●歴史学と考古学の違い
日本人として絶対に必要な物は「日本史を学び、日本精神という物を持つ事」である。幾ら日本人として生まれたとしても、日本史を学ばず、日本精神を持たなければ、いずれは消滅して行ってしまうことになる。血統は大事な物かもしれないが、それは絶対条件ではない。日本民族は純血だけで拡大してきたのではなく、帰化人を受け入れて発展してきた民族であることを忘れてはならない。
ところがこの日本史が連合国の占領中に徹底的に破壊されてしまった。アメリカ合衆国は日本を破壊するためには、学校で日本史を教えることを禁止し、それだけでなく大学に於いても日本史研究を禁止してしまった。占領後はこれを解除したのだが、甚大な損害を発生させ、その悪影響は現代に至るまで及んでいるのだ。
戦後の日本史学の根本的誤謬は、
「歴史学と考古学をごっちゃにしてしまい、歴史学だというのに考古学のことを延々と述べるということをやっている」
ということである。このため神武東征も、景行天皇の九州遠征も、日本武尊の東国遠征も、神功皇后の三韓征伐も、雄略天皇の朝貢停止もなくなってしまい、これでは日本古代史のことが全く解らなくなっているのである。
歴史学と考古学の違いが解っていない歴史学者は歴史学者として失格である。歴史学は歴史書を研究する学問であり、考古学は発掘を行い、出土品を研究する学問である。これらの学問にはリンクする所もあるが、歴史学は歴史学であり、考古学は考古学なのである。
今回紹介する本はこの本!
渡部昇一著『名著で読む日本史』(育鵬社)
![名著で読む日本史[渡部昇一]](http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/0625/9784594070625.jpg?_ex=200x200&s=2&r=1)
渡部昇一博士は日本史の学者でなく英語学者なのだが、日本の歴史学者たちが歴史学者ではなくなってしまったので、敢えて自分の専門外の日本史に関する本を書いたのであって、戦後の日本が異常事態になっている以上、こういう仕事こそ日本にとって必要だし、有益であるのだ。
●歴史書と物語
まず歴史を理解するために最も大事なことは、
「歴史の根幹となっている物は物語である」
ということであって、とにかくこのことを理解しなければならない。物語とは本来「我々先祖である霊魂たちが語るお話」ということなのであって、宗教的な意味合いが非常に強い物なのである。
日本の場合、「語部」という物が存在し、巫女たちがこの仕事を担当した。だから日本最初の書物である『古事記』は女性である稗田阿礼が口述し、それを太安万侶が著述したのである。因みにこの『古事記』は後に忘れ去られた書物となり、江戸時代になって本居信長が『古事記伝』によって復活させた。
天武天皇の壬申の乱によって律令体制が整えられていくのだが、その際、必要になったのが歴史書である。『古事記』もこの必要性で作られたのだが、朝廷としては『日本書紀』こそを初の国史とした。『古事記』は『日本書紀』を作るための資料だったに過ぎないのである。
国史はその後、『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』と続き、後は実録で『日本門徳天皇実録』『日本三代実録』となった。実録は国史ではなく、天皇の一代記というべき物で、この実録を集めて歴史書を作るのである。だから『六国史』という言い方は間違いで、朝廷は『四国史』しか作れなかったのである。
なんでこうなってしまったのかといえば、日本では天皇家が続いているので、日本史を中国風の歴史書で書くことには限界があったからなのであり、中国のように易姓革命があり、先の王朝を倒した者が新たに王朝を興し、それで前の王朝の歴史を書き残すということができないからだ。
そこで登場してきたのが、『栄華物語』であり、朝廷に於いて実権を握った藤原氏に注目して歴史を語って行くという手法を取った。この『栄華物語』も作者は女性で、赤染衛門という歌人が書いた物なのである。『栄華物語』の後に『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』と続いて行くことになる。
