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2013年10月

出版不況をより悪化させる小説

●小説家になるには不向きな職業

 小説という物は書こうと思えば誰でも書ける。尤もまともな小説を書き上げるためには大量の読書をしていなければならず、読書量の少ない人はどうやったとしてもレベルの高い小説を作り上げることはできない。だからといって読書量が多ければちゃんとした小説が書ける訳でもないのだ。

 というのは、文学界には小説家になるには不向きが職業というものが存在するのだ。なぜだかその職業を経験してしまうと、まともな小説を書けなくなってしまうのだ。その職業が持つ何かが小説家に転職することを妨げてしまうのである。

①脚本家

 小説家になるには最も不向きな職業の筆頭は「脚本家」である。脚本家は既に仕事で脚本を書いているので、小説も書けると思いきや、小説を書けないのだ。脚本と小説はまるで違う物なのである。脚本家が小説を書いてしまうと、「小説の核」がなく、その小説を使って監督や女優や男優が料理することで初めて成り立つ物を書いてしまうのだ。結局、脚本家は脚本から抜け出せないのである。

②雑誌の編集長

 小説家になるには最も不向きな職業の第二は「雑誌の編集長」である。雑誌の編集長は仕事で自分の雑誌に連載小説とか掲載したりするのだが、仕事でそういうことをやっていれば、自分でも小説を書けるのではないかと錯覚してしまう。しかし雑誌の編集は想像以上にエネルギーを奪うものなのであり、そういう人がいざ小説を書いても、小説を書けるだけのエネルギーが残っていないものなのである。

③フリーライター

 小説家になるには最も不向きな職業の三番目は「フリーライター」である。フリーライターは仕事で文章を書きまくっているので、確かに文章は書ける。しかもちゃんとした文章を書いて来る。だが、フリーライターの文章は文章がのっぺらぼうなのであり、その文章に個性がないのだ。これは小説家になるには致命的で、小説として形は整っていても、小説として中身のない物を平気で作ってしまうのである。

●小説として核のない小説

 今回紹介する本はこの本!

 碧野圭著『書店ガール』『書店ガール2』(PHP研究所)

  書店ガール

  書店ガール2[碧野圭]

  碧野圭はフリーライター上がりである。だから文章はきちんと書けている。表面的には小説としての形を整えている。しかしこの小説は小説の基本が出来ていないし、「小説の核」がないのだ。この作品を文学専門誌の新人賞に出したら、絶対に落とされる。選考委員は「この小説には小説の核がない」とはっきりと言うことだろう。

 碧野圭はフリーライターをやっていたから、出版社に伝手があったのであろう。だから新人賞を取らずに作家デビューしたのだが、小説もどきの小説を平気で書いてしまっているのだ。この本自体、最初は新潮社から出版されたが、文庫本はPHP研究所から出版されたことを忘れてはならない。新潮社はこの作品を良しとは判定しなかったということなのである。

 この『書店ガール』の主人公は2人で、書店員の27歳の亜紀と、副店長の40歳の理子である。この主人公は作者の人格を分裂させたものであると思われる。読んでみれば解ることだが、この2人は別々の人格ではなく、2人で一つの者なのである。

 この2人は仕事で悉く衝突しているのだが、理子が店長になると半年後に書店が閉店されることになる。それを理子と亜紀は協力して危機を脱するのである。この話はそもそもがおかしい。理子は「雇われ店長」なのであって、書店を閉鎖することに関して決定権を持たないのである。

 はっきりと言えることは、碧野圭は書店経営をやったことがなく、書店というものを外から見ているということなのである。書店経営が解らないから、とんでもない空想話を作ってしまったということなのである。書店経営で大事なことは経営者なのであって、店長ではないのだ。店長がやる仕事は書店経営の内の一部分だけなのである。

●作者に問題があると、小説にはより悪化した問題となって出て来る

 俺がこの小説を読み終わって真っ先に思ったのは、「作者本人がきちんとした恋愛をしたことがない」ということであった。恐らくこの作者は結婚していないだろうし、たとえ結婚していたとしても結婚になっていないのだ。だから店長には彼氏がいないし、書店員も新婚だというのに新婚の感覚がまるでないのだ。

 作者が恋愛をしたことがないということは、まともな友情を持ったこともないということである。多分、この小説の二人の主人公は作者の分身なのであり、常に上下関係があるから、対等な立場で友情を育むというのが全くできないのである。

 この作者は明らかに他人を見下している。特にお客様のことを思いっきり見下している。少なくともこの作者は書店員の仕事を経験したことがなく、書店員たちを見下せる立場にいる人だということが解る。しかも非常に自己中心的であり、書店業界のことがまるで見えていないのだ。

 厄介なのは碧野圭は理屈を捏ねる性格なのに、自分の頭で考えず、常に何かしらの本に頼って生きているということなのである。だから店長が意見を言っても、その意見に説得力がないのだ。本当の職場だったら、そんな意見が絶対に通る訳がないのだ。

 この小説は小説の作者に問題があると小説にはより悪化した問題になって出て来る典型例である。この小説自体、書店が抱えていた問題を解決していないのだ。やったことは表面的に問題を取り繕っただけである。作者はフリーライター上がりだから、職場でプロジェクトチームを作って問題を解決していった経験がないのであろう。

●出版不況に於ける書店の変化

 現在、日本の出版業界は出版不況なのであるが、これは出版業界自体が引き起こしたのではなく、日本経済がデフレに突入し、それによって起こった現象なのである。だから出版不況を止めることはできないし、出版社が何か悪いことをやっているのでもないのだ。出版社だって出版不況の中で様々な改革を打ち続けているのである。

①総合書店の登場による弱小書店の淘汰

 出版不況の中で書店にも変化が起こっている。その最たる物は総合書店の登場と、それによる弱小書店の淘汰である。総合書店に大量の本があるなら、お客様はそちらの方に行くものなのであって、今までのような弱小書店は潰れて行くしかないのである。

②書店のコンビニ化

 こういう状況下では弱小書店は「書店のコンビニ化」で生き残るしかない。店内には最大公約数的な物しか置かず、出来る限り店の個性を出さないようにするのだ。こういう書店はチェーン店化が可能であり、全国どこでも安心して買えるからこそ、お客様はやってくるのだ。

③書店の専門化

 もう1つの生き残り策が「書店の専門化」である。書店が何かの分野に特化してしまえば、その書店はその分野に興味を持つお客様を惹きつけるのであって、それで商売が成り立つのだ。こういう書店は個人の書店が必要不可欠であって、個人の才覚で仕事を進めて行くしかないのだ。

④インターネットの販売はそんなに増えるものではない

 現在、インターネットで本を買うことができるようになっているのだが、インターネットの販売はそんなに増えるものではないのだ。本は自分が実際にその本を手に取って見てみないと、この本が本当に必要なのか解らないものなのである。インターネットでの本の購入は仕事の忙しい人が使うものなのであって、その売り上げのパーセンテージは業界で言われているほど多くはないのだ。

 日本の書店は書籍も雑誌も「委託制」になっているのだが、この出版不況では必ずそれを変えていかなければならない。雑誌は委託制でもいいが、「書籍の買取化」を断行しないと、書店はいつまで経ってもまともなビジネスをできないのである。書籍が委託制になっているからこそ、売れない本が書店に投入され続けるのである。

 書店が書籍の買取化を実施しない限り、書店の店員たちがどんなにサービスを工夫しても、多少の販売額増額に繋がっても、抜本的な改革にはならない。『書店ガール』はこの肝腎なことに全く触れていないのである。構造が変化している時に、個人の努力を無闇に称賛してはならない。成果のない努力を強いられれば、書店員たちが燃え尽きてしまい、仕事を辞める羽目になってしまうからだ。

●素人同然の書店員たち

 日本の書店はデフレ不況に突入する前から、書店に関して「或る重大な問題」を抱えていた。その重大な問題を解決することなくデフレ不況が到来してしまったために、余計に書店はその重大な問題を深刻化させてしまったのである。

 その重大な問題とは、

「書店員たちは書店員として専門教育を受けていない」

ということなのである。

 日本の書店の書店員たちは素人同然の人たちでなんの教育も受けずに、書店に就職したからということで書店員をやっているのである。これでは書店員として基本ができていないし、質の高いサービスを提供することすら不可能になってしまうのだ。

 ドイツでは書店員に対して「マイスター制度」が確立されており、そのために書店員としてしっかりと教育を受けた書店員が書店で働いているのである。彼等は書店員として充分な能力を持っているから、好況不況に関係なく、質の高いサービスをお客様に施すことができるのである。

 日本はこの書店員に対するマイスター制度を導入しなければならないのだ。導入しない限り抜本的な解決策にならないのだ。書店員になりたいのなら、大学卒業後に「書店員養成学校」に入学し、そこで二年間、書店員としてみっちり教育を受け、その書店員養成学校を卒業してから書店員として就職すべきなのである。

 「書店員マイスター」を持つということは、事実上「修士号」の取得と同じことなのである。大学進学率が50%を超えている以上、学士号ではなんの価値もないのであって、それ以上の何かを持たねばならないのだ。書店員マイスターがあればこそ、書店員として優秀な働きができるのである。

●「80対20の法則」を使えば簡単!

 現在、日本は出版不況に喘いでいるのだが、日本全国の書店が書籍や雑誌の売り方を全く変えていないからこそ、書店の収支は悪化していくのである。書籍や雑誌が売れないのなら、なんで売れるように工夫しないのか? 書店の経営が赤字になれば、如何なる書店でも倒産する羽目になるのだ。

 書店を改革していくためには「80対20の法則」を使って行くことだ。売れる本は常に上位20%であり、そこを重視していくのだ。逆に下位20%はどうやっても売れないのだから、勇気を出して切り捨てるべきなのである。そうやって店の商品を分別していくと、お客様たちが書いたくなるような商品が揃うことになるのだ。

 またお客様に対しても全て平等にサービスを実施するのではなく、大量に買うお客様に対してサービスを充実させるべきなのである。その大口のお客様たちこそがその書店での売り上げの80%を占めることになるのだ。この大口のお客様すら把握していないのが書店の現状なのである。

 経営が悪化している書店をどうにかしたいと思うのなら、日本各地の書店を見て回るべきだし、世界各国の書店を見て回って欲しい。普通の経営をやっていては、いずれ経営が行き詰まるのは当たり前のことなのである。観光旅行などしないで、そういう研修旅行をして欲しい。

 日本が参考にできるのは、人口や国土や経済規模から言って、西ヨーロッパ諸国なのだ。絶対にアメリカ合衆国ではないのだ。そこを無視して、アメリカ式のやり方を導入するからこそ、最終的には破綻してしまうのである。国際競争力を持つためには、「独自のスタンス」というものをしっかりと持っておくべきなのである。

●この本を書店員たちが喜んで読んでいるようでは、日本の書店は全滅も有り得る

 現在、日本はデフレ不況の真っ只中にある。このデフレ不況は日本経済がどうのこうのではなく、冷戦が終結し、大きな戦争の危機がなくなったからこそデフレになり、そのデフレに伴い不況が発生しているのである。覇権国家のアメリカ合衆国は時折戦争をすることで一時的に経済を刺激することができるが、日本や西ヨーロッパ諸国のようにアメリカ合衆国に押さえられている国々ではそんなことできないから、デフレ不況が深刻化しているのである。

 デフレ不況下では「リストラによる質の向上」を図り続けなければならない。数を減少させれば質が向上するのだから、会社は社員を削減して社員の質を上げたり、売れない商品の製造販売を中止して質の高い商品だけを売るようにし、既存の販売ルートに頼るのではなく独自の販売ルートを開拓しなければならないのだ。

 出版業界では、作家たちは質の高い作品を作らないと生き残れないし、出版社も粗悪品を廃棄し質の高い出版物だけを出すように試みているし、書店員たちも質の高いサービスをしないと生き残れないのだ。出版不況の中で全ての人たちが徐々に変わって行っているのである。

 しかしデフレ時の変化は静かに進むものだから、非常に解りにくい。だから出版業界の変化を正しく見るのではなく、出版社や取次を批判し、書店だけがなんとか努力してどうにかすればいいのではないかと間違った考えを抱いてしまうのだ。

 デフレ不況下に於いて間違った考え方を取れば全滅することも有り得るのだ。全国の如何なる書店に於いても、インフレ期に起こったような繁栄が戻って来ることはもう二度とないのである。書店員たちが『書店ガール』を読んで読んで喜んでいるようであるなら、日本の書店は全滅も有り得るのだ。

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ハグ&キスはセックスよりも大事

●結婚後に於いて夫婦仲を良くする秘訣

 恋愛結婚では、恋愛が臨界点を突破したからこそ結婚へと移行することになるのだが、折角に結婚したのに夫婦仲が悪くなってしまう夫婦が出て来る。恋愛と結婚とではレベルが全く違うので、恋愛しているような感覚で結婚生活を営めば破綻するのは当たり前のことなのである。

 恋愛結婚したのにその結婚が破綻してしまうと、その離婚は非常に大きな損害になってしまう。その夫婦は少なくとも結婚前はちゃんと恋愛していたのであり、互いに激しい恋愛感情があるのである。それが離婚によって一転して憎悪に変わり、相手のお金を奪い取るだけでなく、損害賠償までふっかけ、最終的には殺人事件を起こしたりしてしまうのである。

 結婚後に於いて夫婦仲を良くする秘訣は至って簡単なのである。それは「ハグ&キス」なのである。夫婦が一緒にいる時は出来るだけハグし、キスをするのである。こうしておけば常に夫婦愛を高めて行くことができるので、夫婦仲は良くなってしまうのである。

 結婚前に恋愛していたからといって、結婚後もデートやセックスに重きを置いてしまうと、夫婦はそれに耐えることができないのだ。特に夫は結婚後に仕事が忙しくなるので、デートにかける時間がないのだ。セックスしても、性愛術の巧い男性ならいいが、性愛術が巧くない男性なら、いずれはセックスが単調になっていくのは必至なのだ。

 「ハグ&キス」の凄い所は簡単にできるということだ。しかも短時間で終わる。結婚生活で色々なことをこなさなければならない状況下で、これほど有難いものはないのだ。1日1回、ハグ&キスをやっておけば、夫婦間で喧嘩になるようなことは殆どなくなるのだ。

●女性ホルモンの分泌を安定化させる

 ハグ&キスがなぜこんなに凄い力を発揮するのかといえば、ハグ&キスは女性ホルモンの分泌を安定化させるのである。女性ホルモンというのは安定して出て来るものではない。その分泌は変動するものなのであって、放置しておくと自分の体が必要とする女性ホルモンが分泌されなくなってしまうのである。

 女性は結婚しようとした時、その時点が最も美しくなる。というのは結婚するに当たって、最大量の女性ホルモンが分泌されるからなのである。本来なら結婚後も美しくいられる筈なのだが、結婚生活で起こる様々な出来事が女性ホルモンの分泌量を減少させてしまうのである。

 だからハグ&キスをしておけば、結婚した時点で最も美しくなっているので、その美しさを持続できるようになるのだ。要はいつまでも美しくいられるのである。勘違いしてはならないのは、いつまでも若くいられるということではないのだ。女性は時間の経過と共に老化していく。大事なことは若さを追い求めることではなく、年齢に応じた美しさを持つことなのである。

 それだけ妻が美しければ、夫に対して「自分は価値ある女性である」と思わすことができるのである。これは結婚生活に於いて非常に大きな意味を持つのであって、夫は自分の妻が価値ある女性だと思うからこそ、妻を大事にするのである。

 自分に大した価値がない女性は、自分の夫を蔑ろにする傾向が非常に多いのだ。夫は自分の妻に価値がなければぞんざいに扱うのは当たり前のことであって、それは価値がない妻の方が悪いのである。自分自身、価値を高める努力をしないツケは必ずどこかで出て来るものなのである。

●夫婦の会話がなくならない

 ハグ&キスは夫婦の会話を維持するためにも効果を発揮する。結婚して夫婦になった場合、普通に会話していてはいずれ会話のネタがなくなってしまう危険性がある。これを放置しておくと、夫婦なのに全く会話しないということになってしまうのである。

 親しい間柄ではスキンシップがあってこそ会話をするようになるので、毎日ハグ&キスをしてスキンシップをし続ければ、会話がなくなるということはなくなるのだ。夫婦が会話し続けていれば、夫婦双方充分な情報を持てるようになるので、それで夫婦喧嘩がなくなるのである。

 お勧めは、夫婦が全裸になって、夫が胡坐をかき、妻がその脚の上に跨り、腕を夫の首に回し、その格好で会話をするのだ。この遣り方だと、如何なる女性も喜ぶし、夫婦で愛のある会話が可能になるのだ。全裸になっている以上、ムードが高まればそのままセックスに移行してもいいのだ。

 夫は閑を持て余しているのではない。男性は結婚すると、なぜだか仕事が忙しくなる。自宅に居る時はほんの僅かな時間なので、その時間の中で会話をしないとならないのだ。しかもその会話は濃度の濃い物でなければならなず、女性同士がするようなどうでもいいような会話なら夫はその内に興味を示さなくなってしまうのである。

 妻にしても家事や育児をして、その合間に夫と会話をするチャンスが出て来るのである。スキンシップをしていない妻に限って、相手の顔色を窺い、価値のない会話をすることで距離を縮めようとするのだ。これは時間の無駄なのであって、絶対にやめることだ。スキンシップをして距離を縮めておけば、価値のない会話をして距離を縮める必要性なんてなくなり、行き成り内容のある会話ができるようになるのだ。

●家族の大切さを再確認させ

 ハグ&キスは家族の大切さを再確認させるためにも効果を発揮する。人間は基本的に怠け者の動物だから、結婚して家族を作っても、その内に結婚していることや家族がいることを面倒臭がってしまうようになるのだ。こうなると家族はバラバラになり、家族として纏まりを欠いてしまうようになるのだ。

