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2013年11月

自分がして欲しくないことはなんで起こるのか?

●それはして欲しくないのに

 先日、遠出をした際、自宅に用事があったので大急ぎで帰ってきた。その際、余りに急いだために、体の中にオナラを溜め込んでしまい、自転車置き場に自転車を置くや否や、

「ぷ~」

とオナラをしてしまった。正確に言うと、

「ぶひぶひぶひ~ッ!」

と凄まじい音を出してしまった。

 普段は自転車置き場に人は余りいないものだ。俺が使う時は滅多なことでは他の人とかち会うことはない。それなのにその日に限って、親子連れの集団がいて、俺がオナラをするや否や、俺の方を凝視してきやがった。しかも、子供がいたために、

「あ~、オナラだ~!」

と大声で言う始末である。子供の声って本当に通るんだよね。

 世の中には自分はそれをして欲しくないのに、なぜだかそのして欲しくないことが起こるものだ。遅刻してはならない日に限って遅刻したり。忘れ物をしないようにしているのになぜだか忘れ物をしたり、自分が嫌っている人物には会いたくないのになぜだか偶然に会ってしまったりと。

 個人でこの有様だから、結婚して家族ができようものなら、もっと加速していく。夫が妻にして欲しくない事、妻が夫にして欲しくない事、親が子供にして欲しくない事、子供が親にして欲しくない事、そういったものが確実に起こってきてしまうのである。例えば食事中に親が子供に食べ物をこぼすなよと思っていると、子供は案の定、その通りのことをやってくるのである。

 自分1人しかいないのだから大丈夫とは限らない。今回のオナラ事件にしても、俺は一応、自転車置き場に行く際に周囲を確認した上で放屁したのである。それなのになぜだか人がいたのだから、自分1人だから安心ということはないのだ。

●して欲しくないことに意識が集中するから

 なんでこういう奇妙な現象が発生するのかというと、自分が心の中で「これはして欲しくない」と思っていると、意識がそのして欲しくないことに集中してしまい、幾つかの条件が揃ってしまうと、よりによってそのして欲しくないことを実現させてしまうのである。

 して欲しくないことを思えばそれが自動的に実現してしまうのではない。飽くまでも幾つかの条件が揃えばという条件が付く、普通の状態であるなら、その条件が揃わないようにしているのに、自分が油断しているとその条件を揃えてしまうのだ。

 オナラ事件では俺が大急ぎで帰って来たために、俺は急いで帰ることに意識を集中していて、他に人がいることをよく注意して見なかったのだろう。本来なら周囲を良く見回した上で放屁をした筈なのに、その時は急いでいたからこそ、そこまで注意を払わなかったのだ。

 これが他人に対してとなると、非常に厄介なことになる。例えば母親が育児をしている場合、母親としては子供の能力を大体知っている。子供の方も母親の期待に応えようと行動して来る。このため母親が「転んで欲しくないな~」と思っていると、子供は無意識の内にその意識を察知して、本来なら転ばない筈なのに転んだりするのだ。

 だから家族内で何かトラブルが発生した場合、問題を起こした相手を一方的に断罪してはならないのだ。問題を起こした者には確かに責任があるが、他の者が「こういうことはして欲しくない」と思念していたために、そういう問題が本当に発生してしまったということなのである。

●やりたい事に集中する

 この世で生きて行くためには、「してはならない事」を定めて行かなければならない。そういうことをしなければ無秩序になってしまうからだ。しかし禁令だけを定めればいいというものではないのだ。禁令を定めれば、そこには自由が発生するので、その自由を活かして自分のやりたい事に意識を集中すべきなのである。

 自分のやりたい事に意識を集中すれば、自分がやりたい事を実現していくことができるのである。嘗てはして欲しくないことに意識を集中してしまったために、そのして欲しくないことが実現させてしまっただが、今度はそれをポジティブな方向で使うのである。

 夢を持つことがなぜ重要なのかは脳がそういう機能になっているからなのである。夢を持って自分の意識を集中させれば、脳はして欲しくないことに意識を集中せず、して欲しいことに意識を集中するので、それでして欲しくないことが起きなくなり、それでいながらして欲しいことを実現できてしまうのである。

 結婚しているのなら、家族全員がそれぞれ夢を持つべきだし、家族として共通の目標を立てておくことも必要だ。こういうことをしておくと、家族の中で起こる問題発生率が激減するのである。ただ平穏に暮らしましょうでは絶対にダメなのである。不幸というのは、そういう平穏な時に限って発生して来るものなのである。

 子育ての場合、子供に学校の勉強だけをやらせるようなことだけをしてはならない。学校の勉強は学校に行っていれば自然とできるものなのであって、別に親が強制しなくても良いのだ。親が強制すべきことは子供自身の夢なのであって、子供に夢を持たせ、それに向かって突き進ませることが必要なのである。

●ナイスフォローを使う

 人間は自分の意識を良い事よりも悪い事の方に使ってしまう動物なのである。人間の脳はそうなっているのであって、だから自分の脳を使う際に工夫が必要なのである。相手が失敗しそうなら、自分がフォローに回ればいいのである。

 だから結婚というものは非常に強い。夫が妻をフォローし、妻が夫をフォローし、親が子供たちをフォローし、子供たちが親をフォローすれば、誰もが幸せに豊かに暮らせてしまうのである。それゆえ結婚以外に人間が幸せに暮らせる方法を見つけ出すことは決してできないのだ。

 独身者の場合、誰もフォローしてくれないので、放置しておくと悪い事しか考えなくなってしまうのだ。それでチャンスを掴み損ねたり、犯罪をやってしまったりするのだ。独身というのは結婚するまでの期間やってもいいが、絶対に長期間に亘ってやってはならないものなのである。

 仕事をする時も1人でやるよりは2人が一緒になってしまった方が仕事は捗るのだ。2人が平等に働くのではなく、1人が攻撃に回り、もう1人が防御に回れば、仕事は確実に進んで行き、自分1でやるよりも遥かに速く的確に行えてしまうのである。

 気をつけるべきはみんなでやれば巧く行くとは限らないということだ。人間は少人数なら纏まりを保てるが、大勢になってしまうと纏まりを保てないのだ。チームの構成員が21名を超えてしまうと、もう誰がやってもそのチームを纏めることができないのだ。チームはそのチームが必要とする人数に抑えるべきであって、余り増やし過ぎてはならないのだ。

●人間はミスをして当たり前の生き物

 人間はミスをして当たり前の生き物なのである。人間は進化の過程で脳を巨大化させたために、他の動物たちはしないようなミスを平気で犯してしまうのだ。人間はミスをし続けたからこそ、進化し続けて来られたと言っていいのだ。

 自分がして欲しくないことが起こった場合、あんまり落ち込まないことだ。他人がして欲しくないことをやってしまった時、あんまり激しく責任追及しないことだ。尤も時には感情的になってしまい、そういう制御ができなくなる時もあるが、やはりここでも自分はミスをしているということなのである。

 その一方で世の中には危険なミスもあるのだが、それをやってしまった時は猛反省するなり、思いっきり叱ったりしなければならないのだ。危険なミスを犯したということは、次に起こすミスは人が負傷したり、死んだりする悲惨な事故になってしまうからだ。

 人間は閑を持て余していると雑念を生じさせてしまい、碌でもないことを考えてしまうようになるから、できるだけ何かしらの仕事をするようにしておくことだ。仕事をしている限り雑念が生じることなく、出来るだけ良いことを考えるようになるのだ。

 しかしそれでも、こうやって俺が真剣に記事を書いている最中にも、

「ぷひ~」

とオナラをしてしまうからこそ人間は厄介なのである。勿論、実際の音は、

「ぶひぶひぶひ~ッ!」

なのだが、俺の周りに人がいなくて本当に良かった~。

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「年末ジャンボ宝籤」の当て方

●宝籤が当たるとどうなるか? 

 俺は今まで「宝籤」という物を買ったことがなかった。ニュース番組では年末ジャンボ宝籤の季節になると、宝籤売り場に行列をなしているニュースが報道されるのだが、俺はわざわざ宝籤売り場に行ってまで、宝籤を買おうとはしなかった。

 俺が宝籤を買わなかった最大の理由が「年末ジャンボ宝籤のテレビCMがとにかく下品だから」なのである。宝籤はその購入者たちが自分の宝籤に夢を託しているのであって、それなのに夢を壊すような碌でもないテレビCMが流されているのである。これでは買う気が起こらないのだ。

 しかも日本の宝籤は国際的に見て「換金率」が最も低い。換金率はなんと50%しかないのだ。国際標準は10~20%というのがその相場なのだ。日本の宝籤は最も当たりにくい宝籤なのである。尤も日本宝籤は売上金の30%前後が社会福祉に回されるのだが、それでも余りにも酷過ぎるのだ。

 日本に於ける宝籤はそもそも神社仏閣の「富籤」に起源がある。神社仏閣が「富の還元」のために行っていたのであり、それを政府が取り上げ、民間での宝籤を禁止してしまったからこそ、宝籤の運営がおかしなことになってしまうのである。

 それでも庶民にしてみれば、宝籤は魅力的な代物なのだ。なんせ少ない元手で億万長者になれるかもしれないのだ。質素倹約を徹底している我が家では、誰も宝籤なんて買わないと思っていたら、なんとうちの姉が年末ジャンボ宝籤を買い、それを俺の誕生日にプレゼントして来やがったのだ。

 しかも運のいい俺はその宝籤を当ててしまったのである。とは言うものの、俺が買った物ではないので、換金しに行くのが面倒になってしまい、うちの母親の宝籤を換金するように頼んだ。母親は換金しに行ってくれたのだが、当選金を見ると飛び上がって喜んだというのだ。

●自分のために買うのではなく、他人のために買う

 お金がどうのこうのより、うちの母親がここまで喜んでくれたことの方が俺には驚きであった。というか、宝籤を買う人たちはお金ではなく、この喜びが欲しくて宝籤を買っているのではないかと思ったぐらいだ。この一件で俺は宝籤を買う派に転向したのである。

 但し宝籤は自分のためには買わない。というのは、自分のために宝籤を買ってしまうと、自分の欲が出てしまい、どうも当たらなくなってしまうからだ。俺が宝籤を当てたのも、俺が宝籤を買ったからではなく、宝籤をプレゼントで貰ったからこそ当てることができたのである。

 そこで宝籤をプレゼントする!

 一番無難なのはやはり誕生日プレゼントだろう。宝籤は1枚300円で、10枚で1セットなので、値段は3000円である。誕生日プレゼントには丁度いい金額だ。少し金額を弾みたいのなら、4セット買えばいいのであって、それでも1万2000円だ。

 誕生日プレゼントは自分が選んで、それを自分がどんなに素晴らしい物だと思っても、貰った本人は嬉しがらないということがあるものだ。しかも生活が豊かになってしまうと、物は満ち足りているので、高級ブランド品以外では喜ばなくなってしまっているのだ。だったら宝籤を買ってしまった方が、金額が明示されているので、貰った方は喜んでくれるのである。

 夫婦の場合、互いに宝籤を贈り合いっこすることができる。ルールとしては宝籤が当たったのなら、家計には入れないということにする。当選金は全部自分が使い切っていいものとする。こうしておくと、宝籤が当たるか否かで大いに楽しめるし、当たれば更に楽しめることができるのだ。3000円とか1万2000円でここまで楽しめるのは他にはそうないと思う。

●宝籤を買うなら「一粒万倍日」に買う!

 宝籤が当選するかは「運」に頼るしかない。勿論、運に頼らずに当選させるという方法もある。それは或る程度大量に宝籤を買うことだ。宝籤に100万円ぐらい投入すれば、普通の人たちよりは遥かに宝籤の当選確率が上がる。しかしこういうことは宝籤を当てることを生業としている人がやるべきであって、普通の人たちがやるべきことではない。

 普通の人たちならやはり「運」に頼って買うべきなのである。自分の運を強化するためにはなんと言っても神社仏閣に参拝して、自分の運気を高めて行くことだ。宝籤を買う時はお守りを身につけていくことも必要である。宝籤は金運の産物だから、下着は白色の物を着、黄金のネックレスや黄金の指輪をつけるといい。

 宝籤を買う日は自分勝手に買うのではなく、「一粒万倍日」に買うようにすることだ。この日に宝籤を買うと非常に当たり易いのだ。他の日に買ってもなかなか当たらないのに、一粒万倍日だとなぜか当たってしまうのである。本当に不思議なことなのだが、この一粒万倍日を知っているか否かで、宝籤の命運が大いに変わるのだ。

 因みに今年(平成25年度)の年末にある一粒万倍日は、

11月28日

 

12月11日

 

12月12日

 

12月23日

 

12月24日

のたった5日間しかないのだ。年末は本当にアッと言う間に過ぎ去っていくので、手帳に一粒万倍日を書き込んでおき、自分の心に何か感じたのなら、すぐさま買いに行くことだ。

 更に付け加えておくと、今年の一粒万倍日は例年よりも運気が強いのだ。

11月28日は「大安」

12月11日は「先勝」

12月12日は「友引」

12月23日は「先勝」

12月24日は「友引」

である。大安はいつ買っても当たり易いし、先勝では午前中に宝籤を買うと当たり易いし、友引では夕方以降に宝籤を買うと当たり易い。

●当選したら使い切る

 宝籤は当たればいいものなのではなく、当たるか否かを楽しんで欲しい。年末ジャンボ宝籤なら、本当に大晦日の一大ビッグイベントになるのだ。家族の中で誰が当たったんだかを喋り合うのも滅茶苦茶楽しいものなのである。この楽しみがあれば、宝籤を買った甲斐があるというものなのである。

 宝籤が当たった場合、その当選金をとにかく使い切ってしまうことだ。宝籤は富の還元の一環なので、宝籤に当たって「お金持ち」になろうとするのではなく、「お金を社会に還元する」という考えを持つべきなのである。こういう時は自分が欲しい物を全て買ってしまえばいいのだ。

 宝籤の当選金を貯金してはならない。貯金の習慣が身に着いていると、宝籤が当たっても遂々貯金してしまうのだ。これは本当にいけないことだ。というのは宝籤の当選金を貯金してしまうと、なぜだか次回の宝籤が全く当たらなくなってしまうのである。

 宝籤は当選結果がどのような物であれ、とにかく換金しに行った方がいい。宝籤が外れたからと思っていても、実は自分に見落としがあって、本当は当選しているのに、換金しに行かなかったために換金期限が過ぎてしまい、無効になってしまったりするのだ。

 それとやはり宝籤は自分で換金しに行った方がいい。俺はどうも宝籤を換金しに行くのが面倒なので、母親に換金を頼んでいたのだが、或る日、うちの母親はネコババしやがった。当選している宝籤を与えて換金しに行って貰ったのだが、家に帰って来ると、

「いや、当たっていなかった」

と言いやがった。そのくせその日はやたらと買い物して来て、翌日から派手な格好をするようになった。

 本当に宝籤は面白いわ~。

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お持て成しの心

●お持て成しに家の広さは関係ない

 友達と本当に仲良くなるためには、外で交流するだけでなく、自宅に呼んでより突っ込んだ付き合いをしなければならない。その時、最大のネックとなるのが「独身」か「既婚者」の違いだ。独身なら一人暮らしと解っているのだから、狭いアパートに住んでいたとしても呼ぶことができる。しかし既婚者となるとそうはいかなくなるのだ。

 結婚すると階級を形成することになるので、自分たち夫婦がどこかの階級に入ってしまうのだ。「日本は平等化社会だ」と日本の知識人たちは言っているが、そんなの全くの嘘で、日本にだってちゃんと階級がある。経済的には「上流階級」「中産階級」「下層階級」と分かれている。

 ここで気をつけるべきは、階級に応じて家の広さを変えて行くことになるということだ。下層階級ならどんな家に住もうが別に構わない。中産階級なら基本的に持ち家であって、都市部のように住宅難だと賃貸マンションなら許される。しかし賃貸アパートではダメである。上流階級になれば、持ち家は豪邸だし、マンションは高級マンションになる。

 友達との付き合いがザックバランに出来るのは、なんと言っても下層階級の人たちである。家の広さはどうでもいいのだから、しかし中産階級や上流階級になるとそうはいかず、どうしても家の広さという物を考慮しなければならなくなってしまうのである。

 夫婦が家を買う時、自分たち夫婦の階級がどのランクにあるのかが解った上で買わないと、折角引っ越したのにお客様を呼べない家になってしまうのだ。友達を自宅に呼ぶのに家の広さなんて関係ないのだが、自宅が狭いということを最も気にしているのは、その夫婦の方なのである。自分たち夫婦に何か恥ずかしい物があるからこそ、友達を自宅に呼べなくなってしまうのである。

●お持て成しの心がるのかどうか?