●史上最悪の悪帝<後醍醐天皇>と「武士たちの忠誠心」の問題
鎌倉幕府の成立によって天皇や公家たちから武士たちの世になっていくのだが、鎌倉時代は朝廷にかなり権限があり、朝廷と幕府が拮抗した形になっていた。だから『平家物語』や『吾妻鏡』なのであって、鎌倉幕府は歴史書を編纂していないのである。
しかし後醍醐天皇が出て来ると事態は一変してしまい、朝廷側が鎌倉幕府を打倒したのはいいが、「建武の新政」に大失敗し、朝廷は分裂してしまった。これによって南北朝の動乱が起こり、この戦争の中で朝廷は完全に力をうしなってしまったのである。
この過程で出て来たのが『神皇正統記』であり、『太平記』なのだが、「物語」や「鏡」ではなく、「記」なのであって、「記録」として歴史的事件を遺して行こうという考えが出て来たのである。文武天皇が築いた律令体制は南北朝の動乱の中で完全崩壊したと考えたからこそ、これらの作者たちは記録という形で遺したのである。
『神皇正統記』と『太平記』はセットなのであって、この2つを読めば、大体、日本のことが解るようになる。
まず1つ目は日本は神国なのであって、それを連綿と継承していかなければならないということ。
2つ目は天皇は政治に手を出してはならないのであって、天皇は政治を武士たちに任すべきであるということ。
3つ目は武士たちは政治を任された以上、死力を尽くして戦うべきなのであって、後世に名を残すような功績を打ち立てなければならないということ。
天皇は後醍醐天皇以降、どの天皇も政治には手を出してきていない。天皇自体、天皇の身でありながら政治に手を出してしまうと、日本を大混乱に陥れてしまうと解っているのであり、ということは武士たちが政治意識を持って政治に参加しなければならないということになる。
●応仁の乱が日本を完全に変えた
室町時代は鎌倉時代以上に日本史に於いて重大な変化が起こっていたのだが、室町幕府自体、強力な権力を持つ幕府ではなかった。南北朝の動乱のためにエネルギーを使いきってしまい、南北朝の合一ができても、幕府は強い力を持つことができなかった。
そういう弱い幕府だったからこそ、応仁の乱が起きてしまい、これによって幕府の力は殆どなくなり、日本は戦国時代へと突入していくことになる。この応仁の乱は日本を完全に変えてしまったのであり、公家たちはこの争いの中で完全に没落してしまい、武士たちだけによって政治が動かされる時代がやってきたのである。
戦国時代は群雄割拠することになるのだが、それによって地方が開発され、民度が急上昇した。これが江戸時代になると固定されてしまったので、余計にその動きが強化されることになった。封建制度と地方文化はセットなのであって、封建制度がないと地方文化が育ってこないのである。
近代化は西ヨーロッパ諸国で起こったのだが、西ヨーロッパ諸国では封建制度があったために地方が充実し、それで近代国家へと飛躍することができた。日本は西ヨーロッパ諸国と遠く離れたいたのだが、封建制度をやり、地方が充実していたからこそ、近代化を行うことができたのである。
中国では春秋戦国時代までなら封建制度を取っていたが、秦が中国を統一してしまうと、郡県制度を採用した統一国家になってしまった。朝鮮は新羅が統一すると統一国家になってしまった。だから地方文化が発達せず、近代化に踏み切ることができなかったのである。
因みに道州制の導入は絶対にダメである。道州制では地方の規模が大きくなり過ぎてしまい、地方自治を行うことができなくなってしまうからだ。現在、日本は46都道府県があることで、地方は充実し、多彩な人材が出て来ているのであって、それを自らぶっ壊すことをやってはならないのだ。
●江戸時代に起こった日本史ブーム
江戸幕府は朱子学を御用学問にしたのだが、その朱子学によって日本史ブームが湧き起こった。朱子学は歴史重視であって、その王朝は正統なのか異端なのかを分けるのであり、そうなると日本でもその峻別をやろうとしたのである。
江戸幕府は『本朝通鑑』を編纂するのだが、この内容に反対したのが水戸藩で水戸藩は独自に『大日本史』を編纂し始めた。しかし両方とも巻数が膨大な物になってしまったので、それでよりコンパクトな歴史書が求められるようになった。