 そこでハグ&キスをして、夫婦は互いに家族の大切さを再確認し、人間の本性である怠け者の性格を出さないようにし、家族を機能させなければならないのだ。家族の構成員は少ない以上、夫婦のどちらかが手抜きをし始めれば、相手方に多大な負担を強いてしまい、それで夫婦関係がギクシャクし始めてしまうのである。

 子供がいればハグ&キスは毎日行うことになるので、それで夫婦もハグ&キスをするようになり、ハグ&キスがなくならないのだ。注意すべきは子供たちが大きくなってハグ&キスをしなくなる頃であって、この時期になると夫婦もハグ&キスが減少するようになってしまうので、敢えて子供たちの前でハグ&キスをして夫婦愛を温めておくことだ。

 夫婦でゴタゴタが絶えないのなら、断食をして体をクリーンにすることだ。飽食によって食事過剰になっているために、体内に老廃物と毒素を溜め込むと、人間は碌でもない考えをしてしまうものなのだ。だから断食をして老廃物と毒素を体外に排出してしまうと、心が正常な状態に戻るようになるのだ。

 断食をし終えた時にハグ&キスを夫婦ですれば、凄まじい感動が押し寄せてくるものだ。断食によって肌の間隔が敏感になっているので、ハグ&キスをしてしまうとビンビンと相手の愛が伝わってくるようになるのだ。こうなると相手のために何かをしてあげようという思いが心の中から湧き起こって来て、それで夫婦愛は好循環になり、夫婦双方益々幸せになっていくのだ。

●結婚は運命の分かれ道

 人間にとって結婚は運命の分かれ道である。運命の相手と運命の巡り会いを果たしたのなら、その夫婦は如何なることがあっても巧く行くものだ。逆に碌でもない相手と恋愛をしてしまい、その勢いで結婚してしまえば、その結婚が破綻するだけでなく、離婚によって大打撃を受けて、二度と這い上がれなくなってしまうのだ。

 だから恋愛に焦ることはないのだ。恋愛に焦ってしまえば、運命の出会いを果たすことができなくなってしまうのだ。運命の相手を見つけることができないから、堕落的なセックスしまくることに走ってしまい、最終的には婚期そのものを逃してしまうことになるのだ。

 運命の出会いは突然にやってくるのだが、それまではせっせと仕事をしていればいいのである。自分が一流の仕事をしているからこそ一流の相手と出会えるのであって、自分が碌でもない仕事をしていれば、出会う相手だって碌でもない相手になるのは決まっていることなのだ。

 ハグ&キスはダイレクトに愛が伝わってくる以上、ハグ&キスをし続けられる相手は運命の相手だけなのである。運命の相手でないと、一時的にハグ&キスはできるが、その内に嫌になってきてしまうものなのである。結婚は結婚相手で全てが決まるものなのだから、結婚相手を選び間違えてはならないのだ。

 結婚する時は結婚して失敗した人たちを見るのではなく、結婚して成功した人たちを見るようにすることだ。結婚して失敗した人たちは悲しいまでにハグ&キスをしていないのだ。結婚して成功した人たちは必ずハグ&キスを大事にしている。結婚の明暗はたったそれだけのことなのである。しかしそのたったそれだけのことがその後の結果を大きく分けてしまうのである。

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どうすれば好きな人に愛を伝えることができるのか?

●愛で苦しむ人々

 愛が叫ばれる時代ほど、人々は愛が解らず、愛の伝え方すら習得してしない。

 愛というのは愛がある人には当たり前の物だから、愛があればあるほど敢えて愛を口にしないのだ。愛という言葉を口にする人々は往々にして心の中に愛がない人たちなのである。だから愛で苦しむ人たちが大量発生してしまうのである。

 多くの人々が愛で苦しむのは、恋愛をし始めた時であろう。自分の愛がなかなか相手に伝わらないのだ。今まで自分が愛を伝えていたのは、主に家族なので、生まれた時から長い時間をかけて関係を築き上げて来たのである。それゆえ愛は無理をしなくても自然と伝わるのだ。

 しかし恋愛のように新たに関係を築いた場合、関係自体が貧弱なのだから、行き成り愛を大量に出しても、逆に相手は拒絶してしまい、それで男女の関係に終止符が打たれてしまうのである。恋愛に於いて時間というものは重要な要素で、時間をかけないとまともな恋愛にならないのである。

 それなのにその出会いが「運命の出会い」であるなら、その交際は猛スピードで進展して行き、気付いた時には結婚してしまっているのである。逆に自分が恋に焦り、ダメな相手と交際しても猛スピードで進み、そのくせ最終的にはどうやっても破局してしまうのである。

 だから無闇に恋愛を急ぐことは絶対にお勧めできない。恋愛に対しては性悪説に立脚して、出来るだけしない方がいいのであって、そうやって恋愛に対してネガティブに見ていると、然るべき相手を見つけることができ、まともな恋愛をすることができるようになるのだ。恋愛は相手が誰であるかによって大いに左右される以上、異性の全てが恋愛の対象だとは絶対に思ってはならないのだ。

●愛を伝える三大要素

 相手に対して愛を伝えるためには、愛の三大要素を満たさなければならない。愛の三大要素とは、

「身嗜み」

「言葉」

「スキンシップ」

の三つである。愛はこの三大要素を満たさない限り、相手には伝わらないのだ。だから相手に「愛しているよ」というだけではダメなのである。

 恋愛の初期段階で最も重要視されるのは「身嗜み」である。人間の身嗜みには言葉にはできない様々な情報があるので、それで瞬時にこの人に愛を伝えてもいいのだろうかと自分の脳が自動的に判定するのである。身嗜みのなっていない人は恋愛の対象外である。

 尤も自分自身、身嗜みをきちんとすることも必要である。身嗜みが出て来てこそ、愛がきちんと出て来るようになるからだ。女性がファッションに拘るのはそのための準備なのであって、ファッションで負けているような女性ではちゃんとした愛が出て来ないのである。

 恋愛の初期段階が終わると、重要性が増して来るのが「言葉」である。大体、デート自体、双方が言葉を言い合い、二人の関係を近づけ、深めて行くものなのである。言葉遣いがぞんざいな人は恋愛関係を発展させることができないのだ。

 日本語の場合、「愛している」より「好き」という言葉の方が恋愛に於いては大事である。「好き」というのは日本古来の言葉であるが、「愛」は所詮外来語なのだ。だから「好き」という言葉をバンバン使っていくべきなのである。何かにつけて、「それ好きだな~」とか言っていると、相手の恋心は急速に高まって行くのである。

 恋愛に於いて決定打となるのが、「スキンシップ」である。肌と肌が触れ合うことは、言葉以上に様々な情報を与えるのである。自分が好きな相手とはスキンシップをするのが楽しいし、飽きることはない。しかし自分が好きでもない相手とは、スキンシップを無理矢理にやっても楽しくないし、続かないのだ。

 恋愛を巧く行かせたいのなら、身長差が余り激しくない相手を選ぶべきだ。デートをする際に手を繋いで歩けるほどの身長差でないと、恋愛を維持するのは困難になってしまうのだ。大体、身長差は最大20センチ以内と覚えておけば、デートで手を繋ぐことに苦労しなくなることであろう。

 セックスをするような仲になれば、「ハグ&キス」は絶対に欠かせない。一緒にいる時は必ずこれをすべきであって、これをしなくなると二人の関係が怪しくなってくるのだ。スキンシップが少なくなれば、言葉だって減少するし、その内、身嗜みも悪くなって、それで破局ということになるのだ。

●順序は関係の濃度によって逆になる

 この愛を伝える三大要素の順序は関係の濃度によって異なる。三大要素が平等に並んでいるのではないのだ。二人の関係によって順序が変わってしまうという物なのである。だからバカの1つ覚えの如く、愛を伝える三大要素から言葉をだけを重要視し、「愛しているよ~」と言いまくったとしても、全く無意味なのだ。

 親しくない場合は、

「身嗜み」→「言葉」→「スキンシップ」という順番になる。だから恋愛を成功させたいのなら、とにかく身嗜みをきちんとすることなのである。身嗜みが出来ていないのなら、何をやってもダメなのであって、相手がどうのこうのではないのだ。

 親しい場合は、

「スキンシップ」→「言葉」→「身嗜み」という順番になる。だから恋愛をしたのなら、とにかくスキンシップに務めることだ。スキンシップをやっていれば、どんな問題が起こっても解決できるものなのである。二人が一緒にいるのに、スキンシップをしなくなれば、関係が疎遠になっていくのは当たり前のことなのである。

 気をつけるべきは、順序を間違えると、愛は伝わらないということだ。親しくもないのに、行き成りスキンシップをやれば「セクハラ」になってしまうのだ。女性たちはなぜセクハラを問題視するのかといえば、スキンシップというのは最も愛が伝わるものだから、自分が好きでもない相手に自分の体を触られたくないのだ。男性たちは「触っても減るもんじゃなし」と反論したくなるものだが、女性は好きでもない相手だと「触れば怒り出す」のだ。

 もう1つ気をつけるべきは、幾ら親しい仲だからといって、身嗜みを軽んじていると、恋愛に終止符が打たれてしまうということだ。例えば自宅でだらしない格好をすると楽チンなものだが、それを恋人の前でやっていると、百年の恋も冷めてしまい、破局してしまうことになるのだ。

●愛は愛に相応しい時空を求める

 愛の三大要素と、その順番の違いが解っていれば、恋愛を確実に効率良く行うことができるようになるのだ。恋愛の初期段階で重要になるのは身嗜みだから、服装が同じような場所では恋愛が発生し易いし、その恋愛が始まると非常に楽チンで展開することになるのだ。

 ということは、「学校」や「大学」、「職場」といった所では恋愛が発生し易い。学校なら制服があるので、服が共通だから、余計に恋愛が発生し易いのだ。職場で職場恋愛が盛んに行われるのは、誰もが身嗜みに気をつけるからなのである。

 自分が相手を選ぶより、他人の紹介の方が巧く行く可能性は高い。友人の紹介で交際を始めたカップルというのは非常に多いものだが、他人から紹介を受けるような人はそれなりの身嗜みを整えているから、余程の例外がない限り、間違った相手を選ばなくなるのだ。

 ちゃんとした恋愛をしたいのなら、デートコースも考えなければならない。恋愛の第二段階で重要になってくるのは言葉だから、まともな会話ができるような場所でデートをすればいいのだ。だから「喫茶店」というのは絶対に欠かせない。喫茶店で会話をし、距離を詰めれば、次は「レストラン」でより突っ込んで会話をすればいいのだ。 

 ダメなデートコースというのは、映画館を使ったデートだ。二人が同じ映画を見ることでその映画を話題に会話を進めるということができるが、愛の理論が解っていれば、デートで映画館を使う必要性は全くないのだ。高校や大学を卒業してしまうと、デートで映画館に行かなくなってしまうのは、そもそもデートで映画館を使うことが間違っているからなのである。

 飲み会で相手を見つけたり、飲み会自体をデートに組み込むこともダメな典型例である。飲み会では服装が乱れてしまうので、最初から身嗜みに於いて無理がある場所なのである。それゆえ合コンを幾らやっても、まともな相手を見つけることができないのだ。

 愛は愛に相応しい時空を求めるものなのである。ちゃんとした身嗜みができ、内容の濃い会話ができる場所なら、質の高いスキンシップをするようになり、そういう関係でセックスをすれば、男女ともに非常に満足できるセックスができるものなのである。確かに性愛術は大事だが、それだけを鍛えてもどうにもならないものなのである。

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『八重の桜』を見て、東日本大震災の被災者たちは本当に元気になったのか?

●綾瀬はるかを使って低視聴率という失態

 NHK大河ドラマは『江』と『平清盛』が大失敗に終わり、その後に東日本大震災の被災者たちを元気づけるために『八重の桜』を放送したのだが、平均視聴率が12%という低い数値になってしまったのだ。『八重の桜』は大失敗ではないにしても、失敗と判定されるべきものであって、NHKは三回も失敗をやらかしたのなら、ドラマ制作能力が急激に低下しているという深刻な問題を発生させているのである。

 今回の『八重の桜』は若手女優の中で断トツの実力を持つ「綾瀬はるか」を使った上での失敗なのである。綾瀬はるかを使ってコケたというのなら、本当にコケたということであり、綾瀬はるかが持っているであろう数値を除けば、『八重の桜』は平均視聴率が10%を切っていた駄作であるのだ。

 『八重の桜』は一体何がそんなにも悪かったのかといえば、それは脚本の拙さなのである。新島八重の人生は大別して「会津藩での時期」「同志社大学創設に関わった時期」「日本赤十字社に関わった時期」の三つに分けることができる。

 それなのに会津藩での時期が異様に長すぎ、新島八重といえば「銃を持って戦う女兵士」になってしまい、これでは新島八重の人生をきちんと表したことにはならないのだ。脚本家の「山本むつみ」が脚本の配分に明らかに失敗したのであって、それが視聴者たちに飽きられてしまったのである。

 幕末は政局が混迷した時代なのだが、『八重の桜』では時代背景を説明するために政治のシーンが多過ぎたのである。八重本人は戦争に関わったが、政治には関わっていない以上、あそこまで政治のシーンを延々と述べる必要は全くなかったのである。

 それと戦闘シーンが長過ぎである。戊辰戦争というのは、徳川慶喜が「大政奉還」をして、すでに政治では新政府側が勝利し、奥羽越列藩同盟の側が負けているのである。だからいざ戦争が始まれば、新政府軍は圧勝に次ぐ圧勝なのであり、事実、会津戦争だって冬を越すことなく短期間で終わってしまったのである。

 しかも『八重の桜』だから新島八重のドラマかと思いきや、山本覚馬の活躍するシーンが異様に多いのである。これではドラマの内容とドラマの題名が齟齬をきたしているのである。そういう内容であるなら、ドラマの題名を『八重の桜』ではなく、『覚馬と八重』にすべきだったのである。

  八重の桜 完結編

●旧態然としていた会津藩

 江戸時代後期というのは、どこの諸藩も財政が破綻し、それが引き金になって藩政改革に乗り出した時代なのである。藩政改革が最も巧く行ったのが長州藩であり薩摩藩なのであって、だから幕末になると長州藩も薩摩藩も大いに活躍することになるのである。

 これに対して会津藩は財政が逼迫しているというのに藩政改革を怠ったのである。未だに藩主による専制政治が行われており、長州藩のように藩主は政治権力を喪失して、「政務役」に政治権力が移行したのとは大違いだったのである。

 松平容保はこの旧態然とした会津藩を率い、幕末に於いて「京都守護職」という最も危険な役職に就いてしまったのである。絶対に忘れてならないのは、松平容保はこの京都守護職を熱心にやってしまったのであり、新撰組を組織して、新撰組が尊王攘夷の志士たちを殺しまくったからこそ、倒幕側は会津藩に激しい恨みを抱いたのである。

 それが遠因となって会津戦争になってしまったし、会津藩が下北半島に転封される結果を引き起こしてしまったのである。新政府側は戦争する前に松平容保の身柄を引き渡せと何度も言っているのに、松平容保は自分の命が欲しいばっかりに外交を拒否し、それで会津で戦争をやってしまったのである

 「松平容保はバカ殿なのである」

ということが解っていないと、会津藩の悲劇は正しく理解できないのだ。確かに新政府軍側は会津藩に過酷な措置を取ったが、会津藩は松平容保が京都守護職をやっていた時期に、それ以上に過酷な措置を尊王攘夷の志士たちにやっていたのである。

 明治維新は長州藩も薩摩藩も新たに幕府を作ったのではないのだ。王政復古をやったのであり、そうやって過去に戻ったからこそ、近代化を急速に推し進めて行くことができたという「歴史の逆説」を引き起こしたのである。それに対して会津藩は会津藩のことに拘るばっかりで、日本の現状も、日本の未来も全く見えていなかったのである。

●実は恵まれていた八重の人生

 新島八重は絶対に「悲劇のヒロイン」ではない。彼女の人生を調べてみると、実は恵まれた人生であったというのが解るのだ。

 八重は会津藩の砲術師範の山本権八の娘として生まれている。子供の頃から男勝りで、体格的にはかなりがっしりとした体格であった。戊辰戦争前には川崎尚之助と結婚している。会津戦争には断髪男装して戦争に参加し、八重が善戦したために新政府軍は一時後退し、アームストロング砲に集中砲火を行い、会津藩を降伏させたのである。

 八重は女性であっても戦争に参加した以上、捕虜にならなければならなかったのだが、新政府軍は八重が女性ということで捕虜にはしなかったのである。因みに八重の夫の川崎尚之助は捕虜になり、夫婦は離ればなれになってしまい、その後、二度と再会することがなかったのである。

 明治維新後、八重は京都府顧問になっていた山本覚馬を頼って上洛し、兄の推薦で京都女紅場の権舎監になる。その後、アメリカンボードの準宣教師である新島襄と知り合い、結婚する。この結婚によって京都女紅場を解雇されるが、京都女紅場での経験を活かして同志社の創設に加わっている。

 明治23年に新島襄が死ぬのであるが、新島襄の弟子たちと意見が対立居し、同志社からは疎遠になる。同志社を去った八重は日本赤十字社の正社員になり、日清戦争に参加して、従軍看護婦として活躍する。この活躍が認められて、戦後は看護学校の助教になっているのだ。日露戦争でも従軍看護婦として参加し、その功績によって勲六等宝冠章が授与されている。

 新島八重の人生は、「会津時代」「同志社時代」「従軍看護婦時代」の三つがあるので、これらの全てをドラマで描かないと、彼女の人生が見えてこないのである。新島八重は「86歳」という長寿であったので、スペンサー銃をバンバン撃っていた時期だけが彼女の全てではないのだ。

●八重のキリスト教信仰は間違っている

 新島八重は取り立てて、凄い功績を打ち立てた女性でもなく、何かしらの指導者になったわけでもない。それなのに新島八重が称賛されるのは、ただ単に彼女がキリスト教徒だったからであり、日本のキリスト教徒たちが熱心に彼女のことを称賛するからなのである。

