蕎麦と江戸文学
●東京の「うどん」は不味い
地方の人、特に西日本の人たちが東京に来て、
「東京のうどんは不味い」
と言われると、どうも激しい不快感を感じてしまう。折角、地方から東京に上京してきたのだから、東京のいい所を見つけ出せばいいのに、敢えて東京の悪い所を見つけ出し、事もあろうことかそれを平然と口に出すのである。
はっきりと言わして貰うが、東京は「蕎麦」こそがメインなので、「うどん」という代物は近代以前なら病人が食う食事だったのである。西日本ではうどんを正規の食事として食っていたかもしれないが、東京では治療用の食事なのであって、東京のうどんを食った所で旨いわけがないのだ。
事実、俺が子供の頃、父親と東京で食事をした時、うどんを食ったことは絶対になかった。東京で旨いのは蕎麦と解っているからこそ、蕎麦の名店を探し出して行ったものなのである。確かに東京の蕎麦店は充実していて、ハズレは殆どないと思う。
ところが大学生の時、香川県に行き、讃岐うどんなる物を食べたのだが、この讃岐うどんというのは本当に美味しいかった。東京のうどんはただ単に小麦粉を練った程度で、それを醤油味の強いスープに漬けているだけなのだが、讃岐うどんはうどんが本当にうどんになっているし、スープのダシが効いていて、しょっぱくないのだ。
俺はその時、咄嗟に、
「讃岐うどんを東京に持っていけば絶対に売れる」
と思った。そうしたらそれから十年後ぐらいになってからではあるが、香川県の讃岐うどんの業者が東京に進出し、続々と店舗を出店して行った。これは成功して当たり前であろうと思う。そもそも東京のうどんは不味いのだから、本格的なうどんが参入してくれば勝負にならないのだ。
●江戸文学の豊饒さは蕎麦が作った
蕎麦を食うと、頭の回転が良くなる。普通の量を食っていては余り感じないものだが、蕎麦を二人前食べると、脳が凄まじく活発に活動していることを実感できると思う。こんな優れた食事を江戸っ子の人たちは食べていたのだから、当然にレベルの高い文化を作り上げていったのである。
江戸文学の最高傑作は滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』なのであるが、これは作者本人が蕎麦を食い、読者たちも蕎麦を食っていたからこそ可能になった文学作品であろうと思う。この本は98巻108冊からなる長編小説なのであって、こんな長大な作品をうどんを食っていては作ることができないのだ。
俺が高校生の頃、上田秋成の『雨月物語』を読んだのだが、どうもイマイチ評価を与えることができなかった。江戸文学はこういう物だろうと思っていたので、『雨月物語』のレベルの低さはどうも納得できなかった。調べてみると、上田秋成は大阪出身で、大阪で『雨月物語』を出したというのである。やっぱりである。蕎麦を食った人が作ったものではなかったのだ。
『雨月物語』のために江戸文学に対して不満が残ってしまい、高校3年生の時には柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』を読んでいたりした。『偐紫田舎源氏』なんて高校生では絶対に読まないし、大人になったって読みはしないものだ。あんな物を大学受験の最中に読んでいたからこそ、成績が上がることはなかった。
江戸文学は主に蕎麦を食う人たちによって作られた以上、江戸文学を理解したければ、蕎麦を食った上で江戸文学作品を読めばいいのだ。蕎麦を食べずに読んだとしても、なかなか理解できないと思う。普段の食事が白米とか白パンとかでは、江戸文学作品を読んでも理解できないのは当然のことなのである。
●動物性蛋白質の不足
蕎麦は完全栄養食品である。蕎麦だけを食っても充分に栄養が足りてしまう超優れ物なのである。蕎麦に多少の野菜をつけるだけで、料理としては完成してしまっているのである。だから江戸っ子たちは蕎麦とテンプラをオツマミにしながら日本酒をチビチビやるということをやったのである。
しかし蕎麦食には欠点も存在する。それは動物性蛋白質の不足である。一応、おつゆに鰹ダシをしっかりと取ることで動物性蛋白質の不足を補っているのだが、それで不足を解消することはできない。蕎麦を出してしまうと、肉料理が出て来なくなるというのは致命的な問題なのである。