 大事なことは、「お持て成しの心」があるかどうかなのである。お持て成しの心がない状態で家を買ってしまったからこそ、折角、持ち家に住んでいるというのに、友達を自宅に呼べなくなってしまうのだ。自宅だからといって、自分たち夫婦とその子供たちのことしか考えていなかったのである。

 もしも自宅が狭い場合、「うちは狭いですけど~」と一言言えば済むものなのである。この場合、謙遜して言っているのだろうが、言ってみればそれは事実だから、相手の方も充分考慮してくれるのだ。自分にお持て成し心があればそういう配慮ができるものなのである。

 自宅が狭いからといって誰も呼ばなければ、本当に誰もやってこなくなってしまうのだ。そういう生活をし続けていれば、お持て成しの心なんか完全に忘れてしまうから、外で友達と交流しても、表面的な交流しかできず、結局、友情を深めて行くことができなくなってしまうのである。

 夫婦で気をつけるべきは、「女の方が見栄を張る可能性が高い」ということであり、そういう見栄っ張りの女性を娶ってしまうと、自宅に問題がある時、誰も呼べなくなってしまうということなのである。能力があるのになかなか出世できない男性というのは、大抵が自宅に友人を呼ばない人なのである。

 妻の側からの意見だと、「突如友人を呼ばないで」ということなのである。女性の場合、接待の準備をしなければならないし、女性自身がおめかしをしなければならないのだ。今は携帯電話があるのだから、事前に連絡すべきであって、そういう配慮を欠くと、妻が非協力的になってしまうのである。

●余分なコップと余分な茶菓

 お客様を迎えるのにはお持て成しの心があればいいのだが、物理的な物が一切不要ということではない。お客様を自宅に呼んだのなら、茶菓を出さなければならないのであって、「茶菓」と「コップ」は絶対に必要なのである。逆に言えば茶菓とコップがあれば、自宅がどのようなものであってもお客様を呼べるということなのである。

 お客様を呼んだ際に、お客様だけに「お客様用のコップ」を出すというのは良い接待の仕方ではない。そういうお客様用のコップは豪華な物である場合が多いから、普段通りの付き合いができなくなってしまうのだ。しかもお客様と自分が違うコップを使うと、お客様と自分との間にどうにもならない溝が出来てしまうのである。

 もう一つ付け加えると、余りにも豪華なコップは普通のお客様に出したくないのだ。そういうコップは高価な物だから、もしもそのコップをお客様が割ったら大問題になってしまうのだ。茶道を心得ているような人は別であるが、そうでない人はコップの価値が解らないものなのである。

 ではどうすればいいのかといえば、普通のコップを使えばいいのだ。コップを買う時、余分にコップを買って、お客様が来た時にはそれを出せばいいのだ。そういうコップは使い慣れているから、普段通りの対応ができるようになるのだ。コップを買う時、家族のことしか考えていないと、お客様を接待する時に困ってしまうものなのである。

 自宅に茶菓を切らさないというのも大事なことだ。というのは子供がいれば、お菓子は子供に食われる可能性があるのだ。しかもよりによって子供はどこに隠しても見つけ出すので、お客様が来た時にお菓子がなかったりしてしまうのだ。自宅にあるお菓子は減って行くものと心得、普段からお菓子を買って行くようにすることだ。

 お茶も特別な物を出すのではなく、普段、家族が使っている物を出すべきなのである。お客様が来たからといって、特別なお茶を出すと、そのお茶を巧く入れることができなくなり、不味いお茶をお客様に出してしまうことになるからだ。慣れていないことをやると、お客様を接待する時にボロを出してしまうのである。

●無闇にお客様を自宅に入れない

 友人と仲良くなりたいからといって、無闇にお客様を自宅に入れないことだ。人間には好悪の感情があるから、自分が気に入れない人を自宅に呼んでも、碌でもないことしか起こらないのだ。自分が嫌いな人は自宅の外でも嫌いなだけではなく、自宅に呼んだとしてもやはり嫌いなのだ。

 自宅には自分の好きな人だけを呼ぶようにすることだ。自宅に友達を呼ぶということは、「あなたとより仲良くなりたい」ということなのである。だから普段から仲が良く、「この人のことをもっと知りたい」と思う感情が出て来たのなら自宅に呼ぶようにすることだ。

 その人物がどのような人物であれ、「約束の時間を守れない人は絶対に呼ばないようにすること」だ。というのは、時間にルーズな人は人間関係でもルーズなので、いざ自宅に呼んだとしても、平気で遅れてやってくるからだ。最初から遅刻している時点で、その者を自宅に入れたとしても会話が盛り上がらないのだ。

 自宅でパーティーを開く時には気をつけることだ。沢山の人たちを呼ぶことになるので、どさくさに紛れて自分の気に入らない人がやってきてしまうのだ。「パーティーだからまあいいか~」なんて呑気に思っていると、その嫌いな人物によってパーティーが台無しにされてしまうのである。

 時として、自分の好悪の感情の激しさに自分自身で嫌悪感を抱いてしまうことがあるものだ。自分の精神レベルが低いからこそ、自分が嫌いな人を嫌ってしまうのではないかと勘違いしてしまう。しかしそういう考え方は間違っているのだ。嫌いな人はどうやっても嫌いなのだ。人間にはそういう好悪の感情があるからこそ、それを無視して生きるようなことをしてはならないのだ。

●家を建てる時はゲストルームを作る

 家を建てる時は必ず「ゲストルーム」を作るようにすることだ。自宅を建てる際にお客様のことを考えていないからこそ、ゲストルームを作らなくなってしまい、だから自宅を建てた後に友達を自宅に呼ばなくなってしまうのである。お持て成しの心は家を建てる時にも必要なのである。

 日本の家屋が有難いのは、「客間」に押入れが付いているので、そこに布団を収納して、宿泊できるよう配慮されていることなのである。小さな客間でも五人くらいは泊まることができるので、だから家族ぐるみの付き合いができるようになるのだ。

 しかし日本の家屋は万能ではない。海外の人たちと交流があるようだと、日本の客間に呼ぶことはできても、そこに宿泊させるのは無理があるのだ。ベッドで寝起きしている人に布団を使わせ、しかも狭い部屋の中で何人も寝かせるというのは問題があるのだ。

 海外の人を友人とする場合、その国の住宅事情を良く調べておくことだ。その国の人たちは客人をどのように接待しているのかを調べ、自宅もそれなりに改築しておくべきなのである。自分がその海外の友人の自宅に泊めて貰ったのに、その海外の友人が日本に来た時に自宅に泊めなかったら、これほど失礼なことはないのだ。

 欧米では、億万長者であるなら「ゲストハウス」を持つことが主流だ。日本ではお金持ちといってもゲストハウスを持つのは稀だ。こういう所にも累進課税式所得税の悪影響が出ているのだ。日本人が世界各国のお金持ちたちと交流があるからこそ、日本は豊かになっていくのであって、それが愚かな税制のためにできなくなってしまえば、日本人がどんなに一生懸命に働いても貧乏になっていってしまうものなのである。

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イギリス式節約生活 ~人生で一番大切な物は全部タダ!~

●外国人妻の特権

 外国人女性が日本人男性と結婚した場合、言語の違いや生活の違いなどで苦労することはあっても、自分が日本人男性と結婚できたことでそれを遥かに上回る利益を得るものだ。国際結婚は自国で自国民の男性と結婚するよりは利益が大きいと思うからこそやるものなのである。

 外国人妻が日本人男性との結婚を巧く成功させれば、何冊もの本を書き上げることができるものなのである。

①生い立ち、来日、日本での仕事

②日本人男性との結婚秘話

③祖国の生活の紹介、日本での生活の紹介

④語学関連

⑤両国の歴史や文学の違い

大雑把に見ても、この五作品を作れてしまうものなのである。この五作品は外国人妻が今に至るまで経験しまくったことなので、いざ自分がこれらのことについて書こうと思えば簡単に書けてしまうものなのである。

 しかし外国人妻が本を書く時に最大の問題点となるのが、「語学力」なのである。外国人妻は一応日本語を喋ることができる。だがその日本語が流暢かといえば、そこまで辿り着く人は少ないのだ。しかも日本語の文章を書くとなると、更に高度な語学力を必要とするので、外国人妻だからといって誰もが本を書いている訳がないのだ。

 外国人妻が本を書く場合、恐らく育児がひと段落ついた頃であろう。少なくとも日本に来てから10年以上は経っている筈だ。「来日してから今までの間、きちんと日本語を学んできたか?」が問われてしまうのである。それだけでなく、「外国人妻として考えるべきことをきちんと考えて来たか?」も問われているのである。

 尤も外国人妻が本を書く場合、必ず夫が手助けしてくれるので、名義上は外国人妻が書いたことになっているが、事実上は「夫婦の共著」なのである。ということは、「その夫婦の夫婦愛が本物であったのかどうか?」も問われて来るのだ。これは結構怖いことなのだ。

●豊かな日本の無駄遣い

 今回紹介するのはこの本!

 アリスン・デバイン著『お金がなくても幸せになれる イギリス節約生活』(光文社)

   イギリス節約生活―お金がなくても幸せになれる (カッパ・ブックス)

 アリスン・デバインはイギリスの労働者階級出身である。彼女が育った時期のイギリスはイギリス病に罹って不景気の連続であったのである。このため不景気が当たり前なのであって、イギリス式節約生活を自分の母親から仕込まれただけでなく、自らの率先して節約に努めたのである。

 そのようなアリスンが英語教師として日本にやってきたのが、当時の日本は経済繁栄を謳歌しており、非常に豊かだった。豊かであることは素晴らしい。しかし豊かだからこそ、日本のムダ遣いが非常に気になって仕様がないのである。

 スーパーやコンビニに行けば必ずビニール袋が付いて来る。歯を磨く時は水を出しっ放しにする。コピー用紙を無駄に使っている。自動販売機が至る所にある。日本では当たり前かもしれないが、不景気のイギリスで育ったアリスンにしてみれば、こんな無駄なことはないと思ってしまうのだ。

 この無駄遣いは日本の景気がいい時にはなんの問題にもならない。寧ろ経済成長をより促進させるものであろう。しかし日本が不景気になると、日本人はこの無駄が足枷になって、なかなか景気を回復させることができないということになってしまうのだ。無駄なことをやっている分、無駄にお金を使っているのであって、新規の産業のために資金を回せなくなってしまうのだ。

 日本人の俺が弁護させて貰うと、アリスンが指摘していることは、日本人の生活というより、アメリカナイズされた生活なのであって、日本人がこういう無駄をするようになったのは、戦後に入ってからなのである。戦前の女性たちは買い物に行く際、買い物籠を持って買い物に出かけたものなのである。

 日本のように資源のない国では、アメリカ人たちがやっている生活様式を真似ることはできないのだ。マクドナルドのハンバーガーを1個食べれば、地球が悲鳴を上げているものなのである。ああいう使い捨ての文化は資源が豊富にあるアメリカ合衆国だから出来ることなのであって、日本がそれと同じことをやってはならないのだ。

●家事は効率良く

 俺は最初、この本を読んだ時、「イギリス人女性から家事のあれこれを聞きたくない」と思っていた。なぜならイギリス人女性の家事の下手糞さはイギリス人男性すら嘆くものなのである。しかしこの本を読んでみると、イギリス人女性はそれなりに家事をきちんとこなしているのである。

 イギリスの労働者階級では、曜日ごとにやるべき家事が決まっている。

 日曜日は休息の日。

 月曜日は洗濯の日。

 火曜日と水曜日と木曜日は家事を最低限しか行わない。

 金曜日は遊びに出掛ける日。

 土曜日は買い物に出掛ける日。

 これを見て思ったのは。イギリス人の生活はドイツ人の生活に似ているということである。決してラテン型の民族の生活様式ではないのだ。それもその筈、アングロサクソンは元々ドイツの地に居たのであり、そこからブリテン島に渡ったのである。だから生活様式が非常に似ているのだ。

 しかしドイツ人の生活様式に比べると随分と杜撰である。ドイツ人女性はもっと家事をしっかりとこなすのだが、イギリス人女性は家事を大してこなさない。この差は食事の違いにあるのであって、イギリスの食事は物凄く質素なのだ。ドイツ人たちは食事をしっかりと大量に食うので、それでこの差が出て来るのである。

 労働者階級だと夫婦共働きになる。そこで家事は効率良く行うことになる。家事を効率良く行えば、お金と時間の節約に繋がるのだ。そもそもイギリス人女性が担当しなければならない家事の量は少ないのだから、これを効率良く行えば、どうやったとしても短時間で終わってしまうのである。

 家計の管理はイギリスでも妻の役目なのだが、家計簿をつけるだけでなく、予算表を立てた上でお金を使うのである。貯金は10%で、万一の備えに10%。ということは、収入の80%で生活していくので、これでは節約が可能だし、資産もしっかりと貯まって行くことになるのだ。幾ら貧乏であっても、貯金をしないとよりいっそう貧乏になってしまい、貧乏から抜け出せなくなってしまうのである。

