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如何にしてイエスは神となりしか?

●イエスの宗教活動はたった3年

 イエスの宗教活動はたった3年であると言われている。その間に、12使徒たちと数千人の信者たちを獲得した。新興宗教としては成功した部類なのだが、なんせ急成長してしまったために、教団の組織が出来上がらない前に宗教弾圧を受け、死刑を食らうことになった。

 12使徒たちはどう考えても普通の人たちであり、イエスが逮捕されると全員が裏切った。数千人の信者たちも雲散霧消してしまった。ただイエスの愛人だと思われる「マグダラのマリア」が最後まで付き従い、イエスの復活を目にすることになる。

 イエスは30代前半で死んでしまったのだが、30代前半の男性が3年間宗教活動した所で、どれほどのことができたであろうと疑問に思ってしまう。30代前半なら男としてまだまだ未熟だし、それに時間が余りにも少ないので、使徒たちや信者たちに伝えられたことは限られてしまうのだ。

 イエスがやったことは、ユダヤ教の618ある律法に、新たな律法を付け加えたことである。その新たな律法は、

「心を尽くして神を愛すること」

「自分を愛するように隣人を愛すること」

のたった2つである。

 なんでこの新しい律法に支持者たちが出て来たのかといえば、当時のユダヤ教は律法学者たちがいて、律法をただ単に形式的に守らせることに躍起になっていたからだ。律法とはそういうものなのだが、イエスは律法を形式的に守るのではなく、神への愛と隣人への愛がなければ無意味だと指摘したのである。

 だからイエスは律法を廃止するという考えは全くなかった。一見、律法に違反する行為をやっているのだが、それは「律法には愛がなければならない」と言っているだけで、それゆえイエスは「律法を完成させるためにやってきた」と主張しているのである。

●エビオン派の主張

 イエスの死後、キリスト教徒たちを取り纏めたのは、イエスの弟である「ヤコブ」と、「マグダラのマリア」のコンビで、この2人を中心に信者たちは終結した。基本的に信者たちは全員が全員、ユダヤ教から改宗してきた人々であって、異教徒たちはいなかった。

 この集団は「エビオン派」と呼ばれるのだが、「エビオン」とは「貧しき人々」という意味で、イエスは生存中、貧しい人たちに宣教していたので、この名称と実体はピタリと一致する。キリスト教はユダヤ教徒たちの上層部から生まれた物ではなく、下層階級から生まれた物なのである。

 エビオン派の主張はユダヤ教の律法を遵守し、イエスを救世主として崇めるものであった。だからエビオン派は「ユダヤ教のイエス派」というべきもので、宗教的にはまだキリスト教はユダヤ教から離脱していない。しかしユダヤ教徒たちの殆どはイエスを救世主とは認めていないので、エビオン派は非常に危険な立場にあったのである。

 このためエビオン派は元々貧しかっただけでなく、イエスを見習って自ら進んで貧しい生活を行った。となるとその余剰が教団の方に流れ、教団自体は裕福になった。それでエビオン派は教団勢力を拡大していったのである。しかしこうなってくると、ユダヤ教徒たちが危険視し始めるのは必至だった。

 それで西暦62年、ヤコブはユダヤ教の大祭司に殺されてしまう。ユダヤ教の大祭司は信者たちを引き連れて殺害を実行したみたいなので、恐らくリンチによって殺されたのであろう。エビオン派はヤコブを失うと急速に失速して行く。

 『新約聖書』の『使徒言行録』では、イエスの死後、一番弟子のペテロが教団を率いていたとしているのだが、これは実に怪しい。エビオン派を率いていたのはヤコブであって、ヤコブの死と共にエビオン派の衰退が始まる以上、ペテロがエビオン派を率いていたとは考えにくい。

●ペテロ派の主張

 ペテロは一番弟子でありながら2度も裏切ってしまったために、イエスの死後、キリスト教徒たちの中で地位が失墜してしまった。それでペテロは異邦人への伝道を開始して、ユダヤ教徒以外の者たちを教団の中に引き入れてしまった。

 しかしこれによって新たな問題が生じ、多神教から改宗してきた者たちはユダヤ教の批判を行い始め、キリスト教会は深刻な対立を抱えることになってしまった。キリスト教会の主流派は「イエスはユダヤ教を改革した」と思っていたので、ユダヤ教から離れる気はまるでなかったのである。 

 そこで西暦32年にユダヤ教を批判していた急先鋒のステファノがキリスト教徒たちから虐殺され、ユダヤ教を批判していた者たちは都落ちして異教徒たちが多く住む場所に移り住んで、そこでキリスト教を伝道していった。この流れの中からパウロが出て来る。当然にパウロは「律法から信仰へ」という主張をしてくることになる。

