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2014年9月

只今,、療養中・・・。

●墓参りでの出来事

 今年の秋のお彼岸は母方の伯父さんとその奥さんが一緒に来ることになった。伯父さんは納骨式では用事があったため来れず、それで今回、初めての墓参りとなった。初めての墓参りならせめて1ヵ月前くらいに予約を入れて欲しかったのだが、墓参りの3日前になって急遽言い出してきたので、だったらうちの家族が墓参りに行く時に一緒に行こうということになった。

 当日、俺は早目に出たのだが、本当に不可解な出来事のために、母親と合流できず、待ち合わせの時間に5分ほど遅れてしまった。時間厳守の俺としては有り得ない失態で、母親からは「アバウトで行った方が気は楽になるものよ」と励まされる羽目になってしまった。

 墓地に着くと花を替えたり、線香に火をつけたりしたのだが、伯父さんがなぜだか墓参りしたというのに合掌しなかった。線香をあげてくれたのだが、ただそれだけのことで、周囲をキョロキョロと見回し、墓参りに来たというのに「心ここにあらず」の状態であった。

 俺はさすがに、

「変なことが起こらなければいいが~」

と不安になったが、帰り道でその不安は的中してしまい、伯父さんは自動車の中で変な咳をするようになった、この変な咳は癌の前兆であるとすぐに解った。なんせ俺の父親は癌で亡くなったので、癌を発症してから、この変な咳を何度も見てきてからだ。

 一応、伯父さん本人もこの変な咳は気に成っているらしく、病院に行って診て貰ったりしていたとのことであった。医者は「老化が原因」と診断を下したのだが、そんな訳はない。これは癌患者がする咳であって、老人だからといってする咳ではない。

 尤も伯父さんはうちの父親と違って結構動きまくるので、それですぐに癌の発症にはならないと俺は見た。俺はうちの父親に事あるごとに「運動しろ」「運動しろ」と言ったのに、父親はそれを無視したために癌を発症したからだ。だから運動量が減れば癌を発症することになり、或る一定の運動量がある限り、変な咳をしていても癌は未病で留まることになる。

●激しい頭痛とクシャミ

 しかし伯父さんの変な咳を車中で接していたためか、伯父さん夫婦と別れて自宅に帰ると、途端に激しい頭痛に見舞われてしまった。この頭痛の原因はすぐに解った。伯父さんの邪気を受けてしまったために、それで体がその邪気を退けるために頭痛が発生したのである。

 これでは全く仕事にならないので、俺は散歩に出かけて邪気を放出するように努めた。すると散歩から帰ってくるとどうにか頭痛は治まり、仕事ができるまでに回復した。ただ頭痛のために仕事の生産性は激減し、普通なら2時間でこなせる物を3時間でこなすようになってしまった。

 夜になると今度はクシャミが出始めた。しかも鼻水が出まくり、何度も何度もティッシュで鼻水を取る羽目になった。このクシャミと鼻水は翌日も続き、寒い訳でもないのに、クシャミと鼻水が止まらなくなってしまった。仕方ないので早々と寝て、どうにか治すことができた。

 「病弱な人はすぐに病気に罹るものだが、健康な人は病気に罹ることはない」という考えは間違いであることに俺は玄米を食べ始めてから気付いた。健康な人ほど、体内に邪気が入って来るとすぐにそれを撃退するようになるので、それで病気と似た症状が出て来るのである。

 今回の頭痛とクシャミと鼻水は伯父さんの変な咳に接した直後に起こった物であり、俺の体が健康であればこそ、そうやって邪気を撃退したのである。邪気に体が反応しないというのであるなら、見た目は健康かもしれないが、免疫力はかなり低下しているということなのである。

●トドメは不眠症

 厄介なことに、9月に千葉県でもデング熱が発生し、千葉県知事の森田健作は蚊を駆除するために県内の業者と契約し、それで千葉県のあちこちで蚊の駆除が行った。蚊の駆除を行っているのなら、蚊は消滅する筈なのだが、よりによって蚊の駆除によって追われた蚊がなんと我が家に大集結してきたのである。

 一晩の内に10箇所も刺された。

 蚊に10箇所も刺されれば、痒くて眠れるどころの話ではない。午前3時すぎまで置きっ放しで、明け方の少しの間だけ眠れるという状態である。1日3時間程度しか寝ていないので、体はフラフラ、頭は全く機能しない。デング熱は発症していないが、不眠症は確実に発生したといっていい。

 蚊がそんなにもいるなら蚊取り線香を使って対抗すればいいのではないかと思うかもしれないが、秋のお彼岸が来る前に蚊取り線香は全部使ってしまったのだ。大体、秋になれば蚊取り線香なんて使わないのだから、使い切ってしまった方が蚊取り線香を来年の夏まで持ち越さなくて便利だと思ったのである。

 このため蚊はやりたい放題である。仕方ないので「白兵戦」で対抗すると、なんと殺した蚊を見てみると、血を大量に吸っていたことが判明。その血は全て俺のであって、そんなに欲しいのなら俺に痒みを与えずに持って行けばいいものを、蚊という連中は痒みを残して血液を奪って行くのである。

 不眠症が7日間も続いてしまったので、精神的に相当ヤバイ状態になってしまった。なんせ寝ていないのだから、脳が激しい疲労を抱え込んでいることなど医者に行かなくても解る。仕事の生産性はガタ落ちで、普段ならもっと早くに終えることができるのに、長い時間をかけないとできなくなってしまった。

●彼岸明けに小説執筆を再開しようと予定していたのだが

 俺は秋のお彼岸が明けたら小説執筆を再開しようと予定していたのだが、この状態では絶対に無理である。今は小説など書ける状態ではなく、それで10日ほど療養することにした。今は静かに療養して体力の回復を待った方がいいと判断した。

 小説を書くためには何よりも健康が大事で、病気しているようでは小説など書けないということをつくづくと思い知らされた。人間が健康でいるためには睡眠が何よりも大事で、不眠症ってのは本当に厄介な病気である。大半の病気は寝ていれば治ることを考えれば、寝られないというのは、治せる筈の病気を治せないということなのである。

 新しい小説のネタは既に頭の中で出来上がっているのだが、今はそれを書ける状態ではない。今、無理をして小説を書いてしまうよりも、ここは書き始めず、病気が治ってから書き始めた方がより良い小説ができるというものである。

 このためブログの記事は更新されるけど、俺は療養しております。しかもその期間は10日ほどにまで及びます。記事は書き溜めた物を出しているだけなので、そこの所を勘違いしないように。現在、仕事にも生活にも支障が出ている状態です。

 それにしても伯父さんの礼を失した墓参りのために、俺はとんでもない目に遭ってしまった。墓参りは大事な宗教行為だから、本気で墓参りする気がない人と一緒に墓参りはしない方がいいのかもしれない。そのことを解っただけでも、今回はいい教訓になったと思う。

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村岡花子は『赤毛のアン』を理解していなかった

●翻訳者だからといって、その原作を理解しているとは限らない

 NHKの連続テレビ小説『花子とアン』が盛り上がっているのに悪いのだが、村岡花子という人物はそれほどレベルの高い人物ではない。村岡花子といえば『赤毛のアン』の翻訳者として有名なのだが、彼女は『赤毛のアン』の日本語訳が出来ても、その文学的価値という物を全く理解していない人物であった。

 翻訳書には1つの法則があって、

「原書の原題と日本語訳の題名が違う場合、その翻訳者はその作品を正しく理解していない可能性が非常に高い」

ということなのである。本にとって題名は非常に重要な物だから、基本的に変えてはならない。しかし日本の翻訳者たちというのは、なぜだが題名の変更を平気でやってくるのだ。

 『赤毛のアン』の原題は『緑の切妻屋根のアン』である。『赤毛のアン』を読んでいけば解ることだが、『赤毛のアン』の話はアンが引き取られた家に於いて話が終始する。だからこの小説としてはこの題名しなかない。しかし村岡花子はこれを『赤毛のアン』と変えてしまったのである。

 題名的には『緑の切妻屋根のアン』より『赤毛のアン』の方がいい。しかしそれはこの小説を理解していないということなのである。題名を『赤毛のアン』にしてしまうと、アンの話になってしまうからだ。この小説で重要なのはアンとマリラとマシュウの3人であって、アンだけが重要ではないのである。

 原題を活かしながら巧い日本語訳にするなら、『グリーンゲイブルズのアン』とするしかない。これでは原題と殆ど変わらないのだが、「緑の切妻屋根」では全くお洒落ではない以上、こうするしかないであろう。確かにアンは赤毛かもしれないが、孤児であるアンが引き取られた家こそがこの小説にとっては必要不可欠な物なのである。

●『赤毛のアン』は実に変な話

 『赤毛のアン』は女の子向けの児童文学作品では常に人気ナンバーワンなので、それだけ作品としては出来が良い。だから通常の読解力でも充分に理解することができるのであって、逆に言えばこの『赤毛のアン』を理解できないというのなら、「その者の読解力は全くない」と断言してもいい。

 普通の読解力があれば、

「『赤毛のアン』って実に変な話だよね」

と言う感想を持つことができることであろう。確かに読んでみれば実に変な話なのである。

 まずマリラと兄のマシュウは互いに独身で、それでいながら一緒に暮らしている。そこに孤児のアンが里子として行くことになるのだが、兄と妹が結婚もせずに一緒に暮らしているということは、冷静に考えれば、この兄と妹は近親相姦をやっているということなのである。

 孤児のアンにしても実に変な子で、孤児という割にはどう考えても頭の良い子で、マリラの家で騒動を引き起こすにはしても、人間関係がそれなりにできているのである。孤児は親に捨てられ、孤児院という悲惨な境遇で育つために、アンのようにきちんとした人間関係を育めないのである。

 アンはダイアナという親しい友人ができるのだが、なぜだかアンとダイアナは「永遠の友情」を結んでいない。幼い時は二人ともバカなことをして遊んでいるのだが、アンの向学心に火がつくと、二人の仲は徐々に離れて行き、結局、親友として永遠の友情を結ばないのである。

 最もおかしいのが、アンは努力して奨学金を貰ったのに、大学の進学を拒否してしまうことだ。これにはマリラの目の病気のことがあるのだが、マリラとアンの仲がそれほど良くない以上、アンがマリラの所に帰って行くのは問題があり過ぎる行動なのである。

●初期設定のミス

 なんで『赤毛のアン』がこんなにも変な話になってしまったのかといえば、それは「初期設定のミス」である。モンゴメリは最初、「女の子の孤児が男の子と間違えられて引き取られた話」を考えていたので、初期設定のことを充分に考えずに書き出してしまったのであろう。

 マシュウとマリラを兄と妹にするのではなく、夫婦にしておけば、「孤児が里親に引き取られた話」として物語が開始して行くのである。マリラの母性愛不足は、自分を愛してくれる人がいないからこそ起こっていることなので、夫から愛されれば、孤児のアンのことをきちんと愛すことができるのである。

 アンは孤児ゆえに、自分の未熟さを常に自分のお喋りで誤魔化そうとする癖がある。これはアンが孤児として生きて行く上で身に付けた物なのだが、この癖があるために、アンはマリラとの関係を深めて行くことができないのである。

 だからマリアが母性愛を出して、アンのことを肯定してあげ、

「ここではもう、そういう強がりをやらなくてもいいんだよ」

とでも言えば、アンの癖は消滅していくのである。

 マリラの母性愛不足はアンの友情にも問題を発生させ、ダイアナと仲がいいのに、彼女を親友にしていくことができないという事態を招いてしまった。ダイアナはアンを受け入れているのだが、アンが成長していくにつれて、ダイアナとは理解しあえなくなるのも、アンの複雑な家庭の状態が原因なのである。

 この友情の不発はアンの恋愛にも支障を来たすのは当然であって、アンはギルバートという弱い男性に惹かれて行ってしまうのである。アンは勉強に於いてギルバートを打ち負かしている。そのギルバートがアンを救済することは絶対に有り得ないのである。

●なんで女性たちは『赤毛のアン』に惹かれるのか?

