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村岡花子は『赤毛のアン』を理解していなかった

●翻訳者だからといって、その原作を理解しているとは限らない

 NHKの連続テレビ小説『花子とアン』が盛り上がっているのに悪いのだが、村岡花子という人物はそれほどレベルの高い人物ではない。村岡花子といえば『赤毛のアン』の翻訳者として有名なのだが、彼女は『赤毛のアン』の日本語訳が出来ても、その文学的価値という物を全く理解していない人物であった。

 翻訳書には1つの法則があって、

「原書の原題と日本語訳の題名が違う場合、その翻訳者はその作品を正しく理解していない可能性が非常に高い」

ということなのである。本にとって題名は非常に重要な物だから、基本的に変えてはならない。しかし日本の翻訳者たちというのは、なぜだが題名の変更を平気でやってくるのだ。

 『赤毛のアン』の原題は『緑の切妻屋根のアン』である。『赤毛のアン』を読んでいけば解ることだが、『赤毛のアン』の話はアンが引き取られた家に於いて話が終始する。だからこの小説としてはこの題名しなかない。しかし村岡花子はこれを『赤毛のアン』と変えてしまったのである。

 題名的には『緑の切妻屋根のアン』より『赤毛のアン』の方がいい。しかしそれはこの小説を理解していないということなのである。題名を『赤毛のアン』にしてしまうと、アンの話になってしまうからだ。この小説で重要なのはアンとマリラとマシュウの3人であって、アンだけが重要ではないのである。

 原題を活かしながら巧い日本語訳にするなら、『グリーンゲイブルズのアン』とするしかない。これでは原題と殆ど変わらないのだが、「緑の切妻屋根」では全くお洒落ではない以上、こうするしかないであろう。確かにアンは赤毛かもしれないが、孤児であるアンが引き取られた家こそがこの小説にとっては必要不可欠な物なのである。

●『赤毛のアン』は実に変な話

 『赤毛のアン』は女の子向けの児童文学作品では常に人気ナンバーワンなので、それだけ作品としては出来が良い。だから通常の読解力でも充分に理解することができるのであって、逆に言えばこの『赤毛のアン』を理解できないというのなら、「その者の読解力は全くない」と断言してもいい。

 普通の読解力があれば、

「『赤毛のアン』って実に変な話だよね」

と言う感想を持つことができることであろう。確かに読んでみれば実に変な話なのである。

 まずマリラと兄のマシュウは互いに独身で、それでいながら一緒に暮らしている。そこに孤児のアンが里子として行くことになるのだが、兄と妹が結婚もせずに一緒に暮らしているということは、冷静に考えれば、この兄と妹は近親相姦をやっているということなのである。

 孤児のアンにしても実に変な子で、孤児という割にはどう考えても頭の良い子で、マリラの家で騒動を引き起こすにはしても、人間関係がそれなりにできているのである。孤児は親に捨てられ、孤児院という悲惨な境遇で育つために、アンのようにきちんとした人間関係を育めないのである。

 アンはダイアナという親しい友人ができるのだが、なぜだかアンとダイアナは「永遠の友情」を結んでいない。幼い時は二人ともバカなことをして遊んでいるのだが、アンの向学心に火がつくと、二人の仲は徐々に離れて行き、結局、親友として永遠の友情を結ばないのである。

 最もおかしいのが、アンは努力して奨学金を貰ったのに、大学の進学を拒否してしまうことだ。これにはマリラの目の病気のことがあるのだが、マリラとアンの仲がそれほど良くない以上、アンがマリラの所に帰って行くのは問題があり過ぎる行動なのである。

●初期設定のミス

 なんで『赤毛のアン』がこんなにも変な話になってしまったのかといえば、それは「初期設定のミス」である。モンゴメリは最初、「女の子の孤児が男の子と間違えられて引き取られた話」を考えていたので、初期設定のことを充分に考えずに書き出してしまったのであろう。

 マシュウとマリラを兄と妹にするのではなく、夫婦にしておけば、「孤児が里親に引き取られた話」として物語が開始して行くのである。マリラの母性愛不足は、自分を愛してくれる人がいないからこそ起こっていることなので、夫から愛されれば、孤児のアンのことをきちんと愛すことができるのである。

