読むのが好きなのだが、平塚雷鳥の自叙伝『原始、女性は太陽であった』は、女性としてはレベルの高い自叙伝ではあると思う。俺は平塚雷鳥の意見を一切受け入れないし、彼女のやったことも評価しない。その俺がこの自叙伝を評価するのである。

 ところがこの平塚雷鳥の自叙伝はなぜだか資料的には評価が低いらしい。彼女が晩年に書いたために、結構、事実と食い違っている所があり、しかも当時の彼女の考えと、本に書かれた彼女の考えは微妙に違っているらしいのだ。だから、平塚雷鳥は有名でも、この本が取り上げられることがないのである。

 俺が平塚雷鳥の自叙伝を読んで気になったのが、平塚雷鳥は自分が恋愛や結婚を突き詰めて考えて行く内に、エレン・ケイの『恋愛と結婚』に辿りつき、以降、この本をバイブルとしたことなのである。俺はエレン・ケイなどという作家を全然知らなかったので、なんでこんな無名の人物に入れあげるのか良く理解できなかった。

 そこでエレン・ケイ著『恋愛と結婚』を読んでみた。これまた驚いた。この本には後にフェミニストたちが主張してくる意見の殆どがここに網羅されていたのである。というか、この本は日本のフェミニストたちに熱心に読まれ続けたらしく、日本のフェミニストたちはこの本に基づいて行動を起こしているのである。

(※ エレン・ケイ著『恋愛と結婚』は、新評論から出ている、小野寺信と小野寺百合子による共訳のが一番良い。この本はフェミニズム関連の書籍なので、他の出版社だと「悪意ある誤訳」がなされる可能性が非常に高い。日本人でスウェーデン語ができる人は非常に限られているのだから、きちんとスウェーデン語ができる人でないと翻訳することは難しい)

●自立なき女性

 俺がエレン・ケイ著『恋愛と結婚』を読んでまず思ったのは、「とにかく読みにくい」ということなのである。彼女は51歳の時にこの本を書いているのだが、その年齢でこのような論旨が明解になっていない文章を書くということは、出来のいい作家ではないかということなのである。

 しかもこの本はルター派の教義や歴史のことが解っていないと理解することができないし、西ヨーロッパの文化やスウェーデンの文化が解っていないと理解できないことなのである。これを日本人が読んだとしても、きちんと理解できる者はごく少数しかいないものだ。況してや大卒程度の学力しかない女性が読めば、この本を読んでも逆に本に読まれてしまうのがオチである。

 はっきりと言ってしまうと、このエレン・ケイは自立していない。自立していないからこそ、「新しい道徳」だの「生の信仰」だの、得体の知れないものを主張してくるのである。そこでエレン・ケイのことを調べてみると、やっぱり彼女は結婚しておらず、親から自立することなく作家として活動した人物であることが解ったのである。

 なぜ平塚雷鳥のようにきちんと物事を考える女性がエレン・ケイに惹かれてしまったのかというと、それにはちゃんとした理由がある。平塚雷鳥とエレン・ケイは育った境遇に似ているのである。似た環境で育ったからこそ、別個の女性なのに惹かれてしまうのである。

 エレン・ケイは大地主で国会議員である父親を持ち、大きくなるとその父親の秘書として働いたことがあるのだ。一方、平塚雷鳥の父親は高級官僚であり、この父親は平塚雷鳥を大いに可愛がって育てたのである。両者とも幼い頃から父親による干渉が多かったために、父親から自立することができなかったのである。

 因みに、平塚雷鳥が創刊した『青鞜』は彼女が自分で出資したのではなく、彼女の母親の出資してできたものなのである。当然に母親は父親からお金を借りたことであろう。俺はこの事実を知ってビックリしてしまった。これでは日本の女性たちが自立できなくなるのは当たり前だからだ。しかも平塚雷鳥は出資金を母親に返した形跡はないのだ。金銭的には無頓着だったのであろう。

●結婚をしない女たちの妄想

 エレン・ケイ著『恋愛と結婚』を一言で言ってしまえば、「結婚しない女の妄想である」ということである。エレン・ケイが結婚していたのなら、こんなバカげた本を書くことはなかったからだ。事実、エレン・ケイは結婚しておらず、彼女の人生の中で最大の恋愛となった文明評論家ウルバン・フォン・フェイリッツェンとの恋愛も、身分上の問題で10年近く付き合ったのに破局しているのである。

 エレン・ケイは結婚できなかったからこそ恋愛を称賛しまくるのだが、彼女がやった恋愛は不発だったからこそ結婚することができなかったのである。エレン・ケイのような理屈っぽい女性では、どんな男性だって結婚するのはお断りである。女性としての優しさがまるでないのである。