 この虐殺で12使徒の誰かが都落ちしたらしく、その人物がパレスチナで伝道を遣り始めたらしい。この集団は広範囲に亘って伝道しなければならなかったので、『原始福音書』なる物を作ったらしい。この書物指向こそがキリスト教を大きく変えて行くことになる。

 ペテロ派は12使徒派と急進派とパレスチナ派と広範囲に亘るので、パウロ派の主張を1つに纏めるのは難しいのだが、ペテロ派は異教徒たちに伝道を遣り始めたので、イエスに神性を見出すようになっていったことだけは確かである。

 ユダヤ教の律法を定めたのがユダヤの神ヤハウェなら、新たな律法を制定したイエスも神であるということになる。勿論、ユダヤ教徒だったペテロはそんなことを考えなかっただろうが、異教徒たちに伝道をしていけば、こういう考えに至ってしまうのは当然の結果だった。

●対ローマ戦争の敗北

 キリスト教にとって最大の転機となったのは西暦66年から70年に行われた対ローマ戦争の敗北だった。キリスト教の主流派だったエビオン派は西暦52年に最高指導者のヤコブが虐殺されていたので、纏まりを欠いた状態で戦争に突入することになった。

 エビオン派の一部は戦争が始まる前にエルサレムから避難し始めたらしく、ペテロ派もシリアやエジプトへと退避したらしい。こういうことはユダヤ教徒たちから見れば裏切り以外の何物でもなく、それでキリスト教徒たちを激しく非難した。

 しかし戦争自体はユダヤ教徒たちの大敗北に終わったので、それでキリスト教徒たちはユダヤ教徒たちキリスト教に従わないから敗北したのだと断罪し始めた。もうこうなってくると、キリスト教徒たちはユダヤ教から離脱しなければならず、脱ユダヤ教は一気に加速されたのである。

 となると、キリスト教イエス派というべきエビオン派は圧倒的に不利になってしまった。寧ろユダヤ教を批判していたペテロ派の方が圧倒的に有利になってしまったのである。パウロは西暦61年に死んでいたのだが、このパウロの「律法から信仰へ」という主張が一躍脚光を浴びることになった。

 しかもペテロ派は書物指向を持っていたので、パウロはじゃんじゃん書簡を書きまくった。これはキリスト教の宣伝の役割を果たしたであろうから、それでパウロが評価され始めると、パウロの書簡が重要な物に成り始めるのである。

●なぜエビオン派は敗北したのか?

 エビオン派は教団組織をしっかりと持ったまま都落ちしたのだが、教団の主導権をあっという間に喪失してしまった。エビオン派は最高指導者のヤコブの死後、最高指導者に恵まれなかったのか、とにかく組織として纏まって行動することができなくなった。ペテロ派は三つもの派閥からなっていたが、パウロ派によって統合されると、一気に勢力が拡大し、教団の主導権を取ってしまった。

 民主主義に毒されてしまうと、パウロ派は異教徒たちを改宗させていったので、数の上では勝っているから、それで勝利したと思ってしまう。しかしキリスト教会は民主主義とは無縁の組織だったのであり、パウロ派の数が多かったからといって、どうにかなるものではないのだ。 

 問題は教義にあったのである。

 エビオン派はイエスを愛の律法を定めた救世主としながらも、それではなぜイエスは処刑されなければならなかったのか、その解答に「苦悩するイエス」という物を用意していた。確かにイエスは愛を解いたが、信者たちと共に苦悩する者でもあるとしたのである。

 これはエビオン派の主張を理解できれば簡単に理解できる。イエスは貧しい人たちに愛を説いたのであって、貧しい人たちが苦しんでいても、その同じ立場に立って苦悩してくれるのである。だからエビオン派の人たちはイエスと同様に貧しい生活を意図的に送り続けたのである。

 この「苦悩するイエス」を徹底的に批判したのがパウロだった。パウロはイエスの死を贖罪死と考えていたので、イエスに苦悩されては堪ったものではないのである。イエスは人類の原罪と引き換えに死んでくれたからこそ、キリスト教徒たちは救済されると考えたのである。

 このパウロの主張はイエスの真意をまるで解っていない意見なのだが、イエスが救世主であると考える以上、エビオン派のように信者たちと平等な立場にいるイエスより、信者たちから隔絶された所にいて欲しい。そうなってくると、エビオン派の主張はイエスの真意に沿っていても、最早説得力を持たなくなってしまったのである。

 それとこれは飽くまでも仮説なのだが、「マグダラのマリア」の離脱もエビオン派に大打撃を与えたのではないだろうか? 「マグダラのマリア」はイエスの死後、フランスに遁れて、その地でイエスの子供「サラ」を産んだと伝承されている。しかし当時の状況を考えると、「マグダラのマリア」がフランスに行ったのは、エビオン派の都落ちの時ではないだろうか?

