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大震災の記憶を伝えて行くことの難しさ

●大震災での出来事は経験した者にしか解らない

 「災害は忘れた頃にやってくる」と言われるものだが、今回、東日本大震災を経験しても、次に東北に大地震が来るのは百年後かもしれないし、千年後かもしれない。今、生きている人たちが次の大地震に遭遇するとは限らないのだ。となれば、大震災を経験した人たちが全員死んでしまえば、東日本大震災の教訓をどのように伝えて行くのか根本的な所から問われることになるのだ。

 阪神淡路大震災では神戸市が大震災の博物館を作ったのだが、これほど税金の無駄遣いはない。というのは、こんな博物館を作っても、必ず次の大地震はやってくるものだし、それに次の大地震は阪神淡路大震災レベルになるとは限らない。神戸市民が阪神淡路大震災に拘っているようでは、次の大地震の時はより大きな損害を発生させてしまうことになるのだ。

 大震災の教訓を語り継いでいくためには、「シンプルなソフト」を作ることこそが大事なのである。そうでないとみんな忘れてしまうからだ。大震災の教訓は人々の忘却と戦わなければならず、複雑なソフトを作ったり、ハードに頼るようでは、大震災の教訓を活かせないのだ。

 ところがここで最大の問題が発生してしまい、そういうシンプルなソフトは大震災を経験した者にしか作れないということだ。大震災を経験しない者が何からしらのソフトを作っても、実際に大地震に遭遇してみれば、使い物にならなかったりするのだ。今回の東日本大震災でも、「大地震が発生したら、老人や身体障害者たちに声をかけ、それから避難しなさい」と教えられていたために、予想よりも早く到達してきた大津波のために、逆に多くの人たちが死亡してしまったのである。

 大震災を経験した作家があるなら、「高貴なる義務」としてこのシンプルなソフトを作るべきなのである。その際、その本が売れるかどうかを考えるのではなく、とにかく未来に於いて語り継いで行ける物を真剣になって作るべきなのである。

 今回紹介する本はこの本!

文:光丘真理 絵:山本省三 『タンポポ あの日をわすれないで』(文研出版)

 タンポポ

●大地震は突然にやってくる

 絵本なので、物語は仄々とした形で始まるのだが、突然に大地震が発生する。実際の大地震は本当に突然に発生するので、これで良いのである。この物語展開に疑問を持ち、「ん? もう少し話を入れた方がいいんじゃない?」と思う人は大震災に遭遇していない人だ。これは大震災に遭遇したからこそ、この物語展開ができたのである。 

 実際の東日本大震災は午後の2時台に発生したのだから、学校での出来事をあれこれ書いたっていいのである。しかしそれでは「大地震は突然にやってくる」という最も大事なことを伝えられなくなってしまうのである。絵本を作るためにはリアリズムが必要だが、無闇にリアリズムを押し出せばいいというものではないのだ。

 大地震が発生しているシーンでは、生徒たちが机の下に隠れるのだが、こういう形で大地震の時に何をすればいいのか教えておけば、子供たちは自然にそれができるようになるのだ。学校ではなんで大地震の際に机の下に隠れるか教えられてもイマイチ解らないものだが、絵本ならその必要性が簡単に解ることができるのである。

 この絵本の著者は宮城県に住んでいるので、大地震が来た後は大津波が来る可能性があるから、そのことを書かねばならない。沿岸部では大地震だけで大震災は終わりではないのだ。大津波こそが内陸部とは比較にならないくらいの大損害を発生させるのである。

 学校の場合、バラバラに避難するより、組織的に避難した方が良い。というか学校の教師はそのことに関して絶対的な責任を持たなければならないのだ。今回の東日本大震災では、宮城県のとある学校で学校の教師たちが高台でもない場所に生徒たちを避難させ、それで生徒たちを全部死なしてしまった事件があったが、このことは責任を厳しく問われなければならないのだ。

 小学生はまだ充分な判断力を持っていないのであって、それなのに学校の教師たちが間違った誘導をしたのなら、全滅するのは当たり前なのである。これでは平時に於いて避難訓練を怠っていたと言われても、仕方のないことなのである。

●自然の猛威になすべなし

 大津波は全ての物を飲み込み破壊して行く。大津波に巻き込まれれば、人は助からない。大津波の海水は砂を大量に含んだ物なので、大津波に飲み込まれれば即死なのである。大津波に遭ってどうにかすれば助かるかより、とにかく逃げるしかないのだ。

 まさに「自然の猛威になすすべなし」なのだ。人間は自然が穏やかな姿を見せている時だけを利用して生活しているのであって、自然が持つもう1つの姿が現れてしまうと、人間はもうお手上げなのである。この絵本はそのことが巧く描けている。

 環境保護活動をやっているような人たちは、自然の表の部分しか見ておらず、まさか自然が人間たちに牙を剥き出しにしてくるとは思わないのだ。環境保護活動の人たちの主張が通ってしまうと、逆に大震災時に被害を拡大させてしまうのである。