 しかし新島八重のキリスト教信仰は完全に間違っている。新島八重は夫の新島襄がキリスト教を信仰しているから、妻の自分も信仰するということをやったのである。これは日本の女性のキリスト教徒たちには非常に多い信仰パターンなのだが、この信仰は「偽りの信仰」なのである。

 キリスト教の教義はカトリックでは信仰義成説、プロテスタントでは信仰義認説と違うのだが、キリスト教徒の信仰は神が引き起こしたものであって、自分で引き起こしたものではないのだ。信仰に関して人間は自由意志を持たないというのが、キリスト教の基本的な考え方なのである。

 だから、「夫がキリスト教を信仰しているから、妻の私もキリスト教を信仰します」というのは、教会の側がその信仰を拒否しなければならないのだ。偽物の信仰を持った人たちが教会の中に入ってくれば、教会はキリスト教とは無縁の組織になってしまうからだ。

 事実、新島八重は愛を唱えながら、常に誰かを憎んでいるのだ。まずは長州藩であり、長州藩への恨みは終生消えていないのだ。しかも新島襄の死後、同志社たちの人たちと意見が対立し、同志社を離れてしまっているのだ。心の中で誰かを憎んでいるからこそ、自分がどんなに仕事をやっても最終的に巧く行かないのだ。

 新島八重の写真を見ると、顔が晴れ晴れしておらず、何か違うことを考えている顔つきをしている。どう考えても賢そうな顔ではない。日本人が仏教を受容したのは、仏教には「恨みを捨てる」という教えが含まれているからこそなのである。幾ら愛を唱えても、なかなか恨みというものは消えないものなのである。そして恨みを持っている限り、本物のを愛を出すことは決してできないのだ。

●旧会津藩士たちが引き起こした政治犯罪

 会津藩は幕末の政局でジョーカーを掴み、戊辰戦争では最大の被害を受けたのだが、だからといって旧会津藩士たちを称賛することは許されない。旧会津藩士たちは戊辰戦争後にとんでもない政治犯罪を引き起こしてしたからである。

 西郷隆盛が政府を去ると、それに連れられて多くの将兵や警察官が去るのだが、旧会津藩の人たちがそれを埋めるかのように帝国陸軍や警視庁に雪崩れ込んできたのである。旧会津藩士たちが入って来た前と後では、帝国陸軍も警視庁もその性格を全く変えてしまうのである。

 帝国陸軍は上層部は旧薩摩藩士たちが独占していたが、兵士たちに旧会津藩士たちが入って来ることによって、軍隊の内部で暴力を振うことが当たり前になってしまったのである。この問題は帝国陸軍の宿痾で、東条英機首相すら体罰禁止令を出したのだが、結局、帝国陸軍が崩壊するまで治らなかったのである。

 会津藩では武士と庶民の身分格差が激しく、庶民に対しては普段から暴力を振るっていたのだが、帝国陸軍のように徴兵制を用いていた軍隊だと庶民が兵士として入って来るから、それで上官たちは兵士たちに暴力を振るってしまったのである。

 警視庁に入り込んだ旧会津藩士たちは宗教弾圧に乗り出し、天理教や大本教といった新興宗教団体を攻撃したのである。政府は欧米列強を見習って「信教の自由」を認めていたのだが、旧会津藩のように朱子学に凝り固まった人たちは他の宗教を認めるということしないのである。それで宗教弾圧に乗り出し、日本の宗教史にとんでもない禍根を残してしまったのである。

 警視庁の警察官たちが威張るようになったのも、旧会津藩士たちが入ってきてからなのである。旧薩摩藩士たちは警察というのは治安維持のために必要だということが解っていたから、政府に反抗する者以外はそんなに厳しく取り締まらなかったのである。それなのに旧会津藩士たちが入って来ると、誰かまうことなく威張り散らすようになったのである。

 警視庁の警察官たちがそういう態度だったからこそ、後に社会主義者たちは増えて来ると、特別高等警察が設置され、社会主義者たちへの弾圧を行うようになるのである。もしも旧会津藩士たちが警視庁に入って来なければ、政府による社会主義者たちへの対応はもっと違っていたものになっていた筈なのである。

 会津の人たちが「戊辰戦争では奥羽越列藩同盟が完全に間違っていた」と理解するまで、会津の人たちの政治犯罪は続くのである。松平容保はバカ殿であり、会津藩を滅ぼしてしまった張本人なのである。政治というのは何が起こるか恐ろしい場所だから、無闇に政治に手出しをしてはならないのである。

●新島八重を必要以上に評価することは非常に危険である

 新島八重を必要以上に評価することは非常に危険である。新島八重はそれほど優れた人物ではなく、逆賊の会津藩士の娘でありながら、明治維新を巧く立ち回って、同志社設立を支援したり、従軍看護婦として仕事をしただけにすぎないのだ。

 世間の人々は「新島八重は会津戦争に参加し、新政府軍を撃退した勇猛果敢な女性」と思っているが、既に勝敗のついている戦いに対して新島八重がそんなことをしてしまったからこそ、新政府軍はアームストロング砲を打ち込み、より犠牲者が増えてしまったし、戦後、城は廃城になってしまったのである。

 絶対に忘れてならないのは、新島八重のキリスト教信仰は偽物であるということである。キリスト教は愛を唱えるが、新島八重は心の中で長州藩への恨みを捨てていないのだ。偽物のキリスト教信仰が出回っているからこそ、日本のキリスト教徒たちはどいつもこいつも口では愛を唱えながら、心の中で誰かを恨むということを平気でやるのである。

 怨念は合理主義を否定するものなのである。会津戦争で会津が焦土と化しても、新島八重が「松平容保はバカ殿だった」と割り切れば、長州藩に対して恨みなど抱かず、他にもっと良い生き方ができた筈なのである。新島八重の人生を見てみると、同志社を作っても、後に揉めて去ってしまい、従軍看護婦をやっても、日々の仕事をこなすだけで、より大きな仕事をしていないのだ。

 新島八重を扱った作品を出した作家に一流の作家たちがおらず、今まで聞いたこともないような作家たちが作品を出しているのはこのためだ。新島八重のことを少しでも調べれば、作品にするほどの人物ではないということが解るものなのである。

 新島八重の大河ドラマが放送されることで、福島県でも会津の人たちは大喜びしただろうが、東日本大震災で大きな被害を受けたのは会津ではなく、岩手県や宮城県や福島県の太平洋岸であるのだ。NHKが新島八重を出すことで、東日本大震災の被害者たちを勇気づけようとするのは、そもそもが間違っていたことだったのである。

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伊豆大島の大島町の災害は人災である! 人災以外の何物でもない!

●事前に警告を発していた

 今年は「雨のない梅雨」であったので、俺は梅雨の時期に「今年は洪水が来る可能性があるので気を付けて」とブログで知らせていた。案の定、夏に入ると猛暑になり、竜巻は起こるわ、京都の嵐山に洪水が発生するわ、そして10年の1度の巨大台風が日本列島を直撃したのだ。

 我が家でもこの巨大台風を前にして、様々な対策を講じて、風で飛ばされそうな物は全て屋内に仕舞った。台風が通過した際には猛烈な暴風雨が家を叩きつけ、午前五時頃には千葉市から避難勧告が出るほどの凄さであった。しかし事前に準備をしていたので、なんの被害もなかった。

 ところがである。

 10年の1度の巨大台風が来るというのに、伊豆大島の大島町では川島理史町長は出張で不在で、しかも大島町は余計な混乱を招くとして避難勧告を全く出さず、その結果、土石流が発生し、大島町を直撃してしまったのだ。恐らく死者は50人近くになることだろう。

 巨大台風が大規模な災害を引き起こすことであろうことは気象庁が事前に全国民に対して報道していた。しかも気象庁は巨大台風の通り道に当たる大島町には特に電話でことのことを告げていたのである。それなのに大島町は避難勧告を出さず、最悪の事態を引き起こしてしまったのである。

 TBSはこの無能な町長に対して責任を追及する報道番組を放送したのだが、これに対してツイッターでは「町長に責任を追及するのは可哀想だ!」「今すべきことは行方不明者の捜索であって責任追及ではない!」という意見が出回るようになってしまったのだ。

 「バカなことを言うな!」

と俺は言いたい。

 今回の大島町の被害は<天災>ではなく<人災>なのであって、まずはこの無能な町長を辞職させない限り、また同じような悲劇が起こってしまうのだ。台風は次の台風も既に発生しており、いずれはやってくるのである。町長として能力のない者が町長の職にあるなら、二次災害が起こり、余計に被害が拡大してしまうものなのだ。

●実は共産党員だった川島理史町長

 川島理史町長はまともな政治家ではない。この町長は実は共産党員なのであって、だからこそあんな無責任な態度を平気で取りまくったのである。大島町というのは都内では唯一の共産党員が首長になっている地方自治体なのであって、東京都内でもこの大島町は異常事態になっていたのである。

 なんで大島町の町民たちはこの共産党員を町長に迎えてしまったのかといいうと、町長選では川島理史は共産党員なのに無所属で出馬したのであり、それで町民たちを騙して当選してしまったのである。川島理史は共産党員である以上、経歴詐称なのであって、公職選挙法に違反しているのだ。

 川島理史は平成7年に大島町議会議員に初当選し、4期16年も議員を務めていた。この時点で無能さが解るというものだが、行政機関に於いて経験を積んだことは全くないのだ。町議会の議員として町の行政を批判するのと、町長として町の行政を行うのとではまるで違うものなのである。

 川島理史は大島町の町長として、「町づくりを貫く3つの取り組み」と称して。「プラス1」「見える化」「協働」と意味不明なことを掲げている。この協働というのが如何にも共産党員らしい言葉で、「町づくりの土台である町民・議会・町長の責任を明らかにし、それぞれの役割を担って行こう」ということなのである。

 要は、

「私は責任を取りません」

ということを言っているのである。

 共産党員の言葉はまともな日本語ではないので、日本語で綴られた言葉なのに翻訳が必要なのである。町政の最高責任者は町長なのであって、町民や議会が責任を負うべきものではないのである。それなのにその責任を町民や議会に分散するということは、町長の自分は権力を握るが、その責任は取らないということを言っていることなのである。

 大島町の町民たちが町長選挙で共産党員の大島理史を選んでしまったことは大失敗だったのであり、だからこそ台風が直撃した際に被害を発生させ、50人近い死者を出してしまったのである。バカな町長選をやったツケはこういう時に出て来るのだ。

●共産党員は絶対に無能化する

 日本国民の殆どは日本共産党のことを知らなすぎる。日本共産党は「共産革命」を目指す非常に危険な政党なのであって、ブルジョワジーを殲滅することを政治目標に掲げているのだ。ブルジョワジーとは資産を持っている人たちのことだから、銀行に預金があったり、土地を持っていたり、株券を持っている人たちは日本共産党が政権を取ったら全員が虐殺されてしまうのである。

 日本共産党では普通の議会政党とは違い、「党内選挙」がしっかりと行われている。しかしその党内選挙は既に当選者が決まっており、党が決定した人物を党員たちが支持するという儀式的なものに過ぎないのだ。厄介なことに党員たちは「この方がより民主主義的である」と思い込んでいるのだから始末に負えない。

 日本共産党の機関紙である『しんぶん赤旗』は日本政府を批判することに熱心だが、日本共産党への批判を一度たりともやったことがない。即ち日本共産党の内部には「言論の自由」がないのであって、これではまともな党運営をしていくことなどできないのだ。

 党内に言論の自由がないからこそ、公職選挙で敗北しても党執行部は責任を取らないのだ。だから中央委員会議長も、幹部会委員長も、書記局長も、定年を迎えるまで引退をすることはないのだ。これでは党執行部が無能化することは当たり前なのである。

 日本共産党は綱領で「自衛隊は憲法違反である」と主張している。それなのに今回のような災害が起これば、共産党員の大島理史町長は自衛隊に出動要請するのである。大島理史町長は共産党の綱領に違反することをやっているのに、これが党内で問題視されることがないのだ。こういうことでは共産党員個人が腐って行くのは必至なのである。

●大島町の悲劇の構造

 大島町は人口が8000人程度の非常に小さな地方自治体なのである。主な産業は「漁業」と「観光」しかない。大島町が今回のような災害を受けてしまえば、観光産業は大打撃を被ってしまうのであり、ただでさえ外国旅行に取られてしまう観光客が更に減少してしまうのである。

 大島町の町民たちは大島町の立て直しに真剣になるべきなのだが、大島町は実は「補助金漬け」になっており、自主財源で賄わず、中央政府や東京都からの補助金を獲得することに躍起になっているからこそ、余計に大島町が衰退していってしまうのである。

 大島町の町民たちは「補助金は政治的麻薬である」と気付かねば、この悲劇の構造から脱却できないのだ。補助金に頼った財政運営をしていたからこそ、大島町の内部で共産党員が増えて行ったのであり、共産党員の町長を誕生させてしまったのである。

 大島町が今すべきことは新たな産業を起こすことなのであって、新しい産業を起こさないと、大島町は絶対に発展していかないのだ。既存の経済だけをどう弄っても、大島町には未来はないのだ。新しい産業がないからこそ、若者たちは離島してしまい、余計に大島町の経済が衰退してしまうことになるのだ。

 大島町が観光で飯を食うにしても、街並みが観光に相応しいようにはなっていない。これでは観光客が来るわけないのだ。世界各地の観光地というものはどこも街並みが綺麗なものなのである。それはきちんと法整備がなされているからこそ、そういう美観を作り出すことができるのである。大島町はそういう法整備すらできていないということなのである。

●だから民主主義はダメなのだ

 川島町が持つエネルギーは非常に限らている。民主主義をやってエネルギーを無駄遣いすることは絶対に許されないのだ。大島理史のように、町議会議員を延々と遣り続け、行政経験が何もないのに、町長選に当選すれば町長になってしまうようなバカげたをやっていれば、今回のような悲劇が起こるのは当たり前なのである。町長にはなんの行政能力もない以上、任期中、碌なことしか仕出かさないのだ。

 町長候補は町の有力者たちを使って用意すべきであって、町の重要な役職を経て、経験値を積んだ者だけに町長選出馬を認め、町長選挙で町長を選ぶようにすればいいのだ。町議会議員を幾らやっても、行政に関する経験値はつかないものなのだ。町議会議員は飽くまでも選挙区の代表者なのであって、間違っても町の代表者たる町長の役職は務まらないのだ。

 大島町のように三原山という活火山があるような場所では、長老たちを集めておき、災害に関して勧告できるようにしておくことだ。言わば「元老院」のような物が必要なのである。なぜなら「災害は忘れた頃にやってくる」以上、長老たちのように人生経験が豊富な人たちなら、普通の町民たちが言えないことでもはっきりと言えるからだ。

 大島町は人口が少ないのだから、条例を制定するにしても、町民集会を設けて、そこで町民たちに説明し、町民たちの選挙を経て、町長が制定するようにすべきなのである。町議会が町民たちの知らない所で条例を作ってしまうからこそ、町民たちは条例が制定されても、そんな条例は知らないということになってしまうのだ。

 また、今回のような災害時には、中央政府が非常事態宣言を出し、軍政下に置くことも必要なのである。軍によって独裁的に処理してしまった方が効率的であり、無駄に死者を出さなくて済むものなのである。町長は平時に於いては行政をやってもいいが、非常時になればやらない方が良いのである。

 民主主義に洗脳されてしまっているからこそ、こういう具体的な改革案が思いつかないのである。今回の災害でもボランティアの人たちがやってきて、マスコミではそれを称賛する報道をしている。しかしこういう大規模な災害では軍隊なくして何もできないものなのである。ボランティア活動は素晴らしいことではあっても、決して軍隊の活動に勝るようなことはできないものなのである。

 民主主義の洗脳が解除されない限り、大島町の本当の解決策は見つからないものなのである。

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フェミニズム洗脳 ~フェミニズトたちは一体何を目指しているのか?~

●性差闘争は必ず大量虐殺を引き起こす

 社会主義者たちは「貧富の格差」の解消を目指して闘争を続けてきたのが、最終的には社会主義革命を起こして金持ちたちを皆殺しに、貧乏人たちは余計に貧乏になってしまった。それどころか肝腎の貧富の格差は解消できず、共産党員と人民とで貧富の格差が資本主義の時代よりも激しくなってしまったのである。

 フェミニズムは社会主義の代用品として生まれてきたのだが、この「貧富の格差」の解消を、「性差の格差」の解消へと切り替え、それを大真面目になって闘争しまくっているのである。この闘争を決して放置してはならないのだ。もしもフェミニストたちが本気で性差の格差の解消を実施していけば、社会主義と同様に大量虐殺は絶対に免れないのだ。

 「男女の性差」は絶対に解消されない。この性差は人間が作りし物ではなく、遺伝子レベルによる差だからだ。貧富の格差は遺伝子の問題ではなく、それこそ商才があるかないかの違いなのであるが、男女の性差の格差は遺伝子の問題であって、男性たちを大量虐殺することなくして、この男女の性差の格差を解消していくことはできないのだ。

 性差闘争は必ず大量虐殺を引き起こすのであって、本来なら、警察はすぐさまフェミニストたちを「大量虐殺準備罪」で逮捕し、死刑を課すなり、終身刑を課すなりして、絶対に社会に出てこらないようにしなければならないのだ。フェミニストたちの危険度は社会主義者たちの危険度とはまるで違うものなのである。

 日本国民はこの思想戦に余りにも無防備すぎるのだ。「言論の自由」とか「思想の自由」とかtを金科玉条の如く崇拝してしまい、そういった自由が実は法の支配の下でしか認められないということを全く知らないのだ。大事なのは法の支配なのであって、法の支配を覆す思想や言論というのは如何なることがあっても認めるべきではないのだ。法の支配が覆されてしまえば、その後にやってくるのは人の支配なのであって、独裁者による暴政が展開されてしまうのである。

●準フェミニズム体制 それが男女共同参画社会

 フェミニストたちは既に「女性党」なるフェミニズム政党を作っているのである。彼女たちは本気でフェミニズム革命をやろうとしているのである。社会主義革命の脅威が去ったと思ったら、今度はフェミニズム革命の危機が迫ってきたのである。

