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2014年4月

宮崎県の不都合な現実

●宮崎県は非常に恵まれた県である

 宮崎県は非常に恵まれた県である。神武天皇が東征に出発した所なので、神代から人が住んでいたということであり、歴史が奥深いのである。それに自然は豊かで、食料も大量に取れる。県民の民度は高く、人材は多士済々である。

 「海が東で陸地が西だと栄える」と言われている。日本だと神奈川県とか徳島県とかがそうで、こういう地形は人々が住み易いので、人口は確実に増え、経済成長を繰り返して行くことになるのだ。宮崎県もこの条件を満たしているので、住んでみれば非常に住み易い。だから東京から宮崎県に移住する人たちまで出て来るのである。

 宮崎県の日照時間は全国第1位である。道理で果物が大量に取れ、しかもその果物が美味しいわけである。雪国のように冬の間は太陽光を浴びることができない人たちからみれば羨ましい限りなのである。日照時間不足から来る鬱病とは無縁であろう。

 しかし宮崎県の総県民所得は3兆円ほどで、全国第36位なのである。下から数えた方が早い貧乏県であるのだ。ただ宮崎県は第一次産業が盛んであるために物価が安いので、実質的には低所得であっても豊かな生活ができてしまう。だから総県民所得の低さの割には民度が高く、人材が大量に出て来るのである。

 宮崎県民自体、今の宮崎県の満足していない。その現れが東国原英夫を宮崎県知事にしたことであろう。確かにこれで宮崎県は有名になったが、彼が知事を務めていた時に口蹄疫が流行して大打撃を受けたことも事実である。現在の宮崎県知事は河野俊嗣であり、なんと広島県出身であり、東京大学卒で自治省の官僚だった人である。典型的な天下りである。宮崎県は民度が高い筈なのに、県民から県知事を輩出できないという異常事態に陥っているのだ。

●宮崎県の県民性

①宮崎県の男性の特徴

 宮崎県の男性の特徴は「おっとりとしている」と言われている。事実そうであろう。気性の激しい男性が宮崎県民であるとは想像できない。この「のんびり感」は宮崎県が食料豊かな場所だからなのであって、子供の頃から食べ物に恵まれてきたので、それでおっとりとしてしまうのであろう。

②宮崎県の女性の特徴

 宮崎県の女性の特徴は「気が強く負けず嫌い」であると言われている。男性がおっとりとしているのだから女性もそうだろうと思ってしまうが、事実はまるで逆なのである。男性の性格が穏やかな分、女性が前にしゃしゃり出てしまうのである。

 因みにファッションモデルの「蛯原友里」は宮崎県出身である。道理で気が強く負けず嫌いなわけである。宮崎県の女性が東京に出て来ると成功し易いかもしれない。競争に勝ち抜いて行くことができるからだ。それと同時に東京の女性が宮崎県に行くと、理想的な男性を見つけることができることであろう。のんびりとしているので、自然と女性に優しくなれるのである。

 宮崎県民の県民性自体は決して悪いものではない。実際に宮崎県に行って宮崎県民と会ってみれば、その人柄の良さに惹かれることであろう。しかし当の宮崎県民は自分たちの県民性を悪用しているといっても過言ではない。それが如実に現れるのが「酒とパチンコ」である。

 宮崎県民は男女問わずお酒とパチンコが大好きで、なんと、

 アルコール消費量 全国第4位

 飲み屋の件数 全国第2位

 パチンコ屋の数 全国第1位

である。宮崎県の人口が110万人しかいないことを考えると、この数値は異常である。大したお金もないくせに、お酒を飲みまくり、パチンコに興じているのである。県政をどうするか以前に、自分の生活が正すべきであろう。

●宮崎県にとっての不名誉な数字

 宮崎県には不都合な現実が存在している。

 離婚率 全国第5位

 父子家庭 母子家庭の数 全国第2位

である。女性の気が強いために、すぐに離婚してしまうのであろう。そのくせ再婚せず、それで父子家庭や母子家庭が異様に多いという事態を引き起こしてしまうのである。父子家庭や母子家庭が多ければ多いほど、地方自治体の負担が増えて財政を悪化させてしまう。それにどうしても文化レベルが上がっていかない。

 女性の気の強さは女性の社会進出が盛んということになるのだろうが、それは結婚をした上でやる分にはなんの問題もないが、結婚を破壊してまでやると途端に問題が出て来てしまうのである。離婚すれば真っ先に犠牲になるのは子供たちなのである。

 それだけでなく離婚した女性自身にも損害を与えており、

子宮癌死亡者数 全国第2位

である。この数値は飽くまでも「数」であって、人口を踏まえて「率」に換算すると全国第1位になってしまう。子宮癌は結婚して安全な性生活を送っていれば罹りにくいものだが、離婚して淫らな性生活を送っているといとも簡単に罹ってしまうものなのである。

 トドメは、

女性自殺者数 全国第2位

である。女性の気の強さは最終的に自殺することで終結するのであろう。これも「数」であって、人口を踏まえて「率」に換算すると全国第1位になってしまう。新潟県の場合、自殺者数で全国第1位でも、白米の過剰摂取という条件が存在している。しかし宮崎県にはそういうことがないので、本当に気の強さが死に致らしめているのである。

 「宮崎をどげんかせんといかん!」と東国原英夫は宮崎県知事であった時に言ったが、どうにかしなければならないのは宮崎県民の方であろう。特に宮崎県の女性たちがその気の強さを抑えることをしないと、女性として不幸な人生を歩み、最終的には命まで奪ってしまうことになるのである。

●実は白血病多発地帯

 宮崎県の女性たちがなんでこうまで気が強いのかというと、それは男性のおっとりとした性格に対抗するためではない。それにはちゃんとした理由が存在するのである。宮崎県では県民たちが間違ったことをやっているからこそ、女性たちの気が強いということが起こってしまうのである。

 宮崎県は牧畜業も盛んで、

肉用牛の飼育数 全国第1位

である。「えッ、北海道じゃないの?」と思ってしまうものだが、実はそうではないのだ。宮崎県は日照時間が長いために、牧草が実に良く生えて来るのであって、それに対して北海道はただ牧場が広いだけであって、牛に与える牧草が少ないのである。

 勿論、宮崎県で生産される肉は全国に輸出されることになるので、宮崎県民がその全てを消費するということはない。しかし宮崎県民は肉料理を好むので、それで肉の消費量も多いのである。それで一体どうなったかというと、或る難病が大量に発生していたのである。

白血病死亡者数 全国で第5位

 これも「数」であって、「率」に換算すると恐らく日本でトップであろう。宮崎県は白血病の多発地帯であったのである。なんで宮崎県で白血病がこんなにも多発しているのかとえいば、それはやはり肉の消費量が多いということが関係している。

 人間は本来「果実食動物」なのであって、その進化の過程で肉を食ったに過ぎない。ところが人間の体はまだ肉食に完全適用できていないので、それで肉を食べ過ぎてしまうと、癌や白血病を引き起こしてしまうのである。肉は動物性蛋白質を大量に含んでいるので、それはそれで人体にいい効果を引き起こすのが、その反面、病気を発症させるというネガティブな面も持っているのである。

 しかも肉と穀物の組み合わせは最悪であって、内臓は炭水化物である「穀物」の方を優先して消化吸収するので、その間、肉は小腸や大腸に滞留してしまい、それでアミン類という猛毒を発生させて来るのである。これが多くなってしまうと、癌や白血病になってしまうのである。酒はそれ以上に危険で、酒のために消化吸収が進まず、それで癌や白血病に罹るリスクを極限にまで高めてしまうのである。

 更に宮崎県は気温が高いのでただでさえ体温は高くなる。そこに肉を食ってしまうと陽性が強くなり、それで女性は気が強くなるのである。宮崎県の女性の気の強さは肉を食い過ぎているからなのである。宮崎県の男性は明らかに食事過剰なのであって、それでおっとりとした性格になってしまうのである。

●宮崎県民には絶対にお勧めしたい「断食」

 俺が宮崎県民に絶対にお勧めしたいのは「断食」である。断食をすることで食事過剰にブレーキをかけ、体内の老廃物や毒素を排出させてしまうのである。宮崎県のように食料が豊富な場所なら、月に1度は本格的な断食をした方がいいのである。

 特に肉料理を食べた翌日は断食をして、体内の老廃物や毒素を早目に輩出してしまうことだ。完全断食でなくても、フルーツ断食にしてしまい、朝と夕の二回だけフルーツを思う存分食べる。これをやると内臓を休ませることができるので、それで癌や白血病に罹るリスクを思いっきり下げることができるようになるのである。

 それと男性には「禁酒」を勧めたい。飲酒さえしなければその分だけ活動する時間に充てることができるので、そんなおっとりとした性格にならなくて済むようになるのだ。もしもお酒を飲む時は節酒を心がけ、ベロンベロンに酔っぱらうまで飲酒をすべきではないのだ。

 女性には冷水シャワーをお勧めしたい。気が強いというのはエネルギーを効果的に出していないということなので、冷水シャワーを浴びて体の火照りを取ってしまうと、気の強さがなくなり、それでエネルギーを効果的に使えるようになるのだ。

 宮崎県で口蹄疫や鳥インフルエンザが発生したりするのは、それだけ宮崎県民が肉を食い過ぎているということなのである。神様が「そんなに肉を食うな」と警告を発しているのであって、謙虚になって神の声を聞き入れた方がいい。決して肉食をやめる必要性はないが、肉食をするなら断食を組み合わせることが絶対に必要なのである。

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憎悪の連鎖

●人間にとって最も強い感情は「憎悪」

 人間にとって最も強い感情は「愛」ではない。「憎悪」である。人間は何か自分が憎むべき対象を持ってしまった時、少し憎むのではなく、激しく憎んでしまうものなのである。憎悪は暴走するように出来ているのであって、一旦暴走し始めたら止まらなくなってしまうのである。

 憎悪はそれ自体厄介な物なのに、憎悪はナガティブなエネルギーを生み出すからこそ、多くの人たちは憎悪の感情を持ってしまうのである。自分が何か不当な目に遭った時、泣き寝入りするのではなく、憎悪の感情を持つことでその状態を打開していく。憎悪は使い様によっては利益を齎すものなのである。

 しかし「憎悪は憎悪を呼ぶ」ことになる。この世は因果律が組み合わさって出来ているものだから、自分が憎悪を持って何かをすれば、相手も憎悪を持ってやり返して来ることになるのだ。こうなると憎悪の撃ち合いになってしまい、どちらかが死に絶えるまで戦いは終結しなくなってしまうのである。

 憎悪の感情では出来る限り持たない方がいい。もしも憎悪の感情を持たねばならぬ時はその扱いに慎重になるべきなのである。確かに憎悪はネガティブではあってもエネルギーを生んでくれる。だがそのエネルギーは危険な物なのであって、余りにも長く持ち続けていれば、自分を確実に不幸にさせてしまうものなのである。

 「憎悪は他人のためにならずだけではなく、憎悪は自分のためにもならず」ということを絶対に忘れてはならないのである。憎悪の撃ち合いになった時、負けたら悲惨なことになってしまうし、たとえ勝ったとしても代償はかなり高い物になってしまうのである。

●憎悪を消滅させるのが宗教の役割

 大概の宗教というものは、憎悪の連鎖が起きないように、それなりの措置を取れるように配慮してある。人間は憎悪の感情を持ってしまうものだから、憎悪を消滅させるのが宗教の役割であり、人々は宗教を使って憎悪を消滅させ心を穏やかな物にしていくのである。

①仏教

 憎悪に対して最も明解な処理方法を持っているのは仏教であろう。仏教の場合、憎悪は「煩悩」に該当するので、仏教の定めた手続きに従って憎悪を処理していけば、憎悪は消滅するようになっているのである。仏教徒が四諦八正道をちゃんと理解していれば、憎悪を持つことがなくなるのである。

②神道

 神道の場合、憎悪によって不幸を齎すのは「罪」や「穢れ」に該当するので、罪を償ったり、お籠りや断食をすることをしたりして穢れを祓って行くことになる。大概、憎悪を激しく持つ人は肉食過多になっている場合が多い。だから断食は効果的であって、断食をすると憎悪が消滅し、心が平安な物になるものなのである。

③キリスト教

 キリスト教の場合、「汝の敵を愛せよ」ということになる。キリスト教では神は愛と考える以上、キリスト教徒は本物のキリスト教徒であるならそのキリスト教徒は神の愛に満たされるものなのであって、そうであるなら憎悪の感情を持つことはないのである。だから本来なら憎悪すべき敵であっても、愛してしまうことになるのである。

 憎悪は感情の産物だから、ユダヤ教やイスラム教のような戒律重視の宗教だと、憎悪を消滅させる物を持っていない。このためユダヤ教徒もイスラム教徒も一旦憎悪を持ってしまうと、相手が死ぬまで憎悪を持ち続けることになるのである。こうなってしまうと、宗教弾圧や宗教迫害を受ける危険性を思いっきり高めてしまうのである。

●信仰があっても宗教を理解しない人たち

 ところがまともな宗教は憎悪を消滅させる筈なのに、信仰も感情に立脚するために、信仰を持ってしまうと信仰によって憎悪を正当化してくることをやるようになってしまう。こうなると教団挙げて憎悪を剥き出しにしてくるので、とんでもない事態を引き起こしてしまうことになるのである。

 人々は通常、何か信仰を持っていれば、「敬虔」であると思ってしまう。しかし信仰は飽くまでも合理的な内容を信仰するなら価値がある物なのであって。合理性のない物を信仰すればそれは非常に厄介な物になってしまうのである。

 キリスト教の場合、信仰する内容が非合理的な物になっているので、それで愛を唱えながら汝の敵を憎悪しまくるキリスト教徒たちが大量に出て来ることになるのである。愛と憎悪は絶対に矛盾する。それでもその絶対矛盾に気付かなくなってしまうのである。

 「信仰義認説」は「憎悪義認説」に転化しうるものなのである。信仰も憎悪も感情に立脚している以上、信仰も憎悪もそれ自体はまるで違うものなのに、根が一緒であるために敬虔な信仰がちょっとしたことで激しい憎悪に変わってしまうものなのである。

 だからどこかの宗教団体に所属して、熱心に信仰している筈なのに、何かを激しく憎悪をし、それによって不幸が発生するということが起こってしまうのである。その不幸は自分が招いたものなのに、憎悪によって怒り狂っていると、「相手が悪い!」「相手が悪い!」と騒ぎ出して収拾が着かなくなってしまうのである。

●もしも無宗教なら

 宗教というものは信仰を強調し出すと危険な物になってしまうのだが、だからといって宗教を否定し、無宗教になれば、自分が憎悪を持ってしまった場合、その憎悪を全く処理できなくなってしまう。憎悪の炎は一旦火がつくと死ぬまで燃え続けるものなのである。

 無宗教の人は神に絶対服従していないから、「何事も自分の思い通りになる!」と思い込んでいる。しかしこの世は自分の思い通りにはならないものなのであって、そうなると特定の人物だけでなく、社会に対しても憎悪を持つようになってしまうのである。

 自分が憎悪を持っている以上、相手が変わってくれれば、社会が変わってくれればとあれこれ行動を起こすのだが、何をやっても巧く行かない。憎悪に基づいた行為だから、その内、相手だって憎悪を持ち出すだろうし、社会だって憎悪による反撃を仕掛けて来るものなのである。

