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2015年2月

伊豆大島三原山大噴火と横浜大震災の関係

●伊豆大島三原山に大噴火の兆候あり

 東北地方で大地震が起こると、その後、関東地方でも大地震が起こるようになっている。その周期は10年であり、ということは、2011年に東日本大震災が起こった以上、2021年までには関東地方でも東日本大震災に匹敵するような巨大地震が起こるということなのである。

 関東地方で大きな地震が起こる場合、事前に必ず「兆候」が現れることになっている。それが伊豆大島の三原山の大噴火であり、これが起こった後に関東地方で大地震が起こっているのである。

1846年 三原山大噴火

     ↓ 

1855年 安政の大地震

1912年 三原山大噴火

     ↓

1923年 関東大震災

 実を言うと、既に伊豆大島の三原山は噴火の兆しが出ており、火山学者たちに言わせるといつ噴火しておかしくないというのである。だから伊豆大島には絶対に行くな。東日本大震災でプレートがかなり動いたので、今回の噴火は大噴火になる可能性があり、死者が大量に発生することが予想されるのである。

 東日本大震災以降、福島県で地震が多発し、次に茨城県で地震が多発し、そして千葉県で地震が多発するようになった。地震は徐々に南下して行っているのであって、伊豆大島の三原山の地下では相当なストレスが溜まっていると考えていい。

 安政の大地震にしても、関東大震災にしても、三原山大噴火から大地震が起こるまでそれなりの期間が存在したが、今回の大地震はそうならず、三原山が大噴火すれば、かなり早い段階で関東地方に大地震が起こると見ていい。それだけプレートがずれたのであり、今まで通りにはいかないのだ。

●首都直下大地震はないが横浜大震災ならある

 政府は首都直下大地震を考えているのだが、千葉県でこれほどまでに地震が大量発生している以上、首都直下というのは有り得ない。ストレスが溜まっているのは首都ではなく、神奈川県の方なのであって、東日本大震災以降、神奈川県を震源地とする大きな地震が起こっていないというのが、異様なまでに不気味なのである。

 俺は横浜市出身なのだが、「横浜大震災」が起こる可能性が最も高いと見ている。横浜市の大きさに対して神社仏閣が余りにも少なすぎるので、霊的防御力が非常に弱い。これは神戸市と全く同じであり、阪神淡路大震災で神戸市が大打撃を受けたように、横浜市も大打撃を受けてもなんらおかしくない。

 それに横浜は都市の再開発で、都市の中心地を横浜駅の方から中華街の方へと移してしまった。中華街は埋め立て地にあるのであって、大地震が起こった際には半端ではない揺れが襲い、それで壊滅的損害を被ることになってしまう。

 関東大震災では湘南沖が震源地だったのだが、それでも神奈川県で最も被害が大きかったのは横浜市であった。要は地盤の関係がそうさせるのであって、横浜市直下で大地震が起こらなくても、横浜市というのは被害が拡大してしまうようになっているのである。

 相模湾に面した地域では大津波に警戒をすることを要する。関東大震災では三浦半島や小田原に大津波が襲いかかっているのだが、もしも湘南沖を震源地とする大地震があれば、相模湾に面した地域は全て大津波の被害を受けるとみていい。

●南西諸島にも大地震の可能性あり

 最近、宮古島や石垣島の周辺で地震が起こっているのだが、これもプレートの歪みが関係している。東日本大震災でプレートが歪んだので、それでその歪みが遥か遠くの宮古島や石垣島に出て来ているということなのである。宮古島や石垣島の地震は全く関係なく発生しているのではないのだ。

 南西諸島で最も危険なのは「奄美大島」である。現時点で奄美大島周辺が地震の空白地帯になっており、この周辺ではストレスが溜まり、大地震の発生する可能性が非常に高まっているのである。九州で火山が噴火している所を見ると、奄美大島ではいつ大地震が起こってもおかしくはないのだ。

 奄美大島には嘗てノロたちがいたのだが、このノロたちが絶滅してしまっており、そのため霊的防御がまるでなされていない状態にある。神社仏閣があることはあるのだが、そんなに数は多くないし、規模も小さい。奄美大島はカトリック教会が積極的に宣教していったので、実は日本国内で最もキリスト教徒の率が高い地域なのである。

