« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

2013年7月

育児の諺

●育児には愛だけでなく賢さが必要

 女性が結婚する前からも、そして結婚してからも反発してしまう言葉に、「良妻賢母」という言葉がある。曰く「結婚には愛があればいいんじゃないの?」「良い妻って、それは旦那にとって都合のいい女じゃないの?」「母親が賢くなってどうするの?」等々。果てしなく愚論が展開され続けるのだ。

 愛というものは結婚すれば自然と出て来る。夫婦の間には「夫婦愛」、育児をする際には「母性愛」と「父性愛」が必要である。しかし愛は他人に執着をすることもあるからこそ、愛だけで結婚を運営していくと、いつの間にか妻は夫を憎み、夫は妻を憎み、親は子を憎むようになる。

 愛を健全に機能させるためには、相手を敬うことが必要なのである。夫は妻を信用して家庭のことを任してしまう。妻は夫を立てて、仕事に頑張って貰う。親であっても傲慢にならず、自分の所に生まれてきてくれたことに感謝し、大事に育てる。そういうことが必要になるのだ。

 母親が子供たちに母性愛を出すためには、とにかく夫婦関係を良好にしなければならないのである。だから「良妻」なのである。妻は自分が夫から愛されていると思うからこそ、自分の子供たちに母性愛を注ぐようになるのだ。もしも夫婦喧嘩ばかりしているようでは、母性愛だって枯渇していくのは当たり前のことなのである。

 そして育児では母性愛を出しながらも、子供を健康に育てて行くに当たって「知恵」というものが必要なのである。その母親に育児に関する知恵があれば、我が子を未然に危険から回避できるのである。それゆえ「賢母」なのである。母性愛だけで子供たちを育てられると思ったら大間違いなのだ。

●育児の諺十連発

①赤ちゃんは母親を選んで生まれて来る

 赤ちゃんは精子と卵子が結合したから生まれて来るのではないのだ。赤ちゃんは雲の上にいて、自ら母親を選んで、その母親の胎内に宿り、そして生まれて来るのである。この事実を知っておけば、如何なる母親であっても、子供を敬いながら育てて行くことができるのである。

 母親が子供を敬いながら育てていないと、子供が思春期になって親に反抗し出すと、「俺はあんたを親に選んだ覚えはない!」とかいう暴言を吐いてきたりすることになるのだ。母親が我が子に執着しぎると、子供だって思春期に母親に徹底的に反抗して自立していかなければならなくなるのである。

②出産時の母子号泣

 出産時に赤ちゃんは大泣きすることになる。これは赤ちゃんが行き成り明るい所に出たから驚いて号泣しているだけなのである。お腹の中は薄暗いものなのであって、事実、助産院とかで照明を消した状態で出産させると、赤ちゃんは泣かないのだ。

 母親の方は自分の出産に感動してしまっただけでなく、赤ちゃんが自分の所に生まれて来てくれたことに感謝して号泣してしまうのである。赤ちゃんというものは結構グロテスクなのだが、そんなことお構いなしなのである。とにかく出産時に号泣することが、その後の育児にとっては大事なことなのである。

③赤ちゃんはオッパイ飲んで、糞たれる

 この諺は実はうちの母方の祖母が作った諺なのである。元も子もないのだが、育児をしてみればまさに正鵠を射た諺であろう。赤ちゃんは生きるためにオッパイを飲み、そしてウンチをしまくるのである。生きるということはこの繰り返しなのである。

 母親にとっても授乳は大事で、赤ちゃんが母乳を飲んでくれるからこそ、乳癌や子宮癌の発症がほぼなくなるのである。育児をする際には絶対に完全母乳で行くべきなのである。赤ちゃんのウンチも、母親がその始末をするからこそ、母親はより母性愛を出して行くことができるのである。

④這えば立て、立てば歩めの親心

 母親にとって赤ちゃんは可愛いものである。なぜなら赤ちゃんは動かないからなのである。動かないからこそ、可愛くて堪らないのだ。その赤ちゃんが動き出すと、母親の感動は臨界点を突破してしまい、メロメロになってしまうのである。

 赤ちゃんはハイハイしてから、立っちして、その後、歩くのである。赤ちゃんは生まれてから歩き出すまで1年間以上あるので、母親としてはハイハイすれば嬉しいし、立っちしても嬉しいし、歩いても嬉しいのだ。そのくせ赤ちゃんは母親の期待とは関係なく、ゆっくり成長していくのである。

⑤子供はバカにして悧巧、時々大人

 子供は母親が思っている以上にバカである。子供はバカなんだと思っていないと、子供がバカをする度に激怒する羽目になる。人間の脳は5歳から6歳の間に脳の臨界点を迎えるのであって、7歳になるまでは、どうやっても子供はバカなことをやってしまうのである。

 しかし子供はバカなのに悧巧なことをしてくるのである。脳のシナプスが急増している最中なので、母親が教えたことがないことを子供は余りにも簡単に遣り遂げてしまうのである。母親が子供をバカ扱いしていると、子供は母親の想像を大きく超えて成長してきて、母親の立場が悪くなってしまうものなのである。

 子供は子供なんだけど、子供は時々大人になる時がある。乳幼児に保育園や幼稚園など行かせて、子供らしいことばかりやっていては、逆に子供が持つ本来の力を発揮できなくなってしまうのである。事実、子供にお稽古事をさせると、大人びた行動を取るようになるのだ。

⑥子供は遊ぶのが仕事、夜になれば寝るのが仕事

 子供は遊ぶのが仕事である。遊ぶからこそ体も脳が発達していくのである。育児を成功させるためには、とにかく子供を外で遊ばせることだ。子供を家の中に閉じ込めていたのなら、子供は体も脳も全然発達してこないものなのである。

 子供は日中それだけ遊んでいれば、夜になれば熟睡してしまうことになる。子供は睡眠時間を長くすると脳が発達するので、母親としては子供の睡眠時間を如何に確保するかが大事になってくるのだ。通常、子供が早く寝てくれれば、それ以降は夫婦の時間なのである。

⑦子供は病気に罹って強くなる

 子供は病気に罹ることで免疫力を上げていくということをやる。子供は二歳まで自分で抗体を作り出せず、母乳の抗体を使って病気を防ぐので、一旦病気に罹ると、体温が急激に上昇してしまう。そのために母親は驚いてしまうのだが、それが子供の正常な病気の罹り方なのである。

 育児をする際に子供が病気に罹ったからといって、頻繁に病院に行くのは考えものである。子供に薬を投与すれば、確かにその病気を一時的に鎮めることができるが、その後、また似たような病気に罹るものなのである。医者が病気を作っているという事実を決して忘れてはならないのだ。

⑧真面目なママより極悪ママ

 育児に於いて真面目なママになってしまうと、母子手帳に書かれていることを鵜呑みにしてしまって、そのために育児が大変なことになってしまう。赤ちゃんは基本的に満2歳までオッパイを飲み続けるのであり、どんなに早くても生後6ヵ月以降からでしか離乳食を食うことができない。もしも離乳食を与えるのなら、できることなら生後10ヵ月以降にした方が安全なのである。

 予防接種になると、これがハイパーと化す。真面目なママは予防接種ならなんでも受けてしまうのだが、そのために赤ちゃんは病気のオンパレードになってしまうのだ。予防接種は必要な物だけを受け、危険性のある物は絶対に受けてはならないのだ。

⑨育児の思い出は母親の宝物

 子供は4歳の時に「記憶の消去」が起こり、それ以前のことを忘れてしまう。しかも小学生になって物心がつくと、これまた「記憶の消去」が起こり、それ以前のことを忘れてしまうのだ。育児の思い出は子供自身が持っているのではないのだ。母親だけが持っている宝物なのである。

 子供が大きくなって、母親が「あなたは赤ちゃんの時、可愛かったのよ~」「乳幼児の時にどこそこに旅行に行ったのよ~」「あなたは子供の頃、大変な病気をして、お母さんはもうテンテコマイだったのよ~」とか言うことはやめた方がいいのだ。育児の思い出は母親の宝物だと解っていれば、過去を振り返り続けるような人生にはならないのだ。

⑩育児の結果は子供の結婚で現れる

 育児の結果というのは、子供たちが大きくなって結婚した時に現れて来るものなのである。育児で失敗してしまうと、子供は大人になっても結婚しない。たとえ結婚したとしても子供を産もうとしない。子供が大きくなってから、結婚して赤ちゃんを産むということは、育児が成功したからこそやってくれるのである。

 家族というのは家系を継承していくものだが、いずれは親が子離れし、子供が親離れしていくものなのである。子供が大きくなったのに、いつまでも子供扱いしてはならないものなのである。親子だからこそ適正な距離を保たなければならないのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (5) | トラックバック (1)

女の諺

●女の諺って本当に真実を突いている

 男女は性別が違うのだが、この「男女の性差」は男性と女性がまるで違う動物なのではないかと思うほど性差が激しいのだ。それもその筈、この男女の性差は遺伝子レベルでの性差なので、男女はどうやったとしてもその強烈な性差を感じずにいられないのだ。

 男性は「XY遺伝子」があることで男性になれるし、女性は「XX遺伝子」があるからこそ女性になることができる。男性は半分くらいは女性と共通する物を持っているのだが、残りの半分がまるで違う。この男性を決定づける遺伝子が男性を思わぬ行動に駆り立てるのである。

 男性から見れば女性は変だし、女性から見れば男性は変なのである。まずは性悪説に立って、「男女は決して解り合えることができない」と思った方が、逆に異性を的確に理解していくことができるものなのである。男女平等を唱えて男女の性差を無視するからこそ、異性のことが何も解らなくなるのである。

 今回紹介する女の諺は俺が今までに考え出した諺である。この女の諺は本当に真実を突いているし、人間が進化でもしない限り、永遠に使い続けられることであろう。女の諺は絶対に知っておいた方がいい。知っていれば男女間のトラブルが激減するからだ。

 女の諺を作ってつくづく思うのは、女性は「美醜」で天と地ほどの差ができてしまうし、「賢愚」でも天と地ほどの差ができてしまう。女性だからといって全員が同じなのではないのだ。女性であるなら綺麗になることに一生懸命になるべきだし、せっせと勉強して賢くなるべきなのである。

●女の諺十連発

①女が理屈を捏ねると、女の不幸が始まる

 これは俺が作った女の諺の中で、最も優れた諺である。女性というのは言語能力が達者なのであって、それは多くの他人とコミュニケーションを取るためである。結婚や育児や子育てはそれだけ多くの人たちの手助けを必要とするのである。結婚は男女2人でするものなのに、実は二人だけでするものではないのだ。

 それなのに女性が理屈を捏ねると、その理屈は男性が考えつく理屈よりも劣るし、その理屈のために人間関係が破壊されてしまうのである。こうなってくると、その理屈のために女の不幸が始まるのである。女性というものは人間関係を良好にしている限り、そんなに不幸になることはないのである。

②女は直感で女の幸せを獲得する

 俺が女性の書いた様々な本を読んでつくづく思うのは、女性として幸せな人生を生きている人は運命の転機を「直感」で決めているということなのである。本当に恋愛でも仕事でも直感勝負なのだ。女性は男性よりも遥かに直感が優れているので、この直感を正しく使えば確実に幸せになることができるのである。

 女性の中には直感を使って行動を起こしたのに不幸になってしまう人がいるものだが、そういう女性は日頃の行いが悪いからこそ、直感が巧く作動してくれないのである。普段から悪い事をやっていると、女性の顔は段々悪い顔つきになってくるので、鏡を良く見て自分の顔をチェックしておくべきなのである。

③恋愛達者の恋愛貧乏

 女性たちの中には恋多きことを自慢する者がいるものだが、そういう女性に限って恋愛貧乏であるのだ。というのは「恋愛は量よりも質」なのであって、質の高い恋愛をするからこそ女性は満足できるのであって、恋愛の回数を増やしていっても女性は満足できないものなのである。

 優れた恋愛をするためには、無闇に恋愛をしないという態度を取ることが一番なのである。常に発情しているからこそ、碌でもない男性と付き合ってしまい、自分の人生を台無しにしてしまうのである。恋愛に於いて男女が交際するか否かの最終決定権を持っているのは女性の方なのだから、恋愛には慎重になった方が良いのである。

④美人は如何なる状況下でも得をする

 男女の賃金は放置しておくと、男性「1」に対して、女性は「0.7」で落ち着くことになる。男女の賃金というものは平等ではなく、女性は男性の給料の70%しか得ることができないのである。これは確かに不平等であるのだが、男性が女性と結婚するために女性よりも多くのお金を必要とするので、これはこれで公平なのである。もしも男女の賃金を平等にしてしまえば、男性は女性と結婚しなくなり、その会社は子孫を作ることができなくなってしまい、それで倒産してしまうのである。

 ところが普通の会社であっても、美人は普通の女性たちよりも遥かに得をするのである。美人だけが依怙贔屓され重要な仕事を貰えるし、出世スピードも速いし、給料だって高くなるのだ。しかも結婚する際には他の女性たちよりも遥かにいい条件の男性と結婚してしまうのである。

 女性が自分の美貌をより積極的に使うと、男女の収入の格差は、なんと男性「1」に対して、女性「100」になるのである。女優、女性歌手、グラビアアイドル、ファッションモデルとかいう職業は普通の女性たちが絶句してしまうほどの収入を得ているものなのである。

⑤ブスはダイエットしてもブス

 これは嘗て俺が作って使っていたのだが、綾小路きみまろも毒舌漫談で使っていた。女性たちを深く観察している人は同じことを思いつくものなのである。女性の脳は恋愛中枢と食欲中枢が近い場所にあるため、「ダイエットすれば美しくなれる」という妄想を抱いてしまうのである。

 デブならダイエットすべきだが、標準体重の持ち主ならダイエットなどせず、身嗜みを整えた方が良いのである。ブスであっても身嗜みさえ良ければ、どこでもモテるものなのである。美人というのは肉体が美しいだけでなく、身嗜みもきちんと出来ているものなのである。だからブスなのに身嗜みが悪いと、余計に避難されてしまうものなのである。

⑥ブスに限って高望み

 女性たちの間では美人が優遇される以上、ブスな女性たちは静かにしていればいいものを、ブスに限って高望みしてくるのだ。ブスな女性ほどイケメンが好きという傾向があるのだ。これだからブスな女性たちの恋愛は悲しいまでに巧くいかないのだ。

 ブスな女性は常に欲求不満である以上、妄想が激しいものだ。その激しい妄想を仕事に使えば、意外と簡単に成功していくことができるのである。女性の成功者たちは美人が多い一方で、ブスな女性たちも多いのもまた事実なのである。自分の器量の悪さを巧く使えば、自分で幸せを掴むことができるものなのである。

⑦白い肌は七難隠す

 女性であるならとにかく白い肌でいた方が良い。白い肌でいればシミやソバカスやシワという物を隠してくれるので、綺麗に見えるのである。美人でない女性であっても、肌が白ければ、それだけで多少は綺麗に見えるものなのである。

 秋田美人と言われても、沖縄美人とは言わない。これは年間の紫外線の照射量の違いがこうさせてしまうのである。だから女性が夏に海水浴に行って日焼けするというのは、自殺行為なのである。夏だからこそ紫外線対策をしておけば、秋になる頃には綺麗に見えるようになっているものなのである。

⑧地黒女はスタミナで勝つ

 ところがこの世の中には子供の頃から「地黒女」という女性たちがいる。この手の女性たちは肌を白くする必要性などないのだ。それよりも地黒女のスタミナを活用して、それで成功していくようにしていけばいいのである。地黒女はスタミナがあるので、色白女性よりも良く働けるものなのである。

 しかし地黒女にも欠点がある。それは良く働くために、病気をし易いということなのである。普段から骨休みをきちんとしていないと、或る日突然に重病に罹ってしまうということになるのだ。地黒女だからといって夜更かししまくっていると、大変なことになってしまうものなのである。

⑨女は結婚すると、それ以前の恋愛を全て忘れる

 女性は結婚すると「恋愛忘却」という現象が起こり、結婚以前の恋愛を全て忘れることになる。結婚したことによって今の結婚に全力を投入するようになるので、それで今の結婚とは関係のないことは全部忘れてしまうのである。これに対して男性は結婚しても、結婚以前の恋愛を良く覚えているものだ。

 女性の場合、1度終わった恋愛の縒りを戻すのは絶対に間違いの元なのである。結婚したのなら、その結婚を大いに楽しみ、子供をどんどん産んで行った方が良いのである。自分の結婚に集中していないと、幾らでも不幸が起こって来るものなのである。

