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『八重の桜』を見て、東日本大震災の被災者たちは本当に元気になったのか?

●綾瀬はるかを使って低視聴率という失態

 NHK大河ドラマは『江』と『平清盛』が大失敗に終わり、その後に東日本大震災の被災者たちを元気づけるために『八重の桜』を放送したのだが、平均視聴率が12%という低い数値になってしまったのだ。『八重の桜』は大失敗ではないにしても、失敗と判定されるべきものであって、NHKは三回も失敗をやらかしたのなら、ドラマ制作能力が急激に低下しているという深刻な問題を発生させているのである。

 今回の『八重の桜』は若手女優の中で断トツの実力を持つ「綾瀬はるか」を使った上での失敗なのである。綾瀬はるかを使ってコケたというのなら、本当にコケたということであり、綾瀬はるかが持っているであろう数値を除けば、『八重の桜』は平均視聴率が10%を切っていた駄作であるのだ。

 『八重の桜』は一体何がそんなにも悪かったのかといえば、それは脚本の拙さなのである。新島八重の人生は大別して「会津藩での時期」「同志社大学創設に関わった時期」「日本赤十字社に関わった時期」の三つに分けることができる。

 それなのに会津藩での時期が異様に長すぎ、新島八重といえば「銃を持って戦う女兵士」になってしまい、これでは新島八重の人生をきちんと表したことにはならないのだ。脚本家の「山本むつみ」が脚本の配分に明らかに失敗したのであって、それが視聴者たちに飽きられてしまったのである。

 幕末は政局が混迷した時代なのだが、『八重の桜』では時代背景を説明するために政治のシーンが多過ぎたのである。八重本人は戦争に関わったが、政治には関わっていない以上、あそこまで政治のシーンを延々と述べる必要は全くなかったのである。

 それと戦闘シーンが長過ぎである。戊辰戦争というのは、徳川慶喜が「大政奉還」をして、すでに政治では新政府側が勝利し、奥羽越列藩同盟の側が負けているのである。だからいざ戦争が始まれば、新政府軍は圧勝に次ぐ圧勝なのであり、事実、会津戦争だって冬を越すことなく短期間で終わってしまったのである。

 しかも『八重の桜』だから新島八重のドラマかと思いきや、山本覚馬の活躍するシーンが異様に多いのである。これではドラマの内容とドラマの題名が齟齬をきたしているのである。そういう内容であるなら、ドラマの題名を『八重の桜』ではなく、『覚馬と八重』にすべきだったのである。

  八重の桜 完結編

●旧態然としていた会津藩

 江戸時代後期というのは、どこの諸藩も財政が破綻し、それが引き金になって藩政改革に乗り出した時代なのである。藩政改革が最も巧く行ったのが長州藩であり薩摩藩なのであって、だから幕末になると長州藩も薩摩藩も大いに活躍することになるのである。

 これに対して会津藩は財政が逼迫しているというのに藩政改革を怠ったのである。未だに藩主による専制政治が行われており、長州藩のように藩主は政治権力を喪失して、「政務役」に政治権力が移行したのとは大違いだったのである。

 松平容保はこの旧態然とした会津藩を率い、幕末に於いて「京都守護職」という最も危険な役職に就いてしまったのである。絶対に忘れてならないのは、松平容保はこの京都守護職を熱心にやってしまったのであり、新撰組を組織して、新撰組が尊王攘夷の志士たちを殺しまくったからこそ、倒幕側は会津藩に激しい恨みを抱いたのである。

 それが遠因となって会津戦争になってしまったし、会津藩が下北半島に転封される結果を引き起こしてしまったのである。新政府側は戦争する前に松平容保の身柄を引き渡せと何度も言っているのに、松平容保は自分の命が欲しいばっかりに外交を拒否し、それで会津で戦争をやってしまったのである

 「松平容保はバカ殿なのである」

ということが解っていないと、会津藩の悲劇は正しく理解できないのだ。確かに新政府軍側は会津藩に過酷な措置を取ったが、会津藩は松平容保が京都守護職をやっていた時期に、それ以上に過酷な措置を尊王攘夷の志士たちにやっていたのである。

 明治維新は長州藩も薩摩藩も新たに幕府を作ったのではないのだ。王政復古をやったのであり、そうやって過去に戻ったからこそ、近代化を急速に推し進めて行くことができたという「歴史の逆説」を引き起こしたのである。それに対して会津藩は会津藩のことに拘るばっかりで、日本の現状も、日本の未来も全く見えていなかったのである。