 現在、フェミニズムは主に女性学者たちを洗脳中である。このため学者として最低限の知力を持たない女性学者たちは呆気ないほど簡単にフェミニズムに洗脳されてしまっているのである。学者になるためには批判能力がなければならないのに、なぜだかフェミニズムというイデオロギーには批判してこないのである。

 フェミニズムに洗脳された女性学者たちは只今熱心になって推進しているのが「男女共同参画社会」である。男女共同参画社会は準フェニミズム体制とでも言うべきもので、日本の社会を合法的にフェミニズム社会に改造していこうとするとんでもないことを大真面目でやっているのである。

 男女共同参画社会の建設に反対する者たちは、「セクハラテロ」や「パワハラテロ」を受け、社会から抹殺されることになるのだ。このセクハラやパワハラはこれまで何度も事件が発生しているのに、このテロによって失職するのは常に男性なのである。女性が1人もいないという異常事態が起こっているのである。

 よりによって日本政府はこの男女共同参画社会を推進してきたが、日本社会に起こったことといえば、経済成長がマイナス成長を記録したり、日本国民の平均所得が50万円も減少したりと、政府による悪政のために日本国民は貧乏になってしまったのである。

 日本経済に活力がないのだから、日本企業も収益を悪化させ、そのために二束三文でアメリカの銀行に買収されてしまったのである。こうなってくると日本政府が男女共同参画社会を推進する政策を取るようになったのは、アメリカ合衆国の陰謀と謀略だと考えた方が、この馬鹿げたことを正しく理解することができるようになるのだ。

●人民戦略によるフェミニズムの浸透

 フェミニストたちは嘗て共産党が使った「人民戦線戦略」を使用し、フェミニズムを日本社会に浸透させようと躍起になっている。自分がフェミニストであることを隠し、それがフェミニスト団体とは気付かないような組織を作って、女性たちだけでなく、男性たちや学生たちや労働者たち、そして知識人たちをも取り込んで行くのである。

 日本共産党がやった人民戦線戦略を見れば解るように、人民戦線戦略を用いると、時間はかかるが、確実に社会主義が国民の間に浸透していってしまうのである。フェミニズムが社会に浸透してしまえば、誰もが自分が洗脳を受けたとは知らずに洗脳されてしまい、フェミニズムの基準でしか物事を見られなくなってしまうのだ。

 日本人女性たちの現実はフェミニズムの嘘を見抜けないほど知力が低いということなのである。それなのに日本人女性たちは女性が社会に進出して行くことを称賛し、女性の市長や都道府県知事が登場すれば拍手喝采し、女性の首相が誕生することをまるでキリスト教徒たちが救世主の到来を待ち望んでいるかのように渇望しているのである。

 人民戦線戦略は思想戦の正規戦ではなくゲリラ戦である。一体誰が本当の敵なのか解らないために、敵の正体を知ることなく簡単に撃破されてしまうのである。洗脳された者たちは屈強な男たちに拉致されて、実験室みたいな所で強制的に洗脳されたわけではないので、まさか自分が洗脳されているとは気付かないのだ。

 自分が正気に戻ってフェミニストたちを見てみれば、彼女達は結婚も出来ず、赤ちゃんを産まない、寂しい女性たちなのである。親から自立できなかったために、結婚を拒否し、結婚すること以外で幸せになれることを必死に模索しているが、現実の生活では孤独な生活を送っている連中なのである。自分の生活が異常と化している女性がまともな意見を言って来るわけがないのだ。そういう当たり前のことすら、洗脳されてしまうと解らなくなってしまうのである。

●国際銀行家たちを殲滅しない限り、フェミニズム革命は絶対に起こる

 嘗てどの国の政府も秘密警察を使って社会主義者たちを監視対象にしていた。事実、西ヨーロッパ諸国もアメリカ合衆国も日本も社会主義革命を阻止している。それなのにレーニンはロシアで社会主義革命に成功してしまい、世界初の社会主義国を誕生させてしまったのである。

 これには裏がある。スイスに亡命していたレーニンはモルガン財閥とロックフェラー財閥から資金提供を受けてロシアに乗り込んだのであり、ボルシェビキの政治資金はアメリカの財閥が出した資金によって賄われていたのである。だからロシア政府を倒してしまうし、メンシェビキをも駆逐して、独裁体制を築き上げてしまったのである。

 フェミニズムも社会主義革命と同様に、フェミニストたちだけの力ではフェミニズム革命を引き起こせないが、国際銀行家たちが支援すればどこかの国でフェミニズム革命が発生することになるのである。国際銀行家たちがレーニンの女性バージョンであるような強力な扇動能力を持つフェミニストを送り込めば、フェミニズム革命は成功してしまうのである。

 フェミニズム革命が発生すれば、そのフェミニズム党は国内に於いて大量虐殺を遂行して来る。男性たちの大半はフェミニズムに反対するから、まずはその男性たちを大量虐殺する。次に女性たちの中でフェミニズム洗脳を拒否している者たちを片っ端から大量虐殺していlく。そして国内で殺し尽くせば、社会主義国同様に外国に向かって侵略戦争をし始めるのだ。

 フェミニズム国家は軍拡を狂ったように行うから、軍事予算が最大化する。当然に政府は兵器を外国の軍需産業から調達するので、軍需産業を配下に置いてある国際銀行家たちはボロ儲けしてしまうのである。国際銀行家たちは社会主義国に対してもこれをやったからこそ、冷戦がなかなか終わらなかったのである。

●フェミニズムは絶対に女性たちを幸せにはしない

 フェミニズムは絶対に女性たちを幸せにしない。フェミニズムは社会主義の女性版であり、社会主義がプロレタリアートたちを幸せにしなかったと同様に、フェミニズムだって女性たちを幸せにはしないのだ。この真実を女性たちはしっかりと知っておくべきなのである。

 社会主義は「嫉妬」を体系化したものだが、フェミニズムは「憎悪」を体系化したものである。社会主義者たちは「貧富の格差」があることに嫉妬するものだが、フェミニストたちは「男女の性差」があることに憎悪するものなのである。男女の性差は遺伝子に基づくものだから、必然的に人間への憎悪へと発展していくのである。

 自分が幸せになりたいのなら、心の中にある憎悪を捨てなければならないのだ。こそれこそ仏教の教祖である釈迦が説いた教えなのである。心の中にある憎しみを捨てない限り、自分の人生はどうにもならないものなのである。憎しみは更なる憎しみを呼び、益々大きくなっていくものなのである。

 フェミニストたちに共通するのは「母性愛と父性愛の不足」である。子供の頃に母親から充分に愛されなかったから、父親にも愛されることがなかったのである。母性愛は絶対肯定の愛だから、男女の性差があっても、きちんと人を愛せるものなのである。父性愛は絶対価値の愛だから、この父性愛さえあればフェミニズムの嘘を見破れるものなのである。

 フェミニストたちはこの社会が間違っていると思い、社会改造を必死になって行っているが、本当に間違っているのはフェミニスト自身なのである。そうやって社会を改造するのではなく、自分の心を見つめてみればいいのだ。フェミニストたちが抱えている問題は常にその歪んだ心から生じているものなのである。

●男女は決して平等ではない。だから男女を公平に扱わなければならない

 人間は決して平等ではない。男女だって平等ではないのだ。男女の性差は遺伝子レベルから来るものであり、人間が人為的に作ったものではないのである。だから「男女平等」を唱えて、何かを主張して来るのは、その時点で間違っており、その意見を万が一にも採用しようものなら、社会は大損害を被ってしまうことになるのだ。

 我々にできることは、人間の持つ不平等性を是認して、不平等である男女を公平に扱い、それによって機能的な社会を作って行くしかないのだ。大事なことは「平等」ではなく「公平」なのであって、男女を平等にしようとするのではなく、男女を公平に扱い、男女の持てる力を最大限に発揮していくことなのである。

 例えば結婚なんてのは、夫が外で働き、妻が家事や育児を処理しないとどうにもならない。人間の心身はそうなるようにできているからだ、夫婦が逆転して、妻が外で働き、夫が家事や育児をこなしていては、妻は大した働きをしないし、夫だって大した働きをしないのだ。

 スポーツでは男女別々に行い競うことにしている。もしも男女平等でスポーツを行ってしまえば、男性たちが一方的に勝利し、女性たちが一方的に敗北してしまうのだ。男女平等ではないからこそ、スポーツをやっている人たちも楽しめ、それを観戦している人たちも楽しめるのである。

 学問にしても、小学生の頃には男女ともにそんなに差は出ないが、中学生になると、女子の方が早くに成長して来る。そのくせ男子は高校生辺りから急成長して、あっという間に女子たちを追い抜いて行く。これは性ホルモンの分泌が男女の成長の仕方を変えてしまうからだ。

 学者の世界に於いては、男性は宗教や哲学や政治学の分野では圧倒的に強いし、女性は文学や言語学の分野では圧倒的に強い。男性の脳は高尚なことを考えるようにできているし、女性の脳は言語能力が達者なのである。学問は男女ともに参入できるが、男女平等というわけにはいかないものなのである。

 平等は実現不可能だけど、公平は実現可能である。平等を推し進めていけば些細な差でも気になり、結局、平等にすることだけを躍起になり、人々の能力を発揮させることになんの注意も払わなくなってしまうのだ。格差があるのは最初から解っているのである。だったらその格差を利用して、人々の能力を発揮させるように持って行けば、誰もが高い生産性を示すようになるのだ。

●文明人たちは文明誕生時に父系家族制度を選択した

 文明人は現在の家族制度にどのような問題があったとしても、父系家族制度を否定できない。文明人たちは文明誕生時に父系家族制度を選択したのであり、父系家族制度を否定してしまえば、文明そのものが崩壊するようになっているのだ。

 フェミニストたちに愛国心がなく、無政府主義者同様の発言をするのは、フェミニズムは社会主義と違って基本的に無政府主義的な発想するのであり、フェミニズムが持つ危険度は社会主義と比較にならないほど危険であるのだ。彼女たちがやろうとしているのは家父長制を反対しながら、文明そのものを否定することなのである。

 フェミニストたちが主張している家族制度の解体を絶対に認めてはならないのである。フェミニストたちはあの手この手を使って家族制度を解体しようと躍起になっているのだ。「事実婚」「夫婦別姓」「非嫡出子への差別撤廃」「シングルマザーの称賛」など、ありとあらゆる手段を講じて家族制度を解体しようとしているのである。

 我々の文明を守りたいのなら、大学や学校に跳梁跋扈するフェミニストたちを失職させていくことだ。フェミニズムの出版物を出版して利益を得ている出版社の私有財産を没収していくべきなのである。そして国内保安機関を創設し、フェミニズム革命を引き起こそうとしているフェミニストたちを逮捕して、強制収容していくしかないのである。

 如何なる社会にも問題はある。しかしその社会の根幹となっている家族制度はどのような理由があったとしても守っていくしかないのだ。そして社会に問題があるなら、その問題を急進的に解決するのではなく、ゆっくりと解決していく態度こそ、我々には必要なのである。

 フェミニストたちに孤児上がりの女性はいない。フェミニストたちは全員が全員、家族の中で育って来た女性たちなのである。しかもフェミニストたちは全員が大学卒である。フェミニストたちの両親が育児や子育てをどこかで間違ってしまったからこそ、フェミニストたちはフェミニズムに洗脳されて、フェミニズム革命へと邁進しているのである。

 我々にできることは社会を改造することではなく、普通の結婚を大切に守っていくことしかないのである。普通の女の子がフェミニズムに洗脳されないように、家族を健全に機能させ、親として娘に教えることはしっかりと教えなければならないのだ。親たちがそういう努力を怠れば、将来、必ず後悔してもしきれない最悪の事態を引き起こしてしまうことになるのだ。

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フェミニズム洗脳 ~同性愛者たちは人工的に作られた~

●フェミニストとはレズビアンのこと

 フェミニストというのは女性たちだけがなるものではない。フェミニストというのはレズビアンのことである。フェミニストたちは男女平等を主張しているが、男女を本当に平等化する気は更々なく、自分たちが男女平等を唱えて、自分たち以外の者たち全てを隷従状態におくためにやっているのである。

 日本には時折、男性と結婚したフェミニストという者がいるが、この手のバカ女はフェミニズムを全く理解していないのだ。フェミニストは家父長制を否定し、結婚を否定し、異性愛を否定するのである。となれば残るは女子同性愛しかないのであって、フェミニストは如何なることがあってもレズビアンにならなければならないのだ。

 フェミニストたちはフェミニズムが女性たちのために役立つと嘘の宣伝をするものだが、実際にはフェミニズムによって恋愛や結婚や家族が否定される以上、普通の女性たちにはなんの利益もなく、それどころか女性たちはフェミニストたちの暗躍によって恋愛も結婚も家族も破壊されていってしまい、結婚することすら不可能になってしまうのである。

 フェミニストたちは女子同性愛に耽るが、それは自立していないからこそできることなのである。そのくせフェミニストたちは「女性の自立」を叫ぶが、本人たちはまるっきり自立する意思がないのである。フェミニストたちは社会を改造することによって、自立できない自分を社会が受け入れて欲しいと甘えているだけなのである。

 とはいっても、幾ら社会を改造したとしても、フェミニストたちは結婚しないし、子供を産まないのである。女子同性愛に耽り続けるだけなのである。自立していない女性たちのために幾ら社会を改造した所で、自立していない女性たちを自立させることは決してできないものなのである。

●異性愛と同性愛は対等なものではない

 フェミニズムでは異性愛と同性愛を対等なものと考えているのだが、異性愛と同性愛は絶対に対等なものではない。人類にとっては異性愛こそ正統なのであり、異性愛を遣り続けてきたからこそ、人類は世界中に繁栄することができたのである。もしも人類が同性愛を正統な物と看做していたのなら、人類は早々と絶滅していた筈なのである。

 我々人類がすべきことは異性愛を守り、異性愛を根幹とする恋愛や結婚や家族というものを守っていくことなのである。もしもフェミニストたちが異性愛に基づく恋愛や結婚や家族を攻撃し破壊して行くのなら、国民は容赦のない反撃をフェミニストたちに加え、殲滅していかなければならないのだ。

 フェミニストたちがやっている悪事は些細な悪事ではないのだ。「種の保存」という人類がこの地上に存続していくために最も大事なことをフェミニストたちはその妄説に基づいて破壊しようとしているのである。殺人罪では死刑になるものだが、フェミニストたちが人類の絶滅を企図した以上、フェミニストは見つけ次第射殺していくべきなのである。フェミニストたちに法の適正手続きなど一切無用なのである。

 同性愛は発達障害の産物なのである。人間は成長過程に於いて「自己愛」→「同性愛」→「異性愛」という段階を経て発達していく。異性愛をきちんと行えるというのは、ちゃんと成長したからこそできることなのであって、異性愛ができなければ、絶対に大人として認めてはならないのだ。

 異性愛者たちの中には同性愛者を嫌う者たちが出て来るが、これは好悪の問題とかではなく、同性愛者は体は大人になっているかもしれないが、その中身は子供のままなのであって、絶対に大人の社会に入れてはならないからなのである。健全な社会というのは同性愛者たちを排除するからこそ、正常に機能することができるようになるのだ。

●同性愛者は先天的な障害者である

 意外なことかもしれないが、本物のレズビアンはフェミニストになったりはしない。本物のレズビアンは先天的な障害者なのであって、フェミニストたちのように発達障害者ではないのだ。この違いが解っていないと、なぜ本物のレズビアンたちがフェミニストたちに協力しないかということを理解できなくなってしまうのだ。

 本物のレズビアンが出来上がるメカニズムは既に科学によって解明されている。

①妊娠中のストレス

 まずは妊娠中のストレスである。胎児はお腹の中にいる時に自分の性別を決定させていくのだが、その時に母親の身に多大なストレスがかかってしまうと、その性別決定が巧く行かず、男の子ならゲイになったり、女の子ならレズビアンになってしまうのだ。妊婦にストレスが最も多くかかるのは戦争であり、戦争が起こるとその後に同性愛者たちが大量に発生して来ることになるのだ。

②飽食による精子と卵子の劣化

 第二は飽食による精子と卵子の劣化である。人類の歴史は飢饉の歴史でもあり、食糧が欠乏した生活にはなんとか耐えられるのだが、飽食になってしまうと人間の体は耐えられないのだ。だから飽食になると精子や卵子が劣化し、それで性別決定が巧く行かず、同性愛者が誕生してしまうのである。

③合成ホルモン剤

 第三は合成ホルモン剤である。母親が合成ホルモン剤を使用してしまうと、胎児は性別決定ができず、それで同性愛者になってしまうのだ。尤も合成ホルモン剤の場合には、性同一性障害になる確率の方が高く、そのために女性でありながら男装をしたり、男性でありながら女装をしたりしてしまうのである。

 レズビアンは先天的な障害者であるので、子供の頃から同性のことが好きで、物心がつけば同性とセックスをしたがるものなのである。フェミニストたちのように大学でフェミニズム洗脳を受けて女子同性愛をしたりはしないのだ。本物のレズビアンたちの初体験は大学入学前なのであって、早ければ小学生の頃にはもう初体験を経験したりしているものなのである。

●偽物の同性愛者たちの作り方

 一方、偽物のレズビアンは先天的障害者ではなく、後天的な発達障害を発生させている者である。偽物のレズビアンは本物のレズビアン以上に簡単に作り易い。そして偽物のレズビアンは一旦レズビアンになってしまえば、そこから抜け出せなくなるのだ。

①粉ミルクと牛乳

 市販されている粉ミルクや牛乳には女性ホルモン剤が投入されている。乳牛に牧草だけ食べさせていれば安全な牛乳が出来上がるのだが、牧畜業者は乳牛に女性ホルモン剤を打つこによって牛乳の量を増やすのである。問題はこの女性ホルモン剤が牛乳を加熱処理しても全く破壊されないということなのである。