⑩巨乳出っ尻は繁殖力が強い

 女性は結婚したのならとにかく妊娠して赤ちゃんを産む。子供を多く産むことこそが女性の幸せを決定することになるのである。既婚女性たちの内、巨乳にして出っ尻の女性は繁殖力が強いので、他の既婚女性たちよりも遥かに優位なのである。

 しかし巨乳で出っ尻だと、脇腹まで贅肉がついてしまう。このため女性のダイエットは脇腹を如何に引き締めることに全力を注ぐことになるのである。脇腹に贅肉がついてしまうと、夫の方が妻に魅力を感じなくなってしまうのである。結婚したからといって間食しまくっていると、脇腹に贅肉がついてしまうことになり、そのツケがセックスレスとなって現れて来るのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (5) | トラックバック (0)

抱腹絶倒! 元も子もない「オマンコ諺」

●必殺のオマンコ諺

 前回、『チンチン諺』なる物を公表したら、このチンチン諺に驚異的なアクセス数を記録してしまった。チンチン諺は今まで存在しなかったが、チンチン諺を熱望する人たちは結構存在していたのである。そのため俺がチンチン諺を出すと一斉に飛びついてきたのである。

 しかしこのチンチン諺がヒットした後、多数の女性たちから、

「マンコに関する諺はないの?」

と訊かれるようになってしまった。あのだな~、女性が軽々しく「マンコ」って言うな。それに大体、チンチン諺があれば、マンコ諺があるだろうと考える、その平等的な思考が間違っているのだ。

 マンコは「マンコ」と呼び捨てにしてはならないものなのである。

「オマンコ様様」

なのである。マンコはチンチンよりも格上なのである。なぜなら、チンチンは立たないと使い物にならないが、マンコはそのままでも使い物になるからなのである。だからマンコ諺ではなく、「オマンコ諺」なのである。

 女性たちが俺にオマンコ諺を要求するのは解らないでもない。というのは、女性作家たちの中で本の題名に「マンコ」なる単語を使っていたのなら、恐らくその女性作家は「人間の屑」であって、その女の意見を幾ら聞いたとしても価値あるものはないであろう。

 といって普通の女性たちは如何に会話したとしても、オマンコ諺を使うことがない。だから男性である俺に対してオマンコ諺を要求して来るのである。オマンコ諺はチンチン諺よりも意味深な物が非常に多い。女性が男女平等を唱えている限り、絶対にjこの大切な諺を見つけ出すことができないものなのである。

●オマンコ諺十連発

①初潮祝いで女の幸せの半分は決まる

 このオマンコ諺は非常に重要で、両親に初潮を祝福して貰うことの絶対的重要性はいくら強調してもし過ぎることはないのだ。両親が娘を育てることができるのは初潮までなのであって、それ以降はどうやったとしても娘は両親から離れていってしまうのである。

 だから育児や子育てをエンドレスに行うのではなく、「女の子は初潮まで」と逆算して育てていくべきなのである。そうやって育てていくと時間がエネルギーに代わり、充実した日々を送ることができるのである。そして初潮を迎えたのなら、娘に対する接し方を変えて、余り口うるさく言わないようにすべきなのである。

 初潮祝いをさせれれば、如何なる女の子も恥ずかしくなるものだ。それが大事なのである。「羞恥心」があればこそ、性に対して慎重になり、堕落性愛に耽ることなく、正しい道を歩むことができるのである。10代というのは、「荒れる10代」なのである。女性ホルモンの急増が女の子を変えてしまうのであって、羞恥心を持って自分が暴走しないようにすることは、自分の人生を幸せにするためには絶対に欠かせないことなのである。

②初体験は後々まで影響を及ぼす

 初体験ほど重要なものはない。それなのに初体験をきちんとやる奴はいないのだ。誰もが恋愛至上主義に走ってしまい、恋愛すればどんなセックスをしてもいいと間違った思い込みをしているのだ。男女の成長スピードは違う。女性の方が早く成長してしまう。だから同い年の男の子と恋愛しても、その男の子はまだまだ幼稚で、女の子を満足させるセックスなんて絶対にできるわけがないのである。

 初体験をレベル高いものにさせてしまえば、その後にセックスを遣り続ければ非常にハイレベルのものができるようになるのだ。だから初体験をするならセックスのことをきちんと知っている。30歳以上の男性から手ほどきを受けた方がいいのである。男性は30歳を過ぎないと、どうしても巧いセックスをすることができないものなのである。

 これができない場合、自分が恋愛によって悪戦苦闘しながらセックスのレベルを上げていくしかないのだ。恋愛でレベルの高いセックスをしたいのなら、とにかく1年以上、じっくりとその男性と付き合い、セックスをやりまくるしかないのである。

 「セックスってこんなもんだろう」と思っている女性は初体験が酷すぎたのである。初体験のレベルが低すぎたからこそ、その後、どうやってもセックスのレベルが上がらなかったのである。女性がセックスで満足できれば、恋愛やセックスの素晴らしさに気付くだろうし、男性に対して深い敬意を持つようになるものなのである。

③クリトリスは最も敏感な性器、膣は最も鈍感な性器

 クリトリスは最も敏感な性器である。それに対して膣は最も鈍感な性器である。女性でありながら、この当たり前の事実を知らない女性が余りにも多いのである。女性が持つセックスの不満は女性本人が自分の体に対して正しい知識を持っていないことに起因するのだ。

 男性は精液が溜まるためにオナニーをやっても構わないが、女性がオナニーをやるのは危険なのである。というのは、オナニーでオルガズムに達することを覚えてしまった女性は、クリトリスでのオルガズムばかりに頼ってしまい、膣によるオルガズムに行けなくなってしまうからだ。

 男性がセックスでクリトリスのオルガズムに行かせるのは比較的簡単である。しかし膣でのオルガズムに行かせるのは、途方もない努力を必要とするのである。膣は鈍感な性器だからなかなか発達してこないのだが、それでもきちんと開発すると膣でのオルガズムに行けるようになるのだ。

 膣でのオルガズムはクリトリスのオルガズムの100倍以上の快感があると言われている。このため膣でのオルガズムに達した女性は女性として充分すぎるほどにセックスを満足することができるのである。しかしクリトリスでのオルガズムに頼っている女性はセックスになかなか満足できず、性的欲求不満がいつまでも続くということになってしまうのだ。

④悪いマンコは悪臭マンコ

 セックスの際、男性は女性のマンコを愛撫することになるのだが、そのマンコにも良し悪しがあるのだ。簡単に言ってしまえば、悪いマンコは悪臭のするマンコなのである。女性は自分のマンコの臭いなど解らないものだが、悪臭マンコの持ち主は絶対に良いセックスをすることができないのだ。

 ではなんで女性が悪臭マンコになるのかといえば、それは便秘をしているからなのである。日々ウンコが出ず、内臓に老廃物と毒素を溜め込んでしまうからこそ、マンコが悪臭を放って来るのである。まともなセックスをしたいのなら、日々の快便は絶対に必要なのである。

 快便というのは毎日1回便通があることと、便器に座ったのなら1分以内にウンコをすることなのである。朝起きたら洗顔と歯磨きをし、その後、コップ一杯の水を飲むべきなのである。こうすると全身の細胞に水分が行き渡り、老廃物と毒素を回収して、それが朝のウンコとなって出て来るのである。便意が起これば、便座に座り次第すぐさまウンコが出て来るものなのである。

 悪臭マンコは飲酒喫煙でもなりうる。女性の内臓は男性の内臓よりも生涯に亘って飲めるお酒の量が非常に限られている。それだけお酒には弱いということなのである。このため女性が飲酒をすると、悪臭マンコになってしまうのである。

 喫煙は悪臭マンコを決定的にさせる。女性の体は赤ちゃんを妊娠するように出来ているので、人体に有害な物には拒絶反応が出て来るものなのである。お酒は或る程度栄養になるから、それほど拒絶反応が出て来ないのだが、喫煙は幾ら吸っても栄養にならないので、マンコが悪臭を放つことでその異常を知らせるのである。女性が楽しいセックスをしたいというのなら、絶対に禁煙すべきなのである。

⑤良いマンコは若草の香りがするもの

 逆に良いマンコというのは若草の香りがするものなのである。排便をきちんとしてさえいれば、体内に老廃物や毒素を溜め込んでいないから、マンコからいい香りを放って来るものなのである。当然にこういう良いマンコを持っている女性には、男性は非常に大事に扱うようになり、それで結婚ということになるのだ。

 女性は26歳以降、第二次女性ホルモン急増期を迎えるので、ここで女性のマンコの香りはかなり変わって来ることになる。当然に男性がこの香りを嗅げば、「そろそろ結婚しようか?」という思うようになるのだ。しかしこれは33歳で終わるので、33歳までに結婚できないと、プロポーズの機会がなくなり、それで結婚できなくなってしまうのである。

 女性で体からいい香りを放つのは、高校生の時か、26歳から33歳の間までなのである。その時期は正に女性ホルモンの急増期と一致しているのである。だから女性は自分の考えだけで人生を生きるよりも、女性ホルモンの変化に合わせて生きた方が幸せになれるものなのである。

⑥最高のマンコは最適のチンチンを選ぶ

 結婚というものは、要はマンコとチンチンの相性なのである。男性であるならこれはセックスしてみれば解る。自分のチンチンと確実にフィットする女性というのは、本当に運命の出会いを果たした女性しかいないものなのである。しかし女性は膣が鈍感な物だから、意外とこれが解らないのである。

 結婚を成功させたいのなら、とにかく最適のチンチンを選ぶべきなのである。最適のチンチンを選んだマンコが最高のマンコということになるのだ。そのくせ女性の膣は鈍感なのだから、だから女性はそう簡単にセックスをしてはならないのである。

 肌を露出するような服装をしない。交際してもデートを3回以上するまでは絶対にセックスをしない。交際したのなら少なくとも1年以上は交際する。そうやって恋愛に対して慎重になっていないと、最適のチンチンを選べなくなるのだ。めちゃモテになっている女性に限って、最適のチンチンを選べず、ボロチンを掴んでしまうものなのである。

⑦名器は必ずしも幸福を齎さない

 男性たちは名器に憧れてしまうものだが、名器という物は必ずしも女性に幸福を齎すものではないのだ。女性は名器であるなら、男性は激しい快感に襲われ、早々と射精してしまうことになるのだ。名器は早漏を引き起こすからこそ、その名器の女性は性的満足を得ることができなくなるのだ。

 結婚して夫が早漏ばかりしているのなら、いずれ1人の男性では満足できなくなるものである。自分の性的欲求不満を解消するために不倫をしてしまうことになるのだ。それも相手は1人とかではなく、平気で10人や100人を超えてしまうほど、性の放浪者になってしまうのである。

 名器の女性を満足させることのできる男性というのはもう既に解っている。セックスが非常に巧い男性であり、しかもチンチンが余り長くなく、それでいて太い男性でしかないのだ。こういう男性はそもそも遅漏気味なので、名器の女性を相手にセックスしても、名器の女性の方が行きまくってしまうことになるのだ。

⑧33歳はマンコの曲がり角

 26歳はお肌の曲がり角であるが、33歳はマンコの曲がり角である。33歳までなら激しいセックスが出来ても、33歳を過ぎてしまえばもう無理なのである。体力が低下してきているので、激しいセックスができなくなるのだ。だから33歳を過ぎればもっとゆっくりとしたセックスに切り替え、女性が確実にオルガズムを連発できるようなセックスにしていくべきなのである。

 女性の加齢臭はまずマンコから臭って来る。33歳を過ぎればどんな女性であっても、マンコから加齢臭が出て来るのだ。加齢臭の出て来る場所が陰部であるがゆえに、女性自身がそう簡単に臭わないのだが、そこを愛撫する男性にしてみればこの加齢臭が直撃して来るのだ。だから段々とセックスをしなくなってしまうのである。

 だから33歳を過ぎたら、果物や野菜を多く取るようにすることだ。果物や野菜を多く摂取していけば、加齢臭は弱まるものなのである。大体、果物や野菜を多く摂取していれば、臭いが消えるだけでなく、肌も綺麗になっていくものなのである。化粧やエステにお金を使うよりも、もっと食事に工夫を施した方がいいのだ。

⑨マンコは若くても、年を取っても使うべし

 マンコは使えば使うほど、マンコの機能は上昇して行くことになる。だから定期的に使っていくようにしなければならないのだ。マンコを使わなければ劣化して行く。マンコが劣化すれば肌の艶や張りも劣化して行くのは当然のことなのである。

 マンコを確実に使って行くためには結婚というものが絶対に必要である。そして結婚してセックスレスにならないように楽しい結婚生活を実現できるように心掛けることだ。結婚せずに独身を貫くとか、結婚してセックスレスになってしまうようでは、マンコが劣化して行くだけなのである。

⑩女の幸せはマンコから

 これこそ究極のオマンコ諺である。恋愛だって、結婚だって、妊娠出産育児だって、マンコがあればこそできるものなのである。女の幸せをマンコが生みだすのであって、マンコ抜きで幸せを考えるからこそ、幸せを得ることができなくなるのだ。

 マンコから女性の本当の姿が見えて来るものなのである。マンコを如何にして使うかで女性の幸不幸が決定するものなのである。女性は言語能力が達者だから、口から幾らでも出まかせを言えてしまう。しかし口で誤魔化すな。言葉を幾ら積み重ねても幸せを作り出すことなどできないのだ。

 これだけははっきりと言えるかもしれない。

 「幸せな人生を生きている女性は女性としてやるべきことはきちんとやっている」と。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (8) | トラックバック (0)

大事な大事なアソコの諺

●なんでチンチンに関する諺がない!?

 本はこの世に無数あれども、本当に価値のある本はごく僅かななのである。殆どの本は読む価値のない本だと割り切ってしまった方がいいのだ。そうやって本に対して性悪説に立脚するからこそ、逆に良書を見つけ出すことができるものなのである。

 良書とはどういう本かといえば、読者たちを唸らせるような格言をビシバシと入れて来る本のことなのである。どうでもいい本というのは格言がない。たとえ格言が入っていても、その格言は大した物ではないのだ。良書の著者は充分な人生経験と知恵があり、だからこそ本の中に優れた格言を入れることができたのである。

 格言とは人生の真理や機微を簡潔に言い現わした言葉である。格言に歴史が積み重なって来ると「諺」ということになる。諺も格言とほぼ同じ意味だが、多少違うのは、諺は古くから伝わり、世間の人たちが使っている格言ということなのである。

 子供の頃は文字を勉強したのなら、すぐに諺の勉強をした方がいい。学校の国語の授業で小説を勉強したとしても、学校を卒業してしまえば、その小説の内容など忘れてしまうものだ。しかし諺は内容が凝縮されているので、一度学んだら、そう簡単に忘れないものなのである。そして諺というのは世間で生きて行くためには必要で、しかも諺を知っているからこそ危険を回避することができたり、仕事を成功させたりすることができたりするのだ。

 ところで最近、俺は諺に関して1つの疑問を持つようになってしまった。それは

「諺にはチンチンに関する物がない」

ということだ。チンチンは男にとって大事な物だ。それなのにチンチンに関する諺がないというのはどうも納得が行かない。そこで俺がチンチンに関する諺を作ってしまった。なんで格言でないかというと、俺が使ったチンチン諺を聞けば、恐らく後世にまで残る物だからだ。それだけ価値のある諺なのである。

●チンチン諺10連発

①朝からチンチン、夜もチンチン

 男性の1日は朝立ちに始まり、就寝する際は夜立ちすることで1日が終わる。起床直前と就寝直前には勃起しているからこそ、健康な体で居られるのである。何も四六時中勃起していなくていいのだ。朝立ちと夜立ち以外では、セックスする時に勃起すればいいだけのことなのである。

 この諺は、

「朝立ちに夜立ち」

と言い変えることもできる。これを文学的に表現すると、

「いい日旅立ち、おチンチン」

ということになる。山口百恵が歌うと尚良い。

この諺に類似した諺は、

「礼儀に始まり、礼儀に終わる」

である。この諺は武道に関する物であるが、武道の試合が礼儀に始まり、礼儀に終わるように、男性の1日も勃起に始まり、勃起で終わらなくてはならないのである。

②イケメンよりチンチン

 男性が女性を視覚で選ぶのは或る程度までなら正しい行為なのである。というのは女性の中で美人ということは、それだけ大量の女性ホルモンを分泌している女性なのであって、妊娠する確率が非常に高いし、母性本能も強くてきちんと子供を産み育ててくれることができるからだ。