 宗教心があるなら憎悪による不幸が起これば何かしらの対処を取るものなのだが、無宗教であるなら憎悪を消滅させるものが何もないから、終生憎悪し続けることになってしまうのである。「俺は絶対にくたばらない!」「私は絶対に諦めない!」と死ぬまで言い続けるものだが、その者が死んくれると、皆がホッと安堵することになるのである。

 無宗教になるのは勝手だが、無宗教の人が憎悪の怖さをまるで解っていないのである。自分が憎悪の炎を燃え上がらせれば、確実に自分を不幸にしていくことになるだけでなく、そうやって自分が憎悪の感情を持っていれば、相手だって憎悪の感情を持ってしまい、結局、自分に悲惨な事態が発生してしまうことになるのである。

●神様はちゃんと見ている

 憎悪は自分の感情ゆえに、自分で処理して行くしかない。まずはなんといっても「宗教」を使って憎悪を消していくべきなのである。自分がその宗教を奉じても憎悪が消えなかったのなら、その宗教はインチキということなのである。そういう時は解った時点で脱会すべきなのである。

 もう1つの方法はきちんと法的措置を取り、自分に損害を齎してくれたことに対して、それなりの賠償をして貰わなければならないのである。憎悪は賠償金を貰って消えるものではないが、賠償金を貰うことで紛争を解決するというのは、社会の大事なルールであるのだ。

 自分がこの世で勝手気儘に生きるより、神様はちゃんと見ていると思って生きた方がいい。自分に何かしらの不幸が発生した時、それをどう処理していくのかを神様はちゃんと見ているのであって、正しい処理の仕方をすれば解決していくことができるものなのである。

 神様はちゃんと見ている以上、この世には「憎悪の塊になっている人がいる」ということを知っておくべきであろう。そういう人は自分が敢えて何かをしなくても、いずれ神様が天罰を与えて死滅させてくれるのである。相手が憎悪の塊になっているからといって、自分もそれに対応して憎悪の塊になるべきではないのである。

 日本民族のように「和」を民族精神の1つに掲げる民族は常に神様から祝福を受け続ける存在なのである。だから悪戦苦闘しながらも最終的には勝利して行くのである。その一方でこの世界には、「恨み」を民族精神に掲げる邪悪な民族もいるのである。そういう邪悪な民族は神様の祝福を得ることがないから、常に不幸が起こり続けるのである。

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『聖書の世界』 ~『聖書』を理解するための必須アイテム~

●読むのに1ヵ月、理解するのに10年かかる本

 この世には読むのに1ヵ月、理解するのに10年はかかる本がある。大概の本は一日以内で読めてしまうものだし、一読してしまえば理解できるものだが、そうはいかない本というものが存在する。それが『聖書』であって、『聖書』を普通の本の感覚で読んではならないのである。

 『聖書』は1人の作者が作ったのではなく、多数の作者たちが作った物を寄せ集めた本である。普通の本ですら、作者が複数になると読みにくい物だが、『聖書』はその読みにくさが最大化しているのである。1つの巻を1日かけて読んで行くくらいの慎重さが必要となってくる。そなんことをやれば時間がかかってしまうものだが、この場合、仕様がないのである。

 『聖書』は歴史書ではない。そのため『聖書』に関連する歴史を調べるために大量の書物が必要になってくる。これが実に厄介で、ユダヤ民族の歴史を理解するためにはかなりの書物を必要とするのだ。それに古代エジプトやら古代メソポタミヤの歴史も関わって来るので、更に多くの書物を必要とすることになる。

 『聖書』を読むのに何かいい副読本はないかと探していた所、あった! 1冊だけあった。これを副読本にして『聖書』を読んでいけば聖書を理解するが簡単になることであろう。しかし『聖書』を理解するのは、やはり10年はかかると見ておいた方がいい。

 今回紹介するのはこの本!

 ジャン・ピエール・イスブ著『写真と地図で読む聖書の世界』(日経ナショナルジオグラフィック社)

 月本昭男訳

  地図と写真で読む聖書の世界

 英語の本を日本語に翻訳する際、毎回、その翻訳に問題があるのだが、今回の翻訳は出来がいい。翻訳者の経歴を調べてみると、東京大学文学部卒で、ドイツのデュービンゲン大学卒で、現在は立教大学の教授である。こういう人が翻訳すれば、まともな翻訳になるといういい例なので、翻訳文を味わって読んで欲しい。(しかし「元老院」を「上院」と訳するのは頂けない)

●パクリしまくりの民族

 まず『聖書』を理解していくためには、ユダヤ民族は後進国の民族であったということを理解しなければならない。ユダヤ民族が発生した当時、古代メソポヤミアも古代エジプトも文明が高度に発展していたのであって、その時のユダヤ民族は国家すら形成できていない民族であったのである。

 だからユダヤ民族が一体何をやったのかといえば「パクリ」である。『創世記』に出て来るアダムとイヴの話もパクリ。一神教自体もパクリ。モーゼの十戒もパクリ。箴言もパクリ。雅歌もパクリ。そうやってパクリを繰り返しながらユダヤ教を形成していき、信仰を純粋化させていったのである。

 そしてユダヤ教を完成させたと同時に、ユダヤ民族の国家は滅び、流浪の生活が始まるのである。ユダヤ教は国家が滅んだとしても、宗教を使って民族を維持し得るということを証明した宗教なのであって、そこにこそ独創性があるのである。ユダヤ教が一神教の発明したなどと間違った考えを持っていると、この点を思いっきり見逃してしまうことになるのである。

 因みに現在のユダヤ人たちの殆どは古代ユダヤ民族とはまるで別物で、後世になってカザールハン国の国民がユダヤ教に改宗してなったもので、この連中はユダヤ教を正しく理解しているとは言い難い。異常な解釈を施して来るので、それでロシアやドイツで反ユダヤ主義が起こり迫害されてきたのである。

 古代ユダヤ教への評価は難しい。古代のユダヤ人たちは何か偉大な業績を残した訳ではないからだ。この本を読んでみれば解ることが、古代ユダヤ人の周辺した民族は実に様々な物を作り上げているのだが、それに対して古代ユダヤ人たちは何も作っていないのである。しかし現在にまで生き残ったのはユダヤ民族の方であって、他の民族たちは消滅してしまったのである。実に評価が難しい所である。

●古代ローマ帝国の占領が産んだ救世主イエス

 ユダヤ教はバビロン捕囚によって宗教を洗練するのだが、古代ローマ帝国に占領されるとイエスという人物によってキリスト教という別に宗教を生み出すことになる。ユダヤ教の基準からすればイエスは救世主ではない。しかし当時のユダヤ人たちの状況が「ユダヤ教からの解放」を求めていたのである。

 ユダヤ教は古代ローマ帝国に占領される前から、民族宗教なのに国際性を持つに至っていた。ギリシャ語に翻訳した旧約聖書を編纂するようになっていたので、それで当時の国際共通語であるギリシャ語で思考することが可能になっていたのである。となると、古代ギリシャ哲学に触れることによって、「ユダヤ教の教義はダサイ」ということをユダヤの知識人たちは認識するようになっていたのである。

 そこに現れて来たのがイエスであって、イエスは教団抜きに神と直結し、「神は愛だ」と説き始めた。こうなるとユダヤ人以外にも伝道が可能になり、ユダヤ教そのものが否定され、キリスト教が生まれて来るのである。キリスト教はその後、巨大な教団を作ることになるのだが、原始キリスト教はまるで違ったのである。

 古代ローマ帝国は国民に皇帝崇拝を要求していたのだが、キリスト教徒たちはこれに反発した。そのくせ救世主イエスを崇拝しているのである。というか皇帝崇拝というものがあればこそ、救世主崇拝へとスライドさせることが可能になったのである。

 古代ローマ帝国は最終的にキリスト教を国教にするのだが、それでも古代ローマ帝国は滅亡してしまう。それどころか古代ローマ帝国下に存在した宗教もその殆どが消滅してしまい、ユダヤ教とキリスト教だけが生き残ったのである。宗教というものは国家よりも遥かに長持ちするものなのである。

●『聖書』を理解せずして伝道をするな

 日本人にとって『聖書』が解りづらいのは、「日本のキリスト教徒たちが『聖書』を理解せずに伝道をして来るからだ」と言っても過言ではない。『聖書』は理解するのに時間がかかるものなのであって、最低でも10年はかかるし、それこそ信者にしてみれば一生をかけて『聖書』を理解するということをしなければならないのである。

 キリスト教の場合、信仰は召命感を必要とする。神がその者をキリスト教徒にするからこそ信仰を持たせるのであって、自分の意思で信仰を持つことができないのである。しかし実際のキリスト教徒たちは『聖書』を読んでとか、神父や牧師の紹介でとか、要は自分の意思で改宗してしまっているのである。これが大間違いなのである。

 通常、神父や牧師はこういうことを防がねばならないのだが、神父や牧師の信仰も怪しいのである。良く神父や牧師たちの間では、「自分は召命感が薄いな~」とかボヤいたりするのだが、召命感は有るか無いかであって、篤い薄いではない。薄いと言っている時点で、その者は神に召された人ではないのである。 

 キリスト教の場合、「信仰の踏み絵」となる物が存在する。それが「三位一体論」である。神とイエスと聖霊は同じであるという教義なのだが、大抵の者たちはここで躓く。この教義は多神教だった古代ローマの人々を改宗させるために作り上げたもので、一神教であるキリスト教からしてみれば矛盾している物なのである。これは『聖書』の記述が間違っていると判断すべきものなのである。

 しかしキリスト教に対して信仰が本物なら、この三位一体論はすんなりと理解してしまうことになる。これはカトリックだけではなく、プロテスタントの殆どの宗派もそうなので、ここで躓いているようではキリスト教への信仰が偽物であるということなのである。

●『聖書』は『バイブル』とすべし

 『聖書』はそれだけを読んでも理解できないようになっている。まず時代背景というものを理解した上で読んで行かないと、何を言っているのか解らなくなってしまうのである。『聖書』を理解するのには大量の書物が必要だったからこそ、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も図書館を作り、それによって文化が花開いて行ったのである。

 日本のキリスト教徒ほど『聖書』を理解していないキリスト教徒は世界的に見ても珍しいのだが、「この本で教えられるようなことをキリスト教の教会の中では決して教えてくれない」ということもその理由の1つとして挙げることができる。神父も牧師も教会を経営する仕事で忙しいために、どうしても神学に関して知識量が低下してしまうのである。

 俺は日本のキリスト教徒たちを見てつくづく、

「日本のキリスト教徒は儒教徒である」

という認識を持っている。儒教を奉じていた武士たちが明治維新後にキリスト教徒になったという経緯がある。このため『聖書』を四書五経のように読み、朱子学的な解釈を施すことで解ったような振りをしているのである。

 俺は『聖書』を『バイブル』と言い変えた方がいいと思っている。『バイブル』は国際共通語なのだが、わざわざ日本国内でしか通用しない『聖書』なる用語を使うべきではない。バイブルは古代ギリシャ語が語源で、「書き集めた物」という意味である。まさのその通りの言葉なのである。決してバイブルは「聖なる書」ではないのだ。『聖書』だと題名からして誤訳なのである。

 イエスは山上の垂訓をしたかもしれないが、決して教壇の上から物を説いたのではない。当時の人々と同じ立場に立って教えを説いて回っていったのである。それなのに上から物を教えられるような感覚で『聖書』を読んでいれば、幾らその『聖書』を読もうが、イエスの言葉の真意を理解することはできないのである。

●キリスト教徒でないからこそ、聖書の理解は絶対に必要

 日本は神仏習合の国なので、キリスト教徒は人口の1%しかいない。そのためキリスト教徒でない者たちは「『聖書』なんか必要ない!」と思ってしまうかもしれない。しかし『聖書』は一神教の世界に決定的な影響力を与えた本なのであって、特に欧米の文化は『聖書』の記述を引用した物が至る所に出て来るのである。

 だからキリスト教徒でなくても『聖書』は読んでおかなければならない。尤も「『聖書』を読んでキリスト教徒になれ」と言っているのではない。自分がキリスト教徒ではないからこそ、キリスト教徒以上にキリスト教を理解できるということもありえるのである。

 例えばイエスが処刑される直前に、神への恨み事を言うシーンがある。キリスト教徒たちならこの言葉の意味が解らない。しかしキリスト教徒でなければ、「死者を復活させると神の怒りに触れる」ことさえ知っていれば、イエスは奇蹟と称して死者を復活させてしまったために、神の怒りに触れてしまったことが解るのである。

 キリスト教徒たちの中にはハルマゲドンを人為的に起こそうとする人たちがいるということを決して忘れてはならない。『ヨハネの黙示録』を現実化させることによって、イエスの再臨を実現しようとするのである。阪神淡路大震災も東日本大震災も福島第一原発の事故もその一環で人為的に引き起こされたものなのである。

 キリスト教原理主義者たちは『ヨハネの黙示録』に出て来る「ゴグ」「マゴグ」を「ロシア」「ベラルーシ」であると断定し、ロシアとベラルーシを暴走させることで「第三次世界大戦」を引き起こそうとしている。いずれイスラエルとアラブ諸国との戦いを切っ掛けに世界規模の戦争が起こることであろう。その時、「国際情勢は不可解なリ」などとほざいてはならないのである。『聖書』を読んでいれば解ることなのである。

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『神功皇后の謎を解く』 ~第二回タマティー作家大賞受賞作品~

●古代日本のスーパースター

 行き成り質問です。

 問)古代日本に於いて日本国民に最も愛された政治家は一体誰でしょう?

 聖徳太子? ブッブーッ!

 天智天皇? ブッブーッ!

 天武天皇? ブッブーッ!

 答えは「神功皇后」!

 理由は簡単! 三韓征伐を行い、日本を発展させ、国民を豊かにしたからである。それに神功皇后は妊娠中に朝鮮半島遠征を行ったので、それで女性たちの高い支持を得たとも言える。妊娠中に普通の生活をこなすだけでも大変なのに、それなのに戦争をやってしまったのである。

 俺はライフワークとして神社伝承学なるものをやっているのだが、神社伝承の中で最も多かったのが、この神功皇后の伝承なのである。余りにも多くて嫌になってしまい、一時中断してしまったくらないのである。それなのに河村哲夫なる人物が丹念に神功皇后の伝承を集めて本にしてしまったのである。

 今回紹介する本はこの本!