 阪神淡路大震災の神戸市もキリスト教が強い都市だったし、東日本大震災でも仙台市がキリスト教の強い都市だった。キリスト教は個人レベルで祈りを捧げてしまうので、神道や仏教、そしてノロたちみたいに、個人を離れて、その地域のために祈りを捧げるということをしない。それで幾ら祈りを捧げても、なんの効果もないということになってしまうのだ。

 奄美大島のようにノロたちがいた場所では、やはりノロたちが必要なのである。ノロたちがいないということが如何に危険なのかまるで解っていないのだ。宮古島や石垣島にはノロたちがいるので、大地震が起こっても安心できるのだが、ノロたちがいない奄美大島はその危険度がマックスにあると考えるべきなのである。

●中国大陸で巨大地震の起こる可能性あり

 東日本大震災の影響はいずれ必ずや中国大陸にも出て来る。プレートが歪んだ以上、中国大陸のプレートも相当に歪んでいるからだ。中国で大地震が起こる場合、それは華北であろう。東日本大震災が宮城県沖で起こった以上、その緯度から言えば「北京」から「開封」の間で起こると見るのが自然なのである。 

 中国は中国共産党の独裁が続いており、宗教を否定している。そのため文化大革命時には仏教や道教、その後は法輪功やキリスト教に対して宗教弾圧や宗教迫害を加えている。霊的防御はないどころか、罪深いことを行っている以上。地震は巨大地震になる可能性が高く、被害は甚大な物になると思う。

 東日本大震災でも、民主党政権が3ヶ月間に亘って現地対策本部を設置せず、そのために被害の拡大を招いてしまったが、あれよりももっと酷いことが中国共産党政府によって引き起こされるのである。中国人民にしては堪ったものではないのであって、だから反政府運動が高まり、そして革命が引き起こされることになるのだ。

 もう1つ注意すべき地域はインドやネパールである。中国大陸のプレートの歪みが、インドやネパールにも出て来るので、それでこの地域でも巨大地震が起こり易い。しかもネパールは共産党によって君主制が廃止されてしまったので、これまた霊的防御力が皆無になっている。

 地震という物はどこでも起こりうるものなのだが、それでも宗教があれば或る程度その被害を低く抑えることができる。だから宗教が軽視されているとか、宗教を否定する勢力が出て来たのなら、必ず警戒すべきなのであって、絶対にその監視を怠ってはならないのだ。

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姉妹の非情の掟

●人間は移動する動物である

 人類はアフリカ大陸を出て世界各地に広がって行ったのだが、その際、どういう拡大の仕方をしたかというと、部族たち全員が移動する訳ではなく、部族のうち半分が現地に留まり、残りの半分が余所の場所に行くということをやった。だから人類は世界中に散らばることができたのである。

 簡単に言ってしまえば、「人間は移動する動物である」。しかし文明が誕生してしまうと、人類は定住するようになったので、それで問題が大量発生するようになってしまった。人間の体は移動したがっているのに、同じ場所に住まされるためにおかしな連中が出て来てしまうのである。

 このことは家族であっても変わらない。夫婦が子供たちを産み育てたとしても、或る者は親元に残り、或る者は親元を離れて外に行ってしまう。これは仕方ないことなのであって、自分の子供とはいえ、親から離れたがる者を引き止めてはならないのだ。

 親であるなら家系を存続させる義務があるので、出来る限り子供の数を多くしておくことが必要になってくる。子供の数が多ければ、子供たちが外に出て行ったとしても、何人かは残るので、それで先祖祭祀をきちんとできる人材を確保することができるのである。

 子供が1人とか2人では、どう考えたとしても少ないのであって、少子化になればなるほど、家系を存続させることは非常に難しくなってしまう。親だからこそ「スペア」という考えを持つべきであって、予備玉を用意しておけば、子供たち全員が親元から離れるということはなくなるのである。

●父親から選ばれる娘と選ばれない娘

 父系家族の場合、娘たちは家の外に出て行く運命にあるのだが、それでも結婚後も親との関係を維持する者と、親の関係が希薄になるか断絶状態になってしまう者とが出て来る。これは女性であるなら絶対に避けることのできないことなので、自分として正しいことを選択していかなければならない。

