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上橋菜穂子著『物語ること、生きること』 ~自分の人生を語ることの難しさ~

●母親に贈ったのだが・・・

 平成26年7月18日のNHKの『特報首都圏』で作家の上橋菜穂子のことが紹介されていた。俺がこの番組を見ていると母親も見始めて、

「この人は凄い人だね~」

と甚く感心した。そんなに上橋菜穂子に関心があるならと、一週間後に俺は母親に上橋菜穂子著『物語ること、生きること』(講談社)をプレゼントした。

    物語ること、生きること[上橋菜穂子]

 この本は頁数が200頁にも満たない薄い本なので、母親でも読めるだろうと思って俺はあげたのである。しかし母親はこの本を読むことにギブアップしてしまい、この本を俺に突き返して来た。

「なんで?」

と俺が訊くと、

「字が小さくて読めない」

とのことであった。そこでこの本を調べてみると、確かに字が小さく、文字の肉厚が薄すぎるので、老眼でない俺でも読みにくいのである。となれば老眼になっている母親としては読むに耐えない本ということになってしまうのである。

「新聞ですら字が大きくなっているのに、本で字が小さくのは本当に困る」

と母親は嘆いていたが、本当にその通りなのである。

 俺はこの本が講談社の本なので安心してプレゼントしたのだが、なんで老眼の人には読めず、老眼でない俺でも読みにくい本になってしまったのか、その原因を調べてみた。すると、この本の定価が1000円ということが気になってしまった。

 通常、ハードカバーなら1500円というのが相場である。どんなに安くても1200円である。しかしこの本の編集を担当した「長岡香織」と「川崎萌美」が、この本を子供向けにすることを意識し、それで定価を1000円に引き下げたのではないか? 定価の引き下げは印刷費を圧迫し、それで印刷所の方は紙質こそ下げなかったが、インク代をケチってこの有様になってしまったのではないか?

 この本は児童書ではない。子供も読むかもしれないが、大人達だって読むのである。それなのに子供向けであることを意識してしまったために、大人達が読めない、または読みにくい本にしてしまった。そして大人達が読めない本は子供達だって読めない物なのである。

 確かにこの本は講談社の「面白くて為になる」という出版理念を表面的には満たしているのが、読者たちのことを完全に無視しており、これは講談社の本としては完全にアウトである。実に怪しからん本なのである。

●口述筆記の遣り方

 更に問題となるのが、この本の内容である。この本は口述筆記で書かれた物なのだが、本としては内容がイマイチなのである。上橋菜穂子の自叙伝ということになるのだから、こんなに薄っぺらい本では著者が可哀想である。自叙伝が薄っぺらいということは、上橋菜穂子は薄っぺらい人生を生きて来たということになるのである。

 口述筆記をどうやればいいのかというのは、書評家の「谷沢永一」によって完全に解明された。それは「12時間ぶっ通しで口述する」という遣り方である。例えば午前9時から口述を開始すると、午後9時まで口述し続けるのである。これだけ口述したからこそ、1冊の本としての内容になるのである。

 この本は上橋菜穂子に「瀧晴巳」が1回3時間それを4回に亘ってインタビューした物を纏めたのである。だから合計12時間となり、時間的には口述筆記の条件を表面的には満たしている。しかし女性が語っている以上、女性は話の量が多いくせには内容が少ないので、12時間の倍、24時間ぐらいは必要だったのではないか?

 しかもインタビューした回数が4回というのが気になる。4回のインタビュー⁰では「死の結界」が張られてしまい、エネルギーが内側に向かってしまうのである。それでこの本はパワーを感じられないのである。せめてもう1回インタビューしておけば、「死の結界」を脱することができるので、それでパワーを感じられる本にすることができたと思うのである。

 この本を読めば解ると思うが、メリハリがまるでなっていないのである。上橋菜穂子の人生では、とにかく作家になったことが「人生の転機」になったのだから、まずはそこに重点を置くべきである。もう1つは、上橋菜穂子は純粋の作家ではなく文化人類学者であり、大学で教授をやっているのだから、その当たりのこともきちんと書くべきなのである。この2つのことが出来ていないというのなら、自叙伝としては失格である。