 なんで女性たちが『赤毛のアン』に惹かれるのかといえば、これは「女性が自立していくお話」だからである。しかもモンゴメリはフェミニズムに洗脳されていないし、汚染されてもいない。孤児のアンがこの世で生きて行くためには、学校の教師になるしかないということでそうしているのである。

 しかしアンは後少しで自立できるという所で、マリラの所に戻ってしまう。ということは自立できなかったということになる。だから『赤毛のアン』は児童文学としては良い作品なのである。自立してしまえば、それはアンにとって素晴らしいことかもしれないが、自立していない読者たちから離れて行ってしまうことになるからだ。

 父系家族制では女性たちは親から離れて自立していかなければならない。それゆえ自立するということは、自分の母親を捨て去るということなのである。このため自立した女性ほど、自分が自立するために母親を捨ててしまったことを心残りにしてしまうことになる。

 それゆえ女性は自立してしまえば、アンのようにマリラの許に帰って行く生き方に違和感を覚えてしまう、それゆえ子供の頃には感動できた『赤毛のアン』に何も感動できなくなってしまうのである。だがこの作品は自立できた女性たちの心残りを解消している物だからこそ、生き残っていいるのである。

 女性が30歳になっても『赤毛のアン』に惹かれているようでは、自立できていないということだ。自立できたのなら、『赤毛のアン』が小説としては実に変な話になっていることに気付けるものなのである。それができないというのなら、読解力が足りないだけでなく、自分自身が自立できていないということなのである。

●『赤毛のアン』に潜むキリスト教批判

 聖書を暗記していない人たちには解らないのだが、実を言うと『赤毛のアン』には聖書からの引用句が大量に存在している。これはモンゴメリが改革派の信者である祖父母から育てられたために改革派の信者らしい文章の書き方をしているのである。

 しかし『赤毛のアン』にはキリスト教否定の萌芽が既に出始めているのである。モンゴメリは『赤毛のアン』の中で、要は改革派のキリスト教徒たちのことを批判しているのである。それが前面に出て来てはいないのだが、これを見抜けないとなれば大した読解力はないということなのである。

 モンゴメリは『赤毛のアン』を書き終わった後、牧師の男性と結婚するのだが、牧師の妻として生きていながらも、モンゴメリ自身、牧師の妻だというのに無神論者になってしまう。牧師の妻の仕事が面倒になってそうなったのではなく、モンゴメリは結婚する前からその傾向はあったのである。

 俺はアン・シャーリーがシェイクスピアの妻の名前から取った物だということに気を取られてしまい、アンの名前には別に意味も含まれていたということを完全に見落としていた。それは「アンはアテナ」だということなのである。アテナというのは古代ギリシャの女神のことである。

 アンの最も親しい友人のダイアナは、古代ギリシャの「月と狩猟の女神」である。とするなら、アンはアテナでなければおかしいのであって、アテナは「知恵と戦争の女神」だからこそ、アンは事あるごとに格言めいたことをいい、そして競争になると打ち勝ってしまうのである。

 『赤毛のアン』の世界がやけに明るいのは、これはキリスト教を否定し、古代ギリシャの神々を賛美しているからなのである。『赤毛のアン』は古代ギリシャの宗教の復活バージョンなのであって、だから熱狂的なファンたちが存在しているのだ。

●『赤毛のアン』を理解していたなら「第二巻以降は駄作」とはっきりと言えた筈

 モンゴメリはフェミニストではない。フェミニズムの洗脳も汚染もその作品の中には全く見当たらない。モンゴメリは自分が養父母となった自分の祖父母から自立していくために、『赤毛のアン』を書いたといっていいだろう。アンは自立する直前で自立することを拒否してしまうのだが、モンゴメリ自身は自立し、『赤毛のアン』の出版後、結婚することになる。

 問題は『赤毛のアン』がベストセラーになってしまったことなのである。そのため読者たちから続編を望む声が多々寄せられ、それでモンゴメリは続編を書き始めるのである。しかし第二巻以降は駄作である。なぜなら『赤毛のアン』は第一巻で完結しているのであって、この続編を書くというのは無理なことなのである。

 モンゴメリは両親から捨てられてしまったために、こういう要望を拒否できるだけの強さを持っていなかった。自分が書きたくもない物を書いている訳だから、どうやっても盛り上がることはない。モンゴメリ自身、『赤毛のアン』のファンたちに「なんでアンのことがそんなにも好きなのかしら」と疑問を呈しているくらいなのである。

 村岡花子が翻訳者として『赤毛のアン』を理解していたのなら、「第二巻以降は駄作」とはっきりと言えた筈である。それが言えなかったということは、彼女自身、『赤毛のアン』をちゃんと読んで理解していなかったということなのである。翻訳者の村岡花子が『赤毛のアン』を理解していないから、それで読者たちも『赤毛のアン』を理解できないのである。

 『赤毛のアン』の無理解は宮崎駿にも継承され、『赤毛のアン』がテレビアニメ化されると、宮崎駿自身『赤毛のアン』を理解していないので、それで表面的に物語をなぞる物しか作れず、それを見た視聴者たちは『赤毛のアン』はそういうものだと理解してしまった。

 無理解の拡大再生産は更に続き、今回、連続テレビ小説『花子とアン』でまら無理解が増したと見ていい。俺としては日本人女性たちの中から「村岡花子は『赤毛のアン』を理解せずに翻訳した」という批判的な意見が出て来て欲しかった。その意見が言えないということは、『赤毛のアン』を理解したとは言えないのである。

 村岡花子の人生をどう賛美しようが、村岡花子は翻訳者としては3流程度の人物であったということなのである。

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あなたが出世できないのは、日本の社会に問題があるからではありません

●出世できない理由は自分にある

 どんな職業に就いたとしても、技術が充分に身に付くのは「10年」という長い歳月を必要とする。だから大学を出て就職すれば、20代というのは技術の習得に充てなければならず、行き成り出世していくということは絶対に有り得ないのだ。組織というのはそういうものであって、これは外国に行ったとて同じなのである。

 ところが大学卒の人たちはそう考えることはない。自分が大学を出た以上、すぐさま出世していけるのだろうと思いっきり勘違いして来るのである。20代では技術は未熟なのであって、冷静に考えればその状態では出世できないというのに、自分の実力が全然解っていないから、「自分が出世できないのは絶対におかしい」と言い出すのである。

 この反論自体、最初から知恵のない意見であるので、この反論を幾ら聞いたとしても無駄である。しかし知恵のない人はこの反論を大真面目に展開して来るのであって、それで日本企業の最大の強味だった年功序列を破壊してしまったのである。それでどうなったかといえば業績が悪化し、外国資本に会社を乗っ取られてしまったのである。

 ビジネスの世界は弱肉強食の世界だから、自分たちが間違った考えを持って行動していれば、必ずライバル企業の攻撃にあって倒産に追い込まれていく。そのくせマスコミとかでは知恵のない意見の方を持て囃す傾向にあるので、マスコミで報道されているからといって鵜呑みにしてはならないのだ。

 ビジネスに於いて情報を猛スピードで流れるかもしれないが、人間がビジネスに於いて一人前になるのは10年という長い歳月を要する。大学を出て就職したのなら、30代前半になってやっと一人前だ。どの企業でもその時点から給料が急上昇していくのであって、真面目に働いていれば、実に合理的に出来ていると解るものなのである。

●仕事の基本

 まず仕事の基本は「挨拶」である。会社に入社すれば挨拶することをみっちりと叩き込まれるものだが、それだけ新入社員は挨拶ができないということなのである。挨拶をしない限り、社内で人間関係を築けないのであって、人間関係を築くことができなければ仕事なんてできる訳がないのだ。

 「命令されたことは忠実にやる」というのも組織の中では絶対に欠かせないものである。組織は上位者が命令を下すことで下位者たちを動かして行くので、命令に忠実ならざる者はその組織には要らないということなのである。上司に逆らったり、悪口を言ったりするのは、バカな人間のやることなのである。  

 命令を受けて仕事をするからこそ、「報告」「連絡」「相談」の「報連相」が必要になってくる。上司が命令を出したのに、部下から報告がなければ、あの命令はまだ実現できていないんだなと思うのは当然のことなのである。仕事を進めていけば様々な部署と連絡しなければならないから、せめて連絡さえしていれば仕事を進めていると思われることができる。もしも仕事ができないなら相談すべきであって、誰かに聞けばそれなりの参考意見を貰うことができるものなのである。

 会社で仕事をしていくためには、会社の組織を理解することが絶対に必要になってくる。例えば営業部なら注文を取ってくるだけでなく、お客様から新たな注文を受けた場合、製造部にかけあって、「このような物を作れるか?」と相談して、それを可能にさせるように持って行かなければならない。どの部署も自己完結している訳ではないのであって、仕事のためには他の部署も利用しなければならないのである。

 会社は何をやってもいい組織ではない。飽くまでも合法的な経済活動だけをすべき組織なのである。だから法令順守は絶対に大事なことだし、それだけでなく経済倫理を持つことも必要なのである。もしも会社ぐるみで不法行為を行っていたら、それに断固として「ノー」を突きつけ、それを阻止しなければならない。お金のために不法行為に手を染めれば、いずれは警察に逮捕されるのが落ちなのである。

●ビジネスの勉強をする

 仕事をしながらビジネスの勉強をするということはとても大切なことだ。ビジネスの勉強というのは、今の仕事で必要な物であって、仕事で必要になっているからこそ、勉強し始めると簡単に理解することができる。これが学校や大学での勉強とは違う所である。

 最もバカらしい勉強は語学の勉強である。仕事で必要であるならそれは必要かもしれないが、仕事で必要ないなら語学の勉強などしない方がいい。勉強してもなかなか覚えることができないし、覚えたとしても使い道がないのだ。語学は必要なれば3ヵ月ぐらいで覚えることができるので、別に焦ることはないのである。

 今の仕事関連で「資格」が必要なら、それを取るべきであろう。その資格を取るために勉強すれば、今の仕事のことにも詳しくなるし、資格を取れば取ったでその資格を活かして、更により重要な仕事を獲得することができるようになるのである。

 ビジネスをしているのなら学校や大学よりも「セミナー」に行った方がいい。仕事で必要な物は学校や大学では教えてくれず、セミナーで教えているというのが実情なのである。だからセミナーに行くと必ず学ぶべき物があり、それでレベルアップを図ることができるのである。

 現在の日本ではどの職業に就こうが修士号レベルの学力を必要としている。大学進学率が50%以上になっているので、それで学士号は当たり前であり、修士号を取ることが必要なのである。しかし日本の大学院は国際的に見て大学院として機能していないので、それで大学院以外で勉強するということが必要になっているのである。

●ビジネスの情報を集める

 仕事をしていくためにビジネスの情報を集めて行くことになるのだが、ビジネスをやっているのなら、とにかく『日本経済新聞』を読むべきであろう。この新聞を読めば経済情報は殆ど解るので、これほど有難い新聞はないのだ。必要に応じてこれ以外の経済新聞をも読めばいい。

 それなのになぜだかビジネスマンだというのに一般紙を読む人が存在している。一般紙というのはビジネスに関係ないのであって、そういう新聞を読んでいる時点でビジネスマンとしては失格なのである。新聞は毎日読むものだから、間違った新聞を定期購読していれば、ビジネスが巧く行かなくなるのは当然のことなのである。

 それと経済専門誌を読むのも必要で、週刊か隔週か月刊の雑誌を定期購読し、それを丹念に読んで行くことだ。統計上、ビジネスで成功している人は月に10冊以上の雑誌を読んでいる。それだけ雑誌にはビジネスに役立つ情報が満載ということなのである。

 更にビジネス書を読むことも必要である。ビジネス書はビジネスをやっている人が書いた物なので、その知識や技術をその本の定価で購入できてしまうという非常に有難い物なのである。自分がビジネス書を読まずにその知識と技術を得ようとすれば、最低でも5年はかかるであろう。しかしビジネス書を読めばすぐに獲得できてしまうので、それで格段の差がついてしまうのである。

 ビジネス研究書はビジネスマンではなく、学者が書いた物なので必ずしも読む必要性はない。しかし必要とあらば読んでおくべきであろう。学者はビジネスをやっていないが、第三者の立場で研究していくことができるので、それで何かしらの物を見つけ出すことができるのである。だが、ビジネス研究書の中には本当にダメな物もあるので、そういう本は読まない方がいい。

●必殺の12時間労働

 若いのであるなら、絶対にお勧めしたいのが「必殺の12時間労働」だ。人間は1日の内、最大で12時間労働することができる。これ以上労働してしまうと労働の効果が落ちてしまうので、12時間以上は労働しない。通常の8時間労働プラス4時間労働をすると、仕事の生産力が最大化するということになる。

 出世していくためにはスタートダッシュが欠かせない。早くに仕事を覚えていけば、それだけ出世のスピードが早くなるというものなのである。残業をすることが許されているのなら残業すべきだし、残業が禁止されているのなら、自宅に帰ってから仕事をしてしまえばいいのである。

 若い時は遊びたい盛りなのだが、それをどう克服していくかなのである。幾ら遊んだ所で出世に結びつくことはないが、仕事をしまくれば出世に結び付くのである。それをいつ理解するかなのである。遊び中心の生き方を捨て去ると、自分がすべきことがはっきりと見えて来るものなのである。

 しかしこの必殺の12時間労働はいつまでも出来るものではない。30代のどこかで1日12時間労働は無理になってしまうのである。体力がガクンと落ちると、もう無理だし、結婚して子供が出来てしまえば、残業しまくりというのは離婚に直結してしまうので非常に拙いのである。

 だから出世の切り札とも言える必殺の12時間労働は基本的に20代の時しか使えず、結婚してしまえばもうできなくなってしまう。女性なら30歳で心境の変化が起こる物だし、男性なら35歳辺りでどうしても体力がガクンと落ちてしまう。その時期までに必死になって働くべきであって、この時期を逃すと後で苦しい戦いを強いられることになってしまうのである。

●出世の裏技

 出世には出世の裏技がある。それはなんと言っても「結婚」である。男性ならいいとこのお嬢様を貰うと、その後出世していくことが可能に成るし、名家の出でなくても、相性のいい女性と良い時期に結婚すると、その後出世して行くことになる。

 女性の場合、話はもっと深刻で、結婚する相手は仕事が出来て、収入が多くないと、子供たちを育てていくことができないので、男性の能力をシビアにみなければならない。女性の美貌と能力は比例する傾向にあるが、男性の外見と能力は比例しないので、そこをどう見極めて行くかなのである。

 「人間は生まれがらにして平等である」と思うことはバカな人間がやることである。この世は閨閥がしっかりと出来上がっているのであって、絶対に平等ではないのだ。大事なことは自分の実力で伸し上がり、結婚で更に伸し上がることなのである。

 結婚の際に上司に「仲人」の役を頼むなんても必要である。上司が仲人をしてくれれば、その上司と一生の付き合いになる。「仲人なんて古臭い!」なんて傲慢になっていると、折角の結婚式を巧く活かせなくなってしまうのである。仲人をやったからこそ、あれこれ面倒をみてくれるようになるものなのである。

 人間というのは結婚しないと人間として一人前になれないものだ。結婚して自分の家族がいれば、家族のために頑張るという意欲が湧いて来るものなのである。その意欲こそが更なる出世へと繋がっていくのである。自分のために仕事をしているというのであるならば、誰も支援してくれないのは当たり前のことなのである。

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仲間由紀恵の結婚について

●誰だ、仲間由紀恵を奪った奴は?