 河村哲夫著『神功皇后の謎を解く』(原書房)

  神功皇后の謎を解く[河村哲夫]

 この本を読めばすぐに解ると思うが、神功皇后の伝承を本当に丁寧に集めた上で記述してあることが解る。著者は福岡県柳川市出身で、現在、福岡県在住。地の利を大いに活かして伝承を集めまくったと言える。伝承は現地に行かないと微妙な所が解らないのである。

 この作者の功績を称えるべく、俺はこの作者に対して「第二回タマティー作家大賞」を授与する。神社伝承学をやっている身としては、この本を書き上げるのは本当に大変だったと解るからだ。因みに第一回タマティー作家大賞は、「わたなべかずこ.」著『I'm "MG"』(三輪書店)である。

●古代日本の政治システム

 この本には古代日本の政治システムの説明がないので、俺が補完しておく。古代日本ではまず「男女両王制」というものが取られた。女王が祭祀権力を有し、男王が政治権力を有するというものである。この場合、女王の方が立場が上なのであって、祭祀を行って神託を下し、それで政治を行っていたのである。

 神武天皇が近畿地方に東征すると、現地に於いて「兄弟共同統治制」を取られていたので、これを取り入れることになった。しかも天孫族は余所者なので、「親子両王制」なる物を導入し、親子で権力を持つようにしたのである。これなら誰かが暗殺されても、すぐに誰かが就任することができるので、政治体制が安定したのである。

 王権を五人で担当していたのだが、崇神天皇の神道改革によって巫女の女王から祭祀権力を奪った。疫病が発生して人口が減少したのがその理由だったが、これによって古代に於いて政教分離がなされ、宗教を尊重すると共に、政治的合理性を持つことができたのである。

 景行天皇の時代には政治改革が進み、「大臣制」を導入して、豪族たちの力を朝廷が使えるようにした。初の大臣に抜擢されたのが武内宿禰であり、彼は大いにその能力を発揮して、大和朝廷の支配領域を一気に拡大させたのである。

 ところが神功皇后の時代になると神政政治が復活し、神功皇后が神懸かり状態になって神託を下すということをやるようになった。合理的に考えればそういう政治は否定されるべきものだが、誰もが昔の神政政治に憧れを抱いていたので、それでこの反動的な政治が大ヒットしたのである。

 ただ神功皇后が神懸かりをやったとしても、祭祀権力を持つ巫女の女王を復活させるのではなく、そのままにした。このため本来なら天皇に権力が集中する筈なのに、逆に天皇から権力がなくなってしまい、より豪族たちの力が強くなってしまったのである。日本が決して中国のような専制君主制には進まなかったのは、この神功皇后の功績が非常に大きいのだ。

●大和朝廷は三度に亘って九州に侵攻した

 大和朝廷と九州では政治システムがまるで違った。大和朝廷は政治システムを発展させていたが、九州の方では旧式の男女両王制を使っており、だから大和朝廷は九州の政治勢力を撃破して行くことができたのである。大和朝廷では充分に政治経験値を積ませた上で権力の座に就かせるが、九州の政治勢力はそういうことを全くしていない以上、戦争になれば大和朝廷の圧勝ということになるのである。

 邪馬台国によって統一されていた九州北部は熊襲による攻撃で弱体化していた。古代において熊襲は非常に強かった。九州は朝鮮半島を通じて中国と貿易をしていたが、熊襲は中国と直接貿易していたのである。しかも鉄器は九州のよりも優秀であった。更には「小型馬」を持っていたので、この小型馬は小回りが利くので、戦争になると熊襲の方が勝てたのである。

 大和朝廷は天日矛の渡来で、新型の鉄器を所有することができた。大和朝廷では「倭鍛冶」から「韓鍛冶」への転換が起こり、それで崇神天皇の神道改革が起こったとも言える。これによって「銅鐸の消滅」が起こったくらいだから、この変革は非常に大きかったのである。

 大和朝廷は崇神天皇の時、景行天皇の時、神功皇后の時、三度に亘って九州に侵攻した。それなのに邪馬台国が近畿地方に東遷するというは絶対に有り得ない。また九州に大和朝廷は別個の九州王朝があったということも絶対に有り得ない。

 西日本は瀬戸内海の制海権を取った勢力がそのまま西日本を征服してしまう。大和朝廷は崇神天皇の頃から瀬戸内海の制海権を取り続けたのであり、だから九州に何度も攻め込んで行くことができるのである。軍事学の知識がないと、この当たり前すぎることが解らなくなり、それで妄説を生み出して行くことになるのである。

●三韓征伐から白村江の戦いまで

 大和朝廷が古代としてはかなり強力な海軍力を持っていたからこそ、神功皇后は海を渡って朝鮮半島に攻め込むことができた。しかも朝鮮半島南部には日本側が「任那」と読んだ「伽耶諸国」があり、彼等は倭人だったこそ、日本は朝鮮半島に領土を持つことができたのである。

 神功皇后の三韓征伐で、日本は任那を領土とし、百済と新羅を属国にすることができた。これ以降、日本は朝鮮半島の支配を巡って抗争することになり、次の応神天皇の時には高句麗と激突することになる。この戦いには負けたらしく、そのためその次の仁徳天皇の時にはその皇位を継承を巡って兄弟同士で争うことになった。その背景には戦争続行か戦争中止かも政治論争があったのである。

 大和朝廷は中国に使いを送って朝鮮半島の支配を認めて貰うよう何度も交渉したのだが、最終的にこれに失敗して、遂に雄略天皇の時には中国に使いを送らなくなってしまった。これ以降、日本は独自路線を歩み始めるのだが、その代償は大きく、武烈天皇の時に応神朝は消滅し、継体朝に取って変わられてしまうのである。

 そうやって国内で揉めているのだから、遂には任那をも喪失してしまった。日本としては任那を奪い取った新羅を許せないので、それで百済との同盟が強化された。しかしその百済が高句麗に攻め込まれてしまい、日本はこの百済を支援するためにまた朝鮮半島に手を出したのである。

 そうこうしている内に、中国では隋が統一し、その隋が高句麗に遠征し、それに失敗して隋自体が滅亡してしまう、隋の後に中国を統一した唐は朝鮮半島に攻め込み、それで日本は百済を助けるべく唐と戦い、白村江の戦いで敗北し、そしてやっと朝鮮半島から手を引くのである。

 古代日本は270年間という長きに亘って朝鮮半島に関わり続けたのであって、その始まりをやったのは一体誰かと言えば、神功皇后であったのである。三韓征伐から白村江の戦いまで切っても切り馳せないのであって、だから神功皇后がやったことを知らないと、古代史のことは何も解らなくなってしまうのである。

●津田左右吉の犯した罪

 ところが近代になって、とんでもないバカ学者が出て来てしまった。その人物の名を津田左右吉という。彼は記紀に書かれたことは全てデッチ上げだと主張し、特に神武天皇、日本武尊、神功皇后を目の敵にして抹殺してしまったのである。

 津田左右吉は歴史学を全く理解していなかった。歴史学は人文に属する物で、言わば「文献学」のことである。だから歴史書は取り敢えず尊重し、それを合理的に解釈していくのが仕事なのである。しかも歴史書の研究は1人でやってはならず、多数の歴史学者たちが研究に参加することで、主観をできるだけなくし、客観的な研究を行えるようにしなければならないのである。

 言っちゃあ悪いが、俺は学術研究をする場合、原則として私立大学の教授が書いた本を読まない。但し宗教系の私立大学は別である。津田左右吉は早稲田大学の教授だったのだが、早稲田大学というのは、文学とかエジプト学を除けば、実は大したことのない大学なのである。

 日本では国立大学が存在するために、高校を卒業する最も優秀な3千人が毎年東京大学に進学してくるのである。だから日本の学問は東京大学か、東京大学卒の者たちの研究が中心にならざるを得ないのである。これは仕方のないことなのであって、私立大学が国立大学の頂点にいる東京大学に勝ることは基本的に有り得ないのである。

 それなのに戦後、奇妙な現象が起こり、日本の敗戦を受けて、東京大学の歴史学者たちが津田左右吉の学説に洗脳されてしまい、それ以降、日本の歴史学は完全に間違った方向に進んでしまったのである。津田左右吉の記紀否定が、天皇制打倒を目指す社会主義者たちに悪用されてしまったのである。

 それゆえ、日本の学校で使用される歴史の教科書には神武天皇も、日本武尊も、神功皇后の記述も全く存在しないのである。歴史というものには流れという物があるから、神功皇后を否定してしまえば、なんで日本が朝鮮半島に介入し続けたのか、全く理解できなくなってしまうのである。

 歴史学者たちがどんなに記紀を否定したとしても、考古学の発見はその殆どが記紀の記述が本当であったことを証明している。しかしその考古学者たちも津田左右吉の学説に洗脳さtれているので、その考古学の成果を歴史学に活かせないのである。

●学校の日本史教育は面白くないからこそ

 中高生たちは「学校の日本史の授業は詰まらない」と良く言うものだ。それは当然なのである。日本の歴史学者たちは嘘を付いているために、その歴史学が真っ当な歴史学になっていないのだ。インチキ歴史学を学ばされているからこそ、幾ら勉強しても理解できないのである。

 毎年、日本史の教科書検定のことが話題になるが、日本の歴史学者たちが津田左右吉の学説に洗脳されて続けている限り、その現状が全く変わらないのである。日本史の教科書で日本史を理解しようなどと間違ったことをやってはならない。

 個々人が日本史に関する良書を探し出して、自分で勉強して行くしかないのである。この本を読んで神功皇后の存在を疑う人はまずいないであろう。ここまで大量の神社伝承があるということは、それだけ古代の日本人たちに圧倒的な支持を受けたということなのである。

 ただ惜しいのは、この本には誤字脱字がかなりあったということであり、著者が「太陽暦春秋年法」を理解していない点だ。後書きで加筆修正する機会があればすると言っているので、是非ともやって欲しい。また日本の古代史を扱っているのに太陽暦春秋年法を知らないというのは問題がありすぎるので、その辺りの記述は改めた方がいい。

 俺がこの本を読んでつくづく思ったのは、日本の歴史学者たちがバカげたことをやっているからこそ、こういう九州産業大学講師という地位の低い者が第一級の作品を作り上げるチャンスが生まれて来るということなのである。嘘はどんなに誤魔化しても所詮嘘なのであって、真実を追求する心さえあれば真実に辿りつけるものなのである。

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育児中の妻が夫のためにできること

●夫婦の愛の形ができるまで

 結婚は女性にとって自立を引き起こす絶対条件なのだが、結婚すると「恋愛から夫婦愛へ」という変化が必ず起こって来る。この変化は1回で起こるものではなく、何度も断続的に起こって来る。この変化によって恋愛を夫婦愛へと高めて行かないと、結婚して幸せになることはできないのである。

 まず結婚直前に女性の顔が変わる。明らかに「妻仕様の顔」になるのである。恋人として相手の男性を愛そうとするのではなく、妻として夫を愛するようになるのである。次に赤ちゃんを産めばその前後に「母親の顔」になる。母親だからこそ母性愛が溢れ出して来るのである。

 だからその夫婦の「夫婦の愛の形」が決まるのは、結婚してから子供が1人か2人いる時であろうと思う。子供がいなければ夫婦だけだし、子供が1人いれば三位一体の結界が張られるので安定するし、子供が2人だと「四の結界」が張られるので、エネルギーは内側に向かう。そういう状況を利用して夫婦愛を作り上げて行くのである。

 この時期には、

「夫の出世のために何か出来ることはないか?」

と結婚する前なら絶対に考えもしなかったことを考えるようになる。妻としては自分が育児に専念している以上、夫がより多く収入を得てくれるようになると、家計が随分と楽になるからなのであるが、それにしても結婚前は自分のことしか考えていなかったのだから、随分と成長したのである。

 何事も最初が肝腎なので、結婚して10年以内に、その夫婦の結婚の運命というものは決まってしまうのである。だから結婚したからといって家事や育児に追われ、更に仕事に追われているようでは、その結婚にとって本当に大事なことを何もしていないのだから、それで非常に危険なことになってしまうのである。結婚したからこそ、時間を無駄にしてはならないのである。

●大事な時に逃げるな

 夫婦に於いて最も大事なことは何かと言えば、それは

「大事な時に逃げるな」

ということなのである。妻は家事や育児をするのだが、極論を言ってしまえば、そういう作業は人を雇って任してしまえば、出来てしまうものなのである。しかし大事な時こそ一緒に居るというのは夫婦だからこそできることなのである。

 結婚というのは全てが順調に行く訳ではなく、結婚していれば何度か危機に見舞われることになる。その危機に直面し、解決していくことによって夫婦愛が強化されて行く以上、何かある度に逃げ出していたのなら、いつまで経っても夫婦愛は深まっていかないのである。

 結婚生活に如何なる問題が起こったとしても、夫婦が一緒に居れば大概の事は解決できてしまう。解決不可能な問題などやって来ない。夫では知恵の足らぬ物でも、妻では知恵の足らぬ物でも、夫婦が一緒にいれば知恵は足りてしまうのである。

 しかし何か問題が発生した場合、その夫婦の相性に問題があれば、その問題のために別れてしまうことになる。だから離婚はその離婚原因になった物が問題ではなく、その夫婦は最初から相性に問題があって、それで別れてしまっただけのことなのである。

 結婚するなら「夫婦の不思議な縁」を大事にするということが必要になってくる。幾ら男女が激しく愛し合った上に結婚したとしても、その夫婦に不思議な縁がなければ呆気なく別れてしまうものなのである。結婚するために愛は必要だが、必要以上に強調されるものではないのである。

●家事と育児

 妻の側としては結婚生活に於いて家事と育児をこなして行かなければならないのだが、家事の中で最も大事なのは「料理」である。結局、出世していくような男性は、料理が巧い奥さんを持っているということなのである。妻の料理が下手糞だと、ついつい外食に頼ってしまい、そのために栄養バランスを崩して病気になってしまうのである。

 料理で気をつけるべきは、とにかく砂糖を抜いて行くということだと思う。炭水化物は穀物や果物で充分に足りている以上、その上、砂糖を食べていたら、明らかに糖分がオーバーしてしまうのである。そこにお酒が加われば、もう完全にギブアップなのであって、これで病気にならない方がおかしいのだ。

 糖質が過剰にならないように、植物油や肉や魚をできるだけ多く摂取して行くようにした方がいい。要は大概の人たちは植物油の摂取量が少ないし、肉や魚を自分の体が必要とするまで食べていないのだ。そのくせ甘い物やお酒を飲み食いするのだから、それで栄養バランスを崩してしまうのである。

 料理と共に大事になってくるのが、「掃除」である。掃除をして清潔を保つだけで、家族内での病気の発生率は激減する。しかも掃除をすれば運気が良くなる。夫を出世させたいのなら、とにかく日々掃除をすべきであって、無駄な物はどんどん処分していくべきなのである。

 育児はどうやったとしても、母親が独裁でやってしまった方が最も効率は良くなるのである。妻としては夫が育児に手を出し過ぎることを常に警戒しなければならない。盛んに育児の手伝いをする男性は、それに反比例するかの如くに仕事が全く出来ていないということなのである。夫の役目は収入を多くして育児費用を調達してくることなのであって、夫なのに妻ができることをやらせてはならないのである。

 妻としては赤ちゃんを産めば、育児にかかりっきりになるから、なんで自分だけが育児をやっているのかと不満を持ち始め、夫が育児を手伝わないことをストレスに感じてしまうものだ。しかし夫婦が平等に何かをした所で、どうにかなるものではないのだ。寧ろ平等に行動すれば、夫婦の生産性は激減していくものなのである。妻だからこそ「育児が私がやります」と言ってしまった方が、夫は仕事に全力を投入できるようになるで、仕事が成功し易くなるのである。

●セックスの重要性

 男性は女性よりも性欲が盛んで、セックスのことに関しては興味津津なのだが、意外なことかもしれないが、男性たちの内でセックスの巧い男性は想像以上に少ないのだ。大概の男性たちはセックスが下手糞であり、自分のセックスが下手糞であるということにすら気付いていないのだ。

 なんでこんなことになってしまったのかというと、男女のセックスは「秘められた行為」であるので公開されず、そのために自分のレベルが解らなくなってしまうということ、それと「アダルトビデオの影響」が想像以上に深刻で、オナニー用に開発されたアダルトビデオをこれこそがセックスだと思い込んでしまったのである。

 男性が本物のセックスをしたことがないと、女の尻を追いかけまわしてしまうような男性になってしまう。セックスをやれば解ることだが、相手を特定し、その相手と何度も何度もセックスをやらないとセックスは上達しないものなのである。セックスが巧くなるためには時間がかかるのであって、他の女性に手出ししているようでは、いつまで経ってもセックスが巧くならないのだ。