●人生で一番大切な物はみんなタダ

 イギリス人は「幸せは七つの要素でできている」と考えている。しかもこれらの要素は全部タダなのであって、お金があろうがなかろうが手に入ってしまうものなのである。

「愛」

「友情」

「笑い」

「同情」

人生の目的」

心の平安」

歓び」

 「愛」が筆頭に来るが、愛だけでないのがイギリス人らしい。これがアメリカ人ならキリスト教が強いので愛だけで処理してしまおうとするのだ。しかしそれだと幸せには辿りつけないのである。愛だけで満足できるほど、人間の心は簡単ではないのだ。

 愛があれば友情ができ、友達がいればそこには笑いがある。自分が傷つけば同情してくれる。愛を唱えたとしても、友人がいなかったり、笑いがなかったり、同情されないという人は幾らでもいるものなのだ。友情こそが愛を現実的にさせるものなのである。

 「人生の目的」がなければ人生はどうやっても空回りしてしまう。「心の平安」がないと欲求不満を持ってしまい、自分の欲望が暴走してしまう。自分の人生に歓喜していないと、これまたおかしな方向に走ってしまう。人間は心の内面の充実が必要なのであって、これを疎かにしていると幸せにはなれないのだ。

 幸せはなんであるかを問うていないと、幸せはお金で買えると勘違いしてしまうものだ。人生で一番大切な物はみんなタダなのであって、お金では幸せを買えないのだ。お金で買える物は非常に限定されているものなのである。ところが日本のような経済大国になってしまうと、この当たり前の事実が解らなくなってしまい、それで迷走し始めてしまうのである。

●イギリスの底力

 この本に対して驚くべきことは、こんな出来のいい本を書いたのは労働者階級出身の女性であるということだ。アリスンの父親は週給で働く労働者なのであって、日本で言うなら派遣労働者だと思えばいい。そのような父親の下に生まれた女性はこんなにもレベルが高いのである。

 こんな素敵な女性がイギリスの労働者階級では当たり前のように存在しているのである。俺は「イギリスの底力」を感じてしまった。労働者階級でこのレベルなら、階級が上がったのなら、より素晴らしい人たちがいるということなのである。

 日本でなら大学を出たとしてもフェミニズムに洗脳されてしまうような女性たちが大量に出て来てしまうものだ。それだけ民度が低いということなのである。収入が少なくても生活を豊かにさせる方法は幾らでもあるのであって、それに気付かなければ何をやっても無意味なのである。

 日本とイギリスは言葉も違うし文化も違う。しかし俺はこの本を思いっきり楽しく読めた。やはり日本とイギリスは同じ島国であり、立憲君主制の国であるので、共通する物が多々あるものなのである。日本とイギリスの友好は絶対に強化すべきなのである。

 イギリスは階級社会だから、「貴族階級」「中産階級」「労働者階級」の三つの階級と満遍なく付き合っておいて、巧くルートを確保しておくべきなのである。そういう用心深さがあると、日本の外交はもっと出来のいいものになるのだ。今のようにアメリカ合衆国一辺倒では誰がどうやっても日本の外交は巧く行かないものなのである。

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英語を話したければ、まずはこのイギリス人女性の本を読んで!

●大半の日本人が英語を話せない理由

 日本人は中学高校と6年間も英語の勉強をやって英語で英語を話す外国人と会話することが不可能のだが、文部科学省はこのことを問題視し、小学校から英語教育を開始するよう決定した。高校を卒業するまで、合計12年間も英語を勉強することになるのだが、恐らく結果は依然と大して変わらないことであろう。

①生活に於いて英語を必要ないから

 なんでそんなに長く教育を受けても英語を話すことができないのかといえば、日本人の大半は英語を使わなくても生活できるからなのである。必要ないからこそ学校で幾ら学んでも使わないのである。このことを日本政府は知らなさすぎるのだ。英語を使う必要性のある人たちに英語教育を施せばいいものを、英語を使う必要性のない人たちに必死になって英語教育をやっているからこそ、英語教育の効果が上がってこないのである。

②学校での英語教育が悪すぎる

 第二の理由は学校での英語教育が悪すぎるということだ。日本人は文化レベルの高い国民である。それなのに英語の教科書が余りにも酷過ぎるのだ。これでは生徒たちが英語に見向きもしなくなるのは当然のことなのである。英語の教科書は日本人用にもっとレベルを高くして作るべきなのである。

 学校での英語教育に於いて最大の問題点は、「英語をきちんと話せない人が英語教師になっている」ということなのである。日本人が英語教師になるなら、大学で英語を勉強しただけではなく、英語を母国語とする国に1年間以上留学して、きちんとした英語を話せるようになってから、学校で英語教師になるべきなのである。そういうことをせずに英語教師を雇ってしまうからこそ、英語教育の成果が上がって来ないのである。

③アメリカ英語が訛っていることを解っていない

 第三の理由は「英語教師たちは本物の英語と偽物の英語の区別が解っていない」ということなのである。英語はイングランドで生まれた物であり、イギリス国内でさえ、ウェールズ訛りやスコットランド訛りがあるのだ。これが国外ともなればより大きく訛り、アメリカ合衆国で使われている英語は英語といってもアメリカ訛りが非常に強いものなのであって、通常、「アメリカ英語」と読んで、本物の英語とは分けて考えているのである。

 もしも外国人が日本語を学ぶ際、日本語として訛りの強い沖縄弁を学んでも、日本全国でその言葉を使えないように、日本人が英語を学ぶ際に、訛りの強いアメリカ英語を学んでも、なかなか英語として使えないのである。日本人のように英語と無縁の生活を送っている者は、まずはイングランドで使用されている本物の英語を習得すべきであって、その後、訛りのあるアメリカ英語を習得すればいいのである。

●外国語の学習は聞くことから始まる

 今回紹介するのはこの本!

 アリスン・デバイン著『日本で一番親切な英語学習法』(光文社)

  日本でいちばん親切な英語学習法

 英語を勉強して英語を話せるようになりたいのなら、絶対にこの本を読んで欲しい。このアリスンはイギリス出身で、マンチェスター大学言語学科卒業。日本には英語教師として来日し、日本の学校で英語を教えた経験を持つ。こう言う経歴のある彼女だからこそ、英語教育について正しいことが言えるのである。

 アリスンは語学教育の基本を、

 <聞く>→<話す>→<読む>→<書く>

という順番にあるということを喝破する。これは人間の成長から見れば当然のことなのだが、語学教育は人間が母国語を習得すると同じ遣り方で外国語を習得させるのである。

 日本の英語l教育の一体何が根本的に間違っているのかといえば、英語を聞くこともできず、話すこともできないのに、行き成り英語の文章を読んで、英語の文章を書こうとするからなのである。これでは英語を習得することが不可能になってしまうのである。

 アリスンは英語を習得したいのなら、Background Noise(BGN)が流れる環境を作り、とにかく英語をいつでも何気なく聞ける状態にすることを勧めている。。BGNは英語の音楽やニュースを付けっ放し、別にそれを積極的に聞かなくても聞こえてしまうようにするのだ。

 これは非常に良く解るのだが、俺の場合、中高生の頃は英語のロックを聞きまくり、BBCのニュースを良く見ていたのだが、最初は勿論英語を聞き取れない。しかし或る日突然に英語を聞き取れるようになったのである。しかも英語を日本語に翻訳して理解したのでてはなく、英語を英語のまま理解することができてしまったのである。

 このBGNは最低でも三ヵ月間はやって欲しい。三ヵ月間も英語漬けにしてしまえば必ず英語を英語のまま聞き取れるようになるし、英語のまま理解できるようになるのだ。翻訳するという作業は後でいいのである。日本の英語教師たちは英語を日本語に翻訳しようとするからこそ、英語をいつまで経っても聞き取れないのである。

●英語を話したければネイティブに訊け

 英語を聞き取るだけなら、別に英語教師は要らないのである。英語教師が必要になってくるのは、英語を話す段階に入ってからなのである。英語は完璧な言語ではない。それどころか欠点の多い言語であって、特に英語の表記と英語の発音が違っているのである。だから英語を綴り通りに読んでも、英語を話したことにはならないのだ。その違いを英語教師に教えて貰わなければならないのである。

 英語の発音に於いて最も重要なのが「発音記号」(IPA)である。発音記号が解れば、その英単語をきちんと喋ることができるのである。ところがアメリカ合衆国ではこの発音記号を軽視しているのであって、このためアメリカ人たちは英語の発音が間違っているのである。

 日本が外国から英語教師を調達する場合、基本的に英語の母国であるイギリス人を採用すべきであって、その次にオーストラリアやニュージーランドやカナダといったイギリス連邦に属する人々であって、アメリカ人はできるだけ除外した方がいいのだ。 

 外国出身者を雇う場合、小中高の英語教師は全て女性にすることだ。これは男女の性差に基づくものである。というのは、人間はどこの国家でも、女性の方が生活言語は豊富なのであって、女性から言語を学んでしまった方がその言語の上達は速くなるのだ。男性は学術言語に関して高度な能力を持っているから、大学教員なら男女を問わず受けれ入れていいのである。

 イギリス人女性を英語教師として招いたのなら、出来ればその半数のイギリス人女性を日本人男性と結婚させてしまい、日英友好をより強固な物にするようにすればいいのだ。国際結婚をさせてしまえば、日本とイギリスの間に血縁関係が発生するので、外交で揉めることが少なくなり、それどころか共同歩調を取って、両国の国益を増進させることになるのだ。

 英語が世界共通語になっている現代に於いては、本物の英語を話すイギリス人女性は本当に貴重な存在なのである。アメリカ合衆国は現在覇権国家で圧倒的なパワーを持っているが、言語に関してはイギリスの方が圧倒的パワーを持っているのであり、日本がアメリカ合衆国との関係ばかり重視して、イギリスを軽視するのは、日本にとって得策ではないのだ。

●英語の文章を読む

 英語を話せる段階を過ぎたら、今度は英語の文章を読む段階に入るのだが、日本の英語教育では余りにも酷い英語教材を使っているからこそ、英語の文章を読むのが苦手になってしまうのだ。英語を喋れるようになっているということは、英語の教科書のような物ではダメなのである。

 子供が言葉を喋れるようになった時、まず何を遣り始めるかといえば、絵本を読むことを遣り始める。これは英語教育でも同じなのであって、まずは英語で書かれた絵本を読めばいいのだ。そこをすっ飛ばして「This is a pen],と遣り始めるからこそ、おかしな方向に進んでしまうのだ。

 その次が「文学」であろう。文学は物語が纏まっているので、読んで行けば話が解るようになっているのだ。イギリス文学ではシェイクスピアが最も有名なので、シェイクスピアの作品を読むことをお勧めする。そんなに長くないし、日本語訳の物も出ているので、勉強するには非常に便利なのである。

 文学を読めるようになったら「学術書」であろう。学術書は難解なように見えるけど、その特定された研究分野のことしか出て来ないのだ。例えば経済学なら出て来るのは経済のことだけであって、それ以外のことは出て来ないのだ。だから慣れてしまえば逆に簡単な物なのである。

 イギリスでもイングランドは未だに国教制で、イギリス国教会が宗教界を支配しているのだ。このため英語訳の『聖書」を読んだり、イギリス国教会の歴史や制度を知らないと、英語を本当に理解したことにならないのだ。日本では国教制がなかったために、イマイチ国教というものが解らないのだが、国教制があるということは、それだけキリスト教がしっかりと浸透したということなのである。

 文学や学術書や宗教書などは勉強すればやはり疲労が発生する。そこでリラックスしたいのなら英語の「雑誌」を読むようにすることだ。雑誌は自分の好きな物であればなんでもいい。自分の好きな雑誌を使って、そこに書かれてある英語の文章を読めば、遊びながら勉強できるのである。

 英語を勉強する際に、英語の「新聞」を読むのはお勧めしない。というのは新聞はどこ国でも情報の垂れ流しなのであって、自分が勉強で読んだ所で大したことは書かれていないのだ。英語の新聞は英語の文章が読めるようになれば自然と読めるようになるので、わざわざ勉強の時間を使って勉強することはないのだ。

●英語の文章を書く

 英語の文章を読めるようになったら英語の文章を書くという段階に入るのだが、その際に気をつけるべきは、英語の文章と日本語の文章では文法が違うために、文章の書き方がまるで違うということなのである。英語では重要な単語は必ず前方に来るので、日本語の文章のような書き方で英語の文章を書いても、相手には伝わらないのだ。

 英語の文章を書けるか否かは、英単語をどれだけ知っているかにかかっているのであって、ここで英単語を暗記する必要性が出て来るのだ。学校の英語教育で生徒たちが苦しくなってしまうのは、英語を聞くことも喋ることも読むこともできないのに、英単語を覚えることを強制されてしまうからなのである。これは教え方が間違っているのであって、生徒たちの頭が悪いのではないのだ。

 英単語を覚えて行く際、英語にはフレーズがあるのであって、このフレーズを暗記していかないとどうにもならないということなのである。フレーズというのは、会話していればなんとなく解るものなのであって、フレーズだけを取り出してしまうと、なんでこういう言い方をするのと疑問に思ってしまうものなのである。

 フレーズが解って来ると文法というものが非常に良く解るようになるのだ。文法は本当に魔法のような物で、どんなに難解な文章でも文法が解っていると読めてしまうし、自分が大して英語を喋ることができなくても、巧い英語の文章が書けてしまうのである。文法の勉強は時間がかかるので、時間をじっくりとかけてやった方がいい。

 英語の文章が或る程度書けるようになると、必ず「最後の関門」にぶつかることになる。それは文章には個人の癖というものがあるのであって、ネイティブの人に添削して貰っても、必ずしも良いのではないということだ。発音に関してはネイティブの人が言った通りのことを話すべきだが、文章に関してはそうではないということを絶対に覚えていた方がいい。ここで躓いていてしまうと、結局、英語を流暢に話せるだけで、英語の文章を巧く書けなくなってしまうからだ。

●いい加減に「英語」ではなく「イングランド語」にしない?

