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自分の意見を言うことの大切さ

●自分の意見は自分では解らない?

 自分の意見を持つことは非常に大事である。自分が自分の意見を持たない限り、自分が本当にしたいことを成し遂げることができないからだ。しかし多くの人たちは自分の意見を持っていないのだ。正確に言うと、人間は自分の意見を持てないようになっているのである。

 人間が持てる情報は如何なる場所に身を置いたとしても限られているのだ。だからその少ない情報では自分の思考力には限界があるのである。それゆえ自分がどんなに考えたとしても、自分の本当の意見は出て来ないのである。人間の脳は自分の本当の意見が自分では解らないようになっているのだ。

 例えば大学進学を例に取って考えてみよう。中学生が大学進学を目指しても、その大学進学は漠然としたものだ。高校生になると文系と理系に分かれ、大学受験間近になってくるとどこの学部に進学したいかが見えて来る。しかし実際に大学でなんの勉強をするかは、実際に大学に行ってみないと解らないのである。

 いざ大学に行ってみたら、そこは碌でもない大学で、低レベルの教授しかいなかったり、学生たちは遊びに夢中で勉強どころではなかったりと、様々なことが起こるものなのである。大学受験に合格して大学進学したはいいが、大学生なのに全く勉強しないという連中は幾らでもいるものなのである。

 自分の本当の意見というものは未来から過去を振り返った時に解るものなのである。「ああ、あん時の俺はこういうことが言いたかったんだ!」と時間が経った時にやっと解るものなのである。静止しながら物事を考えるのではなく、動きながら物事を考えないと、自分の本当の意見が解らなくなってしまうのである。

●頭のいい人ほど自分の意見が解らなくなる

 よりによって頭のいい人ほど自分の意見が解らなくなるのだ。頭のいい人は情報を多く持ち過ぎているので、その情報に振り回されてしまい、自分が一体何をしたいかが解らなくなってしまうのである。人間は頭が良いことを求めるが、頭が良くなるとそれに応じて弊害というものも出て来るのである。

 子供を育てる時、「勉強しなさい!」といって、子供に勉強だけをさせようとしてはならないのは、そういう育て方をしてしまうと、その子は確かに頭は良くなるかもしれないが、自分の意見を言わない子に育ってしまうからだ。学校の勉強など、授業を聞いていればそなりに出来るのであって、勉強のことだけを躍起になってやらせてはならないのだ。

 母親であるなら、勉強することよりも子供と会話することを心掛けるべきなのである。そうやって子供と会話していれば、子供は自分の意見を言うようになり、自然と自分が本当にしたいことを遣り出すようになるのだ。そういうことをしている子は学校の勉強だってできるようになるものなのである。

 問題は子供が反抗期を迎えた時なのである。中学生や高校生の時期はどうしても親に反抗してくるのだから、それまでにきちんと会話しておくべきなのである。親子の会話量が少ないと、その子は自分の意見を言わない子になってしまい、反抗期になって爆発してしまうのである。

 一流大学卒の人たちには或る意味、要注意が必要なのである。偏差値が70を超えるような大学に進学して来る人は、子供の頃から勉強をやりまくった人たちが圧倒的に多いのだ。このため自分の意見を持たない可能性が非常に高いのである。だから一流大卒の人たちは呆気ないほど簡単に洗脳されたりしてしまうのである。

●周囲と同調していては自分の意見など出て来ない

 だからといって頭の悪い人ほど自分の意見を持てるというものでもない。頭の悪い人は自分で判断するだけの情報がないために、敢えて自分の意見を言わず、周囲と同調するということを延々と繰り返すようになるのだ。下手をすると死ぬまで自分の意見を持たなかったりするのだ。

 暴走族とか、飲み会だとか、合コンとかが危険なのは、こういう物は参加してしまえば周囲と同調する羽目になるので、結局、自分の意見を持てず、よりによってなんの生産性もない物を無制限に遣り続けてしまうのである。自分のしたいことは別な所にあるのに、友達と離れるのが怖いから付き従ってしまうのである。