 俺は今年の大河ドラマ『官兵衛』を苦々しく見ている。作品の出来自体はいいのだが、主役の黒田官兵衛が格好良すぎるので、これでは全く詰まらない。主役が苦難を味わってこそ感情移入できるので、これではそれができないのである。

 そんな中、俺が「この役者は巧いな~」と思ったのが、荒木村重役をやった人で、この人が出ていた回は面白かった。荒木村重は時代の流れを読めなかった愚かな武将なのだが、その悲哀をきちんと表現していた。こういうのを演技力という。

 その役者が今回、仲間由紀恵と結婚した田中哲司である。ここまでちゃんと役者の仕事をできるのであるならば、仲間由紀恵を与えても良い。仲間由紀恵は仕事ができるゆえに、男を見る目も間違ってはいなかった。実に凄い凄い。

 仲間由紀恵は1979年10月31日生まれの34歳で、田中哲司は1966年2月18日生まれの48歳である。14歳も年が離れているのだが、仲間由紀恵のような女性だと、これくらい年齢の高い男性ではないと釣り合わないと思う。同い年の男性では誰であっても実力不足なのである。

 今回の結婚報道に於いて仲間由紀恵は、

「ささやかな家庭を築きたい」

と言っていたのだが、本当にそういう家庭を築いて欲しいものだ。夫婦共々役者として成功した分、家庭を築いて影の部分を作っておかないと、陰陽バランスが崩れて不幸が襲いかかって来るものなのである。

●相性は?

 交際期間は6年ということなので、となると仲間由紀恵が28歳の時に交際をスタートさせたということになる。一方、田中哲司は42歳で、後厄の時期なので、本来なら交際して早々と結婚すれば良かった。それなのにこうも長引いてしまったのはそれなりの理由がある。

 二人の相性は良いのだが、仕事を忙しくしていないと巧く関係を保てない関係なのである。しかも仲間由紀恵の方が一流の女優なのだから、田中哲司の仕事が成功することが絶対条件となってくる。そのために結婚適齢期の時期に交際したのに、6年とずるずると行ってしまったのである。

 だから結婚を維持できるかは本人たち次第ということになる。とにかく早く妊娠して出産し、赤ちゃんを設けないと、二人の仲がしっかりと固まってこない。仕事が忙しいといって子作りを疎かにしていると、その結果は確実に離婚ということになる。

 現在、仲間由紀恵は厄年明けなので、これがどう出るかである。巧く行けばこの後厄を使って更に伸し上がって行くことができるし、失敗すれば人生が急降下していくことになる。女性は「31歳」「32歳」「33歳」と30代前半に厄年があるからこそ、できることなら30歳までに結婚してしまった方がいいのである。

 時折、女優が一般人男性と結婚することがあるが、あれはそれなりに理由がある。役者同士で結婚してしまうと、どうしても互いに人気を当てにした商売ゆえに、なかなか巧い時期に結婚できないのである。だから女優の仕事をしなはら、一般人男性と付き合い、それで良い時期に結婚ということになる。

●仕事ができる女の結婚時期

 俺が仲間由紀恵の結婚でつくづく思ったことは、

「仕事ができる女の結婚時期はどうすれば良いのか?」

ということであった。女性の結婚適齢期は26歳から33歳である。これは女性ホルモンの第二次大量分泌時期とピタリと一致しており、女性であるならば絶対にこの時期までに結婚しておくべきなのである。

 33歳が女性ホルモンの分泌のピークなので、それ以降は減少していくことになる。このため不妊症のリスクやダウン症の赤ちゃんを産んでしまう危険性が徐々に高まって行くのである。女性だからこそ結婚は急ぐべきであって、絶対に遅らしてはならないのである。  

 結婚適齢期を過ぎても結婚しない女性は、俺は「バカな女だ」と思っている。女性なのに、自分の体の変化をまるで解っていないからだ。仲間由紀恵は現在34歳だから、それで踏ん切りがついたのだと思う。交際相手の男性がとにかく売れてくれない限り、仲間由紀恵ほどの女優になってしまうと、事務所の方が許可を出してくれないからだ。

 仕事はどんな職業であっても、一人前になるためには10年間の歳月を必要とする。だから女性の場合、高卒とか短大卒の方が断然有利なのである。就職して10年経って一人前になり、それで結婚することができるからだ。しかし大卒になってしまうと、就職して10年後となれば、もう結婚適齢期ギリギリであり、大学院卒の方は就職して10年後はもう完全にオーバーしているのである。 

 独身時代に、「仕事に於いて自分はやるべきことは全部やったな~」と思えば、なんの後腐れもなく仕事を辞めることができるが、そういう満足感がないと結婚に踏み切れないし、ズルズルと仕事をやってしまうものなのである。しかしそうやって結婚適齢期を逃してしまうと結婚できなくなり、気付いてみれば40歳になり、そして50歳になっていくのである。

●結婚したら早目に妊娠を

 仲間由紀恵と田中哲司の仲はとにかく赤ちゃんがいないと落ち着かない。二人とも仕事が忙しいからといって妊娠を後回してにしていると、この結婚は絶対に途中で空中分解してしまう。赤ちゃんができると、どうにか落ち着いて、夫婦仲を深めて行くことができる。

 夫婦の90%以上は結婚して3年以内に赤ちゃんを得ているのだが、その感覚でやってしまうと、田中哲司は天中殺のド真ん中で赤ちゃんを得てしまう。そうなるとその赤ちゃんのために仕事が巧くいかなくなってしまい、それでその後に離婚ということになってしまう。

 仲間由紀恵も田中哲司も血液型はA型なのだが、A型同士は細かいことで喧嘩すると、本当に長く夫婦不和が続く。ネチネチと喧嘩をやるのが得意なので、できることなら絶対に喧嘩しない方がいい。夫婦が共にA型ということは、赤ちゃんもA型なので、物凄く几帳面な家族ができあがる筈なのである。

 芸能界の結婚離婚は世間の人たちにしてみれば噂のネタになっても、参考にならない。冷静に考えれば、交際期間が6年ということ自体、一般人の感覚ではそれだけでアウトなのである。そのカップルに何かしらの問題があったからこそ、そこまでズルズルと交際を長引かせてしまったのである。

 とはいっても、芸能人はそれなりのパワーがあるので、多少欠点があっても巧く乗り切ってしまうことができる。しかし女性は結婚すれば減速しなければならない所を、無理して加速してしまえば、どんなにパワーがあっても結婚を維持することは不可能なのである。

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男の相談と女の相談

●仕事をしていれば迷う時が必ずある

 仕事では即断即決が求められるのだが、仕事をいしていれば必ず迷う時がある。それは自分では判断しかねるもので、なかなか決断に踏み込むことができない。しかし幾ら考えても選択肢は2つぐらいしかなく、そのどちらかを選べばいいのか迷いに迷ってしまうのである。

 そんな時、然るべき人に相談してみて、

「こういう問題を抱えているのだが、どうすればいいのだろう?」

と訊けば、その相談相手は何かしらの助言を与えてくれることだろう。その助言をそっくりそのまま受け入れるか、それとも違う意見を取るかは本人次第であって、とにかく相談したこと自体、意義があったことになる。

 俺は男性を見る場合、その男性の両親はどういう人たちか、結婚しているのか、知り合いに知恵者がいるのかを見て判断している。なぜならこれらの人物たちは全て相談相手になる人たちであって、その男性が困ったら必ず相談することになるからだ。

 その中でも妻の存在感は高く、夫という者は妻の意見を基本的に聞く傾向にあるので、妻が賢い女性だと、男性は判断ミスが少なくなり、仕事が成功し易くなる。逆に妻がバカだと夫は判断ミスしてしまい、それで仕事が巧くいかなくなってしまう。

 だから結婚は早くにしてしまった方がいい。しかし結婚相手を間違えるな、という条件付きである。若い時は恋愛を重要視してしまうが、幾ら恋愛に夢中になっても、賢くない女性と結婚してしまえば、その後の人生は悲惨なものになってしまうのである。

●しかし女の場合

 しかし女の場合、相談が相談になっていない人たちが出て来る。自分では既に決めたのに、それでも他人に相談して来るのである。既に自分で決断したのだから、相談する必要性などないと思うのだが、無意味な相談をする女性たちというものは必ずいるものなのである。

 なんで女性がこういう行動を取るかというと、話を聞いて貰うことで安心を得たいがためなのである。女性は言語能力が達者なので、他人と会話することで人間関係を保とうとするのだが、相談事を持ちかけるような振りをして、人間関係を築くということをやるのである。

 女性同士ならそういう無意味な相談を持ちかけられることに慣れているからなんとも思わないだろうが、男性たちにしてみれば、その相談は最初から無意味だということがいずれ解ってしまうので、それでその相談をしてきた女性に怒ってしまうのである。

 では女性は本当に相談したいことを一体誰に相談するのかといえば、しっかりとした人間関係がある人物、親友であったり、彼氏だったり、夫だったりとか、それと真逆の人間関係が余りない人物なのである。中途半端に人間関係がある人物には本当に相談したいことを相談して来ないのである。そういう人物に相談すると、厄介なことになるということが解っているからなのである。

 女性にはこういう傾向があるために、仕事をする際に上司の方が人間関係を良好に築く努力をしないと、本当に相談しなければならない事を相談してこないということになってしまう。部下の女性がこういうことをすれば、上司としては「この女はダメだな」と判断するしかなくなってしまうのである。

●成長する女性と成長しない女性

 男性には相談の仕方が巧い人と下手な人がいるのだが、女性の場合、相談ができる人と相談ができない人とが存在している。なんで女性にこんな違いが生じてしまうのか、それはズバリ「父親との関係」がそれを決めてしまうのである。

 女性は子供の頃に父親と非常に親しくなる時期がある。その時に父親とじゃれあったり、一緒にお風呂に入ったり、会話をしたりしていないと、その女性が大人になった時、男性たちと巧く人間関係を保てず、それで相談ができない女性になってしまうのである。

 冷静になって世の中を見回してみれば、父親と仲が良い女性は仕事をやらしても人間関係が巧いし、相談という物がきちんとできている。逆に父親と仲が良くない女性は仕事をやらしても必ず人間関係で問題を抱えているし、相談という物がまるで出来ていない。

 仕事で問題を抱えても、相談すれば何かしらの解決策を得てしまうから、それで相談ができた女性はその問題をクリアして、成長することができる。しかし相談ができない女性はその問題を解決できないので、それでその問題を遣り過ごしたとしても、また似たような問題にぶち当たってしまうのである。

 自分が成長するからこそ、より重要な仕事をこなせるのであって、自分が成長していないのなら、より重要な仕事をこなせる訳がないのである。男性の場合、年功序列でも構わないのだが、女性にそれを適応してしまうと、途端に人事で問題が多発してしまうのである。相談しない女性はどうやっても成長して来ないので、そういう女性を出世させてはならないのである。

●絶対にやってはならない相談の仕方

 相談できないのなら、相談しない方がいい。そういうことなら、誰にも相談せず自分でやっていけばいいのである。それで巧く行けば仕事が成功することだってありえる。しかし相談できない女性が無理矢理に相談しようとしてしまうと、相談としては絶対にやってはならない遣り方を取ってしまうことがある。

 その絶対にやってはならない相談の仕方というのは、散々会話した後に、「実は~」と本題を切り出す遣り方だ。こういう相談の仕方をやられると、今までの相談の時間はなんだったんだということになる。こういう場合、男性はその時点ではその相談に応じるけど、それ以降、この女性を遠ざけることになる。

 なぜならこういう相談の仕方は時間の無駄だし、相手の男性の誠意を完全に踏み躙っているからである。仕事をしている男性はそれほど閑ではない。誰だって限られた時間の中で仕事をしている。だったら相談したいのなら手短に相談すべきであって、相談に対して余りにも長い時間を取るべきではないのである。

 出世競争では男性たちだって能力のない者たちは脱落していくことになる。女性たちだって出世競争するなら、能力のない女性たちは脱落していくことになるのである。出世競争に負けた女性に限って、自分のことは棚に上げて、日本の社会が男社会だからと批判してくるのだが、実はそうではないのである。

 負け犬になってしまった女性たちは仕事をしていく中で、自分自身、父親との関係に於いて問題を抱えていることが解ったのである。だったらまずはそれを解決していくしかない。それができないと、相談のために自爆するということを繰り返してしまうのである。間違っているのは常に自分自身なのであって、絶対に社会ではないのだ。

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なぜ殷王朝は滅んだのか?

●全ての文明はシュメールから始まった

 全ての文明はシュメールから始まった。シュメール人たちは「巫女」「神職者」「長老」による宗教組織を始めて作り出したので、その宗教組織を使って文明を作り上げ、それを全世界へと普及させていった。中国文明のメソポタミア文明の支流に過ぎず、最初はシュメールの神々を祀っていた。

 しかし中国はメソポタミアに比べると寒く、黄河も長江も度々氾濫したので、なかなか文明レベルにまで達しなかった。中国に於いて最初の王朝である「夏王朝」はシュメール人たちが文明を作り出してから、大体800年後に成立した。

 夏王朝は小さな国家だったが、建国して400年後に黄河の洛陽周辺に起こった殷王朝に滅ぼされた。殷王朝は夏王朝よりも遥かに優れた政治体制を持っていたのであり、それで夏王朝を滅ぼすことができた。殷王朝は黄河流域に領土を拡大して、中国文明の基礎を築いた。

 今回紹介する本はこの本!

