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2014年3月

連戦連敗の弁

●敗戦しまくり

 俺は2年前から小説を書き始め、去年の2月から様々な出版社に自分の原稿を送っているのだが、なんと連戦連敗しまくりである。俺としては新人賞受賞レベルに到達していると思って出したのだが、出版社の方は全く評価してこないのだ。

 現在までの結果は、

 新人賞で3連敗

 持ち込みで1敗

である。新人賞では第一次選考すら突破できていない。まさにトホホの状態で、その結果を知らされると、ガックリと落ち込んでしまった。なんせ新人賞の方には俺の虎の子とも言える作品を1つ出したのに、それすらも予選落ちなのである。さすがにショックで1週間鬱状態にあった。

 実を言うと、その虎の子の作品には絶対的な自信があった。俺自身、その作品を楽しみながら書いたし、その作品を世間の人々が読んでも面白いと思える物だったからだ。レベル的にも新人賞受賞のレベルを遥かに超えていた物だったのである。それなのに結果は予選落ちである。

 連戦連敗がこうも続くと、俺は作戦を変更することに決めざるを得なくなってしまった。このまま負け続けても時間の無駄だし、それに経済的にだってつらくなってしまうのだ。小説を書くにはそれなりの労力や資金や時間が必要であり、しかも長編小説を書くとなると、少なくとも3ヶ月間はそれにつっきりになるので、小説が出版されない限り、こっちがやっていけなくなってしまうのだ。

  ただ、俺の作品が落選したとしても、

「新人賞を受賞した作品より、俺の作品の方が面白い!」

という自信だけは崩れていない。俺は菊池寛が言った「小説は面白くなければ売れない」をモットーにしているので、面白くもない作品が新人賞を取ったとしても、俺はビクともしないのだ。

 俺が連戦連敗した中で得た教訓は、

「出版社という物は大きくなればなるほど、詰まらない作品に新人賞を与えている」

ということだ。となれば、俺の面白い作品を出してくれるのなら小さな出版社でも構わないのであって、とにかく「読者たちが面白いと思える小説を出したい!」と本気で思っている出版社を見つけて出した方がいいのだ。

●敗戦の原因

①出版社選びを間違えていた

 敗戦の原因はなんと言っても「出版社選びを間違えていた」ということに尽きる。俺は講談社の出版物を多く買っていたので、講談社に原稿を送ったのだが、原稿を送った後に我が家が引越しをした際、俺は講談社が出した小説を殆ど買っていないという事実が判明してしまった。確かに講談社が出した小説を買っていた時期もあった。しかし俺が中学校を卒業する頃には講談社の小説を卒業していたのである。

 俺が小説に関して好んでいたのは、「新潮社」であり、「文藝春秋社」であった。これらの出版社は創業者が本気で文学をやろうとした人たちなのであって、だから俺がその出版社の出した小説を読んでも、それを評価できたのである。それゆえまずはこれらの出版社を狙うべきなのである。

 もしも他の出版社を狙うのなら、これに準じた物にすべきなのであって、文学に特化した出版社でないと、俺の作品は評価して貰えないのだ。総合出版社だと文学部門があっても全然特化されていないので、それで俺の作品が落選ということになってしまうのである。

②下読み委員対策をしていなかった

 もう1つの敗戦の原因は「下読み委員対策をしてこなかった」ということなのである。俺は新人賞を取るために最終選考のことだけを考えていたので、下読み委員対策をしていなかった。下読み委員にどういう人たちがなって、何をやっているのか、全然理解していなかったのである。

 俺が連戦連敗して解ったことは、「出版社は大きくなればなるほど、下読みが雑になる」ということであった。大きな出版社は資金力に恵まれているから下読みにも力を入れるのではないかと思ってしまうものだが、事実は違うのである。大きな出版社だと投稿作品を下読み委員に任せっ放しで、それで出来のいい作品が上に上がってこないのだ。

 小さな出版社だと資金不足のために、編集長が直接に見るか、副編集長が新人賞担当の役職に就いて専属的になって見るということをやっている。これだと下読み委員を使っても、出来のいい作品を見落とすことがなくなるのである。だから小さな出版社から突然として面白い作品が出まくることになるのである。

③決戦を挑みつつも主力温存

 俺は1つの作品だけで勝負していない。大事なことは「確率論」なのであって、新人賞に自分の作品を出しても、常に予備の作品を用意しているのである。80対20の法則を使えば、勝率は最大で3割、最低で1割、通常は2割なのであって、必ずしも常勝する必要性はないのだ。

 しかし投稿しても必ず次の作品を用意しているということは、決戦を挑みながらも主力を温存しているようなもので、それで新人賞を獲得できるパワーが不足していたのかもしれない。こうなってくると選択肢は2つしかなく、1つは本気になって決戦を挑むこと、もう1つは物量戦に持ち込み、戦略的に押し切って行くこと、この2つしかないのだ。

●かくなる上は

 俺は去年の3月に「対芥川賞用決戦小説」を作ったのだが、今回、この対芥川賞用決戦小説を投入することに決めた。これは俺が作家デビューした後に文藝春秋社から出そうと思っていたのだが、戦局は思いっきり不利になっているので、これを使用することで突破口を開こうと思う。

 対芥川賞用決戦小説を出す先は「河出書房新社」である。実を言うと、この小説にはほんの少しだけ河出書房新社と関わりのあるシーンが出て来るので、それで河出書房新社を選んだのである。この作品は名作であるので、河出書房新社にそれを理解する能力があるのかは、本当にギャンブルにならざるを得ない。

 河出書房新社は小説に対して「新しいタイプの小説」を求めている。河出書房新社は新しいタイプの小説を出して来るからこそ、時折ヒット作を飛ばして来る。しかし新しいタイプの小説を追い求めると、逆に小説の基本が疎かになるので、それでコンスタントに出来のいい小説を出し続けることができないのである。

 対芥川賞用決戦小説は本当に芥川賞狙いの作品なので、これが新人賞を取ろうが取るまいが、これで芥川賞を取れなかったら、俺は純文学には手を出さない。俺自身、この作品は今までの芥川賞受賞作品よりも遥かに凄いと思っているが、これだけは運だから仕様がない。

 対芥川賞用決戦小説を投入しても、今の俺には予備として長編小説が1つあり、それに現在、特大長編小説を執筆中である。今回も主力温存に見えてしまうのだが、今回は本気である。本気になって決戦に挑むことにする。尤も結果が出る頃には特大長編小説も完成しているだろう筈なので、新人賞を受賞できれば、その後の展開が非常に楽になるのだ。

●乱れ撃ち

 俺は決戦を挑むと共に、物量戦も展開することにした。自分の作品を大量に作って投稿していけば、その中のどれかは第一次選考を突破できることであろう。とにかく第一次選考を突破しないと、本当にこの出版社に出していいのか、その確信を持つことができないのだ。 

 80対20の法則を使えば、10作品作ればその内の2作品は非常に出来のいい物なのである。だから数を多く作っていけば、自然とレベルの高い作品を作ることができ、それを使って勝負すれば新人賞を取ることができるようになるのである。

 出版してくれそうな所に原稿を送りまくるということも大事なことだ。必ずしもメジャー出版社でなくてもいいのである。マイナーな出版社であっても、本気になってやっているのなら、そこから自分の作品を出す価値はあるのだ。今の俺としては年内に俺の作品を出して貰うなら、どこでもいいという感じなのだ。

 俺の執筆量は日産10枚程度なので、月産300枚である。非常に解り易い数値なので、これを基準に計算していけば、年間3650枚となる。これだけ書けば出来のいい作品は幾らでも生み出されて来ることであろう。とにかく乱れ撃ちして、一刻も早く作家デビューしなければならない。

 小説を毎日せっせと書いていると、小説の良し悪しというのが実に良く解るようになった。作家ができることは、その作品の半分までで、残りの部分は出来のいい出版社が担う物なのである。小説も恋愛と同じで、運命の出会いみたいな物がないと、名作というのはこの世に誕生してこないのかもしれない。

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ポルポト 正気で凶器の大量虐殺

●カンボジアの悲劇

 東南アジアというのは非常に豊かな地域である。豊かだからこそ、東南アジアでは人口が密集しているのである。これを可能にしているのはなんと言ってもその温かい気候で、米作りが三期作もでき、果物や野菜だって大量に取れてしまうのである。

 本来なら東南アジアに強国が出現してくる筈である。事実、古代に於いては強国が出現してきた、しかし東南アジアに仏教が普及すると、途端に国民も国家も弱くなってしまい、最終的にはイギリスやフランスの植民地になってしまったのである。カンボジアもその1つで、フランスの植民地になって、徹底的に搾取されまくったのである。

 カンボジアがフランスの植民地支配から脱することができたのは、日本が大東亜戦争に於いてフランス軍を駆逐してしまったからなのである。これによってカンボジアは独立を回復した。ところが日本が戦争に負けてしまい、再度フランスの植民地に転落し、1953年にフランス連合の枠組みの中で独立を回復した。

 それなのにカンボジア王国はシアヌーク国王による失政が続き、国内に反政府気運が高まり、それによって社会主義者たちが勢力を拡大していく。そこにヴェトナム戦争が勃発し、カンボジア王国はこの戦争に巻き込まれ、アメリカ軍の支援を受けたロンノル将軍がクーデターを起こし、王政を廃止して、クメール共和国を建国する。

 しかし中国はアメリカに対抗すべく、カンボジア国内のカンボジア共産党を支援しただけではなく、シアヌークまで亡命者として受け入れ、カンボジアは内戦状態になってしまう。そして1975年にポルポト率いるカンボジア共産党がカンボジア全土を支配し、民主カンボジアを建国した。

 今回紹介するのはこの本!

『ポルポト ~ある悪夢の歴史~』(白水社)

 作:フィリップ・ショート

 訳:山形浩生

●運よく出世、運よく革命

 ポルポトはカンボジアの中流の農民の出身である。従姉妹は国王の側室になって、王室とは繋がりがあった。カンボジア人としては非常に恵まれた家に育ったのだが、フランス革命やロシア革命でもそうだが、裕福で王室と繋がりがあった人ほど革命側に寝返っているのである。

 ポルポトは学校の勉強が余りできず、成績が悪かった。それなのに従姉妹が国王の側室になっているために奨学金を貰うことができ、そのお金でフランスに留学した。この留学の最中に社会主義者になった。しかし社会主義の文献を読んでも頭が悪いために良く理解できず、社会主義者たちの間でも遊離していた。

 カンボジアに帰国すると私立学校で教師として働きながら民主党の活動に加わる。その後、クメール・イサクラ連合に加わり、そしてカンボジア共産党へと流れて行った。カンボジア共産党では秘密主義によって党が運営されていたので、なかなか出世することができなかった。

 ところがカンボジア共産党の上層部の連中が政府の弾圧によって殺されて行くと、ポルポトはどんどん出世していき、最終的には書記長にまで伸し上がってしまったのである。しかもロンノル将軍のクーデターは国王を慕う農民たちをカンボジア共産党の支持者に変えてしまい、それで内戦を勝ち抜いて者気主義革命を実現してしまったのである。

 カンボジアの情勢はフランスが介入したり、アメリカが介入したり、中国が介入したりと複雑怪奇極まるものだが、ポルポトはカンボジア共産党をしっかりと掌握し、アメリカがヴェトナム戦争で敗戦すると、その機会を巧く掴んでカンボジア全土を征服してしまったのである。

●ポルポトの政治思想

 ポルポトは如何なる政治思想を持っていたのかというと、カンボジア共産党を率いたから社会主義ということになるのだが、そう簡単に断言することができない。というのは、ポルポトはそれほど頭が良くなく、それに彼自身、著作物を執筆して自分の政治思想を深めて行くということをしなかったからだ。

①仏教

 ポルポトはカンボジア人である以上、仏教の思想がその基盤にあると見ていい。ポルポトのカンボジア共産党の運営の仕方はまさに仏僧の遣り方とそっくりだからだ。自分で責任を負わず、集団で決定したことにする。仏教では個の徹底破壊が行われるのだが、仏教と社会主義は結び付き易いのである。

②ルソー主義

 ポルポトはフランスに行く前にルソーの『人間不平等起源論』や『社会契約論』を読んでいるのだが、ルソーの主張を完全に理解することはできなかったとしても、その文明嫌悪の思想はしっかりと受け取っており、革命を起こした時に文明を破壊しまくっているということでも、このルソー主義の影響が強かったことが解る。

③スターリン主義

 頭の悪いポルポトにとってはマルクスやレーニンの本は難しかったらしい。その代わりスターリンの『ボルシェビキ党の歴史』には興味を示し、スターリンは正しい指導力を強調し、「党は日和見的な要素を取り除いてlこそ強くなる」と主張していた。

 これこそスターリンがソ連で独裁政治をやれた理由であるのだが、ポルポトはこれをしっかりと学んでいる。ポルポトがカンボジア共産党書記長になると、混迷にあったカンボジア情勢に於いて、全く日和見的な行動を取らず、社会主義革命に向かって突き進んで行っているのである。

③無政府主義

 実を言うと。ポルポトは社会主義者でありながら、無政府主義の影響をも受けている。ポルポトの愛読書はピョートル・クロポトキンの『大革命』であるのだ、この本の中でブルジョア階級出身の知識人と農民とが手を汲んだからこそフランス革命は成し遂げられたと書かれており、農民が殆どのカンボジアではまさにピッタリの思想であったのである。

⑤毛沢東主義

 正統な社会主義理論では、ブルジョア革命を経てプロレタリア革命へと移行するのだが、カンボジアではブルジョア階級が発達していないので、ブルジョア革命を期待できない。この問題は中国でも同じで、だから毛沢東は『新民主主義論』を書いて、反帝国主義・反封建主義の「民主主義革命」を行い、その後、「社会主義革命」を起こせばいいと主張したのである。

 ポルポトはこの毛沢東主義をそのまま受け入れている。カンボジアの現実を踏まえて社会主義革命を行って行くというのは、まさにポルポトがやり続けたことだからだ。カンボジア共産党が日本共産党みたいにイデオロギー闘争が起こらなかったのは、徹底して現実主義を貫いたからなのである。

 こうして見て来ると、ポルポトの政治思想は社会主義者であるといっても、マルクス・レーニン主義の正統派から外れていることだけは事実である。仏教とルソー主義とスターリン主義と無政府主義と毛沢東主義を組み合わせると、とんでみない政治思想が出来上がってしまったということなのである。

●結果的に大量虐殺?

 著者のフィリップ・ショートは、「ポルポトは大量虐殺を目指して大量虐殺をやったのではなく、社会主義社会の実現を本気で目指そうとしたら、国民に対して大量虐殺を強いてしまった」と結論づけている。俺はこの見解には反対である。そんなこと絶対に有り得ないからだ。

 社会主義というのは私有財産制を廃止してしまうがために、国民は経済的に無防備になり、それで確実に政府による大量虐殺の餌食になってしまうのである。「私有財産なくして自由なし」というのは絶対に忘れてならない考えなのである。

 ポルポトはカンボジアの首相に就任すると、国民を革命前にカンボジア共産党を支持した者たちを「基幹民」とし、それ以外の者たちを「新人民」とし、基幹民には充分な配給を行ったが、新人民には碌な配給をしなかったのである。これでは新人民たちが飢えるのは当然のことなのである。

 しかも知識人たちを強制収容所に収容し、そこで思想改造を行った。強制収容所では基本的に虐殺が行われていたのであって、この強制収容所から出てこれたのは非常にごく僅かな人たちだけであったのである。強制収容所で大量虐殺が行われているのに、大量虐殺を意図しなかったということは絶対に有り得ない。

 しかしポルポトが本気で社会主義革命をやろうとしたのは事実である。「通貨の廃止」「私有財産の募集」「都市の破壊」ということをやり、国民全員が労働に従事すれば、誰もが豊かになれる理想郷を作ると信じ、それを本気になって実行したのである。

 その結果、カンボジアでは100万から200万人が死んでしまった。カンボジアの人口が700万人から800万人なので、人口の20%前後の人々が大量虐殺されたということなのである。80対20の法則を使うと、その効果は80%になり、それでカンボジアは長らく世界最貧国に転落し続けてしまったのである。

 因みにこの犠牲者たちの数には餓死者は含まれていない。生産共同体の設立によって米の収穫量が激減し、カンボジアでは飢饉が発生し、餓死者の大量に出たのである。人肉食の横行したぐらいだから、飢饉は本当に深刻だったのである。

●読後感想

 俺は今まで色々な本を読んできたが、読書で頭痛になったのはこの本が初めてである。カンボジアの複雑な事情を踏まえつつ、ポルポトのこれまた謎めいた動きを追っていくと、頭の中がこんがらがって頭痛を発症してしまった。それでもなんとか読み終えたので、やっと安堵することができた。

 最近、縦書きの本がつらくなってしまった。横書きの方が読み易いから、頁数の多い本は横書きにして貰いたいものだ。この本は本文が長いだけでなく、注と出所も大量に掲載されているので、縦書きの本だと非常に読みにくいのだ。横書きにした方がこの本はもっと売れたのではないだろうか?

 それにしてもポルポトの悪夢は決して他人事ではない。日本でも日本共産党が存在し、日本国民に対して大量虐殺の準備を着々と進めているのである。カンボジア共産党だって革命を起こすまでそんな残虐なことをしていなかったのだ。しかし革命が発生した途端に本性を剥き出しにしてカンボジア人たちに襲いかかって大量虐殺を働いたのである。

 俺がこのほんを読んでつくづく思ったのは、

「日本はカンボジアに手を出してはならない」

ということであった。日本は大東亜戦争でたまたまカンボジアを解放してしまったが、ポルポトの悪行の後始末も日本がやってしまったのである。こういうことをして日本が何か利益を得たわけではなく、日本だって大損害を被ってしまったのである。

 東南アジアは基本的に華僑たちの支配下にあるのであって、カンボジアだっていずれは経済的には華僑の支配下に入ってしまうのである。確かに日本とカンボジアが貿易することは必要だが、絶対に深入りしない方がいい。カンボジアを取り巻く環境は余りにも複雑すぎているからだ。

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「言論の自由」と「その敵」

●「法の支配」と「言論の自由」

 古代の国家はどの国家も「神の支配」の下で成り立っていた。これは古今東西全て共通である。しかし人間たちが学問を発展させてくると、神の支配だけでは物足りなくなり、それで神の支配を受け入れつつも、人間の力でより発展可能な統治形態を考え出そうとした。

 しかし多くの国々は君主に徳のある人物を就かせ、権力を集中させれば巧く行くだろうと考え、君主専制の国家を作り上げてしまった。その結果が暴虐政治であり侵略戦争であった。人類は長らく「人の支配」に苦しんできたのであって、そこで「人の支配」をどうにかして脱しようという動きが出て来た。

 「人の支配」を否定する場合、行き成り「人の支配」を否定して新しい統治形態を作り出すのではなく、一旦は「神の支配」に立ち返り、その神が生み出した「法」というものに人々が従うことで新たな統治形態を作り出したのである。これが「法の支配」である。

 だから「法の支配」が成立するためには、国内に全国民に根付いている「国民宗教」がなければならず、だから「法の支配」はイギリス国教会を有するイギリスと、神社神道を有する日本でしか成立しなかったのである。「法の支配」はどこでも成立するというものではないのである。

 「法の支配」では君主は「権威」を持っても「権力」を持たなくなる。権力は家臣たちが持つようになるのであって、そこで家臣たちが自分の意見を言い、それを議論することで、政治を決定していくことになる。それゆえ「法の支配」の下では「言論の自由」を絶対に確保しなければならないのである。

●「言論の自由」と「道理」

 「法の支配」は「法治主義」とは異なる。法治主義は憲法や法律で国民を統治していこうとする考えであるが、「法の支配」に於ける法は、ただ単に「実定法」を指すだけではなく、「古来祖法」という目に見ざる法をも指す。「法の支配」には於いてはこの「古来祖法」こそが最重要なものなのである。

 古来祖法とはその国家を建国当初から貫く法であって、人間たちが作り出す法ではなく、人間たちが発見する法であるのだ。如何なる憲法も法律も古来祖法に違反しているのなら無効である。古来祖法は憲法や法律を廃棄するほどの強力な力を持つのである。

 「法の支配」の下では政治家たちはこの古来祖法を念頭に置き、無闇に政治的決断を下すのではなく、この古来祖法に導かれた「道理」に基づく意見によって政治的決断をしていかなければならない。誰の意見が正しいかなのではなく、みんなが議論し合って、「道理に基づく正しい結論」に辿り着こうとするのである。

 「言論の自由」はそのために必要なのであって、無闇に自分の意見を言えばいいというものではないのだ。自分が意見を言い、みんなで議論し、道理に基づく結論に辿り着くからこそ、「言論の自由」は価値ある物だと看做されるのである。

 「法の支配」は立憲君主制を要求するものであるが、君主は家臣たちが決めたからといってその政治的決断を受け入れるのではなく、君主自ら質問し、再考を促したりすることで、これが本当に道理に基づく正しい結論であると確認し、その上で了承するのである。この過程を経るからこそ、立憲君主制の国家では政治が聖化され、邪悪な物を排除することができるのである。

●「言論の自由」と「言論市場」

 当初、「言論の自由」は政府の上層部に於いてその重要性が確認され、政治家や文武官たちは或る一定の範囲内でなら「言論の自由」を行使しても良いことになる。そして一旦、「言論の自由」が認められると急速に広まっていき、国民も「言論の自由」を寄越すよう運動し始めることになるのだ。

 当然に政府は様々な意見を国内に用意した方がより多くの選択肢を持てるのだから、国民に対して「言論の自由」を国民権の1つとして認め、国民権の中でも最も重要な権利であると位置付けて来る。こうなると国民は「言論の自由」を行使し始め、政治家たちの思惑とは裏腹に、「言論の自由」は必ず言論市場を形成してくるのである。

 言論市場は政治家たちが人為的に作ったものではない。国民に「言論の自由」を認めてしまった結果、自生的に出来上がってきた市場であるのだ。

①言論市場があれば、全ての言論需要を満たすことができる。

 言論市場に参加する者では誰でもあっても利益を最大化することができる。これこそ言論市場の最大の魅力であると言っていい。だから言論市場が一旦成立してしまうと、国民は積極的に言論市場に参加して、自分の意見を発表したり、他人の意見を受け入れたりするようになる。

 言論市場は自由にしておけば自然と需給バランスが安定することになる。だから政府は言論市場に介入しないのが最善なのであって、言論市場の需給バランスが崩れているということは、政府が言論市場に介入している可能性があるということなのである。

②言論市場は論争を必要とし、論争をすることで問題を解決していくだけでなく、論争をすることで新たな問題が見つかり、それが言論の発展に繋げようとする。

 言論市場は意見を言いっ放しする場所ではない。時には論争をすることで言論市場が抱える問題を解決していくのである。ということは、言論市場では必ず勝者と敗者が出て来るのであって、勝者の勝利と敗者の撤退を引き起こすことで、言論の質を高めて行くのである。

 だから「勝者の意見にも一理あるが、敗者の意見も一理ある」などとバカなことを言っていれば、言論市場は成り立たなくなり、その結果、言論の自由も消滅してしまうことになるのである。言論市場は闘争的なものなのであって、闘争するからこそ発展していくのである。

③言論市場は非倫理的であり、人々の意にそぐわない言論も出て来るのであって、それゆえ社会正義なる物を絶対に認めてはならない。

 個々人の意見は倫理的な物かもしれないが、言論市場それ自体は非倫理的である。言論市場は誰かが人工的に作った物ではなく、自然に出来上がった物である。その自然に出来上がった物に倫理を要求しても全く無意味なのである。

 言論市場は非倫理的ゆえに、社会正義を主張する集団が言論市場に進出することを絶対に許してはならない。社会正義などというものはないのであって、そんな物を振り翳された日には言論の自由が破壊されて行ってしまうのである。

 政府は言論市場に介入すべきではないが、言論市場が破壊されないように言論市場を守る義務は存在する。狂信的宗教団体や暴力革命政党などの出現に対しては常時警戒し、そのような団体を殲滅してしまえば、言論市場を守ることができるのである。

●なぜ共産党が政権を取ると「言論の自由」が消滅してしまうのか?