 日本人が英語を苦手としてしまう最大の要因が「英語」という言葉自体にあると俺は思っている。英語と聞けば、英語は「英明なる言語」だと勘違いしてしまうのだ。英語を英明なる言語だと思っているからこそ、英語を喋ることができなくなってしまうのは、

 英語は高度な思考を展開するのが不得手な言語である。英語はヨーロッパ言語の中で最も堕落した言語なのであって、言語として正確さを欠くのである。英語学者に言わせると、「英語を散々に勉強してきたが、英語で書かれた本で良い本は余りない」ということなのである。英語自体がポンコツだから、どうしてもこうなってしまうのである。

 日本は江戸時代に鎖国したために、西欧の発展から大いに遅れてしまたっためた。そのため当時の知識人たちはイギリスに「英吉利」と良い漢字を使って表現して、それでイギリスの言語に「英語」と名付けてしまったのである。これが失敗の大本なのである。

 英語はイギリスの言語であり、イギリスの中でもイングランド地方に言語なのである。だから「イングランド語」とすべきであって、英語という表記を廃止すべきなのである。「English」を「英語」と翻訳している限り、イングランドの言語に正しく向き合える事は決してないのだ。

 冷静に考えてみれば、日本とイギリスは同じ島国であり、両国との立憲君主制を頂いている国家なのである。共通する物が沢山あるのであって、無闇にイギリスを称賛すべきではないのだ。日本人がイギリスと正しく向き合わない限り、日本人が他の英語を母国語とする国々とも正しく向き合えないのである。

●外国語の勉強に遅すぎることはない

 外国語の勉強に遅すぎることはないということだ。日本政府は英語教育を早くにやった方がいいとして、小学一年生から英語教育を始めたが、こういうことをやってしまうと、母国語がきちんとできなくなってしまうという危険性が生じて来るのだ。

 このアリスンにしても、高校生までは母国語である英語をしっかりと学んできたのであって、外国語はそれ以降に学んだのである。イギリス人が他の国民と比べて比較的に正しい外国語を喋るのは、母国語である英語を大事にしているからなのである。

 日本だって母国語である日本語を大事にしていかないと、外国語を正しく喋ることができなくなってしまうのだ。日本で外国語を喋れる人たちを増やしたいのなら、高校までは日本語オンリーにしてしまい、大学から外国語を学べるようにすればいいのだ。寧ろ、日本政府が無理矢理に英語教育を推進しているからこそ、「英語恐怖症」になってしまった日本人の方が割合としては圧倒的に多いのである。

 外国語の勉強は脳を活性化する。普段使っていない脳の部分を使うことになるからだ。だから年を取って物忘れが出て来たのなら、ボケ防止のために外国語を勉強すると言うのは実に効果があることなのである。さすがに若い時よりは外国語の習得に時間がかかるが、それでも最終的に喋ることができてしまうのである。

 但し、外国語の筆頭はどう考えても英語なのであって、英語を勉強する前に、他の外国語の勉強をするなということなのである。韓国のドラマがブームになったかといって韓国語を勉強したり、中国との貿易が盛んになったからといって中国語を勉強することは本当にバカげたことなのである。韓国も中国も英語さえ喋ることができれば、意思疎通ができてしまうものなのである。

 もう一つ付け加えておくが、外国語でジョークが言えるようになったら一人前なのであるということなのだ。英語を喋る日本人で気になるのが、英語を流暢に喋ることができても、冗談一つ言わないことだ。これではネイティブの人たちと友情を温めて行くことはできないのであって、どうしても表面的な付き合いしかできなくなってしまうのだ。外国語というのは飽くまでも手段なのであって、喋ること自体を目的にしてしまわないことだ。

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バカな人ほど早くに結論を出したがる

●1万時間の法則

 どんな職業であっても、その職業のトップレベルに辿り着くためには「1万時間の修行」を必要とする。1万時間もの修行をしたからこそ、やっと実力がついて、その仕事をきちんとこなしていくことができるのである。逆に言えば1万時間に達しなければ、どんなに取り繕ってもダメだということなのである。

 1日の内、高い集中力を持って取り組めるのは最大で6時間だ。訓練されていないと2時間か3時間でもう集中力が切れてしまうのだ。1万時間の修行が必要だからといって、1日の労働時間を増やせばいいってものではない。大事なことは1日の内、最大6時間しか集中できない以上、出来る限り集中して仕事をこなして行くことなのである。

 だから仕事で一人前になるには、最速で5年間であって、最長で10年間である。それぐらい時間がかかるものなのである。若い時は体力が充分にあるのだから、週休2日とか取らず、祝祭日も休まず、せっせと働くべきなのである。仕事を休めば休むほど、一人前になる日が遠のいてしまうものなのである。

 ところがバカな人ほど早くに結論を出したがる。それゆえ、どこの職業にも1万時間の法則があるというのに、その1万時間に達する遥か手前で結論を求めようとするのだ。しかしそんなことをやっていれば、どうやったとしても一人前になることができないのだ。

 もしも10年間、同じ仕事をしても一人前になれなかったら、同期の者たちから脱落してしまうのは勿論のこと、自分よりも年下の者たちが追い抜いて行ってしまい、その後、自分はどうやっても追い越すことができなくなってしまうのである。そしてその組織がリストラしようものなら、真っ先のその人物こそ解雇されてしまうのである。

●楽して儲かる仕事はない

 若い時に抱きがちな妄想の1つに、よりによってその妄想はより多くの人たちが持ってしまうのだが、「楽して儲けよう」という妄想があるのだ。この妄想はまだ知恵の足りていない若者には非常に聞き入れ易い妄想なのである。人間は本来「怠け者」だから、楽して儲かるんだったら、それは素晴らしいことではないかと思ってしまうのである。

 しかし「この世には楽して儲かる仕事などない」のだ。如何なる仕事をしたとしても、一人前に達するまでには1万時間かかるのだから、常に努力が必要とされるのである。その努力の大切を痛感していないからこそ、楽して儲けようと間違った考えを持ってしまうのである。

 経済犯罪を幾ら警察が摘発しても、経済犯罪が跡を絶たないのは、「楽して儲けよう」という妄想を持つ人たちがいるからなのである。なんで経済犯罪に警察がわざわざ乗り出していかなければならないのかといえば、経済犯罪を起こすようなビジネスは粗悪な商品や悪質なサービスを出して、消費者たちに一方的な損害を与えるからなのである。

 経済というものは、市場に良質な商品や最善のサービスが流通すればするほど、生産者も消費者も豊かないなるようになっているのだ。それなのに粗悪な商品や悪質なサービスが出回るからこそ、消費者たちが損をしたと騒ぎ出し、警察が動いて処理しなければならなくなるのだ。

 確かにお金は大事だ。収入の多い者の方がこの世では強い力を持つに決まっている。しかしお金を獲得するに至る過程はお金以上に大事なことなのであって、その価値を認めないからこそ、お金さえ得ればいいのだろうと勘違いしてしまうのである。

●自分がすべき仕事をする

 若者が就職したのなら、一人前になるためには1万時間必要だと割り切るべきだし、楽して儲かる仕事はないと理解すべきなのである。仕事を一生懸命になってやっていれば、最短で5年で一人前になれるし、最長でも10年で一人前になれるのだ。結果はすぐさま出て来ないが、結果が出た時にはもう自分が成功者になっているものなのである。

 とにかく自分がすべき仕事をすることだ。自分がすべき仕事は今の自分ができるからこそ与えられたのであって、やればできるのである。やらないからこそ仕事が溜まっていき、その内、身動きが取れなくなってしまうのである。その仕事が如何に単純な仕事であったとしても、仕事は仕事なのだ。自分がその仕事をやらない限り、前には進めないのだ。

 若い時には遊びたいという誘惑がある。しかし仕事をそっちのけで遊んでしまえば、仕事が巧く行かなくなるのは当たり前のことなのだ。その遊びたいという誘惑を早目に断ち切り、仕事に集中して行くべきなのである。仕事に集中していれば、いずれ仕事が楽しくなり、仕事をしながら遊ぶことができてしまうものなのである。

 仕事をしている時に気をつけるべきことは、無駄な情報を仕入れないということだ。仕事をしているというのに、テレビや新聞を見まくっていたら、まともな仕事はできないのだ。テレビや新聞をどんなに見たとしても、そこに出ている情報は自分の仕事とは関係のないものなのであって、そうやって無駄な情報を仕入れれば仕入れるほど、頭の動きも体の動きも鈍くなっていくのだ。

 不思議なことに自分が一生懸命になって仕事をしていると、向こうの方から自分が必要とする情報が飛び込んで来るものなのである。その情報を得るからこそ仕事が更に巧く行き、仕事がいとも簡単に成功して行ってしまうのである。情報なんてそういうものなのであって、大事なことは自分の仕事をすることなのである。

●結果が出始めれば後は楽チン

 仕事をやっていて、結果が出るまでに時間がかかるものなのである。しかし一旦結果が出始めると後は楽チンなのである。結果が出ると次の結果を出すのは物凄く簡単なので、次から次へと結果を出して行くことができるのだ。結果を出すからこそ、自然と競争相手は脱落していき、戦うことなく勝利することができるのである。

 成功者はお金を持っているのだから、今度はそのお金を使って人を雇うことができ、自分がしなくていい仕事を任せてしまい、自分がすべき仕事に集中できるのである。となると生産性は爆発的に向上して、個人で働いている人たちは最早太刀打ちできなくなってしまうのだ。

 若い時に成功者を見て、その成功者は大した努力をしていないように見えるために、「楽して儲けよう」という妄想を抱いてしまうものだが、成功者は努力しまくったからこそ成功し、成功した後は楽をすることができているだけのことなのである。決して努力なくして成功したわけではないのだ。

 物事は「L字曲線」を描くものなのである。仕事をやり始めても長らくは大した変化など起こらないのだ。しかし仕事を遣り続けていると必ず臨界点を突破する時期が来るのであって、臨界点を突破すると一気に急上昇して行くのである。仕事をやる以上、そこまで行けばいいのに、仕事をしても変化がないからといって投げ出してしまうのだ。

 若者は人生の経験値が低いのだから、自分の考えで物事を見てはならないのだ。偉人伝を読むなり、成功者に出会うなどして、自分の狭い考えを破壊して行くべきなのである。自分よりも遥かに凄い人物と出会えば、自分のリミッターが外れ、自分のすべき仕事がはっきりと見えて来るものなのである。

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妖怪<キモ~イ>登場

●他人に言ってはならない言葉

 5年程前であったか、様々なビジネスマンたちのグループが集まって、連合したセミナーをやることになった。その連合したセミナーは人数が多いので資金が豊富なために、優秀な講師を呼ぶことができたので、非常に質の高いセミナーを行うことができた。

 俺はこのセミナーで俺が「この人は凄い」と思える紳士的なビジネスマンに出会えた。手厳しい俺が凄いと言うのだから本当に凄い人で、ビジネスをどう進めていけば成功できるのかということを学ばせて貰った。その男性が普段は大人しいのに、或るセミナーで怒ったことがあった。

 セミナーではセミナーが終わった後に立食パーティーをするのだが、その際に或る若い女性が「キモ~イ」を連発し、事あるごとに「あのオッサン、キモーイ」と言いまくったのである。俺としては「まあ、若いんだから、放置しておけば」と思ったのだが、俺が尊敬する人物はそうではなかった。

 この会合が終わった後、

「あの子をもう二度とこの会に呼なんではならない」

とズバリと言い切ったのである。俺は「そこまで言うか!?」と思ってしまった。というのはこのセミナーは参加者が多いのである。それだけ多くの人たちを集めれば不良品が出て来るのは当たり前のことで、この手の人物は放置しておいた方が無難なのである。

 しかしこのセミナーの主催者はこの苦情を受けても、この若い女性の参加を許し続けたので、俺が尊敬する人物は「だったら俺、やめるわ」と言って、このセミナーを脱退してしまった。俺も彼の脱退の後、去就を強いられ、結局、俺もこのセミナーを脱退することにした。

 因みに俺たちが抜けてからは、このセミナーは全然盛り上がらず、セミナーの質が下がり、参加者たちも減少していったので、遂にはこのセミナー自体が崩壊してしまったのである。セミナーの主催者がたった1人の女性を切り捨てることができなかったために、セミナー自体を潰してしまったのである。

●それって「拒絶の言葉」だったんだ~

 俺はこの事件を長らく疑問に思っていたのだが、つい最近、「キモ~イ」を連発する若い女性に出会ったしまった。丁度いい機会であったので、俺はその若い女性をマジマジと観察させて貰った。その若い女性は多分大学生だと思うので、仕事をしていないために、観察が非常に遣り易かった。

 俺はこの妖怪<キモ~イ>を観察して、あの俺が尊敬する人物がなぜあれほどまぜに怒ったのか、その理由が解った。それはこの手の女性はただ単に気持ち悪いから「キモ~イ」なる言葉を連発しているのではなく、

「拒絶の言葉」

として、その言葉を連発していたのである。「キモ~イ」という言葉を連発している人は何もかも拒絶して来るので、どうやったとしても成長しようがないのである。

 セミナーでは参加者たちが成長してこそ意味があるのだ。もしもそこに成長しない人物が入って来てしまえば、セミナーをやる意味がなくなってしまうのだ。事実、妖怪<キモ~イ>をセミナーに参加させてからは、そのセミナー自体がダメになっていってしまったのである。

 ビジネスであるなら、その言葉がどんなに流行していても、使ってはならない言葉というものがある。例えば「ウッソー」とか「え~ッ」とかだ。「キモ~イ」もこれに含まれる。これらの言葉は全部テレビ発の言葉なのだが、テレビで使われているからといって、ビジネスの場で使っていいとは限らないのだ。

 妖怪<キモ~イ>にしても、若いからテレビを良く見ていたのだろう。テレビ中毒だからこそ、精神は幼児レベルで、大人たちとまともな交流ができないのである。ビジネスが巧く行き出すと、テレビを見る時間が思いっきり減少するというのに、テレビを見まくっているからこそ、仕事が巧く行かず、貧乏で居続けてしまうのである。

●異質な物を取り入れるからこそ成功する

 ビジネスでは異質な物を取り入れるからこそ成功するのである。ビジネスはどんな職種であったとしても、99%以上は前日の作業の繰り返しなのである。こんなことを毎日やっていたのなら、創造的なことなど出来なくなってしまうのは当たり前のことなのである。

 だから仕事をしながら、どんどん異質な物を取り入れていくのである。新聞や雑誌で情報を得たり、読書をして思考力を鍛えたり、セミナーに参加して自分を刺激させなければならないのだ。ビジネスをやっているのなら、こういったことを常に遣り続けなければならないのであって、こういうことをやらなくなると、もうダメになってしまうのだ。

 自分を発展させるためには自分とはまるで違う人と会った方がいい。そういう人物は自分にとって異質だから、自分はその人物から刺激を受けて学ぶべきことが沢山あるのだ。セミナーのような物では、1つの業種よりも、異業種が集まってやった方が良いわけだ。

 しかしなんでも入れればいいというのではなく、発展できなくなってしまうような人物を入れてはならない。矛盾するようかもしれないが、発展できなくなってしまうような人物を入れてしまえば、組織そのものがダメになっていってしまうからだ。

 俺が尊敬する人物は妖怪<キモ~イ>を一目見て、そのことに感づいたのである。ところがセミナーの主催者は妖怪<キモ~イ>が若い女性だったために許してしまい、そのためにセミナーが崩壊してしまったのである。門戸は開放すべきなのだが、組織にとって危険人物は如何なる理由があっても除去しなければならないのだ。

●共通な物を探す

 ビジネスでは異質な人たちと出会った方がいいのだが、その際、自分と他人との違いを強調していては、友情を育むことができなくなってしまうのだ。この世に自分と同じ者は誰一人として存在しない以上、自分と他人の違いを強調していては如何なる人に対しても友情を作ることができなくなってしまうのだ。

 ビジネスで確実に失敗する人は、相手との違いを探すことばっかりやっているのである。折角、セミナーで知り合ったというのに、何かしらの違いを見つけ出し、海外旅行に行こうものなら日本と現地の違いを見つけ出して来るのだ。これではその違いを見せつけられた人が引いてしまうのは当然のことなのである。

 他人と仲良くするためにはとにかく共通する物を見つけてしまうことなのである。食べ物でもいいし、趣味でもいいし、好きな本でもいいし、そういう自分と他人の共通する物を見つけ出してしまえば、相手は安心して心を開き仲良くなってしまうのだ。

 だから妖怪<キモ~イ>みたいに、自分にとって気に食わないからといって他人を拒絶してしまえば、その人だけを拒絶しているのではなく、こういう人は他の場所でも他人を拒絶しているので、結局、誰一人としてまともな友情を育むことができなくなってしまうのだ。

 人間というのは他人と共通する物があればその他人を愛することができるし、そうやって他人は自分のことを愛してくれたのなら、その愛に見合う行動を取るものなのである。しかし他人と共通する物を探さず、相手に無礼な事を言えば、相手は怒り、報復措置を取ってその恨みを晴らそうとするのだ。

●ビジネスは違いを、人間関係は共通項を!