 陳捷著『甲骨文字と商代の信仰』(京都大学学術出版会)

 甲骨文字と商代の信仰[陳捷]

 この作者の「陳捷」は中国人で、日本の京都大学大学院環境学研究科の博士課程を修了した人である。この本自体、博士号論文と、その他の学術論文を集めた物で、普通の人は読む必要性がないのだが、陳捷本人の才能を評価し、今後、活躍して欲しいと期待して、俺のブログに取り上げた。

 日本の国立大学では東京大学が一番で、京都大学は二番なのだが、その学力の格差は恐るべき物があって、東京大学の方が断トツの一位なのである。京都大学出身者はどうしても学力が低いし、それに文章も巧くない。だが、二番手だからこそ東京大学ではできない研究ができるのであって、陳捷はそれが出来た人なのである。

●殷王朝は神権政治をやったからこそ成功した

 殷王朝は「神権政治」を行っていた。殷王は司祭長として、巫祝長として、そして政治指導者として君臨していた。夏王朝がどのような政治体制を取っていたのか解らないが、殷王朝は夏王朝よりも国王に権力が集中しており、専制君主制だったらこそ、夏王朝を倒すことができたのである。

 殷王朝は亀の甲羅に甲骨文字を書いて未来を占うということをやっていた。この占い自体、古代中国では様々な箇所で行われていたのだが、殷王朝はそれをより発展させ、国政にその未来予測を利用しまくっていた。この未来予測こそ殷王朝を大繁栄に導いたのである。

 というのは、黄河は洪水が発生し易い。そのくせ中国大陸は定期的に旱魃がやってくる。だから天候がどうなるのか予測することができれば、事前に対策を打つことができ、被害を最小限度に抑えることができるのである。占いは必ずしも当たらなくてもいい。外れたとしても、別にそれで損害が出る訳ではないのだから。

 現代の感覚なら、「占いを政治に使うだなんて」と思ってしまうが、現代の政治だって未来予測をしながら政治をやっているのである。基本的な構造は殷王朝のそれと全く変わらない。占いを担当した巫師たちは、当然に霊能力のある者たちであったろうから、自然現象の変化を事前に感じ取ることができたのであり、それゆえに当たる確率が高かったのである。

 殷王朝は占いだけに頼ったのではない。殷王が占いをする時は、10人の巫師たちによる口頭での神意の判断を必要としたのである。ということは、殷王と10人の巫師たちが委員会を作っていたということであり、それこそが「殷王朝の最高政治指導部」であったのである。

 殷王を「中国共産党総書記」、巫師たちを「中央政治局常務委員」、殷王と巫師たちの委員会を「中央政治局常務委員会会議」と置き替えて考えれば、中国共産党は殷王朝とそっくりなことをやっているのである。だから中国を支配し続けることができているのである。専制君主だからといって、本当に1人で政治をやっていたら、国家という物は呆気ないほど簡単に崩壊してしまうものなのである。

●滅亡の原因は、実は偶然だった

 殷王朝は領土拡大をし過ぎたために、19代国王の盤庚の時に殷墟の地に遷都する。遷都によって世襲貴族たちの権力が弱まったのか、22代国王の「武丁」の時には懲役刑を食らって版城に従事していた「傅説」を宰相に抜擢して行政を担当させたりした。

 この武丁は息子の「祖庚」に王位を譲ったのだが、この祖庚を気に入らず、祖庚の弟の「祖甲」に王位を譲らせた。能力主義の武丁にしてみれば、祖庚では実力不足と見、祖甲の方に実力があると見たのであろう。しかしこれは政治的に重大なミスであった。

 というのは、祖甲は国王になるよう育てられていなかったので、それで占いの遣り方を習得していなかったのである。国政レベルの占いをやるためには長い間に亘って教育を受けなければならず、幾ら国王として統治能力があるからといって、占いの遣り方をすぐに身に付ける訳には行かないのである。

 そこで祖甲は占いのことを卜占機関に任してしまった。しかもこの国王の在位期間は33年もの長きに亘ったのであって、殷王朝に於いて占いの重要度は急速に低下して行ったのである。それだけ領土の拡大と宰相制度の確立によって世俗的権力は増大していたのであり、最早、殷王が占いによって未来予測しなくても政治はできるようになっていたのである。

 しかしこのような政治改革は神権政治を前提とする殷王朝にとっては非常に危険だった。殷王は政治指導者であるかもしれないが、同時に司祭長であり巫祝長なのであって、この部分を蔑ろにしてしまっては、貴族も庶民たちも殷王への尊敬の念が消え去ってしまうのである。そして30代国王の「紂王」の時に革命が発生し、殷王朝は周王朝に取って代わられてしまうのである。

●周王朝はどのようにして革命に成功したのか?

 周王朝は殷王朝の中でも辺境の地で勃興してきたので、文化レベルは最初から高くなかった。このため殷王朝が占いを軽視して滅亡したことを知っていたのに、その占いを再び元の地位に戻すことはしなかった。周王朝はそもそも国政レベルの占いをやれるだけの能力を持っていなかったのである。

 周王朝は占いによって統治するのではなく、政治体制を部族連合体から封建体制へと変えることで統治した。この体制なら、周王が諸侯たちに封土を与え、諸侯たちはそのお返しとして軍役と貢納を負担したのである。これなら占いがなくても統治できる。

 最大の問題となったのは周王の理論的正当性で、周王は革命によって王位を簒奪し、しかも占いによって神意を探ることができないので、ではなぜ周王が国王なのか、その説明がつかないのである。そこで周王は「殷王には徳がなく、自分には徳があった」と言い出し、神権政治から徳治政治に転換を図ったのである。

 こうなると、神の意思に適うためには、国王が占いによって神意を探ることではなく、国王自身が徳を積むことだということになる。それでは「徳」とはなんぞやといえば、徳とは「まっすぐな心で人生を歩むこと」を言う。国王がまっすぐな心で人生を歩むからこそ善政は実現され、革命が発生しなくなるのである。

 勘違いしてはならないのは、周王朝でも祭祀は行われていたし、占いだって行われていた。しかし国政レベルに於いて祭祀や占いは最早重要ではなくなったのであり。祭祀や占いを担当する者たちが国王に何か具申して、それによって国王の意思が変更されることはなくなったのである。

 周王朝は文明の中国化を完全に成し遂げたといっていい。周王朝の宗教にはシュメール人たちの影響は何1つ存在しない。周王朝は宗教こそ否定しなかったが、政治権力は完全に世俗化してしまった。国王は専制君主であり、その地位は徳があるからこそ維持できるのであり、徳がなくなれば易姓革命によって滅ぼされなければならないのである。

 だから中国は易姓革命を繰り返し、王朝が誕生すれば繁栄し、繁栄の後には衰退が始まり、そして窮乏の中で革命が発生して王朝が打倒される。そういうことを延々と繰り返してきたのである。なんともバカらしいが、中国人たちの政治的運命は周王朝が出来た時に決定してしまったのである。

●歴史は良く調べてみないと解らない

 殷の紂王といえば、暴虐政治をやった代表的な君主ということになり、中国に於いてはいつの時代に於いても知識人たちのこの共通認識は全く変わらなかった。しかし紂王の悪政だけが殷王朝滅亡の原因ではない。確かに紂王は悪政をやったが、それ以前の国王たちが国王としてはやってはならないことをやりまくっていたからこそ、悪政をやったにすぎないのである。

 殷王朝滅亡の最大の原因となったのは、武丁が祖庚に王位を譲ったがそれを気に入らず、祖甲に王位を譲らせてしまい、それで占いの地位が急激に低下し、それで貴族も庶民たちも国王のことを敬うことをしなくなってしまったからなのである。

 武丁のやった政治改革は殷王朝が貧しくなってからやったのではなく、殷王朝が遷都によって大繁栄をしていた時にやったことを忘れてはならない。充分な経済力があるのだから、多少の自然災害があってもなんとかやりきれたことであろう。だから占いを軽視する風潮があり、それで国政レベルに於いて占いの地位が急低下していったのである。

 政治という物は、現実的な問題を巧く処理すればいいという物だけではない。未来に何が起こるかを予測し、その対策を事前に打っておくということをしなければならないのである。それができなければ本当に政治をやったとは言えないのである。

 確かに亀の甲羅に甲骨文字を書いて占うということはもうしていない。しかし占いは形を変えて現代に於いても存在しているのであって、政府としてはそれをどういう形で持ち、その未来予測機関が出してきた未来予測に対してどう対策を打っていくかなのである。

 平時に於いて何もせず、戦争や自然災害が発生してから、慌てて対策を打つというようでは、政治家としては失格なのである。そういう政治家は政治家としては無能なのであって、その無能のために国民が犠牲者にならなければならなくなるのである。政治家がどのようなことを言ったとしても、国民の生命を守り切ることのできない政府という物は潰れて当然なのである。

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主婦が聖書に嵌ることの危険性

●普通の主婦たちを魅了する宗教団体

 その昔、俺が横浜市に住んでいた頃、同じ神奈川県内の海老名市に「エホバの証人」の日本本部があったので、それで盛んに我が家に伝道者たちがやってきて困ったことがあった。我が家は典型的な神仏習合の家だったので、エホバの証人がどうのこうのではなく、他の宗教は全てダメなのである。

 ただ厄介なことに、エホバの証人の伝道者たちが悪い人たちではなく、どう見ても普通の主婦たちだったということなのである。普通の主婦たちなのだから、普通の生きていればいいものを、なんでエホバの証人に入会してしまったのか、その辺りのことが良く解らなかった。

 しかしこの教団の情報を調べてみると、エホバの証人は日本の信者数が20万人程度で、それに聖書研究生が10万人程度いるので、かなりの規模なのである。日本のプロテスタント系宗教団体の代表格の日本基督教団の信者数が15万人なので、これと比較するとエホバの証人は2倍の大きさを誇っているのである。

 日本基督教団は軍部に協力して創立され、教団内部では常に権力闘争が絶えず、しかも政教分離に違反して常に政治に手を出しまくっている。それに対してエホバの証人は政治に対して背を向けているし、教団組織もしっかりと出来上がっている。こうなるとエホバの証人を支持する人たちがどうしても出て来てしまうのである。

 簡単に言ってしまうと、日本基督教団の説教は普通の主婦たちの心には届かなかったが、エホバの証人の説教は普通の主婦たちの心の届いてしまったということなのである。宗教団体が政治に手を出すことは危険なのだが、信者数が15万人程度なら絶対に政治に手を出すべきではないのである。自分たちが政治に手を出している内に、自分たちから見れば破壊的カルト教団として思えない教団に追い抜かれてしまうことになるのである。

●普通の主婦が聖書に嵌ってしまった時

 エホバの証人の特徴は、前からキリスト教徒であった女性たちを改宗させるのではなく、結婚して育児中の母親たちを改宗させてしまうことである。育児中は忙しいと思うものなのだが、冷静に考えると閑があると言われればまさにその通りである。

 だから「小人閑居して不善をなす」と言われるように、閑だからこそエホバの証人に嵌ってしまったのである。正確に言うと、エホバの証人に嵌ってしまったというよりは、聖書に嵌ってしまったといった方がいいかもしれない。というのはエホバの証人はすぐさま信者にしないで、聖書研究生として聖書を勉強させることに3年間も費やすからだ。

 主婦にしてみれば家事や育児は毎日同じことの繰り返しである。それに楽しみを見出せる人なら毎日楽しく暮らせるのだが、家事や育児をそれほど面白いとは思わない女性にしてみれば、ただ時間だけが過ぎ去っていくことになる。「自分はこのままでいいのだろうか?」という漠然とした不安を抱え込んでしまうことになる。

 そこにエホバの証人の伝道者がやってきて、聖書のことをあれこれ教えてくれれば、今まで一度も読んでみたことがなかったので、暇潰しで読んでみようかなと思うようになってしまう。しかし普通の主婦に聖書を読みこなす読解力などあろう訳がなく、聖書を読んだところで、逆に聖書に読まれてしまうということになってしまうのである。

 聖書に書かれていることははっきりと言ってしまえば、結婚生活を続けていくに当たって全く関係のないことである。主婦であるなら家事や育児のことで様々なことを学んでいかなければならないのだが、逆にそうやって現実離れしているからこそ、思いっきり聖書に嵌ってしまうのである。

 日本基督教団はエホバの証人を破壊的カルト教団と看做し、エホバの証人の独特な信条を非難するのだが、それよりも以前にエホバの証人の信者たちが聖書に嵌っているという事実を直視しないと、なぜ普通の主婦たちがエホバの証人の信者になってしまうのか、その理由が解らなくなってしまうのである。

●聖書の読み方

 エホバの証人の信者たちが聖書を読んだとしても、『創世記』から『ヨハネの黙示録』まで順に読んで行くという読み方をする。こういう読み方を「平面読み」という。しかし聖書はこの読み方をしていては内容をきちんと理解することができない。

 聖書を読む際、ただ文章を読んで行くのではなく、脚注を読み、その引用している頁に戻って調べる。こういう読み方を「立体読み」という。この立体読みができると、聖書の内容をきちんと理解することができるようになる。尤もこれができるようになるまで少なくとも1冊の聖書を読み潰すことになる。

 しかしこれだけでは不十分であって、聖書に関係する参考文献を読みまくり、それで聖書に書かれていない知識を補って行くのである。聖書だけ読んでいても、知識量は足りないのであって、大量の参考文献を読まない限り、聖書の知識を補強して行くことはできないのだ。