 「言論の自由」には「敵」が存在する。その敵は「言論の自由」の中から生まれて来たのに、「言論の自由」それ自体は破壊してしまう非常に危険な連中なのである。「言論の自由」の敵の中でも最も危険な敵が「共産党」である。共産党が政権を取ってしまうと確実に「言論の自由」は消滅してしまうのである。

 国民に「言論の自由」を認めるということは、如何なる思想を持っていいということである。そこで国民の中からよりによって社会主義の思想を持つ者が出て来て、その者たちが共産党を結成することになる。共産党は社会主義革命を目指すから、当初は社会主義者たちが良心的に集まったとしても、「民主集中」と称して独裁を開始し、そして党員たちを洗脳して行くことになる。

 共産党は世間に向かって「言論の自由」を主張するが、共産党内部ではいつ如何なる時も「言論の自由」などない。党員は党中央の言い成りであり、機関紙の情報を鵜呑みにするだけの存在となる。もしも党にとって都合の悪い意見を言ったのなら、その者は直ちに捕まり、統制委員会によって除名処分を受けてしまうことになる。

 共産党の実態は余りにも悲惨な物だから、国民の中で宗教心や道徳のある人々は絶対に拒絶反応を示す。このため共産党はに国民の中で宗教心も道徳も一切ない邪悪な連中を党員にしてしまうのであって、こうなると共産党内部は人間の屑だらけとなり、その結果、共産党員ですら嫌悪するような最も邪悪な人間が共産党のトップに就任して来るのである。

 共産党のトップが最悪の人物だと解っているのに、独裁者ゆえに党員たちは熱狂的になって支持する。そういう熱狂は余りにも異常だから国民は共産党を支持することはない。そこで共産党は暴力革命路線を採択し、政府を暴力革命によって転覆してしまうのである。

 共産党は私有財産制度の廃止を主張しており、それゆえ社会主義革命が発生すれば国民の私有財産を全て没収することになる。それをすることで国民の中で「貧富の格差」を消滅させ、平等にするというのである。しかし経済的自由が奪われると、精神的自由は根こそぎ奪われるものなのであって、私有財産の没収と共に「言論の自由」も没収されることになるのである。

 共産党は市場経済を廃止し、計画経済を実行することになるのだが、計画経済を実行するためには「独裁政治」が必要になってくる。このため社会主義国は全て独裁政治を展開するのであって、その矛先は国民に向けられて大量虐殺を敢行して来るのである。平時に於いて国民を数百万とか数千万の単位で大量虐殺するのは共産党だけであるのだ。

 共産党政権は一度奪った「言論の自由」を共産党政権が崩壊するその日まで決して国民に返そうとしない。共産党政権は国民の「言論の自由」を認めてしまえば、共産党政権が崩壊することを知っているのであって、自発的に国民に「言論の自由」を返すわけがないのだ。

 だから社会主義国というのは国民の力では倒すことができない。ソ連を倒す際にはアメリカ合衆国が冷戦を仕掛け、社会主義諸国を封じ込め、ソ連経済が破綻するような軍拡競争をやり、その結果、やっとのことでソ連を崩壊させることができたのである。ロシアの地に社会主義革命が発生して七十数年もの間、ソ連は決して内部崩壊を引き起こさなかったのである。それほど社会主義体制というのは強固な物なのである。

●「言論の自由」と「思想戦」

 「言論の自由」は無条件で認めることはできない。国民の中には「言論の自由」を消滅させようとする考えを持つ者が出て来るからである。「言論の自由」は飽くまでも法の支配の下で認められるものであり。法の支配を転覆するようなイデオロギーを認めることはできないのだ。

 国民は「言論の自由」を享受したいのなら、「思想戦」を戦わなければならない。「言論の自由」を破壊する者には「言論の自由」を与えず、武器を取り殲滅していかなけばならない。自由を守るために武器を取ろうとしない者に、「言論の自由」を与えてはならないのだ。

 政府は国民に対して国民教育を行わなければならない。学校で国民になるための教育を施し、思想戦を教えて、邪悪なイデオロギーに洗脳されないようにしなければならないのだ。それでだけでなく全ての国民に思想戦の手引書を配り、邪悪なイデオロギーはどのような手段を使って洗脳を行い、そして政府を転覆して来るのか教えておかなければならないのである。

 政府は如何なる理由があっても邪悪なイデオロギーに洗脳された者を公務員に就任させてはならない。政府がこのような制限を設けておかないと、邪悪なイデオロギーに洗脳された者は政府内部を浸食して行くし、政府を内部から破壊し、暴力革命へと導いて行くことをしてくるのである。 

 政府は国内保安機関を作り、「言論の自由」を否定する集団を監視し、時と場合によっては秘密裏に破壊していかなければならない。その集団が小さな段階で叩いてしまえば、後で厄介なことにはならないものなのである。その集団が大きくなれば、必ず武装化してくるのだから、そうなった時は軍隊を出動させない限り叩き潰すことはできなくなってしまうのである。

●「言論の自由」が禁止されるイデオロギー集団

 政府は国民に対して「言論の自由」を認めるに当たって、「言論の自由」が禁止されるイデオロギー集団を明確にしておかなければならない。個々人が如何なるイデオロギーを持ってもそれは処罰されない。しかしそのイデオロギーを持つ者たちが集まって集団を作れば、政府は「言論の自由」を守るためにそのイデオロギー集団を殲滅しなければならないのである。

①法の支配を否定し、人の支配を画策するイデオロギー

 この代表例が「プラトニズム」である。プラトンは古代ギリシャ哲学で重要な人物であるが、「哲人政治」なるものを唱えたために、法の支配を否定し、人の支配を画策するイデオロギーの温床となったのである。プラトニズムに立脚した時点で警戒すべきなのである。

 もう1つの代表例が「儒教」である。儒教は道徳的に素晴らしい教えなのであるが、政治思想が「聖人による統治」を考えているために、どうしても専制君主制を実現しようとしてくるのである。専制君主制は人の支配なのであって、日本のように立憲君主制の国家では絶対に認めることができないのである。

②家族制度や私有財産制度を否定するイデオロギー

 この代表例が「社会主義」である。社会主義は「貧富の格差」を是正するために家族制度を私有財産制度を廃止しようとしてくるのであるが、家族制度や私有財産制度が破壊されてしまえば、法の支配は転覆され、言論の自由だって消滅してしまうのである。

 もう1つの代表例が「フェミニズム」である。フェミニズムは社会主義の女性バージョンのくせして、その危険度は社会主義とは比べ物にならないくらいに危険である。フェミニズムは「男女の性差」を是正するために男女共同参画社会を作り出そうとし、それに反対する者たちを全て葬って行こうとする。

 「男女の性差」は「遺伝子の差」なのであって、そのためフェミニストたちは男性たちに対して大量虐殺を遂行し、それだけでなくフェミニズムに洗脳されない女性たちにも大量虐殺を遂行して来る。もしもフェミニズム革命が発生すれば、社会主義革命の時とは比べ物にならない死傷者が発生してしまうのである。

③政府の存在を否定するイデオロギー

 この代表例が「無政府主義」である。近代国家は小さな政府を目指すべきであるが、政府の存在を否定してはならない。国家である以上、政府の必要性は変わらないのであって、無政府主義のような政府の廃止を主張して来るイデオロギー集団を直ちに殲滅しなければならない。

 政府が気をつけなければならないのは、社会主義者たちやフェミニストたちは自らのイデオロギーに失望してしまえば、すぐにでも無政府主義者になってしまうということなのである。このため無政府主義者たちを放置しておくと、アッという間に無政府主義者たちの数が増えてしまう非常に厄介なことになってしまうのである。

 国民が「言論の自由」を消滅させてしまうような邪悪なイデオロギーと戦わないと、その邪悪なイデオロギーを奉ずる集団は政権を乗っ取ってしまい、すぐさま「言論の自由」を廃止し、そして暴虐政治が展開され、国民に対して大量虐殺を遂行し、国民は奴隷状態に置かれることになるのである。

 政府が「言論の自由」を破壊して来るイデオロギー集団を殲滅することは、決して政府による国家権力の乱用ではない。政府は正しい行為をしたのであって、そうやって革命が発生する前に邪悪なイデオロギー集団を殲滅しておかないと、国民は革命が発生した後に大量虐殺され、生き残った者たちは奴隷として生きて行くしかなくなってしまうのである。

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『独裁者のためのハンドブック』 ~独裁政治の出現を阻止する方法~

●解決策は民主主義を広めること?

 メスキータは何も独裁者を生み出すために『独裁者のためのハンドブック』を書いたのではない。独裁政治は非常に危険な物なのであって、独裁政治の出現を防止するために権力支持基盤理論を作り、その理論を使って独裁政治のメカニズムを解明したのである。

 メスキータの目的は飽くまでも民主主義を広めることである。その国が民主主義を採用してしまえば、独裁政治を行うことは不可能なのであって、民主主義を世界中に広めていけば、独裁政治を根絶させることができるのであると考えているのである。

 しかしこれこそがアメリカ人の限界なのである。

 というのは、権力支持基盤理論によれば、独裁政治も民主主義も、政治のメカニズムとしては全く同じなのであって、民主主義をやれば独裁が生まれることだって有り得るのだ。というか、独裁国家の殆ど民主主義を採用しているのである。

 もう1つ絶対に忘れてならないのは、アメリカ合衆国は民主主義とは無縁の国家であるということなのである。アメリカ合衆国憲法は民主主義を否定した憲法なのであって、「立憲主義」と「共和主義」と「連邦主義」からなる憲法なのである。

 確かにアメリカ合衆国独立宣言では人民主権を謳い、恰も民主主義国家であるようなことを言っているのであるが、アメリカ合衆国憲法は人民主権を否定した物なのであって、アメリカ合衆国独立宣言とアメリカ合衆国憲法の政治思想は違うのである。

 アメリカ合衆国政府が民主主義を唱えるようになったのはウィルソン大統領の時からなのであって、厳密に言えば、アメリカ合衆国に於いて民主主義を唱えることは憲法違反であるのだ。アメリカ人全員が洗脳されてしまっているので、この歴史的事実をメスキータですら知らないのである。

●権威と権力の分離

 「独裁と民主主義が同じようなものなら、民主主義はいつでも独裁政治に転化する」ということを絶対に忘れてはならない。民主主義は独裁政治の出現を完全に阻止することはできないのである。それどころか民主主義は常に独裁政治を生み出す可能性を持っているのである。

 独裁政治の出現を最も効果的に阻止できるのは、「権威と権力の分離」を図ることである。君主に権威を持たせ、首相は権力しか持つことができないというようになっていれば、首相の権力が如何に巨大化したとしても、独裁政治を行うことは不可能になってしまうのである。

 独裁政治がなぜいとも簡単に実現できてしまうのかといえば、独裁政治が行われる国家では権威と権力の分離がなされておらず、国民から支持を受けた政治家が自分は国民から支持されているかといってなんどもやろうとするからこそ、政治が暴走してしまうのである。

 立憲君主制の存在こそ、独裁政治の出現を阻止する。事実、日本でも西ヨーロッパ諸国でも、立憲君主制のある国家は独裁政治をやっていないのだ。日本は戦時中でも内閣は責任内閣制をやっていたのである。イギリスは君主制が廃止されたピューリターン革命の際だけ独裁政治をやっていたのであり、王政復古をしてしまえば独裁政治を廃止できたのである。

 君主の存在こそ、政治権力者に独裁政治を行わせない最終制動装置なのであって、国民は如何なることがあっても君主制を守っていかなければならない。君主制の打倒を唱えている集団は独裁政治を行おうとしていると断定し、絶対に警戒を怠るべきではないのである。

●首相の任期制

 独裁者は長期政権をやろる傾向が非常に強い。大概は終身であって、だから独裁政治の弊害だけでなく、老害という弊害も出て来てしまうのである。だから首相に任期制を採用しておき、連続再選を禁止する規定も付けておけば、独裁者の出現を阻止することができるのである。

 首相の任期は「4年」か「5年」か「10年」のいずれかである。

 人間が1つの役職を飽きるのは大体3年で、首相の仕事だって3年もやれば飽きるのである。ただ首相の命令が末端に行き届くまで時間がかかるので、それでプラス1年して4年となるのだ。人間の長期的な集中力の限界は5年なので、5年もやれば集中力が切れてしまう。如何なる政府も10年以上、同じ路線を取り続けることはできない。10年ごとに政策を変更していかないと、政府は非常に危険になってくるのだ。

 首相の任期制は首相に任期を与えるということだけではなく、誰もが首相になれないようにするということでもある。首相が頻繁に交代すれば、それだけ政治が不安定になるのであって、それが独裁者の出現を生み出す契機になってしまうのである。

 幾ら首相の任期制があっても、首相が連続再選し続ければ、それは独裁政治が展開されているとなんら変わらないのだ。任期制と連続再選禁止はセットなのであって、任期制だけを儲けても無意味なのである。選挙になれば政治権力を握っている首相の方が圧倒的に有利になるものなのであり、連続再選をやり続けようと思えばできてしまうのである。 

 首相は自分の任期中に自分の全ての力を使い切ってしまうのではなく、首相退職後も「元首相」として働くことができれば、首相の政治を手助けして行くことができるようになるのである。首相と共に元首相を存在させるからこそ、政治権力を1人の者が掌握しなくても済むようになるのである。

●首相候補を育成するシステムを作る

 政府が首相候補を育成するシステムを作っておくことも独裁者の出現を阻止するために必要なことなのである。首相候補を選び、その首相候補に政治の経験値を積ませ、いつでも首相になれるようにしておけば、首相の職務をこなせる人材は幾らでもいるのだから、独裁政治をやろうとは思わなくなるのだ。

 政治家は最低でも大学卒が必要だし、できれば大学院の修士過程は終えておいて貰いたい。博士号は必ずしも要らない。大事なことは大学院の修士課程で政治学を実践的になって学ぶことなのであって、大学教育だけでは不十分であると同時に、博士課程に行ってしまえば政治学を研究する方向に走ってしまい、学者の仕事はできても、政治家の仕事はできなくなってしまうということなのである。

 政治権力は軍事力によって支えられる以上、軍事学の勉強は絶対に必要であり、それと同時に武官になって実際に軍隊で仕事をし、軍隊がどのように動くかを知っておかなければならない。武官の仕事をしていれば、自然と愛国心が根付くことになるので、決して祖国を裏切ったりするようなことがなくなるのだ。国民は「武官としての経験がない政治家は売国奴になる可能性が常にある」という考えを持っておくべきなのである。

 武官の仕事を終えたら、政務次官の仕事をさせ、更に大臣の仕事をさせ、政治家としての経験値を着実に積ませて行くようにすべきなのである。その一方で知事を経験させ、知事から首相になれるようなルートも確保しておくべきである。政府中央が腐敗していた場合、地方で知事をやっていた者を抜擢すれな、その腐敗を一掃することができるからだ。

 政治家だからこそ独身は認めない。政治家には政略結婚を強い、有力政治家の娘と結婚させ、閨閥を形成させなければならない。女性であるなら、有力政治家の息子と結婚させる。こういうことをやっておけば、政治家たちの間で姻戚関係が張り巡らされて、独裁者になろうとする者の出現を阻止することができるのである。

●制限選挙

 独裁政治では必ず普通選挙が行われる。独裁者は独裁者が勝手に独裁政治をやっているのではなく、国民の圧倒的支持を受けた上でやっているのである。だから普通選挙こそ独裁政治を生む温床だと断定すべきなのであって、普通選挙は絶対に禁止されなければならない。

 やっていい選挙は「制限選挙」だけなのであって、税金を納めた者以外に選挙権を与えてはならない。結局、政治というのは国民の税金をどう使うかで決まってしまうのであって、税金を納めている者たちだけが政治に参加することができるのである。

 選挙権を付与することになる税金はたった2種類しかない。それは「軍役税」と「収入税」の2つだけである。

 軍役税は軍隊に於いて働くことで支払う税金である。国家は軍事力によって独立が保たれる以上、武官たちに選挙権を与えないと、国家の独立を保つことはできないのである。軍隊は戦争になれば死ぬ可能性が出て来るのであって、死ぬ危険性があるからこそ、武官たちは下手な選択肢を取ってこないのである。

 収入税は収入の10%を税金として納めるものである。収入の10%なら誰でも気軽に納めることができる筈だ。所得税で政府の匙加減で幾らでも納税金額を変動させることができるので、これほど不公平な税金はないのである。所得税では誰もが脱税や節税をやってくるのだが、こういう意識では政治に参加させても、まともな政治感覚を保つことはできなくなってしまうのである。

 納税者の妻たちには夫が納税をしているのなら、夫と共に選挙権を与えるべきである。政治に於いて専業主婦は政治の安定に役立つ存在である。自分が子供たちを生み育てている以上、独裁政治の出現を願わないからだ。女性たちの中で独裁政治を希求するのは、常に独身女性であるということを絶対に忘れてはならない。

 制限選挙にしてしまえば、国民の内、最大で半数しか選挙権を持つことができなくなる。それでいいのである。「80対20の法則」を使えば、入力が50%なら、出力は95%になるので、そこが限界値であるのだ。国民の半数以上の者たちを政治に参加させると、今度は逆に出力が低下していくので、国民は政治に参加する意欲を失って行ってしまうのである。

●独裁政党の存在を絶対に許さない

 独裁政治は独裁政党があるからこそ可能になるのであって、だから国内に於いて独裁政党の存在を絶対に許してはならない。独裁政党は平時に於いては国民の支持を得ることはできないが、彼等は暴力革命やクーデターを行使して来ることもあるのであって、政府としては決して油断できないのである。

①イデオロギー

 独裁政党は必ず平等イデオロギーを採用することになる。平等イデオロギーがある政党は基本的に独裁政党である。平等イデオロギーは「人間は生まれながらにして平等である」と主張し、それによって現在の階級を一切否定するのだが、実際に革命を起こせばその独裁政党が国民に対して平等を推し進めるということで、その独裁政党自体が絶対的な特権階級と化すという、超不平等なイデオロギーなのである。

 人間は絶対に平等ではない。生まれながら不平等な存在なのである。男女の性別があるし、健常者と心身障害者の違いがあるし、家柄や身分や貧富だって存在する。我々にできることは、そうやって不平等な人たちを平等にするのではなく、出来る限り公平に扱って行くということなのである。

②党内選挙

 政党に対して党内選挙を行わしておけば、その政党に於いて独裁者が出現することを阻止できるので、それでその政党は独裁政党にならないのだ。党内選挙ということは、党員全てに選挙権を与えることなのであって、国会議員たちだけで党内選挙するというのではダメである。

 党首の長期政権を認めてはならない。政党は党首の在任期間を定め、最大でも10年とし、それ以上、党首の地位に就き続けてはならないようにしなければならない。10年以上も党首の座に有り続ければ、党内には党首に代わる人材がいなくなり、自然と独裁政党になってしまうものなのである。

③政党新聞の発行禁止

 独裁政党だって資金がなければ独裁政治を実現していくことができないのだが、独裁政党は政党新聞を発行して、それによって資金を調達し、革命を引き起こして来るのである。だから政党に対して政党新聞を発行するのを禁止すれば、独裁政党を資金面から断つことができるのである。

 確かに政党は党員たちや支持者たちに情報を伝えていかなければならない。しかし政党新聞を発行してまで伝えなければならない情報なんてないのであって、政党が政党新聞を発行している時点で、その政党は独裁政治を目指していると断定すべきなのである。政党が情報を伝えたければ雑誌で充分なのであって、雑誌を充実させることで党員や支持者たちに良質な情報を伝えていけばいいのである。

●国民租税負担率に限界を設けること

 独裁者は政府が悪政をやっている場合に革命を引き起こして出現して来る以上、政府が悪政をできないような措置を講じておかなければならない。国民租税負担率に限界を設けておけば、自然と政府は悪政を行うことができなくなるのだ。悪政というのは国民に重税を課すことなのであって、政府が国民に重税を課すことができないようにすれば、悪政を行うことができなくなるのだ。

 国民租税負担率は20%を限界点にしなければならない。国民租税負担率が20%なら、国民はその税金を支払えるし、経済だって活性化して行くことになるのである。政府はその資金量で財政を遣り繰りすべきであって、無駄な支出を削減し、必要な方面に投入していくべきなのである。

 歴史的に見て、国民租税負担率が30%を超えると、どの政府もその政府を維持することができなくなっている。確実に革命の餌食になってしまうのである。軍事費を余りに多く出してしまったり、社会保障を余りにも充実させると、そのために国家財政は破綻し、革命を引き起こすことになってしまうのである。

