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知識重視か、経験重視か?

●「この勉強は本当に意味があるの?」

 学校教育では中学2年生になると途端に勉強が難しくなってくる。このため中学2年生以降、かなり真面目になって勉強をやらないと勉強についていくことができなくなってしまう。しかしそうやって無理をして勉強していくと、現実とは全く関係のことを勉強していることに気付く、そこでこんな疑問を抱いてしまう。

「この勉強は本当に意味があるの?」

 この手の質問を受けた時、教師はたじろいでしまう。なんせ生徒たちは勉強して当たり前だと思っているから、勉強その物を問われることに対してなんの解答も用意していないからだ。とはいっても教師である以上、何かしらの答えを生徒に言わなくてはならない。そこで、

「この勉強は将来役に立つ」

と言い出し、その解答にあれこれ説明をつけて、どうにかその生徒を納得させるのである。生徒は教師から一方的に説明を受けているために沈黙するが、その姿を教師は「納得してくれんだ~」と勘違いし、その教師は他の場所でこの話を自慢話としてしようしてくるのである。

 はっきりと言ってしまえば、生徒は教師の解答に納得していない。将来役に立つということは、現在まるで役に立っていないということである。学校教育という物は、必ずしも必要なことだけを教えているのではない。不要なことも教えている。なぜならそれも生きて行くためには必要なことだからだ。

 親であるなら、我が子が勉強の意味を問い始めた時、学校でまともな解答を貰えないと思っておいた方がいい。生徒にこの疑問を抱かせたのは、その教師の教育の仕方に問題点があったのであり、その教師では生徒の質問に答える資格はないのである。

●頭でっかちになっているからこそ経験をさせる

 教育には大きく分けて、「知識重視」と「経験重視」の2つの考え方がある。知識重視の教育は生徒たちに対して一方的に知識を与えて行くことによって効率良く教育していくやり方である。経験重視の教育は生徒たちに経験させ、教師が少しだけサポートするという遣り方である。

 学校教育では知識重視の教育の方が好まれる傾向になる。なせならその方が効率は良いし、それに教師が一方的に教えることで、自分自身遣り甲斐が出て来るからだ。このため生徒たちは物を教えられるばかりで、それで頭でっかちになってしまうのである。

 そして頭でっかちになった時、「この勉強は本当に意味があるの?」と質問して来ることになる。

 だから生徒たちからこういう質問を寄せられた時、「知識が過剰になって経験が不足しているんだな」と判断し、今度は一転して経験重視の教育をやればいいのである。課外授業とかクラブ活動とかに重点を於いて生徒たちに経験させるからこそ、生徒たちは「なんで勉強しなければならないのか?」という疑問を解消させていくことができるのである。

 教師は教壇に立ってしまえば、知識重視の教育しかできないという限界を知っておかなければならない。経験重視の教育では生徒たちが主役に成ってしまうので、教師がすべき仕事は本当にごく僅かなのである。極論を言ってしまえば、別に居ても居なくていい。

 生徒たちを健全に教育していくためには、知識重視と経験重視の2つの教育が必要なのであって、どちらか1つ有り得さえすれば良いという物ではない。生徒たちに「勉強しろ」と言えば生徒たちはやるかもしれないが、しかし知識が過剰になってくれば、もう頭の中には入らなくなってしまうものなのである。

●学校教育を受けない限り、知識は急増しない

 とは言っても学校教育を受けない限り、知識は急増しない。幾ら経験重視が良いからといって、経験重視の教育だけを行うことなど絶対にできない。経験重視の教育では、生徒たちが試行錯誤しながら学んでいくので、その範囲内でしか知識を獲得することができないのである。その知識は教室で教師から教わる知識量よりも遥かに少ないものなのである。

 小学生くらいまでなら子供を学校に活かせなくても、親が自宅で教育しようと思えばできる。しかし中学生や高校生になってしまうと、急成長が起こるので、もう親では無理であり、やはり学校の教師が教育してしまった方がいい。学校の教師は専門で教育の仕事をしているのだから、当然に教育の仕事は巧い筈なのである。

 知識重視の教育には「詰め込み教育だ」という批判が存在するが、如何なる学問であっても、最低限の知識がない限り、まともな研究など何1つできないのである。詰め込み教育と言い出す人たちに限ってまもともな研究をしていないのは、学問の基本がまるで出来ていないからなのである。

 昭和憲法体制下の日本で深刻な問題を抱えているのは、学校ではなく大学の方だ。占領中の改革によって大学に於いて一般教養を教え、更に専門分野の教育をもするので、どの学生たちも一般教養も専門分野もきちんと学べない状態にある。

 だから小中高と勉強熱心な人たちが大学生になると遊んでしまうのである。なぜ遊んでしまうかといえば、大学の講義をまもともに受けても、一般教養も専門分野もどちらともまともな物にならないからなのである。折角、生徒たちの知識量を急増させたのに、それを大学の方が全く活かしていないのである。

●要はバランス

 学校教育ではどうしても知識重視の教育をしてくる。経験重視の教育では教師のやる仕事が少なくなってしまうし、それに教育の効果も低い。生徒たちを学校に集めて教育する以上、やはり教育の効果の高い知識重視の教育を選択してしまうものなのである。

 だから生徒は生徒なりにその対策を講じておくべきなのである。勉強ばかりしていないでスポーツに打ち込む。家事手伝いをきちんと行う。自分の趣味を持ち、自分が経験しない限り感動できない物を用意しておく。そういうことをするからこそ、頭でっかちにならずに済むのである。

 俺は中学生の時に嵌ったのが「プラモデル作り」である。高校生の時はランニングである。大学生の時に嵌ったのが「登山」である。どれも3年周期で起こっており、どの趣味も3年後には飽きてしまい卒業してしまっている。これらは自然発生的に行ったので、それで精神のバランスを保ったのである。

 こういうことを考えると、勉強ばかりするとか、逆にスポーツばかりするというのは、絶対に精神衛生上非常に悪いということである。そういう生き方はどこかで無理をしているので、それが成功している時はいいかもしれないが、それが失敗し始めた時にもう何をやっても立ち直ることができなくなってしまうのである。

 物事は集中してやった方が効率は良い。しかし人間の集中力はそんなに長くは持たないものなのである。どんな人であっても、飽きっぽいものなのである。そういう飽きっぽい人間なのだから、勉強したら遊び、遊んだら勉強するということを繰り返して行った方がいいのである。

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コメント

タマティ様のおっしゃる通りです。私も学生のころ、同じ疑問を持ちました。でも納得する答えはもらえず…。今度は自分の子供が疑問をもつようになるはずなのですが、そんな時どう接するのが一番いいのですか?

投稿: なす | 2014年10月14日 (火) 06時38分

なす さん、タマティーは久々の出張で、前日は3時間しか眠れず、しかも今日は数年ぶりとなるラッシュアワーに遭遇して、ヘトヘトになって帰宅してきました。

それなのに、この記事に対するコメントがなすさんだけとは!
みなさん、深刻になるほど勉強しなかったんですね。

まずは自分がその答えを見つけること!
自分が解っていないことを子供に教えることは無理ですよ。

取り敢えず、我が子が頭でっかちにならないように、スポーツをやらせることですな。

投稿: タマティー | 2014年10月15日 (水) 09時45分

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