 だから聖書をちゃんと理解するためには、どうやったとしても10年はかかる。もしも主婦が家事や育児をしながらやれば30年ぐらいはかかってしまうことだろう。30歳で改宗したのなら、60歳で聖書のことを理解することになるので、そうなると主婦が幾ら聖書を読んでも聖書を読むだけで人生が終わってしまうことになってしまう。

 1つ注意しておくと、エホバの証人では新共同訳の『聖書』を使っているのだが、この『聖書』の日本語訳にはかなり問題がある。日本のカトリックとプロテスタントが合同で翻訳してしまったために、両宗派にとって都合のいい翻訳がなされているのである。

●心に来る言葉はどの本にだってある

 聖書は大量の書物を集合させた書物である。だから聖書を読めば何か心に来る言葉は1つや2つ必ずある。だからといってそれでキリスト教を信じ込むというのは如何な物であろうか? 大体、エホバの証人の教団組織は聖書の記述とは全く関係のない組織になっている。

 エホバの証人の宗教活動はかなり時間を拘束されるものだ。幾ら信仰をしているからといって、そこまで時間を拘束されてしまっては、家事や育児や仕事に支障が出て来るのは当然のことなのである。そういうことを果たしてイエスが願ったのか、そこの所を良く考えてみることだ。

 エホバの証人の信者たちの発言で実に気にかかることは、「聖書は科学的だ」と言って来る連中が非常に多いということである。そもそも宗教と科学は関係ない物である。宗教は神と人間との関係を論じた物で、科学は人間が客観的にこの世界を分析して行く学問である。

 聖書を科学的だと思うことは、その信者が科学を絶対視しているからこそ、そういうことを言ってしまうのである。ということは、

「その信者が心の奥底で信じているのは「科学」なのであって、キリスト教ではない」

ということになる。大体、科学を信仰しているのなら、エホバの証人を辞めて科学者になるべきなのである。

 エホバの証人は教団側がどう主張したとしても、プロテスタンティズムの聖書中心主義から出て来た宗派にすぎない。他のプロテスタント系の教団ならそれなりの儀式が整っているのに、それが抜け落ちてしまっているのである。頭でキリスト教を理解したとしても、キリスト教を理解することは不可能なのである。

●妻として母親としての自己規定

 なぜ普通の主婦が聖書に嵌ってしまうのか、それにはちゃんとした理由が存在する。キリスト教は首尾一貫して男性中心主義的な宗教で、女性たちが入り込む余地はない。キリスト教の教えによれば、女性は男性に服従すべき者ということになるのである。

 このキリスト教の教えを独身女性が聞けばフェミニストではなくても反発してしまうものだが、結婚しているとなれば別なのである。父系家族の結婚の場合、妻が夫を立て、夫を家族の中心にしないと機能しないから、キリスト教のように一見、女性の地位を完全否定した宗教を受け入れる余地があるということなのである。

 だから普通の主婦が聖書を読めば、妻として母親として「自己規定」することができてしまうのである。主婦が自分を自己規定している限り、その結婚は安泰であろう。その結婚が機能するかしないかは別として、妻であることに、母親であることに、下手な不満を抱かないのだ。

 しかしこのような自己規定はどうやっても苦しい。女性の地位が蔑ろにされているだけなので、キリスト教を信仰し続ければ窒息死してしまう。因みにエホバの証人にはカトリックのようなマリア信仰などという物は存在しない。このためなんのガス抜きも存在しないのである。

 そこで教団は信者たちを伝道に出かけさせる。『ものみの塔』と『目覚めよ」という小冊子を配布していくのだが、このような文書布教では伝道の成功確率は非常に低い。しかしこの手の伝道でも引っ掛かるバカは必ずいるものなのであって、その者を改宗させると、「やはり自分の信仰は正しかったんだ!」と思い込み、それで今までのストレスが全て吹き飛んでしまうのである。

●神秘体験の必要性

 エホバの証人に於いて宗教団体として決定的に欠けけている物が存在する。それは「神秘体験」である。エホバの証人はやはりプロテスタント系の宗教団体なので、宗教を知的に捉えるだけで、神秘体験という物を全く無視している。

 神秘体験を起こす宗教団体は全て本物の宗教であるとは言えないが、神秘体験を全く引き起こさない宗教は絶対に本物の宗教ではないということだけは言える。イエスにしても、パウロにしても、何かしらの神秘体験があったからこそ伝道を開始したので、それなのにキリスト教徒たちには神秘体験というものが存在しないのである。

 人間は神秘体験を経験すれば、それを契機に自分自身が根本から変革してしまい、その後の人生をガラリと変えてしまう。これは宗教的には非常に素晴らしいことであっても、世間的に見れば危険なことだ。或る日突然に神秘体験が起これば、その人は狂ったように宗教活動を始めるようになってしまうからだ。

 ここにこそエホバの証人に普通の主婦たちが嵌り、改宗して信仰しているのに普通の主婦で有り続けるのか、その本当の理由が存在しているのである。エホバの証人では神秘体験を引き起こさないが、それでも神秘体験に遭遇した人に起こるような現象と似たような行動を取り、それで自分が根本から変わったと錯覚しているということなのである。

 神社のお祭りで神輿を担ぎ、「神人一体」の神秘体験をした人なら、エホバの証人に嵌ることは絶対にないだろう。エホバの証人に嵌るような人は、この手の低レベルの神秘体験すら経験してこなかったのであり、「神秘体験を経験したい!」という欲求がエホバの証人に入会してしまうという行動を引き起こしてしまったのである。

 我々にできることは、エホバの証人に嵌ってしまった普通の主婦たちをそっと見守ってあげることぐらいなのである。日本基督教団がやっているように、「エホバの証人は破壊的カルト教団だ!」と主張して叩いてしまえば、エホバの証人の信者たちは益々信仰を強化して行ってしまうだけなのである。

 エホバの証人の信仰で疲れ切ったのなら、恐らく脱会するだろうから、その時は優しく受け止めてあげれば良いのである。

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吉田山田の『日々』について

●「何、この平面的な歌は?」

 俺は仕事中にラジオを聞いたりしないのだが、仕事をしている男性たちの中にはラジオを流しながら仕事をする人たちがいる。これをやられると普段聞き慣れていないので気になって仕様がない。大体、ラジオの情報はその殆どが下らないので、「よくこんなのを聞きながら仕事できるな~」と逆に感心してしまう。

 今年の春のお彼岸辺りの事だったが、ラジオではなく有線を流している人と会った。有線ではAKB48の歌がそれこそヘビーローテーションで流れるので、余りにも軽薄な歌詞に俺が苛々していた。しかしその中でいい曲が流れて来ると異様に目立つのであって、それが「吉田山田」の『日々』であった。

 日々(みんなのうた映像付)[吉田山田]

 最初この歌を聞いた時の印象は

「何、この平面的な歌は?}

だった。これは絶対に結婚した人が作った曲ではない。それと同時に思ったのは植村花菜の『トイレの神様』になんとなく歌の作りが似ているなということであった。しかし植村花菜は祖母との関係がちゃんと出来ており、しかも自分の思いをしっかりと歌い上げて、深い世界を築きあげていた。それなのに「吉田山田」の『日々』にはそれがないのである。

 「吉田山田」の『日々』に関しては気になっていたが捨てておいた。それなのにこの夏のプロモーション活動が功を奏したのか、徐々に人気が出て来て、大ヒットとなってしまった。この歌は平面的な歌だから、逆に様々な解釈が可能であって、それでこの歌に感動する人たちが大量に出て来てしまったのだろう。

 植村花菜の『トイレの神様』なら既に歌の世界が出来上がっているから、彼女の主張している通りのことを受け入れざるを得ない。しかし「吉田山田」の『日々』はそうではないからこそ、この歌を聞いた人たちが自分で自分なりの考えを持つことができてしまうのである。

●「吉田山田」への運命鑑定

 「吉田山田」の『日々』を最初、有線で聞いてしまったので、この歌を歌っているバンド名が解らなかった。後日、「吉田山田」と知ったのだが、それを知った瞬間に、「この名前なら『日々』みたいな歌を作る筈」と思った。まさに自分たちに合った曲を作ったからこそ成功したのである。

 「吉田山田」の運命鑑定をしてみると、総画が19画ゆえに爆発的なヒットが出ることになる。但し玄人受けするよりも素人受けするので、プロモーション活動やライブ活動はせっせと行っていった方がいい。とにかくファンの人たちと接触することが大事なので、それをやらなくなると人気が落ちてしまう。

 「吉田山田」は、「吉田結威」と「山田義孝」と「の2人からなる。

 山田義孝は天然パーマの方で、吉田結威は金髪の方である。吉田結威は高校1年生の時から金髪だったらしいのだが、将来、ハゲないか他人事ながら気になる。『日々』は吉田結威が作詞したもので、彼の芸術性の高さが思う存分に発揮されている。芸術性を抜いてしまえば、『日々』はヘボな歌なのである。

 吉田結威の芸術性の高さに、山田義孝の原理原則を貫き通す態度が加わるからこそ、このデュオは生きて来るのである。吉田結威だけだと単なる奇人変人であり、山田義孝だけだとそれは正論だと解るのだが、なんだか息苦しくなってしまう。

 2009年10月にメジャーデビューなので、5年かけて伸し上がってきたということになる。デュオとしては丁度脂の載った時期なので、いい時期にヒット曲に巡り会えたと思う。早くに売れていたら、多分、空中分解していた仲なのである。

●平凡なバンド名なら平凡な歌を歌うべし

 「吉田山田」と聞くと、「なんて平凡なバンド名だ」と思ってしまう。しかしお洒落な名前だからといって良いとは限らない。平凡なバンド名なら平凡な歌を歌い、それをヒット曲にしていくことができるのである。これはこれでこのバンドの強みであるのだ。

 人生の大半は平凡なことばかりである。非凡なことなど滅多に起こらない。多くの人たちは平凡な人生を送っているからこそ、歌手やバンドに非凡なことを求めて来るのだが、そういうことをやっているからこそ、余計に平凡な人生を送ってしまうのである。

 「爺婆になっても一緒にいたい」というのは、普通の女性たちの素朴な願いである。しかしこれを実際にやろうとすれば大変なのであって、これを本当にできるのはほんの一握りの人たちなのである。ということは、その老夫婦は平凡な人生を送ったように見えるが、実は非凡であったということなのである。

 どんなに盛り上がった恋愛を歌いあげても、その恋愛が結婚へと昇華しなければ、その恋愛は無駄だったということなのである。若い時は時間がたっぷりとあるから、燃え上がる恋愛の方ばかり注目してしまうが、年を取ってくれば「もう恋愛なんかどうでもいいんであって、早くに結婚してしまった方がいい」と思うようになるものなのである。

 ここに平凡の歌の凄さがある。平凡な歌は地味なのだが、言っていることは当然のことであるがゆえに、ヒットし出すと長らくヒットし続けるのである。尤も平凡な歌ばかりではミュージックシーンがださくなってしまうが、時にはこの手の歌も必要なのである。

●今年の紅白歌合戦には多分出場決定!

 現在は9月なのだが、この時期でこのヒットに恵まれれば、恐らく今年の紅白歌合戦には出場が決定だろう。1年間かけてヒット曲を作っていくと紅白歌合戦に出られることになる。紅白歌合戦で歌えば、多分、最も感動を受ける曲になると思う。

 数十年前のヒット曲を歌うベテラン歌手たちにはそろそろ引退して欲しいものだ。最近の紅白歌合戦はレベルが上がっているので、声量も容姿も衰えた歌手が出てしまうと、逆にその歌手にとって命取りになってしまうものなのである。北島三郎はその点、悧巧だった。紅白歌合戦の変化を感じ取ったからこそ、紅白歌合戦は引退と決めたのである。

 ただ気になるのは、吉田結威が今年「天中殺」であるということなのである。俺の予想ではあるが、かなり高い確率で紅白歌合戦に於いてトチると思う。感極まって涙ぐんでしまい、それで歌を歌えなくなるってことになり、それが逆に観客の感動を買ったりしたりする。

 「吉田山田」のコンビは、山田義孝が如何に奇人変人の吉田結威を制御していくかにある。しかしそうやって制御されると、吉田結威は息苦しくなってしまい、それで脱退ということになる。このコンビは安定できるコンビではなく、常に解散の危機があるコンビであると言っていい。

 それにしても作詞作曲をやっている人たちに言いたいのは、とにかく人々の心に残るような歌、それができないなら、せめて人の心を打つような歌を作れってことである。「大量生産大量消費」ではゴミのような歌しか作れないものなのである。だから「吉田山田」が人の心を打つような歌を作ると、必ずそれを評価する人たち出て来て、ヒットしていくのである。

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なぜアメリカのキリスト教徒たちはキリスト教の教会で機関銃を乱射するのか?