 基本的に「父親は自分と似た娘を選ぶ」傾向にあり、これを知っておくと実に便利である。父親は自分と似た娘に対しては愛情を大量に注ぎ、支援を惜しむことはない。このため親子の関係は非常に良好になり、娘が結婚したとしても仲のいい関係を築き上げることができる。

 しかし父親は自分に従わない娘を選ぶことはないということをもする。娘が反抗期になって父親に逆らってばかりいると、父親は自分の娘であっても愛情を注がず、支援もせず、そのためにその娘は愛情やらお金といった物を父親以外の男性から調達しなければならなくなる。

 娘の方でも、父親が父性愛をちゃんとくれるのなら、その父親を大事にし、別れてしまうことはない。だが父親が父性愛をくれないというのなら、その父親と離れて、他の年上の男性から父性愛を貰おうと躍起になる。父性愛は絶対価値の愛なので、この愛がないと自分がどう生きて行けばいいのか、解らなくなってしまうのである。

 父親と娘の場合、どんなに仲良くなってもストッパーが働くように体がちゃんとできている。親子である場合、娘が年頃になると父親の体臭を嫌い出し、父親と肉体的関係を結べさせないようになっている。だからこそ、「父親のことは好きなんだけど、体臭がちょっと~」と言い出す女性たちがいるのである。

●男女両王制

 娘たちの中で「長女」が一番大事であるということは今も昔も変わらない。長女は娘たちの中で一番多くのエネルギーを持つから、そのパワーを巧く活かせば、家の発展に大いに役立つことになる。古代日本では、長女を巫女にし、その弟に家督を継がせるということをやった。

 これが政治レベルになると「男女両王制」になる。

 邪馬台国の卑弥呼のように、姉が「巫女の女王」として祭祀を行い、弟が「男弟王」として政治を取り仕切る。これによって政治は機能するのであって、日本の場合、政治だけをやればいいのではなく、祭祀も一緒になってやらなければならないのである。

 朝廷は崇神天皇の御世から斎宮女王という者が存在したが、これは後醍醐天皇の時で終わってしまった。明治維新以降は、皇族の女子を伊勢神宮の祭主に送り込むということをやって、古代の統治の仕方を巧く活かしている。それでは普通の日本人たちはどうなのかというと、この点に全く配慮が足りないのだ。

 幾ら息子に家督を相続させたとしても、それでは不充分なのであって、長女をどう活かすかで、その家の命運は変わって来る。長女だからこそ何かしらの宗教活動をやらせ、宗教と無縁で生きさせるようなことをしてはならない。長女という者はパワーが強い分、そのパワ―の使い方を誤ると、とんでもないことになってしまうのである。

 次女以下は自由な身なのだが、往々にして次女は長女よりも頭がいいものだし、三女となると長女や次女たちよりも早くに成長して来る。親としては古株の長女より、次女や三女の方が可愛いと思ってしまうかもしれない。だがそうやって間違った対応の仕方をしてしまうと、長女は途端にダメになっていってしまい、長女のために長く苦しみを味わうことになってしまうのである。

●姉妹だからこそ、生き方が違う

 姉妹だからといって仲良くする必要性はどこにもない。どんなに仲良く育ったとしても、大人になれば結婚していき、或る者は親元に残り、或る者は親元から離れて行くということをしなければならなくなる。それが自然の流れだから、それを敢えて引き止めてしまえば、とんでもない事態が発生してしまうことになる。

 父親の傍にいるということは、父親が年を取れば介護などの面倒を見るということである。父親に資産があれば、なんらかの経済的支援を受けることができる。しかしそれは使い方を誤ると、いつまで親に頼ってしまい、経済的に自立するのが不可能になってしまう。

 父親から離れていった娘は、父親の介護などする気は更々ないが、その半面、父親からなんの経済的支援も受けないので、自力で経済的自立を成し遂げていかなければならなくなる。巧く行けば仕事が成功して裕福になるかもしれないが、失敗してしまうと働き尽くめの人生になってしまう。

 姉妹だから平等に何かをしなければならないというのは根本から間違った考えである。平等は絶対にダメなのであって、姉妹だからこそ別々の人生を歩むことになる。これは人間の人生に於いて避ける事のできない出来事なのである。

 「親孝行」というのは、親元に残った者が背負う義務であって、親元から離れた者はその義務から解放される。その代わり、新しく家を起こさなければならす、今度はその義務が課せられるのである。人間にはそれぞれ役割があるのであって、平等という観点から物事を見て、あれこれ言ってはならないのである。

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奈良の語源

●「奈良」ってどういう意味?