 自分の意見のない人ほど新聞やテレビを見たがるものだ。新聞を読む際にはそれこそ長時間かけて読むし、テレビを見始めたら就寝する直前まで見ているのである。新聞やテレビを幾ら見たとしても、自分の意見の材料になるものは載っていないものなのである。

 周囲と同調するということは平凡になろうとすることなのだが、平凡になろうとすれば競争率が最も高くなるのである。平凡な人たちはそれこそ大量にいるから、その人たちの中に加われば、激しい競争が始まり、その激しい競争の中で消耗し脱落して行ってしまうのである。

 「普通」を求めてはならないのである。普通なんて物はどこにもないのだ。人間は遺伝子レベルから異なっている以上、誰もが普通を拒絶し、自分らしいことをし出すものなのである。周囲と合わせることが当たり前と思っているのなら、その当たり前を一旦外してみる勇気こそが必要なのである。

●自分が本当にやりたいことは周囲の流れとは別の所にある

 自分が本当にやりたいことは常に周囲の流れとは別の所にあるものなのである。周囲の流れに身を任せていたら、アッと言う間に時間がなくなり、自分が本当にやりたかったことができなくなってしまうのだ。だから周囲の人たちがどんなことを言ったとしても、自分の意見をしっかりと持つことが大事なのである。

 例えば女性なら、どうしても結婚願望というものがある。ところが女性が大学に行こうものなら、その結婚願望を前面に押し出すことができない。女子学生の殆ど全ては大学を卒業したら就職して働くことを前提にしているのである。そういう時に、「私はお母さんになりたい」という意見を言うのは気が引けてしまうのだ。

 男性ならどこかいい所に就職したとしても、「これが本当に自分が生涯をかけてすべき仕事なのか?」と悩む時が必ずあるものなのである。確かに給料はいい。しかしその給料で満足していれば、自分が本当にしたい仕事が解らなくなってしまうのだ。

 若い者が勘違いしてしまう最たる物は「時間は無制限にある」という考えである。時間というものは無制限にあるのではないのだ。人間に与えられている時間というのは常に限られている。その限られた時間の中で自分は自分がしなければならないことをこなしていかなければならないのだ。

 なぜ女性が結婚願望を持つのかといえば、女性の体は若い時にしか赤ちゃんを妊娠できないからだ。40代後半になってしまえば妊娠するのは非常に困難になってしまうのである。男性が就職したのに悩むのは、男性は40歳を過ぎてしまえば自分の人生はもう殆どが決まってしまい、その後どうやったとしても変えることができなくなってしまうからだ。

●とにかく自分で考える

 周囲の人たちの意見に惑わされることなく、自分の意見をしっかりと持つためには、「自分で考える時間を持つ」ように心掛けることだ。幾ら日々の仕事が忙しいからといって、自分で考える時間を持たなければ、いずれ自分の意見を持てなくなってしまうのだ。多忙は常に自分の人生の敵なのである。

 自分が効果的に思考するためには、「座禅」か「散歩」しかない。座禅したり散歩したりするとアルファ波が出て来るので、それで効果的な思考が可能になるのだ。座禅や散歩は簡単にできることなので、必ず1日のどこかに組み入れるようにしておくことだ。

 しかし自分の考えたことが必ずしも正しいとは限らない。自分一人で考えることは「独断」に繋がる危険性をも持っているのだ。だから自分で考えた上で、信頼できる人に相談してみることだ。誰それ構わず相談するのではなく、自分が信頼できる人に相談することが大事なのだ。

 自分が何も考えずに相談しても何の役にも立たない。かといって自分が考えたのに、碌でもない人に相談してしまえば、最悪の結果が出て来ることになる。よくありがちなのが友達に相談するというやり方なのであるが、友達では相談相手にならないのだ。自分と同じような能力の持ち主では問題を解決することができないのである。