 しかし女性が男性と同じことをやれば、確実に男選びを間違えてしまうことになる。女性は視覚で男性を間違えてしまうのだ。女性の場合はとにかく女の直感で男性を選ぶべきなのである。女の直感を使えば、自分に最も相応しい相手を見つけ出すことができ、そういう男性はその女性にとって最適のチンチンの持ち主である場合が圧倒的に多いのだ。

 イケメンに対して警戒しておかないと、女性たちの間では「イケメンスパイラル」という現象が起き、それに巻き込まれると、まともな恋愛も幸せな結婚もできなくなってしまうのだ。イケメンが出て来る少女漫画を読み、イケメンの芸能人を好きになり、友達同士でイケメンがどうのこうの話していれば、頭はイケメン着けになってしまい。いざ自分が恋愛しようとしても、女の直感が全く働かず、それで碌でもない男性たちとセックスしまくるだけことをやってしまうようになるのだ。当然、この手の女性は結婚できないし、無理矢理に結婚しても不幸になるだけなのである。

③結婚はチンチン選び

 女性が≪運命の出会い≫をして、神様から予定されている男性と巡り会うと、その交際はトントン拍子で進み、あっという間に結婚してしまうことになる。かといって、恋愛が盛り上がってしまい、運命の出会いでもないものを、運命の出会いだと錯覚してしまうことも有り得る。

 運命の出会いをどう判断するすればいいのかといえば、それは「チンチンとマンコの相性」で判断すればいいのだ。運命の出会いを果たしたのなら、その両者の性器の相性は抜群ということになる。これをやってみれば解ることなので、このことに幾ら議論しても無駄だ。

 「性器の相性」が良ければ幾らセックスをしても飽きないし、それどころかセックスをすればするほどよりレベルの高いセックスをしていくことができるものなのである。それに性器の相性が良ければ不妊症に悩まされることもなく、簡単に妊娠することができ、子供たちが大量に生まれて来ることになるのだ。

④離婚の影のボロチンあり

 男女とも結婚したのなら、余程の事情がない限り離婚しないことだ。結婚したということは、最早、その男女の仲が恋愛では維持できなくなっていたということなのであり、多少問題があっても、そのまま結婚を維持し続けた方がいいのである。しかし「もうこの結婚はダメだ」と悟ったのなら、とっとと離婚すべきなのである。

 離婚の影にはボロチンがあると見た方がいい。ボロチンとはボロいチンチンのことである。夫が妻にセックスで満足させることができないとか、セックスレスになってしまうとかいうのであれば、それは離婚になって当然のことなのである。ボロチンにならないように食事や運動やスポーツに気をつけるべきなのである。

⑤飲酒とチンチンは反比例

 飲酒とチンチンの関係は反比例の関係にある。お酒が好きな人にセックスの巧い男性はいない。セックスの巧い人は禁酒をしているか節酒をしているものである。飲酒は脳の機能を弱らせるので、どうしても飲酒をした後に巧いセックスをすることができないのだ。

 だから合コンなんて幾らやっても、自分が満足できるセックスをすることが絶対にできないのである。しかもそうやって堕落的なセックスをやっていると、自分の精神レベルまで低下してしまい、その後に様々なトラブルが発生しまくるということなのである。

 男女交際をしたいのなら、とにかくお酒を抜くことだ。もしも飲酒をしたとしても、せいぜい食前酒程度にする。そうやって意識がはっきりした状態で交際するからこそ、いざセックスをしたとしても、両者が充分に満足できるセックスをすることができるのである。

⑥チンコロリ

 男性のチンチンは勃起すると堅くなるのだが、射精してしまえばフニャフニャになる。チンコロリとは「射精し終わった後のチンチン」なのである。チンコロリになると男性は当分の間、使い物にならなくなるのだが、そういう時、女性は何かを注文するのではなく、「チンコロリなんだな~」と思って放置しておけばいいのである。

 チンコロリは「どんなに大事な物であっても、使い終われば役に立たなくなる」という意味で様々な場所で使うことができる。例えば政権交代が起こり、与党から野党に転落したのなら、

「あの政党は当分の間、チンコロリだ」

と思って、長期間に亘って放置しておけばいいのである。与党で居続けるためには大量のエネルギーを食うものであり、それなのに政権交代で野党に転落したとなれば、暫くの間、全く使い物にならなくなるのだ。野党になったのなら組織の再編成を行うべきなのであって、それすらしていないのなら絶対に再び政権を獲得することなどできないのだ。

⑦目覚ましチンチン

 男女が幾ら激しいセックスをしたとしても、翌朝になれば男性のチンチンは朝立ち状態になる。しかも男性の脇には女性が寝ているのだから、当然に発情するわけであって、眠っている女性のマンコにチンチンを挿入することになる。これが「目覚ましチンチン」である。

 目覚ましチンチンとは、「どんなに眠っていても、たった1発の行為で目覚めてしまう」という意味なのである。目覚ましチンチンを使えば、どんなに朝寝坊の女性だって早起きができる。そして目覚ましチンチンで起きてしまえば、朝からラブラブの状態になってしまい、その日1日が有り得ないほど充実しまくることになるのだ。

 目覚ましチンチンはベッドの上以外にも使うことができる。例えば十代の頃は音楽に敏感になるものだが、そういう時に衝撃的な歌に出会い、自分の人生が変わってしまうという現象が起こるものだ。家入レオは尾崎豊の歌に衝撃を受け、歌手になることを決意したのだが、彼女がチンチン諺を知っていれば、

「尾崎豊の『15の夜』は私にとって目覚ましチンチンでした」

と発言できることになる。チンチン諺を知らない人たちには珍紛漢紛であるが、チンチン諺を知っている人たちからすれな、「おお、それは凄いことだ!」と感動に浸ることができるのだ。

⑧チンチンは堅い内に使え

 男性のチンチンが堅いのは若い時だけであって、実を言うと28歳以降、チンチンから堅さが消えて行くことになる。これには個人差があって、超健康な人ならもっと遅く、35歳くらいから堅さが消えて行くことになる。このチンチンの堅さが消えるまでに、男性は自分のチンチンをきちんと使っておくべきなのである。

 どうすれば効率良くチンチンを使うことができるのかといえば、とにかく恋愛をして、相手を固定することなのである。セックスは数ではないのだ。質なのだ。セックスの相手を絞り込み、その女性とセックスをしまくるからこそ、性愛術が上達していくのである。結婚はそれを制度化したものなので、チンチンから堅さが消えたのなら、結婚をしてしまった方がいいのだ。

 性愛術というのは年を取ってから上達するものではない。若い時に真面目に生きて、年を取ってから女性に手を出そうとしても、絶対に巧く行かないのだ。セックスの巧い男性たちは20代の時に、かなりレベルの高い地点に到達しているものなのである。

⑨幸運の黒マラ

 チンチンを使っていけば皮が黒くなり、「黒マラ」になるのだが、ということはその男性は女性たちと多くの接触を持ち続けたということなのである。黒マラの男性は恐らくセックスは巧い筈なのである。当然にこの手の男性とセックスすれば女性はオルガズムに行きまくるので、それで女性は幸せ状態になってしまうのである。

 これに対してチンチンを使っていなければ「白マラ」になる。白マラの持ち主は女性経験が少ないために、セックスは下手糞だと見ていい。こうなると、この手の男性と女性がセックスをしても、オルガズムに行くことができないので、女性は不満を抱えてしまうことになるのだ。

⑩チンチンは1日にしてならず

 「ローマは1日にしてならず」と言われたものだが、チンチンも1日にしてならないものなのである。性愛術は10年くらいかけないと巧くならないのだ。やはりここでも「10年の法則」は作動して来るのだ。何事も10年間遣り続けるからこそ1人前になることができるのである。

 男はチンチンを見れば本性が解るものなのである。その男性の生きて来た軌跡がチンチンに蓄積されているのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (4) | トラックバック (0)

投票は強制されてはならない

●選挙権には棄権する権利もある

 選挙では毎回投票率の低さに悩まされるものだ。選挙で国民の意思を問うているのに、投票率が50%を下回れば誰だっていい気分にはならないものだ。だから政府は国民の投票率を上げるようなことを画策するのだが、しかしそれは国民の自由な選挙を破壊する行為なのである。

 選挙では選挙権者に「賛成票を投じる権利」と「反対票を投じる権利」が保障されている。選挙なのに賛成票を投じることが強制されたり、反対票を投じて処罰されるようなら選挙をやる意味がないのだ。そういう選挙は誰がどうやっても不正な選挙になってしまうものなのである。

 選挙でもう1つ必要なのは「棄権する権利」を確保することなのである。選挙権者が選挙で賛成票も反対票も投じたくないというのなら、その選挙では棄権するべきなのである。それなのに選挙を棄権したことで処罰されたり、非難されるようでは、まともな選挙にはならないのだ。

 「国民主権」だとか、「民主主義」とかに囚われてしまうと、「選挙には棄権も必要なのだ」ということが全く解らなくなってしまうのである。国民主権や民主主義を実現させるためには、それこそ投票率を100%にしなければならないという妄想に取りつかれてしまうのである。だがそんな選挙はただ単に選挙を強制しただけのことであって、絶対に正しい選挙の形ではないのだ。

 だから如何なることがあっても国民主権や民主主義を認めてはならないのである。国民主権も民主主義も「法の支配」を覆す常習犯であり、国民を煽りながら政府を転覆させてしまうものなのである。近代国家は国民国家だから国民に選挙権を与えていかなければならない。だからこそ国民は国民主権や民主主義に警戒し、法の支配が覆されないように用心し続けなければならないのだ。

●投票を強制するのは選挙の公正さを破壊する

 選挙管理委員会が投票を呼び掛けるキャンペーンを行うのは、選挙管理員会の業務を既に超えており、憲法違反なのである。選挙管理委員会は公正な選挙を行うのが仕事であって、選挙管理委員会が選挙を強制してくるのなら、その選挙はどうやっても公正な選挙にならないからだ。

 選挙管理委員会が投票を呼び掛けるキャンペーンを行ったのなら、その委員長と委員たち全員を逮捕し、処罰されなければならないのである。選挙管理委員会が不正なことをやっていては、選挙権者たちは安心して選挙を行うことができないからだ。

 また選挙権者たちが徒党を組んで「選挙に行こう勢」のような集団を作り、国民に投票を強いることは明確な憲法違反である。選挙権者が他の選挙権者に選挙を強いるのは、選挙権者の自由な選挙を破壊しているからなのである。「選挙に行こう勢」に関わった人たちは全員逮捕され、選挙権を没収されるべきなのである。

 選挙権者たちが選挙に来ないのは、その選挙に価値がないと思っているからなのであって、だったら選挙を価値のある選挙にする努力をすべきなのである。衆議院議員選挙の投票率が高くても、参議院議員選挙の投票率は低くなる。これは参議院がそもそも不要な議院なのであって、だったら参議院を廃止すればいいのである。戦前のように貴族院を復活すればいいだけのことなのである。

 選挙の際には報道機関に対して様々な足枷をしなければならない。報道機関が政治に対してネガティブ報道を繰り返してしまえば、投票率が低迷していくのは当たり前のことなのである。報道機関は報道に徹するべきであって、国民を扇動するようなことがあってはならないのだ。もしも国民を扇動する報道機関があるなら、直ちにその報道機関を潰すべきなのである。

●選挙に関して「80対20の法則」を使えば

 選挙に関して「80対20の法則」を使うと、投票率が50%から20%になると国民の意思は正しく国政に反映されることになるのだ。意外と低いように思えるかもしれないが、これが法則のなせる技であるのだ。投票率は50%を下回った方が良いのである。

 投票率が50%を超える選挙は、逆に選挙権者たちの意見が正しく採用されない選挙になり、国民の意思は国政に反映されなくなる。社会主義国では選挙が強制されているので投票率が99%に達するが、かといって国民の意思は何も反映されず、共産党の意思だけが国政に反映されてしまうのである。

 投票率が20%を下回る選挙は、これはこれで選挙権者たちの意見が正しく採用されない選挙になり、国民の意思は国政に反映されなくなる。投票率が20%を下回ったのなら、投票率を上げる努力をするのではなく、その選挙の存在自体を議論すべきなのである。

 公正な選挙を確保していくためには、現在のように自動的に「選挙所入場整理券」が配布されるようなシステムは拙いものなのである。選挙権者が何かしら政府に対して貢献しているからこそ、その代償として選挙権が与えられるようにしなければならないのだ。

 そういった意味では普通選挙というのは選挙自体を破壊しかねないのである。選挙はやはり「制限選挙」が良いのであって、国民全員に選挙権を与えてしまうのではなく、国民の内、兵役や納税をしている者たちにだけ選挙権を与えた方がいいのだ。

●投票率が下がれば少数意見が多数意見を圧倒してしまう危険性が出て来る

 選挙結果の動向というのは、大方、世論が決定することになる。だから国民の間で「法の下の言論の自由」というものが絶対に必要になってくるのだ。法の下の言論の自由のない所で、幾ら選挙をやっても無意味なのである。法の下の言論の自由があればこそ世論は変動して行き、その変動が選挙結果の変化として現れるからだ。

 言論の自由は国民全員が勝手な意見を言うことが言論の自由なのではない。言論を戦わせていけば必ず多数意見が出て来るのであって、その多数意見が常に主導権を持たねばならないのである。そうしなければ議論をし合った意味がなくなってしまうからだ。

 少数意見を主張することは認められるが、それは飽くまでも法の支配の範囲内なのである。戦前でも社会主義革命を目指す社会主義者たちは少数意見として出発してきたが、国民はこの意見を放置してしまったために日本の世論は社会主義一辺倒に走り、それがために無謀な戦争を引き起こしてしまったのである。

 言論の自由は飽くまでも法の支配の下で保障されるのであって、法の支配を認めない人たちには絶対に与えてはならないのだ。日本は法の支配を覆す危険な言論の自由を認めないということせず、無制限に言論の自由を認めているために、政治の安定を図ることができないのだ。

 忘れてならないのは危険な少数意見を持つ者たちは選挙に関して非常に熱心であるということなのである。例えば共産党では党員もその支持者たちも投票率が90%を超えて来るのである。だから少数意見なのに、選挙権者たち全員の投票率が下がってしまうと、共産党の政治家たちが続々と当選してしまうのである。

 自由を守るためには戦う意思を持つべきなのである。いざという時に武器を持とうとしない者は自由を語る資格などないのだ。選挙を行うなら、絶対に法の支配の下で行う。言論の自由を享受したいのなら、絶対に法の支配を受け入れる。もしも自由を悪用して法の支配を覆そうとするなら、如何なる理由があってもその者から自由を没収し、即時殲滅を行わなければならないのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (9) | トラックバック (0)

家入レオの歌に痺れました

●まさに好運気の時にデビュー

 女性の顔は「美醜」を基準に判断していく物である。当然、美しい顔なら利益は大きいし、醜い顔なら損害の方が大きくなる。美しい顔の持ち主は女性ホルモンの分泌量が多いので、仕事をやらせれば女らしさを発揮して巧くこなすし、結婚すれば妊娠出産育児を卒なくこなすことができるのである。醜い顔の持ち主は女性ホルモンの分泌量が少ないために、仕事も結婚も巧くこなせない可能性の方が高いのである。

 しかし美醜の基準とは別に、インパクトのある顔の持ち主という者がいるものだ。この手の顔の持ち主は運命学的に家系からの食み出し者で、家系から飛び出ることで、自分1人の力で新たな新たなる家族を作り上げていかなければならないという宿命を背負うのである。

 平成24年に歌手デビューした<家入レオ>はまさにインパクトのある顔の持ち主で、この顔を1度見たら絶対に忘れない。芸能界のように浮き沈みの激しい世界では、この顔は非常にラッキーなのである。目が釣り上がっている女性は自分の意思を徹底的に通して来るので、他の誘惑に惑わされることなく、歌手の仕事に専念してくるのだ。

 家入レオの出身地は福岡県福岡市である。福岡県というのは出来のいい芸能人を大量に排出している県である。幼い時、事情があって両親と別れて暮らすということをしている。家系の食み出し者ゆえ、幼少の頃からこういう運命に遭ってしまうのである。