●生まれながらにしてのキリスト教徒であることの悩み

 神道ではどうやったら神道家になるのかその手続きはない。大概の神道家たちは親が神道を奉じていたので、それで自分も神道を奉じたにすぎない。自覚的に神道を奉ずるようになるのは、大人になってから「俺ってもしかすると神道家じゃないのか?」と思った時であろう。

 この神道に比べると、キリスト教はその入信の手続きがしっかりと定められている。キリスト教には「洗礼」という物があって、洗礼を受ければ正式にキリスト教徒になる。日本のキリスト教徒たちは神道と比較して、如何にキリスト教が優れているのか良く自慢したものだった。

 ところがキリスト教徒たちだって、神道家と同じように、親がキリスト教徒なら、自分の意思とは関係なく自動的にキリスト教徒に成ってしまうものなのである。厄介なことにキリスト教では「幼児洗礼」という物があるために、自分が赤ちゃんの時に洗礼を受けてしまい、キリスト教徒としての自覚を持つことができなくなってしまうのである。

 プロテスタントに於いては幼児洗礼を認めるか認めないかで揉め、バプテスト教会などでは幼児洗礼を認めていない。なぜ幼児洗礼が問題になるかといえば、もしも幼児洗礼を認めてしまうと、その子はキリスト教を本気で信仰することなくキリスト教徒になってしまい、「信仰なきキリスト教徒」を産んでしまうからなのである。

 人間は思春期になるとどうしても親に反抗してしまう。そのため子供の頃に教え込まれた信仰を一旦は否定しようとする。そうやって否定することで自分の信仰を客観的に見ることができ、その信仰すべき物が本当に信仰する必要性があるなら信仰しようとする。

 しかし最初から信仰がない場合、その否定の作業をすることができないので、形式的には信仰があるように思われていても、実は心の中には信仰などまるでなかったら、その時点でキリスト教を棄教してしまうことになる。だから幼児洗礼なる物は安易に認めてはならないのである。

●再生説の危険性

 最初から信仰がないのなら、キリスト教徒を辞めて貰うのが最善の解決策である。ところがプロテスタントの子弟たちの中には、最初から信仰がなかったのに、思春期特有の堕落の中で或る日突然に信仰に目覚めてしまい、自分こそが本物のキリスト教徒であると勘違いしてくる輩が出て来てしまうのである。

 この異常極まりない信仰の現象を「再生」という。英語では「Born again」と表記される。この再生の一体なにが危険なのかといえば、本人は未だに堕落しているのである。それなのに自分が勝手に信仰したと言い張っているのであって、その信仰が正しいのかどうかなんにも確かめてはいないのである。

 プロテスタントの場合、信仰を持ったのなら聖書を精読していかなければならない。しかし再生したキリスト教徒たちはそういう面倒臭いことをしない。救世主であるイエスが自分の心の中に入ってきたことに興奮しているのであって、それなのに聖書を読んでいれば、その興奮が消えてしまうのである。

 再生説は信仰義認説からしか生まれない。神道のように信仰を強調しない宗教なら、自分の宗教心に自覚を持つようになれば、神道のことを深く研究するなり、神社の祭祀に参加したりすることであろう。だがキリスト教は信仰を強調するために、再生が起こると教会それ自体を否定して来るのである。

 「再生」はアメリカ合衆国のプロテスタントたちの間では流行語であるのにに、「再生説」はキリスト教の神学書にはどこにも載っていない。キリスト教の神学者たちは完全に盲点になってしまっているのであって。再生した危険なオプロテスタントたちが大量にいるというのに、それが全く見えていないのだ。

●再生者は大量虐殺が大好き

 再生したキリスト教徒というのは、自分こそがキリスト教徒だと思い込み、他のキリスト教徒たちをキリスト教徒だとは認めていないので、非常に危険な人物である。再生者は大量虐殺を好み、本物ではないキリスト教徒たちを皆殺しにしてくる。

 アメリカ合衆国に於いて或る信者が教会で機関銃を乱射し、信者たちを大量に虐殺する事件が度々発生するのだが、この事件こそ再生者によって引き起こされた事件なのである。こういう事件が起こる教会は、必ずプロテスタント系であることに注目しておくべきある。

 それだけでなく再生者はその殆どが白人男性なので、罪もない黒人を射殺するという事件を引き起こす。よりによってその射殺した犯人が警察官ということもありえる。再生説は白人至上主義と結びつく傾向にあるので。再生者にしてみれば黒人は生存しているだけで犯罪なのである。

 もしもアメリカ合衆国の大統領が再生者の場合、諸外国に対して侵略戦争を行うことになる。これが対イラク戦争であって、ジョージュ・ブッシュ・ジュニアは昔「アル中」だったのだが、再生してキリスト教徒になり、その危険な人物が大統領になってしまい、それで再生者の論理で侵略戦争を始めてしまったのである。

 アメリカ合衆国は現在覇権国家で、圧倒的なパワーを持っているのだが、無用な戦争をやりまくれば、いずれは国力が疲弊し、呆気なく崩壊してしまうことになってしまうことであろう。戦争はできる限りやらないことに越したことはないのであって、戦争をやりまくれば如何に強大な国家と雖も独立を保つことはできなくなってしまうものなのである。

●なぜカトリックは信仰義成説を取るのか?

 再生者はアメリカ合衆国だけでなく、プロテスタントの国家なら発生する可能性がある。事実、スェーデンでも再生者による大量虐殺事件が発生した。しかしカトリック諸国では再生者が出て来ないし、この手の宗教的理由による大量虐殺事件が起こっていない。

 なぜそうなるのかといえば、カトリックは信仰義認説ではなく、「信仰義成説」を取っているからだ。新約聖書の記述では信仰義認説の方が正しい。しかしカトリックは敢えて信仰義成説を取り続けたのである。この信仰義成説を具体化した物が「堅信」である。

 堅信はジャン・カルヴァンが指摘したように、カトリックの聖職者たちが新約聖書の記述に関係なく作り出した物で、改革派はこの堅信を完全否定した。だがジャン・カルヴァンは堅信にはそれなりの必要があったからこそ、ローマカトリック教会はそれを採用したということに気付かなかった。

 信仰義成説を取った場合、信者の信仰が正しいとするのは聖職者の側にあるのであって、信者は自分で信仰を持ち、自分こそが義人であると主張することができなくなる。だからカトリック諸国では再生者が出て来ないのである。制度的に出て来ることができないようになっているのだ。

 カトリックのやっていることが完全とは言えない。もしも聖職者が腐敗した場合には、どうすればいいのかという問題が付き纏うからだ。事実、ローマカトリック教会では聖職者たちの腐敗が常に存在し、それこそが宗教改革の引き金になったし、今でもその腐敗を退治しきれていない。

 かといってプロテスタントたちのように、信者たちの中から再生者を出し、大量虐殺事件を発生させていない。これはこれで評価しなければならないことなのである。プロテスタントたちは信仰義認説を持っている限り、自分たちの中から再生者を出し、自分たちに向かって機関銃を乱射してくる危険性をなくすことができないのである。

●信仰したからといって、救済される訳ではない

 信仰という物は人間の心の中で行われる物だから、その人物が本当に信仰しているか解らないし、その信仰が正しい物なのか確かめる手段を持たない。キリスト教のように信仰を根本に置いてしまった宗教では、信者たちにどう信仰を持たせ、その信仰をどう正しくしていくのか、その制度を作り上げていかなければならなかったのである。

 大体、キリスト教の信仰内容は非合理的なものである。処刑されて死亡したイエスが3日後に復活したことを信じるというものである。そんな物を信仰した所で神に救済される訳がないのだが、この非合理的な信仰を広めて行くことでキリスト教は拡大して行ってしまったのである。

 釈迦が喝破したように、信仰は合理的な内容でなければならない。合理的な内容を信仰しているのなら、プロテスタントたちのように再生者という異常なキリスト教を産み出しはしないことだろう。正しい信仰を持てば、人間は正しく生きて行くことができるのだから、後は信者に任せておけばいい。

 ただ信仰は所詮「人為の産物」であることを絶対に忘れてはならない。信仰対象自体、人工的に作った物だし、信仰自体。人為的にやらないと維持できないものなのである。信仰というものは決して絶対他力によって引き起こされるものなのではない。

 キリスト教徒たちが「人間は信仰したとしても救済されない」と気付くまで、ゆっくりと見守ってあげなければならないのである。日本のように宗教混淆の国ならこのことに気付ける。しかしキリスト教しかない国家だと、なかなかこのことに気付けないのである。

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近頃、都にはやる伝染病

●これだけ猛暑ならデング熱だって発生する

 平成26年の夏、東京のド真ん中で「デング熱」が発生した。発生源は代々木公園ということなので、代々木公園に来た人たちが蚊に刺されれば、デング熱に感染する可能性があるということである。その感染した人たちが他の場所で蚊に刺されれば、その感染は爆発的に広がることになる。

 ところが厚生労働省はデング熱の発生を確認したのに、

「流行する虞はない」

と声明を発表した。俺は思わず「そんなバカな~」と反論してしまった。なぜならデング熱は伝染病であって、条件が重なれば伝染が広がるのは予想されるのである。だからデング熱は伝染病指定を受けている訳であって、それなのに当の厚生労働省がそれを無視するのから本当に困った連中である。

 案の定、デング熱は広がり始め、全国的に流行の兆しを見せるようになった。

 デング熱の発生源は確かに代々木公園であったらしいのだが、この夏にこの公園でタイ料理の屋台が出たらしく、どうもそれが本当の発生源らしいのである。ということはタイ人がタイからデング熱を持ち込んだということになる。タイ人はデング熱に或る程度の免疫力を持っているので、すぐさま発症ということにはならないのだが、その人物に蚊が刺せば、他の人たちに感染してしまうのである。

 それなのに厚生労働省は日本人が海外に行き、そこで感染してから日本に帰国し、それでデング熱が広まったという考えを捨てていない。これだけ外国人が日本に来るようになれば、外国人が病原菌を持って日本に入国してくることもありえるのだが、厚生労働省はそれを全く考えていないのである。

 この夏はこれだけの猛暑が続いたのだから、何かしらの伝染病が発生してもおかしくはないのだ。中には厚生労働省が把握していない伝染病も存在し、その伝染病は確実に日本に広まりつつある。とにかく伝染病に罹らぬように気をつけることだ。

●天狗熱

 デング熱と似たような伝染病に「天狗熱」という物がある。この天狗熱に罹ると天狗状態になり、とにかくでかいことを言いまくることになる。そしてそれが本当に実現してしまったりするから恐ろしい。しかしでかいことを言ったのに失敗してしまうこともあるので、そうなるとバッシングに晒されることになる。

 本田圭佑は高校生の頃からこの天狗熱に罹りっ放しである。高校生当時は下手糞な選手だったのだが、天狗熱に罹ってでかいことを言いまくったためにワールドカップに出場するほどの快挙を成し遂げた。本当に夢は大きく持とう。大きく持てばそれに見合う努力をしまくるものなのである。

●チンチン天狗熱

 この天狗熱がチンチンに感染すると、「チンチン天狗熱」になる。このチンチン天狗熱に罹ると、なぜだか朝になるとおチンチンが天狗の鼻のように大きくなってカチンコチンに硬くなってしまうのである。如何にも摩訶不思議な現象であり、チンチンがでかいことをやりたくなっているのである。

 俺の場合、篠崎愛ちゃんのグラビアを見るとこのチンチン天狗熱が発症することになる。別に俺は篠崎愛のことをなんとも思っていないのだが、俺のチンチンは別のことを考えているのである。やはりチンチンであっても夢はでかく持った方がいい。

●捏造ウィルス

 捏造ウィルスとはマスコミ関係者に罹り易い伝染病で、この捏造ウィルスに感染すると捏造をやりたくて仕様がなくなってしまう。朝日新聞社は戦後この捏造ウィルスに感染しっ放しで、それで捏造記事を出しまくるようになってしまった。

 従軍慰安婦など歴史的には存在していないのだが、朝日新聞社は従軍慰安婦が存在したと主張した。他のマスコミ各社は「従軍慰安婦などいない!」と反論したが、それでもこの捏造記事を撤回せず、それで韓国や中国で反日運動が活発化し、しかも国連にまで飛び火し、日本に謝罪を求めるよう勧告したのだ。

 嘘は嘘なのだから、いずれはバレるものなので、それで今回、朝日新聞社は従軍慰安婦の記事を撤回すると表明した。しかし謝罪していない。朝日新聞社のためにどれだけ国益が破壊されたかしれないのだが、従軍慰安婦の記事を撤回するのなら、ちゃんと謝罪し、日本政府に損害賠償を支払うべきである。

●肩凝りK

 肩凝りKとは、テニスの試合が4時間以上に及び、肩凝りのために肩がカチンコチンになる伝染病を言う。どんな熱戦をしてもいいのだが、試合時間が4時間以上になるというのは如何なものか? こうなるとテニスの技術云々ではなく体力勝負になるだけであって、やはり時間制限を設けた方がいいのではないか?