 平塚雷鳥も結婚していない。俺が平塚雷鳥の自叙伝を読んで、イマイチ良く解らなかったのは、奥村博との恋愛の話である。この恋愛は恋愛と呼べるような代物ではないのだ。どうも奥村博は男して自立していないみたいだし、平塚雷鳥と奥村博の交際も全く恋が燃え上がっていないのだ。

 平塚雷鳥はエレン・ケイを理想の人物としていが、平塚雷鳥はエレン・ケイとは違い、子供を2人出産することになる。最初の赤ちゃんは避妊に失敗して妊娠してしまったらしく、出産した時にはこの赤ちゃんを里子に出そうとしたくらいなのである。

 平塚雷鳥は子供を2人も産んだというのに、奥村博とは結婚していない。自分が戸主になって新しい戸籍を作っているのである。ということは、平塚雷鳥は日本の社会を封建的だと罵るが、その封建的な社会で、フェミニズムの女性たちが母系家族を作ることは可能だということなのである。

 恋愛や結婚を巡る議論で気をつけなければならないのは、フェミニストたちは「恋愛や結婚を散々に論じて結婚をしない」ということを平気でやってくるということなのである。恋愛や結婚は女性の自立と深く関わり合っているので、女性が親から自立して来ない限り、絶対にまともな恋愛や幸せな結婚をすることができないのである。

●「結婚廃止」こそ究極の目標

 エレン・ケイの最終目標は「結婚の廃止」である。彼女はスウェーデン王国の結婚法の廃止を目指して女性解放運動をやっていたのである。『恋愛と結婚』には「自由離婚」や「新結婚法」などという章があるので、彼女の意見は矛盾するという批判さえるが、そうではなく、これは結婚の廃止の過渡的な措置であるのである。

 エレン・ケイが結婚の廃止を唱えているのは、カール・マルクスが『共産党宣言』で結婚の廃止を唱えているからなのである。そう、エレン・ケイは「共産主義者」なのであって、彼女の登場によってスウェーデンの女性解放運動は大きく左旋回してしまったのである。

 『青鞜』も初期は女流文学雑誌として出発したのに、エレン・ケイの『恋愛と結婚』を掲載したことを皮切りに「婦人問題」に手を出してしまい、そして共産主義化していくのである。しかし平塚雷鳥はより一層思考を突き詰めてしまい、「無政府主義」へと辿りついてしまうのである。

 平塚雷鳥は無政府主義者なのである。この事実は学校では教えてくれない。巧妙に隠されているのである。平塚雷鳥は無政府状態になれば女性解放が実現できると妄想するのだが、そんなことは絶対に有り得ない。政府が消滅すれば、万人による万人の闘争になってしまい、恐らく男性よりも体力の劣る女性たちは略奪や強姦や虐殺の格好の餌食になってしまうのである。

 女性の場合、エレン・ケイ著『恋愛と結婚』をきちんと読みこなせる女性はまずいないものだ。結婚が廃止されてしまえば、女性たちは恋愛を結婚へと昇華することができす、その結果、この地上を「愛のホームレス」として彷徨い続けることになるのである。これが『青鞜』で主張していた「新しい女」なのである。

 なんてことはない。新しい女とは「性的奴隷」に他ならないのだ!

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コメント

はじめまして。いつも読ませてもらってます。
内容とは関係ないんですが質問があります。ベビーカーのことについてです。たまてぃさんは寝台型のベビーカーを押してますが、乳母車となると軽の車にはなかなか乗りません。そこで犬用のベビーカーのようなものがあるのですが、それを使うのは良くないでしょうか。やはり人間用ではないので迷っています。折り畳めるし寝台型のように使えるのでいいなぁと思っているんですが。
たまてぃさんの意見をお聞かせ願えないでしょうか。
よろしくお願いします。

投稿: はるな | 2013年5月16日 (木) 21時16分

はるなさん、本当に日本で乳母車を使うのは難しいです。
道路がきちんと整備されていないから、使い勝手が物凄く悪い。
しかも母親たちがなかなか使ってくれないから、乳母車自体、改良されていないですしね。

そのアイデアはグッドアイデア!

しかしやめておく方が無難かも。
もしも犬用のだとバレた場合、説明が困難ですよ。
自分が母親として子供に何かをする時、「立場の互換性」ってものを大事にした方がいいです。

「自分が子供の立場だったら、どうだろうか?」
このことを考えるだけで、間違った行動は大いに減少すると思う。

これを機会にはるなさん自身が、便利な乳母車を開発するといいですよ。
乳母車は本当に使い勝手が悪いです。

投稿: タマティー | 2013年5月17日 (金) 07時01分

ありがとうございます。
やっぱり安全面などでも不安ですもんね。
開発、がんばってみます(笑)

投稿: はるな | 2013年5月20日 (月) 07時28分

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