 13歳の時に尾崎豊の『15の夜』を聞いて、シンガーソングライターを志すようになる。中学生の時に西尾芳彦の「音楽塾ヴォイス」に入門して、歌唱力を鍛えて行く。17歳の春に両親の反対を押し切って東京に上京し、その翌年には歌手デビューしているのだ。本当に自分の力で自分の道を切り開く人生を送って来ているのである。しかも歌手デビューした年は彼女にとって好運気の年で、行き成り大ブレイクしてしまったのである。

●家入レオの画数

 家入レオは芸名である。所属事務所の社長が「お前の目はライオンに似ているから」という理由でつけたものである。この時点で家入レオの成功が約束されていたと言っていい。所属事務所の社長も家入レオの顔を見てピンと来るものがあり、それでそれに相応しい芸名をつけたのである。

 家入レオの本名は公式的には非公開だけど、「家入稚奈」というのが本名であることが解っている。「稚奈」と書いて「レナ」と読む。

 稚奈は21画

なので、若い時には苦労が多いのだが、自分の力だけではなく他人の支援を借りて成功していくタイプなのである。だから生い立ちは不幸であっても、親戚がちゃんと育ててくれたし、音楽塾でもいい教育を受けることができたし、所属事務所も出来のいい物と巡り会うことができたのである。

 21画は創造力が非常に強い画数なので、歌詞を作るのは最適だと言っていい。普通のシンガーソングライターが作る歌詞よりも、明らかに違う歌詞を作って来るのだ。家入レオの作った歌を聞くと、なぜだから耳に残ってしまうのは、創造力があるからなのである。

 レオは4画

なので、家族の縁が薄く、病気がちで短命である。しかし芸術性を高める画数なので、芸術性を発揮している限り、そんなに大きな不幸は起こらないのだ。だから芸術性を発揮してこなくなると、途端に問題が噴出してくることになるのだ。

 家入レオの総画は16画

なので、超強力な吸引力を持つことになる。家入レオ自身、尾崎豊に憧れてシンガーソングライターになったのだが、尾崎豊が若者たちのカリスマだったように、家入レオも若者たちのカリスマになった方がいいのだ。バラエティー番組に出て人気を博していたりすると、逆に吸引力は落ち、廃業へと追い込まれてしまうことになるのだ。

●家入レオの音相

 レオの音相は「論理的雄弁家でありながら堅実派である」ということである。家入レオが作る歌詞には合理性であり、それいながら「手堅いな」という印象を受けるのは、この芸名の力がなせる技なのである。感情的な歌よりも合理的な歌を着々と作って行くのが成功の近道であるのだ。

 欠点としては年齢に相応しくなく、下手をすると「高慢」に思えてしまうということなのである。年齢相応に生きるのが、必ずしも正しいとは限らないのだ。家系から食み出して来た者はどうしても早くに大人にならなければならず、高慢だと思われても、自分にとって邪魔になる者たちを吹き飛ばして行くしかないのだ。

 本名の稚菜の音相は「シャープで実行力があり、そのくせ呑気で無頓着」ということである。家入レオの個人レベルでの性格はこの本名の方が良く出ている。17歳の時に思いきって東京に上京してしまったのも、この本名があればこそなのである。無頓着さは服装に思いっきり現れている。

 家入レオは仕事で大活躍してしまうものだが、その反面、自宅が汚かったりするのだ。呑気で無頓着だと、どうしても日々掃除をしないものだ。掃除だけは絶対にした方がいい。家の中が汚くなって来ると、どうしても運気が低下してしまうからだ。

 苗字に関して付け加えておくと、「家入」という苗字は男子がなかなか立ちにくく、とうしても女が強くなってしまう家系なのである。家入という苗字自体、「女主人の家に男性が婿入りする」という意味なのである。家入が聞き慣れない苗字なのは、この苗字だとなかなか繁栄していかないからなのである。

●突進力をどう使うか?

 家入レオの運命星も姓名も「突進力」というものが与えられているのである。この突進力をどう使うかなのである。家入レオが普通の人たちのペースで走っていたら絶対に負けるのである。家入レオの持ち味は普通の人たちよりも速くに突っ走って行くことなのである。

 家入レオは若い時にしかできないことを殊更に強調した方がいいのだ。若ければ若いほど、突進力というものがあるものなのである。年齢を重ねれば重ねるほど、突進力は落ちて行くものなのである。今の自分にできることを全部やってしまうからこそ、運勢が開けて来るのである。

 本名の家入稚奈も「<小さな稲>と<神事用の果樹>」という字義なのである。「小さな稲」のように人生の初期に於いて若々しく生きることが、「神事用の果樹」のようにその後の人生で大量の果実を齎してくれるのである。名は体を現わすというが、本当に自分の名前通りの人生を送っているのである。

 問題は「自分が若い時に作った歌が音楽界の歴史の中で耐えられるのか?」ということなのである。自分が若いということはどうしても幼稚な部分を持っているのである。それを女性が出せば可愛いと言われるものだが、時間が経過すればバカバカしいものになっていくのだ。

 尾崎豊はそれができたのである。だから今でも尾崎豊が作った歌は聞けるし、中には名曲として存在している物もあるのである。そのくせこの作業は非常に苦しいものであり、尾崎豊自身、麻薬に溺れたし、自殺に近いような死に方をしているのだ。

 若い時って、或る意味、自殺願望のようなものがあるから、早死にした者に憧れるものだ。しかし自分が年を取って自分が憧れていた人の享年を超えた時、自分が今まで憧れていた人のダメな部分が思いっきり見えてきて、憧憬の念が消えてしまうものなのである。それが自立の証なのだが、家入レオが尾崎豊の享年に達した時にどうなるかは見物である。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西野カナの歌はなぜギャルたちに受けるのか?

●都会の雑踏の中では「ストレートの歌」がはやるもの

 俺は時折、仕事で東京に行くのだが、東京というのはとにかくうるさい。利用客が大量にいるので、その足音やら会話で雑音だらけになってしまうのだ。こんなに都会の雑踏がうるさいと、音楽界では「ストレートの歌」こそがはやるのだと思う。複雑な歌ははやりにくいのだ。

 「ストレートの歌」とは基本的に発声がストレートである。高音で発声し、声にパンチを利かせた物にすればいい。これは歌手なら誰でも解ることなのだが、これをやらない歌手の方が多い、その理由はこういう歌い方は、年を取ったら出来なくなってしまうからなのである。

 ストレートの歌は発声だけでなく、歌詞もストレートなのである。作詞者に何か言いたいことがあって、それを解り易く書くからこそ、人々に伝わるのである。他人に言うべき価値がない歌詞だと、何度も聞いたとしても心には残らないのだ。

 歌詞がストレートということは曲もストレートなのである。楽曲を下手に複雑にすると、何がなんだか解らないものなのである。そんな曲を聞いても全く乗らないのだ。人々を乗り乗りにさせてしまうためには、楽曲がシンプルの方が良いのである。

 西野カナの歌はまさにこのストレートの歌の範疇に入るのである。こういう歌を聞いてしまうと、手厳しい俺だって評価せざるを得なくなってしまうのだ。発声も良いし、歌詞も良いし、楽曲も良いのだ。こういう歌が売れないわけがないのである。

●「カナ」の語源

 西野カナは芸名で、本名は「西野加奈子」である。本名よりも芸名の方が断然に良い。本名で活動してしまうと結構クドくなってしまうのだ。西野加奈子を西野カナとしたことで、そのクドさがなくなり、人々に受け入れられ易い名前になったのである。

 西野カナに加奈子と名付けたのは、西野カナの両親のどちらかだと思うのだが、何か深く考えて付けたのではあるまい。実を言うと、この名は古代日本語に由来するものなのである。姓名判断では女性の名前の方に古代日本語が残るという法則があって、今回の事例もこれに当て嵌るのだ。

 加奈子と漢字で書いてしまうと漢字の意味を考えてしまうのだが、「カナコ」と漢字抜きで書けば、この名の本来の姿が浮き上がって来ることになるのだ。

「カ」は「輝く」という意味である。

「ナ」は「伊都国」という意味で、「日本」という意味になる。

「コ」は「子供」という意味で、女性だから「女の子」という意味になる。

 これを合わせると、「輝く日本の女の子」という意味になるのだ。だから西野カナはまさに日本で輝いてしまうのである。カナコという名の女性が成功して行くためには、とにかく輝くことだし、日本を意識することなのである。輝かなかったり、日本を意識しないと人生を成功させるのは難しいのだ。

 西野カナは自分の名の力をより増強するために、様々なことをやっているのだ。

 例えば、髪の毛を金髪にしているのだが、こういうことは輝きを増すことになるので、これは非常に良いことなのである。西野カナのファッションセンスが良いのも実に良いのだ。美脚を自慢するのも良いのであって、そうやって自分が輝くように見せるからこそ、より運勢が強まって行くのである。

●カナの字画

 西野ナカの名の字画は「4画」である。4画は家族縁が薄く、病難が付き纏うことになるのだが、芸術性の高い画数なので、この名で芸能界で仕事をすれば、当然に大ブレイクしていくことができる。西野カナは本名の西野加奈子から、西野カナという芸名にしたことでヒットが約束されていたのである。

 しかも本名の加奈子は「16画」なので、この4画のカナと非常に相性がいいのだ。16画は努力しなければ絶対に成功しない画数なのであるが、西野カナはデビューする前に様々な努力をした人なので、それをやった後に西野カナの芸名でデビューしたので、本名と芸名の双方からエネルギーを貰うことができるのである。

 芸名というものは無闇につけるものではないのだ。芸名には本名との相性があるので、相性が良ければ大ブレイクすることになるのだが、相性が悪いとデビュー後にトラブルまみれになってしまうものなのである。芸能人たちの中はこのタブーを犯している人たちが結構いるのだ。

 西野カナの総画は「21画」なので、非常にエネルギーの強い活動をすることになる。西野カナの歌を聞いて元気になるのは、彼女の総画が物を言っているからなのである。但し欠点としては若すぎる歌を作って来ることなのであって、若さを幼さと勘違いしてしまうと、どうにも下らない歌になってしまうのである。

 西野加奈子だと総画は「33画」になってしまうので、この画数は女性には強過ぎて、結婚して苗字を変えないと、独身を貫いて寂しい人生を送ってしまうのである。夫婦別姓の議論があるものだが、女性は結婚によって苗字が変わることができるので、この利点を大いに活かすべきであって、結婚後も旧姓でいるようなことはすべきではないのである。

●カナの音相

 西野カナの名の音相は、「女性なのに科学的な思考ができ、それでいながら女性らしさを持つ」ということになる。西野カナの歌がギャルたちに受けるのは、西野カナの脳味噌が男前になっているからなのであって、そのくせ女性らしさをきちんと押さえているから、西野カナの歌を聞き入れてしまうのである。

 カナという名の女性は積極的に仕事をどんどんやる女性である。西野カナもデビュー以来、仕事をどんどん推し進めているのだが、こういう仕事の仕方こそ、自分の名に合った仕事の仕方なのである。休暇を取る時はきちんと取るべきだが、仕事をゆっくりと進めるようなことなどは絶対にしてはならないのだ。

 その一方で、カナという女性は突如仕事を放り出すことがあるのだ。忍耐力がないというのが、この名前の最大の欠点であるのだ。だから余りにも多くのテレビ番組に出てしまうと、西野カナはストレスを溜め込んでしまい、或る日突然に活動休止ということになってしまうのだ。

 西野カナは美脚を売り物にしているために常に脚を出しまくっているのだが、このため、時折、顔が浮腫んでいる時があるのだ。完全に冷え性の症状が出ているのだが、こういうことが長く続くと仕事に支障が出て来るものなのである。

 俺は西野カナの運命の分かれ道は、美脚をどうるかにかかっていると見ている。美脚を出すのを控え、ズボンなりスカートを穿くようになれば、長期間に亘って活躍し続けることができるが、今のように美脚を晒し出していると、いずれはその活動に終止符を打つことになるだろうと思う。

●スッピンの西野カナは意外とブスなんじゃないのかな?

 西野カナの歌で気になるのは、「スッピンの西野カナは意外とブスなんじゃないの?」ということなのである。美人の女性だったら絶対に言わないようなことを西野カナは歌詞に書いているからだ。ブスの戯言をストレートに歌っているからこそ変な風には聞こえないだけなのであって、冷静になって歌詞を読んでみると本当に変なのである。

 実を言うと、加奈子という名前の女性はブス率が高いのである。西野カナは化粧を巧く決めているからこそ綺麗に見えるだけのことであって、化粧を落としてしまえば、酷い顔が現れて来ると思う。本当にあの化粧面には騙されてはならないのだ。

 しかもたまに激痩せすることがあり、顔が化粧していても、余りにも酷い物になる時があるのだ。こういう時の顔を見ると、「やっぱり!」と思ってしまうのである。16画の女性はしっかりと飯を食うタイプなので、食事だけはきちんと取っておいた方がいいのだ。

 本名の西野加奈子は「恋に溺れて献身的に尽くすタイプ」なのである。本人がブスである以上、相手はイケメンということになる。しかしイケメンは決して彼女を大切にしないので、それで満足行く恋をすることができなくなってしまうのである。

 16画の女性は恋に焦る余りに、ラブホテルの代金をも自分で支払ってしまったりすることも多い。しかしこういうことをやっている限り、絶対にいい恋愛などすることはできないのだ。16画の女性はくれぐれも男性から惚れられることによって、可愛い女性に変身していくということを決して忘れないことだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (11) | トラックバック (1)

なぜ壇蜜は男性からも女性からも好かれるのか?

●壇蜜を舐めてはならんぜよ

 最近、雑誌を読んでいて困るのが、壇蜜のグラビアである。余りにも露出の多いグラビアなので、「どこぞのAV女優が出ているんじゃ?」と思ってそのグラビアを良く見てみると、実は壇蜜だったというのがしょっちゅうなのである。壇蜜のグラビアは他のグラビアアイドルの物とは違ってパワーが有り過ぎるので。雑誌を読む際にバランスを崩してしまうのである。

 壇蜜は決して美人ではない。ブスの範疇には入らない程度の女性である。しかし黒髪を伸ばすことで、それがいい雰囲気を醸し出しているのだ。しかもグラビアでは目のやり場に困るような写真を出しているくに、いざ私服を着れば、きちんとしたお洒落な服を着ているのである。

 更には壇蜜の発言内容である。グラビアアイドルというのは、大抵はバカなものなのだが、この壇蜜は明らかに自分できちんと物を考えた上で発言しているのだ。それこそ傾聴に値する意見を言って来るので、当然にルックスだけではなく、言葉でも人気が出て来てしまうのだ。

 壇蜜が男性たちに好かれるのは当然のことだろう。グラビアは凄いし、その発言も面白いからだ。だがこの壇蜜は女性たちからも好かれているのだ。女性たちから見て嫌らしい女性ではないのだ。女の武器を使って、したたかに活動しているタフな女性と映ってしまうのだ。

 壇蜜は本当に舐めてはならない女性だ。グラビアをやらせても、「これは私の天職だ」と割り切った上でやっているのである。他のグラビアアイドルたちがお金が儲かるとか、人気が出てチヤホヤされるとかいう程度の気持ちでやっているのにである。

●ホステス出身者は男性たちを敵に回さない

 壇蜜の本名は「斎藤支静加」という。「シズカ」という名の女性で静かに生きている女性はまずいない。「静」とは争いごとを治めるという意味があるので、とにかく競争のある場所に入り込み、そこで確実に勝利を収めて行くのだ。しかも普通の「静」ではなく、「支静加」という難癖のある字を使っているのだから、その性格がよりパワーアップされてしまうのだ。

 壇蜜が持っている資格は驚くべきものがある。まず「英語の教員免許」であり、「調理師免許」であり、「日本舞踊師範の資格」を持っているのだ。英語が出来るから、平易に物を話すことができるし、調理師の免許があるから、栄養バランスのある食事を作れ、それを食べることができるので、綺麗になれるわけだ。

 日本舞踊は芸能活動をするには絶対に欠かせないもので、日本舞踊は前任の筋肉を使うので体がスマートになるし、足の動きが非常に美しくなるのだ。しかもただ単に日本舞踊を習っているのではなく、日本舞踊の師範にまで行っているのである。

 壇蜜はホステスをやっていた時にスカウトされたらしいのだが、ホステスをやっていた経験は大いに活かされている。会話に於いて男性たちを敵に回す喋りをしていないのだ。これは若いホステスで売れっ子になった人は誰でも持てる技能なので、この技能を身につけてしまうと、その後の人生で男性たちが自分の協力者になってくれて、大いに運勢が開けて来るものなのである。