 ふとしたことから

「奈良って一体どういう意味?」

という疑問を持つようになってしまった。多分、京を置けるほどの大きな土地がある所だなと思うのだが、やはり調べてみないと本当の所は解らない。そこで地名辞典などを使って調べてみた。

 最有力の学説は既に『日本書紀』で打ち出されており、

「崇神天皇が武埴安彦を撃った時に、軍隊が現地の草木を踏み馴らしたから」

ということで奈良になったというのである。こえは現代でも実に解り易い。「踏み馴らす」という動詞が名詞化すれば「奈良」になるからだ。

 民族学者の柳田国男は奈良を「平らな土地」ではないかと考えた。確かに奈良は平らな土地である。しかしそれは後世の人たちによる解釈であって、奈良に京を作ったからこそ平地になっただけの事であって、奈良の地名ができる時はそうではなかったのである。

 ところが戦後になってから韓国語由来説が出て来て、韓国語で国を意味する「ナラ」が「奈良」の語源になったのではないかというのである。しかしこの学説には致命的な問題点があって、韓国語の「ナラ」は中国語の「ナラク」(narak)に由来する物なのであって、恐らく古代の韓国人も「ナラク」と発音していたのである。

 それに大体、奈良を国とするのには無理がありすぎる。奈良は明らかにどこかの地名を指しているのであって、国全体を指しているのではないからだ。奈良のある所を国として指すなら、既に「大和国」があるのであって、これでは二重に言葉を作ったということになり、こんなことは常識的に考えて絶対にしないのである。

 奈良の語源を巡る学説を調べてみると、要は「『日本書紀』を編纂した時点に於いて、既に奈良の語源は解らなかった」というべきであり、当時の日本語では説明が付かないし、それ以上に外国語では余計に説明が付かないということになる。

●奈良の語源は「低い山」

 「奈良」で大事な言葉は「ナ」であり、「ナ」から派生していった言葉であろうとまずは考えなくてはならない。となると、

「なる」

が最初に来るのであって、「なる」は「生まれる」という意味で、その動詞が名詞化すれば「名」ということになる。次に「なる」の動詞が発展すると、

「ならむ」

という動詞になり、「ならむ」は「緩む」という意味で、それが名詞化すると「奈良」という言葉が出て来るようになる。そこで日本の地名を調べてみると。

「奈良峠」

とは「緩い峠」のことであり、

「奈良山」

と来れば「低い山」ということになる。

 奈良ということを単独で使うと、

「緩い崖」

「低い丘」

とか意味になり、これは実際の使用例でもピタリと意味が一致する。奈良という地名のある所は、それほど標高が高くないから、それで

「楢」

の木が存在することになる。

 「なる」→「ならむ」と変化した後に、第三段階である

「踏み馴らす」

という新たな動詞が出て来る。自然状態を指して言った言葉ではなく、人間が自然に人為を施す際に使う言葉だから、それで奈良といえば草木を踏み馴らした場所とか、平地とかいう単語が出て来る。

 『日本書紀』を編纂した時、奈良といえば動詞が第三段階に入った物を思い浮かべたのであって、それで奈良の語源を忘れてしまった。奈良の京は平城山丘陵を切り崩して作ったものなのであって、その平城山は恐らく低い山なのであり、当時から奈良という地名は存在していたということなのである。

●京造りに必要な物は、実は「山」

 現在でこそ奈良は平地に存在する。しかもその平地は実に綺麗な平地であり、明らかに人工的に平地にしたというのが解る。奈良の京を作るに当たって平城山が切り崩されたのであり、その土を使って地面を平地にしていったのである。

