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2014年1月

なぜタマティーのブログは秋田県で人気があるのか?

●不安定な第三位

 タマティーのブログがヒットしている都道府県は、第一位が徳島県で、第二位が鳥取県で、第三位が秋田県である。第一位と第二位は安定して高いアクセス数を誇っているのだが、秋田県は不安定で、記事によってアクセス数の変化が見られる。

 後続には青森県や和歌山県や山口県や長崎県が控えているので、秋田県が第三位を維持するためには、もっと安定的にアクセスする必要性がある。県民性の違いなのであろうか、自分が気に入ったブログを定期的に見るということができないらしい。

 俺と秋田県は無縁の存在ではない。

 俺は大学生の時に、東北地方を旅行し、その際、秋田県に立ち寄ったのである。秋田県に行って何を一番驚いたのかというと、「秋田県女性はとにかく美人揃いである」ということなのである。秋田県ではブスな女性を見たら、他県出身者だと思った方がいい。

 秋田県は「きりたんぽ」を食いまくった。「きりたんぽ」は鹿角市が発祥の食べ物で、秋田県の北部で食べられている。秋田県南部ではそれほど馴染みのある食べ物ではないのだ。「きりたんぽ鍋」は恐らくマタギたちが食べていた物であろうと思う。トリガラで出汁を取っているので、こういうことを農民はしないからだ。

 我が家では「うどん」の消費量が多いのだが、秋田県の特産品である「稲葉うどん」には高い評価が与えられている。讃岐うどんは確かに格別に美味しいのだが、寒冷地仕様になっていないのだ。夏にうどんを食うなら「讃岐うどん」でいいだのが、冬なら「稲葉うどん」の方が断然良いのだ。

●秋田県の特徴

 俺が秋田県に行ったのは学生の頃だから、秋田県のことを詳しいわけではない。秋田県の特徴を調べるには調べたが、なんせ現地で情報収集したわけではないので、その情報の信用度は50%程度である。そのことを踏まえてこの情報を読んで欲しい。

①秋田県では「水」と言うと、「お酒」が出て来る。

 秋田県民はお水を飲まない。お水の代わりにお酒を飲むのである。このため、お店で「お水下さい!」と言うと、店員はお酒を出して来るのである。秋田県ではミネラルウォーターは売られていない。それよりミネラルがたっぷりと入った日本酒が売られているのだ。

②秋田県の男性はお酒に酔うと「なまはげ」に変身する。

 秋田県の男性はお酒を飲んでもまず酔わない。下戸遺伝子がない。飲んべい遺伝子を持っているのである。しかしその秋田県の男性もお酒を飲みまくるとさすがに酔う。その時は「なまはげ」に変身するのである。因みに実際の「なまはげ」は山の神の使いであり、怠け者を懲らしめることをその役割とする。

③秋田県の犯罪発生率は都道府県の中で最も低い

 秋田県の犯罪発生率は都道府県の中で最も低い。秋田県はほぼ全域が適度に開発され、豊かであること、それにお酒を飲むことで人間の繋がりを大事にしていることがその主な理由が挙げられる。飲酒は体に良くないことなのだが、犯罪の防止に役立っていることもまた事実なのである。

④秋田県は日本三大米所であるのに、蕎麦やうどんの名産地でもある。

 秋田県は日本三大米所である。因みに日本三大米所とは、「北海道」「新潟県」「秋田県」である。これを見ても解るが、美味しい米を作るには、雪が欠かせないのである。ただ、本来、温暖な土地の作物である稲を寒冷地で育てるということは、冷害に強い稲を作らなければならず、しかも稲を多種多様にした方が良いのだ。だから「あきたこまち」一辺倒にしてしまうのは非常に危険であるといっていい。

 秋田県は寒冷地であるので、お米ばかり作っているのではなく、蕎麦や麦も作り、そのため「ソバ」や「うどん」が非常に美味しい。蕎麦や麦は寒冷地でも対応できるので、秋田県は如何なることがあっても蕎麦や麦を作り続けるべきなのである。今は地球温暖化で秋田県でも暖かいが、秋田県にはいつなんどき冷害が発生するか解らないのだ。

⑤実は秋田県こそ東北地方の中心地である。

 東北地方の中心地を宮城県だと思っている人たちは非常に多いのだが、実は秋田県こそ東北地方の中心地なのである。事実、大和朝廷は先に秋田県に侵攻した。その後、宮城県や岩手県に侵攻したのである。秋田県を押さえてしまえば、東北地方を支配して行くことができるのである。

 なんで秋田県が東北地方の中心地なのかが解るのかというと、それは美人の産地だからなのである。美人というのは必ず中心部に集まる。例えば日本は千年以上、京都を首都としてきたが、だから「京都美人」が存在するのである。近代以降は東京が首都だから、「東京美人」が存在するのである。美人の産地は中心地であることを示す大事な基準であるのだ。

●秋田県民の県民性

 秋田県民の県民性は「生真面目で照れ屋でお人好し」「経済観念がない」「見栄っ張りで遊び好きでいい加減」である。碌な評価が与えられていない。これはお酒を飲むからこうなってしまったのであって、お酒を飲むから使い物にならないのだ。

①生真面目で照れ屋でお人好し

 生真面目で照れ屋でお人好しってのは、要は「バカ」ってことである。飲酒の習慣があるために、お酒を飲まないと何もできないのだ。人生、生きて行く上で、真面目であることは必要であるかもしれないが、生真面目は必要ない。照れ屋であっては自分の意見をはっきりと言えないし、お人好しでは誰かに騙されるだけである。

②経済観念がない

 経済観念がないということも飲酒の習慣から来ている。お酒を飲んだら、とことん飲んでしまうので、当然にお金は湯水の如くに消えて行くことになる。お酒さえ飲まなければ、しっかりと資産を形成することができるのに、お酒のためにお金があれば使い切ってしまうのである。

③見栄っ張りで遊び好きでいい加減

 お酒を飲もないと何もできない以上、普段の生活ではかなりのストレスを溜め込むことになる。このためお酒を飲めば見栄っ張りになり、遊びまくり、そして何をやらしてもいい加減であるのだ。お酒の力に頼るより、普段の生活でストレスが軽減される工夫をすべきなのである。

 はっきり言って、タマティーとはまるで性格が違う。俺は絶対に秋田県には住みたくない。俺はお酒を殆ど飲まないので、生きて行く上でお酒が欠かせない秋田県では人間関係がまるでダメということになってしまう。秋田県は飲酒の習慣のために、富の大半を失ってしまっていると言っていい。

●秋田県の女性たちの性格

 秋田県民の女性の性格は男性の性格とはかなり違う。秋田県の男性たちが飲酒の習慣でこれほどまでにだらしない以上、女性たちがしっかりしていないと秋田県は持たないのだ。だからこそ秋田県の女性たちは日本を代表する良妻賢母の産地なのである。

①色白ゆえに女らしい女性が非常に多い

 秋田県の女性たちは色白である。秋田県は日本で日射量が最も少ないので、自然と肌が白くなってしまうのだ。このため色白が女性ホルモンの分泌を促し、女らしい女性に仕立て上げてしまうのである。当然にこの手の女性が結婚すれば自然と良妻賢母になってしまう。

②大らかで結構陽気

 秋田県の女性たちは子供の頃からバカな男性たちを当たり前の如くに見ているので、大らかで結構陽気である。バカな男性は見ている分には楽しいものなのである。男性たちも自分がバカをやっているのに女性たちがちゃんと受けてくれるので、それで女性たちを大事にするのである。このことは強姦発生率が極端に低いということでも解る。

③見た目と違って非常に堅実

 秋田県の女性たちは見た目と違って非常に堅実である。というのは、秋田県の男性たちが余りにもだらしないために、女性たちがしっかりとしないと家計を維持できないからなのである。ニコニコと笑顔でいながら、実は後ろでしっかりと財布の紐を握っているのである。

④見た目と違って非常にエッチである。

 秋田県の女性たちは美人が多いために、清楚な女性たちが多いと思いきや、意外とエッチなのだ。これは理由がある。秋田県の男性たちは飲んべいであるために、セックスをする機会が非常に少ないのだ。男性が素面の時だけしかセックスできないので、そのため、いざセックスをするとなるとここぞとばかり勇猛果敢になるのである。

⑤見た目と違って結構行きまくる。

 秋田県の女性たちは女性ホルモンの多い女性たちが多いので、いざセックスしてみると、オルガズムに行き易い。それだけでなく行きまくることになる。勿論、相手によりけりだが、セックスの相性の良い男性と巡り会えれば、当然に熱烈な恋愛をして、そして結婚することになる。

 タマティーは秋田県の女性たちが大好きである。これこそ日本人女性として理想の女性たちだからだ。だからタマティーのブログが秋田県の女性たちに受けるわけなのである。尤も秋田県の女性たちにしてみれば、タマティーは秋田県の男性たちとはまるで違う男性なので、タマティーの意見は大いに刺激的な物となるのだ。

●実は文化が豊かな秋田県

 秋田県は古代から東北地方の中心地であったために、文化が非常に豊かなのである。お祭りも伝統芸能も大量に存在し、それを土台に文学も学問も大いに発展しているのだ。秋田県出身の文化人はそれこそ数え切れないほど多いのである。

 飲酒の習慣は決して秋田県に良い結果を齎しているのではないが、それでもお酒を飲むことで人々は語り合い、その中で文化を生み出し、育んでいったということもまた事実なのである。この辺りの評価は実に難しい。飲酒の習慣がなければ秋田県はもっと豊かになり、文化だってよりレベルの高い物になるかもしれないからだ。

 秋田県の現在の知事は「佐竹敬久」であり、彼は秋田県出身であり、なんと佐竹北家の第21代当主であるのだ。しかも彼は秋田市の市長を務めた後に、秋田県知事選挙に立候補し、見事一発で当選しているのだ。名門の出ではあっても、安易に知事にせず、行政の経験値を積ましてから知事にする所は、秋田県民の民度が高いということなのである。

 徳島県でも鳥取県でも知事は他県出身者であった。自分の県で知事を生み出せないほど人材が欠乏し、民度が低いのである。これに対して秋田県は人材の豊富で、秋田県民の民度の高いのである。この点がタマティーのブログは受けている理由でもあるのだ。

 秋田県は文化が豊かだからこそ、文化レベルの高いタマティーのブログがヒットするのである。しかしタマティーは殆どお酒を飲まない。だから秋田県の女性たちのアクセス数は不安定なのである。お酒抜きの高い文化は秋田県の文化とはまるで違うからだ。

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「ふなっしー」成功の理由

●船橋市の非公認キャラ

 「ゆるキャラ」ブームが起こって来た時、俺はこの「ゆるキャラ」ブームが逆に地方経済の衰退に拍車をかけるのではないかと危惧していた。本来なら、地方に新たな産業を起こして地方経済を活性化していかなければならないのに、「ゆるキャラ」に頼ってしまえば、それを運営している人たちは儲かるかもしれないが、地方経済の状態は相変わらずということになってしまうからだ。

 そんな中、船橋市からとんでもない「ゆるキャラ」が誕生してきた。それが「ふなっしー」である。船橋市には充分な経済力があるので、「ゆるキャラ」を使って地方経済を発展させる必要性がない。だからこの「ふなっしー」も船橋市の市民が勝手に考え出した物で、船橋市は関係ないのである。

 ふなっしーの本なっしー!!

 「ふなっしー」の作者は「ふなっしー」を船橋市から公認を得た「ゆるキャラ」にしようと平成23年11月に市役所に頼み込んだのだが、却下されてしまった。本来ならここで終わりなのだろうが、船橋市の公認を得ることができなかったために、逆に「非公認ゆるキャラ」として活躍してしまったのである。

 「ゆるキャラの殆ど全てが地方自治体の公認を得ているのだから、その中で非公認ゆるキャラがいれば目立つのは当然なのである。しかも「ふなっしー」は「ゆるキャラ」らしからぬ俊敏な動きに、裏声で話し、しかも笑いを取るのだから、これがヒットしないわけがないのだ。

 「ゆるキャラ」ブームの中で大量の「ゆるキャラ」たちが誕生してきたのだが、「ふなっしー」がその中から飛び抜けて行ったのは、人々が安易に地方自治体と結びついてしまったり、「ゆるキャラ」だから緩くしておけば良いだろうと慢心していたからなのである。

●本名は「フナディウス4世」

 「ふなっしー」は本名ではなく通称である。本名は「フナディウス4世」と言う。実に芸が細かい。「ふなっしー」は「梨の妖精」という設定で、兄弟はなんと274人もいる。その中で「ふなっしー」は4男なのである。なんで4男なんだと思ってしまうのだが、運命学的に言うと、これにはちゃんとした理由がある。

 4男は陰陽では「陰」に当たる。基本的に日蔭者なのである。だから船橋市に公認するよう申請しても却下されてしまったのである。しかも日蔭者なのだから、公認ゆるキャラたちとは違う行動を平気で取ってしまうのであって、それで目立ってしまったのである。

 驚くべきことは、「フナディウス4世」の画数が「24画」なのである。これも陰の画数なのであって、「ふなっしー」の出生にピタリと合っているのだ。「23画」でもダメ、「25画」でもダメなのである。「ふなっしー」の作者は運命学を知らないだろうが、芸の細かい設定ゆえに、こういう偶然が働くのである。

 「ふなっしー」はハードロックやヘヴィメタルを好んでおり、初めて買ったCDはディープパープルの物、好きな歌手はオジー・オズボーンなのだが、かなり古いような気がする。俺よりもひと世代上の人だと思ってしまうのだが、でも俺よりも高齢であんな過激なパフォーマンスをやるのは体力的にきついてであろう。

 「ふなっしー」には虚言癖という癖があるという。このため「ふなっしー」の作者が細かい設定をして何かボロが出たとしても、巧くリカバーすることができるのである。「ゆるキャラ」だからといって、人々に受けるような都合のいい設定をしてしまうと、必ずどこかにボロが出てしまい、それで人気が落としてしまうものなのである。

●語源は船橋と梨

 当たり前のことだが、「ふなっしー」の語源は「船橋」と「梨」である。船橋と梨は本来別々の物なのであるが、この両者を組み合わせると、とんでもないエネルギーを放出することになるのである。因みに、船橋市の特産品は梨であり、船橋と梨はそれなりに事前から関係があったのである。

 「船橋」の語源は、

「日本武尊が東国遠征の折、海老川を渡るために船で橋を作ったのが由来」

ということなのである。

 船橋というのは元々は古代の軍事用語なのである。このため「ふなっしー」の前に難関が立ちはだかっても、「ふなっしー」は船を連結して橋を作ってしまうように、それを乗り越えて行ってしまうのである。

 「梨」という漢字は、

「木」と「利」の組み合わせであり、「利」は「鋭い刃物」という意味なのである。

 この「利」の漢字が活かされていると解るのが、「ふなっしー」の笑いなのである。お笑い芸人顔負けの笑いを取っており、ここでも「ふなっしー」はかなり衝撃的な笑いを取ることで突破口を開いてしまうのである。

 この「船橋」と「梨」を組み合わせると、「難関を突破する力を持ちながら、非常に強力な攻撃力を持つ」ということなのである。「ふなっしー」は「ゆるキャラ」のくせして防御に徹していない。それどころか「攻撃型のゆるキャラ」なのであって、だから攻めて攻めて攻めまくりなのである。

 「ふなっしー」が「梨の妖精」であるという設定はここで活きて来るのだ。というのは、「ふなっしー」が「攻撃的ゆるキャラ」であるなら、世間の人々は警戒してしまうからだ。しかしそこに「梨の妖精」という物を食われると、この危険な存在がやんわりと和らぐのである。