 この世には男性が半分、女性が半分いるわけだから、敢えて異性を敵に回すべきではないのだが、なぜなか異性を敵に回して生きようとする人たちが大勢いるものなのである。こういうことを起こさないためには男女ともに若い時にきちんと恋愛をした方がいいのだ。若い女性であるならホステスでもやって、男性との付き合い方を学んだ方がいいのである。

●壇蜜の画数

 壇蜜という芸名は壇蜜本人が考えたらしいのだが、この壇蜜という芸名を考え出した時点で、壇蜜の成功は約束されていたと言っていい。壇蜜というのは「仏壇にするお供え物」という意味らしく、宗教的な意味合いを持つ芸名であるのだ。

 壇蜜の画数は「30画」になるので、無から有を生み出し、一気にトップに駆け上がることができる。好調な時は何もかもがラッキーになって、天下に名声を馳せることができる。しかも財産運が強いので、お金に困ることがなく、その資金力を活かして、より良い仕事が出来るのである。

 しかしこの30画は浮き沈みが激しいので、若くして成功を収めたのなら、もうそれ以上高望みをせず、穏健で地道な生き方をした方がいいのだ。もしも成功しても更なる成功を追い求めてしまうと、運気が急速に落ち、急転直下で奈落の底に落ちて行くことになるのだ。

 俺から言わせて貰えば、「壇蜜」は「檀蜜」の方が良かった。この檀蜜だと31画になって、美人の画数になるし、鋭い知性や豊かな外交手腕を発揮して、より活躍していくことができたからだ。しかも檀蜜にしてしまえば、「檀那たちへのお供え物」という意味になり、よりグラビアアイドルらしい名前になるからだ。

 芸名を考える時、自分自身で考えるのは非常に難しいし、危険であるのだ。自分が正しいと思っても、運命学からすれば間違っていることも有り得るからだ。かといって占い師でも新たな名前を作り出すのが巧い人は余りいないので、占い師に頼ってしまうのも危険なのである。

●壇蜜の音相

 壇蜜の音相がこれまた凄い。壇蜜の音相は「威風堂々にして実行力があり、優しいが突進力で、地味だが大胆不敵」ということになるのだ。芸能界のような特殊な世界では、このような性格は非常に重宝する。二重人格のような人ほど、芸能人には向いているのだ。

 壇蜜がなぜ男性からも女性からも好かれのかというのは、この壇蜜の音相からも解明していくことが可能である。壇蜜には男性的な要素と女性的の要素の双方が入っており、女性なのに男っぽい所もあるし、それでいながらきちんと女らしい所は持っているのだ。

 壇蜜の音相で欠点を探せば、「自分勝手」な部分があるということである。自分のこのキャラクターこそがヒットの原因だと自分で解っているので、なんでも自分の意見を押し通そうとしてしまうのだ。こなると周囲からは「壇蜜は自分勝手だ!」と言われてしまい、逆に仕事がしづらくなってしまうのである。

 こういうことが起きないように、男性と女性の双方からアドバイザーを持っておくべきなのである。基本的には年上の方が良い。同い年とか年下だと、意見を言ってくれても人生の経験値が少ないために、その意見を採用することが難しいからだ。

 壇蜜の音相から言うと、既存の人気番組に出て人気を得るより、深夜番組をやって、その深夜番組から人気を得て、そしてその深夜番組をゴールデンタイムの時間帯に放送できるようにした方がいいのだ。壇蜜という名前は基本的には地味なので、この地味を巧く活かすことが成功の秘訣なのである。

●お勧めは結婚逃げ切り

 壇蜜の最大の欠点が天中殺のド真ん中でデビューしてしまったということなのである。本人は芸能人にはなろうと思ったことがなかったのだが、天中殺の中で運気が衰退した時、その打開策としてグラビアデビューしてしまい、それで仕方なく芸能界入りしてしまったのである。

 天中殺でデビューするということは、仏教的に言うなら「功徳が足りない」ということなのである。壇蜜がどの仏教の宗派に属しているのかが解らないのだが、その宗派のやっていることにかなりの問題があったということなのである。功徳がないからこそ、天中殺でデビューしてしまったのである。

 かといって、天中殺でデビューしたからダメではないのだ。天中殺でデビューするということは、自分の人生を違った方向に展開するということなのであって、グラビアアイドルとして大成功を収めたのなら、結婚して芸能界を引退してしまえばいいだけのことなのである。

 結婚で逃げ切るというのが、天中殺の害悪を抑える最善の方法なのである。幾らグラビアアイドルとして大儲けしたからといって、いつまでも残り続けてしまうと、それこそ自殺に追いやられるほど悲惨な目に遭ってしまうことになるのだ。

 壇蜜の人気をこの程度だと思ってはならない。壇蜜は今から3年後に運勢のピークを迎えることになっているのだ。だから今後も益々活躍していくことになる。パワーの強い女性だから、様々なジャンルに影響を及ぼしていくことになるであろう。そして人気が絶頂になった時に結婚して引退するというが、最も理想的な引退の仕方なのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (5) | トラックバック (2)

脳の20歳は体の60歳

●心身の成長速度は異なる

 人間の体は19歳が成長のピークである。これは男女ともに同じなのであって、19歳の段階で最も体力が高まるのだ。人間は男女ともに19歳までに結婚するように出来ているのであって、そうやって成長のピークで結婚するからこそ、超健康な赤ちゃんを産み育てることができるのである。

 しかし心身の成長速度は異なる。体の成長のピークは19歳なのに、脳の成長のピークは60歳の時なのである。脳の成長のピークは体の成長のピーク以上に本人が感じ得ないものである。それもその筈、60歳までに脳に充分なエネルギーを送り、脳を鍛えていないと、脳の成長のピークを感じることができないのである。 

 作家たちの間でも、60歳を過ぎてからいい作品を書く場合が非常に多い。60歳にもなれば性欲が落ちているから、性に執着することはもうないであろう。そうやって性への執着がなくなると、作品制作に全エネルギーを投入することができるので、いい作品を作れるようになるのだ。

 男性は70代前半で免疫力の低下が起こるので、この時期に命を落とす人が大量に出て来る。だからこれを乗り越えることができた作家たちというものは、まず評価していい。70代前半で死ぬような作家たちは生き方に問題があった可能性が高いのである。

 70代前半を過ぎたのなら、とにかく死なない努力をし、できる限り長生きをすることだ。長生きすればするほど作品制作の時間があるのであって、無理をせず仕事をし続けていけば、膨大な仕事をこなすことが可能になるのだ。自分が何もかも仕事をするのではなく、もう不要になった仕事は若い人たちに任して、年をとった自分だからこそできる仕事に集中すべきなのである。

●脳の臨界期と体の臨界期

 脳の成長のピークが60歳である以上、60歳以前に死ぬのは問題外なのである。そういう生き方は生き方が間違っているのであって、若くして死んでしまうような生き方をすべきではないのだ。人生は長丁場なのであって、それに合わした生き方をすべきなのである。

 人間の脳には臨界期というものがあって、5歳から6歳の時期に脳の臨界期を迎える。この時期まで遊びまくってシナプスを増やして行くべきなのである。脳のシナプスは6歳を過ぎると減少し始め、16歳辺りでシナプスの減少が停止することになる。

 だから小学校や中学校の存在が非常に重要なのであって、この時期に優れた教育を受けると、シナプスの減少を最小限に食いとどめることができるのである。「学校無用論」や「学歴無用論」が時折出て来るが、文化というものは誰がなんといおうが学校があればこそ発達してくるものなのである。

 現在の日本では義務教育は中学校までであるのだが、これは脳に関する限り正しいのである。小学校卒では脳のシナプスの減少を食いとどめることができなくなるので、文化の低下を引き起こしてしまうのだ。国民に対しては強制的に中学校を卒業して貰わねば困るのである。

 肉体の成長のピークは19歳だから、当然に高校に行った方が有利である。高校生の時はとにかく運動部に入って体を鍛えておくべきなのである。しかし大学受験のために勉強ばかりする人たちが出て来るからこそ、この高校を巧く機能させることができないのである。大学入試に体育の科目を入れておけば、知識至上主義的な受験を阻止することができるものなのである。

●大学と大学院

 人間の心身のことだけを考えれば学歴は高卒で充分なのである。大学とか大学院は本来不要なものなのである。しかし大学や大学院では学者たちがせっせと研究しているからこそ、そこで学ぶ価値が出て来るのである。大学や大学院は校名で選ぶより、優れた学者がいるか否かで選んだ方がいいのだ。

 高卒の人と大卒の人とを比較した場合、高卒の人たちが絶対に持っていない物がある。それは「一般教養」であるのだ。これは本当にそうなのであって、高卒の人が書いた本には一般教養というものがまずないのである。そうなってしまうと高度な思考が展開できなくなってしまうということなのである。

 大学生たちという者は遊び呆けているものであるが、これは一般教養の重要性が解っていないからなのである。恐らく一般教養を本格的に学ぶのは大学生の時しかないのである。だからこの時期を遊んで過ごせば、大学に行っても一般教養を身につけることができなくなるのは当然のことなのである。

 大学への進学率が50%を超えてしまえば、「学士」の価値が急速に低下してくるのは当然のことである。いずれどこの大学を出ようが、学士では価値がなくなる時代がもうすぐそこまでやってきているのだ。大学院に行き、修士号や博士号を取って、専門分野で仕事をして成功を収めるというのがビジネスの王道になるのだ。

 大学院の改革は絶対に必要で、大学教授を育成するためだけの大学院を存在させてはならず、社会人たちに専門知識を付与するために大学院教育を施したりすべきなのである。大学院が閉鎖空間だからこそ、大学院が機能していないのである。大学院を機能させるためには、より多くの人たちに修士号や博士号を持って貰うようにすべきなのである。

●人生経験と知恵の蓄積

 大学や大学院の行った場合、絶対に気をつけるべきことが1つだけある。それは

「大学教授というものはどうやっても≪人生の師匠≫にはならない」

ということなのである。大学教授というのは優れた研究をしたからこそ大学教授になれたのはごく一握りの人たちであって、大部分は縁故採用なのである。大学院生が大学教授と巧くコネを持っておけば、下手なミスを犯さないという条件つきであるが、簡単に大学教授になれてしまうものなのである。

 大体、そういうような形で大学教授になった者に称賛に値する人格を持つ者はまずいないものなのである。

 大学教授たちというのは学術書を書きはするが、自己啓発書を書かないものだ。大学教授の世界では人格を鍛えるということが必要ないからこそ、自己啓発書を書かないのである。このことは大学教授の最大の欠点であると決して忘れない方がいい。

 19歳を過ぎてからの人生では「人生経験」と「知恵」こそが大事なのである。この人生経験と知恵を自分が世の中と悪戦苦闘しながら地道に身につけていくしかないのだ。一気に大量の人生経験や知恵を獲得することなど決してできないのである。時間をかけてコツコツとやっていくしかないのである。

 人生の中でも最も重要になるものは、「結婚」である。結婚によって人生の明暗が分かれてしまうからだ。結婚する際には自分にとって最善の相手と、時期を間違えずに結婚すべきなのである。これが巧く行った夫婦はその後、大した努力をしなくても幸運の連続になってしまうものなのである。

 妊娠出産育児は早目にやっておいた方が良い。女性の卵子は年齢を経過すればするほど劣化していくものなのである。19歳で最も健康的な卵子を排出できるが、それ以降は徐々に老化していくものなのである。そういうことを考えれば早目に結婚して妊娠出産育児を矢継ぎ早に行っていった方が良いのである。

●ところがどっこい、そうじゃない!

 人間の脳が60歳で成長のピークに達するのなら、60歳以降に作家デビューした方がいいのではないかと思ってしまう。事実、60歳以降になってから作家デビューしてくる人たちもいる。しかし60歳以降に作家デビューした人の作品はとにかく文章が下手糞なのである。しかも60歳以降に作家デビューしても書ける時間は限られているのである。

 60歳以降に書いた本で良いのは「自叙伝」ぐらいなものなのである。60歳まで生きてきたということは、それなりの人生経験や知恵が蓄積されているから、自叙伝を書かせたら面白いものができるものなのである。だからといって他のジャンルの本が巧いとは限らないのだ。

 俺が様々な本を読んで来てつくづく思うのは、女性作家なら20代で作家デビューした人の本が一番面白いということだ。女性の人生はスタートダッシュ型なのであって、大器晩成というのは女性には相応しくないのだ。だから女性が男女平等を唱えて男性たちと歩調を合わせてしまうと、どうにもならなくなってしまうのである。

 男性作家ならやはり30代か40代で作家デビューした人の本が面白い。男性は30歳にならないと自立してこないのであって、女性の自立よりも遥かに遅いものなのである。20代で作家デビューされても、「お前さん、ちょっと青臭いいんじゃないの?」と思ってしまうのだ。

 脳の成長のピークが60歳だからといって、それまでに何もしないのでは困るものなのである。若い時からせっせと脳を鍛えていくからこそ、いざ60歳を迎えた時にいい作品を作ることができるのである。逆に言えば、60歳になっても大した作品を書いて来ない作家は、どう考えてもどってことない作家なのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (8) | トラックバック (0)

功利的に生きる生き方はなぜ最終的に大損になるのか?

●人間は功利的な生き物

 人間は功利的な生き物である。自分にとって利益になるからと思うからこそ一生懸命になって働くのである。働けば給料を貰えるからこそ、その労働が重労働であっても働くのである。もしも幾ら働いても給料を貰えることができないのなら、その労働をやめてしまう筈だ。

 こういう考え方を「功利主義」というのだが、功利主義はかなりの説得力を持つ。なぜなら経済が発達してくれば、人々は「損得勘定」という感情が非常に激しくなってくるから、功利主義の考えを示されれば、すぐに納得してしまうし、反論することが難しくなってくるのだ。

 功利主義が厄介なのは、そうやって個人の感情に激しく訴えるこの思想が、「最大多数の最大幸福」を求めて立法に働きかけてくるということなのである。個人レベルの問題を国家レベルの問題に擦り替えてしまう所にこの功利主義の致命的な欠陥が存在するのである。

 実際、どこの政府であったとしても、「この法律は国民の利益になるから」という理由を以て新たな法律を作り、制定して来るものだ。しかし実際にやってみて、その法律は巧く行かないのである。そんな当たり前である。国家レベルで物事を考えるのなら、個人レベルを超えた考え方が必要なのに、それを全くしていないからなのである。

 人間は功利的だからこそ功利主義という考え方を一度は疑ってみるべきなのである。人間が功利的だからといって、功利主義者だとは限らないのである。人間は功利的ではあったとしても、功利主義者たちには見えてない物があるかもしれないのだ。

●人間の生き方は4パターンしかない

 人間の生き方を突き詰めてしまうと、たった4パターンしかない。人間の考え方には様々なものがあれども、必ずこの4パターンに収斂してしまうのである。功利主義のように1つの考えで人間を見るからこそ、人間を根本から間違えてしまうのである。

①テイク&テイク

 まずは「テイク&テイク」な生き方である。これは他人から物を奪い取ることしか考えていない生き方である。通常、こうやって奪い取ることだけを考えて生きていると、必ず犯罪を引き起こし、刑務所で暮らす羽目になる。社会に対して有害な人々は法律で取り締まるしかないのである。

②テイク&ギブ

 次に「テイク&ギブ」な生き方である。これは他人から何かを奪い取った上で、他人に利益を与えようとする生き方である。損得勘定の感情が激しくなってくると、まずこの考えを持ってしまう。社会主義者やフェミニストたちは自分たちの要求をまず出し、その要求を認めてくれるのなら働くという碌でもない考え方を持ってしまうのだ。犯罪者にはならないけど、放置しておくと犯罪者レベルの有害さを発生させて来る連中である。

③ギブ&テイク

 第三に「ギブ&テイク」な生き方である。これは自分が何かを与えた上で、その代償として利益を得ようとするのだ。他人から何かを奪うわけではなく、他人に利益を与えた上で自分も利益を得るのである。真っ当な人たちはこの生き方をするものだが、それほど豊かになることができない。それはただ単に自分の労働力を提供して、その代価を得ようとしているからなのである。

④ギブ&ギブ

 トドメが「ギブ&ギブ」な生き方である。これは自分が何かを与え、更に多くの物を与えてしまう生き方である。冷静に考えてみれば物凄く損な生き方であるのだが、この生き方こそ最も豊かに生きることができる生き方なのである。人々を常に豊かにさせ続けるからこそ、自分も常に豊かになっていくことができるのである。

●人から豊かさを奪い取る生き方をやめよ

 人間が不幸から抜け出したいのなら、人々から豊かさを奪い取る生き方をやめなければならないのだ。自分がお金や物を不足させているからといって、他人からお金や物を奪い取ってしまえば、相手はカンカンになって怒り出し、トラブルまみれになってしまうものなのである。

 この世を正しく生きて行くためには「立場の互換性」という考え方が絶対に必要なのである。自分のことばかり考えるのではなく、相手の立場になって考えるのである。自分が他人からお金や物を奪い取る生き方というのは、他人もあなたからお金や物を奪い取ることをしてくるということなのである。

 宗教的には「人生の黄金律」というものがあって、「自分がして欲しくないことは他人にしてはならない」「自分がして欲しいと思うことを他人に施してあげなさい」というものがある。前の文章は儒教の孔子の格言であり。後の文章はキリスト教のイエスの格言である。

 人生の黄金律は確かに素晴らしいのだが、自分に執着し、自分の観点でしか物事を見ていないという欠点があるのだ。そうではなく相手の立場に立って考えることができれば、それこそ適確な解決策を生み出すことができるようになるものなのである。「立場の互換性」こそ、お金持ちなるには絶対に欠かせないものなのである。

 犯罪者たちは他人からお金や物を奪い取ろうとする。だから刑務所に収監される羽目になるのである。社会主義者たちはお金持ちから富を奪い取ろうとする。フェミニストたちは男性たちから富を奪い取ろうとする。それゆえどうやったとしても巧く行かないのだ。

●とにかく生活をシンプルにすること!