 となると「サラは一体誰の子?」ということになる。

 もしも「マグダラのマリア」がイエスの死後、ヤコブと付き合うようになり、それでサラを産んだとしたのなら、エビオン派は最初から致命的な欠陥を抱えていたとも言える。「マグダラのマリア」がエビオン派の都落ちの際にシリアに行かず、フランスに遁れたというのも、教団内部で激しい権力闘争があったと見た方が妥当なのではないか?

●マルキオン派の主張

 キリスト教会はパウロ派によって主導権を握られるようになったが、パウロ派の主張が通り始めると、その考えをもっと進めたマルキオン派が登場してきた、マルキオン派はユダヤ教の神とキリスト教の神は違うのであって、こうなってくると「イエスは神だ」ということになる。

 勿論、実際のイエスは人間である。だからイエスは肉体的には人間であるかもしれないが、その中身は純然たる神性を有していると考えた。パウロ派にはイエスに神性を見出すというユダヤ教にはない特徴があるのだが、かといってマルキオン派の主張を認める訳にはいかなかった。

 イエスはユダヤ教の預言の中から生まれてきたのであって、彼が突如として出て来たのではない。ユダヤ教の長い歴史があればこそ出て来た人物なのである。だからユダヤ教とキリスト教がまるで違う宗教になってしまうのは拙いのである。

 厄介なことに、マルキオン派はシリアやトルコ辺りで強力に広がっていったということであり、ということは嘗てパウロ派だった人たちがマルキオン派になったということなのである。イエスとパウロを同等に看做すのは、マルキオン派の特徴だった。

 マルキオン派がキリスト教会の主導権を取っていればキリスト教の歴史は随分と変わっていただろうが、マルキオン派は主導権を取るまで勢力を拡大できなかた。マルキオンが生きた自体は古代ローマ帝国に於いて五賢帝の時代だったので、ローマ市民たちは繁栄を謳歌していたのであり、キリスト教徒たちも教義を先鋭化する必要性はなかったからであった。

●グノーシス派の主張

 マルキオン派はグノーシス派という新たな宗派を産み出すことになる。グノーシス派はマルオキオン派の教えでは飽き足らなかった人たちが遣り始めたと思うのだが、グノーシス派は現存するキリスト教文献の中で最も古い物を持っているので、かなり古くからあった宗派であったとも考えることができる。

 恐らく、キリスト教の初期の段階でエイジプトに行った連中がグノーシス派に加わったのではないだろうか? というのはグノーシス派は魔術的な要素をふんだんに持っているので、これは魔術が発展していたエジプト抜きでは考えらないことだからだ。

 グノーシス派は秘密儀式によって「秘密の知識」を持ちさえすれば、人間は神と一体化できると考えていた時点で、他の宗派とは決定的に異なる。他の宗派はどれも神と人間を分離しているのだが、グノーシス派は神と人間が直結できるとしたのである。

 これはイスエ自身の主張に非常に近く、イエス自身、神と直結したからこそ、ああいう宣教活動をやったのであり、グノーシス派の人々はイエスにそれができたのなら、自分たちだってできると考えたのである。となると、グノーシス派の人たち自身が救世主になって行ってしまうのである。

 グノーシス派は五賢帝の統治の成功によって人々が豊かになり、カラカラ帝によって全州自由民にローマ市民権が付与されたことと深い関係がある。世俗に於いてローマ市民権が全ての人たちに付与されたのなら、キリスト教だって信者たちが救世主になったっておかしくはないのである。

 パウロ派の人たちにしてみれば、グノーシス派はマルキオン派以上に腹立たしい物であった。なぜならグノーシス派では「聖職者のいない教団」を作ってしまうことになり、それでは既に聖職者たちを要していたキリスト教会にとっては困るからであった。このためパウロ派はグノーシス派を徹底的に叩き続けたのである。

●キリスト教徒への弾圧と対抗策

 キリスト教会内部の権力闘争はなかなか決着が着かなかった。そうこうしている内に、古代ローマ帝国は西暦250年からキリスト教徒たちへの弾圧を始めた。理由はゲルマン民族の侵入してきたからであって、国内の引き締め策としてキリスト教徒たちを弾圧していった。

 パウロ派はこの宗教弾圧を最大限利用した。

①階位制

 まずは位階制を導入し、司教に権力を集中させた。宗教弾圧を乗り切るためには司教に権力を集中させた方がいいから、こういうことをやらない宗派は自滅して行くことになる。グノーシス派は政府から宗教弾圧を受けるだけではなく、キリスト教会からも追い出されてしまい、それで存続していくことができなくなってしまったのである。