 妻はセックスに関してこのことだけは知っておいた方がいいのだが、男性は幾ら巨万の富を持ったとしても、セックスが下手糞なら男性として自信を持つことはないということだ。男性にとって女性に充分な性的満足ができるようなセックスをするということは、それがただ単にセックス内のことに留まらず、男としての自信を形成することになるのである。

 だから妻がセックスを嫌がっていると、夫は男として自信が持てなくなり、それで他の女性とセックスするようになってしまうのである。女性は赤ちゃんを産むと性欲が減少する。そのためにセックスを嫌がるようになってしまうのだ。もしも自分がセックスをしないのなら、「浮気はOK」というようにしていないと、夫の方は困り果ててしまうのである。

 夫婦だからこそ体力の限界に達するまでセックスをした方がいい。夫婦だからこそせっせとセックスをしまくり、セックスのレベルを出来るだけ高くしておくのである。夫婦の性生活を充実させておくと、夫婦間のトラブルというものは殆どなくなるものなのである。それだけこの問題は根が深いのである。

●お金の重要性

 結婚したのなら、とにかく収入よりも低い支出で生活するよう心掛けることだ。これを実現するためには「天引き貯金」がお勧めで、収入が発生した時点で収入の20%を天引きして貯金してしまい、残りのお金で生活するのである。こうすると毎月貯金が貯まっていくと同時に、生活から無駄がなくなり、豊かな生活を送ることができるのである。

 お金をどう使うかで生活の豊かさは決まる。夫婦の場合、夫婦双方に収入があったとしても、支出の大半を決めるのは妻の方なのである。夫は大きな金額になる買い物の場合、口を出して来る程度なのである。だから妻はお金の使い方を巧くならないと、生活を豊かにしていくことはできないのである。

 豊かな生活をしたいのなら、とにかく必要な物だけを購入し、不必要な物は購入しないことだ。食品は自然に出来た物を購入し、出来る限り加工食品を買わない。服は少し高くても丈夫な物を買うと、結構長持ちできる。安価な服はすぐに壊れてしまうので、すぐに次の物を買うことになり、結局、高い出費を強いられることになるのである。

 豊かになりたいのなら、「投資」は絶対に欠かせない。特に書籍の購入は絶対にケチってはならず、夫の仕事に関する知識や技術を高めておかないと、夫は出世していかないのだ。それと資産運用も必要であって、株式投資や債権投資や不動産投資をすることで、資産収入を得られるようにすべきなのである。

 家計を本気で統制しようとするなら「家計簿」を着けた方がいい。家計簿を着ければ無駄な支出を全て削減できるからだ。それに毎月繰越金を作っていけば、臨時の出費があっても、家計はビクともしなくなるのだ。家計簿があれば、家計を安全に運用することができるので、これほど重宝する物はないのだ。

●「80対20に法則」を効果的に使うべし

 妻にしてみれば夫に出世して貰いたい。夫が出世してくれれば収入が激増して行くから生活が楽になるのである。夫婦としては万々歳ということになる。世間を見回してみれば解ることだが、芸能界とか水商売を除けば、既婚者たちは常に独身者たちよりも活躍しているのであって、結婚したのなら、とにかく出世して行って貰わねば困るものなのである。

 しかし妻が余りあれこれやると、夫の方が嫌がるようになってしまう。夫だって自分ができることを、妻に手出しされたら不機嫌になるのは当たり前のことなのである。そこで「80対20の法則」を使い、夫に対して何もかもやるのではなく、効果のある20%のことをやればいいのである。

 人間は基本的に怠け者である。如何なる妻であってもそんなにあれこれできるものではないのだ。少ない労力で最大の成果を出せるようにするということを考えれることができれば、妻は自分が疲労することなく、成果を出し続けることができるのである。

 自分が必要な事だけをやり、後は黙っておく。それが賢い生き方なのである。結婚が巧く行けば行くほど、確実に成果が出て来るので、ベタベタする必要性はないし、余所余所しくする必要性もないのである。幾ら結婚しているからといって無理をし続けていれば、いずれその結婚は破綻してしまうものなのである。

 結婚したのなら確実に成果を出す!

 このことを理解していないと、結婚した意味がなくなってしまうのである。結婚した以上、子供たちを産み育てる。財産をしっかりと形成していく。幾ら愛を唱えた所で、子供がいない、財産がないでは、その結婚は無意味なのである。その夫婦にどのようなことがあっても、成果が出ていれば、その結婚は成功したと判断すべきなのである。

 どのような夫婦であったとしても結婚を無傷で行うことなどできないのである。完璧な結婚など、この世には存在しないのに、バカな女性に限ってその完璧を追い求め、結婚生活に於ける些細なことを引っ張り出して結婚を罵倒するようになるから、結婚の話を聞く時はくれぐれも用心することだ。

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乳母と傅役

●教育と奉仕

 どの哺乳動物も閉経すれば死ぬことになる。生命には新たな生命を生み出し、それを育て上げるという役割があるのであって、その役割を果たせば死ぬようになっているのだ。ところが人間だけは閉経しても生き続けることができてしまうのである。

 その理由は既に解っていて、それは閉経した女性たちがいれば、それだけ人生経験や知恵を蓄積して行くことができるので、それで本来なら死ぬ筈の女性たちが長々と生き続けるのである。だから老後に自分の生き方を変えないと、とんでもない間違いを引き起こしてしまうのである。

 では老後になってどのようなことをすればいいのかといえば、それは「教育」と「奉仕」である。子供たちに教育を施し、生存を可能にするための知識と技術を継承させていく。自分よりも若い人たちは不足している所が多々あるのだが、年配の自分が奉仕することでその不足分を補うようにする。こういうことをするからこそ、老人たちの生存価値があるのである。

 こういうことをするためには、老後になる前までに資産をしっかりと蓄積しておき、老後になれば資産収入で暮らせるようにしておくことだ。資産の蓄積は決して難しいものではない。収入が発生した当初から天引き貯金を行っていけば、自然と資産が蓄積されていくものなのである。

 老人になってから「最近の若者たちは怪しからん!」と言うことは簡単にできる。しかしそういう老人たちは若者たちを教育しないし奉仕しない。そういう意思がないだけでなく、それを可能にさせる資産もないのである。資産を持たぬ老人というのは、「生きているだけで犯罪」と言っても言い過ぎではないのだ。

●実母と乳母

 近代以前には閉経した女性たちを実に効果的に使っていた。その最たる者が「乳母」である。昔はミルクなどないので、実母の母乳に問題があれば、その赤ちゃんが死ぬ確率を思いっきり高めてしまう。そこで乳母を雇って母乳を補完したのである。

 乳母は授乳することだけが役目ではなく、その子供の教育も大事な仕事であった。それだけでなく、乳母は「第二の母親」としてその子供が元服した後も母親代わりになって支援し続けたのであって、乳母の働き如何によって、自分の人生が大きく変わっていったのである。

 80対20の法則を使うと、子供に「実母」と「乳母」という2人の母親がいれば母親たちの効果は最大「190%」になり、1人の母親が育てるよりも安全に育てて行くことができるようになるのである。特に反抗期がなくなり、反抗の力を自分の成長に使えるようになるので、人生に於いて寄り道をしなくて済むようになるのである。

 だから歴史上に於いて乳母のいる英雄豪傑たちは非常に多い。というか英雄豪傑たちは自分1人だけの力で出世したのではなく、乳母たちの力を借りて出世して行ったのである。フェミニストたちのように「日本は男社会で~」と言っていたら何も真実は見えて来ないのだ。昔の女性たちで能力のある者は乳母として働いていたのである。

 血統上、自分の母親が誰かというのは最も大事である。人間は母親から最も大きな影響を受けるからだ。しかし「氏より育ち」という諺があるように、乳母による教育もまた大きな影響力を持つのである。そして生きていれば解ることだが、人間は教育次第でどのようにも能力が伸びるし、悪い教育を受ければ自分に能力があってもそれを発揮することができなくなってしまうのである。

●乳母と傅役による分業

 乳母は私生活全般に亘って世話をするので、乳母の育て方次第では、品行方正な子供に育って行く。乳母に育てられた人はどの人物も礼儀正しい人であるのだが、それは育て方が違うからなのである。実母だけが育てても、子供は必ずしも礼儀正しい人に育ってくれないものなのである。

 乳母は学問や武道に関して教えることができないので、そこでその分野では専門家の「傅役」を雇うことになる。傅役は基本的にマンツーマンで教えることになるので、教育の効果は最大化される。だから早い段階で高い知能を持つことができ、武道に関しても優れた力を持つことができたのである。

 人間の心身は19歳で成長のピークを迎える。だからそれに適した育て方をしないと、その本人が幾ら努力したとしても高い能力を持つことができないのである。個人の努力は確かに大事なものなのであるが、他人の力を利用することも大事なのである。

 人間の成長過程で必要に成って来るのは、「父親代わり」「母親代わり」になってくれる人たちなのである。子供は両親に服従してしまう。それは10歳までなら絶対に必要である。しかし親離れを開始した時以降もそれでは困るのである。

 乳母のように母親代わりになって育ててくれる人や、傅役のように父親代わりになって育ててくれる人がいると、子供は親離れをすることができると同時に自立していくことができるようになるのである。こういうひとたちがいればこそ、自立していくことになんの問題も起こさなかったのである。

●近代化の中で失ってしまったもの

 近代化はこの乳母や傅役の存在を完全に切り捨ててしまった。人間は本質的に不平等であるにも拘わらず、「人間は生まれながら平等である」と嘘を言い、それを国民に洗脳し続けているのである。だから乳母や傅役のような存在を認めることができないのである。

 それでどうなったかといえば、自立できない人たちが大量発生してしまったのである。社会主義者たちもフェミニストたちも社会を改造することで自立できる社会を作り出そうとしているが、幾ら社会を弄った所で自立などできない。自立するかしないかは「個人の問題」であって「社会の問題」ではないからだ。

 母親が育児をやってみれば解ることだが、自分1人で子供を育てるのは大変になってしまうのである。しかしもう1人手助けしてくれる人がいれば、育児は簡単になってしまうのである。その手助けしてくれる人こそ、近代以前は乳母と呼ばれていた人なのである。

 学校は確かに必要である。だが生徒たちが大量に集まれば、その分だけ教育の効果は下がって行くのである。10代のような熱い時期だからこそ、マンツーマンで教えられる必要性があるのだ。学校の教師たちはそれを全く理解していないし、家庭教師であっても傅役の役目を果たすことはできないのだ。

 乳母や傅役はそれこそ日本民族が民族誕生の瞬間から有り続けたものであって、近代化したからといって失ってはならないものなのである。昔の人たちはそれが必要だからこそ存在させ続けていたのであって、それを我々が継承しなかったのなら、甚大な被害を被ってしまうことになるのである。

 政府が老人福祉を充実させて、老人たちを遊ばせている社会というのは、国民の存続からみれば狂った社会以外の何物でもない人間の余生というものは時代がどう変わっても教育と奉仕にあるのであって、その役割を果たさないのなら、国民は高い代償を支払うことになるのである。

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オバサン注意報

●女性の成長の変化

 漢方医学では女性の成長は「8の倍数」で変化が起こると言われている。

 8歳 16歳 24歳 32歳 40歳 48歳 56歳 64歳 72歳 80歳

 当たってんだか、外れているのか良く解らないが、確かに8年間も成長していけば、どこかに歪みが出て来て、それを修正するために違う生き方を取るのは起こりうることであろう。

 特に8歳になると、女の子はもう子供ではなくなり始める。未だに普段はバカなことやっているのだが、話をきちんと聞いてみると、自分の意見をちゃんと持っているのだ。この時期の男の子は野獣に近いので、男女の性差は子育てをしていると良く解るのだ。

 16歳は女性にとって大きな年で、この年の前後に処女喪失が起こっていると統計上はっきりと出ている。16歳から女性ホルモンが大量分泌されるので、それで男性と恋愛をしたくなり、セックスをするようになるのである。この時期で変な恋愛やセックスをやってしまうと、後々まで悪影響を及ぼして来るから要注意だ。

 24歳ではそんなに変化はない。19歳から26歳までは女性ホルモンの分泌に変動はないので、寧ろ充実した日々を過ごすことができるのである。26歳から33歳の間は女性ホルモンが再度大量分泌され始めるので、だからこの時期が結婚適齢期となるのである。

 結婚していれば40歳は育児がひと段落ついた頃であろう。女性の場合、40歳までに結婚して妊娠出産育児を経験しておかないと、40歳以降結婚したとしてもどうしても不妊症のリスクを高めてしまうのである。しかも高齢出産では体力の低下が起こっているので、育児をしたとしても疲労が高くなってしまうのである。

 48歳と56歳は女性ホルモンの分泌量の低下によって更年期障害が起こり易い時期だ。この時期をどう乗り切るかで、その後の人生は全く違ったものになってしまう。女性ホルモンの変化で感情的に成り易い時期でもあるので、下手に感情的になってはならないのである。

●年齢不詳

 女性ホルモンの分泌量は33歳がピ-クである。しかし実際には女性が30歳になった時、「もう自分は若くないな~」ということに気付くものであろう。30歳になると、途端に年齢を誤魔化す連中が大量発生してくるのである。この年齢を誤魔化す連中が所謂「オバサン」なのである。

 オバサン注意報は「年齢不詳」から始まる。10代や20代では年齢を誤魔化す女性などいないものなのに、30歳を過ぎると途端に年齢を誤魔化す女性たちが出て来るのである。自分の年齢をはっきりと言えなくなった時点で、その女性はその年齢に見合う成長をしていないのである。

 この世で生きて行く中で、自分の年齢というのは想像以上に大事だ。人間は出世以後から死ぬまで成長していくものだから、年を取れば取るほど成長していなければならないのである。それなのに自分が成長していなければ、自分の年齢をはっきりと言えなくなってしまうのである。

 女性が自分の年齢を正々堂々と言っていれば、それは自分にとって緊張を齎すことになるので、それで成長を引き起こしていくことができるのである。女性が生きていれば、30代でしか経験できないこと、40代でしか経験できないこと、50代でしか経験できないこと、そういった物があるのである。

 結婚は楽しいものである。妊娠出産育児も楽しいものである。但しそれは自分が成長していればの話である。自分が成長を止めてしまえば、どんなことをやったって詰まらなくなるのは当然のことなのである。だから日々成長する。自分が後退することを許さない。そういう覚悟があるかこそ、自分の人生を常に楽しめることができるのである。

●会話が異様に長い

 オバサン注意報の第二は「会話が異様に長くなる」ということである。33歳を過ぎると女性ホルモンが大量の分泌され続けるので、それで脳がより女性脳になっていってしまい、会話しまくるようになるのである。女性だからこれはこれでいいんだけど、こういう会話は話を纏める能力がなくなり、結局、結論が出て来なくなってしまうのである。

 夫婦で会話を揉めてしまうのは、妻がオバサン化し、会話がダラダラと続いてしまうからなのである。夫は仕事先で結論優先の会話の仕方をしているから、結論がなかなか出て来ない会話にはイライラしてしまうのである。勿論、結論だけの会話は味もそっけもないが、結論はなんなのかを意識しながら会話をすることは絶対に必要なのである。

 女性が33歳を過ぎれば、脳自体がお喋りをしたくなっている以上、ママ友たちを作ってお喋りに興じることは絶対に必要なことなのである。この時期に女性に沈黙を強いると、それだけで精神をおかしくしてしまうことになるのである。井戸端会議は無駄な事の典型に見えて、女性たちの精神を健康することに大いに役立っているのである。