 人間が他人の持つ富まで欲しがるというのは、自分の生活が堕落しているからなのである。自分が正しい生活を行っていないからこそ、碌でもない考えを持ってしまうのである。自分が堕落した生活をしているのに、他人の富を奪っても、自分の生活を改善することは不可能なのである。

 人間が堕落した生活から脱するためには、とにかくシンプルな生活にするべきなのである。生活がシンプルなら生活費はそんなにかからないものなのである。自分の生活が堕落しているというのは、物が溢れているということなのである。高コスト体質で暮らしているからこそ、自分の給料では足らなくなってしまい、それで他人から何かを奪い取ってこようと考えてしまうのである。

 人間は衣食住が足りてこそ礼節を知るようになるものだが、人間が持てる衣食住は限らているのである。殆どの人たちは自分が着ない衣服を大量に持っているものだし、食事だって食べ残すほどあるものなのである。自宅だって自分が生活していく上で充分な広さはある筈なのである。

 それなのに「もっと服が欲しい」「もっと食べ物が欲しい」「もっと大きな家が欲しい」と思うからこそ、自分の生活を正すことができないのである。これを「煩悩」というのだ。煩悩の炎が自分の心の中で燃え続けている限り、自分の間違った生き方は延々と続くものなのである。

 「世の中が間違っている!」と叫ぶ閑があるなら、とにかく自宅を掃除することだ。不用品を捨てていく。整理整頓をする。そして断食をする。こういうことをしていけば、自然と自分の生活を正すことができるのである。しかもこういう生き方はそんなにお金がかからないから、少ない所得であったとしても、確実に貯金が増えて行くようになるのだ。

●豊かになるシステムを作ること

 生活する上でもビジネスをする上でも絶対に忘れてはならないことは、「経済に於いて等価交換は絶対に有り得ない」ということなのである。例えば千円出して、千円の商品を買う。「これは等価交換ではないか!?」と勘違いをする連中がこの世には無数にいるものなのである。

 我々がなぜ商品を買うのかといえば、お金を出してその商品を買えば儲かることができるからなのである。例えば食料品を買わずに自分がその食料品を作ったのなら、その人は1年間、その食料品を作るためにかかりっきりになってしまうのである。これでは他の仕事が全くできなくなってしまうのだ。

 この世の中は協業と分業で成り立っている。だから他人に任せられる仕事は他人に任してしまい、自分は自分の仕事に特化し、それで生活していくようにするべきなのである。そうやってみんなが自分の得意分野で働くからこそ商品を大量に作り出して行くことができ、それによって全ての人々が豊かな生活を営むことができるようになるのだ。

 人間が1日に働くことのできる時間は8時間程度だ。最大でも12時間である。それ以上働けば、一時的に働くことができても、必ず心身を害してしまうことになる。人間の労働時間は1日8時間と限られているからこそ、自分が闇雲に働くのではなく、みんなが豊かになるシステムを作り、そのシステムを使って働くようにすべきなのである。

 会社であるなら、まずはお客様を豊かに、次いで社員たちを豊かにし、そして株主たちを豊かにしていくのである。そうやって誰か1人だけ豊かになるのではなく、その会社に関係する人たち全員が豊かになるからこそ、その会社は存在価値があるし、常に発展していくことができるようになるのだ。

●分福こそ常に豊かに生きる生き方

 豊かになりたいのなら、自分が得たお金を自分1人で独占してしまわないことなのである。自分が働いたお金だからといって、自分のためだけに使っていたら、貧乏になっていくのは当たり前なのだ。どんなに高額職得者であっても、心が貧乏なら、いずれは貧乏になっていくのは必然であるのだ。

 結婚すると豊かになっていくのは、富を夫婦で分かち合うことになるからなのである。そして子供が生まれてくればその子供に富を分け与えなくてはならない。子供たちを多く作ることこそが、より豊かになっていく秘訣でもあるのだ。

 豊かであるなら、友人たちに何かしらの物をプレゼントすることができるものだ。豊かだから与えるのではないのだ。富を分け与えるからこそ豊かになっていくのである。心が豊かである人はたとえ今の自分が貧乏であったとして分け与えるから、それで経済的に豊かになっていくのである。お金を持っているのなら、どんどん分け与えていくべきなのである。

 分福の最たるものは宗教団体に寄付することなのである。大抵どのお金持ちたちも何かしらの神社仏閣と繋がりがあって、きちんと寄進しているものなのである。お金持ちなのに無宗教というのは聞いたことがないし、もしいたとしても長続きすることはないであろう。

 お金持ちたちほど慈善活動に積極的だ。気をつけるべきはお金持ちになってから慈善活動をしたのではないのだ。お金持ちになる以前から慈善活動をやっていたということなのである。そうやって慈善活動に携わった期間が長いから、慈善団体に寄付してお仕舞いということにはならないのだ。

●植福は無制限に富を生み出す

 分福こそお金持ちになる最善の方法なのだが、分福だけをやっていてはお金持ちであることを維持することができない。如何なる者であっても、富には限りがあるのだから、必要以上に富を分けてしまえば、そのお金持ちは破産することになってしまうのだ。

 そこで「植福」ということをしなければならないのだ。植福というのは富を植え。富がいつまで生み出され続けるようにすることなのである。自分がお金持ちになったからといって、周囲の人たちにチヤホヤされていると、この植福をやらないし、植福自体が解らないので、それでその家は絶家になってしまうのである。

 子供たちを生み育てるのは分福であるが、子供たちのために基金を設けるのは植福である。信託財産を作って、子孫がその資産を破壊できないようにし、その信託財産から常に収入を得られるようにすれば、子供たちは子子孫孫繁栄していくことになるものなのである。

 会社にしても1つの会社を成功させて満足するのではなく、より多くの会社を作ってしまえば、企業グループになり、財閥へと成長していくから、その企業グループや財閥がありさえすれな、自分が死んだ後も企業が存続していくものだし、新たな企業が生まれて来ることになるのだ。

 宗教にしても、宗教団体に寄進するだけでなく、自分の一族のために菩提寺を作ってしまえばいいのである。慈善にしても、慈善団体に寄付するだけではなく、自分で財団法人を作ってしまえばいいのである。そうやって富を植えるからこそ、宗教活動も慈善活動も持続的に行うことができるようになるのである。

●利益というものは結果にすぎない

 人間にとって利益というのは結果にすぎないということなのである。その人に何かしらの「人生理念」なり「人生計画」があるからこそ、その人は自分の夢を実現させ、それによって利益が発生しただけのことなのである。だから利益を追求してしまえば、自分の夢を実現することなど出来なくなってしまうのである。

 功利主義の意見が正しいように思えて、実は間違っているのは、まさにここにこそその答えがあるのだ。人間は功利的な生き物だから利益のないことなどしない。何かをするということは何かしらの利益を獲得するということになるのだが、かといってそれは功利主義者が考えているようなことではないのだ。

 優れた生き方をすれば、それだけ大きな利益を発生させるし、平凡な生き方をすれば平凡な利益しか得られないのである。逆に間違った生き方をしていれば、損害だけが発生するようになっているのだ。問われているのは、「あなたはどうのような生き方をするのか?」ということなのである。

 学生の時に「どう生きるべきか?」と悩むものだが、こういう悩みを持つことが大事なのである。そしてこの時はその悩みに対して答えなど出て来ない。自分が社会に出て働き、その仕事の中で行き詰まった時、改めて自分の生き方を問い質すからこそ、その悩みに対して答えが出て来るのである。

 人間が労働すれば豊かになることができる。しかし人間の労働時間は殆ど同じなのだから、なんで或る人は豊かになり、或る人は貧乏になってしまうのかといえば、考えていることが違うからなのである。働いているのに、利益を追求しているようではまだまだなのである。もっと大きなことに目覚めない限り、よりレベルの高い豊かさを享受することなど出来ないのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (15) | トラックバック (0)

条件が全て整ってから結婚する奴はいない

●結婚の条件

 男女が結婚の条件が全て整うまで結婚しないということほどバカらしいことはない。男女が結婚するに当たって、結婚の条件が全て整うということは絶対に有り得ないことなのである。結婚というものはそうなのではなくて、結婚する機運が高まったのなら、勇気を出してとっととしてしまうべきなのである。 

 そもそも結婚の条件を挙げたらキリがないのだ。切実な問題としては、「結婚するにも結婚資金がない」「結婚しても妻子を養って行けるだけの収入がない」「将来が見通せない時代に子供たちを生み育てることができるのだろうか?」、といったバカげた結婚の条件を挙げて続けてしまうことなのである。

 お金があるから結婚するのではない。結婚するからこそお金が出て来るのである!

 そのカップルが「結婚する!」と決めたからこそ、結婚費用はどこからともなくやってくるし、結婚しても必ず収入を確保できるし、子供を産めばまさに子宝となって収入が増えて行くものなのである。結婚する意思がないのなら、巨万の富を持っていても結婚しないものなのである。

 男女が結婚するに当たって、家柄の問題や、嫁姑の問題など、色々な問題が立ちはだかっているものだ。そういう問題は解決されるために存在しているのであって、結婚を不可能にさせるために存在しているのではないのだ。結婚する意思があるなら、いずれそういう問題は吹き飛んでいくものなのである。

 結婚というのは若い時にしてしまう方が断然に良いのは、年を取れば取るほど考え過ぎてしまい、結局、結婚の条件が揃わないということで結婚それ自体をしなくなってしまうことなのである。特に女性は33歳を過ぎると、あっという間に時間が進んで行くようになるので、結婚することが困難になってしまうのである。

●プロポーズは男がするもの

 男女のカップルが交際してから結婚するまでの期間というのは、そのカップルで実に様々だということだ。それこそ交際当初の段階で結婚を決めてしまうカップルもいるだろうし、恋愛ホルモンに忠実なら交際して3年が目安だろう。しかし交際して10年経っても結婚しないのは、それはそれで問題がある。

 まあ、交際してから10年以内に結婚した方が良い。10年を超えるとズルズルと行ってしまい、時間の無駄以外の何物でもなくなってしまうからだ。「事実婚」と称して、正式に結婚をしていないのに同棲を始めてしまうのは絶対にやめるべきである。こうなってしまえば、結婚するタイミングを完全に逃してしまうからだ。

 普通のカップルなら、結婚の機運が高まって来ると、女性の顔つきや体つきが変化してきて、その変化を見た男性の方が女性の方にプロポーズをするということになる。この女性の心身の変化こそが大事なのであって、この変化が起きない限り男性はプロポーズをしてこないものなのである。

 男性がプロポーズするのは、その男性が自分の彼女を妻として合格だと認めたということなのである。これは非常に重要なことなのであって、これは男女間で行われる通過儀礼なのである。この通過儀礼をした上で結婚しないと、結婚生活は滅茶苦茶なものになってしまうものなのである。

 父系家族では女性がプロポーズをすると不幸になる可能性が非常に高い。女性が男性の家に嫁いで来る以上、男性の許可がないのに女性がプロポーズをして入ってくれば、結婚後にとんでもないトラブルが発生するものなのである。

●プロポーズをしてくれなかったら

 男女の交際では、結婚の機運が高まっているのに、男性がプロポーズをしていくれないということも有り得る。こういう時、女性が結婚に焦って、男性にプロポーズをせっつくのは、「破局の元」になると言っていい。事実、こういうことを女性がやれれば、男性のプライドは大いに傷つき、その彼女を捨ててしまうものなのである。

 況してやプロポーズをされていないのに、結婚したらどういう家に住みたいとか、子供の数は何人とか、絶対に言うべきではないのである。こういうことを言われれば男性が引いてしまうのは当然のことなのだ。そういう会話はプロポーズ後に許されるべきものなのであって、プロポーズ前にやってはならないのだ。

 もしも結婚の機運が高まっているのに、自分の彼氏がプロポーズをしてくれないのなら、一旦交際を停止することだ。二人の関係は近過ぎてしまい、適度な距離を掴めていないために、グチャグチャになっているものなのである。だから少しの間、その恋愛に冷却期間を設けて、互いが冷静になれる時間を確保できるようにすべきなのである。

 この間、女性は何をしていればいいのかといえば、せっせと仕事をしていればいいのである。もしもこの時期に遊び呆けているのなら、彼氏はこの恋愛を終わりにしようと申し出て来ることであろう。自分の彼女が真面目に働いている姿を見るからこそ、プロポーズしてくるものなのである。

 気をつけるべきは、結婚するかしないかという大事な時期に、自分の友人に相談してしまうということなのである。未婚者の場合、自分の友人は未婚者だらけだ。だから結婚のことが解っていないので、こういう大事な時に下手なアドバイスを貰うと破局してしまうことになるのだ。

 30歳になっても女性たち同士で徒党を組む癖が抜け切っていない女性が結婚できないのは、大事な時に友人の意見を聞き入れてしまうからなのである。男性にしてみれば、「なんで俺に相談してこない?」ということになってしまうのだ。勿論、結婚するかしないかの大事な時期に、彼氏に相談することなどできない。だから孤独に耐えることが必要になってくるのだ。

●結婚のタイミング

 プロポーズをしてから、すぐさま結婚届を出すカップルはいないものだ。プロポーズをしてから結婚届を出すまで多少の時間があるものなのである。この時に大事なのは、「自然の流れに身を任す」ということだ。そのカップルの恋愛が正しいものであるなら、自然と全てのことが巧く行き、いい時期に結婚届を出して来るものなのである。

 その一方で、こういう大事な時期だからこそ、占い師に占って貰うべきなのである。そのカップルが運命の出会いを果たしているのなら、ちゃんとして占い師に出会うことができ、その占い師がから最も運気を高めることができる結婚の時期を教えて貰うことができるのだ。

 占いとは信じるものではないのだ。占いは利用してなんぼの物なのである。

 だから結婚に於いて、

「今でしょ」

というのは超危険なのである。結婚することに急いでしまうと、ゴタゴタが幾らでも発生するものなのである。それどころか間違った時期に結婚してしまい、折角の良縁を台無しにしてしまうのである。自然の流れに身を任しつつも、ちょいと占いを利用するのが最善の遣り方なのである。

 運命の出会いを果たしているカップルなら、結婚するに当たって幾らでも「偶然の幸運」としか思えないような出来事が幾らでも起こって来るものなのである。何もかもトントン拍子で進んで行くからこそ、結婚することができてしまうものなのである。

 男女の相性が良く、いい時期に結婚していれば、その後の結婚生活は幸福の連続になるものなのである。結婚が成功するかしないかは、結婚した初期に於いて決まるのであって、その後に決まるのではないのだ。幸せな結婚をしている夫婦たちは「不思議な縁」という言葉を使うものだが、そうやって謙虚になっているからこそ、自分たちの結婚を幸せなものにすることができたのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (4) | トラックバック (0)