 国民租税負担率が低いということは、それだけ国民がお金を沢山持っているということなのである。だから所得税を廃止し、収入税にし、その税率は10%にすべきなのである。収入税が10%なら、誰でもお金をより多く持つことができるようになるのだ。

 それと相続税を廃止しなければならない。国民が生まれながらにして資産を持っていれば、それだけで独裁政治の出現を阻止する最大の要因となるのだ。資産が親から子へと継承さtれていけば、自然と品行方正な者が育って来るから、独裁者のように粗野な人物を退けることができるようになるのである。

●国民に対して政治教育を行う事

 独裁政治を阻止するためには、国民に対して政治教育を行うことは絶対に必要である。国民が政治に対して無知なら、独裁者はその無知を利用して、革命を引き起こし、独裁政治を実現してしまうのである。独裁政治が行われている国家というのは、民度が極端に低いという共通項があることを決して忘れてはならない。

 政治教育で最も大事なのは祖国の歴史をしっかりと教えて行くことである。今ある政治体制というのは歴史の産物であって、その政治体制を守っていくことこそが最大の利益となるのだ。無闇に政府を改革しても、大した利益は発生しないものなのである。

 しかし政府が悪政を行い、国民を貧乏のドン底に突き落としてしまうことも有り得る。その時は我々の祖先たちの行動を見習って武器を持って立ち上がり、政府を打倒すべきなのである。国民が抵抗権を行使して来るからこそ、政府は悪政をしなくなるのである。

 独裁政党の独裁の手口を教えておくことも必要である。独裁政党は平等を主張し、国内の不平等を解消させるために革命を引き起こし、そのくせその独裁政党が絶対的な特権階級になり、国民の全てが奴隷状態に置かれてしまうのである。これが解ってしまえば、国民は独裁政党を支持することがなくなるのである。

 官僚たちがする汚職は悪いことだが、政治家が行う汚職は決して悪いことではないと国民には教えなければならない。政治家たちは政権を維持するために、自分たちの盟友集団に報酬を与えなければならないのである。政治家の政治献金は合法化すべきであって、政治家たちが政権を維持するために報酬を与えられるようにしておかなければならないのである。

 元政治家は若者たちを教育すべし。国民の殆どは政府に於いて政治の仕事をしたことがない。そのため政治のことが良く解っていないのである。政治家は70歳になったら政界を引退し、その後は、国民に対して政治教育をすることに費やすべきなのである。政治家が死ぬまで政界に居続けてしまえば、国民の政治能力は低下していくものなのである。

●独裁政治を支持する学者たちを皆殺しにする事

 独裁政治のイデオロギーは独裁者が独自で産み出した物ではない。独裁政治のイデオロギーは大学の中から生まれて来るのである。学者たちは政治をやったことがないから政治音痴なのであって、現実の政治では全く通用しない異常な政治思想を作り出してきてしまうのである。

 だから独裁政治を支持する学者たちを皆殺しにしなければならない。独裁政治の源流は学者たちが作り出す以上、ここで殲滅措置を取ればその後に独裁者が登場して来ることは確実になくなるのである。学者たちは何もしていないのではないのだ。国民にとって非常に危険な政治思想をよりによって大学の中で作っているのである。

 「学問の自由」は飽くまでも法の支配の下でのみ認められるのであって、法の支配を転覆するような学問は絶対に認めることはできない。法の支配を否定するような学説を保護しているようでは、いずれ法の支配が転覆されてしまうものなのである。

 なぜ学者たちが独裁政治を支持するような学説を作ることができるのかといえば、それは大学教授には免許制が整備されていないからなのであって、だから学者としては知性のない奴が大学教授になってしまうのである。そこで政府は学者たちに対して免許制を定めるべきであって、独裁政治を支持する人間には免許を与えなければいいのである。

 もしも大学が独裁政治を支持する学者を働かせていたのなら、その大学にも連帯責任を強いて、大学総長以下、大学教授たち全員を皆殺しにしなければならない。学問に携わっているというのに、同僚がバカげた学説を唱えているのを止めないということは、それだけ学者として最低限の学力がないということを示しているものなのである。

●独裁政治を支持するメディアを叩き潰す事

 独裁政党は独裁政治を実現するために、必ずメディアを使って宣伝してくる。自分たちのメディアだけでなく、他のメディアに侵入して、自分たちの主張にとって都合のいいことを報道させるのである。だから政府は独裁政党の侵入を許したメディアを叩き潰し、革命を未然に防がなければならないのである。

 メディアには「報道の自由」が与えられている。しかし独裁政党に事実上支配されているのなら、その報道の自由を悪用したと看做すべきであって、そのメディアを解散させることで、報道の自由を防衛していかなければならないのである。

 メディアだからこそ独裁政治を宣伝することは絶対に許されないのだ。これは言論弾圧ではない。独裁政治の出現を阻止する言論統制は常に許されるべきであって、政府はメディアの監視を決して怠ってはならないのである。メディア自身も自分たちは独裁政党に浸食されないように、社内に於いて規定を作り、しっかりと態勢を作っておくべきなのである。

 また政府は不法メディアに広告を出している企業の資産を没収し、経営者たちを皆殺しにしなければならない。なぜ不法メディアが独裁政治を宣伝することができるかといえば、それはスポンサーが付いているからなのである。そのスポンサーは間接的に独裁政治を支持している以上、私有財産の保護は認められないのであって、直ちに全財産没収して、その会社を解散させなければならないのだ。

 国民国家であるなら、巧妙に独裁政治が出現できないように、ありとあらゆる場所にその対策を張り巡らせておくべきなのである。独裁政治を廃止するためには、メスキータが言うように民主主義を拡大すれば済むことではないのだ。独裁者は民主主義を使って独裁政治を実現して来る以上、独裁政党だけではなく、民主主義にも警戒を怠ってはならないのである。

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『独裁者のためのハンドブック』 ~独裁者になる方法~

●強力な盟友集団を作り上げること

 この世には「独裁者になる方法」というものが存在する。独裁者になるためにはその独裁者になる方法を忠実に実践していけばいいだけのことであって、自分が必死になって努力していれば、確実に独裁者になることができるのである。

 独裁者は独裁政治を展開するのだが、自分1人で支配することなどできない。盟友集団というものが必要になってくる。独裁政治は独裁者と盟友集団による連合支配なのである。それを理解すれば、まずは盟友集団を作り、その盟友集団を徹底的に強化していけばいいのだ。

①必要なものは「忠誠」

 盟友集団では部下たちに徹底して「忠誠」を強いらなければならない。有能無能は二の次であって、自分に対して忠誠を誓う者を集めて行き、敵対するなら排除するということを繰り返して行くべきなのである。組織内の重要な役職は全て自分の腹心で固めておけば、その盟友集団に於いて自分の地位は安泰となるのだ。

②権力の集中

 盟友集団では「権力の集中」を行い、自分が全権を掌握する。如何に部下であっても、権力の集中の邪魔はさせない。自分が全権を掌握した上で、部下に権限を付与していくのであって、部下たちには必要以上の権限を与えてはならないのだ。

③粛清を辞さない

 盟友集団を運営していけば、必ず裏切り者が出て来る。その際、粛清を辞さないことだ。容赦なく粛清し、自分に刃向かう者を殺して行くべきなのである。粛清が行われれば、他の部下たちは自分も粛清されるのではないかと思って、余計に忠誠心を強くしてくるのである。

 政治の世界では、独裁政党があるからこそ、政府に於いても独裁政治ができるのであって、独裁政党がなければ政府に於いて独裁政治を展開することはできないのである。

「独裁政治の前に独裁政党あり」

ということを独裁者は絶対に肝に銘じるべきなのである。

●敵は皆殺しにしていく事!

 独裁者が政権を奪取することは、合法非合法を問われることはない。とにかく政権を奪取してしまえばいいのであって、そのためにはどんなに汚い手段を使っても別に構わない。政治権力を掌握すれば、すぐさま独裁政治を展開して行くことが可能だから、とにかく政治権力の獲得を全力で目指すべきなのである。

 政権獲得時には政権に就いていた者たちを皆殺しにしなければならない。君主制なら国王、王妃、王子、王族、首相、大臣など、共和制なら大統領や閣僚や資本家たちを容赦なく殺していかなければならない。政敵を残せば独裁政治を展開することは不可能になってしまうのである。

 君主制であろうと共和制であろうと、最高裁判所の裁判官たちは必ず皆殺しにしなければならない。最高裁判所の裁判官たちは「憲法の番人」の役割を担っているので、これを処刑してしまえば、憲法は確実に停止することになり、国民の全てが独裁者に従うことになるのだ。

 独裁政治をやろうとするなら公開処刑を行い、国民にこの憲法体制は終了したということを知らせなければならない。政敵を殺す際は堂々と殺せ。公開処刑によって政敵を葬れば、国民は独裁者に逆らえば自分も殺されるということが解るので、反抗してこなくなるようになるものなのである。

 政権獲得時に政敵に情けをかけることは無用である。その政敵が幾ら降伏しているからといって命を助けたとしても、後日、必ず反乱を嗾けて来るようになる。政敵は政敵なのであって、政敵と定まった瞬間にもう殺されることは予定されているのであって、その決定を後になって覆すべきではないのだ。

●革命は必ず反動を生む

 独裁者にとって最も危険な時期は政権を獲得してから1年間の間であって、この時期に命を落とすことが非常に多い。独裁政治は血の雨を降らすことになるので、それで独裁者の命を狙って来る者が続出することになるのである。独裁者は自分の警護を固めて、暗殺されないようにしなければならない。

 そうやって苦労して築いた独裁政治であっても、革命は必ず反動を生む。よりによって盟友集団の中から裏切り者が出て来るので、盟友集団と雖も自分を裏切ったのなら、容赦なく殺していかなければならない。仲間であっても信用できない奴はすぐに殺して行くからこそ、政権を維持できるのである。

 革命を起こすまでは誰もが政権を奪取することに集中しているが、革命が成就してしまえば集中しなくなるので、それで途端に盟友集団の統制が取れなくなり始めるのである。革命をやったら、次の目標を設定すべきであって、国家目標でも定めて、そちらの方に邁進させるべきなのである。

 革命というのは、過去のシガラミを一切断ち切るということである。だから革命をやったら矢継ぎ早に命令を下すことができ、政府を動かしていくことができるのであって、政府は迅速に行動を起こすべきなのである。会議は最小限にし、それよりも仕事をすることに専念していおけば、誰もが仕事をせざるを得ない状態になり、政治に対して不満を抱かなくなるのである。

 部下に閑な時間を与えてしまうと、その部下は反乱を計画してくるかもしれないのである。だから閑な時間など決して与えてはならないのである。部下に仕事をどんどん与えて行き、仕事で成果を立てさせれば、その部下は独裁政治の熱心な支持者になるものなのである。

●独裁政治に於いて頼りになるのは軍隊と警察である

 独裁政治に於いて頼りになるのは「軍隊」と「警察」である。独裁者は軍隊と警察を掌握したからこそ独裁政治を展開して行くことができるのである。独裁者は如何なることがあっても軍事権と警察権を手放してはならないのだ。これを手放せば後は自動的に独裁政治が終了してしまうのである。

 革命時に軍隊や警察の上層部を皆殺しにし、自分の腹心たちで固めることは絶対に必要であると同時に、国内保安機関を設置して、軍隊や警察を監視できるようにして、絶対に反乱を起こせないシステムを作っていくべきなのである。国内保安機関なくして、軍隊や警察を統制することはできないのだ。

 国内保安機関は政治犯を摘発し、処刑して行くことになる。政治犯には法の適正手続きは不要である。政治犯と認定された時点で死が決まるのである。政治犯を強制収容所に収監しても絶対に自分の主義主張を変えないのだ。だったら殺してしまった方が安上がりなのである。

 政治犯は亡命して、国外で活動することもあるから、だから諜報機関も必要になってくる。諜報機関は諜報活動を行いながら、亡命している政治犯を暗殺していくのである。亡命している政治犯を暗殺していかないと、国外で政治犯たちが結集してしまい、独裁政治にとって非常に危険なことになるのだ。

 国内保安機関や諜報機関は軍隊が国防を行い、警察が治安維持を行ってくれるからこそ活動できるのであって、軍隊や警察の力が弱くなればできなくなってしまうのである。独裁者が軍隊や警察の反乱を恐れる余りに軍隊や警察の力を弱めてしまうと、逆に独裁政治を維持することが危険になってしまうのである。

●財政を確実に押さえる事 

 独裁者は財政を確実に押さえなければならない。財政を握るということは、その税金を自由自在に使えるということなのである。如何なる独裁政治であってもお金がなければ成り立たないのだ。だから財政を握って、独裁政治を展開するためにバンバン使っていくべきなのである。

 独裁者は富を盟友集団に分配せよ。盟友集団はそれこそ命を賭けて付き従って来てくれた以上、盟友集団に莫大な報酬を与えて、その功績に報いらなければならないのである。盟友集団は莫大な報酬を受け取っている限り裏切らないものなのである。

 独裁政治では資産家たちが殺され易いものだが、政治の力なくして裕福な生活をするからこそ、資産家たちは独裁者から狙われてしまうのである。独裁政治が始まったのなら、資産家は国外に逃亡してしまった方がいい。もしも国内に残留するなら、独裁者に取り行って、独裁政治の支持者にならなければならないのである。

 独裁者は財政を一手に握っている以上、税金を使って公共財を増やすよう努めなければならない。独裁政治の評価は公共財の増加で決まるのであって、公共投資をケチっているようでは、独裁政治に対していい評価を貰うことができなくなってしまうのだ。

 それと同時に国民に重税を課してはならない。独裁政治が民主主義に勝るのは、その税金の安さであるのだ。独裁政治は政治にコストがかかっていない以上、税金を安くすることは可能なのである。独裁者の政治が悪政になるのは、軍備増強に焦る余りに国民に重税を課してしまうからなのである。

●絶対に国民に対して富の再配分をするな

 独裁者は絶対に国民に対して富の再配分をしてはならない。独裁政治を維持するためには富の再配分など全く必要ない。独裁者が大事にしなければならないのは盟友集団だけであって、盟友集団に莫大な報酬を与えておけば、それで充分なのである。

 独裁政治では貧富の格差が激増することになる。要は政治権力に近い人たちが豊かになっていくので、ビジネスを幾らやってもなかなか豊かになることはできないのである。それなのに独裁者が富の再配分云々と言い出して来たのなら、国民は独裁者に対して激しい怒りを覚えるようになってしまうのだ。

 もしも富の再配分をやれば国家財政が確実に破綻することになる。そして国家財政が破綻すれば独裁政治を経済的に支える部分がなくなってしまうので、それで独裁政治を維持することができなくなってしまうのである。独裁政治を維持したいのなら、国内に於いて富の再配分に関する議論を徹底して禁止させるべきなのである。

 独裁者であるなら、革命時に政敵たちから奪った財産をしっかりと確保し続けなければならない。政敵たちを皆殺しにしてしまえば、相当な財産を構築できるのであって、その財産を大事に温存しながら独裁政治を行って行くべきなのである。

 独裁政治は政治のコストが異様に安くなるので、政府が国民に対して何かをしなくても、国民の生活は結構豊かになるものなのである。だから独裁者は国民が経済活動に専念できるように仕向けるべきであって、政府からお金を得ようなどと思わせてはならないのだ。

●革命を阻止する方法

 独裁者は革命を恐れなければならない。

 独裁政治は常に革命によって転覆されるのであって、革命を阻止さえすれば独裁政治を永遠に行い続けることができるようになるのである。独裁者は革命を阻止することに対して手段を選んではならない。自分が手段を選ばずに革命をやった以上、革命を阻止するためには手段を選んではならないのだ。

①国民の生活を良くする

 独裁者だからこそ国民の生活を良くしなければならない。国民の生活が豊かであるなら、国民は革命を起こそうなどと言う気は起こらないものなのである。独裁者は税金を安くし、自由経済を活発にするべきであって、そうやっていれば国民の生活は自然と豊かになっていくものなのである。

 しかし実際には独裁政治は国民を生かさず殺さずの状態にしてしまうのである。原因は経済法則を無視して軍事費に莫大な資金を投入してしまうからなのであって、軍隊を必要以上に増強することは、独裁政治にとって命取りとなるのだ。

②大衆運動の芽を摘み取る

 革命というものは大衆運動によって引き起こされる以上、大衆運動の芽は早い段階で摘み取るべきなのである。国内保安機関を使って政治犯を問答無用で殺して行く。国民は殺されると解っていれば、政府に反抗して来たりはしないものなのである。

 だが実際には外国に亡命した政治犯を殺しきれない。だから諜報機関を使って亡命した政治犯を暗殺すべきなのである。確かに政治犯は亡命したこととで国内で大衆運動を起こさないが、亡命した政治犯は国外に於いて執拗に反政府運動を起こし続けるのである。

③強制選挙を行い、国民が支持した状態で独裁政治を行う

 独裁者は強制選挙を行い、国民の99%以上が独裁政治を支持していることをアピールしなければならない。選挙は記名投票にすべきであって、選挙で独裁政治を支持しなかった有権者を選挙後に死刑にしていけば、国民は殺されることを恐れる余りに独裁政治を支持するようになるのだ。

 ところが実際には強制選挙によって国民に政治意識を持たしてしまい、反政府運動の温床になってしまうのである。だから独裁者は自分がいつまでも独裁政治を行うのではなく、自分の役目が終わったのなら、自分の後継者にその独裁者の座を譲らなければならないのである。

 独裁者は絶対権力を生み出してしまうために政府は絶対に腐敗することになる。絶対権力の怖さを理解している独裁者は滅多にいないからこそ、独裁者の最後は革命によって殺されることになってしまうのである。独裁者が生き残りたいのなら、絶対権力を生み出さず、飽くまでも独裁者と盟友集団との連合支配をし続けるべきなのである。

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『独裁者のためのハンドブック』 ~権力支持基盤理論の凄さ~

●こては現代の『君主論』だ!

 俺がアメリカ人の書いた本を読む場合、その作者はアングロサクソン系かドイツ系が殆どである。アメリカ合衆国はアングロサクソンによって作られた以上、多様な民族がいても、未だにアングロサクソン系が政治的にも文化的に優位に立っている。ドイツ系は近代以降のドイツが急成長したために、一気に文化レベルが上昇し、それでアメリカ合衆国に移民してきても、アメリカ国内で上位に食い込むことができたのである。

 しかしアメリカ人の本を読んでいてつくづく嫌になってしまうのが、何を読んでもキリスト教が付いて回るということだ。イギリス人はイギリス国教会があるためか、キリスト教には意外と冷静で、距離を保っているのだが、アメリカ人は宗教熱心ゆえにどうしてもキリスト教が付いて回るのだ。そうなるとどうしても書物のレベルを上げることに制限がかかってしまい、古典と称される部分まで上がっていかないのである。

 そんな中、思わぬ書物を発見してしまった。著者はブルース・ブエノ・デ・メスキータという。これはアングロサクソン系でもドイツ系でもなく、スペイン系の名前である。「メスキータ」とは「モスク」のことで、以前はイスラム教徒だったが、スペインの国土回復運動を受けてイスラム教からキリスト教に改宗したのが彼のご先祖ということになる。

 この人物の祖先は恐らく「隠れユダヤ教徒」だったろうと思う。ユダヤ教徒といっても、現在のユダヤ教の殆どを占めるアシュケナジ系の改宗ユダヤたちではなく、スファラディ系の生粋のユダヤである。彼の顔は爬虫類にそっくりなので、先祖は生粋のユダヤ以外に考えられない。

 今回紹介するのはこの本!