 ビジネスで成功したいのなら、とにかく「違い」を探し出すことだ。その違いこそがビジネスチャンスになるのだ。世間の人たちは普通の商品など買おうとはしないのである、他の商品とは違いがあるからこそ、その商品に価値を見出して買うのである。

 そうやってビジネスを進めて行く一方で、人間関係には共通項を求めていかなければならないのだ。共通項があれば友人が増えて行くから、それで人脈が広がって行くのである。ビジネスを成功させるためにも人脈を拡大することは絶対に欠かせないのだ。

 統計によると、先進国の中で日本は女性の起業率が最低だというのである。俺に言わせればそれは当たり前なのである。日本の女性たちは言葉遣い1つきちんとできない人たちが多いのだから、いざビジネスを始めても叩き潰されてしまうのがオチなのである。

 日本国民は若い女性たちを甘やかしすぎたのではないか?

俺にはそう思えて仕方ない。考えてみれば、初対面なのに、相手の男性に「キモ~イ」を連発するなんて無礼の極みなのである。しかしその女性は女子大学生なのだから、その親はどういう育てた方をしたのか全く理解できない。

 この世の中で生きて行くためには、「立場の互換性」ということを絶対に忘れてはダメだ。どんな相手であったとしても、相手の立場に立って考えることだ。自分の考えだけを押し通してはならないのだ。男の俺にだって、5年前には解らなかったことが、その5年後には理解できるようになったこともあるくらいなのだから。

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子供が親から離れて行く時に読ませる絵本

●子供の変化に戸惑う母親たち

 母親が育児や子育てをしていれば、或る時期に子供が急激な変化を成し遂げ、それに対して母親が戸惑ってしまう時がある。子供の成長は速いものなのであって、母親のようにゆっくりと成長していくわけではないのだ。そこの所を理解していないと、育児や子育てで深刻なトラブルが発生してしまうのだ。

 年齢的に言うと、

5歳

13歳

19歳

の三ヵ所である。人間の脳は5歳から6歳の間に脳の臨界点を迎えるので、実を言うとこの時期の子供の脳のシナプス量は母親の脳のシナプス量よりも多いのだ。このため4歳までなら本当に幼児でいたのに、5歳を超えると幼児であるのに、大人びた事を言ってのけるのである。

 13歳になると男の子なら男性ホルモンが、女の子なら女性ホルモンが増え始めるので、どうしても己の性別を強調するようになる。この時期はもう子供ではなくなってしまう時期なのだが、母親の方としては13年間も子供の姿を見て来たので、その変化に付いていけないのだ。

 19歳は男女ともに成長のピークである。この時期は体力が最も高いレベルになっているので、母親ですらもう適わないのだ。この時期までに家から追い出して、自立していくチャンスを与えないと、その子は自立する機会を失ってしまうのだ。

 母親は我が子を育てていくためには、我が子を従属させなければならない。自立というのは19歳以前には絶対に起こらないのが人間なのである。それを踏まえて育てるべきであって、或る程度成長してきたのなら、或る部分は手放していくということをやるべきなのである。そうしないと子供の成長による変化に対応できなくなってしまうのだ。

●12の贈り物プラス1?

 今回紹介する本はこの本!

 シャーリーン・コスタンゾ著『12の贈り物』(ポプラ社)

  12の贈り物

 シャーリーンには2人の子供がいるのだが、子供を育てて行く過程で道徳の大切さを知り、この本を書き、子供たちに道徳の大切さを教えていたのである。そして我が子が巣立って行く時に、

「更に多くの子供たちへ、愛と希望のメッセージを伝えたい!」

と思い立ち、この本を自費出版したのである。その自費出版の本が18ヵ月の間になんと30万人もの人たちに行き渡り、遂にはアメリカの出版社が動いて、この本が出版社から出版されて、異例のベストセラーになったのである。

 シャーリーンが考えた12個の徳目というのは、

「力」

「美しさ」

「勇気」

「信じる心」

「希望」

「喜び」

「才能」

「想像力」

「敬う心」

「知恵」

「愛」

「誠実」

である。俺がこの本を読んで思ったのは、ベンジャミン・フランクリンの「13徳目」である。アメリカ合衆国には儒教の影響というものがないために、どうしても道徳を自分の力で作り上げなければならないのである。こういうのは道徳とは言わないのだが、普遍的な道徳ではなく、個別的な倫理という物を思いついてしまうのである。

 シャーリーンはセント・ボナベンチュア大学で哲学を学んだのだが、当然にベンジャミン・フランクリンのことを知っているし、それを踏まえて自分の12の徳目を考えた筈だ。となると、徳目は12個ではなく、13個になる。案の定、この『12の贈り物』は題名とは違って、もう1個徳目が出て来る。

 それはなんと、

「自分自身」!

いかにもアメリカらしいオチなのだが、これでは道徳にならない。道徳というのは「人の踏み行うべき正しい道」なのであって、道徳自体には自分自身を入れてはならないのだ。実に変な道徳なのだが、このヘンテコさが余り表立たないのは、この本は母親が子供に読み聞かせた物だからであろう。

 ついでに指摘しておくと、アメリカ合衆国の書籍の中には、原題が内容と違うという本がかなりある。これは『オズの魔法使い』の影響だと思う。『オズの魔法使い』はアメリカ合衆国の子供なら誰でも読む本なのだが、この本は題名と内容が違うのだ。読めば解るが、オズは魔法使いではなく、ペテン師なのである。子供の頃に悪書を読んでしまうと、大人になってからこういう悪影響が出て来るのである。

●最も大事なのは自分自身?

 この本は多少内容に問題があったとしても良い本である。この本は道徳書として書かれた物なのではなく、母親が我が子のためを思って書いた本なのであり、その点が解っていれば、この本は良い本だと認定できるのである。これ以降の話は、この本が良い本だと認定した上での批判である。

 この本は我が子が成長し、親の手から離れて行く時にこそ贈るべき本であろう。だから、5歳か13歳か19歳という重要な時期に贈ればいい。しかしこの本を贈り、我が子に読ませて、

「この本を読んでお前はどう思う?」

と母親が訊けば、

「最も大事なのは〈自分自身〉!」

と子供の方は答えてきてしまうのだ。この本はそう解釈せざるを得ないのだ。

 シャーリーンが打ち出した12個の徳目はどれも素晴らしい。だがシャーリーンは最後に余計な物を出してしまったのであり、だからこの本を読んだ人は道徳的なことを教えられながら、道徳とは無縁の存在になってしまうのである。教え方が拙いとしか言いようがないのだ。

 確かに自分の命は大事である。しかしそれを至高の存在にしてはならないのだ。人間の命というものは、自分自身を空しくさせるからこそ発展していけるのである。自分自身こそが最も大事だと思ってしまえば、成長する余地がなくなってしまい、道徳というものがなくなってしまうのである。

 シャーリーンは子供を2人しか生み育てていないから、子供が巣立つまで「死の結界」が張られ続けたのである。それゆえこういう間違ったことを教えてしまうのである。母親として一人前になっていないことが、子供に大事なことを教える時に思いっきりボロを出してしまうのである。

●子供に大切なことを伝えたいなら絞り込め

 親が子供に何か大事なことを伝えたい時、あれこれ言ってはならないのだ。親は子供のことを思ってあれこれ言うものなのだが、子供の方はそんなに多く言われても、覚えることも、実践することができないからだ。子供に大切なことを伝えたいのなら絞り込むしかないのだ。

 俺がこの本を読み終わった時、俺ならどういうことを言うか悩んだ。俺が得た結論は、もしも大事なことが1つなら、

「理想を持った合理主義」

ということを教える。人間は理想を持たねばならないのであって、理想がないのなら何をやっても成長しない。しかし理想を持って成長していくためには合理主義というものが必要なのであって、合理性のないようなことはすべきではないのだ。

 もしも大事なことが3つなら、

「愛」「厳」「夢」

の3つを教える。人間は人を愛すべきであって、神が選んだ相手なら、自分のことのように愛さなければならないのだ。それと同時に厳しさをも持つべきであって、正しく考え、正しい行動を起こし、正しい結果を出して行かなければならないのだ。そして愛や厳しさは夢があってこそ真っ当なものになるのであって、愛や厳しさだけを引っ張り出してはならないのだ。

 シャーリーンの意見で感心できるのは、最も大事な物は「愛」とは言わなかったことだ。キリスト教徒なら大方、「愛こそが最も大事」と言ってしまうものなのである。だがこの世では愛で苦しんでいる人たちが無数にいるのである。愛だけを引っ張り出す危険性に気付いていないからこそ、悲劇がやまないのである。

 親が我が子に大事なことを教えないと、子供の方は「お金」を最も大事なものだと思うようになってしまう。お金というものは絶対に人生の中で最も大事な物ではない。お金を最も大事だと思うと、お金を追いかけるだけの人生を送ってしまうので、自分が老人になった時、自分が本当にしたいことを何もしていなかったということになってしまうのである。

●誤訳問題

 この『12の贈り物』の原典はそれはそれで良い筈である。ところが日本語版の『12の贈り物』には誤訳問題があるのだ。

原典の題名は、

『The Twelve Gifts of Birth』

である。これを直訳するなら、

『誕生時に於ける12個の贈り物』

である。

  ところが日本語版の題名は、

『12の贈り物』

になっているのだ。『12の贈り物』では「誕生」という単語が抜けているのだ。この「誕生」という単語こそが最も大事なのに、翻訳者の黒井健は省いてしまっているのだ。この12の贈り物は誕生した瞬間に得られる物であり、誕生という言葉を絶対に抜いてはならないのだ。

 この本の題名の正しい訳は、

『12個の誕生ギフト』

であろう。誕生ギフトを生誕ギフトにしても構わない。英語を日本語に翻訳する時、ただ英語ができればいいというだけではなく、日本語もしっかりとできなければならないのだ。日本語のことをきちんと理解していないと、翻訳の際に大事な言葉を平気で落としてしまったりするのである。

 翻訳者の黒井健は題名がこの有様だから、本の中身も正しい翻訳をしていない。原文と日本語訳文がかなり違っているのだ。日本語訳の文章自体はそんなに間違っているのではないのだ。しかし「シャーリーンの心意気が全然伝わってこないのだ!」。

 シャーリーンは自分の出産に感動し、その子供たちが健全に育って欲しいと思ったからこそ、この本を書いたのである。その感動が伝わって来なければ、どんなに巧い翻訳をしたとしてもダメなのである。黒井健の日本語訳が間違っているのではないのだ。これでは優等生の翻訳であり、母親が子供たちに贈るような代物ではなくなってしまうのだ。

 アメリカの本を日本語訳する時、なぜだか日本の翻訳者たちが平気で誤訳してくる。日本は大東亜戦争の時にアメリカ合衆国に敗北してしまったために、こういう翻訳という場所で敗戦コンプレックスが出て来るのである。アメリカの本を日本語訳した本を読む際には注意が必要なのである。

●ポプラ社へのお願い

 この『12の贈り物』は売れていない作品ではないのだ。なんと毎年2回も増刷されている本なのである。だからこそ、この本に注文をつけたいのだ。特にこの本の版元のポプラ社に対して言いたい。

「翻訳者を変えて、新しいバージョンでこの本を出して欲しい」と。

 この本を翻訳していいのは、子供を産み育てている既婚女性だけである。母親だから解ることがあるのであって、それを翻訳した文章できちんと表現して欲しいのだ。出来ることなら英語の原文も載せてしまい、英語文と日本語文を読み比べることができるようにしてもいいのだ。

 この本の絵も、文章を良く理解した上で描いた物ではない。この本に使われている絵はプロの絵本作家が描いているのだからダメな物ではない。しかしシャーリーンが言いたいことをきちんと表現した絵ではないということだけは確かなのである。

 母親が子供を産み育てても、いずれはその我が子を手放す時がやってくる。この本はその時に使用される本なのであって、母親が購入する本の中でも貴重な部類に属する本なのである。この本を贈る母親も、この本を貰った子供も、涙を流すことは確実なのである。

 『12の贈り物』はアメリカ合衆国で学校や病院や刑務所で話題になり、様々な人たちを励ました本なのである。これは当然の現象なのである。これはそれだけの価値がある本だからだ。だったら日本でこの本を翻訳して出す時、もっときちんと考えて出すべきなのである。

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これは大事件! 華原朋美の「人生最後の恋」

●芸名に翻弄された華原朋美

 今年の最大の芸能界ニュースは、「華原朋美が竹田恒泰と恋愛関係に入った」ということである。竹田恒泰は天皇家の血を引く高貴な人物であり、その男が事もあろうことか自殺未遂や薬物中毒を引き起こした華原朋美に惚れ込み、猛烈なアタックした上で交際してしまったというのだ。

 華原朋美は高校三年生の時に芸能事務所アバンギャルドにスカウトされて芸能界入りした。当時の芸名は「三浦彩香」で主にモデルとして活躍した。その後、芸名を「遠峯ありさ」に変えて主にバラエティー番組で活躍した。余り売れないタレントだったが、小室哲哉にその才能を見出され、彼と交際すると同時に「華原朋美」と芸名を変えて歌手デビューすると、一躍大ブレイクし、ミリオンセラーを連発した。

 ところが小室哲哉と破局してしまうと、一気に転落して行き、自殺未遂を起こしたり、貧血で倒れたりして、芸能活動も不調になってしまう。そして遂には無期限休養となり、精神病院に通う羽目になる。精神病院では大量の精神安定剤を処方されれたために、意識が朦朧となって倒れたこともあった。

 なんで華原朋美がこんな波乱万丈の人生を歩んでいるかといと、芸名が悪すぎるのだ。華原朋美という芸名では、一時的に成功することができたとしても、その成功を長らく維持できないのだ。それにそもそもこの芸名は小室哲哉が付けた物なのであって、彼と破局したのならこの芸名を変えないと、どうじてもその失恋を長く引き摺ってしまい、結局、前進することができなくなってしまうのだ。

 華原朋美の本名は、

「下河原朋美」

なのだが、この名前の方が断然に良いのだ。彼女は本来、芸術の世界の中で生きる女性なのである。俺には華原朋美という芸名にした理由が良く理解できない。華原朋美ではどうしても自分の業績がパーになってしまうようになっているからだ。

 なぜ本名が嫌われたかというと、「下河原」という苗字は先祖が「河原乞食」だと解ってしまうからなのである。下河原は河原乞食の中でもより貧乏であった乞食なのである。日本の芸能は河原乞食たちが作ったものなのであって、華原朋美は生まれた当初から芸能界と無縁の存在ではなかったのだ。

   タイトル未定[華原朋美]

●天皇家の血を引く竹田恒泰との恋?