●画数は11画

 「ふなっしー」の画数は11画である。これで「ふなっしー」は瞬発力を得ることができた。「ふなっしー」は大器晩成ではない。早くに成長しまくり、それで優位に立ち、他の「ゆるキャラ」たちを圧倒して行くのである。「ふなっしー」を「フナッシー」と片仮名表記にしてしまうと、10画になってしまうので、こうは行かなくなってしまうのである。

 「ふなっしー」が女性たちの支持を受けているのも11画のなせる技であるのだ。しかも11画は子供たちにも受ける。このため親子で「ふなっしー」を支持するという現象が出て来るのである。こうなってくると放置しておいても、「ふなっしー」のファンは倍増してくるのだ。

 11画は新たな物を創造して行く力を持つ。このため「非公認ゆるキャラ」として様々なグッズを作りまくることになるのだ。こうなると船橋市の経済のことなど関係ないのであって、後は「ふなっしー」がしっかりとビジネスを展開して行き、自分のファンたちにちゃんとしたグッズを販売して行くということになるのである。

 普通の「ゆるキャラ」が作るグッズは本当に取るに足らない物なのであるが、「ふなっしー」の場合、そうではないのだ。「ふなっしー」は「非公認ゆるキャラ」である以上、自分のグッズを販売しないと生計を立てることができないのである。そのため「ゆるキャラ」でありながら、ちゃんとしたグッズを作って来るのである。

 欠点を指摘すれば、世間の人々は「ふなっしー」を見て「なんかバカなことをやっているな~」と思ってしまうことなのである。「ふなっしー」の実態はまるで違うのである。バカなことは見せかけなのであって、実際にはちゃんとしたことをやっているのである。

●二つの名前の相乗効果

 「ふなっしー」は本名の「フナディウス4世」と、通称の「ふなっしー」の2つの名前があり、これによって相乗効果が起こり、1つの名前の時よりも遥かに大きな力を出せるのである。「ふなっしー」の作者の手の込んだ設定が思わぬ力を生み出してしまったのである。

 しかも「フナディウス4世」は「陰」であり、「ふなっしー」は「陽」なので、これで「陰陽」のエネルギーを使うことができ、どのような状況にも対応して行くことができるようになるのである。1つの名前だけなら、「陰」なら「陰」、「陽」なら「陽」、と限られたエネルギーしか使えないので、2つの名前を持つことで陰陽の双方を使うことができるのである。

 普段は通称の方の「ふなっしー」の方が有名であるため、陽のエネルギーばかりに注目してしまう。しかし「ふなっしー」には実名の「フナディウス4世」があるのであって、世間の人々の知らない所で陰のエネルギーを使い、思わぬことをやっているのである。

 例えば「ふなっしー」が出したデビュー曲、『ふなふなふなっしー♪』なんかは、聞くだけで笑えるし、この歌を歌うと全てのストレスが吹き飛んでしまうほどの優れ物である。それなのにこの曲の歌詞を読んでみると、凄いことが書かれているのである。

 『ふなふなふなっしー♪』は或る意味「名曲」である。「ふなっしー」は去年の紅白歌合戦では単なる出場であったが、今年の紅白歌合戦では歌手として出場するかもしれない。「ふなっしー」の快進撃は今後も続きそうである。今のように行き詰まってしまった世の中では、「ふなっしー」みたいな「非公認ゆるキャラ」が必要なのかもしれない。

  ふなふなふなっしー~ふなっしー公式テーマソング~[ふなっしー]   

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なぜタマティーのブログは鳥取県で人気があるのか?

●第二位はなんと「鳥取県」!

 niftyのアクセス解析の機能の改善によって、タマティーのブログがどの都道府県で受けているというのが解ったのだが、この情報を得てしまうと、俺が意図した物とは全く違う結果が出てしまったということが解った。俺はてっきり東京や大阪や博多のような大都市で受けると思ったら、実はそうではなかったのだ。

 タマティーのブログがヒットしている都道府県ベスト3は!

第一位 徳島県

第二位 鳥取県

第三位 秋田県

 ベスト3に入った県は全て、大都市とは無縁の、寧ろ田舎と言った方がいい県であるのだ。前回、徳島県のことについて述べたのだが、徳島県とタマティーは多少なんらかの繋がりがあったということが解った。問題は第二位に着けている鳥取県である。

 実を言うとタマティーは鳥取県出身の人とは会ったことがない。

 それもその筈、鳥取県は都道府県の中で最も人口が少ないのだ。鳥取県の人口は58万人で、この数は千葉県船橋市の人口よりも少ない。なぜ船橋市から「ふなっしー」が登場し、鳥取県から「とっとりっしー」が出て来なかったのかは、人口の差が大きく物を言っているからなのである。

 日本の人口は1億2千万人なので、その中で58万人というのは、或る意味、貴重である。日本の人口の「0.5%」しか占めていない以上、この希少性を活かせば、逆に鳥取県が高級ブランドとして成立してしまうのである。しかし鳥取県知事にはそれが解らず、希少性を活かした政治を行っていない。

 因みに現在の鳥取県知事は「平井伸治」といい、なんと東京都出身であり、自治省や総務省の官僚を経験した後、知事になった人物である。徳島県の時もそうであったが、地方自治を確保するためには、余所者を知事に選んではならないのだ。鳥取県民が知事になるような人物を輩出できない時点で、民度が低いということが解ってしまうのである。

●鳥取県の特徴

 タマティーは鳥取県に行ったことがあるが、それは出雲の国へ行くために通過しただけである。このため鳥取県に関して詳しいことを知らない。そこで鳥取県の特徴を調べたが、自分が現地に行ったことがないので、その情報の信用度は50%程度である。そのことを踏まえてこの情報を読んで欲しい。

①時折、鳥取砂丘から白骨死体が発見される。

 これって結構怖い。何か殺人事件があったからではなく、江戸時代に浄土宗や浄土真宗の信者が極楽浄土に行くことを願って、鳥取砂丘で自殺を図り、それが現代になって見つかったというものなのである。本当に鳥取砂丘のような風光明美な場所を悪用してくれたと思う。

②鳥取県では人口の少なさを補うため、「ウサギ」に二足歩行させている。

 県なのに人口が58万人ということの恐ろしさを他県の出身者たちはなかなか解ってくれない。まず夜になると街灯など付かず、本当に真っ暗闇となる。ッ鳥取県では人口の少なさを誤魔化すために、ウサギに二足歩行を覚えさせ、そのためウサギが街中を歩いているのである。「ピーターラビット」の世界に迷い込んでしまった錯覚があるのだ。

③特急列車は一切止まらない。

 鳥取県の駅は全て無人駅である。乗降客が少ないために、駅に駅長や駅員を置いても人件費がペイしない。山陰本線で京都から豊岡駅に行くと、豊岡駅の次は島根県の松江駅である。つまり特急列車は一切止まらないのだ。このためタマティーには鳥取県に行ったのに、鳥取県の記憶がないのだ。

④山陰本線は本線なのに「単線」である。

 山陰本線は本線と名乗りながら「単線」である。これは実際に山陰本線に乗るとマジでビックリする。このため途中の駅で列車の通過待ちをするので、非常に時間がかかる。線路を敷いた時に複線で敷いておけばこんなことにならなかったのに、あの時に単線で敷いてしまったために、余計に列車の本数が少なくなってしまうのである。

鳥取市と米子市は戦争状態にある。

 鳥取県は一枚岩ではない。鳥取市と米子市が戦争状態にある。この戦争は全国的には報道されていないので、うっかり鳥取県に来てしまうと、とんでもない目に遭ってしまう。鳥取市で米子市のことを褒めると撲殺される。米子市で鳥取市のことを褒めると火焙りの刑に処せられる。

⑥鳥取県民と沖縄県民の相性は最悪である。

 鳥取県は日本でも有数の豪雪地帯であり、冬はシベリア寒気団によって半端ではない寒さに襲われる。このため常夏の島に住む沖縄県民とは絶対に合わない。感情的な沖縄県民が鳥取県に来ても確実に排斥されるだけである。鳥取県民は沖縄県でのアメリカ軍基地を巡る騒動をどう見ているんだろう?

⑦鳥取県にはセブンイレブンが存在しない。

 鳥取県にはセブンイレブンが存在しない。セブンイレブンも人口の少ない鳥取県に出店しても儲からないからこそ出さないだけの話であって、鳥取県としてはセブンイレブンが出店してくれないことで、鳥取県の商店や食文化を守ることができる。コンビニに慣れてしまった人は、是非とも鳥取県に行って、コンビニのない世界を体験してみるべし。きっと素晴らしい感動がある筈である。

●鳥取県民の県民性

 鳥取県民の県民性は「地味で優しい」「几帳面」「堅実」の三つで表すことができる。鳥取県に来てみれば解ることだが、この県民性は鳥取県の厳しい自然環境が作り出したものだということが解る。逆に言えば鳥取県民なのにこの県民性を持たないと、ここでは生きて行くことができないのだ。

①地味で優しい

 「地味で優しい」というのは、大概、雪国の人たちに共通するものである。毎年、厳しい冬を遣り過ごすので、自然と地味になり、優しくなっていくのだ。地味ということは派手なことをしない。優しいというのは人に対して余り厳しいことをしないということなのである。

②几帳面

 几帳面というのは、江戸時代に池田光政が鳥取藩主になってから出て来たものである。鳥取藩は経済振興を進め、大阪との商取引を盛んにさせた。このため鳥取県は大阪の経済圏に組み込まれ、几帳面になって商品を作り、几帳面になって帳簿を付けないと、鳥取県の経済を維持できなくなってしまったのである。

③堅実

 堅実というのは、やはり鳥取県の経済力が弱い所から来ている。これを良く示すのが、これだけ経済力が低いにも拘わらず、鳥取県には銀行や信用金庫が沢山あるということなのである。それだけ鳥取県民は着実に貯金しまくっているということなのである。

 なんか鳥取県民の県民性はタマティーの性格と似てなくもない。地味で優しく、几帳面で堅実といえば、それはその通りであるかもしれない。特にこのブログでは貯金の重要性を何度も説いているので、やはり徳島県同様、貯金の習慣がしっかりと根付いている県ではタマティーのブログは受けるのである。

●鳥取県民の女性の性格

 鳥取県民の女性の性格は男性の性格とはかなり違う。鳥取県は経済力が低いので、専業主婦の率が非常に低く、夫婦共働きの率が非常に高い。しかし鳥取県の女性たちはそれが当たり前だから、フェミニストたちのように女性なのに男性のようになって働こうとはしないのだ。女らしさをしっかりと保っているのである。

①辛抱強い努力家。

 鳥取県の女性たちの最大の特徴は「辛抱強い努力家」だということである。これは雪国では共通した性格であるが、仕事をしているせいか、本当に努力を惜しまない。努力すれば何かしらのお金を得ることができる状態にあったからこそ、努力をしまくることが当然ということになったのである。

②流行に疎いが、自分の体に合った服装を着る。

 鳥取県の女性が外観で解ってしまうのは、流行に疎いが、自分の体に合った服装を着るということなのである。日本のファッションは雪の降らない東京から発信されるので、豪雪地帯に住む女性としてはそんなファッションを着ることができないのだ。自分の体に合わない服装を着ると、冬の寒さを遣り過ごせないのだ。

③経済観念が発達している。 

 鳥取県の女性は経済観念が発達している。なんせ夫婦共働きなので、妻は家計に於いて非常に強力な発言権を持てるのである。つまり「締り屋」ということになる。因みに鳥取県の女性の離婚率は非常に低い。離婚はどうやっても損だからだ。

 意外な所では、鳥取県の女性たちのボランティアの稼働率はなんと全国で1位である。経済が発達しているからボランティアが盛んになるのではなく、敬虔な宗教心があるからこそボランティアが盛んになるのである。宗教心が篤いというのも鳥取県の女性たちの特徴である。

 考えてみれば、こういう女性たちはタマティーの好みではある。「辛抱のない女」「努力してこない女性」「流行に敏感になって自分に似合わない服を着る女性」「経済観念のない女性」というのは、その女性がどんなに美人であっても頂けない。

●鳥取県出身の直木賞受賞作家はたった1人しかいない

 鳥取県のことが一番良く解ることは、「鳥取県出身の直木賞受賞作家はたった1人しかない」ということなのである。その作家の名は、

「桜庭一樹」

である。因みにこの作家は男性ではなく女性である。彼女は米子市出身なので、道理で鳥取県民の全てが応援しないわけである。ここでも鳥取市と米子市の仁義なき戦いは続いているのである。

 ところが学者になると、この鳥取県から大量に人材を輩出しているのである。鳥取県の県民性から言って、鳥取県民は作家向きではなく、学者向きなのであって、コツコツと研究するような仕事の方にその能力は活かされるのである。

 直木賞受賞作家が出すことでその県の文化がどうのこうと言われたくないのだが、都道府県別で直木賞受賞作家の数を計ってみると、文化レベルの差が一目瞭然となるのだ。当然にその結果は東京都が第一位であって、上位にランクインしているのは全て大都市を持った都道府県であるのだ。

 こうなってくると、言っちゃあ悪いが、タマティーのブログのように知的レベルの高い女性たちが見るようなブログを、鳥取県の女性たちは好むということになる。なぜならそれは鳥取県にはないものだからだ。無いからこそタマティーのブログを見ることで、文化的な豊かさを実現していくのである。

 このようなブログを鳥取県の女性たちが熱心に見ているということは、急速に鳥取県の文化レベルを向上させて行くということなのである。そうなると或る日突然に鳥取県から優秀な人材が誕生して、その後、続々とそれに続く人材が出て来るかもしれないのだ。

 尤も今は鳥取県知事に優秀な人材を選び出すことができないほど民度が低いのが現状なのである。当然に鳥取県は今の所、静まり返っている。しかし鳥取県はインターネットを恩恵を巧く得て、着々と変化が起こっているのである。ま、それがどうなるかは解らないが、まずは鳥取県知事を選挙で鳥取県出身者に変えることから始まることであろう。

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本当は、人間の死は穏やかなもんなんだよ。

●敗軍の将、兵を語らず

 俺は長らく医学関係の書評を出して来なかった。それには理由がある。俺の父親が癌で死亡してしまったからだ。しかも我が家は自然治癒力を使って癌を治して行くという運動をやっていたので、それなのに自分の父親が癌で死亡してしまったというのは、もう何も弁解できないのだ。

 「敗軍の将、兵を語らず」というのはまさにこのことで、俺自身、医学のことには何か言うことを控えてきた。ただ父親の看病をやっていたことを思い出して残念でならないのが、癌が発覚した時に、国立がんセンターに行ったのが拙かったということなのである。

 俺は「行くな」と忠告したのである。大体、国立がんセンターで治療を受けても、患者たちは結局、全員死んでいるし、それに我が家では癌治療に関してかなりの知識や技術の蓄積があったのである。それを無視して父親は行ってしまったから、あんなにも早くに死んでしまったのである。

 今回紹介するのはこの本!