 因みに肩凝りKはテニス選手の錦織圭とは一切関係ありません。

●チュウチュウの名月ウィルス

 チュウチュウの名月ウィルスとは、仲秋の名月になると、乳幼児を持つ家庭で蔓延するウィスルである。未だ良く喋ることができない子供に向かって、「仲秋の名月と言ってみん?」と嗾けると、「チュウチュウの名月」と答えて来ることになる。

 子供だから仲秋の名月が言えないのだ。チュウチュウの名月って、どんなにお月様だ? これはたったこれだけで大爆笑物なのだが、中にははっきりと「仲秋の名月」と言いきってしまう子供がいるので、こうなると詰まらない。滑舌が良いことはそれだけ成長したということなのだが、だったらその分、他で笑いを作って欲しいものだ。

●コンビニウィルス

 コンビニウィルスとは、様々な都市にコンビニエンスストアを出店して、その都市を食い荒らして行く危険なウィルスである。買いたい物が揃っているので便利なことは便利なのだが、そのために確実に財布を破壊して行くことになる。

 コンビニに一旦嵌ってしまうと、コンビニ中毒になるから用心すべきである。スーパーに行けばいいものを、なぜだかコンビニで済ましてしまうのである。因みにどんな商品であろうとも、スーパーの方が安いのであって、どう考えてもスーパーの方がお得である。

●自販機ウィルス

 自販機ウィルスとは、喉が渇いてもいないのにジュースを自販機で買って飲んでしまう病気である。その理由は白砂糖にあるのであって、栄養分が不足しているために、どんどん飲んでしまうのである。このため最終的には「糖尿病」になり、そうでなくても近視や風邪や肩凝りに悩まされることになる。

 19歳まではどうしても大量の水分を欲しがるのだが、19歳を過ぎるともう大量の水分を必要としなくなる。だから20代のどこかで断食をして、体内の過剰な水分を排出させておかないと、自販機ウィルスの餌食になってしまい、そこから抜け出せなくなってしまうのである。

●100円ショップウィルス

 100円ショップウィルスとは、全ての商品は基本的に100円なのだが、結果的に千円以上買う羽目になる超危険なウィルスである。似たような諺に「海老で鯛を釣る」という物がある。但し自分が釣っているのではなく、自分が釣られているのである。

 100円ショップはコンビニ以上に便利なのだが、中国製の商品は実に壊れ易いので要注意である。国産や他の国の製品なら大丈夫なのだが、なぜだか中国製はすぐにぶっ壊れるのである。中国製の商品を買うと、「安物買いの銭失い」になるので、くれぐれも中国製の商品だけは買わないようにすることだ。

●ズボラ出血熱

 ズボラ出血熱とは、我が家で流行中の危険な伝染病である。事の切っ掛けは俺の母親が家の包丁を全て研ぎ、

「刃が物凄く切れるようになっているから注意してね」

と家族に向かって注意したのだが、その翌日に縒りによって注意した本人が包丁で手を切り、出血したのである。

 まさにズボラだからこそこんなバカげた事件を起こすのだが、ズボラではない俺はそんな事件を引き起こさない。要はズボラな人間を狙い撃ちにして来る伝染病なので、ズボラな奴を見つけたのなら、少し離れておいた方がいい。いずれ出血してくる筈だ。

●イカチーウィルス

 イカチーウィルスとは、これも現在我が家で大流行中の伝染病である。これも俺の母親が我が家に持ち込んだ物で、青森県八戸市にある「花万食品」という会社の商品である「イカとチーズのハーモニー なかよし」という物に、うちの母親が嵌ってしまったのである。

 確かに食べてみると、このイカチーは美味しい。ただ食品添加物が気になるので、この点を改善して欲しい。イカチーはお酒のオツマミとしては最高で、これを食べながらワインを飲むと美味しいかもしれない。商品を改善してくれれば、もっと売れて欲しい商品である。

 もしもこのブログを見て「イカチー」が欲しくなったら、花万食品に電話し、

「タマティーさんからの紹介で~」

と言うべし。花万食品としては俺のことを知らないだろうが、売上に貢献したとして、「イカチー」をプレゼントしてくれるかもしれない。我が家では「イカチー」が大流行しているので、これは深刻な問題なのである。

●城南海ウィスル

 城南海ウィルスとは、タマティーだけが罹っている伝染病で、城南海の歌声を聞くと、胸が高鳴ってしまうという伝染病である。別名「恋煩い」とも言う。この伝染病は伝染病のくせして他の人には感染しない。ただこの伝染病に罹った本人だけが高熱で悶え苦しむことになる。

 まあ、とにかく、都には様々な伝染病が流行しているので気をつけるべし。後、半月くらいはまだまだ夏の暑さが続くので、変な伝染病だってはやる可能性は常に存在しているのである。しかもこれだけ暑ければ、またどこかの場所で集中豪雨になったり、巨大台風が日本列島に直撃してくるかもしれないのである。

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日本のキリスト教徒たちが躓く「三位一体論」の正体

●キリスト教の絶対条件

 キリスト教の絶対条件は、

「洗礼を受けること」

「イエスを救世主と認めること」

「三位一体論を受け入れること」

の三つである。日本人の場合、神道には禊があるので洗礼はヘッチャラである。イエスを救世主とすることは、仏教で釈迦や阿弥陀如来を崇めた経験があるので、これもクリアできる。しかし三位一体論だけは拒絶してしまうのである。

 キリスト教は一神教である。「だったら三位一体論というのはおかしいではないか?」と普通の日本人ならそう思ってしまうのである。神が1つなら、他には存在しないのであって、異教の多神教を非難しながら、自分たちが多神教をやる訳には行かないのだ。

 この躓きは一般信者レベルで起こるだけでなく、神学部の学生たちの間でも起こる。神学部の学生たちは基本的に親がキリスト教徒であり、子供の頃からキリスト教に慣れ親しんだというのにこの有様なのである。このためこれで躓いてしまうと、後は真剣になって勉強をしなくなってしまうのである。

 因みにこの三位一体論はイスラム教を創始したマホメットも批判しており、イスラム教では三位一体論という物は消滅している。だから教義的には非常にスッキリした物になっている。それゆえイスラム教徒たちはキリスト教徒たちに対して優位に立っているので、それキリスト教徒たちからどう攻め込まれようとも抵抗し続けることができるのである。

 キリスト教内部でもユニテリアンは三位一体論を否定している。しかし三位一体論を否定してしまうと、キリスト教としては異端ということになってしまうのである。逆に言えばキリスト教にとって三位一体論はそれほどまでに重要な教義であるということなのである。

●三位一体論とは?

 日本のキリスト教徒たちをここまで悩ます三位一体論はどのような物かというと、「父」と「子」と「聖霊」は一体であるという教えである。なんの知識もない状態で聞いただけで、「そんなバカな話があるか!」と思ってしまうのだが、キリスト教においても三位一体論が難解なのは充分に承知しているのである。

 なんでこの三位一体論が出て来たのかというと、新約聖書には「父」「子」「聖霊」という言葉が多々見受けられるので、それを統一的に解釈する必要性が出て来たからこそ、この三位一体論が出て来たというのである。基本的にこの議論は神学の議論であって、一般信者レベルではどうでもいい議論なのである。

 キリスト教はユダヤ教という一神教から出て来たのだが、当然、キリスト教は一神教の宗教である。しかしキリスト教会は多神教を奉ずる異教徒たちに宣教し改宗させなければならなかったので、キリスト教会の異教的な考えが混入してしまったのである。

 元異教徒たちにしてみれば、一神教を行き成り奉じるのは難しいが、一神教でありながらも、実は多神教であった方が奉じ易いということになる。三位一体論争では、アリウスとかアタナシウスといったギリシャ名を持った人物たちが出て来るのだが、彼等は多神教の地であるギリシャで生まれ育ったからこそ、この手の論争ができたのである。

 三位一体論争はアタナシウス説が通り、「父と子と聖霊は同質である」ということで決着した。それぞれ別個の人格を持っているのだが、中身は同じということになった。そんなこと実際にありえる訳がないのだが、とにかくキリスト教会はこれを根本教義としたのである。

●根拠となる箇所

 新約聖書のオリジナルに三位一体論を示す箇所は何もなかった。しかし後世、三位一体論の論争が起こってしまったために、それで或る書記が新約聖書の『ヨハネの第一の手紙」欄外に書き加え、それがそのまま新約聖書に採用されてしまったのである。

 それは『ヨハネの第一の手紙」5章に書かれた物で、

「証しをするのが3つあります。

即ち、霊と水と血です。

この3つは一致します」

とあり、前後の文章とまるで整合性がない。前の文章では、

「イエスは水と血によって来られた方です」

「聖霊がこのことを証します」

と言っている以上、なんで霊と水と血が一致するのか、文章は完全に論理的に破綻している。

 三位一体論争は激しく行われ、最終的に理不尽な結論に至り、現在でもその無茶苦茶な教義が罷り通っているために、新約聖書に於いては大量に言及されていると思いきや、実はそうではないのだ。新約聖書にはたったこの1箇所しかない。しかもそれは後世に於ける捏造である。

 原始キリスト教徒たちは「聖霊」という言葉をヤハウェの別表現として使っていた。だからヤハウェと聖霊は同じ物を意味する。しかしイエスは全く別なのであって、この三者が同質であるということはない。キリスト教徒たちはイエスが新たな律法を作ったので、ユダヤ教では律法を作ったのはヤハウェとしているから、それで神の座まで持ち挙げてしまっただけのことなのである。

 三位一体論がなかなか撃破されないのは、三位一体論は「三位一体の結界」を張ってしまうために、これはこれで安定感を持ってしまうからだ。事実、三位一体論を否定したユニテリアンたちはキリスト教の枠を超えて宗教活動をするようになってしまった。キリスト教をキリスト教として留めておくためには、三位一体論は必要なのかもしれない。

●となると全てのキリスト教の宗派はインチキ?

 しかしそうなると、キリスト教にとって深刻な問題を発生させてしまう。キリスト教に於いて三位一体論は後世の捏造による説なのだが、それを以てキリスト教の根本教義とするなら、全てのキリスト教の宗派はインチキであるということになってしまうのである。

 キリスト教の宗派ではユニテリアンだけが三位一体論を否定しているので、ユニテリアンだけが正統派ということになる。他の全ての宗派は異端なのであって、キリスト教は異端が正統派になっているという、実に奇妙な宗教なのである。

 実を言うと、もしも三位一体論を否定した場合、キリスト教は非常に危険な状態になってしまう。それはイエスが救世主であることを保障できなくなるということだ。なぜならイエスは新たな律法を作ったので、それは神だからこそできることだから、もしもイエスが単なる人間なら、イエスは一体何者なのかということになってしまうのである。

 律法は人間でも作れると解ってしまえば、キリスト教徒たちは勝手に律法を作り始め、キリスト教はキリスト教として維持できなくなり、いずれは崩壊してしまうことだろう。そういうことを考えれば、論理的におかしい三位一体論でも、それを維持することが必要だということになる。

 ただこうなってしまうと、キリスト教を熱心に信仰する人たちは三位一体論を強硬的な態度で主張してきてしまい、それをやられれればやられるほど信者たちは引き、結果的に脱会してしまうということになってしまう。三位一体論はキリスト教にとって必要な説だから存在するだけであって、信者たちにしてみればどうでもいい説であるということが解っていないと、教団は信者数を減少させることになってしまうのである。

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新約聖書は本当に本物なのか?

●聖書中心主義と聖書無謬説

 プロテスタンティズムは「聖書中心主義」を掲げて出発し、聖書の記述のみが正しく、そのためローマカトリック教会のやっていることはキリスト教に違反するとした。これによって元カトリックの信者たちを改宗させ、自分たちの勢力に引き入れたのである。

 聖書中心主義は必ず「聖書無謬説」に辿り着くことになる。聖書は無謬なる神の御言葉であり、聖書にはただ1つの誤りもなく、1字1句に至るまで神の霊感によって書かれた物であるとする。こういう主張をしないと、信者たちを維持し続けることは不可能なので、どうしてもプロテスタント系の教団はこの主張を取ってしまう。

 この聖書無謬説は信者たちに疑いを許さぬ信仰を強いて、活発な宗教活動に駆り立てることで教団勢力を拡大していくことができる。しかももしも信者たちが聖書無謬説に疑いを抱き始めたら、ただ単に教団を脱会するだけでなく、キリスト教への信仰その物が崩壊することになる。

 今回紹介する本はこの本!

 バート・D・アーマン著『捏造された聖書』(柏書房)

 松田和也訳

 捏造された聖書

 原題は『イエスの誤引用』であって、原題と邦題では余りにも違い過ぎる。題名に問題がある物はその翻訳も信用できない。しかし読めば解るが、邦題は必ずしも間違っているとは言えず、寧ろ内容的には邦題の方が良かったりするので、それで翻訳もきちんとこなされている。

 通常、アメリカ人がギリシャ語を学んだ場合、文章が実に下手糞になる。英語とギリシャ語の相性は悪いのである。しかし作者はギリシャ語だけでなく、ヘブライ語も学んだりしているので、それで下手糞な英語を書いていない。それどころか英語的には実に巧い文章を書いている。

 注目すべきは「はじめに」に書かれた内容であって、これを読むとアメリカ合衆国のキリスト教主流派の状況が良く解るし、作者自身がどんなに努力し苦労したかが解る。日本では改革派(カルヴァン派)の方が評価されているのだが、アメリカ合衆国では福音派(ルター派)の方が強力なのである。

●新約聖書はローマカトリック教会が作った物である

 事前に新約聖書のことを説明しておくと、イエスは新約聖書を書いていない。イエスは早々と死んでしまったので、それで自ら書き遺すことがなかった。しかしキリスト教はユダヤ教から生まれて来たので、最初から「書物指向」を持っていたので、それで様々なキリスト教徒たちが書物を書き始めた。

 新約聖書が出来上がるのはなんと西暦397年のカルタゴ会議に於いてでなのである。イエスが死んでから400年近く経ってから編纂されたので、イエスの真意がどれだけ伝わっているのか実に怪しいものなのである。どう弁明しようが、ローマカトリック教会にとって都合のいい編集がなされているのは間違いなのだ。

 ただ気をつけるべきは、初期のキリスト教徒たちは新約聖書に掲載された書物を、教会に於いて礼拝時に公開朗読していたということである。当時の人たちの識字率は10%程度なのであって、キリスト教徒たちの殆どは文盲であったのである。

 現在では識字率が100%近いので、先進諸国のキリスト教徒たちは新約聖書を黙読するのが当然ということになるのだが、その感覚ではどうやっても当時のことが解らない。新約聖書のことを正しく理解したいのなら、とにかく音読してみることだ。音読してみると、読み易い部分と読みにくい部分とがあることに気付く筈だ。中には読んでも意味が通らない部分だってあることに気付く。

 そういう読みにくい部分や、読んでも意味が通らない部分こそ、後世に改竄された可能性があるということなのである。新約聖書は公開朗読に耐えることができた物だけが掲載された以上、本当は読み易い筈である。黙読しているからこそ、この当たり前のことが解らないのである。