 江戸幕府は江戸を作る際に、飛鳥山を切り崩して地面を平地にしている。このため飛鳥山は非常に低い物になってしまい、山というのは名称に留まり、山どころか丘とも言えない有様になってしまった。

「京という物は山を食う」。

この事が解っていないと、奈良の語源で悩むことになってしまうのである。

 奈良の枕詞は「青丹よし」なのだが、これは平城山から青黒い土が出たことに由来する。平城山自体、消滅してしまったのだが、奈良の人たちはこのことを覚えていて、それで枕詞の中に平城山の痕跡を残した。

「青丹よし奈良の京は咲く花の匂うが如く今盛りなり」

と『万葉集』でも歌われている。

 因みに、この青黒い土の中で育ったミミズは青い色をしたミミズになる。俺が四国に行った際、青龍寺で青いミミズを見た時には思いっきりビビリまくってしまった記憶がある。現代人でもこの有様だから、古代人なら霊験のある土だと思ったことであろう。

 日本初の都城制を採用した京は「藤原京」なのだが、京造りの仕方が良く解っていなかったので、下水処理が巧く行かず、汚臭が漂うことになってしまった。そのため京として使用したのはたった15年間であり、その後、平城京に遷都してしまったのである。そういうことがあってので奈良の京だから、人々の感激度は一気に上がったに違いない。

●奈良は観光都市として成功しているけど

 奈良は観光都市として成功しているけど、自分たちの住む土地の地名を説明できないというのは、観光都市として問題がある。奈良市がきちんと説明しないからこそ、嘘の学説が出回ることなり、それで奈良の価値を引き下げてしまうのである。

 日教組が支配する公立学校を卒業した人たちは、

「奈良の語源って、韓国語のナラだよね~」

って必ず言って来る。学校でそう習ってしまったのだから仕様がないのだが、そういうことでは奈良に対して愛着を持つことできないだろう。事実、こういう説明をする人たちから、奈良に対する愛情を垣間見たことは1度もない。

 奈良という言葉は日本語を使って確実に説明して行くことができる。何も奈良の地名は奈良県だけにあるのではなく、全国各地に奈良という地名は存在するのだ。そこに韓国人たちが渡来してきて移り住んだとでもいうのだろうか? そこに住んでいる人たちはバリバリの日本人であり、それなのに韓国語で説明するというのは余りにもバカげている。

 それに日本人の苗字には「奈良」「楢」さんとか「奈良山」「楢山」さんとか「奈良原」「楢原」さんとかがいる。この人たちはみんなご先祖が奈良という地名にいたからこそ、そう名付けられたのであり、日本人の苗字の中にも「奈良」という言葉はしっかりと生きているのである。

 奈良には嘗て平城山という山があり、そこは所謂「奈良山」(低い山)だった。その山を切り崩して奈良の京を作った。だから奈良の京は「平城京」と呼ばれた。奈良市はこうやって正しく説明すべきであり、そういう説明ができれば、自然と奈良の価値は上昇して行くことになるものなのである。

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風邪にはネギを

●なんで冬に風邪がはやるのか?

 冬は寒くて勉強に集中できる季節なので、勉強しようと思えば幾らでも捗る。夏は暑くて勉強に集中できないから、冬の間に勉強しまくっておくというのは必要なことである。しかしこの大事な時期に風邪をひく愚か者たちが出て来る。しかも風邪をひいているんだから自宅で寝てればいいものを、なぜだか外に出て来るのである。

 なぜ冬に風邪がはやるのかといえば、それは「乾燥」するからであって、湿度が或る程度あれば風邪を撃退できるのに、湿度が極端に下がってしまったために風邪を撃退できず、それで風邪をひいてしまうのである。もう1つの理由は冬の寒さのために体内のビタミンが奪われるからであって、それで本来なら風邪をひかない人でも風邪をひいてしまうのである。

 だから風邪予防には、ヤカンでお湯を沸かして、その蒸気で家の中の湿度を高めておくというのが効果的である。雪国ならストーブの上にヤカンを置いて蒸気が出まくっているというのが定番なのであrるが、あれこそが風邪の予防に役立つのだ。