 中村仁一著『大往生したけりゃ、医療とかかわるな」(幻冬舎)

  大往生したけりゃ医療とかかわるな

 俺はこの本を手に取った時、あんまり期待しないで読み始めた。医者が書く本は基本的に自慢話なのであって、その医者が手柄を立てたために犠牲になっていった患者たちがいることを知らないのだ。しかしこの本はそれがなく、医者たちのやっていることを否定しているのである。

 俺はこの本を読み始めてすぐに、

「この著者は臨済宗の信者だ!」

と直感した。臨済宗は禅問答を重んじるので、本の書き方に「平明さ」があるのだ。禅問答自体が難しい物なので、そういう難しいことをやっているから、いざ本を書かせると難しいことを一切書かず、本当に解り易いように書くのだ。それでいながらレベルは高いのである。

 そこで著者のプロフィールを見てみると、中村仁一は医師であり、老人ホーム同和園付属医療診療所所長である。この同和園は京都仏教会の前身である京都仏教護国団によって設立された社会福祉法人である。著者自身は熱心な仏教徒ではないが、臨済宗と関係があり、やっぱ臨済宗の人だったのである。

●医療が「穏やかな死」を邪魔している。

 人間は事故とか戦争とかで死ななければ、本来「穏やかな死」を迎えるようになっている。人間はそういう動物なのである。苦しみながら死ぬということは有り得ない。そういう死に方をするということは、病気になった時、医者が余計な治療をやっているからなのである。

 なぜこの当たり前のことが解らないのかというと、殆どの医者たちは病院で働いており、病気を治すことに躍起になってしまい、その後、患者がどうなるのかということを知らないからなのである。病院の医者はどんなに名医であろうが、そこには限界があるのである。

 老人ホームの場合、そこで老人たちが余生を過ごすと共に、最後には死んでいくことになる。そうなると、老人たちは老人ゆえに病気のオンパレードだということが解るし、老人たちはその老いた体を騙しながら生きて、最後は安らかに死んでいくということが解るのである。

 医療というのは確かに速効性があるのだが、その力を使って、人間が穏やかに死んでいくことを妨害してはならないのだ。医者は絶対に医学バカになってはならず、人間全体を見渡した上で、ほんの少しだけ医療を施すくらいの謙虚さが必要なのである。

 日本では病院から宗教が取り除かれた状態になっているのだが、本来、病院というものは宗教の影響下に置かねばならぬものなのである。そうしないと医者たちが万能感に囚われてしまい、なんにでも手を出してしまうからだ。しかしそんなことをやれば人間の体は逆に傷み、寿命を縮めてしまうことになってしまうのである。

●治療の四原則

 中村仁一医師は、「治療の根本は、自然治癒力を助長し、強化することである」と考える。まさにその通りだと思う。人間の体には自然治癒力があるのであって、それを使えばどんな病気でも治して行くことができるのである。医者がすべきことはそれを活かすことだけなのである。

 自然治癒力を使った治療には「治療の四原則」というものが存在する。

①自然治癒力の過程を妨げぬ事

②自然治癒力を妨げている物を除く事

③自然治癒力が衰えている時は、それを賦活させる事

④自然治癒力が過剰である時は、それを適度に弱めてあげる事

 自然治癒力の存在になかなか気付けないのは、自然治癒力の発揮を妨げる何かがあるからなのである。通常の場合では体の冷やしすぎだ。体が冷えているために免疫力が巧く発揮できず。それで病気が侵攻して行ってしまうのである。

 それと食事過剰である。人間は食事をすると、その食べ物の消化吸収に大量のエネルギーを使う。このため食事過剰になってしまうと、食べ物の消化吸収にエネルギーを取られ過ぎてしまい、それで体を健康にすることができなくなってしまうのである。

 だから人間が病気になったら、「断食」というのが一番良いのだ。断食して食事をしなければ、その分、体はエネルギーを病気の撃退に使えるのである。気をつけるべきは脱水症状を引き起こすことであり、喉が渇いたのなら、白湯でも飲んで水分補給すればいいのだ。

 恐ろしいことに、人間は年を取り、老衰で死ぬ間際になると、食事を取らなくなるだけではなく、水すらも受け付けなくなる。水を7日間飲まなくなると、自然とお迎えが来るのである。人間の体はそうなっているのであり、普通の病気なら断食という手法を使うべきなのである。

●できる限り尽くすことは、できる限り苦しめる

 自然治癒力が解っていない医者は患者の持つ自然治癒力を全く無視して、医学の力だけで治そうとすることになる。そうやってできる限り尽くすことは、できる限り患者を苦しめてしまうことになるのだ。患者は自然治癒力が使えないので病魔が急速に侵攻し、しかも激痛を伴いがら死んでいくことになるのだ。

 厄介なのは、その医者がキリスト教徒である場合、この行為が「隣人愛」というキリスト教の教義に裏付けされるものであるために、無制限にやりまくるのである。このためキリスト教徒の医者の手にかかろうものなら、苦しみながら死んで行ってしまうのである。

 愛という物は時として危険な物になってしまうのである。

 俺がこの本を読んだ時、「これはキリスト教徒が書いた本ではない」ということがすぐに解った。医者として患者を殺しまくれば、必ず心は歪むものなのである。それをキリスト教によって隠蔽するのだが、そんなもん、まともな宗教心があれば確実に見破ることができるものなのである。

 かといって仏教だからといって安全というものではない。仏教にも「慈悲」というものがあるから、仏教に帰依する医師が医療の現場で慈悲を実践すれば、キリスト教の医者よりは酷くはならないにしても、それなりの悪業を平然とやってのけてしまうのである。

 禅宗の言葉で言うなら。「見性成仏」と言うべきか、その患者が病気で苦しんでいる姿を見るのではなく、その患者の中にある仏性を見ろということなのである。自分が医者だからといってあれこれ何か手を下すのではなく、患者を仏様と思って接すれば、自然と自然治癒力を活かした治療ができるというものなのである。

 だからこんな本は禅宗の一派である臨済宗の人でしか書けないのだ。

●自分の死について考えると、生き方が変わる

 この辺りで止めておけば、中村仁一は医者として名医と称されるのだろうが、やはり臨済宗の人なのでより一歩進めることになる。患者たちに「生前葬」を行わせ、自分の死について考えさせるという運動を行っているのである。

 これは臨済宗の医療バージョンと言った方がいい。人間は自分の命が永遠に続くものだと思っているからこそ、間違った生き方を平気でやってしまうのであり、自分の死について考えると、生き方が変わり、自然と正しい生き方をすることができるのである。

 これは、

「生即死、死即生」

ということなのであって、「人間は死を覚悟して生き、精一杯生きればいい」という禅宗の教えであるのだ。患者だからといって病気に囚われているようではまだまだなのである。どうせ死ぬんだから死について考えれば、病気など消滅してしまうものなのである。

 人間の致死率は「100%」である。誰もが死ぬ。死なない人間など1人もいない。この恐ろしい事実が解っていないからこそ、人間たちは愚かなことを仕出かしてしまうのである。この世に生まれた以上、真剣になって生きる。一生懸命になって生きる。病気にあれこれ悩むのではなく、「自分がこの生きている間に何をすべきか?」に悩むべきなのである。

 この本は実に素晴らしい本だと思う。これがベストセラーになったということも頷ける。ただこの本は読者にそれなりの精神レベルがないと、この本の本当の良さが解らないと思う。俺の場合、医者の手で自分の父親が殺されてしまったので、この本の本当の良さが痛いほど解った。

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なんで剛力彩芽は嫌われるのか?

●そもそもが美人ではない

 最近、テレビで剛力彩芽を見ない日はないといっても過言ではないが、この剛力彩芽は露出度が高いくせに、世間の人々からは非難囂々である。人気がないにも拘わらず、ファッションモデルだけでなく、CMやテレビや映画に出て来るのだから、余計に反発を食らってしまうのである。

 なんで剛力彩芽がこんなにも嫌われるのかといえば、それはそもそもが美人ではないからなのである。

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  人間はその女性が美人であるなら、その女性の人格がどのようなものであっても、或る程度は評価するものなのである。それなのに剛力彩芽はそんなに美人ではないからこそ、『セブンティーン』の読者たちは支持したとしても、それ以外となると支持されなくなってしまうのである。

 剛力彩芽は当初、女優志望でタレントになったが、事務所の都合でファッションモデルになってしまった。ファッションモデルの場合、「女性たちが納得しうる美」というものが大事になってくるのだが、残念なことにこの美を持っていないのである。

 剛力彩芽は身長162cmなので、ファッションモデルとしては多少低い。3サイズは「バスト77cm」「ウエスト58cm」「ヒップ84cm」で、バランスが非常に悪い。オッパイが小さいために、どんな服を着させたとしても、それほど魅力を持ち得ないのだ。

 厄介なことに、剛力彩芽はロングヘアをショートカットにしてしまったのであり、この髪型の変更以降、剛力彩芽に対する反発が発生したのである。ロングヘアならまだ女らしさが感じられたのだが、ショートカットにしてしまうとそれがなくなるので、世間の人々は手加減しなくなり始めたのである。

●それなのに「ゴリ押し」

 それなのに「ゴリ押し」をし、剛力彩芽は様々な仕事をやりまくっているのだ。なんでこんなことができるのかといえば、剛力彩芽が所属する芸能事務所が「オスカープロモーション」だからなのである。オスカープロモーションは美人タレントを大量に抱える芸能事務所だから、ここでも彼女は場違いなのである。

 世間の人々が剛力彩芽に反発してしまうのは、「ファッションモデルは女優としては当たらない」ということが解っているからなのである。日本の民放のドラマはファッションモデルを使ってダメになっていったのである。ファッションモデルは演技力がゼロに等しいために、下手糞な演技を見せつけられてしまうので、それでドラマを見なくなってしまったのだ。

 オスカープロモーションもファッションモデルの剛力彩芽をCMで経験値を充分に積ませ、演劇で女優の仕事を一から学ばさせれば良かったものを、そういうことをせずにすぐにドラマや映画に出してしまったものだから、演技力が全く付かず、下手糞な演技を披露してしまったのである。

 もしも剛力彩芽本人が「自分は女優として全然ダメだ」と反省し、何かしらの努力をしているのなら、世間の人々はまだ庇ってくれるのだが、剛力彩芽にはそれがないのである。だから余計に世間の人々は剛力彩芽を非難してしまうのである。

 本気で女優の仕事をやりたいのなら、できる限りバラエティの仕事はしないようにすべきなのである。バラエティはどうしてもお笑いを取ってしまうので、いざ自分がドラマや映画に出たとしても、世間の人たちは真剣になって見てくれなくなってしまうのである。それなのにバラエティ出まくりなのである。

●「強力」と「菖蒲」

 剛力彩芽の名前を姓名判断してみると、彼女の思わぬ運命が解って来る。

 「剛力」とは非常に珍しい名前なのだが、剛力とは「強力」のことであり、要は「歩荷」のことである。剛力彩芽の先祖は山岳地帯で荷物運びをしていた人たちなのである。こういう苗字の場合、自分がトップに立つよりも、自分が脇役に徹した方が良いのである。

 「彩芽」とは「菖蒲」のことである。菖蒲は土の上に咲く花ではなく、池の中で咲く花なのである。だから普通の場所で仕事をしてはならないのだ。どこか限定された場所で働くべきなのであって、なんでも仕事をこなすというのは褒められたものではないのだ。

 しかも彩芽とは「彩る芽」であり、本当は「芽」なのに、それが彩られて実力以上に見えているだけなのである。『セブンティーン』も専属モデルとして成功したのは、この名があったからこそであり、だからといって他の仕事をやらして巧く行くとは限らないのだ。

 剛力彩芽という名前は、本来はご主人様に仕える人物であり、しかも限れた場所でしか活躍することが許されない名前なのである。これは字画がどうのこうの以前の話なのであり、特殊な苗字を持った人はどうしてもその苗字の持つ運気に影響を受けてしまうのである。

 剛力家がなかなか繁栄して来なかったのは、自分たちの一族が特殊な苗字を使っていることのへの自己規定が足りなすぎたのである。剛力という苗字が悪いわけではないのだ。その使い方に注意を要するものなのであって、普通の人たちと同じように生きてはならないのである。

●自分の立ち位置の大切さ

 剛力彩芽は剛力という苗字を持っている以上、自分が前面に出てしまうのではなく、少し下がった所で自分の活躍の場を見つければいいのだ。出過ぎては絶対にダメなのである。三歩引いた場所にいればバッシングを受けたりはしなくなるものなのである。

 突っ走っているよりも、最前線から少し身を引くと、様々な選択肢が見えてくるのだ。ドラマにしろ、映画にしろ、主役を張ってしまえば、自分ができることは限られてしまうのだ。しかし脇役に徹すれば、自分にそんな重大な責任がないゆえに、多少はやんちゃなことをあっても許されるのである。

 長谷川京子曰く

「ファッションモデルはポジショニングが最も大事」

と言ったものだが、これこそファッションモデルとして最重要の名言であるのだ。ファッションモデルたちはスタイルが良いからこそファッション雑誌の専属モデルになれたのに、ポジショニングということが解っていないからこそ、なかなか大成してこないのである。

 世間の人たちから嫌われるということは、ポジョショニングが全くできていないということなのである。人間ができることは常に限られている。人間は絶対に万能ではない。自分にできることがあるなら、自分の能力を発揮できる場所に行くことであって、無闇に他の場所に行ってはならないのだ。

 剛力彩芽に関して気になるのは、「賞を貰い過ぎている」ということだ。自分が功績を打ち立てていないにも拘らずに大量の賞を貰ってしまうと、後で猛反発を食らってしまうものなのである。賞を無闇に貰っていると、どこかのコメンテイターが批判し始め、それを切っ掛けに様々なスキャンダルが発生してしまうものなのである。

※筆者注

 「アヤメ」は本来「菖蒲」のことを指す言葉であり、それなのに古代に於いて「ハナアヤメ」と言われた物が現代では「アヤメ」と言われてしまっている。このため現代では「菖蒲」と「アヤメ」の言葉の混乱が存在するのである。因みに「菖蒲」は湿地に咲くが、「ハナアヤメ」は山地に咲き、湿地にだけ咲くということはない。

 「よっしー」さんからの指摘があったので、応急措置的にこの説明を加えておく。

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新月の持つ神秘の力

●なんで服や靴が早く傷むのか?