 女性は体内で女性ホルモンを分泌するのだが、外部から女性ホルモンを注入してしまった場合、肝腎の自分の性機能が作動しなくなるという現象が起こってしまうのである。このため粉ミルクや牛乳の女性ホルモン剤で性機能が狂ってしまうと、異性ではなく同性に興味が行くようになってしまうのである。

②子供の頃から同性愛文化に慣れさせる

 子供はそれほど高い知能を持つものではない。寧ろバカである。そういう子供だからこそ童話などでは「知恵」を教えて、子供たちに自分の人生を健全に成長していけるようにさせるのである。ところがこの時期に同性愛文化に慣れさせてしまえば、当然に自分の人生を誤ることになってしまうのだ。

 子供向けの漫画やアニメは絶対に子供たちだけで見させてはならないのだ。というのは漫画やアニメの中には同性愛者の書いた物がかなり含まれているので、徐々に同性愛文化が浸透し、子供の頃は普通の子でも、大人になって同性愛者になってしまうものなのである。

③性教育を受けさせる

 性教育というのは本当に性のことを教育するものではないのだ。これはジャン・ジャック・ルソーが創始したもので、人間たちにセックスの快楽に耽させ、結婚を破壊し、人間たちを性的奴隷にすることが目的であるのだ。学校で性教育を受ければ、確実に子供が持つ健全な精神は破壊されてしまうのだ。だから性教育を受けてしまうと、その子供たちが大人になっても結婚しなくなるのだ。

 最近の性教育は本当に恐ろしい。相手は子供たちだというのに、授業の中で同性愛を教え、同性愛は決して悪いものではないと洗脳しているのだ。それどころか異性愛を憎悪し、女性が妊娠するのは罪深いことだと洗脳しているのである。こういう異常極まる教育を受ければ、いずれ女性たちは異性愛を捨て、同性愛に走るのは当たり前のことなのである。

④強姦の犠牲者にする

 異性愛者の女性をレズビアンに仕立て上げるためには、強姦の犠牲者にさせてしまうのが一番手っとり早いのだ。意外なことかもしれないが、偽物のレズビアンたちは半数以上が女性に強姦され、それによってレズビアンになってしまったというのである。しかも強姦されたのに強姦されたと思っていないのだ。

 レズビアンは女性に対して強姦をする傾向が非常に強いのである。レズビアンをやっていれば、同じレズビアンとセックスするより、異性愛者の女性を強姦して。アブノーマルなセックスをしたがるものなのである。因みに、なんでレズビアンの強姦が社会問題とならないのかといえば、刑法に於ける強姦罪は男性だけが処罰対象であり、女性は処罰対象ではないからなのである。要は法律の不備を突いて、レズビアンたちは強姦を遣りたい放題にやりまくっているのだ。

⑤恋愛を経験させない

 女性はその成長過程で自立していこうとするのだが、その際に絶対に必要になってくるのが「恋愛」である。女性は男性と恋愛することで自分の自立を果たして行くのである。だから女性たちが男性と恋愛してしまえば、女性たちをレズビアンに仕立て上げることは不可能になる。それゆえ女性たちが男性と恋愛できないように様々な妨害工作を働いてくるのである。

  女性たちを女性たちだけで隔離し、男性たちと接触できないようにすれば、女性たちは男性と恋愛することが不可能になる。良く言われることだが、女子校とか女子大というのは、偽物のレズビアンを作るためには格好の場所なのである。

●同性愛者になってしまうと恋愛ができなくなる

 厄介なのは、人間は異性愛者であっても、同性愛的行為はするということなのである。同性愛的行為をする者が必ずしも同性愛者ではないのだ。このことを解っていないと、同性愛的行為をしている者を見たのなら、「アイツは同性愛者だ!」と間違った判断を下してしまうことになるのだ。

 普通の人たちは同性愛者を排除しようとする。明確な理由がないにも拘わらず、とにかく同性愛者を嫌ってしまうのだ。それにはちゃんとした理由があるのだ。「同性愛者だと親友を作れない」からだ。そして親友を作れないと恋愛ができなくなってしまうのだ。ということは、女性の場合、絶対に自立して来ないということになるのだ。

 実を言うと、人間の体は同性に対して恋愛できるようにはできていない。恋愛ホルモンというのは異性が相手だからこそ分泌されるのであって、異性とセックスすることで妊娠したいと思っているからなのである。同性同士で幾らセックスをしても妊娠できない以上、恋愛ホルモンは絶対に分泌されないのだ。

 特に女性が10代の時にレズビアンを排除したくなるのは、レズビアンを自分たちの仲間に入れてしまえば、親友を作ることができなくなってしまうからだ。親友とは同性相手であるにも拘わらず、ベッタリの関係になるものなのである。そこにセックスが加わってしまえば、その友人を親友にすることなど絶対にできなくなってしまうものなのである。

 女性はお喋りをしまくることで親友を作って行くのである。セックスは全く不要なものなのである。レズビアンのようにすぐにセックスしたがる女性はどうやってもちゃんとした友情を築くことができないし、親友を持つことができないのである。大抵は悪口を言い合うような低レベルの友人しか持てないものなのである。

●ではレズってなんなの?

 レズビアンたちはそれこそ同性に対して恋愛をしていると思って交際しているものだ。「ではこのレズは一体なんの?」ということになる。レズビアンたちは恋愛でもないのに、なんでこんなに激しい思いを抱いてしまうのか、その理由が全く解らないのだ。

 それは「性愛を伴った友情」であるのだ。

 通常、友人を作るのに性愛を除去し、友情だけで交際していこうとする。そうしないとちゃんとした友人関係を築けないからだ。しかし友情の中には性愛を伴った友情もあり、当然にそのような友情を行使すれば、その友人関係はまるで違ったものになる。

 レズビアンは初めての会話だというのに、「あなた、タチそれともネコ?」と訊いて来るものである。行き成り性的な会話から切っ掛けが始まるのだ。そしてレズビアンが散々に女性とセックスしまくると、最終的にはセックスが消滅してしまい、お喋りをするだけの関係になってしまう。これはレズビアンなら必ず経験したことがある筈だ。

 嘗て武士たちの間では「男色」が盛んだった。戦争に行って生きるか死ぬかの戦いをするのに、自分の信用の置ける者が1人でもいないと、戦場は非常に危険になるのだ。だから男色をすることで友情を確かめ合い、その上で戦争に臨んだのである。

 古代ギリシャでは学問が盛んだったから、男性たちが女性を排除して、男性たちだけで学問をし合い、それによって古代ギリシャ哲学を形成していったのである。女性のようにあれこれと無駄なお喋りをするような者を入れてしまえば、学問は発展せず、それどころか衰退して行ってしまうものなのである。

 男色家というのは同性愛者ではない。基本的には異性愛者であり、必ず女性と結婚する。しかし男色をしなければならない必要性があったからこそ、同性愛的行為をしたまでなのである。尤も平和な時代になってしまうと、この男色も堕落してしまい、本来の姿からは余りにも懸け離れた姿になってしまった。

 男性たちには「男色」とか「プラトニックラブ」とかいう言葉があるが、女性たちの間ではこれに相当する言葉がないのだ。だから一度でも女性とセックスしてしまうと、「私はレズビアンだ」と思い込むバカたちが大量に出て来るのである。なんの必要性もないのに同性愛をやっているわけだから、そのセックスは堕落して行くのは当たり前のことなのである。

●なぜ同性愛者たちは社会を憎むのか?

 レズビアンたちは社会を憎んでいる。社会を憎んでいるからこそ、異性愛者を不幸にさせ、家族制度を破壊して行こうとするのである。ゲイにしろ、レズビアンにしろ、その犯罪発生率は異性愛者たちの物よりも遥かに高い物なのである。

 なぜレズビアンが社会を憎むのかといえば、「親子の関係に問題があるから」なのである。自分の両親からきちんと愛されて育ったのなら、レズビアンになったりはしないことだろう。自分を生み育ててくれて有難うと思うからこそ、自分も将来、男性と結婚して子供を生み育てて行こうとするのである。

 レズビアンたちは通常激しい「自己嫌悪」を持っている。両親から励まされて育ったのではなく、寧ろ否定的な言動を浴びせられて育ってきたので、自分に価値がないのではないかと思い込んでいるのだ。自己嫌悪があればこそ、自殺率も高くなってくるのである。

 レズビアンは基本的に二重人格にならざるを得ない。まず若い頃には自分がレズビアンであることを隠して暮らすし、レズビアンであることを告白したのなら、今度は異性愛者の女性に激しい性的欲情を抱き、レズビアンとしても真っ当なレズビアンになることができないのだ。

 レズビアンたちは「性の選択」を唱えて来るものだが、そんなものはないのである。レズビアンは先天的障害者か後天的発達障害者だから、どうやったとしても「セックスフレンド」しか作れないのだ。ちゃんとした恋愛ができるものは、健全に成長してきた男女たちだけであるのだ。

 異性愛者たちは同性愛者たちがこの社会を憎んでいるということを常に忘れてはならないのだ。我々がすべきことは同性愛者たちに愛情を示して、その主張を聞き入れることではなく、常に同性愛者たちを監視対象にして、銃口を向けておくことなのである。そういう用心深さがないと、逆に同性愛者たちが勝手気儘な行動を許してしまい、社会がぶっ壊れてしまうことになるのだ。

 社会というのは、世間の人々が思っている以上に「脆いもの」なのである。

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フェミニズム洗脳 ~フェミニズムは国際銀行家たちの陰謀の産物である~

●社会主義からフェミニズムへ

 近代に於いて社会主義は完全なる失敗に終わった。社会主義は「貧富の格差」を解消して、平等な社会を作ろうとした政治運動なのであるが、実際に社会主義革命を起こして社会主義国を誕生させてしまえば、国内で同じ国民に向かって大量虐殺を働き、それどころか強力に軍拡を進めて、挙句の果てには隣国を侵略してくる。そうやって戦争ばかりするものだから、国力は大いに消耗して、自滅という形で社会主義国は滅亡していったのである。

 しかし人類は社会主義の脅威が去ったからといって安心してはならない。社会主義に代わってフェミニズムなる非常に危険なイデオロギーが登場してきたからだ。フェミニズムは「女たちの社会主義運動」である。ただ革命の主体をプロレタリアートから女性に変え、階級闘争ではなく性差闘争をやっているのである。

 フェミニストたちの中で、有名なイデオローグになっている人物たちの過去の経歴を見ると、必ずと言っていいほど社会主義者だったのである。例えば「近代フェミニズムの創始者」と言われるアメリカのベティ・フリーダンはアメリカ共産党員だった人物である。日本のフェミニストたちのドンである上野千鶴子も嘗ては社会主義の中でも極左に属していた人物だったのである。

 冷戦が終わったといっても、日本は社会主義に対して思想戦で勝ったわけではないのだ。日本の知識人たちの知的レベルが低かったために、日本の知識人たちは真っ赤っかという位に社会主義に洗脳されてしまったのである。その状態で今度は女性の知識人たちがフェミニズムに洗脳され続けているのである。こんな状態では日本がおかしくなっていくのは当たり前のことなのである。

 社会主義が間違っていたイデオロギーならフェミニズムだって間違ったイデオロギーなのである。社会主義国では国内に於いて数百万や数千万といった単位で大量虐殺をした以上、もしもフェミニズム革命が発生し、フェミニズム国家が誕生したのなら、それを上回る量の大量虐殺が展開されることであろう。

●フェミニズムを作ったのはロックフェラー財団である

 今回紹介するのはこの本!

 ヘンリー・メイコウ著『「フェミニズム」と「同性愛」が人類を破壊する』(成甲書房)

 「フェミニズム」と「同性愛」が人類を破壊する

 これはまさに衝撃の書である。俺は今年読んだ本の中で「この本は最も素晴らしい!」と思えた。女性であるなら絶対に読まなければならない本である。なぜならこの本を読めばフェミニズムがどのような思想だかが解るものだし、フェミニストたちの邪悪な活動も解るからだ。

 フェミニズムに関して、女性たちは根本的な誤解をしている。フェミニストたちの殆ど全ては、「フェミニズムは男性に差別され続けた女性たちが作った物である」と思い込んでいるだろうが、フェミニズムを作ったのは、実は≪ロックフェラー財団≫であったのである。

 フェミニズム団体の資金源を辿っていくと、必ずロックフェラー財団に辿りつく。というか、ロックフェラー財団がフェミニストたちの資金をばらまいているからこそ、フェミニスト団体が出来上がったという訳なのである。こういうことは、フェミニストたちが作る『フェミニズムの歴史』には絶対に出て来ないお話なのである。

 フェミニストたちはフェミニズムを、「フェミニストたちの、フェミニストたちによる、フェミニストたちの社会運動」だと思っているだろうが、フェミニズムの裏が解ると、フェミニズムというものは「ロックフェラー財団の、ロックフェラー財団による、ロックフェラー財団のための社会運動」に過ぎないというのが解るのだ。フェミニストたちはただ単にロックフェラー財団に利用されているにすぎないのだ。

 人々が正しい社会運動を行うためには、資金源に拘らなくてはならないのだ。基本的には会員たちが出す会費によって組織を動かすようにし、下手に寄付金に頼ってはならないのだ。寄付金を受け取ってしまえば、どのような組織であっても寄付金を出した人の言いなりになってしまうものなのである。

●フェミニズムの目的は所得税徴収のためである

 ロックフェラー財団はなんの目的を持ってフェミニズム団体に資金をばら撒いているのかといえば、

それは「所得税徴収のため」である。

思わずズッコケてしまうような目的で持って資金をばら撒いているのである。女性が専業主婦である限り、所得税を徴収できないのだ。女性たちがフェミニズムに洗脳され、社会進出をしてくれるからこそ、政府は所得税を徴収できるのである。

 所得税の納付先は政府である。なんで政府に所得税が納付されることがロックフェラー財団の利益になるのかといえば、それは政府が発行する国債にカラクリがある。政府が国債を発行し、それを国際銀行家たちが引き受けてしまえば、政府が支払う利息を丸丸と得ることができるのである。ロックフェラー財閥はロックフェラー財団という慈善団体を持っているだけではなく、チュース銀行という銀行を持っているのである。

 女性たちが社会進出を果たして働いてしまえば、結婚率が減少して行く。女性たちは自分が働くことによって充分な収入があるので、わざわざ結婚して男性と生活を共にする必要性がないのだ。こうなってしまえば闇の支配者たちしてみれば彼女たちは「経済奴隷」なのであって、生涯に亘って搾取しまくることができるようになるだ。

 たとえ結婚したとしても、生活費のために夫婦共働きになるので、それで子供たちを両親から切り離すことができ、闇の支配者たちが思う通りに教育ができるようになり、その子供は確実に経済奴隷として生きて行く人生を送る羽目になるのだ。

 闇の支配者たちにとって専業主婦ほど厄介な敵はいないのだ。専業主婦からは税金を徴収できないし、教育に関しても口を出して来る。だからフェミニストたちを使って専業主婦バッシングを行い、それによって政府を動かして、専業主婦が持つ様々な特権を剥奪して来るのである。

●フェミニズム洗脳を受けたフェミニストたち

①親子関係に問題がある

 両親の深い愛情を受けて育ったのなら、絶対にフェミニストにはならない。フェミニストになるような女性は基本的に親子関係に問題がある女性である。だから闇の支配者たちは夫婦共働きを勧め、女の子が親の愛を受けることができなくさせるのである。

②勉強による世間知らず

 女性の成長は19歳の時がピークである。そうであるなら19歳までに女子教育が完了するように教育システムを作ればいいのに、そういうことをさせないで女性たちを大学に進学させてしまえば、その女性は不適格な教育を受け、しかも勉強しすぎたために世間知らずだから、フェミニズム洗脳を非常に受け易くなるのだ。

③大学でフェニズムを講義する

 大学で学問と称してフェミニズムの講義を受けさせてしまえば、女子学生たちはフェミニズムに関する知識を殆ど持っていないのだから、呆気なく洗脳されてしまう。「女性学」というのは真面目に女性たちのことを研究する学問ではなく。フェミニズム学とでもいうべき、非常にイデオロギッシュな学問なのである。

④フェミニズム系サークルに勧誘する

 フェミニストの学者からフェミニズムの講義を受けただけではまだまだ洗脳が不十分である。フェミニズム洗脳を決定的にさせるためには、フェミニズム系サークルに入会させるのが最も効果的なのである。フェミニズム系サークルはまともなサークルではなく、フェミニズムを初歩から教えたり、メンバーに自分のマンコを見せたり、挙句の果てにはレズフプレイをしたりと、本来なら大学当局から活動停止命令が下るようなことを平気でやってのけるのである。

⑤女子同性愛を称賛するメディア

 フェミニストというのは大体、大学の時にフェミニズム洗脳を受けてフェミニストになるものなのである。しかし闇の支配者たちはフェミニスト洗脳が解けないように、メディアを使って女子同性愛を称賛し、フェミニストたちに異性愛を行わせず、結婚を禁止し、女子同性愛だけを行いながら生きて行くように仕向けるのである。

 レズビアンドラマの『Lの世界』はその目的のために作られたのである。大学でフェミニズム洗脳を受けて、自宅に帰って『Lの世界』を見ていれば、男性と恋愛するのは不可能になるのは当然のことなのである。レズビアンに興味を持ち始めれば、今度は自らお金を払ってまでレズビアン映画やレズビアン文学やレズビアン漫画を見るようになるのだ。

●フェミニズム洗脳はそう簡単に解けない

 絶対に忘れてはならないのは、フェミニズムは洗脳力が非常に強いイデオロギーだということだ。女性がフェミニズム洗脳を受けた場合、このフェミニズム洗脳を自分の力で解くことは絶対にできない。闇の支配者たちは女性にフェミニズム洗脳をするために20年近い歳月を費やしているのである。それを一瞬で解けるということは絶対に有り得ないのだ。