白紙の落書き

●紙にはなんでも書ける

 世の中には本が大量に出回っているからといって全部を読む必要性はない。価値のある本はごく一握りなのであって、本の中には本当は白紙なのにただ落書きされている物が多々あるものなのである。その落書きを消してしまえば白紙に戻ってしまうのに、人々はそれを見抜けないのだ。

 こういうのを「白紙の落書き」という。

 人間が持てる時間は限られているのである。その限られた時間の中で読書をするなら、不要な本は読まないようにするべきなのである。自分にとって必要な本だけを読むからこそ、どんなに忙しくてもきちんと読書でき、その読書によって何らかの利益を得ることができるのである。

 「紙にはなんでも書ける」というロシアの諺がある。本当にその通りなのである。紙に文字が書かれていたって、その本に価値があるとは限らないのだ。インチキ本だって存在するものなのである。インチキ本は1冊や2冊とかいう程度ではないのだ。無数に存在しているものなのである。

 幾ら読書家であったとしても、「活字中毒」に罹って手当たり次第に本を読んで行くというのは危険なことなのである。通常、きちんと知的生活を送っていれば新聞など余り読まなくなるものだし、低俗な雑誌も読まなくなる。本にしても低質から高質へと変わって行くものなのである。

 「白紙の落書き」を見抜けないようなら、無学文盲の人の方がマシである。読書をしたために、下手に知識が過剰になっているからこそ騙されているだけなのである。学問は確かに大事だが、学問をしたからといって賢くなるわけではないのだ。「学問をしたバカ」になってしまうことだって有り得るのだ。

●宗教心の有無

 俺が様々な本を読んで来てつくづく思うのは、「この本は本当に素晴らしいと思える本を書いた著者には必ず何かしらの宗教心がある」ということなのである。宗教心のある人は如何なる宗教でもちゃんとしたことを言っているのだ。逆に言えば無宗教の人はどう言い繕ったとしてもちゃんとしたことを言っていないのだ。

 大体、宗教と学問は密接な関係を持っている。古代ギリシャで学問が盛んになったのは、古代ギリシャの宗教があったればこそなのである。中世のイスラムでも学問が非常に盛んになったが、それはイスラム教があったればこそなのである。西ヨーロッパのルネッサンスもイスラム教の影響があえばこそ起こった文化運動だったのである。

 日本でも文化が発展し出すのは江戸時代に儒教が御用学問になってからであって、儒教に反応して国学が起こり、その国学が復古神道へと変化し、幕末には復古神道の国学者たちが暗躍することで倒幕が起こるという有り得ない現象が起こったのである。近代日本の文化レベルが高いのは江戸時代の蓄積があればこそなのである。

 人間に宗教心があれば、必ず自分を絶対視しなくなる。神に絶対服従することで自分が謙虚になるから、自分を相対化させることができ、それによって自分の発展が可能になるのである。自分が発展するからこそ、学問も発展していくことになるのである。

 これに対してもしも人間に宗教心がない場合、自分を絶対視し出すので、自分を絶対化してしまい、自分の発展がなくなってしまうのである。自分が発展しないから、都合のいい情報を集めて、それによって自分を取り繕うのである。これでは学問の発展が起こらなくなるのだ。

●経験論

 宗教心に次いで重要になってくるのが「哲学」である。「若い時に哲学を学んだか?」「若い時に哲学を学ばなかったか?」で作家の運命は大きく違ってくるようになるのだ。「哲学は神学の侍女」と言われるものだが、このことは現代でも全く変わっていないのである。

 哲学には「経験論」と「合理論」というものが存在する。経験論とは認識に於いて感覚的経験を重視する考え方であって、合理論とは認識に於いて理性を重視し、感覚的経験を不要とする考え方である。これは全く正反対の考え方なので、どちらかの考え方に立てば、もう一方の考え方は廃棄されることになるいのだ。

 もしもその作家に宗教心があるなら、必ず経験論に立脚する筈である。神の絶対性の前には人間は無力化する。人間に理性があったとしても、その理性はなんの役にも立たないのだ。人間は無力ゆえに地道に経験を積んで行き、この世に対する知識を獲得していかなければならないのである。

 厄介なのは、人間というものは若い時には合理論の方に惹かれてしまうという現象が起こることなのである。若者というのは人生経験も足りなければ知恵も足りない。だから合理論のように理性を剥き出しにして書いた本があるなら、それに飛びついてしまうのである。

 若いのだから世界のあちこちを歩き回り、地道に経験を蓄積していけばいいものを、そういうことをせず、何かのイデオロギーに洗脳されてしまい、そのイデオロギーによって世界を見ようとしてしまうのである。大抵、イデオロギーに洗脳されるのは若い時なのであって、絶対に年を取ってからではないのだ。

●知的正直

 作家と雖も法の支配で活動しているものなのである。具体的には著作権法があればこそ、作家は自分の著作権が守られ、収入を得ることができるのである。作家はただ単に法令を遵守すればいいというものではない。作家には絶対に持たなければならない職業倫理が存在するのだ。

 それは「知的正直」である。作家に知的正直という職業倫理があれば決して嘘をつかくなる。嘘をついていないからこそ、その本は価値を急上昇させることができるのである。読者よりも作者の方がその本に関しての情報量は多く持っているものだ。だからといって作者が読者を欺いているようでは、その作家の本は価値がないと言っていいのだ。

 知的正直という職業倫理は放置しておいて生まれて来るものではない。人間は多少の知識を得れば、必ず人を騙すことに使い出すものだから、知的正直という職業倫理を持つことができないのである。だから宗教心が大事なのである。神様が常にあなたを見ているのだから、嘘をついてはならないとするからこそ、その作家は嘘をつかなくなるものなのである。

 知的正直とは言ってみれば「誤魔化さない」ということなのである。作家が作家としてレベルアップしていくためには、とにかく誤魔化さないことが肝要なのである。自分を誤魔化さないで物事を突き詰めていけば、必ず然るべき所に到達するものなのである。そこに辿り着いたからこそ、その作家が書いた本は価値を有することになるのである。

 ビジネスマンが紛い物を作って売ったのなら、それが発覚すれば社会問題になってしまうものだ。それなのに作家たちが紛い物の本を作って売ったのんら、なんで社会問題化しないのが、俺には不思議で堪らないのだ。「言論の自由」があるからといって、なんでも言っていいものではないのだ。嘘が出回るようになってしまえば、言論の自由自体が破壊されてしまうことになるのだ。

●調べていけば嘘が解る 

 作家が嘘をつくことはなぜいけないかといえば、それは読者たちを騙すことになるからだ。それだけでなく「嘘は新たな嘘を呼ぶ」ものなのであって、一度でも嘘をついてしまえば、嘘を大量生産していかなければならなくなるのだ。しかし嘘は所詮「嘘」なのであって、いつかはバレるものなのである。

 例えば「従軍慰安婦」なんてものは歴史の中で一度も存在したことがないものなのである。如何なる軍隊も、医師や看護婦を従軍させても、売春婦を従軍させることなどないのだ。その理由は簡単に従軍させる必要がないからなのである。

 従軍慰安婦なる異常な言葉は旧日本社会党の女性党員が九州でビラを撒いたのが始まりなのである。その後、社会主義者の学者たちが従軍慰安婦を取り上げて本を執筆し、それが出回ることによってあたかも従軍慰安婦が存在したかのように思われているだけなのである。

 恐ろしいことに、自民党政権ではこの従軍慰安婦に対してきちんと学術調査もせずに、中国や韓国との外交が揉めることを恐れて謝罪してしまい、賠償金まで支払ってしまったのである。当の日本政府が認めたものだから、国際社会も日本軍は第二次世界大戦に於いて従軍慰安婦を持っていたと認識してしまったのである。

 従軍慰安婦というのは嘘である。実際に存在していたのは売春婦たちであり、戦場売春婦というべき女性たちが売春を行っていたにすぎないのだ。彼女たちは戦時中に儲けただけではなく、戦後半世紀も経ってから日本政府から賠償金を貰えるという、とんでもない大儲けをしてしまったのである。

 従軍慰安婦なんてものは存在したことがなかったのだから、まともな知識人であるならこの従軍慰安婦の存在を否定して来る。しかしそうやってまともな意見を出しても、今度は国際連合がそのような発言は従軍慰安婦たちへの差別に繋がると勧告して来るのである。本当に狂った事態になってしまったのである。まさに「洗脳は新たなる洗脳を引き起こす」のである。

●とにかく本を買う。そして沢山読む

 世の中には新聞やテレビといってマスコミが報道しているから、「この情報は正しいことである」と思ってしまうバカたちが大量に存在しているものだ。新聞やテレビだからこそ嘘をつくことも有り得るのだ。しかも新聞やテレビはマスコミだから一旦嘘をつけばその嘘のスケールが遥かに大きくなるものなのである。

 人間は小さな嘘を見破ることができるのに、大きな嘘となると見破ることが困難になってしまう間抜けな動物なのである。世の中には自分の想像を絶するとんでもない悪党が存在することを決して忘れないことだ。その大掛かりな嘘によってその悪党たちが莫大な利益を得ているものなのである。

 だから、とにかく本を買う。そして沢山本を読むことだ。本というものは自分が自腹を切って買わないと、本の真贋が解らないのだ。自分がお金を出して買ったのに、その本がインチキ本であるなら、大いに悔しがるものだ。そして次からはインチキ本を買わないようにし、出来るだけ良い本を買おうとするようになるものなのである。

 本は買ったとしても読まなければ意味がない。読書をすれば何かしらの知識を得るから、更にまた新たなる本を読み、自分をレベルアップさせていくのである。一度でも読書の楽しみを覚えたのなら、読書量というのは増え続けていくものなのである。

 本を買わずに、図書館を利用するというのは感心できない。というかそういう読書の仕方は非常に危険なのである。図書館でなら無料で本を借りることができるので、そうなると本の真贋が解らなくなってしまうのである。下らない本を大量に読んでいては、優れた読書家だとは言えないのだ。優れた読書家というのは、必ずと言っていいほど「本の目利き」でもある人なのだ。

●読書の質を上げて行く

 読書の質を上げていくためには、「白紙の落書き」の類の本を読まないようにすることだ。その手の本は幾ら読んでも無意味なのだ。内容が何もない本は悪書よりも酷い結果を引き起こしてしまうのである。「白紙の落書き」を読むくらいなら、悪書を読んだ方がまだマシなのである。

 どのジャンルにもトップレベルがあるのだから、早い段階でそのトップレベルにある本に手を出すべきなのである、自分の知的レベルが低ければ、その手の本を読むのはしんどい。しかしそうやってしんどい思いをするからこそ、早くにそのジャンルでトップレベルに到達してしまい、その後の展開が物凄く楽になるのだ。

 トドメは愛読書を繰り返し読むようにすることだ。愛読書は今の自分の最もフィットしたものなのであって、愛読書を読むと脳が大いに刺激されることになるのだ。そして愛読書を丹念に読んでいると、段々と本の良し悪しが解って来るようになるのだ。

 読書好きが高じて「本の虫」になってしまい、本を大量に読んで行っても、大成しない人たちが大勢出て来るのは、読書の質を上げるという作業を怠っているからなのである。「白紙の落書き」を見破れないようではダメなのである。トップレベルにある本はどれかと解らなければダメなのである。愛読書を持っていないようではダメなのである。

 読書の質を上げないからこそ大量の本を読む羽目になり、それなのに読書による利益が非常に少ないのだ。読書の質を上げてしまえば、自分が読むべき本は限られて来る。そしてそういう本は価値ある物ばかりだから、読書をすればするほど利益が出て来るのである。

●人生は短し。だから良書だけを読むべし

 自分の人生というものは無制限ではないのだ。生ある者は必ず死ぬことになるものなのである。人間の死亡率というのは100%なのであって、このことに関しては今も昔も変わることがないのだ。人間は死ぬと解っているからこそ時間を大事にするようになるのだ。

 人生は短いのだから良書だけを読むようにすることだ。悪書を読んでいる閑などないのだ。良書を読めばそれだけ成長していくことができるから、より良い人生を実現できるものなのである。人間の体は食べた物によって作られると同じように、人間の知能は読んだ本によって作られるものなのである。

 ジャンクフードばかり食べていたら病気になるのは当たり前のことだ。それと同じように悪書を読んでいれば心の病気になることは当たり前のことなのである。悪書よりももっと酷いのは「白紙の落書き」だから、こういう物を普段から読んでいれば、自分の人生が台無しになるのは当然のことなのである。

 人間の人生はお金があれば幸福を買えてしまうこともまた事実なのである。勿論、全部の幸福を買うことはできない。しかし自分が欲する幸福の大半をお金で買えてしまうのである。だから人間はお金を手にした時、そのお金をどう使うかで自分の幸福が決まってしまうものなのである。

 或る者は自動車を買うこともあるだろうし、家を買ったりすることもあるだろう。或る者は服を買うこともあるだろうし、金銀財宝を買うこともあるだろう。それによって幸福になれるのなら、それを買うべきなのである。ただ忘れてはならないのは、良書を買ってその良書を読まないと、自分の幸福の獲得の仕方や維持の仕方が解らなくなってしまうということなのである。

 本当のお金持ちたちは実に良く本を読んでいるものだ。しかも本物の読書家たちが「これは良書だ」と判断した本をきちんと持っているのである。お金の使い方が解っている人はちゃんとした買い物をしているものなのである。幾らお金を持っていても、「白紙の落書き」の類の本を買っていれば、貧乏になっていくのは当たり前のことなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (4) | トラックバック (0)

夏を乗り切る「ごちゃ混ぜソーメン」

●食欲が低下する夏

 夏というものは暑いものである。だから体から汗が噴き出るのである。このため夏では「夏痩せ」という現象が起こって来る。体から不要な水分が排出されたので、それで体が引き締まって来るのだ。夏は水分過剰を解消する絶好の機会なのである。

 しかし現代ではそれができないでいる。冷房が充実してしまったために、どこに行っても冷房がかかっているので、それで発汗することができず、夏痩せという現象が起こらなくなってしまうのである。それどころかこの冷房のために「食欲低下」がおこってしまうのである。

 「夏だから食欲が低下する」と思うのは間違いで、冷房があるからこそ食欲が低下するのである。冷房によって自律神経が異常化してしまい、本来なら暑い夏を乗り切るためにしっかりと食べなければならないのに、食べられなくなってしまうのである。

 夏の間、食欲低下を放置しておくと、物凄く危険なことになる。

 まず食欲低下のために体力が低下してしまうので、それで熱中症に罹り易くなってしまうのだ。冷房のなかった時代には熱中症で倒れる人はいなかったのに、冷房が普及すると熱中症で倒れる人たちが続出するのは、冷房によって食欲低下が起こっているからなのである。熱中症は水を飲めば治るとかいうものではないのだ。

 食欲が低下すると免疫力が低下して伝染病に罹り易くなる。夏は体温が上昇しているのだから本来なら伝染病に罹らない季節なのである。それなのに冷房のために体温が下がっているので、それで伝染病に罹り易くなってしまうのである。

 極めつけは「精神病」であって、食欲低下のために充分な栄養を補給できず、そのために脳が異常化してしまい、それで精神病を発症してしまうようになるのだ。夏なのに憂鬱になってしまい、それで精神病院に行く人たちが大量にいるのである。

 夏は暑いのだから、冷房を止めて、とにかく汗を流すことだ。お勧めは午前中に散歩でもして、汗だくなってしまうことなのである。こうするとその後は涼しくなってしまうので、気温が高くても気持ちいい状態でいられるのである。そして夏だからこそ食べ物をしっかりと食うべきなのである。

●ごちゃ混ぜソーメンの作り方

 今回、紹介する料理は「ごちゃ混ぜソーメン」である。

 ソーメンは麺類の中でも非常に食い易く消化吸収が早く行くのだ。だから夏に食うのは持って来いの食べ物なのである。しかし単体で食うと栄養バランスが悪いので、オカズを作らなければならない。これが面倒なのである。だったらオカズとソーメンをごっちゃにして混ぜてしまえばいいのである。

 ごちゃ混ぜソーメンは、まず、野菜を細かく切る。キュウリやナスやトマトやタマネギ、それにシソやミョウガやショウガやニンニクなどの野菜を細かく切る。歯応えが欲しいのなら、キュウリやトマトを少し大きめに切っておく。しかしナスやタマネギは細かく切らないと食べにくいので要注意。