 アンは孤児ゆえに、自分の未熟さを常に自分のお喋りで誤魔化そうとする癖がある。これはアンが孤児として生きて行く上で身に付けた物なのだが、この癖があるために、アンはマリラとの関係を深めて行くことができないのである。

 だからマリアが母性愛を出して、アンのことを肯定してあげ、

「ここではもう、そういう強がりをやらなくてもいいんだよ」

とでも言えば、アンの癖は消滅していくのである。

 マリラの母性愛不足はアンの友情にも問題を発生させ、ダイアナと仲がいいのに、彼女を親友にしていくことができないという事態を招いてしまった。ダイアナはアンを受け入れているのだが、アンが成長していくにつれて、ダイアナとは理解しあえなくなるのも、アンの複雑な家庭の状態が原因なのである。

 この友情の不発はアンの恋愛にも支障を来たすのは当然であって、アンはギルバートという弱い男性に惹かれて行ってしまうのである。アンは勉強に於いてギルバートを打ち負かしている。そのギルバートがアンを救済することは絶対に有り得ないのである。

●なんで女性たちは『赤毛のアン』に惹かれるのか?

 なんで女性たちが『赤毛のアン』に惹かれるのかといえば、これは「女性が自立していくお話」だからである。しかもモンゴメリはフェミニズムに洗脳されていないし、汚染されてもいない。孤児のアンがこの世で生きて行くためには、学校の教師になるしかないということでそうしているのである。

 しかしアンは後少しで自立できるという所で、マリラの所に戻ってしまう。ということは自立できなかったということになる。だから『赤毛のアン』は児童文学としては良い作品なのである。自立してしまえば、それはアンにとって素晴らしいことかもしれないが、自立していない読者たちから離れて行ってしまうことになるからだ。

 父系家族制では女性たちは親から離れて自立していかなければならない。それゆえ自立するということは、自分の母親を捨て去るということなのである。このため自立した女性ほど、自分が自立するために母親を捨ててしまったことを心残りにしてしまうことになる。

 それゆえ女性は自立してしまえば、アンのようにマリラの許に帰って行く生き方に違和感を覚えてしまう、それゆえ子供の頃には感動できた『赤毛のアン』に何も感動できなくなってしまうのである。だがこの作品は自立できた女性たちの心残りを解消している物だからこそ、生き残っていいるのである。

 女性が30歳になっても『赤毛のアン』に惹かれているようでは、自立できていないということだ。自立できたのなら、『赤毛のアン』が小説としては実に変な話になっていることに気付けるものなのである。それができないというのなら、読解力が足りないだけでなく、自分自身が自立できていないということなのである。

●『赤毛のアン』に潜むキリスト教批判

 聖書を暗記していない人たちには解らないのだが、実を言うと『赤毛のアン』には聖書からの引用句が大量に存在している。これはモンゴメリが改革派の信者である祖父母から育てられたために改革派の信者らしい文章の書き方をしているのである。

 しかし『赤毛のアン』にはキリスト教否定の萌芽が既に出始めているのである。モンゴメリは『赤毛のアン』の中で、要は改革派のキリスト教徒たちのことを批判しているのである。それが前面に出て来てはいないのだが、これを見抜けないとなれば大した読解力はないということなのである。

 モンゴメリは『赤毛のアン』を書き終わった後、牧師の男性と結婚するのだが、牧師の妻として生きていながらも、モンゴメリ自身、牧師の妻だというのに無神論者になってしまうのである。牧師の妻の仕事が面倒になってそうなったのではなく、モンゴメリは結婚する前からその傾向はあったのである。

 俺はアン・シャーリーがシェイクスピアの妻の名前から取った物だということに気を取られてしまい、アンの名前には別に意味も含まれていたということを完全に見落としていた。それは「アンはアテナ」だということなのである。アテナというのは古代ギリシャの女神のことである。

 アンの最も親しい友人のダイアナは、古代ギリシャの「月と狩猟の女神」である。とするなら、アンはアテナでなければおかしいのであって、アテナは「知恵と戦争の女神」だからこそ、アンは事あるごとに格言めいたことをいい、そして競争になると打ち勝ってしまうのである。