 フェミニズムは「男女平等」に立脚してイデオロギーを構築していくのだが、フェミニズムが目指しているのは本当に男女平等が実現された社会ではなく、フェミニストたちによって男性たちが大量虐殺され、女性たちは女子同性愛に耽り、妊娠や育児というものを一切しない社会なのである。こんな社会、子孫ができない以上、継続して行くのは不可能な社会なのだが、フェミニストたちはこの異常極まりないユーとビアを妄想しているのである。

 だからフェミニズム洗脳を解除していくためには、まずはこの男女平等というものが科学的に有り得ないことを教えてあげればいいのだ。女性はXX遺伝子を持ち、男性はXY遺伝子を持つ。この遺伝子レベルでの違いが、女性たちに女性らしい生き方をさせ、男性たちに男性らしい生き方をさせるのである。

 フェミニズムの根幹を破壊してしまえば、後は如何にフェミニズムというのが邪悪なイデオロギーであるのかを解明していけばいいのだ。フェミニストたちの主張は誰がどうやっても実現不可能であり、もしも実現させようものなら、今の社会よりも遥かに悲惨な社会が出現するであろうことを教えていかなければならないのだ。

 フェミニズムの場合、科学的に論破するだけでなく、その者の過去に着目しなければならない。フェミニストというのは必ず親子関係に於いて深刻な問題を持っていて、言わば「発達障害」に罹っているのである。女性同士でちゃんとした友情を築けないし、男性とちゃんとした恋愛をしたことがない。誰ともまともな関係を築けないからこそ、男性たちを憎悪し、誰かを憎むことで仲間を作っているだけのことなのである。

●フェミニストは基本的に無政府主義者である

 フェミニストは自立していないし、国家意識を持っていない。これこそフェミニズムが社会主義と違う所なのである。フェミニストは基本的に無政府主義者なのである。近代国家は国民国家なのであるが、国民になりそこねた女性たちこそフェミニストであるということなのである。

 国民国家というのは国民同胞だけに国民権を認める。だからフェミニストたちのように国家意識を持てない人たちは国民権を与えず、生命・自由・財産を没収すべきなのである。国家がそういうことをやらず、国民権ではなく人権を認めてフェミニストの存在を許してしまうからこそ、フェミニズムが国民の間に浸透して行き、国力が低下して行ってしまうのである。

 嘗て自民党政権の時に、フェミニストの学者たちに騙されて男女共同参画社会を推進していくことを認めたら、その後、自民党は与党から転落してしまったのである。自民党政権を引き継いだ民主党政権は政府ととして機能しなかった。そのため東日本大震災で政府の対応が遅れに遅れ、被害が拡大してしまったのである。

 政府がフェミニストたちの意見を採用していくと、結局、政府が潰れてしまうことになるのだ。「女性たちの意見=フェミニストたちの意見」ではないのだ。フェミニズムというのは女性版の社会主義にして、女性版の無政府主義なのである。アナーキーだからこそ勝手気儘な意見を言って来るが、だからといってその言動に惑わされてはならないのだ。

 政府がフェミニストたちに対して取るべきことは、秘密警察によって社会主義者たちを鎮圧していったように、秘密警察を使ってフェミニストたちを逮捕し、死刑にするなり強制収容所に終生隔離することなのである。闇の支配者たちはクレジットと債務で人類を支配するために、フェミニズムをばら撒き、フェミニストたちを使っていることを絶対に忘れてはならないのである。

 政府がフェミニストたちに容赦ない態度を取らないと、闇の支配者たちによって国家が滅ぼされてしまうことになるのだ。

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日本の国家財政を確実に復活させる方法 ~タマティー流国家財政再建策~

●日本は国家財政破綻寸前!

  現在、日本政府の借金は一千兆円を超えてしまった。一千兆円である。金額的にはアメリカ合衆国に準ずるものであり、先進国の中で最も財政が酷いと言われるイタリアよりも率が高いのである。この高額の借金は、日本を先進国にいさせなくさせるほど危険な数値なのである。

 一千兆円もの金額を借金した場合、年利5%で利息は「50兆円」である。この金額で一年の国家財政を充分に賄えるほどの金額である。この利息は国民が税金で支払う物であり、借金さえしなければこのお金を丸々国民のために使用することができたのである。

 日本政府の借金が深刻化していないのは、日本の国債が外国の投資家たちに余り買われていないからだ。現在、7%程度でしかない。他は全て日本国民や日本の銀行などなので、日本政府が利息を支払ったとしてもそのお金は全部国内に行くので、一応、日本経済は経済循環ができるのである。

 国債は絶対に外国の投資家たちに買わせてはならない。ギリシャの国家財政が破綻し、イタリアの国家財政が危機的な状態にあるのかといえば、それは国債の大半を外国の政府や銀行が持っていたからなのである。こういうことをやれば、外国が介入してきて、過酷な要求を突き付けて来るのである。

 日本の国家財政は破綻寸前なのである。それなのに日本国民は余りにも危機意識がなさすぎるのだ。よりによって日本政府に対してより手厚い社会保障を要求しているのである。社会保障こそこの莫大な借金を作り出した元凶であるのに、相変わらず懲りずに日本政府に社会保障の充実を要求しているのである。

●絶対にやってはならない増税

 日本政府も日本政府で、莫大な借金を返済するために「増税」をしようとしているのだ。日本は既に租税負担率が30%を超えているので、もうこれ以上増税してはならないのだ。国民は充分過ぎるほど重税を負担しているのであって、日本政府が増税して国民から富を奪ってしまえば、経済が低迷するのは当たり前のことなのである。 

 増税が禁じられるのは、日本が東日本大震災を経験し、その復旧復興がまだ充分になされてはいないからなのである。経済史を見てみても、「震災後の増税は禁じ手」なのであって、震災後に増税をしてしまうと、経済は思いっきり冷え込んでしまい、長期に亘る不況を経験することになってしまうのだ。

 安倍晋三首相は増税を独断で決めず、有識者たちを集めて出来るだけ多くの意見を聞こうとしている。これはこれで素晴らしい態度だ。しかし有識者たちの8割近くは「増税賛成」なのである。まるで経済のことが解っていない連中ばかりなのである。

 消費税を増税する場合、その税負担は国民に行くのだから、もしも増税したいのなら国民に選挙で問えばいいのである。有識者たちを幾ら集めても、国民の声は聞こえて来ないものなのである。寧ろ有識者は知識に騙されている場合が多いのであって、国民の意思とはまるで正反対のことを言ってしまうのである。

 安倍晋三首相による増税は消費税を5%から8%に引き上げる程度の物かもしれない。だが日本は大震災の傷が未だに癒えていないのであって、たった3%しか増税していないのに、立ち所に不況がやってきてしまうのである。安倍晋三首相は、折角、アベノミックスで経済を上向きにさせたのに、増税してそれを打ち消していてはまるで意味がないのだ。

●ネバタレポート

 2002年にアメリカ合衆国の金融専門家たちは日本の国家財政の破綻が必然であるとのレポートを纏めた。誰がどうやったとしても、日本の国家財政は破綻してしまうというのだ。日本政府は国内に於いて国民を巧く騙しているのだが、日本の国家財政は最早チェックメイトなのである。

 このレポートを纏めたのが、日本の金融専門家たちではないことに注目して欲しい。このまま国家財政の借金を放置すると、日本はIMFの管理下に置かれてしまうようになるのだ。アメリカ合衆国は日本の富を根こそぎ奪うつもりなのである。

 実を言うと、日本の国家財政以上に危険なのがアメリカ合衆国の国家財政であるのだ。アメリカ合衆国は最早支払うことのできない莫大な借金があるのに、アメリカ合衆国にはもうお金がないのだ。だから外国からお金を奪ってきて、借金返済に充てようとしているのだ。

 日本国民は呑気に構えていないので、今は「アメリカ合衆国の覇権の黄昏の時期」であることに気付くべきなのである。覇権はどの国であったとしても120年しか持たない。アメリカ合衆国は1914年に事実上イギリスから覇権を獲得 しているので、2034年にはもうアメリカ合衆国の覇権が終わるのである。

 現時点で、次期覇権国家の最有力候補が「中華人民共和国」なのである。中国は最早世界第二位の経済大国であり、毎年軍拡を必死になって行い、少なくとも東北アジアや東南アジアで中国に太刀打ちできる国家は1つもないのだ。そしてこの中国は筋金入りの反日国家だから、中国が覇権を獲得する際には、日本が徹底的に叩かれ、日本と中国は戦争になり、日本が中国に占領されてしまう可能性もあるのだ。

 中国は反日暴動を繰り返し、その反日暴動で発生した損害を鐚一文出さない無法者国家なのである。このような国家が日本を占領しようものなら、日本国民の殆ど全てが大量虐殺されることになり、中国人たちが植民して来てしまうことになるのだ。

 日本は如何なる手段を用いても、中国の覇権獲得を阻止し、出来ることなら中華人民共和国を滅亡に追い込み、中国共産党員を全員戦争犯罪者として処刑し、その私有財産を全て奪うべきなのである。中国は如何に巨大な国家であったとしても、中国共産党さえなくなってしまえば、呆気なく崩壊していくものなのである。

●政府のリストラ

 俺にはこの立て直すことは不可能と思える日本の国家財政に対して、国家財政再建策というものを持っている。

 まずは徹底的な「政府のリストラ」を行うのだ。大きな政府をやっている限り、赤字は続くものなのである。特に日本の国家財政の最大の癌は社会保障費なのであって、これがある限り絶対に赤字の垂れ流しは止まらないのだ。福祉国家政策を廃棄しさえすれば、日本の赤字は猛スピードで解消されて行くことになるのだ。

 政府のリストラで最大の目玉は、「厚生労働省の解体」である。厚生労働省を解体してしまえば、社会保障を続けることは不可能になるので、それで日本政府は社会保障をやらなくなるのだ。国民健康保険や国民年金などは民営化してしまい、民間に任せればいいのである。

 日本政府は省庁が多過ぎるのだ。国土交通省や総務省なども廃止してしまい、「内務省」を復活させて、内務省によって統一的に業務を遂行させればいいのである。戦後、日本政府に内務省がなくなってしまったことこそ、大きな政府を作る要因になっているのだ。

 政府のリストラは国家公務員を半減を目標にすべきなのである。国家財政に赤字を作り出したのは国家公務員たちなのであって、国家公務員たちを半減させれば、少なくとも500兆円の借金を返済する目途が立つものなのである。

 首相が政府のリストラをせずに増税したとしても、その増収分を国家公務員たちは使ってしまうものなのである。絶対に増収分が借金返済に充てられることはないのだ。国家公務員こそ金食い虫なのであって、そのことに気付かない限り、国家財政は破綻してしまうことになるのだ。

●「所得税と相続税の廃止」と「収入税の創設」

 次に所得税と相続税を廃止してしまうことだ。その代わり収入税を導入して、税率10%という低い税率にしてしまうのである。これは確実に減税になり、減税することによって国民にお金を持たせ、それによって経済成長を実現するのである。日本の経済力が大きくなれば、安い税率であっても税収が増収することになるのだ。

 所得税があるからこそ、誰もが節税に必死になったり、脱税したりするのである。所得税はこの税制そのものが欠陥税制なのであって、国民全てに税金を課すなら、その税制はシンプルな物でなければならないのだ。絶対に税制を複雑な物にしてはならないのだ。

 相続税がなければ、資産家は自分の子供たちに心おきなく財産を与えることができるので、その子供たちはその財産を投資して、資産運用益を得られるようになるのだ。こうなると資産が動くのだから確実に税収を発生させることができ、相続税を課すより税金が入って来ることになるのだ。

 しかし所得税と相続税の廃止は平等イデオロギーに洗脳された者たちの猛反発を受けることが予想されるので、そこで「懲罰税」を設けて、 貧富の格差を是正しようと言っている人たちに対して重税を課してしまうべきなのである。その懲罰税は本当に過酷で、税金徴収によって一切の資産を持てないようにしてしまうのである。

 戦前の日本が明治維新以降、発展に次ぐ発展を重ねたのは、所得税も相続税もなかったからなのである。国民に充分過ぎるほどの富があったからこそ、日本は強かったのである。それなのに社会主義勢力が台頭してしまい、日本を無謀な戦争へと誘導して、国家を崩壊させることで社会主義革命を引き起こそうとしたのである。

 戦後の日本は奇跡の経済成長を遂げたと言われるが、日本政府は最早返済不可能に近い借金を抱えているのだ。この経済的繁栄は偽りなのであって、日本国民は日本政府が莫大な借金をすることで仮初の繁栄を享受しているにすぎないのだ。この偽りの繁栄は必ず崩壊する。そして崩壊した暁には無一文になってしまうのである。

●特権政府債権を銀行に貸し出す

 トドメの策が「特権政府債権」を銀行に貸し出すというものである。日本政府が日本の銀行に1000億円ほど貸し出し、 年利5%の利息で返済して貰うのだ。これだけで年に50億円もの利益が出るのだ。これは長州藩が江戸時代後期にやった財政再建策で、この策をやったからこそ長州藩は財政を立て直し、幕末の動乱を生き抜くだけの資金を得たのである。

 特権政府債権は普通の債権とは違う。もしも銀行が特権政府債権を借りてくれたのなら、銀行は10兆円まで信用創造を可能にさせてあげるものなのである。これなら銀行は政府に50億円支払えば10兆円もの資金を貸し出せると同じことなので、喜んで借りるようになるのだ。

 例えば100行もの銀行がこの特権政府債権を手にしたのなら、各銀行はそれぞれ信用創造を行い、1000兆円もの資金が日本経済に流通することになるのだ。これだけ資金が出回れば日本はあっという間に不況を脱してしまい、強力な経済成長を可能にすることができるのである。

 これははっきりと行ってしまえば、日本政府が日本銀行の業務の補完をするということなのである。日本銀行が余りにも金融引き締めをやってしまったがために日本は長らく不況で有り続けたのであって、もしも日本銀行の政策が日本経済を不況にさせるのなら、日本政府が出動して日本経済を好況に導くべきなのである。

 これらの財政再建策を実施すれば10年後には1000兆円もの借金など返済できてしまうものなのである。日本政府はこの財政再建策以外で国家財政を立て直すことは絶対に不可能である。中国が覇権を獲得する前に、日本は国家財政を立て直し、中国と充分に戦えるだけの資金を確保しておくべきなのである。そうしなければ日本は独立を維持できなくなってしまうのである。

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最強国の条件

●言語の逆説

 言語というものはネイティブの人だからといって正しい喋り方をするわけではない。どの国であっても方言はあるし、都会ならスラング化してしまい、その言語が持つ本来の姿から懸け離れてしまうことになるのだ。外国人がその国の言語を学ぶ際、「ネイティブの言葉は逆に解りにくい」ということが解っていないと、巧くその国の言語を喋ることができなくなってしまうのだ。

 現代のように国際化してしまった社会に於いては、ネイティブの言葉より、その国の言語を喋る外国人の言葉の方が言語として洗練されるという逆説が出て来るのだ。というのは外国人の方がその国の言語の正しい喋り方を教えられてしまい、それでなまじその国の言葉を生まれながら喋ることのできるネイティブよりも巧く喋ることができるのである。

 例えば日本人は英語を学ぶのに苦労するものだ。これは日本の学校で最早イギリスでもアメリカでも使われていない言い方を教えられたり、学校を卒業した者はネイティブの英語を学ぼうとしているからなのである。英語教育を担当する者たちは英語に対して劣等感があるみたいで、「言語の逆説」がまるで解っていないのである。

 学校での英語の成績が悪くても、就職して海外の企業と交渉をしなければならない場合、「ビジネス英語」を学ばざるを得ないのであって、そのビジネス英語の習得は短期間で出来るものだし、ビジネスに関してだけは英語がペラペラになるものなのである。

 ビジネス英語がネイティブの人たちが使う英語とは違って、非常に洗練されているのだ。不必要な表現が全くないから、こういう英語こそ言語としては合理化されるのである。だからビジネス英語ができる人がいざアメリカ合衆国に移住してしまうと、瞬く間に出世していくことになるのである。

 今回紹介する本はこれ!