 ブルーノ・ブエノ・デ・メスキータ&アラスター・スミス著『独裁者のためのハンドブック』(亜紀書房) 

 四本健二&浅野宣之訳

 独裁者のためのハンドブック[ブルース・ブエノ・デ・メスキータ]

 この本は題名のセンスが抜群である。これほど立派な題名なら、スラスラと書いて行くことができる。当然に内容もしっかりとした物になる。俺はこの本を読んで、「これは現代の『君主論』だ!」と叫んでしまったくらいなのである。独裁政治や民主主義がどのようなものなのかは、この本を読めば簡単に解ってしまうのである。

 メスキータはキリスト教徒が持つ甘さがまるでない。キリスト教徒ならアガペーがどうのこうの言い出して来るために、いざ本を書いても甘さがモロに出てしまうのである。独裁政治にも民主主義にもドライになって見ているのであって、だからこそ正論が書けるのである。

●権力支持基盤理論

 メスキータは「権力支持基盤理論」という学説に基づいて論理を構築していく。政治の本質は或る者が政治権力を獲得すること目指し、そして手に入れた政治権力を長く維持することだと彼は言い切る。その上で1人で国家を支配できる独裁社はいないという前提に立って、独裁者の支配を支える人々を3つの種類に分類する。

①名目的有権者

 名目的有権者とは独裁者となる支配者を選出する権利を理念上制度上に於いて認められている人々である。独裁者は国民の支持の上に成り立つのである。しかし独裁者にしてみれば、国民の意見など無視してもいいのであって、国民の意見を聞くのではなく、国民を取り込むことをしなければならない。

②支持団体

 名目的有権者の上に支持団体がある。独裁者は支持団体の言う意見には従わねばならず、彼等の好む政策を実行していかなければならない。独裁者の政治がスムーズに進むのは、独裁者が支持団体の言うことを聞いているからなのである。

③盟友集団

 支持団体の上に立つのが盟友集団である。盟友集団とは具体的に「政党」であり、「閣僚」であり、「軍の幹部」たちである。彼等の支持なくして独裁者の支配は絶対に成り立たない。だから独裁者は彼等を大事に扱っていかなければならない。

 権力支持基盤理論を使うと、ごちゃごちゃしていた政治の世界がスッキリと理解できるようになる。まさにその通りなのであって、偉大な政治思想家たちが作り上げた理論に騙されてしまうからこそ、政治の現実が全く見えなくなってしまうのである。

●独裁者のための5つのルール

 独裁者には「独裁者のための5つのルール」というものが存在する。独裁者がこのルールを守っている限り、独裁政治を維持することができる。逆に言えばこのルールに背くと、途端に独裁政治が終了し、今度は自分が殺されることになってしまうのである。

①盟友集団はできるだけ小さくせよ

 独裁政治では盟友集団が小さいものなのである。盟友集団が小さいからこそ、独裁政治が可能なのである。不要になった者はどんどん降格して行く。政権にとって危険になりそうな人物は容赦なく粛清していく。そういうことをすることで少数精鋭にし、独裁政治を強固なものにしていくのである。

②名目上の集団はできるだけ大きくせよ

 独裁政治では普通選挙にしてしまった方がいい。国民に対して選挙を強制し、棄権した者を処刑して行く。どんなに酷い独裁政治であったとしても、国民の支持率が99%を超えていたら、国民の誰もが文句を言えなくなってしまうのである。

③財政をコントロールせよ

 独裁政治では国家財政は独裁者の物である。独裁者が財政をコントロールするからこそ、独裁政治は金銭的に可能な物となるのである。たとえ自分の部下であっても、財政に手を出してきた人物は問答無用で殺していかなければならないのだ。

④盟友には忠誠に足る分だけの見返りを与えよ

 盟友たちは独裁者のために命懸けで働く以上、それに見合う報酬を与えなければならない。盟友たちは巨額の報酬を受ければ、必死になって独裁者を支えるようになるので、益々独裁政治が強固な物になっていくのである。盟友たちが裕福な生活をするためには、独裁者はそれ以上に裕福な生活をしなければならないので、それで独裁政治では独裁者が凄まじいまでの裕福な生活をすることになるのである。

⑤庶民の暮らしを良くするために、盟友の分け前をピンハネするな

 独裁政治の命運を決めるのは盟友集団の支持だから、如何なることがあっても盟友の分け前をピンハネしてはならない。盟友は自分の取り分を奪われると、独裁者を暗殺してくる。これに対して庶民は政権を打倒するような行動を起こしてこない。たとえ庶民が暴動を起こしても、盟友集団が支持してくれれば、その難局を乗り切ることができるのである。

●政治に於いて善政をしたかどうかは関係ない

 政治に於いて善政をしたかどうかは関係ない。善政か悪政かというのは習慣的な評価なのであって、政治家にしてみれば政治権力を掌握し続けることができたかどうかの方が大事なのである。政権を維持できない政治家はどんなに善政を遣った所で無能者である。逆に政権を維持できた政治家は悪政をやったとしても有能な人間である。

 政治家であるなら政治権力の掌握を目指して盟友集団を作り上げ、政敵を倒しながら政治権力を掌握すべきなのである。そして盟友集団を使って政治権力を握り続ける。盟友集団が自分を支持している限り、政権を維持できるから、その上で自分がやりたい政治を展開すればいいのである。

 独裁政治の場合、就任してから1年以内は油断できない。「革命は必ず反動を生む」ものなのであって、反動が起これば自分が殺されることになる。だから自分が殺される前に反動分子を殺すべきなのであって、自分の政権を維持するためにはどんなにあくどいことをやっても構わないのである。

 独裁政治の利点は長期政権になればなるほど安定してきて、誰も革命を引き起こそうとしなくなるということなのである。それゆえ、長期的視野を持って政治を進めて行くことができ、独裁政治だと普通の政治ではできない政治業績を作り上げることができてしまうのである。

 政治の世界に於いて、政治権力者が頻繁に交代するほど、政治の損害を発生させるものは他にないのだ。政治権力者がちゃんとした政治を行うためには、或る一定の時間が必要なのであって、その時間すら与えないのなら、誰がやったとしてもまともな政治を行うことはできないのである。

●独裁も民主主義も実は同じ

 メスキータは権力支持基盤理論に基づいて、「独裁も民主主義も実は同じ」という驚くべき結論を出す。独裁と民主主義の違いは、盟友集団が小さいのか大きいのかの違いでしかない。たったそれだけのことなのであって、独裁が正しいわけでも、民主主義が正しいわけでもないのだ。

 民主主義でも有権者の意見が政治に反映されることはない。支持団体か盟友集団の意見しか採用されないのである。ということは、民主主義は独裁政治となんら変わらないということなのである。ただ民主主義は盟友集団が大きいために、政治権力者は交代可能なのであって、独裁者を必要としない。たったそれだけのことなのである。

 歴史的に見れば、国家を発展させるためには独裁政治の方が効果的である。建国間もない国家で行き成り民主主義をやれば大抵が国家を滅亡させることになる。しかし国家を安定させようと思えば、独裁者は不要になるのであって、独裁者のいない政治を目指さなければならないのだ。

 政治学は科学である。政治を科学的に研究していけば、その国の事情とか国民性とかは一切関係なくなり、政治に関して普遍的な結論を導き出すことができるようになるのである。政治をやれば、どのような国民であっても、みんな似たようなことをやる。だから政治のメカニズムが解ってしまえば、政治を正しく行うことができるようになるのである。

 政治思想家という人たちは、往々にして人間に対して過剰な期待を持ってしまいがちだ。この世には完全な人間などいないのに、完全な人間を想定しながら政治思想を構築していくのである。だから政治を正しく解明した政治思想を作り出せないのである。

 人間というものはいつの世で性悪なのであって、その性悪を踏まえた上で政治思想を組み立てていかないと、人々に政治に対して妄想を抱かせてしまうことになってしまうのである。妄想は所詮妄想なのであって、現実の政治に於いては有害な結果しか生み出さないのである。

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美熟女の条件

●若い娘よりも熟女の方が美味しい

 食べ物も実り立ての物よりも熟した物の方が美味しい。それは食べ物が熟することによって最高レベルにま美味しくなるからだ。これは人間でも変わらないのであって、若い娘よりも熟女の方が美味しい。女性として成熟することで最高レベルにまで美味しくなるのである。

 普通、熟女というと30歳以上の女性を指すのだが、30代だとまだ若い。女性ホルモンの分泌量が33歳をピークにする以上、30代では熟女たりえないのだ。熟女と言っていいのは、40歳以降なのであって、40代や50代の女性たちを熟女というべきなのである。

 40歳を過ぎれば、乳房もお尻も肉が落ちて来るし、脇腹には贅肉がつくし、顔には小皺やシミが出て来て、もう化粧では隠せないほどになっている。それは女性本人にしてみればショックなことであろうが、それこそが女性として熟した状態になったということなのである。

 アンチエイジグという考えはそれはそれで素晴らしいものかもしれないが、そういうことよりも自分の年齢に相応しい生き方ができるようにすべきなのである。女性自身が「40代や50代は女性として最高レベルにある」と解っていれば、老化して行く自分の姿のlことなど余り気にならなくなるものなのだ。

 男性は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持たなければならないが、女性だって40歳を過ぎれば自分の顔に責任を持たなければならない。40歳を過ぎて問われているのは「若さ」ではない。「女性として成熟しているか?」なのである。

●結婚するからこそ成熟する

 では女性がどうすれば成熟できるのかといえば、それは「結婚」することである。結婚してしまえば、女性の心身は自然と成熟していくものなのである。結婚することで夫婦仲を深めて行き、子供たち産み育てることで、母親としての幸福を味わって行く。そういうことが成熟を生み出すのである。

 もしも結婚せず独身で40代や50代になっても、30歳前後の精神年齢でただ老けているだけになってしまい、女性として成熟して来ないのである。女性が女性として成熟するためには結婚が絶対に必要なのであって、結婚なくして成熟することはできないのである。

 女性であるなら、何があったとしても結婚適齢期までに結婚すべきなのである。女性の体を考えるのなら、成長のピークに達する19歳で結婚してしまうのが最善である。結婚適齢期で結婚するのは次善の策なのであって、結婚適齢期で結婚しても遅いくらいなのである。

 女性の体力は30歳以降急速に低下して行くから、20代や30代の内に出産と育児をやってしまった方がいい。高齢になればなるほど、妊娠率が低下するし、出産のリスクも高まるし、それに育児をしていてもしんどくなってしまうのである。

 結婚を結婚適齢期の間までにしたか否かは、運命の出会いというものが偶然に起こるものではあったとしても、その女性の人生設計能力を調べるにはこれほど最適な物はない。40歳を過ぎても独身で、「婚活」をしているようでは、「今まではお前は一体何をしてきたんだ!?」と問われても仕方ないことなのである。

●賢さに裏付けされた美しさ

①服装

 熟女たちの中でも美熟女と呼ばれる女性は絶対といっていいほど服装のセンスが良い。女性は結婚によって服装が変わるし、年齢によっても服装が変わるので、とにかく服を買って、変化させていかなければならないのだ。かといって、ただ単に買えばいいのではなく、ファッションセンスを磨いていかなければならないのである。

 美熟女になるためには或る一定の洋服代がかかる以上、夫の年収で美熟女になれるかどうは大体決まってしまうのである。それ以外なら、夫婦共働きにして、妻が働き、その働いて得たお金を洋服代につぎ込んで行くしかないのである。貧乏だと美熟女にはなれないのである。

②会話

 美熟女のもう1つの条件が「賢さ」であろう。その賢さは会話をすれば大体解る。普段から夫婦の会話や子供との会話を心掛けていれば、自然と賢くなってくるものなのだが、家事や育児を楽しんでいないと、そうはならないのだ。だからおバカな主婦たちが多いのである。

 人間には口は1つしかないが、耳は2つある。ということは、「他人の話を良く聞きなさい」ということなのである。妻として夫の話を聞き、母親として子供たちの話を聞いていれば、自然と賢くなっていくものなのである。女性はお喋りなものだが、自分がベラベラと喋っていれば、賢さというものは消えて行くものなのである。

③読書

 女性は女性ホルモンの分泌量が減少し始めると読書をしなくなる傾向にある。このため閉経してしまうと全く読書しなくなってしまう女性たちが殆どなのである。だから45歳前までに読書の習慣をしっかりと身に着けておき、女性ホルモンの分泌量が減少しても読書できるようにしておかなければならない。

 読書をしていれば、脳を使うことになるので、それで賢くなってくるし、顔つきも良くなってくるものなのである。尤も良い本を読めばの話であるが、良書を読んでいれば、自然と美しくなっていくものなのである。美熟女に求められている美しさは単なる美しさではなく、賢さに裏付けられた美しさであるのだ。

●セックスは女性を美しくさせる

 熟女が美熟女になるために絶対に欠かせないものが「セックス」である。女性の性欲は40代後半でピークに達することになる。50代前半でも性欲は若い時よりも高い。このため自分が40代や50代になった時、自分が満足できるようなセックスをしていないと、悶々としてしまい、美しくなれないのである。

 この時期に体力の限界を突き抜けるようなセックスを経験したか否かで美熟女になれるかそうでなくなるのかが決まってしまうのである。結婚しているのだから、今まで散々に夫婦でセックスをし、性愛術のレベルを高くしておかないと、このような満足できるセックスはできないのである。

 統計上、満足できるセックスを経験できるのは既婚女性の内、20%しかいない。満足できるセックスではないが、多少なら我慢できる割合は30%である。ということは、残りの50%は不満を抱えているのである。既婚女性の内、20%は離婚してしまうから、だから既婚女性の内、30%は不倫に走るというわけなのである。

 マスコミとかで、「既婚女性の内、30%も不倫したことがある」と報道されると、なんだか現代の女性たちの性は乱れ、家族制度は崩壊の危機に瀕していると思ってしまいがちだが、「80対20の法則」を知っていれば、これは別におかしなことではなく、自然なことなのである。

 それだけ女性の40代や50代の時のセックスは重要なのであって、このことを理解してあげないと、性的欲求不満を抱え込んでしまい、当然にそのような既婚女性は醜くなっていくのである。だから夫たる者、結婚してから徐々に性愛術のレベルを上げていって、妻が40代や50代になったら満足できるようなセックスをしてあげるべきなのである。

●セックスレスへの対処法

 夫婦たちの中にはセックスレスになってしまう夫婦が出て来る。セックスで50%もの夫婦が問題を抱えているのなら、その中からセックスレスの夫婦が出て来てもおかしくはないのだ。セックスレスがなぜ深刻な問題になってしまうのかというと、妻の側がその問題を抱え込んで、悶々としてしまうからなのである。

 確かにセックスレスは問題であるが、セックスレスについて夫婦で話し合っていないのだ。キリスト教の影響を受けて、「セックスは汚いものだ」と思い込んでしまうと、セックスレスになっているというのに、その問題を避けてしまい、なんの解決策を見出すことができなってしまうのである。

 勇気を出して夫婦でセックスレスのことで話し合ってみれば、夫は、

「仕事が忙しくて忘れていた」

というかもしれない。男性が働き盛りの年齢になれば、夫婦のセックスはそっちのけになって仕事をしてしまう人たちも出て来るものなのである。その時は、仕事がひと段落ついた所で夫婦で再チャレンジしてみればいいのだ。これでこの問題は解決する。

 もしも夫が

「もうセックスしたくない」

と言った場合。夫が妻に性的興味を持っていない以上、夫以外の男性とセックスするしかない。妻は夫に許可を貰って愛人を作ればいい。その代わり、夫が浮気をしても口出ししない。相互の浮気を許すことで、このセックスレスの問題を解決しかいのである。

 しかしセックスレスになってしまった既婚女性は、夫から許可を貰って浮気をすると、30歳以下の若い男性、しかもイケメンを選んでしまう傾向にある。結局、男を見る目がないのだ。こういうことだからセックスレスになってしまったのだが、こういう男性とセックスしても、自分の性欲を充分に満足することはできないのである。

 男性の場合、性愛術が巧いのは、「30歳以上の男性」なのである。30歳以下だとセックスが下手なのである。性欲が激しいために性愛術の向上がなかなか進まないのである。しかも性愛術が巧い男性は大概が結婚している。当たり前だ。女性を満足させるセックスができるなら、女性はそういう男性を絶対に手放さないからだ。

●夫婦交換や夫婦交際は結婚を維持するための「大人の知恵」

 幾ら夫婦が愛し合ったかといって、セックスの好みが一致するわけではない。自分はもっと違うセックスをしたいために、他の人とセックスをしたいということもありえるのである。そういう場合、無理に進めてしまえば、不倫になって、最終的には離婚してしまうことになる。セックスの不一致というのは結婚を破局させる危険性を持っているものなのである。

 そこで夫婦が話し合った上で、「夫婦交換」ということをやるという選択肢もある。自分の知らない所で不倫をするより、夫婦が正々堂々と夫婦交換をすれば、その夫婦が持っているセックスの悩みを共同で解決していくことができるのである。

 ただ夫婦交換は結局、「男同士の友情」を形成することになってしまう。夫たちが自分の大事な物、つまり「自分の妻」を相手に差し出すことで、男同士の友情を深めて行くことになるからだ。こういう友情ができないと、頻繁に交換して、レベルの低いものになってしまう。

 だから夫婦交換を「夫婦交際」という形に発展させた方がいい。信用できる夫婦と交際することで、双方の夫婦共々がセックスをしながら友情を深めて行くのである。この友情は結婚した上で形成されるので、相当に強固な友情となるのである。

 夫婦交換や夫婦交際は世間からは白い目で見られるが、これらのことをやっている夫婦は普通の夫婦よりも夫婦仲が良いという傾向がある。夫婦で自分たちが抱えたセックスの問題を解決し、その上で特殊な友情を獲得したので、夫婦仲が強固になるのである。

 尤も妻の同意なく夫婦交換をやってしまうと、離婚になってしまうということも出て来る。ただでさえその夫婦はセックスの問題を抱えていたのに、無理矢理にその問題を解決しようとすれば離婚になってしまうのは当然のことなのである。時間をかけて説得し、妻が納得する形で夫婦交換をやらないと結婚を維持できなくなってしまうのだ。

 夫婦交換や夫婦交際は結婚を維持するための「大人の知恵」であるといっていい。離婚すれば夫婦双方に損害が発生するし、子供たちだって悲惨な目に遭ってしまう。出来る限り結婚を壊さないことこそ、大人たちがすべきことなのである。

●美熟女は国の宝である

 美熟女がいるということは、その女性は人生を楽しく生き、非常に充実した人生を送ってきたということなのである。美熟女が多ければ多いほど結婚は成功している。逆に言えば美熟女が少なければ少ないほど結婚は失敗していると言っていいのだ。

 女性にとって女盛りは30代の時であろう。40歳以降になると爛熟し始めるので、その爛熟した状態をどう生きるかでその後の人生がまるで違ったものになってしまうのである。40歳を過ぎた女性が、仕事だけするとか、家族のことだけを考えるとかでは、相当に貧しい人生になってしまうものなのである。

 自分の人生が爛熟しているからこそ、今までの自分がやってきたことよりも、それ以上のことをやれるようにすべきなのである。結婚なんてできて当たり前なのである。仕事なんて出来て当たり前なのである。それを超える何かをしないと、この爛熟した時期を完全燃焼することができなくなってしまうものなのである。

 美熟女は国の宝である。美熟女は人生を楽しむことで何かを成し遂げ、国家の発展に役立つからだ。そして母親が幸せだからこそ、娘も幸せに生きることができるようになり、その幸せは子子孫孫受け継がれて行くことになるのである。

 女性は閉経してしまうと、もう女性ホルモンが殆ど分泌されなくなるので、自分自身が変わっていってしまう。その前に自分がすべきことをしていないと、一生後悔することになってしまうのである。よく、60歳以降の女性が自分の人生に嘆いていたりするが、それは自分が40代や50代といった大事な時期を無駄にしてしまったからなのである。

 60歳を過ぎて後悔しても、もう全てが手遅れになってしまうものなのである。

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ママ充電のススメ

●育児で疲労しまくり?

 人間は基本的に「怠け者」である。放置しておくと善行などせず悪行しかしない。だから人間は「規律」とか「習慣」というものが大事なのであって、自分が好き勝手にやっていては、自分が成し遂げたいと思うものを成功させることができなくなってしまうのである。

 母親たちは結婚して出産するまでは規則正しい生活を送っていたことであろう。しかし赤ちゃんを出産すると事態が一変してしまう。赤ちゃんは母親の生活習慣など無視して行動してくるので、それで母親の方はヘトヘトになってしまうのである。

 育児は決して重労働ではない。そもそも赤ちゃん自体軽いものだ。それなのに重労働をしたかのような錯覚に陥るのは、赤ちゃんのために規則正しい生活ができなくなってしまうからなのである。大体、卒乳してくれれば、幼児は規則正しい生活ができるようになるので、それまでは大変だと思っていた方がいいのだ。

 この時期に気をつけるべきは、「母親たちへの禁句」が存在するということなのである。母親は育児のために自宅にいることが多いのだが、夫にしてみれば、外で働いているので、その「育児疲労」がまるで解っていないのである。そのため、 

「閑なんでしょ」

「時間がたっぷりあるじゃない」

「仕事していなんだから」

と言ってしまうのだが、こういう禁句を言ってしまうと、妻に噛みつかれてしまうことになるのだ。

 別に悪気はないのだが、世の中には言ってならない言葉があるらしいのだ。育児をしていなければ、そんな言葉を言われても何も反応しない。しかし育児をしているからこそ、その言葉に反応してしまうのである。こういう時、妻は夫を責め立てることになるが、そういうことをしてしまうということは、自分に育児疲労が溜まっているということなのである。

●育児疲労をしているのなら「ママ充電」をすべし

 育児をしていれば、育児疲労が起こるのは当然なのである。だから「ママ充電」をすべきなのである。夫は仕事で外に出ているので、仕事で疲労した場合、居酒屋に行ったり、喫茶店に行ったりして、充電することができる。夫がそういうことをやっている以上、妻だって充電しておかないと、育児疲労でギブアップしてしまうことになるのだ。

①温泉

 育児疲労を最も吹き飛ばしてくれるのが、「温泉」である。温泉に入って体を温め、体から余分に水分を出し、全裸にって動き回ることで開放感を味わう。育児疲労をしている母親たちを温泉に連れていけば、100%の確率で育児疲労を解消させ、完全復活させることができる。

②カラオケ

 育児をしていて大声を出して来るのは乳幼児の方であって、母親の方ではない。だから母親に大きな声を出す機会を与えてあげると、育児疲労を吹き飛ばすことができるのである。それゆえカラオケは最適であって、カラオケで歌を歌えば、育児疲労が吹き飛んでしまうのである。

③ショッピング

 ショッピングといっても子連れのショッピングではない。子供を置いておいて、自分のためにショッピングをするのである。出産すれば体型が変わるので、当然に新しい服が欲しくなる。それを思う存分選ばせ、その上で買わしてあげると育児疲労が吹き飛んでしまうのである。

④外食

 母親は外食でも育児疲労が吹き飛ばすことができる。妊娠と出産で大量の栄養を必要としているので、外食で大量に食べさせれば、育児疲労が吹き飛び、大いに満足して貰うことができるようになるのである。夫が美味しい料理を出すレストランを知っていると、育児をしている時は意外と重宝することになるのだ。

⑤ママ友とのお喋り

 女性はとにかくお喋りをする。瞑想や座禅を考えた出したのは男性たちであって、女性たちではない。ママ友たちとお喋りをするだけで、育児疲労は吹き飛ぶのである。だから結婚によって新天地に行ってしまうと、ママ友ができないゆえに育児で悩んでしまう事態が起こってしまうのである。

 女ってつくづく「物欲の塊」だと思う。男性なら居酒屋に行ってお酒を飲んでも、仕事の話をして、生産性が上がるよう努力するのだが、女性はそういうことはしないのである。とにかく自分にストレスがかかるのが嫌なのであって、まずはそのストレスを解消させることを最優先してくるのである。

●母親と雖も文武両道

 ママ充電もレベルが上がって来ると、浪費的なママ充電よりも、建設的なママ充電を遣り始めることになる。その際、体や頭を使ってママ充電をやり、より多くのエネルギーを得ようとするのだ。母親と雖も文武両道なのであって、早くその大切さに気付くべきなのである。

①スポーツ

 育児疲労しているのなら「スポーツ」をやって育児疲労を吹き飛ばすようにすることだ。育児をしている以上、育児をしながらできるスポーツを選ぶべきである。「ウォーキング」「ラジオ体操」「ストレッチ」というのは、簡単にできるスポーツなので、是非ともやった方がいいのだ。

 歩行量の少ない母親は育児疲労を溜め込み易い。体が堅くなっている母親ほど育児疲労を溜め込み易い。育児をこなしているからといって、実はそんなに体を動かしていないのだ。体を動かさなければ、体がなまってくるのは当然のことなのである。

 激しいスポーツは育児疲労の解消に役立たない。それどころかそのスポーツのために新たな疲労を発生させてしまうことになるのだ。その代表例がエアロビクスで、やれば多少の気分転換になるが、やればやったで新しい疲労を発生させてしまい、それで顔に小皺が目立つようになってしまうのである。