●実は恵まれていた八重の人生

 新島八重は絶対に「悲劇のヒロイン」ではない。彼女の人生を調べてみると、実は恵まれた人生であったというのが解るのだ。

 八重は会津藩の砲術師範の山本権八の娘として生まれている。子供の頃から男勝りで、体格的にはかなりがっしりとした体格であった。戊辰戦争前には川崎尚之助と結婚している。会津戦争には断髪男装して戦争に参加し、八重が善戦したために新政府軍は一時後退し、アームストロング砲に集中砲火を行い、会津藩を降伏させたのである。

 八重は女性であっても戦争に参加した以上、捕虜にならなければならなかったのだが、新政府軍は八重が女性ということで捕虜にはしなかったのである。因みに八重の夫の川崎尚之助は捕虜になり、夫婦は離ればなれになってしまい、その後、二度と再会することがなかったのである。

 明治維新後、八重は京都府顧問になっていた山本覚馬を頼って上洛し、兄の推薦で京都女紅場の権舎監になる。その後、アメリカンボードの準宣教師である新島襄と知り合い、結婚する。この結婚によって京都女紅場を解雇されるが、京都女紅場での経験を活かして同志社の創設に加わっている。

 明治23年に新島襄が死ぬのであるが、新島襄の弟子たちと意見が対立居し、同志社からは疎遠になる。同志社を去った八重は日本赤十字社の正社員になり、日清戦争に参加して、従軍看護婦として活躍する。この活躍が認められて、戦後は看護学校の助教になっているのだ。日露戦争でも従軍看護婦として参加し、その功績によって勲六等宝冠章が授与されている。

 新島八重の人生は、「会津時代」「同志社時代」「従軍看護婦時代」の三つがあるので、これらの全てをドラマで描かないと、彼女の人生が見えてこないのである。新島八重は「86歳」という長寿であったので、スペンサー銃をバンバン撃っていた時期だけが彼女の全てではないのだ。

●八重のキリスト教信仰は間違っている

 新島八重は取り立てて、凄い功績を打ち立てた女性でもなく、何かしらの指導者になったわけでもない。それなのに新島八重が称賛されるのは、ただ単に彼女がキリスト教徒だったからであり、日本のキリスト教徒たちが熱心に彼女のことを称賛するからなのである。

 しかし新島八重のキリスト教信仰は完全に間違っている。新島八重は夫の新島襄がキリスト教を信仰しているから、妻の自分も信仰するということをやったのである。これは日本の女性のキリスト教徒たちには非常に多い信仰パターンなのだが、この信仰は「偽りの信仰」なのである。

 キリスト教の教義はカトリックでは信仰義成説、プロテスタントでは信仰義認説と違うのだが、キリスト教徒の信仰は神が引き起こしたものであって、自分で引き起こしたものではないのだ。信仰に関して人間は自由意志を持たないというのが、キリスト教の基本的な考え方なのである。

 だから、「夫がキリスト教を信仰しているから、妻の私もキリスト教を信仰します」というのは、教会の側がその信仰を拒否しなければならないのだ。偽物の信仰を持った人たちが教会の中に入ってくれば、教会はキリスト教とは無縁の組織になってしまうからだ。

 事実、新島八重は愛を唱えながら、常に誰かを憎んでいるのだ。まずは長州藩であり、長州藩への恨みは終生消えていないのだ。しかも新島襄の死後、同志社たちの人たちと意見が対立し、同志社を離れてしまっているのだ。心の中で誰かを憎んでいるからこそ、自分がどんなに仕事をやっても最終的に巧く行かないのだ。

 新島八重の写真を見ると、顔が晴れ晴れしておらず、何か違うことを考えている顔つきをしている。どう考えても賢そうな顔ではない。日本人が仏教を受容したのは、仏教には「恨みを捨てる」という教えが含まれているからこそなのである。幾ら愛を唱えても、なかなか恨みというものは消えないものなのである。そして恨みを持っている限り、本物のを愛を出すことは決してできないのだ。

●旧会津藩士たちが引き起こした政治犯罪

 会津藩は幕末の政局でジョーカーを掴み、戊辰戦争では最大の被害を受けたのだが、だからといって旧会津藩士たちを称賛することは許されない。旧会津藩士たちは戊辰戦争後にとんでもない政治犯罪を引き起こしてしたからである。

 西郷隆盛が政府を去ると、それに連れられて多くの将兵や警察官が去るのだが、旧会津藩の人たちがそれを埋めるかのように帝国陸軍や警視庁に雪崩れ込んできたのである。旧会津藩士たちが入って来た前と後では、帝国陸軍も警視庁もその性格を全く変えてしまうのである。

 帝国陸軍は上層部は旧薩摩藩士たちが独占していたが、兵士たちに旧会津藩士たちが入って来ることによって、軍隊の内部で暴力を振うことが当たり前になってしまったのである。この問題は帝国陸軍の宿痾で、東条英機首相すら体罰禁止令を出したのだが、結局、帝国陸軍が崩壊するまで治らなかったのである。