 女性が30歳を過ぎると、なかなか仕事で出世していくことができないのは、要はお喋りをしているからなのである。仕事場でベラベラと喋られたら、相手は「こいつはバカだな~」と思ってしまうのは当然のことなのである。いい仕事ほど言葉は少ない物なのである。

 会話を洗練させるためには、読書の習慣が絶対に欠かせない。読書自体、沈黙を強いるものだし、様々な本を読んで行けば知識量が豊富に成るので、それでいざ会話した時にレベルの高い会話をすることができるようになるのである。30歳を過ぎたというのに、芸能界の話しか出て来ないようでは、読書を全くしていないということを暴露するようなものなのである。

●身嗜みがなっていない

 オバサン注意報の第三は「身嗜みがなっていない」ということである。女性は赤ちゃんを産むと、その服装が変わる。赤ちゃんの安全を守るために保護色を基調とした服装を着るようになるのだ。それでトーンの落ち着いた服を好んで着るようになる。

 しかしこの時期は若いからこそ、その服装をしたとしても似合う。問題は結婚の期間が長引いて来ると、結婚生活にだれてしまい、それで服装が徐々に乱れて行くのである。ただでさえ、暗い色の服を着ているのだから、これで服装が乱れれば、ファッションセンスは皆無であると判断されても仕方ないのである。

 身嗜みと化粧には密接な関係があって、身嗜みが悪いと、化粧も悪くなっていく。なんで厚化粧のオバサンがこの世にいるのかといえば、化粧の技術云々ではなく、身嗜みがダメになっているからなのである。身嗜みが悪いから、それを化粧で誤魔化そうとするのだが、それが最悪の結果を引き起こして来るのである。

 女性である以上、いつまでもお洒落をしたいものなのである。確かにお洒落をするためには或る一定のお金が必要だが、身嗜みをきちんとするという無料の行為をするだけで、自分のお洒落度はアップするものなのである。なんでもお金で済まそうとしているからこそ、こういう大事なことが解らないのである。

 身嗜みがいいと、どこに行ってもそれなりの扱いを受け、いい思いをすることができるのである。世間の人たちはその人の身形がどうであるしか見て来ない。中身を見ようとする人は殆どいないものなのである。だから身嗜みをきちんとして、自分が不利な立場に立たされないようにすべきなのである。

●オバサンとオバ様の違い

 女性は33歳で女性ホルモンの分泌量が最大化する時期を迎え、その後は高濃度の女性ホルモンが分泌され続け、40代後半から女性ホルモンの分泌量が低下していく。だから33歳までなら女性の人生というのはそんなに大差ない。しかし33歳を過ぎると、自分の人生をどう充実させたかで大差が出て来てしまうものなのである。

 女性の人生を充実させるためにはなんと言っても「結婚」である。結婚して子供たちを生み育てて行けば、自然と人生が充実して行くのである。もしも結婚を拒否してしまえば、30歳を過ぎれば自分の年齢を言うことがなくなるので、非常に早い段階で「オバサン注意報」が発令されてしまうのである。

 かといって結婚すればそれで良いというわけではなく、結婚したのなら妻として母親として学べる物は学び、着実に成長していかないと、これまた「オバサン注意報」が発令されてしまうのである。それと同時に結婚というものは、夫が仕事で成功できるか否かで大きく変わって来るので、何がなんでも夫には仕事で成功して貰わねばならないのである。

 女性が幾ら年を取っても「年齢をはっきりと言う」「会話を濃縮させる」「身嗜みをきちんとする」というのはやろうと思えばできるものなのである。そういうことをやっている人は「オバサン」呼ばわりされず、「オバ様」扱いされるのである。オバ様と呼ばれるということは、その相手から大事にされているということなのである。

 女性の心身は女性たち本人が思っている以上に変化して行くものだから、自分の考えがこうだからといって、それを貫くのは危険なのである。自分の考えも体も変化していく。変化していくことをエネルギーを発生させるのだが、その際、正しい変化をしていくべきであって、間違った方向に変化していってはならないのである。

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小室直樹の世界

●第一回全日本良書大賞決定!

 俺は今まで様々な本を書評してきたのだが、この度、「優れた良書であり、日本国民に有益な本であり、長らく読み続ける事の必要性がある本」に対して「全日本良書大賞」を贈ることに決めた。今の所、賞金はないですが、名誉なら与えることができます。勝手に贈呈しますので、受け取っておいて下さい。

 それでは栄えある第一回全日本良書大賞は、

橋爪大三郎編著『小室直樹の世界』(ミネルヴァ書房)

に決定しました!bellbell

   小室直樹の世界[橋爪大三郎]

 なんと言っても小室直樹博士の功績が余りにも巨大すぎる。しかも小室ゼミの門下生たちには逸材が揃っている。中にはダメな奴もいるが。小室直樹博士のエッセンスと、弟子たちの師匠への熱い思いが巧く結実したことを高く評価した上での受賞である。 

 この本が有難いのは「著作目録」が付いていることである。現時点で『小室直樹全集』なる物は発行されていないので、この著作目録がないと小室直樹博士の著作物を集める際には非常に困ることになる。それと「年譜」である。非常に丁寧に書かれていると同時に、書き過ぎていない所がいい 

 全504頁というのも丁度いい厚さである。もしも600頁だったら頁数が多過ぎたかもしれない。実質は395頁なので、集中力を維持して読める範囲内であろうと思う。師匠のことを思う余りに余計なことをベラベラと述べると、逆に読者たちは引いてしまうものなのである。

 定価2500円なのだが、この値段だと安すぎるくらいである。1万円で売ってもいいくらいである。今の出版状況だと、もう千円台でいい本というのはもう殆どないといっていい。どうしても2千円以上するので、そのことを読書家たちは解って欲しいと思う。

●滅茶苦茶の人生を送ってきた小室直樹

 小室直樹博士の人生で驚かされるのは、その滅茶苦茶な人生である。小室直樹博士は一人っ子で、父親は5歳の時に死亡したので、母子家庭で育った。家は貧しかったので、典型的な欠食児童で、学校で昼食の時間になるとどこかに消えるということをやっていた。

 13歳で敗戦を迎えているので、小学校教育に関しては戦前の素晴らしい教育を受けたことになる。占領中はアメリカ軍が日本の教育を徹底的に破壊したので、その後、教育とは名ばかりの洗脳が始まるのである。このためガクンと日本の知的レベル,は下がってしまうのである。

 遊びや喧嘩に明け暮れる毎日だったが、中学3年生に数学の教師から呼び出されて説教を受け、癪に障った小室直樹少年は必死になって勉強して、試験で高得点を出すようになった。これ以降、勉強熱心になり、京都大学に進学し、その後、アメリカに留学することになる。

 小室直樹博士は「本物の愛国者」である。大学生の時には社会主義に洗脳されなかった。当時、京都大学では社会主義が大流行していたことを考えると、これは凄いことなのである。学生の時に社会主義に洗脳されてしまうと、終生その洗脳から抜け出すことができなくなるのである。

 それと特筆すべきは39歳から年に1度「断食」をやっているということである。断食をすれば健康になれるだけでなく、知能を大いに高めることができる。それで44歳から本を出版し始めると、非常に質の高い本を書いて行くことができるようになったのである。

●社会科学とは何か?

 小室直樹博士は「社会科学者」である。日本に於いて社会科学を初めて確立させたと言っていい。それまでは日本は西ヨーロッパ諸国から社会科学を輸入していたのだが、やっと日本独自で社会科学を行うことができるようになったのである。

①社会には法則がある

 社会には法則という物が存在する。その社会法則を解明していくのが社会科学である。我々人間がすべきことはその社会法則に絶対服従すべきだけである。社会法則から人間は疎外され続けているのであって、如何なることがあってもその疎外を克服できない。

 だから自分の願望やら主義主張を押し通しても、それは絶対に実現しない。それどころかそのような行動は全て無意味な物になってしまう。だから社会科学が必要なのであって、社会の背後に潜む社会法則を発見することで、より良い社会を築いて行くのである。

 常識では解らない事を解明していくのが科学である。だから科学を学んだ者が、「そんなの常識!」とか言ったりするのは、科学を全く理解していないと言っていいのだ。社会科学はその副産物としてどうしても「大学を出たバカ」を発生させてしまうので、その扱いには注意が必要なのである。

②社会は必ず変動していく

 社会は一定ではない。社会は必ず変動していく。仏教的に言うなら「諸行無常」ということである。社会は変動して行くからこそ生き続けるのであって、静止した社会を求めたり、過去の栄光に縋ろうとすれば、途端に不幸が生み出されて行くことになるのである。

 社会が変動するわけだから、社会科学を駆使すれば未来を予測するのか可能である。だから小室直樹博士はソ連の崩壊を予言したりすることができたのである。社会科学者たちは何か起こった後に、「自分はこうなると最初から解っていました」と言うバカな奴が出て来るものだが、だったらその現象が起こる前に言えと言いたくなる。

 社会が安定すると、優秀な人材が出て来る。それと同時に社会が乱れると、優秀な人材が出て来る。それゆえ「もう日本はダメだ~」という意見は絶対に成り立たないのである。国家がダメになれば、国民たちは必死に考え努力し始めるので、それで優秀な人材が続々と誕生して来るのである。

③社会科学とは条件付きの科学である

 社会科学は自然科学と同等の科学ではない。自然科学は本当の科学であるが、社会科学はもしかしたらインチキ科学かもしれない。なぜなら「人間は必ずしも合理的に行動しないから」なのである。人間は合理的な行動を取ることもあるが、非合理的な行動も取って来るのである。

 小室直樹博士自身、アメリカのパーソンズから「構造ー機能分析」を学んで、それを日本でやったのだが、後にこの考えが破綻し、事実上廃棄している。尤も行動主義科学自体、アメリカで破綻してしまったので、社会科学の先進国であったアメリカ合衆国ですらそうなのである。

 社会科学者たちは「社会科学とは条件付きの科学である」という謙虚な考えを持つべきなのである。社会科学者たちがどんなに努力した所で、社会科学を自然科学のようにすることは不可能なのである。人間という生身の動物たちを学問の対象としている以上、社会科学者が謙虚さを失えば、とんでもない過ちを犯してしまうことになるのである。

●社会科学と実益

 人間がどう生きるかに貢献するのは本来「宗教団体」の役割なので、人間の社会的な行動を解明しようとしていく社会科学は常に宗教団体と緊密な関係にある。西ヨーロッパ諸国で社会科学が発達してきたのは、宗教団体が大学を経営していたからという事情が存在する。

 日本では宗教団体が経営する大学よりも、国公立大学の方がランクは遥かに上である。このため日本では社会科学と宗教と緊密な関係を持つことができず。それで社会科学の発展が大いに遅れてきたのである。このため「東大廃止論」は定期的に繰り返されることになる。東大がある限り、社会科学は発展しないからだ。

 社会科学を宗教から切り離してしまうと、「社会科学の宗教化」という現象が必ず起こって来る。これが社会主義でありフェミニズムの正体なのである。社会科学をやるなら、「社会科学を使って社会を改造するな!」という制約があるということを絶対に忘れてはならない。社会実験をやればやるほど、社会法則から復習を受け、大損害を被ることになるのである。

 社会科学は宗教ではない。宗教が「人間はどう生きるべきか?」を教えるのなら、社会科学は「人間たちが集まる社会の動きを解明していく」程度のことしかできない。社会科学は実益があってこそ存在し続けることができるのであって、実益を出せない社会科学は無価値になってしまうのである。

 だから大学を経営する際、成果を出して来ない社会科学者たちがいるなら、どんどん解雇して行っていいのである。それなのに日本の大学では大学教員は事実上終身雇用にあるので、それでなんの成果も出して来ないのである。大学の経営を改革しないと、社会科学その物が死滅してしまうのである。

●学問の根底には宗教がある!

 小室直樹博士の凄い所は、「学問の根底には宗教がある!」ということを見抜いていたということなのである。それで神道や仏教やキリスト教やイスラム教といった宗教を勉強し、そのエッセンスを立ち所に掴み取ってしまったのである。社会科学は絶対に無宗教では行うことができないのである。

 学者たちの中には平気で「自分は無宗教です」と言うバカな人がいるのだが、無宗教では学者としての条件を満たさないのである。学問というものは宗教から派生してきたものであって、学問の力によって宗教を否定してはならない。もしも宗教を否定すれば、いずれ学問も枯渇してしまうものなのである。

 この本に掲載されている副島隆彦の論文を良く読んで欲しい。小室直樹博士は「<神の予定調和>と<市場>と<疎外>は実は全く同じ物だ」と教えたというのである。副島隆彦は「この教えこそが最も大事であった」と感想を漏らしている。

 西ヨーロッパでは宗教改革によってカルヴァンが「神の絶対性」を再確認し、神の絶対性の前では人間は無価値であると主張したのである。「市場」とは個々の人間の主観や願望では絶対に動かすことのできないルールが存在する商品取引空間である。だから「神の予定調和」を理解している者は経済に於ける「市場」を理解することができる。

 人間は疎外されている存在である。神から疎外され、市場から疎外される。疎外とは人間の主観や願望では動かし得ない物があるということであり、人間社会には社会を貫く法則があるということである。それゆえ人間たちはこの疎外を確認すればいいのであって、如何なることがあっても「人間疎外の克服」などやってはならないのである。

 俺が社会主義やフェミニズムに反対するのは、彼らや彼女たちは「人間の力で社会を変えて行くことができる」と思い込んでいるからなのである。もしも人間たちが社会を改造しようとすれば、必ず社会から報復を受け、自分たちが思っていたのとはまるで正反対の結果が出て来てしまうのである。社会とはそんなものなのであって、だからこそ人間は徹底的に保守的にならねばならないのである。

 俺は間違った教義を持っている宗教にも批判的である。信仰すれば救われrる。念仏を唱えれば救われる。お金を出せば救われる。そんなことは絶対に有り得ない。人間を救済するかしかないかは神が決定することであって、人間の思考や行動によって決まるものではないのだ。

●小室直樹の二大弟子

 小室直樹博士は小室ゼミで大量の弟子たちを育てたが、「橋爪大三郎」と「副島隆彦」が小室直樹博士の二大弟子であろう。小室直樹博士の功績が今後どのような評価を与えられるかは、この二大弟子の活躍如何にかかっていると言っても過言ではない。

 橋爪大三郎は小室直樹博士の学者としての側面を引き継いだと言っていい。惜しむべきは「社会学者」の肩書を持ってしまい、政治学や経済学を統合していった小室直樹博士には及んでいないということだ。現在は大学教授を退職しているので、後は自分で学問を深めて行って欲しい。

 副島隆彦は小室直樹博士の啓蒙家としての側面を引き継いだと言ってもいい。副島国家戦略研究所を主宰しているので、今後、彼の弟子たちが続々と登場してくることだろう。マスコミというのは常に嘘を吐き続けるものだから、マスコミに出ることなく、地道に勢力を拡大していって欲しいものだ。

 この本では「橋爪大三郎の解説」と、「副島隆彦の論文」、それに「橋爪大三郎と副島隆彦の対談」が珠玉である。これらを読めば、小室直樹博士の偉業が解るし、小室直樹博士の二大弟子が如何に凄いかも解ることであろう。内容はレベルが高いので、一読で済ますのではなく、何度も読んで欲しいものだ。

 この本はシンポジウムがメインなのだが、このシンポジウムは全く盛り上がっていない。その理由は司会をやった宮台真司に責任がある。宮台真司は専門用語をベラベラと並べ立てるのだが、本人が良く理解した上で話しているとはどうも思えない。

 なんでこんな人がシンポジウムの司会をやっているのか疑問だったのだが、彼は小室直樹博士からかなり可愛がられたらしいのである。しかしこの程度の能力では、この宮台真司は小室直樹博士の「鬼子」である。もしも将来、小室直樹博士の業績を台無しにする出来事が起こるなら、それは宮台真司によって引き起こされることであろう。

●作家の選別

 俺は様々な本を読んで来て、30代の頃は日本の作家たちの中では「渡部昇一」と「山本七平」が最も優れていると思っていた。二人ともキリスト教徒であり、渡部昇一はカトリックで、山本七平はプロテスタントである。やはり近代革命は西ヨーロッパから起こってきた以上、キリスト教を理解しないと話にならないのだ。

 小室直樹博士は特定の宗教心を持っておらず、死後は無宗教形式で葬式を挙げたが、俺は彼の書物を読んで、「小室直樹博士の思考の根底には垂加神道がある」という結論を持った。垂加神道を知らなかった時はそんなこと思いつかなかったが、垂加神道を知った後は、「これは絶対に垂加神道だ」と思うようになった。

 なんで小室直樹博士はもう存在しない垂加神道の影響を受けていたのかといえば、それは母親のチヨが会津藩士の娘で、しかも父親の死後は会津で育ったので、それで垂加神道の影響を受けたのである。小室直樹博士の弟子たちは「まさか!」と思うが、小室直樹博士はまるで山崎闇斎が復活してきたようなものなのである。

 日本のキリスト教徒の数は人口の1%程度しかいないが、それでも知識人の間では善戦していると思う。ただキリスト教徒の知識人たちは日本人なのに神道や仏教の理解がまるでなっていないのである。そのためレベルを上げて行くことができないのである。

 俺は小室直樹博士の本を読むようになってから、山本七平の評価が低下していった。山本七平は神道も仏教も理解していなかった。そう判断を下さざるを得ないのである。渡部昇一はキリスト教徒でありながらも、或る程度は神道や仏教を理解している。日本は神仏習合で来た以上、やはり神道と仏教の理解抜きにして、日本を語ることは絶対にできないのだ。

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糖質制限ダイエットに挑戦してみました。

●穀物は人類にとって麻薬か?