 次に麺を茹でる。ごちゃ混ぜソーメンの場合、ソーメンは高い物を使わない、「揖保の糸」はソーメンを単体で食べるなら絶品であるが、ごちゃ混ぜソーメンのような場合は野菜と混ぜてしまうので、ソーメンに品質の高さを要求する必要性がないのだ。

 麺の量は「男性なら200グラム」「女性なら100グラム」でいい。家族で食う場合、少し多目に茹でておいて、「替え玉」として残しておくことも必要である。とくに育ち盛りの子供たちがいると、必ずお代わりをする奴が出て来るからだ。お代わりを出さないと、その後、お菓子を食い出すので、余計な出費が出てしまうことになるのだ。

 タレは「醤油」「酢」「ゴマ油」「塩」「コショウ」などで作る。このタレは自分の好みで作ればいいので、量とかは自分で調整すればいいし、他に何かを入れてもいい。「豆板醤」を入れると食欲が刺激されるし、「ケチャップ」を使うと甘味が出て来る。

 そして最後に、ソーメンをお皿に盛り、そこに細かく切った野菜をかけ、そこにタレをかければ完成である。

●「早い」「旨い」「後片付けが簡単」

①早い

 このごちゃ混ぜソーメンの一体何が凄いのかというと、とにかく早いのである。巧く調理すれば「10分程度」で出来るのである。10分である。どう考えても早く作れる料理なのだ。冷房のために食欲低下が起こった場合、調理する人自身が料理を作る意欲がなくなってしまうから、この早さは衝撃的なのである。

②旨い

 ごちゃ混ぜソーメンはとにかく旨い! なぜ旨いのかというと、栄養バランスがしっかりと取れているからのである。そこに酢が入り込むので、酢によって胃腸が刺激され、食欲を回復させてくれるのである。しかもグルテンを大量に摂取しているので、脳の疲労も吹き飛んでしまうのである。

③後片付けが簡単

 ごちゃ混ぜソーメンは後片付けが超簡単ということもで有難いのだ。洗う物はお皿とお箸とお鍋だけである。猛暑だと皿洗いをする気力すらなくなってしまうものだが、これだけ洗う物が少なければ食後にささっと皿洗いをしてしまうことができるのである。

 夏のような暑い季節に、しかも昼時に長い時間をかけて料理を作る必要性はないのである。本格的な料理は夕食に回すべきなのであって、昼食は簡単に作れるものにすべきなのである。しかも出来ることなら美味しい料理の方がいいし、後片付けも簡単な方がいいのだ。

 ごちゃ混ぜソーメンはこれを作っている側に勢いが出て来るので、その勢いと共にこの料理を食卓に出すと、美味しさが倍増するのである。食べ始めれば「旨い」「旨い」と連発してくるので、アッと言う間に完食してしまうことになるのだ。

●夏だからこそ良く働くべし

 夏の暑さに負けて避暑地に行くとかいうことはやるべきではないのだ。気温が高くなっている夏ほど働き易い時期はないのである。寧ろ長期休暇を取るのは気温が下がる冬の方であるのだ。春夏秋は働き、冬は休むというのが、人間の自然のリズムに合った生き方なのである。

 夏は暑いといっても、朝の内は涼しいものなのである。だから早起きして朝早くから働くようにするべきなのである。午前中の間に一生懸命働いてしまえば、もうその日の分の仕事は全部成し遂げることができてしまうものだ。そして午後はゆっくりとしていればいいのである。

 食欲低下になると、この当たり前のことができなくなる。心身に充分なエネルギーが行っていないために、心身が正常に機能してくれないのだ。だから朝寝坊してしまうし、午後という気温が高くなりすぎている時に、冷房をガンガンにつけて無理をして働くことをしてしまうのである。

 夏だからこそ汗だくになりながら労働をする。そういうことをやっているからこそ自律神経は正常になり、夏の猛暑であっても働き続けることができるのである。もしも職場で冷房がかかっているのなら、厚着をして働き、帰宅してからはお風呂に入って体を温めておくことだ。

 夏の間、冷房をつけず、昼間にごちゃ混ぜソーメンを食べていれば、夏バテ知らすになるものなのである。他の人たちが夏バテで生産性をl急激に落としているのに、自分だけが夏バテをせずに働いていれば、競争相手は全くいなくなるものなのである。競争相手がいないのだから、自分だけが圧勝してしまうのは当たり前のことなのである。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

どうして美人なのに恋愛経験がないのか?

●美人なのに彼氏なし

 女性というものは、自分が美しくなることに躍起になる。女性が美しくなるということはそれだけより多くの女性ホルモンを分泌させることができるので、普通以上に美しくなることができ、それによってよりレベルの男性と巡り会えることを可能とさせるからなのである。

 しかし世の中は不思議なもので、美人であっても彼氏がいないという女性が存在するのである。「美人であるなら彼氏がいて当然だろう~」という間違った思い込みをしていると、とんでもない間違いを引き起こすことになるのだ。男性がその女性を「高嶺の花」と思って見つめていても、交際することなく縁が切れてしまうことになるからだ。

 いい年をして、彼氏のいない女性というのは、正々堂々と「今まで彼氏というものができたことがない」と言うのは稀である。大抵は多少の男性経験の数を上げて嘘をついてくるのだ。本人でも彼氏ができないことを拙いと思っているのだ。

 なんでこんな奇妙な現象が起こるのか? 答えは実に簡単である。

「必要がなければ彼氏を作る必要性はない」

ということなのである。即ち、いい年になっても彼氏のいない美人というのは今まで彼氏を作る必要性がなかったからこそ彼氏を作らなかったのであって、別にそれはなんの問題もないのである。

 こういう事実を目の当たりにしてしまうと、逆に「女性たるもの、彼氏を絶対に作らなければならない」と思い込んでいる女性たちの方がおかしいのだ。そういう女性たちに限って恋愛が巧く行かず、それどころかその付き合った彼氏のために犯罪に巻き込まれてしまったりしてしまうのである。

●両親にきちんと愛された

 彼氏のいない美人たちの中で、両親にきちんと愛された女性はまず彼氏というものを作らないのだ。両親から父性愛と母性愛をしっかりと貰った女性は恋愛に焦らないのだ。恋愛などせず、自分がしたいことをやりまくり、それが済んだらさっさと結婚してしまうのである。

 現在のように核家族化が進み、子供の数が少なくなれば、当然に両親から愛情を大量に貰える可能性は高くなるのであって、だからこそ、美人なのに彼氏がいないという女性たちが大量に出て来ることになるのだ。少子化は悪いことであるかのように報道されているものだが、実はいい部分もあるのである。

 特に父親が出す父性愛は「絶対価値の愛」であるので、女性が父親から父性愛を貰えば、自分にとって価値あることを遣り出すようになるのだ。そうなると恋愛は必ずしも価値があるとは限らないのだ。独身の間なら、恋愛で時間を消費するより、もっと違うことをやった方が自分にとっては有益なものなのである。

 独身の時は恋愛に関心がなくても、結婚する時期になるとちゃんとした男性を見つけて、その男性とそのままゴールインしてしまうのである。結婚相手を間違わないというのも、この手の女性の特徴なのである。男性経験が全くないくせに、男性を見る目はきちんとあるのである。

 気をつけるべきは父親から愛され過ぎた場合である。父親から愛され過ぎると、娘というのはどうしても父親から離れなくなってしまうのである。自分の娘をいつまでも溺愛するような父親は自分の娘に執着しているだけなのであって、そういう渇愛で以て愛されたからこそ、娘は大きくなっても父親に執着してしまうのである。

●両親にきちんと愛されず男性不信

 彼氏のいない美人たちの中で、両親からきちんと愛されなかった女性はまず彼氏というものを作らない。通常、自分の両親に愛されていないと解ると、女性は家の外に出て積極的に友達を作り、彼氏を作っていき、早くに家を出るようになるのだ。

 家の中では「愛の不足」が起こっているので、家の中に幾らいても仕様がないのだ。こういう女性は友達の数を自慢したり、セックスした男性の数を自慢したりする。自分が両親から愛されていなかったので、如何に自分が人々から愛されているのかを吹聴するのである。

 両親が自分を愛してくれないのに、その両親が自分を縛りつけてしまった場合、確実に「男性不信」に陥ってしまい、彼氏を作ろうなどとはしなくなるのだ。厄介なのは、この手に女性は男性不信を認識しても、それ以上に女性不信があるということに気付かないということなのである。

 女性は自分の母親の言動を見て上位自我を形成して行くのだが、母親が自分のことをきちんと愛してくれないと、その上自我の形成が歪になり、自分が親から自立していく時に自立が非常に困難になってしまうのである。女性は男性と結婚することで自立を果たして行くのだが、結婚抜きで自立しようという妄想を抱き、そのために泥沼状態になってしまうのである。

 こういう女性は彼氏を作らない方がいいのだ。より正確に言うなら結婚してはならない女性なのだ。この手の女性は普段からネガティブ思考だし、まともな女友達というのがまるでいない。「なんでこんな卑劣な女性たちを友達にするのだ!」と反論したくなるような女性たちを友達にしてしまうのだ。

 家族には様々な家族があるのだから、自分が両親から愛されなかったら、両親から愛を貰うことを諦めればいいのである。愛をくれない両親に執着しているからこそ、不幸は延々と続くのである。いっそのこと出家してしまった方がいいのである。そうやって自分の両親から離れないと、どうにもならないものなのである。

●ただ単に忙しかった

 彼氏のいない美人たちの中で、子供の頃から忙しく何かをしてきた女性たちは彼氏を作る閑がなかったということなのである。勉強とかスポーツとか芸事をやりまくれば、彼氏を作って時間を潰すよりも、今、自分がやるべきことをやらないと落ち零れて行ってしまうのである。

 偏差値の低い学校に行った人たちには解らないが、偏差値が高い学校というのはその勉強量は半端なものではないのである。しかも生徒たち全員が一流大学に進学するという目標をしっかりと持っているので、おちおち遊んでなんかいられないのである。

 女子スポーツの場合、16歳から19歳という女性ホルモンが大量に分泌される時には彼氏を作らない方がいいのである。彼氏を作ってしまうと余計に女性ホルモンが分泌されてしまうので、それで筋肉量が落ちてしまうのである。「彼氏を作ると弱くなる」と言われるものだが、これは本当なのである。

 芸事になるとこれが最大化する。例えばピアノをやろうものなら、プロになるような女性は1日12時間は練習の時間に当てるのである。しかも発表会があればどんなに遠くにあっても行くのである。そんな生活を送っていれば彼氏を作る閑など全くなくなるのは当然のことなのである。

 忙しいために彼氏を作れなかった女性たちは、自分のやっていることが成功した暁には自然と彼氏を作るものなのである。問題は自分の夢に挫折してしまったような女性だ。自分の夢に未練があると、彼氏と付き合っても巧く行かないし、結婚しても結婚生活を破壊してしまうことになるのだ。

●彼氏を作れる環境ではなかった

 彼氏のいない美人たちの中で、彼氏を作れる環境にいなかったという女性たちは本当に彼氏を作れる機会に恵まれなかったのである。女子校や女子大学とかはその典型例で、基本的に女性たちしかいないわけだから、積極的に彼氏を作らなければ彼氏ができるわけがないのだ。

 男女共に成長過程が違う。だから出来ることなら男女を別々に育てた方がいいのである。男女が一緒に学んでいいのはせいぜい小学生くらいまでで、中学生とか高校生とかは男女を別々で教育した方が教育の成果は高くなるものなのである。

 しかし女子校は必要かもしれないが、女子大学は必要ない。男女共に19歳が成長のピークなのであって、それ以降は男女共に老化していくだけなのである。わざわざ男女を別々にして教育する必要性は全くないのである。必要性のないことをやっているからこそ、女子大学は様々な問題を生み出してしまうのである。

 女子校で育ってきた場合、男性との付き合いが不得手になるという現象が起こるものだが、女子大学ではそれが露骨に現れて来ることになる。こうなると彼氏を作れないとかいう問題ではなく、それ以前に男友達を作れないという問題の方が深刻な問題になってしまうのである。

 女子校に行ったとしても、学校以外で男友達と遊ぶということは絶対に必要なのである。女子大学ならもう女子学生は大人なのだから、学生生活にどっぷりと浸かるのではなく、大学の外で男友達を作って遊ぶということをしべきなのである。そうしないとどこかで自分の人格が異常になってしまうものなのである。

●運命の出会いかお見合いか?

 彼氏のいない美人というのは男性経験がゼロということなのである。このため自分が取りうる選択肢は非常に限られて来るのだ。彼氏のいない美女が恋愛に焦って普通の女性たちのように合コンにでも出ようものなら、男性たちに弄ばれて捨てられるのが落ちなのである。

①運命の出会い

 自分の幸運を最大限利用して、「運命の出会い」を引き起こすというのが最善の選択肢である。なんでこれが最善の選択肢なのかといえば、今まで恋愛をしたことがないために、結婚適齢期になると恋愛結婚の相手が自然と現れて来て、それでその男性と交際して、めでたく結婚ということになるからだ。

 これはまさに「一発大逆転」なのである。こんな現象、そう簡単に起こるものではない。だから今まで通り、恋愛に関心を持たず、自分が今すべき仕事に精進すべきなのである。下手に恋愛に関心を持っていれば、運命の出会いは絶対に起こらないのだ。

 気をつけるべきは、女の勘が鈍ると、運命の相手が自分の目の前に現れても、運命の出会いが起こらないことがあるということなのである。女の勘は食事過剰になると鈍り出すので、だからオヤツを食いまくるようなことなどしてはならないのだ。定期的に断食を行って、女の勘が冴えるようにしておくべきなのである。

②お見合い結婚をする

 次善の選択肢としては、恋愛結婚を諦めてお見合い結婚にすべきなのである。恋愛経験ゼロの女性がいざ恋愛したとしても、その恋愛は巧く行かない可能性の方が高いのである。恋愛の初期段階から結婚を意識してしまうので、相手の方がドン引きしてしまうものなのである。

 特に33歳を過ぎたらお見合いをした方がいい。結婚適齢期は26歳から33歳の間なので、33歳を過ぎても恋愛が起こらなかったというのなら、その女性が恋愛結婚する可能性はほぼ0%に近くなったと考えていいのだ。33歳を過ぎてもフラフラしていると、時間はアッと言う間に過ぎ去り、気付いてみれば40歳になり、たとえ結婚したとしても不妊症に罹るリスクを高めてしまうことになるのだ。

 お見合い結婚をすればお金がかかるものだ。そのお金は必要経費なのである。それをケチって友達から男性を紹介して貰おうなどと甘い考えを持たないことだ。今まで恋愛をしたことのない女性が、友達から男性を紹介されたとしても、男性とどう交際していいのか解らないものなのである。大方は取り返しのつかない過ちを引き起こすことになるのだ。

③結婚を考えず独身を貫く

 33歳を過ぎても彼氏が出来ず、しかも不幸な生い立ちから結婚に希望を見出せないのなら、結婚を考えずに独身を貫いてしまうべきなのである。結婚しても幸せになれないと思っているのなら、結婚してはならないのだ。結婚は民法上、女性なら誰でもできるが、かといって現実に結婚では結婚してはならない女性たちが存在するものなのである。

 女性が独身を貫くということは、仕事をしまくるということなのである。自分が結婚しない分、本来なら結婚に向けるべきエネルギーを全部仕事に投入するのである。それは死ぬまで続くものなのであって、自分は仕事でやるべきことを全てやり終えたのなら、人知れず死んでいくことになるのである。

 特に手相に結婚線のない女性は無理をして結婚をすることはないのだ。殆どの女性たちには結婚線があって当たり前だが、時折、結婚線のない女性も存在するのであって、そういう女性は結婚せず、仕事をしまくった方がいいのである。結婚すればしたで、地獄を見るだけなのである。

 自分がどのような選択肢を選ぼうとも、女性が結婚できる時間というのは限られているものなのである。人間の人生というものは、30歳を過ぎてしまえば40歳などアッと言う間にやってくるものなのである。結婚というのは本来19歳でするように女性の体は出来上がっているということを絶対に忘れてはならないのだ。

Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 Toy Portrait.Of.Pirates ワンピース STRONG EDITION トニートニー・チョッパーVer.2 

販売元:メガハウス
発売日:2010/0

8/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (10) | トラックバック (0)

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »