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『この世界の片隅に』 ~戦争のことを伝えることの難しさ~

●戦争の記憶は風化してくれないと、正しいことが伝わらない

 俺は様々な本を読んで来た中で、本の中にはその著者が嘘を言っているわけではないだが、その本の内容をそのまま信用できない物があるということを発見してしまった。その代表例が戦争体験に関する本で、

「戦争を経験した者は戦争を冷静に見ることができない」

というのが俺の結論なのである。

 毎年、八月になると、大東亜戦争の敗戦を記念して、戦争の悲惨さを殊更に強調する本が出版されることになるのだが、マスコミはそれを煽り、「戦争の記憶を風化させてはならない」と言う。しかし戦争の記憶は風化してくれないと、正しいことが伝わらないのだ。

 我が家では父親が戦争を体験した年代であったので、子供の頃から良く戦争の話をしてくれたものだが、父親は食料不足でとにかくお腹を空かせていたらしい。食べる物といえば日々雑炊くらなもので、米の飯をしっかりと食ったことなどなかったというのだ。

 学校に行けば歴史の授業で、戦時下や占領中の食料の欠乏をこれでもかいうくらいに教えられる。買い出し列車が満員で、車両の上にまで乗客が乗っている写真を見せられれば、当時の人たちは食料を手に入れることが困難だったんだな~と信じてしまう。

 ところが或る時、母方の祖母と戦争のことを話していた時、母方の祖母は、

「戦時中も占領中も食料で困ったことは一度もなかった」

とはっきりと言ってきたのである。主婦として家事を取り仕切った者の意見なのだから、これは事実なのであろう。母方の実家は農家であり、母方の祖父は近衛兵だった。

 そこで調べてみると、当時には「国家総動員法」という悪法があって、統制経済を実施してしまったからこそ、国民の生活は極端に貧しくなってしまったのである。商品は生産されているのに、政府が配給をやったために、国民にその商品が届かなかったのである。

 それで都市に住む人たちには食料不足が起こり、俺の父親みたいな人たちが大量発生したということなのである。

●戦時下の生活を描くことの難しさ

 今回紹介する本はこの本!

 こうの史代著『この世界の片隅に」(双葉社)

  この世界の片隅に(前)

  この世界の片隅に(後)

 今まで漫画を紹介してこなかったが、今回特例として漫画を取り上げる。漫画は読み易い物ではあっても、その内容が希薄であるために、どんなにいい漫画であったとしても評価することができないのだ。しかしこうの史代の『この世界の片隅に』は漫画でしか描けないような当時の生活が出ているので、書籍ではないがそれなりに評価した方がいいと考えたのである。

 物語は「すず」という主人公が呉市に住む男性の所に嫁ぎ、戦時下を逞しく生き、アメリカ軍の空襲に遭って右手を失いつつも、どうにか生き延び、敗戦後、原爆投下で廃墟と化した街の中で孤児を見つけ、それを養子にするというお話である。

 恐らく主人公は著者本人であろう。主人公は絵を描くのが好きで、普段の生活ではボサ~ッとしているのだが、俺は「こういう女性は戦時中にはいないだろう!」と突っ込みをいれたくなるほであった。ただそういう非現実的な主人公だからこそ、当時の生活が新鮮に伝わってくるのである。

 俺が最も気になったのは、「食料」のことである。嫁ぎ先では夫や舅が軍関係の仕事に勤めているという設定なのだが、それでも食料不足の深刻さがまるで伝わってこないのだ。畑を持っているが田圃を持っていない以上、配給のお米では絶対に遣り繰りできないのであって、お米は闇市場で調達するしかないのである。それがないのだから、リアリズムに欠けるのである。

 それでも著者はこの漫画を描くために相当に調べたようで、当時の生活をかなり忠実に再現している。戦時中は政府が戦争を遂行するために様々な統制をして行ったので、それを次から次へと描いていかなければならないのだ。こういうことは文章で表現するよりも絵にしてしまった方が理解し易いのだ。

 戦時中は呉市が狙われた。呉市には海軍基地があり、しかも軍需工場もあったので、アメリカ軍は執拗に空爆を繰り返したのである。空襲は1回で終わるものではなく、何度も何度も襲ってくるので、空襲で人が死傷するだけでなく、生活自体が滅茶苦茶になってしまうものなのである。

 その一方、戦時中、広島市は平和だった。広島市には空襲がなかったからこそ、広島市に疎開した人たちがかなりいたのである。空襲を受ける呉市と、平和な広島市と配置することで、この物語には「陰陽」が出て、物語が一方的に展開して行く話とはまるで違う物になるのである。