②読書

 育児をしている母親が最も使っていない物が脳である。日々、乳幼児に接しているために、それに対応したことしかできなくなってしまい、頭の中は思いっきり錆ついてしまうことになる。これを放置すると、漢字すら出て来なくなってしまい、「育児性アルツハイマー」と言っていいような症状に見舞われてしまうことになるのだ。

 そこで読書となるのだが、育児をしている以上、一度に大量の時間を読書に費やすのではなく、子供が眠っている間に読書してしまうとかして、細切れの時間を巧く活用していくべきなのである。こういう読書をすると高い集中力を維持しながら読書できるので、以前よりも遥かに生産性が高くなるのである。

 専業主婦の読書量は半端な物ではない。夫が仕事しまくっている間に、専業主婦なら自宅で家事や育児をこなしながら読書できるのである。だから文学の良し悪しが解って来るし、専業主婦たちの中から作家が誕生してきたりするのだ。

③趣味

 育児に少し余裕が出て来たのなら何かしらの「趣味」をやるのもいい。趣味はとにかく自分が好きなことをやるべきであって、実際にその趣味をやってみて、面白いと思ったらやり続ければいいし、面白くないと思ったらやめればいいのだ。

「趣味はなんですか?」

と聞かれて、

「趣味はありません」

と答えるほど無粋なことはない。今の生活でいっぱいいっぱいですと言っているようなものだからだ。だから閑な時間をテレビ視聴に費やさないで、何か趣味をもつべきなのである。

●自分の心を磨くことの大切さ

 ここまで書いてきて俺がつくづく思ったのは、「母親たちにとって宗教は最高レベルのママ充電である」ということなのである。宗教をやれば日常生活から離脱できるので、それで育児疲労は一瞬にして吹き飛び、それどころか思いっきりパワーが漲ってしまうのである。

 乳幼児は純粋な心を持っているかもしれないが、育児をしている母親の方は育児をしているからこそ、心が汚れてしまうのである。育児に関する知識と技術が不足しているためにミスをやらかしたり、子供相手に感情的になって怒ってしまったりと、育児疲労のために心が汚れまくってしまうのである。

 だから時には宗教に接して心を綺麗にし、心を磨くべきなのである。心というものは放置しておけば、あっという間に汚れてしまうものである。母親だからといって家の中で傲慢になってしまう危険性があるからこそ、神様の前で謙虚になることでその傲慢を破壊していかなければならないのである。

 冷静になって世の中を見回してみると、育児疲労でギブアップしてしまった母親たちは無宗教である場合が殆どなのである。宗教心がないからこそ、育児をしているのに自分がダメになってしまったのである。しかし宗教心が幾ら大事だからといって宗教にのめり込んでしまい、育児がそっちのけになってしまうのは、それはそれで問題なのである。

 母親たちが育児をしている以上、宗教団体はママ充電に成功してこそ存在価値があるのである。ママ充電に成功するからこそ、母親たちは家事や育児に新鮮な気持ちで取り組めるようになり、子供たちはスクスクと成長していくことができるのである。

 だからそういう宗教サービスを提供できた宗教団体は発展していくし、宗教団体は母親たちの活躍なくして存続しえないほど重要視してくるのである。逆に宗教団体がそのことを理解していなければ、宗教を使って更に疲労を与えてしまい、家庭を滅茶苦茶にしてしまうのである。

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Gカップ女優「久保田磨希」

●Gカップは使わなければただのお荷物

 女性の場合、巨乳の持ち主は人生で大いに得をする筈である。巨乳自体がセックスアピールになって、どんな服を着ても胸が目立つために、ファッションがダサくならないのだ。しかも結婚して子供を産めば、母乳が大量に出て来るために、母乳のことで困るということが全く起こらなくなるのだ。

 しかし巨乳だって使わなければただのお荷物である。大体、巨乳のために肩凝りになる確率は100%である。巨乳の場合、肩凝りにならないように日々胸を張る必要性に迫られるのだが、そういうことをすればただでさえ大きな胸が余計に大きく見えてしまうものなのである。

 俺が最近注目している女優さんに「久保田磨希」という女優がいる。彼女はGカップの持ち主なのだが、

「Gカップであっても使い道がない」

と嘆いている女性なのである。それはお前が使わなかっただけのことなのであって、Gカップという大きな乳房なら、それを使えば幾らでもブレイクして行くことができるのである。

「だったら俺が得をさせてあげましょう」

ということになってしまった。

 久保田磨希は身長170センチで美人ではない。ブスである。よくもこんなブスが女優をやっているのかと思うが、ドラマの『大奥』で多少はヒットしたらしい。俺はこのドラマを見ていないのだが、

「美味でごいまする~!}

というのが受けたらしい。

 女優としてはそれほど成功していないが、既に結婚していて、子供が1人いる。このまま引退してもいいのだと思うが、久保田磨希を見ていると、なんとなく、

「この子がブレイクすれば面白いんじゃないかな?」

と思ってしまうのである。彼女には何か光る物があるので、このまま捨てておくには勿体ないのだ。

●磨く希望

 久保田磨希の凄さはなんと言っても、その名前にある。「磨希」とは「磨く希望」と書く。だから磨きさえすればその希望は必ず成就するのである。逆に言えば幾ら能力を持っていても磨かなければ成功しないということである。だから久保田磨希は女優の仕事を長年やって今の有様にいるのである。

 「磨」とは「擦り潰すための石臼」という意味で、転じて「磨く」という意味を持つようになった。久保田磨希が「磨」の字の持ち主であることが良く解るのはその食欲の激しさである。とにかく大量に食べ物を食べて、自分の力に変えて行くのである。

 この「磨」という字で気を付けるべきは、チャンスを貰っても、そのままではそのチャンスを活かせないということなのである。自分なりにそのチャンスを噛み砕くからこそ、そのチャンスを活かすことができるのである。『大奥』でヒットしたのはまさにそれで、それでいながら『大奥』が舞台化されると結婚や妊娠で出演できなかったりしたのである。

 「希」は「折り目の少ない布切れ」という意味で、転じて「まれ」「望む」「乞い願う」という意味を持つようになった。久保田磨希がなかなかブレイクしないのは、そのファッションセンスのダサさにある。「希」という漢字を活かしたいのなら、まずはファッションセンスを磨くべきなのである。高級ブランド品で身を固めるとかではなく、ブスである自分であっても綺麗に見えるようにすればいいのだ。

 この「希」という漢字は「必ずチャンスが来るが、そのチャンスは非常に少ない」ということをも示している。チャンスが少ないからこそ、「まれ」なのである。だからその数少ないチャンスを掴みさえすれば、飛躍していくことができるのである。

●マキちゃんには宗教心が絶対に必要

 マキの音相は「本当の御神木」という意味である。日本の女性が持つ名前の中で最も高貴で最も力強い名前がこれで、安易に付けてはならない名前でもある。パワーが強すぎるために、その人物に実力がなかったり、使い方を間違えると悲惨な人生を歩んでしまうことになるのだ。

 自分の名前に「本当の御神木」という意味がある以上、宗教心は絶対に欠かせない。宗教心によって自分の精神レベルを高めていかないと、どう仕様もならなくなってしまうのである。人間は生きていれば心が汚れる以上、宗教書でも読んで心を浄化して行くしかないのである。

 マキちゃんがちゃんとした宗教心を持てば、必ず顔の相が良くなってくる。美人になるとまで言わないが、それなりの美しい顔になるのである。久保田磨希はどう考えても美しい顔を持っていないので、彼女の宗教心はまだまだということになる。

 マキちゃんは普通の主婦では絶対に終わらない。この点、久保田磨希ばが女優業をやっているのは良い事なのである。彼女の実績から言えば、結婚して引退した方が良いのであるが、彼女の名前がそうさせなかったのである。普通の主婦に収まるより、端役でもいいから仕事を貰って、女優の仕事を細々とやると、運気が鬱屈しなくて済むのである。

 女優に子供がいることは仕事に於いて非常に役に立つことになる。まず母親の役を確実に貰えるようになる。また育児をしていることでマスコミに取り上げられたりすることもできる。そして家事や育児について本を出したりすることもであるのである。子供のいない独身の女優ではこういう展開ができないのである。

●まずは体を絞れ

 久保田磨希がなぜブレイクしないのかといえば、その名の通り「磨かないと希望にならない」からなのである。見るからに水分過剰な体つきである。しかも甘い物を取り過ぎて目つきすら悪くなっている。ブレイクしたいのなら、とにかく体を絞るべきなのである。

 この体つきに目つきなら、「断食」は絶対に欠かせない。断食して過剰な水分を全て除去し、体内に蓄積された糖分を使い切ってしまえば、びっくりするくらいの美人に変身してしまうのである。断食の中で「水断食」が適しており、半月ぐらいやれば、生まれ変わることができることであろう。

 多分、現時点で冷え症になっていると思う。体内に余りにも多くの水分があるために、それで体が冷えてしまい、冷え症という形で出て来るのである。冷え症だからこそ、頭が巧く動かず、女優の仕事をやらしてもイマイチの出来になってしまうのである。

 俺は今、巨乳をネタにした小説を考えているのだが、久保田磨希を主役にしてしまうと、どうもなかなか巧く想像できない。どうしてももっと若い子の方が面白くなると思えてしまうので、久保田磨希の年齢ではもう無理なのだ。考えるとすれば母親役になってしまうので、主役ではなくなってしまうのだ。

 何はともあれ、必ず久保田磨希を使えるような小説を書くので、その小説をドラマ化できたのなら、彼女はこのドラマに抜擢されることになる。そのドラマがヒットするかしないかは、彼女の演技次第にかかっているので、是非とも頑張って欲しいものだ。

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「毅然とした態度」を取ることは本当に正しいのか?

●日本は中国が中華至上主義を持つ限り絶対に戦う!

 現在、日本は中国や韓国と外交上非常に揉めているのだが、これは何も今に始まったことではなく、日本は明治維新以降、ずっと中国や韓国とは揉めっ放しなのである。日本は今後、誰が首相になったとしても、決して中国や韓国とは友好的な状態を築けず、それどころか時と場合によっては戦争の危機すら起こりうるだろう。

 日本がなぜここまで中国や韓国と揉めているのかといえば、それは日本が中国の有する「中華至上主義」に反対しているからなのである。中国を中心にして、その周辺諸国を服属させ、それに従わない国家には侵略戦争を行う。こういう中国の遣り方こそ、東アジアの情勢を不安定にさせているからなのである。

 日本にとって厄介なのは、中国は中国共産党の独裁体制下であっても経済が発展し、日本の経済力を追い抜いてしまったということなのである。しかもアメリカ合衆国の覇権は衰退し始め、覇権がアメリカ合衆国から中国へと移行する可能性があるのである。

 東アジアの情勢は日本の国力と中国の国力が均衡している限り平和である。しかし中国が突出してしまえば、確実に戦争になる。覇権国家のアメリカ合衆国はそうならないように日本に駐留するアメリカ軍を増強すればいいのだが、やっていることはその真逆で、寧ろ撤退させているのである。これでは中国が台頭してきて、中国が「次期覇権国家としての自覚」を持つのは当たり前のことなのである。

 次期覇権国家の中国に日本が油断すれば必ず日本が痛い目に遭う。下手をすれば日本が滅亡に追い込まれることもありうるのである。日本は中国に対して「毅然として態度」を取るべきであって、必要とあらば戦争に訴えて、中国共産党を殲滅し、中国に自由国家を樹立させるという気概を持つべきなのである。

●毅然とした態度が有効なのは?

 毅然とした態度がなぜ中国に対して有効なのかといえば、それは戦前の外交で幣原喜重郎が外務大臣になって以降、中国に対して軟弱外交をやり、それが中国を付け上がらせてしまい、最終的には帝国陸軍の方が中国と戦争する羽目になってしまったからなのである。

 日本は支那事変の敗戦によって、「軟弱外交は戦争を招いてしまう」という貴重な教訓を得たのである。「日中友好」を掲げて中国に対して友好的な態度に出ても、中国との外交は絶対に巧く行かないのだ。日中友好は戦前の軟弱外交と同じことなのであって、日中友好をやればやるほど、なぜだか戦争の危機を高めてしまうのである。

 毅然とした態度は格下の相手に対しては常に有効なのである。日本は軍事力や経済力で中国に追い抜かれているが、それでも中国には中国共産党による独裁政治をやっているために、常に民主化革命の危険性があり、日本はそういう危険性がない以上、政治的には圧倒的に優位に立っているのである。

 今、日本がすべきことは、中国に対して毅然とした態度を取りながら出来るだけ中国との外交をやらないようにし、その間に減税を行って経済力を回復させ、不要な公務員を削減しつつ、軍事力を増強していかなければならないのである。とにかく日本が中国に対して軍事力や経済力で上回らない限り、いざ日本と中国が戦争になった場合、日本は中国に勝てなくなってしまうのである。

 日本の首相が中国に対して毅然とした態度を取っても、国内で増税しているようではダメなのである。増税すればするほど国民が持つお金が政府の方に行ってしまい、日本の経済力は益々弱体化し、それに応じて軍事力だって弱体化してしまうのである。

●毅然とした態度の弊害

 しかし毅然とした態度は万能ではない。毅然とした態度を取り過ぎてしまうと、「不要な緊張感を高めてしまう」ことになり、両国は一触即発の危機を迎えてしまうことになるのだ。何事もやり過ぎは禁物だが、それは外交に於いてもなんら変わらないのである。

 外交とは戦争を回避しながら国益を獲得して行く行為であると同時に、血を流さない戦争でもある。外交をする以上、戦争をしないのだが、かといって外交というのは平和裏な物ではなく、外交をすることで国益を獲得して行くのである。しかし緊張感を高める余りに日本が国益を獲得できなくなってしまえば、次は戦争という手段しかなくなってしまうのだ。

 第一次世界大戦の時は、イギリスもフランスもドイツもロシアも毅然とした態度を取ってしまったために、不要な緊張感が高まり、ドミノ現象が起こり、それで世界大戦へと発展していってしまったのである。第一次世界大戦の切っ掛けはオーストリアの皇太子の暗殺だったのに、その暗殺事件のことはそっちのけになってしまい、戦争ということになってしまったのである。

 日本の首相が毅然とした態度を取ったために、憎悪の打ち合いになってしまう事態は絶対に恐れなければならない。ただでさえ中国や韓国は国民に反日教育を行っているので、中国人も韓国人も日本人に対して憎悪を持っており、それに対して日本人が憎悪で対抗したのなら、それは非常に危険なことになってしまうのである。

 日本側が毅然とした態度を取るということは、敵国の首脳とは基本的に外交交渉をしないということなのだが、その首脳を失脚するよう追い込んで行くべきなのである。日本政府は「その人物とは外交交渉しない」と通告すれば、その首脳はもう失脚せざるを得なくなってしまうものなのである。

●常に軍事力で優位に立つこと

 日本がなぜこうも中国や韓国から舐められるのかといえば、日本が余りにも軽武装だからなのである。中国も韓国も軍事大国であり、いつでも日本と戦争可能な状態にあるのだ。しかし日本は憲法で戦争を放棄し、自衛隊にしても本当は憲法違反の存在なのである。この日本の軽武装こそが不要な外交問題を招いているのである。

 日本のように、北にロシア、西に中国という2つの大国に接する国家としては、重武装以外の選択肢は絶対に有り得ない。日本は小国であったとしても重武装をしていれば、敵国は日本を侵略しても大損害を被るだけなので戦争を仕掛けて来なくなるものなのである。

 そこでまずは占領中に不法に制定された憲法を無効にする。昭和憲法を改正しようという意見もあるが、昭和憲法を改正してしまうと不法に制定された昭和憲法の存在を認めてしまうことになるので、憲法史上致命的な問題を抱えてしまうことになるのだ。昭和憲法は無効にしてしまうのが最も正しい選択肢なのであって、それ以外の手段を取ってはならないのだ。

 軍隊は「国防軍」と「民間防衛隊」の両方を持ち、国防軍は志願制で組織し、国家全体を守り、民間防衛隊は徴兵制で組織し、郷土防衛に当たる。こうやって2つの軍隊を持てば、安上がりで国防を強化していくことができるようになるのである。

 核ミサイルは当然に持たなければならないであろう。ただ、日本が独自で核武装するより、アメリカ軍から核ミサイルをレンタルした方が良い。この方が安上がりなのだ。しかもアメリカ合衆国政府に不信感を抱かせなくて済み、日米同盟がより強化されることになるのだ。

 核爆弾というのは、北朝鮮やイランがやっているように、これは政治的な兵器なのである。今の軍事技術では、国家の独立を保つためには必要な武器と言った所なのである。どうせ次の世界大戦では核兵器は旧式兵器にしかならない。より強力な破壊力を持つ兵器が登場してくる。いい加減に核アレルギーは捨てなければならないのだ。

●陰謀と謀略を駆使して内部破壊

 日本政府は軍事力増強以外にもやるべきことはある。例えば反日に凝り固まっている敵国の政治家を暗殺してしまい、日本に敵対する者は必ず殺すということを示しておくことなのである。特に韓国のように反日に凝り固まった者が大統領になっていれば、日本の安全保障は非常に危険になってくるのだ。

 敵国同士をぶつけ合わせるという方法もある。韓国と北朝鮮をぶつけあわせ、「第二次朝鮮戦争」を引き起こすことで、韓国の反日政策を粉砕するのである。中国とロシアの関係が良くならないように画策することも必要で、中露国境で紛争を起こさせたっていいのだ。

 中国には「民主化」という時限爆弾を抱えた国家である。国民が豊かになってくると、民主主義に洗脳され易くなる。中国人の所得は既に民主化を求め出す領域に達しているので、中国で民主化運動をやっている者たちを支援して、中国共産党を打倒するように仕向けてもいいのである。

 こういうことを行えば、日本は戦争に訴えなくても、反日国家を滅亡に追い込むことができる。しかし現在の日本政府はこういうあくどいことを全くやらない。なぜこういうことができないのかというと、日本政府には諜報機関がないからなのである。内閣調査室があるが、これは先進国の諜報機関という物ではない。

 国家の存続のためには首相直属の諜報機関が絶対に必要になるのであって、一刻も早く日本は独自の諜報機関を持つべきなのである。男女共同参画社会実現のために毎年数兆円ものお金を使う閑があるなら、その資金を諜報機関の設立と運営に回した方が、よっぽど日本の国益になるというものなのである。

●未来予測を欠いた外交は非常に危険である

 外交は何も諸外国と友好関係を築き上げるものではない。外交は国家の独立を守り、我が国に敵対して来る国家があるなら、外交を駆使して追い込み、戦争によって殲滅することを目的とするのである。だからバカの1つ覚えの如く、「日中友好」や「日韓友好」を唱えることは非常にバカげているのである。

 外交には物理的法則が作動している。国家という軍事力や経済力を持ったものが外交をやっている以上、科学的に分析していけば、未来予測は可能なのである。外交に於いて科学を駆使すれば、未来予測は90%以上の確率で未来に起こるであろうことを予測できる。

 幾ら韓国が反日政策を取ったとしても、もしも朝鮮半島が統一した場合、統一朝鮮は北朝鮮の「負の遺産」のために、1世紀以上に亘って経済が当分の間、立ちゆかなくなるのである。統一朝鮮を巧く経営していくためには日本の支援が絶対に欠かせないのだが、日本は韓国が反日政策を取るなら、絶対に支援などしなくていいのである。

 幾ら中国が反日政策を取ったとしても、中国の民主化は必ず中国共産党を打倒することになる。民主化革命の中で、共産党員への大量虐殺、共産党と共産党員の資産没収、チベットやウィグルの独立といったことが起こって来ることであろう。

 こういう未来があるからこそ、日本は中国や韓国を封じ込めて行くしかない。出来ることなら内戦に持ち込み、国土を荒廃させるべきなのである。日本の政治家たちが安易に日韓友好や日中友好を求めると、損害を被るのは常に日本の方なのである。だから日韓友好や日中友好を進める政治家たちを失脚させ、韓国や中国を叩き潰す気概のある政治家たちを抜擢していくべきなのである。

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只今、大河ドラマ用の小説を考えております、

●実はうちの姉がV6のファンです

 うちの姉は結婚ドタキャンされ、デブになり、それなのに彼氏ができ、結婚話が順調に進んでいるのだが、実はV6のファンなのである。

「年齢を考えろ、年齢を!」

このため、今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』を真剣になって見ることになる。まんまとNHKの碌でもない戦略に嵌っているのだが、こういうことで視聴率を底上げしても仕様がないではないかと俺は思ってしまう。

 今回の大河ドラマはNHKも本腰を入れて制作に臨んでいる。『八重の桜』で主役の綾瀬はるかが好演したとしても、脚本上の問題で視聴率が悲しいまでに上がらなかった。それを受けての『軍師官兵衛』なので、脚本を充実させた上での放送なのである。

 しかし主役にアイドルを使うのは如何なものか? 岡田淮一は身長が低いから、座っているシーンは誤魔化せても、立っているシーンになると頭1つ分も凹んでしまうので、見栄えが余りにも悪すぎるのだ。しかもアイドルを起用している以上、その視聴率は上げ底の視聴率なのであって、実際の視聴率は随分と下がってしまうのである。

 より問題なのは、「光」役の中谷美紀であろう。このドラマでは重要な意味を持つヒロインなのだが、ヒロインというのに美人ではないし、既に小皺が目立つし、そして何より演技が下手糞なのである。俺はなんでこの中谷美紀を起用したのかその理由が良く解らない。美人でありながら演技の巧い女優は他にもいるのであって、もっと女優選びを慎重にやるべきだったのである。

 『軍師官兵衛』は脚本自体は合格点を上げることができる。問題はキャストなのである。主役とヒロインで躓いていては、視聴率が上がらなくなるのは当たり前のことなのである。大河ドラマは質が高いドラマなので、それに耐えることができる俳優というのは、相当にレベルが高くないと困るのである。

●時代劇は歌舞伎役者に限る!