 服とか靴とかは、それらを買ってきても、自分に合う合わないがあるから、お気に入り物は頻繁に使うし、気に入らなければ使わない。お店では慎重に選んだ筈なのに、実際に自宅で使用してみると、そういう選別に起こってしまうのだから嫌になってしまう。

 もっと嫌になってしまうのは、自分のお気に入りの服や靴の中には、早くに傷む物と長持ちする物との2種類が存在するということである。長持ちする物はブランド品が多いから、俺は出来る限りブランド品を買うことにしている。値段が安いからといって、ノンブランドの物を買っても、すぐに壊れてしまうので、逆にこっちの方が損なのである。

 しかしブランド品だからといって安心できない。ただブランド名だけが有名な場合、そのブランド品を買っても長持ちしないのだ。俺はブランド品に対して或る基準があって、それは「手の込んだ作りをしてあるか否か」ということなのである。手の込んだ作りをしていると、使っても長持ちするので、そのブランドが有名無名に拘わらず、しっかりとした商品を作れるブランドは評価している。

 問題はちゃんとした商品を作っているブランドの品を買ったのに、或る物は長持ちし、或る物は短命で終わってしまう物が出て来ることなのである。こうなってくると俺の使い方が悪いということになってしまうのだが、服や靴は生活で使う以上、様々な動きを想定して作られている筈であって、俺の使い方がどうのこうのではないだろう。

 この年末年始にうちの姉が帰郷してきたのだが、その際にこの問題が話題になった。俺としては「ブランド品を買い、そのブランド品の中から良く選んで買わなければならない」という答えを持っていたのだが、姉の意見は違っていた。但しそのネタ元が占い師の物だから、余り信用できないのだが……。

●服や靴は新月に下ろす

 或る占い師が言うには、

「新月に服や靴を下ろすと長持ちするし、身銭が付くようになる」

ということなのである。

俺はこの意見を聞いてすぐにピンと来た。というのは俺の手帳には月の満ち欠けが書いてあり、買い物に対して慎重になっている俺は普段から新月近辺で買い物をするが、それ以外では余り買い物をしなかったのである。

 この占い師の意見は科学的な物ではないかもしれない。しかし新月近辺では人間の思考が冷静になっており、下手な物は買わない傾向にある。これに対して満月近辺だと人間の思考が冷静になっていないので、それで下手な物を買ってしまう確率が高くなってしまうのである。

 この占い師は男性ではなく女性なのだが、女性ゆえに男性よりも買い物をする回数は多い。このため気を付けて見ていれば、新月に買った物は長持ちし、満月に買った物は長持ちしないという「経験則」が導き出されたのであろう。この意見は単なる思い付きではなく、経験則に裏付けされていることを忘れてはならない。

 この意見は育児をしている母親たちには朗報である。なぜなら子供の服は傷むのが早い。子供は大人よりも遥かに動き回るからだ。靴に至っては足が大きくなっていくので、足が大きくなれば靴を捨てざるを得ないのだ。だから服や靴が長持ちする方法を知っていれば、自然と家計が潤ってくるようになるのだ。

 普段から衝動買いを控え、新月近辺に服や靴を買うようにすれば、自然と出費を抑制することができるのである。これは計画性がないとできない。家計簿を付けるのは勿論のこと、支出の予定を組んでおかないとできないことなのである。当然にこのような合理的な家計の運用は生活を豊かにするし、収入がどのようなものであっても確実に貯金することが可能になってくる。

●満月以降に下ろすと、身銭が身に付かない

 「満月以降に服や靴を下ろすと、早くに壊れてしまい、身銭が身に付かなくなる」

とこの占い師は言う。恐らくこれは「満月の力」が人間の精神に影響を齎してしまい、普段なら冷静に対処できるのに、自分の精神が多少異常を生じているので、衝動買いしてしまい、ちゃんと選ばずに物を買ってしまうからであろう。

 そうやって良く考えずに買ってしまった物は、早くに壊れる確率が非常に高くなる。壊れなくても、柄が気に食わないとかいって、それを使用しなくなってしまうのだ。となると新しい物が必要になってくるのであって、当然に身銭が身に付かなくなる。

 育児をしている母親たちは、子供の服や靴を買う時期に気を付けた方がいい。なぜなら母親は家事や育児で四六時中追われることになるので、子供たちの服や靴が壊れると、何も考えずにすぐに買ってしまうからだ。こんなことをやっていては家計が苦しくなるのは当たり前のことなのである。

 家計を巧く遣り繰りするためには、「家計簿」だけではなく「手帳」も必要なのである。その手帳も月の満ち欠けが書かれている物でなければならず、月の動きを見ながら、「今日は買い物をしていいか?」「今日は買い物をしてはダメか?」ということを決めて行くようにしなければならないのだ。

 結婚生活を安泰にするためには、出来る限り子供を多く産むことと、マイホームを持つことなのである。出発時点からマイホームがある夫婦はそれでいいのだが、借家からの出発だと、どうしてもマイホームの問題は大きな問題になってしまうのだ。

 だから無駄遣いなど出来ないのだ。削れる所は削らなければならないのだ。家計の中で無駄遣いの最たるものは、夫がやっているのではないのだ。妻が無計画に物を買っていることにこそあるのだ。そのことを絶対に忘れてはならない。計画性を持たない限り、家計はどうやったとしても潤わないのだ。

●長持ちしたければ衝動買いはしない

 子供は体が成長していくので、そんなに高価な物を買うことはできないが、大人はもう体の成長が止まっているので、高価な物を買って長持ちさせるようにしなければならないのだ。高品質な物は値段が高いが、長持ちするので、時間を計算に組み入れてみると、その方が安上がりなのである。

 子供のためにお金がかかっているのに、親が高価な物を買うことには躊躇してしまうものだ。親心としては自分がボロを着ても、子供には錦を着たせたいと思ってしまうからだ。しかし本当に親がボロを着ていれば、いずれ子供たちの方が親を疎んずるようになるのだ。

 この辺りは難しいことだ。持てるお金は常に限られているのだ。その限られたお金の中で高価な物を買えば、どうやったとしても家計を圧迫することになる。だからただ単に高価な物を買うのではなく、買う時期を考慮して、その物が長持ちできるように工夫すべきなのである。

 出費を抑制しながら高価な物を買い、それでいながら長持ちさせたいのなら、普段から「身嗜みを良くする」ことだ。身嗜みが悪いと、服の傷みが早いし、高価な物であっても高価に見えないのだ。身嗜みを良くするということは、見栄えを良くするだけでなく、家計を豊かにすることに関しても効果を発揮するのだ。

 「月の力」に縛られるのは、それはそれで良くないことだ。しかし常に衝動会を抑えるということは大事なことなのである。人間は自分に必要な物しか持てないのだ。不要な物など持てないし、持てば持ったで自分の自由をそれだけ奪って行くのである。

 自分の生活が神様の聖慮に適っているかを問いかけながら生きて行くことは本当に大切なことなのである。神という視点が抜けた時、人間は堕落して行ってしまうものなのである。自分の生活というのは、自分の宗教心が具現化したものなのであって、自分が敬虔な宗教心を持っているのなら、自分の生活をそれに見合うように作り変えて行かなければならないのだ。

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頭の良くなる食事 ~書物と食事の関係~

●世界史を変えたジャガイモ

 俺が読書をしていてつくづく思うのは、この世の中は頭の良くなる食事という物が存在するということなのである。古代ではメソポタミア、エジプト、インダス、中国で文明が花開き、中世ではイスラムの文明が花開き、そして近代になると西ヨーロッパで文明が花開いた。

 しかし西ヨーロッパは中世まで停滞しきっていたのであり、それが大航海時代によってインカ帝国からジャガイモが齎されるようになってから、突如として文化レベルが急上昇していったのである。逆に言えばジャガイモを食べていなかった時期の西ヨーロッパ人たちはバカだったということなのである。

 ジャガイモは世界史を変えたと言っていい。ジャガイモはなぜそんなに良いのかというと、ジャガイモは穀物とは違い、少し噛めばすぐに粉状になるので、それが腸内に行くと非常に効率良く消化吸収されるので、高いエネルギーを発生させるのである。

 日本では江戸時代初期にオランダ商人たちがジャカルタからジャガイモを持ち込んだ。このため「ジャカルタのイモ」、略してジャガイモとなったのである。ジャガイモは長らく観賞用として使用されていたが、天保の大飢饉ではジャガイモを食って餓死を免れる者が続出した。

 日本が明治維新を起こすのはその後なのであり。しかも北海道開拓でジャガイモが大量生産されることによって、日本国民にジャガイモが普及していったのである。日本の近代化が成功したのは、日本人がジャガイモを食っていたからなのである。

 我が家では「里芋」や「サツマイモ」も食うが。ジャガイモも大量に食う。母親がジャガイモ好きなので、頻繁にジャガイモが出て来たのだ。因みにジャガイモは北海道産に限る。他でもジャガイモは取れるのだが、北海道の寒さがジャガイモを美味しくさせてくれるのである。

●食材を活かした料理法

 ジャガイモが入って来ると、その料理法は単純な物で良くなる。というのはジャガイモを使った料理が出て来ると、それがかなりの部分を占めてしまうので、他に少々何かを作ればいいだけになるからだ。料理法が発達してしまうと確かに美味しい料理を作れるのだが、その分、食材の栄養を破壊してしまうのである。ジャガイモは料理法の発達にブレーキをかけたのである。

 ジャガイモを最も美味しく食べたいのなら、ジャガイモを蒸かして、バターを付けて食えばいい。非常に単純なのだが、これが一番美味しい。ドイツ料理はまさにこれが解っているのであって、だからドイツ人は頭が良くなったのである。

 イギリス料理もロシア料理もジャガイモを使った場合、多少手を加える。但しジャガイモを使った料理をほぼ毎日食べるので、ジャガイモの消費量は非常に多くなるのだ。このためイギリス人もロシア人も頭が良くなっていったのである。

 フランス料理やイタリア料理は中世の段階で既に宮廷料理を確立していたので、ジャガイモが入って来ても、それほど多く食うことはなかった。このことは中華料理や韓国料理も同じことで、宮廷料理が確立されていると、ジャガイモをそんなに食わなくなってしまうのだ。

 日本では皇室があったにも拘わらず、皇室は鎌倉時代以降、政治の世界から離れ、貧乏になっていくので、宮廷料理が存在しなかったのである。そのためジャガイモが登場して来た時にはジャガイモが入り込む余地があったのであり、それでジャガイモが普及していったのである。

●晩酌は家庭料理を破壊する

 ジャガイモは澱粉が大量に含まれているので、それを穀物と合わせてくえば、それ以上の炭水化物を必要としなくなる。ここで最大の問題となるのは、飲酒をどうするかなのである。結論からいえば、食事からお酒を抜けば、人間は頭が良くなるのだ。

 この点で最も高い評価を与えられるのが、イギリス料理である。イギリス人は基本的に家庭の食事でお酒を飲まない。飲酒は基本的にパブで行うのだ。食事でパンとジャガイモを食えば、お酒を飲む必要性などないのであって、自然とお酒を抜け落ちて行くのは当たり前のことなのである。

 ドイツ料理もロシア料理もジャガイモを大量に使うのだが、お酒を駆逐することはできなかった。ドイツ人はビールを、ロシア人はウオッカを飲み続けてしまった。ドイツやロシアはイギリスよりも寒いので、気候がそうさせてしまったのかしれないが、お酒を抜かすことができなかったのである。

 フランス料理もイタリア料理もワインを飲みながら食う。日本では塩味が緩和されているのだが、本場の料理は脳にツンと来る塩辛さを持つ。このことは中華料理や韓国料理も同じことなのであって、塩をかなり入れるので、お酒なくして食うことはできないのだ。

 自宅では出来る限りお酒を飲まない方がいいのだ。晩酌はリラックスできるかもしれないが、晩酌の弊害があることも知っておいた方がいい。それは晩酌は料理を塩辛くしてしまうのであって、その塩味のために料理が破壊されて行ってしまうのである。「飲酒をしたければ居酒屋ですべし」なのであって、そういうことをしていないと家庭料理を守ることができなくなってしまうのである。

●民族料理なくして優れた文化を作り出すことはできない

 俺が様々な国の本を読んで来て、最も高い評価を与えることができるのは、「イギリス人が書いた本」である。イギリス人たちは別に凄い料理を食っているのではないのだ。日本人の目から見れば「健全なるジャンクフード」という程度の物であって、だがジャガイモによってお酒が抜け落ちたからこそ、非常に素晴らしい料理になったのである。

 俺は日本人だから日本の本にも高い評価を与えてしまうが、その際、評価の明暗を分けるのは、その著者が飲酒するのかしないのかなのである。飲酒していない人は明らかに質の高い本を書いて来る。逆に飲酒をする人はどう読んでもイマイチなのである。

 和食は栄養バランスが取れている食事なので、和食からお酒を抜くためにはジャガイモ料理を多く出せばいい。ジャガイモの消費量が増えると、自然とお酒は消えていくのだ。お酒が消えると、途端に頭が良くなり出すので、とにかく実行してみることだ。

 民族料理なくして優れた文化を作り出すことはできない。この点、アメリカ合衆国は民族料理がないので、どうやっても優れた文化を作り出すことができないのだ。アメリカでやっていることは世界各国から様々な文化を流入させることであって、それによって新たな文化を生み出しているように見せかけているだけなのである。

 アメリカ合衆国は覇権国家ゆえに、アメリカ人の書いた本がアメリカ国内でヒットすれば、必ず日本語に翻訳されるのだが、その時でも良い本を書いて来るのは、アングロサクソン系かドイツ系かロシア系の人たちだけである。やはりここでも食事が大きく関わって来ることになるのだ。

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M字曲線は女性の生活の質を向上させる

●結婚による生活の変化

 女性は結婚すれば生活を変化せざるを得ない。男性も結婚によって生活が変化するが、女性の変化は男性とは比べ物にならないからこそ、女性たちは結婚を真剣になって考えるのである。結婚や妊娠出産のために仕事を辞めざるを得なくなる場合も出て来るのであって、そうなれば今まで得ていた収入がなくなってしまうのである。

 女性の所得は「M字曲線」を描くものなのだが、フェミニズムに洗脳された女性学者たちは「これは女性差別なのであって、M字曲線を是正すべきである!」と主張し、よりによって政府は無批判でこの意見を取り入れてしまい、既婚女性たちを働かせようと躍起になっているのだ。

 その結果、どうなったかといえば、より出生率が下がり、結婚率まで下がってしまったのである。政府は人口減少により拍車をかけることを正気でやってしまったのである。既婚女性にM字曲線は必要だからこそ起こっているのであって、政府が国家権力を使って無闇にそれを是正しようとしてはならないのだ。

 既婚女性の所得がM字曲線を描いた場合、それによって何が起こっているのかといえば、「生活の質の向上」が起こっているのである。数字的には所得は減少する。しかしそれによって生活の質が向上しているからこそ、どの夫婦も結婚を機に生活が激変するのである。

 生活の質というのは、所得を無闇に増やしても向上しない。成金たちの生活を見れば解るように、なんでこんな悪趣味な生活をしているかと思ってしまうものだ。所得を減少させて、生活の質を向上させたことがないために、無駄だらけの生活になってしまったのである。

●もしも結婚しなければ・・・・・・

 もしも女性が結婚しなければ生活の質を向上させるのが出来なくなってしまう。女性は結婚によって不要な物を捨てることになるのだが、結婚しないということは不要な物を捨て去ることができなくなってしまうのだ。だから自分の部屋に大量の不要品を溜め込み、そこから抜け出せなくなってしまうのである。

 女性が妊娠して赤ちゃんを出産すれば、この赤ちゃんを育てることに最優先することになる。このため資金は育児に集中することになる。これによって今まで無駄に支出していた物が一気に削減され、それによって生活の質の向上が起こるのである。

 大体、女性は赤ちゃんを生むと、赤ちゃんを安心して育てることができるようにと、マイホームを欲しがるようになるので、それでマイホームを購入してしまうのである。驚くべきは夫婦がマイホームを欲しいと思った3年後にはどの夫婦もマイホームを購入しているというデータが存在しているのだ。

 もしも女性が結婚しなければ、こういう変化が起こらないということなのである。働いて或る一定の収入のある女性から見れば、結婚して今の地位を失うのは恐ろしいものなのであるが、その恐怖のために結婚を躊躇してしまい、結局、生活の質を向上させるチャンスを永遠に失ってしまうのである。

 何事も数を増やせば質が向上するようにはなっていない。数を減少させるからこそ質が向上するようになっているのだ。所得を低下させれば誰だって生活が苦しくなるのだから、それで生活の改善に必死になって取り組み、それで生活の質が向上してしまうのである。

●気をつけるべきは結婚後もそのまま働くこと

 気をつけるばきは結婚後も妻が働いてしまうことなのである。職業の中には女性が結婚しても働かなければならないものがある。第一産業はその典型例で、農業であれ漁業であれ牧畜業であれ、結婚したからといって妻の仕事が免除されることはない。このことは自営業でもそうだし、夫婦で会社を経営しているのなら、これも同じことになる。

 現在、日本政府は企業に結婚退職を認めず、女性が結婚しても働ける環境を整えようと躍起になっているのだが、こうなると普通の会社員ですら結婚後も働いてしまい、結婚後もそれなりの収入を得てしまうのだ。しかしこれでは妻の収入に変化がないから、結婚以前の無駄な生活をそのままし続けてしまうようになってしまうのである。