 自分が考え、然るべき助言を貰ったのなら、後は自分の決断あるのみである。なぜ自分が決断しないのかといえば、自分が考えておらず、どうでもいいような助言を貰ってしまうからなのである。自分に充分な材料があれば、決断は速やかに出来るものなのである。

●とにかく自分で行動を起こす

 自分の意見を持ったのなら、とにかく自分で行動を起こすことだ。自分の意見を持ったとしても行動を起こさなければ、その意見にはなんの価値もないのである。自分が行動を起こしてみれば、自分の意見がガラリと変わってしまうことだってあるのである。

 行動を起こした場合、行き成り成功することもあるが、殆どの場合は失敗だらけだ。そうやって何度も失敗していく内にどうすれば成功できるのかが解り、遂に成功することができてしまうのである。成功は失敗だらけの先にあるものなのだが、これが多くの人たちには解らないのだ。

 大学まで進学できたということは、その人生に於いて大した失敗はなかった筈だ。要は既存の教育制度に乗って、失敗をすることなく大きくなってしまったのである。このため失敗に対してなんの免疫力もないのであって、たった1回の失敗を経験してしまうと、もうダメだとすぐに音を上げてしまうのである。

 「成功哲学」や「成功法則」がはやるのも、高学歴化の産物であるということを絶対に忘れてはならない。成功したければ失敗を繰り返せばいいものを、成功哲学とか成功法則に憧れる人たちは一回の失敗もなく成功しようとするからlこそ、逆に成功しなくなってしまうのである。

 失敗したからダメなのではないのだ。失敗したからこそ、失敗する前には気付かなかった新しい知識を得ることができるのである。その新しい知識は失敗した者にしか手に入らないから、失敗すればするほど成功に近づいて行くのである。

●知行合一という基準

 世の中には考えてばかりいて何も行動をしない人がいるし、逆に行動ばかりしていて何も考えない人もいる。両者とも両極端に見えたとしても、自分の意見を持っていないことでは同じなのである。自分の意見を持たないからこそ、自分が本当にしたいことを何もできないのである。

 時間という物はアッと言う間に過ぎ去っていくものなのだ。自分の意見を持たず、世の中をウロチョロしていれば、散々働いた挙句、出来ることといえばせいぜい日々の生活の糧を得ることだけであったということになってしまうのだ。労働に必要以上の価値を見出してはならない。労働したからといって豊かになれるというものではないのだ。

 この世には様々な意見があるかもしれないが、「知行合一」という基準を持って審査していくようにすることだ。自分で考え、行動を起こしてダメだったものはやはりダメだし、自分で考え、行動を起こして成功したものはやはり良い考えなのである。

 知行合一という基準がないと、自分の考えはブレていき、最終的には自分の考えが消えてしまうものなのだ。知識ばかり増やしていけば頭でっかちになってしまい、身動きが取れなくなってしまうのだ。行動ばかり増やしていけば草臥れ損になってしまい、頭の中が空っぽになってしまうのだ。

 自分で考え、自分で行動していけば、確実に自分の意見を持つことができるから、速度は遅くても確実に前進して行くことができるのである。そうやって前進を繰り返して行くと、新しい精神ステージに突入してしまい、自分が生まれ変わってしまうものなのである。

 人間の人生にはそういう不思議な現象が起こるものなのである。

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コメント

自分のことを言われているかと思うような内容の記事に思わずコメントを書かせて下さい。
自分の意見をなかなか言えず、言葉も出てこなく、相手に上手く伝えられず、自分の中身は空っぽじゃないかと思っている時にこの記事を読んで納得してしまいました。
私だけじゃなかったんだ!と良くない?安心もしました。
私にはこどもが四人います。もう肝っ玉母ちゃんの域に近づいてるのかなぁと思ってます。
こどもたちに何か受け継いでもらいたいと思っているのに、最近自分の中に何もないんだーと気づいたところです。
アウトプットができないのは自分の中身が空っぽだからと昔言われた言葉を思い出します。その時から何も変わってなかったのかなぁ。
子育てに追われてと言い訳をして、自分のやりたいことも薄まって、こどもが自立した後の自分の孤独なんかを考えて怖くなってました。
今年で40歳になるのにもうどうしたらいいんでしょう?
散歩中はこどもと会話をしてしまうので、とりあえず座禅を組む時間をひねりだそうと思いました。