蕎麦は本来、朝や昼に食べるべきものであって、夜に食うべきものではないのだ。夜に蕎麦を出してしまうと、肉料理が出て来なくなるので、動物性蛋白質を摂取できなくなってしまうのである。そのくせ江戸には「夜鳴き蕎麦」というのがあって、江戸っ子たちは夜に蕎麦を食うのを好んでしまったのである。
肉食の少なさは当然に筋肉量の低下に繋がり、それは「冒険敢為の精神」の不足を生み出してしまう。江戸っ子たちが江戸での生活を謳歌してしまい、江戸から外に出ていかなかったのは、肉食が余りにも少なかったからなのである。
肉食が少なかったからこそ、幕末には巧く変動を乗り切ることができなくなり、それで薩摩藩や長州藩によって幕府が倒されてしまったのである。薩摩藩にしても長州藩にしても、鶏肉を盛んに好んで食べていたのであり、それによって冒険敢為の精神を育み、江戸幕府に対して戦いを挑んできたのである。
●江戸文学の破壊者:「夏目漱石」
江戸文学は平安文学と同じくらいに豊かなものなのであったので、明治維新以降、その江戸文学をどう継承しながら近代的な文学を作り出して行くのが最大の課題となった。その時、最も問題になったのは、事もあろうことか滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』であった。
『南総里見八犬伝』が出版されてから、日本の文学は振るわなくなってしまった。これを凌駕できる物を生み出せなかったからだ。それなのに誰もが滝沢馬琴の影響下にあり、滝沢馬琴の影響を脱して近代的な文学を作り出せなかったのである。
どうにか滝沢馬琴の影響から抜け出すことができたのは、幸田露伴と尾崎紅葉の二人であった。尤も幸田露伴は作家デビューしてから暫くの間は滝沢馬琴の影響下にあり、井原西鶴の功績を再評価することで、どうにかして滝沢馬琴の影響から脱することができたのである。近代になってから、「井原西鶴ルネッサンス」というものが起こったということを知らないと、近代日本文学の動きは全く解らなくなってしまうのだ。
尾崎紅葉に至っては、『金色夜叉』という大ベストセラー作品を出したにも拘わらず、なぜだか文学者たちの間では評価が低い。それどころか近年、掘啓子という女性によって、『金色夜叉』はバーサ・クレイの『女より弱きもの』を種本にして書かれたという、頓珍漢な批判すらされる始末なのである。
『金色夜叉』の種本は『源氏物語』である。それ以外に絶対にない。『金色夜叉』は『源氏物語』の持てない男バージョンなのであって、だから大ヒットしていたのである。江戸時代後期に『偐紫田舎源氏』が大ヒットしていたことを絶対に忘れてはならないのだ。当時の人たちは『源氏物語』を教養として持っていたのであって、その上で『金色夜叉」を読んで楽しんでいたのである。
近代日本文学にとって不幸だったのは、幸田露伴と尾崎紅葉の後に夏目漱石が出て来てしまったことなのである。尾崎紅葉も幸田露伴も江戸文学を継承していたのに、夏目漱石はそういうことをしなかった。イギリス文学の中でも退屈なビクトリア朝の文学に基づいて作品を発表して行ったから、近代日本文学は異常に暗い物になったしまったのである。
夏目漱石は病気だらけの人で、肺結核にトラホーム、神経衰弱に痔、糖尿病に胃潰瘍と、まともな人物ではないのだ。案の定、食生活は滅茶苦茶で、病弱であるにも拘わらず中華料理のような脂っこい料理を好み、そのくせ大の甘党でアイスクリームやジャムを食べまくっていたのである。
夏目漱石が蕎麦を好んだということは記録されていない。蕎麦を食っていない以上、江戸文学の面白さは解らなかったのである。夏目漱石によって江戸文学は破壊されてしまい、現在に至るまで江戸文学には低い評価が与えられてしまっているのである。なんとも嘆かわしいことである。
だからせめて大晦日には江戸文学を偲んで年越し蕎麦を食べるようにしよう!
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