 夫婦の収入は減少していないのだから、絶対に妻は生活の改革に必死にならない。収入が現状維持なら一体誰が生活の改革に着手するというのか? 生活の改革は収入が減少したからこそ必要に迫られてやるのであって、だから真剣になって取り組み、時間と共にそれなりの成果が出て来るのである。

 こういう場合、出産休暇とか育児休暇を利用して、妻に生活の改革に着手するようにしなければならない。妻は出産や育児で忙しくなっているので、夫が敢えて何か言わないと妻は絶対にやらないのだ。やれる時期はこの時期しかないのである。

 せめて家計簿をつけ、無駄な支出を把握し、それを思いっきり削減してしまうことだ。出産や育児で出費が嵩むために、無駄な支出を指摘されれば、反論することなく同意してくれるのだ。支出の内容を変化させることで、生活の質の向上を図っていくのである。

●子供を保育園に預けて働きに出るよりもすべきことがある

 結婚退職や出産退職してしまった既婚女性たちは、子供がいる以上働きに出ることができないのであって、そうなると「子供を保育園に預けて働きに出よう」という考えに囚われてしまうものだ。働けば収入を得られる以上、これは一見正しい意見ではないかと思ってしまう。

 しかし既婚女性がやるべきことは、生活の質を向上させることなのである。生活の質を向上させてしまえば、少ない収入でも豊かな生活を送ることができるようになるのだが、生活の質が向上しないと、現在の生活を維持するためにより多くの収入を必要とするようになってしまうのだ。

 収入を無闇に増やしても、生活の質は向上しないということに一刻も早く気付くべきなのである。

 育児をしているということは、それだけ自宅にいる時間が多くなるということなのである。だったらその時間を使って生活の質を向上させていけばいいのである。それなのにテレビを見たり、お菓子を食ったり、友達とお喋りをして時間を無駄に使っているからこそ、生活の質を向上させることができないのだ。

 有難いことに女性には子供ができるとマイホームを持ちたいという欲望が出て来る。その欲望を巧く利用してマイホームを買ってしまい、マイホームを買うために家計を統制をして、無駄な支出を思いっきり削減してしまえばいいのである。

 しかも引越しの際に家の中にある無駄な物を全部処分してしまえばいいのであって、そうやって自宅の中をスッキリとさせるからこそ、生活費が余りかからない生活を実現することができるのである。家の中に物が多くなればなるほど、生活費は余計にかかるものなのである。

●10年も経てばガラクタだらけになるもの

 就職したのなら、定年退職するまでその仕事をし続けるだろうなとど思ってはならないのだ。終身雇用という考えは男性がすべきものであって、男性であってもこれを本当にできる人は数が限られているものなのである。しかも男性は結婚することで妻子への支出が発生するので、給料が順調に上昇していっても、実は見えない所でⅯ字曲線が作られているのである。

 女性の場合、就職したとしても結婚を考えないような働き方は絶対にすべきではないのだ。もしも女性が結婚しない場合、M字曲線が描かれることがないので、それで生活の質が全く向上しなくなってしまうのだ。結婚しないからお金はあるだろうが、その余分なお金で高級ブランド品を買い、海外旅行に行っているようでは、生活の質が向上するわけがないのだ。

 人間は男女ともに10年も働けば家の中はガラクタでいっぱいになるものなのである。人間は10年も同じ生き方をすることができないのだ。自分の仕事を10年もやり続ければ、もうその仕事ですべきことは全部やり尽くしているのであって、そのまま働いてもなんの価値もないのだ。

 高卒の女性なら「28歳」、大卒の女性なら「32歳」というのが、丁度いい人生の曲がり角なのであって。この時期までに結婚して自分の生き方を変えて行かないと、ただ単に死ぬまで働き続けることになり、「資本主義の歯車」としてしか生きて行くことができなくなってしまうのである。

 女性たちの結婚によるM字曲線は絶対に悪いものではない。M字曲線があればこそ生活の質が向上して行くのである。M字曲線は実は男性だって支出の面で描いているのである。何もM字曲線は女性だけに起こる特有の減少ではないのだ。

 家の中にガラクタを大量に溜め込んでおきながら、生活の質を向上させることはできない。女性たちの間で片づけ本が売れるわけは、それだけ女性は男性よりも物欲が強く、ガラクタを大量に溜め込んでしまうからなのである。普通に生きていてもその有様なのである。だから結婚というものを巧く活かして、自分のガラクタを思いっきり処分してしまうべきなのである。

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なぜタマティーのブログは30代の女性たちに人気があるのか?

●恐ろしいまでの「80対20の法則」

 niftyのアクセス解析がリニューアルになったのだが、新型の機能によってこのタマティーのブログをどのような人たちが見ているのか、明確に解るようになってしまった。恐ろしいことに「80対20の法則」が思いっきり作動しており、「80対20の法則」が解っていると、このブログに起こっている現象を正しく理解することができるのである。

 例えば、性別では男性が20%、女性が80%である。俺は女性向けにブログの記事を書いているわけではないのだが、なぜだか俺のブログは女性たちに受けてしまうのである。事実、コメントになると女性たちばかりが寄せてきて、男性たちによるコメントは数えるぐらいしかない。

 年代では、女性たちの内、30代が主力で、それに20代と40代を合わせると80%に達するのだ。10代は10%以上いる、しかし50代になると極端に低下する。俺のブログは30代の女性たちに対して圧倒的な人気を博しているということになる。

 そこで今回、このブログを見ている30代の女性たちにアンケートを取ってみることにした。

「なぜあなたはタマティーさんのブログが好きなんですか? その理由を次の中から答えて下さい。 

1,タマティーのヒット曲『恋するフォーチュンタマティー』が好きで、その曲でいつも踊っているから。

2,タマティー原作の大ヒット漫画『進撃の巨根』を読んで、巨根が城壁を越えるシーンを好きになったから。

3,タマティー主演の超ヘビー級アダルトビデオ『北斗チン拳 お前はもうイッている」を見て、どんな女性でも行かしてしまう所が好きになったから」

 アンケートの結果は、どれも回答がなんと全部「0%」。

 しかも、「どちらとも言えない」がなんと「100%」。

「どういうこと!?」

 それだけでなく、このアンケートには苦情が殺到しまくりやがった。アンケートに答えろって言っているのに、苦情を寄越して来るな!

苦情その1「何、『恋するフォーチュンタマティー』って? 変な曲、作らないでよ。この曲が頭にこびりついて離れない」

苦情その2「何、『進撃の巨根』って? タマティーさんのおチンチンは城壁よりも高いっていうの?」

苦情その3「何、『北斗チン拳 お前はもうイッている』って? またシモネタ~? あんたも好きね~」

 言っておきますが、シモネタは3つの内、2つしかありません。『恋するフォーチュンタマティー』をどのようにしてシモネタにせいと? 世間の人々はこの曲を聞くと踊り出しているではありませんか? それよりもこの曲で踊りながら苦情を出してくるのをやめなさい!

 これではなぜ俺のブログが30代の女性たちに受けているのか解らない。俺が頭を使って、深く突っ込んで考えなければならなくなってしまった。

●女性は男性より頭を使っているから

 脳の大きさは男女平等ではない。男性の脳は女性の脳よりも一回り大きい。体の大きさの違いが、そのまま脳の大きさの違いになるのだ。それだけでなく男性ホルモンの分泌が女性の脳よりも脳を大きくさせてしまうのである。人間の男性は「狩猟」を行うように設定されているので、脳が大きくないと狩猟を成功させることができないのである。

 しかし男性たちが自分の脳をちゃんと使っているのかといえば決してそうではないのだ。実を言うと、女性たちの方が男性たちよりも自分の脳をちゃんと使っているのである。その最大の理由は結婚して家事や育児をするからなのである。家事や育児こそが脳をフル稼働させてしまうのである。

 家事というのはオールマイティーの仕事である。料理、掃除、洗濯と、全てのことを自分1人でこなさなければならない。そこに育児が加わり、子供の世話を24時間、年中無休で行わなければならない。だから女性は結婚して子供が出来てしまえば、脳はフル稼働の状態になってしまうのである。

 これに対して男性は何をやっているのかといえば「仕事」だ。仕事というのはオールマイティーの仕事ではなく、何か1つのことに特化したものである。社会に出て働くということは、特化された仕事をやればいいということなのである。勿論、その仕事は重労働である。だが、その仕事をどんなに真剣にやったとしても、自分の妻よりも頭を使っているとは限らないのだ。

 タマティーのブログは情報がテンコ盛りである。生活一般だけではなく、宗教のことも学問のことも出て来るので、普段の生活で頭をちゃんと使っていないと理解できない物になっているのだ。だから結婚して赤ちゃんが生まれ、家事や育児に追われている人がこのブログを見れば充分に楽しめることができるのである。

●仕事をしてしまうと、そんなに頭を使わない

 タマティーのブログは女性たち全員に受けているのではない。女性と雖も結婚せずに仕事をしてしまうと、そんなに頭を使わないので、俺のブログを見ないし、見たとしても理解できないのだ。キャリアウーマンは一見頭が良さそうに見えても、頭を殆ど使っていないから、俺が相手するにはきついのだ。

 俺は仕事柄、日々大量の本を読んでいるのだが、俺がつくづく思うのは、女性作家たちの中で独身の女性とか、結婚しても子供のいない人の書いた本は大したことないということなのである。俺はこのことに20代後半で気付けたのだが、今になってみればその理由がよ~く解る。赤ちゃんを産み育てたことがないので、頭を大して使っていないからなのである。

 職業という物はたとえそれがどんな物であっても、協業と分業を行う経済の中では或る特定の作業しかしなくていい物であるということを解っていないと拙いのだ。だから組織では定期的に人事異動をさせて、他の仕事をさせることで良い刺激が得られるようにしているのである。

 働いているのなら、自分に与えられている仕事をこなせばそれでいいというものではないのだ。それ以上の何かをしないと、自分の頭を巧く使ったことにはならないのだ。仕事をするなら、「読書の習慣」を持つようにすることだ。読書をして自分の頭を使うからこそ、脳は仕事の以外のことも出来るようになるのである。

 それと仕事をしたり、読書をした以上、「自分の考えをノートに書く習慣を持つ」ようにすることだ。自分の考えは頭の中で考えていてもなかなか纏まらないものだ。しかしノートに自分の考えを綴ってしまえば、自分の考えが纏まって行くのである。

●行動を伴う閲覧

 インターネットをやる際に気をつけるべきは、ついつい「ネットサーフィン」をやってしまい、様々なサイトを見るのはいいが、そのために情報過多になり、それで頭でっかちになってしまい、何も行動を起こさなくなるということなのである。

 その点、タマティーのブログはそうなっていないのだ。このブログを見るのは別に構わない。しかしこのブログは記事を読むだけではなく、行動をも要求するのである。そして実際に行動してみれば。「本当にタマティーさんの言う通りだ!」と心の奥底から感心してしまうのである。

 世の中には理想的な高尚な意見があったり、美辞麗句で彩られた意見があったりするものだが、そういう意見を聞くのは良いが、実際にやってみることが不可能、または実際にやってみると失敗してしまうというものが多々あるものなのである。

 ところが、そういう意見は自分が出来ないからこそ、逆に人々は妙に惹かれてしまうのである。自分がやってもできないから、悪いのは自分なのではないかと勘違いしまうのだ。はっきりと言っておくが、悪いのはお前ではない。悪いのはその意見であるのだ。

 女性が結婚して赤ちゃんを産んでしまえば、「本物の意見」を求め出すものなのだ。なぜなら本物の意見を採用しないと、我が子が死んでしまうかもしれないからだ。そうなると、本物の意見を述べているタマティーのブログがお気に入りになってしまうのだ。

 しかもこのブログにはBGMが流れており、タマティーの『恋するフォーチュンタマティー』が聞こえて来るのである。

「♪恋するフォーチュンタマティー!

 未来はそんなに悪くないよ~

 Hey! Hey! Hey!

 ツキを呼ぶには笑顔を見せること

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なんで過食症が起こるのか?

●過食症で苦しむ女性たち

 過食症とは、激しく飲食をした後に、嘔吐や下痢などの代償行為をしてしまう病気である。ただ単に激しく飲食するだけでは過食症にならない。それは「暴飲暴食」なのであって、厳密な意味で病気ではない。過食症の場合、飲食の後に嘔吐や下痢などをしてしまうからこそ、これは病気だと認定されたのである。

 過食症の歴史は非常に浅く、1979年にアメリカ合衆国のジェラルド・ラッセル教授によって提唱されたものである。過食症はアメリカ合衆国生まれであることを良く覚えておいて欲しい。過食症なんて病気はアメリカ合衆国が覇権を獲得する前に存在しなかった病気であるのだ。

 過食症に罹る割合は女性の方が圧倒的に多い。女性の脳は食欲中枢と性欲中枢が近い場所にあるために、年頃になって体型を気にするような年齢になると、過食症を発生してしまう可能性があるのだ。男性の方は脳の構造が違うために、暴飲暴食どまりであるのだ。因みに過度の飲酒好きの女性や肉食系の女性は過食症の予備軍であると言っていい。

 過食症はその正反対の拒食症に転ずることがある。過食症のために食事の度に嘔吐や下痢を繰り返すので、それで飲食を一切しないということになってしまうのだ。過食症と拒食症は同じ物であるということが解っていないと、これらの病気を別個に扱ってしまい、根治が難しくなってしまう。

 過食症の女性はそれだけ大量の食べ物を食べているのだから当然に肥満になる。しかしその肥満は病的な肥満で、「むくみ」「虫歯」「低血糖」「低血圧」「全身倦怠感」といった、その外見の姿から想像できないくらいに、体がおかしな状態になっているのだ。肥満になりたくないから嘔吐し続けてしまうと、今度は一転してガリガリの痩身になってしまう。

 過食症は悪化すると「病死」か「自殺」によってその生命に終止符が打たれることになる。だから過食症をただ単に暴飲暴食の病気だと思っていると、とんでもない間違いを起こしてしまうのだ。これは癌とか白血病のように「死の病」なのであって、死ぬ危険性があると理解した上で慎重に治療をしていかなければならないのだ。

●赤ちゃんの時に負った「心の傷」

 拒食症の女性たちには或る共通項がある。それは「離乳食の開始時期が早すぎた」ということなのである。人間は哺乳動物である以上、哺乳期間は原則として2年もの長期間に及ぶ。その間、赤ちゃんは母乳以外の飲み物を飲めないのだ。

 それなのに拒食症の女性たちは生後6ヵ月から離乳食を開始しているのである。なんでそんなにも早い時から離乳食を食べ始めたのかといえば、それは『母子手帳』にそう書かれてあったからなのである。因みに生後6ヵ月の赤ちゃんには歯は1本も生えていない。それなのに無理矢理に離乳食を食わそうとするのだ。

 生後6ヵ月の赤ちゃんに離乳食を与えるとどうなるのかといえば、母親が赤ちゃんの口に離乳食を入れても、赤ちゃんは吐いてしまう。たとえ飲み込んでくれたとしても、その後、嘔吐してしまう。嘔吐しなかったら、今度はアトピーを発症してしまうのである。

 この光景、何かに似ていませんか?

