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s日本人の宗教意識 ~原恩意識と原罪意識~

●日本人の宗教意識と各宗教の宗教教義は違う

 日本の宗教を説明する時、各宗教の宗教家たちが唱えた宗教教義を紹介することになるのだが、だからといって日本人の宗教意識がそうなっているとは限らない、普通の人たちはそんな難解な宗教教義など解らないのであって、幾ら宗教教義を説明した所で日本人の宗教意識を解明したことにはならないのだ。

 日本人の宗教意識は意外とシンプルな物なのである。だから何千年と生き続けて来たのであり、単純な物ゆえに偉大な宗教家が出て来ても、そう簡単には変わらないのだ。逆に各宗教の宗教教義は複雑すぎて、この単純な物に対応できていないのだ。

 日本人の宗教意識の基本となっているのは、「原恩意識」というものである。神道では「人間は神の子」なのであって、生まれた時から既に「永遠の命」を持つことになる。その恩義は絶対なものなのであって、「神恩」に感謝して行き続けなければならないのだ。

 この原恩意識があればこそ、それを保障する形で宗教団体が存続できるのであり、保障の度合いを強めるためには、何も1つの教団でなくてもいい。だからこそ日本は神仏習合をやってきたのであり、神道と仏教の2つの宗教を奉じることで、神恩を守ろうとしたのである。仏教は神恩に対応して「仏恩」なる言葉を作ったからこそ、日本への土着化に成功したのである。

 日本は神仏習合の国であるということが解っていないと、「日本の宗教」のことは全然解らなくなる。それと同時に、日本人の原恩意識を解っていないと、「日本人の宗教意識」を全く理解できていないことになる。宗教のことを研究する人たちはどうしてもどこかの宗教団体に属し、1つの宗教を奉じているものだが、それでは日本の宗教も日本人の宗教意識も解らなくなってしまうのである。

●原恩意識の三大効果

 原恩意識には三大効果というものがある。神恩は神様から貰えばそれで良いのではないのだ。神恩を貰った人間は神恩に対応する何かをしなければならないからこそ、神の聖慮に応えることができるのである。神恩は制止的なものではなく、機動的なものなのである。

①オカゲ

 まず神恩を貰ったことに感謝しなければならない。神様は全ての人たちに神恩を与えたのではなく、わざわざ神様があなたを選んで神恩を与えて以上、神様への感謝をして、その感動を現わさなければならないのである。神様に感謝するからこそ、更に神様から聖なるエネルギーを注がれることになるのである。

 感謝は神様だけに留まることはない。自分を生み育ててくれた「両親」にも感謝しなければならないのであって、自分が両親から生み育てられた以上、自分もいずれは結婚して子供を生んでいかなければならないのだ。神様から選ばれたのなら、世俗に於いて非婚という選択肢はないのだ。

 日本人が当たり前の如くに使う「お蔭様」という言葉は、原恩意識から来るものなのである。この「お蔭様」を外国語に訳すことができない。無理矢理訳そうとすれば非常に困難になってしまう。なぜなら、お蔭様は日常語に見えて、実は宗教用語だからだ。

②ケガレ

 神恩は常にエネルギーが満杯というわけではない。自分が穢れてしまったり、罪を犯せば、エネルギーが不足して行ってしまうのである。だから穢れたのなら穢れを祓い、罪を犯したのならその罪を償わなければならないのだ。穢れや罪が起こるのは必然であって、自分がどうやっても無垢無罪のままでいることはできないのだ。

 日本人の宗教意識はどう考えても「性悪説」に立脚するものである。人間は神の子なんだから性善説になってしまうと勘違いしてしまう人も出て来るのだが、人間が穢れや罪を負うのは予定されている以上、性善説ではなく性悪説に立脚するのである。自分の本性が悪いものだから、宗教を使って矯正していくしかないのである。

 日本人にとって絶対に許すことができないのは、穢れを祓い、罪を償ったのにそれで過去の穢れや罪を問うのは絶対に許されないことなのである。日本が韓国や中国と外交で揉めてしまうのは、韓国や中国は常に過去のことを持ち出して来ることなのであって、これは日本人の逆鱗に触れてしまうのである。日韓友好とか日中友好というのは土台無理なのであって、軍事力を増強して、制裁措置を確実に加えることができるようにしておくべきなのである。

③タタリ

 日本人は神の子である以上、他人から祟られるのが非常に恐ろしいことになる。なんせ相手は永遠の命を持っているので、死んでも死なないのだ。怨霊となって祟って来るのである。祟りを鎮めてくれる宗教があれば、それを使って来るのである。だから神仏習合というものが成立したのである。

 祟りは怨霊だけがするものではない。英霊だって祟ることも有り得るのである。英霊に対して祭祀をきちんと行わないと、英霊は祟るのである。例えば社会党政権でも民主党政権でも首相は靖国神社に参拝しなかったが、それで何が起こったかというと、阪神淡路大震災であり東日本大震災であるのだ。

 注意すべきは、怨霊や英霊になるのは日本人だけであって、外国人はならないということなのである。外国人は神の子でない以上、日本人を恨むことがあっても、それは祟りとかにはならないのである。日本人が外国人となかなか巧くやれないのは、日本人同士で接する感覚で、外国人と接してしまうからなのである。

●神道の産物ではあるが、仏教の助けを借りた

 日本人の宗教意識は「神道の産物」以外の何物でもない。神道の教義が解っていれば、日本人の宗教意識は簡単に理解できる。しかし日本は神仏習合の国なのであって、ではなんで日本人は神道だけを選択せず、仏教を取り入れることになったかということになる。