●改竄の理由

 新約聖書は改竄されている。それは読めば解ることである。読んで解らないような読解力がないということなのである。ではなんで新約聖書というキリスト教の聖典が改竄されてしまったのだろうか? 聖典だからこそ改竄されてはならない物なのだが、実際はそうではないのである。

①書記たちの誤記

 改竄に於いて最も多い事例が「書記たちの誤記」である。新約聖書は印刷機械が登場して来るまで、書記たちが手書きで筆写して行ったのであって、その際に誤記をしてしまい、それが結果的に改竄になってしまったのである。その改竄の箇所はなんと3万箇所以上に上るのであって、新約聖書だからといって無謬ではないのだ。

②神学的理由

 次に多い改竄が「神学的理由による改竄」だ。キリスト教徒たちはイエスを救世主として認めることでは一致していても、彼が人間なのか神なのかで大いに揉めることになった。だから確信犯的な改竄を行うことで、自分たちの主張を有利にしようとしたのである。

 イエスは処刑されて死んだ。それなのに誰かがイエスの死体を運び出し、墓場には亜麻布しかなかったのが真相らしい。しかしそれでは困るので、イエスを復活させて、使徒たちに遺言を残したようにしたのである。これを信じる者は救われ、信じない者は救われないとし、それで異端の者たちを排除して行ったのである。なんとも無茶苦茶な話である。

③社会的理由

 三番目に多い改竄が「社会的理由による改竄」だ。キリスト教は女性たちを多く取り込んで行ったからこそ成功したのだが、キリスト教会が階位性を整えて行くと、女性たちを排除する必要性が出て来た。それで女性は男性に従うようにと新約聖書を改竄し、女性たちから重要な役職を全て奪ってしまったのである。

 ローマカトリック教会は今でも女性が聖職者になることを認めてない。女性差別を徹底的に貫いているのである。しかしそうやって女性たちを排除してしまったからこそ、女性信者たちの中から修道女になる者が出て来て、その女子修道会が宗教活動を活発化させ成功することによって、女性の地位が向上して行ってしまったのである。女性差別をしているから一概に悪いとは言えないのだ。寧ろフェミニズムのように積極的に女性の地位を向上させようとすると、逆に女性の地位が失墜してしまうものなのである。

●改竄の必然性

 新約聖書は改竄されているのだから、だったらその改竄を修正していけばいいのではないかと思うのだが、どこの教団もそれをやっていない。本物の新約聖書を持たない限り本物の信仰など有り得ないのだが、既に改竄された新約聖書によって間違った信仰が成立しているために、もしも改竄を修正しようとすれば、教団内部がとんでもないことになってしまうのである。

 それと「改竄の必然性」という問題がある。イエスはアラム語を使って教えを説いたのだが、現在の新約聖書はギリシャ語を原典としている。要は書記たちはアラム語からギリシャ語に翻訳したのであり、その翻訳は必ず正確になるとは限らない。誤訳が入り込むことは避けられないのだ。

 キリスト教を日本で広めようとするなら、ギリシャ語の新約聖書を日本語に翻訳しなければならない。ギリシャ語と日本語にはなんの接点もないのだから、誰がやったとしても正しい翻訳など出来っこないのである。ということは、翻訳者に悪意はなくても、新約聖書は必然的に改竄されてしまうということなのである。

 変な風に聞こえるかもしれないが、キリスト教を広めて行くためには新約聖書を改竄しなければならないということだ。従って聖書無謬説は絶対に有り得ない。新約聖書は間違うからこそ、生き続ける書物であるということなのである。それと同時に聖書中心主義も有り得ない。新約聖書が改竄されてしまえば、新しい解釈が生まれてしまい、それで新約聖書から徐々に離れて行ってしまうのである。

 大体、聖書無謬説も新約聖書が改竄され続けてきたからこそ出て来た学説なのである。プロテスタンティズムは聖書を中心に置くがために、どうしても聖書は無謬だと言い張らなければならなかったのである。たったそれだけのことなのであって、そのような学説を鵜呑みにすることはないのだ。

●そして不可知論へ

 新約聖書の真贋を見極めて行く作業は、福音書それ自体に及んでしまう。新約聖書には『マタイ』『マルコ』『ルカ』『ヨハネ』の4つの福音書があるのだが、書かれた順番は『マルコ』『マタイ』『ルカ』『ヨハネ』である。問題は『マタイ』は福音書記は『マルコ』を見ながら書いているのに、既にそこで改竄をやっているということなのである。

 ということは最初の福音書である『マルコ』はどうなのかということになる。『マルコ』の福音書記はペテロの通訳をしていたマルコという伝えられてきたが、これは聖書学者たちの研究によって否定されている。マルコはペテロの記憶ではなく、教会の伝承に従って書いているからだ。

 『マルコ』の執筆時期は対ローマ戦争以降であって、イエスが死んでから40年以上経ってから書いている。マルコはイエスを直接に見た人ではない。イエスに関する情報は教会に蓄積されていた物を集めたにすぎない。だからイエスが本当に何を言ったのか永遠に解らないということになってしまう。

 キリスト教はイエスを救世主としたからこそ初めて成立できたのに、イエスが一体何を言ったかが解らないという奇妙な結果が出て来てしまったのである。キリスト教徒たちはイエスのことを心の底から愛している。しかし本当のイエスのことを何も知らないのだ。

 このためこの作者は結果的にキリスト教を棄教してしまった。棄教の直接の切っ掛けとなったのは神義論の問題なのだが、聖書の研究をしていく過程で、それは芽生えていた物なのであって、「新約聖書は信用できない」という結論に至ってしまったからこそ、自分の信仰を維持することができなくなってしまったのである。

●イエスは神と新しい契約を締結したのか?

 俺はこの本を読んでみて、もう一度『新約聖書』を読んでみることにした。新約聖書が改竄されていると解れば、新約聖書を的確に読んで行くことができる。するととんでもない事実に気付いてしまった。これは本当に盲点で、今まで何度読んでも全く気付かなかったことに気付いてしまった。

 それは「キリスト教徒たちはヤハウェと新しい契約を結んでいない」ということである。

 キリスト教は、今までのユダヤ教の契約を否定し、人類の原罪のためにイエスが贖罪死し、それによってキリスト教徒たちが救済されるという新しい契約を結んだとしているのであるが、その契約がどこにも見つからないのである。新しい契約を結んだと主張しているのはパウロだけなのであって、新しい契約は彼の個人的な主張に過ぎないのである。

 嘗てモーセはヤハウェと契約を結んだのだが、その際、シナイ山に入り、合計83日間に亘って契約の指導を受け、その契約の根幹となる十戒は石板に記載されたのである。ヤハウェと契約を結ぶというのはそういうことなのであって、神が契約のことを事細かく指導し、中でも重要な物は石板に記載されなければならないのである。

 キリスト教の歴史に、そういうことがあったのか?

 新約聖書のどこを読んでもそんなことはないのである。ということは、キリスト教徒たちはヤハウェと新しい契約を結んでいないということになる。これは非常に恐ろしいことで、キリスト教自体が成り立たなくなってしまうのである。キリスト教徒たちはパウロにまんまと騙されただけということになってしまう。

 プロテスタンティズムは聖書中心主義によって宗教改革を開始したのだが、その聖書が本当に信用に値する物なのか、それを調べなかった。そのツケが500年経ってこういう形で出て来てしまったのである。新しい契約が存在しない以上、幾ら信仰しても無駄なのである。

 信ずる者は救われるどころか、信じるからこそ救われないのである。

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子供の頃の夢が叶う確率

●子供の頃の夢

 人間は子供の頃に何かしらの夢を持つことになる。本人が子供ゆえにその夢は幼稚な物なのだが、とにかく夢を持ち、将来はその職業に就きたいと願うのである。親であるなら我が子に、「将来、何になりたい?」と訊いて、我が子の夢を確かめておく必要性がある。

 子供の頃の夢の実現率は如何なる数値だか知っているであろうか? 実を言うと子供の頃の夢の実現率は「20%」なのである。これを高いと見るか低いと見るかは、その人次第なのだが、とにかく20%の子供たちは本当に自分の夢を実現してしまっているということだ。

 当然に残りの80%の人たちは子供の頃の夢を実現できていないのだが、落胆するには及ばない。というのは、子供の頃の夢を実現できてなくても、その夢を持ったお蔭で何かしらの成長が起こったからだ。全く夢を持たなかった人と比べれば、遥かに成長してしまっているのである。

 だから親としては子供の夢が一体なんであるかが解ったのなら、本当にその夢に向かって走り出すように仕向けてしまうことなのである。夢を実現するにはそれなりの費用がかかるのであって、子供は無一文である以上、親がお金を出さないとその夢に向かって走り出すことができないのである。

 成功確率は20%なのだから、親としては気楽に構えていればいい。子供は本当に自分の夢を実現してもいいし、挫折してもいい。夢を実現できればラッキーなことだし、挫折してもその分だけ成長したので、何もしなかった人たちよも格段に実力の差が付いてしまい、その後の人生が明らかに有利に展開していくことになる。

●だから人生の中で夢を5回持てばいい

 子供の頃の夢の実現率が20%ということは、そこに「80対20の法則」が働いているのであり、ということは人生の中で夢を5回持てば、その内のどれかは叶うということなのである。これは凄い情報であって、これを知っていると知らないとでは、人生がまるで違う物になってしまうのである。

 通常、子供の頃の夢は幼稚園児の時に持ち、その夢は小学4年生まではほぼ同じ物である。しかし小学5年生になると、頭が良くなってくるので、それで新たな夢を持ち始めるのである。この夢は大体、中学3年生ぐらいまで同じ物である。

 しかし高校生になると更に成長して来るので、新たな夢を持てる筈だ。ところが多くの高校生たちはこの時期に夢を持たず、大学進学することに集中してしまうのである。どこかの大学に進学することは人生に於ける夢とは言い難い。大学で学んだ上で、将来、一体何をしたいのかを明確にさせないと、物足りないのである。

 大学に行ってしまうと、自分が行った学部の流れで勉強してしまい、自分の夢を明確にしないままに、その学部の延長線上にある職業に就いてしまうのである。これでは収入が高くならないのは当然のことであって、低収入で終生苦しむことになるのである。

 大学を出たのに抵所得で生きている人は、自分の夢を明確に持たなかったからこそ、今のような現状を産み出してしまったことに一刻も早く気付くべきなのである。人間の人生は人生の中で自分の夢を5回持てば必ず叶うようになっているのであって、夢を持てば必ず叶うわけではないが、自分が夢を5つ持てばその内のどれかは叶うようになっているのである。

●結婚の夢は実現し易い

 夢の中の内、結婚の夢は実現し易い。女の子は夢に「将来、お嫁さんになること」という物を上げて来る傾向が多いのだが、この夢は叶い易い。大人になって良縁に巡り会うことができれば、簡単に結婚できてしまうのである。男の子は結婚をバカにしがちだが、男性は結婚よりも仕事を優先して来るので、それでバカにしているに過ぎないのである。

 女性の場合、結婚抜きで人生計画を立てることは無意味である。結婚せずにどんなに働いたとしても、それは女性としてやるべきことをやらず、ただ男性の物真似をして生きているだけだから、どのような成功を得たとしても詰まらない人生なのである。

 女の子だからこそ、子供の頃から結婚を意識させ、母親は娘に「家事手伝いをきちんとやっていれば必ず良縁に巡り会えるよ」とでも言っておけば、将来、本当にそうなるものなのである。娘に家事手伝いをさせず、学校の勉強ばかりさせていては、娘の頭がおかしくなるのは当然のことなのである。

 女性が結婚したのなら、どうしても育児を最優先しなければならなくなる。中には結婚前にやっていた仕事をやめる女性たちが出て来る。だから「結婚は損」なのではなく、結婚にはこういうことが起こるからこそ得なのである。というのは、結婚したことで今までの仕事を辞めることができ、新たな夢を持つことができるようになるからだ。

 家事や育児を活かして何かしらの仕事を始めるのもいいし、育児が終了してから本格的に仕事を始めるのもいい。既婚女性というのはこういうことができてしまうのであって、未婚女性とは比べ物にならないほど圧倒的に有利になってしまうのである。

●夢を持たずに仕事をするな

 人間は自分に夢があれば幾らでも頑張れる。しかし自分に夢がなければどんな楽チンな仕事をしても、その仕事は苦痛である。僅かなお金のために、自分の貴重な時間を売り払うな。人間が持てる時間は限られているのであって、お金のために労働をやっている閑など誰にもないものなのである。

 子供の頃の夢が叶わなかったと嘆く人たちは非常に多い。「では今のあなたは一体なんの夢があるの?」と訊けば、全く答えられないのである。自分に夢がないのだから答えられる訳がない。もしも正直に答えようとすれば、「今の自分には夢がない」と答えるしかないのである。

 自分が夢を持てば必ず叶う訳でない。何事にも自分に向き不向きがあるのだから、自分が不得手な分野に進んでも、その夢が叶うことはない。それにこの世には確率論というものがあるのだから、確率が100%ではなく、せいぜい20%か30%なのであって、その低い確率での勝利を目指すべきなのである。

 有難いことに、自分が夢を5つ持てば、その内のどれかは成功するようになっている。しかもこのことを他の人たちは知らないのである。だから自分が夢を持てば、自分の夢の内のどれかが本当に実現してしまい、競争相手なしで勝利してしまうのである。

 時間という物はあっという間に過ぎて行くのだが、遊んでいる閑はないのだ。遊べば遊ぶほど時間はなくなり、その分、自分がしなければならない事ができなくなっていくのである。夢を実現していくためにはどうしても時間がかかるものだから、一刻も早く仕事に取り掛かった方が良いのである。

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