 大河ドラマを見ていてつくづく思うのは、

「時代劇は歌舞伎役者に限る!」

ということなのである。歌舞伎役者は歌舞伎で時代劇をやっている以上、いざ大河ドラマで起用しても様になるのである。普通の俳優ではどんなに巧く演技しても、そこには限界があるのである。

 その最たる物は「声」である。歌舞伎では江戸時代前期の発音が凍結されているために、その発声法で声を出されると、恰も戦国時代にタイムスリップしたかのような感じを与えてくれるのである。それに歌舞伎役者の声は如何なる俳優よりも声が通るので、非常に聞き易いのだ。

 もう1つ重要な物が「動き」である。時代劇では日本家屋で使用されることになるのだが、日本家屋で育った者でないと、何が礼儀正しくて何が無礼に当たるのかが解らないのである。嘗て『江』で上野樹里が批判されたのは、家の中でドタバタと歩くからなのである。あんなことをやったら絶対に叱られてしまうのである。

 その点、歌舞伎役者は安心でき、歌舞伎役者たちは全員が日本舞踊を出来るので、それで動きに違和感がないのだ。日本舞踊こそ時代劇をやるには必須なものなのだが、なぜだかこの当たり前の事実を俳優たちは真剣になって受け止めてこないのである。

 トドメが「顔」である。歌舞伎役者は時代劇用の顔を作ることができるということなのである。歌舞伎役者たちは現代の基準からすればイケメンではない。ただその顔を時代劇に用いると、巧く行く顔なのである。顔にインパクトがあるので、すぐに引き込まれてしまうのである。

●俺がピックアップするのは「市川海老蔵」

 そこで俺が大河ドラマ用の小説を書いてしまい、その小説を原作に大河ドラマを作り、その際、歌舞伎役者を主演させてしまえば、非常に質の高い大河ドラマができるのではないかと考えた。この手法でやれば、連戦連敗の大河ドラマでヒットを飛ばすことが可能になるのだ。

 俺が選んだ歌舞伎役者は「市川海老蔵」である。

 市川海老蔵は暴行事件で病院に入院し謹慎する羽目になったが、「陰陽バランスの法則」を使えば、ああいう悲惨な出来事があったからこそ、チャンスを掴みさえすれば大ブレイクすることができるのである。市川海老蔵こそ大河ドラマに出れば確実にヒットを飛ばしてくうr歌舞伎役者なのである。

 今はまだ原作の題名をどれにするかと悩んでいる段階なのであるが、既に題名候補は幾つか上がっている。

 例えば『魔女の宅急便』をパクって

『海老蔵の宅急便』

この物語は宅急便の仕事をやっている市川海老蔵が配達途中に暴走族に襲われてしまい、灰皿を手裏剣代わりに応戦するが凹凹にされてしまい、血まみれになって帰って来るというお話である。尤も内容的にゴールデンタイムで放送していいかが問題になる。

 その他にも『千と千尋の神隠し』をパクって、

『海老蔵と灰皿の神隠し』

というのがある。この物語は、歌舞伎役者の市川海老蔵が灰皿と共に神隠しにあってしまうという物である。しかし完全に行方不明になるのではなく、捜査の途中で病院に入院している写真が送り届けられてくることになる。ということは市川海老蔵は生きているということなのである。

 最も残酷なのは、『崖の上のポニョ』をパクって、

『崖の上の海老蔵』

である。この物語はタマティーが市川海老蔵を崖から突き落とし、市川海老蔵が即死するというお話である。『崖の上のポニョ』の一体どこをパクったのかが問題となるが、死体がポニョポニュになっていることだけは事実なのである。俺が歌舞伎役者を使う以上、死ぬ気でやって貰う。

 俺が市川海老蔵に対して如何なる原作を考えたとしても、俺は何がなんでも灰皿を使用する。NHKに受信料を支払っている人たちに灰皿を贈り、市川海老蔵が大河ドラマで下手糞な演技をしていたら、テレビ画面に向かって灰皿を投げていい。これによって市川海老蔵は負傷することになるから、本人は戦々恐々としながら演技をすることになるのだ。

●大河ドラマの最低条件

 NHKの大河ドラマは日本のドラマの中で最高峰なのだが、大河ドラマには大河ドラマとして最低条件があるからこそ、日本国民は注目するのである。この最低条件をクリアできれば高い評価を与えることができるし、最低条件をクリアできなければ批判が殺到することになるのだ。

 では、その大河ドラマの最低条件とは何か言えば、

①人間の生き様を描く。

②日本人とは何か、日本国とは何かを描く、

③主役だけでなく、脇役も光らせ、チームプレイで勝利する。

の3つなのである。民放でやっているようなドラマは人生の中で起こるエピソードを描けばそれで合格である。しかし大河ドラマは違うのである。ハードルが高いというよりも、大河ドラマに求められている物が通常のドラマとは全く違うのである。

 大河ドラマで視聴率が低迷した作品は、全てこの大河ドラマの最低条件をクリアしなかった物ばかりなのである。『北条時宗』『江』『清盛』などはまさにそれだからこそ非難が集中したのである。『八重の桜』にしても主役の生き様を描くことはできたが、キリスト教を称賛することを最優先して、日本人とは何か、日本国とは何かを考えさせなかったからこそ、視聴率が低迷したのである。

 俺の作品が大河ドラマの原作になった場合、必ず「笑い」を取る。笑えないドラマは面白くない。大河ドラマは深刻な内容になってしまうのだが、深刻な内容だからこそ、時には笑いを入れて弛緩させないと、45分間を保つことはできないのだ。

 気をつけるべきは「予算の問題」であろう。ドラマの前半に資金を大量に使ってしまうと、後半に資金が少なくなってしまい、登場人物たちがめっきり減り、ドラマが盛り上がらなくなってしまうのである。プロデューサーがきちんと資金管理をしておかないと、折角の原作がダメになってしまうのである。

 市川海老蔵を使う以上、彼の性格に合う物を作ればいいだけのことであって、俺の頭の中には既に話が出来上がりつつある。後は執筆していけばいいだけのことなのだが、今は他の特大長編小説を書いているので、それが終わり次第取りかかるつもりである。

 乞うご期待。

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母親が上機嫌でいることは、家庭内での最低限のマナーである。

●笑顔でいることの大切さ

 母親が上機嫌でいることは、家庭内での最低限のマナーであると思う。「自宅に最も長くいるのは誰か?」と問われれば、答えは「母親」であろう。絶対に「父親」ではない。だったら母親が上機嫌になって笑顔でいることに心掛けるべきであって、自分が笑顔でいないことを恥じるべきなのである。

 人間というのは放置しておくとネガティブなことを考え出し、不機嫌になってしまう動物である。だから日々の生活で無駄を省き、合理的に進めて行くべきなのである。家事をやるならテキパキと行い、ダラダラとやらない。育児をやる時はちゃんと子供に向き合って行い、特に子供と遊ぶ時は童心に還って遊ぶことだ。

 もしもテレビの視聴時間が長ければ、その母親は碌でもないことしか考えることができなくなってしまうことだろう。そのためテレビを見ている時はご機嫌であっても、テレビを見なくなれば不機嫌になってしまうのだ。しかもテレビのために家事も育児も疎かになり、家庭内の至る所でトラブルを発生させ、余計に不機嫌になってしまうのである。

 生活を充実させるためには、とにかく先に予定を組んでしまうことだ。人間は未来に於いてやるべきことが決まっていれば、本人が何をしなくても脳が動いてその準備をしてくれるのである。だから実際にその予定をやるとスラスラと出来るだけでなく、脳そのものが満足してしまうのである。

 自宅に子供がいれば、母親が考えつかないことをやってくるものだが、それを叱り飛ばすのではなく、それを楽しんでしまえばいいのである。何事も大人の常識を押しつけるからこそ育児の面白さが見えないだけのことなのであって、子供は子供なりに一生懸命考えてバカなことをやっていると思えば、笑い声は絶えなくなるものなのである。

●笑顔は伝染する

 笑顔というものは伝染するものだ。母親が笑顔でいれば、夫も子供たちも笑顔になる。母親が笑顔なのに、夫が不機嫌で、子供たちも不機嫌というのは有り得ない。無理にやろうとしても、いずれは笑顔になってしまうものだ。笑顔にはそういう不思議な力を持っているのである。

 だから母親が笑顔なら、夫も笑顔になり、子供たちも笑顔になる。逆に言えば夫や子供たちを不機嫌にさせないために、常に母親が笑顔でいればいいということなのである。母親がそのことを忘れてしまうからこそ、夫は不機嫌になり、子供たちも不機嫌になり、家庭内でトラブルが続出することになってしまうのである。

 顔相でも口角が上がっていると運気が上昇になると言われている。実際に口角を上げてみると、顔は笑顔にしかならない。ということは、「普段から笑顔でいろ」ということなのである。笑顔でいれば運気が上昇して、幸運が沢山やってくるようになるものなのである。

 生活していれば必ず勤続疲労が発生する。だから月に1度は徹底的に休む日を作るべきなのである。その日は母親として休業日なのであって、何もやらないでとにかく休むことに費やすのである。こういうことをしておけば、勤続疲労が除去できるから、常に笑顔でいることができるようになるのである。

 生活していれば自分が笑顔でいられなくなるような出来事は必ず起こって来るものだから、その時は巧いジョークを使って切り返すようにすればいいのだ。そうすればアクシデントが起こったとしても、それを笑いに変え、良い方向に切り替えることができてしまうのである。

●機嫌も不機嫌も伝染することでは同じ

 不思議なことに不機嫌も伝染するのである。母親が不機嫌になれば夫も不機嫌になり、子供たちも不機嫌になっていく。家族全員が不機嫌になってしまえば喧嘩が起こるのは当たり前であって、病気や事故といった不幸まで生み出してしまうのである。

 不機嫌というのはこんなにも危険なものなのに、母親たちの中では平気でいつも不機嫌になっている者たちがいる。結婚した時は笑顔だったし、赤ちゃんを産んだ時も笑顔だった。しかし子供たちが成長して来ると、母親の方が成長していないために、それで不機嫌になってしまうのである。

 それなのに家族の中で、

「お母さん、全然成長していないよ」

と指摘してくれる者は一人もいない。

 せいぜい夫が指摘する可能性があるが、大概の夫たちは指摘しない。仕事で忙しいために、まさか自分の妻が家事や育児をやっているのに成長していないとは気付かないからだ。このため母親だけが成長せず、自宅の中で不機嫌で居続けてしまうのである。

 母親が「自分はいつも不機嫌になっている」と気付いたのなら、それは自分が成長していないということなのである。妻として母親として成長していない部分がある以上、一刻も早くその部分を見つけ出して、自分を成長させることだ。自分が成長してしまえば、自然と笑顔になるものなのである。

 「機嫌は伝染する」「不機嫌も伝染する」。だったら機嫌でいた方がいい。自分が機嫌でいようが、不機嫌でいようが、どちらとも伝染してしまう以上、家庭内で何かが起こったのなら、それは自分の責任なのである。実際には相手がやったかもしれないが、自分の態度が相手にそういう行動を取らせてしまったのである。

●普段から笑顔だからこそ問題が発生しても冷静に対処できる

 生きていれば家庭内では必ず問題が発生して来る。どんな問題でも解決可能なものなのであるが、冷静に対処していかないと、その問題を解決できないし、解決したとしても異様に時間がかかってしまうのである。だから普段から笑顔でいれば、問題が発生しても冷静に対処することができるのである。

 笑顔で勘違いしてはならないのは、笑顔でいることは「無知」や「無能」になるということではない。笑いというものを誤魔化すということで使ってしまうと、その場凌ぎはできても、なんの実力も付かず、そういうことを積み重ねていくと、本当に無知や無能になってしまうのである。

 自分がすべきことはきっちりとやる。自分が勉強しておかなければならないことはしっかりと学んでおく。そういうことをした上で笑顔でいるからこそ、家庭内で問題が発生してもきちんと対処できるのである。大体、自分が笑顔でいたら、自分のすべきことは簡単にこなすことができてしまうものなのである。

 良家でお婆ちゃんの笑顔がいい笑顔になっているのは、生活していくための知識や技術が充分に備わっているからなのである。老婆だから顔は皺くちゃだし、髪の毛は白髪だ。それでもなんでいい笑顔に見えてしまうのかといえば、それに見合うだけの実力があるからなのである。

 自分が年を取った時に本当にいい笑顔になるためには、若い時からせっせと努力しておかなければならないのである。問題が発生して来れば、それを必死になって解決しなければならない。そういう必要性に迫られた努力というのは確実に物になるのであって、逆に必要性のない努力では実力はさほど向上しないものなのである。

 だから意外なことかもしれないが、普段から真面目になって何かをやっている人は自分では努力したと思っているのに、実は大して実力がついていないのである。それゆえいざ問題が起こると慌てふためいてしまうのである。そういう真面目な母親には、

「あなたに足りない笑顔なんだよ」

と言うしかないのである。

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人生の目的は自分の霊魂を成長させること

●人生は修行

 今回は宗教の話をすることにする。昭和憲法によって政教分離が定められ、学校に於いて全く宗教教育を受けることができないために、宗教のことを何も知らないという人たちが大量発生してしまったのだ。こういう異常な教育を受ければ「宗教アレルギー」を発症するのは当然であって、このために人間として真っ当な生き方をすることができなくなってしまったのである。

 「人生の目的はなんですか?」

と訊かれても、答えることができない人が殆どであろう。人生の目的が解っていないからこそ、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、自分がどう頑張っても目的地に辿り着くことができないのである。しかし人間には寿命というものがあるから、そんな無駄なことをやっていれば、時間がなくなってしまい、それで死んでしまうことになるのである。

 人生の目的とは

「自分の霊魂を成長させること」

なのである。本物の宗教心を持っていれば、きちんとこう答えることができるのである。具体的に言えば「自分の人生を楽しみ、物心ともに成長し、人を豊かにさせ幸せにすることができたか?」ということを神様はあなたに問うているのである。

 この世は苦しみだらけである。このことは釈迦が喝破したことである。ここで言う苦しみとは、自分の思い通りにならないということである。なぜなら人は誰もが利己的に動くから、相手が利他的になって自分に何か良いことをしてくれることなど絶対に起こり得ないのだ。

 だから「人生は修行」と捉えた方が人生は巧く行くのだ。苦しみだらけの世界の中で、自分にとって楽しいことを見つけ、それによって物心ともに成長していく。そうやって自分が豊かで幸せだからこそ、他人を豊かに幸せにすることができるようになるのである。

●結婚

 宗教家は男性の方が多いのだが、一般人レベルでは、女性の方が男性よりも宗教心の大切さに気付くことが多い。なぜなら女性は「結婚」によって自立していくことになるので、そこで「運命の出会い」を経験してしまえば、我が身に神の見えざる力が働いたことに気付くからなのである。

 「運命の出会い」をしてしまえば、自分たちの状況がどのような状態であっても、何か突き動かされるように結婚してしまう。曰く「出会った時にこの人と結婚すると思った」、曰く「私の好みのタイプではなかった」と、曰く「様々な障害があって結婚できる状況ではなかったのに」と、女の直感に基づく感想が続出するのである。

 夫婦だからといって「運命の出会い」を果たすとは限らない。というか、恋愛結婚であるなら、運命の出会いを果たさなくても結婚してしまう可能性が必ずある。中には相性が悪いのに、なぜだか惹かれあって結婚してしまったりする。尤もこういう夫婦になると確実に離婚することになるのである。

 「結婚したのなら一体何をすればいいのであろうか?」

 それは結婚生活を楽しみ、結婚生活に於いて物心ともに成長し、結婚相手や子供たちを幸せにすることなのである。よりによって、殆どの夫婦は貧乏からスタートする。その貧乏な中で如何に結婚生活を楽しみ、物心ともに成長し、結婚相手や子供たちを幸せにするかが問われているのである。

 だから下手に結婚のスタート時点で余りにも豊かでいてしまうと、結婚後に「不妊症」に襲われたりする。豊かであることが当たり前だと思ってしまうと、結婚生活を楽しまないし、成長せず現状維持をすることに熱心になり、そして結婚相手を幸せにしようなどという気が全く起こらなくなってしまうからだ。

●妊娠出産育児

 男女というのは結婚すれば3年以内に、90%以上の夫婦が赤ちゃんを出産している。結婚というのは「妊娠出産育児」を必ず伴うものなのであって、結婚したのならとっとと赤ちゃんを産んでしまった方がいい。赤ちゃんを産めば、「この子を幸せにしたい」という感情が湧いて来るのだから、後はその感情に基づいて行動して行けばいいのである。

 但し、女性というのは3人の子供を産み育てて母親として一人前になるので、子供が1人の時や2人の時にはそれなりの危険が存在するのである。

 まず子供が1人の場合、その家族には「三位一体の結界」が張られることになるので、家族が安定していながらも、夫は忙しく働き回ることになる。こんな時期に夫に必要以外の家事や育児をやって貰うと、夫は仕事で成果を出すことができず、結婚自体が危険な状態になってしまうのである。

 子供が2人の場合、その家族には「四の結界」が張られるので、家族のエネルギーは内側に向かうことになる。この時期に家族の有り様をきちんと決めておかないと、「四の結界」は「死の結界」に変わり、誰かが病気したり死ぬことになる。この時期は絶対に油断できない時期なのである。

 3人目の赤ちゃんが生まれると、その家族は「四の結界」を脱して、安全になり、それどころか吸引力が働くので、資産が着実に貯まるようになる。この時期はせっせと資産を形成して行く時期なのであって、資産運用益は生活費に回さず、そっくりそのまま再投資してしまった方がいい。 

 因みに、3人産むと、妻としてはもう1人産みたくなる。それなのに夫は「もう打ち止めにしよう」と言い出してきたりする。こういう時、「自分は夫を幸せにすることができたのか?」ということを自分の心に問うて欲しい。今まで夫を幸せにして来なかったからこそ、夫は妻が喜んでいる時に、その喜びを打ち消すかのようなことを言うのである。

●結婚の中で起こる問題

 結婚していれば、必ず何かしらの問題が起こるものなのである。結婚してなんの問題も起こらないということは絶対に有り得ない。では、なんで結婚して何かしらの問題が起こるのかといえば、それは神様が、

「あなた、その結婚を楽しんでいますか?」

「あなた、その結婚を物心ともに成長させていますか?」

「あなた、その結婚で夫や子供たちを豊かに幸せにすることができていますか?」

ということを問うているのである。

 だからどんな問題であっても、その問題を解いてしまえば、自分の霊魂がレベルアップすることになる。自分の霊魂がレベルアップしたからこそ、今までよりも更に豊かに幸せになることができるのである。勿論、時には1人ではどうやっても解決できない問題が出て来る。

 その時は他人に相談すればいいだけのことなのである。自分1人で全ての問題を解決することを神様は望んでいない。神様は自分1人で処理していいものと、自分1人で処理してはならないものの区別をつけろと言っているのである。

 大事なことは、どのような問題に直面しても、

「私って幸せなんじゃん!」

と思うことなのである。なぜなら問題が発生するということは、自分を成長させるチャンスになるからなのである。確かに問題に直面した時は苦しい。だがその問題を解決してしまえば、自分が成長できてしまい、もう二度とその手の問題に遭わなくて済むようになるのだ。

 自分が結婚して幸せになっているからといって、世間の人たちもそうだと間違った考えを抱いてはならない。世間の人たちは基本的に利己的に動くものなのである。人間の利己心を巧く利用すれば、自分も利益を得ることができるだけのことであって、間違っても他人が利他的になって何かをしてくれるなどと思ってはならないのだ。

●神仏習合はルーズだけど、なぜだかぶっ壊れない

 神道では自分が「神の御言持ち」となって、「神の栄光」をこの地上に樹立していくことを崇敬者たちに勧める。結婚しているのなら、まずは結婚生活でそれを実現していかなければならない。人間は遠く離れた人を幸せにすることはできないが、目の前にいる人なら幸せにできるものなのである。

 仏教では、日本の場合、大乗仏教なので、「菩薩行道」に徹して、仏国土の実現を目指すことなのである。神道と仏教では言っていることは異なっているが、言っている内容はほぼ同じである。だから「神仏習合」ということができたのである。

 日本は長らく神仏習合でやってきたので、神道だけを引っ張り出すのも、仏教だけを引っ張り出すのも、それは双方共に無理があり過ぎる。況してや外国から新たな宗教は入って来ても、神仏習合があれば入って来ることはできない。大事なことは、「人生は自分の霊魂を成長させるためにある」という教えなのであって、その教えに合う宗教ならなんでもいいのである。

 なんともルーズだが、我々のご先祖たちがそうやってきたのだから仕様がない。そしてこのルーズな遣り方は想像以上に素晴らしいもので、なかなかぶっ壊れない。嘗て浄土真宗が神仏習合を嫌って破壊しようとしたが壊れなかったし、復古神道が神仏習合を嫌って破壊しようとしたが壊れなかったのだ。キリスト教は戦国時代と近代に於いて二度も神仏習合に攻撃を仕掛けたが、これまた壊れなかった。

 勘違いしてはならないのは、神道や仏教が優れていたからではないのだ。神仏習合を行う人たちが、宗教を使って自分の霊魂を成長させようとしたからこそ、神仏習合は守られてきたのである。往々にして、宗教は信仰に狂う余りに、自分の霊魂を成長させるどころか、堕落させることもあるので、そういうことを考えれば、ルーズであっても、神仏習合をやり続けた方が良いのである。

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なぜタマティーのブログは九州地方に於いて福岡県だけ異様な人気があるのか?

●やはり福岡県は九州の代表格なのか?

