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新約聖書は本当に本物なのか?

●聖書中心主義と聖書無謬説

 プロテスタンティズムは「聖書中心主義」を掲げて出発し、聖書の記述のみが正しく、そのためローマカトリック教会のやっていることはキリスト教に違反するとした。これによって元カトリックの信者たちを改宗させ、自分たちの勢力に引き入れたのである。

 聖書中心主義は必ず「聖書無謬説」に辿り着くことになる。聖書は無謬なる神の御言葉であり、聖書にはただ1つの誤りもなく、1字1句に至るまで神の霊感によって書かれた物であるとする。こういう主張をしないと、信者たちを維持し続けることは不可能なので、どうしてもプロテスタント系の教団はこの主張を取ってしまう。

 この聖書無謬説は信者たちに疑いを許さぬ信仰を強いて、活発な宗教活動に駆り立てることで教団勢力を拡大していくことができる。しかももしも信者たちが聖書無謬説に疑いを抱き始めたら、ただ単に教団を脱会するだけでなく、キリスト教への信仰その物が崩壊することになる。

 今回紹介する本はこの本!

 バート・D・アーマン著『捏造された聖書』(柏書房)

 松田和也訳

 捏造された聖書

 原題は『イエスの誤引用』であって、原題と邦題では余りにも違い過ぎる。題名に問題がある物はその翻訳も信用できない。しかし読めば解るが、邦題は必ずしも間違っているとは言えず、寧ろ内容的には邦題の方が良かったりするので、それで翻訳もきちんとこなされている。

 通常、アメリカ人がギリシャ語を学んだ場合、文章が実に下手糞になる。英語とギリシャ語の相性は悪いのである。しかし作者はギリシャ語だけでなく、ヘブライ語も学んだりしているので、それで下手糞な英語を書いていない。それどころか英語的には実に巧い文章を書いている。

 注目すべきは「はじめに」に書かれた内容であって、これを読むとアメリカ合衆国のキリスト教主流派の状況が良く解るし、作者自身がどんなに努力し苦労したかが解る。日本では改革派(カルヴァン派)の方が評価されているのだが、アメリカ合衆国では福音派(ルター派)の方が強力なのである。

●新約聖書はローマカトリック教会が作った物である

 事前に新約聖書のことを説明しておくと、イエスは新約聖書を書いていない。イエスは早々と死んでしまったので、それで自ら書き遺すことがなかった。しかしキリスト教はユダヤ教から生まれて来たので、最初から「書物指向」を持っていたので、それで様々なキリスト教徒たちが書物を書き始めた。

 新約聖書が出来上がるのはなんと西暦397年のカルタゴ会議に於いてでなのである。イエスが死んでから400年近く経ってから編纂されたので、イエスの真意がどれだけ伝わっているのか実に怪しいものなのである。どう弁明しようが、ローマカトリック教会にとって都合のいい編集がなされているのは間違いなのだ。

 ただ気をつけるべきは、初期のキリスト教徒たちは新約聖書に掲載された書物を、教会に於いて礼拝時に公開朗読していたということである。当時の人たちの識字率は10%程度なのであって、キリスト教徒たちの殆どは文盲であったのである。

 現在では識字率が100%近いので、先進諸国のキリスト教徒たちは新約聖書を黙読するのが当然ということになるのだが、その感覚ではどうやっても当時のことが解らない。新約聖書のことを正しく理解したいのなら、とにかく音読してみることだ。音読してみると、読み易い部分と読みにくい部分とがあることに気付く筈だ。中には読んでも意味が通らない部分だってあることに気付く。

 そういう読みにくい部分や、読んでも意味が通らない部分こそ、後世に改竄された可能性があるということなのである。新約聖書は公開朗読に耐えることができた物だけが掲載された以上、本当は読み易い筈である。黙読しているからこそ、この当たり前のことが解らないのである。

●改竄の理由

 新約聖書は改竄されている。それは読めば解ることである。読んで解らないような読解力がないということなのである。ではなんで新約聖書というキリスト教の聖典が改竄されてしまったのだろうか? 聖典だからこそ改竄されてはならない物なのだが、実際はそうではないのである。

①書記たちの誤記

 改竄に於いて最も多い事例が「書記たちの誤記」である。新約聖書は印刷機械が登場して来るまで、書記たちが手書きで筆写して行ったのであって、その際に誤記をしてしまい、それが結果的に改竄になってしまったのである。その改竄の箇所はなんと3万箇所以上に上るのであって、新約聖書だからといって無謬ではないのだ。

②神学的理由

 次に多い改竄が「神学的理由による改竄」だ。キリスト教徒たちはイエスを救世主として認めることでは一致していても、彼が人間なのか神なのかで大いに揉めることになった。だから確信犯的な改竄を行うことで、自分たちの主張を有利にしようとしたのである。

 イエスは処刑されて死んだ。それなのに誰かがイエスの死体を運び出し、墓場には亜麻布しかなかったのが真相らしい。しかしそれでは困るので、イエスを復活させて、使徒たちに遺言を残したようにしたのである。これを信じる者は救われ、信じない者は救われないとし、それで異端の者たちを排除して行ったのである。なんとも無茶苦茶な話である。

③社会的理由

 三番目に多い改竄が「社会的理由による改竄」だ。キリスト教は女性たちを多く取り込んで行ったからこそ成功したのだが、キリスト教会が階位性を整えて行くと、女性たちを排除する必要性が出て来た。それで女性は男性に従うようにと新約聖書を改竄し、女性たちから重要な役職を全て奪ってしまったのである。