 人間は本来「果実食動物」である。果実を主食とする動物である。それが進化の過程で肉を食い出すようになった。この肉食に人間の体は或る程度変化したが、それでも変化しきれていないのだ。それなのに人類は穀物を栽培し始めてしまったのである。当然に歴史の浅い穀物には、人間の体は対応しきれていないのである。

 穀物の栽培は遥かに効率のいい栽培である。それまでの狩猟採集経済では食料の獲得が不安定であり、常時「飢饉」になる危険性を持っていたのである。それが農耕を始めると飢饉の危険性が急低下し、それによって人口を増大させることができ、労働に従事しない人たちをも生み出して、文明を誕生させていったのである。

 しかし穀物は人類の大量の病気を発症させているという負の側面も持つ。人間の活動に炭水化物は必要であったとしても、穀物を主食にしてしまえば、当然に炭水化物は過剰になってしまい、その炭水化物過剰な状態が続けば病原菌が活発に活動し始め、それで病気になってしまうのである。

 なぜ穀物の大量摂取は人体に危険なのに、人間は穀物を大量に食べてしまうのかといえば、それは脳が穀物の持つ「甘味」に麻痺してしまっているからなのである。断食をやったことのない人に初めて断食をやらせた時に断食を恐怖するのは、この脳が麻痺している状態を、断食が断ち切ろうとしてくるからなのである。

 だから文明の中で生きる人間にとって穀物とどう向き合って行かなければならないのは、常に考え続けなければならない。穀物栽培こそが文明を作り上げたのだが、その穀物は人類を滅ぼす危険性をも持っているのである。それを知らず穀物を食いまくっているようでは、文明を維持して行くことはできなくなってしまうのである。

 今回紹介する本はこの本!

夏井睦著『炭水化物が人類を滅ぼす』(光文社)

    炭水化物が人類を滅ぼす[夏井睦]

●糖質過剰では逆に頭が機能しなくなる

 俺はこの本を読んで、なんで中華料理や韓国料理がダメなのか実に良く解った。中華料理や韓国料理には「陰陽五行説」が背景にあるので、必ず料理に砂糖を使って来るのである。砂糖を大量に使っているから美味しいと感じてしまうが、それは人体に有害なのであって、食べれば食べるほど病気になっていってしまうのである。

 中国人や韓国人がどうしてああまで凶暴で感情的なのかと言えば、中華料理や韓国料理と言った砂糖を大量に使った料理を常に食っているからなのである。その料理から砂糖を除去しない限り人間はまともな思考をすることができなくなってしまうのである。

 俺はこのブログをやるようになってから、中華料理や韓国料理を食べなくなった。その理由は中華料理や韓国料理を食べながら高度な思考を展開することはできないので、それで自然とこれらの料理を食べなくなったのである。それと共に普段の食事でも砂糖の使用頻度は激減した。

 しかし和食とて安心できない。和食でも高級料亭で出される料理は砂糖を使って来るからだ。中華料理や韓国料理ほどではないが、それでも普通の和食よりは砂糖を使う頻度が高いのである。高級料亭で飯を食っても、脳は巧く機能しないことだろう。

 お寿司だって本来は「酢飯」でご飯を握っていたのである。酢飯でお寿司を作ると本当に美味しい。しかしより美味しくするために「蜂蜜」を使うようになった。蜂蜜では高値だから、それで「黒砂糖」を使うようになった。ここまではまあ良しとしよう。だがその後、「白砂糖」を使うようになってしまうと、これは非常に危険な食べ物になってしまうのである。

 俺は脳を巧く機能させたいのなら、手の込んだ料理より、シンプルな料理の方がいいと思うようになった。その代表例が和食であり、イギリス料理であり、ロシア料理だ。フランス料理やイタリア料理は確かに美味しいのだが、俺から言わせれば弄り過ぎているのである。

●糖質制限ダイエットにチャレンジ!

 実を言うと、この本を読む前から「糖質制限ダイエット」にチャレンジしていた。本当に我流でやってしまったのだが、1日2食にして、朝食の炭水化物は果物とパン、夕食の炭水化物は玄米か麺類にした。主食を抜いてはいないのだが、炭水化物の量を極力抑えたのである。当然に砂糖は抜きである。

 その結果、体がスリムになった。適正体重に戻った。筋肉質になった。特に腹筋が割れ、如何にも男らしい体つきになった。別に病気をしているわけではないので、良い結果はこの程度である。確かに糖質制限ダイエットは短期間で結果が出て来る所が有難い。

 しかし糖質制限ダイエットをやって、脳の機能が低下してしまった。しかも不眠症に悩まされ、体の疲労がなかなか取れなかった。穀物を沢山食べるからこそ熟睡できるのだというのが良く解った。糖質制限ダイエットは炭水化物の量を減らしてしまうから、脳への栄養をどうするかが焦点となるのである。

 糖質制限ダイエットは結果が出たし、悪影響も出て来たので、やめてしまったのだが、これをやるくらいなら断食をやった方が良いのではないかと思った。糖質制限ダイエットは、要は炭水化物にだけ断食をやっているようなものであって、他の食材にも断食をやればもっと効果が出て来るものなのである。

 糖質制限ダイエットを提唱している人たちが男性の医者たちばかりというのが妙に気にかかる。女性は普段の生活で脳を良く使うので、糖質制限ダイエットと言う考えを思いつかないものだ。炭水化物を摂取しなくなってしまうと、脳の機能が低下してしまうからだ。

●糖質制限ダイエットの注意点

 糖質制限ダイエットは決して万能なダイエット法ではない。炭水化物が過剰になっている人たちには有効なだけであって、しかも極端に糖質を制限するのは逆に危険であるということが解っていないと、糖質制限ダイエットのために有害なことが出て来ると思う。

 尤も病気の人がやる分には構わない。これは炭水化物に対する断食だから、断食を無理なく行うことができるのである。断食よりも病気が治るスピードは遅いが、それでも無理なく続けて行くことができるので、確実に病気を治して行くことができる。

 メタボの人がやれば糖質制限ダイエットは断食の変形のようなものだから、痩せることができる。メタボの人はとにかくお酒をやめることだ。お酒を飲むからこそ太るのである。糖質制限ダイエットが頂けないのは、飲酒を認めているということなのである。

 脳は或る一定の炭水化物を常に必要とし続けているのである。全く炭水化物を取らないというのは、脳にとって非常に有害なのである。炭水化物の量を減らしてもいいが、脳を機能させるために必要な量だけは取っておくべきなのである。

 俺はこの糖質制限ダイエットを妊婦や育児中の母親たちは勧めることができない。妊婦は妊娠のためにかなり多くの炭水化物を必要とするし、出産して授乳が始まればより多くの炭水化物を必要とするからだ。それなのに炭水化物を摂取しないとなれば、狂気の沙汰であろう。

 ただこの本を読んで、産後鬱や育児ノイローゼに罹るのか良く理解できた。白米や白パンを食っていると、産後鬱や育児ノイローゼになってしまう。授乳のために栄養が出て行くので、それで炭水化物と蛋白質のバランスが崩れ、脳が機能しなくなってしまうのであろう。

●読後感想

 この本を読み始めの印象は、

「この人、嫌な人だな~」

だったが、この本を読み終えた際の印象も、

「この人、本当に嫌な人だな~」

だった。俺は本を読む際、作者の人格など無視し、その本に書かれていることをまずは読み理解していくのだが、この作者の場合、人格的に問題があるために、本を読みながら、どうしても作者の人格のこと考えてしまった。

 この作者は前書きで、

「できれば同年代の男性に読んで欲しくない」

と言い、自分だけ女性にモテたいという願望を強烈に持っていることをあからさまにする。つくづく男性というのは女性に或る程度は持てないと、人格自体が歪んでしまうというのが実に良く解る一例だ。

 この作者には飲酒癖があるみたいで、穀物の害を熱心に説く割には、飲酒の害は全く触れていないのである。飲酒は肝臓と腎臓に甚大なダメージを与える以上、健康になりたければまずは飲酒をやめることだ。お酒は何か祝い事がある時にだけ飲めばいいのである。

 新書というのは解り易く書かねばならないのに、この本は新書なのに小難しいのだ。原因は恐らく家族との会話が非常に少ないからではないだろうか? 飲酒の習慣を持ち、趣味でピアノをやっていれば、当然に家族との会話量は激減してしまうものである。

 最も許せないのがこの本の落ちで、最後の最後で

「大脳の能力は穀物によって開花した」

と言っているのである。「だったら糖質制限ダイエットなんか勧めるな!」と反論したくなる。俺が糖質制限ダイエットをやって、脳の機能が低下したのは、まさにこれが原因だからである。

 更に怒りに増幅させたのは、後書きで

「本書は仮説を大胆に展開している」

と書いているのだが、もう絶句である。「そういう大事なことは前書きで書け!」と俺は激怒してしまった。自分が糖質制限ダイエットを研究し、その結果をこの本に綴ったのではなく、自分の仮説を綴ってきたのだから洒落にならない。この作者が穀物を食っている所を発見したら、俺はこのバカを射殺したくなった。

 念のためにこの作者のプロフィールを見てみると、案の定、この作者は糖質制限ダイエットの専門家ではなかった。専門は「創傷治療」。だったらそっちの方面の研究をやるべきであって、専門外のことには手を出すな。販売元の光文社も光文社だろ~。なんで専門家でもない人にこういう本を書かせるんだ? 大体、糖質制限ダイエットは「江部康二」が提唱した物なのであって、だったらその人物にこの手の本を書かせればいいのである。

 この本は問題を大量に含んでいる正論ではあるが、これは極論であって、使用するには要注意を要する。ただ、今の人類が炭水化物過剰に陥り、それで様々な病気を引き起こしていることは事実である。だからと言って穀物を一切摂取しないというのはまともな意見とは言えない。

 とにかく、この本を買った人たちは、もしもこの作者の夏井睦が穀物を食べている所を発見したら、即座に射殺するか撲殺すべきであろう。この作者は人格的に信用できないから、こういう本を書きながら、私生活ではこっそりと穀物を食っているに違いない。

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買ってはいけない飲み物、買ってはいけないお菓子

●なんで子供はジュースやお菓子を欲しがるのか?

 育児や子育てをしている時、本当に困るのが「子供たちへの飲み物やお菓子の問題」なのである。無闇にジュースやお菓子を与えてしまうと、子供は食事を食べなくなってしまうからだ。しかもジュースやお菓子を飲み食いすると、我儘な子供に育ってしまい、余計な世話を焼かねばならなくなるからだ。

 そもそもなんで子供たちはそんなにジュースやお菓子を欲しがるのかといえば、それは体が炭水化物を優先させているからなのである。子供の時は体が成長しているから、体は早くに燃焼し易い炭水化物を欲しがり、それで子供たちはジュースやお菓子といった糖分の入った物を欲しがるのである。

 大人になってしまうと、そんなに炭水化物は要らなくなる。食事で果物や穀物を摂取していれば充分なのであって、それ以上何かを食ってしまうと、それが原因で病気を発症してしまうのである。だから自然とブレーキがかかる。しかし子供は成長過程にあるので、そういうブレーキが効かないのである。

 ジュースやお菓子を子供に与え過ぎてしまうと、子供は確実に「虫歯」になる。子供の歯は頑丈ではないので、糖分を大量に取り過ぎてしまうと、歯が溶けてしまうのである。それが虫歯である。虫歯予防のためには歯磨きすることは大事なことであることは勿論のことであるが、それ以前にジュースやお菓子を控えさせた方がいいのである。

 母親としては子供たちにジュースやお菓子を与えないことこそが最善の選択肢なのである。しかし実際の育児や子育てでは、子供たちがジュースやお菓子を要求して来るのである。この矛盾こそが母親たちの悩みの種なのであって、「さて、どうするべきか?」ということになってしまうのである。

●母親だから勉強しなければならない事

 今回紹介する本はこの本!