 会津藩では武士と庶民の身分格差が激しく、庶民に対しては普段から暴力を振るっていたのだが、帝国陸軍のように徴兵制を用いていた軍隊だと庶民が兵士として入って来るから、それで上官たちは兵士たちに暴力を振るってしまったのである。

 警視庁に入り込んだ旧会津藩士たちは宗教弾圧に乗り出し、天理教や大本教といった新興宗教団体を攻撃したのである。政府は欧米列強を見習って「信教の自由」を認めていたのだが、旧会津藩のように朱子学に凝り固まった人たちは他の宗教を認めるということしないのである。それで宗教弾圧に乗り出し、日本の宗教史にとんでもない禍根を残してしまったのである。

 警視庁の警察官たちが威張るようになったのも、旧会津藩士たちが入ってきてからなのである。旧薩摩藩士たちは警察というのは治安維持のために必要だということが解っていたから、政府に反抗する者以外はそんなに厳しく取り締まらなかったのである。それなのに旧会津藩士たちが入って来ると、誰かまうことなく威張り散らすようになったのである。

 警視庁の警察官たちがそういう態度だったからこそ、後に社会主義者たちは増えて来ると、特別高等警察が設置され、社会主義者たちへの弾圧を行うようになるのである。もしも旧会津藩士たちが警視庁に入って来なければ、政府による社会主義者たちへの対応はもっと違っていたものになっていた筈なのである。

 会津の人たちが「戊辰戦争では奥羽越列藩同盟が完全に間違っていた」と理解するまで、会津の人たちの政治犯罪は続くのである。松平容保はバカ殿であり、会津藩を滅ぼしてしまった張本人なのである。政治というのは何が起こるか恐ろしい場所だから、無闇に政治に手出しをしてはならないのである。

●新島八重を必要以上に評価することは非常に危険である

 新島八重を必要以上に評価することは非常に危険である。新島八重はそれほど優れた人物ではなく、逆賊の会津藩士の娘でありながら、明治維新を巧く立ち回って、同志社設立を支援したり、従軍看護婦として仕事をしただけにすぎないのだ。

 世間の人々は「新島八重は会津戦争に参加し、新政府軍を撃退した勇猛果敢な女性」と思っているが、既に勝敗のついている戦いに対して新島八重がそんなことをしてしまったからこそ、新政府軍はアームストロング砲を打ち込み、より犠牲者が増えてしまったし、戦後、城は廃城になってしまったのである。

 絶対に忘れてならないのは、新島八重のキリスト教信仰は偽物であるということである。キリスト教は愛を唱えるが、新島八重は心の中で長州藩への恨みを捨てていないのだ。偽物のキリスト教信仰が出回っているからこそ、日本のキリスト教徒たちはどいつもこいつも口では愛を唱えながら、心の中で誰かを恨むということを平気でやるのである。

 怨念は合理主義を否定するものなのである。会津戦争で会津が焦土と化しても、新島八重が「松平容保はバカ殿だった」と割り切れば、長州藩に対して恨みなど抱かず、他にもっと良い生き方ができた筈なのである。新島八重の人生を見てみると、同志社を作っても、後に揉めて去ってしまい、従軍看護婦をやっても、日々の仕事をこなすだけで、より大きな仕事をしていないのだ。

 新島八重を扱った作品を出した作家に一流の作家たちがおらず、今まで聞いたこともないような作家たちが作品を出しているのはこのためだ。新島八重のことを少しでも調べれば、作品にするほどの人物ではないということが解るものなのである。

 新島八重の大河ドラマが放送されることで、福島県でも会津の人たちは大喜びしただろうが、東日本大震災で大きな被害を受けたのは会津ではなく、岩手県や宮城県や福島県の太平洋岸であるのだ。NHKが新島八重を出すことで、東日本大震災の被害者たちを勇気づけようとするのは、そもそもが間違っていたことだったのである。

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コメント

タマティーさん、こんにちは。

「八重の桜」見てません。
綾瀬はるかが好きで楽しみにしていました。
しかし、八重の桜が始まって間もない頃でしょうか、
「う~ん・・・つまらない(゜_゜;)」と感じて以来、
見てません。

「あまちゃん」は欠かさず見てたんですけどね。

投稿: おだんご | 2013年10月23日 (水) 10時23分

おだんごさん、タマティーは詰まらなくても、毎週見てます~。

投稿: タマティー | 2013年10月24日 (木) 06時37分

>つまらなくても、毎週見てます。

タマティーさんには敬服いたしますm(_ _)m

投稿: おだんご | 2013年10月25日 (金) 15時49分

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