 ビタミンの補給にはネギを食うのが手っ取り早い。ネギにはビタミンAと葉酸とビタミンCが含まれているので、ネギを食っていれば確実に風邪を予防することができる。逆に言うと、冬の間にネギを食わないと、ビタミンが不足するので、それで風邪をひいてしまうことになる。

 因みにネギは1本で買うより、纏めて買った方がいい。纏めて買うと安いだけでなく、常にネギがあるために毎日食べることができる。ネギが自宅にないからこそ、ネギを料理しないだけのことなのであって、ネギが自宅にあれば簡単に料理することができてしまうものなのである。

●ネギ味噌

 風邪予防のためのネギ料理で最もお勧めしたいのは、なんといっても「ネギ味噌」である。ネギ味噌にするとネギを生のまま食べることができるので、それで栄養価を何1つ損なわずに食べることができてしまうのである。ネギを炒めてしまうと、その分だけビタミンは破壊されてしまうことになるので、勿体ないといえば勿体ないのだ。

 味噌は極陽性の食べ物なので、味噌を食べると体が陽性になり、温まる事になる。ネギ自体、野菜なので、体を暖めることはない。ネギに味噌が加わることで体が温まり免疫力が活性化することになる。だからネギ味噌は風邪に効果があるということになるのだ。

 ネギ味噌と同じ理屈で、味噌汁に刻んだネギを振りかけるというのも有効である。振りかけた後、すぐに食べるとネギの味が強くなってしまうが、少し置いてから食べると、味噌汁の水分を吸ってネギが柔らかくなり、それで美味しく食べることができるようになる。

 食事の度にネギを食べるためには、ネギを切り刻んでおいて、それをタッパに入れてストックしておき、それを出すようにすればいい。忙しい時にネギを切るのが面倒だからこそ、ネギが出て来ず、それで味噌汁だけで飲む羽目になってしまうのである。

 ネギと味噌の組み合わせでは、「ぬた」という物があるが、ぬたは作るのが面倒だし、ネギをぬたにしてしまうと、その分だけビタミンが破壊されてしまうことになる。料理としては美味しいかもしれないが、風邪予防にはそれほど役に立たないのだ。

●鍋料理にネギ

 鍋料理にネギというのは絶対に必要なものである。但し、多くの人たちがネギの使い方を間違えて、台無しにしてしまっているのが実情だと言っていい。鍋料理にネギを使う時は、出来るだけ短時間煮込むようにし、長時間煮込んではならない。

 長時間煮込めば煮込むほど、ビタミンが失われて行ってしまうことになる。それに長時間煮込んだお蔭で、ネギの味も食感も全て飛んでしまい、それでどうでもいい野菜に成り下がってしまうのだ。ネギ自体、頑丈な野菜ではないので、ネギを使う時はそれなりの配慮というものが必要なのである。

 ネギには食物繊維があるために、肉を食べた時は必ず必要になってくる。食物繊維の力を使って早くに排便させるのである。肉には栄養が充分にあっても、体内に長くい過ぎてしまうと、毒素を発生して来るので、それで肉を食べる時は野菜とセットにして、肉の危険性を排除していかなければならないのである。

 鍋料理のシメに「おじや」や「うどん」にする時にも、切り刻んだネギを使用し、ここでもネギを食べられるようにした方がいい。鍋料理を作る時にはネギを使っているのだから、後ひと手間かけると更に美味しい料理が出来上がることになるのだ。

 鍋料理にネギを入れているというのに、ネギを食わない者が出て来る。その者こそが後で風邪をひくことになるのだが、ネギを嫌いな者にネギを食べさせるためには、胡麻油を使って味を引き立たせるとかした方がいい。こうするとネギの美味しさが増すので、それで食べてくれるようになるのだ。

●「焼きネギ」と「炒め物にネギ」

 ネギは焼いても美味しい。焼きネギは調理が簡単なのに、それでもオカズとして成立する。ネギを焼くとビタミンが破壊されるのだが、その代わり、ネギに味が出て来るので、それで食事が進むことになる。風邪の引き始めとかに焼きネギを出せば、それで風邪を撃退することができてしまう。

 炒め物にはネギを大量に使った方がいい。中華料理を見れば解るように、炒め物にネギを大量に使うというのは、炒め物としては常道なのである。それをやるとネギの甘さを使用することができるので、それで料理が断然に美味しくなるのである。