●処女作の謎

 俺は深大寺ゆきねこさんから上橋菜穂子の『守り人シリーズ』の存在を教えられたのだが、ついいつもくせで先に彼女の処女作を読んでしまった。処女作はその作家の運命を決める物なので、処女作を読めばその作家の大体の事が解るのである。

 上橋菜穂子の処女作は『精霊の木』(偕成社)なのだが、この処女作は余りにも下手糞で、駄作以外の何物でもない。それなのに、上橋菜穂子はその後、『守り人シリーズ』を書き、大ヒットを飛ばした。これは余りにも変なのである。通常、こんなことは絶対に有り得ないからだ。

 しかしこの本を読んでみると、その理由が解った。上橋菜穂子は『精霊の木』を書き上げた際、四百字詰め原稿用紙で五百四十枚になっていたのだが、それを偕成社の担当者がその原稿の手直しを要求し、四百枚にまで削減したというのである。

 だから『精霊の木』がどうにもならないほど駄作になってしまったのである。

 小説という物は、作者が書き上げた時点で完成している。それを編集者が弄ってはならないのである。指摘していいのはせいぜい誤字脱字とか、文法上の間違いくらいで、それ以上のことをやってはならないのである。それなのにバカな編集者に限って原稿を弄り回すのである。

 そのくせ、その後、『守り人シリーズ』がこの偕成社から出版されるのだから、まさに「運命の皮肉」である。偕成社は『守り人シリーズ』で大儲けをしたのだが、その罪滅ぼしとして『精霊の木』を最初の原稿の形で復元して欲しいものだ。

●「小説家になるには?」

 上橋菜穂子の許にはファン達の中から、

「小説家になるにはどうすればいいんですか?」

と質問が寄せられてきたりする。職業の内、小説家ほどどうやってなればいいのか解らないものはない。因みに上橋菜穂子は最初から小説家になりたかったのではなく、漫画家になりたかった夢見る少女であった。

 小説家になるためには、「とにかく本を大量に読む」しかない。小説家は読書家たちの中から出て来るのであって、本を読んでもない人から出て来ることはない。巻末に「上橋菜穂子が読んだ本」としてブックリストが載っているのだが、上橋菜穂子は実に多くの本を読んでいる。

 特徴的なのは中高生になっても児童文学作品を多く読んでいたことだ。児童文学は普通、小学校を卒業してしまうと読まなくなってしまうものだが、上橋菜穂子はそうではなかったのである。上橋菜穂子は私立の香蘭女学校に行ったので、そこでの教育環境が良かったのでろう。

「良い読者は良い作家になるが、悪い読者は作家になれないし、なったとしても悪い作家にしかならない」

 これは絶対に覚えておいて欲しい。ただ無闇に乱読しているような読書家は作家向きの人間ではない。若い時の読解力は自分が思っている以上に低いものなので、じっくりと本を読んでいかないと、その本の良し悪しが解らないのである。読解力を向上させていくためには、自分が好きな作家に夢中のなることが一番だと思う。

 読書をしまくった上ですべきことは、「小説家になりたいと思うなら、とにかく書きまくりなさい」ということなのである。若者たちの中には自分に何か夢があるのに、それに向かって走り出すことがない者たちが多々いるものだ。出来ない理由を探し出すことに躍起になって、夢の実現を何1つしようとしないのである。

 上橋菜穂子は高校2年生の時に既に初めての小説を書いていた。しかも香蘭女学校では文学の教師に優れた人物がいて、自分の小説を見て貰った上で、

「描写を生々しく描くことを心掛けなさい」

というアドバイスを頂いたというのだ。ここで香蘭女学校の優れた教育環境が役に立ったのである。

●「名作はどのようにして生まれるか?」

 それ以外にもファン達から

「名作はどのようにして生まれるのですか?」

と質問が寄せられて来たりするのだが、この質問に答えるのは実に難しい。上橋菜穂子自身、全ての作品が名作ではないからだ。上橋菜穂子の作品の内、名作と言えるのは『守り人リーズ』だけだからだ。