エイミー・チュア著『最強国の条件』(講談社)

  最強国の条件

 このエイミー・チュアの両親は中国生まれで、フィリピン育ちであり、その後、アメリカ合衆国に移住した。著者自身はアメリカ合衆国生まれであるが、この両親から洗練された英語を学んだ筈だ。このためアメリカ人が書く書物にしては、非常に巧い文章になっており、実に読み易い本になっているのだ。

●最強国の三大条件

 最強国とは「覇権国家」のことである。世界に於いて諸国は平等に存在するのではない。必ずどの国も勢力争いをし出し、そのまま放置しておけば世界の至る所で戦争が起こってしまうのである。その戦争を勝ち抜いて来るということは最強国になるということなのであって、その最強国は自らの国力を使って国際情勢を統制し、自国にとって都合のいいような国際秩序を打ち立てるのである。

 最強国には三大条件がある。

①国力が他国に対して圧倒的優位に立ち、特に軍事力と経済力に於いて突出しなければならない。

②寛容によって多様な人材を引き付けて活躍させると同時に、寛容によって破滅の種を蒔かないようにする。

③小さくて強く、それでいながら柔軟な政府を作り、地球的規模で覇権を及ぼさなければならない。

 だから小国では最強国になることはできない。とにかく富国強兵に務めて、国力を拡充していかなければならないのだ。出来ることなら巧い外交を駆使して諸外国に対して勢力の分断を図り、大国が出現しように配慮し、一致団結しないようにも配慮しなければならないのだ。

 国家が寛容な政策を取るのは優秀な人材を大量に集めて行くためであるのだ。優秀な人材が偶然にも1つの国家に集まるということはまずない。国家が意図的に寛容な政策を取って、宗教や人種に関わりなく人材を集めて行くからこそ、国家は優秀な人材を大量に集めることができるのである。

 そういう国家は小さくても強く、それいながら柔軟な政府を持っているものなのである。大きくて硬直化した政府では絶対にできない芸当なのである。それゆえ社会主義国では覇権国家になれなかったのである。政府を小さくして国民への税金負担を軽くするからこそ、より多くの軍隊を運用することができるのであって、それによって地球的規模で覇権を行使して行くことができるのである。

●寛容と不寛容

 「寛容と不寛容」こそ、本書のテーマなのであるが、如何なる国家であっても、100%寛容な政策を取ることはできない。そんな国家は逆に国内で問題を抱えてしまい、最強国へと伸し上がって行くことができないのだ。国家が寛容な政策を取るためには、とにかく強い政府を持たねばならないのである。その強い政府があればこそ、国内で如何なる問題が発生しても解決していくことができるから、寛容な政策を取り始めるのである。

 寛容な政策に於いて最も問題となるのが、「宗教問題」と「人種問題」である。

 宗教というのは文明の基本ソフトであり、宗教が違ってしまえば、まるで違った考えや行動を取ってしまうのである。如何なる政府も全ての宗教に対して寛容になることはできない。宗教の中には危険な宗教もあり、その宗教に関しては拒絶しないと、後日、必ず国家滅亡の要因になってしまうからだ。飽くまでも制限された中で宗教の自由を認めて行くしかなく、その宗教政策は試行錯誤を繰り返すことになるのだ。

 国家というのは必ず1つの民族によって作られる。しかしその国家を拡充していくためには、1つの民族だけでは不可能で様々な民族出身者の者たちを集めていかなければならないのだ。人種問題は宗教問題以上に問題を悪化させ易い。なぜなら宗教なら信者同士で交流するので、激しい宣教でもしなければ別になんの問題も起こらないからだ。だが人種は常に目に見える形で判別がつくものであり、人種問題を悪化させた場合、国家を破壊してしまうくらいの危険性を持っているのだ。

 政府が寛容な政策を取り、それによって国家を繁栄させたのなら、繁栄している限り、宗教問題も人種問題もそれほど大きな問題にはならない。しかし繁栄というのはいつの日にか終わるものなのであって、その国家に陰りが見えてきた時に宗教問題も人種問題も大爆発を起こして来るのである。

 繁栄こそが破滅の種を蒔くのである。

 政府というものは落ち目になると、国教を採用したり、排他主義を採用して、国家の立て直しを図るものだが、そういう立て直しは巧く行かず、大抵は失敗する。寛容な政策を廃棄して、不寛容な政策を採用してしまえば、優秀な人材が集まってこないのは当然のことだからだ。

 アメリカ合衆国の覇権に翳りが見えるのは、アメリカ合衆国は宗教の自由を認めながら何度も宗教弾圧を繰り返しているし、現在、イスラム教徒たちに対しては凄まじい差別を繰り広げているからなのだ。人種差別に至っては強烈で、インディアンたちを虐殺するわ、黒人の奴隷は嘗て存在したし、日系人を強制収容所に入れるわ、密かに白人至上主義を持っているのである。

 本書の著者は中国系アメリカ人なので、アメリカ合衆国の覇権の終焉を願い、次の覇権国家は中国だと言いたいらしい。しかし中華人民共和国は中国共産党が独裁政治を展開しており、最も不寛容な国家なのである。とてもではないが覇権国家になることはできないのである。

●「文明の衝突」は有り得ない

 冷戦終結後、アメリカ合衆国のハンチントンによって「文明の衝突」が唱えられたが、こういう文明の衝突は絶対に有り得ない。なぜなら文明というものが国際政治の重要な概念になったことは今まで一度もないからだ。国際政治では常に国家が主体なのであって、国家以外に文明なるものを持ち出しても、将来を見誤るだけなのである。

 国際政治はどのような状況下に於いても覇権国家と同盟国、それに敵対する国家のバランスによって動いて行く。覇権国家は自分たちの覇権を維持するためには、同盟国と協力しながら、敵対国家を叩き潰していかなければならないのであって、そういうことをしなければいずれ覇権国家の方が滅亡してしまうのである。

 アメリカ合衆国は冷戦によってソ連を崩壊させたが、次の敵対国家は中国しかいないのであって、中国を叩き潰さないと、逆にアメリカ合衆国が中国によって滅ぼされることになってしまうのである。確かにアメリカ合衆国と中国とでは文明が異なる。だからといって文明が衝突しているのではないのである。この戦いは覇権国家と次期覇権国家との衝突なのである。

 嘗てイギリスが覇権を持って繁栄の絶頂期にあった頃、イギリス人たちは「白人の責任」なることを唱え出したのである。近代文明は白人たちが作り出したのだから、白人たちが責任を持たねばならないということなのだが、この考えほど有害なものはなかった。白人の責任という言葉に騙されて、イギリスはドイツの台頭を許してしまい、そのために第一次世界大戦、第二次世界大戦を戦う羽目になり、最終的には覇権を手放すことになってしまったのである。

 アメリカ合衆国もまさに今こそが繁栄の絶頂期なのだが、繁栄の絶頂期だからこそ、国家を滅ぼす危険な学説が出て来るのである。アメリカ合衆国が文明の衝突なるものを本当に考えているようであるなら、いずれはアメリカ合衆国が滅亡することになるのだ。国際政治というものは非情なものなのである。

●人種と宗教を如何に扱うかで国家の命運は決まる

 国家というのは人口の多寡が国家の命運を決めるのではない。優秀な人材を大量に集めて行けるか行けないかで国家の命運が決まるのである。だから国家は家族制度を整え、教育制度を整えていかなければならないのである。自由を主張しすぎる余りに結婚を否定したり、平等を唱えて学校教育を幼稚なものにしてはならないのだ。全ての国民が家族の価値を再確認し、教育の価値を解っているのなら、優秀な人材を大量に生み出して行くことができるのである。

 しかし国家というものは自国民だけで優秀な人材を確保することはできない。いずれ外国から優秀な人材を輸入しなければならなくなってくるのだ。その際に国家が直面するのが、「人種問題」と「宗教問題」なのである。この問題の取り扱いをどうするかで、国家のその後の命運がまるで違ったものになってしまうのである。

 日本のように国土が狭い国家の場合、移民を認めるというのは得策ではない。移民を受け入れても、それを養っていけるだけの土地がないからだ。まずは国際結婚という形で外国人を取り入れて帰化させていくべきなのである。日本人と結婚してしまえば、その外国出身者に対して不当な差別がぶつけられるということはまずなくなるのだ。

 それと同時に政府は如何なることがあっても人種主義を絶対に採用してはならない。日本国は日本民族を中心とする国家であるが、日本民族自体、縄文人を種に、朝鮮半島や中国大陸から移住してきた者たちの連合体だからだ。もしも国内に人種差別を行う団体があるなら、その団体をすぐさま殲滅しなければならない。ドイツのナチスやアメリカ合衆国のKKKを認めてしまうと、結局、国家を滅亡に追い込むことになるのだ。

 人種差別が生まれないように、政府は外国出身者の者には国語を強制し、外国語を使用して生活させないようにさせなければならない。外国出身者が外国語を使っている限り、絶対に帰化して来ないからだ。恐ろしいのはそういう外国出身者たちだけ閉鎖されたコミュニティーを作ってしまうことなのであり、これはこれで人種主義の現れなのである。

 日本は宗教混淆の国であって、何か1つの宗教を国教としたことは今まで一度もなかった。だから如何なる宗教をも存在させることができるのだが、その際、絶対に理解しておかなければなないのが、「日本には宗教市場が存在している」ということなのである。その宗教市場の中で全ての宗教団体が競争し合っているのである。だから国教の樹立を目指して来る宗教団体の存在を絶対に認めてはならないのだ。

 宗教団体に必要以上のお金を持たせないようにすることも、宗教団体を穏健化させることに役立つのだ。だから宗教団体だからといって非課税にしてはならない。宗教団体だって政府から行政サービスを受けている以上、せめて収入の10%は税金を支払うべきなのである。

 だが、今まで宗教団体は非課税扱いを受けてきたので、それなら祭政一致に協力する宗教団体だけに非課税特権を与えるようにすればいいのだ。宗教団体がそれぞれの教団内で国家の繁栄を祈願し、政府が主催する式典に無償で参加して貰うのである。この手の儀式にお金がかかるようにして、税金を納めるよりは安くつくが、かといって確実に資金が出て行くようにしておけば、宗教団体は静かになるものなのである。

●国民と国民権

 日本政府が取るべき政策としては、

①人権の廃止と国民権の保守

②永住権の廃止と帰化の制限

③相続税の廃止と収入税の創設

の3つが挙げられる。

 人権などというものは絶対に認めてはならないのであって、人間だから権利が与えられるようでは、国家は存続していくことができなくなってしまうのだ。政府が認めていい権利は国民権だけなのであって、この国民権を大事に守っていき、価値を高めていく努力をすべきなのである。

 国民権の価値を高めておけば、優秀な人材が日本に魅力を感じてやってくるようになるのだ。もしも日本に来たのなら、永住権なる物を認めず、日本人と結婚することで帰化していくように仕向けていけばいいのだ。帰化に制限を施しておくからこそ、優秀な人材だけが日本国籍を取得しようとしてくるのである。

 日本国民であることを自覚し、日本語を話し、国民権を持つのなら、その者は日本国民である。純血主義に走ったり、人種差別したりすることは、百害あって一利なしである。日本国民がこういう偉大な国民だからこそ、相続税というバカげた税制を廃止してしまい、収入の10%さえ納めれば良いという収入税で国家財政を賄うべきなのである。

 日本政府が心掛けるべきことは、良質の国民を確実に増加させていくことなのである。政府が増税して行けば国民が窮乏化していくことは当たり前のことなのである。国民が貧乏になっている国家に誰が魅力を感じて移住して来るというのか? 政府は増税を考えるより、政府の規模を縮小して小さな政府を心掛けるべきなのであって、そうやって人件費を削減すれば、減税していくことは常に可能なのである。

 政府が愚かな政策を取ることによって優秀な人材が国外に流出すれば、それを引き受けた国家こそが発展していくのである。日本国民はいつ如何なる時もこのことを忘れてはならないのだ。国家というものはどの国も国際社会の中でせっせと競争し合っているのである。

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夫婦に奇跡を起こす「千回の法則」

●褒めないからこそトラブルになる

 男女が結婚すれば、独身では得ることのできない様々な幸せを手に入れる一方で、様々な問題を発生させることになる。それは「夫婦喧嘩」であったり、「不妊症」であったり、「子供が病気や事故を起こした」とかだ。こういうことが起こった時、偶然に発生したなどと勘違いしてはならない。こういうことは起こるべくして起こった出来事なのである。

 それは「相手を褒めていない」ということなのである。

 人間には他人から「褒めて欲しい」という願望がある。結婚していれば、夫は妻子のために仕事を頑張るものだし、妻は夫や子供たちのために家事や育児をするものだ。それなのに相手から褒められなければストレスが溜まるのは当然のことなのであって、そのストレスが不幸な事件として出て来てしまうのだ。

 一番解り易い例が不妊症の夫婦なのであって、不妊症の夫婦はまず相手を褒めることがない。だから夫はいつも他人事のような態度を取り、妻だって家事に身が入らないのだ。自分の親から褒められることなく育ってしまったということもあるだろうが、それであっても夫婦なのに何も褒めないというのは異常すぎるのである。

 家族の長は父系家族なら絶対に夫なのである。それゆえ家庭内で巧く褒め合うことができるか否かは夫にこそかかっているのだ。夫が仕事で給料を得て来たのなら、真っ先に褒めるべきなのである。給料というのは狩猟採集経済で言うなら獲物を仕留めて来たということなのである。それなのに妻が何も褒めなければ、夫は自宅にお金を入れることに喜びを見出さなくなってしまうのだ。

 夫にしても妻に家事や育児を任せる以上、妻を褒めなければならない。特に気をつけるべきは料理であって、仕事で疲労した後に妻が料理を作ってくれても、妻の料理を褒めるだけのエネルギーが残っていないのだ。そうならないためにも仕事を疲労し過ぎることがないようにしておくべきなのだ。

 子供を無闇に叱っていると、自信を持てない子に育ってしまうものだ。子供は褒めながら育てていくべきなのであって、褒めることによって自信をつけさせるべきなのである。子供が1人や2人だとどうしても育児が巧く行かないので、だから子供は3人以上作るべきなのである。

●1日10回褒める

 自分たち夫婦に奇跡を起こしたいのなら、「千回の法則」を使うことだ。

 「千回の法則」とは千回相手を褒めることで今までの褒め足りなさを解消すると同時に、自分の脳を変えてしまうことなのである。この「千回」というのが非常に大事で、千回褒めないとこの奇跡は起きないのだ。不思議と言えば不思議だが、実際にやってみると本当にそうなるのだ。

 千回相手を褒めるといっても、一度に千回も褒めることなどできない。まずは1日3回でもいいから相手を褒めることだ。相手を褒めたことがない人はこの3回褒めることですら本当に難しいのだ。自分が相手を褒めることに自分自身違和感があるし、相手だって褒められれば警戒するのだ。

 最初はその程度でいいのだ。最初から巧くやらないことだ。寧ろ失敗して当たり前と思うくらいで丁度いいのだ。特に男性なら料理に関して必ず褒めるよう心掛けることだ。女性なら夫の仕事に関して必ず褒めるようにすることだ。男女の性差がこういうことを無頓着にさせてしまうのだ。

 確実に1日3回褒めることができるようになったら、1日10回褒めるようにすることだ。1日10回褒めるとなると些細なことを褒めざるを得ないのだが、些細なことを褒め始めると、夫婦関係が実に巧く行くようになるのだ。女性は小さなことに拘る傾向が非常に強いので、夫が妻の些細なことを褒めないとどうにもならないものなのである。

 1日10回も褒め続けると、相手をどうにか改造しようなどという考えを抱かなくなるのだ。相手はどうやっても絶対に自分の思い通りにならない。それよりも自分が変わった方が速いのであって、自分が変わるからこそ自分が抱えている問題を解決していくことができるのである。

●それを100日繰り返す

 1日10回褒めることを100日間繰り返せば、千回褒めたことになるのである。時間的には3ヶ月間強ということになるのだが、自分を変えて行くためにはこれぐらいの期間は絶対に必要なのである。人間は瞬時に変わることができない頑固な動物でもあるのだ。

 人間の脳は21日で生まれ変わるという構造を持っている。100日間ということは、脳の変化が5回も起こるのである。自分を徹底的に変えて行くためにはこの脳の5回の変化が必要なのである。褒め始めた時はダメだった自分も、100日後には幸せな人生を生きるためには何をすればいいのか解る自分に変って行くものなのである。

 100日間も相手を褒め続ければ、褒めることが苦痛でなくなる。今までは他人を褒めることが苦痛だったからこそ褒めなかったのである。褒めることが苦痛でなくなれば幾らでも褒められるのであって、褒めないと違和感を感じてしまうようになるのだ。

 人間の行動は出来て当たり前ではなく、出来なくて当たり前なのである。人間は教育を受けるからこそ、まともな人間になるのであって、教育を受けていなければどう仕様もない禄でなしになってしまうものなのである。挨拶1つだって、教育されなければ出来ないものなのである。況してや他人を褒めることなど、教育されなければできないのである。

 人間は自己完結してはならないのである。人生を成功したいのなら、如何に他人を巧く使って行くかなのである。他人を巧く使うためには褒めるに限るのだ。褒められれば他人は喜び、あなたのために何かをやってくれるものなのである。

●褒めないといずれ大爆発を引き起こす

 もしも褒めなければどうなるのかといえば、夫婦は愛の循環が起こらず、段々と愛の質量が低下していくことになるのだ。だから結婚して一緒に暮らしていても、なんの愛も感じることができなくなってしまうのだ。ただ単に一緒に住めばいいというものではないのだ。

 人間というものは自分を褒めてこない者と一緒に暮らすというのは多大なストレスを発生させるものなのである。「アイツがいなければ俺はもっと自由になれる」ということを考え出してしまうのである。夫婦間で会話が消えてしまったのなら、相手はとんでもないことを考えていると思っておいた方が良いのだ。

 多大なストレスを溜め込んでいる以上、何かの切っ掛けがあれば大爆発を起こすことになる。烈火の如く起こったり、暴力沙汰になったりしてしまうのである。その喧嘩自体がどうのこうのではないのだ。その喧嘩は夫婦双方がきちんとした夫婦の愛の形を築き上げなかったからこそ起こったものなのである。

 夫婦喧嘩が起こったからといって、友人に配偶者の悪口を言ったり、DVシェルターに逃げても無駄である。その者は被害者ぶっているかもしれないが、加害者でもあるのだ。その者が相手を追い込んでしまったからこそ、相手は凶暴化するしかなかったのである。

 相手を褒めたことがないからこそ、その者の口から出て来るのでは全部「愚痴悪口」だけである。そんな言葉の使い方では相手が怒り出すのは当たり前だというのに、そのことに気付かないのである。この世で生きていれば、自分の主張が全部通ることはないのだ。それがこの世の真実であって、だからこそ自分の意見を通しながら、相手の意見も通してあげることで、互いに利益が発生するようにしていかなければならないのだ。

●相対的な幸福と絶対的な幸福

 結婚しているのに、配偶者を褒めない人は常に他人と競争しているのである。その競争心が抜けないからこそ、配偶者を褒めないのだ。配偶者を褒めるどころか、配偶者と争い、打ち勝とうとしているのである。こんなことで夫婦仲が巧く行くわけがないのだ。

 他人と競争して幸福を得ようとしても、その幸せは他人と比較して得られる「相対的な幸福」なのであって、その幸福を得たとしても一時的に満足できるだけで、その幸福自体、時間の経過と共に減少して行き、最終的には消滅してしまうものなのである。

 自分が本当に幸せになりたいのなら、他人と競争することをやめることだ。自分は自分なのであって、自分の幸福は他人の力によって左右されることはないということに覚醒すべきなのである。絶対的な幸福が解っていないからこそ、不幸は永遠に続いて行くのである。

 「私って結婚できたんだから幸せなんじゃん!」という当たり前の真実に気付けば、いつでも幸せでいられるものなのである。真実が解っていないからこそ自分自身、幸せを感じることができないし、配偶者を褒めることができないものなのである。

 他力本願的に生き方は絶対にやめるべきなのである。誰かに頼るよりも、自分が絶対基準を持つことで幸福というものは簡単に得られるものなのである。「千回の法則」はやってみれば本当に奇跡を起こすものなのである。奇跡を起こす力は自分の心の中に既にあるのであって、そのことに気付くことができれば、いつでも奇跡を起こすことができるものなのである。

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チョコレートの魅力

●女性はなんでチョコレートが好きなのか?