 だからネギは買い置きをしておいた方がいい。ネギが自宅に常にあればこそ、ネギを大量に使うことができるのであって、ネギがなくなればネギを使うことはできないのだ。ネギは纏めて買うものであって、1本で買う物ではないというのは、そういう事なのである。

 母親であるなら、夫や子供たちが風邪をひき始めたのなら、すぐさまネギを使った料理を作り、それで風邪を寝込むほどの物にしないようにした方がいい。寝込めば風邪と雖も厄介なのであって、微熱があったり、鼻水が出ている当たりで防いでしまった方が良いのである。

 風邪をひいたのなら風邪薬で治すというのは、正しいように思えて実は間違った治療法である。風邪をひいたのなら、寝込めばいいのであって、断食していれば確実に治る。風邪薬を使うのではなく、「風邪にはネギを」というようにして風邪を防止することの方が必要なのである。

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プリンセスアカデミー

●モルモン教と文学

 イギリス文学とアメリカ文学は全く別個の文学なのだが、それなのに日本ではこれらをごっちゃにして「英米文学」としてしまうのだが、これは完全に間違ったことである。言語は共に英語が使用されているのだが、だからといって同じ物ではないのだ。

 イギリスとアメリカ合衆国は共に英語が共通語なのだが、アメリカ合衆国で使用されている英語はイギリスで使用されている英語とは異なる。アメリカ英語という物は本来の英語からすると非常に訛っているのである。しかもモルモン教の発展によって、モルモン教の内部で使用されている言語こそがアメリカ英語の中心を占めるようになってしまった。

 モルモン教では若い男性たちに2年間の伝道を義務付けているのだが、教団の命令にアメリカ合衆国全土に、そして世界各国へと派遣されることになる。当然に言語の研究には熱心であり、外国語の研究だけでなく、アメリカ英語を作り出すということをやってしまった。このため普通のアメリカ人たちは大したことないのだが、モルモン教徒となると全く別であり、非常にクリアな物の言い方をしてくることになるのだ。

 今回紹介するのはこの本!

 シャノン・ヘイル著『プリンセスアカデミー』(小学館)

 訳 代田亜香子

     プリンセス・アカデミー

 シャノン・ヘイルはアメリカ合衆国生まれではあっても、メキシコやイギリスやパラグアイで暮らし、ユタ大学でイギリス文学を学び、モンタナ大学で修士号を取った。現在は結婚して2人の子供がいる。ユタ州のソルトレイクシティに在住。

 この本はアメリカ合衆国でニューベリー賞次点を取った。読んでみると解るが、アメリカ人が書いたというのに読み易い。子供の頃に外国暮らしをしたこと、それに大学生の時にイギリス文学を学んだことがいい結果を齎した。英語を話すアメリカ人であっても、イギリス文学を学ばない限り、まともな文学作品を作れないものなのである。

●題名合格、内容は問題だらけ

 『プリンセスアカデミー』はなんといっても題名が合格である。作者の「シャノン」は運命学的には「お姫様タイプ」なので、作者本人の性格と合った物ゆえに一気に書き上げてしまったといえる。こういう題名を思いつくということは作家としてのセンスが充分にあると見ていい。

 しかし内容は問題だらけである。この小説の内容は、主人公のミリが村の娘たちと一緒にプリンセスアカデミーに行ってお妃教育を受けるのだが、最終的に王子様はミリを選ばず、幼馴染みのブリッタを選んでしまう。題名が『プリンセスアカデミー』なのだが、そういう結末ではダメなのである。

 主人公のミリが14歳という設定にも無理がある。14歳では若すぎるのであって、せめて16歳にでもしておけばハッピーエンドになる物が書けたことであろう。ミリが恋愛よりも勉強に熱中してしまうのは、作者本人がそういう人生を送ってきたとはいえ、それを小説に書くのは如何なものかと思う。

 ミリは父子家庭の娘である。父子家庭の場合、女性は早くに結婚していくものなのである。母親が欠けているために、運勢がなかなか安定しないのだ。作者本人は父親に愛されて育ったのだろうが、両親が揃っている家庭と父子家庭とではまるで違うということが解っていないのである。