 上橋菜穂子はこの本の中であれこれ答えているのだが、考えが纏まっていないので、俺が代わりに説明することにする。

「名作には必ず≪小説遺伝子≫という物が存在する」

ということなのである。小説遺伝子を得てしまえば、その後はスラスラと最後まで書いて行くことができるのである。

 作家たちには2種類のタイプがいて、神懸かり状態になって書く人と、人工的に書く人がいる。この内、神懸かり状態になって書く人は比較的、小説遺伝子を得易い。『守り人シリーズ』ではオバサンが幼い男の子を守るシーンが浮かび、それを元にあの長大な作品を書き続っていったのである。

 しかし『獣の奏者』では神懸かりになって書いておらず、人工的に書いている。そのため小説遺伝子が得られず、それで第一巻と第二巻は巧く書けたのだが、第三巻と第四巻ではパワーダウンしてしまったのである。人工的に書く場合、ダミーの小説遺伝子を人工的に作り出さなければならないのだが、それをちゃんとしていないと、化けの皮が剥がれてしまうのである。

 はっきりと言ってしまえば、

「名作が生まれるのは運である」

ということなのである。プロの小説家であっても、必ずしも名作を産み出せるとは限らない。一流の作家で勝率は最大で3割であろう。だから質の高い作品を出来るだけ多く書いた作家の方が名作を産み出す可能性が高くなるのである。

●上橋菜穂子さん、遣り直し

 俺がこの本を読んでつくづく思ったのは、

「これはいい子ちゃんの自叙伝である」

ということである。この本には上橋菜穂子のいい部分しか書かれておらず、彼女の悪い部分は何1つ書かれていないのである。こんな自叙伝、読んで面白い訳がない。これでは「私は無傷で生きてきました」と言っているようなもので、そんな人間、この世には存在しないのである。

「父親との関係は書いているけど、母親との関係は? 母親との関係は巧く行かなかったんじゃないの?」

 上橋菜穂子は運命星上、父親と縁があり、父親から支援を受けるのだが、その反面、母親とは相性が悪く、どうしてもぶつかってしまう相手であるのだ。それなのに思春期になってからの母親との関係のことが何も書かれていない。

「友情はどうしたの? 恋愛はどうしたの?」

と俺の方が聞きたくなる。香蘭女学校は女子校なので、女性同士の友情は濃厚な物になる筈だ。事実、大学生の時に千枚もの長編小説を書いた時に、それを見せたのは、自分の弟と親友の2人だけである。普通、作家志望の人は身内の者にも、親友にも、自分の作品を見せないものである。ということは、その親友は本当に親友を呼べるべき友人だったということなのである。だったら、そのエピソードを書けばいいのである。

 恋愛のことが全く書かれていないのも不気味である。これでは「私は恋愛もせずに文化人類学の勉強をしてきました」と言っているようなもので、そんなバカな学生はいないものなのである。上橋菜穂子の性格はのんびり屋さんだから、これと交際するとなるとせっかちな男性である。当然に相手の男性に振り回されることになる。

「上橋菜穂子さん、遣り直せ。これは自叙伝として成立していない」

 この本は上橋菜穂子本人が自叙伝を書こうとしたのではなく、講談社の方から依頼があって嫌々ながら作った物である。依頼を受けて巧く行くこともあるけど、依頼を受けて巧くいかないこともある。今回は失敗したということなのである。

 もしも自叙伝を書こうとするのなら、口述筆記ではなく、ちゃんと自分で原稿を書いていった方が考えは纏まるし、出来のいい自叙伝が出来上がるものである。自叙伝はそのまま信用することはできないが、その作者が自分の人生をどう感じたかを理解するには最高の資料なのである。

 自分の人生をちゃんと語れない者が、子供達に何か大事な事を教えるのは、絶対に不可能なことなのである。

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