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芥川賞物語

●小説と文学賞

 小説という物は売れてナンボの物である。売れる小説というのは読者たちが「この小説は面白い」というからこそ買うのであって、そういう面白い小説はどんどん売れていくべきなのである。売れない小説は詰まらないから、そういう小説は売れなくていいのであり、それを書いた作者は廃業して行くべきなのである。

 しかし小説は売れれば良い訳じゃない。小説を売るために思いっきり低俗化させてしまえば、確かにその小説は売れたかもしれないが、その小説のために文学は堕落して行ってしまうからだ。そこで小説に対して文学賞を与えて、「この小説は文学的に高い価値がありますよ」という箔付けをするのである。

 「文学賞など不必要だ!」という意見は非常に危険である。この手の意見は勲章不要論と同じく、何も解っていない人たちが述べて来る意見であって、人間というのは自分が思っている以上に愚劣な動物であるということが解っていないのだ。

 文学という物は、古代ギリシャがそうであったように民主主義によって滅ぼされる危険性を常に持っている。確かに娯楽としての文学という物は存在する。しかし一般大衆が良いという物に対して、貴族主義的精神に基づいて断固拒否し、真善美を指し示していかければならないのである。

 文学市場には小説家同士が新たな作品を出すことで切磋琢磨する競争と、文学賞授与によって文学を高尚化させ低俗化を叩きのめす闘争というものがあって、この競争と闘争によって文学の質量を高めて行っているのである。だから我々はベストセラーを尊重しつつも、文学賞も尊重していかなければならないのである。

 今回紹介する本はこれ!

川口則弘著『芥川賞物語』(バジリコ)

  芥川賞物語[川口則弘]

文藝春秋特別編集『芥川賞・直木賞150回全記録」(文藝春秋)

  芥川賞・直木賞全記録

 この本とムックを読めば、芥川賞の全貌を掴めると思う。芥川賞は最初から巧く行ったのではなく、紆余曲折を経ながら純文学の文学賞としては最高の価値を持つに至ったのである。

●芥川賞とは?

①純文学

 芥川賞は純文学の小説に対して与えられる。純文学とは文学性の高い小説のことであって、通俗性の少ない小説のことである。純文学では近代人の苦悩が綴られることになる。封建制度から解放された近代人は自由であるかもしれないが、その自由は飽くまでも法の支配の下での自由なのであって、自律と他律の両方がなければ機能しないのである。

 純文学で代表的な形態が「私小説」ということになるのだが、私小説だと作者の苦悩を描き易いからなのである。勘違いしてはならないのは、「私小説=純文学」と思ってしまうことで、私小説であっても純文学でない物は存在する。別に私小説でなくても純文学の作品を書いて行くことは可能である。

②短編小説か中編小説

 芥川賞は短編小説か中編小説の作品に与えられる。短編小説とは四百字詰め原稿用紙で100枚以下の小説を言い、中編小説とは100枚以上300枚以内の小説を言う。長編小説ではないことだけは確かなのであって、芥川賞を取るためにはそんなに長い話は要らないのである。

 芥川賞の内規では250枚以下という規定があるのだが、過去の受賞作品にはこの枚数を超える物が存在している。しかし300枚を超える作品は1つもない。だから短編小説か中編小説なのであって、短い話の中でどれだけレベルを高くしていくかが問題になるのである。

③新人作家か新進作家

 芥川賞は新人作家か新進作家に与えられる。純文学は通俗性が少ないためになかなか売れない。だから純文学の作品を作れる小説家に対して早目に文学賞を与えてしまい、その生存確率を高めようとするのである。だから芥川賞は作家デビュー直後か作家デビュー後数年以内に貰わないと意味がないのである。

 芥川賞は20代で貰うのがベストである。若くして貰える可能性がある文学賞なのである。長編小説は30代にならないと書けないが、短編小説や中編小説なら20代でも書けるのである。しかし芥川賞を若い時に受賞してしまうと、芥川賞が重荷となって、その後、小説が書けなくなり、廃業ということになってしまうこともあるので、その点は要注意である。

●芥川賞をブレイクさせた作家たち

 芥川賞は最初から巧く行った文学賞ではなかった。芥川賞をどう運営していけばいいのか、選考委員たちも解らなかったので、試行錯誤を繰り返した。ただ文藝春秋社が事実上運営しているために、作家たちの間では注目されるようになった文学賞に過ぎなかった。

 それが石原慎太郎の登場によって、芥川賞はブレイクしたのである。石原慎太郎はかなり衝撃的な内容を含む『太陽の季節』で芥川賞を受賞しただけでなく、そのルックルが抜群であったために、若い女性たちの圧倒的な人気を得たのである。

 芥川賞はもう1度ブレイクし、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞すると、これが100万部を超えるベストセラーになった。この作品の内容は非常に堕落的なものなのだが、文語から口語へという日本の小説の流れに於いて、一応、これが最高到達点に達した。

 芥川賞は更にブレイクし、金原ひとみが『蛇にピアス』で、綿矢りさが『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞して、これまた100万部を超えるベストセラーになった。これらの作品は大した物ではないのだが、20代や10代の女性でも芥川賞が取れてしまうことが衝撃的だったのである。

 芥川賞は20代の新人作家が出て来るとブレイクする可能性がある。純文学は通俗性を排する物なので、若い時の純粋さを保っている時の方がレベルの高い作品を作れる可能性があるということなのである。尤も技術的には未熟なので、批判は多々あろうが、新しい文学作品は常に若者たちによって作られる物であるということだけは事実なのである。

●なぜ国民は芥川賞に期待するのか?

 日本文学振興会には芥川賞と直木賞の二大文学賞があるのだが、国民は芥川賞の方に期待を寄せている。事実、日本文学界に激変を齎して来たのは常に芥川賞受賞者の方であって、直木賞受賞者の方は実に地味な存在であるのだ。

 なんでこんな違いが生じてしまったのかというと、「日本国民は芥川龍之介の名前と実績を知っているから」という理由が大きい。直木賞の直木三十五は誰も名前を知らないし、その実績はそれ以上に知らないからだ。名前の価値が芥川賞と直木賞を分けてしまうのである。

 もう1つは純文学と大衆文学の違いであろう。純文学は文学性を追求し、通俗性を排しているがゆえに、その時代だけ読める物ではなく、時間が経過しても読める代物なのである。これに対して大衆文学になってしまうと、通俗性があるゆえに、その小説が出版された時期に於いては読めるのだが、時間が経過してしまうと読めなくなってしまうのである。

 トドメは「芥川賞受賞作家の方が新しい文学を作ってくれる可能性があるから」という理由がある。事実、石原慎太郎の登場によって純文学は明らかに変わった。これに対して直木賞の方はこういうスター作家を生み出しはしなかったのである。

 出版不況になろうが、芥川賞の価値は変わらない。それどころか益々価値は上昇している。デフレによって人々の好みが拡散していくと、なかなかベストセラーが出なくなってしまうのだが、こういう状況下で芥川賞受賞作品が出て来ると、一気にベストセラーになってしまうものなのである。芥川賞は注目されるだけの価値はある文学賞なのである。

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