 自然が文明生活を破壊してしまえば、人間たちは自宅を追われ、避難所で雨露を凌がねばならないのである。この絵本では学校を避難所にすることで、その混乱ぶりを表現している。学校は勉強だけをする場所ではないのである。非常時に避難所になることで人々を救うのである。

 避難所では笑う人などいない。居たら頭のおかしい人物であろう。誰もが疲労しきって、希望を見出すことができないのだ。沈黙だけが心身を癒して行くしかないのだ。あの大震災で生き残れただけでもラッキーなのだが、その幸運は今は噛み締めることなどできないのだ。自分の目の前に起こった出来事が余りにも想像を絶してしまったからだ。

●自衛隊の活躍

 避難所が活気を取り戻すのは自衛隊がやってきてからなのである。自衛隊が食糧や水を運んで来てくれるので、避難民たちはどうにかしてひと息つけることができるのである。自衛隊の有難さは大震災で悲惨な目に遭うと良く解るのである。

 大震災に関する本で自衛隊の活躍を描かなかった本は無価値である。非常時では軍隊しか役に立つ物はないのだ。警察は平時に於いては強力な力を発揮するのだが、非常時になると情けないほど無様な姿を曝け出してしまうのだ。軍隊は非常時を想定して平時から教育と訓練を受けているからこそ、いざ非常時になると本当に役立つことになるのだ。

 ということは、「反戦」を主張して来る平和主義者は大震災に関する絵本を作れないということなのである。もしも平時に於いて平和主義者たちの意見を受け入れて、軍隊を廃止してしまった場合、大震災が発生した時には誰も助けに来てくれず、その被害を最大化させてしまうのである。

 自衛隊は今回の東日本大震災で、戦力の半分を被災地に投入したのである。これは「80対20の法則」から言えば最大限の数なのであって、自衛隊はまさに全力で被災者たちを救助していったのである。日本はこの時、国防が危機的状態になったことを決して忘れてはならない。中国は尖閣諸島への侵略を強めたし、韓国は大統領が竹島に上陸して、領有の永久化を主張して来たのである。

 こういうことがあるからこそ、軍隊というものは、「国防軍」と「民間防衛隊」の2種類を持つべきなのであって、国防軍は志願兵制で運用し、民間防衛隊は徴兵制で運用し、その代わり国防軍は主に祖国防衛の任務に当たらせ、民間防衛隊は郷土防衛の任務に当たらせるべきなのである。

 現在の日本で民間防衛隊に近いのが消防団なのであるが、消防団は本体消火活動に従事する組織である。これを大震災で使用するのは、基本的に無理が有り過ぎるのだ。消防団を民間防衛隊に発展させて、郷土防衛ができるようにしておけば、いざ大震災が発生しても、被災者救済のためにすぐに使え、大震災の被害を最小限に抑えることができるのだ。

●喪失感、そして鎮魂

 大震災では必ず死者が出てしまう。たとえ助かった者でも引越しをして去って行ってしまう。そのため残された者たちには「救いようのない喪失感」だけが残ることになるのだ。この喪失感がある限り、被災者たちは大震災の前と後とを比較してしまい、前に進むことができなくなってしまうのだ。

 しかし数が減少するからこそ質が向上することもまた事実なのだ。そして質の高くなった者たちは団結し連帯感を持ち、以前とは比べ物にならないくらいに強くなっているのだ。その変化は大震災の傷跡が冷めやらぬ中で確実に怒って来る。

 だからいずれ死んでいった者たちに対して「鎮魂」をすることができるようになるのである。生き残った者たちだけが死者たちを鎮魂することができるのであり、死者たちは鎮魂されることで霊魂が浄化され、この世から完全に離れて、あの世に行けるのである。

 この絵本ではタンポポこそが鎮魂の象徴になっており、タンポポの種が飛んでいくことで死者の悲しみが癒され、復旧復興がなされていくのである。見事としか言いのようのない表現方法である。大震災という悲惨な現実がタンポポによって見事に昇華されていくのである。

 俺が嘗て「神社仏閣の復興がなされれば、復旧復興の山場を越えた」と言ったが、それはそういうことなのである。被災者たちが死者たちの鎮魂をできるようになったからこそ、復旧復興は着実に進んで行くのである。復旧復興には絶対に宗教が必要なのである。それなのに宗教抜きで復旧復興をしようとするからこそ、復旧復興が全く進まなくなってしまうのである。

 この絵本はきちんと起承転結がなされ、文章も巧いので、絵本としては合格である。強いてケチをつけるなら、絵をもっと巧く書いて欲しかった。大震災の記憶を語り継ぐためには、それに耐えられる絵でないと困るのである。子供たちは何度も何度もその絵本を読み続けて行くのだから。

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