 片や竹田恒泰は皇族の竹田宮恒徳王の孫であり、慶応義塾幼稚舎から慶応大学法学部を出ているので、「筋金入りの慶応ボーイ」である。このことが良く解らない人たちのために教えておくと、慶応大学では慶応義塾幼稚舎から上がって来た人たちだけを「本物の慶応ボーイ」と看做すのである。慶応大学の卒業生たちは非常に差別的なのだが、卒業生たちは外に対して差別するだけでなく、中に対しても差別するのである。

 竹田恒泰は現在、慶応大学大学院で非常勤講師を勤めている。慶応大学の法学部はそんなにレベルの高い学部ではない。第一級の学者は一人もいない。しかしこの慶応大学は日本のお金持ちの子弟たちが集まる大学なのであって、その子弟たちが慶応大学で皇孫から天皇制に関して正しい教育を受ければ、その影響は計り知れないのだ。

 日本のどの大学の法学部の教授たちも、事実上、「共産主義者」と言っても過言ではない。昭和憲法はGHQの内部に潜んでいたアメリカの共産主義者たちによって制作された物なのであって、昭和憲法を研究していれば、自然と共産主義者になってしまうのである。

 竹田恒泰が注目されるのは、現在、天皇家の方が皇嗣問題を抱えており、今の皇太子殿下が即位すれば、直系が絶えてしまうからなのである。天皇家にはスペアが2人しかいないのであって、天皇家に万が一のことがあれば、旧宮家の竹田家を皇籍に復活させて、天皇として即位させる可能性があるのだ。

 竹田恒泰が偉いのは、「旧宮家の人々は天皇家に危機が起こった場合には、皇籍復活という覚悟を持つべきである」と主張していることなのである。日本史を見ても、奈良時代に天武天皇の子孫が絶えてしまい、天智系の子孫が復活することで平安時代に移行したという歴史的事実があるのだ。そういうことを鑑みれば、竹田恒泰の意見は正論だし、実現可能性があるのだ。

●相性は抜群に良いけど、口喧嘩は常にある仲

 竹田恒泰と華原朋美の相性は抜群に良い。どう考えてもアンバランスなカップルなのだが、運命鑑定をしてみるとどうやっても結びついてしまうのだ。竹田恒泰は美男子ではないので、華原朋美は顔で選んだのではないだろう。だから自分と相性のいい男性と交際することができたのである。

 竹田恒泰は、

昭和50年10月24日生まれで、

 華原朋美は、

昭和49年8月27日生まれである。華原朋美の方が年上なのである。1歳差なので、「姉さん女房」にするのは丁度いい。女性が年上の場合、年齢が高くなりすぎると、巧く行かなくなる場合があるのだ。

 竹田恒泰の名は19画。

 華原朋美の名は17画。

名前に関しても相性が良い。生年月日では華原朋美がリードするけど、姓名の方では竹田恒泰の方がリードすることになる。竹田恒泰は意外とクールなので、華原朋美の方が盛り上げていくことで、この恋愛を発展させて行くことができるのである。

 但し、このカップルは口喧嘩が常にある仲なのだ。華原朋美は考えていることが保守的なのである。それに対して竹田恒泰は自分の意見を粘り強く押し通していく。一見、似ているように見えるけど、実際に交際し続ければ、何度か口喧嘩する羽目になるのだ。

 しかし話し合えば理解できる仲なのである。だから話し合う機会をきちんと持つことだ。竹田恒泰はいつも自分の意見ばかり押し通してはならないし、華原朋美も我儘なことばかり言ってはならないのだ。妥協することを覚えないと、この恋愛は維持できないのだ。

 華原朋美はクールな男性が好きなんだろうと思う。小室哲哉も竹田恒泰と同じくクールな男性である。華原朋美にとって竹田恒泰は小室哲哉に代わりうる唯一の男性なのである。これを逃すともう二度とチャンスは巡って来ないと思う。華原朋美の年齢が現在39歳なので、この恋愛を失敗に終わらせれば、今度は本当に転落して、二度と這い上がれないことだろう。

●天中殺を抜けた後の結婚ならOK

 華原朋美のシンデレラストーリーは充分に有り得る。しかし華原朋美は散々に世間を騒がせて来たので、外野が非常にうるさいのだ。自業自得と言えば自業自得なのだが、過去に犯した自分の罪をどうにかして乗り越えて行かなければならないのだ。

 少なくとも3年間は愛を温めた方が良い。華原朋美は未だに小室哲哉に恨みを抱いているし、未練だってある。華原朋美の「朋ちゃんスマイル」の下には深い悲しみがあるから、竹田恒泰はその深い悲しみを解消させていかなければならないのだ。

 結婚するに当たって、最大の問題は「子供ができるか否か?」なのである。華原朋美の年齢から言って、子供は1人できれば御の字で、2人で限界であろう。もしも男子が生まれれば、その男子はもしかしたら将来、天皇になる可能性があるので、とにかく男子を産まねばならないのだ。

 竹田恒泰は現在、天中殺で、華原朋美は来年から天中殺である。こういう出会いは天中殺の毒消しの役割を果たすので、両者は交際することで天中殺の威力を抑え込んで行くことができるのである。竹田恒泰と華原朋美の天中殺が明けたのなら、結婚すればいい。

 このカップルは結婚したのなら、「かかあ天下」に徹すべしなのだ。竹田恒泰が亭主関白になってしまうと巧く行かない。家庭のことは華原朋美に任してしまい、竹田恒泰本人は仕事に集中していけばいいのだ。華原朋美は結婚によって今の芸名を捨てると、見違えるほどに「賢夫人」になると思う。

 俺から一言アドバイスがある。それは、

「地獄を見た女は強い」

ということだ。華原朋美は不幸が連発したので、普通の女性たちが持つ甘さは完全に吹き飛んでいるのだ。こういう女性と結婚すれば、何かにつけて非常に重宝することになる。くれぐれも手放さないことだ。

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アンパンマンの仁義なき戦い

●アンパンマンが売れなかった理由

 今でこそ子供たちに人気の『アンパンマン』も、その最初の絵本が出た時は全く売れなかった。作者の<やなせたかし>はそれほど絵が巧くないので、彼の絵のレベルでは日本のような絵本の激戦区では勝つことができなかったのである。

 通常、良く言われるのが、「アンパンマンは自分の頭を千切って相手に与えるので、それがグロテスクだ」という理由でアンパンマンは売れなかったということなのだが、この指摘は間違っている。初期のアンパンマンは子供たちに受けるような絵本ではなかったのである。『アンパンマン』自体、大人向けの雑誌に初登場したことを絶対に忘れてはならないのだ。

 初期のアンパンマンは今みたいに丸味を帯びておらず、かなりぎこちない形をしているのである。だからこれが正義の味方だと言われても、子供たちはピンと来ないのである。初期のアンパンマンをどう解釈しても、アンパンマンは正義の味方としての強さがないのである。ただ単に空腹な人にパンを届ける配達人程度の人物だったのである。

 もう1つ、初期のアンパンマンの致命的な欠点は「悪役がいなかった」といういことなのである。このことはやなせたかし本人も出版社の人に言われて、初めて気付いたというぐらいだったのである。悪役がいなければ、正義の味方がいてもなんの有難味もないのだ。

 そこで登場したのが「ばいきんまん」であり、この「ばいきんまん」が登場したからこそ、『アンパンマン』は絵本でありながら、物語の面白さが一気に急上昇したのである。『アンパンマン」はアンパンマンこそが主人公なのだが、「ばいきんまん」はもう1人の主人公なのである。

      アンパンマン大図鑑〈公式キャラクターブック〉[やなせたかし]

●実は「アンパンマン」と「ばいきんまん」の相性は滅茶苦茶悪い

 実を言うと、アンパンマンと「ばいきんまん」の相性は滅茶苦茶悪い。両者がどう歩み寄っても、絶対に仲が良くならない関係にあるのだ。だからこそ物語の中で延々と戦いを続けることになるのである。「ばいきんまん」はまさに理想的な悪役なのである。

 「アンパンマン」は13画である。 

 13画は知能と才知に富み、弁舌爽やかで学術に秀でる人物である。アンパンマンが正義の味方になるのは理に適っているのだ。アンパンマンは何もただ単に強いだけではなく、必ず他のキャラクターたちに何かしらの演説をし、説得させた上で動かしているということを忘れてはならない。アンパンマンはスーパーマンのように無闇に暴力を行使しているのではないのである。

 「ばいきんまん」は20画である。

 俺はてっきり「ばいきんまん」のことを片仮名で「バイキンマン」と書くと思ったら、平仮名表記なのである。「ばいきんまん」にしてしまうと20画になるので、陰謀と謀略が得意で、自分が敵と認定した者には如何なる手段を用いても殺そうとしてくるのだ。

 「ばいきんまん」の決め台詞に「卑怯は俺の得意技」というのがあるのだが、この台詞は実に彼の性格にマッチしていて、卑怯なことをやりたいし、卑怯なことをやっても許される性格なのである。「ばいきんまん」はいつも負けてばかりいるのだが、彼が入念に計画を立てていることを絶対に忘れてはならないのだ。

 「ばいきんまん」を片仮名表記の「バイキンマン」にしてしまうと、画数は15画になってしまうので、これではアンパンマンとの相性が良くなってしまい、物語が成立しなくなってしまうのだ。『アンパンマン』の中では平仮名表記と片仮名表記を非常に巧く使い分けているのだが、これは「やなせたかし」本人が絵本作家だけでなく、詩人でもあるので、言葉の微妙な違いに敏感であったからであろう。

●裏切り者の「ドキンちゃん」

 「ばいきんまん」は陰謀と謀略を好む以上、自分単独で戦うのは得策ではない。必ず仲間を作り、敵よりも数を上回ることで戦いを有利に進めていかなければならないのだ。「ばいきんまん」には「ドキンちゃん」という非常に強力な仲間がいるのだ。

 「ドキンちゃん」は17画である。

 だから「ドキンちゃん」は「ばいきんまん」とは相性が良い。20画の「ばいきんまん」は頭で勝とうとするが、「ドキンちゃん」は17画なので行動力を活かして勝とうとするのだ。この両者が組めばゆっくりではあるが確実に前進していくのである。

 しかしこの「ドキンちゃん」には致命的な問題があるのだ。それは「女王様願望」を持っているということだ。このためバイキン星からバイキン城に勝手にやってくるし、バイキン城でも「ばいきんまん」に従わず、自分が主導権を握ろうと躍起になっているのだ。

 しかも「ドキンちゃん」はよりによって敵方の「しょくぱんまん」に片思いをしているのだ。厄介なことに、「ドキンちゃん」と「しょくぱんまん」は相性がいい。だが結婚できるほどの相性の良さではないので、いつまで経っても平行線のままなのだ。

 「はいきんまん」にとって「ドキンちゃん」は常に裏切り者の存在なのである。事実、「ばいきんまん」が「ドキンちゃん」を引き連れてアンパンマンに戦いを挑んでも、「ドキンちゃん」のミスや造反で戦いに負けている率が非常に高いのである。

●「しょくぱんまん」はなぜ主役になれないのか?

 『アンパンマン』の主役は勿論アンパンマンだが、アンパンマンは単独で勝つのではなく、「ジャムおじさん」や「バタ子さん」の支援を受けながら勝つ。三位一体の結界を張っているのである。片や「ばいきんまん」は「ドキンちゃん」とツ-トップで戦っているので、これでは結界を張ることができず、だからなかなかアンパンマンに勝てないのである。

 しかし「ばいきんまん」の側にももう1人有力なキャラがいる。それは「ドキンちゃん」の妹の「コキンちゃん」である。「コキンちゃん」が加われば「ばいきんまん」の側も三位一体の結界を張ることができるので、それで互角になることができるのである。

 ここで去就の選択を強いられるのが、「しょくぱんまん」である。「しょくぱんまん」がどちら側につくかで、『アンパンマン』の物語は大きく変わるのである。物語では「しょくぱんまん」はアンパンマンの味方なので、それでアンパンマンの方が優勢になっているのだ。

 だが、「しょくぱんまん」が「ドキンちゃん」を味方に付けた場合、『アンパンマン』の物語は大きく変わってしまい。「ドキンちゃん」を失った「ばいきんまん」は大した存在にならず、「しょくぱんまん」と「ドキンちゃん」の連合がアンパンマンに対して対抗できる勢力になるのだ。

 ではなぜ「しょくぱんまん」は『アンパンマン』の主役になれないのか?