●広島市は原爆が投下されるまで平和だったが・・・

 しかし、あの日の天候が命運を変えた。昭和20年8月6日、アメリカ軍は当初、小倉市に原爆を投下する予定だったのだが、その日の小倉市では曇だったので、それで広島市に原爆投下場所を変え、それで広島市に原爆が投下されたのである。

 原爆投下の惨劇を生々しく描いてしまうと、どうしても説教臭い所が出て来てしまう。その漫画に幾らリアリズムを出したとしても、その作者は「反核」の信念に凝り固まっているので、その真意を読者たちが見破ってしまうのである。だから敢えて原爆投下の惨状を描かない方が、説教臭い所がなくなるのである。

 呉市の場合、原爆で壊滅した広島市に救助に出たために、「二次被曝」という事態を引き起こしてしまった。原爆の被害者は広島市民だけなのではなく、広島市民を助けに行った人たちも二次被曝という形で被害を受けたのである。「原爆=広島」と短絡的に考えてしまうと、大間違いを引き起こしてしまうのである。

 物語の前半は、戦争中ではあっても平和な日常が続くので、後半から空襲のシーン、そして原爆投下後の惨劇ということになるので、物語が巧く盛り上がって行くのである。当然に戦争が終われば、この漫画も終わりということになる。

 庶民は戦時下であってもしぶとく生きて行くしかない。それは戦争が終わってもなんら変わらないのだ。戦争に関しては、「戦争と平和」という視点で書く方法もあるが、「庶民の視点」で書いた方が戦争の実態を巧く伝えて行くことができるのである。

●この人は絶対に被爆者でも被爆者2世でもない

 俺はこの漫画を読んで、

「この人は絶対に被爆者でも被爆者2世でもない」

と直感した。プロフィールを見ると広島県広島市出身なので、被爆者だったり被爆者2世だったりする可能性もあるのだが、絵や言葉に憎しみがないのだ。仄々としている。そこで調べてみるとやはりただ単に広島市出身なだけであって、被爆者でも被爆者2世でもなかったのである。

 そうなると気になるのは、漫画の中で自分の夫は海軍で働いているというのに、軍隊をバカにしたようなシーンが何度か出て来ることなのである。当時、軍隊で働いていた人は帝国陸海軍への思いが激しいし、その家族だってそれは同じなのである。

 恐らく広島市の学校で余りにも酷い平和教育を受けてしまったのだろう。広島市で行われている平和教育というのは本当に絶句させられる。広島の惨劇を教えることで、子供たちに社会主義を洗脳し、将来、社会主義者にするためのものなのである。これを裏から指導しているのが日本共産党であることからもそれが解る。

 広島は「安芸門徒」と言われ、浄土真宗が非常に強い地域なのである。浄土真宗の信者たちの中には社会主義者たちが大量にいる。そして浄土真宗と社会主義が融合すると、とんでもない教育が生まれて来てしまうのである。このため広島市で学校教育を受けてしまうと、どうしても歪んでしまうのである。

 因みに同じ被曝都市の長崎市には広島市のような異常な教育は見られない。長崎市にはキリスト教徒たちが多いので、原爆のことを余りにも追及し過ぎると、原爆投下を行ったのは同じキリスト教徒であるアメリカ人であるということになってしまい、非常に拙いことになってしまうのである。

●こうの史代の宗教は?

 家は浄土真宗を宗旨としているのであろう。漫画には浄土真宗の信者しか知り得ない情報が出ている。しかし浄土真宗の信者たちのように嘘出鱈目が連発していないのだ。こうの史代は原爆のことに対して真摯に向かい合っているのである。俺には、

「原爆の惨劇のことを正しく伝えたい」

という彼女の思いがヒシヒシと伝わってくるのだ。

 こうの史代から神道の臭いがプンプンとするのだが、調べてみると彼女は『ぼおるぺん古事記』なる漫画を描いているのである。ヤッパリである。神道の影響を受けない限り、こういうことはしないのだ。かといって本物の神道家ではない。神道家として真心を発見してしまえば、浄土真宗を棄教して来るものなのである。

 結婚はどうなのか? 

