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日本のキリスト教徒たちが躓く「三位一体論」の正体

●キリスト教の絶対条件

 キリスト教の絶対条件は、

「洗礼を受けること」

「イエスを救世主と認めること」

「三位一体論を受け入れること」

の三つである。日本人の場合、神道には禊があるので洗礼はヘッチャラである。イエスを救世主とすることは、仏教で釈迦や阿弥陀如来を崇めた経験があるので、これもクリアできる。しかし三位一体論だけは拒絶してしまうのである。

 キリスト教は一神教である。「だったら三位一体論というのはおかしいではないか?」と普通の日本人ならそう思ってしまうのである。神が1つなら、他には存在しないのであって、異教の多神教を非難しながら、自分たちが多神教をやる訳には行かないのだ。

 この躓きは一般信者レベルで起こるだけでなく、神学部の学生たちの間でも起こる。神学部の学生たちは基本的に親がキリスト教徒であり、子供の頃からキリスト教に慣れ親しんだというのにこの有様なのである。このためこれで躓いてしまうと、後は真剣になって勉強をしなくなってしまうのである。

 因みにこの三位一体論はイスラム教を創始したマホメットも批判しており、イスラム教では三位一体論という物は消滅している。だから教義的には非常にスッキリした物になっている。それゆえイスラム教徒たちはキリスト教徒たちに対して優位に立っているので、それキリスト教徒たちからどう攻め込まれようとも抵抗し続けることができるのである。

 キリスト教内部でもユニテリアンは三位一体論を否定している。しかし三位一体論を否定してしまうと、キリスト教としては異端ということになってしまうのである。逆に言えばキリスト教にとって三位一体論はそれほどまでに重要な教義であるということなのである。

●三位一体論とは?

 日本のキリスト教徒たちをここまで悩ます三位一体論はどのような物かというと、「父」と「子」と「聖霊」は一体であるという教えである。なんの知識もない状態で聞いただけで、「そんなバカな話があるか!」と思ってしまうのだが、キリスト教においても三位一体論が難解なのは充分に承知しているのである。

 なんでこの三位一体論が出て来たのかというと、新約聖書には「父」「子」「聖霊」という言葉が多々見受けられるので、それを統一的に解釈する必要性が出て来たからこそ、この三位一体論が出て来たというのである。基本的にこの議論は神学の議論であって、一般信者レベルではどうでもいい議論なのである。

 キリスト教はユダヤ教という一神教から出て来たのだが、当然、キリスト教は一神教の宗教である。しかしキリスト教会は多神教を奉ずる異教徒たちに宣教し改宗させなければならなかったので、キリスト教会の異教的な考えが混入してしまったのである。

 元異教徒たちにしてみれば、一神教を行き成り奉じるのは難しいが、一神教でありながらも、実は多神教であった方が奉じ易いということになる。三位一体論争では、アリウスとかアタナシウスといったギリシャ名を持った人物たちが出て来るのだが、彼等は多神教の地であるギリシャで生まれ育ったからこそ、この手の論争ができたのである。

 三位一体論争はアタナシウス説が通り、「父と子と聖霊は同質である」ということで決着した。それぞれ別個の人格を持っているのだが、中身は同じということになった。そんなこと実際にありえる訳がないのだが、とにかくキリスト教会はこれを根本教義としたのである。

●根拠となる箇所

 新約聖書のオリジナルに三位一体論を示す箇所は何もなかった。しかし後世、三位一体論の論争が起こってしまったために、それで或る書記が新約聖書の『ヨハネの第一の手紙」欄外に書き加え、それがそのまま新約聖書に採用されてしまったのである。

 それは『ヨハネの第一の手紙」5章に書かれた物で、

「証しをするのが3つあります。

即ち、霊と水と血です。

この3つは一致します」

とあり、前後の文章とまるで整合性がない。前の文章では、

「イエスは水と血によって来られた方です」

「聖霊がこのことを証します」

と言っている以上、なんで霊と水と血が一致するのか、文章は完全に論理的に破綻している。

 三位一体論争は激しく行われ、最終的に理不尽な結論に至り、現在でもその無茶苦茶な教義が罷り通っているために、新約聖書に於いては大量に言及されていると思いきや、実はそうではないのだ。新約聖書にはたったこの1箇所しかない。しかもそれは後世に於ける捏造である。

 原始キリスト教徒たちは「聖霊」という言葉をヤハウェの別表現として使っていた。だからヤハウェと聖霊は同じ物を意味する。しかしイエスは全く別なのであって、この三者が同質であるということはない。キリスト教徒たちはイエスが新たな律法を作ったので、ユダヤ教では律法を作ったのはヤハウェとしているから、それで神の座まで持ち挙げてしまっただけのことなのである。

 三位一体論がなかなか撃破されないのは、三位一体論は「三位一体の結界」を張ってしまうために、これはこれで安定感を持ってしまうからだ。事実、三位一体論を否定したユニテリアンたちはキリスト教の枠を超えて宗教活動をするようになってしまった。キリスト教をキリスト教として留めておくためには、三位一体論は必要なのかもしれない。

●となると全てのキリスト教の宗派はインチキ?

 しかしそうなると、キリスト教にとって深刻な問題を発生させてしまう。キリスト教に於いて三位一体論は後世の捏造による説なのだが、それを以てキリスト教の根本教義とするなら、全てのキリスト教の宗派はインチキであるということになってしまうのである。

 キリスト教の宗派ではユニテリアンだけが三位一体論を否定しているので、ユニテリアンだけが正統派ということになる。他の全ての宗派は異端なのであって、キリスト教は異端が正統派になっているという、実に奇妙な宗教なのである。

 実を言うと、もしも三位一体論を否定した場合、キリスト教は非常に危険な状態になってしまう。それはイエスが救世主であることを保障できなくなるということだ。なぜならイエスは新たな律法を作ったので、それは神だからこそできることだから、もしもイエスが単なる人間なら、イエスは一体何者なのかということになってしまうのである。

 律法は人間でも作れると解ってしまえば、キリスト教徒たちは勝手に律法を作り始め、キリスト教はキリスト教として維持できなくなり、いずれは崩壊してしまうことだろう。そういうことを考えれば、論理的におかしい三位一体論でも、それを維持することが必要だということになる。

 ただこうなってしまうと、キリスト教を熱心に信仰する人たちは三位一体論を強硬的な態度で主張してきてしまい、それをやられれればやられるほど信者たちは引き、結果的に脱会してしまうということになってしまう。三位一体論はキリスト教にとって必要な説だから存在するだけであって、信者たちにしてみればどうでもいい説であるということが解っていないと、教団は信者数を減少させることになってしまうのである。

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コメント

なかなかツボを得た三位一体に関する内容です。聖書やキリスト教の歴史にも詳しい。しかも、実際のキリスト教会でそのような三位一体論を強く主張すると、信者が引いてしまう話は鋭い観察眼をお持ちです。興味深く拝読しました。

投稿: yondayoda | 2016年12月 4日 (日) 20時40分

あとはエホバの証人も早くから三位一体を論破し、信じていないようです。
三位一体を信じなくても、イエスは神の子、神の代表として地上にきて、新しい律法を与えたって聖書に書いてあるので、問題ないかと思います。

投稿: MASAHITO | 2018年8月 6日 (月) 09時46分

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