 そう! これは拒食症の女性が暴飲暴食の後に嘔吐を繰り返してしまう光景とそっくりなのである。赤ちゃんは母親から無理矢理に離乳食を食わされててしまったために、自分に「心の傷」を負ってしまったのである。母親の愛情は自分に無理矢理何かをすることだと思っているから、自分が大きくなって愛を欲しいと思った時に、暴飲暴食と嘔吐を繰り返すのである。

 日本は古来より、生後10ヵ月以降の赤ちゃんには離乳食を食べさせても良いという育児の習慣を持っていた。生後10ヵ月なら歯が1本ぐらいは生えて来ているし、離乳食を食べても免疫疾患の病気を引き起こす可能性が低くなるからだ。

 しかし日本政府がなんで日本の習慣を破り、生後6ヵ月からの離乳食を推奨するようになったのかといえば、それは『スポック博士の育児書』の意見を取り入れたからである。この本は育児書に於いて「史上最悪の悪書」と呼ばれているのだが、日本政府はこの本にまんまと騙されてしまったのである。

 この本はロックフェラー財団の支援によって作られた物であり、「人口削減計画」の一環として出された物なのである。彼らは人間の持つ育児の仕方を破壊してしまえば、人間は大きくなって病気だらけになって早死にするようになり、子孫を残さないと考えたからこそ、こんな悪書を作ったのである。

●アメリカ産の「危険な小麦粉」

 ロックフェラー財団は食糧面でも人口削減計画を推進しており、遺伝子の組み換えの小麦を作り、それを流通させてしまったのである。この小麦には食欲増進がプログラムされており、この小麦を食えば食欲が止まらなくなるのだ。この小麦が出回るようになってから、アメリカ合衆国ではデブが大量発生し始めたのである。

 小麦は炭水化物なのであって、人体にはそれほど必要な物ではない。パンなら1個か2個食べれば充分なのである。それ以上食べてしまうと、血糖値が上がり過ぎるので、人体は自然とストッパーが効くのである。ところが遺伝子を組み換えた小麦はそのストッパーが効かなくなってしまうのである。

 健康な体を持っていれば、アメリカ産の小麦を食べると胃がムカムカしてくる。しかし拒食症の女性は小麦の摂取量が多いために、ムカムカを通り越して、嘔吐してしまうのである。体はもうこれ以上、アメリカ産の小麦を食うのは危険と判断したからこそ、体は嘔吐で反応してくるのである。

 日本国内に国産小麦以外で流通している小麦粉は基本的にその大半がアメリカ産の小麦粉である。しかも学校給食では100%アメリカ産の小麦粉が使用される。このため日本人でありながら、アメリカ産の小麦粉を食う羽目になり、過食症の女性たちが出て来ることになってしまうのである。

 過食症や拒食症を発症している女性たちの大半がアメリカ人女性たちであるということを絶対に忘れてはならない。そして次いで日本人女性たちである。日本人でありながら、アメリカナイズされた生活を送ってしまったからこそ、こういう酷い目に遭わされているのである。

●病院での治療が治療になっていない

 過食症はアメリカ合衆国発の病気である。しかも或る悪魔的な邪悪な勢力が人工的にこの病気を作り、ばら撒いたのである。これはエイズと同じであって、彼等の人口削減計画というものが解っていないと、この人工的に作られた病気を解明していくことはできないのだ。

 過食症の原因が解っていないから、治療法がないのだ。過食症を治療する医者たちは「治療法」という言葉を使わず、「対処」という言葉を使っていることに着目しなければならない。過食症に対して治療法がないために、ただ単に過食症の症状がこれ以上悪化しないように対処しているだけなのである。

 悪質な医者になると、少し調べればこれはアメリカ生まれの病気だと解るのに、なぜだかそのことには触れず、日本の家族関係に問題があると問題を擦り変えて来るのだ。こうなるとその医者によって患者の家族関係が滅茶苦茶にされてしまうので、病院で治療を受ける時は患者の方に注意が必要なのである。

 過食症は「精神的な原因」「食品による原因」からなる。だから過食症の持つ精神的な所だけに着目してはならないし、逆に食品のことだけに着目してもならない。日本の医者は大学の医学部で医学を学んでも栄養学を学んでいないために、精神と食品が絡む病気に適切な治療法を打ち出せないのである。

 気をつけるべきは、過食症は悪循環を引き起こすということだ。所謂「過食症スパイラル」で、過食症の患者が病院で治療を受けているのに、なぜだか過食症の症状が余計に悪化して行ってしまうのだ。また過食症は一転すると拒食症になってしまうので、今度は「拒食症スパイラル」を引き起こしてしまうようになるのだ。

 過食症にしても拒食症にしても、放置しておくと病死や自殺を引き起こすことになるということを絶対に忘れてはならない。医者と雖も確実に治療できないのなら自分の非を認めて交代すべきなのであって、それなのにダラダラと治療を遣り続けてはならないのだ。

●過食症の治療法

①アメリカ産の小麦粉を徹底的に抜く

 過食症の治療ではまずアメリカ産の小麦粉を徹底的に抜くことが必要である。過食症の女性はアメリカ産の小麦粉に体が反応してしまうのである。だから国産の小麦粉の切り替えるようにすることだ。少なくとも主食でパンやうどんを食べるのをやめることだ。これらの物にはアメリカ産の小麦粉が使われているからだ。

 外食の際には注意点を要する。自宅ではアメリカ産の小麦粉を除去できても、外ではそれがなかなかできないからだ。その際、主食を抜かしてオカズだけ食べるようにすることだ。炭水化物を極端に減らしてしまえば、体は脂肪や蛋白質を消化吸収することを最優先するので、多少、アメリカ産の小麦粉が入ってきても、辛うじて安全性を保つことができるのである。

②正食を心掛ける

 次に正食を心掛けるようにすることだ。「正食」と「病院で言われているような栄養バランスの取れた食事」とは違う。正食というのは、主食に果物や無精白穀物を使用し、そこに味噌汁などのスープ類、そして野菜や肉や魚とったオカズを揃えた食事であるのだ。

 人間は本来「果実食動物」なので、果物をしっかりと食べていないと、体が異常を起こしてしまうのである。過食症の女性たちは果物の摂取量が余りにも少なすぎる。朝起きて、朝の排便が終わったのなら、朝食を食うのだが、その際には果物から食べるようにすべきなのである。

 無精白穀物では、「玄米プラス押麦」のコンビがお勧めである。玄米プラス押麦だと必要な栄養が足りるからだ。玄米は一昼夜水に浸すと柔らかくなる。玄米と押麦の割合は半々である。そこに大豆を入れてもいいし、黍や粟を入れてもいい。要は白パンだけとか、白米だけとかにしてしまわないようにすることだ。

 食事の際は、野菜は勿論のこと、肉や魚をしっかりと食うことだ。過食症のためにデブであっても、筋肉量があれば充分に代謝することができるのである。また過食症のために痩せてしまったとしても、筋肉量があれば病気を治して行くことが可能になるのだ。

 食事は三食同じではなく、朝食と昼食は炭水化物中心、夕食は蛋白質中心にすることだ。極端なことを言ってしまえば、夕食時に炭水化物は要らない。なぜそういう食事にすべきかというと、過食症の女性は既に炭水化物が充分に足りているので、夕食時にはもう炭水化物が要らないからだ。

 それと過食症を治して行くためには間食を絶対にやめることだ。間食ではお菓子を食ってしまうので、それだと炭水化物が過剰になってしまうのである。日中はウォーキングを必ずすることだ。できることならサウナにでも行って汗を流しまくることだ、もしもどうしても間食したいのなら「木の実」を食うようにすればいい。

 食事の度に食べた物を記録していく。これをやると自分が何を食べたかが解るので、自然と食事量が減るのだ。何も考えずに無闇に食いまくっているからこそ、大量に食べてしまうのであって、自分が考えながら食べれば自然と食事量の必要量に落ちて行くのだ。

③咀嚼回数を増やす

 過食症の女性には食べ物を飲み込む癖がある。これは赤ちゃんの頃から母親に躾けられてしまった癖なので、この癖をなんとかしてやめるように持っていくことだ。咀嚼回数を増やし、箸を置いて、一口三十回以上噛むようにすることだ。

 お勧めは「スジ肉」や「スルメ」や「干し肉」や「鮭の燻製」を使って、咀嚼の練習をすることだ。今まで食べ物を飲み込んで来てしまったために、顎の筋肉が弱体化しているのである。最初は顎が痛いだろうが、それだけ顎に筋肉がついていないってことなのである。

 咀嚼回数が増えれば、食後の嘔吐をやめることができる。大して咀嚼せずに食べ物を飲み込んでしまったたがために、胃がビックリしてしまい、嘔吐しようとするのである。嘔吐するということは、それだけ咀嚼していないってことなのである。

④定期的に断食をする

 過食症の女性たちは食事は充分に満たされているのに、激しい空腹感に襲われているのだが、この時に敢えて定期的な断食をすべきなのである。断食をすることによって、その空腹感にブレーキをかけ、空腹感が激しくならないように抑えるのである。

 お勧めは、「日中断食」と「フルーツ断食」の組み合わせである。朝食と夕食を食べるのは許されるが、朝食と夕食の間は一切の飲食物が禁止される。しかも朝食と夕食は果物だけであって、これによって内臓を休ませてあげるのである。週1日ペースでやれば、確実に空腹感が収まって行くことになるのだ。

⑤母親に自分をどう産み育てたかを聞く

 過食症治療の最後が自分の心の傷を癒して行くことだ。過食症の女性は自分が赤ちゃんの時に母親から無理矢理に食べ物を食べさせられてしまったために心の傷を負ってしまったのであるが、自分がどう産み育てられたかを知ることで、心の傷を癒して行くのだ。

 この治療法には選択肢がたった2つしかない。「母子の関係を修復する」か「母子の関係の修復を諦める」ことだ。生後6ヵ月の赤ちゃんに無理矢理に離乳食を食わすような母親は、母親として未熟者であるということを決して忘れてはならない。母親は完璧な女性ではないのだ。

 母子の関係を修復できるのなら修復すべきである。しかし母子の関係を修復できないのなら、自分の母親と別れて、できる限り接触しないようにすることだ。拒食症の女性にしてみれば、自分に母性愛をくれなかった母親であっても、自分の母親である以上、どうしても自分の母親から愛されたいと思ってしまうのである。

 この心の傷を治す営みは必ず「痛み」を伴う。しかも「激しい痛み」だ。ノートに自分の心の内を書き綴ったりして、時間をかけて心の傷を癒して行くしかないのだ。自分の母親が自分の心にl傷をつけたかもしれないが、自分の心は飽くまでも自分の物であって、それをどうするかは自分で決めていくしかないのである。

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祝福「荒川静香の結婚」!

●運のいい奴はとことん運がいい

 フィギュアスケーターの荒川静香が平成25年12月29日に医者である男性と結婚した。俺はこのニュースを聞いて、「運のいい奴はとことん運がいい」と思った。この結婚はまさにグットタイミングなのであって、この時期に結婚したからこそ万事巧く行くようになってしまうのだ。

 荒川静香の運の良さは、日本勢がトリノオリンピックで全滅し、その中で荒川静香だけが金メダルを取ったことが最も象徴的である。荒川静香の持つ金メダルは他の如何なる金メダルよりも価値があるのであって、単なる金メダルではないのだ。

 その後、荒川静香は選手を引退し、プロスケーターとして活躍した。俺は選手を引退してすぐに結婚するのではなく、プロスケーターとして自由に遊べる時間を持つべきだと思っていた。というのは。フィギュアスケタートは練習に次ぐ練習で、試合に次ぐ試合になってしまうので、遊べる時間が殆どないからだ。

 そして結婚なのだが、以前に俺が占った所、相手は野球選手になるかもしれないという結果が出ていた。俺は荒川静香が野球選手と結婚するのには反対だった。フィギュアスケートをやった人と野球をやった人とでは考え方がまるで違うので、結婚しても離婚する羽目になってしまうからだ。

 荒川静香が選んだのは医者だから、これは本当に良かった。医者なら考えが合うし、収入も充分にある。結婚しても離婚する可能性は殆どなくなるからだ。普通の女性たちのように医者狙いで結婚したのではなく、自分の考えと合うかを基準にして選んだのであろう。

●荒川静香の名前は「静御前」に因む

 なんで荒川静香はこんなにも運がいいのかといえば、それは名前に原因がある。荒川静香は神奈川県鎌倉市生まれなのであるが、両親は「静御前」に因んで娘に名前を付けたというのである。鎌倉は静御前と縁の深い地であって、静御前は源義経が源頼朝によって殺されたというのに、ここで舞を披露したのである。

 静御前は怨霊の条件を満たしている。静御前は源義経の子供を宿していたのであるが、源頼朝から「男子であるならすぐに殺せ」と命じられ、出産後、赤ちゃんは殺されてしまったからだ。その後、源頼朝の娘の大姫が死に、源頼朝自身も死んでしまったのだから、静御前は生前に於いて「生霊」になった可能性が高い。

 歴史書では静御前の死は不明だが、伝承では宮城県宮古市鈴久奈の鈴ヶ神社に於いて静御前は死んだらしい。静御前はこの時、源義経の二人目の子供を妊娠していたという。しかし源義経は既に死んでいるのである。では、この赤ちゃんは誰の子かということになる。

 この地は金売りの吉次の勢力範囲内で、金売りの吉次は静御前の死後、子供の骨を静御前の京都の実家に持っていったという。とするなら、この子供は金売りの吉次の可能性が高く、鎌倉を去った静御前は京都に行き、その後、金売りの吉次を頼って、奥州に向かったのであろう。

 因みに荒川静香は神奈川県鎌倉市生まれかもしれないが、宮城県育ちであるのだ。「この偶然の一致は一体なんなんだ?」と言いたくなる。それに静御前が白拍子だったのに対して、荒川静香はフィギュアスケーターである。どちらも舞を舞っているのだ。

 荒川静香は静御前の生まれ変わりの可能性がある。もしそうでなくても、両親が静御前にあやかって名前を付けたために、既に怨霊から御霊になった静御前が荒川静香に霊力を与えたということになる。怨霊であっても鎮魂がなされれば御霊になるので、静御前には鈴ヶ神社がある以上、怨霊鎮魂には成功していたと見るべきであろう。

●全然静かにしていない「静ちゃん」

 荒川静香の名で使われる「静」とは、「争い事を鎮める」という意味である。静という文字はこの娘が静かになるであろうと思って、両親が付けたのであろうが、実はそんなことにはならないのだ。「静ちゃん」は全然静かにしていないのだ。

 静は競争と切っても切れない関係にあるのだ。静という文字を持った女性は必ず競争のある場所に向かって行く。そして競争には圧倒的な強さを発揮し、それなりの成功を収めて来るのだ。静ちゃんには競争をさせまくった方がいいのである。

 もしも静ちゃんに競争をさせなかった場合、運勢は暗転してしまう。水商売に落ちて行く静ちゃんもいれば、殺人事件を引き起こす静ちゃんもいるのだ。競争することができなかったために、自分を破滅させる方向へと動いてしまうのである。

 荒川静香が子供の頃からフィギュアスケートをやったのは、実に良いことだったのである。子供の頃から競争をやり、その競争に打ち勝って行くからこそ、自分の運勢が開けて来るのである。そして勝利を収めた上で引退する。いつまでも競争を続けないからこそ、勝ち逃げをすることができるのである。

 荒川静香は外国の人たちから「クールビューティー」と呼ばれたが、我武者羅になって競争をやりまくったのではなく、どこか非常に冷静でいるのだ。競争に打ち勝つために戦っているのではなく、競争を鎮めるために戦っているので、普通の選手たちとは考え方がまるで違うからなのである。

●「香」が付くと食べ物に困らない

 荒川静香の名で使われる「香」とは、「黍」プラス「甘」の文字で、「黍の甘い香り」を意味する文字である。名前に食べ物の名が付くと食べ物に困らなくなるのであるが、「香」という文字が付くと食べ物に困らなくなる。荒川静香はあの体型でありながら大食漢であるのだが、これも名前から頷けるのだ。

 香という文字があると、女性としての魅力が濃厚となる。まさに甘い香りがするのである。女性ホルモンが大量に分泌されるので、肌は当然のことながら白くなる。荒川静香は現役時代、海水浴に行って日焼けしたことがあったのだが、その時のシーズンは絶不調になってしまったのである。日焼けは絶対にダメなのである。