 女性たちはチョコレートが大好きである。これにはちゃんとした理由が存在する。チョコレートの効能が女性たちの心身を強化してしまうからだ。どんなに美味しいお菓子であっても、女性たちの心身に悪影響を与えるのなら、そこまで好きにならないものなのである。

①ポリフェノール 

 チョコレートにはポリフェノールが含まれている。ポリフェノールには抗酸化作用があっても、癌や心臓疾患に効果があるのだが、女性の場合、ストレスに打ち勝ったり、老化を遅らせ若さを保ったり、リュウマチの予防という効果があるのだ。

②マグネシウム

 チョコレートにはマグネシウムが含まれている。マグネシウムは早産防止の効果があるので、妊娠しても流産したり、早産になったりしまくなるのだ。因みにマグネシウムは鬱病にも効果があるのであって、鬱病になった女性にチョコレートを沢山食べさせると、確実に回復することになるのだ。

③マンガン

 チョコレートにはマンガンの含有量が非常に多い。マンガンは疲労の除去や記憶力の向上という効果を引き起こす。マンガンは生殖中枢が正常に機能する効果があるので、このため妊娠する確率が高まるのである。女性で頻繁に眩暈を引き起こす人は、生理のためにマンガンが不足しているのだ。だからチョコレートを食べてマンガンを補給すると、眩暈が完全になくなってしまうのだ。

 チョコレートが女性たちにとって有難いのは、チョコレートを食べても太らないということなのである。チョコレートのはビタミンやミネラルが充分に入っているから太りようがないのだ。ケーキを食べると太ってしまうのは、糖分が過剰に入っていて、それなのにビタミンやミネラルが圧倒的に少ないからなのである。

●チョコレートが一番美味しい国はアメリカ合衆国

 チョコレートが最も美味しい国はどこかといえば、それはアメリカ合衆国だ。普通、どこの国でもチョコレートはお菓子として食うものだ。ところがアメリカ合衆国は食事の中でチョコレートが出て来るのである。これに初めて接した時、本当に驚いてしまうのである。

 チョコレートにポリフェノールが含まれているということは、ポリフェノールを含んでいるワインの代用になるということなのだ。ステーキは栄養価が高くても、心臓疾患を引き起こしてしまうという危険性がある。だからステーキを食べたらチョコレートを食って心臓疾患を防ぐのである。

 アメリカ合衆国に於いてステーキを食った後に出て来るチョコレートはまさに絶品なのである。ステーキを食べて脂っぽくなった口の中をチョコレートの甘さと渋みで落ち着かせてくれるのである。和食を食べた後に緑茶を飲むのが最高の組み合わせと同じように、ステーキとチョコレートの組み合わせは最高なのである。

 しかし何事にも限度ってものがある。ステーキもチョコレートも栄養価の高い食べ物なのである。それらを毎回組み合わせていると、何かしらの問題が発生してくるものなのである。事実、アメリカ人たちは虫歯に罹り易い。チョコレート自体は虫歯を引き起こすことはないが、チョコレートに含まれる白砂糖が虫歯を引き起こしてしまうのだ。

 アメリカ合衆国のチョコレートではハーシーズが最も有名であるのだが、このハーシーズのチョコレートは最も虫歯になり易い危険なチョコレートなのである。美味しいからといってバクバク食べていると、或る日、自分の歯がポキッと折れてしまうことになるのだ。

●ロッテの板チョコはダメ、板チョコなら明治!

 アメリカ合衆国のチョコレートが美味しいからといって、日本人がそれを食うことはないのだ。日本で食事にチョコレートが出て来ない以上、アメリカ合衆国産のチョコレートは要らないのである。日本人好みのチョコレートは既に日本の企業によって開発されているのである。

 日本のチョコレートは「板チョコ」が圧倒的に強い。これは日本人がチョコレートをお菓子として食っている証拠であるのだ。板チョコは手頃な大きさだし、板チョコを1枚食えば充分に満足できるので、丁度いい大きさなのである。良質の板チョコを作るとロングセラーになり、長く女性たちに愛されることになる。

 日本で最も美味しい板チョコは明治の板チョコ「明治ミルクチョコレート」である。日本のスーパーに行けばどこの店でも売っているから有難味を感じないのだが、この板チョコは本当にロングセラーで、幾ら食っても飽きがこないのだ。この飽きがこないというのが、日本で板チョコのトップに立つには必要なのである。

 明治の板チョコに準じて森永の板チョコ「森永ミルクチョコレート」がある。大体、板チョコ市場は明治と森永の2トップであろう。なぜ森永の板チョコが明治の板チョコよりもそんなに美味しくないのかといえば、森永は必ずしもチョコレートが主力商品ではなく、様々なお菓子を作っているからなのである。明治も様々なお菓子を出しているが、飽くまでもチョコレートが主力商品なのである。

 スーパーで売られている板チョコで、最もダメなのがロッテの板チョコである。この板チョコは食べると歯に纏わりつくので、確実に虫歯になってしまうのである。ロッテは飽くまでもガムが主力商品である以上、どんなに頑張ったとしても板チョコ市場で美味しい板チョコを作ることはできないのだ。

 因みに子供には「徳用チョコ」で充分なのである。別に味わって食うのではなく、お腹が空いたからチョコレートを食べるというのなら、安物の徳用チョコでいいのである。気をつけるべきは徳用チョコを食べ過ぎると鼻血が出るので、食べ過ぎには注意することだ。

●生チョコならロイズ

 板チョコ市場は飽和状態なので、後は潰し合いがあるのみなのである。しかし生チョコとなるとそうではないのだ。生チョコは保存が利かないので、板チョコのようには行かないのだ。また日本で板チョコが売れたということは、生チョコも日本人好みの物を作れば売れるのである。

 ところが生チョコでいいのがないのだ。生チョコを欧米基準で作ってしまったら渋すぎて食えない。生チョコにはチョコレートにバターや牛乳を入れるので、チョコレートの品質に拘るだけでなく、新鮮で良質のバターや牛乳をも用意しなければならない。下手な生チョコは洋酒を沢山入れて、それで誤魔化してしまうのだ。だからお酒臭い生チョコができてしまい、肝腎のチョコレートの味が弱まってしまうのだ。

 しかし今回、或る女性からロイズの生チョコをプレゼントされたので、その生チョコを食ってみた所、余りの美味しさにビックリしてしまった。これは本当に旨いし、日本人好みに合わせて作られているので、長く食い続けることができるのである。

 ロイズなんて企業名は知らなかったのだが、このロイズは北海道札幌市に本拠地があって、生チョコは北海道当別町という所で作っているのだ。生チョコは寒い場所でないと、美味しい物は作れないのかもしれない。ロイズは1983年創業だから、創業してから30年しか経っていないのだ。

 夏の猛暑で疲労していために、ロイズの生チョコを食ったら疲労が回復し、元気になった。こういう効果は本物商品でないと出て来ない。最近、食事に拘り健康になってしまったために、下手に粗悪な食べ物を食べると、すぐに体に異常が出て来るようになってしまったのだ。健康になるということは、味の良し悪しを体で解るようになるということなのである。

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夫婦愛は夫婦漫才の如く

●「笑い」を確保しなかったツケ

 結婚に関する本は良く注意して買うようにすることだ。というのは、結婚に関する本は、結婚によって幸せな人生を歩んだ人が書いた本と、結婚によって不幸になったか、結婚しなかったために不幸になったか、そういう人生の落後者たちが書いた本の2種類しかないからだ。

 量的に言えば、結婚を肯定的に書いた本は非常に少なく、結婚を否定的に書いた本の方が圧倒的に多い。そして量が多いからといって質が高くなるということはない。結婚を否定的に書いた本はどう読んだとしても質が低いのであって、読むだけ時間の無駄なのである。

 結婚に対しては様々な意見があるのだろうが、結婚に「笑い」がなければ結婚は続かないのだ。結婚に笑いがあるからこそ、結婚は長続きするものなのである。夫婦間暴力だの、児童虐待だの、不倫だの、離婚だの、そういう物を扱った本には笑いがないのだ。笑いがないからこそ間違ったことをやってしまうということに全く気付いていないのだ。

 夫婦愛は夫婦漫才の如くにやった方が良いのだ。シリアスな恋愛映画のようには行かないのだ。夫婦が巧くボケとツッコミをやっていれば、どんな状況になっても笑いが取れるので、そんなに深刻にならず、必ず解決策が見つかるものなのである。

 今回紹介する本はこの本!

 上沼恵美子・上沼真平共著『犬も食わない」(学研パブリッシング)

 犬も食わない

 今回紹介する本は絶対に真面目になって読むな。この本はそういう本ではない。ユーモアのセンスがないと、この本を読んで笑えないし、この本の価値を認めることができないのだ。閑な時にオヤツでも食べながら読むようにすることだ。

 内容を紹介する前に言っておくけど、この本は口述筆記なので、内容はそんなに深くない。口述筆記だとどうしても内容が深くならないのだ。その口述筆記を巧く補っているのがイラストなのであって、イラストレーターの「さくらみゆき」は本の内容を理解して巧く書いている。

 問題は表紙なのである。表紙が堅過ぎるのだ。表紙を担当したのは新井勝也と豊田恭子なのだが、この本をきちんと理解して作っていないのだ。本の表紙と本の内容が巧く噛み合っていないので、これでは売れないだろう。共著の2人をモダンアート的に書けば、この本をベストセラーにできた筈だ。

●上沼恵美子と上沼真平との相性

 上沼恵美子は昭和30年に兵庫県淡路島で産まれた。昭和47年に姉妹漫才の海原千里万里でデビューし、その年の内に上方お笑い大賞で銀賞を受賞した。昭和48年にはNHK漫才コンテストで最優秀賞を受賞した。昭和50年には『大阪ラプソディー』が大ヒットした。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのである。

 上沼恵美子が売れまくっている時に、テレビ番組の制作現場で上沼真平と知り合ってしまったのである。彼はAD経験たった1年で一本立ちし、ヒット獏組を次から次へと作り出す期待の星だったのである。上沼恵美子は番組の司会者であるので、ディレクターの上沼真平と仕事で合っている内に、あれよあれよという間に親密な関係になってしまい結婚してしまったのである。

 プロポーズをするのは男性かもしれないが、そのプロポーズを最終的に承諾するのは女性の方なのである。だから女性が売れっ子の状態にある時に結婚するということは、最善の選択肢を選ぶことができる可能性が最も高くなるということなのである。だから女性の芸能人が落ち目になってから結婚すると、碌でもない男性と結婚してしまい、ボロボロにされた挙句に離婚してしまうことになるのだ。

 運命学では、上沼恵美子と上沼真平は名前の相性では合わない。しかし運命星でなら合うので、二人は惹かれあってしまったのだ。上沼恵美子は大恋愛によって人生が激変する運命の持ち主なので、この恋愛によって上沼恵美子は本当に人生が激変してしまうのである。

 上沼恵美子は22歳で結婚しているのだが、普通の人たちから見れば早いかと思ってしまう。だが恋愛はナマモノである以上、恋愛が巧く巡って来てしまったのなら、勇気を出して結婚してしまった方がいいのである。「まだ若いから~」とか言っているとあっという間に月日は過ぎ去り、行かず後家になってしまうものなのである。

●話し合うことの大切さ

 上沼恵美子と上沼真平には相性に於いて多少問題があるのだが、当然に夫婦喧嘩をしまくることになる。この夫婦の歴史は夫婦喧嘩の歴史であると言っても過言ではないのだ。ではなぜそんなに夫婦喧嘩する夫婦が離婚しなかったのかといえば、それにはちゃんとした理由があったのだ。

 それは「夫婦双方、話し合うことの重要性に気付いていた」ということなのである。

 上沼恵美子は芸能人として「お喋りのプロ」なのである。話し合うのなら、徹底的に話し合う覚悟も能力も充分過ぎるほどにあるのである。片や上沼真平も自分の両親を見て、夫婦で問題が発生するのは理解の欠如だと思っていたので、何かあれば話し合おうと決めていたのである。

 運命学では相性の悪い夫婦が必ずしも離婚するとは限らないと考えている。相性の悪さは話し合いでカバーすることもできるのである。夫婦は一緒に生活していれば、何かしらの問題が発生するものなのであって、その際、夫婦で話し合っていればなんとか解決できるものだし、結婚を保つことができるのである。

 但し、夫の上沼真平は最初から結婚に対する考えを間違えている。

「夫は外で仕事をし、妻は家庭を守るという形式的なことではなく、とにかくよく話し合うこと。なんでも二人で一緒にやること」

と彼は言うのだが、話し合うことに関しては正しくても、それ以外のことは全部間違っているのだ。この夫婦の夫婦喧嘩の根本的原因は上沼真平のこの間違った考えにあるのであって、結婚後、夫婦喧嘩がエンドレスで続くことになるのだ。

 上沼真平の一体何が間違っているのかといえば、形式を無視することなのである。上沼恵美子は22歳で結婚しているのである。結婚願望は非常に強いのであり、だったら家庭のことは妻に任してしまえば良いのである。それなのにそういうことをしないで、妻のやっていることにケチをつけてくるからこそ、上沼恵美子は逆上してしまうのである。

●夫婦だからこそこうまで違う

 「なんでも二人で一緒にやる」というのも、実際の結婚生活では無理なのである。

 実を言うと、上沼恵美子は結婚するまで料理をしたことがなかった。そのため新婚当初は碌でもない料理しか作れないのだが、それを巧くおだてて作らせるということを上沼真平はしなかったのである。こういう場合、お料理教室にでも通わせるのが一番効果的なのだが、何事も二人で一緒にやろうと思っていると、こういう考えが全く浮かばないである。

 料理ですらこれなのだから、睡眠でも揉めることになる。上沼恵美子は寝る前に読書をするのだが、上沼真平は映画を見るのだ。これでは夫婦共々不満を抱いてしまうのは当たり前なのであって、だから夫婦喧嘩になってしまうのである。因みにこの問題は寝室を別にしたら、瞬時に解決してしまったのである。

 上沼真平は運命星上、趣味が多彩な運命にあるのだ。しかも上沼真平は夫婦で共通の趣味を持てば夫婦円満になると考えていたのである。そこで上沼真平がゴルフを趣味とするようになると、上沼恵美子にもやって貰い、自分は教え魔になってしまい、上沼恵美子をゴルフ嫌いにさせてしまったのである。

 上沼真平の趣味の多彩さは、上沼恵美子を絶句させる。ゴルフだけでなく、旅行、ウクレレ、俳句、家庭菜園、キックボクシングなど実に様々な趣味に手を出しているのだ。その都度、妻に呆れられてしまい、自分の地位を引き下げて行くのだ。

 夫婦だからこそ、そこまで違うのである。違う以上、何事も二人で一緒にやるというのは無理なのである。それよりも夫婦双方ができることを別々にやってしまい、時折サポートして貰うくらいでいいのである。上沼真平は「結婚して34年、ただただ忍耐の日々でした」と言うが、根本的な所を間違えてしまうからこそ、忍耐だらけの日々になってしまったのである。

●妻は芸人たるべし

 上沼真平が芸能人の上沼恵美子と結婚することができたのは、彼がテレビ局のディレクターだったからなのだが、その彼が子会社に出向することになってしまった。これは上沼真平にとって人生最大のショックであり、落ち込んで帰宅してきた。

 上沼真平が子会社に出向になったことを妻に話すと、上沼恵美子は、

「子会社って何? 子が医者になったら嬉しいけど」

と冗談をかましたのである。

 それどこか、『子会社音頭』なるものを即興で作り、

「♪子会社、子会社、よいのよいのよい」

と歌い踊り出したのである。

 上沼真平はこの妻の悪態に顔面蒼白になり、以来数日間、妻と会話しなくなってしまったのである。

 ところが、その後、上沼真平は子会社の社長として巧く仕事をこなし、数十人のスタッフを抱え、次から次へとヒット番組を作っていったのである。上沼恵美子はサラリーマンの世界に詳しくないから、子会社がどうのこうのなど解らず、夫が落ち込んでいたからこそ、夫を励まそうと渾身のボケをかましただけだったのである。それがこういういい結果を齎したのである。

 結婚していれば、様々なピンチが訪れて来るのだから、妻が笑いを取ればピンチがピンチでなくなってしまうのだ。まさに「妻は芸人たるべし」なのである。普段では夫の方が冗談をかますものだが、ピンチになれば妻が冗談をかまして、笑いを取るべきなのである。

 極論を言ってしまえば、家事や育児は家政婦を雇えばできてしまうものなのである。妻が家事や育児を一生懸命にやることは、それはそれで素晴らしいことだ。しかしピンチになった時に笑いを取ることができないような妻は、妻として失格なのである。笑いがないからこそ、ピンチが余計に最悪の事態に悪化していってしまうのである。

 この上沼恵美子と上沼真平の夫婦は、随筆風に夫婦のネタを出すのではなく、本格的に夫婦で自叙伝を書いたら、この夫婦の歴史は笑えると思う。普通の夫婦ではできないことをやっているからだ。やはり離婚しなかった芸能人というのは、学ぶべきことが多い。

 その際、本の題名は俺が作った、

『夫婦愛は夫婦漫才の如く』

にして欲しい。題名料として著作権率は1%でいいですから。この題名なら本が売れると思うし、ドラマ化したら爆笑物になると思う。笑いあり、涙あり、「永遠の愛」があるから、思いっきり感動できる物になるのだ。

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