 主人公は結婚しているというのに、ラストでも精神的には少女のままである。結婚による精神的な変革がない。それに結婚早々に子供ができないということを苦にしたり、孤児を養子に迎えるというラストシーンが気になる。著者本人は結婚していないか、結婚していたとしても子供がいないのじゃないか? 少なくとも「母親の臭い」がしない。

 小説であれ、漫画であれ、女性が作者の場合、自分自身が結婚して赤ちゃんを産み育てていないと、結婚のシーンや育児のシーンをきちんと書けないのである。女性が本物の作品を作りたいと思うのなら、とっとと結婚して子供を産み育てるべきなのである。

 こうの史代が広島市出身だからといって、余りにも原爆に拘ることは如何なものかと思ってしまう。多分、こうの史代が得意とするのは、他の作品の『長い道』みたいな平凡な日常を描いた漫画なのである。原爆を持ち出せば、どうしても重たい漫画を描かなければならず、こうの史代としては非常に危険なのである。

●参考文献が余りにも酷すぎる

 『この世界の片隅に』の巻末に、

「間違っていたのなら教えて下さい。今のうちに」

と書かれてあるので、俺が間違っている箇所を指摘してあげよう。それは、

「こうの史代さん、参考文献が余りにも酷すぎる!」

ということなのである。

 『この世界の片隅に』には参考文献が列挙されているのだが、実は彼女自身、ここの挙げていない参考文献を使っている。それが解るのが他の作品の『夕凪の街 桜の国』であり、この作品に列挙されているのは、「朝日新聞社」「岩波書店」「三一書房」と全部「社会主義に洗脳された会社」なのである。これに「大月書店」が加われば、「この漫画はプロレタリア漫画である」ということになってしまうぐらいなのである。

 しかも『はだしのゲン』を参考文献に使うのは絶対に拙いだろう。『この世界の片隅に』でも明らかに『はだしのゲン』を見た上で描いたシーンが出て来るので、これはもう『はだしのゲン』をそのままパクったなということがすぐに解ってしまうのである。

 漫画家が作品を作るために他人の漫画を読むことはあっても、それを参考文献に挙げることは絶対に許されてはならない。しかも『はだしのゲン』は作者が社会主義者であり、社会主義革命を引き起こすためにこの漫画を描いたのである。内容に余りにも問題が有り過ぎたために、連載が打ち切られたほどの作品なのである。

 こうの史代が本物の神道家なら、こういうインチキ極まりない作品を拒絶することであろう。しかしやはり浄土真宗の信者ゆえにこういうインチキを見破ることができないのである。著者の宗教心は想像以上に作品に影響を齎して来るものなのである。

●原爆の惨劇ことを書くことの難しさ

 俺は『この世界の片隅に』を読んでつくづく思ったのは、

「原爆の惨劇のことを書くことの難しさ」

である。どんな作品を書いたとしても、被爆者たちは「それは違う!」と反論してくるものなのである。被爆者たちは被曝したことで自分の人生を大いに狂わされてしまったので、作品を冷静になって読むことができないのである。

 きつい意見ではあるかもしれないが、被爆者たちが全員死んでくれないと、原爆の惨劇のことを正しく書くことができないのである。『はだしのゲン』が出版された時はまだ相当多くの被爆者たちが生きていたが、『この世界の片隅に』が出版された時は被爆者たちが高齢ゆえにかなり減少していたのである。

 それに原爆のことを書こうとすれば、どうしてもアメリカ合衆国の戦争犯罪に触れなければならない。そうなると現在、日本はアメリカ合衆国と同盟している以上、下手に戦争犯罪を追及できないのである。だからアメリカ合衆国が滅亡した後になって初めてちゃんとした正確な事実が出て来ることになるのである。

 ここに広島の惨劇を語ることの難しさがあるのだ。

 嘗て中国でも秦王朝滅亡後に起こった「楚漢興亡戦」を経験していた者たちが生きている時には「楚漢興亡戦」のことを正しく書くことができなかったのである。その戦いに参加した者たちが全員死んだ後に、司馬遷が『史記』を書き、楚漢興亡戦に於いて何が行われたかを書き綴ることができたのである。

「時間が物事を解決してくれる」

という考えを戦争に対して持つしかないのである。戦争の記憶が風化した後に、歴史が書き綴られるのである。戦争というものはそういうものなのである。

 『この世界の片隅に』を名作だと評価することはできない。せいぜい努力賞を与えるくらいである。読んでみれば問題の箇所は多々見つけてしまう。しかし問題はあったとしても『はだしのゲン』とは比べ物にならないくらいマシな作品であるということは言える。こうの史代は少なくとも、自分の作品を通じて読者たちに社会主義を洗脳しようという気は全くないのである。

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コメント

タマティー様

お返事ありがとうございます!
ギリギリのとこで成り立ってる結婚…というところ、生活していて腑に落ちる点が多々ありました。
てっきり私が仕事をしているから、いっぱいいっぱいなのかな?と考えていましたが、運勢的にそうなのですね。

息子、早速来月からフットサルか合気道教室に通わせます!あとピアノも…
娘は3歳過ぎたらピアノやらせます!