投稿: りりまま | 2014年1月12日 (日) 04時28分

りりままさん、自分の中に何もないことに気付くことを、仏教で「解脱」といいます。
「色即是空、空即是色」って奴です。

そこに神への崇敬が加われば、「神ながら」と言って、神道では最高の境地になるんです。

自分の中に何かあるだろうと思っている者は煩悩まみれなだけなんです。

さすがは4人の子持ちで、肝っ玉母さんです。

1日数分間でもいいから座禅でもして、自分の心を落ち着ける訓練でもしておくことです。

悟った者には必ず神様が支援して下さるので、如何なる状況下に於いても決して孤独ではありません。

投稿: タマティー | 2014年1月12日 (日) 07時20分

早速コメントを頂けて嬉しいです。
ありがとうございます。

悟りの域にはとても届かなそうですが、心を落ち着ける
訓練を始めました。マイナス思考と雑念でいっぱいですが、
タマティーさんが蜘蛛の糸を目の前に降ろして下さったように
感じて、この糸を登ろうと思います。

こちらの記事ではないのですが、子供2人は死の結界だから、三人以上は産んだ方がいいとの言葉にはとても心を動かされました。
三人目がお腹に来た時に、義母に三人は大変だから二人に
しておきなさいって言ったのに。と叱られてとても嫌だった
気持ちが癒されています。
ありがとうございます(^∇^)


投稿: りりまま | 2014年1月14日 (火) 01時26分

自分の意見はあえて持たない方がいいと思います。というのも大体の人は誤解しているからです。専門的知識なきものは意見ではなく感想、思い込みに過ぎません。その感想や思い込みは無闇に敵を作ったり先入観を持ったりと害悪になる可能性があります

だから専門知識が無いのにある通称自分の意見ってのはむしろ持たずにフラットな立ち位置でいるべきで、それこそ真の知識人のあり方だと僕は思います。

タマティさんの記事は一般的に素晴らしいとされる意見が凝縮されたものなので否定する気はありませんし、逆に素晴らしいと思います。しかし、この記事や世間の抽象的な自分の意見を持て論には無責任さを感じてしまいます。学べではなく既に専門知識を持っているなら自分の意見を持ち主張しなさい、持っていないならば意見を持つ前に学びなさいと言うべきではないでしょうか

投稿: ゆゆゆ | 2014年4月11日 (金) 03時34分

ゆゆゆ さんの言う、自分の意見を持たず、フラットな立ち位置にいるということは、タマティーも良くやります。
自分が何も言わず、相手にベラベラ喋らせると、相手の頭の良し悪しが解りますからね。

タマティー自身、専門家の意見は尊重するのですが、専門家の中には専門バカがいるので要注意です。

投稿: タマティー | 2014年4月11日 (金) 07時12分

自分の意見を持つということはリスクを背負うということでもあるんだよ

人はしょっちゅう間違えるのに、これはこうと決めると間違っていた時が厳しい。自分の間違いを認めて意見を変えるのは思っているより難しいからね

だけどあなたの意見も的を射ていて、多少はないとそもそも動きようがない。

だから僕はムリにこれが正しいと決めず、たぶんこうだと思うから(半確信くらいで)とりあえずやってみてダメだったら他を試そうという姿勢が良いと思う。

投稿: 尾っぽ | 2015年12月17日 (木) 13時07分

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