 『赤毛のアン』の世界がやけに明るいのは、これはキリスト教を否定し、古代ギリシャの神々を賛美しているからなのである。『赤毛のアン』は古代ギリシャの宗教の復活バージョンなのであって、だから熱狂的なファンたちが存在しているのである。

●『赤毛のアン』を理解していたなら「第二巻以降は駄作」とはっきりと言えた筈

 モンゴメリはフェミニストではない。フェミニズムの洗脳も汚染もその作品の中には全く見当たらない。モンゴメリは自分が養父母となった自分の祖父母から自立していくために、『赤毛のアン』を書いたといっていいだろう。アンは自立する直前で自立することを拒否してしまうのだが、モンゴメリ自身は自立し、『赤毛のアン』の出版後、結婚することになる。

 問題は『赤毛のアン』がベストセラーになってしまったことなのである。そのため読者たちから続編を望む声が多々寄せられ、それでモンゴメリは続編を書き始めるのである。しかし第二巻以降は駄作である。なぜなら『赤毛のアン』は第一巻で完結しているのであって、この続編を書くというのは無理なことなのである。

 モンゴメリは両親から捨てられてしまったために、こういう要望を拒否できるだけの強さを持っていなかった。自分が書きたくもない物を書いている訳だから、どうやっても盛り上がることはない。モンゴメリ自身、『赤毛のアン』のファンたちに「なんでアンのことがそんなにも好きなのかしら」と疑問を呈しているくらいなのである。

 村岡花子が翻訳者として『赤毛のアン』を理解していたのなら、「第二巻以降は駄作」とはっきりと言えた筈である。それが言えなかったということは、彼女自身、『赤毛のアン』をちゃんと読んで理解していなかったということなのである。翻訳者の村岡花子が『赤毛のアン』を理解していないから、それで読者たちも『赤毛のアン』を理解できないのである。

 『赤毛のアン』の無理解は宮崎駿にも継承され、『赤毛のアン』がテレビアニメ化されると、宮崎駿自身『赤毛のアン』を理解していないので、それで表面的に物語をなぞる物しか作れず、それを見た視聴者たちは『赤毛のアン』はそういうものだと理解してしまった。

 無理解の拡大再生産は更に続き、今回、連続テレビ小説『花子とアン』でまら無理解が増したと見ていい。俺としては日本人女性たちの中から「村岡花子は『赤毛のアン』を理解せずに翻訳した」という批判的な意見が出て来て欲しかった。その意見が言えないということは、『赤毛のアン』を理解したとは言えないのである。

 村岡花子の人生をどう賛美しようが、村岡花子は翻訳者としては3流程度の人物であったということなのである。

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コメント

こんにちは、はじめまして。

突然、失礼します。『赤毛のアン』の元々の村岡花子訳には誤訳や抄訳があったという事について検索しているうちにこちらのページを見つけました。

拝読してみていくつか気になる点がありました。一つは邦題についてなんですが、これは出版社の意向もあったのではないでしょうか。

というのも、カナダ人である原作者が主に英語圏を想定して題名を付ける際には『グリーン・ゲイブルスのアン』という題で構わなかったと思うんですが、日本の出版社としては主に若い女性や女子児童向けの本として出版を考えただろうと思います。そうすると、日本人の女子児童には「グリーン・ゲイブルスのアン」といっても何のことだかわかりませんし、分からなければ書店でタイトルを見ても欲しがらないかもしれません。それで『赤毛のアン』という赤毛の女の子が主人公の話なのだと、わかりやすい邦題にされたのかもしれません。

それと里子と書かれていますが、養子とは里子とは違うようです。養子は実際にその家の子供になることですが、里子は親権を持たない(親ではない)里親に預かられるだけです。アンは養子になっていますから里子ではないと思います。

それと日本アニメの『赤毛のアン』について宮崎駿さんが理解をしていないと書かれていますが、アニメの『赤毛のアン』は高畑勲監督・脚本作品であって、宮崎駿さんは作画スタッフに参加しただけです。

投稿: 笠原ゆみ | 2017年5月16日 (火) 04時18分

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