 その最大の理由は、「しょくぱんまん」はただ格好いいだけであって、アンパンマンのように自分が傷ついても他人を助けようとしないからなのだ。所詮は食パンゆえに中身がないから、自分の頭を千切っても相手は喜ばないのだ。ここに来て、アンパンの中に餡子が入っているのが大きく効くのである。

 食パンはサンドイッチの材料になるので、「しょくぱんまん」を「サンドイッチマン」に変更すればいいのだが、そうすると違う意味になってしまうのだ。う~ん、残念と言いたい所である。因みにサンドイッチマンでは21画なので、17画の「ドキンちゃん」とは相性が悪くなってしまうのだ。

●「ばいきんまん」の非情なる選択肢

 「ばいきんまん」はアンパンマンに負けっ放しなのであるが、それは戦いの遣り方を間違えているからなのである。「ばいきんまん」は自分の性格上、陰謀と謀略を好むのであって、アンパンマンに対して真正面からぶつかるよりも、卑怯極まりない手段を用いて戦うべきなのである。

①徒党を組んで倒す路線への変更

 まず「ばいきんまん」がやらねばならないことは徒党を組んで数を増やすという遣り方だ。いつも自分が先走って攻撃を仕掛けるからこそ負けているのであって、自分が後方に下がって部下たちを戦わせるようにすれば勝てる可能性が出て来るのだ。

②ドキンちゃんを粛清

 その際に絶対にしなければならないのは、「ドキンちゃん」の粛清である。「ばいきんまん」はバイキン城なる城を持っているのに、「ドキンちゃん」は女王さまになりたがっているために、「ばいきんまん」はいつも統率力を発揮できないのだ。それに「ドキンちゃん」の裏切りのために負けている戦いもある以上、「ドキンちゃん」が貴重な戦力ではあったとしても粛清してしまい、自分こそが最高指導者なのだということを示すべきなのである。

③ジャムおじさんを確実に殺す

 アンパンマンは「ジャムおじさん」がアンパンを作る限り、幾ら倒しても復活してくる。だからアンパンマンではなく、「ジャムおじさん」を確実に殺し、パン工場を完全破壊してしまうべきなのである。「ジャムおじさん」は攻撃力も防御力もなきに等しいので、「ばいきんまん」でも簡単に殺せるのである。

④アンパンマンとは接近戦を避ける

 パン工場を破壊してしまえば、アンパンマンの頭のスペアはなくなるので、「ばいきんまん」はアンパンマンとの接近戦を避け、アンパンマンの頭を遠方から破壊するようにすればいいのだ。少しでもアンパンマンの頭に傷がつけばパワーダウンするのであって、そこを狙ってトドメを刺せば、アンパンマンを殺すことができるのである。

●アンパンマンはなぜ「ばいきんまん」を殺さないのか?

 アンパンマンは「ばいきんまん」に対して勝ち続けているのだが、彼は致命的なミスを犯している。それは「ばいきんまん」にトドメを刺していないということだ。なぜだかアンパンマンは「ばいきんまん」を撃退することだけに満足してしまい、それ以上のことをやらないのである。

 なぜアンパンマンが「ばいきんまん」を殺さないのかは『アンパンマン』の中で最大の疑問点なのである。

 科学的なことを言ってしまえば、「ばいきんまん」は「黴菌」なのであって、アンパンマンの必殺技「アンパンチ」ではこの黴菌を消滅させることができないのだ。というか「ばいきんまん」はたとえ殺されたとしても、自分自身が黴菌である以上、幾らでも繁殖できてしまうのである。

 物語上から言えることは、アンパンマンが「ばいきんまん」を殺してしまうと、自分の存在理由がなくなってしまい、逆に自分の立場を危うくしてしまうからなのである。そもそもアンパンマンは「いのちの星」からやってきた余所者で、「ばいきんまん」と戦ってその存在理由を示さないと、存続できない立場にあるのだ。

 作者の側から言うと、作者の「やなせたかし」は、「正義の味方だったら、まずは食べさせること、飢えさせないこと」という考えを持っているので、アンパンマンは「ばいきんまん」に対して生かさず殺さずという態度を取るのである。こういう正義感だとアンパンマンは非常にあくどい人物になってしまうのである。

 人間の成長過程から言うと、アンパンマンは「上位自我」なのであって、強くあらねばならない自分なのである。「ばいきんまん」は子供特有の部分なのであって、幼稚なことが幾らでも許されるのだ。上位自我は本位自我を指導しても、本位自我を殺してはならないのだ。もしも殺してしまえば本人が成長できなくなってしまうのである。

●善と悪の問題

 『アンパンマン』は決して子供用の絵本でもなければ、子供用のアニメでもない。大人がこの『アンパンマン』を見たとしても、きちんと見られるようになっているのだ。大体、母親たちは子供たちと一緒にアニメの『アンパンマン』を見ているものだ。

 『アンパンマン』には「善と悪の問題」という哲学が内蔵されているからこそ、大人が見たとしても充分に見られるようになっているのだ。『アンパンマン』では、「善は如何なることがあっても絶対善ではないし、それと同時に悪は如何なることがあっても絶対悪ではないのだ」ということを言っているのである。

 善人が幾ら正義を持っているからといって、その正義を思いっきり振りかざしてしまえば、死者しか出ないものなのである。しかもそういう正義の行使は、その正義自体を悪と看做され、善人が一転して悪人に転落しまう危険性を持っているのだ。

 この世には戦いが常に存在する。人間は競争することで成長していくからだ。そのような競争をしていけば、「傷つく善人」「負けたとしても懲りない悪人」が出て来るのは当たり前のことなのである。悪が完全無欠であってはならないのと同時に、善も完全無欠であってはならないのだ。

 母親が悪いことをした子供を叱る時、叱り過ぎて凹凹にしてはならないのだ。それと同時に子供を叱る時、母親だって心の痛みを感じなければならないのである。「善の相対性」「悪の相対性」が解っていないと、児童虐待死させる親が出て来たり、イジメで同級生を殺す生徒たちが出て来たり、体罰で生徒を殺す教師が出て来るのである。

 『アンパンマン』の作者「やなせたかし」は単なる絵本作家なのではなく、第一級の哲学者といってもいいくらいに、非常に深い事を考えていた人物であったのである。

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自分の意見を言うことの大切さ

●自分の意見は自分では解らない?

 自分の意見を持つことは非常に大事である。自分が自分の意見を持たない限り、自分が本当にしたいことを成し遂げることができないからだ。しかし多くの人たちは自分の意見を持っていないのだ。正確に言うと、人間は自分の意見を持てないようになっているのである。

 人間が持てる情報は如何なる場所に身を置いたとしても限られているのだ。だからその少ない情報では自分の思考力には限界があるのである。それゆえ自分がどんなに考えたとしても、自分の本当の意見は出て来ないのである。人間の脳は自分の本当の意見が自分では解らないようになっているのだ。

 例えば大学進学を例に取って考えてみよう。中学生が大学進学を目指しても、その大学進学は漠然としたものだ。高校生になると文系と理系に分かれ、大学受験間近になってくるとどこの学部に進学したいかが見えて来る。しかし実際に大学でなんの勉強をするかは、実際に大学に行ってみないと解らないのである。

 いざ大学に行ってみたら、そこは碌でもない大学で、低レベルの教授しかいなかったり、学生たちは遊びに夢中で勉強どころではなかったりと、様々なことが起こるものなのである。大学受験に合格して大学進学したはいいが、大学生なのに全く勉強しないという連中は幾らでもいるものなのである。

 自分の本当の意見というものは未来から過去を振り返った時に解るものなのである。「ああ、あん時の俺はこういうことが言いたかったんだ!」と時間が経った時にやっと解るものなのである。静止しながら物事を考えるのではなく、動きながら物事を考えないと、自分の本当の意見が解らなくなってしまうのである。

●頭のいい人ほど自分の意見が解らなくなる

 よりによって頭のいい人ほど自分の意見が解らなくなるのだ。頭のいい人は情報を多く持ち過ぎているので、その情報に振り回されてしまい、自分が一体何をしたいかが解らなくなってしまうのである。人間は頭が良いことを求めるが、頭が良くなるとそれに応じて弊害というものも出て来るのである。

 子供を育てる時、「勉強しなさい!」といって、子供に勉強だけをさせようとしてはならないのは、そういう育て方をしてしまうと、その子は確かに頭は良くなるかもしれないが、自分の意見を言わない子に育ってしまうからだ。学校の勉強など、授業を聞いていればそなりに出来るのであって、勉強のことだけを躍起になってやらせてはならないのだ。

 母親であるなら、勉強することよりも子供と会話することを心掛けるべきなのである。そうやって子供と会話していれば、子供は自分の意見を言うようになり、自然と自分が本当にしたいことを遣り出すようになるのだ。そういうことをしている子は学校の勉強だってできるようになるものなのである。

 問題は子供が反抗期を迎えた時なのである。中学生や高校生の時期はどうしても親に反抗してくるのだから、それまでにきちんと会話しておくべきなのである。親子の会話量が少ないと、その子は自分の意見を言わない子になってしまい、反抗期になって爆発してしまうのである。

 一流大学卒の人たちには或る意味、要注意が必要なのである。偏差値が70を超えるような大学に進学して来る人は、子供の頃から勉強をやりまくった人たちが圧倒的に多いのだ。このため自分の意見を持たない可能性が非常に高いのである。だから一流大卒の人たちは呆気ないほど簡単に洗脳されたりしてしまうのである。

●周囲と同調していては自分の意見など出て来ない

 だからといって頭の悪い人ほど自分の意見を持てるというものでもない。頭の悪い人は自分で判断するだけの情報がないために、敢えて自分の意見を言わず、周囲と同調するということを延々と繰り返すようになるのだ。下手をすると死ぬまで自分の意見を持たなかったりするのだ。

 暴走族とか、飲み会だとか、合コンとかが危険なのは、こういう物は参加してしまえば周囲と同調する羽目になるので、結局、自分の意見を持てず、よりによってなんの生産性もない物を無制限に遣り続けてしまうのである。自分のしたいことは別な所にあるのに、友達と離れるのが怖いから付き従ってしまうのである。

 自分の意見のない人ほど新聞やテレビを見たがるものだ。新聞を読む際にはそれこそ長時間かけて読むし、テレビを見始めたら就寝する直前まで見ているのである。新聞やテレビを幾ら見たとしても、自分の意見の材料になるものは載っていないものなのである。

 周囲と同調するということは平凡になろうとすることなのだが、平凡になろうとすれば競争率が最も高くなるのである。平凡な人たちはそれこそ大量にいるから、その人たちの中に加われば、激しい競争が始まり、その激しい競争の中で消耗し脱落して行ってしまうのである。

 「普通」を求めてはならないのである。普通なんて物はどこにもないのだ。人間は遺伝子レベルから異なっている以上、誰もが普通を拒絶し、自分らしいことをし出すものなのである。周囲と合わせることが当たり前と思っているのなら、その当たり前を一旦外してみる勇気こそが必要なのである。

●自分が本当にやりたいことは周囲の流れとは別の所にある

 自分が本当にやりたいことは常に周囲の流れとは別の所にあるものなのである。周囲の流れに身を任せていたら、アッと言う間に時間がなくなり、自分が本当にやりたかったことができなくなってしまうのだ。だから周囲の人たちがどんなことを言ったとしても、自分の意見をしっかりと持つことが大事なのである。

 例えば女性なら、どうしても結婚願望というものがある。ところが女性が大学に行こうものなら、その結婚願望を前面に押し出すことができない。女子学生の殆ど全ては大学を卒業したら就職して働くことを前提にしているのである。そういう時に、「私はお母さんになりたい」という意見を言うのは気が引けてしまうのだ。

 男性ならどこかいい所に就職したとしても、「これが本当に自分が生涯をかけてすべき仕事なのか?」と悩む時が必ずあるものなのである。確かに給料はいい。しかしその給料で満足していれば、自分が本当にしたい仕事が解らなくなってしまうのだ。

 若い者が勘違いしてしまう最たる物は「時間は無制限にある」という考えである。時間というものは無制限にあるのではないのだ。人間に与えられている時間というのは常に限られている。その限られた時間の中で自分は自分がしなければならないことをこなしていかなければならないのだ。

 なぜ女性が結婚願望を持つのかといえば、女性の体は若い時にしか赤ちゃんを妊娠できないからだ。40代後半になってしまえば妊娠するのは非常に困難になってしまうのである。男性が就職したのに悩むのは、男性は40歳を過ぎてしまえば自分の人生はもう殆どが決まってしまい、その後どうやったとしても変えることができなくなってしまうからだ。

●とにかく自分で考える

 周囲の人たちの意見に惑わされることなく、自分の意見をしっかりと持つためには、「自分で考える時間を持つ」ように心掛けることだ。幾ら日々の仕事が忙しいからといって、自分で考える時間を持たなければ、いずれ自分の意見を持てなくなってしまうのだ。多忙は常に自分の人生の敵なのである。

 自分が効果的に思考するためには、「座禅」か「散歩」しかない。座禅したり散歩したりするとアルファ波が出て来るので、それで効果的な思考が可能になるのだ。座禅や散歩は簡単にできることなので、必ず1日のどこかに組み入れるようにしておくことだ。

 しかし自分の考えたことが必ずしも正しいとは限らない。自分一人で考えることは「独断」に繋がる危険性をも持っているのだ。だから自分で考えた上で、信頼できる人に相談してみることだ。誰それ構わず相談するのではなく、自分が信頼できる人に相談することが大事なのだ。

 自分が何も考えずに相談しても何の役にも立たない。かといって自分が考えたのに、碌でもない人に相談してしまえば、最悪の結果が出て来ることになる。よくありがちなのが友達に相談するというやり方なのであるが、友達では相談相手にならないのだ。自分と同じような能力の持ち主では問題を解決することができないのである。

 自分が考え、然るべき助言を貰ったのなら、後は自分の決断あるのみである。なぜ自分が決断しないのかといえば、自分が考えておらず、どうでもいいような助言を貰ってしまうからなのである。自分に充分な材料があれば、決断は速やかに出来るものなのである。

●とにかく自分で行動を起こす

 自分の意見を持ったのなら、とにかく自分で行動を起こすことだ。自分の意見を持ったとしても行動を起こさなければ、その意見にはなんの価値もないのである。自分が行動を起こしてみれば、自分の意見がガラリと変わってしまうことだってあるのである。

 行動を起こした場合、行き成り成功することもあるが、殆どの場合は失敗だらけだ。そうやって何度も失敗していく内にどうすれば成功できるのかが解り、遂に成功することができてしまうのである。成功は失敗だらけの先にあるものなのだが、これが多くの人たちには解らないのだ。

 大学まで進学できたということは、その人生に於いて大した失敗はなかった筈だ。要は既存の教育制度に乗って、失敗をすることなく大きくなってしまったのである。このため失敗に対してなんの免疫力もないのであって、たった1回の失敗を経験してしまうと、もうダメだとすぐに音を上げてしまうのである。

 「成功哲学」や「成功法則」がはやるのも、高学歴化の産物であるということを絶対に忘れてはならない。成功したければ失敗を繰り返せばいいものを、成功哲学とか成功法則に憧れる人たちは一回の失敗もなく成功しようとするからlこそ、逆に成功しなくなってしまうのである。

 失敗したからダメなのではないのだ。失敗したからこそ、失敗する前には気付かなかった新しい知識を得ることができるのである。その新しい知識は失敗した者にしか手に入らないから、失敗すればするほど成功に近づいて行くのである。