そこで頼山陽が『日本政記』と『日本外史』を書き、これが大ベストセラーになったのである。意外なことかもしれないが、それまで日本人の多くは、自国の歴史を殆ど知らなかったのであり、これによって日本史を詳細に知ることができ、民族意識が高まり始めたのである。
『日本政記』と『日本外史』は、「天皇こそ日本の国家元首である」という日本史に於いては当たり前のことを指摘した。江戸時代では征夷大将軍が事実上、日本国を代表する者だったので、それで天皇の価値を理解できない者たちが大量に存在していたのである。
頼山陽は朱子学に立脚していたのだが、彼の本を読んだ者たちは朱子学とは違う考えを持つようになった。それが「尊皇」なのであって、日本は中国のように専制君主の国ではなく、天皇は国家元首であっても政治権力を持つべきではなく、武士たちが政治を取り行うべきであるというように考えた。
この問題は幕末に「尊皇か勤皇か」ということで大いに揉め、尊皇派が「尊皇倒幕」という形で反幕府勢力を集結させ、それで明治維新がなった。だから『日本政記』と『日本外史』を読み、それらがどういう影響を与えたのかを知らないと、幕末の動乱や明治維新のことが全く解らなくなってしまうのである。
●近代日本を破滅に追いやった軍部大臣現役武官制
明治維新は尊皇派が勤皇派を押し切って成し遂げたものなのだが、勤皇派が消えた訳ではない。薩摩閥の殆どは尊皇派だったのだが、長州閥では伊藤博文が勤皇派であり、よりによってこの人物が明治憲法を作ることになってしまい、それが後に大問題を引き起こすのである。
伊藤博文はドイツの憲法学から学んで、ドイツ帝国憲法の皇帝主権を真似て、天皇主権の憲法を作ろうとした。しかし日本は天皇主権の歴史など一度たりともないのであって、それで天皇は神聖不可侵であって、政治的に無問責とした。
当然、明治憲法はそれ自体がおかしいのであって、憲法制定後、憲法学者たちが天皇主権説と天皇機関説で論争することになり、この論争に天皇主権説を取った上杉慎吉は破れ、天皇機関説を取った美濃部達吉が勝利することになった。憲法の条文では天皇が政治的に無問責になっている以上、憲法解釈としては天皇機関説が妥当ということになる。
ところが論争で負けた筈の上杉慎吉が陸軍士官学校で憲法学を教えることになり、それで武官たちの間で負けた筈の天皇主権説が広まってしまうことになった。帝国陸軍の将校たちがおかしくなるのはこれ以降なのであって、陸軍士官学校で間違った憲法解釈を教え込まれたからなのである。
よりによって時は大正デモクラシーの時代であり、政友会と民政党が激しく争い、民政党の浜口雄幸内閣の時に、政友会の鳩山一郎が統帥権干犯問題を政争の具に使い、それで暗殺へと追い込んでいった。この辺りから軍部が政治に手を出すようになり、犬養毅首相暗殺事件や青年将校の乱を引き起こしてしまう。
そして岡田啓介内閣の時に、軍部大臣現役武官制が復活し、これによって軍部が内閣の命運を握るようになってしまった。首相のやっていることが気に食わないと、陸軍大臣や海軍大臣を出さなければいいのだから、それで総辞職ということになってしまったのである。
この軍部大臣現役武官制は法律ではなく省令なのであって、憲法でもなく法律でもなく省令が日本の命運を誤らせてしまったということになる。尤も帝国陸海軍はこの軍部大臣現役武官制のために国防省を作ることができず、大東亜戦争では陸軍と海軍が別個に戦うことになり、それで大東亜戦争では完敗してしまったのである。
戦後の日本では、明治憲法には統帥権の独立があり、それで軍部が暴走したと間違ったことを教えているのだが、歴史的事実はそうではないのだ。統帥権の独立は近代国家なら当たり前のことなのであって、軍隊のある近代国家ならどこでも統帥権の独立を行っているものなのである。
鳩山一郎の憲法犯罪は重大なのであって、鳩山家の者を絶対に首相にしてはならない。鳩山一郎の孫が鳩山由紀夫であることを考えれば、鳩山家の連中は皆殺しにすべきなのであって、これに対して如何なる宥恕も与えてはならない。
●軍事学を知らない政治家たちによる悪政