 このniftyでブログをやっていると、

「福岡県というのはやはり九州の代表格なのか?」

と思わざるを得ない。というのは、このブログの九州地方でのアクセス数を見ると、九州北部の方が九州南部よりも多く、その中でも福岡県が常に優位に立ってくるからだ。

 例えば俺がいい記事を出すとすぐに反応するのは長崎県だ。しかし長崎県はトップを維持できす、その後に福岡県に追い抜かれてしまう。時たま鹿児島県や熊本県や宮崎県といった九州南部勢に勢いづくことがあるのだが、それでもその後、福岡県のアクセス数が増え、トップを取ってしまうのだ。

 九州地方で一番ボサ~ッとしているのは大分県で、九州地方では大分県のアクセス数が一番少ない。このため福岡県は大分県を緩衝地帯として使え、九州南部勢に巧く対抗できるのである。福岡県にとって佐賀県は属領のようなものだから、そうなると長崎県は自然と福岡県に靡く。こうなると福岡県は九州でトップに立ってしまうのである。

 俺のブログは福岡県で異様な人気があるのだが、それでもベスト3に入り込むほどのものではない。しかし九州地方では常にトップをマークして来るのだ。福岡県の「地の利の良さ」、福岡県民の「民度の高さ」がそうさせるのであろう。

 九州をひと括りに考えてしまうのは非常に危険である。九州は「福岡県」「佐賀県」「長崎県」「大分県」「宮崎県」「熊本県」「鹿児島県」と7つの県があるが、これらの県はどれも個性的で、同じような県は1つたりとも存在しない。たまたま福岡県は九州の代表格であるだけであって、だからといって九州は億岡県の色に染まっているわけではないのだ。

●福岡県の特徴

 俺は福岡県に行ったことがあるし、福岡県出身の友人もいる。今回、福岡県の特徴を調べるには調べたが、なんせ現地で情報収集したわけではないので、その情報の信用度は50%程度である。そのことを踏まえてこの情報を読んで欲しい。

①福岡県民は「先生」という言葉をはっきりと言えない。

 福岡県民の発音では「先生」が「しぇんしぇ~」となる。例えばドラマ『3年B組金八先生』の場合、「金八先生」は「金八しぇんしぇ~」となる。多分、このドラマを博多弁でやったら確実にコメディードラマになったことであろう。あのドラマは共通語でやったからこそシリアスな物になっただけのことであって、もうちょい言葉を工夫すれば幾らでも面白く出来た代物なのである。

②福岡県民は「うどん」には「オムスビ」が付くものだと思っている

 福岡県民を「羨ましいな~」と思うのはこれである。「うどん」だけ食べてもなんか物足りない。香川県は讃岐うどんがあるけど、うどんだけでは物足りないからこそ、うどんを大量に食ってしまうのである。うどんにオムスビが付けばお腹に溜まるので、それで満足できるのである。「うどん」と「オムスビ」のセットは全国に普及して欲しい物の1つである。

③福岡県民の8割以上は豚骨ラーメン中毒に罹っている。

 豚骨ラーメンの歴史は非常に浅い。豚骨ラーメンは戦後になってから出来た物なのである。和食では骨髄を食べる習慣がないので、豚骨のように骨髄でダシを取れば、当然に嵌ってしまうことになるのだ。因みに豚骨ラーメンは南下するほど脂っこくなり、福岡県の豚骨ラーメンより鹿児島県の豚骨ラーメンの方がコッテリとしている。こちらの方が美味しいと思ってしまうと、福岡県の豚骨ラーメンはあっさりし過ぎて不満を覚えてしまうのである。

④福岡県では久留米市民だけが焼き鳥中毒に罹っている。

 福岡県は一枚岩ではない。歴史が非常に古いので、福岡県内には個性の強い市町村が大量に存在するのである。その一例が久留米市であり、ここでは市民が焼き鳥中毒に罹っている。鳥を見ると焼き鳥にして食ってしまわねば気が済まない連中なのである。

⑤福岡県民は他県の者に福岡の自慢話をしないと気が済まない。

 福岡県民は郷土愛が非常に強い。この福岡県の素晴らしさを全国民に知って貰いたいという欲望が余りにも強すぎるのである。このため福岡県民は福岡県の自慢話をするし、それだけでなくその自慢話で確実に笑いを取って来ようとする。

⑥福岡県民は福岡市のことを「博多」と言い、それで余所者を見分ける。

 福岡県に博多市というものは存在しない。博多の地に福岡市があるのである。ということは福岡市民は自分たちの市の名称を認めていないということなのであって、だったら福岡市を「博多市」に名称を変えて欲しい。福岡県民は福岡市のことをどういうかで、身内か余所者かを区別するということに使っているのである。

⑦福岡県民は辛子明太子の食べ過ぎで、タラを絶滅危惧種に追いやる危険性がある。

 福岡県民がこれほどまでに辛子明太子を食べるとタラが絶滅しかねない。辛子明太子が好きな人は毎日でも食ってしまうので、それでタラの数が減少して行ってしまうのである。そんなに食うのなら、せめてタラの稚魚を放流するとかして、タラの数を増やす努力をして欲しいものだ。

 因みに本物の辛子明太子は赤色と灰色を混ぜたような色で、結構グロテスクである。辛子明太子が真っ赤になっているのは、食品添加物の赤色何号とかを使っているからなのである。この食品添加物は発癌性物質で、このため福岡県の癌発症率が高くなっているのだ。

⑧福岡県民は「お祭りは仕事を休んでも行くものだ」と思っている。

 福岡県の祭りこそ、日本の祭りの最高峰である。なんでこんなにも豪勢になるのかといえば、お祭りに参加する人たちは仕事を休んで参加しているからなのである。道理で参加者が多いわけだ。福岡県はこれでストレスを発散できるので、犯罪発生率が低いし、それでだけでなく経済も活性化して人々は豊かになる。

 日本政府が現在推進している男女共同参画社会みたいに、男女共々労働すれば豊かになるということは絶対にない。寧ろそんなことをやれば男女共々貧乏になって行ってしまうものなのである。富は労働と消費と投資の三つの要素が集まって初めて成立するのものなのであって、そのことが解っていないと国民を貧乏にさせてしまうのである。

⑨福岡県民は九州の代表者を自任している。

 福岡県民は九州の代表者を自任しているが、これは名実ともにそうだからこそ、そういうことをやっているのである。関西では大阪府民が関西の代表者を自任しているが、関西には京都府も奈良県もある以上、それはダメなのである。このため福岡県から優秀な人材が続々と誕生して来ることになる。実力があるからこそ、全国レベルでも通用するのである。

⑩福岡県は日本民族発祥の地である。

 天孫族はここで誕生した。天孫民族自体、中国大陸から朝鮮半島を経て日本連投に渡ってきたが、天孫族は福岡県の地で出雲神族と衝突し、それを駆逐したからこそ、この時に初めて民族意識を持ち始めたのである。そしてその後、神武天皇が東征して奈良の地に行って日本国を建国したのである。

 日本は大東亜戦争には敗北してしまったので、未だに日本人として自信を持てない連中が大量に存在している。このためなんでも朝鮮半島に起源を求めて来るバカな学者たちが出て来るのだ。ところが不思議なことに、福岡県出身の学者たちはこういうバカとは無縁で、やはり日本民族は福岡県の地で発祥したという認識を持っているのである。さすがといえばさすがである。

●福岡県の県民性

 福岡県民の県民性は「男らしさ」「楽天的」「お祭り好き」「「郷土愛」「お持て成し」の5つのキーワードで表すことができる、福岡県では表面上、男性たちの活躍の方が目立つ。福岡県が九州の代表者の地位を確保するためには、男性たちが前面に出て来た方が良いのである。

①男の中の男である。

 福岡県の男たちは「男の中の男」である。天皇家がこの地で生まれて、その後、神武東征を行い、奈良県で日本を建国してしまったのは、それだけ男たちが強かったからなのである。尤も天皇家は後醍醐天皇の代で政治権力を殆ど失い、学問を重んずるようになるが、昔の天皇家はそうではなかったのである。

 福岡県は九州の南部に鹿児島県という、これまた「男の中の男」たちが大量に存在している県があるので、鹿児島県の男性たちといい意味でライバル関係にある。福岡県の男性たちが油断していると、鹿児島県の男性たちが追い抜いてしまうので、福岡県の男性たちとしては常に男らしさを磨かねばならないのである。

②何に対しても楽天的

 福岡県の男性たちは栄養バランスの取れた食事をしているせいか、何に対しても楽天的である。福岡県の男性たちには悲観論というのが存在しない。この明るさこそ、福岡県を魅力ある県にしてやまないものなのであって、本来、日本人はこういう性格の国民であったということなのである。

 しかし悲観論というものが存在しないことは、本当に良いことなのかは疑問である。人間は悲観論になるからこそ、哲学や文学を生み出し、歴史に対して深く考えるようになるからだ。福岡県民は民度が高いかもしれないが、文化レベルに於いてどこかに制限がかかってしまうということなのである。

③お祭りが大好きで目立ちたがり屋

 福岡県の男性たちはお祭りをしながら生まれ育ったようなものなのである。だからイベントは大好きだし、イベントに出る以上、自分が目立たないと気が済まないのである。このため福岡県から大量に芸能人が輩出されてしまうのである。

 お祭りに手慣れているということは、組織戦も巧くこなすことができるので、それで福岡県には企業が多いし、しかも全国レベルで戦える企業が出て来る。お祭りは宗教行為なのだが、そうやって宗教行為をちゃんとやっていると、経済活動が活性化して来るものなのである。

④郷土愛を濃厚に持つ

 福岡県の男性たちは郷土愛を濃厚に持つ。日本国内では福岡県民の郷土愛が最も強い物であろう。福岡県はそれを可能にする歴史があるし、経済や文化が存在している。政治もそれほどバカなことをやってはいない。郷土愛にとっては最大の敵は民主主義なのであって、人々が民主主義に洗脳されてしまうと、歴史も経済も文化も全てぶっ壊そうとしてくるのである。

 実際、福岡県は非常に住み易い。気をつけるべきは夏の台風ぐらいなもので、食べ物は美味しいし、気候は温暖だし、人々も人柄が優しい。そこに郷土愛が加わるわけだから、郷土愛が愛の循環を引き起こして、益々福岡県は素晴らしい場所になってしまうのである。

⑤余所者を持て成すが非常に巧い

 福岡県の男性は余所者を持て成すのが非常に巧い。福岡県は九州の各地から人々が集まってくるので、持て成しをしないと存続できないからなのである。福岡県民が排他的になるということはまずない。お持て成しを必要とするなら、必ず福岡県出身の者を入れた方がいい。

 福岡県の男性たちの凄い所は「自慢話で笑わせる」所にある。自慢話というのは本来言うべきものではないことである。自慢をすれば相手の嫉妬を買うだけだからだ。しかし自慢話で笑いを取れば、相手は不快感を覚えることなく、自分の生まれ故郷の素晴らしさを伝えて行くことができるのである。

 大阪人はお笑いを得意とするといっても、こういう洗練されたお笑いは不得手なのである。大阪のお笑いはかなり下品な部類に属するものなのである。例えば大阪府出身の人が東京に来て、東京のことを貶しながら大阪の自慢をするのだが、東京の人たちは「だったら大阪に帰れよ」と思ってしまう。ただ東京の人たちはそれを口に出さないだけのことであって、言わないからといって自分の話が受けていると勘違いしてはならないのである。

 政治家でも福岡県出身の政治家は失言をする回数が異様に少ない。言語を発展させ、洗練していかないと、碌でもない政治家を生み出してしまうものなのである。現在のように政治家が民選で選出されてくるというのなら、言語能力の低い政治家は立法や行政に関して幾ら実力があっても、それではダメなのである。

⑥福岡県のオカマたちは肩身が狭い。

 福岡県の男性たちが男らしく、しかも言語能力を発達させているというのなら、オカマは不要であるということなのである。東京の新宿2丁目を見れば解ることだが、男性たちが男らしくせず、言語能力に劣っているからこそ、オカマたちを生み出し、オカマたちに面白いことを言わせてストレスを発散させるのである。

 実を言うと、福岡県ではオカマの自殺率が高い。男性がオカマになっても、まず自分がオカマであることを告白できないし、告白すれば友達が全て消えてしまう。そういう人間関係が切断された場所では、何かあれば自殺するというのは当然のことなのである。

⑦夫が自由に使えるお小遣いは福岡県が全国で最高金額である。

 なんで福岡県の男性たちがこんなに男らしいのかといえば、福岡県は全国の中で「夫が自由に使えるお小遣いの金額が最高である」ということだからなのである。男らしさは経済力によって支えられていたのである。道理で福岡県の男性たちの飲酒量が多いわけである。

 夫のお小遣いはどの夫婦であっても揉めるものだ。大概は夫のお小遣いを低く抑えるという方向に走るのだが、妻がそういうことをやってしまうと、夫は男らしくできなくなってしまう。そうなれば夫は男としての責務を果たしてこないから、それによって他の分野で様々な問題を引き起こしてしまうのである。

 これを国政規模でやったのが、政府による男女共同参画社会政策なのだが、これを日本政府がやり始めてから、日本経済は常に停滞しっ放しなのである。男たちから仕事を奪い、女性たちに仕事を与えても、経済というものはどうにもならなくなってしまうものなのである。

●福岡県の女性たちの基本的性格

 福岡県の女性の性格は男性の性格とはかなり違う。福岡県は一見、典型的な男社会である。しかし福岡県には女性たちだって住んでいるのであり、女性たちは男たちをしっかりと支えながら、ちゃっかりと莫大な利益を得ながら生きているのである。

①とにかく陽気で活発である。

 福岡県の男性たちが男らしい男性たちであるために、福岡県の女性たちはとにかく陽気で活発でいられるのである。もしも女性たちが男性たちから男らしさを奪ってしまえば、男性たちの矛先は女性たちに向かい、凄惨な事件を多発させることになるのである。

 男性である以上、男らしくして貰った方がいい。そうしておけば、女性たちは自分も女らしくして生きることが可能になるのであって、充分に人生を満喫することができるのである。男女平等に洗脳されるからこそ、この当たり前のことが解らなくなってしまうのである。

 福岡県は日本民族発祥の地ゆえに、日本人女性は本来こういう人たちなのである。女性たちが陽気で活発だったからこそ、国力が大いに充実して、近畿地方を征服することができた。東京の女性たちを引っ張り出して、「日本人女性とはこういう女性である」と規定してしまうのは、根本的に間違ったやり方なのである。

②新しい物が大好き

 福岡県の女性たちは新しい物が大好きである。福岡県は古代から中国や朝鮮と貿易をしてきたために、外国から舶来品を輸入してきた。その遺伝子が今でも残っていて、新しい物に飛びついて来るのである。福岡市にしてもそうだが、なぜだか古い街でありながら、新しさを感じさせるのである。

③保守的で粘り気が強い

 その一方で福岡県の女性たちは保守的である。保守的でないと秩序を保てないことをよ~く知っているからだ。福岡県の女性たちを辛抱強いとは言わないが、粘り気が非常に強い。外見的には陽気なので、その裏に潜む部分を見落としてしまうと、福岡県の女性たちを理解したことにならない。

 福岡県の女性たちは「結婚したのなら家を守りたい」という願望が非常に強い。経済が発展してくると、離婚する者たちが大量に出て来てしまうのだが、そういうことをやっていると、社会は凶悪犯罪の多発ということで手痛い損害を受けてしまうことになる。

 経済が発展し、その豊かな経済を維持するためには、家族を大事にしていかなければならない。家族を大事することが豊かな生活を守ることになるのである。東京でも名古屋でも大阪でも女性たちは結婚を蔑ろにするものだが、そのためこれらの都市では凶悪犯罪が多発しているのである。

④福岡県の女性は結納の品として辛子明太子を贈ったことがある。

 多分、辛子明太子をチンチンと思っているのであろう。こういうことをやっているから、タラの数が減少して行ってしまうのである。しかしこういうことは子沢山を暗示させるので、それはそれで良いことであって、福岡県の女性たちは子宝に恵まれるのである。

⑤福岡県の女性はお喋りが非常に巧い。

 喋りの巧さは全国でトップであろう。福岡県の方言がお喋りを巧くさせるように作用しているのである。大阪弁だとどうしても無理して喋ることになるし、京都弁ならのんびりしすぎている。共通語だと合理的だけど、それでは色気がなくなってしまう。会話と方言の関係はもっと研究されていいのである。

⑥福岡県の女性は男心を巧みに扱うことができるので、恋愛や結婚でのトラブルが異様に少ない。

 言語能力が低いからこそ、男女間でトラブルを発生させてしまうのである。恋愛や結婚では男女が1対1になるからこそ、もしも自分が相手にキツいことを言ってしまうと、相手が暴力に訴えて来ることも有り得るのである。だからもっと言葉遣いを磨いて、暴力を用いないような関係を築いていかなければならないのだ。

⑦博多美人はしっかり者である場合が多い。

 美しいだけでは博多美人にはなれない。博多美人にはしっかり者であることが要求されるのである。このため博多美人は東京に進出すれば一気にブレイクしてしまうし、福岡県にいれば良縁に恵まれて明らかに素晴らしい男性と結婚してしまうのである。

 美人の産地ということは、そこが首都であったか、地方の中心地だということなのであり、この点でも福岡県は九州の代表格になってしまう。地方を発展させていくためには美人を生み出し。その美人に結婚させて、より多くの子供を産ませるようにしていかなければならないのである。

⑧福岡県の女性は濃厚なセックスをされるとメロメロになってしまう。

 福岡県の女性は栄養バランスの取れた食事をしているので、体力のある女性が多い。このため普通のセックスでは満足できない。濃厚なセックスじゃないと満足できないのだ。だから福岡県の女性に濃厚なセックスをすると、気の強さが一瞬に消えて、メロメロになってしまうのである。

 福岡県の男性たちは飲んべいなので、セックスに関してはそれほど巧くない。飲酒の弊害は必ずセックスに於いて出て来るのであって、性生活で満足を味わいたいのなら、できる限り飲酒はしない方がいいのである。飲酒をしなければセックスは巧くなるものなのである。

⑨福岡県の女性はセックスの大好きな男性が大好きである。

 福岡県の女性たちは猥談を平気で行う。陽気な性格はこういう所にも出て来るのである。当然、セックスの大好きな男性のことが大好きなのである。こうなってくると、セックスも「陽気なセックス」になってしまい、何度もやっても楽しくなってしまうのである。

 女性の場合、「イケメンが好き~」とか言っている女性は、人生の中で一度たりともちゃんとした恋愛をしたことがない女性だ。かといって、むっつりと無言を決め込んだり、猥談で下品な笑いを取るような女性は。裏で一体何をやっているのか解らない。だからまずは女性に喋らせてみて、その女性が正しい女性かそうでないのか、探りを入れるべきなのである。

⑩福岡県の女性は料理が非常に上手である。

 女性と料理の関係は、地方の女性は料理が巧いが、都会に住む女性は料理が下手になる傾向が強い。福岡県は都会であるが。郷土料理が大量にあるので、女性たちは料理が上手なのである。この料理の巧さこそが福岡県の民度の高さを保障しているのである。

●美しの国「筑紫」

 古代に於いて福岡県は「美しの国」と呼ばれた。福岡県は海も山も平地も美しかったのであろう。魚介類や農産物が大量に取れたために、この美しの国は大繁栄を遂げたのである。福岡県は古代から繁栄し続けているということを絶対に忘れてはならないのだ。

「ウツクシ」→「ツクシ」→「筑紫」

 筑紫と言ってしまうと余りピンと来ないが、「筑紫」は「紫を築く」ということであり、天皇家の基盤はこの地で作られたということを言っているのである。ただ筑紫は防衛に問題があって、ここでは敵を防ぎきれないのだ。そこで「神武東征」をやってのであり、奈良盆地に首都を移すことで防衛力を強化したのである。

 そのくせ日本が中国や朝鮮と戦う時は、必ず福岡県を足がかりにして攻めて行くことになる。福岡県の人たちが中国や朝鮮に警戒していないと、もしも中国や朝鮮が日本の安全保障を脅かすことになるなら、確実に戦争することになるのである。

 だから政治に対してボサ~ッとしていることはできないのだ。

 現在の福岡県知事は「小川洋」である。彼は福岡県福岡市出身で、京都大学法学部卒であり、通産官僚を経て特許庁長官になった人物である。知事選挙の際には「県民党」の立場で立候補を表明し、見事、当選を果たしている。経験値を充分に積んだ者を知事に迎えているので、福岡県民の民度は抜群に高い。

 この福岡県の民度の高さこそが、タマティーのブログに反応しているのであろう。福岡県の女性たちならこのブログを見ざるを得ない。日々の生活で活かせることが沢山あるからだ。その反面、福岡県は歴史が充実しているので、それで冷静になって見ることができるのである。タマティーにしてみれば、実に有難い女性たちなのである。

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なぜタマティーのブログは関東地方に於いて群馬県だけに異様な人気があるのか?