 ローマカトリック教会は今でも女性が聖職者になることを認めてない。女性差別を徹底的に貫いているのである。しかしそうやって女性たちを排除してしまったからこそ、女性信者たちの中から修道女になる者が出て来て、その女子修道会が宗教活動を活発化させ成功することによって、女性の地位が向上して行ってしまったのである。女性差別をしているから一概に悪いとは言えないのだ。寧ろフェミニズムのように積極的に女性の地位を向上させようとすると、逆に女性の地位が失墜してしまうものなのである。

●改竄の必然性

 新約聖書は改竄されているのだから、だったらその改竄を修正していけばいいのではないかと思うのだが、どこの教団もそれをやっていない。本物の新約聖書を持たない限り本物の信仰など有り得ないのだが、既に改竄された新約聖書によって間違った信仰が成立しているために、もしも改竄を修正しようとすれば、教団内部がとんでもないことになってしまうのである。

 それと「改竄の必然性」という問題がある。イエスはアラム語を使って教えを説いたのだが、現在の新約聖書はギリシャ語を原典としている。要は書記たちはアラム語からギリシャ語に翻訳したのであり、その翻訳は必ず正確になるとは限らない。誤訳が入り込むことは避けられないのだ。

 キリスト教を日本で広めようとするなら、ギリシャ語の新約聖書を日本語に翻訳しなければならない。ギリシャ語と日本語にはなんの接点もないのだから、誰がやったとしても正しい翻訳など出来っこないのである。ということは、翻訳者に悪意はなくても、新約聖書は必然的に改竄されてしまうということなのである。

 変な風に聞こえるかもしれないが、キリスト教を広めて行くためには新約聖書を改竄しなければならないということだ。従って聖書無謬説は絶対に有り得ない。新約聖書は間違うからこそ、生き続ける書物であるということなのである。それと同時に聖書中心主義も有り得ない。新約聖書が改竄されてしまえば、新しい解釈が生まれてしまい、それで新約聖書から徐々に離れて行ってしまうのである。

 大体、聖書無謬説も新約聖書が改竄され続けてきたからこそ出て来た学説なのである。プロテスタンティズムは聖書を中心に置くがために、どうしても聖書は無謬だと言い張らなければならなかったのである。たったそれだけのことなのであって、そのような学説を鵜呑みにすることはないのだ。

●そして不可知論へ

 新約聖書の真贋を見極めて行く作業は、福音書それ自体に及んでしまう。新約聖書には『マタイ』『マルコ』『ルカ』『ヨハネ』の4つの福音書があるのだが、書かれた順番は『マルコ』『マタイ』『ルカ』『ヨハネ』である。問題は『マタイ』は福音書記は『マルコ』を見ながら書いているのに、既にそこで改竄をやっているということなのである。

 ということは最初の福音書である『マルコ』はどうなのかということになる。『マルコ』の福音書記はペテロの通訳をしていたマルコという伝えられてきたが、これは聖書学者たちの研究によって否定されている。マルコはペテロの記憶ではなく、教会の伝承に従って書いているからだ。

 『マルコ』の執筆時期は対ローマ戦争以降であって、イエスが死んでから40年以上経ってから書いている。マルコはイエスを直接に見た人ではない。イエスに関する情報は教会に蓄積されていた物を集めたにすぎない。だからイエスが本当に何を言ったのか永遠に解らないということになってしまう。

 キリスト教はイエスを救世主としたからこそ初めて成立できたのに、イエスが一体何を言ったかが解らないという奇妙な結果が出て来てしまったのである。キリスト教徒たちはイエスのことを心の底から愛している。しかし本当のイエスのことを何も知らないのだ。

 このためこの作者は結果的にキリスト教を棄教してしまった。棄教の直接の切っ掛けとなったのは神義論の問題なのだが、聖書の研究をしていく過程で、それは芽生えていた物なのであって、「新約聖書は信用できない」という結論に至ってしまったからこそ、自分の信仰を維持することができなくなってしまったのである。

●イエスは神と新しい契約を締結したのか?

 俺はこの本を読んでみて、もう一度『新約聖書』を読んでみることにした。新約聖書が改竄されていると解れば、新約聖書を的確に読んで行くことができる。するととんでもない事実に気付いてしまった。これは本当に盲点で、今まで何度読んでも全く気付かなかったことに気付いてしまった。

 それは「キリスト教徒たちはヤハウェと新しい契約を結んでいない」ということである。

 キリスト教は、今までのユダヤ教の契約を否定し、人類の原罪のためにイエスが贖罪死し、それによってキリスト教徒たちが救済されるという新しい契約を結んだとしているのであるが、その契約がどこにも見つからないのである。新しい契約を結んだと主張しているのはパウロだけなのであって、新しい契約は彼の個人的な主張に過ぎないのである。

 嘗てモーセはヤハウェと契約を結んだのだが、その際、シナイ山に入り、合計83日間に亘って契約の指導を受け、その契約の根幹となる十戒は石板に記載されたのである。ヤハウェと契約を結ぶというのはそういうことなのであって、神が契約のことを事細かく指導し、中でも重要な物は石板に記載されなければならないのである。

 キリスト教の歴史に、そういうことがあったのか?

 新約聖書のどこを読んでもそんなことはないのである。ということは、キリスト教徒たちはヤハウェと新しい契約を結んでいないということになる。これは非常に恐ろしいことで、キリスト教自体が成り立たなくなってしまうのである。キリスト教徒たちはパウロにまんまと騙されただけということになってしまう。

 プロテスタンティズムは聖書中心主義によって宗教改革を開始したのだが、その聖書が本当に信用に値する物なのか、それを調べなかった。そのツケが500年経ってこういう形で出て来てしまったのである。新しい契約が存在しない以上、幾ら信仰しても無駄なのである。

 信ずる者は救われるどころか、信じるからこそ救われないのである。

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