歴史というものは70年以上経たないと、正当な評価を下せない。というのは、70年未満だと情報が全て出て来ないのであって、その状況下で歴史を評価しても正しい評価を下せる訳がないのだ。特に20世紀は社会主義の世紀だったのであり、共産党が情報を隠蔽しており、それが出て来ない限り、歴史の総括など絶対にできないのだ。
そうはいっても、戦後の日本が異常な政治をやってしまったということは、情報が全部出て来なくても解る。その原因はなんといっても昭和憲法にあるのであって、戦争放棄をアメリカ合衆国から要求されたために、日本の政治家たちは本当に政治的無能力者になってしまったのである。
その魁となったのは、「吉田茂」であり、彼のやった憲法犯罪は非常に重い。というのは、連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサーは日本を7年間統治してみて、日本の満州事変と支那事変と大東亜戦争は「自衛戦争」であったということに気付き、吉田茂首相に憲法の改正と国軍を持つよう勧めたのである。それなのに吉田茂首相はそれを拒否してしまったのである。
これに対して「岸信介」は日本のまともな独立国ではないということに気付き、それで安保改定を行い、どうにかに日本の地位を高めた。しかし日本の社会主義勢力は日本が本当の独立国になってしまうと社会主義革命ができなくなってしまうから、それで安保闘争を引き起こし、岸信介内閣を総辞職に追い込んでしまった。
米ソ冷戦の最中、日本は経済発展を可能にさせ、国民を非常に豊かにしたのだが、冷戦が終結すると、途端に迷走し始めた。その魁が「細川護熙」であり、このバカ殿は戦後日本で唯一「大東亜戦争は侵略戦争であった」と認めた首相なのである。
これ以降、中国と韓国が反日攻勢を強めて、日本の外交は非常に危機的な物になっていった。大東亜戦争は欧米列強がブロック経済を採用し、それによって日本が生存を確保するためにやった戦争なのであり、侵略戦争ではない。これは日本と戦争をやったアメリカ合衆国も戦後になってやっと解ったのであり、それなのによりによって日本の首相が侵略戦争だったと言い出したものだから、日本の政治がおかしくなっていくのは当然のことだと言っていい。
政治学では、
「軍事力を握った者こそ、その国の最高政治権力者だ」
ということなのであり、戦後の政治家たちはこの鉄則を理解しないがために悪政を展開しまくっているのである。昭和憲法は日本国民が作った憲法ではない以上、とっとと無効にしてしまい、日本国民が本当に必要とする憲法を制定すべきなのである。
●『名著で読む日本史』を家庭での日本史の教科書にしよう!
この『名著で読む日本史』の一体何が凄いのかといえば、この本は家庭で日本史の教科書になってしまうということだ。内容は決して難しくない。平易な言葉で書かれていながら、内容は非常に深い。しかもより詳しく知りたければ、この本の中で紹介された本を読めばいい。
まずは親がこの本を読むべきだし、この本を読むことによって、学校で受けた洗脳を解除し、正しい歴史を見られるようにしなければならない。子供たちにしてみれば、実に勉強し易いようになっているので、文字が読めるようになれば、自分1人で読めてしまい、それで親子で日本史のことを会話することが可能になるのだ。
戦後の日本では、歴史教育に関しては学校を信用することができないという異常事態になっている。だから歴史教育のことを学校に任せてしまうと、子供が大人になってからとんでもないことになってしまう。そういう異常な憲法体制下で生きている以上、それなりの対策を独自に取るべきなのである。
中国でも韓国でも盛んに反日教育を行い、そのためその反日教育を受けた人たちが執拗に反日攻勢を仕掛けて来ることになる。だから日本は中国と韓国と揉め続けることになるのであって、中国や韓国が滅亡するまでその戦いはやむことがない。
日本にとっては苦しい戦いが続くが、嘘をついているのは中国や韓国なのであって、日本人が正しい歴史を知っていれば、反日攻勢を打ち砕くことができるし、中国や韓国を滅亡に追いやることが可能になる。逆に言えば、日本人が正しい歴史を知らなければ、中国や韓国のために日本が攻め滅ぼされても、別におかしくはないのである。
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