 因みに紫式部の本名は「藤原香子」というのだが、だからこそ『源氏物語』は魅力ある女性たちが大量に出て来るのである。昔から『源氏物語』は光源氏が巧く書けていないという批判があるのだが、それは女らしさが濃厚な紫式部が書いたからなのであって、このことは致し方ないのだ。

 香という文字を持った女性が気を付けるべきは、女らしさが強すぎるために、それを強調し過ぎて男性関係が激しくなってしまうことも有り得るということだ。これは自分の名前を悪用しているだけなのであって、女らしいということは、結婚して子供たちを生み育てていくことに自分の本当の喜びを見出すということなのである。

 香という文字を持つ女性は、自分の体臭に敏感になっておくことだ。体臭が臭いというのは絶対に許されないことなのである。毎日入浴することは勿論のこと、できるころなら外出する際には香水など付けた方がいいのだ。常に自分の体からいい香りが漂っているからこそ、運勢が良くなるのである。

●女子スポーツ選手の義務

 女子スポーツ選手には女子スポーツ選手なりの義務がある。ただ単にスポーツをやればいいというものではないのだ。

①怪我をすることなくスポーツをすること

 女性の体は男性の体よりも柔らかいのであって、本来なら怪我をしにくい体になっている。だからもしもスポーツをして怪我をしたのなら、余程強い力がかかったということなのである。このため女子スポーツ選手が怪我をした場合、引退後にもなんらかの支障が出てしまう可能性があるのだ。

②メダルを取ること

 女子スポーツの場合、その競技人口は男性のスポーツよりも遥かに少ない。だからメダルを取る可能性が高くなるのだ。そうやってメダルを取らないと、女子スポーツの競技人口を維持できないのである。競技人口が或る一定量を下回ると、その競技自体を維持できなくなってしまうのである。

③結婚して子供を産み育てること

 そしてこれが最も大事なことなのだが、女子スポーツ選手は現役を退いたら、結婚して子供を産み育てなければならないということなのである。女子スポーツ選手が30歳を過ぎても現役で居続けるのは絶対に褒めることはできない。結婚して子供を産める機会がなくなってしまうからだ。

 自分がやったスポーツを楽しめなかったのなら、その女子スポーツ選手は結婚しないし、結婚したとしても子供を産まない。そういう詰まらないスポーツを他の女性たちにやらせてはならないのだ。自分がスポーツをやるのなら、まずは楽しむことだ。そういうことをやっていれば、現役を引退して結婚し、自分の子供にもそのスポーツをやらせたいと思うようになり、それでそのスポーツの競技人口が維持されるのである。

 荒川静香は32歳という、まさに結婚適齢期に結婚したのであるが、とっとと妊娠して赤ちゃんを産んでしまった方がいい。子供を多く産んでおけば、その中から1人ぐらいはフィギュアスケートをやる子が出て来るので、そうやってフィギュアスケートの競技人口を維持すべきなのである。

●不安材料

 荒川静香の結婚にはなんの問題もないのだが、敢えて不安材料を幾つか挙げておく。

①佐知ママの問題

 荒川静香の母親の佐知ママは、実は多産の星に生まれた女性である。それなのに荒川静香を産んでしまったために、1人しか子供を産めなくなってしまったのである。雲の上には他にも子供たちが待っていたのに、荒川静香がフィギュアスケートをやったために、その子供たちが地上界に下りて行くことができなくなってしまったのである。

 荒川静香本人は子供をできるだけ多く産んだ方がいい。子供を多く作っておけば、自分のために生まれることができなかった子供たちの怒りを和らげることができるからだ。結婚したのに子供を作らないとか、子供を作っても1人とかいうのは、非常に危険なことなのである。

②アイスクリーム好き

 荒川静香はアイスクリームが好物なのだが、アリスクリームを食べ過ぎると子宮内膜症や子宮筋腫の誘因となる。悪化すれば子宮癌や乳癌になる。もう現役を退いているので、エネルギー消費量が減っているから、そろそろアイスクリームは控えた方が良い。

③M字曲線

 荒川静香は収入が高かったために、結婚後はM字曲線が発生してしまい、一時的に収入が減少してしまう。そのために復帰を急いでしまうのだ。これは絶対にやらない方がいい。現実問題としては「税金の問題」になってしまい、税金が大量にかかってくるのだ。ここでも累進課税式所得税が歪みを引き起こしているのだ。

④オートバイ

 トドメはオートバイである。荒川静香は大型の免許を持って、オートバイを乗り回しているのだが、今まで巧く行ってきたために、天中殺で事故をする可能性が非常に高いのだ。オートバイにはもう乗らない方がいい。人生に勝ちっ放しというのはないのであって、今後すべきことは現状維持なのであって、守りに入るべきなのである。

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初夢でウンコ

●初夢

 初夢とは新年になって初めて見る夢のことなのだが、初夢に関して間違った考えを持っている人たちは大量に存在している。大晦日の夜に見た夢を初夢だと思っているのだ。そうではなく、初夢は12月31日の夜に見た夢ではなく、1月1日の夜に見た夢のことなのである。

 初夢は「一富士」「二鷹」「三茄子」が三大吉夢なのだが、これは徳川家康の故事に因むもので、徳川家康が富士山や鷹狩りや初物の茄子を好んだからなのである。初夢の占いは江戸時代に定着したとはゆえ、意外と無視できないのだ。

 固有名詞に囚われてしまうと間違った解釈が生まれてしまうのだが、要は初夢に山や空や食い物が出て来ると良いということなのである。

 山が出て来るということは、その人が上昇志向を持ち、上へ上へと行こうとしているということなのである。空が出て来るということは、今の状態から離れて何か違うようなことをしたいということなのである。食い物が出て来るということは、お腹が空いているのであり、食べ物を得るために一生懸命頑張ることができるということなのである。

 このことがはっきりと解るのは、四以降の内容が、「四扇」「五煙草」「六座頭」と来るからだ。扇は開くので「末広がり」、煙草は煙が昇るので「運気上昇」、座頭は毛がない、即ち」「怪我ない」ということになっているのだ。「一富士」「二鷹」「三茄子」だけを覚えていると勘違いしてしまうのだ。

 元日は神社に初詣して、自分の宗教心が高揚している筈である。その状態で初夢を見れば、基本的にいい夢を見るものなのである。裏技としては元日に宗教書を読んで自分の宗教心を更に高揚させると、初夢でいい夢を見ることができるのである。

●初夢はウンコをお漏らし

 今年のタマティーの初夢には、なんと「山」が出て来ました~ッ! その山が富士山ではないにしても、山であることには間違いない。元日に宗教書を読みまくったので、こうも簡単に最高の吉夢を見てしまった。しかもその夢はかなりリアルな夢で、内容が強烈だった。

 なんと山を登っている最中に「ヘックション!」とクシャミをして、ウンコをお漏らしてしまったのである。飽くまでも初夢の中での話でございます。普段のタマティーは山を登っている最中にウンコを漏らすことはない。タマティーはズボンに手を突っ込んでそのウンコを手でキャッチしてしまった。そして急遽トイレに行って用を足した。

 そのウンコの夢を2回も見てしまったのである。

 初夢にウンコが出て来るなんて聞いたことがないので、インターネットの「初夢占い」で調べてみたが、物の見事に「エラー」になってしまった。そのサイトは機能が充実していたのであろうが、まさか初夢にウンコが出て来た人が今まで来なかったのであろう。

 このウンコの初夢を肯定的に考えると、ウンコは「運」を意味し、今年は二重のラッキーなことがあると捉えることができる。しかし否定的に考えると、本当にウンコをお漏らししてしまうと捉えることができる。取り敢えず、ウンコをお漏らしすることだけは気をつけよう。

 ただウンコを水で流す時、その水の流れが妙に印象的だったのである。これは「四扇」と同じことであり、しかも単なる末広がりではなく、集中的に流れて行くということなのである。今年は何か突破口を切り開くような出来事が起こる可能性があるのだ。

●しかも朝立ちが厳しくて

 今年の1月2日の目覚めは夜明け前だった。そのまま起きるのは余りにも早すぎるので、布団の中でうつらうつらしていた。ただ新年早々「朝立ち」が厳しくて、チンチンが痛いほどであった。しかもゴールデンボンバーの『女々しくて』が頭の中で鳴り響いており、

「♪(朝立ちが)厳しくて、厳しくて、つらいよう~」

と歌詞を微妙に変えて、この痛さを紛らわしていた。

 俺には特技があって、一度熟睡したのなら、その後、自分で思い通りの内容にする人工的な夢を作り出すことができるのである。寝る前には無理なのだが、寝たのならこの特技が使えるのである。ただ朝立ちが厳しい状態にあるので、当然に今回の夢はポルノバージョンになってしまった。

 俺の夢の中に豊満な肉体を持った女性を登場させ、その女性に俺が開発した新型の「シャチホコ愛撫」なる愛撫を施し、まずはオルガズムに行かせた。この新型の愛撫は女性がメロメロになってしまい、早々とオルガズムに行ってしまうものなのだが、夢の中でも現実と同じ機能を発揮したのである。

 その後、挿入。女性は感じまくりで。オルガズムに行きまくりである。豊満な肉体ゆえに体が揺れる揺れる。しかし顔を設定していなかったために顔が不明で、夢の中の映像では首から上が映らず、冷静に考えると結構不気味であった。

 このポルノバージョンの夢を見てしまったたがために、思いっきり寝坊してしまった。「見るんじゃなかった~」という後悔の念と、「マジでリアルな夢だったな~」という思いが交錯してしまった。しかし朝寝坊という現実は何も変わらず、起床後は大忙しであった。

●今年はどうなるんじゃ~?

 俺は「女が出て来る夢は縁起がいいのではないか?」と思っている。女性は財産運を司るから、夢の中に女性が出てくれば財産運が良くなり、いずれ本当にお金が儲かるようになると思っている。しかも俺の夢の中に出て来た女性は全裸なのであって、より財産運が増すのである。

 大体、ポルノバージョンの夢を見たからといって、俺がオルガズムに行ったわけではなく、女性がオルガズムに行ったのである。それでその女性はよがりまくり、大爆発を引き起こし、大喜びしていたのである。別に普通の女性たちが思うような厭らしい夢ではないのだ。

 初夢に山が出て来て、ウンコをお漏らし、続いて女が出て来て、オルガズムに行きまくったということは、恐らく大吉なのであろうと思う。「超大吉」と言っても過言ではない。今年はタマティーの小説を是が非でも出したいので、この超大吉を巧く活用していきたいと思う。 

 但し超大吉の初夢を見ると多少問題があって、朝立ちが収まらないために朝の小便が非常に苦労してしまうということなのである。男性の肉体の構造上、朝立ちが収まってくれないと小便をしたくてもできないのだ。このため起床してもすぐには便所に行けず、様々な作業をこなして、朝立ちが収まるのを待っていたのである。

 これだけ朝の小便を待ちに待った状態にしてしまうと、小便の量が半端な物ではなくなってしまう。

「どぼどぼどぼ~っ!」

まるで華厳の滝レベルなのである。よくぞこんなにも小便が出るのかと思ってしまうが、朝立ちが長く続いてしまうとこうなってしまうのである。

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平成26年度のタマティーのお年玉プレゼント!

●爆笑! 書き初め大会

 書き初めとは、年が明けて初めて毛筆で書や絵を書く宗教行事である。元々は宮中で行われていた行事であったが、江戸時代には庶民にまで普及した。そこでタマティーも弟子たちを集めて書き初め大会をすることにした。タマティーは弟子たちに今年の自分の夢を書くよう命じた。

 しかし普段、毛筆など使わないので、書き初めをしたくても毛筆がないのだ。墨汁や硯や和紙はあるというのに毛筆がないのだ。弟子たちは、

「毛筆がないので書き初めをしたくてもできません。やめましょうよ」

と言い始めた。タマティーはこの意見に怒った。

「毛筆がないからといって書き初めをしないというのはなんたる根性無しだ。毛筆がないなら、チンチンを使おう!」

「え~ッ! チンチンですか?」

「そうだ。男性の初体験を<筆おろし>というじゃないか? 男性のチンチンは毛筆の代わりとして使えるものなんだ。さ、早く全裸になって書き初めをしなさい」

 弟子たちは渋々全裸になって書き初めをし始めたのだが、なんせチンチンを使う書き初めは初めてなので、誰もが巧くできなかった。チンチンを墨汁に付けるだけでもひと苦労で、そのチンチンで字を書こうとすると大変なことになってしまうのである。

 弟子たちは巧く書き初めができないので、全員言い訳をし始めた。弟子その1は、

「これではチンチンが黒くなってしまいます」

と言いやがる。

 弟子その2は、

「チンチンを使って書き初めをすると、チンチンが気持ち良くなってしまいます」

と言いやがる。

 弟子その3は、

「2枚や3枚ならいいんですが、10枚以上になると、出ちゃいます」

と言いやがる。

「何が出るんじゃ?」

 見兼ねた女弟子その1が、

「男性たちにできないなら、私がやります!」

と言い出した。この言葉に男弟子たちは、

「やらんでいい!」

と全員一致で拒否した。

●タマティーのお手本!

 タマティーは上座で頭を抱え込んでしまった。折角、書き初め大会をしたというのに、新年早々、全員が挫折してしまったからだ。

「お前らダメなんだよ。チンチンをもっと使い込め。普段からそういう努力を怠っているからこそ、正月にこういう無様なことになってしまうんだ。チンチンとはな使ってナンボの物なんだ。使わなければ機能が委縮していくのは当然のことなんだ」

 しかし弟子たちは納得せず、

「そうは言っても自分のチンチンを使う相手がいません」

とまたもや反論してきた。

「仕方ないな~。俺がお手本を見せてやる。こういうのは本物を見てしまった方が早いんだ」 

 そこでタマティーは全裸になって、自分のチンチンに墨汁を付け、和紙の上に巧い形で跨って字を書き始めた。その腰の使い方は実に見事な物であった。チンチンではなく腰を使えばチンチンでも字が書けるのである。弟子たちはチンチンで字を書こうとしたからこそ、字を書くことができなかったのである。

 タマティーが今年初めて書いた字は、

ーー≪禁酒≫

という漢字であった。タマティーはドヤ顔になり、

「どうだ」

と弟子たちに自慢した。

「禁酒ってなんですか?」

「これこそ今年のお年玉プレゼントだ」

「え~ッ! 今は正月ですよ。お神酒を飲むわ、お屠蘇を飲むわ、日本中で飲酒しまくっているんですよ」

「だからこそだ。正月にお酒を飲んで浮かれることは良いことだ。しかし今年は禁酒こそが大事な役割を演ずることになるのだ」

「なんでですか?」

●今年は「禁酒を心掛けよう!」

 午年は大地のエネルギーが陽から陰に変わる時期なのである。人間は外に向かってエネルギーを放出して行くよりも、自分の内側に向かってエネルギーを注ぎ込んで行った方がいいのだ。だから午年には飲酒などせず、禁酒に徹して、頭を鍛えて行った方がいいのである。

 午年は陰になる時期の始めなので、ここで巧く変化させておけば、その後、未年、申年、酉年、戌年、亥年まで良い流れに乗ることができるのである。変化できる時期はこの時期しかないので、午年なのに飲酒をして遊び呆けてしまうのは実に勿体ないことなのである。

 禁酒といっても完全禁酒ではなく、禁酒を心掛ければいい。普段当たり前のように飲んでいるお酒を控える。しかしどうしても必要な時は飲酒をしても構わない。ただ、その得は「節酒」にすべきであって、バカバカと大量に飲まないことだ。