 それと小説としては絶対にやってはならない書き方をしているのも問題である。主観と客観がごっちゃになっているので、読みにく箇所が多々あるのだ。日本の出版社では絶対にそういう物を出さないので、俺としてはなんでアメリカ合衆国でこの本が出回ったのか不思議なくらいである。このことは未熟だからでは済まされないのである。

●根本的な誤り

 この小説は根本的な誤りを犯している。それは、

「お妃教育はあっても、お妃学校はない」

ということであり、プリセンスアカデミー自体、存在しないものなのである。作者はこのことを理解しているらしく、小説の中で今までプリセンスアカデミーは形式的な物であったと述べ、今回から本格的に作動したとしている。

 アイデアの元ネタは西ヨーロッパにある「マナー教室」であろう。西ヨーロッパでは上流階級の子弟たちは社交界にデビューする前にマナーをマナー教室で覚えさせられることになる。それで西ヨーロッパの上流階級の人たちに無作法者というのが存在しないのである。

 お妃教育というのは、お妃になることが決まってから施されるものである。日本人なら天皇家がこれをやっているので解るのだが、アメリカ合衆国には君主制がないために、そのことがまるで解っていないのである。君主制を知らなければこの手の架空のお話に付き合えるのだろうが、君主制国家で生まれ育った者からしてみると、

「プリンセスアカデミーって不要なんだよ」

と切り捨てるしかないのだ。

 王子様と雖も、将来、国王になる可能性がある以上、自分の好き勝手でお妃を選ぶことはできない。「お妃の条件」というものがあって、それを満たしていないと結婚は難しいのだ。

①美人であり、健康であり、そして賢いこと

②お妃の両親が王族か貴族であること

 ③健康な子供を産める可能性があること

 ミルは3つの条件の内、2つは満たしている。しかし所詮は庶民なのであって、それではお妃にはなれないのである。庶民の上に国王がいるのではなく貴族がいるのであって、貴族の娘だからこそ王子様と結婚することができるのである。

 日本では今上天皇陛下が庶民の娘をお妃に迎えてしまったので、それで天皇家は皇統断絶の危機に見舞われてしまった。貴族制度を残しておけば、庶民の娘を貴族に列し、その後、結婚すればなんの問題もなかったのに、戦争に負けてアメリカ合衆国が貴族制度を廃止してしまったために、天皇家は存亡の危機に立たされてしまったのである。

●そして自立は不可能になった

 翻訳者は、

「全編を通じて所謂ガールズパワー全開で、女の子たちの底力が伝わってきます」

と肯定的な評価を下しているのだが、ミリの運命は過酷な物であって、彼女がどうやっても自立不能ということになってしまうことになる。ミリは王子様ではなく幼馴染みのペダーを選んだのだが、ペダーではミリを自立させる力を持たないからだ。

 王子様は少なくとも自分の好きな女性を探し出す能力を持ち、そして本当に救い出した。だからブリッタは自立していくことができる。しかしペダーにはそんな力がないのであって、ミリがどう待ったとしても自分を自立させてくれることはないのだ。

 ミリは父子家庭ゆえに、自分の父親から愛されていないという不満を抱えている。この不満は後に父親の気持ちが解ることによって解消されていくのだが、そうなってしまえば、今度は父親にしがみつくことになってしまう。妻を亡くした父親と、女性の体に変化していく娘が家の中にいれば、どういうことになってしまうか、大体察しがつくというものなのである。

 ミリは第二子である以上、父親には反抗しないとおかしいことになってしまう。姉のマーダが父親と仲がいい以上、妹のミリには居場所はないのであって、後は出ていくしかない。第二子次女にはそういう宿命があるのであって、それなのに自宅に戻ってきては話にならないのだ。

 読後、俺がつくづく思ったのは、シャノン・ヘイルは他のアメリカ人の作家たちよりも断然に文章が巧いのだが、

「共和国で生まれ育った人間にはどうやったとしても君主制国家のことは理解できない」

ということであった。女性が自立していくためには王子様が必要なのであり、自分だけの力だけで自立していくことはできないものなのである。

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