②信条の制定

 教団組織がしっかりと整えば、今度は信条の制定である。信条を制定してしまえば、他の宗派は全滅ということになる。使徒信条の原型となった古ローマ信条は宗教弾圧と同時に出来た物で、これによって他の宗派は存続できなくなってしまった。

③正典の編集

 トドメは正典の編集であって、教団がキリスト教の正典を定めてしまえば、他の宗派が何を唱えたとしても、そんな教えは正典にはないと言えるので、それで他の宗派たちを確実に死滅させることができるようになるのである。宗教弾圧が開始された当時、キリスト教の文献の半分以上はグノーシス派の物であったことをわすれてはならない。

 キリスト教は古代ローマ帝国から宗教弾圧を受けたことを宣伝しまくっているのだが、古代ローマ帝国がキリスト教徒たちに宗教弾圧をやったのは高が60年程度であって、しかもパウロ派はこの宗教弾圧を利用して他の宗派を全て叩き潰して、教団組織をしっかりと固めてしまったのである。

 西暦313年には古代ローマ帝国はキリスト教を公認しているし、西暦380年にはキリスト教を国教にしている。それほどキリスト教は宗教弾圧を利用して成長してきたということなのである。しかもこれによって古代ローマ帝国が永続化できたのではなく、15年後には帝国は東西に分裂してしまい、古代ローマの繁栄に終止符が打たれてしまったのである。

●三位一体論の論争の果てに

 キリスト教が古代ローマ帝国から公認されると、教義を整えて行く必要性に迫られた。そこでイエスをどう捉えるかが問題になった。どの宗派もイエスが救世主であると認めた。しかしイエスが本当に人間だったのかということに対して議論が錯綜したのである。

 パウロ派は異教徒たちを改宗させていったので、イエスに神性を見出す萌芽があった。しかしマルオキオン派のようにイエスをヤハウェとは違う神だと考えることはできなかった。飽くまでもキリスト教はユダヤ教から生まれてきた宗教であるという考えを捨てなかったのである。

 かといってグノーシス派のように神と人間が直結することによって、キリスト教徒たち自身が救世主になることも認めることができなかった。もしも信者たちが救世主になってしまえば、イエスがユダヤ教をひっくり返したように、今度はキリスト教だってひっくり返されてしまうからだ。

 そこで「イエスは人間であるが、同時に神でもある」という結論に辿り着いた。これならマルキオン派を排除できると同時に、グノーシス派も排除できるのである。これは飽くまでも政治的な産物であって、イスエは神になることによってキリスト教徒たちの内ゲバに終止符を打ったのである。

 これによって「神は1つ」であるが、神は「父」「子」「聖霊」と3つのペルソナを持つということになってしまった。これが三位一体論であって、キリスト教は一神教のくせして、多神教的な要素を持つ宗教に変質してしまったのである。それだけイエスをどう位置付けるかで揉めたということなのである。

●もしもイエスが再臨してきたら?

 三位一体論はキリスト教にとっては非常に重要な教義で、これを認めない宗派はキリスト教の宗派だとは認めてくれない。それほどまでにこの三位一体論は重要なのであって、最早、イエスを神の座から引き摺り下ろすことはできなくなってしまった。

 しかしもしもイエスが再臨してきたらどうするであろう。恐らくキリスト教徒たちを全員殺すことになると思う。なぜならイエスはユダヤ教徒だったのであり、自分が神の座に登ることなど全く考えていなかったのであり、人間が神になるという考えは神への冒涜以外何物でもないからだ。

 イエスが神であるなら、イエスは絶命する前に「我が神、我が神、どうして私を見捨てたのですか?」と言ったのだが、イエスは一体誰に向かって言ったというのだ? イエスは自分に向けて言ったとでもいうのか? 冷静に考えれば、やはり自分とは別人格のヤハウェに向かって言ったと考えるのが妥当であろう。

 それだけでなくパウロも異教徒たちが「滅び去る人間」を崇拝していることを批判しているのだが、それなのに肝腎のキリスト教徒たちが滅び去った人間であるイエスを崇拝しても良いというのか? 異教徒たちの偶像崇拝を否定する意見を言うなら、キリスト教徒たちだって偶像崇拝を否定しなければならないのである。

 当たり前のことだがイエスは人間である。人間だからこそ、当時のユダヤ教徒たちが形式的に律法を遵守することに躍起になって、神を愛することや隣人たちを愛することをしなくなってしまったことを悩んだである。それで愛を説いたにすぎない。

 イエスは別に神ではない。イエスを神だと考えてしまうと、イエスの真意が解らなくなってしまうのである。確かにキリスト教徒たちはイエスを崇拝している。しかしイエスを神だとしてしまうと、キリスト教の教会の内部に様々な迷妄が蔓延ることになってしまうのである。

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