●知行合一という基準

 世の中には考えてばかりいて何も行動をしない人がいるし、逆に行動ばかりしていて何も考えない人もいる。両者とも両極端に見えたとしても、自分の意見を持っていないことでは同じなのである。自分の意見を持たないからこそ、自分が本当にしたいことを何もできないのである。

 時間という物はアッと言う間に過ぎ去っていくものなのだ。自分の意見を持たず、世の中をウロチョロしていれば、散々働いた挙句、出来ることといえばせいぜい日々の生活の糧を得ることだけであったということになってしまうのだ。労働に必要以上の価値を見出してはならない。労働したからといって豊かになれるというものではないのだ。

 この世には様々な意見があるかもしれないが、「知行合一」という基準を持って審査していくようにすることだ。自分で考え、行動を起こしてダメだったものはやはりダメだし、自分で考え、行動を起こして成功したものはやはり良い考えなのである。

 知行合一という基準がないと、自分の考えはブレていき、最終的には自分の考えが消えてしまうものなのだ。知識ばかり増やしていけば頭でっかちになってしまい、身動きが取れなくなってしまうのだ。行動ばかり増やしていけば草臥れ損になってしまい、頭の中が空っぽになってしまうのだ。

 自分で考え、自分で行動していけば、確実に自分の意見を持つことができるから、速度は遅くても確実に前進して行くことができるのである。そうやって前進を繰り返して行くと、新しい精神ステージに突入してしまい、自分が生まれ変わってしまうものなのである。

 人間の人生にはそういう不思議な現象が起こるものなのである。

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秋風邪の咳止めにレンコンを食うべし

●咳止めにはレンコン

 秋風邪が厄介なのは、誰かが風邪をひき出すと咳込む日が長く続くので、家族の中で他の者に風邪が感染してしまうのである。特に秋から冬に季節が変わる頃にこれをやられると、気温が急激に下がっているために、家族の全員が風邪をひいてしまうということになってしまうのだ。

 秋風邪はひき始めで対策を打つのが肝腎なのであって、咳止めに「レンコン」を使うことで咳をしないようにさせればいいのだ。なぜレンコンが咳止めに効くのかといえば、レンコンは酵素水分が凝縮されているので、それでレンコンを食べると不足していた酵素水分を調達できるので、免疫力が上昇して、咳を止めてくれるのである。

 レンコンは野菜であっても、ビタミンは微量でビタミンに関して大した効果はない。しかしミネラル分が豊富に含まれているので、それで重宝しているのである。食事で葉野菜ばかり食べているのではなく、時には根野菜を食べないと、ビタミンとミネラルの補給ができないのである。

①マグネシウム

 レンコンにはマグネシウムが大量に含まれているのだが、マグネシウムは脂肪を燃やし、高いエネルギーを調達する際に大いに役立つことになる。子供がお菓子を沢山食べると風邪をひき易くなるのは、お菓子のために炭水化物にエネルギーを頼ろうとするので、脂肪が燃焼しなくなってしまうからなのである。

②カリウム

 レンコンにはカリウムが大量に含まれているのだが、カリウムは体内の老廃物や毒素を除去する際に役立つことになる。しかしカリウムは砂糖によって失われてしまうので、それでお菓子好きの子供は風邪をひき易くなってしまうのだ。きちんと排便排尿がなされていないので、体内に老廃物や毒素が溜まっているので、それがウィルスに餌になるのだ。

③亜鉛

 レンコンには亜鉛が大量に含まれているのだが、亜鉛は風邪をひかないこと自体に威力を発揮する。しかし亜鉛は体を成長させる際に大量消費されるので、それで時折、子供が風邪をひいてしまうのだ。子供を育てている時は、定期的にレンコンを出さないと、子供は風邪をひいてしまうのだ。

●レンコンのキンピラ

 レンコン料理の筆頭は「レンコンのキンピラ」である。なぜレンコンのキンピラが好まれるのかといえば、この料理を出せばご飯を沢山食べることができるからだ。とにかく穀物を食べて体を温かくしないと、風邪を治すことはできないのである。

 レンコンのキンピラは、レンコンをスライスし、そこに鶏肉と唐辛子を入れて炒めて、最後に醤油とゴマ油をかけて出来上がりである。超簡単なので、主婦としても非常に便利な一品なのである。しかも出せば家族が喜んで食べてくれるので、だからレンコンのキンピラが好まれるのだ。

 レンコンのキンピラを美味しく作るためには、高温でさっと炒めてしまい、レンコンの食感が残るようにすることである。長時間に亘って炒めてしまうと、シンナリすることはするが、それだと食べ応えがなくなってしまうのだ。レンコンのキンピラを出したのに、食べ残されてしまうようであったら、調理の仕方を工夫することだ。

 レンコンのキンピラは、レンコンと鶏肉と植物油の三点セットになっている。これはレンコンのキンピラを食べた後で、食べ物を燃焼し易くさせているものなのであって、レンコンだけを炒めてはこれほどまでに高い効果を得ることができないのだ。

 レンコンのキンピラは炒め物なので、保存することは好ましくない。保存すれば酸化してしまうので、保存した物は体にとって有害になってしまうのだ。レンコンのキンピラは大量に作るのではなく、家族で食いきれるだけの量に抑えるというのが料理のコツなのである。

●レンコンの酢漬け

 レンコンの栄養分をそのまま吸収したいのなら、「レンコンの酢漬け」という料理がある。このレンコンの酢漬けはレンコンをスライスして、それを酢に漬けばいいのだ。実に簡単な料理なので、レンコンが出回る季節に是非とも食べたい料理である。

 酵素水分は加熱調理で加熱してしまえば破壊されてしまう。しかしレンコンの酢漬けのように加熱調理しなければ、酵素水分を丸ごと頂くことができるのである。中華料理のような高温を使った調理法は確かに出来上がった料理は美味しいけど、その分、栄養分が破壊されてしまうものなのである。

 レンコンの酢漬けは酢によって血糖値上昇を抑えることができる。血糖値に問題があるなら、レンコンの酢漬けを食った方がいい。炭水化物を取り過ぎてしまえば、膵臓がギブアップしてしまうのは当然のことなのである。酢の物を食わないからこそ、糖尿病になってしまうのである。

 レンコンの酢漬けは非常に素晴らしい料理なのであるが、なぜだかあんまり食われないのだ。それほど美味しい料理ではないからだ。だから人気が出ない時は、黒砂糖を入れたり、唐辛子を入れたりして、料理にちょっとした工夫を施すようにすることだ。

 それとレンコンの酢漬けは余り沢山作らないことだ。いつもあると思うからこそ、誰もが油断して食わなくなるのだ。レンコンの酢漬けは少し作り、全部食べ終わったら、暫くしてまた同じ物を出せばいいのだ。そういう配慮をしないと、レンコンの酢漬けがいつまでも残ってしまうということになるのだ。

●レンコンのテンプラ

 レンコンのテンプラは老若男女を問わず喜ばれるものだ。レンコンのテンプラは食べれば非常に美味しいのだ。しかしテンプラにしてしまうと酵素水分は破壊されてしまう。だがテンプラにすると腸内に11時間滞留し続けるので、それで栄養分をより多く消化吸収していくことができるのである。

 栄養分を長期間に亘って摂取することができるのはテンプラ以外にない。手ンプラは加熱調理によって栄養分を破壊しつつも、腸内に長時間に亘って滞留してくれるからこそ、好んで食べられるのである。和食は脂肪分が少ないので、定期的にテンプラを食べて、植物性脂肪を補給していくことだ。

 テンプラは人によって好みが違う。「食材のサクサク感」を好むのか、「衣の多さ」を好むのか、大きく分けてその2つに分かれるのだ。だからテンプラを揚げる際には家族の好みを見極めた上で、様々なテンプラを揚げるようにすることだ。

 テンプラは揚げ立てが一番美味しく、時間が経てば経つほど酸化していく。だからテンプラは揚げ立てを好み、残った物は必ず12時間以内に食べてしまうことだ。夕食にテンプラを作った場合、残り物は翌朝の朝食で食べてしまうようにすることだ。

 テンプラは毎日食べたり、頻繁に食べることは絶対にお勧めできない。そんなことをしていれば血管が傷んでしまうからだ。しかし定期的に食うのならテンプラはそれなりの効果があるので、季節ごと一回は食うようにしておくことだ。そうしておけば風邪をひかなくなるものなのである。

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柿が赤くなると医者が青なる

●風邪防止のために柿を食いまくるべし

 秋という季節は天候が穏やかなものなのだが、それでも時折急に気温が下がる日があって、前日の気温に比べて5℃以上も下がる時がある。これは秋の季節の典型的な急激な気温の変化で、普段は天候が穏やかだからといって油断していると、「秋風邪」をひいてしまうのである。

 秋風邪は普段健康な人物に限ってかかるものである。このため家族の中で誰かが秋風邪をひこうものなら、母親はその風邪にオロオロしてしまうことになるのだ。天候がいいのに秋風邪をひき、ゴホゴホやっている訳だから、「何か重大な病気にでも罹ったのではないか?」と勘違いをしてしまうのである。

 秋風邪で母親が慌てふためくと、医者が儲かるだけである。大体、秋風邪は所詮「風邪」なのだから、1日寝かしておけば治るものなのである。それなのに風邪程度だからと寝かすことをしないと、その風邪は悪化し、最終的には病院に入院しなければならないほど症状が悪化してしまうのである。

 だから昔から諺で「柿が赤くなると医者が青くなる」と言われ、秋になって秋風邪予防のために柿を食えば、秋風邪をひく者がいなくなり、それで医者が貧乏してしまうのである。それゆえ秋になったら必ず柿を食うべきなのであって、それを怠っていると家族の中から秋風邪をひく者が出て来ることになるのだ。

 秋は様々な作物が収穫されるので、別に柿を食わなくても他の食材で食欲を満たすことができる。しかし普通の食材では、秋特有の天候の変化に対応しきれないのだ。柿には秋風邪を予防する栄養分が含まれているからこそ、柿を食べると秋風邪をひかくなるのだ。

●柿の栄養素

①ビタミン類

 柿がなぜそんなにも秋風邪予防に効果があるのかといえば、柿にはビタミン類が豊富に含まれており、ビタミンA、ビタミンB、ビタミンC、ビタミンD、ビタミンE、ビタミンKなど、バランス良く入っているのだ。だから柿を食えば秋風邪を予防できるのである。

②コリン

 柿にはコリンが含まれている。コリンは肝臓に力を与えて解毒を行わせるのだが、そうやって肝臓が機能すれば、体内に風邪のウィルスが入って来ても、体は充分に免疫力を発揮することができ、そう簡単に秋風邪をひかくなるのだ。

③マグネシウム

 柿にはマグネシウムが含まれており、このマグネシウムは脂肪を燃やすという効果がある。脂肪は炭水化物を燃焼させるより3倍ものエネルギーを発生させるので、それで柿を食べているとエネルギー発生量が多くなり、秋風邪をひかくなるのである。

④カリウム

 柿にはカリウムが含まれているのだが、カリウムは体内の老廃物を除去する効果を持つ。このため柿を食えば体内の老廃物を除去することができるので、それで風邪のウィルスの餌となるものがなくなるので、秋風邪をひかくなるのである。

⑤抗酸化物質

 柿の皮と種には非常に強い抗酸化作用があるのだが、柿を食う時は皮ごと食べ、種の周りに付いている果肉をしっかりと食べることだ。柿を食うのに皮を剥いたり、種なしの柿を食べりするのはダメなのである。下手に手を加えると。大事な所を切り落としてしまうことになるのだ。

●柿は体を冷やす?

 柿を食べると体を冷やすと言われるものだが、これは柿の木が長江流域原産だからである。柿そのものは体を冷やすようになっている。少なくとも柿を食べて体が温まるということはない。だから日本では「渋柿」という寒冷地用の柿を好んで食べているのであり、渋抜きをして甘くすることで体を冷やさないようにするのだ。

 農家であるなら夕食時に柿を出さないものであるが、夕食時に柿を食べてしまうと体を冷やしてしまう可能性があるので、それで夕食時には柿を食べないのだ。柿を食べるのは朝食とか昼食とかなのであって、体温が高くなっている時に食べるべきものなのである。

 秋は柿をそのまま食べ、プラス「紅茶」にすると体を温める効果が出て来る。冬は干し柿を食べ、プラス「生姜茶」なら、如何なる冬の寒さも撃退することができることであろう。干し柿というのは、柿を干すことによって、体を冷やさなくさせるのであって、だから冬でも柿を食うことができるのである。

 良くある組み合わせとして柿と緑茶があるものだが、この組み合わせは両者とも体を冷やす効果があるので、一緒に食えば相乗効果を引き起こして、体を思いっきり冷やしてしまう。干し柿に緑茶の組み合わせならまだ良いが、柿と緑茶の組み合わせは良くないのだ。

 秋は収穫の秋なので、肉や魚を沢山食べて体を温めて行くものだ。しかし体を温め過ぎてしまえば、それはそれで問題があるので、柿を食べて多少体温を引き下げるのである。要はバランスの問題なのであって、柿が健康に良いからといって柿ばかり食べてはならないのだ。

●冬に備えて栄養を備蓄しておく

 秋の内に体を動かして筋肉量や脂肪を増やしておくことだ。秋は食欲の秋である以上、人間の体はそれをしたがっているのだ。そうしないと冬を越せないからだ。だから秋風邪をひいて寝込まないことだ。秋風邪をひくということは、充分な体力がないということなのである。

 子供の食欲を増進させるためには、とにかく歩きまくることだ。家族でハイキングに出かけて、一日中歩き回ることでお腹をペコペコにさせるのだ。こうすれば家ではバクバクと飯を食うようになるので、それで健康な体を作ることができるのである。

 食の細い子供はなんだかんだ言ってもやっぱり秋風邪をひくものだ。飯を食ってきちんと栄養分を確保していないからこそ、そうなってしまうのだ。子供がお菓子を食べると正規の食事で飯を食わなくなるので、お菓子は出来る限り与えないことだ。体を動かしてお腹をペコペコにさせるということをやるべきなのである。

 秋に秋風邪をひいていれば、冬になれば冬風邪をひいてしまい、その症状はより悪化したものになってしまう。冬は気温が下がるので、それで風邪をひくのはまだ理解できるが、秋に風邪をひくということは、気温の急激な変化に耐える体力がないということなのである。

 考えてみれば、柿をしっかりと食べているのは雪国の人たちである。越冬しなければならないので、秋の内に柿を食い、冬になれば干し柿を食うのである。そういうことをしているからこそ、秋にも冬にも風邪をひかず、無事に春を迎えることができるのである。

 都会に住んでいると、四季の感覚がなくなっていくものだが、そういう自然から離れた生活こそが人間を病気に追いやっているのである。自然には四季という変化があるのだから、それに対応した食生活を構築していれば、人間はいつまでも健康でいられるようになるものなのである。

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