●突出している群馬県

 タマティーのブログは関東地方に於いて地元の千葉県ではそんなに受けていない。「預言者は故郷では受け入られない」ものだが、そのことはブログでも変わりないのだ。正論をビシバシと言っていけば、堕落している世間の人たちは恐れをなすものなのである。

 しかしタマティーのブログは関東地方に於いて地元では受けないのに、群馬県では受けるのだ。群馬県のヒット数は常に関東地方に於いてトップをマークしている。タマティーのブログは群馬県民に受けてしまうような要素を十二分に持っていると言っていいのだ。

 関東地方を考えた場合、常に東京都を中心に考えてしまう。東京都は首都である以上、その考えは決して間違ってはいない。しかし関東地方では常に群馬県から優秀な人材が大量に輩出され、それによって日本が動かされてきたこともまた事実なのである。

 勿論、最終的には東京都を征する者が関東地方を征する。それだけでなく日本全国を征することになる。だが勘違いしてはならないのは、関東地方は一都六県からなり、神奈川県、千葉県、群馬県は非常に重要な地であるということだ。

 だからタマティーのブログが群馬県で受けているのなら、長駆して群馬県を押さえてしまった方が良いのである。群馬県を押さえてしまえば、いずれ関東地方を征服して行くことが可能になるからだ。それゆえなぜタマティーのブログが群馬県に於いて異様な人気があるのかを解明することは絶対に必要なことになってくるのだ。

●群馬県の特徴

 俺は群馬県に行ったことがない。群馬県出身の人とも会ったことがない。今回、群馬県の特徴を調べるには調べたが、なんせ現地で情報収集したわけではないので、その情報の信用度は50%程度である。そのことを踏まえてこの情報を読んで欲しい。

①群馬県ではキャベツが主食である。

 群馬県民はウサギか!? キャベツが主食になると、排便に関してはなんの問題もなくなる。キャベツには食物繊維が豊富にあるために、キャベツを大量に食べると快便になるのだ。そうやって快便の日々を送っていれば、体内の老廃物や毒素は減少して行くから、自然と病気に罹りにくくなるのだ。

②群馬県では饅頭を焼いて食う。

 群馬県民は「焼き饅頭」なる物を食う。饅頭はそのままでも美味しいが、焼き饅頭にするともっと美味しくなる。群馬県は冬になると寒いので、饅頭をこのようにして食べるように変化したのであろう。饅頭を焼く以上、薄皮ではダメで、厚皮の方が良いということになる。

③群馬県の中高生はなぜだかジャージ姿で登校して来る

 群馬県民はジャージという物を異様に好む。制服というものがあるのに、なぜだかジャージを着るのである。頂けないのが、女子高校生たちがセーラー服にジャージを組み合わせる着方をすることなのである。これはどう考えてもダサイのでやめて欲しいのだが、冬の寒さを考えずにスカートを着させる学校側にも問題があるのだ。

④群馬県民は空っ風の直撃を食らう。

 雪は新潟県で降り、群馬県では空っ風。新潟県は豪雪に泣かされるのに、群馬県となると山間部には雪が降っても、平地では余り降らない。環境としては非常に抜群である。だから関東地方の奥地なのに、多くの人々が住んでいるのである。住めば群馬県の環境は非常に良い物だと解るのである。

⑤群馬県民は麦を大量に食う。

 群馬県では二毛作による麦の収穫があったために、麦の消費量はかなり多い。麦の消費量は関東地方に於いて突出しているので、それで頭の良い人たちが大量に出て来るのである。麦にはグルテンが含まれているので、グルテンは脳の疲労物質を除去する効果があるので、脳を長時間に亘って使うことがかのうになるのだ。

⑥群馬県民は珈琲を大量に飲む。

 埼玉県は東京都民より珈琲を大量に飲む。珈琲にはカフェインが含まれているので脳を覚醒させるし、珈琲は便通を良くするので快便となるのだ。ただ欠点としては体温を下げてしまうので、肉を多く摂取して体温を上げていかないと、冷えのために病気になってしまう危険性がある。

⑦「水上」を「みなかみ」と読めないからといって平仮名表記にしたのは失敗だと群馬県民全員が思っている。

 水上市民は埼玉市民レベルになってしまったので、知能指数の高い群馬県民は水上市民のこの決断を大いに恥じているのだ。難読の市町村名は人々からちゃんと読まれないことで、逆にその市町村名に価値が出て来るということがまるで解っていないのだ。

⑧群馬県民は栃木県民を自分たちのライバルだと思ってはいない。

 群馬県民の宿敵は埼玉県である。埼玉県の川口市には「揚げ饅頭」なる物が存在するからである。「焼き饅頭」を特産品とする群馬県にすれば、これは驚異であるのだ。饅頭を油で揚げてしまうと、饅頭の栄養分はかなり破壊されてしまうのだが、油分が入って来るので美味しいと感じてしまうのである。

⑨群馬県は長野県とは一切交流がない。

 長野県民は付き合いが非常に悪い。群馬県と長野県は隣接しているのだから交流すればいいものを、長野県民の側から拒否されてしまうのである。しかも戦国時代には信濃の国から武田軍が侵攻してきたので、長野県に対する防衛をきちんとしておかないと、侵略される可能性があるのである。

⑩群馬県民はすぐ近くでも自動車を使う。

 群馬県は車社会なので、すぐそこに行くのにも群馬県民は自動車を使うのである。こんなにも自動車を使うために群馬県民の足腰は弱っているのである。だから群馬県民は意外と体力がない。群馬県民と長野県民を比べると、群馬県民の方が短命なのはこれも原因の1つなのである。

●群馬県の県民性

 群馬県民の県民性は「カラッと陽気」「気性が荒い」「義理と人情を重んじる」である。この県民性を見ればすぐに解るが、群馬県はそれほど文化レベルが高いというわけではないのだ。いい意味で「粗野な部分」を残しているのである。この粗野な部分をどう評価するかで、群馬県民への評価がガラリと変わってしまうのである。

①カラッと陽気である。

 群馬県民がカラッと陽気なのに麦の消費量が高いからである。気候的には関東地方全域はほぼ同じなのであるが、群馬県民だけがなぜだか陽気なのである。これは白米の消費量が少なく、麦の消費量が多いからなのである。東京都民が憂鬱そうにしているのは白米を食い過ぎているからである。

②気性が荒く、言葉遣いも荒い。

 その一方で群馬県民は気性が荒い。気性が荒いからこそ言葉遣いも荒い。こういうことが起こるということは文化レベルが低いということなのだが、気性が荒いということは粗野な部分を大量に残しているということなのであって、時には蛮勇を発揮して、普通の人たちではなしえないことを成し遂げてしまうのである。

③義理と人情を重んじる。

 東京都民の方は既に義理と人情が廃れてしまったが、群馬県民はそうではない。江戸時代ばりの義理と人情が生きているのである。群馬県民は遅れているといえば確かにそうかもしれないが、古き良き日本の伝統を維持しているといえば、その通りなのである。

 群馬県民の県民性への評価は2つに分かれると思う。粗野な部分を良しとsるか、それとも文化レベルを低いことを指摘してしまうかだ。群馬県が関東地方の1つの県でありながら、文化に対して充分な配慮をしてこなかったことが、こういう事態を招いてしまったのである。

●群馬県の女性たちの基本的性格

 群馬県民の女性の性格は男性の性格とはかなり違う。これだけ男性たちが粗野なら、女性たちがなんとかしてそれを引き留めない限り、どうにもならないのだ。そのくせ群馬県が良妻賢母の産地などとは聞かない。ということは女性も粗野だということになる。

①群馬県は美人が最も少ない。

 群馬県は美人の産地ではない。群馬県の女性たちがブスということではないが、美人になるような条件が全然揃っていないのだ。空っ風が直撃するために、どうしても顰めっ面にならざるを得ない。そうなれば美人になることはできないものなのである。

②気が強く活発な女性が多い。

 群馬県の女性たちは気が強い。美人ではないかがゆえに、どうしても男性たちからチヤホヤされないのだ。気が強いということは活発であるということであり、このため群馬県の女性たちは働きまくることになる。しかしそうやって働いてしまうと文化の担い手たちが減少し、それでいつまで経っても粗野な部分が解消されないのである。

③優しく情に脆い。

 群馬県の女性たちだって女性である以上、誰かに愛情を注ぎたい。このためちゃんとした形で人間関係を築くと、優しく情に脆いという側面を見せてくれるのである。こういうことは気が強いという面ばかり見ていると見えなくなくなってしまうものなのである。

④うどんを食べさせないと、セックスに応じない。

 群馬県の女性はうどんが大好物である。うどんこそ御馳走だと思っている。だからセックスしたい時は女性にうどんを食べさせてしまえば、セックスに応じてくれるのである。群馬県ではデートにうどんを絡ませるのは絶対に必要なのであって、うどんのないデートは価値がないのだ。

⑤自分を滅茶苦茶にしてくれるセックスに弱い。

 群馬県の女性は美人ではないし、気が強いので、男性の方は乗り気ではないし、いざセックスをしようとしてもそこに持ち込むまで大量のエネルギーを使ってしまうので、肝腎のセックスがイマイチな物になってしまう。しかも群馬県の男性たちはすぐに自動車を使うので足腰が弱っており、それで激しいセックスができないのだ。

 そこで他県の男性なら群馬県の女性に対して時間をかけて接触し、いざセックスになった時、相手を滅茶苦茶にしてしまうほど激しいセックスをすると、相手の女性は大満足してしまうのである。逆に言えばセックスで征服しない限り、群馬県の女性は従順にならないのだ。

⑥結婚するとカカァ天下を実現しようとする。

 群馬県では「カカァ天下」が当たり前である。このため群馬県の女性は結婚するとカカァ天下を実現しようとしてくる。これだからこそ群馬県の文化レベルは上がらないのだが、それでも自分の母親も祖母もこれをやったきたというのなら、どうしてもそれをやってしまうのである。

⑦母性本能をくすぐられると非常に弱い。

 カカァ天下は男性にとって立場のないものだが、とはいってもいい所もある。それはカカァ天下では妻の母性本能が強くなり、母性愛を大量に出して来るということなのである。これはこれで良いことなのであって、だからなかなか変えられないということなのである。

⑧群馬県の女性は結婚すると、急速にオバサン化する。

 群馬県の女性はお洒落に余り気を使わないので、結婚すると急速にオバサン化してしまう。お洒落をするより仕事ということだから、これではどうにもならないのだ。女性が仕事をしまくることは、女性らしく生きることができないということなのである。

⑨群馬県の女性は美肌率では全国最下位である。

 群馬県の女性は美肌に関心がない。その関心のなさが、美肌率で全国最下位という結果を引き起こしてしまっている。隣接する新潟県には美肌を持つ女性たちが大量に存在していることを考えると、この事態は余りにも異常すぎるのである。

⑩群馬県民は趣味の悪いパンティーを穿く確率が非常に高い。

 仕事をし過ぎてしまうために、女性として肝腎な所にお洒落をしていないのだ。女性はパンティーを穿くとどうしても汚してしまうので、パンティーは消耗品である。それなのにパンティーを長々と使用していれば、流行遅れのパンティーを平気で穿くということをしてしまうものなのである。

●「フサの国」と「ケの国:の戦い

 はっきりと言ってしまえば、タマティーのブログがなんで群馬県の女性たちの関心を引くのか全く解らない。少なくとも群馬県の女性たちは魅力的ではない。こうなると個人的にどうのこうのより、群馬県と千葉県というより大きな視点から見ないと解らないのかもしれない。

 古代に於いては、利根川より下の地域を「フサの国」と言ったらしい。

 「フサの国」とは「稲の房」のことであり、ここでは大量のお米が取れたのである。尤も「フサの国」で最も豊かだったのは千葉県であり、事実、日本武尊が東国遠征にやってきた時は、神奈川県では通過しただけで、東京湾を船で渡って千葉県に来ている。千葉県を押さえてしまえば、「フサの国」を全て支配することができたのである。

 「分割して統治する」というのが統治の鉄則だから、大和朝廷は最終的にフサの国を五分割した。

「フサシタ」→「ムサシ」→「武蔵」

「フサカミ」→「サカミ」→「相模」

「シモツフサ」→「シモウサ」→「下総」

「カミツフサ」→「カズサ」→「上総」

「アワツフサ」→「アワ」→「安房」

 利根川より上の地域を「ケの国」と呼んだ。「ケの国」とは毛人たちがいた地域である。毛人とは「縄文人」のことで、未だに竪穴式住居に住んでいたのである。大和朝廷はこの毛人の討伐には結構手を焼いて。ここでも「ケの国」を分割させている。

「コウヅケ」→「上野」 群馬県 

「シモツケ」→「下野」 栃木県

 当然のことながら群馬県の方が毛人たちの中心地であるのだ。だから未だに粗野な部分を残していると言っていい。因みに漫才コンビの「U字工事」のネタは身内の争いのネタなのであって、歴史を踏まえて彼等の漫才を聞くと実に面白いのである。

 関東地方では茨城県は特別な存在である。

「ヒタチ」→「常陸」 茨城県

 利根川より上の地域で茨城県だけが別格の扱いをされているのだが、これは神代の国譲りの際にタケミカズチが茨城県まで攻め込んできて、ここで死んだからなのである。茨城県には神代から天孫族が住んでいたということなのである。

 こういう歴史が解ると、千葉県は「フサの国」の代表であり、群馬県は「ケの国」の代表であるのだ。だから千葉県でタマティーのブログが生まれると、群馬県の女性たちはすぐさま反応してきたのである。関東地方は東京が中心だと思っていると、とんでもない勘違いを引き起こしてしまうのである。

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年の差結婚はなぜはやる?

●男女の成長スピードの違い

 女性は男性よりも早くに成長していく。女性は早くに子孫を残して行こうとするので、男性よりも心身が早く成長するようになっているのだ。男女ともに肉体的にはピークが19歳なのだが、男女は精神的には10歳も差があると見ていい。女性は19歳でもう一人前の大人だが、男性は30歳になってやっと一人前の大人になるのである。

 女性の人生を考えるのであるなら、19歳で結婚してしまうのが最善なのである。このことは社会がどのように変わっても変動しない。女性の心身がそうなっているからだ。次善の策としては26歳から33歳の結婚適齢期内に結婚することであって、33歳を過ぎても結婚しないというのはどう考えても不利になってしまうのである。

 男性の人生を考えるのなら、男性は30歳にならないと一人前の大人にならない以上、早すぎる結婚は控えた方がいいのであって、結婚は30歳以降にするのが最善なのである。30歳前に結婚してしまえば、どうしても結婚生活のためにエネルギーを奪われてしまい、肝腎の自分に充分なエネルギーを注げなくなってしまうからなのである。

 男女の成長スピードの違いを考えると、同い年の男女が結婚するのが主流なのではなくて、結婚は「年の差結婚」こそが主流になるべきなのである。結婚を放置しておけば、自然と年の差結婚の比率が半数に達する筈なのである。それほど年の差結婚は男女にとって理想的な結婚であるということなのである。

 学校や大学に行けば、自然と同級生と恋愛をするようになる。そしてそういう恋愛こそが恋愛なのだと思い込んでしまうのだが、それはまんまと洗脳されただけのことなのであって、学校や大学は「閉鎖空間」なのであって、そこで行われた恋愛を本物の恋愛などと勘違いしてはならないのだ。

●年の差結婚の利点

①精神的に釣り合う

 年の差結婚の最大の利点は男女共に精神的に釣り合うということなのである。10歳以上も年が離れていれば、互いにもう一人前になっているので、それで精神的なトラブルがなくなり、結婚生活を楽しく行うことができるのである。

 結婚が破綻してしまうのは、結婚相手が精神的に大人に成り切れていないことが最大の原因なのである。子供の頃に幼稚なことを幾らやってもいいが、大人になるにつれてそういう幼稚な部分を切り捨てていかないと、いざ夫婦で何かしようと思っても出来なくなってしまうものなのである。

②収入の面で圧倒的に有利

 男性の収入は35歳前後に急上昇し始める。就職して10年以上経ち、自分がやっている仕事に関して知識と技術が充分に身に付いたからこそ、ちゃんとした仕事をすることができるようになり、それで収入が急上昇して行くことになるのである。このため年の差結婚は収入面で圧倒的に有利となるのだ。

 女性の方もM字曲線を巧く使うことができ、独身時代に働き、結婚後は家事と育児に専念して、子育てがひと段落すれば職場復帰できるのである。M字曲線で苦しいのは、女性の方が働いていない時期に収入が減ってしまうということであり、それを年の差結婚では夫が巧くカバーしてくれるのである。

③熟練の性愛術と満足行く性生活

 男性は20代だとどうしても性欲が激し過ぎて性愛術が下手ということになってしまう。しかし30歳を過ぎれば性欲も低下してくるので、それで性愛術を磨くことができるようになるのだ。そうなるとセックスに於いて熟練した性愛術を使って行くことができるようになるのである。

 女性は40歳以降、「熟女」になるのだが、実を言うとこの40代の時期こそ性欲が最も高まるのである。このため夫が性愛術に関して巧くないと、満足いく性生活を送ることができなくなってしまうのである。この点、年の差結婚だと、夫は性愛術が巧いので、熟女の時期を巧くやりすごすことができるのである。

④女性は妊娠可能な時期に確実に結婚できる

 年の差結婚が女性にとって有難いのは、妊娠可能な時期に確実に結婚でき、赤ちゃんを生み育てて行くことができるようになるということなのである。女性が仕事に追われているようでは、結婚どころではなくなってしまう。しかし女性の体はいつでも赤ちゃんを産み育てることができるようにはなっていないので、妊娠可能な時期を逃してしまえば、赤ちゃんを産むことができなくなってしまうのである。

 女性の出産率は結婚率と正比例の関係にあり、だから男性が若い女性に結婚したいと思わせるような何かがあれば、女性は結婚して赤ちゃんを生んで来るのである。そのためには男性自身が「力」を持たねばならないのであって。だから30歳を過ぎてから結婚した方が圧倒的に有利になるのだ。

⑤男性は仕事で成功確率を大幅に上げることができる

 大体、男性は自宅に若い女性がいれば、その若い女性を大事にしようとする。男が女を大事にするためには仕事をしまくり、思いっきり稼いでこなければならない。そうなると仕事の成功確率が大幅に上がるのであって、真面目に仕事をやっていれば、ほぼ確実に成功できてしまうものなのである。

 男性が30歳を過ぎてから、あちこちの女性たちに手を出していれば、仕事に集中できなくなってしまう。若い時は女遊びをしまくっても別に構わない。しかし30歳を過ぎたら結婚して身を固め、仕事に全力を投入できるようにしておかなければならないのである。結婚すれば仕事で成功するとは限らないが、結婚しておいた方が仕事は成功し易くなるものなのである。

●年の差結婚の欠点

 年の差結婚で良く誤解されるのが、

「年齢差があるから会話が続かないんじゃない?」

と思われていることなのである。年の差結婚をしている夫婦で、会話が続かないということが起こっている夫婦はまずない。それどころか会話は盛り上がっているのだ。寧ろ年齢が近い夫婦の方が年を取ると会話が消えてしまう傾向にある。

①妻に体力低下の怖さを理解して貰えない

 年の差結婚で最大の欠点が、妻に体力低下の怖さを理解して貰えないということなのである。如何なる男性であっても、35歳を過ぎれば体力は低下するものなのである。もうこの時期になれば、若い時のように無茶な生き方をやめて、安全な生き方に変えていかなければならなくなるのである。

 健康を維持するためには規則正しい生活が必要なのであって、そのためにはなんと言っても早寝早起きをすべきなのである。しかし妻がそのことを理解せず、夜更かしや朝寝坊をするようであるなら、その結婚を保つことは非常に困難になってくるのだ。

②恐らく夫の方が早く死ぬ

 年の差結婚の悲しい現実が、恐らく夫の方が早く死ぬということなのである。このため幾ら年の差結婚が良いからといって、余りにも年齢が離れすぎるのは問題があるのだ。どんなことがあっても、年齢差が30歳を超えるようなことがあってはならない。妻が熟女の時に未亡人になれば、相続で大いに揉めることになってしまうのである。

 男女の平均寿命は7歳差なのだが、これは女性の生理期間の合計数と一致していると言われている。だから年の差結婚をした場合、夫には献血をさせた方がいい。夫の血を定期的に抜いておけば、夫はその分だけ長生きするのである。

③妻はファザコンの可能性がある

 年の差結婚では夫は逞しいのだが、妻はファザコンになる危険性を常に持っている。妻にはいい父親がいたからこそ、自分はお父さんのような男性と結婚したいと思うようになり、それで年上の男性と結婚したのである。結婚の際に巧く自立ができればいいが、もしもそれに失敗してしまうと非常に厄介なことになるのだ。

 ファザコンの女性は結婚すると夫のことを「パパ」「お父さん」とか呼んでしまい、なんでも夫に頼って来ることになる。夫は年上である以上、頼られればその頼み事をこなしてしまうものだが、そういうことをやっていると余計に妻は頼って来るようになるのだ。

 妻が夫に頼り過ぎてしまえば、妻の能力が向上せず、もしも夫がいなくなってしまえば何もできなくなってしまうことになる。良くあるパターンが、夫がいる時はその家族は繁栄していたのに、その夫が死んでしまうと、途端に家運が傾いてしまうというものだ。妻にその家族を支えるだけの力がなかったために、夫の死後、家運を傾けてしまうというヘマをやらかせてしまうのである。

●年の差結婚の社会的効用

①経済的に豊かな男女が結婚できて、結婚によって更に裕福になってしまう。

 年の差結婚の社会的効用の筆頭は「経済的に豊かな男女が結婚することによって、結婚によって益々豊かになってしまう」ということなのである。豊かさは更なる豊かさを生むのであって、結婚による富の増大という現象が確実に起こって来るのである。

 国民を豊かにするためには、男女の全てに労働させるより、結婚によって労働できなくなる女性たちを生み出してしまった方がいい。結婚によって協業と分業を生み出せば、自然とその夫婦は豊かになっていくものなのである。専業主婦は消費と投資を専門に行うがゆえに、自分たちの家族を劇的に豊かにさせて行ってしまうのである。

②確実に国民の質が向上してしまう。

 年の差結婚をした夫婦には精神的物質的に充実した家庭で子供たちが育って来ることになる。こうなると育ちがいいので、自然と優秀な人材が誕生して来ることになる。当然にこれによって国民の質が向上してしまうことになるのだ。

 国民の質を決定づけるのは、誰がなんといおうとも家族にこそある。家族が家族として機能していないのなら、碌でもない連中が育って来るのは当たり前のことなのである。年の差結婚では家族が機能し易いので、それで優秀な人材が育って来るのである。

③若い男性たちが結婚できなくなる。

 年の差結婚が余りにも増えてしまうと、年配の男性たちが若い女性たちを取ってしまい、若い男性たちが結婚できなくなってしまうという弊害が出て来る。事実、結婚しないどころか、女性に興味を持たない若い男性たちまで出現しているのである。

 国民の生存確率を高めるためには、20代で結婚する男性たちの存在が絶対に必要である。年の差結婚の比率は50%以内に留めるべきであって、20代で同い年の女性と結婚する男性の比率を高めておく必要性があるのだ。みんなが同じことをしてしまえば、全滅ということも有り得るのである。

④40歳以上の女性たちに売れ残りが出て来る。

 裕福な男性たちは当然のことながら妊娠可能な女性と結婚しようとうするのであって、そうなると33歳を過ぎると途端に相手にしなくなってしまう。33歳を過ぎた女性たちは仕事に集中してくるから、そうなるとあっという間に40歳になってしまい、行かず後家が本格化してしまうのである。

 行かず後家の問題は放置しておくと非常に危険である。自分が結婚していないために、フェミニズムに洗脳されてしまい、日本は男社会だから間違っていると言い出して来てしまうのである。間違っているのは結婚できなかったお前の方なのだが、行かず後家はそのことが解らず、社会改造を躍起になってやろうとし出して来るのである。

⑤結婚できない者同士が無理矢理に結びついてしまう。

 婚期を逃した女性はいずれ、魅力的な男性たちは全てとっくのとうに結婚しているという事実に気付くことであろう。そうなると今度は一転して若い男性たちの方に目を向け、そこでまだ成熟していない若い男性と付き合い、結婚してしまうのである。

 結婚できなかったのなら、結婚しない方が良いのである。

 結婚できない同士が結びつけば、結婚してもまともな夫婦関係を築けないから、子供を産むことができない。そうなると子供のいない夫婦が増加してしまうことになる。これはこれで結婚を価値を引きさ下げてしまう行為になるので、こういう結婚ならない方がマシなのである。

 このように見ていくと、年の差結婚は年の差結婚だけありさえすればいいというのではなく、同い年で結婚する物も必要になってくる。それと同時に結婚できない人たちには結婚をさせない方が良いのである。自由結婚にしているからこそ結婚に様々な弊害が出て来ているのであって、結婚には制限を設けてしまった方が、結婚制度を正しく機能させることができるようになるのである。

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