渡辺雄二著『買ってはいけない飲みもの、飲んでもいい飲みもの』(大和書房)

渡辺雄二著『買ってはいけないお菓子、買ってもいいお菓子』(大和書房)

  買ってはいけないお菓子買ってもいいお菓子

 これらの本を読めば、何かを買ってはいけないか、何を買っていいかが解るので、それを基準に飲み物やお菓子を買っていけばいい。読めば解ることだが、有名な商品ほど危険な飲み物であり有害なお菓子なので、これを期に考える改めた方がいいだろう。

 母親だから勉強しておかなければならないことというのは沢山ある。それなのに「自分は頭が悪いから~」といってその勉強を拒否していると、子供たちが悪徳企業の餌食になってしまい、取り返しのつかない損害を負ってしまうことになるのである。

 「キレ易い子供」というのは、市販のジュースやお菓子を食べ過ぎて、糖分過剰になっている子供たちのことなのであって、それは精神病とかではなく、市販のジュースやお菓子をやめさせれば自然と治るものなのである。それを知っておくだけでも、育児や子育てを安全に行えるようになるのである。

 食品添加物は本来使用してはならないものである。例外として使用が認められているに過ぎない。しかし悪徳企業はその例外をバンバンやりまくり、それで粗悪な商品が市場に出回ることになってしまうのである。食品添加物は体内に蓄積されてしまうものだから、その状態で妊娠しようものなら「心身障害者」の赤ちゃんを産んでしまうことになるのである。

 俺は去年、知的障害者の施設でボランティア活動をしたのだが、たった3ヶ月間で辞めてしまった。その理由は、この施設ではオヤツの時間があってお菓子が出るのだが、そのお菓子がどれも危険な物ばかりだったからなのである。こんな危険な物を知的障害者たちは喜んで食べていたので、俺は「この子たちの母親もまたこの危険な物を食べていたんだ。だから知的障害者の赤ちゃんを産んでしまったんだ」とすぐに理解してしまった。

●ブラック企業は一発退場

 紹介した本はいい本なのだが、ただちょっと頂けないのが、基準が甘すぎるということなのである。飲んでもいい飲み物、食べてもいいお菓子と紹介されていても、俺の基準からすればダメな物が多々あった。これは考え方の違いであろう。

 

 俺が提唱する基準は「ブラック企業は一発退場」ということなのである。

 例えばコカコーラ社は「コカコーラ」と超有害な飲み物を出している。その一方で「痩健美茶」というまあ安全と言える飲み物を出している。こういう場合、コカコーラ社がどんなにいい商品を出していても、有害な商品を出している以上、その企業が販売している物は全部買ってはならないとすべきなのである。そうしないと有害な商品を作っている企業が生き続けてしまうことになるのである。

 この問題は本来なら法律で規制すべき物なのである。国会が有害商品を定めてその有害商品の製造販売を禁止し、もしも人体に有害な食品を作った企業があったのなら即時解散という行政処分を下すべきなのである。勿論、一発退場は企業にとって怖いものだから、商品を販売する前に「公共の検査機構」のチェックを経て、その上で販売すべきなのである。

 本当に良い物を作っている企業はテレビCMをしない。テレビCMをしない分、製造費に充分な費用を投入するのであって、だから安全な商品を販売することが可能になるのである。テレビ局は広告料を貰っている以上、有害商品を販売している悪徳企業のことにはタッチしないので、それで悪徳企業はやりたい放題にやってくるのである。

 母親たちが賢い消費者になって安全な物を購入することは確かに大事なことである。しかし商品だけに拘るのではなく、企業にも目を向けて欲しいのである。有害な商品を作っている企業はたとえ1つや2つ安全な商品を作っていても、その企業が存在している限り、市場には有害商品が出回るのである。そしてその被害は消費者たちの間で発生してしまうのである。

●気を付けるべき飲み物

 渡辺雄二さんの本とは関係なしに、俺が今まで経験した中で、「この飲み物には気を付けておいた方がいい」という物があるので、それを紹介しておく。一応、安全な物として売られているのだが、それを飲んでいれば何からしらの悪影響が出て来るというものである。

①烏龍茶

 烏龍茶は脂肪を溶かすのだが、実際に飲んでみると脂肪を溶かし過ぎてしまい、脳の機能に悪影響が出て来るのである。そもそも烏龍茶は中華料理のように肉と油を大量に使った料理を食べた後に飲む物なのであって、それを中華料理を食べていないのに飲むものではないのだ。

②硬水のミネラルウォーター 

 硬水のミネラルウォーターは清涼飲料水より遥かに健康なものなのだが、日本人の場合、軟水に慣れているために、硬水を飲むと水分が出にくくなり、水太りや冷え症を引き起こしてしまうのである。ファッションモデルたちは盛んに硬水のミネラルウォーターを飲んでいるのだが、全員が全員、冷え症に悩まされていた。

 硬水のミネラルウォーターが使えるのはせいぜい「便秘解消」ぐらいである。便秘の女性が硬水のミネラルウォーターを飲むと便秘が解消される可能性がある。ただそれだけのことであって、便秘が解消されれば、もうそれ以降は飲まない方がいいのだ。

③微炭酸水

 微炭酸水とは炭酸がごく僅か入っている炭酸水のことで、美容にいいということで飲んでいる女性は結構多いと思う。しかしこの微炭酸水を飲んでいると体内が酸欠になってしまい、美容どころか逆に体調不良で悩まされることになってしまうのである。

④発泡酒

 発泡酒はビールよりも値段が安いからといって買われることになるのだが、発泡酒だと糖質が過剰になってしまい、夜間にこれを飲むのは非常に危険なのである。しかも味覚が狂うので、いざビールを飲んでもビールの味が解らなくなってしまうのである。

 「発泡酒は貧乏人の飲み物」と割り切って、今後絶対に飲まない方がいい。多少値段が高くてもビールを買うべきであって、ビールであるなら利尿作用があるので、大量に飲まなければ安全な飲み物なのである。ビールは古代から飲まれてきた飲み物である以上、下手に変えてはならないのである。

⑤ワイン 

 ワインは糖分が少ないので、ビールよりも優れた飲み物である。しかし市販のワインには「亜硫酸塩」が使用されていて、この亜硫酸塩こそが頭痛を引き起こすのである。しかもこの亜硫酸塩は女性の場合、不妊症を引き起こすし、赤ちゃんを産んだとしても小児性白血病を引き起こす可能性が出て来る。

●オヤツ対策

 子供たちへのオヤツ対策としては、朝の段階で「果物」を沢山食べさせることだ。要は果物が不足しているからこそ、日中にジュースやお菓子を欲しがるのである。自宅には果物を常備しておき、子供たちが何か飲み物を欲しがったら、それを与えればいいのである。

 子供のオヤツとしては「木の実」が最適である。木の実を食わすと、食事になってもちゃんと食べれくれるからだ。しかも植物性脂肪や植物性蛋白質を補給するので、糖質の入ったジュースやお菓子を飲み食いした時よりも、遥かに持続力が出て来て、賢い子供に育ってくれるのである。

 ただ、どうしても甘いお菓子を食べたいと言う時がある。そういう時は「黒糖のお麩菓子」を食べさせるといい。黒糖で糖分を安全な形で補給できるし、お麩はグルテンの塊なので、脳の疲労を除去してくれるのである。子供のお菓子としては最適なのである。

 頭のいい子に育てたいのなら、とにかくオヤツ対策はしっかりとしておくことだ。オヤツに碌でもない物を飲み食いしていれば、いずれ学校の成績が悪くなるという結果が出て来てしまうのである。オヤツをどうするのかは母親の権限だから、母親の責任という物は重い物なのである。

 また時には子供たちを連れてハイキングにでも出かけ、オヤツを食べることができない状況を作り出すことだ。子供たちが動き回って、体内の糖分を使いきれば脂肪が燃焼し始めるので、それで「オヤツが欲しい!」とは言わなくなるのである。

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五十路の美熟女の恋と性

●四十路と五十路の違い

 俺が十代の頃、自分より年上の女性は全て「オバサン」扱いだった。自分が中学生の時は女子高校生以上全てオバサン。自分が高校生の時は高校を卒業した女性たちは全てオバサン。実に尖がっておりました。当然に自分の初恋の相手は同い年の女性であって、俺の人生の中に年上の女性を恋愛の対象内に入れるということはなかった。

 しかし自分が年を取って来ると、10代や20代の女性たちの愚かさが目に付き、それに対して40歳以上の女性たちの人生経験の豊富さが微笑ましくなってしまった。年齢を重ねなければ絶対に獲得できない物の凄さを理解するうようになったということなのである。

 この度、不覚にも、自分よりも遥かに年上の「五十路の美熟女」にメロメロになってしまった。その女性は五十路だというのに可愛らしく、それでいながら年相応のお洒落をし、話してみれば話の内容が実に深いのである。因みにバストは「Fカップ」とのことで、俺は指を折りながら、「A、B、C、D,E、F」と数えてしまった。

 熟女の魅力は年を取らねば解らないというが、まさにその通りで、俺も熟女の魅力が解る年頃になってしまったのである。熟女でも四十路と五十路ではまるで違う。

 四十路の熟女は「爛熟」

 五十路の塾は「爛熟し過ぎて熟れ熟れになり崩壊が始まっている」

 何が両者をこうも分けてしまったのかといえば、それは「閉経」なのである。40代の女性はまだ閉経をしていないから女性として爛熟しているが、50代になると閉経し出す女性たちが出て来るので、それで肉体の崩壊が始まるのである。

 若い時なら「垂れたオッパイ」や「垂れたお腹」や「垂れたお尻」を見てなんとも思わなかったが、俺も人生経験を積んで来ると、「それは女性にとって勲章のような物で、素晴らしい生き方をしてきた女性はその姿が実に魅力的なのである!」ということが解ってしまったのである。

●人生を楽しく生きることの大切さ

 俺は「この五十路の美熟女がなんでこなんにも魅力的なのか?」は彼女の話を聞いてすぐに解った。理由は簡単で「人生を楽しく生きているから」なのである。その女性は専業主婦だからもしれないが、結婚して子宝に恵まれ、幸せな家庭を築いている。だから毎日が楽しい。

 しかしその楽しさは浅い物ではなく、女性ホルモンの分泌量の低下によって女性である自分が枯れて行くことの不安が背後にある奥深い楽しさなのである。「このままの生き方でいいのか?」ということを絶えず自問自答しながら生きているのである。

 若い時はまさか自分が老いて行くなどと思わないから、人生を楽しんだとしても底の浅い物になってしまい、奥深い楽しさを実現できないのである。女性は26歳がお肌の曲がり角なので、その時期に自分の若さも永遠ではないということが解り、それで結婚してくる女性たちが出て来るのである。

 初潮とか初体験とかは若い時に行われるから、女性たちは皆似たような経験をするのだが、閉経となると人生経験をかなり積んだ上で行われるので、人生経験を充分に積んだ女性はその閉経を価値ある物にできるが、人生経験がちゃんと積んでこなかった女性は閉経を無価値な物にしてしまうのである。

 男性の場合、四十歳前後が人生のター⁰ニングポイントとなる。しかし女性は女性ホルモンの分泌量の変動によって自分の人生を変化させて行くので、19歳が肉体のピーク、33歳が女らしさのピーク、閉経以降が老後となる。女性が男性よりも優れているのは、人生の変化を自分の肉体の変化で理解できるということなのである。

●閉経してもセックスはすべし

 女性は40代で女性ホルモンの分泌量が低下し始めると、最後の輝きを発するかのように性欲が最高レベルにまで高まる。閉経後は性欲が低下するのだが、それでも閉経したとしても多少の性欲は残っているのである。この性欲の変動をどう処理していくかなのである。

 結論から言ってしまうと、40代で性欲が高まった時にセックスをやりまくり、閉経後にもセックスを遣り続けた方がいい。この時期に「自分は男性から愛されているんだ」、逆に「自分はこの男性のことが好きなんだ」という気持ちがあるとないのとでは人生がまるで違ったものになってしまうものなのである。

 閉経後のセックスが有難いのは、もう妊娠しなくなるので、避妊のことなど全く考えなくて良くなるのである。閉経後のセックスは「中出し」が基本である。射精によって膣の中に精液が放出されると、それが子宮を通って脳にまで達し、脳をご機嫌状態にさせてくれるのである。しかも精液は高蛋白質なので、精液は女性の体を物凄く綺麗にさせてくれるのである。

 閉経するば体力が低下する以上、セックスをするなら時間をかけたセックスをするようにしなければならない。人間の集中力のことを考えたら、「3時間」ということになる。時間をかけてゆっくりとセックスを行えば、体力が低下していても、充分に堪能することができ、それどころか若い時よりも遥かにレベルの高いセックスをすることができるようになるのである。

 閉経後にセックスを定期的にやっていないと、いざセックスをしようとしても「性交痛」なるものが発生することになる。性交痛はそれこそセックスをする度に激痛が走るので、それでもうセックスをすることが嫌になってしまうのである。性交痛はセックスをし続けている限り起こらないものなので、やはり閉経したとしてもセックスをした方がいいのである。

●夫婦間セックスの卒業は有り得る

 五十路の女性が絶対に考えなければならないのは、「夫婦間のセックスの卒業は有り得る」ということである。妻が閉経したら、「女としてはもう終わりだ」と考える既婚男性というのは必ずいるものなのである。五十路の美熟女の体に魅力を感じないのならセックスはしない。その代わり若い女性とセックスをするのである。

 こういう場合、セックスのことを除けば離婚する原因は全く見つからない。だったら熟年離婚をしなくていいが、夫婦間セックスを卒業して、セックスのことに関しては夫婦別々の行動を取っても良いという合意を持つようにすればいいのである。

 男性は加齢によって性欲が減少するが、女性のように閉経というものはない。このため男性は年を取っても「老いらくの恋」をする可能性があるのである。それに対して女性の方は閉経後「老いらくの恋」などないが、「老いらくのメイクラブ」というものは存在するのである。

 セックスだけの関係ではないにしても、セックスをすることで愛を増幅させて行き、それによって人生を充実させて行くのである。こういう大事な時にセックスをする相手がいないというのは、本当に過酷な物で、セックスをしなければ急速にお婆さんと化して行ってしまうのである。

 女性の心身のことを考えるのなら、死ぬまでセックスをした方がいい。閉経後、セックスをし続けているのなら、大概の病気をしなくて済むようになるものなのである。閉経したからといってセックスを卒業しているようでは、その後に待っているのは病気の多発なのであって、それで早々と落命してしまうことになるのである。

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青森県が抱える有効求人倍率の問題

●有効求人倍率がワーストの青森県

 まずは、有効求人倍率のベスト3とワースト3を見て頂きたい。

ベスト3

1位 愛知県  1,92%

2位 東京都  1,68%

3位 三重県  1,42%

ワースト3

44位 北海道  0,62%

45位 沖縄県  0,47%

46位 青森県  0,44%

 データは2006年の物を使用しているが、当時、大学を卒業して就職した者たちが今では30歳になっているので、このデータの方がより現実を知る貴重なデータとなりうる。このデータを使えば、結婚率とか出生率とかの関係が良く解るようになるのだ。

 ベスト3に共通することは、「物作り」を行っているということなのである。しかも国内で売るためだけではなく、海外にも売れる物を作っているからこそ、こうも有効求人倍率が高いのである。ベスト3の都道府県は地元出身者では足りないので、それで他の都道府県から人材を受け入れるということをやるのである。

 これに対してワースト3に共通することは、「観光」に重点を置いているということなのである。貧乏な都道府県は貧しいから起死回生の策として観光業を振興させようとするのだが、それでは県内の労働者たちを吸収しきれないのである。それで県外に人々が出て行ってしまうという現象が起こるのである。

 青森県に至っては2人に1人が就職できないという現実が存在している。青森県に大量の失業者が発生しないのは、農家や漁師が吸収してしまうからであって、これに吸収されなかった者たちは県外に出て行くしかないのである。それで東京には意外と青森県出身の者たちが多いのである。

 青森県の有効求人倍率は日本で最貧の沖縄県よりも酷い。沖縄県も北海道も中央政府からは開拓地扱いなので、それで巨額の補助金が出るのだが、青森県はそういう補助金は出ないので、中央政府に頼ることができないのである。

 だから青森県にとって東北新幹線を引き込むのは念願だったのである。新幹線を延長させることに関しては、財界から非常に強硬な反対意見が存在していたのであるが、自民党は財界を敵に回して出ても押し切ったのである。そのため一時的に野党に転落するという事態はあったのだが、それでも自民党は青森県のことを考えて新幹線を青森県にまで延ばしたのである。

●未だに津軽藩と南部藩に分かれている

 青森県は東北地方の北端に位置しているので、場所的には非常に恵まれている場所に存在している。津軽海峡を渡れば北海道なのだから、北海道との交易を活発化すれば自然と経済は発展していくようになる。北海道の寒さは痺れるような寒さなのだが、青森県の寒さはそうではないので、この点でも恵まれているのである。