 仏教に関しては誤解がある。日本に仏教が伝来したのは欽明天皇の御世ではなく、もっと早くに伝来してきたということなのである。当時の中国の仏教は道教と融合した状態になっており、日本には卓越した呪術を持つ仙人として単発でやってきたのである。

 その後、百済から道教が抜け落ちた仏教として正式な物が伝来してきたのだが、その際、ただ単に仏教がやってきたのではなく、軍事学や天文学や建築学や食品栄養学など様々な学問を付随させながらやってきたのである。当時の仏教は出家者たちがただ単に仏教を学んでいるのではなく、仏教に基づいて様々な学問を展開していたのである。

 古代の神道には宗教家個人が単独で布教に行くことはなかったし、神道に基づいて様々な学問を発展させることもなかった。だから朝廷は仏教が伝来すると、これを取り入れて国家を発展させる一方で、律令制度に神社を組み込むことで社会の安寧を図ったのである。

 現代でこそ仏教は戒律1つ守ることができないほど完全に堕落しきっているが、古代の仏教はそうではなかった。仏教は日本の土着するために努力し続けたのであり、日本人がケガレやタタリを恐れるので、加持祈祷をしたり、供養をしたりして、日本人に取り行っていったのである。

 日本の仏教は純粋な仏教ではない。本来の仏教とは懸け離れたものである。特に「仏教の呪術化」は甚だしいのであって、日本の仏教は呪術を駆使するからこそ、日本人に受け入れられてきたのである。このことを解っていないと、日本の僧侶が自分は仏教徒だからといって純粋な仏教を持ち出して来てしまえば、信者たちが離れて行ってしまうことになるのである。

●日本人は原罪を拒絶する

 日本は神仏習合の国で、宗教混淆をやっている。別に神道や仏教だけでなく、他に役立つ宗教があるなら取り入れるという柔軟な姿勢を持っているのだ。しかしこの非常に有難い宗教環境に於いて、キリスト教は苦戦し、信者数を人口の1%しか獲得できていない。

 このことはキリスト教の各教団で真剣に研究され話し合われているのだが、日本人の宗教意識が解ればこの謎を簡単に解明できる。日本人には原恩意識というものがあって、この原恩意識はキリスト教の「原罪意識」を絶対に拒絶するということなのである。

 日本人は生きていれば、穢れを受け、罪を犯す存在ではあっても、生まれながらにして原罪というものはない。原罪というものを教えられればそれは頭では理解することができる。だからといってそれを心の奥底にまで受け入れることは決してできないのである。

 厄介なことは、日本のキリスト教徒たちが原罪というものをしっかりと受け入れていないのだ。日本のキリスト教徒の話を聞くと、誰かの紹介でキリスト教の洗礼を受けたということを平気で言うので、西ヨーロッパのキリスト教徒たちのように自分の救われざる罪を感じて改宗したのではないということなのである。

 つまり日本のキリスト教徒はキリスト教徒として本物ではないのだ。日本のキリスト教徒たちは日本人の宗教意識の延長線上でキリスト教に改宗したのであって、こうなってしまうとキリスト教がキリスト教でなくなってしまうのである。だからこそ日本からアウグスティヌスやルターやカルバンのようなキリスト教世界を震撼させる神学者が1人も出て来ないのである。

 日本人は原罪を拒絶する以上、日本のキリスト教徒たちはこのキリスト教の原罪と真正面から戦うこともできるのである。そもそも原罪というのは、イエスが唱えたものではなく、パウロが唱えたものなのであって、律法の遵守は個人の責任でなされるものなのに、アダムとイブが犯した罪を人々になすりつけているのである。

 言わば、原罪は「人類史上最大の冤罪」なのであって、キリスト教のイエス主義とパウロ主義の違いに着目し、パウロはイエスの教えを捻じ曲げた人物であると指摘すれば、そこから宗教改革が発生することになるものなのである。そういう研究をせず、『聖書』の記述を鵜呑みにしているからこそ、イエスの教えがまるで解らなくなってしまうのである。

●既成宗教による廃棄と新興宗教による新規参入

 日本人の宗教意識からすれば、穢れたり、罪を犯したり、祟りを鎮められない宗教は価値がないものなのである。日本の仏教の僧侶たちは戒律を遵守しないために、僧侶として穢れているし、真面目に仏教だけに頼ってしまうと、日本の仏教には呪術的要素が大量にあるために、祟りの問題を取り上げないくなるのだ。

 そこで登場して来るのが新興宗教なのであって、新興宗教は日本の仏教が廃棄した物を請け負い、それで繁盛しているのである。新興宗教は教義による拘束が殆どないので、穢れを祓ったり、祟りを鎮めたりするのは、簡単に出来てしまうものなのである。

 当然にこのような状況は仏教側にとって好ましくない、それで仏教から僧侶を除去して、「在家仏教」という形で仏教を再生しようとする動きが出て来るのである。仏教系の新興宗教団体は殆どこれで、僧侶が戒律を遵守しない以上、僧侶それ自体を教団から除去してしまったのである。

 だから宗教というものを理解するのに既成宗教だけを見ていてはダメなのである。それは非常に危険な物の見方なのである。新興宗教は滅茶苦茶なことをやっているように見えて、実は日本人の宗教意識に最も沿った形で宗教活動をやっているのである。

 確かに既成宗教は立派な教義を持っている。しかしその教義が立派になればなるほど、日本人の宗教意識から遠ざかって行くことも有り得るのである。そもそも宗教を個人レベルで考えるなら、「釈迦がこう言った」「イエスがこう言った」というのは全く関係ないものなのである。

 大事なことは、その宗教で自分が救済され、その宗教が実生活で本当に役立つのか否かなのである。個人レベルではそういうドライな物の見方をするのであって、その要求を満たした教団だけが繁盛し、それができない教団は衰退していくしかないのだ。

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