お返事、遅くなり、大変失礼致しました。にもかかわらず、有難いアドバイスありがとうございます!

先日の記事ですが、我が家は夫が料理好きで週末はすべて旦那が作り、私が洗い物担当です。料理、私もがんばります!

投稿: りんりん | 2014年2月21日 (金) 08時53分

タマティー様、こんばんは!
こんな時間に起きてると怒られそうですね。

お久しぶりです!ともぞうです。

最近、タマティー様のブログにお邪魔していないのですが・・・。
ちょっとタマティー様にお願いがあります。

最近まで、私が使用してた完全天日塩が怪しい?と思い、
塩について調べた所、
普通の食塩で良いのでは?という考えになりました。

普通の天日塩は、
にがり成分(マグネシウムとカリウム)は固まりにくいし、苦いので、
にがり成分を除去してナトリウム分が多いそうです。
また、にがり成分は硬くする作用(豆腐作りにも使用)もあり、取りすぎると危険という事もあります。
日本産の食塩は海水から作ってるので、
ナトリウム分が多くても、
あまり心配ないのでは?と思いました。
健康食志向で、インスタントや佃煮、塩辛などもあまり食べなくなったら、
逆にナトリウム不足になり、危険らしいです。

それと、砂糖についてですが、
上白糖以外の黒糖やはちみつなども血糖値を急上昇させるので、
ミネラルがあるかもしれませんが結局上白糖と同じように危険という事です。

タマティー様のブログを見てる方は、
妊活中や育児中の方も多いと思うので、
私なりに調べた事をお知らせしたいと思いました。

私は頭が悪いので、絶対そうだという確信は無いので、
すみませんが、タマティー様ももう一度調べてもらえないでしょうか?

すみませんが宜しくお願いします。

投稿: ともぞう | 2014年2月21日 (金) 23時13分

ともぞうさん、早く寝ろって!happy01

砂糖に関しては、妊娠中はできる限り控えた方がいいかもしれませんね。
果物と穀物を摂取していれば、炭水化物は足りる筈ですよ。
白砂糖を近似するのは、これを摂取すると歯や骨がやられてしまうからです。

タマティーが天日塩を勧めるのは、羊水が海水と同じ成分だからです。
化学塩を使い始めてから、妊婦のトラブルが急増しているんです。
ナトリウムだけがあっても、羊水を作れないんです。

このブログで天日塩の大切さを知って摂取し始めた女性たちは、その殆どが安産になっているのを見ても、妊婦にとって天日塩は大事ってのが解ります。

人間は純粋物が体に有害なのに、それを摂取すると美味しいと感じてしまうという厄介な動物なんです。
そのため化学塩や白砂糖を使ってもいいじゃないという誘惑に駆られてしまうわけです。

投稿: タマティー | 2014年2月22日 (土) 06時50分

タマティー様、おはようございます!

ともぞうです!

お返事ありがとうございます!
m(_ _)m
すごくよくわかりました!♪
(^-^)
私ももう少し自分でも調べてみます!♪♪
やっぱりタマティー様のお考えには到底かないませんね!(笑)
ありがとうございました!♪

投稿: ともぞう | 2014年2月22日 (土) 07時38分

タマティー様、こんばんは!♪

何度もすみません、ともぞうです♪

99%ナトリウムの塩は悪いのかもしれませんが…。
塩の歴史について調べてみました。
塩は、農耕を始めた縄文時代(三千年前)から作り始めたそうです。
製法については詳しく書きませんが、ずっと加熱をして塩を作ってたみたいです。

植物にカリウムが多く含まれているので、ナトリウムをとる必要が出てきたと。
体内の余分なカリウムを出すためにはナトリウムが必要と。
電解質バランスを保つために、カリウムが多くなる食事ではナトリウムが必要という理論です。

しかし、それに比べて天日塩の歴史はたった100年です。
確かに天日は良いのかもしれませんが、生きる上で必須ではないように思います。
でも、天日塩で安産になったのは素晴らしい事だと思います♪♪
m(_ _)m
失礼しました。
今後も宜しくお願いします♪♪

投稿: ともぞう | 2014年2月23日 (日) 01時43分

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