 青森県の県民性は「辛抱強い」「誠実で温和」「考え込む傾向あり」の3つに集約できる。辛抱強いのは雪国の人々の特徴であり、誠実で温和というのはそれだけ食事が良いということである。特筆すべきは東北地方の中で青森県民だけが考え込む習慣を持っており、本来ならこの思慮深さを政治や経済や文化に活かされて良い筈なのである。

 ではなんで青森県民はその県民性を巧く活かしていないのかといえば、それは青森県では東部と西部ではまるで県民性が違うからなのである。東部は元「南部藩」であり、この地方の人たちは無駄遣いを一切しないという性格である。これに対して西部は元「津軽藩」であり、ファンションセンスが豊かで、服装を見れば明らかに違うということが解るのである。

 南部藩は岩手県からやってきたのであり、征服者なのである。とはいっても、津軽氏は元々南部氏の支族で、南部氏から独立したという経緯がある。青森県に行ってみると、青森県東部はなんとなく岩手県に似ている。青森県西部は秋田県の影響を受けつつも、かなり違うのである。

 青森県民同士でも東部と西部とでは方言が通じない。青森県の方言は余所者にしてみるとかなりきつい方言で、何を言っているのかサッパリ解らないのだが、青森県民同士でなら通じると思いきや、そうではないのである。こういう所も青森県の発展を妨害する要因となっているのだ。

●青森県政の落とし穴

 青森県のような非常に特殊な地方自治体は知事制で統治を行ってしまってはまともな政治を行うことができない。もしも知事が強力な指導力を発揮すると、青森県が東部と西部に分かれて内部抗争を起こしてしまう危険性があるのだ。このため知事は指導力を発揮しない。しかしそれでは余計に県政が停滞してしまうのである。

 青森県の特殊事情を考えるのなら、知事を「二人制」にし、東部と西部の双方が知事を出し合って、両者が協力することで県政を取り仕切って行くようにしたらいい。知事の任期を5年にして、下手に知事の交代が起きないよにする。それと同時に再選を禁止して、長期政権を認めない。こうするからこそ、知事に強力な権限を与えつつも、知事に対して掣肘を加えることができるのである。

 青森県のような地方自治体は「長老制」を導入することが必要不可欠である。県政に於いて重要な役職を経験した者たちを集めて「県政評議会」を設置し、そこで県議会や知事に対して勧告を与えることで、青森県の特殊事情を無視した決定をさせないようにするのである。

 青森県は有効求人倍率が全国最下位ということは、それだけ人々は硬直した経済体制で仕事をしている以上、県民たちは急激な変化を求めず、そのために知事が何期も務めてしまい、それで県政が思いっきり停滞するということになってしまうのである。

 県議会にしても、幾ら選挙をやっても同じ県議会議員が当選してしまい、それで青森県に変化を引き起こすような条例が制定されず、それどころか社会保障を充実し過ぎてしまい、それで余計に県の財政が悪化するという事態を引き起こしてしまうのである。

●有効求人倍率が低いと何が問題になるのか?

①若者たちが県外に出て行ってしまう

 政治家にとって有効求人倍率というのは非常に重要なデータである。有効求人倍率が「1%」を下回れば、若者たちは就職できない、結婚できない、結婚しても子供を産み育てるだけのお金がないということになってしまい、結婚率は下がるし、出生率だって下がってしまうのである。

 当然に若者たちは県外に移住することになり、その地方自治体では過疎化が一気に進展することになるのである。老人たちはお金をそんなに使わないから、過疎化が起こる経済も収縮して行く。そうなれば益々貧乏になってしまい、結局、人が住めない土地になてしまうのである。

②優秀な人材が公務員になってしまう

 県外に移住する者たちは優秀な者たちが多いのだが、県内に残っている優秀な者たちは公務員になりたがり、事実、それをやってくるのである。というのは経済力の低い場所では、公務員は高給取りであり、しかも身分が保障されている。こうなれば自らビジネスをやるより、公務員になってしまうのである。

 こうなってくると起業率が格段に下がってしまい、新しい会社が起こって来ないのだ。有効求人倍率の高い地域は起業率も高いのであって。だからより多くの人々に職を与えることができるのである。ベンチャー企業が出て来ないということは、有効求人倍率を余計に引き下げてしまうことになるのである。

③県民自体が腐ってしまう

 有効求人倍率が低い所では若者たちが希望を持つことができない。このためそういう地方では不良らしい不良が大量に出て来るのである。「田舎ではヤンキーがモテる」という鉄則があるのだが、こうなってしまうと、その地方の美人たちは不良と結婚してしまい、益々民度が下がってしまうことになるのである。

 県外に移住してしまった者たちは出身地の地方自治体に対して選挙権を持たないから、県外に出て出身地の地方自治体の政治が間違っていると解っても、それを政治に反映させる機会がないのである。こうなるとその地方自治体では「バカじゃないの!」と言いたくなるようなおバカな政治が展開されてしまうことになるのである。

 青森県では大間に原子力発電所があるのだが、この大間には大間漁港があって、マグロの水揚げ漁港なのである。なんでこんな所に原発を持って来るのかと疑問を思ってしまうのだが、「原発の問題には貧困問題が裏にある」ということが解ると、簡単に答えが解るのである。だから日本共産党が原発問題に手を出して来るのである。そして日本共産党が入って来ると、原発問題がややこしくなってしまうのである。

●新しい変化を起こすのは、「若者」「余所者」「奇人変人」

 新しい変化を起こすのは、常に「若者」「余所者」「奇人変人」である。それと同時にその変化を巧く制御して行くことができるのは、「人生経験」と「知恵」が豊富な「賢人」である。この両者が組み合わさると、新しい変化を有益な形で定着させることができるのである。

若者

 青森県のように有効求人倍率が低い所では、若者たちを大事に育てていかないと、青森県に変化を引き起こすことができなくなってしまう。とにかく物作りの大切さを理解すべきであって、売れる商品を作っていかなければ、若者たちを就職させることができなくなってしまうのである。

 会社も社員の平均年齢が38歳を超えると、その会社は柔軟性をなくしてしまう傾向にある。若者が就職できない場所では、社員の平均年齢が高くなってしまうものだが、そうなると組織は硬直化し、新しい事業を行うということをしなくなってしまうのである。

②余所者

 青森県のように県民が県外に出て行かざるを得ない県では、余所者というのは想像以上に大事である。その余所者が新しいビジネスを生み出してくれるからだ。青森県だからこそ、結婚によって余所者を県内に定着させ、新規産業が起こるように仕向けていかなければならないのである。

 できることなら、なんらかのビジネスをやっている人が移住してきてくれるのが一番有難い。移住者がやっているビジネスはその移住先には存在していなかった以上、すぐに軌道に乗ってしまい、それによって他のビジネスをも生み出して行くことができるようになるからなのである。

③奇人変人

 青森県のような場所で最も出にくいのが奇人変人である。奇人変人がいればイジメの対象になってしまい、それで自殺したり、県外に逃亡してしまうのである。こうなると県内には普通の人たちばかり揃ってしまい、珍奇なアイデアを生み出す人がいなくなってしまうのである。

 東京とかではこの奇人変人が異様に多いのである。だから様々なビジネスが生み出され、都市として発展していくことができるのである。青森県民には個人レベルでは考え込む傾向があるのだが、青森県全体としてはその能力を活かすことが出来ていないのである。奇人変人たちを追い出してしまうと、そういう状態になってしまうものなのである。

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蔵書と宗教の関係

●読書の基本は読経にあり

 読書の基本は読経にある。経典を何度も読み返すかあらこそ、その経典をより深く理解することができるのであって、それによって読解力が深くなっていくからだ。新しい本を次から次へと読んで行っても、知識量は増えるかもしれないが、読解力は向上していかないのだ。

 当たり前のことだが、経典は宗教団体が作ることになるので、だから宗教団体が経典を作り、その経典を信者たちに普及させ、信者たちにその経典を読むよう義務付けないと、文化という物は発展してこない。宗教は文化の頂点に君臨することはないが、文化の基盤を形成する役割を果たして来るのである。

 古代の宗教では祭祀に重点が置かれていたので、経典を読むのは飽くまでも宗教家たちだけなのであって、信者たちは経典を読むことがなかった。信者たちに経典を読まさせるためには、信者たちに読み書きを教え、信者たちに経典を読む機会を確保し、それに何より信者たちの方が経典を購入できる経済力を持たねばならないのである。

 これをやったのがユダヤ教である。ユダヤ教は偶像崇拝が盛んに行われていた古代エジプトで誕生した物なのであって、偶像崇拝は確実に宗教的堕落を引き起こすことを見抜き、それで「祭祀から読経へ」とシフトしていったのである。

 ユダヤ教徒たちは読経していたからこそ、異教徒たちよりも高い文化を持てるようになった。そのユダヤ教徒の中からイエスが出て来て、それでキリスト教が誕生するとヨーロッパ中に広まってしまったのである。それだけ読経をしない宗教というのは文化レベルが低いということなのである。

●教団と図書館

 キリスト教に続いて出て来たのが「イスラム教」なのであるが、イスラム教はユダヤ教の経典よりも遥かに読み易い物にしたために、信者たちは難なく経典を読lめるようになった。このためイスラム教徒たちはユダヤ教徒やキリスト教徒を圧倒して行き、非常に高い文化を生み出して行ったのである。

 イスラム教は画期的だったのは、その豊かな経済力を使って「図書館」の整備して行ったことなのである。図書館があったからこそ、図書館を使用した学者たちが研究を深めて行くことができ、それによって学問が一気に花開いていったのである。

 中世はイスラム教諸国が大繁栄した時代である。古代ギリシャで産まれた科学はキリスト教の登場によって一旦死滅したが、イスラム教諸国が古代ギリシャの古典を研究することで科学が復活し、それがヨーロッパに輸出されて、ヨーロッパではルネッサンスという文化運動が起こったのである。

 近代以降、イスラム教諸国は衰退期に入ってしまったのだが、「なぜイスラム教は劣勢に立たせれたのか?」とイスラム教の学者たちは散々に議論することになった。その結果、「コーランの読み過ぎ」という結論が出て来てしまったのである。イスラム教徒たちがコーランを読み過ぎてしまったために、創造力の枯渇という現象が起こってしまったのである。

 イスラム教徒たちが直面した問題は、宗教史的には非常に大問題なのであって、 読経は確かに高い文化を与えるが、読経は創造力を枯渇させるという悪影響を持っているということなのである。文化というものは創造力がなくなれば、衰退し崩壊して行くことになってしまうのである。

●キリスト教の宗教改革

 ローマカトリック教会は信者たちに聖書を読ませなかった。このためヨーロッパの中世は暗黒時代になってしまった。現在、ヨーロッパの中世は暗黒時代ではなかったという意見が出て来ているのだが、それは大嘘である。中世はイスラム教諸国が圧倒的に繁栄していたことこそが事実なのである。なぜならイスラム教は信者たちにコーランを読ませていたからだ。

 キリスト教徒たちが聖書を熱心に読み始めるのは、宗教改革以降なのである。ルターが宗教改革の口火を切った時、印刷技術も発達していたので、それでプロテスタントたちは聖書を個人で所有することができるようになり、自宅でせっせと聖書を読みまくっていたのである。

 しかしプロテスタントの中でカルヴァン派の人たちはカルヴァンが『キリスト教要綱』を書いたこともあって、聖書だけでなく、それを補完する神学書をも読むようになった。聖書以外の読書に熱心だったのはカルヴァン派の人たちだけだったのであり、彼等は蔵書を持つようになったのである。

 これに対してルター派の人たちは本を読まない。ルター派は信仰義認説を強調するので、それで信者たちは信仰しさえすればいいということになってしまったのである。このためルター派が強い所は文化が停滞し、カルヴァン派が強い所は文化が発展していくと言う現象が起こって来るのである。

 イギリスはイギリス国教会を国教にしてしまったのだが、このため信者たちは信仰に余り熱心にならなかった。それどころか洗礼を受けない者たちが続出してしまった。ただイギリス国教会があったことで、宗教的には非常に安定させることができたのである。

 これによってイギリス人たちは世俗化以降に大量の蔵書を持ち始めるようになるのである。だから文化的には後進国だったイギリスが近代化以降、急速に文化レベルを上げて行ってしまったのである。プロテスタントの中ではイギリス国教会の評価が非常に低いものなのだが、イギリス国教会は他のプロテスタント系宗教団体よりも遥かに高い功績を打ち立てたのである。

●明治維新に於ける宗教改革

 日本の場合、庶民レベルで蔵書を持つというのは、キリスト教とは関係なしに起こった。江戸時代では儒教が御用学問となるのだが、朱子学は博物学的傾向を持っており、朱子学を勉強すると、四書五経だけを読むのではなく、自然と他の書物を持つようになった。

 この朱子学の博物学的傾向を受けて日本の和歌や歴史に対する研究が進み、それが「復古神道」へと昇華して行くことになる。復古神道は漢意を排して真心を発見することになるのだが、一旦真心を確立してしまえば、その後は幾らでも外国の文献を読んでいいということになるのである。

 このため復古神道が普及し出すと、復古神道の信者たちは大量の蔵書を持つようになるのである。この需要を受けて行われたのが塙保己一の『群書類従』の編纂なのであって、この『群書類従』は復古神道の信者たちが大量に買いまくったものなのである。

 その後、明治維新が起こり、政府による神仏分離令が廃仏毀釈という違う事態を引き起こしてしまうのだが、これによって仏教は大打撃を受け、明治年間では沈黙を強いられることになる。日本はこの時期に近代化が猛スピードで進んだのである。

 日本の仏教は仏教といっても釈迦の教えから遠く懸け離れていて、念仏とか唱題とか座禅とかしてしまう。それはその宗派では大事なことかもしれないが、それでは仏教の教えを正しく理解することはできないし、読書を殆どしないので文化レベルだって上がないのである。

●経典と愛読書

 正しい知的生活は宗教なくして絶対に成立しない。自分が所属している教団の経典を読む習慣があるからこそ、他の本も読もうということになるのである。その宗教団体が合理化していないと。即ち経典重視の方向のシフトしていないと、信者たちは経典を読まなくなってしまうのである。

 信者が経典を読むような感覚で読むのが「愛読書」である。経典を精読することで宗教の理解を深めて行くことができれば、愛読書を精読することでその本の理解を深めて行くことができるのである。愛読書がないと次から次へと大量に本を読んで行ってしまい、結局、本の海に溺れてしまうことになってしまうのだ。

 但し、愛読書に経典を持って来るのは絶対に頂けない。「あなたの愛読書は?」と訊かれて、「聖書」だの「法華経」だの「歎異抄」とか言っているようでは、その経典をしっかり読んだとは言えないのである。それは信者であるなら読むのが当たり前であって、愛読書になる物ではないのである。

 愛読書というのは、自分が様々な本を読んで来て、これが一番面白かったというものである。最初読んだ時に面白くても、何度も何度も読んで行けば、面白くなくなってしまう物は出て来るものなのである。長年に亘って面白いと思える本は本当に1冊あるかないかなのである。 

 そういうことをやっていれば、自然と蔵書を大量に持つことになる。だから読書が如何に大事だからといって、無闇に蔵書を持ってもそれは意味のないことなのである。まずは経典があり、次に神学書を読み始め、そして宗教色のない本を読み始める。こういう流れがあるからこそ、蔵書は価値を持つようになるのである。

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