 飲酒さえしなければ読書する時間は幾らでもあるのだ。他人が宴会に出て飲酒をしている間に、自分は本を1冊読めてしまうのである。飲酒をしても頭が良くなることはないが、本を1冊読めばその分だけを頭が良くなるのだ。そうやって日々差がついていくのだから、気付いた頃にはもうその差を縮めることができないくらいに圧倒的な差が開いてしまうのである。

 今まで大地のエネルギーが陽で来たために、どうしても体に老廃物や毒素が溜まってしまっているのだ。陰陽の変化が起こった以上、まずはその老廃物や毒素を出すべきなのに、飲酒をしていてはそれができないのだ。その出ない物も、禁酒をすれば簡単に出てしまうのだから、これほど有難いことはないのだ。

●「節酒」をするならお酒に拘ること

 禁酒をすれば当然に「金余り現象」が起こる。余ったお金を貯金するなり、より質の高い生活を実現できる物に使うべきなのである。こういうことをするからこそ、たとえ収入に変化なくても、生活が豊かになっていくのである。収入を増やすだけが生活の豊かさに直結するのではないのだ。

 禁酒は本当に禁酒し続けたらストレスが溜まる。だから時には禁酒から解放してお酒を飲むようにすればいい。しかしその際、お酒の飲み方に工夫を施すべきなのである。既に禁酒で余分なお金を持っている以上、その工夫ができるのである。

 お酒を飲む時はその器に拘るようにするべきである。例えば「高級なワイングラス」や「銀製や金製のお猪口」を買って来て、それでお酒を飲めば、以前のようなだらしないお酒の飲み方などしなくなる。高価な器を使うと、高価なお酒を買わざるをえなくなるのだ。

 できる限り高級なお酒を買う。品質や製造に拘ったワインや純米酒を買うようにする。発泡酒やビールは控える。できることならやめる。安いお酒を飲まなくなると、自然と飲酒量が減り、その少ない飲酒量でも充分に堪能できるようになるのだ。

 しかもお金をかけて飲酒をすると、飲酒に纏わるトラブルがなくなる。飲酒をしてトラブルを起こしてしまうと、自分が酔っぱらって前後不覚になっているために、取り返しのつかないことになってしまうものなのである。お酒を飲む際はスマートに飲み、早目に切り上げれば、飲酒上のトラブルとは無縁になるものなのである。

●本当のお年玉プレゼント

 今年のお年玉プレゼントは、それはそれは素晴らしいものなのに、

「禁酒や節酒を勧めるなら、チンチンを使った書き初め大会なんて要らなかったじゃいの?」

という反論が出て来てしまう。そういう反論は間違っている。チンチンを使った書き初め大会をやったからこそ、禁酒や節酒の有難味が解っただけでなく、チンチンの持つ未知なる可能性まで解ったのである。

 そしてこれこそがタマティーからの本当のお年玉プレゼントである。それは、

ーー≪だってチンチンだもの≫

と書かれた色紙である。

 相田みつをの「だって人間だもの」という言葉には人々は評価を与えるのに、そこから一歩進んでチンチンにまで評価を与えないのだ。だからそれが自分の成長を止めてしまうのである。「成長の秘訣」は己のチンチンにこそあるのだ。

 本来は隠されるべきチンチンを敢えて肯定するからこそ、人生が開けて行くのである。恋愛にだって結婚にだってチンチンは使用されるものなのである。人は恋愛をし、結婚をすれば、誰もがチンチンに関与するのに、チンチンは常に日蔭者なのである。

 タマティーがこうやって≪人生の真髄≫を語っている最中に、女弟子その1がやってきて、

「師匠! 書き初めができました」

と元気よく報告してきた。

「だから、女はやらんでいいっていうのに。大体、女が全裸になって己のマンコを使って書き初めをするなんて破廉恥の極みだ」

「でも折角書いたので見て下さい」

「仕方ない奴だな~。今どきの若い女はこれだから困るよ」

とタマティーはそう言いながら、女弟子その1が書いてきた書を見てみた。そこには、

ーー≪明けましておチンチン≫

と書かれてあった。タマティーは女弟子その1の顔を見てつくづく思った。

(俺よりも巧いではないか?)

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平成26年度のタマティーの大予言

明けましておめでとうございます!

本年も宜しくお願い致します!

今年はなんとしてでもタマティーの小説を出版したいです。

それでは今年も行き成り「タマティーの大予言」からどうぞ。

●「甲午」の意義

 平成26年度は「甲午」の年である。

 「甲」とは「尾を引いた亀の効果」の象形で、「甲羅」「殻」を意味し、転じて「鎧」を意味する。甲は十干の筆頭であって、軍事力によって国家を作り、殻を破って少し頭を出す政治を心掛けなければならないということなのである。甲の年に軍事力を軽視したり、政治を停滞させたり、急激な改革をやってはならないのである。

 「午」とは「両人が代わる代わる手にしてつく きね」の象形である。交互に行う動作ゆえに、陰陽の交差する十二支の第7位に位置するのである。国内では政府が繁栄を謳歌しつつも、それに対抗して反対勢力も高まってくるのであり、国内の政治は一筋縄ではいかなくなるのである。

 だから甲午の年は、「軍事力を増強して安全保障を強化し、国内では与野党の戦いが激しくなる」ということなのである。軍事力の増強はどうしても国民に対して重たい負担を強いるので、それで国民は政府に反発するようになってしまうのである。

 甲午の年なのに軍事力のことを全く考慮しない政治は完全に無意味である。日本は戦争を放棄した昭和憲法があるために、政治家たちも国民も軍事学を知らないし、軍事教練を受けたこともない。この無知がどう出るかなのである。国家である以上、戦争を否定することは絶対にしてはならないのである。

 また甲午の年なのに急激な改革をやることは適切ではない。国内に強力な反対勢力が出現して来る以上、政府が無理矢理になって改革を推し進めていけば、反対勢力は余計に反対して来るのである。政府は改革をすべきである。しかし改革をする際には反対勢力と良く話し合い、時には切り崩しを図って巧妙に進めていかなければならないのだ。

●甲午の年に起こった出来事

 甲午の年の年はどうしても政治絡みの年になってしまう。軍事力を増強して安全保障をしっかりとして貰わないとどう仕様もないので、それで国民の注目が政治に向かってしまうのである。過去の甲午の年を調べてみると、日本政府は全部軍事力増強をやっているのだ。

①昭和29年

 今から60年前の昭和29年には「自衛隊」が発足している。ということは自衛隊は今年60周年ということになる。昭和憲法は戦争放棄の規定があるので、「条文上違憲」「解釈上合憲」というとんでもないスタートをしてしまったのである。自衛隊をこのままの状態にしてはならないのだ。いずれ将来、必ず憲法改正を行い、「国防軍」を創設しなければならない。

 昭和29年にはもう1つ注目すべきことがあって、それは「新警察法」が制定され、国家警察と市町村警察が廃止され、都道府県警察へと一本化されたことだ。国家警察が存在しないために政治犯罪に対して充分な効果を発揮しえず、後に安保闘争や学園紛争を発生させてしまった。

 この年には教員の政治活動を制限する法律を制定しているのだが、日教組が政治活動を活発化させるのは、寧ろこの法律ができてからなのである。日教組こそ日本の教育の癌なので、日教組を殲滅しない限り、日本の教育はどうにもならないのだ。

②明治27年

 今から120年前の明治27年には朝鮮半島で「東学党の乱」が発生し、この内乱に日本と清国が互いに出兵し合って衝突し、日清戦争が始まってしまった。日清戦争は日本の圧勝に終わり、台湾と遼東半島を獲得し、賠償金として3億円を獲得した。

 この年は日英通商航海条約締結によって治外法権が撤廃され、これ以降、他の国々とも治外法権を撤廃して行くのである。このイギリスとの関係が後に日英同盟へと繋がっていくのである。甲午の年はイギリスとの関係が重要になってくるのだ。

 甲午の年はその国の軍事力が問われることになるので、軍事力を強化している国家は戦争で圧勝し、軍事力を軽視している国家は戦争で大敗北を喫して、国家滅亡の要因を作ってしまう。甲午の年には如何なることがあっても政治の場に平和主義者たちを出してはならないのだ。

③天保5年

 今から180年前の天保5年には水野忠邦が老中となり、「天保の改革」に着手し始めた。天保の改革はそれ以前の享保の改革や寛政の改革とは違い、ただ財政再建を目指したのではなく、幕府軍の増強を行ったということを絶対に忘れてはならない。

 天保4年から天保10年までは「天保の大飢饉」が発生しており、異常気象によって農作物の収穫が激減してしまった。この財政収入の減少こそが幕府に危機意識を持たせ、天保の改革を実行させたのである。何もない時に改革がなされたのではないのだ。

●政治の動き

 甲午の年は軍事力の増強が絶対に欠かせない。それと日本は韓国や北朝鮮や中国と揉めてしまう。時と場合によっては戦争になりうるのだ。韓国も中国も反日国家であり、日本としてはこれらの国家を殲滅しない限り、安全保障を築けないのだ。日本人を拉致している北朝鮮は必ずしも反日国家ではないということに注意を要する。

 日本はアメリカ合衆国やイギリスとの関係を深めるべきである。日本が韓国や中国と戦争するようになった場合、頼りになるのはアメリカ軍なのである。それとイギリスの外交力や諜報力が頼りになるのである。ロシアは中国との関係があるために、日本と中国が揉めれば中国側に付いてしまうものなのである。

 安倍晋三首相は一見安定政権を築いているのだが、不安要素もある。それは安倍晋三首相が急ぎ過ぎていることだ。彼は既婚者であっても子供がいないために、ゆっくりと物事を進めて行くということを知らないのだ。こういう性格だからこそ子供ができないのだが、この性格は甲午の年には「凶」と出てしまう。

 甲午の年には急ピッチで改革をやるべきではないのだが、安倍晋三首相が急ピッチで改革をやりまくっているのだ。改革はゆっくりと進めるからこそ、それがきちんと定着するのに、改革を急いでしまえばどうしても反動勢力が出て来てしまうものなのである。

 安倍晋三首相は外交が物凄く危険である。甲午の年に韓国や中国の関係が良くなることは絶対にない。韓国や中国に対して包囲網を敷き、封鎖して行くべきなのである。確かに安倍晋三首相は対中包囲網を形成しようとしているのだが、韓国に対して包囲網を敷いておらず、韓国軍に弾薬の提供をしてしまったりしているのだ。

 更に日本と韓国の関係がこれだけ揉めているというのに、妻の昭恵夫人は韓国のタレントと交友関係にあり、これが日本国民の怒りを買っているのだ。今年は昭恵夫人に対してなんらかのスキャンダルが発生することがあるかもしれない。この女性は想像以上にバカなのであって、ジャーナリストたちはそれを見逃すわけがないからだ。

●経済の動き

 平成26年度もデフレは続行する。デフレというのは次の大きな戦争が起こるまで続くものなのであって、政治家がどのような政策を展開しても絶対に治らないものなのである。国民が政治家にデフレ対策をしてくれと頼むのは、「戦争をしてくれ」と言っているようなものなのである。

 日本は韓国や中国と戦争する可能性があるのだが、昭和憲法の戦争放棄の規定があるために戦争ができないのである。せいぜい韓国や中国が日本を侵略し、日本国内で迎撃することしかできないのである。その時でも憲法を巡って激しい議論がなされるだろうから、なんとも情けない国家なのである。

 安倍晋三首相は日本の長年の問題であって通貨供給量の少なさを政府が日本銀行を統制する形で解消し、通貨供給量を現在の日本経済に見合う量まで出したので、これで日本経済はデフレにも拘わらず、景気が回復することになる。

 しかしそれと同時に安倍晋三首相は消費税増税を決断してしまったのであり、これでアベノミクスの成果が帳消しになってしまう。大震災直後の増税でないために増税の被害はそれほど大きくないが、デフレ経済では政府は減税しなければならないということが解っていないのだ。

 昭和29年にも明治27年にも、ストライキが多発していたという事実がある。だが今はデフレのためにストライキが起こらなくので、労働者の給料が低下したり、労働環境が悪化したりするので、日本政府はブラック企業の摘発を避けることができない。ブラック企業への攻撃は平成26年度は本格化することであろう。

●芸能界の変化

 平成26年度の芸能界はズバリ「世代交代」が進展して行くことになる。フジテレビの『笑っていいとも』が終わるので、これで「お笑いビッグ3の終焉」が始まることになる。「タモリ」「明石家さんま」「ビートたけし」はもう長く活躍し過ぎたのであり、彼等が引退してくれないと、芸能界で老害が発生してしまうのである。

 なぜ笑いビッグ3がこんなにも長く活躍してしまったのかといえば、その次の世代のお笑い芸人たちが余りにも下手すぎたからなのである。「ダウンタウン」や「とんねるず」では老若男女の全てから支持を得ることができないのだ。それに彼等は黒い噂の絶えないブラックタレントであり、平成26年度にはスキャンダルに見舞われ、仕事を大いに減少させることであろう。

 歌の方では、国民の全てから支持を得易いような大ヒット曲が生まれ易い。午年は陰陽が交差するので、男性たちだけとか、女性たちだけとか、そういう偏った曲ではなく、男女ともに支持してしまう曲が生まれ易いのだ。作詞作曲をするなら、その点を充分に考慮してから曲を作ることだ。

 平成26年度のNHKの大河ドラマは『黒田官兵衛』で、主役はジャニーズのアイドルが務めるのだが、大河ドラマは今までジャニーズのアイドルを使って巧く行った試しがないのだ。大河ドラマは本格的なドラマを作らなければならないのに、キャストに頼ってしまうとダメになってしまうのだ。

 女子アナウンサーからは人気者が出て来易い年になる。お笑いの世界で世代交代が進むので、それに釣られてということになるのだ。一番の注目株はテレビ東京の「狩野恵里:であり、声はいいし、ピアノも弾けるし、運動神経もいいので、ちょっとした切っ掛けで大人気になってしまうことであろう。

●個人レベル

 個人レベルではどういうことが起こるかといえば、結婚が盛んになる。平成26年度は辰巳天中殺の人たちが天中殺を抜けるので、結婚することで子供を多く生み出そうとする力が非常に強くなるのである。いい相手に巡り会ったのなら、いい時期を探して結婚してしまうことだ。

 だから日本政府が進める男女共同参画社会政策は絶対にダメなのである。今の若い人たちが結婚しないのは、要は働かされ過ぎているからなのである。男も女も仕事仕事では、結婚する閑がなくなってしまうのである。結婚しなければ子供が生まれてこないので、それでは経済が縮小してしまう一方になり、男女ともに利益を得ることができなくなるのだ。

 国民は日本政府が男女共同参画社会を推進することを全面廃棄させなければならない。ここまで若者たちの結婚問題が深刻になっているのに、その元凶を存続させ続ければ、将来必ず重大な問題を発生させることになる。男女共同参画社会は自民党の政治家たちがフェミニストの学者たちに騙されてやってしまったことなのであり、自民党が今の内に改めておかなと、後で後悔することになるのだ。

 景気は多少回復するので、所得が増えることになるが、甲午の年は大企業がリストラをしなければならなくなるので、失業には注意することだ。デフレ経済に於いて失業すれば、再就職しても前の収入を確保することは非常に難しいのだ。

 それと異常気象は必ず起こる。既に平成25年度には異常気象が発生したのであり。平成26年度はその前年の異常気象を引き継いで、更にヒートアップしてくる。異常気象が起こっても、事前に準備をしておけば、被害を最小限度に食い止めることができるので、決して時間を無駄にしないことだ。

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